日本映画レビュー──1964年
製作:文芸プロにんじんくらぶ
公開:1964年12月29日
監督:小林正樹 製作:若槻繁 脚本:水木洋子 撮影:宮島義勇 音楽:武満徹 美術:戸田重昌
キネマ旬報:2位
日本のホラー映画の最高峰で幻想的美学を堪能する
小泉八雲の小説が原作の4話オムニバス。「雪女」「耳無し芳一」は『怪談』、「黒髪」は『影』の「和解」、「茶碗の中」は『骨董』から。
この映画を初めてみたのは1970年頃だったと思うが、その時は新作映画だと思っていた。改めてクレジットを見て、それがリバイバルだったことを知り、当時見たそのままの斬新さに感心する。
『怪談』なので当然ホラーなのだが、日本古来の不条理な怪談で、当節の和製ホラーとは当然違っている。収録されているのは有名なエピソードで、しかも原作はそれほど怖くない。しかし映画の筋がわかっていながらやはり鳥肌が立つのは、心憎いばかりの演出の妙と俳優の演技。ことさらに顔の演技。それを可能にしているのは、映画・演劇・歌舞伎の芸達者を集めた俳優陣だ。
メイク、編集、カメラワーク、SEのこけおどしをモダンホラーと勘違いしている当節和製ホラーとは一線を画した本物の怖さ。「四谷怪談」「牡丹灯籠」の日本伝統の人間の情念に根差す恐怖。加えて舞台のような美術・照明・撮影で効果的に見せる幻想的なホラーは、この映画を美学に昇華させている。武満徹の音楽もいい。
カンヌ映画祭審査員特別賞を受賞しているが、CGでは表現できない映画芸術というものを観ることができる。しかし残念ながらこのような技法は継承されず、いつかCGが映画をだめにしたと気づく日が来る。
それにしてもwikiやgoo映画にも項目がなく、この名作を誰も知らないのか?
主な出演は、三國連太郎・新珠三千代・渡辺美佐子(黒髪)、岸恵子、仲代達矢(雪女)、中村賀津雄、志村喬、丹波哲郎、田中邦衛、林与一、北村和夫(耳無し芳一)、中村翫右衛門、滝沢修、杉村春子、中村雁治郎、仲谷昇(茶碗の中)。 (評価:4.5)
公開:1964年12月29日
監督:小林正樹 製作:若槻繁 脚本:水木洋子 撮影:宮島義勇 音楽:武満徹 美術:戸田重昌
キネマ旬報:2位
小泉八雲の小説が原作の4話オムニバス。「雪女」「耳無し芳一」は『怪談』、「黒髪」は『影』の「和解」、「茶碗の中」は『骨董』から。
この映画を初めてみたのは1970年頃だったと思うが、その時は新作映画だと思っていた。改めてクレジットを見て、それがリバイバルだったことを知り、当時見たそのままの斬新さに感心する。
『怪談』なので当然ホラーなのだが、日本古来の不条理な怪談で、当節の和製ホラーとは当然違っている。収録されているのは有名なエピソードで、しかも原作はそれほど怖くない。しかし映画の筋がわかっていながらやはり鳥肌が立つのは、心憎いばかりの演出の妙と俳優の演技。ことさらに顔の演技。それを可能にしているのは、映画・演劇・歌舞伎の芸達者を集めた俳優陣だ。
メイク、編集、カメラワーク、SEのこけおどしをモダンホラーと勘違いしている当節和製ホラーとは一線を画した本物の怖さ。「四谷怪談」「牡丹灯籠」の日本伝統の人間の情念に根差す恐怖。加えて舞台のような美術・照明・撮影で効果的に見せる幻想的なホラーは、この映画を美学に昇華させている。武満徹の音楽もいい。
カンヌ映画祭審査員特別賞を受賞しているが、CGでは表現できない映画芸術というものを観ることができる。しかし残念ながらこのような技法は継承されず、いつかCGが映画をだめにしたと気づく日が来る。
それにしてもwikiやgoo映画にも項目がなく、この名作を誰も知らないのか?
主な出演は、三國連太郎・新珠三千代・渡辺美佐子(黒髪)、岸恵子、仲代達矢(雪女)、中村賀津雄、志村喬、丹波哲郎、田中邦衛、林与一、北村和夫(耳無し芳一)、中村翫右衛門、滝沢修、杉村春子、中村雁治郎、仲谷昇(茶碗の中)。 (評価:4.5)
製作:松竹大船
公開:1964年5月24日
監督:木下恵介 製作:白井昌夫、木下恵介 脚本:木下恵介 撮影:楠田浩之 美術:伊藤憙朔、梅田千代夫 音楽:木下忠司
キネマ旬報:3位
岡田茉莉子と乙羽信子の女の性の演技に魅せられる
有吉佐和子の同名小説が原作。
紀州に生まれた旧家の娘の波瀾の一生を描いたもので、母との愛憎が物語の軸になる。
香華(こうげ)とは、仏前に供える香と花のことで、芸者上りの主人公がパトロンの仏像を買い取って仏壇を設え、父、パトロン、恋人、そして母を追悼する姿の象徴。
前篇「吾亦紅(われもこう)の章」は日露戦争の頃から始まり、関東大震災まで。
3歳で父を亡くした朋子は母・郁代(乙羽信子)が再婚したために跡取り娘となって地主の祖母と暮らす。我儘で道楽な母は連れ子を残して、夫と東京へ。生活がままならず祖母が死ぬと一人になった朋子を静岡の遊郭に半玉として売り、朋子13歳の時、夫に捨てられて同じ遊郭に花魁としてやってくる。朋子(岡田茉莉子)は17歳で赤坂芸者となり、パトロンに伯爵を得るが、士官学校生・江崎と惚れ合い、将来の結婚を約し、伯爵の援助で芸者をやめて置屋を持ち、母を呼び寄せる。
後篇「三椏(みつまた)の章」は震災後から始まり、戦争を経て昭和39年、朋子63歳まで。
震災後、伯爵から与えられた築地の旅館の女将となった朋子は、伯爵の死で自由の身となるが、江崎から母が遊女をしていたこと理由に結婚できないと言われる。男なしでは生きられない母は紀州の家の昔の下男と3度目の結婚、朋子はわが身の不幸を歎く。終戦後の焼け跡から再開した旅館に母と夫が転がり込むが、忘られぬ江崎は東京裁判で絞首刑に。母が交通事故死し、遺言で父の墓を訪ねるも追い払われ、母と自分の墓のことを考えるというラスト。
