海月衛 映画帖
~映画の大海原をたゆたう~

外国映画レビュー──2022年

製作国:アメリカ
日本公開:2022年5月27日
監督:ジョセフ・コシンスキー 製作:ジェリー・ブラッカイマー、トム・クルーズ、クリストファー・マッカリー、デヴィッド・エリソン 脚本:アーレン・クルーガー、エリック・ウォーレン・シンガー、クリストファー・マッカリー 撮影:クラウディオ・ミランダ 音楽:ハロルド・フォルターメイヤー、ハンス・ジマー、ローン・バルフェ
キネマ旬報:2位

リアリティはないが手に汗握る映像の連続は迫力満点
 原題"Top Gun: Maverick"。トップガンは空​中​戦​エ​リ​ー​ト​を​養​成​す​る​ア​メ​リ​カ​海​軍​戦​闘​機​兵​器​学​校​の​こ​と​。マーヴェリックは主人公の名。『トップガン』(1986)の続編。
 36年ぶりの続編は、プロローグのフォーマットが前作を踏襲していて、字幕から海​軍航空基地の描写、タイトルに至るまで、オールドファンをニヤリとさせる。トム・クルーズのニタニタ顔も健在。
 天才パイロットのマーヴェリック(トム・クルーズ)は退官を控えて大佐と、アイスマン(ヴァル・キルマー)が太平洋艦隊司令官・大将となっているのに対し、エリートの割に昇進していない。その理由は、トップガンの教官からテスト・パイロットと生涯現役を貫く男のカッコ良さと、トム・クルーズらしい役回り。
 ならず者国家で建設中のウラン濃縮プラントを破壊するミッションのため、アイスマンの指名でトップガンの精鋭チームの教官となったマーヴェリックが、戦死者を一人も出さないという方針のもと、精鋭たちを鍛え上げる。  その一人が前作で親友だったグースの息子ルースター(マイルズ・テラー)で、父の事故死でマーヴェリックを恨んでいて、二人の確執から和解がドラマの柱となる。
 途中、アイスマンが癌で死亡。後ろ盾を失ったマーヴェリックは、司令官に作戦変更と異動を命じられる。マーベリックはデモ飛行で自らの作戦の正しさを証明。編隊長として作戦を指揮することに。
 以下はクライマックスの作戦実行で、谷間を低空飛行で抜けるという実戦では不可能なビデオゲームになる。リアリティはまるでないが、手に汗握る映像の連続となり迫力満点。
 作戦には成功するものの二転三転の障碍を乗り越え、見事空母に生還するまでが描かれる。
 前作同様、戦闘シーンが良く出来ていて楽しめるエンタテイメント。
 マーヴェリックの恋人役のジェニファー・コネリーが、いい女を演じる。 (評価:2.5)

製作国:イギリス、アメリカ
日本公開:2023年2月23日
監督:サム・メンデス 製作:ピッパ・ハリス、サム・メンデス 脚本:サム・メンデス 撮影:ロジャー・ディーキンス 美術:マーク・ティルデスリー 音楽:トレント・レズナー、アッティカス・ロス
キネマ旬報:8位

現代の差別と分断の解決策を80年代イギリスに求める
 原題"Empire of Light"で、光のエンパイアの意。Empireは、舞台となる映画館の名。
 精神疾患の中年女性と大学進学を諦めた黒人青年のそれぞれの再生の物語。
 1980年代初頭のイギリス南部の町の映画館が舞台だが、前年、マーガレット・サッチャーが首相に就任し、サッチャリズムによる経済改革で失業者が急増したという時代背景がある。
 独身の中年女性ヒラリー(オリヴィア・コールマン)は映画館のマネージャーで、支配人エリス(コリン・ファース)とは不倫関係にある。
 そこにやってくるのが黒人青年スティーヴン(マイケル・ウォード)で、大学進学に失敗して映画館に就職する。
 以下、ヒラリーとスティーヴンは互いに惹かれ合うようになり、ヒラリーの精神疾患は改善。スティーヴンは身の上を語るが、ヒラリーは過去については精神錯乱して語らない。
 時はサッチャリズム。失業した白人のデモ隊が、職を奪う黒人排斥を訴えて映画館の前を行進。映画館で働いているスティーヴンを見つけて乱入する。
 スティーヴンは母が看護師をする病院に入院し、ヒラリーは母から自分がスティーヴンの精神的な支えになっていることを知る。
 これをきっかけにスティーヴンは大学進学を決意。ヒラリーは彼を温かく見送ることになる。
 この二人にアドバイスするのが映写技師ノーマン(トビー・ジョーンズ)で、映画を通して人生のヒントを与えるが、24コマの静止画を映写機に掛けるとその間の暗闇が見えなくなって映画が動き出すという話が味わい深い。
 "It is amazing. Because it's just static frames, with darkness in between. But there's a little flaw in your optic nerve, so that if I run the film at 24 frames per second, you don’t see the darkness."(凄いよ。それは暗闇が間にある、ただの静止したフレームなんだ。しかし錯視によって、1秒間24フレームで映写すると暗闇が見えなくなるんだ)
 本作が単に再生の物語に終わっていないのは、それぞれが自身の抱える闇と向き合い、それを克服しようとしていることで、ヒラリーと支配人の肉欲を対照に、スティーヴンとの関係は精神で結ばれている。
 この再生の物語の根底にあるテーマが差別と分断で、サム・メンデスは差別と分断が進む現代社会を80年代イギリスに置き換えて、映画とそれを支える映画館の善き人々に、その解決策を示しているように見える。 (評価:2.5)

製作国:アメリカ
日本公開:2023年2月10日
監督:デイミアン・チャゼル 製作:マーク・プラット、マシュー・プルーフ、オリヴィア・ハミルトン 脚本:デイミアン・チャゼル 撮影:リヌス・サンドグレン 美術:フロレンシア・マーティン 音楽:ジャスティン・ハーウィッツ

