海月衛 映画帖
~映画の大海原をたゆたう~

日本映画レビュー──2014年

製作:東映ビデオ
公開:2014年12月20日
監督:武正晴 製作:間宮登良松 脚本:足立紳 撮影:西村博光 美術:将多 音楽:海田庄吾
キネマ旬報:8位

百円の価値しかない負け犬たちへのやさしさが全体を貫く
 実家に引き籠っているダメダメな女(安藤サクラ)が、負け続ける人生からの脱出を試みる物語。
 出戻りの妹と喧嘩したことから家を出てアパート住まい、コンビニでバイトを始める。自堕落な生活を送っていた女はぶくぶく太っている上に、行き帰りに通りがかるボクシング・ジムをしきりに気にすることで、やがて女がボクシングを始めて、本作のために贅肉をつけた安藤サクラが、痩せていくストーリー展開であることは、すぐに察しが付く。
 コンビニにバナナを買いに来るジムの男(新井浩文)と知り合い、彼の引退試合に招待される。男はぼこぼこにされるが、最後は対戦相手と肩を叩きあう姿に感動した女は、ボクシングを始めることを決意、プロテスト上限の32歳ながら練習に励んで、リングでの対戦試合を夢見るという、女ロッキー張りの展開となる。
 二人は同棲を始めるが、男もまた負け続けの人生で、ボクシングを止めたことで生きる目標を失い、女ロッキーをウザく感じて部屋を出て行ってしまう。
 しかし目標を持った女は、体型とともに人も変り、負け犬ばかりが集まるコンビニを辞め、家族と仲直りして実家に戻る。
 そして、いよいよクライマックスのデビュー戦となるが、ロッキーとは違ってノックアウト負け。試合を見にきた男の前で、「勝ちたかった」と悔し涙を流すという感動的なラストを迎える。
 負け続ける人生をやり直す起死回生の物語ではなく、負け続ける人生に勝つのでも負けるのでもなく、負け続ける人生を受け入れて、なお前に進もうとする心を持つというネバー・ギブ・アップの物語で、負け犬たちへのやさしさが全体を貫いている。
 役作りのために太った安藤サクラが好演、喧嘩やボクシングシーンも体当たりで演じている。
 元店員で廃棄処分の弁当を取りに来るババアに根岸季衣。
 タイトルは100円コンビニの商品同様に、百円の価値しかない女という意味。百円玉には百円玉の意地がある。 (評価:3)

製作:「そこのみにて光輝く」製作委員会(TCエンタテインメント、スクラムトライ、函館シネマアイリス、TBSサービス、ひかりTV、ギャンビット、TBSラジオ&コミュニケーションズ、太秦、WIND)
公開:2014年4月19日
監督:呉美保 製作:永田守、菅原和博 脚本:高田亮 撮影:近藤龍人 音楽:田中拓人 美術:井上心平
キネマ旬報:1位

一言でいえば聖母マリアを描いた作品で、だからそれが何なのさ?
 佐藤泰志の同名小説が原作。映画化作品としては『海炭市叙景』(2010、熊切和嘉監督)に続く2作目。
 一言でいえば、これは聖母マリアを描いた映画で、マグダラのマリアの娼婦性も付け加えている。日本風にいえば観音菩薩。
 函館の掃き溜めのようなうらぶれた家で、「そこのみにて光輝く」マリア、ないしは観音菩薩といったところで、まさに掃き溜めに鶴。
 その鶴を演じるのが池脇千鶴で、漁師の父が性欲だけは衰えない寝たきりになり、弟(菅田将暉)は刃傷沙汰を起こして刑務所に入ったため、家計を支えるために水産加工会社で働きながら、飲み屋で売春している。造園会社社長の愛人となり、保釈中の弟の身元引受人になってもらう。
 そうした点で娘は娼婦のマリアで、発破作業で従業員を死なせてしまい虚ろな毎日を送っている主人公の青年(綾野剛)が、弟を介して知り合った彼女の聖女性に魅かれていく。
 青年が弟と職場復帰し、娘と一緒になろうとした矢先、娘と別れようとしない身元引受人を弟が刺し、幸福になれないことを悟った娘は父を殺そうとする。
 それを止めた青年が娘と歩き出すところで物語は終わるのだが、この不幸に満ち満ちた悲劇が、悲惨さ以外に何を訴えたいのかがわからない。娘が聖母であったにせよ聖女であったにせよ、あるいは観音菩薩のように慈悲に満ちていたにせよ、だからそれが何なのさ?
 よくできた悲劇であり、映像も情感に満ちているし、俳優たちも良く演じているのだが、貧しさだけで作り上げられた悲劇の作為性が最後まで付きまとって、よくできた悲劇以上のものを残さない。
 軽薄で人の良い弟役の菅田将暉の演技が良い。 (評価:2.5)

愛の渦

製作:東映ビデオ、クロックワークス
公開:2014年3月1日
監督:三浦大輔 製作:間宮登良松、藤本款 脚本:三浦大輔 撮影:早坂伸 美術:露木恵美子 音楽:海田庄吾