自分勝手な母を嫌悪しながらも、唯一血の繋がった母を心の支えに生きていく気丈な娘という戦前型の物語で、悲しい女の性の二人の対照を岡田茉莉子と乙羽信子が嫌らしいまでに好演する。
それぞれに女の嫌らしさと純情を併せ持っていて、とりわけ乙羽信子のどうしようもない母が、娘同様、どこか許せてしまうという名演。
花柳界を舞台とした女の一生ものとして物語も面白く、取り立ててテーマのようなものはないが、二人の演技に魅せられる。
女の一生もので時間が大きく飛ぶ間の経緯説明が不足していて、ストーリーがややわかりにくいのが難。 (評価:3.5)
公開:1964年5月24日
監督:木下恵介 製作:白井昌夫、木下恵介 脚本:木下恵介 撮影:楠田浩之 美術:伊藤憙朔、梅田千代夫 音楽:木下忠司
キネマ旬報:3位
有吉佐和子の同名小説が原作。
紀州に生まれた旧家の娘の波瀾の一生を描いたもので、母との愛憎が物語の軸になる。
香華(こうげ)とは、仏前に供える香と花のことで、芸者上りの主人公がパトロンの仏像を買い取って仏壇を設え、父、パトロン、恋人、そして母を追悼する姿の象徴。
前篇「吾亦紅(われもこう)の章」は日露戦争の頃から始まり、関東大震災まで。
3歳で父を亡くした朋子は母・郁代(乙羽信子)が再婚したために跡取り娘となって地主の祖母と暮らす。我儘で道楽な母は連れ子を残して、夫と東京へ。生活がままならず祖母が死ぬと一人になった朋子を静岡の遊郭に半玉として売り、朋子13歳の時、夫に捨てられて同じ遊郭に花魁としてやってくる。朋子(岡田茉莉子)は17歳で赤坂芸者となり、パトロンに伯爵を得るが、士官学校生・江崎と惚れ合い、将来の結婚を約し、伯爵の援助で芸者をやめて置屋を持ち、母を呼び寄せる。
後篇「三椏(みつまた)の章」は震災後から始まり、戦争を経て昭和39年、朋子63歳まで。
震災後、伯爵から与えられた築地の旅館の女将となった朋子は、伯爵の死で自由の身となるが、江崎から母が遊女をしていたこと理由に結婚できないと言われる。男なしでは生きられない母は紀州の家の昔の下男と3度目の結婚、朋子はわが身の不幸を歎く。終戦後の焼け跡から再開した旅館に母と夫が転がり込むが、忘られぬ江崎は東京裁判で絞首刑に。母が交通事故死し、遺言で父の墓を訪ねるも追い払われ、母と自分の墓のことを考えるというラスト。
自分勝手な母を嫌悪しながらも、唯一血の繋がった母を心の支えに生きていく気丈な娘という戦前型の物語で、悲しい女の性の二人の対照を岡田茉莉子と乙羽信子が嫌らしいまでに好演する。
それぞれに女の嫌らしさと純情を併せ持っていて、とりわけ乙羽信子のどうしようもない母が、娘同様、どこか許せてしまうという名演。
花柳界を舞台とした女の一生ものとして物語も面白く、取り立ててテーマのようなものはないが、二人の演技に魅せられる。
女の一生もので時間が大きく飛ぶ間の経緯説明が不足していて、ストーリーがややわかりにくいのが難。 (評価:3.5)
三匹の侍
公開:1964年05月13日
監督:五社英雄 製作:岸本吟一、丹波哲郎 脚本:阿部桂一、柴英三郎、五社英雄 撮影:酒井忠 音楽:津島利章 美術:大角純一
テレビシリーズ(フジ)からの映画化。殺陣のシーンに初めてSEが入り、時代劇のリアリズムの先駆けとなったエポックメイキングな作品。映画版は最初のテレビシリーズ後に公開された。第1話の三匹の出会いを中心に描かれるが、今見るとストーリーがステレオタイプだが、この定番的ドラマ構成は『三匹の侍』が作ったともいえる。素浪人のアンチ・ヒーロー、反権力、サービスシーンの濡れ場。のちに、この定番にニヒリズムの新しい視点を組み入れたのが市川昆の『木枯らし紋次郎』だった。
初期のテレビシリーズのフィルムが現存しないことから、現代時代劇の原点を知ることができる貴重な作品。大霊界・丹波哲郎も、この頃はかっこよかった。名優・平幹二郎はやや地味め。なんといって長門勇がいい。 (評価:3)
製作:日活
公開:1964年6月28日
監督:今村昌平 脚本:長谷部慶次、今村昌平 撮影:姫田真佐久 美術:中村公彦 音楽:黛敏郎
キネマ旬報:4位
レイプ後の乱れた部屋に今村昌平独特のリアリズム
藤原審爾の同名小説が原作。
夫が出張中に強盗が押し入り、強姦されてしまう主婦の話で、なぜか強姦魔は主婦に魅かれてしまい、何度か関係を持つうちに主婦もよろめいてしまうという、当時流行りだった昼メロ風ストーリー。図書館勤務の夫も愛人の司書がいて、互いに疑心暗鬼になりながらも、ラストでは双方の不倫相手が死んでしまって、何事もなかったような生活が戻る。
こんな通俗的なドラマでも今村昌平が撮ると通俗ドラマにならないのが見どころで、仙台市郊外を舞台にやや聞き取りづらい東北弁が行き交い、不幸な生い立ちの女の半生が語られる。
女は妾腹の子で、母が死んで祖母の家に引き取られるも、女中となった家の長男に孕まされて結婚。ところが、入籍もされず、子供も義父の子にされている。
妾の子という受け身な人生の中で一つもいいことがなく、そこに訪れた転機というのがレイプ。当初は貞操観から自殺を試みるもののダメ女らしく失敗。しかし、レイプ犯に好意を持たれたことから心が揺れ動き、一緒に東京に逃げようとする。ところがレイプ犯というのが心臓を患っていて、薬代欲しさに強盗に入ったというお粗末。女を好きになったのも優しくしてほしいという一念で、東京への逃避行も半ば心中。
夫かレイプ犯かわからない子を妊娠するが、流産して元の飽いた生活に戻るものの、女中の時、夜這いをかけにきた小沢昭一に対して窓を開けたことを思い出し、受け身ばかりではなかったことに気付く。
さて、女の人生に変化はあるのか、ないのか?
