外国映画レビュー──1942年
製作国:アメリカ
日本公開:1946年6月20日
監督:マイケル・カーティス 製作:ハル・B・ウォリス 脚本:ジュリアス・J・エプスタイン、フィリップ・G・エプスタイン、ハワード・コッチ 撮影:アーサー・エディソン 音楽:マックス・スタイナー
アカデミー作品賞
ボギーのダンディズムに心ゆくまで酔えるプロパガンダ映画
原題"Casablanca"で、モロッコの都市名。マーレイ・バーネットとジョアン・アリソンの戯曲"Everybody Comes to Rick's"が原作。
一言でいえば良く出来たメロドラマで、ハンフリー・ボガートとイングリッド・バーグマンの組み合わせと、"Here's (to) looking at you, kid."「君の瞳に乾杯」、"Where were you last night?"(昨夜どこにいたの?)"That's so long ago, I don't remember."(そんな昔のことは覚えていない)"Will I see you tonight?"(今夜逢える?)"I never make plans that far ahead."(そんな先のことはわからない)の名セリフ、ラストの飛行場での別れのシーンだけで語り尽くせる。
時は1941年12月、ヴィシー政権下のフランス領モロッコが舞台。カサブランカは戦火のヨーロッパを逃れ、リスボン経由でアメリカに亡命しようとする人々の待機地となっていて、リック(ハンフリー・ボガート)が経営するカフェ・アメリカンは、闇の出国ビザの取引場となっている。
そこに現れたのが、反ナチ指導者ラズロ(ポール・ヘンリード)とリックの元恋人イルザ(イングリッド・バーグマン)で、二人が買い取る予定だった通行証を売人から預かっていたことからドラマとなる。
2年前、夫のラズロが逮捕されて失意のイルザは、パリでリックに出会って恋に落ちる。1940年6月のドイツ軍のパリ占領で、リックと共にパリを脱出するはずだったイルザは、病気のラズロが収容所から戻ったため、結婚の事実を切り出せないまま、看病のためにリックとの約束を破ってパリに残る。
イルザに捨てられたと思い込んでいるリックは、通行証を渡すことを拒否。イルザはラズロだけでも亡命させてほしいと懇願。リックはイルザがカサブランカに残ることを条件に応諾する。しかしイルザの変わらぬ自分への愛を知ったリックは、警察署長ルノー(クロード・レインズ)を欺いて二人を亡命させる。
飛行場での別れ際、「私達のことはどうなるの?」と言うイルザに "We'll always have Paris... We got it back last night."(君とのパリの思い出がある…昨夜、それを取り戻した)と答え、ラズロには "She did her best to convince me she was still in love with me, but that was all over long ago."(彼女はまだ私を愛しているふりをして説得しようとした。でも、それはとうに終わったことだ)と、イルザのために嘘をつく台詞が心憎く、ボギーのダンディズムに心ゆくまで酔える。
アメリカ参戦後、遠いヨーロッパ戦線でのアメリカ人の戦意高揚のために制作されたプロパガンダ映画で、自由を愛するアメリカ人のリックが、レジスタンスに協力する物語。随所に反ナチの描写が登場するが、それを感じさせないところが名作として残った所以か。 (評価:3)
日本公開:1946年6月20日
監督:マイケル・カーティス 製作:ハル・B・ウォリス 脚本:ジュリアス・J・エプスタイン、フィリップ・G・エプスタイン、ハワード・コッチ 撮影:アーサー・エディソン 音楽:マックス・スタイナー
アカデミー作品賞
原題"Casablanca"で、モロッコの都市名。マーレイ・バーネットとジョアン・アリソンの戯曲"Everybody Comes to Rick's"が原作。
一言でいえば良く出来たメロドラマで、ハンフリー・ボガートとイングリッド・バーグマンの組み合わせと、"Here's (to) looking at you, kid."「君の瞳に乾杯」、"Where were you last night?"(昨夜どこにいたの?)"That's so long ago, I don't remember."(そんな昔のことは覚えていない)"Will I see you tonight?"(今夜逢える?)"I never make plans that far ahead."(そんな先のことはわからない)の名セリフ、ラストの飛行場での別れのシーンだけで語り尽くせる。
時は1941年12月、ヴィシー政権下のフランス領モロッコが舞台。カサブランカは戦火のヨーロッパを逃れ、リスボン経由でアメリカに亡命しようとする人々の待機地となっていて、リック(ハンフリー・ボガート)が経営するカフェ・アメリカンは、闇の出国ビザの取引場となっている。
そこに現れたのが、反ナチ指導者ラズロ(ポール・ヘンリード)とリックの元恋人イルザ(イングリッド・バーグマン)で、二人が買い取る予定だった通行証を売人から預かっていたことからドラマとなる。