裸なのに服を着た会話をしてしまう乱交パーティ物語
 三浦大輔の同名戯曲が原作。原作は岸田國士戯曲賞を受賞している。
 風俗店の乱交パーティに集まった互いに面識のない男女10人の一夜の物語で、何とも奇妙な会話劇に仕上がっている。
 それぞれの人物描写、会話がとてもリアルで、身も心も裸になった人間の裸の姿を描く。人間の本質を描くとコメディになる、を地でいった作品。
 互いが気になってしまったニート青年と女子大生が、パーティ後に喫茶店で再会し、女が二度と会わないことにしたいというシーンがなかなかで、パーティの自分は別人格だったという女に対して、自分は本当の人格だったという男の会話が本作のテーマを言い表している。
 人間誰しもが建前と本音の二面性を持っていて、10人は服を着た建前の自分と、裸になった本音の自分の間で揺れ動く。セックスをしたいという本音の集まりのはずなのに、それぞれがなかなか仮面を取ることができず、裸であるにも関わらず服を着た建前の会話をしてしまう。
 その仮面はセックスをするという本音に向かって徐々に剥ぎ取られていき、最後には社交を捨てて、互いの人格を否定するまでになる。
 セックスの乱交を描きながら、実は人格の乱交を描いていて、裸になった人間としての真の自分を見つめるという作品になっている。
 途中スワッピングに来た夫婦が参加して、愛情と嫉妬、欲望と理性といった通俗的テーマも提起される。
 ニートの青年は裸の自分を実像と認識し、女子大生は裸の自分を陰影、虚像だと否定して、よくある自己認識のギャップが示される。
 ニート青年に池松壮亮、女子大生に門脇麦。風俗店店員に窪塚洋介、スワッピング夫に柄本時生。
 乱交シーンも描かれるために成人映画指定になっていて、それなりにポルノがかっているので観る際は要注意。 (評価:2.5)

製作:ゼロ・ピクチュアズ、リアル・プロダクツ、ユマニテ
公開:2014年11月8日
監督:安藤桃子 脚本:安藤桃子 撮影:灰原隆裕 美術:竹内公一 音楽:TaQ
キネマ旬報:2位

なぜ1ミリではなく0.5ミリなのかが不明
 安藤桃子の同名小説が原作。
 失業してホームレスとなったヘルパーの女(安藤サクラ)が、老人の弱みにつけ込んで無理やり同居するという物語。劇中、エロ本を万引きしようとして脅される元教員(津川雅彦)の女へのメッセージで、タイトルの由来を話すが、正直何を言わんとしているのかよくわからない。僅かでも物事を動かすことの必要性を言っているようにも取れるが、なぜ1ミリではなく0.5ミリなのか不明。
 冒頭は老人介護から始まり、老人の孤独がテーマかと思いきや、戦争体験から平和へと移り、老人の体験を若者たちが共有する事の大切さ、そして孤立する若者同士の共生と出発でエンディングとなる。3時間におよぶ中で物語の主題がくるくる変わり、何を描こうとしているのか混沌とするだけで、まとまりを欠いている。
 長尺物を一貫した作品にするには監督の力量が問われるが、本作は描きたいものが明確に絞れないままに時間をかけて説明しようとしたものの、要は何がいいたいの? という説明下手な作品に仕上がってしまった感がある。各エピソードはオムニバス風にそれぞれは面白く描けているが、次第に終わりの分からないドラマを見せられている気になってくる。
 ただ坂田利夫、津川雅彦をはじめとした老人たちはみんな優しく、ヘルパーの女も老人にたかっているものの家族以上に優しく、物語としては心温まる。もっとも、ヘルパーの女は彼らの人間性や経験を糧にすることはできるが、老人たちはやがて消えていくのが必定で、ヒューマンドラマとして描きながらも、彼らとの共生は疑似的で刹那的でしかないということが、本作の視点からは欠落している。 (評価:2.5)

製作:芦別映画製作委員会、PSC
公開:2014年5月17日
監督:大林宣彦 脚本:大林宣彦 撮影:三本木久城 美術:竹内公一 音楽:山下康介
キネマ旬報:4位

幽明境を描いて成仏できない大林宣彦作品
 炭鉱不況で寂れた芦別を舞台にした村おこし的な作品で、これまたわかりやすい反戦と反原発がテーマ。
 元医師の老人が天寿を全うし、成仏するまでの四十九日(七七日)、過去を振り返るという物語。
 死者の成仏までの過程を描くため、生者と亡霊とが共存し、現在と過去とが並行するため、良く言えばファンタジー、人によってはそれらが渾然一体となって判りにくい作品となっている。
 とりわけ冒頭から、大林の得意な演出法である、早口で間を置かない台詞、短いカット割りで畳みかけるように非日常の世界観を演出するため、物語の全体像が掴めない状態が続く。
 中盤以降になってようやく、主人公の老人と友人の医者、その婚約者との三角関係の物語で、サハリンでのソ連軍進駐にまつわる悲劇の青春哀歌と、亡霊となった主人公が七七日で成仏するための罪と罰とその審判の過程を描いていることがわかる。
 演出法や彩度を上げた映像加工を含め、老境に達した大林ならではの味わい深い作品ではあるが、老人ならではの同じ言葉をしつこく繰り返す繰り言めいたところもあって、途中何度もこれがラストシーンかと思いながら、ネバーエンディングに付き合わされて、見終われば約3時間が経過していたことを知る。
 新藤兼人や黒木和雄もそうだったが、人生の黄昏が近づくと反戦平和への思いが募るのか、これまたくどいくらいのメッセージ過多となる。
 これに反原発が加わるのが現代作品らしいが、終盤この二つにテーマが収斂してしまうと、それがメッセージなら前半の描写のほとんどが不要で、もっと簡潔な作品が作れたのではないかと思えるが、この無駄な長大さもまた巨匠の条件かもしれない。
 テイストは『異人たちとの夏』(1988)に似ているが、出来は本作の方が成仏できずにいる。
 北海道が舞台の反戦映画となると、必要以上に反露色が強くなるのが鼻につく。
   10代の恋人を30代の安達祐実が演じ、この生まれ変わりの常盤貴子がキャスト的な見どころで、映像的には加工有りだが芦別の自然が観光映画のように美しい。 (評価:2.5)

渇き。

製作:ギャガ、リクリ、GyaO!
公開:2014年6月27日
監督:中島哲也 製作:依田巽、鈴木ゆたか、宮本直人 脚本:中島哲也、門間宣裕、唯野未歩子 撮影:阿藤正一 美術:磯見俊裕 音楽:GRAND FUNK ink.

