海月衛 映画帖
~映画の大海原をたゆたう~

日本映画レビュー──1963年

製作:東宝、黒澤プロダクション
公開:1963年3月1日
監督:黒澤明 製作:田中友幸、菊島隆三 脚本:小国英雄、菊島隆三、久板栄二郎、黒澤明 撮影:中井朝一、斎藤孝雄 音楽:佐藤勝 美術:村木与四郎
キネマ旬報:2位
毎日映画コンクール大賞

赤い煙のパートカラーは何度でもみたくなる
 エド・マクベイン「87分署シリーズ」の『キングの身代金』が原作。
 黒澤の現代劇の代表作。モノクロフィルムの中で、燃やした鞄に仕組まれた発煙剤で煙突から赤い煙が立ち昇るパートカラーのシーンが有名で、その後の映画でもオマージュでよく用いられる。最近では、『踊る大捜査線 THE MOVIE』(1998)で使用された。
 そのほか、運送会社を装った刑事の張り込み、列車での人質確認、身代金受け渡しといった後の刑事ものに踏襲されるアイディアが盛りだくさんで、サスペンスもののバイブル的な作品。
 シナリオもよくできていて、テンポもよく2時間余りを緩みなく一気に見せる。製靴会社重役連中の謀議から始まり、運転手息子の誤認誘拐、脅迫、懐かしき特急こだまでの身代金受け渡し、手掛かりと捜査、犯人の発見、泳がせ捜査と第一級のサスペンス。
 被害者に三船敏郎、刑事に仲代達矢、犯人に山崎努。周りを固める俳優陣も香川京子、三橋達也、木村功、加藤武、伊藤雄之助、志村喬、藤田進など黒澤映画おなじみで、端役を含めて役者揃い。汚れにまみれた靴工場の工員、東野英治郎がなかなかいい。
 江ノ電のトロリーの音、特急こだまの構造、ヘロインの純度といった推理心をくすぐる凝った設定もあり、舞台は神奈川県で横浜市浅間町、黄金町、酒匂川、江の島と実在の地名が出てくるのもリアル。
 若干リアルでないのは、製靴会社重役の家が豪邸すぎるのと、犯人が「天国と地獄」と恨みを募らせるほどの境遇ではないこと。会社の乗っ取り話や大金の小切手を部下に委ねるのもリアリティに欠ける。
 三船の息子を演じるのは江木俊夫で、後にジャニーズ事務所の草創期のアイドルグループ、フォーリーブスのメンバーとなった。 (評価:4) 

製作:日活
公開:1963年03月17日
監督:浦山桐郎 脚本:石堂淑朗、浦山桐郎 撮影:高村倉太郎 音楽:黛敏郎 美術:中村公彦
キネマ旬報:10位

15歳の和泉雅子の演技が光る、浦山桐郎の隠れた名作
 TSUTAYAの作品情報にも解説がない。監督の浦山桐郎は吉永小百合主演『キューポラのある街』がデビュー作で代表作。『非行少女』は2作目にあたり、続く『私が棄てた女』『青春の門』と佳作を発表するが、55歳の生涯で映画9作品と寡作だった。
 原作は森山啓『三郎と若枝(青い靴)』。石堂淑朗との共同脚本で、モスクワ国際映画祭銀賞受賞。主演の和泉雅子は、1989年に日本女性初の北極点到達をしたことでも有名。
 15歳の不良少女・若枝(和泉雅子)はバーで女給のハイヒールを盗み、元弾薬庫に隠す。若枝は大学生に絡まれて映画館から出てきたところで、失業して金沢に帰郷した21歳の幼馴染みの青年・三郎(浜田光夫)と再会する。貧しくてPTA会費を払えず学校にも行かない若枝に、三郎はスカートや金を渡し、勉強を教える。しかし、三郎は誤解による不信を若枝に抱き、失意した若枝は事故を起こして保護施設に入所することになる・・・というのが物語の前半。この前半部分は若干展開がもったりしているが、若枝が立ち直っていく過程を描く後半はストーリーも締まって緩まない。
 この作品が公開されたのは、東京オリンピックの前年であり、高度経済成長期を迎えようとする一方で、日本はまだまだ貧しかった。この時代をノスタルジーで明るく描いたのは『三丁目の夕日』だが、リアルタイムの『非行少女』にはその甘さがない。その点では、『三丁目の夕日』とは裏をなす当時の実相を描いた価値ある作品。若枝と同じ15歳だった和泉雅子の演技力と、それを引き出した浦山の演出は必見の価値がある。
 最後に和泉と浜田が列車の中で交わす会話は、現代の感覚からは嘘くさいかもしれない。ただ当時は若者たちが真摯に理想を語れた時代であり、またそれを信じることができた時代だった。和泉と浜田が演じる二人は将来の希望を持てない若者たちであり、その二人が足許を見つめて再出発するという、いまの日本の状況にも通じる物語。「戦後強くなったのは女とナイロン靴下」と揶揄された時代に、浦山が描きたかった少女の自立していく姿でもある。
 映像も演出も糞真面目なくらいにオーソドックスで、これぞ昭和といった雰囲気を漂わせている。ラストで和泉がキャラメルを舐めるシーンがいい。 (評価:4) 

製作:日活
公開:1963年11月16日
監督:今村昌平 脚本:長谷部慶次、今村昌平 撮影:姫田真佐久 音楽:黛敏郎 美術:中村公彦
キネマ旬報:1位

左幸子が女の可憐さ、弱さ、図太さを巧みに演じる
 東北の寒村で生まれた女の半生記。脚本は今村昌平・長谷部慶次、撮影・姫田真佐久。主演の左幸子がベルリン国際映画祭主演女優賞。
 大正7年に生まれたとめ(左幸子)は不義の子だったが、少々頭の弱い戸籍上の父(北村和夫)と不思議な愛情で結ばれる。製糸工場の女工、足入れ婚、出戻って娘(吉村実子)を産み、再び製糸工場で終戦を迎え係長(長門裕之)と関係を持つも、組合運動を理由にクビとなり、娘を父に預けて上京、オンリー(春川ますみ)の家政婦、新興宗教(殿山泰司)入信、売春宿(北林谷栄)の女中、売春婦、中小企業主・唐沢(河津清三郎)の妾、コールガールの元締めとなる。
 娘は開拓団の青年に恋して学校を退学、資金集めに上京して唐沢に囲われる。娘のために体を売って仕送りしてきたとめは、何のための人生かと嘆く。しかし、もっとしたたかなのは娘の方で、唐沢から資金を詐取すると開拓村に逃げてしまう。今では唐沢だけが頼りのとめが、娘を迎えに行くところで物語は終わる。
 虫けらのように地面を這いつくばって生きる女主人公。その逞しさと上手を行く娘。如何にも今村らしい戦前・戦後を通した虐げられた女性と強さを描く、男尊女卑社会の告発と女性讃歌の作品だが、精神的に自立する女性像を描けていたかというと心許ない。左も吉村も、そこそこ男を手玉に取って胸の空くところもあるが、結局は男に従属する女でしかない。
 2時間余りを飽きさせない演出はさすがだが、それ以上の女性像を提示できなかったのは今村の限界か。
 本作は左幸子の演技に尽きるところがあって、少女のような可憐さから女の弱さ、図太さまで巧みに演じる。ストップモーションとスチールを効果的に使った編集も見どころで、止め絵が様になっている姫田真佐久のカメラワークがいい。 (評価:3.5) 

