日本映画レビュー──2000年
製作:フィルム・シティ
公開:2000年8月26日
監督:小沼勝 製作:半沢浩 脚本:齊藤猛、村上修 撮影:田口晴久 美術:岩本一成 音楽:遠藤浩二
少女が溌剌とスクリーンの中を駆け回る姿が爽やか
村上もとかの漫画『NAGISA』が原作。
12歳の小学生なぎさのひと夏の成長をザ・ピーナッツの『恋のバカンス』(1963)をテーマに描く物語で、時代設定は1960年代になっている。劇中で加山雄三『夜空の星』(1965)が流れることから、1966年夏頃。
なぎさ(松田まどか)は漁師の父を亡くし、江ノ島で小料理屋を開いている母(片桐夕子)との二人暮らし。夏休みになって自分用のレコードプレーヤーが欲しくて伯母(根岸季衣)の海の家でアルバイトを始める。
不良掛かった従姉がボーイフレンドとキスをしているのを見て興味を持つ年頃で、いつも泳いでいる磯で別荘に泊まっている東京の少年と知り合い、泳ぎを教えているうちに思わずキスをしてしまう。
従姉に誘われてパーマをかけて参加した夜の浜辺でのゴーゴーパーティが終わり、翌朝少年との約束の磯に行こうとするが、パーマをおかっぱに直していたために遅刻。その間に目標の岩までひとりで泳いでいた少年は溺れ死んでしまい、なぎさの恋のバカンスは終わる。
初恋ともいえない少年との微妙な距離感の中で、大人に憧れて背伸びする少女が溌剌とスクリーンの中を駆け回る姿が爽やか。
ただ、体が弱く泳ぎの下手な少年に少女が泳ぎを教える段で、少年が溺れる結末が予想され、その通りになってしまうのはともかく、少年を死なせなくても別れのラストにはできるので、悲劇的予定調和の安易さは残る。少年が助かるラストにした方が、見終わってそれまでの爽やかな印象を残せた。
エンディング曲はベッツイ&クリス『花のように』(1970)で、なぎさの初恋の終焉を甘酸っぱく歌い、この時代を知る者にはノスタルジックな作品となっている。
ベルリン国際映画祭児童映画部門グランプリ受賞。 (評価:3)
公開:2000年8月26日
監督:小沼勝 製作:半沢浩 脚本:齊藤猛、村上修 撮影:田口晴久 美術:岩本一成 音楽:遠藤浩二
村上もとかの漫画『NAGISA』が原作。
12歳の小学生なぎさのひと夏の成長をザ・ピーナッツの『恋のバカンス』(1963)をテーマに描く物語で、時代設定は1960年代になっている。劇中で加山雄三『夜空の星』(1965)が流れることから、1966年夏頃。
なぎさ(松田まどか)は漁師の父を亡くし、江ノ島で小料理屋を開いている母(片桐夕子)との二人暮らし。夏休みになって自分用のレコードプレーヤーが欲しくて伯母(根岸季衣)の海の家でアルバイトを始める。
不良掛かった従姉がボーイフレンドとキスをしているのを見て興味を持つ年頃で、いつも泳いでいる磯で別荘に泊まっている東京の少年と知り合い、泳ぎを教えているうちに思わずキスをしてしまう。
従姉に誘われてパーマをかけて参加した夜の浜辺でのゴーゴーパーティが終わり、翌朝少年との約束の磯に行こうとするが、パーマをおかっぱに直していたために遅刻。その間に目標の岩までひとりで泳いでいた少年は溺れ死んでしまい、なぎさの恋のバカンスは終わる。
初恋ともいえない少年との微妙な距離感の中で、大人に憧れて背伸びする少女が溌剌とスクリーンの中を駆け回る姿が爽やか。
ただ、体が弱く泳ぎの下手な少年に少女が泳ぎを教える段で、少年が溺れる結末が予想され、その通りになってしまうのはともかく、少年を死なせなくても別れのラストにはできるので、悲劇的予定調和の安易さは残る。少年が助かるラストにした方が、見終わってそれまでの爽やかな印象を残せた。
エンディング曲はベッツイ&クリス『花のように』(1970)で、なぎさの初恋の終焉を甘酸っぱく歌い、この時代を知る者にはノスタルジックな作品となっている。
ベルリン国際映画祭児童映画部門グランプリ受賞。 (評価:3)
製作:「バトル・ロワイアル」製作委員会(東映、アム・アソシエイツ、広美、日本出版販売、MFピクチャーズ、WOWOW、ギャガ)
公開:2000年12月16日
監督:深作欣二 脚本:深作健太 撮影:柳島克己 美術:部谷京子 編集:阿部浩英 音楽:天野正道
キネマ旬報:5位
ブルーリボン作品賞
学芸会レベルだが、学芸会であることによって共感できる作品
高見広春の同名小説が原作。
深作欣二が中学生だった時の戦時体験から、中学生に見てもらうために作った作品だったが、暴力描写が国会で問題となり、R15指定を受けたために肝腎の中学生に見せることができなかったという曰くつき。翌春、中学卒業生を対象にした特別編を公開したが、義務教育を修了し、これから大人になっていく少年たちに向けたメッセージ性の強い佳作になっている。
近未来が舞台で、経済が破綻し、失業率が上昇して国家が破滅し、学級崩壊も家庭崩壊も極まっているという、当時のバブル崩壊後の社会情勢が背景となっている。毎年、全国の学校から中3一クラスが選抜され、無人島に3日間閉じ込められる。殺し合いを勝ち抜いた1人だけが島を抜けることができるというTVゲーム的な荒唐無稽な設定だが、単純な分、後は殺し合う中学生たちだけを観ればいいというわかりやすさがあり、『仁義なき戦い』の中学生版を見ることができる。
本作で描かれるのは、戦争になった時の剥き出しの人間性であり、倫理を求めようとする者と生き抜こうとする者の価値観の戦いであり、誰もがどちらの側に組する可能性があり、家庭や学校の保護から少年たちが自立するということは、厳しい社会の中で人間同士が争いながら生き抜かなければならないということであり、島から生還した二人が島での体験を糧に、誰の助けもなく社会に船出していくというラストシーンで締めくくられる。
本作で、深作は少年たちがどう生きるべきかということを提示しない。ただ屍を乗り越えて、死んだ者たちの無念の思いを胸に、逞しく生き続けていくという二人の姿に、深作の戦時体験が重なる。
深作が伝えたかったのは、どのように絶望的な社会であっても、人と傷つけ合うことがあっても、人は生き続けなければならないということ、その勇気を持ち続けることの大切さで、問題視された暴力描写を通して、テーマを伝えることに成功している。
藤原竜也、前田亜季、柴咲コウ、栗山千明といった十代の俳優を使ったこともあって、演技でいえば学芸会レベルだが、学芸会であることによって中学生にとって等身大の共感できる作品となっている。