変わっていくハリウッドとフィルムに定着された永遠
 原題"Babylon"。
 サイレントからトーキーに移行するハリウッド映画界の話で、20年後の1952年、主人公がふらりと入った映画館で、同じ時代背景を描いて封切られた『雨に唄えば』を見て涙するという、名作をオマージュする作品になっている。
 もっとも『雨に唄えば』が悪声のサイレントの大女優を貶め、トーキーの新人女優が脚光を浴びるミュージカル映画らしい肯定的な新時代を描いているのに対し、本作はトーキーの時代に取り残されていくサイレント俳優たちと、酒と麻薬、セックスに溺れるカオスなハリウッドが、倫理規定ヘイズ・コードの導入とともに変わっていく哀愁を描いている。
 ハリウッドの主役たちの交替と栄枯盛衰、繁栄と退廃を古代メソポタミアの古代都市バビロンに譬え、それでも変わることのないフィルムに定着された永遠の文化的価値を、高尚であっても刹那的な価値しか持たないブロードウェイの舞台芸術と対比させるという、デイミアン・チャゼルの映画愛を感じさせる作品になっている。
 主人公はメキシコ出身の青年マヌエル(ディエゴ・カルバ)で、ハリウッドに憧れ、マニーとアメリカ風に名乗っている。
 同じくスターに憧れる田舎娘のネリー(マーゴット・ロビー)と知り合い、一目惚れ。映画スタッフのいい加減さから幸運を掴んだネリーはトントン拍子にスキャンダラスなスター女優へと駆け上がってしまう。
 しかしサイレントからトーキーと時代は変わり、悪声の上にヘイズ・コードの導入でスターの座を失ったネリーは麻薬とギャンブルに溺れ、ギャングに借金をして命を狙われる。
 スタジオの重役プロデューサーとなったマニーは長年見守ってきたネリーに愛を告白。二人でメキシコに逃げて人生をやり直そうとするが、ネリーは殺されてしまう。
 メキシコで家族を持ったマヌエルは、20年後、家族と共にかつての職場だったハリウッドを訪ね、一人で入った映画館で『雨に唄えば』を見て、走馬灯のように思い出す過去に涙する。
 トーキーに取り残されるサイレントのスター俳優にブラッド・ピット、ギャングのボスにトビー・マグワイア。
 人種差別などのハリウッドの黒歴史も語られ、3時間の長尺ながら映画史として見ても飽きない。 (評価:2.5)

製作国:アメリカ
日本公開:2023年3月3日
監督:スティーヴン・スピルバーグ 製作:クリスティ・マコスコ・クリーガー、スティーヴン・スピルバーグ、トニー・クシュナー 脚本:スティーヴン・スピルバーグ、トニー・クシュナー 撮影:ヤヌス・カミンスキー 美術:リック・カーター 音楽:ジョン・ウィリアムズ
キネマ旬報:5位
ゴールデングローブ作品賞

昔の映画を知らないと面白さは半減するかもしれない
 原題"The Fabelmans"で、フェイブルマン家の意。スティーヴン・スピルバーグの半自伝的映画。
 エンジニアの父(ポール・ダノ)とピアニストの母(ミシェル・ウィリアムズ)の間に生まれたサミー(ガブリエル・ラベル)が幼い時に『地上最大のショウ』(1952)を観て映画の魅力に憑りつかれ、8ミリカメラを買ってもらって映画オタクとなり、大学を中退して映画スタジオ入りを果たすまでを描く。
 この間、父の転職でニュージャージからアリゾナ、カリフォルニアと引越、母の浮気、ユダヤ人差別、恋愛、両親の離婚の青春グラフィティを織り込む。
 Fabelmanはドイツ語で寓話の男の意味で、スピルバーグをモデルとする映画の夢に賭けた男の寓話ということになる。  優秀なエンジニアである父がキャリアアップをしていくのに対し、母は安らぎを求めて友人(セス・ローゲン)に恋し、家庭を破壊する。
 大学に進学したサミーが、父の期待に背いて、母と同じ芸術家への道を進むというのが本作のメインストーリーで、それがスピルバーグの若き日の姿なので、自分の好きな道に進む、自分らしい生き方をすれば、夢が叶えられるというテーマとなっている。
 一方、ルーツであるユダヤ人のアイデンティティと反ユダヤ主義が並行して描かれるが、そうした壁も映画を通して乗り越えられるという期待も示している。
 ガールフレンド(クロエ・イースト)との会話で、敬虔なキリスト教徒である彼女がSammyと呼ぶのに対し、ヘブライ語起原のSamuelが本名の少年がSamと言い直すのは、ユダヤ教徒であることへのこだわりか。
 50年代に8ミリカメラを買ってもらえる経済力のある家庭環境というのもユダヤっぽい。
 スピルバーグらしい善意と希望に満ちた破綻のない物語が楽しめるが、スピルバーグの半生記だけにちょっとした映画史にもなっていて、昔の映画を知らないと面白さは半減するかもしれない。
 『地上最大のショウ』でスピルバーグが映画の面白さを感じたというのが車と列車の衝突シーンで、これが出世作となる『激突!』(1971)の原点だとわかる。
 ジョン・フォードとの出会いも部屋の映画ポスターで効果的に演出されるが、ジョン・フォード役がデイビッド・リンチというキャスティングを含めて、少々シネフィル向けになっているのも、スピルバーグの自伝ということで仕方のないところか。
 ガールフレンドを始め、高校生たちの顔立ちや衣装、メイクなどが60年代の雰囲気を醸し出しているのもいい。 (評価:2.5)

製作国:アメリカ
日本公開:2023年6月2日
監督:サラ・ポーリー 製作:デデ・ガードナー、ジェレミー・クライナー、フランシス・マクドーマンド 脚本:サラ・ポーリー 撮影:リュック・モンテペリエ 音楽:ヒルドゥル・グーナドッティル
キネマ旬報:10位

