日本映画レビュー──2006年
製作:「嫌われ松子の一生」製作委員会(アミューズソフトエンタテインメント、TBSテレビ、スターダストピクチャーズ、幻冬舎、東宝、博報堂DYメディアパートナーズ、エフエム東京、パルコ、ホリプロ、ワーナーミュージック・ジャパン、スープレックス)
公開:2006年05月27日
監督:中島哲也 脚本:中島哲也 撮影:阿藤正一 音楽:ガブリエル・ロベルト、渋谷毅 美術:桑島十和子
キネマ旬報:6位
ファンタジックでメルヘンな映像で描く人生の悲喜劇
山田宗樹の同名小説が原作。
『下妻物語』に続く中島哲也の監督作品で、CM出身らしく自由にフィルムを編集・加工した斬新な作品。ミュージカルあり、寸劇あり、アニメーション合成あり、色彩加工ありで、かつての大林宣彦を連想させるが、かなりのヴァージョンアップ。ファンタジックでメルヘンな異色の演出で、オーソドックスなドラマツルギーからはキッチュ。
父(柄本明)を病弱な妹に奪われてきた松子(中谷美紀)は愛情に飢え、中学教師を首になって家出すると男の愛を求めて遍歴と転落を繰り返す。貧乏小説家(宮藤官九郎)と同棲、ライバル(劇団ひとり)の愛人を経て、トルコ嬢の紐(武田真治)、理容師(荒川良々)、元教え子(伊勢谷友介)と男に捨てられ、最後は光GENJIの内海光司に入れあげ、木賃アパートをごみ屋敷にして51歳で荒川河川敷で撲殺される。
物語は東京に住む甥の若者(瑛太)が、殺された伯母の知らない人生の足跡を辿っていくという形で進むが、若者自身がありがちなミュージシャンの夢に破れ、同じように夢破れた伯母の転落の人生に何を見るかというのがテーマとなっていて、「自分に何ができるのではなく、人に何をしてあげられるかだ」という回答がわかりやすい形で語られる。無償の愛を与え続けながら報われることのなかった松子は、神=イエスになぞらえられている。
暗くなる物語をコメディタッチで描くが、次第に必死に生きる松子の悲劇が澱のように沈んできて、人と人生の悲しみが胸を打つ。救いのない話だが、松子が再び希望を持ちながらついえてしまうラストに微かな慰めがある。
松子の弟に香川照之、親友に黒沢あすか、隣人のロッカーにゴリ、牧師に嶋田久作。中谷の熱演が光る。 (評価:3.5)
公開:2006年05月27日
監督:中島哲也 脚本:中島哲也 撮影:阿藤正一 音楽:ガブリエル・ロベルト、渋谷毅 美術:桑島十和子
キネマ旬報:6位
山田宗樹の同名小説が原作。
『下妻物語』に続く中島哲也の監督作品で、CM出身らしく自由にフィルムを編集・加工した斬新な作品。ミュージカルあり、寸劇あり、アニメーション合成あり、色彩加工ありで、かつての大林宣彦を連想させるが、かなりのヴァージョンアップ。ファンタジックでメルヘンな異色の演出で、オーソドックスなドラマツルギーからはキッチュ。
父(柄本明)を病弱な妹に奪われてきた松子(中谷美紀)は愛情に飢え、中学教師を首になって家出すると男の愛を求めて遍歴と転落を繰り返す。貧乏小説家(宮藤官九郎)と同棲、ライバル(劇団ひとり)の愛人を経て、トルコ嬢の紐(武田真治)、理容師(荒川良々)、元教え子(伊勢谷友介)と男に捨てられ、最後は光GENJIの内海光司に入れあげ、木賃アパートをごみ屋敷にして51歳で荒川河川敷で撲殺される。
物語は東京に住む甥の若者(瑛太)が、殺された伯母の知らない人生の足跡を辿っていくという形で進むが、若者自身がありがちなミュージシャンの夢に破れ、同じように夢破れた伯母の転落の人生に何を見るかというのがテーマとなっていて、「自分に何ができるのではなく、人に何をしてあげられるかだ」という回答がわかりやすい形で語られる。無償の愛を与え続けながら報われることのなかった松子は、神=イエスになぞらえられている。
暗くなる物語をコメディタッチで描くが、次第に必死に生きる松子の悲劇が澱のように沈んできて、人と人生の悲しみが胸を打つ。救いのない話だが、松子が再び希望を持ちながらついえてしまうラストに微かな慰めがある。
松子の弟に香川照之、親友に黒沢あすか、隣人のロッカーにゴリ、牧師に嶋田久作。中谷の熱演が光る。 (評価:3.5)
製作:シグロ、ビターズ・エンド、バップ
公開:2007年3月10日
監督:山下敦弘 製作:山上徹二郎、大和田廣樹、定井勇二、大島満 脚本:山下敦弘、向井康介、佐藤久美子 撮影:蔦井孝洋 美術:愛甲悦子 音楽:パスカルズ
キネマ旬報:7位
三浦友和のクズ親父ぶりが上手い
長野県の牧場一家を中心とした物語で、交番警察官の双子の次男(新井浩文)が主人公。姉夫婦(西尾まり、中村義洋)が牧場を継いでいて、双子の兄(山中崇)が手伝っているが、腰の定まらない男で、車で女(川越美和)を撥ねたことをきっかけに物語が動き始める。
兄は女と情夫(木村祐一)に脅されて、湖に沈めた怪しげな金塊を引き揚げるのを手伝わされた挙句に、祖父の空き家を二人に提供する。
主人公の父(三浦友和)は理髪店(烏丸せつこ)の頭の弱い娘(安藤玉恵)に子供を孕ませるが、主人公も買春していて本当は誰の子かわからない。
主人公には恋人もいて、両親同士を引き合わせるものの父のせいで上手くいかない。
そうした何事も上手くいかない閉塞状況の中で、兄は情夫を殺して女と同棲を始め、父は子守に勤しみ、何事もなかったように日常は移ろっていくが、それに煩悶する主人公は最後にタイトル通り、銃を乱射して物語は終わる。
もっとも乱射とはいっても、交番前で誰に向けてでもなく、見えない壁に向かって銃を6発撃つだけという、全体としては世にある無差別殺人事件のパロディとなっている。