ミステリー原作を使ってテーマ性作品を作ったのは反則
 深町秋生のミステリー小説『果てしなき渇き』が原作。
 原作通りのミステリー映画を期待すると裏切られる。CM出身の中島哲也らしいポップさは全開で、ストーリー性や謎解きの段取りは無視され、純粋にミステリーを楽しみたい向きには、ミステリー映画ではないといっても過言ではない。
 元刑事が高校生の娘の失踪を追ううちに、娘が自殺した恋人のために少年少女売春組織に加わり、売春のバックにいる黒幕と不良グループに復讐していたことを知るという筋立て。
 映画では、復讐のために無慈悲にクラスメートを利用するという娘の心の闇が軸になっていて、その原因が元刑事の父親自身の心の闇と、それによって浮気・離婚した母親との不和にあることがわかる。
 そうした家庭崩壊を描きながら、水の中を沈んでいく少年と少女のアニメーションと、少女が愛読する『アリスの不思議な国』の穴に落ちていくモチーフを心の闇の象徴的なキーワードとする。
 一方で、心の闇からもたらされる自己を含む破壊性を、エスカレートしていく執拗な暴力描写と、血しぶきのアニメーションによって強調する。
 父親が、死んだ娘を雪の中から掘り出して、娘の中にいる自分自身を殺そうとする暗喩的なラストで終わるが、従来の中島作品に比べてやや観念的で難解。ミステリー原作を使ってテーマ性の強い作品を作ったのは、ミステリーを期待する観客に対して反則ともいえる。
『告白』で社会にテーマを移したという点では新境地の作品だが、成功しているかというと微妙。
 とても躁鬱症とは思えない元刑事に役所広司、娘に小松菜奈。精神医の國村隼が円熟の演技。後輩刑事の妻夫木聡が嫌な奴でいい。他に、中谷美紀、オダギリジョー、橋本愛。 (評価:2.5)

製作:「超高速!参勤交代」製作委員会(松竹、テレビ東京、博報堂、ケイファクトリー、松竹ブロードキャスティング、講談社、キングレコード、福島民報社)
公開:2014年6月21日
監督:本木克英 脚本:土橋章宏 撮影:江原祥二 美術:倉田智子 音楽:周防義和
ブルーリボン作品賞

飯盛り女を演じる深キョンと西村雅彦の落ち武者姿がみどころ
 城戸賞受賞作のシナリオで、参勤交代が題材。
 8代将軍・吉宗の享保年間、磐城の小藩・湯長谷藩が舞台。
 金山を発見したのに幕府への報告がないとして、参勤交代で国許に帰ったばかりの第4代藩主・内藤政醇に、5日後に江戸城に登城して釈明するように命令が下る。背景に湯長谷藩を取り潰して自分のものにしようとする老中・松平信祝の陰謀があり、無理難題を吹っ掛けられた政醇は、何がなんでもと江戸をめざし、これを阻止しようと信祝が御庭番を繰り出すという物語。
 突っ込みどころは満載だが、基本はコメディなので、考証は気にしないというのが正しい鑑賞法。あるいは、突っ込みながら見るのも一つの方法。
 政醇は忠孝・倹約・扶助の藩法を定めたそうで、貧乏ながらも善人の藩主として描かれる。
 政醇に佐々木蔵之介、家老に西村雅彦、手助けする忍者に伊原剛志、信祝に陣内孝則、筆頭老中に石橋蓮司と個性派が揃い、気楽に楽しめるコメディになっている。吉宗に市川猿之助は、それっぽい。
 牛久の旅籠の飯盛り女を演じる深田恭子が、器量と気風のよい女を演じてなかなか魅力的で、時折見せる可愛らしさが、かつての深キョンを垣間見せる。
 客を奪われた飯盛り女が深田恭子に「売女!」と罵声を浴びせるのが笑える。
 西村雅彦の落ち武者風の姿も見どころ。 (評価:2.5)

製作:松竹、住友商事、テレビ朝日、博報堂DYメディアパートナーズ、衛星劇場、日販、ぴあ、読売新聞社、TOKYO FM、博報堂、GYAO、朝日放送、メ〜テレ、北海道テレビ、北陸朝日放送
公開:2014年1月25日
監督:山田洋次 製作:大角正 脚本:山田洋次、平松恵美子 撮影:近森眞史 美術:出川三男、須江大輔 音楽:久石譲
キネマ旬報:6位