製作:石原プロ
公開:1963年10月27日
監督:市川崑 脚本:和田夏十 撮影:山崎善弘 音楽:芥川也寸志、武満徹 美術:松山崇
キネマ旬報:4位

ヨット横断の話だが、妹役の浅丘ルリ子が超絶かわいい
 1962年にヨットで太平洋単独横断をした堀江謙一の同名手記が原作。
 太平洋横断そのものはドラマチックでもなく単調だが、横断に出かけるまでの経緯を織り交ぜながらの和田夏十の脚本がいい。洋上での嵐や食料、日干し、ヘリや大型船との遭遇といった出来事に上手く絡めながら、回想で家族やヨット仲間とのエピソードが描かれるため、サンフランシスコに到着するまでを退屈せずに観られる。
 かつて日本がまだ若かった頃、周囲の反対を押し切り、法を犯す危険を顧みずに、このような冒険をした若者がいたという事実を描いた本作は、内向きの思考が強くなっている現在の日本にとって意味のある映画。
 主人公に石原裕次郎。その両親に、森雅之、田中絹代。母親役の田中が上手い。他にハナ肇、大坂志郎、芦屋雁之助が出演しているが、妹役の浅丘ルリ子が超絶かわいい。 (評価:3)

青い山脈

製作:日​活
公開:1963年01月03日
監督:西河克己 脚本:井手俊郎、西河克己 撮影:萩原憲治 音楽:池田正義 美術:佐谷晃能

日本が未来を信じることのできた時代の青春映画
​ ​石​坂​洋​次​郎​の​同​名​小​説​が​原​作​。​3​度​目​の​映​画​化​で​、​主​演​は​吉​永​小​百​合​・​浜​田​光​夫​・​芦​川​い​づ​み​・​二​谷​英​明​、​監​督​は​西​河​克​己​。
​ ​本​作​に​は​個​人​的​な​思​い​出​が​あ​り​、​従​姉​に​連​れ​ら​れ​て​初​め​て​見​た​青​春​映​画​だ​っ​た​。​『​花​と​竜​』​と​併​映​の​正​月​映​画​で​、​当​時​は​1​+​1​=​2​の​発​想​の​計​算​で​、​ま​っ​た​く​客​層​の​異​な​る​映​画​を​カ​ッ​プ​リ​ン​グ​し​た​。​主​題​歌​の​流​れ​る​青​空​の​下​を​自​転​車​で​走​る​シ​ー​ン​と​、​吉​永​が​浜​田​の​頬​に​キ​ス​す​る​シ​ー​ン​し​か​覚​え​て​い​な​か​っ​た​が​、​半​世​紀​ぶ​り​に​見​て​意​外​に​面​白​か​っ​た​。
​ ​男​女​七​歳​に​し​て​席​を​同​じ​う​せ​ず​の​古​い​価​値​観​の​残​る​城​下​町​の​新​制​女​子​高​校​で​、​旧​習​を​捨​て​て​自​由​意​思​に​よ​る​恋​愛​と​男​女​平​等​を​説​く​女​教​師​(​芦​川​い​づ​み​)​と​戦​後​民​主​主​義​の​申​し​子​で​あ​る​転​校​生​(​吉​永​小​百​合​)​が​、​伝​統​を​護​ろ​う​と​す​る​女​生​徒​達​や​教​職​員​、​P​T​A​と​戦​う​姿​を​描​く​。​良​妻​賢​母​が​校​是​で​、​従​順​に​し​て​卒​業​し​て​嫁​ぎ​、​姑​に​苛​め​ら​れ​、​夫​に​殴​ら​れ​る​の​が​当​然​と​考​え​る​町​で​、​青​年​医​師​(​二​谷​英​明​)​が​女​教​師​に​叩​か​れ​て​目​覚​め​、​と​も​に​闘​う​。
​ ​現​代​か​ら​見​れ​ば​相​当​に​ア​ナ​ク​ロ​で​、​ま​る​で​異​世​界​の​物​語​の​よ​う​な​フ​ァ​ン​タ​ジ​ー​だ​が​、​半​世​紀​前​に​こ​の​よ​う​な​映​画​が​成​立​で​き​た​こ​と​で​、​本​作​が​戦​後​日​本​の​失​わ​れ​た​一​つ​の​季​節​を​記​録​し​て​い​た​こ​と​に​気​が​つ​く​。​戦​後​民​主​主​義​の​息​吹​き​の​中​で​、​希​望​に​満​ち​て​古​い​価​値​観​と​戦​う​若​者​た​ち​。​敗​戦​か​ら​1​0​数​年​を​経​た​若​者​た​ち​が​切​り​開​こ​う​と​し​て​い​た​未​来​を​本​作​は​瑞​々​し​く​描​き​、​2​組​の​カ​ッ​プ​ル​が​相​手​を​好​き​だ​と​大​声​で​叫​び​合​う​シ​ー​ン​に​曇​り​の​な​い​日​本​の​青​空​が​見​え​る​。
​ ​5​0​年​経​っ​て​、​こ​の​よ​う​な​若​者​た​ち​の​姿​は​過​去​の​幻​影​と​な​っ​て​し​ま​っ​た​が​、​公​開​の​翌​年​に​開​か​れ​た​東​京​オ​リ​ン​ピ​ッ​ク​同​様​に​信​じ​ら​れ​る​日​本​の​未​来​が​あ​っ​た​と​い​う​懐​か​し​さ​と​感​慨​が​蘇​る​。
​ ​た​だ​の​青​春​映​画​と​思​っ​て​い​た​が​、​一​つ​の​時​代​の​精​神​を​本​作​は​記​録​し​て​い​る​。
​ ​出​演​は​ほ​か​に​、​高​橋​英​樹​、​南​田​洋​子​、​浜​村​純​、​左​卜​全​。 (評価:2.5)