このどうしようもない女を春川ますみが好演し、吝嗇家の夫を西村晃が演じて抜群。赤木蘭子、北村和夫、加藤嘉、北林谷栄という鉄壁の演技陣で、完璧な作品に仕上がっている。
冒頭の機関車のシーンから始まる姫田真佐久のカメラワークは芸術的で、レイプ後の乱れた部屋の様子に今村昌平独特のリアリズムが光る。完成された映画というものを改めて知ることができる。 (評価:3)
公開:1964年6月28日
監督:今村昌平 脚本:長谷部慶次、今村昌平 撮影:姫田真佐久 美術:中村公彦 音楽:黛敏郎
キネマ旬報:4位
藤原審爾の同名小説が原作。
夫が出張中に強盗が押し入り、強姦されてしまう主婦の話で、なぜか強姦魔は主婦に魅かれてしまい、何度か関係を持つうちに主婦もよろめいてしまうという、当時流行りだった昼メロ風ストーリー。図書館勤務の夫も愛人の司書がいて、互いに疑心暗鬼になりながらも、ラストでは双方の不倫相手が死んでしまって、何事もなかったような生活が戻る。
こんな通俗的なドラマでも今村昌平が撮ると通俗ドラマにならないのが見どころで、仙台市郊外を舞台にやや聞き取りづらい東北弁が行き交い、不幸な生い立ちの女の半生が語られる。
女は妾腹の子で、母が死んで祖母の家に引き取られるも、女中となった家の長男に孕まされて結婚。ところが、入籍もされず、子供も義父の子にされている。
妾の子という受け身な人生の中で一つもいいことがなく、そこに訪れた転機というのがレイプ。当初は貞操観から自殺を試みるもののダメ女らしく失敗。しかし、レイプ犯に好意を持たれたことから心が揺れ動き、一緒に東京に逃げようとする。ところがレイプ犯というのが心臓を患っていて、薬代欲しさに強盗に入ったというお粗末。女を好きになったのも優しくしてほしいという一念で、東京への逃避行も半ば心中。
夫かレイプ犯かわからない子を妊娠するが、流産して元の飽いた生活に戻るものの、女中の時、夜這いをかけにきた小沢昭一に対して窓を開けたことを思い出し、受け身ばかりではなかったことに気付く。
さて、女の人生に変化はあるのか、ないのか?
このどうしようもない女を春川ますみが好演し、吝嗇家の夫を西村晃が演じて抜群。赤木蘭子、北村和夫、加藤嘉、北林谷栄という鉄壁の演技陣で、完璧な作品に仕上がっている。
冒頭の機関車のシーンから始まる姫田真佐久のカメラワークは芸術的で、レイプ後の乱れた部屋の様子に今村昌平独特のリアリズムが光る。完成された映画というものを改めて知ることができる。 (評価:3)
製作:日活
公開:1964年09月19日
監督:斎藤武市 脚本:八木保太郎 撮影:萩原憲治 音楽:小杉太一郎 美術:坂口武玄
大島みち子の聡明さと実話の重みが感動を呼ぶ
大島みち子・河野実の同名書簡集が原作。『一リットルの涙』の元祖的作品で、書簡集が出版された当時、青山和子の同名の歌が大ヒットした。本作の主題歌は吉永小百合の『愛の死のテーマ』。
書簡集を出版した河野実には批判があって、第一に大島みち子との手紙を勝手に公開したこと、そして当時評判となり感動的な純愛物語と喧伝されたにもかかわらず、死後間もなく別の女性と結婚。ジャーナリストを目指していた青年が、彼女の死を踏み台にしたという批判は避けられなかった。もっともみち子にとって、河野が闘病の支えとなったことは間違いない。
映画としての本作は、21歳で軟骨肉腫に倒れた大島みち子の「愛と死」の物語であって、作中の登場する彼女の言葉には涙を誘うものがあり、河野実の毀誉褒貶とは切り離すべきもので、ほぼ半世紀ぶりに観直しても感動が残る。ただこの感動が映画によるものなのか、大島みち子の実話の重みによるものなのか、評価が難しい。
前半は話がわかりにくく脚本があまり良くないが、みち子(吉永小百合)が顔の手術をする後半以降は実話の重みが伝わってくる。演出は可もなく不可もなくでオーソドックス。感動的なみち子の言葉、「健康な日を三日ください」「元気になれんでごめんね」「嘘が嫌いなマコが嘘ついた」をきちんと押さえた演出になっている。
吉永の演技は決してうまくはないが、美人なだけに悲劇性が際立つ。本作の感動を引き出しているのは脇役陣で、宇野重吉と北林谷栄がいなければ凡作に終わっていた。他にミヤコ蝶々、笠智衆。マコ役の浜田光夫も熱演。
原作はテレビ化もされていて、大空真弓、広末涼子がミコを演じているが、本作を観て改めて感じるのは、同志社大学生だった大島みち子の聡明さと精神的強さであり、女優たちの演技も写真から窺い知れる実際のみち子には敵わない。 (評価:2.5)
公開:1964年09月19日
監督:斎藤武市 脚本:八木保太郎 撮影:萩原憲治 音楽:小杉太一郎 美術:坂口武玄
大島みち子・河野実の同名書簡集が原作。『一リットルの涙』の元祖的作品で、書簡集が出版された当時、青山和子の同名の歌が大ヒットした。本作の主題歌は吉永小百合の『愛の死のテーマ』。
書簡集を出版した河野実には批判があって、第一に大島みち子との手紙を勝手に公開したこと、そして当時評判となり感動的な純愛物語と喧伝されたにもかかわらず、死後間もなく別の女性と結婚。ジャーナリストを目指していた青年が、彼女の死を踏み台にしたという批判は避けられなかった。もっともみち子にとって、河野が闘病の支えとなったことは間違いない。
映画としての本作は、21歳で軟骨肉腫に倒れた大島みち子の「愛と死」の物語であって、作中の登場する彼女の言葉には涙を誘うものがあり、河野実の毀誉褒貶とは切り離すべきもので、ほぼ半世紀ぶりに観直しても感動が残る。ただこの感動が映画によるものなのか、大島みち子の実話の重みによるものなのか、評価が難しい。
前半は話がわかりにくく脚本があまり良くないが、みち子(吉永小百合)が顔の手術をする後半以降は実話の重みが伝わってくる。演出は可もなく不可もなくでオーソドックス。感動的なみち子の言葉、「健康な日を三日ください」「元気になれんでごめんね」「嘘が嫌いなマコが嘘ついた」をきちんと押さえた演出になっている。
