海月衛 映画帖
~映画の大海原をたゆたう~

日本映画レビュー──2022年

製作:メ~テレ、朝日新聞社、ハピネットファントム・スタジオ、ザフール
公開:2022年12月16日
監督:三宅唱 脚本:三宅唱、酒井雅秋 撮影:月永雄太 美術:井上心平
キネマ旬報:1位
毎日映画コンクール大賞

観る者も目を澄ませなければならない静謐な佳作
 小笠原恵子の自伝『負けないで!』が原案。
 生まれつきの聴覚障害者のケイコ(岸井ゆきの)の物語で、耳が聞こえず、ゴングもレフリーのカウントダウン、セコンドのアドバイスも聞こえないというハンディを負いながらも、ボクシングジム会長(三浦友和)の熱心な指導の下、プロボクサー試験に合格する。
 ケイコがボクシングを始めた理由は、子供の頃から苛められてきたことで、喧嘩に勝つためだと会長は推測する。
 無口で大人しいケイコだが、逆境に耐えてきた精神力は人一倍で 二戦目で顔を腫らしても、翌日にはホテルの清掃の仕事をこなし、母に心配をよそに次の試合のために黙々と練習を続ける。
 ところが会長が脳梗塞のためにジムを畳むことになり、別のジムを紹介されるもアパートと職場からは遠く、何より二人三脚で歩んできた会長の指導とサポートを受けられないことから、ボクシングを続けるかどうかのピンチに立たされる。
 そんな状態で迎えた第三戦でKO負け。ジムも閉鎖されて荒川河川敷で一人座り込んでいると、第三戦の試合相手が近づいてきて対戦のお礼を言う。その言葉でケイコは気を取り直し、ランニングを始めるラストシーンとなる。
 ケイコがほとんど声を出さないために、全体が静謐でケイコの内面の葛藤に焦点が当たるようになっていて、観客もケイコ同様の声のない世界でケイコの心を読んでいかなければならない。
 そうした点で、観客もまた目を澄ませることが要求されるが、人は皆、人生の幾つもの壁を乗り越え、逆境に耐えて独り強く生きていかなければならないというメッセージになっている。
 ケイコの母に中島ひろ子、会長の妻に仙道敦子。 (評価:2.5)

ちひろさん

製作:Netflix、アスミック・エース
公開:2023年2月23日
監督:今泉力哉 脚本:澤井香織、今泉力哉 撮影:岩永洋 美術:井上心平 音楽:岸田繁

社会に居場所を失った人々の孤独と再生がテーマ
 安田弘之の同名漫画が原作。
 弁当屋の店員をしている源氏名ちひろの元風俗嬢(有村架純)の日常を描くドラマ。
 登場人物は弁当屋の人々(平田満、風吹ジュン、根岸季衣)、ちひろを盗撮する女子高生(豊嶋花)、同じ学校の不登校(長澤樹)、鍵っ子の小学生(嶋田鉄太)、元同僚のニューハーフ(van)、元風俗店長(リリー・フランキー)、ちひろファンの店の客たち。
 ちひろを始めとしてそれぞれが内面に孤独を抱えていて、彼らの孤独を感じ取ることのできるちひろが、それぞれに寄り添い、互いに共鳴し、距離を保って互いの孤独を認め合うというドラマになっている。
 劇中、竹宮惠子の漫画『地球(テラ)へ…』が出てくるが、これが鍵になっていて、社会に居場所を失った人々、その孤独と再生が本作のテーマとなっている。
 ちひろは互いの孤独を理解・尊重し、共鳴できる人を同じ星の人と表現。孤独を内面のアイデンティティとして、孤独を持つことをポジティブに捉える。
 ドラマを通して孤独な人同士が擬似家族として繋がっていくが、弁当屋の妻が戻り、ちひろが収まっていた空いたピースが埋められると、ちひろは新たな居場所を牧場に見つけるというラスト。
 有村架純の演技が最大の見どころで、芸達者な弁当屋の人々もいい。 (評価:2.5)