学芸会をサポートするために山本太郎、安藤政信が出演しているが、やはり大人のお兄さんにしか見えない。教師役のビートたけしが、屈折した大人を一手に引き受けて好演。 (評価:3)
公開:2000年12月16日
監督:深作欣二 脚本:深作健太 撮影:柳島克己 美術:部谷京子 編集:阿部浩英 音楽:天野正道
キネマ旬報:5位
ブルーリボン作品賞
高見広春の同名小説が原作。
深作欣二が中学生だった時の戦時体験から、中学生に見てもらうために作った作品だったが、暴力描写が国会で問題となり、R15指定を受けたために肝腎の中学生に見せることができなかったという曰くつき。翌春、中学卒業生を対象にした特別編を公開したが、義務教育を修了し、これから大人になっていく少年たちに向けたメッセージ性の強い佳作になっている。
近未来が舞台で、経済が破綻し、失業率が上昇して国家が破滅し、学級崩壊も家庭崩壊も極まっているという、当時のバブル崩壊後の社会情勢が背景となっている。毎年、全国の学校から中3一クラスが選抜され、無人島に3日間閉じ込められる。殺し合いを勝ち抜いた1人だけが島を抜けることができるというTVゲーム的な荒唐無稽な設定だが、単純な分、後は殺し合う中学生たちだけを観ればいいというわかりやすさがあり、『仁義なき戦い』の中学生版を見ることができる。
本作で描かれるのは、戦争になった時の剥き出しの人間性であり、倫理を求めようとする者と生き抜こうとする者の価値観の戦いであり、誰もがどちらの側に組する可能性があり、家庭や学校の保護から少年たちが自立するということは、厳しい社会の中で人間同士が争いながら生き抜かなければならないということであり、島から生還した二人が島での体験を糧に、誰の助けもなく社会に船出していくというラストシーンで締めくくられる。
本作で、深作は少年たちがどう生きるべきかということを提示しない。ただ屍を乗り越えて、死んだ者たちの無念の思いを胸に、逞しく生き続けていくという二人の姿に、深作の戦時体験が重なる。
深作が伝えたかったのは、どのように絶望的な社会であっても、人と傷つけ合うことがあっても、人は生き続けなければならないということ、その勇気を持ち続けることの大切さで、問題視された暴力描写を通して、テーマを伝えることに成功している。
藤原竜也、前田亜季、柴咲コウ、栗山千明といった十代の俳優を使ったこともあって、演技でいえば学芸会レベルだが、学芸会であることによって中学生にとって等身大の共感できる作品となっている。
学芸会をサポートするために山本太郎、安藤政信が出演しているが、やはり大人のお兄さんにしか見えない。教師役のビートたけしが、屈折した大人を一手に引き受けて好演。 (評価:3)
製作:松竹、衛星劇場、毎日放送、セディック インターナショナル、KИHO
公開:2000年8月12日
監督:阪本順治 脚本:宇野イサム 撮影:笠松則通 美術:原田満生 音楽:coba
キネマ旬報:1位
毎日映画コンクール大賞
追われる身の光明が見えないところにテーマの未消化感
妹を殺した姉の逃亡生活を描いた作品。松山ホステス殺害事件の犯人で、整形などで7つの顔を持つ女と呼ばれた福田和子がモデル。
本作では、閉じ籠りの中年女という設定で、父と離別した母(渡辺美佐子)が家業のクリーニング店を切り盛り。美人の妹(牧瀬里穂)はホステスでどんくさい姉を邪魔者扱いしている。妹と喧嘩して一度は家を出るものの、結局母の庇護なしには生きられず、実家に戻ってお針子をしている。
その母が死んで庇護を失った姉は、独りで生きるべく妹を殺して香典を持ち逃げする。
そこからは姉の自立の物語で、指名手配を受けながらも名前と顔を隠し、大阪のラブホを経て、別府のバーでホステスとして落ち着くが、警察沙汰から身元が割れるのを怖れて姫島に逃れるが、そこにも警察が・・・というストーリー。
ラブホ経営者に教えてもらった自転車で最初の逃走を図り、ラストはバーのママの弟に教えてもらった泳ぎで海に逃げるシーンで終わが、そこに姉の自立と成長が暗示される。
主人公に絡む重要なキャラクターは4人で、何れも社会不適応でドロップアウトした人間ばかり。虚無的ななラブホ店長(岸部一徳)は縊死し、場末でバーを経営するママ(大楠道代)の弟(豊川悦司)はヤクザに殺され、会社をリストラされた男(佐藤浩市)も企業機密で恐喝をしている。
主人公も社会不適応の一人で、彼らと交わる中で現状からの脱出を図るという方向性は示されるが、どこまで行っても指名手配の追われる身で、光明が見えないところにテーマの未消化感が残る。
このどんくさい姉を藤山直美が演じて、なかなかの名演。
最後の舞台となる姫島のキツネ踊りがちょっとした見どころ。 (評価:2.5)
公開:2000年8月12日
監督:阪本順治 脚本:宇野イサム 撮影:笠松則通 美術:原田満生 音楽:coba
キネマ旬報:1位
毎日映画コンクール大賞
妹を殺した姉の逃亡生活を描いた作品。松山ホステス殺害事件の犯人で、整形などで7つの顔を持つ女と呼ばれた福田和子がモデル。
本作では、閉じ籠りの中年女という設定で、父と離別した母(渡辺美佐子)が家業のクリーニング店を切り盛り。美人の妹(牧瀬里穂)はホステスでどんくさい姉を邪魔者扱いしている。妹と喧嘩して一度は家を出るものの、結局母の庇護なしには生きられず、実家に戻ってお針子をしている。
その母が死んで庇護を失った姉は、独りで生きるべく妹を殺して香典を持ち逃げする。
そこからは姉の自立の物語で、指名手配を受けながらも名前と顔を隠し、大阪のラブホを経て、別府のバーでホステスとして落ち着くが、警察沙汰から身元が割れるのを怖れて姫島に逃れるが、そこにも警察が・・・というストーリー。
ラブホ経営者に教えてもらった自転車で最初の逃走を図り、ラストはバーのママの弟に教えてもらった泳ぎで海に逃げるシーンで終わが、そこに姉の自立と成長が暗示される。
主人公に絡む重要なキャラクターは4人で、何れも社会不適応でドロップアウトした人間ばかり。虚無的ななラブホ店長(岸部一徳)は縊死し、場末でバーを経営するママ(大楠道代)の弟(豊川悦司)はヤクザに殺され、会社をリストラされた男(佐藤浩市)も企業機密で恐喝をしている。
主人公も社会不適応の一人で、彼らと交わる中で現状からの脱出を図るという方向性は示されるが、どこまで行っても指名手配の追われる身で、光明が見えないところにテーマの未消化感が残る。