2年前、夫のラズロが逮捕されて失意のイルザは、パリでリックに出会って恋に落ちる。1940年6月のドイツ軍のパリ占領で、リックと共にパリを脱出するはずだったイルザは、病気のラズロが収容所から戻ったため、結婚の事実を切り出せないまま、看病のためにリックとの約束を破ってパリに残る。
イルザに捨てられたと思い込んでいるリックは、通行証を渡すことを拒否。イルザはラズロだけでも亡命させてほしいと懇願。リックはイルザがカサブランカに残ることを条件に応諾する。しかしイルザの変わらぬ自分への愛を知ったリックは、警察署長ルノー(クロード・レインズ)を欺いて二人を亡命させる。
飛行場での別れ際、「私達のことはどうなるの?」と言うイルザに "We'll always have Paris... We got it back last night."(君とのパリの思い出がある…昨夜、それを取り戻した)と答え、ラズロには "She did her best to convince me she was still in love with me, but that was all over long ago."(彼女はまだ私を愛しているふりをして説得しようとした。でも、それはとうに終わったことだ)と、イルザのために嘘をつく台詞が心憎く、ボギーのダンディズムに心ゆくまで酔える。
アメリカ参戦後、遠いヨーロッパ戦線でのアメリカ人の戦意高揚のために制作されたプロパガンダ映画で、自由を愛するアメリカ人のリックが、レジスタンスに協力する物語。随所に反ナチの描写が登場するが、それを感じさせないところが名作として残った所以か。 (評価:3)
製作国:アメリカ
日本公開:1947年7月8日
監督:マーヴィン・ルロイ 製作:シドニー・フランクリン 脚本:クローディン・ウェスト、ジョージ・フローシェル、アーサー・ウィンペリス 撮影:ジョセフ・ルッテンバーグ 音楽:ハーバート・ストサート
キネマ旬報:3位
呆れ果てたストーリーだが感動してしまうのが悔しい
原題"Random Harvest"で、主人公の実家の邸の名。ジェームズ・ヒルトンの同名小説が原作。
第一次世界大戦フランス戦線の戦闘で記憶喪失になったイギリス軍大尉(チャールズ・レイニア)が、精神病院に入院、身元不明となっているところから物語が始まる。
しかし、軍票など身元を示すものを何一つ持っていないのも不自然で、しかも大尉なのに身元がわからないというのもあり得ない話。霧の夜に病院を逃げ出して親切な若いショーガール(グリア・ガースン)が匿われ、捜索されているのがわかると女は仕事を捨てて男を遠くの町に連れて行き、どうやら一目惚れだったらしく逆プロポーズで教会で結婚と段取りのためのトントン拍子。
作家となってリバプールに新聞社を訪ねようとして交通事故で頭を打ち、再び記憶喪失。3年間の記憶を失い、その前の記憶を取り戻すという驚天動地だが、またまた何のためにリバプールにいるのか当人だけでなく誰にもわからない。
こうして実家のランダム・ハーベストに帰ってきて、邸と父の事業を継いでトントン拍子で貴族院議員となるが、元妻は身元を隠して秘書になり、男が記憶を取り戻すのを待つという涙ぐましい献身。男は姪と結婚することになるが、無茶苦茶察しのいい姪は男の瞳の中に別の女が住んでいるのをテレパシーで感じて身を引いてしまう。
これだけ呆れ果てたストーリーなのに、男が偶然女と出会った町に行き、微かな記憶をたどって昔の家に着くと、元妻が迎えてハッピーエンドというくだりになると、そこそこの感動ドラマになっているのがちょっと悔しい。
チャールズ・レイニア51歳でどう見てもオッサンなのに、青年将校役で登場するのが笑える。 (評価:2.5)
日本公開:1947年7月8日
監督:マーヴィン・ルロイ 製作:シドニー・フランクリン 脚本:クローディン・ウェスト、ジョージ・フローシェル、アーサー・ウィンペリス 撮影:ジョセフ・ルッテンバーグ 音楽:ハーバート・ストサート
キネマ旬報:3位
原題"Random Harvest"で、主人公の実家の邸の名。ジェームズ・ヒルトンの同名小説が原作。
第一次世界大戦フランス戦線の戦闘で記憶喪失になったイギリス軍大尉(チャールズ・レイニア)が、精神病院に入院、身元不明となっているところから物語が始まる。
しかし、軍票など身元を示すものを何一つ持っていないのも不自然で、しかも大尉なのに身元がわからないというのもあり得ない話。霧の夜に病院を逃げ出して親切な若いショーガール(グリア・ガースン)が匿われ、捜索されているのがわかると女は仕事を捨てて男を遠くの町に連れて行き、どうやら一目惚れだったらしく逆プロポーズで教会で結婚と段取りのためのトントン拍子。
作家となってリバプールに新聞社を訪ねようとして交通事故で頭を打ち、再び記憶喪失。3年間の記憶を失い、その前の記憶を取り戻すという驚天動地だが、またまた何のためにリバプールにいるのか当人だけでなく誰にもわからない。