濡れ場や男女の愛憎を描けない山田洋次に不倫モノは不向き
 中島京子の同名小説が原作。
 昭和初期から戦中までを中心に、東京郊外・雪ヶ谷の小さいおうちで女中をしていたタキの回顧譚を描く。未婚のまま老年になって死んだタキ(倍賞千恵子)が遺した自叙伝を妹の孫・健史(妻夫木聡)が紐解くという構成になっていて、生前の二人の会話と、自叙伝の中身が並行して語られる。
 回顧譚の中身は奉公先の奥様・時子(松たか子)と夫の部下・板倉(吉岡秀隆)の浮気話だが、率直に言って濡れ場や男女の愛憎を描けない山田洋次に本作のような不倫モノは不向き。結果的に何を描こうとしたのかよくわからない。
 山田洋次の傾向から忖度すれば、モチーフとなったV.L.バートンの絵本『ちいさいおうち』同様に変化していく周囲の景色、戦争の15年を小さいおうち=タキの目を通して描こうとしたのかもしれない。戦争そのものではなく、市井の一家の日常の変化を通して描くというのが山田流で、しかもプチブル一家というのがこれまた山田らしい。
 それが戦時下の奥様の浮気となれば本来は生々しいはずだが、純愛潔癖症の山田ではそうはならない。そのため、奥様の浮気現場はもちろん浮気に走った理由も描かれないが、原作では夫婦間にセックスがなかったのが原因らしい。
 いずれにしても、戦争で奪われた人間性の解放が姦通罪からの解放、浮気の自由では、さすがに山田も躊躇したか。
 タキが生涯独身を通した理由もわかったようでわからない。映画のラストでは、時子の子・恭一(米倉斉加年)がタキと板倉はお似合いだったと漏らすことから、タキが板倉に恋していたように受け取れる。しかし時子亡き後、復員した板倉は有名画家となっていて、それをタキが知らないわけがなく、「君のために戦争に行く」と抱きしめてくれた板倉に会いに行かないわけがないのに、完全にスルーされている。
 タキの前で時子と浮気をしていて二股掛ける板倉もナンで、好青年・吉岡秀隆に演じさせてクソ野郎と気づかせずにタキの片思い純愛映画に仕立てる。しかし、タキが独身を通すほどに板倉に恋慕していたようにも思えず、原作の板倉ではなく時子に恋していたのだという説明を聞けば、死んだ時子への操も、出征する板倉に時子の手紙を渡さなかったことへの罪悪感も、長く生きすぎたという思いも理解できるが、残念ながら山田は同性愛も苦手だったようだ。
 そもそも松たか子が憧れのお美しい奥様には役不足だし、倍賞千恵子が吉岡秀隆や松たか子に操を立てるように見えないのがミスキャスト。
 それでも見れてしまうのは、若き日のタキを演じる黒木華の熱演によるものか。ロケット花火のような空襲シーンと、松たか子の現代風な喋り方に違和感が残る。 (評価:2.5)

製作:「紙の月」製作委員会(松竹、ポニーキャニオン、ROBOT、アスミック・エース、博報堂、朝日新聞社、ぴあ、KDDI)
公開:2014年11月15日
監督:吉田大八 脚本:早船歌江子 撮影:シグママコト 美術:安宅紀史 音楽:little moa、小野雄紀、山口龍夫
キネマ旬報:3位

本物の月を見上げてポカンとするしかない
 角田光代の同名小説が原作。
 銀行の外交員に再就職した主婦が、顧客の孫の大学生と不倫し、偽造証書を発行して預金を横領して貢ぐ話。主婦を宮沢りえが演じ、ツバメに池松壮亮。
 主婦はなぜ横領事件を起こしたのか? というのが究極のテーマで、「紙の月も信じれば本物に見える」というタイトルの意味に由来する。
 紙の月の元祖は1973年の名作『ペーパー・ムーン』で、父娘の関係が紙の月に譬えられる。更にその元となっているのはジョルジュ・メリエスの『月世界旅行』(1902)で、紙の月でも私を信じれば本物に見えるという歌。
 本作では、偽りの幸せも信じれば本当だと思える、と横領女の動機が語られるが、大学生と不倫に落ち、横領して貢ぐようになるまでが一足飛びで、女の心理が99%描かれない。
 夫の人物描写もかなり乱暴で、妻の心を理解せず自分勝手で無神経というステレオタイプな夫を記号的に持ってきているだけで、現実感に乏しい。
 おそらくそれが不満で妻は不倫に走ったと想像するしかないが、きっとそれまでの主婦としての刺激のない日常に倦んでいたのだろうと、これまたステレオタイプに推測するしかない。
 中盤の横領を重ねるシーンはサスペンスフルだが、そこまでして男に貢ぐ女の心理が伝わってこず、ミッションスクール時代のエピソードでお茶を濁される。
 施しによって幸せが得られるなら、その資金が不正によって得られたかどうかは意味を持たない。それが、紙の月に対する女の解釈となっているが、万人には理解しがたい理屈を本作が描きえたかというと、本物の月を見上げてポカンとするしかない。
 時折、女の心理の機微を描くために挿入されるスローモーションも、あまり効果を出していない。
 生真面目で目立たない女を演じる宮沢りえに対し、中学生時代の平祐奈が気の強い少女なのは演出上のミスか? 宮沢りえはこの捉えにくい女を演じきれていない。  銀行の同僚の大島優子が俗っぽい若い娘を演じて好演。お堅い御局の小林聡美と上司の近藤芳正は、安定した演技。顧客の石橋蓮司と中原ひとみが上手い。 (評価:2.5)

