外国映画レビュー──1943年
製作国:アメリカ
日本公開:1949年5月3日
監督:ヘンリー・キング 製作:ウィリアム・パールバーグ 脚本:ジョージ・シートン 撮影:アーサー・C・ミラー 音楽:アルフレッド・ニューマン
ゴールデングローブ作品賞
見どころは聖女よりもむしろシスター・ヴォズの葛藤
原題"The Song of Bernadette"で、ベルナデットの歌の意。フランツ・ヴェルフェルの同名小説が原作。
ルルドの聖母を描いたもので、14歳の少女ベルナデッタ・スビルー(ジェニファー・ジョーンズ)が村はずれの洞窟で聖母を幻視。その言葉に従い霊泉を発見し、修道女となって35歳で病死するまでの半生を描く。
冒頭、神を信じる者には説明不要で信じない者には説明不可能という、ならば誰にこの映画を見せようというのかという訳のわからない字幕が入るが、カトリック教会で見かけるルルドの洞窟・聖母・奇跡の概要を知るのには便利な作品。
字幕の割にはある程度客観的で、聖女に列せられたベルナデッタが本当に聖母を見たのか、奇跡は本物なのかという点については肯定も否定もしていない。
本作が単なる伝記・歴史・宗教映画に終わっていないのは、ベルナデッタよりもむしろ宗教学校の教師だったシスター・ヴォズ(グラディス・クーパー)の葛藤による。
彼女は苦しみによってのみ神の国に至るという強い信念を持ち、愚かで苦しみの本質を知らないベルナデッタに聖母が出現するわけがないと信じない。ベルナデッタが修道院に入り、彼女が聖母の言葉「来世でしかあなたを幸せにしてあげられない」を信じて肉体の苦しみを乗り越えていたことを知って、ベルナデッタに辛く当たっていたのが、彼女には顕現しない聖母がベルナデッタに現れたことへの嫉妬であり、信仰で劣っていたことに気づく。
それからは献身的にベルナデッタに尽すが、臨終での聖母の祝福を幻視するベルナデッタともども感動的なシーンとなっている。
アカデミー主演女優賞受賞のジェニファー・ジョーンズの清楚な声がいい。 (評価:2.5)
日本公開:1949年5月3日
監督:ヘンリー・キング 製作:ウィリアム・パールバーグ 脚本:ジョージ・シートン 撮影:アーサー・C・ミラー 音楽:アルフレッド・ニューマン
ゴールデングローブ作品賞
原題"The Song of Bernadette"で、ベルナデットの歌の意。フランツ・ヴェルフェルの同名小説が原作。
ルルドの聖母を描いたもので、14歳の少女ベルナデッタ・スビルー(ジェニファー・ジョーンズ)が村はずれの洞窟で聖母を幻視。その言葉に従い霊泉を発見し、修道女となって35歳で病死するまでの半生を描く。
冒頭、神を信じる者には説明不要で信じない者には説明不可能という、ならば誰にこの映画を見せようというのかという訳のわからない字幕が入るが、カトリック教会で見かけるルルドの洞窟・聖母・奇跡の概要を知るのには便利な作品。
字幕の割にはある程度客観的で、聖女に列せられたベルナデッタが本当に聖母を見たのか、奇跡は本物なのかという点については肯定も否定もしていない。
本作が単なる伝記・歴史・宗教映画に終わっていないのは、ベルナデッタよりもむしろ宗教学校の教師だったシスター・ヴォズ(グラディス・クーパー)の葛藤による。