コミュニティを出たメノ-派の女たちは何を見るのか?
 原題"Women Talking"で、女たちの会話の意。ミリアム・トウズの同名小説が原作。
 南米ボリビアのキリスト教メノー派コミュニティで2000年代に起きた鎮静ガスによる集団強姦事件がモデルで、舞台をアメリカに移しているが、劇中エピソードの南十字星の見える場所はなく、架空の設定。
 メノー派は伝統的生活と非暴力の無抵抗主義を教義としていて、コミュニティ内の男たちに強姦され、妊娠させられた女たちが村を出るか、それとも留まって仕返しするかの選択を議論するという物語。最後は教義に従い非暴力を貫くためにコミュニティを出ていくラストとなる。
 もっとも、メノ-派についての説明が一切なく、議論の前提となる集団強姦事件についての説明も不十分で、映像と会話によって匂わす程度なので、観客は事件そのものを推測するしかない。事件の具体像、全体像がわからないままの非常に不親切な作品になっている。
 それでも教義に基づく非暴力の議論は伝わってくるので、暴力に対しては逃げるのではなく避けるという、ガンジー的な無抵抗の平和主義に一般化されて理解できる。
 あとは、この考え方を受け入れられるかどうかで、この作品に感銘するか絵空事と思うかで評価は分かれるが、メノ-派の女たちの純粋さとともに、コミュニティからの新しい出発が彼女たちに何をもたらすかを描く続編が見てみたい。 (評価:2.5)

エルヴィス

製作国:アメリカ
日本公開:2022年7月1日
監督:バズ・ラーマン 製作:バズ・ラーマン、キャサリン・マーティン、ゲイル・バーマン、パトリック・マコーミック、スカイラー・ワイス 脚本:バズ・ラーマン、サム・ブロメル、クレイグ・ピアース、ジェレミー・ドネル 撮影:マンディ・ウォーカー 美術:キャサリン・マーティン 音楽:エリオット・ウィーラー

プレスリーを体現するようなロックンロールな映画
 原題"Elvis"。エルヴィス・プレスリーの生涯をマネージャー、パーカー大佐の回想で描く伝記映画。
 前半はメンフィス時代のプレスリーをパーカー大佐が見い出す1950年代が描かれるが、プレスリーのプロフィールを早口のナレーションで畳みかけるようにダイジェストし、さらにVFXを使ってプロモーションビデオのように見せるため、すっ飛ばしすぎでプレスリー・ファン以外は説明について行けない。
 これは兵役、プレスリー映画、結婚、離婚、パーカー大佐との確執、ドラッグ、死亡まで続くが、世界的な有名人プレスリーの生涯を誰もが良く知っているという前提で作られているために、全体に説明不足でプレスリーを名前くらいしか知らない人には、おそらく何が何だかわからないままに終わるという、まさにプレスリーを体現するようなロックンロールな映画となっている。
 伝記映画というよりは、スター映画であり音楽映画なので、プレスリーのネガティブな面はあまり描かれないが、ビートルズに押されて世界の音楽シーンから下りていき、ラスベガス・ショーで生き残りを図る、時代から取り残されたロック歌手の哀愁が後半は漂う。
 見終われば、キング牧師に傾倒し、保守的な白人社会の中で反道徳的な前髪クネ男だった、メンフィス時代のプレスリーが一番に輝いていたことが、ロックンロールな演出と相まって伝わってくる。 (評価:2.5)

マチルダ・ザ・ミュージカル

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製作国:イギリス、アメリカ
日本公開:劇場未公開
監督:マシュー・ウォーチャス 製作:ティム・ビーヴァン、エリック・フェルナー、ジョン・フィン、ルーク・ケリー 脚本:デニス・ケリー 撮影:タト・ラドクリフ 音楽:ティム・ミンチン、クリストファー・ナイチンゲイル

子役アリーシャ・ウィアーの天真爛漫な一人舞台が楽しい
 原題"Roald Dahl's Matilda the Musical"で、ロアルド・ダールの『マチルダ』ミュージカルの意。ロアルド・ダールの児童小説"Matilda"を原作とするミュージカル"Matilda the Musical"の映画化。
 物語はほぼ原作に沿っているが、最大の違いはミュージカル仕立てということで、しかも子供たちが中心なので、とても楽しい。歌唱や踊りもピッタリ揃い、一部は早送りしているようで、仕草がテンポよく決まる。
 美術も絵本から飛び出したようなパステルカラーで、メルヘンの雰囲気。舞台監督のマシュー・ウォーチャスの才気が光る演出で見応えがある。
 対して物語はロアルド・ダールなので、意地悪な大人たちの抑圧に耐え、それを跳ねのけていくマチルダを中心とした子供たちの抵抗と反逆が、メルヘンとの好対照となってブラックユーモアのバランスの取れた作品となっている。
 意地悪な大人は、マチルダを男の子扱いする父(スティーヴン・グレアム)とバカ扱いする母(アンドレア・ライズボロー)、生徒を虐待することが生き甲斐の女校長(エマ・トンプソン)。子供たちの理解者で自らも虐待された女校長の養女の教師(ラシャーナ・リンチ)、そして脳味噌が飛び出さんばかりの天才少女マチルダ(アリーシャ・ウィアー)を軸に、悪と正義の闘いというわかりやすいコメディになっている。
 子役アリーシャ・ウィアーの演技力が抜群で、その上可愛いので、物語同様に天真爛漫なマチルダの一人舞台が楽しめる。 (評価:2.5)

製作国:アメリカ
日本公開:2023年5月12日
監督:トッド・フィールド 製作:トッド・フィールド、アレクサンドラ・ミルチャン、スコット・ランバート 脚本:トッド・フィールド 撮影:フロリアン・ホーフマイスター 美術:マルコ・ビットナー・ロッサー 音楽:ヒルドゥル・グーナドッティル
キネマ旬報:1位