吉永の演技は決してうまくはないが、美人なだけに悲劇性が際立つ。本作の感動を引き出しているのは脇役陣で、宇野重吉と北林谷栄がいなければ凡作に終わっていた。他にミヤコ蝶々、笠智衆。マコ役の浜田光夫も熱演。
原作はテレビ化もされていて、大空真弓、広末涼子がミコを演じているが、本作を観て改めて感じるのは、同志社大学生だった大島みち子の聡明さと精神的強さであり、女優たちの演技も写真から窺い知れる実際のみち子には敵わない。 (評価:2.5)
公開:1964年8月18日
監督:松山善三 製作:佐藤一郎、椎野英之 脚本:松山善三 撮影:村井博 美術:狩野健 音楽:佐藤勝
キネマ旬報:10位
1960年前後に大流行したポリオをテーマにした社会派ドラマで、NHK記者・上田哲のポリオ根絶キャンペーンをモデルにしたフィクション。
農政省の役人・坂田(小林桂樹)がポリオの流行とワクチン不足を知って突然森林管理の仕事と賭け事、女遊びを放り出し、ポリオ予防のために奔走する。担当の厚生省は予算と来年のことしか考えないお役所仕事で、罹病の統計すらない状況にテレビ局記者(大村崑)を巻き込んで調査を進め、その本拠に愛人(水谷良重)宅を提供する。
生ワクチンの存在を知り、医師(高峰秀子)を巻き込んでその臨床実験を行い、国に導入を働きかけポリオが急減するまでの活躍を描く。
上田哲同様、ポリオ撲滅への松山善三の熱意が乗り移ったような作品で、テンポの良い切れ味と迫力ある演出が最後まで観客を釘付けにする。
生ワクチンの使用によりポリオを発症するリスクがありながら、種痘のジェンナー同様に我が子や孤児院の子供たちを人体実験に使い、1を殺して99を救うか、1のために100を殺すかという医の倫理についてのきれいごとではない議論が正面から戦わされる。
結果はまぐれ当たりで生ワクチンの予防は成功を収めるが、最後にポリオ施設の子供たちを登場させて、見捨てることのできない1について考えさせるというヒューマニズム作品となっている。
遺伝子操作など医療・生命技術の発展により、医の倫理が万人の問題となっている現代において、本作は根源的な問いかけの意義を失ってなく、むしろ複雑化した問題を簡明に戻してくれる。
差別的な表現やポリオの子供たちの人権に対する配慮を欠く描写が数多くあり、現代においては躊躇われる作品だが、その迫真性ゆえに重い問いかけと心に迫るものがある。 (評価:2.5)
モスラ対ゴジラ
公開:1964年11月20日
監督:本多猪四郎 製作:田中友幸 脚本:関沢新一 特技監督:円谷英二 撮影:小泉一 音楽:伊福部昭 美術:北猛夫
キングコングに続く『ゴジラ』第4作は、東宝怪獣の二大巨頭の対戦。内容的には新奇性はなく凡作に近いが、モスラとザ・ピーナッツに敬意を表しての評価。
台風で伊勢湾辺りにモスラの卵が漂着。漁師から実業家が買い取り、見世物にして観光施設建設を企む。卵を返してほしいとザ・ピーナッツがモスラに乗ってやってくるが、勝手に持って帰ればいいのにと思うが、きっとどうやって運べばいいのかわからないのだろう。
今回は第1作にテーマが戻って、インファント島は水爆実験で荒廃し、暴風雨で土砂崩れが起きて卵が漂流したという設定。もっとも核問題はここまで。それにしても、卵は台風が運んだのか?
ゴジラは海の干拓地の地中から出現し、名古屋テレビ塔や名古屋城を壊して暴れるので、主人公たち(宝田明、星由里子、小泉博)はモスラにお願いしてゴジラを退治してもらう。しかし老齢のモスラは戦闘中に天命をまっとう。すると卵が孵り、幼虫が繭の糸を吐いてゴジラを蛹状態にして海に転落させる。
卵から孵ったモスラの幼虫は双子というのがザ・ピーナッツに合わせてあって、幼虫の船に乗って島に帰る。
モスラだけにゴジラとの格闘はできず、成虫は羽で煽ぐ風攻撃と燐粉攻撃、幼虫は繭の糸噴射オンリーと平和的。特撮の出来もいい。ゴジラがよろけて名古屋城を壊すシーンは演出か撮影事故か不明で、必見。 (評価:2.5)
卍
公開:1964年7月25日
監督:増村保造 脚本:新藤兼人 撮影:小林節雄 美術:下河原友雄 音楽:山内正
谷崎潤一郎の同名小説が原作。
大阪・船場の商人を父に持つ人妻(岸田今日子)が美術教室で知り合った小悪魔的美女・光子(若尾文子)に恋し、同性愛となるが、光子の恋人(川津祐介)、人妻の夫(船越英二)を巻き込んで訳の分からない関係となり、最後は人妻・夫・光子の3人が同棲することになり、光子の恋人が新聞にばらして3人は心中を図り、人妻だけが生き残る。それを、先生(谷崎?)に告白するという枠形式となっている。
人妻も光子もバイセクシュアルで、光子の恋人も血判状が好きという危ない男。スキャンダルを新聞にばらすという時点で、この原作が昭和初期に書かれたことに留意する必要がある。
当初は、光子と恋人が人妻を騙している構図にも思えるが、最後の心中に至って光子はただの魔性の女だったことがわかる。
もっとも、4人とも何を考えているのかよくわからず、人物像が明確に解釈されて描かれているとはいい難い。
ただ、変態性映画としては極まった感があり、岸田・若尾の熱演もあって、谷崎の耽美的世界を思考を停止して堪能することはできる。
とにもかくにも若尾の小悪魔的な美と妖艶が最大の見どころで、成人指定されるほどに裸のシーンも多いが、露出の多いシーンは当時の常識としておそらく吹替え。着衣から想像する限り、若尾の胸は大きくない。
和装の似合う若尾が、本作では洋装でも魅力的。 (評価:2.5)
製作:大映東京
公開:1964年4月4日
監督:山本薩夫 製作:永田雅一 脚本:新藤兼人 撮影:小林節雄 美術:間野重雄 音楽:池野成
キネマ旬報:7位