このどんくさい姉を藤山直美が演じて、なかなかの名演。
最後の舞台となる姫島のキツネ踊りがちょっとした見どころ。 (評価:2.5)
製作:電通、IMAGICA、サンセントシネマワークス、東京テアトル
公開:2001年01月20日
監督:青山真治 製作:塩原徹、長瀬文男、仙頭武則、滝島優行 脚本:青山真治 撮影:田村正毅 音楽:青山真治、山田勲生 美術:清水剛
キネマ旬報:4位
ロリータ宮崎あおい以外にも、役所公司で十分楽しめる
ユリイカ(eureka)は「わかった」という意味の古代ギリシャ語εὕρηκαの英語発音で、アルキメデスが金の比重を測る方法を発見した時に叫んだとされる言葉。
バスジャック事件によって心に深い傷を負った運転手(役所広司)と乗客の兄妹(宮崎あおい・宮崎将)の再生の物語。兄妹はほとんど台詞がなく、本作のすべては役所に掛かっている。役どころがブルーカラーなので、ホワイトカラーな役所は違和感があってミスキャスト気味に感じられるが、期待に十分応える演技をしている。
よくできた作品だが問題点を3つ。全編セピア色で露出オーバー気味に現像されているため濃淡が弱く非常に見づらい。演出の意図としては主人公たちが事件によって現実感を失った白昼夢のイメージを表現しているが、3時間半近くをこれで見せられるのはしんどい。
心象風景を表現するために長回し、ロングショットを多用しているが、3時間半は長すぎ。通り魔事件の犯人が半ばでわかってしまうので緊張感が持続しない。物語の落とし所が見えないまま延々とカメラを回している感があり、逆にラストの落とし所が推測でき、しかもその通りになってしまうのは締まりがない。セピアカラーがどう変化するかも読めてしまう。これを救っているのは役所の演技だが、フィルムを切れなかった編集に問題がある。
対象との客観的距離感を保ち、長回しを退屈させないためのロングショットだが、マイクをカメラ位置に置いているために音声が聞き取りにくい。一方でSEのサウンドレベルが高いため、奥の人物の台詞が良く聞こえず、方言もあって結構ストレスを感じる。
映画の後半はロードムービー。役所の妹役で出ている尾野真千子が、若くて可愛い。 (評価:2.5)
公開:2001年01月20日
監督:青山真治 製作:塩原徹、長瀬文男、仙頭武則、滝島優行 脚本:青山真治 撮影:田村正毅 音楽:青山真治、山田勲生 美術:清水剛
キネマ旬報:4位
ユリイカ(eureka)は「わかった」という意味の古代ギリシャ語εὕρηκαの英語発音で、アルキメデスが金の比重を測る方法を発見した時に叫んだとされる言葉。
バスジャック事件によって心に深い傷を負った運転手(役所広司)と乗客の兄妹(宮崎あおい・宮崎将)の再生の物語。兄妹はほとんど台詞がなく、本作のすべては役所に掛かっている。役どころがブルーカラーなので、ホワイトカラーな役所は違和感があってミスキャスト気味に感じられるが、期待に十分応える演技をしている。
よくできた作品だが問題点を3つ。全編セピア色で露出オーバー気味に現像されているため濃淡が弱く非常に見づらい。演出の意図としては主人公たちが事件によって現実感を失った白昼夢のイメージを表現しているが、3時間半近くをこれで見せられるのはしんどい。
心象風景を表現するために長回し、ロングショットを多用しているが、3時間半は長すぎ。通り魔事件の犯人が半ばでわかってしまうので緊張感が持続しない。物語の落とし所が見えないまま延々とカメラを回している感があり、逆にラストの落とし所が推測でき、しかもその通りになってしまうのは締まりがない。セピアカラーがどう変化するかも読めてしまう。これを救っているのは役所の演技だが、フィルムを切れなかった編集に問題がある。
対象との客観的距離感を保ち、長回しを退屈させないためのロングショットだが、マイクをカメラ位置に置いているために音声が聞き取りにくい。一方でSEのサウンドレベルが高いため、奥の人物の台詞が良く聞こえず、方言もあって結構ストレスを感じる。
映画の後半はロードムービー。役所の妹役で出ている尾野真千子が、若くて可愛い。 (評価:2.5)
製作:ビーワイルド、テレビ朝日、TOKYO FM
公開:2001年1月27日
監督:相米慎二 製作:若杉正明、早河洋 脚本:森らいみ 撮影:町田博 美術:小川富美夫 音楽:大友良英
キネマ旬報:5位
座頭市を演じる宿屋の主人・柄本明の隠し芸がなかなか
鳴海章の同名小説が原作。相米慎二の遺作。
万引きで懲戒になった文部省のエリート官僚(浅野忠信)と子持ちの風俗嬢(小泉今日子)が北海道を旅するロードムービー。
インポで酒乱の男は、人生に失望し自殺を志願。酔って入ったピンサロで北海道出身の女と出会い、雪山で死ねると案内されるという設定。
女は結婚して子供を産んだところで夫が事故死。赤ん坊を再婚した北海道の母(香山美子)に預けてピンサロで働くが、5年も帰郷してない。人生に疲れ、子供の顔を見ればもう一度頑張れると帰郷するが、子供に合わせてもらえず、失意のまま雪山で自殺しようとする。
男は自殺の意思も薄れ、逆に女を助ける。女は子供と北海道でやり直す決意をし、男は東京に帰るというところでジ・エンドとなり、人生辛いけどみんな頑張ろうよ、という相米のメッセージで締めくくられる。
要は二人の男女が他人ながらたまたま知り合ったことがきっかけで、相手を通して自分の人生を見直すという心優しき物語で、それ自体に文句はないが、何となく予定調和で、そうはいってもやっぱり人生は死にたくなるほど辛いんじゃねぇ? と、このハッピーエンドが白々しく思えてしまう。
相米らしく全体にライトな作りなので、男女ともに死にたいほどの人生の辛さが見えて来ず、薄っぺらい印象が残る。
それとは別に、クレーンを使ったカメラ移動や長回しの映像は相変わらず相米らしくて、ロードムービーの風景と相まってちょっといい。
余興で座頭市を演じる宿屋の主人・柄本明の隠し芸がなかなか。義父の高橋長英の袈裟姿も似合っている。 (評価:2.5)
公開:2001年1月27日
監督:相米慎二 製作:若杉正明、早河洋 脚本:森らいみ 撮影:町田博 美術:小川富美夫 音楽:大友良英
キネマ旬報:5位
鳴海章の同名小説が原作。相米慎二の遺作。
万引きで懲戒になった文部省のエリート官僚(浅野忠信)と子持ちの風俗嬢(小泉今日子)が北海道を旅するロードムービー。
インポで酒乱の男は、人生に失望し自殺を志願。酔って入ったピンサロで北海道出身の女と出会い、雪山で死ねると案内されるという設定。