Dr.コトー診療所

製作:フジテレビジョン、東宝
公開:2022年12月16日
監督:中江功 製作:大多亮、市川南 脚本:吉田紀子 撮影:星谷健司、大野勝之 美術:あべ木陽次 音楽:吉俣良

20年を経て進歩した高解像度とドローン撮影の与那国島が美しい
 山田貴敏の同名漫画が原作。
 架空の島・志木那島の診療所が舞台で、離島医療がテーマ。2003年から放映されたテレビシリーズの20年後を描く。ロケ地は与那国島。
 コトー先生(吉岡秀隆)は診療所の看護師・彩佳(柴咲コウ)と結婚。彩佳は妊娠中で、新看護師の那美(生田絵梨花)が加わっている。
 そこに大病院の御曹司・判斗(髙橋海人)が研修医としてやってくる。離島医療に一生を捧げるコトー先生が急性骨髄白血病であることがわかり、島の人々の命と自らの命を秤にかけることに。
 本土で治療を受けるべきだという彩佳。無医村にはできないというコトー先生。コトー先生に代わることはできないという判斗。善意で支えられてきた離島医療の矛盾が明らかになる。
 そうした中、台風で怪我人・病人が続出。無理を押して治療するコトー先生が倒れてしまう。
 冒頭、大怪我をした漁師の剛利(時任三郎)、医科大学を中退した剛洋(富岡涼)の親子が、それぞれに再起を図り、切迫早産の彩佳の子が無事に生まれて歩き出す映像に代り、果たして診療所に残ったのはコトー先生、それとも判斗か? と気を持たせるラストシーンとなり、逆光の中に子供を抱え上げるコトー先生が浮かび上がる。
 それが実際の未来の姿なのか、それともコトー先生の臨死体験だったのか、と解釈を観客に委ねているが、いずれにしても未来に希望を託すという結末となっている。
 特に目新しくもない定番のヒューマンストーリーだが、手慣れたシナリオと20年の歳を重ねた俳優陣の演技が心に残る。
 明らかに進歩したのは高解像度とドローンを使った撮影技術で、俯瞰で眺める海と与那国島の自然、比川浜のコトー診療所を海から映す映像が美しい。 (評価:2.5)

東京2020オリンピック SIDE:B

製作:International Olympic Committee
公開:2022年6月24日
監督:河瀬直美 音楽:藤井風

オリンピックがもたらした日本社会の分断を映す
 SIDE:Bは舞台裏(backstage)、あるいは背景(background)の視点から見た東京2020オリンピックで、開会式の演出陣の交替、コロナによる延期、女性差別発言による森喜朗組織委員会会長の辞任などを巡る、トラブルを中心に描く。
 その一方で、開催のために力を尽くす料理人や新国立競技場の芝生の整備員といった裏方、慶良間諸島や福島などの聖火リレーにさまざまな思いを託す人々、そして開催に反対する人々、出場できなかった南スーダンの選手も登場し、日本と世界、オリンピックの現在を映す鏡ともなっている。
 とりわけ印象的なのが、森喜朗を中心とする組織委員会のメンバー、IOC会長のバッハらの、選手たちの若さとは対照をなす老齢ぶりで、ドアップを多用するカメラが老醜とも見える顔の皺を刻む。
 河瀬直美の意図とは別に、SIDE:Bが結果として描いたものは、オリンピックがもたらした日本社会の分断であり、オリンピック精神が目指す世界の人々の統合・平和への求心力とは正反対の、人々の分散・遠心力だったことを示している。
 オリンピックは選手とスポーツ関係者、オリンピックに意義を見出し支える一部の人々のものであって、オリンピックに意義を見出さない、あるいは意義は失われたと考える人たちとは、決して交じり合わない。
 そうした点では、制作者の意図を離れて、まさしくドキュメンタリーとなっていて、レニ・リーフェンシュタールのベルリン大会がナチの台頭と戦争への予兆を、市川崑の1964東京大会が第二次世界大戦からの脱却を示したように、本作はオリンピックの幻想の終焉を記録している。
 ただ内容が多岐に渡り、一部競技者視点も入り混ざっているので、雑駁な印象は否めず、時に纏まらなくなると子供の映像に逃げていて、顔のアップによる感情表現や情緒的な描写が、河瀬らしいといえば河瀬らしい。
 公開後、元電通の組織委員と公式スポンサーをめぐる汚職が明らかになったが、河瀬にはオリンピックの後日談(continuation)を描くSIDE:Cをぜひ作ってほしい。 (評価:2.5)