彼女は苦しみによってのみ神の国に至るという強い信念を持ち、愚かで苦しみの本質を知らないベルナデッタに聖母が出現するわけがないと信じない。ベルナデッタが修道院に入り、彼女が聖母の言葉「来世でしかあなたを幸せにしてあげられない」を信じて肉体の苦しみを乗り越えていたことを知って、ベルナデッタに辛く当たっていたのが、彼女には顕現しない聖母がベルナデッタに現れたことへの嫉妬であり、信仰で劣っていたことに気づく。
それからは献身的にベルナデッタに尽すが、臨終での聖母の祝福を幻視するベルナデッタともども感動的なシーンとなっている。
アカデミー主演女優賞受賞のジェニファー・ジョーンズの清楚な声がいい。 (評価:2.5)
牛泥棒
日本公開:劇場未公開
監督:ウィリアム・A・ウェルマン 製作:ラマー・トロッティ 脚本:ラマー・トロッティ 撮影:アーサー・ミラー 音楽:シリル・モックリッジ
原題"The Ox-Bow Incident"で、オックスボー事件の意。ウォルター・ヴァン・ティルバーグ・クラークの同名小説が原作。
舞台は1885年のネバダ州。ギル(ヘンリー・フォンダ)とアート(ハリー・モーガン)が馬に乗って小さな町にやってくるところから始まる。
ここで牛泥棒事件に巻き込まれ、自警団による探索と犯人の私刑に立ち会うが、冤罪とわかり、馬に乗って虚しく町を去っていくが、このシーンがプロローグと同じ構図のシーンで、やってくる二人と去っていく二人という対照になっているところがミソ。
もっとも二人と事件との関わりはなく、事件を部外者の視点で客観的に見るという役回りでしかなく、主人公という割りには存在感がない。
ギルは直情型で喧嘩好きというガンマンの典型的タイプで、冒頭酒場で早速殴り合いを演じるが、牛泥棒事件では冷静に行動し、酒場でのキャラクター設定も主人公の存在アピールと西部劇らしい演出という以外に意味がない。
この主人公を除けば、牛泥棒事件を巡る経緯はドラマチックで、社会派ドラマの佳作となっている。
牧場主が牛泥棒に殺されたという通報を基に町の住民たちがいきり立ち、法に従うべきだという酒場の主人と判事の忠告を無視して自警団を組織。出会ったよそ者を犯人と断じて縛り首にする。
決定は自警団の多数決になるが、反対は7人。ほかは元軍人に流されて賛成してしまう。
他人の顔を見る、空気に流される、同調圧力というのは何も日本に限ったことではなく、アメリカや他の国でも同じだということを示しているが、本作が第二次世界大戦中に制作されたということを考え合わせると感慨深い。
結果は冤罪で、元軍人は自殺、私刑賛成派も反対派も罪の意識だけを残し、被害者の遺族を含めて誰も幸せにはならないという、重い幕切れとなる。 (評価:2.5)
オペラの怪人
日本公開:1952年1月19日
監督:アーサー・ルービン 製作:ジョージ・ワグナー 脚本:ジョン・ジャコビー 撮影:ハル・モーア、W・ハワード・グリーン 音楽:エドワード・ウォード
原題"Phantom of the Opera"で、邦題の意。オペラの幽霊の意。ガストン・ルルーの小説"Le Fantôme de l'Opéra"が原作。
人相の醜悪な怪人がオペラ座に棲みついているという原作の設定を離れ、オペラ座の管弦楽団のヴァイオリン奏者が若手ソプラノ歌手を愛し、退団になった挙句に顔に火傷を負い、仮面で顔を隠して地下に潜み、彼女をプリマドンナに押し上げるという物語になっている。
大枠は原作に従うが、怪人のための5番ボックスと仮面舞踏会はなく、歌姫クリスティーヌ(スザンナ・フォスター)にレッスンを授けるのもヴァイオリン奏者のエリック(クロード・レインズ)ではなく、彼が雇った声楽の教授となっている。