女は結婚して子供を産んだところで夫が事故死。赤ん坊を再婚した北海道の母(香山美子)に預けてピンサロで働くが、5年も帰郷してない。人生に疲れ、子供の顔を見ればもう一度頑張れると帰郷するが、子供に合わせてもらえず、失意のまま雪山で自殺しようとする。
男は自殺の意思も薄れ、逆に女を助ける。女は子供と北海道でやり直す決意をし、男は東京に帰るというところでジ・エンドとなり、人生辛いけどみんな頑張ろうよ、という相米のメッセージで締めくくられる。
要は二人の男女が他人ながらたまたま知り合ったことがきっかけで、相手を通して自分の人生を見直すという心優しき物語で、それ自体に文句はないが、何となく予定調和で、そうはいってもやっぱり人生は死にたくなるほど辛いんじゃねぇ? と、このハッピーエンドが白々しく思えてしまう。
相米らしく全体にライトな作りなので、男女ともに死にたいほどの人生の辛さが見えて来ず、薄っぺらい印象が残る。
それとは別に、クレーンを使ったカメラ移動や長回しの映像は相変わらず相米らしくて、ロードムービーの風景と相まってちょっといい。
余興で座頭市を演じる宿屋の主人・柄本明の隠し芸がなかなか。義父の高橋長英の袈裟姿も似合っている。 (評価:2.5)
製作:近代映画協会
公開:2000年12月2日
監督:新藤兼人 製作:新藤次郎 脚本:新藤兼人 撮影:三宅義行 美術:重田重盛 音楽:林光
キネマ旬報:6位
殿山泰司の映画人生を過不足なく描くが
新藤兼人の『三文役者の死』が原作。
1989年に肝臓癌で亡くなった殿山泰司の脇役人生を綴った伝記映画で、竹中直人が殿山泰司を演じる。
殿山の話し方をそっくり模倣し、禿頭や目のぎょろりとした風貌も似て後姿で歩くと殿山と見紛うが、顔が大写しになった途端、バタ臭い竹中に戻ってしまい、飄々とした殿山とは似ても似つかなくなる。
それでも、竹中に殿山の顔を思い浮かべて見ていると、殿山の脇役人生が浮かび上がってくる新藤の演出力はさすが。殿山に対する新藤の愛が伝わってくる。
愛人ができるまで籍を入れなかった鎌倉で焼鳥屋を営む正妻のババア(吉田日出子)と、17歳で同棲し結局添い遂げることになる側近(荻野目慶子)が好演して、酒と女と芝居とジャズをこよなく愛した殿山の破天荒な人生を支える。全裸ヘアヌードまで披露する荻野目の熱演は見もの。
新藤の作品だけに、『裸の島』などかつて殿山が出演した作品のフィルムを織り交ぜた殿山泰司のフィルモグラフィーにもなっていて、名脇役の映画人生を過不足なく描いている。
晩年、仕事が減ってからの物語は物悲しくも、殿山に相応しい人生で心が温かくなる。とりわけ遺作となった堀川弘通監督『花物語』の出演エピソードが感動的。
死んだ殿山と会話するような乙羽信子の回想も良く、二木てるみなど脇を固める俳優陣が粒ぞろいなのも名脇役・殿山の伝記らしい。 (評価:2.5)
公開:2000年12月2日
監督:新藤兼人 製作:新藤次郎 脚本:新藤兼人 撮影:三宅義行 美術:重田重盛 音楽:林光
キネマ旬報:6位
新藤兼人の『三文役者の死』が原作。
1989年に肝臓癌で亡くなった殿山泰司の脇役人生を綴った伝記映画で、竹中直人が殿山泰司を演じる。
殿山の話し方をそっくり模倣し、禿頭や目のぎょろりとした風貌も似て後姿で歩くと殿山と見紛うが、顔が大写しになった途端、バタ臭い竹中に戻ってしまい、飄々とした殿山とは似ても似つかなくなる。
それでも、竹中に殿山の顔を思い浮かべて見ていると、殿山の脇役人生が浮かび上がってくる新藤の演出力はさすが。殿山に対する新藤の愛が伝わってくる。
愛人ができるまで籍を入れなかった鎌倉で焼鳥屋を営む正妻のババア(吉田日出子)と、17歳で同棲し結局添い遂げることになる側近(荻野目慶子)が好演して、酒と女と芝居とジャズをこよなく愛した殿山の破天荒な人生を支える。全裸ヘアヌードまで披露する荻野目の熱演は見もの。
新藤の作品だけに、『裸の島』などかつて殿山が出演した作品のフィルムを織り交ぜた殿山泰司のフィルモグラフィーにもなっていて、名脇役の映画人生を過不足なく描いている。
晩年、仕事が減ってからの物語は物悲しくも、殿山に相応しい人生で心が温かくなる。とりわけ遺作となった堀川弘通監督『花物語』の出演エピソードが感動的。
死んだ殿山と会話するような乙羽信子の回想も良く、二木てるみなど脇を固める俳優陣が粒ぞろいなのも名脇役・殿山の伝記らしい。 (評価:2.5)
HYSTERIC
公開:2000年5月6日
監督:瀬々敬久 製作:江尻健司、深谷登 脚本:井土紀州 撮影:斉藤幸一 音楽:安川午朗
1994年に起きた青山学院大学生殺害事件を基に脚色した作品で、リアリティが半端ない。
事件の被害者は大学生だが、本作ではサラリーマン(鶴見辰吾)。アパートの隣室に不法侵入した女に誘い入れられ、カップル強盗に殺害される。
作品そのものは強盗の片割れの女が、ごく普通の田舎娘から転落していく様子をリアルに描く。
高校を卒業して長野の工場で働く女(小島聖)が、退屈な毎日に飽いていたところをチャラ男(千原浩史)にナンパされる。この男、太く短く生きるのを信条とするが、太くは享楽的に人生を楽しむことで、短くは将来は考えずに刹那的にということ。
このどうしようもない男に掴まったのが女の転落の始まりで、根気がない上に短気ですぐに投げ出し暴力を振るう男は、仕事も長続きせず、窃盗と恐喝で生活費を稼ぐ。
女は工場も通っていた専門学校もやめてしまい、いつしか犯罪の片棒を担ぐというボニーとクライドに。DV男から一度は逃げて、東京にいる元カレの大学生(村上淳)の部屋に転がり込むが、チンピラ男に見つかってすぐにもとの木阿弥に。
金がなくなり大学生を恐喝しようとするが逃げられ、留守部屋に押し入って僅かな金のために隣室のサラリーマンを殺害してしまう。伊豆の別荘に侵入して心中を図るも失敗。
実際の事件はここで御用となるが、ドラマの方は二人が離れ離れとなって数年が経ち、女はチンピラ男の子を産んで食堂で店主(阿部寛)と暮らしている。そこに偶然チンピラ男がやってきて、強盗を企てて店主を刺した際に揉み合い、女がチンピラ男を刺して死んでしまう。
逮捕されてパトカーで連行されるが、この車中シーンがプロローグとなっていて、物語はパトカーの中での回想形式になっている。
現代版ボニーとクライドで、よくある男女の転落と腐れ縁を描くが、リアルすぎるのが切ない。 (評価:2.5)
