海月衛 映画帖
~映画の大海原をたゆたう~

日本映画レビュー──2023年

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製作:Master Mind、Spoon、Wenders Images
公開:2023年12月22日
監督:ヴィム・ヴェンダース 製作:柳井康治 脚本:ヴィム・ヴェンダース、高崎卓馬 撮影:フランツ・ラスティグ 美術:桑島十和子

世の中で報われていないと感じる人々に生きる勇気を与える
 原題"Perfect Days"で、完全なる日々の意。
 THE TOKYO TOILETの清掃員・平山(役所広司)は、朝目覚めて歯を磨き、自販機の缶コーヒーを飲んで作業車に乗って音楽をかけ、首都高で渋谷に行って決められたトイレの清掃をし、昼は神社の境内でサンドウィッチを食べ同じ木の木漏れ日の写真を撮り、仕事が終わるとアパート近くの銭湯に行き浅草の定食屋で夕食をとり、布団に入って文庫本を読み寝るというルーティーンの毎日を繰り返している。
 無口でトイレ掃除はピカピカに磨くという昔気質の性格。余計な言葉を弄さず、他人も自分も偽ることがない。部屋には文庫本とオールデイズの音楽カセットテープが並び、休日に通うのは昭和の飲み屋という、平山はまさに時代の潮流から外れた、遠景となった日本人の美意識に生きるレトロな人間。
 平山は古き東京の下町に暮らすが、それと対照をなす現代の東京の象徴が、近くに聳える東京スカイツリーでありTHE TOKYO TOILETの渋谷。
 『東京画』(1985)で小津安二郎の描いた東京の喪失を描いたヴィム・ヴェンダースは、レトロな平山の生き方・精神性の中に失われた『東京物語』(1953)の人々の姿を求める。
 一方、小津が平山(笠智衆)と崩壊していくその家族を描いたのに対し、本作の平山の家族はすでに崩壊している。
 平山の同僚の若者(柄本時生)、平山の姪(中野有紗)、飲み屋の女将(石川さゆり)と元夫(三浦友和)等もまた現代の東京を漂流するが、ルーティーンに見える平山の毎日は決して同じではなく、部屋の小さな鉢植えのように僅かずつ生長する。平山が撮る神社の木の木漏れ日のように毎日揺らいでいて、決して同じ写真はない。
 変わらないようで僅かずつ変化する毎日。
 THE TOKYO TOILETの輝きが清掃員の影の努力によって生まれているように、東京の光の中の平山の影が人と交われば、二つの影が重なり僅かでも濃くなり変化する。
 それが生きる喜びであり哀しみであり、平山の誠実に生きる毎日こそがPerfect Daysであり、ヴェンダースが探し求める『東京物語』の真の姿だと知る。
 ヴェンダースはそれを純粋化し普遍的なものとして描くのに成功していて、生きることの意味に涙する平山に心が洗われる。
 経済的な豊かさに偏る世の中で、報われていないと感じる人々に生きる勇気を与える作品となっている。 (評価:3.5)

製作:『月』製作委員会
公開:2023年10月13日
監督:石井裕也 製作:伊達百合、竹内力 脚本:石井裕也 撮影:鎌苅洋一 美術:原田満生 音楽:岩代太郎
キネマ旬報:5位

健常者一人ひとりにまで広げて、生きるとは何か?を問う
 辺見庸の同名小説が原作。
 2016年の津久井やまゆり園事件を題材とした映画で、知的障害者施設における虐待、社会からの隔離・排除、重度障害者の尊厳を巡り、建前と本音の議論を闘わせながら、障害者の大量殺人に至るまでを描いていく。
 主人公は障害のあった子供を3歳で亡くした小説家(宮沢りえ)。作品が書けなくなり障害者施設でアルバイトを始め、同僚で小説家志望の娘(二階堂ふみ)と親しくなる。もう一人の同僚が夜勤担当の青年(磯村勇斗)で、重度障害者の生きる意味を問うて大量殺人に至る加害者となる。
 議論をリードするのは娘で、嘘を嫌い、常に本音を求め、東日本大震災を描いた主人公の小説にはきれいごとしか書かれていないと批判する。それは読者=社会は偽善しか求めていないという編集者の助言に従って主人公が暗部を削除した結果で、それが原因で筆を握れなくなる。
 主人公は2人目を妊娠するが、障害を恐れて出産を決断できないでいる。検査の結果、障害があったら堕胎=排除するのか、健常だったら産むというのは障害者を差別しているのではないかという問いを突き付けられる。
 青年は施設で人間扱いされない重度障害者を見て、人間=自我と考えて心がない重度障害者は人間ではない、それを生かし続けるのは社会の矛盾だと結論する。
 本作は偽善しか語らない障害者問題のタブーを越えて、本音の議論を闘わせていくが、出生前診断で障害があったらという主人公の究極の選択の結果は、観客に委ねられて終わる。
 社会の正義と青年の正義のどちらが正しいかは、誰にも結論づけられないことで、本作はそのどちらにも組さないが、人の死を悲しむ者がいるということだけを残す。
 文学賞に落選し続けて才能がないと知りつつネタを求めて施設で働く娘の、生きるとは何か? それはただ生き続けているだけの存在、重度障害者と変わらないのではないか? 小説の書けなくなった主人公の、生きるとは何か? 心があると信じる重度障害者の心を偽りなしに描くことはできるのか?
 重度障害者の生きる意味を健常者一人ひとりにまで広げて、生きるとは何か? を問う作品となっている。 (評価:2.5)

