日本映画レビュー──1983年
製作:東映、今村プロダクション
公開:1983年4月29日
監督:今村昌平 製作:友田二郎 脚本:今村昌平 撮影:栃沢正夫 美術:芳野尹孝 音楽:池辺晋一郎
キネマ旬報:5位
カンヌ映画祭パルム・ドール
自然の摂理の中で生きることの喜びと悲しみを描く
深沢七郎の『楢山節考』『東北の神武たち』が原作。
雪深い山と集落の空撮から始まり、舞台が信州の山村であることを示す導入がいい。姥捨伝説を基に、辰平(緒形拳)が老母おりん(坂本スミ子)を捨てる物語を軸に、子沢山の一家、亭主を亡くす未亡人(倍賞美津子)のエピソードなどが絡む。
貧しい村の生活と姥捨てが描かれるため、貧しい時代の貧困の悲劇と解釈されやすいが、本作で描かれるのは生きることの苦しみで、貧困だけでなく、村の青年たちの性の悲喜劇、誕生と死、生存競争の中で、人もまた自然と共に生き、自然の摂理からは逃れられないことを示す。
その象徴として描かれるのが、動物たちの交合、食餌であり、姥捨てられる者もまた生命の一つのサイクルとして自然に還っていく運命にあることが描かれる。
本作が単なる貧困物語にはない感動を残すのは、人もまた動物と同じように自然界の一員に過ぎず、ともに生きることの喜びと悲しみを背負っているからで、雪山の中で祈るおりんの姿が昇天する菩薩像のように清冽ですらある。
宗教の山である西のお山、楢山は幽明境を異にして、辰平とおりんが父の霊気に触れる場面や、楢山参りの道中でおりんが姿を消すシーンでは、コマ落しや合成を使った幻想的な映像が効果的。動物のシーンも科学映画のようで、ドラマ部分を合わせて映像と演出が秀でている。
未亡人が夜毎に青年たちの相手をする中で外された辰平の弟(左とん平)がユーモラスで、村の老婆(清川虹子)との交合にまつわるエピソードが可笑しい。
辰平の後妻(あき竹城)など、シリアスだけに陥らないキャスティングやシナリオなど、性におおらかな民俗を作風とする今村昌平の傑作となっている。
坂本スミ子は役作りのために歯を抜く熱演。カンヌ映画祭パルム・ドール受賞。 (評価:4.5)
公開:1983年4月29日
監督:今村昌平 製作:友田二郎 脚本:今村昌平 撮影:栃沢正夫 美術:芳野尹孝 音楽:池辺晋一郎
キネマ旬報:5位
カンヌ映画祭パルム・ドール
深沢七郎の『楢山節考』『東北の神武たち』が原作。
雪深い山と集落の空撮から始まり、舞台が信州の山村であることを示す導入がいい。姥捨伝説を基に、辰平(緒形拳)が老母おりん(坂本スミ子)を捨てる物語を軸に、子沢山の一家、亭主を亡くす未亡人(倍賞美津子)のエピソードなどが絡む。
貧しい村の生活と姥捨てが描かれるため、貧しい時代の貧困の悲劇と解釈されやすいが、本作で描かれるのは生きることの苦しみで、貧困だけでなく、村の青年たちの性の悲喜劇、誕生と死、生存競争の中で、人もまた自然と共に生き、自然の摂理からは逃れられないことを示す。
その象徴として描かれるのが、動物たちの交合、食餌であり、姥捨てられる者もまた生命の一つのサイクルとして自然に還っていく運命にあることが描かれる。
本作が単なる貧困物語にはない感動を残すのは、人もまた動物と同じように自然界の一員に過ぎず、ともに生きることの喜びと悲しみを背負っているからで、雪山の中で祈るおりんの姿が昇天する菩薩像のように清冽ですらある。
宗教の山である西のお山、楢山は幽明境を異にして、辰平とおりんが父の霊気に触れる場面や、楢山参りの道中でおりんが姿を消すシーンでは、コマ落しや合成を使った幻想的な映像が効果的。動物のシーンも科学映画のようで、ドラマ部分を合わせて映像と演出が秀でている。
未亡人が夜毎に青年たちの相手をする中で外された辰平の弟(左とん平)がユーモラスで、村の老婆(清川虹子)との交合にまつわるエピソードが可笑しい。
辰平の後妻(あき竹城)など、シリアスだけに陥らないキャスティングやシナリオなど、性におおらかな民俗を作風とする今村昌平の傑作となっている。
坂本スミ子は役作りのために歯を抜く熱演。カンヌ映画祭パルム・ドール受賞。 (評価:4.5)
製作:講談社
公開:1983年6月4日
監督:小林正樹 脚本:小笠原清、小林正樹 美術:日映美術 音楽:武満徹
キネマ旬報:4位
ブルーリボン作品賞
日本の戦後は終わっていないと実感する
東京で行われた極東国際軍事裁判を中心に、日本の中国侵略、アジア・太平洋戦争に至る経過を描く4時間37分のドキュメンタリー映画。
ポツダム宣言に始まり、日本の侵略戦争の歴史を明らかにしようとする連合国の裁判を通じて、小林正樹は日本の近代史そのものを描こうとしていて、歴史映像を集めて語る日本が戦争に至った歴史は、通史として凡そ客観的でわかりやすい。
裁判の論点としては、戦争責任者に対して問われた「人道に対する罪」と「平和に対する罪」で、侵略戦争であったか否かが最終的に裁かれることになる。
中国侵略、アジア・太平洋戦争の歴史認識とは別に、天皇の戦争責任を問おうとするオーストラリアの裁判長、対ソ連の政治的理由から天皇制を維持して軍人・政治家の処罰で落着を図ろうとするアメリカの検事、事後法で裁くことの不当性を突くアメリカ人弁護士など裁判の裏側が興味深い。
裁判そのものは結論ありきで進められ、当初から多くが復讐目的の予断を持った裁判官で構成される不当なものであったことが描かれ、従来より言われる戦勝国が敗戦国を裁くことの是非については議論の余地がないように見える。
もっとも東京裁判否定派の論拠に持ち出されるパール判事の反対意見が、被告人たちに戦争責任がないと言っているわけでもない。
一方、東京裁判肯定派についても、戦勝国の尻馬に乗って被告たちを糾弾しているだけで、裁判の在り方に無批判なのも伝わってくる。
本作を見終わって感じるのは、東京裁判否定派にしても肯定派にしても、単に戦勝国の判決の是非を問題にしているだけで、日本人が自らの手で戦争責任者を裁こうとはしなかったこと、現在に至るまで戦勝国が決めたA級戦犯問題に矮小化されていることに気づく。
東京裁判が米ソ冷戦に組み込まれていく政治ショーに過ぎず、天皇と戦争遂行者たちの責任を曖昧にしただけに終わる。東京裁判とA級戦犯の判決を一旦白紙に戻し、改めて日本人の手による東京裁判を行わない限り、戦後は終わらないと実感する作品。 (評価:4)
公開:1983年6月4日
監督:小林正樹 脚本:小笠原清、小林正樹 美術:日映美術 音楽:武満徹
キネマ旬報:4位
ブルーリボン作品賞
東京で行われた極東国際軍事裁判を中心に、日本の中国侵略、アジア・太平洋戦争に至る経過を描く4時間37分のドキュメンタリー映画。
ポツダム宣言に始まり、日本の侵略戦争の歴史を明らかにしようとする連合国の裁判を通じて、小林正樹は日本の近代史そのものを描こうとしていて、歴史映像を集めて語る日本が戦争に至った歴史は、通史として凡そ客観的でわかりやすい。
裁判の論点としては、戦争責任者に対して問われた「人道に対する罪」と「平和に対する罪」で、侵略戦争であったか否かが最終的に裁かれることになる。
中国侵略、アジア・太平洋戦争の歴史認識とは別に、天皇の戦争責任を問おうとするオーストラリアの裁判長、対ソ連の政治的理由から天皇制を維持して軍人・政治家の処罰で落着を図ろうとするアメリカの検事、事後法で裁くことの不当性を突くアメリカ人弁護士など裁判の裏側が興味深い。
裁判そのものは結論ありきで進められ、当初から多くが復讐目的の予断を持った裁判官で構成される不当なものであったことが描かれ、従来より言われる戦勝国が敗戦国を裁くことの是非については議論の余地がないように見える。
もっとも東京裁判否定派の論拠に持ち出されるパール判事の反対意見が、被告人たちに戦争責任がないと言っているわけでもない。
一方、東京裁判肯定派についても、戦勝国の尻馬に乗って被告たちを糾弾しているだけで、裁判の在り方に無批判なのも伝わってくる。