製作:『土を喰らう十二ヵ月』製作委員会
公開:2022年11月11日
監督:中江裕司 脚本:中江裕司 撮影:松根広隆 美術:小坂健太郎 音楽:大友良英
キネマ旬報:6位

土井善晴の洗練された精進料理を思わず食したくなる
 水上勉の随筆『土を喰う日々-わが精進十二ヵ月-』が原案。
 タイトルは庭の畑で作った野菜を料理する菜食生活から。
 水上勉が軽井沢の別荘で執筆していた時期をモデルにしていて、立春から始まり、二十四節気毎にナチュラリストのツトム(沢田研二)の生活を追うという構成で、テーマは現代的。
 節気ごとの一年間の自然と生活を追う撮影が努力賞で、大きな見どころ。
 料理を担当するのは名料理人の土井善晴で、ツトムが禅宗の寺で修行時代に精進料理を学んだというには洗練された料理が並ぶので、思わず食したくなる。
 この四季折々の精進料理が本作のもう一つの見どころであり魅力ともなっているが、女性編集者(松たか子)との色恋話、義妹夫妻(西田尚美、尾美としのり)との挿話となる後半がつまらない。
 妻とは12年前に死別し、女性編集者と遠距離恋愛するという設定が平凡で、シナリオと演出が悪いのか演技が下手なのか、二人の恋愛感情がまったく伝わって来ない。
 女性編集者への同棲申し出も無茶苦茶で、どうやって東京に通勤するのかと首を傾げたくなる。さらに女性編集者が逆プロポーズを断られて新進作家と当てつけ結婚する挿話も安っぽい。
 義母(奈良岡朋子)の死を巡る義妹夫妻との挿話も橋田寿賀子のドラマのようで通俗だが、沢庵を切り、山椒を茶碗に載せる奈良岡朋子の老練な演技力には感服する。 (評価:2.5)

製作:映画「ハケンアニメ!」製作委員会
公開:2022年5月20日
監督:吉野耕平 脚本:政池洋佑 撮影:清久素延 美術:神田諭 音楽:池頼広
キネマ旬報:6位

東映アニメーション監修でアニメの制作過程がとてもリアル
 辻村深月の同名小説が原作。
 新人のアニメ監督が夕方のテレビアニメ枠の表裏で天才的監督と視聴率勝負をするという物語で、タイトルは派遣アニメではなく覇権アニメ。
 非現実的な設定の対決ドラマという虚構性に初めは引いてしまうが、物語が進むうちにアニメという虚構をテーマにしていることに気づく。
 主人公の瞳(吉岡里帆)は幼い頃からアニメの中の魔法は現実にはなく、それが現実から逃避するための虚構の世界だということを知る。しかし、王子千晴(中村倫也)監督のアニメを初めて見て感動し、それを超える、アニメを虚構だと感じていた幼かった頃の自分を勇気づけることのできる、王子を超える作品を作ろうとアニメ制作会社に転職する。
 数年後、漸く辿り着いた初監督作品、奇しくも王子の9年ぶりの新作とテレビ枠の表裏でぶつかることになる。
 以下、それぞれがそれぞれの思いを秘めて視聴率勝負となるが、テレビ局や商品化の制約の中でぎりぎりまで絵コンテを修正し、虚構の中のリアリティを描くハッピーエンドではない掟破りの最終話が完成する。
 当然のことながら、瞳もまたハッピーエンドを迎えることはできないが、虚構の中に逃げずに現実と正しく向き合うという、アニメ業界とファンには少々辛口な内容になっている。
 製作に東映アニメーションが加わっているため、アニメの制作過程に関してはとてもリアルな描写になっていて、動画が間に合わずにアテレコをする様子が当然のように描かれる。
 劇中のアニメプロデューサに 尾野真千子、柄本佑。瞳の作品の主演声優に高野麻里佳。 (評価:2.5)

