海月衛 映画帖
~映画の大海原をたゆたう~

外国映画レビュー──1935年

製作国:アメリカ
日本公開:1938年5月26日
監督:フランク・ロイド 製作:アーヴィング・サルバーグ、アルバート・リューイン、フランク・ロイド 脚本:タルボット・ジェニングス、ジュールス・ファースマン、ケイリー・ウィルソン 撮影:アーサー・エディソン 音楽:ハーバート・ストサート
アカデミー作品賞

現代に置き換えればパワハラがテーマ
​ 原題"Mutiny on the Bounty"で、邦題の意。18世紀末に起きた事件を基にしたチャールズ・ノードホフとジェームズ・ノーマン・ホールの同名小説が原作。『南海征服』は公開時のタイトルで、時勢から大幅に検閲カットされている。
 パンノキの苗木1000本を手に入れるため、ポーツマスからタヒチへ2年間の航海に出たイギリス戦艦バウンティ号の物語で、絶対服従を強いる艦長ブライ(チャールズ・ロートン)の横暴に耐えかねた海軍士官クリスチャン(クラーク・ゲーブル)が徴用された船員たちと共に反乱を起こす。
 反乱はタヒチからの帰路に起きるが、前半の耐えに耐えて遂に耐えかねて怒りを爆発させるまでのシナリオと演出が上手い。艦長ら配下の海兵たちは救命ボートで船を下ろされるが、ティモールに漂着。一方のクリスチャンはタヒチに戻り、結婚などして平穏に暮らす。
 しかし、執念深いブライが反乱者たちを絞首刑にするため再び戦艦を率いてタヒチに向かったため、クリスチャンと船員たちはバウンティ号で無人島に逃れる。反乱には加わらなかった士官候補生バイアム(フランチョット・トーン)らはイギリスに帰ることを希望してブライの船に乗るが、反乱の罪で逮捕されてしまう。
 本国での裁判の結果は有罪だったが、ブライの悪行を暴露して赦免される。ラストは無人島ピトケアンに漂着して再出発を誓うクリスチャンらで終わる。
 前近代的な軍隊の非人道に立ち向かう正義漢の物語で、反乱後も自他ともに人間らしく生きようとするクリスチャンのヒューマニズムが心地よい。
 現代に置き換えればパワハラがテーマになっていて、理不尽な上下関係の在り方と人間らしさを問う普遍性を示している。
 ピトケアン島には今もクリスチャンの子孫がいるそうで、フィクションとしてはユートピアを築けたかどうかは知らない方が良いのかもしれない。
 前半を中心に帆船の美しい姿が描かれ、帆を張るシーンや暴風などに見舞われる海洋シーンがよく出来ていて、映像的な見どころになっている。 (評価:3.5)

製作国:アメリカ
日本公開:1935年11月
監督:レオ・マッケリー 製作:アーサー・ホーンブロウ・Jr 脚本:ウォルター・デレオン、ハーラン・トンプソン 撮影:アルフレッド・ギルクス
キネマ旬報:9位