寄生獣

製作:映画「寄生獣」製作委員会(東宝、日本テレビ放送網、講談社、電通、讀賣テレビ放送、バップ、ROBOT、白組、阿部秀司事務所、日本出版販売、KDDI、GyaO!、札幌テレビ放送、宮城テレビ放送、静岡第一テレビ、中京テレビ放送、広島テレビ放送、福岡放送)
公開:2014年11月29日
監督:山崎貴 製作:市川南、中山良夫 脚本:古沢良太、山崎貴 撮影:阿藤正一 美術:林田裕至、佐久嶋依里 音楽:佐藤直紀

この手のSF作品にあるガッカリ感はない
 岩明均の同名漫画が原作。
 現在のCGとVFX技術があるからこそできた作品で、この手のSF作品にあるガッカリ感はない。俳優も演技派を揃えていて、山崎貴+白組のクオリティの高いVFXと合わせ、原作の面白さを引き出した本格的なエンタテイメント作品になっている。
 もっとも、内容的に首や腕・胴が飛ぶシーンのオンパレードとなるので、残酷シーンの苦手な人は要注意。PG12はやや甘くR15相当。製作委員会の放送局に配慮したのか?
 物語はほほ原作に沿っていて、衝撃的なシーンもそのまま活かされている。宇宙から寄生生物が地球に降ってきて、耳穴から入って人間の脳を食い、乗っ取る。 主人公の高校生・新一だけは、寄生生物が右腕に入ってしまって乗っ取りに失敗、ミギーという名で共生する羽目になるという設定。
 学校の女教師や生徒、警官など身近な人間がパラサイトになってしまうが、母親が寄生されたことから復讐に立ち上がり仇=母親を殺して、前後編の構成ながらとりあえずの一件落着となる。
 妊娠した女教師、パラサイト王国を目指す政治家(北村一輝)が後篇への引きとなるが、ラスト前の高校での大殺戮と母親対決がクライマックスとなり、前後編にありがちな未消化感はあまりない。
 見どころはVFXによるアクションシーンで、人間の頭が割れてエイリアンに変わるシーンは何度登場しても見惚れる。新一を演じる染谷将太の高校生ぶりも違和感なく、エイリアンを演じる深津絵里が不気味で上手い。
 母親の余貴美子、刑事の國村隼らのベテランが頑張って見応えがあるが、阿部サダヲがミギーの声と唇だけというのが残念な気もする。 (評価:2.5)

ジョバンニの島

製作:日本音楽事業者協会
公開:2014年2月22日
監督:西久保瑞穂 脚本:杉田成道、櫻井圭記 作画監督:伊東伸高 美術:林孝輔、稲葉邦彦、サンティアゴ・モンティエル

『悲しき天使』はロシアの戦前の歌謡曲が原曲だった
 実話をベースにした児童文学風のアニメーションで、制作はプロダクション・アイジー。
 色丹島の小学生・純平が主人公で、物語は終戦直前から始まり、ソ連軍の駐留、ソ連将校の娘・ターニャとの初恋、サハリン抑留、弟・寛太の死を経て、日本帰国までが描かれる。
 もっとも興味深いのは北方領土住民が終戦を境に辿った軌跡で、占領された色丹島でのソ連軍子女・家庭との交流が面白い。初期段階で寛太の死亡フラグが立ち、その通りに進むという、過剰にセンチメントを意識した泣かせるための展開が作品的にはマイナスだが、親子で戦争の悲劇を考えるという学習鑑賞会には向いている。
 映像的には波浪を描くCGが妙に実写的で、他のセル画風描写と若干の違和感を生じさせる。俯瞰の多いレイアウトが状況説明的で、ドラマとしての興を削ぐ。
 純平の父に市村正親、祖父に北島三郎、叔父にユースケ・サンタマリア、先生に仲間由紀恵、大人の純平に仲代達矢、先生に八千草薫と贅沢な声優陣が聞きどころか。
 ソ連家庭とのダンスのシーンに流れる歌は、1968年にメリー・ホプキンが歌ってヒットした"Those Were the Days"(邦題:悲しき天使)で時代が合わないように感じるが、ロシアの戦前の歌謡曲"Дорогой длинною"(長い道)が原曲で、ロシア革命の亡命ロシア人の心情を歌ったもの。『悲しき天使』の日本語版は森山良子が歌った。
 ロシア人への蔑視語・露助が注釈なしに出てくるのは、ファミリー向け作品として如何なものか。 (評価:2.5)

製作:「蜩ノ記」製作委員会(東宝、テレビ東京、日本経済新聞社、電通、読売新聞社、テレビ大阪、BSジャパン、祥伝社、日本出版販売、KDDI、GyaO!、中日新聞社、西日本新聞社、テレビせとうち)
公開:2014年10月4日
監督:小泉堯史 製作:市川南、太田哲夫 脚本:小泉堯史、古田求 撮影:上田正治、北澤弘之 音楽:加古隆 美術:酒井賢
キネマ旬報:10位

