海月衛 映画帖
~映画の大海原をたゆたう~

外国映画レビュー──2021年

TITANE チタン

製作国:フランス、ベルギー
日本公開:2022年4月1日
監督:ジュリア・デュクルノー 製作:ジャン=クリストフ・レモン 脚本:ジュリア・デュクルノー 撮影:ルーベン・インペンス 美術:ローリー・コールソン 音楽:ジム・ウィリアムズ
カンヌ映画祭パルムドール

孤独な者同士の絆を描くテクノ版『ローズマリーの赤ちゃん』
 原題"Titane"で、金属のチタンの意。
 一言で言えばテクノ版『ローズマリーの赤ちゃん』(1968)で、悪魔の代わりに『クリスティーン』(1983)のような車の生命体が、主人公のキレ女・アレクシア(アガト・ルセル)を孕ませ、見事にテクノな赤ん坊を出産するという幕切れ。
 物語性を無視した刹那的ストーリーながらも、それが先の読めない不思議な物語性を生み出し、膨れ上がるアレクシアの腹が何を引き起こすのかという緊張感で、崩壊したストーリーを最後まで引っ張るという、アバンギャルドな作品に仕上がっている。
 少女だったアレクシアが頭蓋骨にチタンを埋め込まれる原因となるプロローグが秀逸で、唸り声を出して父親の運転を妨害し、カーステレオの音量を上げられると後ろから運転席に連続キックを浴びせるというキレぶりがいい。その結果、事故が起きて脳を手術されることになるが、そのアレクシアの性格が破綻したストーリーに一貫性を与えることになる。
 チタンを埋め込まれたアレクシアは成人してモーターショーのショーガールとなり、車と絡み合うような扇情的なダンスをする。
 これを見てファンの男が言い寄るのを殺し、さらにはモーターショーの車までが家にやってきて、あろうことかアレクシアはこの車とセックス、妊娠してしまう。
 チタンに身も心も乗っ取られたアレクシアは行きずりの男女を殺し、自宅に放火して両親を焼死。指名手配されると男に変装、10年前に失踪した少年になりすましてその父ヴァンサン(ヴァンサン・ランドン)に引き取られる。
 消防署長をしているヴァンサンも変人で、マッチョな上に老化防止に尻にステロイドを注射。他人と知りつつアレクシアを息子と信じることで精神の均衡を保っている。
 この2人の奇妙な共同生活が続いてついに臨月となり、ヴァンサンが金属の子宮から胎児を取り出すという、疎外された孤独な者同士の絆を描く、不思議な感動と余韻を残す作品になっている。 (評価:3)

アンラッキー・セックスまたはイカれたポルノ

製作国:ルーマニア、ルクセンブルク、チェコ、クロアチア
日本公開:2022年4月23日
監督:ラドゥ・ジューデ 製作:アダ・ソロモン 脚本:ラドゥ・ジューデ 撮影:マリウス・パンドゥル 音楽:フラ・フェリナ、パヴァオ・ミホリェヴィッチ
ベルリン映画祭金熊賞

性だけでなく人種、政治、歴史、宗教をタブーなしに遡上に載せる
 ​原​題​​"​Babardeala cu bucluc sau porno balamuc"で、意味不明​。英題は"Bad Luck Banging or Loony Porn"で、邦題の意。
 ブカレストを舞台にしたブラックコメディで3章構成からなるが、映画の文法を無視した自由な制作姿勢が1970年前後のヌーベルバーグの息吹を感じさせて、現在の停滞している邦画・洋画にはない新鮮さを感じさせる。
 プロローグは主人公の女教師エミ(カティア・パスカリウ)と夫の性描写から始まるが、日本では監督自己検閲版になっていて、映像はパネルで隠されて音声だけが聞こえるという、表現の自由と性行為は猥褻・不道徳かという作品テーマのダイレクトな表現になっている。これは1970年代の日活ロマンポルノにおける神代辰巳のブラックジョークな自己検閲と同じ発想。
 第1章はそのプライベートな自撮りポルノが過って流出してしまい、エミが校長に呼び出されるまでで、新型コロナ下で人々がマスクをした街の様子が描かれる。
 第2章はルーマニアの政治、宗教、文化等をランダムにシニカルにモンタージュしたもので、それに対するコメントが、聖体拝領のスプーンではコロナは伝染しない、といったアイロニカルなものになっていて可笑しい。
 第3章は保護者会でエミの処遇を議論するというもので、性行為は猥褻・不道徳か? という根源的な問いかけから始まり、保護者たちのさまざまな意見が開陳されるが、反ユダヤ主義、ロマへの偏見など人種、政治、歴史、宗教の問題に対してタブーなしに遡上に載せていく。
 ある種、日本では良識に反するとしてタブー視されて回避される問題を含めて、同調圧力に屈しない表現の自由を貫く制作者の姿勢が清々しく、コロナ下にみんながマスクで顔を隠すこと自体を自己抑圧として揶揄しているように思わせる。 (評価:2.5)

製作国:イギリス
日本公開:2021年12月10日
監督:エドガー・ライト 製作:ニラ・パーク、ティム・ビーヴァン、エリック・フェルナー、エドガー・ライト 脚本:エドガー・ライト、クリスティ・ウィルソン=ケアンズ 撮影:チョン・ジョンフン 美術:マーカス・ローランド 音楽:スティーヴン・プライス
キネマ旬報:6位

エリーに怨念を晴らさせた幽霊は誰か?というのが謎
 原題"Last Night In Soho"で、ソーホーの最後の夜の意。ロンドンのソーホーが舞台。
 ファッションデザイナーになるためにロンドン・カレッジ・オブ・ファッションに入学した女子学生エリー(トーマシン・マッケンジー)が主人公で、コーンウォール育ちらしく、幽霊を見る才能を持っている。
 ソーホーの下宿に住むことになるが、1960年代のロンドンに憧れるエリーはその夜、夢の中で当時のソーホーにタイムスリップ。歌手志望のサンディ(アニャ・テイラー=ジョイ)と鏡像のように一心同体となる夢を見るようになる。
 当時のソーホーはナイトクラブやパブが並ぶ歓楽街で、エリーは夢の中で、歌手のまとめ役のジャック(マット・スミス)と知り合ったサンディが枕営業を強要され、娼婦となっていくのを追体験していくことになる。
 この間の幻想的な演出が見どころで、鏡に映るエリーがサンディと入れ替わる映像が良く出来ている。夢はやがて悪夢となり、ジャックに殺されたサンディの怨霊による殺人事件へと発展していくが、ホラー演出が良く出来ていて怖い。
 もちろん最後にどんでん返しが用意されているが、エリーが見た夢がサンディの怨霊によるものではないとすると、霊視能力を備えたエリーに夢を見せて復讐したのは誰か? ということになり、設定上は矛盾を生じている。
 また髪をブロンドに変えたエリーが、悪夢を脱するために髪を元に戻さないというのも変で、シナリオにいくつか穴があるが、それを感じさせないくらいにテンポの良い楽しめる幽霊映画になっている。
 『ベイビー・ドライバー』(2017)同様、1960年代のオールディーズのポップスがノスタルジーを誘うが、#Me Tooのショービジネス版となっているのが現代的。
 下宿の女主人に『女王陛下の007』(1969)のボンドガール、ダイアナ・リグ。 (評価:2.5)