本作を見終わって感じるのは、東京裁判否定派にしても肯定派にしても、単に戦勝国の判決の是非を問題にしているだけで、日本人が自らの手で戦争責任者を裁こうとはしなかったこと、現在に至るまで戦勝国が決めたA級戦犯問題に矮小化されていることに気づく。
東京裁判が米ソ冷戦に組み込まれていく政治ショーに過ぎず、天皇と戦争遂行者たちの責任を曖昧にしただけに終わる。東京裁判とA級戦犯の判決を一旦白紙に戻し、改めて日本人の手による東京裁判を行わない限り、戦後は終わらないと実感する作品。 (評価:4)
製作:にっかつ撮影所、ニュー・センチュリー・プロデューサーズ、ATG
公開:1983年06月04日
監督:森田芳光 製作:佐々木志郎、岡田裕、佐々木史朗 脚本:森田芳光 撮影:前田米造 美術:中澤克巳
キネマ旬報:1位
目玉焼きはチューチューできる半熟がお父さんの好み
原作は本間洋平の同名小説。団地住まいの家族の風景をコミカルかつシニカルに描いた森田芳光の傑作。
子供の教育を妻と家庭教師に任せきりにする父に伊丹十三。その理由は金属バットで殴られたくないから。3年前の1980年に起きた教育熱心な両親を子供が金属バットで殴り殺すというショッキングな事件が伏線。母親の由紀さおりは主体性のない昼行燈のようなボケーとした専業主婦。高校生と中学生の兄弟がいるが、進学校に入学した兄は学校をさぼり出してドロップアウト気味。高校受験を控える弟(宮川一朗太)はクラスで下から8番目でやる気がない。
この家族を象徴するのが食卓で、長いテーブルに横一列に並んで顔を合わさずに食事する。このシーンが話題になった。長回しも多く、BGMもなく、この異様な一家をシュールに描きだすが、ある朝、ウェルダンの目玉焼きではチューチューできないと文句を言う伊丹に、そうだった? と何年も夫の好みを知らなかった由紀の会話がこの家族の関係を描きだす。
映画では弟が主人公で、6人目の家庭教師としてやってくるのが松田優作。参考書は学研の植物の図鑑という三流大学7年生で、脅して勉強をさせるだけしか能がない。それが成績を上げ、喧嘩で勝つ方法を教えて次男を一人立ちさせていく。進学校に合格した祝いの食卓で仮面の家族に爆発した松田がテーブルを目茶目茶にして去っていくが、その後片づけで初めて家族が協力し合うというのがオチ。
全体にコミカルでシャレの利いた台詞が可笑しく、最後の食卓は爆笑もの。豊かさの中で空洞化した家族の風景を描いたが、当時よりも今は、家族関係がウエットになった気がする。
松金よね子、戸川純が出演。次男の担任のダメ教師・加藤善博がなかなかいいが、48歳で首吊り自殺した。 (評価:3.5)
公開:1983年06月04日
監督:森田芳光 製作:佐々木志郎、岡田裕、佐々木史朗 脚本:森田芳光 撮影:前田米造 美術:中澤克巳
キネマ旬報:1位
原作は本間洋平の同名小説。団地住まいの家族の風景をコミカルかつシニカルに描いた森田芳光の傑作。
子供の教育を妻と家庭教師に任せきりにする父に伊丹十三。その理由は金属バットで殴られたくないから。3年前の1980年に起きた教育熱心な両親を子供が金属バットで殴り殺すというショッキングな事件が伏線。母親の由紀さおりは主体性のない昼行燈のようなボケーとした専業主婦。高校生と中学生の兄弟がいるが、進学校に入学した兄は学校をさぼり出してドロップアウト気味。高校受験を控える弟(宮川一朗太)はクラスで下から8番目でやる気がない。
この家族を象徴するのが食卓で、長いテーブルに横一列に並んで顔を合わさずに食事する。このシーンが話題になった。長回しも多く、BGMもなく、この異様な一家をシュールに描きだすが、ある朝、ウェルダンの目玉焼きではチューチューできないと文句を言う伊丹に、そうだった? と何年も夫の好みを知らなかった由紀の会話がこの家族の関係を描きだす。
映画では弟が主人公で、6人目の家庭教師としてやってくるのが松田優作。参考書は学研の植物の図鑑という三流大学7年生で、脅して勉強をさせるだけしか能がない。それが成績を上げ、喧嘩で勝つ方法を教えて次男を一人立ちさせていく。進学校に合格した祝いの食卓で仮面の家族に爆発した松田がテーブルを目茶目茶にして去っていくが、その後片づけで初めて家族が協力し合うというのがオチ。
全体にコミカルでシャレの利いた台詞が可笑しく、最後の食卓は爆笑もの。豊かさの中で空洞化した家族の風景を描いたが、当時よりも今は、家族関係がウエットになった気がする。
松金よね子、戸川純が出演。次男の担任のダメ教師・加藤善博がなかなかいいが、48歳で首吊り自殺した。 (評価:3.5)
製作:プロダクション竜二
公開:1983年10月29日
監督:川島透 脚本:鈴木明夫 撮影:川越道彦 音楽:東京サウンド 美術:小池直実
キネマ旬報:6位
牙を抜いた男の悲しみと、それに気づく女の寂しさ
金子正次脚本・主演の自主製作映画。金子は映画公開中に病死したため、映画初出演にして唯一の主演作品となった。
竜二(金子)は代紋の使用を許されたヤクザで、二人の舎弟(佐藤金造=桜金造、北公次)がいるが、妻子(永島暎子、金子桃)は、今は実家で暮らしている。みかじめ料でシノギをしていた竜二も賭場経営で大金を稼ぐようになって、空しさを感じるようになる。妻の親に堅気になることを条件に妻子を引き取り、酒屋の配達の仕事を始める。真面目に働き始めた竜二だが、弟分だった北が立派なヤクザになって現れたのを見て、妻子との平穏な生活に違和感を持つ。ラストで竜二が再びヤクザの道に戻り、妻子は実家に帰ることを予感させて映画は終わるのだが、ただのヤクザ映画にはない余韻を残す。
これは狼であり続けたいと思う男の物語で、牙を抜いてしまった男の悲しみと、それに気づいてしまった女の寂しさが描かれる。そのすべてを集約したラストシーンは秀逸で、なんともやるせない気持ちにさせる。
中盤でバーゲンで服を買ってきた北が佐藤にどやされる場面がある。見栄を張って生きるのが狼たるヤクザで、安売りで買うようなさもしい真似をしたら竜二に怒られると。ところが当の竜二はラストで、商店の開店バーゲンの列に並ぶ妻を見てしまう。竜二は涙を流しながらその場を去り、気づいた妻は子供と実家に帰る決意をする。竜二は妻に羊となってしまった己の姿を見、妻は竜二を羊にしてしまったことに慙愧する。
竜二との平和な家庭を望みながら、狼である竜二に恋し、野に戻してあげようとして揺れる女の心を永島暎子が好演する。全体に抒情的で、とりわけ二人の表情を捉えるカメラがいい。
狼になれずに羊の生活を送る男と、そんな男を愛する女には必見の作品。 (評価:3)
公開:1983年10月29日
監督:川島透 脚本:鈴木明夫 撮影:川越道彦 音楽:東京サウンド 美術:小池直実
キネマ旬報:6位
金子正次脚本・主演の自主製作映画。金子は映画公開中に病死したため、映画初出演にして唯一の主演作品となった。
竜二(金子)は代紋の使用を許されたヤクザで、二人の舎弟(佐藤金造=桜金造、北公次)がいるが、妻子(永島暎子、金子桃)は、今は実家で暮らしている。みかじめ料でシノギをしていた竜二も賭場経営で大金を稼ぐようになって、空しさを感じるようになる。妻の親に堅気になることを条件に妻子を引き取り、酒屋の配達の仕事を始める。真面目に働き始めた竜二だが、弟分だった北が立派なヤクザになって現れたのを見て、妻子との平穏な生活に違和感を持つ。ラストで竜二が再びヤクザの道に戻り、妻子は実家に帰ることを予感させて映画は終わるのだが、ただのヤクザ映画にはない余韻を残す。
これは狼であり続けたいと思う男の物語で、牙を抜いてしまった男の悲しみと、それに気づいてしまった女の寂しさが描かれる。そのすべてを集約したラストシーンは秀逸で、なんともやるせない気持ちにさせる。
中盤でバーゲンで服を買ってきた北が佐藤にどやされる場面がある。見栄を張って生きるのが狼たるヤクザで、安売りで買うようなさもしい真似をしたら竜二に怒られると。ところが当の竜二はラストで、商店の開店バーゲンの列に並ぶ妻を見てしまう。竜二は涙を流しながらその場を去り、気づいた妻は子供と実家に帰る決意をする。竜二は妻に羊となってしまった己の姿を見、妻は竜二を羊にしてしまったことに慙愧する。