交番の天井に鼠が棲みついていて、鼠獲りを仕掛けても捕まらない。日常の悪意と不条理、それに対抗できない主人公の焦燥の象徴として描かれ、誰にでもある閉塞感を新井浩文が好演する。
三浦友和のクズ親父ぶりも上手く、不思議な空気の漂う作品となっている。 (評価:2.5)
公開:2007年3月10日
監督:山下敦弘 製作:山上徹二郎、大和田廣樹、定井勇二、大島満 脚本:山下敦弘、向井康介、佐藤久美子 撮影:蔦井孝洋 美術:愛甲悦子 音楽:パスカルズ
キネマ旬報:7位
長野県の牧場一家を中心とした物語で、交番警察官の双子の次男(新井浩文)が主人公。姉夫婦(西尾まり、中村義洋)が牧場を継いでいて、双子の兄(山中崇)が手伝っているが、腰の定まらない男で、車で女(川越美和)を撥ねたことをきっかけに物語が動き始める。
兄は女と情夫(木村祐一)に脅されて、湖に沈めた怪しげな金塊を引き揚げるのを手伝わされた挙句に、祖父の空き家を二人に提供する。
主人公の父(三浦友和)は理髪店(烏丸せつこ)の頭の弱い娘(安藤玉恵)に子供を孕ませるが、主人公も買春していて本当は誰の子かわからない。
主人公には恋人もいて、両親同士を引き合わせるものの父のせいで上手くいかない。
そうした何事も上手くいかない閉塞状況の中で、兄は情夫を殺して女と同棲を始め、父は子守に勤しみ、何事もなかったように日常は移ろっていくが、それに煩悶する主人公は最後にタイトル通り、銃を乱射して物語は終わる。
もっとも乱射とはいっても、交番前で誰に向けてでもなく、見えない壁に向かって銃を6発撃つだけという、全体としては世にある無差別殺人事件のパロディとなっている。
交番の天井に鼠が棲みついていて、鼠獲りを仕掛けても捕まらない。日常の悪意と不条理、それに対抗できない主人公の焦燥の象徴として描かれ、誰にでもある閉塞感を新井浩文が好演する。
三浦友和のクズ親父ぶりも上手く、不思議な空気の漂う作品となっている。 (評価:2.5)
製作:日本テレビ、バップ、幻冬舎、シャシャ・コーポレーション、パラダイス・カフェ、メディア・スーツ
公開:2006年03月11日
監督:荻上直子 脚本:荻上直子 撮影:トゥオモ・ヴィルタネン 音楽:近藤達郎 美術:アンニカ・ビョルクマン
キネマ旬報:9位
疲れた羽をフィンランドに休めに来る雌のカモメたち
フィンランド・ヘルシンキで日本人女性が営む日本食堂を舞台に、何がしかを喪失した女性たちが心の傷を癒しに来るという物語。異国で居場所をみつけようとする小林聡美の店を、日本を離れたかった女(片桐はいり)、探し物をしている女(もたいまさこ)が訪れる。夫に逃げられたアル中のフィンランド女性も登場するが、係わるのは女ばかり。常連の青年や元店主の男も出てくるが、ほとんど存在感がない。
この映画は女が作った女しか登場しない女のための映画で、女たちは小林の店で疲れた羽を休めるカモメ。カモメは日本では冬鳥の渡り鳥、夏はユーラシア北部やカナダに渡る。
作品はアマチュア映画のように観念的で、撮影場所もヘルシンキの店から動かず、リアリティのない話が延々と続く。物語に入ることができず、撮影期間はどのくらいか、厨房の真新しい調理用具や食材はどこで調達したのか、小林はフィンランド語が話せるのか、料理シーンはフードコーディネータの吹き替えか、フィンランド人は演技が下手だが俳優なのか、店の前をほとんど人が通らないが規制しているのか・・・といった雑念ばかり沸く。そのため退屈なはずのストーリーも妙な雑念から見続けてしまえるという不思議な作品。
本作ではほとんどBGMが使われてなく、映像も内容もすべてがシンプル。それがフィンランド的生き方というテーマで、観光宣伝映画・移民促進映画と考えれば「そうだ京都へ行こう」程度には、死語となったアンノン女性に心地よい旅情として楽しめるかもしれない。
この起伏のない物語を退屈させない小林聡美の演技には感服。片桐はいりもなかなか良いが、もたいまさこはキャラクターが記号化されすぎている。
それにしても、かもめ食堂に来る客が同じ顔ばかりというのは、はたして満員になったと喜べることなのだろうか? (評価:2.5)
公開:2006年03月11日
監督:荻上直子 脚本:荻上直子 撮影:トゥオモ・ヴィルタネン 音楽:近藤達郎 美術:アンニカ・ビョルクマン
キネマ旬報:9位
フィンランド・ヘルシンキで日本人女性が営む日本食堂を舞台に、何がしかを喪失した女性たちが心の傷を癒しに来るという物語。異国で居場所をみつけようとする小林聡美の店を、日本を離れたかった女(片桐はいり)、探し物をしている女(もたいまさこ)が訪れる。夫に逃げられたアル中のフィンランド女性も登場するが、係わるのは女ばかり。常連の青年や元店主の男も出てくるが、ほとんど存在感がない。
この映画は女が作った女しか登場しない女のための映画で、女たちは小林の店で疲れた羽を休めるカモメ。カモメは日本では冬鳥の渡り鳥、夏はユーラシア北部やカナダに渡る。
作品はアマチュア映画のように観念的で、撮影場所もヘルシンキの店から動かず、リアリティのない話が延々と続く。物語に入ることができず、撮影期間はどのくらいか、厨房の真新しい調理用具や食材はどこで調達したのか、小林はフィンランド語が話せるのか、料理シーンはフードコーディネータの吹き替えか、フィンランド人は演技が下手だが俳優なのか、店の前をほとんど人が通らないが規制しているのか・・・といった雑念ばかり沸く。そのため退屈なはずのストーリーも妙な雑念から見続けてしまえるという不思議な作品。