もっとも、下宿代を滞納してもクリスティーヌのために授業料を払い続けるあしながおじさんというエリックの設定はセンチメンタルで、顔を火傷するきっかけとなるエリックが作曲した協奏曲のテーマをクリスティーヌが子供の頃に聞いた子守唄だと知っていたことが、二人が父娘である示唆となっていて、顔を確かめようとしてクリスティーヌが仮面を剥ぎ、火傷した顔に驚いたところに恋人ラウル(エドガー・バリア)とバリトン歌手アナトール(ネルソン・エディ)が駆け付け、以下戦いとなって、父娘の真相は描かれないままに終わる。
1925年の『オペラの怪人』のパリ・オペラ座のセットを使ったオペラシーンは、初のカラー・トーキーとあって絢爛豪華。名物のシャンデリアを構図に収めたステージの俯瞰のカメラワークも効果的。
もっともステージの楽曲はオペラというよりはミュージカルに近く、あしながおじさんの怪人ではホラー感はまったくない。
ラウルとアナトールはクリスティーヌを取り合う恋敵で、随所にコメディタッチの描写もあり、ミュージカル+センチメント+ラブコメの総合エンタテイメント『オペラの怪人』となっているところが、ホラーファンにはちょっと物足りないかもしれない。 (評価:2.5)
誰が為に鐘は鳴る
日本公開:1952年10月16日
監督:サム・ウッド 製作:サム・ウッド 脚本:ダドリー・ニコルズ 撮影:レイ・レナハン 音楽:ヴィクター・ヤング
原題"For Whom the Bell Tolls"で邦題の意。アーネスト・ヘミングウェイの同名小説が原作。
1937年、スペイン内乱の北部山岳地帯が舞台。
共和国軍に義勇兵として参加するアメリカ青年が主人公の3日間の物語。名作とされる原作は高校生のときに読んだきりだが、鉄橋爆破の命令を受けてゲリラ軍に合流したアメリカ青年とスペイン娘が一目惚れして、爆破までの短い恋を燃え上がらせる物語。
娘はファシスト軍に両親を殺されレイプされるという過去を持ち、丸坊主姿にされたのが印象的だった。
テーマはタイトルに集約されていて、映画の冒頭に17世紀イギリスの詩人、ジョン・ダンの説教の一節が字幕で登場する。
"any man's death diminishes me, because I am involved in mankind, and therefore never send to know for whom the bells tolls; it tolls for thee."
(人の死は我が身を削る なぜなら我は人類の一部だから それゆえに問うなかれ 誰がために[弔いの]鐘は鳴るのかと それは汝のため鳴る)
映画は原作に沿って作られているが、アメリカ青年を演じるゲーリー・クーパーはともかく、スペイン娘を演じる北欧美人のイングリッド・バーグマンがどうにもしっくりこない。
戦前のハリウッド映画で、ヒロインは金髪美女というのは時代的にも仕方のないことだが、知らずに見れば、娘の両親はゲルマン系の移民だったのか? とか雑念が渦巻いてしまう。
もっともショートカットのバーグマンは抜群に可愛くて、役柄上の違和感を離れればその可愛さが最大の見どころとなっている。バーグマンの初キッスの名セリフは有名。
" I do not know how to kiss, or I would kiss you. Where do the noses go?"(キスの仕方を知らないの、キスしようと思うんだけど。鼻はどこにやったらいい?)