お家の事情でエンタテイメントをめざし、佳作を逃す
 葉室麟の同名の直木賞受賞作が原作の時代劇。
 刃傷騒ぎを起こした檀野(岡田准一)は、7年前の事件のために蟄居して藩主の家譜の編纂を行っている戸田(役所広司)の手伝いと監視を命じられる。事件は戸田が藩主の側室(寺島しのぶ)と不義密通を働いたというもので、10年間の家譜編纂後に切腹しなければならない。
 戸田の閑居には妻子(原田美枝子、堀北真希、吉田晴登)がいて、側室事件の真相と岡田と堀北の恋愛が軸となって物語が展開するという、やや定型的な作品。エンタテイメントを意識して、越後屋の代わりに播磨屋、悪代官の代わりに家老が陰謀をめぐらし、農民たちからは過酷な年貢を取り立てるというテレビ時代劇の黄金パターンを踏襲するためマンネリ感は否めず、ついうとうとし始める。
 岡田、堀北のファンサービスに、岡田君の剣術シーン、堀北の巫女踊りを挿入するが、剣術はともかく、武家の娘の巫女踊りって何よ? という唐突感は否めない。それでも岡田君は頑張っていて、出家した美人の尼さんとして登場する側室・寺島の艶技とともにそのシーンの間は目が覚める。
 描写上の突っ込みどころも結構あって、家譜の仮名混じり文はともかくとして、変体仮名ではなく明治以降の仮名が使われているのは変だと気になる。ラストの切腹に向かうシーンが家から徒歩というのも、黒澤組助監督としてどうか? いったい、どこで切腹するの?
 小泉の演出はオーソドックスで安定しているが、前半はあまりにテンポが悪い。本来戸田が中心の話なのに、岡田と堀北をフューチャーした娯楽作品を狙い過ぎて、地味な役所の演技がすっ飛んでしまった。
 物語の核心は、お家取り潰しの危機の中で、藩主からお家の歴史を記録することを命じられた男が、死んだ藩主との約束のために敢えて名誉を捨てて罪人となり奉公する忠君のドラマ。男にとって大切なのは、藩は消滅しても家譜は永遠に残るという信念と使命感で、時間を超越した男の価値観がある。
 ラスト近くでそれがわかるが、藩主とのシーンがあっさりしすぎていて伝わり切れていない。前半からこのテーマを腰を据えて描き、役所に演じさせていれば、佳作になりえたかもしれないと思うと残念。
 タイトルは家譜の編纂とともに戸田が記した日記の表題で、その日暮らしと残された命の短さを表すと説明される。 (評価:2)

Seventh Code:セブンスコード

製作:AKS
公開:2014年1月11日
監督:黒沢清 脚本:黒沢清 撮影:木村信也 音楽:林祐介 美術:安宅紀史

前田敦子が非力な格闘で頑張る、漫画だったらアリの映画
 前田敦子の同名シングル曲のミュージックビデオとして制作され、劇場公開された作品。
 黒沢清が監督しなければただのミュージックビデオで終わったフィルムで、内容的にもミュージックビデオとしてはよくできているという程度で、映画として見ると前田敦子のミュージックビデオ以上のものにはなっていない。
 映画でないものを評価するのもなんだが、劇場公開され、ローマ国際映画祭に出品もされているので、映画として評価すると、やはり駄作でしかない。
 黒沢清は前田敦子のミュージックビデオとして撮ったのだから、それを映画として評価するのも酷な気がするが、シナリオは本気で書いたのかどうかもわからないような間に合わせのストーリー。
 前田敦子が六本木で知り合った男を追ってウラジオストクに行く。男は核爆弾部品の密売組織の一員で、前田敦子は実はロシア政府の依頼を受けて起爆装置のようなものを奪って破壊する女エージェントだったというオチ。漫画だったらアリの設定も実写となるとただポカーンとするだけ。
 ところが、さすがは黒沢清で、「なんだこの映画は?」と思いながらも最後まで見てしまう。
 見どころはアッちゃんのいかにも非力な格闘シーンだが、これも漫画だと思えば見ていられる。ラストはモスクワを目指すのだといいながらハバロフスクに向かってヒッチハイクするトラックを密売組織の車が追いかけ、遠景となったところで爆発する。この荒野の直線道路を遠ざかる車をクレーンカメラで写すシーンは映像的見どころ。
 タイトルのセブンスコードは三和音に短7度の音を加えた和音のことだが、意味不明。
 前田敦子がトラックの荷台で唱える与謝野晶子の「旅に立つ」は、鉄幹を追ってウラジオストクからシベリア鉄道でパリに向かうときに詠んだ歌。黒沢にとって、この歌がアイディアの出発点だったのだろうが、無理やり感は否めない。 (評価:1.5)

まほろ駅前狂騒曲

製作:「まほろ駅前狂騒曲」製作委員会
公開:2014年10月18日
監督:大森立嗣 脚本:大森立嗣、黒住光 撮影:大塚亮 美術:平井亘 音楽:岸田繁

救急車を用意する制作費が足りなかったのか?
 三浦しをんの同名小説が原作。『まほろ駅前多田便利軒』(2011)の続編。
 舞台のモデルは東京・町田市。前作同様、駅前で便利屋を営む多田(瑛太)と、中学校の同級生・行天(松田龍平)の物語。
 行天の元妻(本上まなみ)が短期のアメリカ出張をすることになり、娘を預かるというのが縦軸で、これに無農薬野菜を栽培して売る新興宗教絡みの団体のエピソードが絡むが、背景にいるのがヤクザという陳腐な設定。
 ヤクザから農薬を使っている証拠写真を撮るように依頼され、それに信者の子供が絡んで、最後はバスジャック事件に巻き込まれるという展開で、トラウマから子供の苦手な行天が、子供たちを助ける羽目に陥るというこれまた陳腐なドラマ。
 もっともそれぞれのエピソードは空中分解していて、行天と子供たちの関係性だけで押していくため、母子物の変型、『パパと呼ばないで』『ペーパームーン』に似た構造となっている。(子供は女の子ではなく男の子だが)
 しかし、日本的なセンチメントだけを押し付けてくるので、両作のしみじみとした所もなく、ストーリーのつまらなさと相乗して、そのセンチメントの押し売りに辟易する。
 これに輪をかけるのが子役の大根ぶりで、ウザさ百倍。子犬のようにまとわりついたり、多田が愛情いっぱいに抱きしめたりと、リアリティから遠く離れた半世紀前の少女漫画の妄想的世界が展開され、シナリオと演出の酷さにうんざりする。
 それにしても、冒頭で行天がサッカーボールを頭に当てて卒倒するシーンでも、終盤のバスジャックで重傷を負うシーンでも救急車が呼ばれないのは、救急車両を用意するだけの制作費が足りなかったのだろうか? (評価:1.5)