竜二との平和な家庭を望みながら、狼である竜二に恋し、野に戻してあげようとして揺れる女の心を永島暎子が好演する。全体に抒情的で、とりわけ二人の表情を捉えるカメラがいい。
狼になれずに羊の生活を送る男と、そんな男を愛する女には必見の作品。 (評価:3)
製作:角川春樹事務所
公開:1983年07月16日
監督:大林宣彦 製作:角川春樹 脚本:剣持亘、大林宣彦 撮影:阪本善尚 音楽:松任谷正隆 美術:薩谷和夫
時よ止まれ、君は美しい。少女の一瞬の輝きを写す
原作は筒井康隆の同名小説で、アニメを含めて4回映画化されたうちの初の映画化作品。これ以前にはNHK少年ドラマシリーズで『タイムトラベラー』(1972、島田淳子=浅野真弓)でドラマ化されたことがある。
個人的にはこのTV版が強く印象に残っていたが、本作を見た時、非常に衝撃的だった。原作以上に優れた『時をかける少女』であり、この後に製作されたリメイク作品に大きな影響を与えている。
これがデビュー作の原田知世を含め、演技は誰も上手くない。SF作品としては時間移動についての満足な説明もない。原田が未来からきた少年に恋するくだりも不明で、少年に記憶をすり替えられただけという事実を知った後に、尚も恋心を抱き続ける心情も伝わらない。
それでも本作が不思議な魅力を放つのは、これは原田のために作られた映画であり、15歳の原田の輝きをフィルムに封じ込めたものだからだ。「時よ止まれ、君は美しい」というのはゲーテの『ファウスト』の台詞で、本作の原田にも当てはまる。
これと似たような映画を観たことがあるが、それは『ローマの休日』。オードリ・ヘップバーンの最高に輝いていた瞬間を止めていた。
その原田を輝かせる舞台として尾道が用意され、大林の純化された少女への憧憬による古風で不自然な台詞もその景色の中に溶け込んでしまう。大林の少女崇拝は冒頭からのファンタジックな映像処理と相まって、観客をニンフのすむ異空間へと誘う。とりわけ冒頭のシーンは秀逸で、CM出身の大林は映像マジックを駆使して一人の少女の偶像を作り上げ、メイキング風エンディングとラストの原田のアップで終える。そうした点で秀れて真の意味のアイドル(偶像)映画となっている。
作品テーマ的にいえば、少女は時を操ることはできないけれども、一瞬を閉じ込めた少女の時は永遠ということになるか。あれから30年経った原田を見ていると、その時は今も原田の中に閉じ込められているように思える。
松任谷正隆の音楽も切なく幻想的で、少女の壊れやすい不安定な心を室内楽の音色で奏でている。 (評価:3)
公開:1983年07月16日
監督:大林宣彦 製作:角川春樹 脚本:剣持亘、大林宣彦 撮影:阪本善尚 音楽:松任谷正隆 美術:薩谷和夫
原作は筒井康隆の同名小説で、アニメを含めて4回映画化されたうちの初の映画化作品。これ以前にはNHK少年ドラマシリーズで『タイムトラベラー』(1972、島田淳子=浅野真弓)でドラマ化されたことがある。
個人的にはこのTV版が強く印象に残っていたが、本作を見た時、非常に衝撃的だった。原作以上に優れた『時をかける少女』であり、この後に製作されたリメイク作品に大きな影響を与えている。
これがデビュー作の原田知世を含め、演技は誰も上手くない。SF作品としては時間移動についての満足な説明もない。原田が未来からきた少年に恋するくだりも不明で、少年に記憶をすり替えられただけという事実を知った後に、尚も恋心を抱き続ける心情も伝わらない。
それでも本作が不思議な魅力を放つのは、これは原田のために作られた映画であり、15歳の原田の輝きをフィルムに封じ込めたものだからだ。「時よ止まれ、君は美しい」というのはゲーテの『ファウスト』の台詞で、本作の原田にも当てはまる。
これと似たような映画を観たことがあるが、それは『ローマの休日』。オードリ・ヘップバーンの最高に輝いていた瞬間を止めていた。
その原田を輝かせる舞台として尾道が用意され、大林の純化された少女への憧憬による古風で不自然な台詞もその景色の中に溶け込んでしまう。大林の少女崇拝は冒頭からのファンタジックな映像処理と相まって、観客をニンフのすむ異空間へと誘う。とりわけ冒頭のシーンは秀逸で、CM出身の大林は映像マジックを駆使して一人の少女の偶像を作り上げ、メイキング風エンディングとラストの原田のアップで終える。そうした点で秀れて真の意味のアイドル(偶像)映画となっている。
作品テーマ的にいえば、少女は時を操ることはできないけれども、一瞬を閉じ込めた少女の時は永遠ということになるか。あれから30年経った原田を見ていると、その時は今も原田の中に閉じ込められているように思える。
松任谷正隆の音楽も切なく幻想的で、少女の壊れやすい不安定な心を室内楽の音色で奏でている。 (評価:3)
製作:こぶしプロ
公開:1983年9月15日
監督:神山征二郎 製作:大澤豊、俊藤俊夫 脚本:神山征二郎 撮影:南文憲 美術:小川富美夫 音楽:針生正男
キネマ旬報:10位
ダムに沈む徳山村の自然と一体化した加藤嘉の演技が秀逸
平方浩介の児童小説『じいと山のコボたち』が原作。
1971年に計画された岐阜県・揖斐川の多目的ダムで、湖底に沈むことになった徳山村を舞台に、立ち退いていく一家を描くドラマ。
物語は、妻を亡くしてからボケの進んだ老人・伝三(加藤嘉)を中心に進み、息子・伝六(長門裕之)と妻・花(樫山文枝)との確執が描かれるが、夏休みに入り隣家の少年・千太郎(浅井晋)にアマゴ釣りを教えるうちに昔を思い出してボケが改善する。しかし夏休みの終わりとともにボケがひどくなり、見かねた千太郎が秘境・長者ヶ淵のアマゴ釣りに誘う。
伝三は再び精気を取り戻すが、長者ヶ淵で倒れてしまい、息を引き取る。
冬になり村に別れを告げる伝六夫婦と仙太郎一家のシーンで終わるが、劇中櫛の歯が抜けるように人々が村を出ていくという台詞にもあるように、1983年から始まる466戸の移転が完了するのは1989年となる。
消滅する村を伝三そのものになぞらえて、伝三の心が美しい村の自然と一体になった時、伝三の意識は覚醒し、自然から離れた時には正気は失われて意識は茫洋としてしまう。
やがて失われていく村の神髄ともいえる長者ヶ淵の神秘を千太郎に伝授し終えた時、伝三は村と共にこの世を去り、故郷の記憶が千太郎に受け継がれていく。
伝三は村そのもの、村の神霊であり、徳山村の自然と一体化した加藤嘉の演技が秀逸。徳山村の風景を記録した映像も涙が出るほどに美しい。 (評価:2.5)
公開:1983年9月15日
監督:神山征二郎 製作:大澤豊、俊藤俊夫 脚本:神山征二郎 撮影:南文憲 美術:小川富美夫 音楽:針生正男
キネマ旬報:10位
平方浩介の児童小説『じいと山のコボたち』が原作。
1971年に計画された岐阜県・揖斐川の多目的ダムで、湖底に沈むことになった徳山村を舞台に、立ち退いていく一家を描くドラマ。
物語は、妻を亡くしてからボケの進んだ老人・伝三(加藤嘉)を中心に進み、息子・伝六(長門裕之)と妻・花(樫山文枝)との確執が描かれるが、夏休みに入り隣家の少年・千太郎(浅井晋)にアマゴ釣りを教えるうちに昔を思い出してボケが改善する。しかし夏休みの終わりとともにボケがひどくなり、見かねた千太郎が秘境・長者ヶ淵のアマゴ釣りに誘う。
伝三は再び精気を取り戻すが、長者ヶ淵で倒れてしまい、息を引き取る。
冬になり村に別れを告げる伝六夫婦と仙太郎一家のシーンで終わるが、劇中櫛の歯が抜けるように人々が村を出ていくという台詞にもあるように、1983年から始まる466戸の移転が完了するのは1989年となる。
消滅する村を伝三そのものになぞらえて、伝三の心が美しい村の自然と一体になった時、伝三の意識は覚醒し、自然から離れた時には正気は失われて意識は茫洋としてしまう。
やがて失われていく村の神髄ともいえる長者ヶ淵の神秘を千太郎に伝授し終えた時、伝三は村と共にこの世を去り、故郷の記憶が千太郎に受け継がれていく。