製作:松竹、日本テレビ放送網、住友商事、角川書店、博報堂
公開:2000年11月11日
監督:山田洋次 製作:迫本淳一 脚本:山田洋次、朝間義隆、平松恵美子 撮影:長沼六男 美術:出川三男 音楽:冨田勲
キネマ旬報:4位
最終作にして不完全燃焼の熾火だけが燻る
山田洋次の『学校』シリーズの4作目・最終作。
夜間高校、高等養護学校、職業訓練校と続いて、4作目は普通中学3年の不登校児が主人公。
主人公の男の子は、不登校が常態化して両親からも見放され、一念発起、横浜から屋久島までの無銭旅行の旅に出る。その過程で、さまざまな人たちに出会い、生きるということの本質を垣間見、旅を終えて横浜に帰り、中学校に復帰するという物語になっている。
では今回の「学校」のテーマは、不登校児を生む普通中学かといえばそうではなく、一人の15歳の葛藤と成長という極めて個人的な問題として描かれている。
ここで描かれる「学校」とは何かとこじつければ、それは旅であり、社会体験ということになる。これまでのシリーズを通した学校とは何かというテーマの延長線上にはあるが、あまりに一般化され過ぎていて実際にある教育機関を舞台に描いてきた従来の作品との違和感は否めない。
本作を一言でいえば「かわいい子には旅をさせろ」の格言そのままで、そうした旅の出会いによる人の成長を描いた作品は『旅の重さ』(1972)など無数にある。
ロードムービーの形式をとりながら、少年は物わかりのいい大人たちに出会い、自閉症の青年から自分のペースで歩くことの大切さを教わる。
善意の人々しか登場しない山田らしいヒューマニズム作品で観ている分には清々しいのだが、世の中はそれほど善意に溢れているわけではなく、少年の成長物語を描くにはあまりに都合のいい展開に、同時に嘘っぽさも感じてしまう。
自閉症の青年との意気投合もあまりに都合よく、それに感謝して青年の母(麻実れい)が別れに少年を抱きしめるシーンも演出過剰。屋久島の老人(丹波哲郎)とのエピソードで息子(前田吟)が少年になじられて反省してしまうのも不自然。車をぶっ飛ばしカラオケで熱唱していた丹波哲郎がいきなり寝たきり老人になってしまうのにも驚く。
最大に不自然なのは、本作のテーマが真の「学校」は学校の外にあるということなのに、なぜ主人公がラストシーンで不登校をやめて中学校に復帰してしまうのか。その理由も語られなければ、冒頭の問題提起である「なぜ学校に行かなければならないのか」に対する回答もなく、最終作にして不完全燃焼の熾火だけが燻ってしまう。
主人公に金井勇太、両親に小林稔侍、秋野暢子、ヒッチハイクのトラック運転手に赤井英和、屋久島のお姉さんに劇団☆新感線の高田聖子。
屋久島の縄文杉への観光ガイドは見どころ。 (評価:2.5)
公開:2000年11月11日
監督:山田洋次 製作:迫本淳一 脚本:山田洋次、朝間義隆、平松恵美子 撮影:長沼六男 美術:出川三男 音楽:冨田勲
キネマ旬報:4位
山田洋次の『学校』シリーズの4作目・最終作。
夜間高校、高等養護学校、職業訓練校と続いて、4作目は普通中学3年の不登校児が主人公。
主人公の男の子は、不登校が常態化して両親からも見放され、一念発起、横浜から屋久島までの無銭旅行の旅に出る。その過程で、さまざまな人たちに出会い、生きるということの本質を垣間見、旅を終えて横浜に帰り、中学校に復帰するという物語になっている。
では今回の「学校」のテーマは、不登校児を生む普通中学かといえばそうではなく、一人の15歳の葛藤と成長という極めて個人的な問題として描かれている。
ここで描かれる「学校」とは何かとこじつければ、それは旅であり、社会体験ということになる。これまでのシリーズを通した学校とは何かというテーマの延長線上にはあるが、あまりに一般化され過ぎていて実際にある教育機関を舞台に描いてきた従来の作品との違和感は否めない。
本作を一言でいえば「かわいい子には旅をさせろ」の格言そのままで、そうした旅の出会いによる人の成長を描いた作品は『旅の重さ』(1972)など無数にある。
ロードムービーの形式をとりながら、少年は物わかりのいい大人たちに出会い、自閉症の青年から自分のペースで歩くことの大切さを教わる。
善意の人々しか登場しない山田らしいヒューマニズム作品で観ている分には清々しいのだが、世の中はそれほど善意に溢れているわけではなく、少年の成長物語を描くにはあまりに都合のいい展開に、同時に嘘っぽさも感じてしまう。
自閉症の青年との意気投合もあまりに都合よく、それに感謝して青年の母(麻実れい)が別れに少年を抱きしめるシーンも演出過剰。屋久島の老人(丹波哲郎)とのエピソードで息子(前田吟)が少年になじられて反省してしまうのも不自然。車をぶっ飛ばしカラオケで熱唱していた丹波哲郎がいきなり寝たきり老人になってしまうのにも驚く。
最大に不自然なのは、本作のテーマが真の「学校」は学校の外にあるということなのに、なぜ主人公がラストシーンで不登校をやめて中学校に復帰してしまうのか。その理由も語られなければ、冒頭の問題提起である「なぜ学校に行かなければならないのか」に対する回答もなく、最終作にして不完全燃焼の熾火だけが燻ってしまう。
主人公に金井勇太、両親に小林稔侍、秋野暢子、ヒッチハイクのトラック運転手に赤井英和、屋久島のお姉さんに劇団☆新感線の高田聖子。
屋久島の縄文杉への観光ガイドは見どころ。 (評価:2.5)
ゴジラ×メガギラス G消滅作戦
公開:2000年12月16日
監督:手塚昌明 製作:富山省吾 脚本:柏原寛司、三村渉 撮影:岸本正広 音楽:大島ミチル 美術:瀬下幸治
ゴジラ第24作、第3期ゴジラ第2作。監督は大河原孝夫から手塚昌明に。
のっけからニュース映像で始まり、1954年の初上陸以来、ゴジラが原発やプラズマのエネルギーを喰らい、東京は壊滅して大阪に遷都したという設定が語られる。パロディと思いきや至ってシリアスで、大阪での自衛隊とゴジラとの市街戦がリアルに描かれていて、従来のゴジラ映画にない臨場感がある。
殉死した上官(永島敏行)の遺志を継ぐ女性自衛官(田中美里)が、秋葉原で子供相手に発明品を作って喜んでいる元大学院生の青年(谷原章介)を連れてきて、マイクロ・ブラックホール砲でゴジラを消滅させようとする。一方、その実験で大型化した古代昆虫メガニューラが渋谷で大量発生。人を喰う上にゴジラのエネルギーに吸い寄せられる。メガニューラの卵はなぜか地下水を汲み上げるらしく、CGの渋谷は水没。ブラックホール砲の破壊シーン、水没した渋谷のシーンは視覚的にも見どころ。