ゲリラの女リーダーを演じるカティーナ・パクシヌーが、アカデミー賞とゴールデングローブ賞で助演女優賞の渋い演技。 (評価:2.5)
製作国:フランス
日本公開:1950年11月11日
監督:アンリ=ジョルジュ・クルーゾー 脚本:アンリ=ジョルジュ・クルーゾー、ルイ・シャヴァンス 撮影:ニコラ・エイエ
キネマ旬報:9位
目まぐるしい展開だが犯人は順当というミステリー
原題"Le Corbeau"で、カラスの意。フランス中部チュールで実際にあった事件を基にしている。
フランスの田舎町の公立病院が舞台のミステリーで、妻と死別した医師ジェルマン(ピエール・フレネー)が精神科部長(ピエール・ラルケ)の妻ローラ(ミシュリーヌ・フランセイ)と浮気しているという怪文書がばらまかれたことから、怪文書の犯人探しが物語の中心となる。
怪文書は堕胎医だとかジェルマンを中傷するものばかりで、癌の入院患者が病名を教える怪文書で自殺したことから、犯人と疑われた看護師のローラの姉が逮捕される。しかし怪文書は止まず、ジェルマンの恋人(ジネット・ルクレール)も巻き込まれ、ローラは精神病院に。
展開が目まぐるしいので混乱させられるが、何のことはないジェルマンを一番恨んでいるのが犯人という結末でやや気抜けする。クライマックスの犯人がわかる謎解きは上手くできているのだが、畳みかける演出が急ぎ過ぎの逆効果になって謎解きが生きてこないのが惜しい。
タイトルのカラスは、怪文書に署名された犯人のニックネーム。自殺した患者の母親に犯人が殺されて幕となる。
本作はドイツ占領下に製作されたことで戦後に批判を受け、一時期上映が禁止されている。 (評価:2.5)
日本公開:1950年11月11日
監督:アンリ=ジョルジュ・クルーゾー 脚本:アンリ=ジョルジュ・クルーゾー、ルイ・シャヴァンス 撮影:ニコラ・エイエ
キネマ旬報:9位
原題"Le Corbeau"で、カラスの意。フランス中部チュールで実際にあった事件を基にしている。
フランスの田舎町の公立病院が舞台のミステリーで、妻と死別した医師ジェルマン(ピエール・フレネー)が精神科部長(ピエール・ラルケ)の妻ローラ(ミシュリーヌ・フランセイ)と浮気しているという怪文書がばらまかれたことから、怪文書の犯人探しが物語の中心となる。
怪文書は堕胎医だとかジェルマンを中傷するものばかりで、癌の入院患者が病名を教える怪文書で自殺したことから、犯人と疑われた看護師のローラの姉が逮捕される。しかし怪文書は止まず、ジェルマンの恋人(ジネット・ルクレール)も巻き込まれ、ローラは精神病院に。
展開が目まぐるしいので混乱させられるが、何のことはないジェルマンを一番恨んでいるのが犯人という結末でやや気抜けする。クライマックスの犯人がわかる謎解きは上手くできているのだが、畳みかける演出が急ぎ過ぎの逆効果になって謎解きが生きてこないのが惜しい。
タイトルのカラスは、怪文書に署名された犯人のニックネーム。自殺した患者の母親に犯人が殺されて幕となる。
本作はドイツ占領下に製作されたことで戦後に批判を受け、一時期上映が禁止されている。 (評価:2.5)
肉体と幻想
日本公開:1946年8月1日
監督:ジュリアン・デュヴィヴィエ 製作:ジュリアン・デュヴィヴィエ、シャルル・ボワイエ 脚本:アーネスト・パスカル、サミュエル・ホッフェンスタイン、エリス・セント・ジョセフ 撮影:ポール・エヴァンス、スタンリー・コルテス 音楽:チャールズ・プレヴィン
原題"Flesh and Fantasy"で、邦題の意。エリス・セント・ジョセフ(第1話)、オスカー・ワイルドの短編小説『アーサー・サビル卿の犯罪』(第2話)、ラスロ・ヴァドナイ(第3話)が原作のオムニバス。
社交クラブで二人の男がオカルトの本を読み聞かせるというのが枠物語で、三つの話が登場する。