伝三は村そのもの、村の神霊であり、徳山村の自然と一体化した加藤嘉の演技が秀逸。徳山村の風景を記録した映像も涙が出るほどに美しい。 (評価:2.5)
男はつらいよ 口笛を吹く寅次郎
公開:1983年12月28日
監督:山田洋次 製作:島津清、中川滋弘 脚本:山田洋次、朝間義隆 撮影:高羽哲夫 美術:出川三男 音楽:山本直純
寅さんシリーズの第32作。マドンナは竹下景子で、博の亡父・飇一郎の菩提寺の住職の出戻り娘・朋子の役。
旅の途中、岡山県高梁にある寺の墓参りに立寄った寅次郎は住職(松村達雄)と意気投合。一夜飲み明かすと住職が二日酔いで、寅がピンチヒッターで法事を務めることに。寅次郎の法話が檀家(長門勇)に好評で、そのまま寺に居ついてしまう。
飇一郎の3回忌に高梁を訪れた博一家は、袈裟を着た寅次郎にビックリ仰天・・・という、シリーズのマンネリを打破した作品。
寺の長男(中井貴一)は写真家を目指すために上京、寅次郎が朋子と結婚して寺を継ぐという評判になるが、松村・長門が芸達者で、竹下も違和感なく演じているために無理がない。
居づらくなった寅次郎は置き手紙をして虎屋に戻るものの、坊主になるために帝釈天で修行するが三日坊主に。弟と寅を心配した朋子が上京し、寺に戻ってほしいという話を切り出せないままに、坊主に成れないと悟った寅次郎が朋子を振るという、これまた従来とは異なるラストとなる。
物語の流れからすれば、寅が高梁の寺を継いで朋子と結婚してもおかしくないが、それではシリーズが終わってしまうので無理やり別れる展開に持って行く。ハッピーエンドにもなり得ただけに割り切れなさが残るが、心を残して身を引く女を竹下が好演して、曖昧さを残したままにしている。
中井貴一の恋人役に杉田かおる。 (評価:2.5)
製作:シネベンチャー・プロ、レコーデッド・ピクチュアー・カンパニー、大島渚プロ、テレビ朝日、ニュージーランド、ブロードバンク・インベストメンツ・リミテッド
公開:1983年5月28日
監督:大島渚 製作:ジェレミー・トーマス 脚本:大島渚、ポール・メイヤーズバーグ 撮影:杉村博章 美術:戸田重昌 撮影:成島東一郎 音楽:坂本龍一
キネマ旬報:3位
毎日映画コンクール大賞
勝敗ではなく文化と価値観の相互理解に救いがある
ローレンス・ヴァン・デル・ポストのジャワ島での、日本軍俘虜収容所体験を描いた「影さす牢格子」「種子と蒔く者」が原作。英題は"Merry Christmas, Mr. Lawrence"。
片言の日本語を話すローレンス(トム・コンティ)は、ジャワ島の俘虜収容所でイギリス軍連絡将校を務める。その収容所長ヨノイ大尉を坂本龍一、ハラ軍曹をビートたけしが演じ、この3人を軸として物語は進む。
収容所に送られてくるのがセリアズ(デヴィッド・ボウイ)でクレジットでは一応、主役。
ヨノイがセリアズに魅かれ、同性愛的雰囲気の中で物語は進行するが、大島は日本の西洋に対する憧憬を代弁させている。劇中でヨノイは真剣で武道の稽古をし、礼を尽くさない捕虜たちに行をさせるなど、ストイックな日本の美意識を随所で示す。
一方のセリアズもまた、男子寄宿学校での伝統の中で、矮小な弟への試練と、見て見ぬふりをする兄の悔悟として、イギリスの美意識が示される。
本作の出演者はすべて男で、女が一人も登場しないことから、武士道→精神の純化→男色という『御法度』と共通する大島的思考法が見えてくる。
坂本龍一とデヴィッド・ボウイの端正な顔立ちの中に、ホモセクシュアルな虫が蠢き出すが、それを性よりもストイックな美意識に変えるところが演出力で、遺髪を葬ることで精神の純化を描く。
一方で、ビートたけしとローレンスの間には武骨に形を変えた男の友情があって、その鍵はハラ軍曹が口にする"Merry Christmas"のタイトルとなっている。
戦場における異文化の遭遇、それが二つの形で描かれる。現象的にはセリアズとハラ軍曹の死という結果で終わるが、勝敗ではなく文化と価値観の相互理解という形で示されるところに救いがある。
坂本龍一の音楽が印象的。 (評価:2.5)
公開:1983年5月28日
監督:大島渚 製作:ジェレミー・トーマス 脚本:大島渚、ポール・メイヤーズバーグ 撮影:杉村博章 美術:戸田重昌 撮影:成島東一郎 音楽:坂本龍一
キネマ旬報:3位
毎日映画コンクール大賞
ローレンス・ヴァン・デル・ポストのジャワ島での、日本軍俘虜収容所体験を描いた「影さす牢格子」「種子と蒔く者」が原作。英題は"Merry Christmas, Mr. Lawrence"。
片言の日本語を話すローレンス(トム・コンティ)は、ジャワ島の俘虜収容所でイギリス軍連絡将校を務める。その収容所長ヨノイ大尉を坂本龍一、ハラ軍曹をビートたけしが演じ、この3人を軸として物語は進む。
収容所に送られてくるのがセリアズ(デヴィッド・ボウイ)でクレジットでは一応、主役。
ヨノイがセリアズに魅かれ、同性愛的雰囲気の中で物語は進行するが、大島は日本の西洋に対する憧憬を代弁させている。劇中でヨノイは真剣で武道の稽古をし、礼を尽くさない捕虜たちに行をさせるなど、ストイックな日本の美意識を随所で示す。
一方のセリアズもまた、男子寄宿学校での伝統の中で、矮小な弟への試練と、見て見ぬふりをする兄の悔悟として、イギリスの美意識が示される。
本作の出演者はすべて男で、女が一人も登場しないことから、武士道→精神の純化→男色という『御法度』と共通する大島的思考法が見えてくる。
坂本龍一とデヴィッド・ボウイの端正な顔立ちの中に、ホモセクシュアルな虫が蠢き出すが、それを性よりもストイックな美意識に変えるところが演出力で、遺髪を葬ることで精神の純化を描く。
一方で、ビートたけしとローレンスの間には武骨に形を変えた男の友情があって、その鍵はハラ軍曹が口にする"Merry Christmas"のタイトルとなっている。
戦場における異文化の遭遇、それが二つの形で描かれる。現象的にはセリアズとハラ軍曹の死という結果で終わるが、勝敗ではなく文化と価値観の相互理解という形で示されるところに救いがある。
坂本龍一の音楽が印象的。 (評価:2.5)
探偵物語
公開:1983年07月16日
監督:根岸吉太郎 製作:角川春樹 脚本:鎌田敏夫 撮影:仙元誠三 音楽:加藤和彦 美術:徳田博
赤川次郎の同名小説が原作。監督は根岸吉太郎。
赤川の定番的なアバンチュール好きな女子大生が主人公の探偵もの、というと大体内容が知れるが、本作の売りは薬師丸ひろ子・松田優作共演のラブストーリー。NHKのTVドラマ『あまちゃん』では女優・鈴鹿ひろ美(薬師丸)とマねーじゃー・水口琢磨(松田龍平)で30年ぶりに優作の息子が共演を果たしたが、本作を見ていると父子の面影がダブる。
物語は、恋に恋する女子大生・薬師丸の尾行・ガードを依頼された探偵・松田が薬師丸の貞操を守ろうとしているうちに殺人事件に巻き込まれ、無実の元妻(秋川リサ)を匿うことになる。薬師丸は秋川の窮地を救うために真犯人を捜す。
この間に、薬師丸は松田に惹かれていくが、イモっぽい薬師丸には出演作の中でも一番の適役で、松田と組むことでイモ姉ちゃんの可愛らしさが上手く引き出されている。松田の冴えないおじさん役がハマっていて、冴えないコンビがラストの成田空港で別れのキスを交わすシーンがじんわり来る。松田の魅力に溢れた映画で、6年後に癌で死んだ。
薬師丸のばあや役の岸田今日子が上手い。 (評価:2.5)
製作:松竹
公開:1983年10月29日
監督:相米慎二 製作:織田明、中川完治、宮島秀司 脚本:橋本忍 撮影:田中陽造 音楽:三枝成章 美術:横尾嘉良
キネマ旬報:7位
相米のカメラの長回しはくどいが大間のマグロはでかい
吉村昭の同名短編小説が原作。原作は1973年に発表されていて、映画を見るといささか時代が古い感じがする。