こうして実家のランダム・ハーベストに帰ってきて、邸と父の事業を継いでトントン拍子で貴族院議員となるが、元妻は身元を隠して秘書になり、男が記憶を取り戻すのを待つという涙ぐましい献身。男は姪と結婚することになるが、無茶苦茶察しのいい姪は男の瞳の中に別の女が住んでいるのをテレパシーで感じて身を引いてしまう。
これだけ呆れ果てたストーリーなのに、男が偶然女と出会った町に行き、微かな記憶をたどって昔の家に着くと、元妻が迎えてハッピーエンドというくだりになると、そこそこの感動ドラマになっているのがちょっと悔しい。
チャールズ・レイニア51歳でどう見てもオッサンなのに、青年将校役で登場するのが笑える。 (評価:2.5)
製作国:アメリカ
日本公開:1946年8月29日
監督:ジュリアン・デュヴィヴィエ 脚本:ドナルド・オグデン・スチュワート、サミュエル・ホッフェンスタイン、アラン・キャンベル、ラディスラス・フォドール 撮影:ジョセフ・ウォーカー 音楽:エドワード・ポール
キネマ旬報:2位
良くも悪くもハリウッド的なデュヴィヴィエのアメリカ亡命作品
原題"Tales of Manhattan"で、マンハッタン物語の意。
呪われた夜会服が次々と人の手を渡り歩き、それを手に入れた者を不幸ないしは幸福にするという6話からなるオムニバス。
戦時中、デュヴィヴィエがアメリカに亡命して撮った作品で、最後に戦時スタンプと戦時国債の宣伝が入るヒューマンドラマ。
夜会服を最初に手に入れるのはブロードウェイの人気俳優(シャルル・ボワイエ)で、富豪(トーマス・ミッチェル)との女(リタ・ヘイワース)の取り合いから猟銃で撃たれてしまう。しかし弾は外れたと二枚目演技をして車に戻り息絶える。
弾丸の穴の開いた夜会服は結婚式を控えた浮気な主人(セザール・ロメロ)の執事(ローランド・ヤング)の手に渡るが、主人の友人(ヘンリー・フォンダ)が花嫁(ジンジャー・ロジャース)を奪ってしまう。
次に渡るのが貧しい作曲家(チャールズ・ロートン)。大指揮者(ヴィクトル・フランサン)に認められ初演の指揮を振るが、太った体にはきつくて服が破れて聴衆の笑いの種に。最後は大指揮者の助力でお披露目は大成功する。
夜会服は繕われて慈善施設に。大学の同窓会に招かれた失業者(エドワード・G・ロビンソン)にプレゼントされ出席が叶うが、財布紛失事件が起きて疑われ身上を明かすことに。失意で会場を去るが、親友から職を斡旋される。
夜会服は古着屋に売られるが、夜中に泥棒(J・キャロル・ナイシュ)に盗まれる。それを着た泥棒はカジノに行って金を奪って飛行機で逃亡。ところが夜会服に火花が燃え移り、大金の入った服を放り投げてしまう。
空から降ってきた服は貧しい黒人農夫(ポール・ロブスン)の手に。正直者夫婦は牧師(エディ・ロチェスター・アンダーソン)に相談し、貧しい黒人たち一人ひとりのささやかな夢を叶えるのに分配され、残った金で教会を建てることになる。一人だけ金を受け取っていない老人がいて、望みを聞くと烏を追い払う案山子が欲しいという。
夜会服を着た案山子のラストシーンという、デュヴィヴィエらしい結末。
呪いの夜会服は、心貧しき者には不幸を、心豊かな者には幸せをもたらすというオチだが、起承転結を6回繰り返すためにいささかたるく、ハリウッドの偽善臭さがいささか鼻につく。 (評価:2.5)
日本公開:1946年8月29日
監督:ジュリアン・デュヴィヴィエ 脚本:ドナルド・オグデン・スチュワート、サミュエル・ホッフェンスタイン、アラン・キャンベル、ラディスラス・フォドール 撮影:ジョセフ・ウォーカー 音楽:エドワード・ポール
キネマ旬報:2位
原題"Tales of Manhattan"で、マンハッタン物語の意。
呪われた夜会服が次々と人の手を渡り歩き、それを手に入れた者を不幸ないしは幸福にするという6話からなるオムニバス。
戦時中、デュヴィヴィエがアメリカに亡命して撮った作品で、最後に戦時スタンプと戦時国債の宣伝が入るヒューマンドラマ。
夜会服を最初に手に入れるのはブロードウェイの人気俳優(シャルル・ボワイエ)で、富豪(トーマス・ミッチェル)との女(リタ・ヘイワース)の取り合いから猟銃で撃たれてしまう。しかし弾は外れたと二枚目演技をして車に戻り息絶える。
弾丸の穴の開いた夜会服は結婚式を控えた浮気な主人(セザール・ロメロ)の執事(ローランド・ヤング)の手に渡るが、主人の友人(ヘンリー・フォンダ)が花嫁(ジンジャー・ロジャース)を奪ってしまう。
次に渡るのが貧しい作曲家(チャールズ・ロートン)。大指揮者(ヴィクトル・フランサン)に認められ初演の指揮を振るが、太った体にはきつくて服が破れて聴衆の笑いの種に。最後は大指揮者の助力でお披露目は大成功する。
夜会服は繕われて慈善施設に。大学の同窓会に招かれた失業者(エドワード・G・ロビンソン)にプレゼントされ出席が叶うが、財布紛失事件が起きて疑われ身上を明かすことに。失意で会場を去るが、親友から職を斡旋される。
夜会服は古着屋に売られるが、夜中に泥棒(J・キャロル・ナイシュ)に盗まれる。それを着た泥棒はカジノに行って金を奪って飛行機で逃亡。ところが夜会服に火花が燃え移り、大金の入った服を放り投げてしまう。