東京2020オリンピック SIDE:A

製作:International Olympic Committee
公開:2022年6月3日
監督:河瀬直美 音楽:藤井風

2020年オリンピックを不十分ながらもスケッチしている
 SIDE:Aは選手(athlete)の視点から見た東京2020オリンピックで、開催までのプロローグ以外は各種競技の選手を追う形をとっている。
 中心に取り上げられるのはカナダの女子バスケットのママさん選手、イランの亡命柔道選手、日本柔道界、ソフトボールなどで、選手個人からのオリンピックを通したドラマを描こうとしている。
 もっとも試みが成功しているとは言い難く、焦点が絞り切れていないためにエピソードがバラバラで散漫な印象を受ける。
 プロローグでは、コロナによる延期、選手の去就、反対デモ、来日、無観客試合などが断片的な映像で繋がれているが、説明が一切ないために経緯を知らないと何の映像かわからない。延期をめぐるトラブルなどのフォローも一切なく、選手視点としては競技に参加できるかどうかで、オリンピック開催の混乱に対しては傍観者ですらないというよそ事になっている。
 市民のスポーツシーンがイメージ映像として挿入されるのも、映像的には美しいものの空々しい。
 始めと終わりに登場するカナダ人のママさん選手が、オリンピック選手はモンスターではなく普通の人間なんだと主張する。これと対比されるのが出場を断念した日本人のママさん選手で、子連れ参加をねじ込んだカナダ人選手の帰国の際にスゴイという感想を口にする。この言葉に称賛とともに普通の人間ではないモンスターだという二重の意味を感じてしまうが、全編を通して、超人だという点を含めて選手が別世界に生きるモンスターだという印象を受ける。
 とりわけ日本柔道の元選手たちが口にする精神論が、江戸時代か明治に生きているようで異様。ソフトボールの選手が感想を求められて、競技者にしかわからないと答えるのも我々を突き放している感があり、オリンピックとそれを支えるスポーツ界のムラ社会を映している。
 河瀬直美がSIDE:Aで何を伝えようとしたのかは不明だが、コロナ下の開催、現代を映す新種目、女性選手の権利、難民問題と、2020年オリンピックを確かにスケッチしていて、公式記録映画としては正しい制作姿勢といえる。
 全体には説明不足のために解説が必要というのが大きな欠点となっているが、SIDE:Bを併せて、ナレーションを入れることで客観性を失うことを回避していることがわかる。 (評価:2.5)

流浪の月

製作:UNO-FILMS、ギャガ、UNITED PRODUCTIONS
公開:2022年5月13日
監督:李相日 製作:森田篤 脚本:李相日 撮影:ホン・ギョンピョ 美術:種田陽平、北川深幸 音楽:原摩利彦

二人が再会したことが不幸の始まりと言うと身も蓋もない
 凪良ゆうの同名小説が原作。
 母に捨てられ叔母に引き取られた小学生・更紗(白鳥玉季)が従兄から性的虐待を受け、逃げたところをロリコン大学生・文(松坂桃李)に助けられ、同居していたら未成年者誘拐罪で大学生が逮捕され、無理矢理引き離される。
 成人(広瀬すず)して会社員・亮(横浜流星)と同棲していたある日、バイト先の同僚・佳菜子(趣里)と入った喫茶店で、マスターとなっていた文(松坂桃李)と再会。文に対して罪悪感を感じていた更紗は文に同棲する彼女がいて喜ぶものの、思い捨てきれずに違和感のあった亮と婚約破棄して文の部屋の隣に住む。
 怒った亮が文の過去を暴露し、佳菜子が育児放棄した女児を保護した二人を警察に通報。社会から追われた二人は相携えて流浪するという物語。
 文は性器が未発達で性欲がなく性交できず、母親からはハズレと見做されていたという設定で、大人の女になる前の幼女・少女とプラトニックにしか異性愛を結べない。
 更紗もまた従兄からの性的虐待のためにセックスに抵抗感を持っていて、セックスを求めないプラトニックな男にしか異性愛を結べない。
 そうした二人の悲恋物語、みちゆきの物語なのだが、客観的に見れば二人の関係は屈折していて、純愛物語とは受け取れないのが大きな欠点。
 心理面を強調しようとするあまりのスローズーム、スローパンの多用も屈折した設定同様に気色悪い。
 二人が再会したことが不幸の始まり、と言ってしまうと身も蓋もない作品。 (評価:2.5)