本作ではほとんどBGMが使われてなく、映像も内容もすべてがシンプル。それがフィンランド的生き方というテーマで、観光宣伝映画・移民促進映画と考えれば「そうだ京都へ行こう」程度には、死語となったアンノン女性に心地よい旅情として楽しめるかもしれない。
この起伏のない物語を退屈させない小林聡美の演技には感服。片桐はいりもなかなか良いが、もたいまさこはキャラクターが記号化されすぎている。
それにしても、かもめ食堂に来る客が同じ顔ばかりというのは、はたして満員になったと喜べることなのだろうか? (評価:2.5)
製作:バンダイビジュアル、アドギア、テレビ朝日、ワコー、パル企画
公開:2006年8月12日
監督:黒木和雄 製作:川城和実、松原守道、亀山慶二、多井久晃、鈴木ワタル 脚本:黒木和雄、山田英樹 撮影:川上皓市 美術:安宅紀史 音楽:松村禎三
キネマ旬報:4位
原田知世38歳で相も変らぬ娘ぶりが見どころ
松田正隆の同名戯曲が原作で、黒木和雄の遺作。
戯曲らしく、病院の屋上と鹿児島の家が舞台の会話劇。超長回しで、単調な会話を演じる俳優と演出の力の見せ所となるが、定番の食事風景なので、NGを出さないために入念なテストを行ったのだろうかとか、NGの時は食うのが大変だっただろうとか、原田知世の食事中にカットが切り替わるシーンではNGがあって取り直したのか? とか、つい余計なことを考えながら見てしまう。
それでも、芸達者の小林薫はともかく、原田知世、永瀬正敏、本上まなみが頑張っていて、単調ながらも飽きさせないドラマに仕上がっている。
病院の屋上のシーンは現代で、老いた原田が入院中の長瀬をいたわりながら、戦争を振り返り、生きながらえられた喜びを語らう。
その回想が原田が演じる紙屋悦子の青春で、戦争末期の昭和20年春の鹿児島の家が舞台となる。鹿屋基地が近く、悦子が恋する松岡俊介はパイロットで、ラストに志願して沖縄に出撃する。松岡は戦友の整備士・長瀬を悦子と見合いさせ、後事を頼む。
長瀬は松岡の分まで悦子を守る義務を負ったわけで、それが本作の主題であり、戦争がもたらした青春の悲しみと平和の有難さを描く佳篇となっている。
原田は女学校を出たばかりの20歳前後と、80歳になんなんとする老婆を演じるが、老婆はともかく、撮影時38歳で相も変らぬ娘ぶりが堂に入っているのも見どころか。 (評価:2.5)
公開:2006年8月12日
監督:黒木和雄 製作:川城和実、松原守道、亀山慶二、多井久晃、鈴木ワタル 脚本:黒木和雄、山田英樹 撮影:川上皓市 美術:安宅紀史 音楽:松村禎三
キネマ旬報:4位
松田正隆の同名戯曲が原作で、黒木和雄の遺作。
戯曲らしく、病院の屋上と鹿児島の家が舞台の会話劇。超長回しで、単調な会話を演じる俳優と演出の力の見せ所となるが、定番の食事風景なので、NGを出さないために入念なテストを行ったのだろうかとか、NGの時は食うのが大変だっただろうとか、原田知世の食事中にカットが切り替わるシーンではNGがあって取り直したのか? とか、つい余計なことを考えながら見てしまう。
それでも、芸達者の小林薫はともかく、原田知世、永瀬正敏、本上まなみが頑張っていて、単調ながらも飽きさせないドラマに仕上がっている。
病院の屋上のシーンは現代で、老いた原田が入院中の長瀬をいたわりながら、戦争を振り返り、生きながらえられた喜びを語らう。
その回想が原田が演じる紙屋悦子の青春で、戦争末期の昭和20年春の鹿児島の家が舞台となる。鹿屋基地が近く、悦子が恋する松岡俊介はパイロットで、ラストに志願して沖縄に出撃する。松岡は戦友の整備士・長瀬を悦子と見合いさせ、後事を頼む。
長瀬は松岡の分まで悦子を守る義務を負ったわけで、それが本作の主題であり、戦争がもたらした青春の悲しみと平和の有難さを描く佳篇となっている。
原田は女学校を出たばかりの20歳前後と、80歳になんなんとする老婆を演じるが、老婆はともかく、撮影時38歳で相も変らぬ娘ぶりが堂に入っているのも見どころか。 (評価:2.5)
製作:「武士の一分」製作委員会(松竹、テレビ朝日、住友商事、博報堂DYメディアパートナーズ、日本出版販売、J-dream、読売新聞、TOKYO FM、Yahoo! JAPAN、マガジンハウス、朝日放送、メ〜テレ)
公開:2006年12月01日
監督:山田洋次 脚本:山田洋次、平松恵美子、山本一郎 撮影:長沼六男 音楽:冨田勲 美術:出川三男
キネマ旬報:5位
キムタク主演だが、期待しないで見ると意外にいい
藤沢周平の『盲目剣谺返し』が原作。
東北の藩で毒見役を務める侍(木村拓哉)が、貝の毒にあたり失明する。先行きの生計を危ぶむ中で、妻(檀れい)が旧知の藩の番頭(坂東三津五郎)に藩主へのとりなしを依頼し、生涯の俸禄を保証される。しかし、その裏に番頭の陰謀を知った侍は、妻を離縁し番頭との果たし合いに臨む。盲目の侍が命を賭して守ろうとする武士の一分。
キムタク主演ということで、ほとんど期待しないで見たが、山田洋次の演技指導もあってか意外といい。粗野な所は地のままで、二枚目を捨てたウジウジしたところが合っている。もっとも、時代劇となると目がでかすぎて、剣を持っても腰が引けているのがイマイチ。盲目とはいえ、免許皆伝なのだから腰は入っていないとおかしい。剣の師匠は緒形拳だが、名優も殺陣となると上手くない。