メガニューラが集合化したのが怪獣メガギラスで、ゴジラに発信器をとりつけたり、昆虫が乱舞するシーンなど従来にない演出。しかし前半の折角のアイディアも、後半になるとSF設定にボロが出始めるところが如何にもゴジラだが、本作はゴジラのリニューアルにある程度成功している。
ゴジラがミニチュアに足跡を残すのは、大阪・お台場・渋谷。ちょっと個性的な生物学者は中村嘉葎雄、腹黒い官僚に伊武雅刀、オバサンの女性研究者に星由里子。 (評価:2.5)
製作:エンジンネットワーク、東京放送、バンダイビジュアル、角川書店、電通、デスティニー
公開:2000年4月1日
監督:篠原哲雄 製作:安田匡裕、原田俊明、阿部忠道 脚本:長澤雅彦 撮影:藤澤順一 音楽:久石譲
キネマ旬報:10位
田中麗奈の可愛さゆえにすべては許されてしまうというお粗末
田中麗奈のアイドル映画を目指したと思しき作品で、タイトルは「はつ恋」だが、田中麗奈の初恋ではなく、母親の初恋に憧れる娘の乙女チックなロマンを描くという、肩透かしの作品。
母(原田美枝子)が胃癌となって入院し余命幾許もなく、母が大切にしていたオルゴールに隠されていた24年前の出さず仕舞いだったラブレターを発見した娘(田中麗奈)が、恋に恋して母には内緒で初恋の人探しを始めるという物語。
人が隠していた私信を勝手に読んで、あまつさえ母の気持ちも確かめずに勝手に恋人探しをして死ぬ前に母と再会させようという、お節介というよりは思い上がった真似を、無垢で透明感のある田中麗奈に演じさせようとする、製作者たちの歪んで穢れた根性が許せない。
そんな汚れ役も田中麗奈がやれば、純真な少女ゆえに許されるという大人の計算が、製作委員会のメンバーを見れば透けて見える。
母の初恋の人は真田広之で、5年前に子供を亡くしたのが原因で離婚し、今は世捨て人のような荒んだパチプロ生活を送っているというのも現実感の薄い少女漫画で、そこから先は母の初恋の人なのか、娘の初恋の人なのか良くわからない展開。
そもそも高校生の娘が長野県まで母の初恋の人探しの旅をしたり、彼のために銀座の高級テーラーでスーツ一式を買い与えたり、エステに通わせたりと、一体その金はどこから出てるんだという少女漫画ぶり。
そんな勝手な振る舞いを母も彼氏も諾々と受け入れるリアリティのなさは半端ないが、それもこれも田中麗奈の可愛さゆえに許されてしまう。
母と彼氏の初恋の場所はダムの底に沈んでしまったという設定はそれ以上には活かされず、母がラブレターを出さなかった理由も、彼氏が離婚した理由も曖昧なままで、むしろ雰囲気だけのファンタジーで誤魔化す方が得策と考えたのか、オルゴールの曲も思わせぶりなだけで終わっている。
ラストは、初恋は初恋のままが美しく、母も彼氏もそれぞれが居るべき場所に帰っていき、歩んできた現実こそが大切という、それじゃこの話は何だったんだ劇場で、少女は成長して大人になりましたというお粗末。
本来なら駄作か凡作なのだが、田中麗奈の初々しい魅力に幻惑されての評点。 (評価:2.5)
公開:2000年4月1日
監督:篠原哲雄 製作:安田匡裕、原田俊明、阿部忠道 脚本:長澤雅彦 撮影:藤澤順一 音楽:久石譲
キネマ旬報:10位
田中麗奈のアイドル映画を目指したと思しき作品で、タイトルは「はつ恋」だが、田中麗奈の初恋ではなく、母親の初恋に憧れる娘の乙女チックなロマンを描くという、肩透かしの作品。
母(原田美枝子)が胃癌となって入院し余命幾許もなく、母が大切にしていたオルゴールに隠されていた24年前の出さず仕舞いだったラブレターを発見した娘(田中麗奈)が、恋に恋して母には内緒で初恋の人探しを始めるという物語。
人が隠していた私信を勝手に読んで、あまつさえ母の気持ちも確かめずに勝手に恋人探しをして死ぬ前に母と再会させようという、お節介というよりは思い上がった真似を、無垢で透明感のある田中麗奈に演じさせようとする、製作者たちの歪んで穢れた根性が許せない。
そんな汚れ役も田中麗奈がやれば、純真な少女ゆえに許されるという大人の計算が、製作委員会のメンバーを見れば透けて見える。
母の初恋の人は真田広之で、5年前に子供を亡くしたのが原因で離婚し、今は世捨て人のような荒んだパチプロ生活を送っているというのも現実感の薄い少女漫画で、そこから先は母の初恋の人なのか、娘の初恋の人なのか良くわからない展開。
そもそも高校生の娘が長野県まで母の初恋の人探しの旅をしたり、彼のために銀座の高級テーラーでスーツ一式を買い与えたり、エステに通わせたりと、一体その金はどこから出てるんだという少女漫画ぶり。
そんな勝手な振る舞いを母も彼氏も諾々と受け入れるリアリティのなさは半端ないが、それもこれも田中麗奈の可愛さゆえに許されてしまう。
母と彼氏の初恋の場所はダムの底に沈んでしまったという設定はそれ以上には活かされず、母がラブレターを出さなかった理由も、彼氏が離婚した理由も曖昧なままで、むしろ雰囲気だけのファンタジーで誤魔化す方が得策と考えたのか、オルゴールの曲も思わせぶりなだけで終わっている。
ラストは、初恋は初恋のままが美しく、母も彼氏もそれぞれが居るべき場所に帰っていき、歩んできた現実こそが大切という、それじゃこの話は何だったんだ劇場で、少女は成長して大人になりましたというお粗末。
本来なら駄作か凡作なのだが、田中麗奈の初々しい魅力に幻惑されての評点。 (評価:2.5)
製作:アートポート、衛星劇場
公開:2000年11月4日
監督:黒木和雄 脚本:黒木和雄、真辺克彦、堤泰之 撮影:川上皓一 音楽:松村禎三
キネマ旬報:7位
原田芳雄と石橋蓮司はハマリ役だが作品は不完全燃焼
アル中で酒を飲まないと指の震えが止まらなくなったスリ師の物語。
身なし子だった娘と暮らし、職場復帰のために断酒会に入るも長続きしないが、手品師の青年が弟子入りしたことから断酒を決意。自らも職場復帰を果たせるまでになるが、ヤクザなスリ集団を率いる娘の兄に手を潰されてしまう。それでも包帯をした手でスリに挑む根っからのスリ師という、ある種のプロ根性を描く。
このスリ師役で原田芳雄が円熟の演技をするが、敵ながらあっぱれと彼の職人芸に敬意を払うスリ担当刑事を石橋蓮司が好演する。この二人のプロ同士のライバルぶりがなかなかいいのだが、話の中心になっていないのが惜しい。