製作:シネマインパクト
公開:2014年8月30日
監督:山本政志 製作:村岡伸一郎 脚本:山本政志 撮影:高木風太 美術:須坂文昭 音楽: Dr.Tommy
キネマ旬報:9位

キーワードだけ取り散らかした「それっぽい映画」
 大久保のコリアンタウンを舞台に、新興宗教、在日韓国人、ヤクザの組み合わせという、半世紀前のATGか映研映画を見るような趣のある作品。
 新興宗教の神の水教団の教祖が、水の神の声を聞くというのがタイトルの由来で、その教祖が済州島の巫女の子孫という設定は面白い。
 演じる玄里が清楚な少女っぽくて、水色と白のチマチョゴリの巫女姿がよく似合い、水の声を聞いて下す宣託が胡散臭い新興宗教っぽくていい。
 もっとも普段着の姿がギャルっぽいのは現代娘らしく見せようという監督の意図なのだろうが、巫女とのギャップがあり過ぎ。そのへんちくりんなキャラクター造形は、彼女が巫女として開眼し、いきなり社会運動家のようなアジ演説を始めると爆発し、本来ならより寛容になるべきところが攻撃的になってしまうところに、監督の宗教に対する造詣のなさが出ている。
 ラストシーンで娘が済州島を訪れて巫女の儀式に出合い、一方の教団メンバーは新たな新興宗教を立ち上げるという手垢のついた新興宗教批判で終わるが、コリアン社会、新興宗教のどちらも作品テーマとしては生煮えで、キーワードだけ取り散らかして満足しているアマチュア感が拭えない。
 途中提示される済州島四・三事件も物語の中での位置づけが不明確なままに放り出されていて、水の声が何を意味するのかも不明。巫女がヤクザに強姦されるに至っては、このシーンにいかほどの必要性があったのか意図が全くわからず、観客サービスだったのか、それともよくある悲劇性のための安易なシナリオへの導入だったのか、どちらにしても「それっぽい映画」を作っただけの作品に終わっている。 (評価:1.5)

製作:「私の男」製作委員会(ハピネット、日活、マックレイ、ドワンゴ、GyaO!)
公開:2014年6月14日
監督:熊切和嘉 製作:藤岡修、由里敬三、分部至郎、木村良輔、宮本直人 脚本:宇治田隆史 撮影:近藤龍人 美術:安宅紀史 音楽:ジム・オルーク
キネマ旬報:7位
毎日映画コンクール大賞

家族の本質からは遠い中二病的ファンタジー
 桜庭一樹の同名の直木賞受賞作が原作。原作が現在から過去に時系列を遡る構成になっているのに対し、映画は過去から現在へと時系列通りに物語が進む。
 奥尻島の津波で孤児となった養女を遠縁の男(浅野忠信)が養女に引き取り、高校生となって性的関係を結ぶ物語。娘(二階堂ふみ)は事実を知った叔父を殺し、その証拠を見つけた男を養父が殺すというエピソードを交え、二人の犯罪はばれることなく、やがて娘は婚約するが養父との関係は切れない、という物語。
 そもそも、このような物語に興味が湧くかどうかが第一の関門で、仮に湧いたとして、相姦する養父養女には心理的葛藤もなく、ただ性的本能に従っているだけのドラマに共感なり作品的意義を見出せるかどうかが第二の関門で、愛していれば社会的モラルなんて関係ないのよ、とか、禁断の関係にこそ性的スリルとエクスタシーがあるのよ、ということに意義を見いだせないと、見始めてから、しまったと思う。
 養女を引き取る段で、すでに性的誘拐のような危険な臭いを漂わせている浅野の演技はホメてもいいが、本当の家族が欲しいというキーワードは、その後の物語が本当に家族の物語なの? という疑問と共に何だか底の浅いテーマに思えてきて、独身者ならともかく、家族を持つ人間からすれば、中二病的ファンタジーに過ぎない。 (評価:1.5)

製作:「ぼくたちの家族」製作委員会(RIKIプロジェクト、ファントム・フィルム、Breath、ホリプロ、マグネタイズ、モード・フィルム)
公開:2014年5月24日
監督:石井裕也 脚本:石井裕也 撮影:藤澤順一 美術:栗山愛 音楽:渡邊崇
キネマ旬報:5位