江分利満氏の優雅な生活

製作:東宝
公開:1963年11月16日
監督:岡本喜八 製作:藤本真澄、金子正且 脚本:井手俊郎 アニメデザイン:柳原良平 撮影:村井博 音楽:佐藤勝 美術:浜上兵衛

柳原良平のアニメなど岡本喜八の斬新な演出が見どころ
 原作は山口瞳の同名の直木賞受賞作。
 主人公は江分利満だが、山口自身に似せていて、勤めているサントリーも実名で登場し、直木賞受賞のエピソードも織り交ぜながら、連作を1本の物語にまとめている。
 サントリーに勤めるコピーライター江分利がアフター5に飲み屋を梯子する自堕落な生活を中心に、前半は小説を書いて直木賞を受賞するまで、後半は部下たちと飲みながら戦前から戦中にかけての半生を回顧する。
 とりわけ後半は、本作がテーマとした部分で、ほぼ江分利の独演会。学徒出陣で死んでいった仲間たちと、そうした若者たちを利用して私腹を肥やした父親世代を批判しながら、二度と戦争を起こさないという平和主義を説く。
 制作年代からいえば60年安保のあとで、江分利の独演を聞く安保世代の部下たちが、国家や資本家たちに利用されない思いを新たに平和主義を誓うという構成。
 徹頭徹尾喋り捲る江分利満を小林桂樹が演じ、単調な話を単調にさせない。江分利が批判する世代代表の父に東野英治郎。妻に新珠三千代。
 監督は川島雄三の急死で代打を務めた岡本喜八。トリスのCMでおなじみの柳原良平のセル・アニメーションや、靴と下駄だけが動く人形アニメ、ナレーションに合わせて下着や靴下だけで歩く江分利のシーンなど、岡本ならではの斬新な演出が、古臭い説教とストーリーが延々と続く本作の中で、今見ても面白い見どころとなっている。 (評価:2.5)

製作:東映東京
公開:1963年11月1日
監督:田坂具隆 製作:大川博 脚本:鈴木尚之、田坂具隆 撮影:飯村雅彦 美術:森幹男 音楽:佐藤勝
キネマ旬報:3位

溜め息が出る映像美だが悲恋の理由に説得力がない
 水上勉の同名小説が原作。
 赤線廃止前の京都五番町遊郭が舞台の悲恋もので、目玉は清純派女優・佐久間良子が女郎と濡れ場を演じること、古き良き京都の家屋と五番町遊郭を再現したオープンセット、丹後半島の美しい風景で、溜め息が出るほどの映像美とカメラワークが最大の見どころとなっている。
 シナリオと映像はよく出来ていて、2時間余りを飽きさせずに見せる。田坂具隆の演出も悪くない。とりわけ前半は名作の予感さえさせるのだが、夕子(佐久間良子)の幼馴染にして恋人の修行僧(河原崎長一郎)との密通が発覚してからが、どうにも納得できない展開になる。
 夕子は病気となった母の薬代を稼ぐために、山陰の寒村を出て五番町遊郭にやってくる。当時の先斗町あたりの映像も挿入されて、ネオン輝く京都の街並みと丹後の寒村との落差が、夕子たち遊郭で体を売る娘たちの境遇を象徴させる。
 夕子を水揚げするのは西陣の織元の社長(千秋実)で、夕子を二号に迎えようとするが、夕子は首を縦に振らず、他の客をとってしまう。これが修行僧・正順で、夕子が金を渡して通わせているが、織元社長が正体を知って寺に密告、正順は夕子に会えなくなってしまう。
 ここからが本作の残念なところで、結果、正順は寺に放火、逮捕されて自殺してしまうのだが、放火の理由が吃音で世間からも寺からも苛められていたからと夕子が言うのが、どうにも説得力がない。絶望した夕子もまた二人の思い出の故郷で後追い自殺するが、夕子が正順と逢引するために京に上って女郎になり、正順の死によって生きる目的を失った悲恋という、いささか強引なシナリオになっている。
 原作に忠実である必要はないが、金閣寺放火がモデルの正順が、寺の高僧の腐敗に葛藤する姿が描かれなくては、放火の理由が薄弱すぎる。途中まではよく出来た作品なのだが、画竜点睛を欠いたという典型。
 夕霧楼の女将に木暮実千代、インテリ女郎の岩崎加根子が上手い。 (評価:2.5)

製作:岩波映画製作所
公開:1963年10月18日
監督:羽仁進 製作:小口禎三、中島正幸 脚本:清水邦夫、羽仁進 撮影:長野重一 美術:今保太郎 音楽:武満徹
キネマ旬報:7位

高度成長の入口の東京近郊の姿の記憶が懐かしい
 小田急線百合ヶ丘1丁目にある団地を舞台にした、子供のいない妻=彼女(左幸子)の物語。
 中国引揚者の妻は常に人間関係を求めていて、それが団地の主婦には腰が低いと映る。団地の向かいにあるバタヤ部落の火事に気を揉み、団地の子供たちの喧嘩の仲裁や遊んだりもする。
 対して公務員の夫=彼(岡田英次)は仕事以外は無関心。団地の主婦たちもよそよそしく、バタヤ部落を排除しようとする。
 バタヤ部落は屑拾いで生活する人たちの集まるあばら家で、もちろん不法占拠。その中に、夫の大学時代の友人(山下菊二)を見つけて、妻は親切心から自宅に招く。
 妻と友人との奇妙な交流が始まり、夫に頼んで就職の世話をするが、友人は今の生活を壊さないでくれと断る。
 もしかしたら自分もバタヤになっていたかもしれないという夫婦の会話もあるが、終戦後の夫婦と友人の過去は語られず、あまり説得力を持たないのが残念なところ。
 団地との境界に柵が設けられ、バタヤ部落はゴルフ練習場造成のために取り壊され、夫の友人の犬が団地の子供たちに殺され、友人は養育していた盲目の女の子とともに姿を消してしまう。
 そうして妻と友人との奇妙な交流は断ち切られ、妻に再び孤独という闇が訪れるが、心の交流が失われた殺伐とした世の中、それは高度成長とともに人々が陥った物質主義であり、格差社会であり、社会的弱者の切り捨てであり、そうしたもののすべてを、極限まで機能化した人間的ぬくもりの感じられない団地に象徴させる。
 妻はそこに虚無を感じてしまうのだが、「僕は案外団地が好きだよ」という夫の言葉に深い夫婦の断絶が覗く。
 もっとも集合住宅が一般化した現在からこの作品を見ると、当時の羽仁進が団地にイメージしたものに違和感が生じ、妻が心の交流を求める相手がバタヤ部落の人たちというのも、いささか観念的で飛躍している感が否めない。
 むしろ作品に対しては、高度成長の入口の東京近郊の姿に呼び覚まされる記憶が懐かしく感じられる。 (評価:2.5)