自由と平等が体に染み込んだアメリカ人の原点がわかる
​ 原題"Ruggles of Red Gap"で、レッド・ギャップのラグルズの意。ハリー・レオン・ウィルソンの同名小説が原作。
 パリに遊びに来ていたイギリスのバーンステッド伯爵(ローランド・ヤング)がポーカーで負け、アメリカ人のフラウド(チャールズ・ラグルズ)に召使のラグルズを差し出すことになる。そうしてラグルズ(チャールズ・ロートン)はアメリカ西部レッド・ギャップにあるラグルズ邸に行くことになるというのがプロローグ。
 階級社会のイギリスで育ったラグルズは代々召使の家系で、主従の立場をわきまえるのが当然。主人の命とあらばアメリカにも行く。一方、新しい主人のフラウドは、自由と平等を旨とする生粋のアメリカ人でラグルズを召使ではなく親友として扱う。ラグルズを召使に望んだのはハイソな夢を追うフラウド夫人(メアリー・ボーランド)の方で、同様にイギリス経験のある妹夫妻もラグルズをあくまで召使として扱う。
 フラウドの仲間は主従関係など思いつきもしない良きアメリカ野郎ばかりで、こうしたギャップを面白おかしく見せるコメディの佳作となっている。
 「人民の、人民による、人民のための政府」のフレーズで知られるリンカーンのゲティスバーグ演説をアメリカ人たちが誰一人復唱できない中で、ラグルズが全文暗唱するシーンがあるが、アメリカ人たちは言葉を覚えていなくても精神は体に染み込んでいると解すべきで、一方のラグルズがそれを覚えているのは彼が奴隷である黒人に仮託されているから。
 そうした点で同じアングロサクソンでありながら、階級社会のイギリスから自由を求めて新大陸にやってきたアメリカ人の原点を再確認するための作品となっていて、日本人が見てもアメリカ人を理解するための良き教科書となる。
 自由と平等の精神を取り戻したラグルズは、フラウドの妹婿に首を切られたのを契機に親しくなった女性(ザス・ピッツ)とレストランを開業することを決意。ところがバーンステッド伯爵が迎えに来るのを知り、召使体質が甦って悩んだ末に隷従ではなく独立を選ぶ。
 フラウド夫人らハイソが好みの人たちは本物の伯爵がやってくると大騒ぎになるが、バーンステッド伯爵はフラウドの馴染みのバーのダンサー(リーラ・ハイアムス)に一目惚れ。ラグルズも伯爵も階級の頸木を逃れアメリカの自由な精神に染まってしまう終幕となる。 (評価:3)

製作国:イギリス
日本公開:1936年5月
監督:ルネ・クレール 製作:アレクサンダー・コルダ 脚本:ロバート・シャーウッド 撮影:ハロルド・ロッソン 音楽:ミュア・マシースン、ミシャ・スポリアンスキー
キネマ旬報:2位

ジャンパンを飲みながら楽しむサロン風フレンチ・コメディ
 原題"The Ghost Goes West"で、邦題の意。エリック・コウンの短篇小説"Sir Tristram Goes West"(トリストラム卿西に行く)が原作。
 18世紀のスコットランドで非業の死を遂げたマードック・グロウリー(ロバート・ドーナット)が、仇敵マクラガンに対しての汚名をそそぐまで昇天出来ず、城付きの幽霊となる。20世紀になり、アメリカの実業家マーチンが城を買い入れ、フロリダに運ぶことになるのがタイトルの由来。
 マーチンの娘ペギー(ジーン・パーカー)がマードックの子孫ドナルド(ロバート・ドーナットの二役)を好きになるが、幽霊のマードックをドナルドのコスプレと勘違い。幽霊を信じないマーチンも城付きの幽霊の話題を経営する食料品店チェーンの宣伝に利用。ドナルドに偽幽霊を頼むが、商売敵のビグロウがマクラガンの末裔だと知ってマードックが姿を現す。マードックは汚名をそそいで昇天を果たし、ペギーとドナルドが結ばれるというコメディ。
 ロバート・ドーナットが絵に描いた二枚目で、マードックが片っ端から女を口説くスケコマシ、ドナルドは反対に恋も打ち明けられない内気男と二役を演じ分ける。マードックが口説く女たちが美女揃いなのに比べ、ジーン・パーカーが今一つなのが残念なところ。
 冒頭のマードックのエピソードが艶笑コメディなのに対し、ペギー登場後はいわゆるロマンチック・コメディで、展開も温くなる。マードックの幽霊の活躍も少なく、特撮も今一つで、ジャンパンを飲みながらサロン風に笑うお洒落なフレンチ・コメディのテンポに付いていけないと、物足りないかもしれない。 (評価:2.5)

製作国:フランス
日本公開:1937年3月
監督:ジャック・フェデー 脚本:ジャック・フェデー、シャルル・スパーク 撮影:アリ・ストラトリング、ハリー・ストラドリング 音楽:ルイ・ベイツ
キネマ旬報:1位