製作国:アメリカ、フランス、カナダ
日本公開:2022年1月21日
監督:シアン・ヘダー 製作:フィリップ・ルスレ、ファブリス・ジャンフェルミ、パトリック・ワックスバーガー、ジェローム・セドゥ 脚本:シアン・ヘダー 撮影:パウラ・ウイドブロ 美術:ダイアン・リーダーマン 音楽:マリウス・デ・ヴリーズ
キネマ旬報:7位 アカデミー作品賞

耳の聴こえない者に歌を聴かせることはできるのか
 原題"CODA"で、"child of deaf adult"(聴覚障害がある親の子供)の略。フランス映画"La Famille Bélier"(ベリエ家;邦題はエール!、エリック・ラルティゴ監督、2014)のリメイク。
 自分以外は聴覚障害者という家庭に育った女子高生ルビー(エミリア・ジョーンズ)の物語。
 ルビーの両親(トロイ・コッツァー、マーリー・マトリン)、兄(ダニエル・デュラント)に聴覚障害の俳優を起用し、半分以上が手話劇の中で、聴覚障害者一家のリアリティのある生活感が大きな特色。健常者との壁、弱者としての面だけでなく、家族の団結、喜怒哀楽、性といった人間的な面をコミカルに描いていて楽しい。
 ルビーは漁師を営む家族にとって、通訳として欠かせない存在。一方、ルビーの歌唱能力に気づいた音楽教師は音楽大学への進学を支援。通訳として家族にとって欠かせない存在でありながら、自分自身の人生のために夢に向かって家族からの独立を図るルビーの葛藤が描かれる。
 ルビーの歌を聴くことのできない家族は、授業の歌唱発表会で周囲の様子から彼女の秀でた能力を知り、夢を諦めたルビーの背中を押して大学の実技試験に送り出す。試験官の前で歌うルビーが、ホールの奥で見つめている家族に気づき、耳の聴こえない家族ために、手話で歌を聴かせるクライマックスが感動的。
 耳の聴こえない者に歌を聴かせることはできるのか、というのがテーマになっている。
 エミリア・ジョーンズの清々しい歌声とともに、父親役のトロイ・コッツァーの演技が際立つ。 (評価:2.5)

製作国:アメリカ
日本公開:2022年2月11日
監督:スティーヴン・スピルバーグ 製作:スティーヴン・スピルバーグ、クリスティ・マコスコ・クリーガー、ケヴィン・マックコラム 脚本:トニー・クシュナー 撮影:ヤヌス・カミンスキー 美術:アダム・ストックハウゼン 音楽:レナード・バーンスタイン 振付:ジャスティン・ペック
キネマ旬報:8位

スピルバーグが残したかった『ウエスト・サイド物語』の完全な姿
 原題"West Side Story"。アーサー・ローレンツの戯曲が原作の同名のブロードウェイ・ミュージカルの2度目の映画化で、シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』が下敷き。
 半世紀以上も過ぎて、なぜ今更スピルバーグが『ウエスト・サイド物語』(1961)をリメイクしたのか疑問だったが、作品を見て氷解した。
 1961年版と見比べると、いくつか大きな違いがある。シャークスを中心とするプエルトリコ人の配役、セット撮影の美術の再現性、ミュージカルの映画化の演出手法。マリアに当時人気絶頂のスター、ナタリー・ウッドを起用したのもその一つかもしれない。
 興行面と人材面からプエルトリコ人をホワイトウォッシングした白人俳優が演じたこと、美術のテクニカルな問題など、さまざまな制約から当時できなかったことをクリアした『ウエスト・サイド物語』の完全な姿をスピルバーグが残しておきたかったように思える。
 映画オタクのスピルバーグだからこそ、古典的な名作だからこそのリメイクに思える。
 中南米の血を引くレイチェル・ゼグラー(マリア)、アリアナ・デボーズ(アニータ)、デヴィッド・アルヴァレス(ベルナルド)等によって『ウエスト・サイド物語』のリアリティは格段に増していて、大掛かりなオープンセットやCGを使った1950年代の開発が進むウェストサイド・マンハッタンも良く再現されている。
 1961年版では歌や踊りはステージ的な演出になっていて、オペラのアリアのように歌唱が終わると踊りやドラマが始まるといった不連続な構成になっている。
 それに対してスピルバーグは映画としてのシーンの連続性を保つように演出していて、動的なカメラワークやカットの切り替えで音楽シーンのドラマ性を強めていて、芝居から歌や踊りに自然に入るようにして両者の親和性を高めている。
 マリアを含めたプエルトリコ人の訛った英語も自然。マリアの可憐さもいい。
 現代のアメリカ社会が抱える人種間の断絶を埋めるべく、前作にはないドクの妻でプエルトリコ人のバレンティーナ(リタ・モレノ)をキーウーマンに登場させ、クラプキ巡査(ブライアン・ダーシー・ジェームズ)のプエルトリコ人に対する差別的な発言をカットするなど、スピルバーグらしいテーマ性も忘れていない。
 総じて歌も踊りもグレードアップしているが、アリアナ・デボーズの踊りは必見。トニー(アンセル・エルゴート)の歌唱もいい。 (評価:2.5)

製作国:アメリカ
日本公開:2022年1月14日
監督:クリント・イーストウッド 製作:クリント・イーストウッド、アルバート・S・ラディ、ティム・ムーア、ジェシカ・マイアー 脚本:ニック・シェンク、N・リチャード・ナッシュ 撮影:ベン・デイヴィス 美術:ロン・リース 音楽:マーク・マンシーナ
キネマ旬報:4位