製作:近代映画協会
公開:1963年11月8日
監督:新藤兼人 脚本:新藤兼人 撮影:黒田清巳 美術:新藤兼人 音楽:林光
キネマ旬報:8位

性の主導権は女にあるという新藤の心情の吐露?
 広島を舞台にした、母の物語というよりは、母としての女の物語。
 タイトルからは、男の視点から母を追慕したり母性について描く作品が想像されるが、本作はむしろ女が母性について語っているようなところがあって、新藤がなぜこのような作品を作ったかよくわからない、不思議な気がする。
 2人の母が登場し、一人は主人公の民子(乙羽信子)で、一人目の夫を戦争で亡くし、二人目の夫は極道で離縁。その間にできた一人息子と暮らしているが、脳腫瘍になり、治療費のために強引に娘のいる朝鮮人の寡夫(殿山泰司)と結婚させられる。
 強引に結婚させるのが主人公の母・芳枝(杉村春子)で、民子を挟んで2人の息子(加藤武、高橋幸治)がいる。芳枝は、性格に問題があって、夫は女を作って九州に別居、民子や弟はむしろ父に同情的ですらある。
 生きるためには体裁など構ってはいられない芳枝は、それでも次男には愛情を注いでいて大学にまで行かせる。
 そうした母に反感を持つ民子は、脳腫瘍の息子のために愛していない男と結婚し、治らないと知ると余命を全うさせようとする。そうした中で夫に対する恩情が愛情に変わり、自ら体を与えて子を産む決心をする。
 何もできない、何もできなかったけれど、女は新しい命を産むことはできるという台詞で締めくくられるが、幾度も背景に原爆ドームが映し出され、民子自身が原爆症ではないかと思わせるシーンもあって、母は広島の暗喩、広島の再出発に向けたメッセージと取れなくもないが、敗戦から18年経った作品としては今更な感じもする。
 思いやりが通じ、民子から求められて夫が涙ぐむシーンからは、性について受け身と考えられがちな女が、実は性について主導権を握っているというのが、前妻が亡くなるまで、愛人の乙羽信子を妻に迎えられなかった新藤兼人の心情の吐露なのかもしれない。 (評価:2.5)

製作:東映京都
公開:1963年4月28日
監督:今井正 脚本:鈴木尚也、依田義賢 撮影:坪井誠 美術:川島泰三 音楽:黛敏郎
キネマ旬報:5位
ベルリン映画祭金熊賞

武士道と日本人の忠誠心に対する批判だが・・・
 南條範夫の『被虐の系譜』が原作。
 信州の小藩主に仕えてきた飯倉家の代々の嫡子の物語で、慶長から島原の役、寛永年間、元禄年間、天明の飢饉、明治維新、太平洋戦争末期、現代(昭和38年)の7人のエピソードが時系列に語られる。
 この7人を中村錦之助が演じて、1人7代7役が売り文句となったが、飯倉家の嫡子の一貫した忠君の物語で、7人は忠君の擬人化でもあるため、むしろ中村錦之助が7役を通して演じることに意味がある。
 今井正らしくテーマは明確で、武士道とは主君に対する絶対的忠節、武士の命は主君のものという滅私奉公の理念で、主君のために翻弄される江戸時代の飯倉家の悲惨を描きながら、維新となって時代が変わってもなお武士道の呪縛を断ち切れずに主君に忠誠を尽くす子孫、太平洋戦争で特攻兵として国家に命を捧げる子孫、さらには戦後の民主主義社会においてなお、企業に忠誠を尽くすサラリーマンとなった子孫を描く。
 結局のところ、日本人は世の中が変わっても主君に対する絶対的忠誠という武士道の呪縛から解放されていないという告発で、日本人の崇高な精神性として美化されがちな武士道を徹底的に批判している。
 制作当時、戦後民主主義を獲得したはずの日本人が少しも変わっていないという問題提起だったが、さらに半世紀を経た今の日本にも今井の指摘が変わらずに生きているという現実が、飯倉家が過去の物語でも他人の物語でもないことを思わせる。
 もっとも作品そのものはテーマが先走って、各エピソードにいささかリアリティを欠いていて、作為性が際立つのが今となっては鼻につく。
 中村錦之助の7役の演じ分けは見事。ベルリン映画祭金熊賞。 (評価:2.5)

日本の戦争

製作:毎日映画社
公開:1963年7月28日
音楽:片岡良和

死体や自決、特攻シーンが登場するが、目を背けずに見るべき77分
 日露戦争から太平洋戦争終結までの日本が関与した戦争の記録フィルムを編集したドキュメンタリー。元NHKアナウンサーの宮田輝がナレーションを務めるのが、公開当時としてはセールスポイントで、記録フィルム同様に歴史的遺産か。
 二〇三高地戦、日本海海戦、昭和不況、柳条溝事件、国際連盟脱退、二・二六事件、蘆溝橋事件、続く上海、南京・漢口の攻略や重慶爆撃などの貴重な映像が見られるのが最大の見どころ。日独防共共定と絡んでヒトラーも登場するが、ここまでの前半部分は少ない映像から編集されているために派手さに乏しく、歴史の勉強をしているようでいささか退屈。
 面白くなるのは真珠湾攻撃以降で、とりわけガダルカナルからの日本が守勢に立たされてからが俄然面白くなる。勝ち戦よりもピンチの方がハラハラして気持ちが入るということか。
 米軍が撮影した日本兵の累々たる死体、サイパンのバンザイクリフから投身する女性、弾雨のカーテンの中を切り揉みしながら墜落していく特攻機、米艦艇を炎上させる特攻機は、真に迫る映像で見逃せない。硫黄島の攻防戦、沖縄戦の映像もフィクション映画にはないリアリティがある。
 出陣する特攻隊員たちの映像ではそれぞれの顔が識別でき、遺族が見ればいたたまれない気持ちになるだろうと想像すると痛ましい。
 死体や特攻場面などが登場するが、目を背けずに見るべき77分。 (評価:2.5)