タカラジェンヌの檀れいもまずまずの娘役の演技。抜群なのは中間の笹野高史で、キムタク・檀の生硬な演技を緩和して、ほのぼのとした映画にした。お喋りババアの桃井かおりもいい。
特筆すべきは坂東三津五郎50歳で、屋根から飛び降りるシーンは(吹き替えでなければ)歳に似合わず見事。
山田らしくオーソドックスだがよくできたシナリオと演出の職人芸。ラストも人情もので心温まる作品。それが山田洋次ともいえるし、それ以上のものもない。 (評価:2.5)
公開:2006年12月01日
監督:山田洋次 脚本:山田洋次、平松恵美子、山本一郎 撮影:長沼六男 音楽:冨田勲 美術:出川三男
キネマ旬報:5位
藤沢周平の『盲目剣谺返し』が原作。
東北の藩で毒見役を務める侍(木村拓哉)が、貝の毒にあたり失明する。先行きの生計を危ぶむ中で、妻(檀れい)が旧知の藩の番頭(坂東三津五郎)に藩主へのとりなしを依頼し、生涯の俸禄を保証される。しかし、その裏に番頭の陰謀を知った侍は、妻を離縁し番頭との果たし合いに臨む。盲目の侍が命を賭して守ろうとする武士の一分。
キムタク主演ということで、ほとんど期待しないで見たが、山田洋次の演技指導もあってか意外といい。粗野な所は地のままで、二枚目を捨てたウジウジしたところが合っている。もっとも、時代劇となると目がでかすぎて、剣を持っても腰が引けているのがイマイチ。盲目とはいえ、免許皆伝なのだから腰は入っていないとおかしい。剣の師匠は緒形拳だが、名優も殺陣となると上手くない。
タカラジェンヌの檀れいもまずまずの娘役の演技。抜群なのは中間の笹野高史で、キムタク・檀の生硬な演技を緩和して、ほのぼのとした映画にした。お喋りババアの桃井かおりもいい。
特筆すべきは坂東三津五郎50歳で、屋根から飛び降りるシーンは(吹き替えでなければ)歳に似合わず見事。
山田らしくオーソドックスだがよくできたシナリオと演出の職人芸。ラストも人情もので心温まる作品。それが山田洋次ともいえるし、それ以上のものもない。 (評価:2.5)
製作:シネカノン、ハピネット、スターダストピクチャーズ
公開:2006年09月23日
監督:李相日 製作:李鳳宇、河合洋、細野義朗 脚本:李相日、羽原大介 撮影:山本英夫 音楽:ジェイク・シマブクロ 美術:種田陽平
キネマ旬報:1位
フラダンスも披露する蒼井の魅力が最大の見どころ
福島県いわき市にあるスパリゾートハワイアンズの前身、常磐ハワイアンセンターの立ち上げを名物のフラダンサーの育成を中心に描く。
物語は1965年の常磐炭鉱閉山から翌年の常磐ハワイアンセンター開業まで。衰退する炭鉱会社が温泉を利用した観光業への転身を図り、炭鉱労働者の再雇用を図る中で、常磐音楽舞踊学院を設立し、家族の女性たちをダンサーに養成する。炭住に暮らす家族の葛藤、SKD出身の講師(松雪泰子)と生徒たちの交流を描く。ドラマ部分は実際にはフィクションで、講師もチームの中心となる主人公(蒼井優)も映画のオリジナル設定。
よくできた感動物語で、ストーリーも飽きさせない。ただ人物描写や台詞に誇張や不自然さが目立ち、感動させようとする作為が全面的に出過ぎていて、作品としては人情物語以上のものになっていないのが残念。中盤の見せ場である、蒼井優の親友(徳永えり)が父親と夕張に転居するエピソードでも、肝腎の徳永の葛藤が描かれていない。落盤事故で山崎静代がステージを優先する話も不自然で、炭鉱事故の現実を知らない監督の若さが出ている。
蒼井の母・富司純子が年の功か上手い。徳永の父・高橋克実、松雪泰子も好演。
『花とアリス』でもバレエを披露した蒼井優のフラダンスも見どころ。演技も含めて蒼井の魅力が全開。 (評価:2.5)
公開:2006年09月23日
監督:李相日 製作:李鳳宇、河合洋、細野義朗 脚本:李相日、羽原大介 撮影:山本英夫 音楽:ジェイク・シマブクロ 美術:種田陽平
キネマ旬報:1位
福島県いわき市にあるスパリゾートハワイアンズの前身、常磐ハワイアンセンターの立ち上げを名物のフラダンサーの育成を中心に描く。
物語は1965年の常磐炭鉱閉山から翌年の常磐ハワイアンセンター開業まで。衰退する炭鉱会社が温泉を利用した観光業への転身を図り、炭鉱労働者の再雇用を図る中で、常磐音楽舞踊学院を設立し、家族の女性たちをダンサーに養成する。炭住に暮らす家族の葛藤、SKD出身の講師(松雪泰子)と生徒たちの交流を描く。ドラマ部分は実際にはフィクションで、講師もチームの中心となる主人公(蒼井優)も映画のオリジナル設定。
よくできた感動物語で、ストーリーも飽きさせない。ただ人物描写や台詞に誇張や不自然さが目立ち、感動させようとする作為が全面的に出過ぎていて、作品としては人情物語以上のものになっていないのが残念。中盤の見せ場である、蒼井優の親友(徳永えり)が父親と夕張に転居するエピソードでも、肝腎の徳永の葛藤が描かれていない。落盤事故で山崎静代がステージを優先する話も不自然で、炭鉱事故の現実を知らない監督の若さが出ている。
蒼井の母・富司純子が年の功か上手い。徳永の父・高橋克実、松雪泰子も好演。
『花とアリス』でもバレエを披露した蒼井優のフラダンスも見どころ。演技も含めて蒼井の魅力が全開。 (評価:2.5)
製作:「博士の愛した数式」製作委員会(アスミック・エース、博報堂DYメディアパートナーズ、IMAGICA、住友商事、東急レクリエーション、新潮社)
公開:2006年1月21日
監督:小泉堯史 脚本:小泉堯史 撮影:上田正治、北澤弘之 美術:酒井賢 音楽:加古隆
キネマ旬報:7位
数学教師の吉岡秀隆は数学解説のためのコメンタリー