町で喫茶店をやっている青年(佐藤浩市)は、大間のマグロ漁師(緒形拳)の娘(夏目雅子)と結婚するために漁師を志す。緒方は仕方なく船に乗せるが、マグロ漁の最中に青年が事故に遭い、それを放置して漁を続けたことから、青年と娘は家を出てしまう。北海道の伊布港にマグロを水揚げした緒方は、家出した妻(十朱幸代)と再会。大間に戻った緒方は、青年の船が消息不明になったのを知り、捜索に出かける。マグロと格闘していた青年を助けようとするが、テグスを切るのを拒否され、いっしょにマグロを仕留める。しかし重傷を負った青年は帰港の途中で息を引き取る。
『老人と海』と『津軽じょんがら節』をミックスしたような話で、親子関係の古臭さや大間の人々の民芸っぷりにいささか鼻白むが、マグロ漁のシーンは頑張っている。ただ陸に上がると、相米のカメラの長回しはくどすぎて、不必要なくらいに意味をなさない。もっとも、長回しのカメラ移動をストーリーとは切り離して楽しむという邪道もあって、映研的な本末転倒。
緒方の演技以外には見るべきものがなく、夏目をキャスティングした意図がわからない。三遊亭圓楽が出ているのがちょっとした見どころか。 (評価:2.5)
公開:1983年10月29日
監督:相米慎二 製作:織田明、中川完治、宮島秀司 脚本:橋本忍 撮影:田中陽造 音楽:三枝成章 美術:横尾嘉良
キネマ旬報:7位
吉村昭の同名短編小説が原作。原作は1973年に発表されていて、映画を見るといささか時代が古い感じがする。
町で喫茶店をやっている青年(佐藤浩市)は、大間のマグロ漁師(緒形拳)の娘(夏目雅子)と結婚するために漁師を志す。緒方は仕方なく船に乗せるが、マグロ漁の最中に青年が事故に遭い、それを放置して漁を続けたことから、青年と娘は家を出てしまう。北海道の伊布港にマグロを水揚げした緒方は、家出した妻(十朱幸代)と再会。大間に戻った緒方は、青年の船が消息不明になったのを知り、捜索に出かける。マグロと格闘していた青年を助けようとするが、テグスを切るのを拒否され、いっしょにマグロを仕留める。しかし重傷を負った青年は帰港の途中で息を引き取る。
『老人と海』と『津軽じょんがら節』をミックスしたような話で、親子関係の古臭さや大間の人々の民芸っぷりにいささか鼻白むが、マグロ漁のシーンは頑張っている。ただ陸に上がると、相米のカメラの長回しはくどすぎて、不必要なくらいに意味をなさない。もっとも、長回しのカメラ移動をストーリーとは切り離して楽しむという邪道もあって、映研的な本末転倒。
緒方の演技以外には見るべきものがなく、夏目をキャスティングした意図がわからない。三遊亭圓楽が出ているのがちょっとした見どころか。 (評価:2.5)
製作:東宝映画
公開:1983年05月21日
監督:市川崑 製作:田中友幸、市川崑 脚本:市川崑 撮影:長谷川清 音楽:大川新之助 美術:村木忍
キネマ旬報:2位
二度と撮れない絢爛豪華な着物・桜・家屋の日本の美
原作は谷崎潤一郎の同名小説。市川崑監督で、3度目の映画化。時は昭和12年、大阪・船場の商家・蒔岡家の三女・雪子の見合い話を中心に、四人姉妹と没落していく旧家の旧習と変わりゆく時代を描く。
現代風な四女(古手川祐子)が起こした恋愛騒動がきっかけで、三女(吉永小百合)と四女は、本家から分家に引っ越している。本家の跡を取るのは婿養子(伊丹十三)をとった長女(岸惠子)、分家の二女(佐久間良子)も同じく婿養子(石坂浩二)と結婚している。行き遅れている三女の見合い話のたびに、体面を重んじる長女と改良主義の二女が対立するが、それほど考えに違いがあるわけではないことは、婿養子と結婚して本家・分家に拘ることからもわかる。伊丹は堅物、石坂はプレイボーイで三女にも手を出している。
物語の結論からいえば、現代的すぎて蒔岡の家柄からはみ出してしまう四女と、家柄の頸木から逃れられずに体面を取り繕うだけの夫婦生活を送る長女・二女。しかし二人は時代の変化に翻弄され、蒔岡家の没落とともに沈んでいく。その中で、旧習にも時代の変化にも惑わされず、頑固に自分を貫いた三女だけが、元華族との幸せな結婚を手にする。(はたしてそれが勝利なのかどうかはわからないが)
ただ残念なのは、三女を演じた吉永の演技があまりに酷くて、そのことが伝わらない。セリフを話すとまともなのだが、それ以外の演技がただ可愛くて笑っているだけの白痴美人にしか見えない。
佐久間はそれほど上手くはないが、岸と古手川が意外に良い。
市川崑らしく、顔アップの連続から始まる冒頭のシーン、桜や自然の切り取り、日本家屋のロマンティックな情景など映像はすばらしい。演出にも弛みはなく本格的なドラマとして完成度は高いが、今ひとつ心が動かないのは吉永の演技のせいか。
何よりも本作の見どころとなっているのは衣装協力・三松の呉服。四姉妹の着物ファッションショーの趣きもあって、その贅沢感は半端ではない。とりわけ岸の着物と帯は一体いくらするのだろうというくらいの絢爛豪華さで、劇中でも(今は戦時中なので)こんな着物はもう作れないという台詞が出てくる。
市川とカメラの長谷川清は、二度とこんな着物は撮影できないとばかりにその美しさを見事に写し取り、桜や家屋ともども日本の美をこの映画に収めている。 (評価:2.5)
公開:1983年05月21日
監督:市川崑 製作:田中友幸、市川崑 脚本:市川崑 撮影:長谷川清 音楽:大川新之助 美術:村木忍
キネマ旬報:2位
原作は谷崎潤一郎の同名小説。市川崑監督で、3度目の映画化。時は昭和12年、大阪・船場の商家・蒔岡家の三女・雪子の見合い話を中心に、四人姉妹と没落していく旧家の旧習と変わりゆく時代を描く。
現代風な四女(古手川祐子)が起こした恋愛騒動がきっかけで、三女(吉永小百合)と四女は、本家から分家に引っ越している。本家の跡を取るのは婿養子(伊丹十三)をとった長女(岸惠子)、分家の二女(佐久間良子)も同じく婿養子(石坂浩二)と結婚している。行き遅れている三女の見合い話のたびに、体面を重んじる長女と改良主義の二女が対立するが、それほど考えに違いがあるわけではないことは、婿養子と結婚して本家・分家に拘ることからもわかる。伊丹は堅物、石坂はプレイボーイで三女にも手を出している。
物語の結論からいえば、現代的すぎて蒔岡の家柄からはみ出してしまう四女と、家柄の頸木から逃れられずに体面を取り繕うだけの夫婦生活を送る長女・二女。しかし二人は時代の変化に翻弄され、蒔岡家の没落とともに沈んでいく。その中で、旧習にも時代の変化にも惑わされず、頑固に自分を貫いた三女だけが、元華族との幸せな結婚を手にする。(はたしてそれが勝利なのかどうかはわからないが)
ただ残念なのは、三女を演じた吉永の演技があまりに酷くて、そのことが伝わらない。セリフを話すとまともなのだが、それ以外の演技がただ可愛くて笑っているだけの白痴美人にしか見えない。
佐久間はそれほど上手くはないが、岸と古手川が意外に良い。
市川崑らしく、顔アップの連続から始まる冒頭のシーン、桜や自然の切り取り、日本家屋のロマンティックな情景など映像はすばらしい。演出にも弛みはなく本格的なドラマとして完成度は高いが、今ひとつ心が動かないのは吉永の演技のせいか。
何よりも本作の見どころとなっているのは衣装協力・三松の呉服。四姉妹の着物ファッションショーの趣きもあって、その贅沢感は半端ではない。とりわけ岸の着物と帯は一体いくらするのだろうというくらいの絢爛豪華さで、劇中でも(今は戦時中なので)こんな着物はもう作れないという台詞が出てくる。
市川とカメラの長谷川清は、二度とこんな着物は撮影できないとばかりにその美しさを見事に写し取り、桜や家屋ともども日本の美をこの映画に収めている。 (評価:2.5)
里見八犬伝
公開:1983年12月10日
監督:深作欣二 製作:角川春樹 脚本:鎌田敏夫、深作欣二 撮影:仙元誠三 美術:今村力 特撮監督:矢島信男 音楽:NOBODY
過去の因縁により、妖怪・玉梓(夏木マリ)と息子(目黒祐樹)の軍勢に滅ぼされた里見家の静姫(薬師丸ひろ子)が、一人生き延びて反攻を期しているところに、百年前、玉梓に打ち勝つために八つに分霊された玉を持つ八犬士が結集し、伝承通りに静姫とともに妖怪を退治するという物語。