17世紀フランドルの情けない男たちと強い女たちの艶笑コメディ
 原題"La Kermesse héroïque"で、勇敢な女性の意。
 1616年のフランドルの町、ブームが舞台。現在ベルギーにあるこの町は、17世紀初頭はスペイン・ハプスブルグ家の支配下にあって、ネーデルランド諸州がスペインに対し反乱を起こしていた。
 謝肉祭の準備の最中、スペイン軍のドリヴァレス公(ジャン・ミュラ)一行が町を通過することになり、町の人々は残虐なスペイン人に男は縛り首、女はレイプされ、子供は虐殺されるのではないかと恐れ、町長(アンドレ・アレルム)が死んだことにして喪に服し、スペイン軍に素通りしてもらう計画を立てる。
 情けない男たちを見た町長夫人(フランソワーズ・ロゼー)は、逆に女たちでスペイン軍を歓待し、町を守ろうと考え、勇気を持って町の城門前に出迎えに出る。こうしてドリヴァレス公一行は何事もなく満足して町を出立し、歓待の礼として1年間の租税を免除するというオマケまで付くというお話。
 町長を筆頭とする情けない男たちと、ドリヴァレス公一行に対する度胸を示す女たちの対比が見どころで、家に籠って息を潜める男たちとは対照的に、女たちは兵士たちと楽しく飲食し、ダンスまで踊って羽を伸ばす。中には将校たちとアバンチュールを楽しむ猛女までいて、町長夫人も情けない夫を見ているうちに、紳士で男らしい公爵に心惹かれてしまう。
 町長の狂言が一行の侏儒と坊主(ルイ・ジューヴェ)にバレてしまい、賄賂を渡すエピソードや、町長の娘とフランドル画家ヤン・ブリューゲル(子)の恋のエピソードを加えた、楽しい艶笑コメディとなっている。
 普段は虚勢を張って偉そうにしている男たちの本性を暴き、女の芯の強さを描いたシニカルな作品。最後は化けの皮のはがれた夫に花を持たせるという、一枚上手の町長夫人役のフランソワーズ・ロゼーが貫禄の演技。 (評価:2.5)

製作国:アメリカ
日本公開:1935年7月
監督:ジェームズ・ホエール 製作:カール・レムリ・Jr 脚本:ウィリアム・ハールバット、ウィリアム・ボルダーストン 撮影:ジョン・メスコール 特撮:ジョン・P・フルトン 音楽:フランツ・ワックスマン

最大の見どころはホムンクルスの特撮合成シーン
 原題"Bride of Frankenstein"で、邦題の意。メアリー・シェリーの小説"Frankenstein"が原作。
 1931年の『フランケンシュタイン』の続編で、前作ラストで風車小屋で焼死した怪物が実は生きていたという設定。プロローグは、原作誕生のきっかけとなったシェリー夫妻とバイロンとの会話から始まり、メアリーが続きを語り始めるという形式を採っている。
 風車小屋の地下の水溜りで生き延びた怪物(ボリス・カーロフ)は森に逃げ込み、盲目の老人と出会うことで初めて友人を得る。
 一方、フランケンシュタイン(コリン・クライヴ)は恩師プレトリアス(アーネスト・セジガー)の来訪を受け、女の怪物を作ることを提案されるが拒否。プレトリアスは墓荒しの最中に怪物と出会い、花嫁の創造を餌にフランケンシュタインの婚約者を誘拐し、返す条件として女の怪物を造らせる。
 ところが花嫁は醜い怪物を拒絶。絶望した怪物はフランケンシュタインの居城を爆破して、花嫁とプレトリアスを道連れに滅ぶ。
 女の怪物など原作の要素を採り入れながらもストーリーはオリジナル。プレトリアスがホムンクルスを生成するなど、突飛なアイディアもあって原作とはやや趣を異にし、人が造物主となる不遜も宗教性に重きが置かれていて、怪物に対するヒューマニズムよりもエンタテイメントに重きが置かれている。
 最大の見どころはホムンクルスの特撮合成シーンで、ピンセットで摘まみ上げるシーンが当時としては画期的だったのは想像に難くない。
 エルザ・ランチェスターがメアリーと女の怪物の二役を演じているのも見どころ。タイトルの花嫁は女の怪物のことで、怪物とフランケンシュタインが混同される一因ともなっている。 (評価:2.5)