芝居は無理だとイーストウッドに言える者は誰もいないのか
 原題"Cry Macho"で、叫ぶマッチョの意。マッチョは登場する鶏の名。N・リチャード・ナッシュの同名小説が原作。
 1978年。テキサスの元カウボーイ、マイク(クリント・イーストウッド)が、恩人の牧場主に(ドワイト・ヨアカム)に頼まれて、メキシコにいる息子ラファエル(エドゥアルド・ミネット)を連れ帰るという物語。
 牧場主の妻レタ(フェルナンダ・ウレホラ)は放埒な上に息子を虐待し、ラファエルは家出中。闘鶏場でラファエルを見つけたマイクはテキサスに連れ返そうとするが、レタが愛人を使って妨害。
 国境の町のレストランの女主人マルタ(ナタリア・トラベン)に匿ってもらううちに愛が芽生えるというロードムービー。
 平板なストーリーで特に面白いわけではないが、ナタリア・トラベンの名演に支えられ、それなりに飽きない作品になっているイーストウッドの映画作りは流石。エドゥアルド・ミネットの演技、『スリー・ビルボード』(2017)、『イニシェリン島の精霊』(2022)のカメラマン、ベン・デイヴィスの映像も印象的。
 最大の難点は、90歳を超える主演・クリント・イーストウッドで、見た目にも歩くのがやっとのヨボヨボなのに強い男を演出するために編集で誤魔化し、なんと吹き替えでロデオまでやってしまう。
 撮影時52歳のナタリア・トラベンに支えられながらチークダンスを踊り、キスをして恋までしてしまうのは不自然を超越していて、芝居は無理だとイーストウッドに進言できる者は誰もいないのかと何度も溜息をついてしまう。 (評価:2.5)

製作国:アメリカ
日本公開:2022年7月1日
監督:ポール・トーマス・アンダーソン 製作:サラ・マーフィ、ポール・トーマス・アンダーソン、アダム・ソムナー 脚本:ポール・トーマス・アンダーソン 撮影:マイケル・バウマン、ポール・トーマス・アンダーソン 美術:フロレンシア・マーティン 音楽:ジョニー・グリーンウッド
キネマ旬報:1位

少年を相手に性的接触を忌避する様子が可笑しい
 原題"Licorice Pizza"で、1970年代に南カリフォルニアにあったレコード・チェーンの店名。作品の舞台設定が1973年で、当時の曲を中心に多数の懐メロが使われている以外、内容には関係ない。
 懐メロをBGMにして70年代を懐かしむノスタルジー映画で、15歳の少年と25歳の女のラブストーリーを軸に進んでいくが、退屈しない程度にシナリオが纏まっている以外、ドラマ的には特筆すべきものもなく、主演の二人もさほど魅力的でもなく、暇つぶし程度の作品にしかなっていない。
 敢えて見どころを探すと、ロサンゼルス郊外の街並みを行き交う多数のクラシックカーを揃えたことで、もう一点はアラナがトラックで坂道を逆走するシーン。アラナ役のアラナ・ハイムが特訓して実演したと答えているが、ロングショットは吹替かもしれない。
 高校生俳優のゲイリー(クーパー・ホフマン)がアラナを見染め、理想の結婚相手と猛アタック。未成年者との性交は犯罪になるため、アラナが性的接触を忌避する様子が可笑しい。
 アラナの夢は女優で、ゲイリーとの交際をきっかけに映画のオーディションで有名俳優、有名監督と知り合うが、ゲイリーとの関係は紆余曲折があり、アラナが応援する市長候補のインサイダー情報を巡って二人が仲違い。最後は仲直りして結婚宣言をするが、それまでの危うい関係からは、取り敢えずのハッピーエンドにしか見えない。
 日本食レストラン・ミカド、ウォーターベッド、石油危機、ピンボールと当時のエピソードを知る者には面白いが、事情を知らないとどうなのか。
 ウィリアム・ホールデン、ショーン・ペンらをモデルにした映画関係者も登場。ユダヤ人や日本人も戯画化されているが、基本はコメディ。 (評価:2.5)

製作国:イギリス
日本公開:2022年3月25日
監督:ケネス・ブラナー 製作:ローラ・バーウィック、ケネス・ブラナー、ベッカ・コヴァチック、テイマー・トーマス 脚本:ケネス・ブラナー 撮影:ハリス・ザンバーラウコス 美術:ジム・クレイ 音楽:ヴァン・モリソン
キネマ旬報:7位

北アイルランドの分断をテーマに描く20世紀型ヒューマン・ストーリー
 原題"Belfast"で、北アイルランドの中心都市名。
 1969年のベルファストが舞台で、北アイルランド紛争前夜のプロテスタントとカトリックの対立が激化していく様子をケネス・ブラナーの少年時代の体験を基に描く。
 映画好きの9歳の少年というケネス・ブラナーを投影した少年バディ(ジュード・ヒル)が、宗教対立と政治という大人たちの事情に巻き込まれる一方で、同級生のカトリック家庭の少女キャサリン(オリーヴ・テナント)に恋するという、これもケネス・ブラナーらしい少年の目を通した社会の断絶という現代的なテーマに迫る。
 迫害されるカトリックの目から見たアイルランド紛争を描く作品が多い中で、プロテスタント側のそれも融和を願う穏健派から見たアイルランド問題というのが本作の見どころ。
 貧しさのためにロンドンに出稼ぎに出る父(ジェイミー・ドーナン)が、カトリックとの共存を願うが故に過激化するプロテスタントから孤立し、生活の安定と家族の安全のためにロンドンに移住するまでが描かれるが、ベルファストの街や祖母(ジュディ・デンチ)、友人たちとの別れが郷愁を引き摺る。
 善良なバディの一家と、孫に人生訓と処世術を語る祖父(キアラン・ハインズ)という20世紀型ヒューマン・ストーリーの典型を行くが、良く出来たシナリオとテーマのわかりやすさで飽きさせない。 (評価:2.5)

製作国:アメリカ、イギリス、ニュージーランド、カナダ、オーストラリア
日本公開:2021年11月19日
監督:ジェーン・カンピオン 製作:ジェーン・カンピオン、イアン・カニング、ロジャー・フラッピアー、ターニャ・セガッチアン、エミール・シャーマン 脚本:ジェーン・カンピオン 撮影:アリ・ワグナー 美術:グラント・メイジャー 音楽:ジョニー・グリーンウッド
キネマ旬報:8位
ゴールデングローブ作品賞