男の代替品のオレ様女を通したジェンダーの風潮に対するパロディ?
 原題"Tár"で、主人公の名。
 ベルリン・フィルの音楽監督に上り詰めた女性指揮者が、そのストレスから常軌を逸し、パワハラとセクハラで失脚するまでを描いた現代風の作品。
 これに同性愛、ジェンダーを絡めるという、現代の話題てんこ盛りで欲張りな企画なのだが、主人公ター(ケイト・ブランシェット)の主観で描かれるために、狂気に陥った描写と客観的事実との境界がわかりにくい。
 冒頭、極端に矮小な文字サイズのタイトルとクレジットで始まり、スタイリッシュを気取った姿勢に不安を感じるのだが、案の定、ターの長々とした音楽論の口舌が始まり辟易とする。退屈な講義を聞いているようで、クラシックに興味がなければここで挫折する。
 その音楽論もターが独善的で傲慢、不遜な女として描かれるので、あまり愉快なものではない。
 本作で描かれるターは、男性中心のクラシック界の中で、才能と努力によって最高の権威に上り詰めていく女性なのだが、所謂男勝り、男に仮装した女という、宝塚的な人物像となっている。男社会に同質化した男の権威を獲得しただけの女なので、男と同じようにパワハラ、セクハラをする。
 ターは同性愛者だが、パートナー(ニーナ・ホス)との関係は女-女ではなく男-女の関係、養女との関係も父-子、職場での関係も女を従属させるオンナ男で、性差を越えた存在というよりは男の代替品でしかない。
 監督は正しくジェンダーが理解できない20世紀的男女同権論者の男に見えてしまうのだが、あるいはオンナ男のターを通して現代のジェンダーの風潮を皮肉るパロディにしたのかもしれない、というのは深読みしすぎか。
 マーラー、バーンスタイン、カラヤン、フルトヴェングラーを通してクラシック界におけるユダヤ人やナチスとの関係にも触れるが、他のクラシックに関するエピソード同様、蘊蓄を並べて食い散らかしているだけの印象を受ける。 (評価:2.5)

製作国:イギリス、アメリカ、アイルランド
日本公開:2023年1月27日
監督:マーティン・マクドナー 製作:グレアム・ブロードベント、ピート・チャーニン 脚本:マーティン・マクドナー 撮影:ベン・デイヴィス 美術:マーク・ティルデスリー 音楽:カーター・バーウェル
キネマ旬報:6位

離島の喧嘩にアイルランド国内の対立の相似形を映す
 原題"The Banshees of Inisherin"で、イニシェリンのバンシーの意。バンシーは死を予告するケルトの妖精。
 1923年、アイルランドの離島が舞台。イギリスからの独立をめぐる内戦で、劇中にも遠く海の向こうの本土に砲煙が立ち昇る様子が描かれる。
 イニシェリン島はそうした政治とは無縁な孤立した世界で、農場で働いて夜は酒場で愚にもつかぬお喋りで無為な時を過ごす。
 そうした平和な島でも島民同士の諍いはあって、それがアイルランド国内の対立の相似形を映すという、悲しい姿を描く。
 主人公のパードリック(コリン・ファレル)は愚兄賢妹という寅さんタイプで、隣家のコルム(ブレンダン・グリーソン)を飲み友達として親友と疑わないが、人生の黄昏を迎えたコルムは、このままでは無為な一生に終わることに気づき、好きな音楽で形あるものを残そうとして、パードリックとの時間の浪費を止めるために絶交宣言をする。
 それを理解できないパードリックはコルムに今まで通りに話しかけるが、コルムは自分の指を落として抗議する。
 曲が完成した時、コルムは左手の指を全部落とすが、それを食べたパードリックのロバが死亡。怒ったパードリックはコルムの家に火をつけ、争いはエスカレート。優しさだけが取り柄だったパードリックは友人たちを不幸に導く結果となる。
 一方、妹のシボーン(ケリー・コンドン)は将来を求めて島を去る。
 本土の砲火が止み、コルムは停戦を申し出るが、パードリックはこれを拒み、現在に至るアイルランド国内の対立を示唆して終わる。 (評価:2.5)

ピノキオ

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製作国:アメリカ
日本公開:劇場未公開
監督:ロバート・ゼメキス 製作:クリス・ワイツ、ロバート・ゼメキス、アンドリュー・ミラノ、デレク・ホーグ 脚本:クリス・ワイツ、ロバート・ゼメキス 撮影:ドン・バージェス 美術:ダグ・チャン、シュテファン・デシャント 音楽:アラン・シルヴェストリ

1940年版の説教臭さはないが童画的な味わいがないのが寂しい
 原題"Pinocchio"。カルロ・コロディの児童小説”Le avventure di Pinocchio. Storia di un burattino”(ピノキオの冒険。人形の物語)が原作。
 1940年の同名アニメーション映画の実写リメイクで、3Dアニメーションとの合成のディズニー作品。
 1940年版の道徳の教科書のような説教臭さはなく、大人でも楽しめる内容になっているが2Dアニメの童画的な味わいがないのが寂しい。
 ゼペットじいさんをトム・ハンクスが演じているのが見どころで、子供を亡くしたゼペットが、パペットに命を与えて暮れるように星に願いをかけるシーンに実感がこもる。
 シンシア・エリヴォのブルー・フェアリーも存在感がありすぎるくらいで、ユニークで頼もしい妖精を演じている。
 人間になるためにピノキオが学校に通おうと外の世界に出るが、すぐに狐の誘惑を受け、良心か名声=欲望かという現代の世の中を象徴する二つの選択肢が示される。
 ピノキオはフェアリーの教えを忘れ誘惑に負けてパペットの人気者となるが、プレジャーアイランドに連れて行かれ、世俗の悪に染まる。
 ジミニーに助け出されたピノキオはゼペットの無償の愛を知って良心を取り戻し、ゼペット救出のために海の怪物と戦い、悲しみの涙でゼペットを生き返らせる。
 こうして人間の心を手に入れたピノキオに生身の体は必要なく、外見よりも中身が大事というラストとなる。
 美術については実物とCGの見分けがほとんどつかず、リアリティよりはファンタジー性が優っていて、現代的なテーマ設定の割にはセルアニメーションの1940年版よりもむしろ平板な印象なのだが、実写とCGの融合という点で映像表現的には成功しているのかもしれない。 (評価:2.5)