野性の叫び

製作国:アメリカ
日本公開:1936年1月
監督:ウィリアム・A・ウェルマン 製作:ジョセフ・M・シェンク、ダリル・F・ザナック 脚本:ジーン・フォウラー、レナード・プラスキンズ 撮影:チャールズ・ロッシャー 音楽:アルフレッド・ニューマン

犬が雌狼に惹かれて野生に還るというより人間の男女の恋愛物語
 原題"Call of the Wild"で、邦題の意。ジャック・ロンドンの動物小説”The Call of the Wild”が原作。
 有名な原作の三度目の映画化だが、ハリウッドらしく、主人公は犬のバックではなく人間で、しかも犬が雌狼に惹かれて野生に還る話というよりは、人間の男女の恋愛物語になっている。
 野性的なのは女ではなく男で、人妻を挟んでのやるせない男の悲恋物語だが、人妻を諦めて病身の夫に譲るという、定型ながらも良くできた話になっていて、原作の改変にも関わらず、それなりに楽しめる作品になっている。
 時は1900年のアラスカ、スカグウェイ。ゴールドラッシュの金鉱採掘者が集まる無法者の町で、ソーントン(クラーク・ゲーブル)は旧友ショーティー(ジャック・オーキー)から金鉱の在り処を記した地図を見せられる。
 それは、金鉱発見者のブレークが遺言として息子に宛てた手紙を盗み見たもので、傲慢な採掘者スミス(レジナルド・オーウェン)に殺されそうになった猛犬バックを助け、犬橇を仕立ててカナダのユーコン準州の町ドーソンを目指す。
 途中、雪山で狼の群れに襲われているブレークの息子の妻クレア(ロレッタ・ヤング)を助け、行方不明の夫ジョンは絶望的だと諭し、クレアと共に地図に記されたユーコン川岸の小屋を発見。ショーティーは採掘権の出願にドーソンに戻る。
 一方、ジョン(フランク・コンロイ)は瀕死のところをスミスに助けられ道案内をするが、小屋に辿り着くと首を絞められてしまう。
 スミスはソーントンを襲い、採掘した金を奪うが、カヌーが転覆して水死。怪我をしたジョンを助けたソーントンは、ジョンの介護にはクレアが必要だと言って二人をカヌーに乗せる。
 その間、バックは牝狼と番になるために森に入り、金の代償にクレアを失った傷心のソーントンは、料理人を連れたショーティーを迎える、というラスト。
 撮影中にクラーク・ゲーブルがロレッタ・ヤングを妊娠させたという、"Call of the Wild"に相応しい曰くつき。 (評価:2.5)

製作国:フランス
日本公開:1936年9月11日
監督:ジュリアン・デュヴィヴィエ 脚本:シャルル・スパーク、ジュリアン・デュヴィヴィエ 撮影:ジュール・クリュージェ 音楽:ジャン・ウィエネル
キネマ旬報:5位

J・ギャバンとロマンチシズムだけで持っている
 原題"La Bandera"で、スペイン語で国旗の意。スペイン外人部隊の大隊規模の呼称バンデーラのこと。フランスの作家ピエール・マッコルランの同名小説が原作。
 パリで人を殺したピエール(ジャン・ギャバン)が、バルセロナに逃亡するが、スリ・グループに一文無しにされ、仕方なく外人部隊に就職、第3次リーフ戦争のモロッコに送られる。一緒に入隊したリュカ(ロベール・ル・ヴィーガン)が、パリの密偵であることに気づいたピエールは最前線を志願。しかし密偵も後続部隊でやってきて、共に決起隊に編成されることになる。
 24人の決起隊は2人を残して全滅。ここに至って2人は固く友情で結ばれ、スペイン正規軍が進攻してきて助かったと思った瞬間、ピエールは狙撃兵に撃たれて絶命。リュカがピエールを讃えて終わるという、わけのわからない話。
 敵だった者同士が互いを認めるに至るという古来伝統の男の友情ドラマで、『レ・ミゼラブル』の如く、ラストは悲劇で終わるという定番を踏む。
 もっとも相手は人殺しなので、その真相が説明されないままに男の友情を謳われても、何かな~という思いが残る。
 ヒロイックなジャン・ギャバンとロマンチシズムだけで持っている作品で、モロッコ娘(アナベラ)との恋愛も絡むが、やたら急展開で刹那的に結婚までしてしまい、本気だったのかやけくそだったのかもよくわからない。
 撮影協力を得たスペイン外人部隊の様子が覗けるのと、モロッコとバルセロナ・ロケが見どころか。 (評価:2.5)