思わせぶりながら犯罪ミステリー以上にはなっていない
 原題"The Power of the Dog"で、犬の力の意。トーマス・サヴェージの同名小説が原作。
 タイトルは主人公の青年ピーターが、牧場主フィルの死に際して祈祷する旧約聖書・詩篇22の引用、"Deliver my soul from the sword; my darling from the power of the dog."(私の魂を剣から、私の命を犬の力から助け出してください)から。
 牧場から見える山容が、フィル、ピーター、フィルの師ブロンコ・ヘンリーには共通して犬に見え、それが男らしさへの憧憬と同性愛を暗喩している。
 1925年、モンタナ州の牧場が舞台。自殺で夫を亡くした母ローズ(キルスティン・ダンスト)を息子ピーター(コディ・スミット=マクフィー)が護る決心を語るモノローグから始まる。
 弟ジョージ(ジェシー・プレモンス)と牧場を共同経営するフィル(ベネディクト・カンバーバッチ)は、弟がローズに熱を上げ結婚するのを快く思わず、ピーターの学費が目当ての女狐だと小舅苛めをし、ローズはアルコール依存症に陥る。
 夏休みに牧場に帰って来たピーターは、フィルがブロンコ・ヘンリーに同性愛を感じていたことを知り、同時にフィルと親しくなる。ピーターへのプレゼントにフィルが編んでいるロープを完成させるため、ピーターは死んだ牛から剥いだ生皮をフィルを提供するが、これが原因でフィルは炭疽病で死んでしまう。
 ピーターは医学生で、フィルの死が母を護るための故意であったと推測できるが、フィルとブロンコ・ヘンリーとの関係を含めて全体が曖昧な描写になっていて、何を描こうとしたのかが判然としない。
 フィルもイェール大学出のエリートなのに、なぜ牧場経営を選んだのか、それがブロンコ・ヘンリーへの憧憬或いは同性愛のためなのか、粗野に振る舞うのは同性愛隠し或いは男らしさの呪縛なのか、弟との関係は? と疑問が尽きず、犬の力と思わせぶりながら犯罪ミステリー以上には伝わってこない。 (評価:2.5)

あの夏のルカ

製作国:アメリカ
日本公開:劇場未公開
監督:エンリコ・カサローザ 製作:アンドレア・ウォーレン 脚本:ジェシー・アンドリューズ、マイク・ジョーンズ 音楽:ダン・ローマー

人間と半魚人の和解と共存を描く良質なファンタジー
 原題"Luca"で、主人公の名。ピクサー・アニメーション・スタジオ製作の3Dアニメーション。
 1959年夏、北イタリア、リビエラを舞台に、半魚人ルカのファンタスティックな冒険を描く。
 海底に棲む半魚人は、人間からは海の怪物(sea monster)と呼ばれ、恐れられているが温和な種族。その少年ルカが仲間の孤児アルベルトと知り合い、半魚人が陸に上がると人間と同じ姿になることを知る。
 人間の生活を知り、オートバイに憧れる二人は、港町ポルトロッソに行き中古バイクを手に入れるために、知り合った人間の少女ジュリアと共に賞金レースに出場するというのが大まかなストーリー。
 二人は半魚人であることを知られないように水を避けるが、ついにジュリアにバレてしまう。トライアスロンに似た賞金レースは、水泳と自転車とスパゲッティ喰いで構成されるが、出場を決めたルカが如何にして水泳をクリアするかが見どころ。
 最後は雨が降って半魚人であることがバレてしまうが、ジュリアとシー・モンスター・ハンターの父親が町の人からルカを守ってくれる。
 テーマ的には第45代アメリカ大統領ドナルド・トランプによって鮮明化した人種の分断と対立にジャスト・ミートするもので、半魚人を海の怪物として敵視するポルトロッソの人々との和解と共存を描く。
 シー・モンスターも人間と同じように生きることができるのかと問うルカが、ジュリアと共に学校に通うためにジェノヴァに旅立つシーンで終わる。
 レース後、ポルトロッソの人々が無条件に半魚人を受け入れてしまうのが不自然だが、人々の和解を描く心温まるファンタジーの前には些細な問題でしかない。
 ピクサーらしい美しいな映像が見どころで、良質なファンタジーに仕上がっている。 (評価:2.5)

製作国:アメリカ
日本公開:2021年10月1日
監督:マイケル・チャベス 製作:ジェームズ・ワン、ピーター・サフラン 脚本:デヴィッド・レスリー・ジョンソン=マクゴールドリック 撮影:マイケル・バージェス 美術:ジェニファー・スペンス 音楽:ジョセフ・ビシャラ

目的はトンデモ裁判の顛末ではなくウォーレン夫妻の悪魔祓い
 原題"The Conjuring: The Devil Made Me Do It"で、霊の召喚:悪魔が私にそれをさせたの意。
 1981年に起きた "Devil Made Me Do It"事件を基に描いた映画で、関係者は実名で登場している。邦題が秀逸だが、裁判は有罪になっている。
 シリーズ主人公の心霊研究家、ウォーレン夫妻(パトリック・ウィルソン、ヴェラ・ファーミガ)が悪魔憑きの少年を除霊したところ、悪魔は居合わせた少年の姉の恋人アーニーに取り憑いてしまい、殺人を犯させてしまう。
 アーニーは裁判にかけられるが、犯人は悪魔でアーニーは無実を主張し、その立証のためにウォーレン夫妻が駆けずり回るという話になっている。
 ウォーレン夫妻の調査によれば、悪魔を召喚したのは悪魔祓いの元司祭(ジョン・ノーブル)の娘。父の研究に影響されて悪魔崇拝者となっていた。真相を突き止めた夫妻が元司祭の家に乗り込み、悪魔召喚の祭壇を破壊。元司祭の娘は悪魔に殺されてしまうという顛末。
 この調査が判決に影響を与えたのかどうかは曖昧で、極刑を免れた理由も明かされないが、トンデモ裁判を描くのが目的ではなく、あくまでオカルトホラーが主目的なので、悪魔祓いが成功してメデタシメデタシとしなければいけない。 (評価:2.5)

ラーヤと龍の王国

製作国:アメリカ
日本公開:2021年3月5日
監督:ドン・ホール、カルロス・ロペス・エストラーダ 製作:オスナット・シューラー、ピーター・デル・ヴェッコ 脚本:クイ・ヌエン、アデル・リム 音楽:ジェームズ・ニュートン・ハワード