小川洋子の同名小説が原作。
交通事故が原因で記憶が80分しか持たない数学者と家政婦母子の交流を描くハートウォーミングな物語で、友愛数とか完全数といった数学のクイズ的な話が絡むのが特徴。
完全数である博士の好きな江夏の背番号28と、無理数と虚数からなる博士の愛した数式であるオイラーの等式が、キーワードとなって物語が展開するが、数学の神秘の中に博士の純粋さを描く原作に対し、本作は博士と義姉との不倫や、真実は心の中にあるとか時は流れずといった教訓を入れて、わかりやすい若干通俗的なドラマにしている。
脚色の善し悪しは別として、映画の狙いはややピンボケになっていて、数学教師となった息子ルート(吉岡秀隆)の回想譚という形式をとりながら、博士の愛した数式からも江夏の背番号28からも離れてしまって、数学解説のためのコメンタリーになってしまっている。
おそらくは有限な線分をもってして心の中では無限な直線になるという例によって、博士の有限な80分の記憶も無限の時にすることができる、その時を博士と家政婦が共有することができたということなのだろうが、結局のところ博士と家政婦の心の交流を描いただけのメデタシメデタシ感が拭えない。
そうした人情ドラマとしては、博士の寺尾聰も家政婦の深津絵里も文句のつけようのない演技で、浮世離れした設定の中で一人俗っぽい役割を与えられた浅丘ルリ子も、かつての昼メロ的な演技をこなしてはいるが、水と油の違和感がある。
家政婦紹介所所長の井川比佐志が、ちょっといい。 (評価:2.5)
公開:2006年1月21日
監督:小泉堯史 脚本:小泉堯史 撮影:上田正治、北澤弘之 美術:酒井賢 音楽:加古隆
キネマ旬報:7位
小川洋子の同名小説が原作。
交通事故が原因で記憶が80分しか持たない数学者と家政婦母子の交流を描くハートウォーミングな物語で、友愛数とか完全数といった数学のクイズ的な話が絡むのが特徴。
完全数である博士の好きな江夏の背番号28と、無理数と虚数からなる博士の愛した数式であるオイラーの等式が、キーワードとなって物語が展開するが、数学の神秘の中に博士の純粋さを描く原作に対し、本作は博士と義姉との不倫や、真実は心の中にあるとか時は流れずといった教訓を入れて、わかりやすい若干通俗的なドラマにしている。
脚色の善し悪しは別として、映画の狙いはややピンボケになっていて、数学教師となった息子ルート(吉岡秀隆)の回想譚という形式をとりながら、博士の愛した数式からも江夏の背番号28からも離れてしまって、数学解説のためのコメンタリーになってしまっている。
おそらくは有限な線分をもってして心の中では無限な直線になるという例によって、博士の有限な80分の記憶も無限の時にすることができる、その時を博士と家政婦が共有することができたということなのだろうが、結局のところ博士と家政婦の心の交流を描いただけのメデタシメデタシ感が拭えない。
そうした人情ドラマとしては、博士の寺尾聰も家政婦の深津絵里も文句のつけようのない演技で、浮世離れした設定の中で一人俗っぽい役割を与えられた浅丘ルリ子も、かつての昼メロ的な演技をこなしてはいるが、水と油の違和感がある。
家政婦紹介所所長の井川比佐志が、ちょっといい。 (評価:2.5)
蟻の兵隊
公開:2006年7月22日
監督:池谷薫 製作:権洋子 撮影:福居正治、外山泰三 音楽:内池秀和
終戦後も中国山西省に残り、国民党軍と共に内戦を戦った日本兵問題を扱ったドキュメンタリー映画。
本作をきっかけに問題がクローズアップされたという点では意義があるが、制作者の政治的目的やドキュメンタリーの対象である元日本兵・奥村和一に対する誘導が顕著で、ドキュメンタリーとしては客観性に欠ける。
支那派遣軍第一軍司令官・澄田𧶛四郎中将と国民党将軍・閻錫山の密約により4年間残留させられたが、帰国後、軍人恩給が支給されないことを裁判で争う。
終戦時点で除隊と見做されたために、4年間が軍役に算入されず恩給支給条件を満たさないことが裁判の争点となるが、映画ではこの争点には全く触れられず、意図して国側が理不尽だという印象を観客に与えている。
判決の妥当性は別にして、このように客観材料を提供せずに意図的に観客を誘導していく姿勢はドキュメンタリー制作者としての資質を欠いていて、対象となった奥村和一を貶めているようにさえ感じられる。
むしろ、山西省を再訪した奥村が、命令されて中国人軍属を刺殺したトラウマについて、60年経っても無意識に自己を正当化するために、軍属が軍紀に違反していたことを遺族から引き出そうとする様子に、真の戦争の罪と傷があるにもかかわらず、制作側はこれを掘り下げようとはせず、侵略戦争と靖国問題に強引に結びつけていく。
もう一つ印象的なのは、60年前に日本兵に輪姦された中国人女性が、奥村が殺害の事実を妻に話せないことについて、現在の奥村は悪い人間には見えないから過去を告白した方がいいと言い聞かせるシーンで、淡々と語る彼女の姿が感動的なのだが、制作者は奥村の反応を追いかけない。
制作者の視点は政治に向いていて、無関心な若者や靖国に集まる右翼、小野田寛郎を意図的に取り上げるが、奥村和一という人間に焦点を当てていれば、戦争の本質に迫りえたかもしれず、奥村が故人となってしまった今、せっかくの題材が惜しまれる。 (評価:2.5)
製作:『雪に願うこと』フィルムパートナーズ
公開:2006年5月20日
監督:根岸吉太郎 製作:若杉正明 脚本:加藤正人 撮影:町田博 美術:小川富美夫 音楽:伊藤ゴロー