英雄色を好む、山村聡の豪傑な演技に圧倒される
石川達三の同名小説が原作。
電鉄、バス、不動産会社を擁する西北グループ総帥・有馬勝平(山村聡)が主人公、ということからも容易に想像がつく通り、西武グループの創始者、堤康次郎がモデル。
何もない山野に住宅開発を見越して鉄道を敷き、沿線の土地売買で儲けるというビジネスモデルで新線を通す話を軸に、ライバル関東開発との競争、グループの同族経営と社員のみならず家族にも冷酷な事業至上主義、派手な愛人関係と嫡子・庶子との関係などを描く。英雄色を好むの言葉通りに豪放磊落なキャラクターを山村聡が演じるが、その豪傑な演技に圧倒される。
家族や妾、社員たちが勝平に振り回される中で、唯一タメを張るのが元女子社員で一番若い愛人となる光子(若尾文子)。我が儘な女が好きという勝平を手玉に取った上に、ゴルフで偶然知り合った勝平の三男・秋彦(高橋幸治)をマンションに引き入れ、夢中にさせてしまう。
父親や兄たちに似ず真面目一徹の秋彦は、父に任せられた仕事のストレスで精神病となって退職。悪辣な父を憎んでいたが、光子のマンションで父と鉢合わせ。ショックから自殺を図り再び精神病院に強制入院させられる。狂人は自分ではなく勝平だ! の言葉も空しく、勝平の新事業の専門学校開設を悪い冗談だとして放火。
それでも勝平は哄笑し、鉄道新線の開業を迎えるが、初列車は踏切でトラックと衝突するというラスト。因果応報ということなのか、オチとしては唐突すぎてしっくりこない。
鉄道開発の裏側が興味深く、経済ドラマとしても社会派ドラマとしても家族ドラマとしても楽しめる内容。勝平の嫡子に船越英二、北原義郎、庶子に伊藤孝雄、川畑愛光。本妻に成瀬幸子、妾に坪内美詠子、丹阿弥谷津子。関東開発社長に東野英治郎。 (評価:2.5)
公開:1964年4月4日
監督:山本薩夫 製作:永田雅一 脚本:新藤兼人 撮影:小林節雄 美術:間野重雄 音楽:池野成
キネマ旬報:7位
石川達三の同名小説が原作。
電鉄、バス、不動産会社を擁する西北グループ総帥・有馬勝平(山村聡)が主人公、ということからも容易に想像がつく通り、西武グループの創始者、堤康次郎がモデル。
何もない山野に住宅開発を見越して鉄道を敷き、沿線の土地売買で儲けるというビジネスモデルで新線を通す話を軸に、ライバル関東開発との競争、グループの同族経営と社員のみならず家族にも冷酷な事業至上主義、派手な愛人関係と嫡子・庶子との関係などを描く。英雄色を好むの言葉通りに豪放磊落なキャラクターを山村聡が演じるが、その豪傑な演技に圧倒される。
家族や妾、社員たちが勝平に振り回される中で、唯一タメを張るのが元女子社員で一番若い愛人となる光子(若尾文子)。我が儘な女が好きという勝平を手玉に取った上に、ゴルフで偶然知り合った勝平の三男・秋彦(高橋幸治)をマンションに引き入れ、夢中にさせてしまう。
父親や兄たちに似ず真面目一徹の秋彦は、父に任せられた仕事のストレスで精神病となって退職。悪辣な父を憎んでいたが、光子のマンションで父と鉢合わせ。ショックから自殺を図り再び精神病院に強制入院させられる。狂人は自分ではなく勝平だ! の言葉も空しく、勝平の新事業の専門学校開設を悪い冗談だとして放火。
それでも勝平は哄笑し、鉄道新線の開業を迎えるが、初列車は踏切でトラックと衝突するというラスト。因果応報ということなのか、オチとしては唐突すぎてしっくりこない。
鉄道開発の裏側が興味深く、経済ドラマとしても社会派ドラマとしても家族ドラマとしても楽しめる内容。勝平の嫡子に船越英二、北原義郎、庶子に伊藤孝雄、川畑愛光。本妻に成瀬幸子、妾に坪内美詠子、丹阿弥谷津子。関東開発社長に東野英治郎。 (評価:2.5)
製作:勅使河原プロ
公開:1964年2月15日
監督:勅使河原宏 製作:市川喜一、大野忠 脚本:安部公房 撮影:瀬川浩 美術:平川透徹、山崎正夫 音楽:武満徹
キネマ旬報:1位
ブルーリボン作品賞 毎日映画コンクール大賞
蟻地獄のテーマパークを楽しむつもりでなければ薦めない
安部公房の同名小説が原作。
50年前に見た時は奇怪な世界観が印象に残ったが、改めて見ると砂の穴に取り込まれた主人公同様に睡魔の穴に引きずり込まれそうになって、穴から抜け出そうともがきながら抵抗し続ける羽目になり、若かった頃はそんなことはなかったのにと体力の衰えを感じることになる。
主人公の男(岡田英次)が、ウスバカゲロウの幼虫のような女(岸田今日子)の魔性に取り込まれる濡れ場も夢心地で、気が付けばすっかり夢想の穴に馴染んでしまっている。そうして穴から出ることを諦めて溜水装置の研究に没頭する男同様に、スクリーンと一体化した宇宙の中に閉塞した自らの居場所を見出すことになる。
さて物語はといえば、我々の住む現実世界に対して、男が迷い込む砂の穴は『不思議の国のアリス』同様に男の内面の世界であるとか、現実世界の箱庭的なアナロジーであるとか解釈することもでき、砂の穴同様、我々の世界も見えない蟻地獄のような閉塞した世界で、その中で生きるための目的を見出す主人公に自らの脱出口を見出すこともできる。
拡大された小さな砂の一片から風紋の砂丘へとカメラが切り替わるオープニングは秀逸で、砂丘のほかは終始砂の穴の中から移ろわない景色は、見る者を閉鎖空間に投げ入れ、意識を混濁させる。
それを一言でいえば、淀んだ景色と時間なのであり、風変わりな蟻地獄のテーマパークを楽しむというつもりがなければ、決して薦めない。
50年前を思い出せば、この作品によって岸田今日子は蟻地獄のように鬱陶しい女優の最右翼となった。 (評価:2.5)
公開:1964年2月15日
監督:勅使河原宏 製作:市川喜一、大野忠 脚本:安部公房 撮影:瀬川浩 美術:平川透徹、山崎正夫 音楽:武満徹
キネマ旬報:1位
ブルーリボン作品賞 毎日映画コンクール大賞