ペットの虫は王蟲というよりはダンゴムシに似ていて可愛い
 原題"Raya and the Last Dragon"で、ラーヤと最後の龍の意。ウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオの3Dアニメーション。
 人々が聖なる龍に守られている古代アジアで、ドルーンと呼ばれる煙の怪物に石化された人々を救うために龍が身代わりとなって石化されてしまったという設定のファンタジーで、500年後、再び人々はドルーンに襲われる。
 少女ラーヤは首長の父とともに聖龍の魂が宿る石を守護していたが、他の4つの国の首長に石を破壊され持ち去られてしまう。まず初めに残された石の破片で聖龍を目覚めさせ、聖龍と共に残りの石の破片を集め、魂を取り戻した聖龍の力によってドルーンを退治し、石化された父と世界を元に戻すというもので、基本はRPGの世界観とストーリー。
 見どころは舞台がアジアということで、キャラクター・デザインがアジア人に造形されていること。さらに言えば、髪型が中国人風で、たぶんに中国市場を意識したものになっている。
 話自体はラーヤと聖龍、ペットの虫との掛け合いがコミカルで、そこそこに面白い。ただ、後半の戦いがシリアスな展開に移るとコミカルさが消え、定型的なアクションとなって飽きてくるのが今一つ。
 ペットの虫は『風の谷のナウシカ』(1984)の王蟲に似ているという指摘もあるが、王蟲というよりはダンゴムシに似ていて可愛い。 (評価:2.5)

フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ、カンザス・イヴニング・サン別冊

製作国:アメリカ
日本公開:2022年1月28日
監督:ウェス・アンダーソン 製作:ウェス・アンダーソン、スティーヴン・レイルズ、ジェレミー・ドーソン 脚本:ウェス・アンダーソン 撮影:ロバート・イェーマン 美術:アダム・ストックハウゼン 音楽:アレクサンドル・デスプラ

フランス小噺のように機知とユーモアに富むアーティスティックな作品
 原題"The French Dispatch of the Liberty, Kansas Evening Sun"で、架空の雑誌の名。架空の新聞ザ・リバティ、カンザス・イヴニング・サン紙の雑誌『ザ・フレンチ・ディスパッチ』(フランス支局)という意味。
 アメリカの雑誌『ザ・ニューヨーカー』の元編集長ハロルド・ロスをオマージュしたもので、記者にはそれぞれモデルがいる。
 『ザ・フレンチ・ディスパッチ』編集長(ビル・マーレイ)が死亡し、遺言に従って最終号を発行するという設定で、4つの記事と訃報で構成する。
 ウェス・アンダーソンらしい絵本のような映像とコミカルなストーリー、演出でシュールな作品になっているが、そのセンスとテンポに付いていくのが少々しんどい。
 記事は編集部のある架空の町を自転車で紹介する”The Cycling Reporter”(自転車レポーター)、”The Concrete Masterpiece”(コンクリートの傑作)、カリスマとなった学生運動家の顛末”Revisions to a Manifesto”(宣言書の改訂)、名シェフが誘拐された警察署長の息子を助ける事件簿”The Private Dining Room of the Police Commissioner”(警察本部長の食事室)の4つ。
 フランス小噺のように機知とユーモアに富み、文化の薫るウェス・アンダーソンらしいアーティスティックな作品となっているが、見終わって残るものがほとんどない。 (評価:2)

ハウス・オブ・グッチ

製作国:アメリカ
日本公開:2022年1月14日
監督:リドリー・スコット 製作:リドリー・スコット、ジャンニーナ・スコット、ケヴィン・J・ウォルシュ 脚本:ベッキー・ジョンストン、ロベルト・ベンティヴェーニャ 撮影:ダリウス・ウォルスキー 美術:アーサー・マックス 音楽:ハリー・グレッグソン=ウィリアムズ

殺害の顛末以外に何が描きたかったのかよくわからない
 原題"House of Gucci"で、グッチ家の意。サラ・ゲイ・フォーデンのノンフィクション"The House of Gucci: A Sensational Story of Murder, Madness, Glamour, and Greed"が原作。
 1995年のマウリツィオ・グッチ殺害事件を基に、マフィアに殺害を依頼した妻パトリツィアとの結婚から殺害までのグッチ家の経営権争いが描かれる。
 マウリツィオ(アダム・ドライバー)が殺害される直前のシーンから始まり、パトリツィア(レディー・ガガ)の回想形式で二人の馴れ初めへと遡るが、全体に説明不足な上に冗長で、見直さないと話がよくわからない、それでもよくわからない、という残念な作品になっている。
 パトリツィアが1970年の何かのパーティで偶然マウリツィオと知り合い、付け狙ってマウリツィオをモノにし、マウリツィオの父ロドルフォ(ジェレミー・アイアンズ)の反対を押し切って結婚してしまう。伯父でグッチの社長アルド(アル・パチーノ)に取り入り、マウリツィオを次期社長にすべく画策。ロドルフォの死後、アルドと息子パウロ(ジャレッド・レト)を陥れ、経営権の獲得を目指す。
 ところがマウリツィオもまた司直に追われて海外逃亡することになり、パトリツィアに愛想を尽かして女友達のパオラ(カミーユ・コッタン)と同棲。離婚を言い渡されて、パトリツィアは財産を乗っ取るために夫殺害を計画。経営能力に欠けて会社を手放したマウリツィオが殺され、グッチ帝国は崩壊してしまう…という結末。
 ラストは長期刑を言い渡されたパトリツィアが、グッチ夫人と呼ぶように叫ぶシーンで終わる。
 要はパトリツィアのグッチ支配の野望と挫折を描く作品なのだが、シナリオ・演出が悪いのか、はたまたガガ様では役不足だったのか、パトリツィアがただの強欲女なのか、はたまた夫を手玉に取る遣り手女なのか、人物像が明確になっていない。
 同様にマウリツィオが女に騙されるアホなボンボンにしては、アダム・ドライバーが馬鹿に見えないのも、ドラマの方向性をグッチ家同様に迷走させている。
 殺害の顛末以外に何が描きたかったのかよくわからないが、グッチが題材だけにファッションが見どころか。 (評価:2)

秘密の森の、その向こう

製作国:フランス
日本公開:2022年9月23日
監督:セリーヌ・シアマ 製作:ベネディクト・クーヴルール 脚本:セリーヌ・シアマ 撮影:クレール・マトン 音楽:ジャン=バプティスト・ドゥ・ロビエ