ストレンジ・ワールド もうひとつの世界

製作国:アメリカ
日本公開:2022年11月23日
監督:ドン・ホール 製作:ロイ・コンリ 脚本:クイ・ヌエン 音楽:ヘンリー・ジャックマン

ディズニー的ナチュラルなLGBTQの描写が逆にアンナチュラル
 原題"Strange World"で、奇妙な世界の意。ウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオの3Dアニメーション。
 架空の世界アヴァロニアを舞台にした冒険ファンタジーで、険しい山を越えた向こうの世界を発見しようと旅立ったまま行方不明となった冒険家サーチャー、アヴァロニアに帰った息子イェーガー、孫イーサンの物語。
 イェーガーが山から持ち帰った植物バンドは電力などのエネルギー源となり、アヴァロニアに繁栄をもたらす。
 ところがバンドが枯れ始め、世界の危機を救うべく地中に深く張る根の源へと、イェーガーはイーサンらと向かう。そこで地底世界を発見、死んだとばかり思っていたサーチャーと再会。
 以下、アヴァロニアが亀の背中で、バンドは全身を流れる血液、枯れた原因は抗体によるものだったという、古代宇宙論的な結末となる。
 アイディアはそれだけで、結末から振り返れば、地底らしくない地下世界の幻想的というか薄気味悪い美術設定が、亀の体内を表していたとのだと合点するが、かといってシナリオ・演出が面白いわけでもなく、定型的な冒険ファンタジーの類型を抜け出ていない。
 今更ディズニーの人権配慮に異を唱えるつもりはないが、サーチャーとイェーガーが白人男性、イェーガーの妻が黒人女性、イーサンが混血まではともかく、イーサンがゲイでディアゾという恋人がいて、それを周囲が何事もないようにナチュラルに受け止めている描写に、逆にアンナチュラルなものを感じてしまう。
 それこそがむしろ"Strange World"と皮肉るのは、きっと人権意識が欠けている証なのだろう。 (評価:2.5)

生きる LIVING

製作国:イギリス、日本
日本公開:2023年3月31日
監督:オリヴァー・ハーマナス 製作:スティーヴン・ウーリー、エリザベス・カールセン 脚本:カズオ・イシグロ 撮影:ジェイミー・D・ラムジー 美術:ヘレン・スコット 音楽:エミリー・ルヴィエネーズ=ファルーシュ

映画として洗練され過ぎていて人間的な温かみが感じられない
 原題"Living"で、邦題の意。黒澤明の『生きる』(1952)のリメイクで、日系イギリス人のノーベル賞作家カズオ・イシグロが脚色。
 舞台を原作と同時期のロンドンに移したほかは、ほぼオリジナル通り。オリジナルでは脇役にすぎない若い市役所職員・木村が、本作では主人公ウィリアムズ(ビル・ナイ)の遺志を引き継ぐ新入職員ウェイクリング(アレックス・シャープ)として狂言回しに使われている。
 市民課課長が余命幾許もない癌と知り、残された人生に意味を見い出すために、盥回しにされていた陳情の実現に奔走し、公園建設を果たして雪の夜、ブランコに揺られながら死ぬという大筋は同じ。
 ショックから貯金を下ろして作家の案内で飲み歩き、市役所を辞める若い女性職員(エイミー・ルー・ウッド)とのデートで若き日の情熱を取り戻し、死後、職員らが葬儀の席で故人への思いを語り合うというのも同じ。
 大きく違うのは、オリジナルが再びルーティンに戻ってしまう役所への皮肉で終わるのに対し、本作ではウィリアムズの人生の意義に回帰させている。
 オリジナルを踏襲しているのでヒューマンドラマとしての完成度は高いが、映画としては洗練され過ぎていて、市民課課長を演じる志村喬の庶民的な泥臭さが伝わって来ず、ビル・ナイが単に官僚的なお役人にしか感じられないのが残念なところ。
 その分、オリジナルの持つ人間的な温かみが感じられなく、クライマックスのブランコのシーンに感情移入しにくい。
 小田切みきが演じた女性職員のエイミー・ルー・ウッドが庶民的なお姉ちゃん風でいい。 (評価:2.5)

製作国:アメリカ
日本公開:2023年3月3日
監督:ダニエル・クワン、ダニエル・シャイナート 製作:ジョー・ルッソ、アンソニー・ルッソ、マイク・ラロッカ、ダニエル・クワン、ダニエル・シャイナート、ジョナサン・ワン 脚本:ダニエル・クワン、ダニエル・シャイナート 撮影:ラーキン・サイプル 美術:ジェイソン・キスヴァーデイ 音楽:サン・ラックス
キネマ旬報:9位
アカデミー作品賞

編集が大変だったろうとアカデミー編集賞には納得する
 原題"Everything Everywhere All at Once"で、どれもどこでも一斉にの意。
 コインランドリーの小母さん(ミシェル・ヨー)が必要経費に問題があると税務署に呼び出され、実はマルチバースの彼女のそれぞれの必要経費だと申し立てるというSFコメディで、この言い訳のためになぜか別次元から来た夫(キー・ホイ・クァン)が勝手にマルチバースを行き来する装置をオバサンに取り付け、そのためにオバサンが大混乱に陥ってしまう。
 他の宇宙では娘(ステファニー・スー)はマルチバース支配を企む悪者で、税務署の小母さん(ジェイミー・リー・カーティス)、娘の同性の恋人(タリー・メデル)、オバサンの父親(ジェームズ・ホン)も絡んで、時空を翔けたドタバタが展開されるが、すぐに香港映画の亜流だということに気づき、パラレルワールドもマルチバースと名前を変えただけで目新しくもなく、きっとアメリカ人はそれを知らないからアカデミー賞で7部門も受賞できたのだろうと本気で思ってしまう。
 2時間20分のドタバタに付き合うのが結構辛く、コインランドリー小母さんの中国移民の苦労話やそれゆえに怒りっぽくて精神的に安定せず、歌手やカンフーの夢想と願望があって、それが恐らく彼女の内的マルチバースを形成しているのだろうと、もっともらしく作品を語ることもできるが、やはり次第に飽きてしまう。
 修正申告のために税務署を訪れた小母さんが、それでも病は治っていないオチで締め括られるが、きっと編集が大変だったろうなと、アカデミー編集賞には納得する。 (評価:2)