製作国:アメリカ
日本公開:1935年8月
監督:ジョン・フォード 製作:ジョン・フォード 脚本:ダドリー・ニコルズ 撮影:ジョセフ・H・オーガスト 音楽:マックス・スタイナー
キネマ旬報:5位

愚かな人間は赦されるアイルランド独立の宗教的偽善
​ ​原​題​は​"​T​h​e​ ​I​n​f​o​r​m​e​r​"​で​密​告​者​の​意​。​ア​イ​ル​ラ​ン​ド​作​家​の​リ​ー​ア​ム​・​オ​フ​ラ​ハ​テ​ィ​の​同​名​小​説​が​原​作​。
​ ​1​9​2​2​年​、​ダ​ブ​リ​ン​が​舞​台​。​ア​イ​ル​ラ​ン​ド​独​立​軍​の​ジ​ッ​ポ​(​ヴ​ィ​ク​タ​ー​・​マ​ク​ラ​グ​レ​ン​)​は​仲​間​を​処​刑​で​き​ず​に​逃​が​し​て​し​ま​い​、​組​織​か​ら​締​め​出​さ​れ​て​金​に​困​る​生​活​を​送​っ​て​い​る​。​恋​人​か​ら​責​め​ら​れ​、​二​人​で​ア​メ​リ​カ​に​渡​る​旅​費​を​手​に​入​れ​る​た​め​、​懸​賞​金​目​当​て​に​親​友​の​フ​ラ​ン​キ​ー​を​警​察​に​売​っ​て​し​ま​う​。​放​蕩​を​繰​り​返​す​ジ​ッ​ポ​は​独​立​軍​に​疑​わ​れ​、​別​の​人​間​が​密​告​者​だ​と​言​い​逃​れ​る​。​し​か​し​金​を​使​い​果​た​し​た​挙​句​に​、​裁​判​に​か​け​ら​れ​て​密​告​が​ば​れ​、​処​刑​さ​れ​て​し​ま​う​と​い​う​話​。
​ ​ジ​ッ​ポ​は​腕​力​は​あ​る​が​頭​は​か​ら​き​し​空​っ​ぽ​と​い​う​男​で​、​密​告​が​ど​う​い​う​結​果​を​産​む​か​わ​か​ら​な​い​。​最​後​に​死​ん​だ​フ​ラ​ン​キ​ー​の​母​に​、​「​や​っ​た​こ​と​が​、​わ​か​ら​な​か​っ​た​の​だ​か​ら​」​と​い​う​理​由​で​赦​さ​れ​、​教​会​で​命​尽​き​る​。
​ ​ア​イ​ル​ラ​ン​ド​の​カ​ソ​リ​ッ​ク​の​考​え​方​に​ケ​チ​を​つ​け​る​つ​も​り​は​な​い​が​、​ど​う​も​納​得​が​い​か​な​い​。​罪​が​理​解​で​き​な​い​愚​か​な​人​間​は​赦​さ​れ​る​と​い​う​寛​容​の​精​神​で​は​、​独​立​と​自​由​の​た​め​に​命​を​捨​て​て​戦​う​戦​士​た​ち​は​報​わ​れ​な​い​。
​ ​近​代​的​精​神​に​よ​っ​て​宗​教​が​問​い​直​さ​れ​る​以​前​、​宗​教​の​偽​善​が​罷​り​通​っ​て​い​た​時​代​の​作​品​。​そ​れ​に​し​て​も​ジ​ッ​ポ​は​手​に​入​れ​た​金​を​お​だ​て​ら​れ​て​遊​興​に​使​い​果​た​す​た​だ​の​う​す​の​ろ​に​し​か​見​え​ず​、​同​情​も​感​情​移​入​も​で​き​な​い​の​は​残​念​。​こ​の​役​で​マ​ク​ラ​グ​レ​ン​は​ア​カ​デ​ミ​ー​主​演​男​優​賞​、​ジ​ョ​ン​・​フ​ォ​ー​ド​は​監​督​賞​を​獲​っ​て​い​る​。
​ ​ジ​ッ​ポ​は​恋​人​の​た​め​に​親​友​を​売​っ​た​が​、​邦​題​は​「​男​の​敵​は​女​」​と​い​う​意​味​か​?​ ​こ​ち​ら​も​浅​薄​で​あ​ま​り​感​心​し​な​い​タ​イ​ト​ル​。 (評価:2)