第1話はニューオーリンズが舞台。醜女(ベティ・フィールド)が不思議な老人から美女の仮面を付けさせられ、謝肉祭で思いを寄せていた青年(ロバート・カミングス)に求愛されるという夢物語で、仮面を取っても美女のままで、心が醜かったから醜女に見えただけという都合の良い話。仮面が美女だからと求愛する青年も青年で、ライティングで醜女っぽさを演出するのもなんだかな~と欠点が目立ち、今一つ説得力がない。
第2話はロンドンが舞台。パーティで未来を言い当てる占い師(トーマス・ミッチェル)に手相を見てもらった弁護士(エドワード・G・ロビンソン)が、殺人を犯すと言われ、暗示をかけられて人を殺そうとするという恐怖話。殺そうとした二人の人間はそうならず、最後に怒った弁護士が占い師を殺してしまうというオチ。逃走した弁護士が車に撥ねられ、それを曲芸師(シャルル・ボワイエ)が目撃し、今度は曲芸師が主人公の第3話になる。
曲芸師はサーカスの綱渡りで、客席の美女を見て落下する夢を見て、十八番の曲芸ができなくなってしまう。ニューヨーク公演に向かう船で夢の美女(バーバラ・スタンウィック)に出会い恋に落ちるが、今度は美女が警察に逮捕される夢を見る。ニューヨークに着き綱渡りは成功。悪夢を克服するが今度は美女の夢が正夢になってしまうというオチ。
曲芸師は美女が出所するまで待つという美談で、今一つ締まらないエンディングとなるが、全体はサスペンス・タッチで暇つぶしにはなる。 (評価:2.5)
ベイジル・ラスボーン版 シャーロック・ホームズ シャーロック・ホームズ危機一髪
日本公開:劇場未公開
監督:ロイ・ウィリアム・ニール 製作:ロイ・ウィリアム・ニール 脚本:バートラム・ミルハウザー 撮影:チャールズ・ヴァン・エンジャー
原題"Sherlock Holmes Faces Death"で、死に直面したシャーロック・ホームの意。『マスグレーヴ家の儀式』が原作。
ベイジル・ラスボーンはシャーロック・ホームズ役で人気となったトーキー初期のイギリス人俳優。ワーナー・ブラザース製作の14本の映画シリーズの第6話。ワトソン役はナイジェル・ブルース。日本未公開。
マスグレーヴ家が戦争によるPTSDを患う将校たちの医療施設となっているという設定を除けば、戦時映画色が消えて、普通のシャーロック・ホームズ作品になっている。
当主と弟が殺され、遺産相続人となった娘の婚約者が疑われる。マスグレーヴ家には不思議な儀式があって、その呪文が何かの伝承だと気付いたホームズが屋敷の謎を解くと地下室に・・・という物語だが、わざわざ呪文を解き明かさなくても最初から地下室を調べればいい展開で、謎も全く生きないストーリー。
犯人もそれで財産がお前のものになるのか? という稚拙な企みでミステリーとしては不出来なのだが、制作年代的にはこんなものか。
冒頭はホラー的だが、これも単なる雰囲気づくりに終わっていて、その後の展開には生きてこずに空振り、というか思い付き、場当たり的な構成。見どころは酒場のカラスが利口なことくらいか。
ラストでホームズとワトソンが利己主義を捨てて博愛主義を目指そう的な会話をした後に、戦時貯蓄切手と戦時貯蓄債権を買おうという宣伝が入って終わるのも、時代背景的な見どころ。
(評価:2.5)
怒りの日
日本公開:2021年12月25日
監督:カール・テオドア・ドライヤー 製作:カール・テオドア・ドライヤー 脚本:ポール・クヌッセン カール・T・ドライエル、モーウンス・スコット・=ハンセン 撮影:カール・アンデルソン 音楽:ポウル・シーアベック
原題"Vredens dag"で、邦題の意。
中世の魔女狩りを題材にしたカール・テオドア・ドライヤーの宗教的背景を持った作品だが、異教徒には正直つまらない。
牧師のアプサロン(トルキル・ロース)は美しい娘アンナ(リスベット・モーヴィン)を後妻に身請けしたいがために、魔女と告発されたアンナの母を助けた、らしい。
それを知ってる老女(アンヌ・スビアキア)が魔女と告発されアンナに助けを求めるが、アプサロンは老女の運命が神の思し召しだとして、老女を魔女として焚刑に処す。