死刑にいたる病

製作:クロックワークス、東北新社、テレビ東京
公開:2022年5月6日
監督:白石和彌 製作:藤本款、小坂恵一、和田佳恵 脚本:高田亮 撮影:池田直矢 美術:今村力、新田隆之 音楽:大間々昂

パン屋さんを始めとした人物像は不可解なまま
 櫛木理宇の同名小説が原作。
 善人の顔をしたパン屋さんが実は殺人鬼だったというお話で、パン屋さんを阿部サダヲが演じる。こうした性格俳優だとつい緒形拳を思い出してしまうが、二面性を持った役柄という点では阿部サダヲは気持ち悪いだけに終わっていて演じ切れていない。
 冒頭、パン屋さんの気持ち悪いまでの善人ぶりを描き、一転、用意周到に高校生に近づき罠にかける。パン屋さんが朝早くから規則正しい生活をしていると最初に提示しているので、高校生をストーカーするような暇があるのか、と突っ込みたくなる。
 連続殺人犯として拘置所にいるパン屋さんから手紙をもらったFランの大学生・雅也(岡田健史)が、弁護士事務所の助手に雇ってもらうというのも非現実的なら、名探偵コナン君張りの事件調査をしてしまうというのもアッと驚く為五郎で、プリントアウトした名刺で調査に協力してしまう関係者も人が良すぎる。
 自尊心を失った高校生たちを毒牙にかけるパン屋さんが、実は自身も児童虐待を受けてボランティアのオバサンに引き取られ、ボランティアの仕事を手伝っていたというもの。マインドコントロールに長けていて、雅也の母親(中山美穂)も虐待を受けた仲間で、雅也を操ろうとしていて、雅也の同級生・灯里(宮﨑優)も操り…と話が拡大していくと、死刑囚のパン屋さんの目的がよくわからなくなる。
 それでも白石和彌の残虐シーンは健在で不快にもなるのだが、結局のところパン屋さんを始めとした人物像は不可解なままというよりは描けてなくて、サイコホラー・サスペンスなのだからそれで良いと割り切る必要がある。 (評価:2.5)

製作:『PLAN75』製作委員会
公開:2022年6月17日
監督:早川千絵 脚本:早川千絵 撮影:浦田秀穂 美術:塩川節子 音楽:レミ・ブーバル
キネマ旬報:6位

死を選ぶ葛藤や心情が伝わらず、ただ暗いだけの作品になっている
 75歳以上の高齢者が安楽死を選べるようになった…という近未来ディストビアで、高齢者はいない方がみんなのためというPLAN75のきっかけとなる殺害事件から始まる。
 これは2016年の相模原障害者施設殺傷事件に着想を得たもので、最近マスメディアが対立を煽る高齢者vs現役世代の構図に置き換え、PLAN75が高齢者と現役世代の双方に幸福をもたらすというものになっている。
 登場するのは当然、生活の豊かでない老人たちで、倍賞千恵子演じるミチはホテルの客室清掃員として働く78歳の独居老人、アパート暮らし。失業して住むところを失い、仕事を探すも見つからず、生活保護を受ける気にもならず、ようやく夜間の交通整理員の仕事を得る。
 友人たちも孤独死を遂げ、遂に自活の道を諦めてPLAN75を申請。サポートの瑤子(河合優実)に頼んで亡夫のとの思い出の場所を巡る。瑤子に最後の別れを告げ、安楽死施設のベッドに横になると、隣で息を引き取ろうとしている幸夫(たかお鷹)を見て思い直し、施設を後にするというストーリー。
 サイドストーリーとして、建設現場を渡り歩く人生だった幸夫とPLAN75職員の甥(磯村勇斗)の20年ぶりの再会、安楽死施設の職員となった外国人労働者マリア(ステファニー・アリアン)のエピソードが絡む。
 全体にPLAN75や関係者、老人の外形説明に終始して、それぞれの人物像が描けていないために、ミチが安楽死を中止するに至る葛藤や心情が伝わって来ず、ラストが曖昧。情緒と雰囲気に逃げている印象を受ける。
 邪魔者の排除やパイの奪い合いの発想から生まれる不寛容な社会、それに諾々と従う国民というだけでは、表層を描くに留まり、生と死の選択を通した人間の尊厳というテーマには至らない。
 ミチも幸夫も、選択した死が自らの意思ではなく選ばされた死であり、瑤子も甥もそれに気づくから煩悶するのだが、残念ながら描写が情緒に流されていてそれが伝わらず、ただ暗いだけの作品に終わっている。
 タガログ語を知らないと、マリアの母国がわからないのも不親切。 (評価:2)