アンナ・カレニナ

製作国:アメリカ
日本公開:1936年4月30日
監督:クラレンス・ブラウン 製作:デヴィッド・O・セルズニック 脚本:クレメンス・ダン、サルカ・ヴィアテル、S・N・バーマン 撮影:ウィリアム・H・ダニエルズ 音楽:ハーバート・ストサート
ヴェネツィア映画祭作品賞

グレタ・ガルボのアンナは愚かというよりはクズ女に見えてしまう
 原題"Anna Karenina"。レフ・トルストイの小説"Анна Каренина"が原作。
 アンナ・カレニナをグレタ・ガルボが演じる2回目の映画化で、不倫する将校ヴロンスキーをフレドリック・マーチ、アンナの夫カレーニンをシャーロック・ホームズ俳優・ベイジル・ラスボーン、ヴロンスキーに恋するアンナの義妹キティをモーリン・オサリヴァンが演じている。
 長編小説を簡略化した上にアップ・テンポで描くので、『アンナ・カレニナ』のダイジェストを見ているような気になる。
 とりわけアンナとヴロンスキーが恋に落ちる最初のパートは、ヴロンスキーは無分別なただのスケコマシのおっさんにしか見えないし、言い寄られるアンナに至ってはとてもヴロンスキーに惹かれているようには見えず、唐突に抱き合ってキスするようになると、いつの間に好きになったんだ? と面喰う。
 男を寄せ付けないグレタ・ガルボの風貌が悪いのか、それとも演技力に問題があるのか、生涯アカデミー主演女優賞に三度ノミネートされながら受賞できなかったのも頷ける気がする。
 人妻で子供までありながらイケメンに恋してしまう愚かな女であるはずのアンナが、気位が高いだけの高慢なクズ女に見えてしまうのが、クズ男のヴロンスキー同様にいただけず、体面を繕っているカレーニンが常識人で教育パパの善人に見えてしまう。
 虚飾に満ちた貴族社会で自分に忠実に生きようとした犠牲者というよりは、自業自得の女に見えてしまうラストが悲しいといえば悲しいが、対比して田舎貴族と結婚して幸せとなったキティの影が薄いのが寂しいといえば寂しい。 (評価:2)

罪と罰

製作国:アメリカ
日本公開:1936年2月
監督:ジョセフ・フォン・スタンバーグ 製作:B・P・シュールバーグ 脚本:S・K・ローレン、ジョセフ・アンソニー 撮影:ルシアン・バラード 音楽:ステファン・グッソン

ハリウッドにはドストエフスキーは描けないことを実感する
 原題"Crime and Punishment"で、邦題の意。フョードル・ドストエフスキーの"Преступленіе и наказаніе"が原作。
 原作というよりは翻案で、換骨奪胎どころか心まで抜き去って別物になっている。
 主人公のラスコルニコフ(ピーター・ローレ)は首席で大学を卒業後、新進の犯罪心理学者となったが貧乏暮らし。質屋に行って清純な貧乏娘ソーニャ(マリアン・マーシュ)と知り合う。
 以下、強欲な質屋の老婆を殺し、ラスコルニコフの論文を評価するポルフィリー警部(エドワード・アーノルド)との対決となるが、原作とは似ても似つかないサスペンスドラマが展開される。
 最後は自首してエンドとなるが、後半は退屈なメロドラマで見終わって安っぽい犯罪ドラマを見せられた気分になる。
 ラスコルニコフは天才犯罪学者という設定だが、質屋殺しの場面は間が抜けていて無計画なボンクラにしか見えない。その後の描写も直情型で理性的には見えない。
 刑事とのサスペンスに重きが置かれているため罪の意識に苛まれるラスコルニコフの葛藤が薄っぺらく、ハリウッドにはドストエフスキーは描けないことを実感する。 (評価:2)

