海月衛 映画帖
~映画の大海原をたゆたう~

日本映画レビュー──1967年

製作:三船プロダクション、東宝
公開:1967年5月27日
監督:小林正樹 製作:田中友幸 脚本:橋本忍 撮影:山田一夫 美術:村木与四郎 音楽:武満徹
キネマ旬報:1位
毎日映画コンクール大賞

演技は上手くないが三船敏郎らしい朴訥とした味わい
 滝口康彦の短編時代小説『拝領妻始末』が原作。会津藩であった実話を基にした創作。
 物語の骨子は、会津松平家第3代藩主松平正容(松村達雄)が側室・市(司葉子)が男子を生んだのち、家臣の笹原伊三郎(三船敏郎)の長子・与五郎(加藤剛)に払い下げられる。これがタイトルの拝領妻で、二人は仲睦まじい夫婦となるも、正容の嫡子が死去し、市が産んだ容貞が嫡子となる。世継ぎの生母が家臣の妻というのは具合が悪く、市は城に戻されるが、笹原親子はこれに逆らって蟄居となる。
 ここからは実話とは異なり、市と与五郎は心中するように討ち果て、伊三郎は二人の遺児・富を抱いて江戸に訴えに出ようとして、親友の浅野帯刀(仲代達矢)と不本意な一騎打ちののち、藩の鉄砲隊によって斃れるという、剣豪時代劇らしい展開となる。
 橋本忍のシナリオは非常によくできていて、本格時代劇として楽しめる内容になっている。とりわけ原作を離れた後半は、三船の立ち回り、仲代との一騎打ちなど、エンタテイメントとしての見どころも十分。
 人物の心理に肉薄するようにズームインを使った効果的な演出や、モノクロ映像の画面構成も美しく、小林正樹ならではの映像美が楽しめる。
 夫婦愛を演じる司葉子・加藤剛の清々しさが見どころで、三船敏郎も演技は上手くないが三船らしい朴訥とした味わいを出している。殿様・松村達雄を始め、神山繁・三島雅夫・山形勲がしっかり悪役を演じているのもいい。
 笹原家の立ち回りで、三船が空振りして斬り倒しているシーンがそのまま使われているのはご愛嬌か。 (評価:3.5)

製作:今村プロ、日本アート・シアター・ギルド、日本映画新社
公開:1967年6月25日
監督:今村昌平 撮影:石黒健治 音楽:黛敏郎
キネマ旬報:2位

二度と作ることのできない人権蹂躙のドキュメンタリー映画
 当時、NETのアフタヌーンショーで家出人についての情報を求めるテレビ公開捜査というコーナーがあった。高度経済成長に入り、集団就職や出稼ぎで地方から大勢の人たちが上京した頃で、同時にさまざまな歪から行方不明人も多かった。本作の企画に携わった武重邦夫によれば、当時警察庁には8万人の行方不明人のリストがあった。
 おそらくテレビ番組が本作企画の発端になったのではないかと思われるが、リストの中から郡山に出張中に婚約者が失踪した女性を選び、彼女とともに失踪人の足跡を追いかける過程をドキュメンタリー形式で描く。
 失踪人の人となりについて周囲の証言から始まり、やがて彼の女性関係が明らかになる。依頼人の女性がそれを知っていたのかどうかは不明だが、どろどろした人間関係を描くのが本領の今村昌平は失踪人、依頼人、関係者のプライバシーを次々と暴く。
 ただ、他人の痴情がらみの秘密を延々と見せられても面白くなく、飽き始める頃になって、今村もそれに気づいたのか、追及はやがて依頼人と幼少から仲の悪かった姉を巻き込んでいく。失踪人を間に挟んだ、姉妹の確執に進む段になって俄然映画は活気を帯びてくる。
 本作で描かれるのは失踪のミステリーではなく、姉妹の怨念とプライドを懸けた戦い。作中で今村も述べているが、ドキュメンタリーでありながら登場人物たちはペルソナを演じているのであり、それは虚構に満ちたフィクションなのである。
 だれが本当のことを言っているのかもわからないままにドキュメンタリーは終わるが、もしこれが劇映画なら観客の得心する「真実」が語られたに違いない。しかし現実は虚構であって、真偽は当事者にも不明であることから、「真実」は観客が想像するしかない。
 本作で今村が描きたかったのは、誰もが真実と考えている現実の虚構性であり、フィクションもノンフィクションも表裏一体であること。それを示すために、今村は料理屋の小部屋で話していると思われたシーンが実はセット撮影であったことを観客に見せる。
 事実を写しているはずの映像の虚構性は、後に映像ジャーナリズムの問題として指摘され、今なお続いているが、今村は当時すでに気付いていて、本作でそれを見事に俎上に載せる。
 もっとも映画としては核心に迫るものがあるが、出演者のプライバシーは暴かれ人権は蹂躙されていて、現在の価値観からは今村の制作姿勢は決して褒められたものではない。そうした点で、二度と作ることのできないドキュメンタリー映画ともいえる。 (評価:3)