製作:東宝
公開:2023年11月3日
監督:山崎貴 製作:市川南 脚本:山崎貴 撮影:柴崎幸三 美術:上條安里 音楽:佐藤直紀
キネマ旬報:8位
ブルーリボン作品賞

反核というよりは反戦、怪獣映画というよりはヒューマンドラマ
 1954年『ゴジラ』のリメイク。
 時代設定をビキニ環礁の水爆実験後の1954年から1946年の原爆実験後に移し、太平洋戦争末期から始まる物語として、タイトルをゴジラ マイナスワンとしている。
 主人公の敷島(神木隆之介)は卑怯者として生き残った特攻隊員で、そのトラウマを抱えているために自身の戦争が終わらずにいる。
 終戦後の混乱の中で典子(浜辺美波)と戦争孤児・明子(永谷咲笑)と同居するものの夫婦、親子となることができずにいるが、そこに現れるのが大戸島での因縁を持つゴジラで、その因縁を終わらせることによって敷島の戦争が終わるという人間ドラマになっている。
 シナリオがよくできていて、神木隆之介の熱演もあって、怪獣映画というよりはむしろヒューマンドラマの色彩が濃い。
 もっともその分、オリジナルの反核のテーマが薄くなり、反戦、国家に対する不信といった政治色が強くなっている。
 命の大切さというテーマを掲げながらも、特攻隊と紙一重なゴジラに対する特攻精神を前面に押し出しているのが微妙で、人情や自己犠牲、悲壮感といった情緒的で古典的な日本映画のドラマツルギーを引き継いでいる。
 ゴジラが背景に退いていて、日本上陸のシーンでも恐怖感が伝わってこないのも怪獣映画としてはマイナス。まさかのラストシーンがそれに輪を掛ける。
 アカデミー視覚効果賞を受賞したVFXは、CGに頼りすぎな映画が多い中で、ミニチュアやセット撮影、ブルーバック合成といった日本の特撮の手作り感が映像にも表れていて、CGとミックスさせながら元祖ゴジラらしさを感じさせている。
 放射熱線のキノコ雲描写、黒い雨はむしろ放射能汚染を心配させるレベルだが、シナリオでは無視しているのが中途半端。
 脇役に佐々木蔵之介、吉岡秀隆、安藤サクラ。 (評価:2.5)

愛にイナズマ

製作:日本テレビ放送網、HJホールディングス、東京テアトル、RIKIプロジェクト
公開:2023年10月27日
監督:石井裕也 製作:澤桂一、長澤一史、太田和宏、竹内力 脚本:石井裕也 撮影:鍋島淳裕 美術:渡辺大智 音楽:渡邊崇

常識的な映画論のヒューマンドラマとなってしまうのが惜しい
 いつもカメラを持ち歩く新人監督・花子(松岡茉優)が、母が失踪してバラバラになった自分の家族の仮面を剥がす映画を撮るうちに、家族の素顔が現れ、家族が再生するという物語。
 常識的な映画作りのプロデューサー(MEGUMI)、先輩助監督(三浦貴大)と軋轢を生じた花子は、自分の家族をテーマにした映画「消えた女」の監督を降ろされ、企画も奪われてしまう。
 俳優志望だった舘(窪田正孝)と知り合った花子は、舘に励まされ、母の失踪を追う自分の家族のドキュメンタリーを撮るうちに、失踪の秘密を知り、父(佐藤浩市)や兄たち(池松壮亮、若葉竜也)との和解を得る。
 冒頭、コロナでの価値観の転換、理由もなく理不尽なことは起きる、出来事に因果は必須か? が問題提起され、どのような状況でも夢を失ってはいけない、という青春映画的展開となるが、あっさりと起承は180度転換され、以下、家族の再生という常識的な映画論のヒューマンドラマとなってしまうのが惜しい。
 人は常にマスク=仮面に本心を隠して演じているというようなテーマも提示されるが、どれも消化不良のままに終わり、携帯電話で繋がる母との糸は切れない、家族の絆は断ち切れないと、余命幾許もないた父を中心とした家族の和解というありきたりな話になってしまう。
 シナリオも俳優たちの演技もそれなりに上手いのだが、ヒューマンドラマになってからが冗長で蛇足。前半が期待を持たせただけに失速感がある。 (評価:2.5)