詩情に流れ過ぎていてファンタジーなのか現実の話なのか混乱する
 原題"Petite maman"で、小さなママの意。
 解説によれば、祖母を亡くした8歳の女の子ネリーが両親と共に森の中にある母方の祖母の家の後片付けに訪れるが、悲しみに耐えきれなくなった母が帰ってしまう。父と共に取り残された女の子が森の中で遊んでいると、自分によく似た少女に出会い、彼女の家に遊びに行くようになるが、その家が祖母の家とそっくりで、少女が母と同じ名のマリオンだと知る。
 マリオンは母との二人暮らしで、入院を控えているマリオンは、病気が心配でならない。自分が母の少女時代に来ていると気づいたネリーは、マリオンに自分はあなたの未来の子だと信じるように言い、入院しても無事家に帰れると伝える。病院にマリオンを送り出したネリーが祖母の家に戻ると、母が戻ってきているという物語。
 ネリーと少女のマリオンを演じるのがジョセフィーヌ・サンスとガブリエル・サンスの双子で、顔が微妙に違ってはいるものの無口な子供の演技のため、ストーリー設定を知らないとファンタジーなのか現実の話なのか混乱する。
 監督の意図を慮れば、家の後片付けをしながら祖母との思い出に胸が締め付けられ、耐えきれなくなった母が家を出てしまい、その母と祖母との思い出をネリーが幼少の母と出会うことによって追体験し、母の悲しみを理解するということになるが、少女マリオンが森に造る木の枝を集めた小屋や、池の真ん中に建つピラミッドなどの説明がないために、詩情に流れ過ぎていてエピソードとして深まっていない。
 狐に摘ままれたままラストシーンを迎えるが、73分と短く、エピソードを膨らませることができたと思えるだけに、ファンタジーとはいえもう少しわかりやすさが欲しかった。 (評価:2)

マトリックス レザレクションズ

製作国:アメリカ
日本公開:2021年12月17日
監督:ラナ・ウォシャウスキー 製作:ジェームズ・マクティーグ、ラナ・ウォシャウスキー、グラント・ヒル 脚本:ラナ・ウォシャウスキー、デイヴィッド・ミッチェル、アレクサンダル・ヘモン 撮影:ダニエレ・マッサチェージ、ジョン・トール 美術:ヒュー・ベイトアップ、ピーター・ウォーポル 音楽:ジョニー・クリメック、トム・ティクヴァ

三部作で完結しているのに4作目を作る失敗の轍
 原題"The Matrix Resurrections"で、マトリックス復活の意。matrixは母体の意で、本シリーズでは仮想現実世界を生みだしているシステムをマトリックスと呼んでいる。原題のresurrectionsは複数形で、ネオとトリニティーの二人を指している。
 "The Matrix"三部作(1999-2003)の続編で、ラナはラリー・ウォシャウスキーの性転換後の名前。
 『マトリックス レボリューションズ』で死んだネオ(キアヌ・リーブス)とトリニティー(キャリー=アン・モス)の二人がマシンによって蘇生されていたという設定で、ネオはビデオゲーム『マトリックス』の開発者として過去の記憶をゲームのシナリオだと思い込まされている。一方、トリニティーはティファニーと名を変え、幸せな家庭を築いている。
 この二人がカフェで出会い、赤い糸で結ばれていることに気づき、ティファニーはゲーム『マトリックス』を知ってトリニティーの心を取り戻していく。
 この世界では、人間とマシンが融和して平和的に共存しているが、モーフィアス(ヤーヤ・アブドゥル=マティーン2世)や新キャラ・バッグス(ジェシカ・ヘンウィック)によってネオが現実世界に引き戻され、ゲーム『マトリックス』が現実のものだったことを知るという展開。
 ネオに度々起きる過去の記憶のフラシュバックを幻覚だとして治療する精神科医アナリスト(ニール・パトリック・ハリス)や、エージェント・スミス(ジョナサン・グロフ)も絡んで、ネオとトリニティーの覚醒をマシン側が阻むが、アナリストがマトリックスの管理者であるのに対し、スミスがネオを助けるのが可愛い。
 ストーリーがわかりにくいのと、戦いに入ってからの描写に既視感があって退屈するのが致命的。
 前半で、ゲーム『マトリックス』の4作目の制作を強要するワーナー・ブラザーズに対し、ネオが三部作で完結していると反対したり、企画会議で1作目は良かったが後はダメとか、新作のコンセプトにリブートやリメイクはないという意見が出て、本作そのものを楽屋落ちのパロディにしているのが可笑しい。 (評価:2)

ナイトメア・アリー

製作国:アメリカ
日本公開:2022年3月25日
監督:ギレルモ・デル・トロ 製作:ギレルモ・デル・トロ、J・マイルズ・デイル、ブラッドリー・クーパー 脚本:ギレルモ・デル・トロ、キム・モーガン 撮影:ダン・ローストセン 美術:タマラ・デヴェレル 音楽:ネイサン・ジョンソン

ホームズ張りの推理で手品師より探偵になった方が良かった
 原題"Nightmare Alley"で、悪夢の路地の意。ウィリアム・リンゼイ・グレシャムの同名小説が原作。
 1939年から物語が始まる。浮浪者のスタン(ブラッドリー・クーパー)はクレム(ウィレム・デフォー)が主宰する見世物小屋で職を得、親しくなったピート(デヴィッド・ストラザーン)から読心術の手品を学ぶ。恋仲になった小屋のモリー(ルーニー・マーラ)と独立。バッファローのショーで霊媒者として成功するが、心理学者のリッター博士(ケイト・ブランシェット)に手品であることを見抜かれてしまう。
 リッター博士は金持ち患者の情報提供を条件にスタンを研究材料にすることを提案。モリーの反対にも拘らずピートに禁止されていた交霊術で儲け始める。
 最後はそれがバレて殺人を犯し、モリーが去り、リッター博士に騙され、最後はアル中の浮浪者に身を落とす。
 浮浪者を騙して獣人に仕立てる見世物があり、スタンがそれを承知で獣人にスカウトされるという因果応報のオチで、その教訓を描くために2時間半、延々とつまらないストーリーを見せる。
 因果応報以外に取り立ててドラマがあるわけでも、ストーリーが面白いわけでもなく、キャストがちょっと豪華という以外には、だからどうしたという内容のない物語と結末。
 読心術の手品もシャーロック・ホームズ張りの独創的な推理で、手品師よりも探偵になった方がいいくらい。
 金が掛かっているという以外にこれといった見どころもなく、『悪魔の往く町』(1947、劇場未公開)をリメイクした意義が見い出せない。 (評価:2)