下町の太陽

製作:松竹大船
公開:1963年4月18日
監督:山田洋次 製作:杉崎重美 脚本:山田洋次、不破三雄、熊谷勲 撮影:堂脇博 美術:梅田千代夫 音楽:池田正義

貧しくも愛のある生活を選ぶ下町娘の物語
 下町の石鹸工場に勤める女工が、生活の向上よりも愛と人情のある下町の生活を選ぶという話で、女工・町子を演じる倍賞千恵子が歌った同名の歌謡曲がベースとなっている。
 同じ職場で働く事務員の道男(早川保)が恋人で、道男は本社採用を目指して猛勉中。ところが採用試験でライバルの金子(待田京介)に敗れ意気消沈。町子は弟を通じて知り合った鉄工所の工員・良介(勝呂誉)の積極的なアプローチに惹かれ、豊かさだけを目的とする空虚な生活よりも、主題歌の歌詞にもあるように、貧しくても愛のある生活を選ぶ。
 山田洋次らしいプロレタリアートな作品で、当時の若い娘たちの夢、サラリーマンと結婚して郊外の団地に住み専業主婦となる人生を否定して、スモッグに覆われた下町の太陽の下で、金はなくても人情だけはある人々に囲まれて暮らすことに人生の価値を見出すという、わかりやすいテーマになっている。
 舞台は向島あたりで、主人公の寺島町子は付近の寺島町からのもじりと思われる。京成荒川駅(現・八広)、東武曳舟駅、新小岩駅操車場、浅草六区、荒川放水路など、当時の風景も見どころ。
 町子の父に藤原釜足、祖母に武智豊子、路地の住民に東野英治郎、左卜全、菅井きんとそれっぽい。ダンスホールの出演歌手に青山ミチ。 (評価:2.5)

ぐれん隊純情派

製作:大映東京
公開:1963年7月27日
監督:増村保造 脚本:小滝光郎、増村保造 撮影:小林節雄 美術:下河原友雄 音楽:池野成

タイトルからは意表を突く展開の旅芸人の奮闘記
 藤原審爾の同名小説が原作。
 組長を逮捕されて行き場をなくしたチンピラの松(藤巻潤)が、対立する組長に復讐をする…話かと思いきや、旅回りの一座を率いていた父を亡くした弟分の銀之助(本郷功次郎)をけしかけて座長を継がせ、自らも役者に転身を図るという意表を突く展開となり、元歌舞伎役者の雁右衛門(二代目中村鴈治郎)の指導の下、一途に稽古に励み、東京から締め出されて潮来のドサ周りからスタート。
 これが評判を呼び、興行師の大森からさらなる嫌がらせを受けてもへこたれず、上州の興行主・お梅(ミヤコ蝶々)に助けられる。
 ところが銀之助が町の有力者の一人娘・雅子(三条魔子)とできてしまい、県議の罠に嵌められて仲を裂かれる。そこで、この経緯を芝居にして上演。スキャンダルとなって手打ち式となり、二人は結ばれるというハッピーエンド。
 途中、中村座を巡るトラブルや人情噺を織り交ぜ、一難去ってまた一難と転がるように話が展開するので、飽きずに安心して増村保造の職人芸を楽しめる。
 藤巻潤の人の良いチンピラぶりがはまり役。一方の本郷功次郎がマジメ純情派で、チンピラに見えないのが若干喰い足りない。
 芸達者の二代目中村鴈治郎とミヤコ蝶々が脇を固め、古き良き時代のプログラム・ピクチャーを偲ばせる。
 役に立たなそうに見えても、芝居は見る者の肥やしになるというのが結論だが、演劇に意味を持たせ過ぎてちょっと照れる。 (評価:2.5)

ある機関助士

製作:岩波映画製作所
公開:1963年
監督:土本典昭 製作:小口禎三 脚本:土本典昭 撮影:根岸栄 音楽:三木稔

迫力があり過ぎて安全性よりも危険性を感じてしまう
 上野・水戸間の急行みちのくの機関助士の往復乗務を追ったドキュメンタリー。
 1962年に常磐線三河島駅で起きた列車脱線多重衝突事故後に、国鉄の安全性への取り組みを紹介するPR映画として制作されたものだが、疾走するC62形蒸気機関車の迫力ある映像が見どころ。手持ちカメラによる激しく揺れる機関車内の機関士、機関助手の仕事ぶりや、車窓から見える沿線の景色が臨場感たっぷりに描かれる。
 もっとも、二人の緊張感を演出するための踏切や駅ホームの通過、対向列車との擦れ違いにスリルがあり過ぎて、却って事故と紙一重に見えてしまい、定時運行を絶対とする遅延回復のための秒刻みの努力とともに、安全性よりもむしろ危険性を感じてしまうのが、制作から半世紀後の感想。
 全線電化を目前とした時期に制作されていて、個人的には当時の常磐線SLの記憶が甦り、上野駅のホーム風景など懐かしい。
 作品自体は機関助手の一日を追い、鉄道研修所での訓練風景、機関士の安全性のための健康テストシーンなどが挿入されるが、列車を被写体とする移動撮影や沿線からの撮影、空撮なども行われていて、鉄道映画としては完成度が高いが、ドキュメンタリーとしては明らかなヤラセや台本に合わせた撮影、別撮りがあって、若干誠実さに欠けるのが気になる。
 尾久機関区に置かれた破損した三河島事故車両が生々しい。 (評価:2.5)

製作:東京映画
公開:1963年4月10日
監督:堀川弘通 製作:佐藤一郎、椎野英之 脚本:橋本忍 撮影:村井博 美術:水谷浩 音楽:武満徹
キネマ旬報:9位

愛撫の後の大空真弓のスリップ姿が何とも白ける
 若手弁護士が結婚を邪魔する不倫夫人を殺害。その直後に部屋に入った泥棒が逮捕され自供。疑問を持った検事が再捜査し、弁護士は良心の呵責から自供。検事は一躍人権派として社会の寵児となるという物語。
 もっとも話はここで終わらず、最後に大どんでん返しがあるが、それは見てのお楽しみ。
 弁護士を演じるのは仲代達矢、検事は小林桂樹、泥棒は井川比佐志で、いずれも演技派なので見応えはある。観客を騙し続けて、最後にアッと言わせる橋本忍の脚本も見事だが、ミステリーとしては自供がすべてという点が単調で、小林が仲代の自供を引き出すシーンは相手の良心に訴えるだけで、普通それじゃ自供しないだろうというくらいに温い。
 その点ではよくできたシナリオだが、完成度は高くない。
 演出も撮影も手堅いが、よく言えばオーソドックスで、これといったシーンはない。大空真弓と仲代達矢がベッドで抱き合うシーンがあるが、愛撫の後に立ち上がった大空がスリップを着ているのが何とも白ける。
 刑事役の西村晃が若く、もう一人の黄門様・東野英治郎が建設会社社長役で出ている。松本清張、大宅壮一が特別出演しているのが数少ない見どころか。 (評価:2.5)