家族再生話もライトノベル程度の白けた気分
 早見和真の同名小説が原作。実体験を基にしているが、映画はリアリティに乏しい。  夫婦と息子2人が家族の絆を取り戻すという、よくあるテーマ。父(長塚京三)は小さな会社を経営しているが数千万の借財を抱えていて、長男(妻夫木聡)を一部の保証人にしているという訳の分からなさ。
 母(原田美枝子)は突然変調をきたし、脳腫瘍でいきなり余命1週間と宣告される。入院後、家計のためにサラ金に数百万の借金があることが発覚する。
 長男はかつて引き籠りで、今は結婚して妻(黒川芽以)は妊娠中。この妻というのがどうしようもない女で、義母の病状より家計に影響が及ぶのを心配する。
 大学生の次男は母とは友達のような関係で、落ち込む父と兄を励ます狂言回し。
 この一家はよほど放蕩家と見えて、入院費を心配し、今まで海外旅行にも行けずにハワイに妻を連れていくのが精一杯の夢の割には、豪邸に住まい、乗用車を乗り回す。
 余命1週間を宣告する医者は、あるいは検査入院だったのか治療できないと退院を迫り、ほかの病院でも治療困難と紹介状も書かない。脳エコー写真を抱えて病院を駆けずり回ると、やぶ医者が投与したステロイド剤で脳腫瘍が縮小したことがわかり、悪性脳腫瘍だから手術可能と受け入れてもらえるという、医学的にも訳がわからない展開。
 シナリオも担当した石井裕也が考証や下調べもなしに思い付きで組み立てたドラマとしか思えず、雜なシナリオと演出のオンパレードに辟易してしまう。
 若い石井の社会経験不足が如実に表れてしまっていて、キャラクター造形もドラマの段取りのためだけで誰一人とっても浅薄で記号的。これでバラバラな家族が寄り添って絆を深めるという話を見せられても、ライトノベル程度の白けた気分しか残らない。 (評価:1.5)

製作:「ニシノユキヒコの恋と冒険」製作委員会(東宝、関西テレビ放送、電通、毎日新聞社、研音、ギャンビット、サイバーエージェント、KDDI)
公開:2014年2月8日
監督:井口奈己 製作:大田圭二、永井靖 脚本:井口奈己 撮影:鈴木昭彦 美術:清水剛 編集:井口奈己 音楽:ゲイリー芦屋
キネマ旬報:10位

途中で見るのを止めたくなるシナリオと演出
 川上弘美の同名小説が原作。
 おそらくはこれが女性の求める理想の男性像なのだろうという以外に、評価しようのない作品。
 ハンサムでとにかく女性に優しい。女であれば誰に対しても優しいフェミニスト。女が何を望んでいるかをテレパシーのように察知して、その通りにする。
 女たちはそういう男に惚れるが、博愛を独占することはできずに去っていき、男もまたLet it be。そして女はそういう男を許す。
 その男を竹野内豊が演じ、女たちを麻生久美子、阿川佐和子、尾野真千子、成海璃子、木村文乃、本田翼らが演じるが、尾野真千子と本田翼がそうしたどうしようもない男をどうしようもなく愛してしまう女を演じて上手い。
 ただ映画としては、それ以外に何もない上に、冒頭から中身のない台詞とシーンで駄作を予感させ、松葉杖の女がわざとらしくコケる演技に、見ている方も思わずズッコケ、エキストラの木偶の棒の通行人に、もう少しまともなシナリオと演出ができないのかと途中で見るのを止めたくなる。
 レイアウト的には面白いところもあるのだが、長回しのカメラがただダラダラしているだけで、冗長さしか感じさせない。猫や鳥を見ていて飽きないのは、監督の腕ではなく猫や鳥そのものに魅力があるからで、そうした映像ならばYouTubeにいくらでも素人が撮影したものがある。 (評価:1.5)

欲動

製作:キングレコード、クロックワークス
公開:2014年11月22日
監督:杉野希妃 脚本:和島香太郎 撮影:シディ・サレー Sidi Saleh 音楽:富森星元

早送りしないと間が持たない女性向け遅漏ポルノ
 監督によれば「バリ島の自然や生命力に触れながら、生と死の狭間で彷徨う夫婦の話」ということだが、テーマの方は子宮的思考で理解不能。あるいは夫婦を演じる三津谷葉子と斎藤工の演技力不足なのか、あるいは監督の演出力不足なのか、あるいはバリ島の自然や生命力に対する監督の理解不足なのか、あるいは生と死について監督の洞察力が不足しているのか。
 いずれにしても企画の段階で恐らく何も形をなしてなく、バリ島で全編ロケ、セックスシーンがメイン、主演は三津谷葉子と斎藤工というのが売りだけで進んでしまったような企画。
 シナリオは行き当たりばったりで、ガムラン・ケチャなどの民族音楽・舞踊が長々と映し出されるが、コンセプトがないのでバリ島の民俗について何かを語っているわけでもなく、かといって観光映画としてフューチャーされているわけでもない。
 バリ島、ダイビング、ビーチボーイ、日本女性、後腐れのないセックスという、ひと昔前からの安直な女性週刊誌的発想で、早送りしないととても間が持たない。
 死に掛けている夫(斎藤工)と看護婦の妻(三津谷葉子)が妹夫婦に最後の別れを言いにバリ島にやってきて、妻は不安を解消するためにビーチボーイとセックスするというのが、生と死の狭間で彷徨う夫婦の話の内容。夫は老母の介護を妹に頼み、自分のために他人が犠牲になるのは嫌だといって、一人日本に帰ろうとする、劇中の台詞によれば「だから日本の男は嫌いなのよ」。
 見どころは、三津谷葉子のセックスシーンしかないが、肝腎なところにボカシは入るし、長いだけで機械的な交合シーンは工夫がなくて退屈。 (評価:1)


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