製作:『千夜、一夜』製作委員会
公開:2022年10月7日
監督:久保田直 脚本:青木研次 撮影:山崎裕 美術:安宅紀史 音楽:清水靖晃
キネマ旬報:9位

蒸発すると残された者が悲しい思いをするという常識的な道徳論
 失踪した夫を30年待ち続ける妻の話で、類似作として今村昌平の『人間蒸発』(1967)がすぐに思い浮かぶ。
 登美子(田中裕子)は夫に逃げられたとは思いたくなく、舞台が佐渡島だけに北朝鮮に拉致されたと信じている。
 そこにもう一人、2年前に夫が失踪した奈美(尾野真千子)が現れ、同じく北朝鮮に拉致されたと信じるが、北朝鮮は単なる舞台回しでしかなく、思わせぶりな割には物語にまったく関係しない。
 テーマは失踪した人を永遠に待ち続けることができるかどうかという、愛についての通俗的な問いで、登美子対し形式的な愛しか持てない奈美は、それができないと知って別の男と同棲してしまう。
 真実の愛とは? という書生じみた問題提起と、結論は失踪した側に返されて、蒸発すると残された者が悲しい思いをするからやめなさい、という常識的な道徳論に終わってしまう。
 平穏な生活を捨てて人はなぜ失踪するのか、残された者は何を思い何を失うのかといった人間の本質や心の闇に迫ることもなく、「蒸発はやめましょう」という凡庸な標語を掲げて終わっている。
 俳優陣の演技は悪くなく、むしろドラマに引きずり込む名演だけに、とても残念な作品。
 登美子に幼馴染の春男(ダンカン)が片思いするが、春男が可哀想だから結婚してやれとか、女は男に生活を見てもらうのがあたり前といった、時代に逆行する男中心の思想が作品全体を覆っているのも残念なところで、登美子の妄想シーンに至ってはホラーのようで怖い。
 安手の武満徹のような音楽も昭和のようで黴臭い。 (評価:2)

あちらにいる鬼

製作:カルチュア・エンタテインメント、ハピネットファントム・スタジオ、ホリプロ、毎日放送
公開:2022年11月11日
監督:廣木隆一 製作:中西一雄、小西啓介、津嶋敬介、池邉真佐哉 脚本:荒井晴彦 撮影:桑原正 美術:丸尾知行 音楽:鈴木正人

寺島しのぶが絶品だが文学論にも文学映画にもなり得ていない
 井上荒野の同名小説が原作。原作者の父・井上光晴と瀬戸内晴美(寂聴)の不倫を基にしたドラマ。
 小説家の白木篤郎(豊川悦司)、その妻(広末涼子)、小説家の長内みはる(寺島しのぶ)の関係を中心にそれぞれの心の機微を描いていくが、三角関係に陥った時に夫、妻、愛人がどのように対処すれば良いかという一例に過ぎず、しかも婚姻よりも欲望に忠実に生きることを糧に小説を書いてきた二人と、それを小説家の妻の宿命と受け入れるという特異な関係性の中に築かれたものなので、そこから導き出される処世術はほとんど参考にはならず、また人生論として参考にすべきものもなく、瀬戸内晴美と井上光晴に興味のない人にはどうでもいい不倫ドラマになっている。
 女ならば誰でも口説いてしまう上に虚言癖のある破綻した人間である井上光晴と、家庭を捨てて男に走る欲望に忠実な瀬戸内晴美を演じる豊川悦司と寺島しのぶが全ての作品で、とりわけ寺島しのぶが絶品の演技を見せるのが見どころだが、作品的には深みを欠いていて、二人の小説家の文学論にも文学映画にもなり得ていない。
 広末涼子も頑張っているが、人物像の輪郭が曖昧で、何を考えているのかわからない一番謎な人物になっている。
 荒井晴彦的脚本の妙に60~70年代的な背景描写もなぜ必要なのかわからない。
 井上光晴については原一男監督のドキュメンタリー映画『全身小説家』がよく出来ていて、合わせて観ると参考になるかもしれない。 (評価:2)