空から降ってきた服は貧しい黒人農夫(ポール・ロブスン)の手に。正直者夫婦は牧師(エディ・ロチェスター・アンダーソン)に相談し、貧しい黒人たち一人ひとりのささやかな夢を叶えるのに分配され、残った金で教会を建てることになる。一人だけ金を受け取っていない老人がいて、望みを聞くと烏を追い払う案山子が欲しいという。
夜会服を着た案山子のラストシーンという、デュヴィヴィエらしい結末。
呪いの夜会服は、心貧しき者には不幸を、心豊かな者には幸せをもたらすというオチだが、起承転結を6回繰り返すためにいささかたるく、ハリウッドの偽善臭さがいささか鼻につく。 (評価:2.5)
郵便配達は二度ベルを鳴らす
日本公開:1979年5月26日
監督:ルキノ・ヴィスコンティ 脚本:ルキノ・ヴィスコンティ、マリオ・アリカータ、ジュゼッペ・デ・サンティス、ジャンニ・プッチーニ、アントニオ・ピエトランジェリ 撮影:アルド・トンティ、ドメニコ・スカラ 音楽:ジュゼッペ・デ・サンティス
原題"Ossessione"で、強迫観念の意。ジェームズ・M・ケインの"The Postman Always Rings Twice"(邦題:郵便配達は二度ベルを鳴らす)が原作。
4回映画化された中の2回目で、原作とは違ってイタリアが舞台なので、よく知られているテイ・ガーネット版(1946)・ボブ・ラフェルソン版(1981)とはイメージがかなり異なる。
アメリカ西部のガススタンド併設のドライブインではなく、街道沿いのトラットリアにやってきた浮浪者が無銭飲食の挙句、若くて美人の女房まで食べてしまうというストーリーで、主役がハンサムなマッシモ・ジロッティだけに1981年版のニコルソンよりも説得力があり、1946版で紗をかけて女優気取りだったラナ・ターナーよりもリアリティがある。
欲求不満の妻が若い男に一目惚れし、自動車事故に見せかけて夫を殺害、警察の追及をかわし店は繁昌するものの、男の浮気から二人の関係は悪化。警察の追及が始まり、妊娠を知って二人は仲直り、再出発しようとした矢先に再び自動車事故で女が死んでしまうという筋は変わらない。
もっとも、ラストシーンは男の逮捕まで描かれず、因果応報の犯罪ドラマではなく、漂泊に生きていた男が定住をしようとしたことで不幸に陥るという悲劇性を前面に押し出しているのは、さすがヴィスコンティ。一度レストランを辞めて旅芸人と一緒に暮らし、松尾芭蕉のように人生を旅に重ねる。
冒頭、斜めに傾いたフロントウィンドウにクレジットが重なり、配置のアンバランスに短調の音楽を被せて観客の不安感を煽る。ややゆったりしているものの演出は冴えているが、亭主殺害後はいささか冗長でテンポに欠けるのが残念。
欲求不満妻のクララ・カラマイがいい。 (評価:2.5)
製作国:アメリカ
日本公開:1951年5月18日
監督:デヴィッド・ハンド 製作:ウォルト・ディズニー 脚本:パース・ピアース、ラリー・モーレイ 音楽:フランク・チャーチル、エドワード・プラム
キネマ旬報:7位
『もののけ姫』のルーツは『バンビ』にあり?
原題"Bambi"で、オーストリアのフェーリクス・ザルテンの小説"Bambi. Eine Lebensgeschichte aus dem Walde"(バンビ。森の新たな物語)が原作。
ディズニーの長編アニメーション映画としては『白雪姫』『ピノキオ』『ファンタジア』『ダンボ』に続く5作目で、いずれも日本では1950年代に公開されているが、本作だけがなぜキネ旬ベストテンに選ばれたのかはわからない。
森で子鹿が生まれ、成長してパパとなるまでの1年を追う物語で、途中母鹿が死ぬくらいしかドラマはない。ストーリー性のない退屈な1時間余りのアニメで、音楽とバンビと森の動物たちの可愛らしい絵、その動きしか見所はなく、感性で動画を楽しむアニメーションという点では『ファンタジア』に近いが、『ファンタジア』ほどの芸術性があるわけでもない。
ただアニメーション、とりわけ水の描き方にかけてはセルアニメとしては画期的なものがあって玄人受けはするが、素人的には「バンビ、可愛いね」しかない。
好みが分かれるところだが、ディズニーアニメ独特のキャラクターの表情や体の動きの擬人化された色っぽさがあって、動物のくせにしなを作るな、とか、子供のくせに色目を使うな、とか、文句を言いたくなるが、ストーリーがない分、恋愛に話を振るしかないと考えるのがアメリカ人的思考なのか、子鹿同士がラブラブすると、まあ動物だから春になればすぐに発情するのも仕方ないと、大人の思考をしてしまう。
しかし、これは子供向けに作られたアニメーションで、アメリカの子供はラブストーリーを見て退屈しないのかとか、子供の頃から動物が恋愛する話を見せられるからアメリカ人はガキの頃からませていて、子供のミスコンがあったりするのかと妙な納得をしたりして、大人の思考を繰り返す。
民俗学的には、ヨーロッパでは鹿は森の王であり、立派な角は自然の神秘を受信するアンテナであることを考えながら、『もののけ姫』に似ていることに気付き、『もののけ姫』のルーツは『バンビ』にあるのかしらんと思う。 (評価:2.5)