製作国:フランス、ドイツ、ベルギー、日本
日本公開:2022年4月1日
監督:レオス・カラックス 製作:シャルル・ジリベール、ポール=ドミニク・ヴァシャラサンチュ、アダム・ドライヴァー 脚本:ロン・メイル、ラッセル・メイル、レオス・カラックス 撮影:カロリーヌ・シャンプティエ 美術:フロリアン・サンソン 音楽:スパークス
キネマ旬報:5位

一番の見どころは幼女アネットの子役の舌の回らない演技
 原題"Annette"で、登場人物の名。
 冒頭、終わりまで静かに息を殺して観るようにという口上が予感させるように、欠伸の止まらないミュージカル映画。
 ロック・オペラと謳われるが、音楽的にも映像的にもロックしてなく、『ファントム・オブ・パラダイス』(1974)、『ロッキー・ホラー・ショー』(1975)ほどにはぶっ飛んでいない。
 口上の後、録音スタジオからロスの街に出ていく群舞というワンショットの長回しから始まるが、『ラ・ラ・ランド』(2016)を模倣しているような二番煎じ。
 以下、物語が始まって、人気スタンドアップ・コメディアンのヘンリー(アダム・ドライバー)が、オペラ歌手のアン(マリオン・コティヤール)を見染めて結婚。生まれたのが娘アネットで、人形なのかCGなのかわからないが、人間の赤ん坊が使えないからだろうと思っていると、終盤、人間の女児(デヴィン・マクダウェル)が登場して、意図的にマリオネットを使っていたらしいことがわかるが、その意図は不明。子供は親の操り人形ではないということか。
 アンは売れっ子となって海外公演、一方のヘンリーは生活の疲れでギャグも不調、凋落していく。関係修復のクルージングで、酔ったヘンリーが過ってアンを転落死させてしまい、アンの幽霊が復讐のためにアネットに歌を歌わせ…と展開。アネットが自分を利用した両親と訣別して終わる。
 ストーリーは凡庸で音楽的にも収穫はなく、見どころはといえばアダム・ドライバーが歌うことと、さして面白くもないスタンドアップ・コメディの芸を披露すること。
 一番の見どころは、幼女アネットを演じるデヴィン・マクダウェルが、回らない舌で一所懸命演技するところか。 (評価:2)

最後の決闘裁判

製作国:アメリカ
日本公開:2021年10月15日
監督:リドリー・スコット 製作:リドリー・スコット、ケヴィン・J・ウォルシュ、ジェニファー・フォックス、ニコール・ホロフセナー、マット・デイモン、ベン・アフレック 脚本:ニコール・ホロフセナー、ベン・アフレック、マット・デイモン 撮影:ダリウス・ウォルスキー 美術:アーサー・マックス 音楽:ハリー・グレッグソン=ウィリアムズ

女たちがアダム・ドライバーを美男と称賛するのに吹き出す
 原題"The Last Duel"で、最後の決闘の意。エリック・ジェイガーのノンフィクション"The Last Duel: A True Story of Trial by Combat in Medieval France"(最後の決闘:中世フランスでの決闘による裁判の実話)が原作。
 1386年に行われた決闘による裁判の顛末を描いた作品で、ノルマンディーの騎士ジャン・ド・カルージュがスコットランド遠征の留守中に、元親友の従騎士ル・グリに妻を強姦されるが、領主のピエール伯がル・グリを庇護して無実となったためにパリのシャルル6世に直訴。決闘による神の裁定に任せることになるというもの。
 プロローグは決闘から始まり、事件の背景と顛末に戻るという倒置法。ジャン(マット・デイモン)とル・グリ(アダム・ドライバー)は親友で共に領主ピエール伯の家来を命じられる。教養のあるル・グリはピエール伯に重用されるが、粗野なジャンは冷遇され前線へ。妻マルグリット(ジョディ・カマー)に横恋慕するル・グリが強姦する。
 この事件を巡り、ジャンの視点、ル・グリの視点、マルグリットの視点から同じストーリーが3回繰り返されるが、それぞれの視点にさほど相違がないため、話が相当にダレる。
 姦通罪になるためル・グリは事実そのものを否定するが、上訴審では強姦か和姦かと争点がずれているのも話が変。妊娠にはエクスタシーが必要というのが当時の科学らしく、夫とは5年間妊娠しなかったマルグリットが、ル・グリとの交合で妊娠したのはエクスタシーを感じたからという、姦通を前提とした話になっている。
 決闘前にマルグリットが出産するが、どちらの子かまったく話題に出ないのもシナリオが杜撰。
 さらには、決闘でル・グリが勝った場合には、神の裁定でマルグリットが偽証していたことになり、焚刑に処せられることになる。マルグリットを愛しているル・グリがわざと負けるのが本筋なのに、勝つ気満々でいるのもドラマとしての興趣に欠ける。
 #MeTooがテーマになっているのと、最後の決闘シーン以外に見どころがない作品なのだが、女たちが揃いも揃ってアダム・ドライバーをハンサムと称賛するのにも吹き出しそうになる。 (評価:2)

マリグナント 狂暴な悪夢

製作国:アメリカ
日本公開:2021年11月12日
監督:ジェームズ・ワン 製作:ジェームズ・ワン、マイケル・クリアー 脚本:アケラ・クーパー 撮影:マイケル・バージェス 美術:デズマ・マーフィ 音楽:ジョセフ・ビシャラ

意識だけでなく肉体も飛んでしまうのが不可解
 原題"Malignant"で、悪性の意。
 一言でいえば『寄生獣』(2014~15、漫画原作)で、双子の兄が生まれながらにもう一人の妹に寄生していたという、シャム双生児の発展形のホラー映画。
 ブライアン・デ・パルマの『悪魔のシスター』(1972)では死んだ妹の意識が姉に乗り移っていたが、本作では脳と体を支配。背面に顔と手が付いているという畸形。しかもほとんど超能力者で、医師団の手に負えないパワーを発揮するため兄の脳を切除したものの、妹の生命維持のために一部が残り、それを封じたという設定。
 成長した妹(アナベル・ウォーリス)が夫のDVで頭を割られたことから兄が復活。自分を亡き者にした医師団、母親に復讐する。
 この復讐が超常的で、妹の意識だけが復讐を受ける者の家に飛び、兄の復讐を目撃するのだが、妹の体に寄生している兄の体が、一体どうやって飛んで行ったのかがわからない。そこが超常的なのか超能力なのか説明されないため、どうにも不可解な疑問として残る。
 最後は妹が兄の意識を封じ込め、血の繋がらない妹と家族の絆を確かめ合うというハッピーエンドで終わる。
 如何にもなホラー的設定で、如何にもなストーリー展開なので、途中で飽きて眠くなるのがホラーとしては残念な作品。 (評価:2)