座頭市喧嘩旅

製作:大映京都
公開:1963年11月30日
監督:安田公義 脚本:犬塚稔 撮影:本多省三 美術:西岡善信 音楽:伊福部昭

握り飯の米粒を頬に付ける無邪気なヒーロー
 子母澤寛の『座頭市物語』が原案。勝新太郎の『座頭市』シリーズ第5作。
 常陸国下妻辺りでお美津(藤村志保)という娘を助け、江戸まで送り届ける話。水戸街道の道中、堂山一家と下妻一家の争いに巻き込まれ、市(勝新太郎)が立ち回りを演じ、最後は堂山一家の三下に矢切の渡しまでお美津を託す。
 プロローグは賭場から始まり、イカサマを暴いてひと暴れ。庶民を苛める悪者は侍とヤクザで、弱きを助け強きを挫く座頭市の本領を発揮。二度三度と窮地に陥る娘を助け、最後は礼も言わさずに姿を消す。
 これぞ男の中の男、黄粉餅の皿に残った黄粉を舐め回し、米粒を頬に付けて握り飯に食らいつく子供っぽさを併せ持つ、格好つけずに格好いいヒーロー像がいい。
 これに、市に情夫を返討にされた旅の女・お久(藤原礼子)が絡み、大店の娘・お美津を江戸に届けて大枚の礼金をせしめようと誘拐するが、最後は情にほだされてヤクザの囮になったお美津を助けるという、人情噺がつく。
 もっとも、江戸の大店の娘がなぜ常陸国の城に女中奉公に出たのかの説明はなく、市が悪徳駕籠屋(吉田義夫)からお美津を取り返しながらも、江戸まで送らずに再びお久に誘拐されてしまうのが、段取りのためとはいえご都合主義。 (評価:2.5)

記録映画 東海道新幹線

製作:日本国有鉄道
公開:公開日不明
監督/古賀聖人 脚本/古賀聖人

新幹線に象徴される若々しい日本のノスタルジー
 東海道新幹線の着工から開業までの5年余りを追ったドキュメンタリー。用地買収から始まり、レールの敷設、車両の開発と貴重な映像が記録されている。馬込での第二京浜との高架橋の徹夜設置作業や、当時の東京駅、空撮による東京の風景も貴重で、ロングレールや橋梁、トンネル、ATCなど、当時話題となった新幹線開発に集めた技術の粋を再確認できる。
 京浜工業地帯からモクモクと上がる煤煙の映像もあって、高度成長に向かう日本が今の中国のようだったことを改めて感じさせるが、中国高速鉄道の技術の杜撰を見るにつけ、当時の日本の技術の優れていたことを感じるが、その技術立国に向けた若々しさが今の日本からは失われていることも一抹の寂しさ。
 新幹線に象徴される若々しい日本のノスタルジーとともに、切なさを感じさせる。 (評価:2.5)

新・座頭市物語

製作:大映京都
公開:1963年3月15日
監督:田中徳三 脚本:犬塚稔、梅林貴久夫 撮影:牧浦地志 美術:太田誠一 音楽:伊福部昭

市の出自と経歴がわかり哀愁を感じさせる物語
 子母澤寛の『座頭市物語』が原案。勝新太郎の『座頭市』シリーズ第3作で、初カラー作品。
 市の出自と経歴がわかる話で、故郷は笠間、幼名はイチタ、その頃はまだ目明き。剣の師匠は下館の伴野弥十郎(河津清三郎)で、その道場を訪れることになる。
 弥十郎の妹・弥生(坪内ミキ子)と市は初めて互いの思いを打ち明けて所帯を持とうとするが、弥十郎は身分違いの片輪者との結婚は許さないと市と絶縁。一方で、弥十郎は飲み屋の女房と間男し、水戸天狗党残党の逃亡資金作りのために道場の弟子で金持ち息子を身代金誘拐させる。
 貧乏暮らしで志を失い、落ちぶれた弥十郎は天狗党残党ともども市に斬り捨てられることになるが、結婚して真人間になることを誓った市は、弥生との約束を果たせずに去って行く。
 弥生と市は不釣り合いで、相思相愛というには若干無理があるが、前作で兄を市に殺された敵討ちと付け狙う弟(須賀不二男)が、弥生との結婚のために許しを請う市に対し、賽の目で勝負し、市の負けを勝ちと偽って去って行くエピソードが人情噺としてよくできていて、弥生と市の別れのラストシーンと併せて、哀愁を感じさせるよくできたシナリオになっている。
 市の乳母に武智豊子。 (評価:2.5)

十三人の刺客

製作:東映京都
公開:1963年12月7日
監督:工藤栄一 脚本:池上金男 撮影:鈴木重平 美術:井川徳道 音楽:伊福部昭

『甲子夜話』の逸話を基にしたエンタテイメント時代劇
 映画・テレビにもリメイクされている、時代劇の名作。
 江戸時代後期、弘化年中の物語となっているが、モデルはそれより早い明石藩8代藩主・松平斉宣(劇中では松平斉韶)。斉宣は11代将軍・徳川家慶の異母弟で、7代藩主・松平斉韶の養子。参勤交代中に尾張藩領で行列を横切った3歳の幼児を処刑したという逸話が残っている。
 本作では日頃から暴虐で悪評の高い斉韶の老中就任を恐れた土井大炊頭(丹波哲郎)が、目付・島田新左衛門(片岡千恵蔵)に暗殺を命じるというもの。斉韶が尾張藩士(河原崎長一郎)の妻女(三島ゆり子)を犯し、夫を殺害したため尾張藩領の通過を拒否され、分散して迂回路を行くのを島田ら13人の刺客が落合宿で待ち伏せして、討ち取るという作戦。
 古い作品なのである程度時代劇の知識がないと台詞がわかりづらいが、全体に緊迫感があり、終盤の殺陣は見応えがある。
 もっとも敵方は53人で、13人が様々なトラップを仕掛けて次々と倒していき、とうに数人しか残っていないはずなのにゾンビのように敵が湧いてくるというのが若干のツッコミどころで、見せ場を多く作ったことで少々殺陣が長過ぎたのかもしれない。
 千恵蔵以外の13人の刺客に嵐寛寿郎、里見浩太郎、西村晃、山城新伍ほか。松平斉韶に菅貫太郎、近侍に内田良平、殺された尾張藩士の父に月形龍之介と役者が揃うが、筆頭老中の土井大炊頭がやや貫禄不足か。
 丘さとみ、藤純子も花を添える。 (評価:2.5)