最後は妖怪を滅ぼすことのできる弓のアイテムを静姫が手に入れるが、要はドラゴンボールを八つ集めてエクスカリバーを手に入れ、ラスボスをやっつけるというロールプレイングゲームで、深作欣二はこの里見八犬伝RPGを邪念を入れることなく見事映像化することに成功している。
本作は、角川春樹の秘蔵っ子、薬師丸ひろ子のアイドル映画でもあって、これまた深作はアイドル映画としても見事成功させていて、職業監督ぶりを遺憾なく発揮している。
それでもただの職業監督で終わらないのが深作で、室町時代が舞台の滝沢馬琴『南総里見八犬伝』を鎌田敏夫とともに翻案し、現代風の派手派手しい衣装から、ロックの主題歌、特撮を取り入れた総合エンタテイメント作品に仕上げている。
中でも夏木マリの妖怪メイクから衣装、とりわけ鬼気迫る妖怪演技が最高で、ほとんど主役を食っている。
八犬士に、真田広之、千葉真一、寺田農、京本政樹、紅一点・志穂美悦子ほか。姫・薬師丸ひろ子とナイト・真田広之の青春ラブストーリーというエンタテイメントてんこ盛り。 (評価:2.5)
卍
公開:1983年3月12日
監督:横山博人 脚本:馬場当 撮影:中島徹 美術:平賀俊一 音楽:林光
谷崎潤一郎の同名小説が原作。若尾文子・岸田今日子主演の増村保造版(1964)に続く2回目の映画化。
光子を樋口可南子、園子を高瀬春奈が演じるが、二人の出会いが万引きで、園子が光子の部屋に押し掛けていきなり同性愛関係になるという展開に無理がある。
舞台を昭和初期から現代に置き換えた設定が今ひとつ粗く、演技力もあって二人が互いに魅かれていく情念が描けていない。
園子の夫が刑事(原田芳雄)で3人同棲となるものの、原田芳雄に増村版・船越英二のような嫌らしさがなく、生き残るのが園子ではなく他の2人だということを含めて、自殺の原因が恋人を夫に奪われてしまったからというだけで、今ひとつ狙いのはっきりしない現代版になっている。
魔性の女もそれに惑わされた人妻も掴みどころがなく、単なる愛憎劇の範囲を超えられていないが、最大の見どころは樋口可南子と高瀬春奈のヌードと絡みのシーンで、とりわけ高瀬春奈の豊満な肉体が目を引き付け、退屈な絡みのシーンでも飽きさせない。
梅宮辰夫がハーレーダヴィッドソンのライダーとして登場するが、あまり意味のないシーンで何故出演したのかよくわからない。
光子の母親役に小山明子。 (評価:2.5)
もどり川
公開:1983年6月18日
監督:神代辰巳 製作:川野泰彦、田中収、島田十九八 脚本:荒井晴彦 撮影:木村公明 美術:横尾嘉良 音楽:ドンジュアン・ロックンロールバンド、篠原信彦、石間秀樹
連城三紀彦のミステリー小説『戻り川心中』が原作。
舞台は大正時代。歌人の苑田岳葉(萩原健一)は歌に必要なものは貧乏と女とばかりに、貧乏暮らしの中、毎日遊郭通いをする。そんな岳葉に肺病の妻のミネ(藤真利子)は、病をうつせば三拍子揃うとばかりに血を吐き付けるという、神代辰巳らしい男女の修羅が描かれる。
岳葉は先生(米倉斉加年)の妻・琴江(樋口可南子)に不倫を仕掛けて破門。姦通罪の刑期を終えた岳葉は、浅草で娼婦に身を落とした琴江を追い求めるが琴江は拒絶。岳葉のファンだという音楽学校の女学生・文緒(蜷川有紀)と京都・桂川で心中を図るが未遂に終わり、それを詠った歌集で一躍有名となる。この歌集を読んだ文緒は、自分が琴江の身代わりだったと知り自殺。
心中未遂に味を占めた岳葉は、ヨリを戻さなければ心中すると琴江を脅し、友人の未亡人・朱子(原田美枝子)を心中に誘う。ここからはミステリー仕立てで、これが心中を装った狂言だと気づいた朱子が岳葉を騙して服毒心中に持ち込むが、死にきれずに手首を切って自殺。一部始終を目撃した琴江も自殺。岳葉は命を取り留めるが、琴江の死を知って自殺するという顛末。
劇中、岳葉の歌が詠まれるが、これがなかなかのもので、冗長で退屈なストーリーの救いとなっている。
演出的には遊郭での手持ちカメラによる長回しなど、神代らしい褪せた情感がいいが、文学=情死という昭和ロマンのアナクロニズムがつまらなすぎる。 (評価:2)
南極物語
公開:1983年7月23日
監督:蔵原惟繕 製作:古岡滉、鹿内春雄、蔵原惟繕 脚本:蔵原惟繕 撮影:椎塚彰 音楽:ヴァンゲリス 美術:徳田博
今では当たり前になったテレビ局が映画製作し、番組を使って大量のパブを投入する先駆けとなった作品。配収59億円を稼ぎ、その記録は15年間破られなかった。テレビのパブの威力とともに、動物ネタが強いことを証明し、後の企画に影響を与えた。当時、角川春樹の旧角川映画は原作出版社として映画配給会社と主導権を争っていたが、その争いにテレビ局が加わることでパワーバランスを大きく変えた。
当時メディアミックスという言葉が流行ったが、その後、映画会社は製作から配給主体となり、現在では製作にテレビ局が絡むのが普通になり、電波を使ったパブも当たり前になった。そのことが、邦画の変質と低下を招いたことは否めない。
本作のもう一つの功罪は空前絶後の240万枚の前売り券だが、実質は出入り業者等への押し付け販売で、大量の前売り券がディスカウントショップに流れ、半値で売られるという歪な興行体制をもたらした。獅子身中の虫を食うこの方式はさすがに消えたが、製作・興行を含め、邦画界が大きく変わるきっかけとなった。
実話を基にしているが、物語はフィクション。とりわけ南極に残された犬たちの生死の物語は、NHKのドキュメンタリーを見ているような気にさせるが、もちろん見てきたような嘘。カナダで撮影された犬たちの達者な演技には舌を巻くが、子供たちに真実だと思わせる演出ははたして正しいのかと当時も疑問が湧いた。
高倉健・渡瀬恒彦・夏目雅子・荻野目慶子等々、俳優陣も豪華だが、実質はサイドストーリーでこの映画を支えているのは犬の俳優たち。高倉健が南極に遺棄した犬たちの代わりにと遺族(?)に仔犬を渡すという、脚本家の神経を疑うようなエピソードもある。
それでも南極やカナダでのシーンは素晴らしく、とりわけオーロラ(作り物)をバックにした犬たちのシーンは神秘的。 (評価:2)
製作:ATG、PSC、新日本制作
公開:1984年1月2日
監督:大林宣彦 製作:佐々木史朗、大林恭子、島田親一 脚本:桂千穂、内藤誠 撮影:阪本善尚 美術:薩谷和夫
キネマ旬報:9位
一言でいえば、大林宣彦の尾道に続く柳川市観光PR映画
福永武彦の同名小説が原作。
本作を一言でいえば、柳川市の観光PR映画で、『転校生』『時をかける少女』『さびしんぼう』で尾道の魅力をいかんなく映像に切り取った大林宣彦が、本作でも美しい柳川の映像をフィルムに収めた。私小説の効果を演出するために用いたという16ミリフィルムは、『異人たちとの夏』にも通じる幻想的な世界を作り出している。
もっとも柳川市観光PR映画以上のものが本作にあるかというと微妙で、これは大林の映像美を堪能する映画だと割り切った方がよい。
主人公の英文科の大学生(山下規介)が卒論執筆のために親戚の紹介で夏休みに柳川市の旧家を訪れるというプロローグからして不自然で、机には論文資料もなく、あるのは原稿用紙と万年筆だけ。毎日柳川市の観光PR大使を務めて舟遊びばかりで、真面目に勉強しろと突っ込みを入れたくなる。
物語は、没落した旧家の婿養子(峰岸徹)を巡る妻(根岸季衣)と妹(小林聡美)、愛人(入江若葉)の愛憎のもつれで、滅び行く家と滅び行く町の滅びの美学を大学生の目を通して描く。
しかし、小林聡美があまりに幼すぎて、男を取り合うことになるという設定がどうにも説得力を欠く。公開時、小林18歳、根岸29歳、入江40歳、峰岸40歳。
結果、痴話話にもならないようなどうでもいい愛憎劇を見せられ、空しく去る主人公同様に空しくエンドマークを迎える。
入江たか子・若葉の母娘出演、小林聡美・尾美としのり・根岸季衣の大林常連組、映画監督の高林陽一のゲスト出演が乏しい話題。
撮影は大林映画には欠かせない阪本善尚。 (評価:2)
公開:1984年1月2日
監督:大林宣彦 製作:佐々木史朗、大林恭子、島田親一 脚本:桂千穂、内藤誠 撮影:阪本善尚 美術:薩谷和夫