安部公房の同名小説が原作。
50年前に見た時は奇怪な世界観が印象に残ったが、改めて見ると砂の穴に取り込まれた主人公同様に睡魔の穴に引きずり込まれそうになって、穴から抜け出そうともがきながら抵抗し続ける羽目になり、若かった頃はそんなことはなかったのにと体力の衰えを感じることになる。
主人公の男(岡田英次)が、ウスバカゲロウの幼虫のような女(岸田今日子)の魔性に取り込まれる濡れ場も夢心地で、気が付けばすっかり夢想の穴に馴染んでしまっている。そうして穴から出ることを諦めて溜水装置の研究に没頭する男同様に、スクリーンと一体化した宇宙の中に閉塞した自らの居場所を見出すことになる。
さて物語はといえば、我々の住む現実世界に対して、男が迷い込む砂の穴は『不思議の国のアリス』同様に男の内面の世界であるとか、現実世界の箱庭的なアナロジーであるとか解釈することもでき、砂の穴同様、我々の世界も見えない蟻地獄のような閉塞した世界で、その中で生きるための目的を見出す主人公に自らの脱出口を見出すこともできる。
拡大された小さな砂の一片から風紋の砂丘へとカメラが切り替わるオープニングは秀逸で、砂丘のほかは終始砂の穴の中から移ろわない景色は、見る者を閉鎖空間に投げ入れ、意識を混濁させる。
それを一言でいえば、淀んだ景色と時間なのであり、風変わりな蟻地獄のテーマパークを楽しむというつもりがなければ、決して薦めない。
50年前を思い出せば、この作品によって岸田今日子は蟻地獄のように鬱陶しい女優の最右翼となった。 (評価:2.5)
製作:東映東京
公開:1964年5月9日
監督:今井正 製作:大川博 脚本:八木保太郎 撮影:中尾駿一郎 美術:森幹男 音楽:池野成
キネマ旬報:6位
不幸な境遇に精神的慰撫を見いだせる人の物語
水上勉の同名小説が原作。
時は昭和12年。農閑期に京都・伏見で働く杜氏の話で、留吉(小沢昭一)と権助(三國連太郎)は同じ親不知の出身。権助の母が危篤になり一時帰郷するが、その際に留吉の妻・おしん(佐久間良子)を手籠めにする。
春になり留吉が帰郷するとおしんは妊娠中。しかし月数が合わず、問い詰めている時に過って殺してしまう。炭焼き小屋で死んだおしんと暮らすものの腐敗して荼毘に。出征する権助を襲い、二人は親不知の崖から海に落ち、関係者は全員死んでしまう。
本作の問題は誰が主人公なのかよくわからないこと。流れからいえば留吉だが、妻と間男を殺してハイお終いというだけで、それも消極的で殺意も復讐心もなくドラマを構成していない。
作中、回想でおしんの生涯が語られることから、おしんの物語とも見えるが、佐久間の演技からは何を考えている女なのかよくわからず、外形的には不幸な女の一生だが、不幸ぶりが伝わって来ない。成り行きで妊娠して夫に打ち明けることもなく成り行きで死んでしまう。
一点だけおや?と思わせるのは手籠めにされている時に権助の首に手を回すシーンがあって、抑圧されてきたおしんの自己解放、告白に至らなかった理由なのかとも思わせる。
総じていえば、親不知の厳しい自然と暮らし、その中の希望のない人生ということで、不幸な境遇に精神的慰撫を見いだせる人には安らげるかもしれない。 (評価:2.5)
公開:1964年5月9日
監督:今井正 製作:大川博 脚本:八木保太郎 撮影:中尾駿一郎 美術:森幹男 音楽:池野成
キネマ旬報:6位
水上勉の同名小説が原作。
時は昭和12年。農閑期に京都・伏見で働く杜氏の話で、留吉(小沢昭一)と権助(三國連太郎)は同じ親不知の出身。権助の母が危篤になり一時帰郷するが、その際に留吉の妻・おしん(佐久間良子)を手籠めにする。
春になり留吉が帰郷するとおしんは妊娠中。しかし月数が合わず、問い詰めている時に過って殺してしまう。炭焼き小屋で死んだおしんと暮らすものの腐敗して荼毘に。出征する権助を襲い、二人は親不知の崖から海に落ち、関係者は全員死んでしまう。
本作の問題は誰が主人公なのかよくわからないこと。流れからいえば留吉だが、妻と間男を殺してハイお終いというだけで、それも消極的で殺意も復讐心もなくドラマを構成していない。
作中、回想でおしんの生涯が語られることから、おしんの物語とも見えるが、佐久間の演技からは何を考えている女なのかよくわからず、外形的には不幸な女の一生だが、不幸ぶりが伝わって来ない。成り行きで妊娠して夫に打ち明けることもなく成り行きで死んでしまう。
一点だけおや?と思わせるのは手籠めにされている時に権助の首に手を回すシーンがあって、抑圧されてきたおしんの自己解放、告白に至らなかった理由なのかとも思わせる。
総じていえば、親不知の厳しい自然と暮らし、その中の希望のない人生ということで、不幸な境遇に精神的慰撫を見いだせる人には安らげるかもしれない。 (評価:2.5)
公開:1964年11月1日
監督:今井正 製作:大川博 脚本:橋本忍 撮影:中尾駿一郎 美術:鈴木孝俊 音楽:黛敏郎
キネマ旬報:9位
播州脇坂藩が舞台。槍の手入れを巡る上士・奥野孫太夫(神山繁)と下士・江崎新八(萬屋錦之介)の口論から果し合いとなり、孫太夫が落命。孫太夫の弟・主馬(丹波哲郎)が寺に蟄居した新八を襲うもこれまた落命。
伯父・丹羽伝兵衛(加藤嘉)は奥野家の恥辱に、三男・辰之助(石立鉄男)による仇討を国家老(三津田健)に願い出る。
吹っ掛けられた喧嘩に応じただけの新八は、逃亡することも考えるが、家名の存続を願う兄・重兵樹(田村高廣)の説得により潔く辰之助に討たれることを決意する。
ところが仇討の当日、会場の桔梗ケ原に向かうと、見せしめとして城下の見世物にされ、辰之助の助太刀が集められていた。武士の名誉を守るため助太刀無用と叫ぶが、助太刀たちが襲ってきたために斬り合いとなって仇討は大混乱、劣勢と見た立合人たちが仇討側に加勢する。