製作国:韓国
日本公開:2023年2月17日
監督:パク・チャヌク 製作:パク・チャヌク 脚本:パク・チャヌク、チョン・ソギョン 撮影:キム・ジヨン 音楽:チョ・ヨンウク
キネマ旬報:7位

タン・ウェイがいっそ中国の女スパイだったら良かったのに
 原題"헤어질 결심"で、邦題の意。
 釜山の刑事が夫殺しの容疑者の妻に恋し、事故死として処理した後、真相が判明。証拠隠滅をして二人は別れるが、1年後に再婚した女と再会。再び夫が殺され、刑事の関心を引き付ける…といったサスペンス映画。
 刑事(パク・ヘイル)と容疑者の女(タン・ウェイ)とのラブストーリーという変則的な設定だが、シナリオと演出が上手くなくて話の筋がわかりにくい。女は中国からの移民という設定で、女スパイかと期待するとただの移民でしかなく、ただの恋愛話がダラダラと続くので次第に退屈してくる。
 刑事が中国女に惹かれる理由も美人という以外にはよくわからず、お約束の韓流恋愛ドラマがミステリー絡みに軽薄に進んでいくだけで、ケータイが事件のカギを握るお気軽ケータイ小説の域を出ていない。
 タン・ウェイの色気に寄り掛かった作品で、ラストで砂浜に穴を掘って入り、潮が満ちるとともに消えていくタン・ウェイが見どころ。 (評価:2)

私ときどきレッサーパンダ

製作国:アメリカ
日本公開:劇場未公開
監督:ドミー・シー 製作:リンジー・コリンズ 脚本:ジュリア・チョー、ドミー・シー 音楽:ルートヴィッヒ・ヨーランソン

中国人社会は大変だな…という感想しか残らない
 原題"Turning Red"で、赤くなるの意。ピクサー・アニメーション・スタジオ製作の3Dアニメーション。
 2002年のトロントが舞台、主人公は中国系カナダ人少女のメイという、たぶんに中国市場を意識したもので、中国人社会における儒教の孝悌がテーマになっている。
 リー家には先祖を祀る霊廟があり、その掃除のためにメイは自由に友達と遊ぶこともできない。母はメイに孝を強要するばかりでなく、過保護ママとなって私物化し、管理・監視のためなら学校にまで潜入。友達と音楽バンドのコンサートに行くことを許さない。
 そんな中でメイが突如レッサーパンダに変身。実はリー家の女性に遺伝する霊能で、母同様に霊能の封印を試みることになる。もっともメイの霊能はクラスメートに知られることとなり、逆にそれを見世物にしてチケット代を稼ぐことを思いつく。
 ここに母と子の価値観の相違が提示され、メイは母の反対を押し切って霊能を個性の一つにしてしまう。つまり中国社会における孝悌に象徴される儒教的束縛から自らを解放する少女の物語なのだが、中国人ないしは韓国・朝鮮人以外にはピンとこないものがあって、非常に限られた人々を対象とする普遍性のない作品になっている。
 かといって、テーマ以外に見るべきドラマがあるかといえばそれもなく、せいぜいがレッサーパンダに変身する描写しか見どころがなく、21世紀になっても中国人社会は大変だな…という感想しか残らない。 (評価:2)

ギレルモ・デル・トロのピノッキオ

製作国:アメリカ、メキシコ、フランス
日本公開:2022年11月25日
監督:ギレルモ・デル・トロ、マーク・グスタフソン 製作:ギレルモ・デル・トロ、リサ・ヘンソン、ゲイリー・アンガー、アレクサンダー・バークレー、コーリー・キャンポドニコ 脚本:ギレルモ・デル・トロ、パトリック・マクヘイル 撮影:フランク・パッシンガム 美術:ガイ・デイヴィス、カート・エンダーレ 音楽:アレクサンドル・デスプラ

映像的にはファンタスティックな世界観が素晴らしい
 原題"Guillermo del Toro's Pinocchio"で、邦題の意。カルロ・コッローディの"Le Avventure di Pinocchio"が原作。
 何度も映像化されている有名な物語だけに、デル・トロがわざわざ『ピノッキオ』を作る意味とどのようなオリジナリティを入れ込むかが焦点となる。
 第1はストップモーション・アニメで、人形アニメ独特の立体感と動きが見どころで、映像的にはファンタスティックな世界観の素晴らしいものになっている。
 第2は生と死をテーマに置き、何度死んでも生き返る人形としてのピノッキオが、死を手に入れることで生を手にする、人間の子供になることができるという死生観、生きるとは何かということが描かれる。
 第3は背景に戦争が描かれることで、ピノッキオは第一次世界大戦で死んだゼペットの息子の代替となる。ピノッキオは不死身の兵士として徴兵されそうになり、ファシスト党やムッソリーニ、機雷や少年兵の模擬戦などを通じて、戦争の死と対置される平和が説かれる。
 もっとも戦争については意図はさほど明確ではなく、中盤の物語が原作に沿ったものだけに冗長で、約2時間は少々長すぎた。 (評価:2)

アバター ウェイ・オブ・ウォーター

製作国:アメリカ
日本公開:2022年12月16日
監督:ジェームズ・キャメロン 製作:ジェームズ・キャメロン、ジョン・ランドー 脚本:ジェームズ・キャメロン、リック・ジャッファ、アマンダ・シルヴァー 撮影:ラッセル・カーペンター 美術:ディラン・コール、ベン・プロクター 音楽:サイモン・フラングレン