キネマ旬報:3位
白い息に包まれて走る馬がドラマよりも感動的
鳴海章の『輓馬』が原作。
ばんえい競走のシーンから始まり、バーバリーのコートを纏った伊勢谷友介が競馬で有り金をすって、調教師をしている兄の厩舎に里帰りする。
ここまでのプロローグで、弟が訳あって東京を追われ北国に逃げ帰ってきた物語だと想像がつき、根岸吉太郎ならば凍てつく寒さの中で兄弟の相克のドラマがあり、最後には弟が生きる勇気を与えられて東京に帰っていくだろうことが容易に想像できる。
斎藤耕一の『津軽じょんがら節』(1973)ならば悲劇的なラストで終わり、楽園はどこにもないことを知るのだが、根岸吉太郎がそんな作品を撮るわけもなく、厳しい生活の中に光明を見出すという、ある意味予定調和な、予想された物語にしかならない。
そうした既視感は冒頭にクレジットされる俳優陣にもあって、兄を演じるのが佐藤浩市、厩舎の賄い婦に小泉今日子、他に山崎努、香川照之、津川雅彦、吹石一恵という布陣からも、どのような作品になるかが見てとれる。
事業に失敗して債権者から逃げる弟が何年かぶりに家に帰ってきて、会いたいと思っていた母は認知症で老人ホームとありがちなエピソードを重ね、厩舎の手伝いを始めた弟が世話した廃馬寸前の馬がレースに臨み、同じく自分には騎手の才能がないと失意に沈む吹石一恵が騎乗して、運に恵まれない兄ともども3人と1頭が起死回生を狙う。
しかしここでも予想に違わず馬は勝利し、それぞれが新しい希望を胸に歩み出すという、根岸吉太郎らしいヒューマンドラマとなる。
厩舎の屋根に雪玉を置くと願いが叶うというタイトルに掛けた設定もベタだが、雪の中を白い息に包まれて走る馬のシーンが美しく、人間のつくるドラマを超えた生命の躍動を感じさせて感動的。 (評価:2.5)
公開:2006年5月20日
監督:根岸吉太郎 製作:若杉正明 脚本:加藤正人 撮影:町田博 美術:小川富美夫 音楽:伊藤ゴロー
キネマ旬報:3位
鳴海章の『輓馬』が原作。
ばんえい競走のシーンから始まり、バーバリーのコートを纏った伊勢谷友介が競馬で有り金をすって、調教師をしている兄の厩舎に里帰りする。
ここまでのプロローグで、弟が訳あって東京を追われ北国に逃げ帰ってきた物語だと想像がつき、根岸吉太郎ならば凍てつく寒さの中で兄弟の相克のドラマがあり、最後には弟が生きる勇気を与えられて東京に帰っていくだろうことが容易に想像できる。
斎藤耕一の『津軽じょんがら節』(1973)ならば悲劇的なラストで終わり、楽園はどこにもないことを知るのだが、根岸吉太郎がそんな作品を撮るわけもなく、厳しい生活の中に光明を見出すという、ある意味予定調和な、予想された物語にしかならない。
そうした既視感は冒頭にクレジットされる俳優陣にもあって、兄を演じるのが佐藤浩市、厩舎の賄い婦に小泉今日子、他に山崎努、香川照之、津川雅彦、吹石一恵という布陣からも、どのような作品になるかが見てとれる。
事業に失敗して債権者から逃げる弟が何年かぶりに家に帰ってきて、会いたいと思っていた母は認知症で老人ホームとありがちなエピソードを重ね、厩舎の手伝いを始めた弟が世話した廃馬寸前の馬がレースに臨み、同じく自分には騎手の才能がないと失意に沈む吹石一恵が騎乗して、運に恵まれない兄ともども3人と1頭が起死回生を狙う。
しかしここでも予想に違わず馬は勝利し、それぞれが新しい希望を胸に歩み出すという、根岸吉太郎らしいヒューマンドラマとなる。
厩舎の屋根に雪玉を置くと願いが叶うというタイトルに掛けた設定もベタだが、雪の中を白い息に包まれて走る馬のシーンが美しく、人間のつくるドラマを超えた生命の躍動を感じさせて感動的。 (評価:2.5)
製作:ランブルフィッシュ
公開:2008年3月8日
監督:万田邦敏 脚本:万田珠実、万田邦敏 撮影:渡部眞 音楽:長嶌寛幸 美術:清水剛
キネマ旬報:9位
○○と××の接吻がどうにも理解できない
一家三人を惨殺した男が何も語らずに弁護を拒否して死刑判決を受ける。その男を自分と同類だと直感した見ず知らずの女が差し入れを続け、唯一犯人と心を通わして獄中結婚するという物語。
世田谷一家惨殺事件や、連続射殺事件の永山則夫の獄中結婚を連想させ、おそらくそれらをヒントに書かれたシナリオ。
社会から爪弾きにされた者の孤独と復讐がテーマで、二人の男女は自身の孤独を社会に理解されることを拒否する。そのため男は一切口を閉ざし、徹底して抗い死刑になることで自己完結する。
女はそれを理解し男を仲間だと思うが、その時点で理解者を得てしまった男は孤独から解き放たれ、女の孤独を社会に理解させるために控訴の道を選ぶ。そうして男に裏切られた女は、男に孤独を貫くことを求める。
セリフはしばしば観念的でシナリオの空回りや演出の粗も多くて、作品としての完成度は今一つだが、男女を演じる豊川悦司と小池栄子の熱演もあって飽きさせない。
タイトルになっている接吻だが、ラストで小池と豊悦がするものとばかり思っているとそうではない。しかし、なぜこの二人でないのか見終わってもどうにも理解できず、やはりシナリオの観念が空回りしている感がある。
弁護士役に仲村トオル。 (評価:2.5)
公開:2008年3月8日
監督:万田邦敏 脚本:万田珠実、万田邦敏 撮影:渡部眞 音楽:長嶌寛幸 美術:清水剛
キネマ旬報:9位
一家三人を惨殺した男が何も語らずに弁護を拒否して死刑判決を受ける。その男を自分と同類だと直感した見ず知らずの女が差し入れを続け、唯一犯人と心を通わして獄中結婚するという物語。