日本公開:1951年5月18日
監督:デヴィッド・ハンド 製作:ウォルト・ディズニー 脚本:パース・ピアース、ラリー・モーレイ 音楽:フランク・チャーチル、エドワード・プラム
キネマ旬報:7位
原題"Bambi"で、オーストリアのフェーリクス・ザルテンの小説"Bambi. Eine Lebensgeschichte aus dem Walde"(バンビ。森の新たな物語)が原作。
ディズニーの長編アニメーション映画としては『白雪姫』『ピノキオ』『ファンタジア』『ダンボ』に続く5作目で、いずれも日本では1950年代に公開されているが、本作だけがなぜキネ旬ベストテンに選ばれたのかはわからない。
森で子鹿が生まれ、成長してパパとなるまでの1年を追う物語で、途中母鹿が死ぬくらいしかドラマはない。ストーリー性のない退屈な1時間余りのアニメで、音楽とバンビと森の動物たちの可愛らしい絵、その動きしか見所はなく、感性で動画を楽しむアニメーションという点では『ファンタジア』に近いが、『ファンタジア』ほどの芸術性があるわけでもない。
ただアニメーション、とりわけ水の描き方にかけてはセルアニメとしては画期的なものがあって玄人受けはするが、素人的には「バンビ、可愛いね」しかない。
好みが分かれるところだが、ディズニーアニメ独特のキャラクターの表情や体の動きの擬人化された色っぽさがあって、動物のくせにしなを作るな、とか、子供のくせに色目を使うな、とか、文句を言いたくなるが、ストーリーがない分、恋愛に話を振るしかないと考えるのがアメリカ人的思考なのか、子鹿同士がラブラブすると、まあ動物だから春になればすぐに発情するのも仕方ないと、大人の思考をしてしまう。
しかし、これは子供向けに作られたアニメーションで、アメリカの子供はラブストーリーを見て退屈しないのかとか、子供の頃から動物が恋愛する話を見せられるからアメリカ人はガキの頃からませていて、子供のミスコンがあったりするのかと妙な納得をしたりして、大人の思考を繰り返す。
民俗学的には、ヨーロッパでは鹿は森の王であり、立派な角は自然の神秘を受信するアンテナであることを考えながら、『もののけ姫』に似ていることに気付き、『もののけ姫』のルーツは『バンビ』にあるのかしらんと思う。 (評価:2.5)
奥様は魔女
日本公開:1951年3月6日
監督:ルネ・クレール 製作:ルネ・クレール 脚本:ロバート・ピロッシュ、マルク・コヌリィ 撮影:テッド・テズラフ 音楽:ロイ・ウェッブ
原題"I Married a Witch"で、私は魔女と結婚したの意。ソーン・スミスの小説”The Passionate Witch”が原作。
アメリカの魔女の町セーラムが舞台で、350年前に焚刑にされた魔法使いの父娘が、告発した男に子々孫々まで間違った女と結婚するという呪いを掛け、木の下に埋められて封印されたというのがプロローグ。
現代、つまり1942年、落雷によって木が割れ、魔法使いの父娘ダニエル(セシル・ケラウェイ)とジェニファー(ヴェロニカ・レイク)が甦るが、それが近くに住む子孫の男ウォレス(フレデリック・マーチ)の結婚前夜で、ジェニファーが復讐のために結婚を邪魔するというロマンチックコメディ。
ジェニファーが色仕掛けで誘惑するものの、なかなかなびかないウォレスに魔女の惚れ薬を作って飲ませようとするが、過ってジェニファーが飲んでしまい本気で惚れてしまうのだが、男をたらし込もうとする妖艶な魔女から恋する可愛い魔女に変わってしまう金髪美人のヴェロニカ・レイクの演技が見どころ。
ルネ・クレールが第二次世界大戦中にハリウッドに移って制作した作品で、ロマンチックコメディなのにフランス語ではなく英語なのがしっくりこないが、アメリカが舞台ながらもルネ・クレールらしいフレンチな洒脱さが楽しめる。
最後は邦題通りに奥様は魔女になってしまうハッピーエンド。 (評価:2.5)
製作国:フランス
日本公開:1948年7月27日
監督:マルセル・カルネ 脚本:ジャック・プレヴェール、ピエール・ラローシュ 撮影:ロジェ・ユベール 音楽:モーリス・ティリエ
キネマ旬報:7位
ヒットラーやナチを云々するのは野暮な感動悲恋物語
原題"Les visiteurs du soir"で、夜の訪問者の意。
ナチ占領下で検閲を通すために中世民話を形式にとった作品。公開時、作中に登場する悪魔をヒットラー、囚われながらも希望を失わない男女をフランスの寓意として捉えられたが、監督のカルネは否定している。
時は15世紀、2人の吟遊詩人が婚礼を控えたユーグ男爵(フェルナン・ルドウ)の城にやってきて、宴会の余興を演じることになる。冒頭、観客には2人が魔力を持っていることが示され、兄弟を名乗るが1人は男装していて実は女(アルレッティ)とわかる。2人は悪魔(ジュール・ベリー)と契約していて人間を破滅させる手先となっている。
男(アラン・キュニー)は姫(マリー・デア)、女は婚約者の騎士(マルセル・エラン)とやもめの男爵を誘惑。後者は決闘で男爵が勝つが、悪魔の命で去る女を追って男爵は出奔。前者は男が姫を愛してしまい、悪魔との契約違反で獄に繋がれるが、姫は男を助けるために悪魔の情婦を約する。