さらなる続編はディズニープラスで十分
 原題"Avatar: The Way of Water"。アバターは化身、副題は水の道の意。
 前作『アバター』(2009)から10年後の惑星パンドラが舞台。ジェイク(サム・ワーシントン)のアバターは、原住民ナヴィの娘ネイティリ(ゾーイ・サルダナ)と結婚し、2男1女を設け、前作オーガスティン博士のアバターが産んだ少女キリ(シガニー・ウィーバー)、クオリッチ大佐(スティーヴン・ラング)の息子スパイダーを養子にしている。
 前作でジェイクに殺された大佐は、ジェイクに復讐するためにナヴィの巨人の姿をしたクローンとして復活。以下、大佐+地球人vsジェイク+家族の戦いとなる。
 序盤は森での戦い、中盤は森を逃れて海のメトケイナ族との生活、終盤は海での戦いとなるが、中盤が長くて相当にダレる。序盤・終盤がアクションシーンの連続に対し、中盤はBBC EARTH 海の生き物たちのドキュメンタリーを見るようで、海中シーンのCGが環境ビデオのように美しく、穏やかというよりは夢心地にさせる。
 スパイダーを除く主要キャラクターがナヴィかナヴィの似姿なので、実写映画なのかアニメーション映画なのか判然とせず、妙に居心地が悪い。
 前作を引き摺ったストーリーながら、仮想現実における精神と実存をテーマにした前作に比べ、家族の絆という凡庸なテーマに腰が抜ける。さらに、ジェイクが家族を守る父親の責任といった古典的家父長制を前面に押し出すために、キャメロンも歳をとって封建的になったものだと感心する。
 それにしてもCGの最新技術を見せるだけにしては3時間12分は長く、さらなる続編はディズニープラスで十分という気にさせる。 (評価:2)

ウーマン・キング 無敵の女戦士たち

製作国:アメリカ
日本公開:劇場未公開
監督:ジーナ・プリンス=バイスウッド 製作:マリア・ベロ、ヴィオラ・デイヴィス、ジュリアス・テノン、キャシー・シュルマン 脚本:ダナ・スティーヴンス

アゴジェの勝利の踊りがミュージカルのようで楽しい
 原題"The Woman King"で、女王の意。
 17〜19世紀、西アフリカのダホメ王国(現在はベナン共和国)に実在した女戦士軍団アゴジェを題材にした物語。
 1923年、ゲゾ王(ジョン・ボイエガ)治下、将軍ナニスカ(ヴィオラ・デイヴィス)率いるアゴジェに入隊する少女ナウィ(トゥソ・ムベドゥ)の成長と、出生の秘密、アゴジェの活躍が描かれる。
 当時、ダホメ国は奴隷貿易を行い隣国オヨ王国に朝貢していたが、ゲゾは独立を宣言、ナスニカのアゴジェがオヨ王国の軍隊を撃破する。
 しかしこの戦闘でナウィが敵の捕虜となり、奴隷として売られそうになるが、ナスニカが奴隷貿易の港を奇襲し、仇敵であるオヨ王国将軍オバ(ジミー・オドゥコヤ)共々白人の奴隷商人たちを壊滅させ、女王の地位を得る。
 ナスニカはかつてオバの捕虜となった際に犯され女の子を産んだが里子に出し、実はナウィがその子だったという母娘の恩讐を交え、最後に和解するというドラマも交えている。
 キャストはほとんど黒人で、一見ブラックスプロイテーション映画かと思わせるが、かつてアフリカにアマゾネス軍団があったことや、奴隷貿易の実態など未知の興味深い内容になっている。
 ゲゾ王と奴隷貿易については若干、ダホメ国を美化しているようだが、アゴジェの勝利の踊りなど、ミュージカルのようで楽しい。 (評価:2)

ベイビー・ブローカー

製作国:韓国
日本公開:2022年6月24日
監督:是枝裕和 脚本:是枝裕和 撮影:ホン・ギョンピョ 音楽:チョン・ジェイル

リアリティに欠けた異国を舞台にした冗長なファンタジー
 原題"브로커"で、ブローカーの意。
 赤ちゃんポストに捨てられた赤ん坊を盗んで養子縁組を斡旋し、謝礼を貰う男の話で、赤ちゃんポストが教会にあるというのが韓国らしい設定。主人公の冴えないクリーニング店主をソン・ガンホが演じ、是枝裕和が監督、カンヌ映画祭に出品されたのが話題となった。
 主人公の相棒(カン・ドンウォン)が捨て子の養護院出身。二人が手に入れた捨て子は、子供のいないヤクザが女(イ・ジウン)に生ませた子で、女はヤクザを殺してしまい、殺人犯の子にしたくないために捨てたというのが理由。心変わりして教会に戻り、ブローカーと斡旋先を探す旅に同行することになる。
 これに、二人の人身売買の現場を押さえて逮捕しようと執拗に追い回す女性刑事2人、相棒が育った養護院の子供が絡むが、物語自体は冗長で、斡旋先が見つからず女性刑事が囮捜査を行う段になって次第に睡魔が襲ってくる。
 『万引き家族』(2018)も同様だが、話題性のある社会問題をテーマに取り上げるために、設定がリアリティに欠けていて、筋運びに無理がある。社会事情や国民性のよくわからない韓国となれば、リアリティがあるのかどうかも良くわからない。これが韓国の監督ならそれなりの説得力を持つのかもしれないが、日本人が韓国人の生活を描くとなると異国を舞台にしたファンタジーにしかならない。
 脚本の出来も良くなく、捨て子の母親と捨てられた子供の両方の視点から描こうとするが、韓国らしい現実主義もテーマを曇らせていて、フランスで撮った『真実』(2019)同様、外国を舞台にすることがグローバルな映画の条件と思い違いをしているように映る。 (評価:2)

魔法にかけられて2

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製作国:アメリカ
日本公開:劇場未公開
監督:アダム・シャンクマン 製作:バリー・ジョセフソン、バリー・ソネンフェルド、エイミー・アダムス 脚本:ブリジット・ヘイルズ 撮影:サイモン・ダガン 音楽:アラン・メンケン

シチュエーション・コメディからスラップスティック・コメディに
 原題"Disenchanted"で、魔法を解かれての意。『魔法にかけられて』(2007)の続編。
 前作から15年が経ち、子連れのロバートと結婚したジゼルに赤ん坊ソフィアが生まれ、一家4人が郊外の町モンロービルの一軒家に引っ越すところから物語は始まる。
 メルヘンな生活に憧れるジゼル(エイミー・アダムス)、ニューヨークの法律事務所に通うロバート(パトリック・デンプシー)、転校が不満のモーガン(ガブリエラ・バルダッチーノ)の3人が新生活をスタートさせるが、町のお局様との関係が上手くいかないジゼルが、魔法で町をお伽の国に変えてしまったことから起きる騒動を描く。
 前作が人間界に迷い込んだお姫様というシチュエーション・コメディだったのに対し、同じ手は使えないためにスラップスティック・コメディとなってしまって面白さは半減。2作目の壁を越えるどころか、弾き返される結果になっている。
 見どころは、丸々と太ったエイミー・アダムスの体型と円熟の演技くらい。モーガンに継母と呼ばれてお伽噺にお約束の悪辣な継母に変わっていく姿と、正気に戻る姿を巧みに演じ分けている。
 ジゼルとモーガンの母娘関係がドラマの軸になっていて、stepmotherと呼んでいたモーガンが最後にmotherと言うハッピーエンドとなっている。 (評価:2)