物語は娘(真野きりな)、青年(柏原収史)との関係を中心に進み、断酒会の女(風吹ジュン)との恋愛模様にまで広がるが、若干物語を広げ過ぎた感があって、どれも中途半端、とりわけ娘の兄との関係がよくわからないままになっている。
スリ師を主人公にしたという点ではそこそこ楽しめる娯楽作だが、スリ師の実像や職人的生き方には迫り切れてなく、それをスリ師以外に敷衍したものにもなっていない。
原田芳雄と石橋蓮司がはまり役だけに、作品的に燃焼しきれなかったもやもや感が残る。 (評価:2)
公開:2000年11月4日
監督:黒木和雄 脚本:黒木和雄、真辺克彦、堤泰之 撮影:川上皓一 音楽:松村禎三
キネマ旬報:7位
アル中で酒を飲まないと指の震えが止まらなくなったスリ師の物語。
身なし子だった娘と暮らし、職場復帰のために断酒会に入るも長続きしないが、手品師の青年が弟子入りしたことから断酒を決意。自らも職場復帰を果たせるまでになるが、ヤクザなスリ集団を率いる娘の兄に手を潰されてしまう。それでも包帯をした手でスリに挑む根っからのスリ師という、ある種のプロ根性を描く。
このスリ師役で原田芳雄が円熟の演技をするが、敵ながらあっぱれと彼の職人芸に敬意を払うスリ担当刑事を石橋蓮司が好演する。この二人のプロ同士のライバルぶりがなかなかいいのだが、話の中心になっていないのが惜しい。
物語は娘(真野きりな)、青年(柏原収史)との関係を中心に進み、断酒会の女(風吹ジュン)との恋愛模様にまで広がるが、若干物語を広げ過ぎた感があって、どれも中途半端、とりわけ娘の兄との関係がよくわからないままになっている。
スリ師を主人公にしたという点ではそこそこ楽しめる娯楽作だが、スリ師の実像や職人的生き方には迫り切れてなく、それをスリ師以外に敷衍したものにもなっていない。
原田芳雄と石橋蓮司がはまり役だけに、作品的に燃焼しきれなかったもやもや感が残る。 (評価:2)
公開:2000年10月28日
監督:緒方明 脚本:青木研次 撮影:猪本雅三 美術:花谷秀文 音楽:池辺晋一郎
キネマ旬報:8位
1970年代初めの山の中にある寄宿制男子中学校・独立学園が舞台。主人公の道夫(伊藤淳史)が父親を亡くして転校してくるところから始まるが、いきなり苛めに遭い、しかも教師が放置していることから、各々問題を抱えた生徒たちを集めた学校らしいことがわかる。
それにしても教室シーンが教育現場とは思えないほどに不自然で、合唱団の女子校との夏の合同合宿では、全員が体操着という、観客サービスで女子中学生のブルマー姿を見せるのが目的のような描写もあり、設定とストーリーを含めて作為性が強い。
物語は吃音で苛められる道夫をクラスメートの康夫(藤間宇宙)が合唱部に誘い、東京で開かれる合唱コンクールの全国大会を目指すという友情もので、合唱部の顧問・清野を香川照之が演じる。
サイドストーリーとして、清野が元学生運動家で、爆弾テロで指名手配を受けている大学の後輩・里美(滝沢涼子)が逃げ込んでくる。里美は警官に追われて爆死してしまうが、清野は「革命なんて起こすことはできない」と語るだけでそれ以上の深化はなく、コーラスとは関係がない上に政治テロとの対比が異様で、何のために彼女が登場するのかがわからない。
清野がロシア民謡の「ステンカラージン」などを生徒たちに歌わせ、戦いの歌だと教えることから、歌による革命を目指しているのかとも取れるが、別に生徒たちをアジってるわけでも革命家を育てようとしているわけでもなく、意図がわからない。
穿って見れば、青春を革命になぞらえて、挑戦と挫折こそが青春というテーマともとれ、美しいボーイソプラノを持つ康夫が声変わりのためにウイーン少年合唱団に入るという夢を絶たれて、自殺同然の事故死を遂げるというラストに結び付くのかもしれない。
全国大会で上京し、里美のいた大学を見たいという道夫の目標も、地方大会3位で潰えてしまうが、挫折こそが青春、というのがテーマだとすれば、光明のないずいぶんと寂しい映画。
コーラスに目標を見出すだけでは話の幅が広がらないために、学生運動という時代の雰囲気を借りて装飾した感が強い。
全体に意図の不明なカットが多く、冗長でテンポも悪い。康夫が声変わりした瞬間に道夫の吃音が治るというのもファンタスティック。香川照之の合唱指導の演技が拾いもの。 (評価:2)
日本の黒い夏 冤罪
公開:2001年3月24日
監督:熊井啓 製作:豊忠雄 脚本:熊井啓 撮影:奥原一男 美術:木村威夫 音楽:松村禎三
平石耕一の戯曲『NEWS NEWS』が原作。1994年の松本サリン事件のテレビ報道を検証した松本市高校放送部制作のドキュメンタリー『テレビは何を伝えたか』を基にした実話。
長野県警が松本サリン事件の第一通報者(劇中では神部=寺尾聰)を重要参考人として執拗に事情聴取した見込み捜査と、警察発表を鵜呑みにして事実報道を行わず神部を犯人扱いしたテレビ・新聞、マスコミに操作された世論による人件侵害。それを三者による冤罪と捉えて、その原因を描く。
熊井啓らしい社会派ドラマだが、テレビ信州にドキュメンタリー取材を行う放送部の女子高生(遠野凪子)が、如何にもな正義感で記者たちに詰問する様子が感情的で、それこそが冤罪報道を生んだ記者たちの失敗と同じ取材姿勢なのだと、もっと距離を置いて冷静になれと教えてあげたくなる。
平成になって起きた事件ながら、熊井啓の前のめりな正義感は昭和のままで、観る者の怒りを感情的に増幅させるアジテーション的な演出法がいささかうんざりする。
人権派の報道部長に中井貴一、マスコミの傲慢を代弁する記者に北村有起哉、理解あるアナウンサーに細川直美。
高校生たちの取材終了と共に、真犯人がオウム真理教だったという警察発表が飛び込むというシナリオもあざとい。以降、事件の再現フィルム、神部と妻(二木てるみ)の後日談は、クライマックスが終わって延々と続くために蛇足感が漂う。
もっとも松本サリン事件の経緯の詳細を知ることができるという点では意義のある作品。正義感を振りかざさずに、もっと冷静にドキュメンタリー調に描いた方が説得力のある作品になった。 (評価:2)
製作:「雨あがる」製作委員会(スタッフ東京、IMAGICA、博報堂、住友商事、日本カルミック、サミー、テレビ東京、角川書店、アスミック・エース)
公開:2000年01月22日
監督:小泉尭史 脚本:黒澤明 撮影:上田正治 音楽:佐藤勝 美術:村木与四郎
キネマ旬報:9位
寺尾聰・宮崎美子夫婦はどこを目指して旅してるのか?