キネマ旬報:9位
福永武彦の同名小説が原作。
本作を一言でいえば、柳川市の観光PR映画で、『転校生』『時をかける少女』『さびしんぼう』で尾道の魅力をいかんなく映像に切り取った大林宣彦が、本作でも美しい柳川の映像をフィルムに収めた。私小説の効果を演出するために用いたという16ミリフィルムは、『異人たちとの夏』にも通じる幻想的な世界を作り出している。
もっとも柳川市観光PR映画以上のものが本作にあるかというと微妙で、これは大林の映像美を堪能する映画だと割り切った方がよい。
主人公の英文科の大学生(山下規介)が卒論執筆のために親戚の紹介で夏休みに柳川市の旧家を訪れるというプロローグからして不自然で、机には論文資料もなく、あるのは原稿用紙と万年筆だけ。毎日柳川市の観光PR大使を務めて舟遊びばかりで、真面目に勉強しろと突っ込みを入れたくなる。
物語は、没落した旧家の婿養子(峰岸徹)を巡る妻(根岸季衣)と妹(小林聡美)、愛人(入江若葉)の愛憎のもつれで、滅び行く家と滅び行く町の滅びの美学を大学生の目を通して描く。
しかし、小林聡美があまりに幼すぎて、男を取り合うことになるという設定がどうにも説得力を欠く。公開時、小林18歳、根岸29歳、入江40歳、峰岸40歳。
結果、痴話話にもならないようなどうでもいい愛憎劇を見せられ、空しく去る主人公同様に空しくエンドマークを迎える。
入江たか子・若葉の母娘出演、小林聡美・尾美としのり・根岸季衣の大林常連組、映画監督の高林陽一のゲスト出演が乏しい話題。
撮影は大林映画には欠かせない阪本善尚。 (評価:2)
男はつらいよ 旅と女と寅次郎
公開:1983年8月6日
監督:山田洋次 製作:島津清、佐生哲雄 脚本:山田洋次、朝間義隆 撮影:高羽哲夫 美術:出川三男 音楽:山本直純
寅さんシリーズの第31作。マドンナは都はるみで、人気演歌歌手・京はるみの役。
寅次郎が佐渡に渡る船で、京はるみと出会い、同宿するという物語。訳あり女と素性を問わないのが寅次郎の流儀で、宿の老婆(北林谷栄)に教えられて京はるみと知るが、その後も知らないふりをして旅に同道する。
京はるみは失恋からスケジュールに穴をあけて失踪。追いかけてきた所属事務所の社長(藤岡琢也)とマネージャー(桜井センリ)に連れ戻されて前半が終わる。
あとは虎屋に訪ねてきた京はるみに柴又中が大騒ぎ、寅をコンサートに招待するものの、花束だけをさくらに託して旅に出るという寅次郎らしい粋な展開となる。
渥美清の演技と都はるみの歌唱に誤魔化されてそれなりの作品になっているが、ストーリーは水戸黄門的、あっと驚く為五郎の常道パターンを抜けてなく、二人のキャラクターに負うところが大きい。
佐渡おけさを歌う都はるみの歌唱力に改めて感心するが、有名人に大騒ぎするだけのB級喜劇で見るところはない。
見どころはむしろ、佐渡の安宿を経営する老婆・北林谷栄の名人的な演技だが、同じ演技派の藤岡琢也が出演していながら見せ場がないのがシナリオ的にちょっと残念。 (評価:2)
製作:ニュー・センチュリー・プロデューサーズ
公開:1983年7月2日
監督:崔洋一 脚本:崔洋一、内田裕也 撮影:森勝 美術:細谷照美 音楽:大野克夫
キネマ旬報:9位
警官だって悪さをしますという教訓しか残らない
1978年の京都府警巡査部長による郵便局強盗事件がモデル。
映画の舞台は千葉県君津市で、主人公の男(内田裕也)は妻(吉行和子)と離婚して毎晩スナック通い。昇級試験にも受からず万年主任の交番勤務が続き、慰謝料・養育費の支払いも滞っている。
そこでサラ金に手を出し、ついでにパソコンを買うがゲームにしか使わず、競艇で一発逆転を図るもギャンブルの蟻地獄に落ち、借金を重ねて多重債務者に。それが署長(佐藤慶)にばれて自暴自棄となった男は、パソコンを十階の部屋から投げ捨てると、交番から持ち出した拳銃を持って郵便局に押し入り、同僚にの手錠に掛けられて一巻の終わり。
もっとも実際の警官の方は一巻の終わりとはならずに、仮出所後の1984年に起きた連続射殺事件の犯人として再逮捕され、未執行死刑囚になっている。
うだつが上がらず将来にも希望の持てない糞詰まり男の物語で、せいぜいが警官も人の子、正義感だけでは生きていけず犯罪だって犯しますという教訓しか残らない。冒頭、秋葉原でベーシックで起動する初期型のパソコンに興味を持ち、それが男の玩具として終始キーワードとして登場するが、閉塞感を打破する希望なのか今一つ意味が分からない。
中盤からはスナックの娘(中村れい子)を愛人にしたり、ママ(宮下順子)と寝たり、万引き女(アン・ルイス)や婦警(風祭ゆき)をレイプしたりと、意味のないサービスシーンが続いて欠伸が出て、ロックなだけが取り柄、不完全燃焼な崔洋一の映画初監督作品となっている。
男の娘に小泉今日子、競艇の予想屋にビートたけし、競艇命の横山やすしも出てくる。宮下順子のスナック・ママが板についた演技。
タイトルは、十階に住む蚊ほどのちっぽけな存在という意味らしい。 (評価:2)
公開:1983年7月2日
監督:崔洋一 脚本:崔洋一、内田裕也 撮影:森勝 美術:細谷照美 音楽:大野克夫
キネマ旬報:9位
1978年の京都府警巡査部長による郵便局強盗事件がモデル。
映画の舞台は千葉県君津市で、主人公の男(内田裕也)は妻(吉行和子)と離婚して毎晩スナック通い。昇級試験にも受からず万年主任の交番勤務が続き、慰謝料・養育費の支払いも滞っている。
そこでサラ金に手を出し、ついでにパソコンを買うがゲームにしか使わず、競艇で一発逆転を図るもギャンブルの蟻地獄に落ち、借金を重ねて多重債務者に。それが署長(佐藤慶)にばれて自暴自棄となった男は、パソコンを十階の部屋から投げ捨てると、交番から持ち出した拳銃を持って郵便局に押し入り、同僚にの手錠に掛けられて一巻の終わり。
もっとも実際の警官の方は一巻の終わりとはならずに、仮出所後の1984年に起きた連続射殺事件の犯人として再逮捕され、未執行死刑囚になっている。
うだつが上がらず将来にも希望の持てない糞詰まり男の物語で、せいぜいが警官も人の子、正義感だけでは生きていけず犯罪だって犯しますという教訓しか残らない。冒頭、秋葉原でベーシックで起動する初期型のパソコンに興味を持ち、それが男の玩具として終始キーワードとして登場するが、閉塞感を打破する希望なのか今一つ意味が分からない。
中盤からはスナックの娘(中村れい子)を愛人にしたり、ママ(宮下順子)と寝たり、万引き女(アン・ルイス)や婦警(風祭ゆき)をレイプしたりと、意味のないサービスシーンが続いて欠伸が出て、ロックなだけが取り柄、不完全燃焼な崔洋一の映画初監督作品となっている。
男の娘に小泉今日子、競艇の予想屋にビートたけし、競艇命の横山やすしも出てくる。宮下順子のスナック・ママが板についた演技。
タイトルは、十階に住む蚊ほどのちっぽけな存在という意味らしい。 (評価:2)
製作:松竹、霧プロ
公開:1983年2月19日
監督:三村晴彦 製作:野村芳太郎、宮島秀司 脚本:三村晴彦、加藤泰 撮影:羽方義昌 美術:横山豊 音楽:菅野光亮
キネマ旬報:8位
見どころは茶屋女を演じる田中裕子の妖艶な演技
松本清張の同名小説が原作。
静岡で印刷所をしている小野寺(平幹二朗)が40年前、中学生(伊藤洋一 )の時に犯した殺人事件を回想する物語。初めから犯人がわかっているので、なぜ殺人を犯したかがミステリーとなる。
40年前に殺人事件を担当した刑事(渡瀬恒彦)が小野寺を訪ねてくるところから始まるが、事件の回想、さらにはその時の取り調べでの回想が重なるため時制がわかりにくいのがストーリー的には難。
市川崑の「金田一耕助シリーズ」的なコミカルさを織り込んでいるが、上滑りしているのが残念なところで、見どころは容疑者として捕まる茶屋女・ハナを演じる田中裕子の妖艶な演技となっている。
道連れとなったハナに恋した少年が、被害者の土工に売春しているのを目撃。土工を逆恨みして刺殺するというのが事件の顛末だが、駆け出しだった刑事の杜撰な取り調べを始め、田中裕子登場までのシーンが不出来でつまらない。