アプサロンの欺瞞を知るアンナは、アプサロンの先妻の息子マーチンに接近、誘惑。恋仲になったことをアプサロンに告げると、ショックでアプサロンは急死。その母(シグリ・ニーエンタム)がアンナを魔女と告発し、審問にかけられる。マーチンが祖母の側に立ったのを見て、アンナは他人の死を願い愛しい人を誘惑する魔女であることを認めるという結末。
基本はアンナのラブストーリーで、人間的な生き方を求めること自体が悪魔的とされ、排斥されるという偏狭な宗教の独善や排他性、欺瞞が描かれる。
怒りの日は、世界の終末にイエスが行う最後の審判で、魔女とされたアンナらが永遠の命を与えられ、非人間的な魔女狩りを行った人々こそが地獄に堕ちることを示唆する。 (評価:2)
春の序曲
日本公開:1946年2月28日
監督:フランク・ボーゼージ 製作:フェリック・ジャックソン 脚本:サミュエル・ホッフェンスタイン、ベティ・ラインハート 撮影:ウディ・ブレデル 音楽:ハンス・J・サルター
原題" His Butler's Sister"で、彼の執事の妹の意。
『オーケストラの少女』(1937)のディアナ・ダービン主演の歌謡映画。
田舎娘アン(ディアナ・ダービン)が歌手を夢見て、ニューヨークで成功した兄(パット・オブライエン)を訪ねてくるという物語。
ところが兄は作曲家チャールズ(フランチョット・トーン)の執事で、金持ちになったというのは真っ赤な嘘。追い返そうとする兄を躱してメイドとして住み込み、チャールズに売り込みを図るが聴いてもらうチャンスを掴めない。
さて、どうなると思いきや、二人は互いに恋に落ち…と歌手デビューの話がラブストーリーに早変わり。何でも恋愛映画にしないと気のすまないハリウッドの悪弊を絵に描いた失敗作で、最後は歌を聴いてもらえるのだが、愛に勝る女の幸せはないというエンドマークがズッコケる。
基本はダービンの美声がウリで、それがなければただの駄作。ラストの『トゥーランドット』のアリアの他、パーティで歌うロシア民謡が聴きどころ。
アンがチャールズの事務所で、プロデューサーにセクハラをされるシーンがあるが、当時の悪名高きアーサー・フリードを連想させて可笑しい。
アンを評して「スタイルがいい」という台詞もあるが、ダービンが太っていたためにMGMとの契約を解消されたというエピソードへの皮肉のようで、ショービジネスの舞台裏も見どころの一つか? (評価:2)
天国は待ってくれる
日本公開:1990年8月9日
監督:エルンスト・ルビッチ 製作:エルンスト・ルビッチ 脚本:サムソン・ラファエルソン 撮影:エドワード・クロンジャガー 音楽:アルフレッド・ニューマン
原題"Heaven Can Wait"で、邦題の意。ラズロ・ブッス=フェテケの戯曲"Születésnap"(誕生日)が原作のコメディ。
地獄の入口にやってきたヘンリー(ドン・アメチー)が、閻魔大王のような"His Excellency"(閣下、レアード・クリーガー)に地獄行きか、天国行きかの審判を受けるという話で、物語全体はヘンリーの生涯を振り返るという回顧形式になっている。
閣下はホテル支配人のようなタキシード姿でデスクに座っていて、地下室らしきオフィスも立派でエレベーターで地獄・天国に行くが、地獄への落とし戸もあるといった洒落たコメディ。
ヘンリーは自分は自堕落で地獄行きだと決め込んでいるが、世の一般の男同様に女好きなだけで、特別悪人にも見えない。裕福な家庭に育ち、子供の頃から祖父に甘やかされ、女遊びが絶えないが、従弟のフィアンセ(ジーン・ティアニー)を略奪婚するに至って、意外と真面目男に見えてくる。火遊びが原因らしく一度は妻に里帰りされるが、迎えに行って雨降って地固まる。その後も、ショーガールを口説いたりするが、息子のガールフレンドと知って手切れ金を渡したりする。
結婚後の女遊びもこの2回だけで、アメリカ人のピューリタニズムを考慮してもとても地獄行きを心配するようには思えない。もっとも、このような男の平均像を示して、十分に善良な生き方だったと世の男性たちを安心させるのが本作の目的だとすれば、これで心安らぐアメリカ人がオメデタイということになり、制作者たちは閻魔大王に舌を抜いてもらった方が良い。