黒澤明の書きかけの脚本を基に、助監督だった小泉堯史が映画化。原作は山本周五郎の同名短編小説。
製作委員会に9社が名を連ね、製作の黒澤久雄を始め、出演陣に黒澤作品にゆかりの俳優が多くゲスト出演するなど、黒澤追悼作品的色合いが濃いが、冒頭の黒澤明のスチール入りの献辞は止めた方がよかった。映画は観客に見せるためのもので、天国の黒澤に見せるためのものではない。黒澤が天国で怒っている。
こうした主客転倒した小泉の腰の引けた姿勢が現れていて、黒澤ならこう撮るだろうという魂の抜けた映画になっている。ただひとつ真似できなかったのは黒澤の完全主義で、所詮は黒澤風に撮って見せただけでしかない。
失業中の侍と妻(寺尾聰、宮崎美子)が旅の途中、長雨のために大井川? の渡しで足止めを食らう。できた夫婦の二人は宿屋で町人たちの尊敬を集めるが、たまたま城主(三船史郎=敏郎の子)が侍の腕を認め、剣術指南に仕官できそうになる。ところが、町道場で賭け試合をしていたことがバレてしまい・・・
寺尾は剣客には見えず、宮崎は武家の妻に見えないというのが最大のネック。寺尾の殺陣はひどい。渡し場の宿場町も山中に旅館一軒しかないような風情でリアリティがなく、東海道? の海沿いの道も信州の山道風。城は庭園も手入れされて濠も石垣も立派で、不統一感が極まる。
最後までわからなかったのが、侍夫婦がどこを目指して旅をしているのかという点。誰かが声をかけてくれるのを期待しての妻を同道しての放浪旅のはずもなく、こうした画竜点睛を欠く作品作りでは天国の黒澤も泣いている。
仲代達矢、原田美枝子、井川比佐志も出演。黒澤映画の記録係・野上照代も監督補で参加するという黒澤ファミリー映画。 (評価:2)
公開:2000年01月22日
監督:小泉尭史 脚本:黒澤明 撮影:上田正治 音楽:佐藤勝 美術:村木与四郎
キネマ旬報:9位
黒澤明の書きかけの脚本を基に、助監督だった小泉堯史が映画化。原作は山本周五郎の同名短編小説。
製作委員会に9社が名を連ね、製作の黒澤久雄を始め、出演陣に黒澤作品にゆかりの俳優が多くゲスト出演するなど、黒澤追悼作品的色合いが濃いが、冒頭の黒澤明のスチール入りの献辞は止めた方がよかった。映画は観客に見せるためのもので、天国の黒澤に見せるためのものではない。黒澤が天国で怒っている。
こうした主客転倒した小泉の腰の引けた姿勢が現れていて、黒澤ならこう撮るだろうという魂の抜けた映画になっている。ただひとつ真似できなかったのは黒澤の完全主義で、所詮は黒澤風に撮って見せただけでしかない。
失業中の侍と妻(寺尾聰、宮崎美子)が旅の途中、長雨のために大井川? の渡しで足止めを食らう。できた夫婦の二人は宿屋で町人たちの尊敬を集めるが、たまたま城主(三船史郎=敏郎の子)が侍の腕を認め、剣術指南に仕官できそうになる。ところが、町道場で賭け試合をしていたことがバレてしまい・・・
寺尾は剣客には見えず、宮崎は武家の妻に見えないというのが最大のネック。寺尾の殺陣はひどい。渡し場の宿場町も山中に旅館一軒しかないような風情でリアリティがなく、東海道? の海沿いの道も信州の山道風。城は庭園も手入れされて濠も石垣も立派で、不統一感が極まる。
最後までわからなかったのが、侍夫婦がどこを目指して旅をしているのかという点。誰かが声をかけてくれるのを期待しての妻を同道しての放浪旅のはずもなく、こうした画竜点睛を欠く作品作りでは天国の黒澤も泣いている。
仲代達矢、原田美枝子、井川比佐志も出演。黒澤映画の記録係・野上照代も監督補で参加するという黒澤ファミリー映画。 (評価:2)
スペーストラベラーズ
公開:2000年04月08日
監督:本広克行 脚本:岡田惠和 撮影:藤石修 音楽:松本晃彦 美術:大倉謙介
キネマ旬報:4位
原作は児島雄一の戯曲『ジョビジョバ大ピンチ』。
物語のベースはシドニー・ルメット監督『狼たちの午後』(1975)で、元同級生の3人組がパラダイスを求めて銀行強盗を働く。彼らのパラダイスは南の島の美しい砂浜の写真だが、どこにあるのかも知らず、パラダイスは空想の世界にあるという有り勝ちなキーワードの提示。それを補強するために強盗犯の1人は劇中劇のアニメ『スペーストラベラーズ』のファンという設定で、彼らとストックホルム症候群の人質をヴァーチャルの象徴であるスペトラの主人公たちに模してパラダイスを目指す。
結論をいえば、パラダイスはパラダイスを目指そうとした立て籠もり中の銀行にあって、それが終わった瞬間にパラダイスは消失する。テーマはわかりやすく、日常に埋没している人々への啓発にある。
物語は『狼たちの午後』の翻案といってよいくらいで、ラストシーンはジョージ・ロイ・ヒル監督『明日に向って撃て!』(1969)をそのまま借用。オマージュといえばオマージュだが、映画作りとして果たしてこれで良いのか疑問。
本広克行の『踊る大捜査線』次回作で、キャスティングが被っているのはともかく、必要以上にだだっ広い銀行内部や警官隊の大掛かりな包囲網など、『踊る大捜査線』のファンをターゲットにしたサイドストーリーかと見紛う。
演出的には中盤からダレ気味で、パラダイスの下りは中二病的。
強盗犯に金城武、池内博之、安藤政信。人質に深津絵里、渡辺謙、筧利夫、甲本雅裕ら。SAT隊長に高杉亘。その他、大杉漣、ガッツ石松、浜田雅功、中山仁。 (評価:2)
新選組
公開:2000年1月15日
監督:市川崑 脚本:佐々木守、市川崑 撮影:五十畑幸勇 美術:櫻木晶 音楽:谷川賢作
黒鉄ヒロシの同名漫画が原作。新選組の二次元キャラクターを切り絵にした厚紙を人形に見立て、背景画、実写の刀・血、VFXを加えて、映像にしたもの。原画は黒鉄ヒロシの絵で、アニメーションのように動かず、人形としての操演も、切腹で体が前に折れる以外はないので、全体には紙芝居に近い。
カットが多いので、切り絵作りはそれなりに大変だったろうとは想像できるが、物語自体は新選組結成から近藤勇、沖田総司の死までの1時間半で、『燃えよ剣』をダイジェストで見せられているか、紙芝居講談を聴かせられている感じで、制作者の意図は別としても、手抜き感は否めない。
テレビで放映ならともかく、これを映画館で1800円払って見せられたら、金返せと言いたくなるような映画で、さすがフジテレビだと溜め息が漏れる。
実験映画として見る分には、個々の演出やアイディアは優れているし、作品評価としては標準点をつけても良い。池田屋の絵から血が滴り落ちるシーンや、江守徹のナレーションもよく、声優陣は中村敦夫、中井貴一、石橋蓮司、石坂浩二、萬田久子、岸田今日子といった豪華キャストで、見飽きることもない。
しかし、やはり劇場で公開する映画ではなく、フィルムフェスティバルか近代美術館で上映するのが相応しい。 (評価:1.5)