伊豆の踊子

製作:日​活
公開:1963年06月02日
監督:西河克己 脚本:三木克巳、西河克己 撮影:横山実 音楽:池田正義 美術:佐谷晃能

美人だが初々しくない踊子に天城峠が煙る
 川端康成の同名小説が原作。都合6回映画化されていて、新しい順に①山口百恵・三浦友和、②内藤洋子・黒沢年男、③吉永小百合・高橋英樹、④鰐淵晴子・津川雅彦、⑤美空ひばり・石濱朗、⑥田中絹代・大日方傳。この映画は③吉永小百合・高橋英樹。
 吉永小百合、18歳。当時人気全盛で、年間10本のプログラム・ピクチャーに出演していた。月1本平均の撮影を考えれば当然の出来で、ステレオタイプな感情表現のワンパターンの演技となっている。
 決定的なのは、14歳の少女に見えないことで、美人ではあるが初々しくなく、14歳の少女の持つ二面性、異性への興味と童女のような無垢が演じられていない。主人公の学生・高橋英樹19歳が若々しいが、これまた繊細に見えないバンカラで、やはり桃太郎侍が向いている。
 重要な役回りの旅芸人一座の男・大坂志郎、浪花千栄子、酌婦の南田洋子、十朱幸代も今ひとつで、全体に俗っぽさの漂う青春映画『伊豆の踊子』となっている。
 物語は大学教授(宇野重吉)の若き日の回想という形を取るが、前後のこの枠は全くの余計。原作があるため一応の物語にはなっているが、作品的には★1.5の駄作。 (評価:2.5)

社長外遊記

製作:東宝
公開:1963年4月28日
監督:松林宗恵 製作:藤本真澄、角田健一郎 脚本:笠原良三 撮影:鈴木斌 美術:村木忍 音楽:神津善行

ハワイロケの見どころは森繁の宴会芸「籠の鳥」
 社長シリーズ第18作。
 『社長洋行記』に続く海外ロケ作品で、前半は日本、後半はホノルルが舞台となる。舞台がホノルルに移ってから話がつまらなくなるのは『社長洋行記』と同じだが、社長(森繁久彌)、秘書課長(小林桂樹)、常務(加東大介)、営業部長(三木のり平)にハワイ雑貨店経営のフランキー堺が加わるので、キャスティングは賑やか。
 東京シーンでは、社長の5人娘が登場し、次女に『ウルトラマン』の桜井浩子、三女に岡田可愛、五女にマーブルチョコレートの上原ゆかり。社長は娘たちにテレビ、車、土地をねだられ、バーの雇われママには自分の店をねだられる。
 老舗のデパートが舞台で、ライバルの新興デパートに売上で迫られた挙句、香港出店で海外進出に後れを取るという状況。負けてはならじとハワイ出店のための土地探しに出張するという話になっている。
 ホノルルの日本料理店での宴会で、森繁以下が宴会芸を披露するが、森繁の「籠の鳥」が見どころ。
 協力はパンナム。『続・社長外遊記』が続編。 (評価:2)

眠狂四郎殺法帖

製作:大映京都
公開:1963年11月2日
監督:田中徳三 脚本:星川清司 撮影:牧浦地志 美術:内藤昭 音楽:小杉太一郎

中村玉緒がヒロインではエロティックにも限界
 柴田錬三郎の同名小説が原作。市川雷蔵主演のシリーズ第1作。
 加賀藩第12代藩主・前田斉泰が密貿易をしていて、その証拠を隠滅しようとする話で、奥女中(中村玉緒)を使って狂四郎(市川雷蔵)に依頼、秘密を知る密貿易商の仲間の唐人(城健三朗=若山富三郎)を抹殺しようとする。
 以下、陰謀を知った狂四郎が唐人と気を通じ、宝玉の仏像に隠された証拠の文書を手に入れるまでが描かれるが、奥女中は斉泰が遊女に産ませた子など、時代劇らしい裏話が登場する。
 斉泰は江戸後期の実在の藩主で、密貿易の秘密を知るのは加賀藩では藩主のみ。つまり藩主が直接関わるというトンデモ設定で、狂四郎が江戸上屋敷の藩主の寝所に忍び込んで談判するという、これまたトンデモ・エピソードまで登場する。
 そんなストーリー上の不自然や狂四郎らしいお色気エピソードは、娯楽時代劇ということで無視するとしても、江戸から金沢まで移動するストーリーは基本的につまらなく、演出的にも凡庸。中村玉緒がヒロインではエロティックにも限界がある。
 これが当り役となった市川雷蔵のメイクと円月殺法と、ラストの狂四郎と唐人の何故か鳥取砂丘での対決シーンが見どころか。 (評価:2)

社長漫遊記

製作:東宝
公開:1963年1月3日
監督:杉江敏男 製作:藤本真澄 脚本:笠原良三 撮影:完倉泰一 美術:村木忍 音楽:神津善行

アメリカかぶれの社長と雪村いづみ・フランキー堺の英語合戦が見どころ
『社長シリーズ』第16作。
 子供の頃にテレビで放送されたのを何度か見たが、社長シリーズのどれかというくらいしか記憶がないワンパターン作品。勝手気儘な社長に会社の幹部たちが振り回され、これに浮気話が絡んでてんやわんやの大騒動を繰り広げるというコメディで、本作も同様。
 アメリカ出張から帰った社長(森繁久彌)がすっかりアメリカにかぶれて、役職呼称を廃止したり、社用接待を取りやめたり、中途半端な英語を繰り出すところなんかは見ていておかしい。もっともそれも前半までで、水商売女相手の浮気をやめることを宣言しながらも、小倉出張で馴染みの芸者(池内淳子)に決心も揺らぎ、ママ(淡路恵子)と同伴旅行を図るも、東京から来た妻を前に討ち死にするという艶笑話に展開した途端、よくあるギャグに欠伸が出る。
 見どころは、若戸大橋の開通で、華やかなイベントなどが開かれたことを改めて知ることくらい。秘書課長の小林桂樹、営業部長の加東大介、九州支店長の三木のり平、外資系サラリーマンにフランキー堺と役者も揃って安定した演技を見せるが、マンネリズムだけはどうしようもない。
 秘書の雪村いづみとフランキー堺が得意の英語力を見せるところも見どころか。 (評価:2)