男は記憶を奪われて解放されるが、姫との誓いの微かな記憶から出会いの泉を訪れ、姫はそれを信じて泉で再度の出会いを演じるものの、怒った悪魔に揃って石にされてしまうという感動悲恋物語。ヒットラーやナチを云々するのはいささか野暮な、ファンタジックな物語となっている。
民話調で話がまったりと進むのが若干たるい。2人の男を手玉に取るアルレッティがオバサンなのも興醒め。
時間が止まるシーンでの静止した演技とクライマックスのシナリオが見どころ。 (評価:2.5)
日本公開:1948年7月27日
監督:マルセル・カルネ 脚本:ジャック・プレヴェール、ピエール・ラローシュ 撮影:ロジェ・ユベール 音楽:モーリス・ティリエ
キネマ旬報:7位
原題"Les visiteurs du soir"で、夜の訪問者の意。
ナチ占領下で検閲を通すために中世民話を形式にとった作品。公開時、作中に登場する悪魔をヒットラー、囚われながらも希望を失わない男女をフランスの寓意として捉えられたが、監督のカルネは否定している。
時は15世紀、2人の吟遊詩人が婚礼を控えたユーグ男爵(フェルナン・ルドウ)の城にやってきて、宴会の余興を演じることになる。冒頭、観客には2人が魔力を持っていることが示され、兄弟を名乗るが1人は男装していて実は女(アルレッティ)とわかる。2人は悪魔(ジュール・ベリー)と契約していて人間を破滅させる手先となっている。
男(アラン・キュニー)は姫(マリー・デア)、女は婚約者の騎士(マルセル・エラン)とやもめの男爵を誘惑。後者は決闘で男爵が勝つが、悪魔の命で去る女を追って男爵は出奔。前者は男が姫を愛してしまい、悪魔との契約違反で獄に繋がれるが、姫は男を助けるために悪魔の情婦を約する。
男は記憶を奪われて解放されるが、姫との誓いの微かな記憶から出会いの泉を訪れ、姫はそれを信じて泉で再度の出会いを演じるものの、怒った悪魔に揃って石にされてしまうという感動悲恋物語。ヒットラーやナチを云々するのはいささか野暮な、ファンタジックな物語となっている。
民話調で話がまったりと進むのが若干たるい。2人の男を手玉に取るアルレッティがオバサンなのも興醒め。
時間が止まるシーンでの静止した演技とクライマックスのシナリオが見どころ。 (評価:2.5)
製作国:アメリカ
日本公開:1949年5月21日
監督:ウィリアム・ワイラー 製作:シドニー・フランクリン 脚本:アーサー・ウィンペリス、ジョージ・フローシェル、ジェームズ・ヒルトン、クローディン・ウェスト 撮影:ジョセフ・ルッテンバーグ 音楽:ハーバート・ストサート
アカデミー作品賞
ミドルクラスは傷つかない戦意高揚映画
原題"Mrs. Miniver"。ジャン・ストラッサーの同名小説が原作。
1942年のイギリス、ミドルクラスのミニヴァー家を舞台に、ドイツの空襲をミニヴァー夫人(グリア・ガースン)とともに勝ち抜こう! という戦意高揚映画。
主人公をなぜミドルクラスにしたのかというのが最大の謎で、ワーキングクラスでもましてやアッパークラスでもないという、中途半端な中産階級に置いたのは、労働者でも貴族でもない中産階級に愛国心を訴えるのが、戦時国債を売るのには一番いい方法ということか?
もっとも、貴族でもないのに贅沢品を手に入れようとする成金ないしはプチブル根性丸出しのミニヴァー夫妻は、虚栄心に満たされた鼻持ちならない人間にしか見えない。
本作が観客に訴える自由を守ろう! はこうしたプチブルのための自由で、ワーキングクラスは描かれもせずにほとんど忘れ去られているという、戦意高揚映画にしても実に残念な作品になっている。
いきなり戦死フラグが経つのが空軍入りするミニヴァー家の長男だが、驚くことに最後まで生き残ってしまう。戦死するのはアッパーのミニヴァー夫人二世というのがストーリー的には意外だが、よくよく考えればミドルクラスは傷つかず、死ぬのは貴族とワーキングクラスの駅長というのは、本作が狙う主要観客層を考慮すれば妥当なのかもしれない。
貴族とワーキングクラスが競う薔薇品評会があって、駅長の出品するのが「ミニヴァー夫人」というタイトルに絡むサイドストーリーもあって、こちらもミドルクラスがええかっこしいとなる。 (評価:2.5)
日本公開:1949年5月21日
監督:ウィリアム・ワイラー 製作:シドニー・フランクリン 脚本:アーサー・ウィンペリス、ジョージ・フローシェル、ジェームズ・ヒルトン、クローディン・ウェスト 撮影:ジョセフ・ルッテンバーグ 音楽:ハーバート・ストサート
アカデミー作品賞
原題"Mrs. Miniver"。ジャン・ストラッサーの同名小説が原作。
1942年のイギリス、ミドルクラスのミニヴァー家を舞台に、ドイツの空襲をミニヴァー夫人(グリア・ガースン)とともに勝ち抜こう! という戦意高揚映画。
主人公をなぜミドルクラスにしたのかというのが最大の謎で、ワーキングクラスでもましてやアッパークラスでもないという、中途半端な中産階級に置いたのは、労働者でも貴族でもない中産階級に愛国心を訴えるのが、戦時国債を売るのには一番いい方法ということか?