混乱を収めるため、重兵樹が新八を槍で突き落命させるも、怯えた辰之助は止めを刺せず、仇討の作法は失敗に終わる。
弟を討った重兵樹は禄高の加増を告げられるが、新八の骸の前で切腹して果てるというラスト。『武士道残酷物語』(1963)同様に武士道の滑稽と理不尽、下級武士の悲哀を描く。
プロローグは桔梗ケ原に仇討会場が設営される場面から始まり、遡って仇討の経緯が語られ、最後にクライマックスの仇討となる。
クライマックスの斬り合いによる乱闘シーンは迫力満点で、萬屋錦之介を中心とするリアルな殺陣が見所。
争いに巻き込まれた新八と許嫁(三田佳子)との悲恋のエピソードも絡んだ娯楽作としても楽しめる。
新八の妹に 佐々木愛、友人に小沢昭一、寺の坊主に進藤英太郎、目付に島雅夫。 (評価:2.5)
社長紳士録
公開:1964年1月3日
監督:松林宗恵 製作:藤本真澄 脚本:笠原良三 撮影:西垣六郎 美術:阿久根厳 音楽:山本直純
社長シリーズ第20作。
初期シリーズ終盤の作品で、レギュラー陣の小林桂樹と司葉子の結婚がストーリーの横軸として入る。
製紙会社の子会社の社長に就任した森繁久彌の入院騒動から、ライバル社との受注合戦のために鹿児島に出張する物語で、新婚旅行中の小林・司と出くわし、司のコネでハッピーエンドという、最後に落ちのないエピソード。
森繁と三木のり平の宴会芸が見どころで、のり平の稚児姿にゲイのフランキー堺が興奮するというのが最大の見せ場。レギュラーを見比べると、加東大介が今ひとつ個性がなく物足りない。森繁の娘役、16歳の岡田可愛が1シーンだけ登場するが可愛い。 (評価:2.5)
日本侠客伝
公開:1964年8月13日
監督:マキノ雅弘 脚本:笠原和夫、村尾昭、野上竜雄 撮影:三木滋人 美術:鈴木孝俊 音楽:斎藤一郎
深川・木場を舞台に、材木の荷役を生業とする老舗の木場政組と新興勢力の沖山運送が対立・抗争するという物語で、時代設定は戦前。
沖山運送のダンピングで顧客や作業員を奪われた木場政組は落ち目となり、親分も病死して、高倉健が小頭となって跡を継ぐ。両者の小競り合いはあるもののじっと我慢の健さんの方針で戦争には至らないが、南田洋子演ずる芸妓に借金を負わせ、沖山運送の社長(安部徹)が身請けしようとしたことから、木場政組の長門裕之がいざこざで殺され、葬儀の晩に、沖山運送が木材問屋に高値を吹っかけて荷役を断り、当日中に軍に大量の木材を納めなければならない木材問屋を追いつめる。
そこで健さん登場。窮地を男気で引き受け、深川の職人から乞食までの男手を掻き集めて、無事材木を納めるが、木場政組の客分・中村錦之介が沖山運送に殴り込みをかけて討ち死に。怒った健さんは、木場政組を解散し、好きな女・藤純子に別れを告げて、全員で特攻をかける。
落ちぶれた老舗、帰ってきた健さん、新興勢力の横暴、義兄弟の友情、なさぬ恋、任侠の義理、自爆テロ・・・と、任侠映画の王道を確立した作品で、シリーズ化された。
もっとも中村錦之介が何故殴り込みをかけたのか、健さんが木場政組を解散してまで何故義兄弟の義理に拘ったのか、沖山運送は木材問屋の荷役をなぜ断ったのか、という疑問は残るのだが、それをいうのは野暮というもので、とにかく最後に自爆テロをかける健さんの悲壮感溢れる勇姿がすべて。
それにしても、中村錦之介の役どころが中途半端で、殴り込みがチャカというのも、今ひとつすっきりしない。 それでも笠原和夫の脚本とマキノ雅弘の演出は、見せ所を心得ていて、1時間半を飽きさせない。
木場政組に松方弘樹、田村高廣、津川雅彦。藤間紫、三田佳子、ミヤコ蝶々と豪華出演陣。もっとも木場が舞台なのに、関西弁のミヤコ蝶々がどうにも解せない。 (評価:2.5)
三大怪獣 地球最大の決戦
公開:1964年11月20日
監督:本多猪四郎 製作:田中友幸 脚本:関沢新一 特技監督:円谷英二 撮影:小泉一 音楽:伊福部昭 美術:北猛夫
モスラに続く『ゴジラ』第5作で、ゲストはラドン、キングギドラ、モスラと超豪華。
流星雨があって、巨大な隕石が黒部ダム近くに落下するが、実はキングギドラを運んでくる。セルジナ公国王女(若林映子)の乗った飛行機が陰謀で爆発。王女だけが直前に謎の声に導かれて飛行機を飛び降り助かる。王女は記憶喪失となるが実は金星人の末裔で、過去にキングギドラに滅ぼされて地球に逃げてきた。予知能力を持つ彼女の言葉通り、阿蘇山噴火口からラドンが現れ、海からゴジラが横浜に上陸、隕石からキングギドラがシュールに現れる。この日本最大の危機に頼れるのはモスラで、インファント島から幼虫状態で呼び寄せられる。双子だったが不幸にも1匹は病気で成仏。
ここまでの科学設定は相当に凄い。日本列島が吹っ飛びそうなくらいの巨大隕石にも係わらず谷間に鎮座していて、王女が飛行機の扉を開けて飛び出す際にも機内の気圧は下がらない。飛び降りた後については異次元理論も出てくるが実際は不明で、幼虫のモスラはやっぱり海蛇のように泳いでくるらしい。異常気象で1月に猛暑が続くという、気持ち良いくらいの科学設定無視も怪獣映画の醍醐味。
モスラがゴジラとラドンを説き伏せて、共にキングギドラと戦うという美談で、松本城、横浜マリンタワー、東京タワーを破壊する、キングギドラの暴れぶりが見どころ。モスラを尻尾で引っ張るゴジラも可愛い。怪獣4体なのに3大怪獣とはこれ如何に? 東宝初登場のキングギドラが仲間外れらしい。
主演陣は夏木陽介、星由里子。小泉博、志村喬、ザ・ピーナッツはお馴染みメンバー。夏木陽介と王女の別れのシーンは『ローマの休日』のオマージュ。 (評価:2.5)
製作:東映東京
公開:1964年12月27日
監督:内田吐夢 製作:大川博 脚本:鈴木尚之 撮影:仲沢半次郎 音楽:富田勲 美術:森幹男
キネマ旬報:5位
台風に荒れ狂う海のシーンと下北の原風景が見どころ
原作は水上勉の同名小説。映画化・TV化されているが、これは内田吐夢監督の最初の映像化作品。