三十九夜

製作国:イギリス
日本公開:1936年3月5日
監督:アルフレッド・ヒッチコック 脚本:チャールズ・ベネット、アルマ・レヴィル、イアン・ヘイ 撮影:バーナード・ノールズ 音楽:ルイス・レヴィ

段取り優先・ご都合主義のストーリーに付いていけない
​ 原題"The 39 Steps"で、39階段の意。ジョン・バカンの"The Thirty-Nine Steps"が原作。
 主人公の色男(ロバート・ドーナット)がロンドンのミュージックホールでナンパした美女のアパートに行くと、諜報員だと告白され、その晩彼女は敵のスパイに殺されてしまう。彼女の遺した手掛かりを基にスコットランドに行くが、新聞で殺人犯として指名手配されてしまう。手掛かりの人物に会ったところが、そいつが軍事情報を国外に持ち出そうとしていた敵の黒幕。
 警察にも敵にも追われてロンドンに戻った男は、軍事情報の手掛かりがミュージックホールのどんな質問にも答える物知り芸人ミスター・メモリーにあることを知り、死んだ女が遺した謎の言葉"39 Steps"とは何かと問いかけると、ミスター・メモリーは律義に「スパイ組織の名前」と答え、その場で敵の諜報員に撃たれて殺されてしまう。
 軍事情報はミスター・メモリーの頭の中にあって、敵の黒幕はミスター・メモリーごと国外に持ち去ろうとしていたというのがオチ。
 アイディアは面白いが、シナリオがとにかく杜撰。同じ部屋にいて女が殺されたのに気付かなかったというのも難で、ゆきずりの男の名前をどうして警察が知ったかというのも謎。列車からスコットランドに至るまで、周囲の人間がみんな男が指名手配の男だと気付いてしまうのも凄く、段取り優先のご都合主義に?が次々点灯してストーリーに付いていけない。 (評価:2)

日本の娘

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製作国:ビルマ、日本
日本公開:劇場未公開
監督:ウー・ニープ 共同監督:枝正義郎他 撮影:川谷庄平

演出は稚拙だが会話部分の擦れ違いや誇張が意外と面白い
 ビルマの飛行士兄弟が日本にやってきて、東京からラングーンまでの無着陸飛行に挑戦するという物語で、日本人娘との恋愛など紆余曲折があって、成功するまでが描かれる。
 当時のビルマはイギリスの植民地。羽田空港を飛び立つシーンでは日の丸と共にクジャクの旗が機体に描かれ、子供たちも二つの旗を振るが、クジャクは旧王朝の旗でイギリス植民地下での民族主義を象徴するものとなっている。
 兄を演じるのは監督のニープで、料理屋で仲居の恵美子(高尾光子)と恋に落ち、試験飛行の飛行機も落っこちてしまい、ラングーンへの無着陸飛行を諦め、恋の道を選んでしまう。
 それではビルマの国民に顔向けができないと弟(ティンペー)が恵美子を説得。恵美子は弟に乗り換えたふりをして兄に恋を諦めさせ、兄弟はラングーンへと飛び立つ。一方、恵美子は精神耗弱して床に臥せり、死んでしまうという、後腐れのないエンディングとなる。
 演出は全体に弛緩していて稚拙。もっとも兄と恵美子の会話部分の擦れ違いや誇張が意外と面白く、一瞬コメディかと思うが、おそらくはビルマ人の表現法と日本人の感覚とのギャップが笑いを誘うのだと思われる。
 もともとは日本紹介を目的とした映画で、東京駅、日劇、目黒雅叙園、芦ノ湖などのロケ映像が貴重。
 ビルマにはフィルムは残ってなく、1992年に東京国立近代美術館フィルムセンターでプリントが発見された。 (評価:2)


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