少年が出会う行商人に坂上二郎、柄本明、天城の住人に石橋蓮司、樹木希林、北林谷栄、先輩刑事に山谷初男と個性派の芸達者が揃っている割に、演出がわざとらしく、配役が生きていないのが勿体ない。
とりわけ、渡瀬恒彦がミスキャストで、新米刑事の乱暴な演技はともかく、40年後に老刑事となってからのメイクと演技は冗談かと思うくらいに酷い。
真相がバレて動揺する平幹二朗の演技は吹き出すほどで、名優・平がよく監督の指示に従ったものだと感心する。少年のハナへの憧憬は、是非とも平幹二朗の言葉で聞きたかった。 (評価:2)
公開:1983年2月19日
監督:三村晴彦 製作:野村芳太郎、宮島秀司 脚本:三村晴彦、加藤泰 撮影:羽方義昌 美術:横山豊 音楽:菅野光亮
キネマ旬報:8位
松本清張の同名小説が原作。
静岡で印刷所をしている小野寺(平幹二朗)が40年前、中学生(伊藤洋一 )の時に犯した殺人事件を回想する物語。初めから犯人がわかっているので、なぜ殺人を犯したかがミステリーとなる。
40年前に殺人事件を担当した刑事(渡瀬恒彦)が小野寺を訪ねてくるところから始まるが、事件の回想、さらにはその時の取り調べでの回想が重なるため時制がわかりにくいのがストーリー的には難。
市川崑の「金田一耕助シリーズ」的なコミカルさを織り込んでいるが、上滑りしているのが残念なところで、見どころは容疑者として捕まる茶屋女・ハナを演じる田中裕子の妖艶な演技となっている。
道連れとなったハナに恋した少年が、被害者の土工に売春しているのを目撃。土工を逆恨みして刺殺するというのが事件の顛末だが、駆け出しだった刑事の杜撰な取り調べを始め、田中裕子登場までのシーンが不出来でつまらない。
少年が出会う行商人に坂上二郎、柄本明、天城の住人に石橋蓮司、樹木希林、北林谷栄、先輩刑事に山谷初男と個性派の芸達者が揃っている割に、演出がわざとらしく、配役が生きていないのが勿体ない。
とりわけ、渡瀬恒彦がミスキャストで、新米刑事の乱暴な演技はともかく、40年後に老刑事となってからのメイクと演技は冗談かと思うくらいに酷い。
真相がバレて動揺する平幹二朗の演技は吹き出すほどで、名優・平がよく監督の指示に従ったものだと感心する。少年のハナへの憧憬は、是非とも平幹二朗の言葉で聞きたかった。 (評価:2)
神田川淫乱戦争
公開:1983年8月
監督:黒沢清 脚本:黒沢清 撮影:瓜生敏彦
黒沢清の伝説的なピンク映画で、助監に周防正行、塩田明彦という豪華メンバー。
出世作『CURE』(1997)以降の黒沢清の原点を探るという点では意味があるが、作品そのものはB級。
コメディの体裁をとっていて、ピンク映画としての約束事であるエロティックシーンは定期的に入るが、約束事すぎてエロを見に来たピンク映画の観客を満足させる意欲がほとんど感じられない。本作をピンク映画として評価するなら駄作。
神田川岸のアパートに住む明子(麻生うさぎ)と雅美(美野真琴)が、川向こうのマンションに住む母子が近親相姦しているのを見つけ、浪人生の息子(岸野萌圓)を母親(沢木美伊子)の支配から解放しようと押し掛け、両者神田川での争奪戦を繰り広げるというのがタイトルの由来。
明子は空き缶にしろ、煙草、ライター、ラジオにしろ、用が済めば窓から捨ててしまい、最後はセックスを終えた少年を捨て、自らも捨ててしまう。
そこに虚無といった哲学や文化論・社会論の何らかの意味を捻りだすことも可能だが、むしろその後の黒沢清作品に顔を出す不条理の芽を感じ取れる。黒沢清のホラー作品等に見られるの恐怖の根源も不条理にあることに気づかされる。
不条理を見つめる目は客体から一歩引いた観察者ないしは傍観者とならざるを得ず、本作のエロティックシーンにしても戦争シーンにしても、カメラが真横からのフルショットで静観するように捉えているのが象徴的。 (評価:2)
日本海大海戦 海ゆかば
公開:1983年6月4日
監督:舛田利雄 脚本:笠原和夫 撮影:飯村雅彦 美術:北川弘 音楽:伊部晴美 特技監督:中野昭慶
『二百三高地』(1980)、『大日本帝国』(1982)に続く東映戦争3部作で、本来なら作ったこと自体が間違いの作品だが、特撮だけは頑張っているので駄作に格上げした。
主人公は戦艦三笠に乗り込んだ軍楽隊のトランペット奏者(沖田浩之)で、前半は沖田に付き纏う恋人(三原順子)とのラブストーリー、後半はロシア軍バルチック艦隊との海戦で、全体を貫くのは沖田の音楽愛という構成になっている。
タイトルが示す通りバルチック艦隊に勝利した日本帝国海軍の戦功を描くのが企画の主旨だが、それでは戦争賛美の軍国主義映画になってしまうとあって、ラブストーリーを絡ませた反戦映画にしようとしたが、土台、日本軍が奇跡的な勝利を収めた日本海海戦を描いて反戦映画にするのが無理な話で、後半部分もまるで沈められたのは三笠の方なんじゃないかと思わせるほどに水兵たちの悲惨な死を強調して描いて、まるで敗戦したかのようになっている。
笠原の脚本に無理があったのか、はたまた舛田にやる気がなかったのか、企画自体が間違いの大失敗作で、主役二人にアイドルを使ったという配役ミスを割り引いても、愛のドラマには一ミリもなってなく、三原が必死に沖田を追う理由はわからず仕舞い。
軍楽隊が艦上で演奏する曲も、軍艦マーチを除けば戦意を喪失させるような哀愁の曲ばかりで、厭戦気分は盛り上がるが戦争映画としては萎える。
東郷平八郎に三船敏郎、明治天皇に平幹二朗を起用するものの、アイドル映画の中でどこか浮いている。 (評価:1.5)
暗室
公開:1983年9月17日
監督:浦山桐郎 脚本:石堂淑朗 撮影:安藤庄平 音楽:松村禎三 美術:佐谷晃能
にっかつ創立70周年記念作品。原作は吉行淳之介の同名小説。浦山桐郎監督、脚本・石堂淑朗。
主人公の小説家(清水綋治)の女性遍歴の話で、死んだ妻(風祭ゆき)、華道の師匠、女中、レズビアンの女(芦川よしみ)、読者(木村理恵)の5人の女が絡む。
個人的には吉行の小説が好きではなく、一貫して男の勝手な理屈、女性蔑視と偏見に貫かれている。最終的にはそのような主人公の女に捨てられた惨めな姿を描くが、俺、可哀そう的な内向的自己満足の世界であって、矮小な男のミクロコスモスでしかない。
そのような小説を浦山が映画にした意図がわからないが、この手の私小説が好きな人間には文学的芳香のする映画に仕上がっているのはさすが。文芸的ポルノ映画としても違和感はない。
ライバルの小説家に寺田農。ほかに河原崎長一郎、浜村純。 (評価:1.5)
ションベン・ライダー
公開:1983年2月11日
監督:相米慎二 製作:多賀英典 脚本:西岡琢也、チエコ・シュレイダー 撮影:田村正毅、伊藤昭裕 美術:横尾嘉良 音楽:星勝
仲良しの中学生トリオが、ヤクザに誘拐された苛めっ子を救出する物語で、青春映画というよりはティーン向けコメディ、漫画映画に近い。併映されたのが同じキティ・フィルム製作の『うる星やつら オンリー・ユー』と知れば納得がいく。
内容もスラップスティックで、ヤクザも警官も周りの大人たちもキャラクター的にはカトゥーンなので、頭を空っぽにして見ないと世界観に入っていけないが、その程度にストーリーも空っぽ。あとはギャグを楽しめるかどうかだが、児戯に等しいので、見続けるのに苦労するかもしれない。
誘拐されるのは薬局(前田武彦)の息子デブナガ(鈴木吉和)で、体型が金貸し(ケーシー高峰)の息子と似ているために、間違ってヤクザ(財津一郎)らに誘拐されてしまう。独力でデブナガ救出に向かうのが河合美智子、永瀬正敏、坂上忍で、ティーンの3人を見られるのというのが見どころかもしれない。
苛めっ子のデブナガを危険を省みず救出に向かう理由が最後までわからないが、それが少年らしいピュアな心という友情物語にしておくのが無難。
その割には銃も覚醒剤も登場し、永瀬が銃をぶっ放し、河合は致死量以上の覚醒剤を舐めてしまうので、ティーン向けコメディとして教育的には如何なものかというのが感想。 (評価:1.5)