海底軍艦

製作:東宝
公開:1963年12月22日
監督:本多猪四郎 製作:田中友幸 脚本:関沢新一 メカデザイン:小松崎茂 撮影:小泉一 美術:北猛夫 音楽:伊福部昭 特技監督:円谷英二

宇宙戦艦ヤマトを先取りした発想が無茶苦茶というか凄い
 押川春浪の同名小説が原作。
 太平洋に沈んだムウ帝国が地上を植民地化しようとする話。ムウ帝国の潜水艦に太平洋の艦船が攻撃され、最新鋭の米軍の原潜も破壊され、国連は旧日本帝国海軍の反乱部隊が建造中の海底軍艦の出動を要請する。その理由が、ムウ帝国が海底軍艦の建造中止を要求しているからというおざなりなもので、戦後20年経って・・・と思いつつも1970年代まで横井庄一、小野田寛郎が戦争をしていたことを考えればバカにもできない。
 元将軍が反乱部隊と海底軍艦を探し当てるところまでは話の出来不出来は別にしてまずまずの流れだが、この後の展開がトロくて見てられない。反乱部隊の指揮官が、軍艦が戦う敵はムウ帝国ではなくアメリカだと抵抗したり、ムウ帝国工作員が秘密基地を爆破したり、主人公のカップル(高島忠夫・藤山陽子)がムウ帝国に誘拐されたり、ドラゴンが登場したり、東京がムウ帝国潜水艦の攻撃を受けたりと、見せ場のない退屈なストーリーが延々と続き、最後は海底軍艦出撃で・・・とようやくラストを迎えるが、要は円谷の特撮頼みのシナリオで、1時間半が2時間にも3時間にも長く感じられる。
 本作の見どころを探せば、潜水艦のくせして空を飛んでしまうという海底軍艦の物理学を無視した設定とデザインで、艦首にドリルまで付いている。デザインは小松崎茂、宇宙戦艦ヤマトを先取りした発想が無茶苦茶というか凄い。 (評価:1.5)

てなもんや三度笠

製作:東映京都
公開:1963年6月9日
監督:内出好吉 脚本:野上龍雄 撮影:羽田辰治 美術:桂長四郎 音楽:古川益雄

テレビの人気作も映画仕様ではギャグにならない
 1962年から朝日放送で制作されたテレビコメディ(脚本:香川登志緒)の映画化。前田製菓提供で、主演のあんかけの時次郎(藤田まこと)の「俺がこんなに強いのも、あたり前田のクラッカー」が有名だが、映画版では言い換えられていて決め台詞にならないのがずっこける。
 映画は、大坂で時次郎と珍念(白木みのる)が出会い、2人で詐欺商売をしながらの道中が始まる。
 そこに清水次郎長を倒して名を上げようとするやくざ者たちが一斉に東海道を下り始め、不穏な動きを察知した奉行所の同心も追跡開始。名うての刺客同士が相討ちになったところに居合わせた時次郎は、やくざ者たちから誤解されて親分に祭り上げられ一緒に東進。
 最後は清水港での大立ち回りとなり、もとより喧嘩に弱い時次郎は窮地に立つが、次郎長親分に助けられてメデタシメデタシとなるという、シンプル・ストーリー。
 要は、喜劇役者たちのギャグが頼りでしかないが、これが脚本通りの段取り芝居でつまらない。舞台なら間合いとテンポで笑いを取るところが、映画のセットとロケではそうはいかずにギャグが間延びして笑いにならない。
 つまらないギャグの単調なストーリーでは、次郎長親分の花菱アチャコを始め、大村崑、芦屋雁之助、芦屋小雁、若水ヤエ子、茶川一郎らの喜劇陣も顔見世だけに終わっている。 (評価:1.5)

雪之丞変化

製作:大映京都
公開:1963年1月13日
監督:市川崑 製作:永田雅一 脚本:伊藤大輔、衣笠貞之助、和田夏十 撮影:小林節雄 美術:西岡善信 音楽:芥川也寸志、八木正生

場末の婆ァ芸者のようでどうにも気持ちが悪い
 三​上​於​菟​吉​の​同​名​小​説​が​原​作​。​衣​​​笠​​​貞​​​之助(​​​1935-6)、河野寿一(1954)、渡辺邦男(1957)、マキノ雅弘(1959)に続く5度目の映画化。
 1935年版の主演・林​長​二​郎​(​長​谷​川​一​夫​​)にとっても記念碑的な作品で、長谷川一夫300本記念映画として製作された。
 しかし、いかに二枚目役者とはいえ、同じ主演俳優での30年後のリメイクには相当無理があり、公開時、長谷川は55歳。長年のドーラン化粧もあってか肌は弛み、いくら厚化粧を施しても、男女ともに惚れ惚れする美青年の花形女形という設定がどうにも受け入れがたい。
 しかも雪之丞の女形ぶりが、場末の婆ァ芸者のようでどうにも気持ち悪く、立ち回りの動きの鈍さと合せて色気と溌剌さに欠けた、長​谷​川​一​夫の一人芝居に終わっている。
 長谷川の老いに合わせて30歳の若尾文子と32歳の山本富士子という年増を起用しているため、全体に若さが足りない。
 そうした企画の無理を承知の上、1935年版のリメイク、5度目の映画化ということもあって、市川崑は新感覚映像で再映画化を試みているが、残念ながら企画の欠点を補うまでには至らない失敗作に終わっている。
 アニメ出身の市川らしく、絵コンテ風に細かいカットで繋ぎ、現代風にいえば劇画調なのだが、もともと情緒で見せる物語にハードボイルドな演出はそぐわなく、パサパサの料理を食べさせられれている感じで、退屈。
 コントラストや光と影を強調した映像や舞台風の人工的セットとカメラアングルなど、市川らしさに溢れているが、題材的に空振りな実験映画になっている。
 土部三斎に中村鴈治郎、昼太郎に市川雷蔵。ほか勝新太郎、船越英二、浜村純、加藤嘉と配役は揃っている。ナレーションは徳川夢声。 (評価:1)