渇水

製作:「渇水」製作委員会
公開:2023年6月2日
監督:高橋正弥 脚本:及川章太郎 撮影:袴田竜太郎 美術:中澤正英 音楽:向井秀徳

作品はウェットだが撮影協力した前橋市水道局はドライ
 河林満の同名小説が原作。
 「太陽と空気と水はタダ」という主張の作品で、思わず1970年に出版された『日本人とユダヤ人』の「日本人は水と安全はタダと思っている」という言葉を思い出してしまった。
 今は水道水を飲まずにペットボトルで買う人が多い中で、半世紀以上前の化石のような発想を持ち出し、しかもそれをテーマに持ってくるという時点で愚作。
 このような時代遅れのヒューマニズムで描かれているため、全体に話があざとい、台詞がわざとらしく、テーマが観念的。
 しかも水道代が払えない母子家庭は貧しいように見えず、著しくリアリティを欠く。冒頭から描かれるこの姉妹(山崎七海、柚穂)の描写が如何にもお涙頂戴を予想させ、シャボン玉の歌でウンザリする。
 髪のカット代がない割には、子供たちの服はきれいでスマホも止められてない。貧しいのではなく母親(門脇麦)の育児放棄だと方向の転換を図るが、主人公の水道局職員(生田斗真)が悩む「生きるのに必要な水はタダであるべき」というテーマからは離れてしまう。
 それを象徴するのが、渇水中の公園での水撒きで、生きるのに必要な水の無駄遣いという、何とも説得力のない描写となる。
 退職した主人公がスーツ姿というのも記号的で、恐らくは潤いのない社会に潤いをというのが作品の主張なのだろうが、それならもっと渇きを描いてウェットではなくドライな演出にしてほしかった。
 水はタダではないのに、広報のために撮影協力した前橋市水道局の方が余程ドライ。 (評価:2)

マイ・ブロークン・マリコ

製作:ハピネットファントム・スタジオ、KADOKAWA、エキスプレス
公開:2022年9月30日
監督:タナダユキ 脚本:向井康介、タナダユキ 撮影:高木風太 美術:井上心平 音楽:加藤久貴

タイトルがブロークンならすべてがブロークンな作品
 平庫ワカの同名漫画が原作。
 主人公の個性的な娘シイちゃんを永野芽郁が頑張って演じている以外には見どころのない映画で、タイトルがbrokenならストーリもbroken、エンディング曲もbrokenという、すべてがbrokenな作品。
 タナダユキのテーマのためならストーリーやリアリティはどうでもいいという制作姿勢は相変わらずで、シイちゃんが子供時代からの唯一の友人マリコ(奈緒)の遺骨を抱いて、マリコと一緒に行くはずだった海に散骨するまでの道程を描く。
 マリコは父親(尾美としのり)の性的虐待を含むDVの犠牲者で、そのために男を見る目がなく、突然自殺してしまう。
 シイちゃんは中学で喫煙を始めた不良で、今はブラックな会社の外販セールス。自殺を知ってマリコの家に殴り込みをかけ、遺骨を奪って逃走。成り行きから散骨し、最後の手紙を読むまで。
 二人の友情物語だが、かなりウザいマリコとなぜ共生するまでの仲になったのか、なぜ同棲しなかったのか、子宮で考えないとわからない。
 さらには海辺で出会った青年(窪田正孝)が、なぜシイちゃんに無償で奉仕するのかがわからない。
 登場人物がそれぞれに記号化され、ただその役割を担っているだけにしか描かれない。
 それを唯一救っているのが、はぐれ娘を演じる永野芽郁で、西部劇の孤高のガンマン、時代劇の一匹狼といった役どころがカッコいい。 (評価:2)