もっとも、貴族でもないのに贅沢品を手に入れようとする成金ないしはプチブル根性丸出しのミニヴァー夫妻は、虚栄心に満たされた鼻持ちならない人間にしか見えない。
本作が観客に訴える自由を守ろう! はこうしたプチブルのための自由で、ワーキングクラスは描かれもせずにほとんど忘れ去られているという、戦意高揚映画にしても実に残念な作品になっている。
いきなり戦死フラグが経つのが空軍入りするミニヴァー家の長男だが、驚くことに最後まで生き残ってしまう。戦死するのはアッパーのミニヴァー夫人二世というのがストーリー的には意外だが、よくよく考えればミドルクラスは傷つかず、死ぬのは貴族とワーキングクラスの駅長というのは、本作が狙う主要観客層を考慮すれば妥当なのかもしれない。
貴族とワーキングクラスが競う薔薇品評会があって、駅長の出品するのが「ミニヴァー夫人」というタイトルに絡むサイドストーリーもあって、こちらもミドルクラスがええかっこしいとなる。 (評価:2.5)
ラテン・アメリカの旅
日本公開:1957年3月20日
監督:ジャック・キニー、ハミルトン・S・ラスケ、ウィルフレッド・ジャクソン 製作:ノーマン・ファーガソン、ウォルト・ディズニー 音楽:チャールズ・ウォルコット、エドワード・H・プラム、ポール・J・スミス
原題"Saludos Amigos"で、こんにちは友達の意。
ディズニーのアニメーターたちが南米に行き、様々な風景と人々の様子をスケッチし、それを基にアニメーションを作るというコンセプトの作品で実写パートとアニメパートからなる。
見どころはアニメーションよりもむしろ、実写パートでアニメーターたちがスケッチする様子で、手早く絵にしていく彼らの画力の高さに驚かされる。
アニメパートは、ペルーのチチカカ湖から始まるドナルドダックによるインカの人々の生活の様子の紹介、チリの郵便飛行機の子供ペドロと魔の山アコンカグアの戦いの物語、グーフィーがアルゼンチンで南米のカウボーイ、ガウチョに変身するエピソード、スタッフの絵がそのまま動き出す"Aquarela do Brasil"(ブラジルの水彩画)の4篇。
"Aquarela do Brasil"のアニメーターの絵筆が動く端から、筆の跡がアニメーションとなって動き出す様子が楽しい。
冒頭アニメーターたちがアメリカン航空のプロペラ機に乗り込むシーンから始まるが、当時の旅行事情も窺えて興味深い。インカの人々の生活を描く映像も貴重。 (評価:2.5)
子供たちは見ている
日本公開:1954年3月16日
監督:ヴィットリオ・デ・シーカ 製作:フランコ・マグリ 脚本:チェーザレ・ジュリオ・ヴィオラ、マルゲリータ・マリオーネ、チェザーレ・ザバッティーニ、アドルフォ・フランチ、ゲラルド・ゲラルディ、ビットリオ・デ・シーカ 撮影:マリオ・ベノッティ 音楽:レンツォ・ロッセリーニ
原題"Bambini ci guardano"で、子供たちは私たちを見ているの意。チェーザレ・ジュリオ・ヴィオラの小説"Pricò"が原作。
4歳の少年プリコ(ルチアーノ・デ・アンブロジオ)の目を通して、母(イザ・ポーラ)と愛人を間に挟んだ父(エミリオ・チゴーリ)との夫婦の確執を描くという物語だが、母と愛人との関係性や背景が希薄、というよりは前提が全く欠落しているために、母が愛息を捨ててまで愛人に走るという心理が最後まで理解できない。
デ・シーカの初期作品で、その後のネオリアリズモを予兆させるが、子供の視点を強調するあまり、母が何故愛人と駆け落ちするのか、父と何故結婚したのかという大人の事情が観客にもわからない。
母の愛人の存在はどうやら父も伯母も周知の事らしいが、子供からすれば不可解な大人の世界は理解できないという、ある意味リアリズムの極みで、大人の身勝手さを描いたともいえるが、腑に落ちないままにfineとなる。
それらを別にすれば、女の弱さと父子の絆を描いた、不貞を良しとしない男には気持ちのいい作品になっていて、悲劇の主人公となる子役の名演もあって、『鬼畜』(1978)を髣髴させるラストシーンが心を締め付ける。
そうした点で、リアリズムを描く割には情緒に傾きすぎているが、デ・シーカらしいヒューマンな作品で、女の弱さを演じるイザ・ポーラにちょっと心が揺れる。 (評価:2.5)
製作国:アメリカ
日本公開:1946年12月17日
監督:アルフレッド・ヒッチコック 製作:ジャック・H・スカーボール 脚本:ソーントン・ワイルダー、アルマ・レヴィル、サリー・ベンソン 撮影:ジョセフ・ヴァレンタイン 音楽:ディミトリ・ティオムキン、チャールズ・プレヴィン
キネマ旬報:3位
事件は未解決のままの糞詰まりなサスペンス
原題"Shadow of a Doubt"で、邦題の意。
ニューヨークの連続未亡人殺人事件の容疑者チャーリー・オークリー(ジョゼフ・コットン)が、カリフォルニアの姉の家にやってくる物語。
長女のチャーリー・ニュートン(テレサ・ライト)は、名前が同じでハンサムで金持ちの興行師(というのは偽りだが)の叔父は憧れの的。ところが、若い刑事が内偵にやってきたことを知り、疑惑を持つ。そのきっかけになるのが、叔父にプレゼントされた指輪に他人のイニシャルがあったことと、叔父が隠した新聞記事が殺人事件の記事であったこと。