世田谷一家惨殺事件や、連続射殺事件の永山則夫の獄中結婚を連想させ、おそらくそれらをヒントに書かれたシナリオ。
社会から爪弾きにされた者の孤独と復讐がテーマで、二人の男女は自身の孤独を社会に理解されることを拒否する。そのため男は一切口を閉ざし、徹底して抗い死刑になることで自己完結する。
女はそれを理解し男を仲間だと思うが、その時点で理解者を得てしまった男は孤独から解き放たれ、女の孤独を社会に理解させるために控訴の道を選ぶ。そうして男に裏切られた女は、男に孤独を貫くことを求める。
セリフはしばしば観念的でシナリオの空回りや演出の粗も多くて、作品としての完成度は今一つだが、男女を演じる豊川悦司と小池栄子の熱演もあって飽きさせない。
タイトルになっている接吻だが、ラストで小池と豊悦がするものとばかり思っているとそうではない。しかし、なぜこの二人でないのか見終わってもどうにも理解できず、やはりシナリオの観念が空回りしている感がある。
弁護士役に仲村トオル。 (評価:2.5)
時をかける少女
公開:2006年07月15日
監督:細田守 脚本:奥寺佐渡子 作画監督:青山浩行、久保田誓、石浜真史 音楽:吉田潔 美術:山本二三
原作は筒井康隆の同名小説で、これはアニメ版。制作はマッドハウス。
原作はジュブナイル小説でアニメ化には向いているが、タイムトリップのSF的設定を換骨奪胎どころか奪骨奪胎のただの青春アニメにしてしまった。原作ファンやSFファンが本作を認めないのは容易に想像がつく。
本作ではタイムトリップは単なるツールでしかなく、昔話の3つの願い同様、ただ消費するためのゲーム・アイテムでしかないということ。現在・過去・未来の時についてなにも語ってなく、主題は「勇気を持って告ること」という、何とも現代的・通俗的な青春ドラマで、時を弄ぶ少女、ないしは時を浪費する少女で、時をかけてはいない。
登場する高校生たちの設定は如何にもアニメ的で、色気のないお姫様とふたりの侍従という設定もアニメのキャラクターシフトの定番。放課後に男女3人で野球をするというのも現実離れした設定で、アニメでなければ無理なシナリオ。無駄な台詞も多い。
時が止まったシーンは本作唯一の作画的見どころだが、物語は時アイテムを弄ぶうちにタイム・パラドックス同様にわけがわからなくなって、天の川ではなく時に裂かれた牽牛織女のような七夕的別離の雰囲気のうちに、何となく良くできた青春ラブストーリーだと勘違いしてしまう作品。 (評価:2.5)
THE有頂天ホテル
公開:2006年1月14日
監督:三谷幸喜 製作:亀山千広、島谷能成 脚本:三谷幸喜 撮影:山本英夫 美術:種田陽平 音楽:本間勇輔
シティ・ホテルを舞台に、新年を控えた大晦日の夜、ホテルマンと客たちの織り成す群像劇、と一言で言えてしまう物語。
群像劇の難しさを、図らずも露呈してしまった作品で、本作には句読点がない。つまり、群像劇をダラダラと描くだけで、物語の中心がなく、フックとなるようなエピソードもない。
グランド・ホテル形式に、ホテルの中を行きかう人たちの人間模様といえばそれなりに聴こえるが、描かれるのはスナップ写真程度でしかなく、ホテルのメイドが有名政治家の愛人といった、あまりに都合の良すぎる人間関係が嘘くさい。
エピソード的には、ホテルの副支配人(役所広司)と元妻(原田美枝子)、汚職政治家(佐藤浩市)、退職するベルボーイ(香取慎吾)が中心となって話は進んで行くが、結局何の話なのか、何を描きたかったのか、茫洋としただけで終わっている。
そうした様々な人々が織りなす人間ドラマの中で、客を家族と思い、迎え送り出すホテルマンたちのホスピタリティが、ラストで作品テーマのように登場するが、石ノ森章太郎の『ホテル』ほどにはホテルマンたちにリアリティがなく、家族を迎え送り出すという言葉が、白々しいほどに嘘くさい。
群像劇を描き出そうとする前半の長回しの多用は、ただ締まらないだけで演出的に失敗。コメディもほのぼのではあるが笑いどころは少なく、あとは俳優の演技を楽しむくらいしか見どころはない。
コールガールを演じる篠原涼子、筆耕係のオダギリジョーがちょっといい。 (評価:2)
製作:「明日の記憶」製作委員会(東映、ケイダッシュ、東映ビデオ、住友商事、光文社、読売新聞、日本出版販売)
公開:2006年05月13日
監督:堤幸彦 製作:坂上順、川村龍夫 脚本:砂本量、三浦有為子 撮影:唐沢悟 音楽:大島ミチル 美術:及川一
キネマ旬報:8位
アルツハイマーで感動系を狙ったが感動できない
原作は荻原浩の同名小説。
広告代理店のモーレツ部長がアルツハイマー病になり退職。娘の結婚、初孫の出産を経ながら、闘病生活と働きに出た妻との葛藤、夫婦愛を描く。
男を主人公にした難病ドラマという感動系作品。家庭を顧みない会社人間が一転、妻に助けられて闘病するというステレオタイプな物語で、題材がアルツハイマーでなければ途中で飽きて寝てしまう。それでもステレオタイプなエピソードや会話を延々と見せられるとかなり退屈。
台詞も演技も演出も類型的で、ありがちなヒューマン・ドラマの枠を超えられていない。横糸に絡まる陶芸もいかにもな設定。
アルツハイマーになった男の混乱と困惑という心理描写がドラマの肝となるが、残念ながら渡辺謙の演技はそのレベルに届かず、樋口可南子が何とかドラマをもたせている。渡辺えり子もイマイチなのはシナリオと演出のせいか。 題材もストーリーも感動系を狙ったが、いずれも映画の力量が今ひとつで表面的に流れ、病気と向き合う人間の感動を生みだせなかった。