最後はタイトル通りにエレベーターで天国に迎え入れられ、なんかな~という微温湯的なハッピーエンドとなる。 (評価:2)
ベイジル・ラスボーン版 シャーロック・ホームズ ワシントンのシャーロック・ホームズ
日本公開:劇場未公開
監督:ロイ・ウィリアム・ニール 製作:ロイ・ウィリアム・ニール 脚本:リン・リッグス、バートラム・ミルハウザー 撮影:レスター・ホワイト
原題"Sherlock Holmes in Washington"。ベイジル・ラスボーンはシャーロック・ホームズ役で人気となったトーキー初期のイギリス人俳優。ワーナー・ブラザース製作の14本の映画シリーズの第5話。ワトソン役はナイジェル・ブルース。日本未公開。
イギリスからワシントンへ連合国の機密文書を運ぶ諜報員が、ニューヨークからワシントンへの列車で拉致・殺害される。これを捜査して機密文書を回収するためにホームズとワトソンがワシントンに飛ぶという話だが、拉致の模様も杜撰なら、ホームズが特別機でロンドンからワシントンに直行するのに、機密文書がわざわざ諜報員によって民間機でニューヨークへ、そこから一般列車でワシントンに運ばれなくちゃならないの? というシナリオの甘さが失笑もの。
矛盾だらけのシナリオの酷さは随所に表れていて、ホームズがロンドンの諜報員の部屋を理由も言わず家探しするのも不思議なら、家人がそれを快く招き入れるという無茶苦茶さ。おまけに敵側工作員に2階からブロックを落とされたのに、平然と「命を狙われている」と犯人を探しもせずに去ってしまうという茶番。
抜け目のない(と描かれている)ホームズには、事件捜査よりもシナリオ・チェックの方をやってほしかった。
前二作が戦時宣伝映画だったのを反省してか、本作は敵は一応ドイツ工作員としながらも、普通のスパイ映画に戻っている。
機密文書がマイクロフィルム化され、マッチ箱に隠されるというのがミソだが、このマッチが打ち出の小槌のように減らないのがジョーク。『ブルースパーティントン設計書』がシナリオのヒントになっている。 (評価:2)
ベイジル・ラスボーン版 シャーロック・ホームズ シークレット・ウェポン
日本公開:劇場未公開
監督:ロイ・ウィリアム・ニール 製作:ハワード・ベネディクト 脚本:エドワード・T・ロウ・Jr、スコット・ダーリング、エドマンド・L・ハートマン 撮影:レスター・ホワイト 音楽:フランク・スキナー
原題"Sherlock Holmes Secret Weapon"。ベイジル・ラスボーンはシャーロック・ホームズ役で人気となったトーキー初期のイギリス人俳優。ワーナー・ブラザース製作の14本の映画シリーズの第4話。ワトソン役はナイジェル・ブルース。日本未公開。
本作に登場する秘密兵器は、爆撃機から目標を正確に爆撃するための新型照準器。是を発明したスイスの科学者の争奪戦が、イギリスとナチの間で繰り広げられ、イギリス政府の依頼を受けたホームズがスイスから見事博士をロンドンに連れ帰るという、なんで名探偵が? という訳の分からない設定。しかも、レストラード警部まで登場してしまう。
つまりはアメリカの反ナチ宣伝にホームズにも協力してもらうという映画で、ホームズの名推理もミステリーのネタ本に出ていそうな取って付けたようなもの。
発明者が殺されるが、照準器は予め4つに分解され4人の科学者に預けられていて、発明者の遺した暗号にそれを解く鍵がある。ところが、暗号解読を争うのがナチではなく、照準器を組み立ててナチに売りこもうとしているモリアーティ教授という無理やりな設定。
前作『シャーロック・ホームズと恐怖の声』があまりに戦時宣伝映画だったので、多少はホームズらしくしようという苦労は感じられるものの、物語はダッチロールしている。
暗号解読は、原作の『踊る人形』から。 (評価:2)