ゴジラvsコング

製作国:アメリカ
日本公開:2021年7月2日
監督:アダム・ウィンガード 製作:メアリー・ペアレント、アレックス・ガルシア、エリック・マクレオド、トーマス・タル、ジョン・ジャシュニ、ブライアン・ロジャーズ 脚本:エリック・ピアソン、マックス・ボレンスタイン 撮影:ベン・セレシン 美術:オーウェン・パターソン、トーマス・S・ハモック 音楽:トム・ホルケンボルフ

コングが手話を話せるというのが新しいアイディア
 原題"Godzilla vs. Kong"。
 『GODZILLA ゴジラ』(2014)から始まるモンスター・ヴァースの4作目で、ゴジラとキングコングの対決という1962年『キングコング対ゴジラ』を髣髴させてキワモノっぽい。
 1962年の因縁か、ゴジラから守るためにコングを髑髏島に隔離。地球内に怪獣たちの故郷である空洞があって、そこに怪獣たちのエネルギー源があるらしいから、南極の穴からコングの帰巣本能を利用して調査に行こう! とわけのわからない話が始まる。
 地球内に別世界があるとか、重力が逆転するとかSFを超越した妄想に呆気にとられる一方、フロリダのロボット企業がゴジラに襲われ、俺たちがやらなきゃ誰がやる! となぜかロボット企業の秘密を探っている連中が潜入。フロリダから香港に高速輸送の地下トンネルができていて、この妄想に付き合って香港に行く。
 するとゴジラが暴れた原因が、ロボット企業が香港で内緒に作ったメカゴジラにあることがわかって、地下故郷で謎の古代パワーを得たコングもやってきて三つ巴の戦いとなる。
 第1戦はゴジラvsコングで、ゴジラの勝ち。第2戦はゴジラvsメカゴジラで、メカゴジラ優勢。そこで、コングの小さなお友達ジアが敵の敵は味方と教え、ウイスキーの力も借りてメカゴジラを倒し、延長戦はゴジラ・コング組の勝ち。
 コングとゴジラは試合放棄し、コングは地下故郷へ、ゴジラは海に帰って両雄対決は終わる。
 CGアニメーションばりばりで、アクションが見どころといえば見どころだが、特撮ファンには物足りない。
 ジアは聴覚障害でコングと手話で会話し、コングが手話を話せるというのが新しいアイディア。
 ロボット企業の研究者でメカゴジラの操縦者に小栗旬。 (評価:1.5)

製作国:アイスランド、スウェーデン、ポーランド
日本公開:2022年9月23日
監督:ヴァルディマル・ヨハンソン 製作:フロン・クリスティンスドッティル、サラ・ナッシム、ピオドール・グスタフソン、エリク・リデル、クラウディア・シュミエヤ=ロストヴォロフスカ、ヤン・ナシェフスキ 脚本:ショーン、ヴァルディマル・ヨハンソン 撮影:イーライ・アレンソン 音楽:ソーラリン・グドナソン

ミノタウロスよりは牧神パンのイメージの民話風ホラー
 原題"Dýrið"で、動物の意。
 『ミッドサマー』(2019)で流行った北欧フォークホラー系の作品で、異類婚姻譚の変型。羊が山の獣神によって孕み、半羊半人姿の鬼子を産むという民話風の作品。
 幼い娘を亡くした羊飼いの夫婦が、その子を神の恩寵とばかりに我が子アダの名を付けて育てるが、獣神が迎えに現れて森に連れ去ってしまうという悲しい結末になっている。
 台詞が少なく話の展開も映像だけで説明がないので、文字のない絵本を読んでいるようにわかりにくい。
 民話風の単純なストーリーなので、30分もあれば十分な内容。それに106分かけるので飽きるが、それを救うのはアイスランドの谷間に広がる牧草地の雄大な自然の風景だけ。
 ストーリーの退屈を救うために、妻と義弟との過去か現在の恋愛関係も入れているが、それ以上の膨らみがないので不要なエピソード。
 もっとも夫が死んでしまうので、続編を作れるようにするための保険だったか。
 獣神はミノタウロスというよりは、牧神パンのイメージ。
 妻は『ドラゴン・タトゥーの女』(2009)オリジナル版、『セブンシスターズ』(2017)のノオミ・ラパス。 (評価:1.5)

THE GUILTY ギルティ

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製作国:アメリカ
日本公開:2021年9月24日
監督:アントワーン・フークア 脚本:ニック・ピゾラット 撮影:マズ・マカーニ 音楽:マーセロ・ザーヴォス

低予算の原作がヒットした要因をよく考えるべきだった
 原題"The Guilty"で、有罪の意。デンマーク映画"Den skyldige"(2018、邦題:THE GUILTY ギルティ)のリメイクで、グスタフ・モーラー、エミール・ニゴー・アルバートセンの脚本が原作。
 ロサンゼルスに舞台を移しているが、ストーリーはほぼ原作通り。ネタバレになるが、オリジナル版では殺されてしまった赤ん坊が、本作ではICUで助かるというのが唯一最大の違い。
 女性誘拐事件の緊急通報を受けた指令室のオペレーターが、電話の指示だけで事件解決を目指すというサスペンスで、舞台は緊急通報指令室のみ、登場人物はほぼオペレーターのジョー(ジェイク・ジレンホール)だけ。女性のDV夫が引き起こした事件と思いきや…というどんでん返しの物語で、オペレーターを演じる俳優の一人芝居で見せるというのが最大の特色だが、オリジナル版に比べて相当に出来が悪く、ただ怒り狂うだけの主人公という通俗的で類型的なヒーロー像のハリウッドの悪い面が原作を台無しにしている。
 ジェイク・ジレンホールの類型的な演技もさることながら、工夫のない演出とカメラワークが単調さに輪を掛け、原作のストーリーを知っていると、退屈過ぎて見るのをやめたくなる。
 ロスの山火事を指令室のモニターに大写しするなど、低予算の原作にハリウッド・リメイクらしい製作費をかけてそれなりに豪華にしているのだが、それで良しとするのがハリウッドの浅薄さで、低予算の原作がヒットした要因をよく考えるべきだったという駄作。 (評価:1.5)


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