戦後間もない昭和22年から始まる。台風で青函連絡船が転覆する。岩幌町の質屋を強盗殺人放火した前科者と小舟で海を渡った男(三國連太郎)が単独、下北に着き、娼婦(左幸子)と知り合い、盗んだ金を渡す。一方、刑事(伴淳三郎)が男を追うが迷宮入りとなる。東京に出た女は娼妓となるが売春禁止法が施行されることになり、男が名前を変えて篤志家となっているのを知って訪ねる。過去を消した男は娼婦と目撃した書生を殺し、それが切っ掛けとなって若い刑事(高倉健)の捜査で男の過去が動き出す・・・といった内容。洞爺丸台風と岩内大火がヒントになっている。
当時としてはこれでミステリーとして成立したが、半世紀後に観るとあまりにお粗末。映画も、三國→伴淳→左→三國と主観が動きっぱなしで、なにを描いているのか戸惑う。それでも、左が三國と再会するまでは、それぞれ芸達者で粗の多いストーリーも目を瞑っていられるが、健さんが出てきてからがひどい。小学校の学芸会以下の演技で、もともと破綻していたストーリーが一気に瓦解する。最近の冤罪再審のニュースを思い出し、これぞ冤罪事件の構図と納得する。
映像的には冒頭の台風に荒れ狂う海のシーンと下北の原風景が見どころ。演出はやや過剰気味にキャラクターの感情の起伏を描くが、左と伴淳の演技には唸らされる。加藤嘉もいい味。 (評価:2)
公開:1964年12月27日
監督:内田吐夢 製作:大川博 脚本:鈴木尚之 撮影:仲沢半次郎 音楽:富田勲 美術:森幹男
キネマ旬報:5位
原作は水上勉の同名小説。映画化・TV化されているが、これは内田吐夢監督の最初の映像化作品。
戦後間もない昭和22年から始まる。台風で青函連絡船が転覆する。岩幌町の質屋を強盗殺人放火した前科者と小舟で海を渡った男(三國連太郎)が単独、下北に着き、娼婦(左幸子)と知り合い、盗んだ金を渡す。一方、刑事(伴淳三郎)が男を追うが迷宮入りとなる。東京に出た女は娼妓となるが売春禁止法が施行されることになり、男が名前を変えて篤志家となっているのを知って訪ねる。過去を消した男は娼婦と目撃した書生を殺し、それが切っ掛けとなって若い刑事(高倉健)の捜査で男の過去が動き出す・・・といった内容。洞爺丸台風と岩内大火がヒントになっている。
当時としてはこれでミステリーとして成立したが、半世紀後に観るとあまりにお粗末。映画も、三國→伴淳→左→三國と主観が動きっぱなしで、なにを描いているのか戸惑う。それでも、左が三國と再会するまでは、それぞれ芸達者で粗の多いストーリーも目を瞑っていられるが、健さんが出てきてからがひどい。小学校の学芸会以下の演技で、もともと破綻していたストーリーが一気に瓦解する。最近の冤罪再審のニュースを思い出し、これぞ冤罪事件の構図と納得する。
映像的には冒頭の台風に荒れ狂う海のシーンと下北の原風景が見どころ。演出はやや過剰気味にキャラクターの感情の起伏を描くが、左と伴淳の演技には唸らされる。加藤嘉もいい味。 (評価:2)
眠狂四郎 勝負
公開:1964年01月09日
監督:三隅研次 脚本:星川清司 撮影:牧浦地志 音楽:斎藤一郎 美術:内藤昭
市川雷蔵版第2作、三隅研次監督作品。柴田錬三郎の時代小説・眠狂四郎シリーズが原作。
子供の頃に市川雷蔵シリーズはよく見たのだが、改めて観ると印象が違う。転びバテレンとの混血児の剣客が主人公。茶髪で色白、二枚目、着流しとくれば、女が放っておかず、言い寄られるもニヒルに袖を振るというお色気も忘れない。決め技の円月殺法は、チャンバラで良く真似した。
本作は、ニヒルさが今ひとつで、人助けもするいい人。助けた妻女(藤村志保)に目もくれないというのは狂四郎らしいが。
ひょんなことで勘定奉行(加藤嘉)と知り合うが、奢侈を排し農民保護政策を主張するために、奉行は後家となった家斉の息女(久保菜穂子)や用人、米問屋などから命を狙われる。その刺客となるのがバテレンの夫を持つ妻女で、狂四郎は奉行を守りながら悪者を退治するという、王道時代劇。
残念なのは考証の甘いところで、小日向の切支丹屋敷や三ノ輪の浄閑寺なども舞台として出てくるが、大映京都製作のために江戸の町が江戸に見えないこと。
突っ込みどころは満載だが、見どころはやはり市川雷蔵の眠狂四郎と円月殺法で、二八蕎麦屋の娘に高田美和という懐かしい布陣。 (評価:2)
浅草の灯 踊子物語
公開:1964年3月14日
監督:斎藤武市 脚本:棚田吾郎 撮影:横山実 美術:坂口武玄 音楽:小杉太一郎
濱本浩の小説『浅草の灯』が原作。1937年の島津保次郎、1956年の田中重雄監督 の『浅草の灯』に次ぐ3度目の映画化。
関東大震災前の浅草オペラが舞台。芸術家肌の座長・芦田伸介、座長を敬愛する二谷英明、人気はあるが実力の劣る藤村有弘、新人の吉永小百合、吉永のファンで画家志望の浜田光夫、二谷に恋する奈良岡朋子といった布陣で、芦田の妻・山岡久乃と劇場主が、パトロンに吉永を差し出そうとするのを二谷が阻止、浜田の下宿に匿うものの吉永と間違いを犯してしまう。
二谷と吉永は相思相愛ながら、結果として、二谷は芦田とともに大阪に旅立つ。
斎藤武市版ではメインタイトルは踊子物語となっているが、吉永はオペラ歌手の役で、前年公開の吉永主演の『伊豆の踊子』にあやかったものか、なんともチグハグなタイトル。
舞台での歌唱は芦田、吉永ともに吹替えで、芦田の舞台衣装もコメディと見紛うほどに似合わない。二谷が腕っぷしの強い侠客的役どころというのも何とも違和感があって、もっと違和感があるのは34歳の二谷が19歳の小娘の吉永に思いを寄せることで、21歳の青春スター浜田はともかく、オッサン顔の二谷と吉永の恋愛はどうにも受け入れ難い。
そんな違和感だらけのドラマに入り込めるわけがなく、いっそコメディにした方が良かったのかもしれない。 (評価:2)