クライアントの課長・香川照之が本物のサラリーマンのようで、ちょっといい。 (評価:2)
公開:2006年05月13日
監督:堤幸彦 製作:坂上順、川村龍夫 脚本:砂本量、三浦有為子 撮影:唐沢悟 音楽:大島ミチル 美術:及川一
キネマ旬報:8位
原作は荻原浩の同名小説。
広告代理店のモーレツ部長がアルツハイマー病になり退職。娘の結婚、初孫の出産を経ながら、闘病生活と働きに出た妻との葛藤、夫婦愛を描く。
男を主人公にした難病ドラマという感動系作品。家庭を顧みない会社人間が一転、妻に助けられて闘病するというステレオタイプな物語で、題材がアルツハイマーでなければ途中で飽きて寝てしまう。それでもステレオタイプなエピソードや会話を延々と見せられるとかなり退屈。
台詞も演技も演出も類型的で、ありがちなヒューマン・ドラマの枠を超えられていない。横糸に絡まる陶芸もいかにもな設定。
アルツハイマーになった男の混乱と困惑という心理描写がドラマの肝となるが、残念ながら渡辺謙の演技はそのレベルに届かず、樋口可南子が何とかドラマをもたせている。渡辺えり子もイマイチなのはシナリオと演出のせいか。 題材もストーリーも感動系を狙ったが、いずれも映画の力量が今ひとつで表面的に流れ、病気と向き合う人間の感動を生みだせなかった。
クライアントの課長・香川照之が本物のサラリーマンのようで、ちょっといい。 (評価:2)
製作:『ゆれる』製作委員会(エンジンフィルム、バンダイビジュアル、テレビマンユニオン、衛星劇場)
公開:2006年07月08日
監督:西川美和 製作:川城和実、重延浩、八木ヶ谷昭次 脚本:西川美和 撮影:高瀬比呂志 音楽:カリフラワーズ 美術:三ツ松けいこ
キネマ旬報:2位
毎日映画コンクール大賞
レディスコミックかボーイズラブの映画版
西川美和のオリジナル脚本。
オダギリジョーと香川照之の兄弟が真木よう子と渓谷に遊びに行き、真木が吊り橋から転落死してしまうという作品。事故か殺人か? 現場に居合わせたのは香川で、真木のことが好きだったがオダジョーとの関係を感づいている。裁判を通して3人の心理と真実が明らかになっていくが、意外にも7年後に母の残した8ミリフィルムから本当のことがわかるという物語。
ミステリー仕立てにしては謎解きになってなく、裁判劇にしてはコントかと思うくらいにお粗末で、結局のところレディスコミックかボーイズラブの映画版というのがテイストとしては一番近い。
漫画家にしても小説家にしても女性は男同士の友情だとか恋愛を描くのが好きで、映画監督もやはり同じらしい。本作の場合、それにお姫様願望が加わって、ヒロイン・真木を取り合う男同士のライバル。しかも、それが兄弟とくれば少女漫画定番の三角関係も鉄壁。
お姫様が死んでしまって、男同士が兄弟愛と嫉妬の葛藤に悩むという、なんとも良くできたBL話だが、正直、男から見ると女の子が勘違いする男の友情の幻想か、女の子が夢見るヤオイ・ファンタジーで、あまりのリアリティのなさに批評する気も失せる。裁判中の被告親族の宴会もデリカシーがなく、このような竹を割ったシーンは随所に見られる。
ある意味、現実を舞台にしたお伽噺で、しかも「情緒を」描くのではなく、「情緒で」作品を作っているために何とも言えない納豆のように粘っこい湿っぽさが全身に広がる。
ヤオイ納豆が好きな人には御馳走で、そうでない人には取り敢えずの朝定食という位置づけ。
見どころを上げるのは難しいが、伊武雅刀がデスラーのようで受ける。他に蟹江敬三。 (評価:2)
公開:2006年07月08日
監督:西川美和 製作:川城和実、重延浩、八木ヶ谷昭次 脚本:西川美和 撮影:高瀬比呂志 音楽:カリフラワーズ 美術:三ツ松けいこ
キネマ旬報:2位
毎日映画コンクール大賞
西川美和のオリジナル脚本。
オダギリジョーと香川照之の兄弟が真木よう子と渓谷に遊びに行き、真木が吊り橋から転落死してしまうという作品。事故か殺人か? 現場に居合わせたのは香川で、真木のことが好きだったがオダジョーとの関係を感づいている。裁判を通して3人の心理と真実が明らかになっていくが、意外にも7年後に母の残した8ミリフィルムから本当のことがわかるという物語。
ミステリー仕立てにしては謎解きになってなく、裁判劇にしてはコントかと思うくらいにお粗末で、結局のところレディスコミックかボーイズラブの映画版というのがテイストとしては一番近い。
漫画家にしても小説家にしても女性は男同士の友情だとか恋愛を描くのが好きで、映画監督もやはり同じらしい。本作の場合、それにお姫様願望が加わって、ヒロイン・真木を取り合う男同士のライバル。しかも、それが兄弟とくれば少女漫画定番の三角関係も鉄壁。
お姫様が死んでしまって、男同士が兄弟愛と嫉妬の葛藤に悩むという、なんとも良くできたBL話だが、正直、男から見ると女の子が勘違いする男の友情の幻想か、女の子が夢見るヤオイ・ファンタジーで、あまりのリアリティのなさに批評する気も失せる。裁判中の被告親族の宴会もデリカシーがなく、このような竹を割ったシーンは随所に見られる。
ある意味、現実を舞台にしたお伽噺で、しかも「情緒を」描くのではなく、「情緒で」作品を作っているために何とも言えない納豆のように粘っこい湿っぽさが全身に広がる。
ヤオイ納豆が好きな人には御馳走で、そうでない人には取り敢えずの朝定食という位置づけ。
見どころを上げるのは難しいが、伊武雅刀がデスラーのようで受ける。他に蟹江敬三。 (評価:2)