叔父は姪に疑われていることを知り、事故に見せかけて殺そうとするが失敗。そこへ、事件のもう一人の容疑者が逃亡して事故死したことから、叔父は無罪放免となるが、証拠の指輪を握っている姪に退去を求められて町を去る。
ラストは姪を列車から突き落とそうとした叔父が逆に転落して幕となるが、事件は未解決のままに終わりドラマは糞詰まりですっきりしない。姪が若い刑事と恋仲になるのも唐突過ぎて、この二人のハッピーエンドで一件落着では、サスペンス映画として客を舐めている。
シナリオは全体に粗く、サスペンス、ミステリー、ラブストーリーと要素を詰め込み過ぎ。 (評価:2)
日本公開:1946年12月17日
監督:アルフレッド・ヒッチコック 製作:ジャック・H・スカーボール 脚本:ソーントン・ワイルダー、アルマ・レヴィル、サリー・ベンソン 撮影:ジョセフ・ヴァレンタイン 音楽:ディミトリ・ティオムキン、チャールズ・プレヴィン
キネマ旬報:3位
原題"Shadow of a Doubt"で、邦題の意。
ニューヨークの連続未亡人殺人事件の容疑者チャーリー・オークリー(ジョゼフ・コットン)が、カリフォルニアの姉の家にやってくる物語。
長女のチャーリー・ニュートン(テレサ・ライト)は、名前が同じでハンサムで金持ちの興行師(というのは偽りだが)の叔父は憧れの的。ところが、若い刑事が内偵にやってきたことを知り、疑惑を持つ。そのきっかけになるのが、叔父にプレゼントされた指輪に他人のイニシャルがあったことと、叔父が隠した新聞記事が殺人事件の記事であったこと。
叔父は姪に疑われていることを知り、事故に見せかけて殺そうとするが失敗。そこへ、事件のもう一人の容疑者が逃亡して事故死したことから、叔父は無罪放免となるが、証拠の指輪を握っている姪に退去を求められて町を去る。
ラストは姪を列車から突き落とそうとした叔父が逆に転落して幕となるが、事件は未解決のままに終わりドラマは糞詰まりですっきりしない。姪が若い刑事と恋仲になるのも唐突過ぎて、この二人のハッピーエンドで一件落着では、サスペンス映画として客を舐めている。
シナリオは全体に粗く、サスペンス、ミステリー、ラブストーリーと要素を詰め込み過ぎ。 (評価:2)
ベイジル・ラスボーン版 シャーロック・ホームズ シャーロック・ホームズと恐怖の声
日本公開:劇場未公開
監督:ジョン・ロウリンズ 製作:ハワード・ベネディクト 脚本:リン・リッグス、ジョン・ブライト 撮影:ウディ・ブレデル
原題は"Sherlock Holmes and the Voice of Terror"。ベイジル・ラスボーンはシャーロック・ホームズ役で人気となったトーキー初期のイギリス人俳優。ワーナー・ブラザース製作の14本の映画シリーズの第3話。ワトソン役はナイジェル・ブルース。日本未公開。
第二次世界大戦下、イギリスはドイツ軍の攻撃と謀略に怯えていた・・・というのが、本作の設定。恐怖の声は、ナチの宣伝ラジオ放送のこと。その宣伝に対抗するために国防委員会は電波妨害を出そうとするが、一人がホームズを呼んで宣伝工作を調べさせる。調査を進めるうちに政府内部に情報と録音テープをドイツの諜報機に渡している者が見つかる。
『最後の挨拶』を基にしたストーリーで、探偵ものというよりはスパイアクションに近い。戦時中に製作されたことから、イギリス国民の一致団結を呼びかける連合軍の宣伝映画の色彩が強い。見どころといえば、そうした戦時宣伝映画色。 (評価:2)
ヤンキー・ドゥードゥル・ダンディ
日本公開:1986年12月27日
監督:マイケル・カーティス 製作:ジャック・L・ワーナー、ハル・B・ウォリス 脚本:ロバート・バックナー、エドモンド・ジョセフ 撮影:ジェームズ・ウォン・ハウ 音楽:ジョージ・M・コーハン、ハインツ・ロームヘルド
原題"Yankee Doodle Dandy"で、アメリカ洒落男の意。
ブロードウェイ・ミュージカルの劇作家、ジョージ・マイケル・コーハンの生涯を描く伝記映画。父母姉と共に巡業した少年時代から、1940年にルーズベルト大統領から議会黄金勲章を受けるまでを描くが、公開した1942年の11月に64歳で死去した。
ステージが中心のため全体には歌と踊りのミュージカル風。前半は小生意気な少年が才能開花し、興行主とトラブルを起こしながらも劇作家として成功していくまでが描かれるが、歌も踊りも並で、ドラマ性の薄いただのサクセスストーリーなので盛り上がらない。
ところが第一次世界大戦が始まり、"Johnny Got His Gun"のキャンペーンが始まると、星条旗を背負って生まれてきたコーハンの愛国心に火がつき、人々を戦争に駆り立てる戦意高揚ミュージカルに力を注ぐ。
さらに本作撮影中に真珠湾攻撃があり、監督のマイケル・カーティスにコーハンが乗り移ったように、本作の終盤は狂気に近い戦意高揚映画になる。
ラストシーンは勲章をもらってホワイトハウスを出たコーハンが、彼の作った軍歌を歌って行進する列に加わるという、第二次世界大戦でも"Johnny Got His Gun"の呼びかけで終わり、まるでナチスの映画を見ているような気分に浸れる。
コーハンを演じるのはジェームズ・キャグニーでアカデミー主演男優賞。 (評価:2)