BAD LANDS

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製作:東映、ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント、エイベックス・ピクチャーズ、ジェイ・ストーム
公開:2023年9月29日
監督:原田眞人 製作:村松秀信、ウィリアム・アイアトン、勝股英夫、藤島ジュリーK. 脚本:原田眞人 撮影:北信康 美術:金勝浩一 音楽:土屋玲子

宇崎竜童、天童よしみがいい味を出しているクライムサスペンス
 黒川博行の小説『勁草』が原作。
 特殊詐欺グループの内輪揉めを描いたクライムサスペンス。受け子の指示役ネリ(安藤サクラ)が、義弟ジョー(山田涼介)が詐欺グループの実行責任者・高城(生瀬勝久)の金を奪うのを行きがかりから助け、海外逃亡するまでの物語。
 高城はネリの実父であること、ジョーは継子のネリに性的虐待を加えていた実父を殺害したために服役して出所したこと、ネリは元愛人の仮想通貨会社社長・胡屋(淵上泰史)のDVで左耳が聞こえないこと、その復讐のためにジョーが胡屋を殺害するといった複雑な人物関係を、原田眞人はわかりやすく描いている。
 もっとも、特殊詐欺を働こうとするネリたちを警察が捜査していく前半部分はサスペンスフルだが、中盤以降の内輪揉めに入ってからの話が詰まらなく、高城以下が大阪・西成地区の貧者救済のために富の再分配を行っている義賊というのも通俗過ぎて脱力する。
 それを意識してか、時々コメディが入ったり、コンパニオンクラブのような胡屋のオフィス、タイムスリップしたような林田(サリngROCK)の賭場、70年代掛かった台詞、といった劇画的演出も入るが、アナクロすぎて黴臭い。
 藤島ジュリー、ジェイ・ストームが製作に加わり、山田涼介のほか、岡田准一が友情出演と、ジャニー喜多川のジャニーズ・ジュニア性虐待問題の嵐が吹き荒れている中での公開。
 元ヤクザの宇崎竜童、詐欺グループの天童よしみがいい味を出している。 (評価:2)

製作:「福田村事件」プロジェクト
公開:2023年9月1日
監督:森達也 脚本:佐伯俊道、井上淳一、荒井晴彦 撮影:桑原正 美術:須坂文昭 音楽:鈴木慶一
キネマ旬報:4位

昭和に立ち戻ったような生硬な社会派映画を見ている感じ
 1923年9月の関東大震災後に千葉県福田村(現・野田市)で起きた自警団による行商人集団殺害事件に題材を採った劇映画。
 事件は震災後の流言飛語の中で、香川から来た行商人の訛を朝鮮人の訛と間違えた福田村の自警団が虐殺を行ったというもので、この行商人たちが被差別部落民だったということで、二重の差別構造となっている。
 ラストで、警察官が行商人は日本人だと自警団をたしなめるのに対し、部落民の一人が「朝鮮人だったら殺してもいいんか」と叫ぶシーンに差別に対するわかりやすいメッセージが込められているが、全体は人権啓発の教科書のような内容。
 冒頭から説明的な台詞のオンパレードで、日露戦争の軍国教育、韓国併合と朝鮮人差別、本作とは関係のない東京などの朝鮮人虐殺等々が描かれ、水平社宣言まで飛び出す。
 千葉日日の新聞記者もステレオタイプな正義漢で、昭和に立ち戻ったような生硬な社会派映画、プロレタリア映画、人権映画を見ているようで、福田村事件を実証的に描くでもなく、朝鮮独立運動や姦通の男女不平等までてんこ盛りにされると、少々うんざりする。
 ドキュメンタリー畑の監督が昭和31年生まれ、荒井晴彦が製作に加わっていると知ると、それはそれで納得するのだが。
 事件を目撃するUターン夫婦に井浦新、田中麗奈、その浮気相手に東出昌大。出征した夫(松浦祐也)のいぬ間の嫁(向里祐香)と義父(柄本明)の密通と、戦争がもたらす今村昌平張りのエピソードは、これはこれでそれなりに楽しい。
 行商人の頭に永山瑛太。 (評価:2)


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