さかなのこ

製作:「さかなのこ」製作委員会
公開:2022年9月1日
監督:沖田修一 脚本:沖田修一、前田司郎 撮影:佐々木靖之 美術:安宅紀史 音楽:パスカルズ

ギョギョギョではなくじぇじぇじぇを連発しそうになる
 さかなクンの自伝『さかなクンの一魚一会 〜まいにち夢中な人生!〜』が原作。
 さかなクンというキャラクターに興味がある人には面白いかもしれないが、そうでない人にはまったく退屈な作品。
 ある種フツーではない人、あるいはギフテッドかもしれない人がどのように育ち、どのように成功していくのかという物語で、そのような子供を育てたい、並ではない個性的な人間を育てたいという人には、共感できるかもしれない。
 製作者はともかく沖田修一は単に話題になるからという理由だけでなく、横並び人間ばかりの世の中に個別教育の一石を投じたかったのだろう。
 ただ有名囲碁棋士を父に持つさかなクンは、父親同様に一点集中の特別な才能を持っていたのだろうし、人との出会いや運にも恵まれていたのかもしれず、誰もがさかなクンのような成功を手にできるとは限らない。
 さかなクンの父親もさかなクン同様の数奇な人生を歩んだのかもしれない。しかし、囲碁ないしは囲碁棋士の人生に興味がない人が宮沢吾朗の映画を観ても退屈するだけで、さかなクンがその風変わりな性格を含めて人気タレントだという一点でこの作品は成り立っている。
 主人公を演じるのんは、TVドラマ『あまちゃん』(2013)のキャラクターの二番煎じで、アキがさかなクンを真似っこしているだけにしか見えない。
 女なのかそうではないのかよくわからない主人公の描写は、個性的なキャラクターの前ではどうでもいいが、不良グループの描写が半世紀前の類型で、ギャグを含めて全体の演出が古臭く、思わずじぇじぇじぇを連発しそうになる。 (評価:1.5)

製作:ハーベストフィルム、エイゾーラボ
公開:2022年7月8日
監督:森井勇佑 脚本:森井勇佑 撮影:岩永洋 美術:大原清孝 音楽:青葉市子
キネマ旬報:4位

発達障害児の不幸を描いただけで何ももたらさない
 今村夏子の同名小説が原作。
 本作が何を意図して何を描こうとしたのか、さっぱりわからない。
 そのままを受け取れば、発達障害の子供を持つ家庭の崩壊の物語であり、社会や家庭からの排除のドラマでもある。
 主人公のあみ子(大沢一菜、幼少期・桐谷紗奈)は、自由気儘に行動する問題児で、兄・考太を除けば誰からも相手にされず、学校ではからかいや苛めの対象となる。
 同級生ののり君は考太に頼まれてあみ子の面倒を見るが、あみ子が唯一懐いている友達だけに、同級生のからかいの対象ともなっている。
 妊娠中の母(尾野真千子)が死産するが、あみ子の悪意のない行為に傷付けられ、それまで耐えてきた精神が崩壊してしまう。妹思いだった兄は不良となり、無気力な父(井浦新)も咎めない。
 兄の退学を機に、過去のあみ子の行為に激昂したのり君は顔を殴りつけて鼻をへし折ってしまう。
 こうしてすべてを諦めた父は、あみ子を山の中の祖母の家に預けてしまう。
 祖母はあみ子に対して唯一優しいが、早朝に祖母の家を出たあみ子は、幼少期に遊んだ海岸に降り、弟の死産後、空想した幽霊たちが乗った舟を幻視する。
 こうしてあみ子は家庭からも社会からも遺棄されて終わるが、ただそれを描いただけで、何ももたらさない作品。 (評価:1.5)


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