ファンタスティック・ビーストとダンブルドアの秘密

製作国:アメリカ、イギリス
日本公開:2022年4月8日
監督:デヴィッド・イェーツ 製作:デヴィッド・ハイマン、J・K・ローリング、スティーヴ・クローヴス、ライオネル・ウィグラム、ティム・ルイス 脚本:J・K・ローリング、スティーヴ・クローヴス 撮影:ジョージ・リッチモンド 美術:スチュアート・クレイグ、ニール・ラモント 音楽:ジェームズ・ニュートン・ハワード

冗長と蛇足で贅肉の多いファンタスティック・ビースト
 原題"Fantastic Beasts:The Secrets of Dumbledore"で、幻の動物:ダンブルドアの秘密の意。『ハリー・ポッター』のスピンアウト作品『ファンタスティック・ビースト』の第3作。
 前作から数年後、第二次世界大戦前夜のヨーロッパが舞台で、魔法界のグリンデルバルド(マッツ・ミケルセン)が人間界のヒトラーになぞらえて描かれる。
 ファンタジーに現実との比喩を持ち込むことがファンタジーの興趣を損ねていて、『ファンタスティック・ビースト』シリーズのコンセプトの曖昧さ、迷走ぶりを示している。
 麒麟の出産に立ち会った魔法生物学者スキャマンダー(エディ・レッドメイン)は、目の前で麒麟の子をグリンデルバルド一味に奪われてしまう。グリンデルバルドは麒麟の子を殺し、死体を操って魔法界の指導者を指名させ、その座に就こうとする。
 これを阻止するのがスキャマンダーとダンブルドア(ジュード・ロウ)で、グリンデルバルドの偽計を暴き、生き残った麒麟の双子のもう一頭によって、正しい指導者が選ばれるというラスト。
 後半、展開が冗長でラストは情緒的な蛇足が長く、贅肉の多いファンタスティック・ビーストになっている。 (評価:2)

NOPE ノープ

製作国:アメリカ
日本公開:2022年8月26日
監督:ジョーダン・ピール 製作:イアン・クーパー、ジョーダン・ピール 脚本:ジョーダン・ピール 撮影:ホイテ・ヴァン・ホイテマ 美術:ルース・デ・ヨンク 音楽:マイケル・エイブルズ

UMA肉食怪獣との戦い以外には何のストーリーもドラマもない
 原題"Nope"で、Noのスラング。
 ハリウッドの撮影用の馬を調教している牧場主が、空から降ってきたコインに当たって死亡。跡を継いだ息子(ダニエル・カルーヤ)は父を死なせたのが雲に潜むUFOであることを知る。UFOの写真を撮って高値で売ろうと考え、妹(キキ・パーマー)、カメラ販売員(ブランドン・ペレア)、撮影カメラマン(マイケル・ウィンコット)らとUFOの撮影を企てるが、UFOはなんと肉食で、戦いの末、UFOを破壊。撮影に成功するというお話。
 一見『未知との遭遇』(1977)を連想させるが、宇宙人ほどには友好的でなく、UFOそのものが肉食怪獣。忍者のように霞で身を隠し、その姿は金属円盤のUFOと思いきや、凧のような姿に変身し、目的も正体もよくわからないままに終わる。
 映画前史の馬の歩行の連続写真に騎乗したのは黒人だったという豆知識も披露されるが、UMA肉食怪獣との戦い以外には何のストーリーもドラマもなく、それだけでエンタテイメントと考えるアメリカ人とのセンスの違いを認識させられる。
 牧場主の息子が経営に困って馬を売るテーマパークの興行主に韓国系アメリカ人のスティーヴン・ユァンが出演。 (評価:2)

バズ・ライトイヤー

製作国:アメリカ
日本公開:2022年7月1日
監督:アンガス・マクレーン 製作:ギャリン・サスマン 脚本:ジェイソン・ヘッドリー、アンガス・マクレーン 撮影:ジェレミー・ラスキー、イアン・メギベン 音楽:マイケル・ジアッキノ

定型的で新鮮味がなく『トイ・ストーリー』のかけらもない
 原題"Lightyear"で、主人公の名。『トイ・ストーリー』(1995)シリーズのスピンオフ作品。
 バズ・ライトイヤーは『トイ・ストーリー』の主人公、アンディが所有していたキャラクター玩具の一つ。映画の主人公という設定で、本作はその映画ということになっている。
 バズはスペース・レンジャー隊員で、開拓者を乗せた宇宙船で居住可能な惑星に降り立つが、良い環境ではないために脱出を試みて失敗、船を損傷してしまう。
 仕方なく開拓者たちはコロニーを建設。バズはハイパースペース燃料開発のテストパイロットをするが、相対性理論によって生じる時間差のために、テストを繰り返すうちに惑星の時間経過に大きく後れを取ってしまう…というのが本作のアイディア。
 最後には親友のアリーシャが死んでしまい、惑星はザーグのロボット軍団に占領されてしまう。以下、アリーシャの孫娘らとザーグと戦うことになるが、実はザーグは未来から来たバズと話がややこしくなる。最後はザーグを宇宙の彼方に追いやり、燃料を失ったバズが惑星を故郷にする決意を固めるラスト。
 相対性理論を基にした定型的なストーリーの上に、ラストも予定調和で新鮮味がなく、『トイ・ストーリー』のかけらもない。ディズニー傘下となってからのピクサーの凡庸を示す作品。 (評価:2)


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