製作:東宝
公開:1967年8月3日
監督:岡本喜八 製作:藤本真澄、田中友幸 脚本:橋本忍 撮影:村井博 美術:阿久根厳 音楽:佐藤勝
キネマ旬報:3位

タイトルの入り方が効果的でかっこいい
 大宅壮一のノンフィクション『日本のいちばん長い日』が原作。終戦前日から玉音放送までの24時間を中心に描く。本作をきっかけに「東宝8.15シリーズ」6本が製作された。
 ポツダム宣言受諾を巡るいささか長いダイジェスト的プロローグがあり、御前会議での降伏決定により24時間の物語が幕を開けるが、この時の「日本のいちばん長い日」のタイトルの入り方が効果的でかっこいい。
 以後、玉音放送の録音とそれを奪って降伏を阻止しようとする陸軍・近衛師団の将校によるクーデター未遂事件、宮城事件を描いていく。
 クーデターを扱った実録ドラマなのでそれなりに面白いが、かといって実録以上のものがあるかといえば、同じ終戦を扱ったアレクサンドル・ソクーロフの『太陽』に比べると弱い。3時間弱に及ぶ長尺だが、後半は緊張感が持続せずに多少退屈なシーンもある。
 全体を見た印象は、陸軍大臣とクーデターを起こした将校らが主人公で、戦争に使命感を持った男たちの滅びの美学とでもいえようか。岡本喜八が意図したしないにかかわらず、戦死した者たちに顔向けできないという彼らにある種の正当性を感じてしまい、つまるところ彼らを自滅に追い込んだ当初の戦争責任は誰にあるのかという思いを残す。そうした点では玉音放送にまつわる話だけに、岡本の及び腰な中途半端さがあってテーマがぼやける。
 鈴木貫太郎に笠智衆、阿南陸軍大臣に三船敏郎、米内海軍大臣に山村聰、東郷外務大臣に宮口精二、情報局総裁に志村喬という豪華布陣で、登場人物も多いだけに東宝オールスター総出演の感があって見応えは十分。
 意外なところでは横浜警備隊長の天本英世が要チェック、児玉基地飛行団長の伊藤雄之助が上手い。ほとんど映らない天皇は八代目松本幸四郎。 (評価:3)

製作:東宝
公開:1967年02月25日
監督:恩地日出夫 製作:金子正且 脚本:井手俊郎、恩地日出夫 撮影:逢沢譲 音楽:武満徹 美術:育野重一

内藤洋子の踊り子の童女のような幼さがいい
 川端康成の同名小説が原作。都合6回映画化されていて、新しい順に①山口百恵・三浦友和、②内藤洋子・黒沢年男、③吉永小百合・高橋英樹、④鰐淵晴子・津川雅彦、⑤美空ひばり・石濱朗、⑥田中絹代・大日方傳。この映画は②内藤洋子・黒沢年男。
 内藤洋子は喜多嶋舞の母で1960年代後半に人気となったアイドル。『白馬のルンナ』が大ヒットしたが、歌は調子っぱずれ。ただ日本人形のような可愛い顔立ちで公開時16歳、幼い14歳の踊り子の役としては6人の中で一番合っている。14歳の少女の持つ二面性、異性への興味と童女のような無垢を、内藤は違和感なく演じている。
 この映画の難しさは、主役二人が14歳の少女と20歳の青年で、初々しい男女の淡く儚い恋を演じなければならないこと。しかもどちらの役も演技力を必要とし、まだ演技力のない同年代の俳優が演じなければならない。そのため脇役陣を演技派で固めることになり、本作では音羽信子、団令子、二木てるみの好演が光る。小沢昭一、西村晃、園佳也子も渋い。
 ただ黒沢の演じる主人公の青年が平板で、踊り子への思いが良くわからない。旅芸人一座の男・江原達怡も青年を気に入った心情が見えてこず、今ひとつの演技。恩地の演出や映像、カメラワークも良かっただけに、二人の演技次第では佳作になったのではないかと惜しまれる。 (評価:2.5)

座頭市血煙り街道

製作:大映京都
公開:1967年12月30日
監督:三隅研次 脚本:笠原良三 撮影:牧浦地志 美術:下石坂成典 音楽:伊福部昭

勝新太郎と近衛十四郎の立ち回りが見どころ
 子母澤寛の『座頭市物語』が原案。勝新太郎の『座頭市』シリーズ第17作で、三隅研次の監督作品。
 ゲストに近衛十四郎演じる公儀隠密・多十郎が登場し、ラストで座頭市と剣を交えるというのが見せ場。
 物語は、市が道中病死した女(磯村みどり)から子供を預かり、父親(伊藤孝雄)に届けるというもの。陶器の絵付け師の父親は、ヤクザ(小池朝雄)に軟禁され、御禁制の絵皿を描かされていて、市がこれを救出するものの、絵付け師の罪を問う多十郎が切り捨てようとする。
 二人の対決となるが、多十郎の手下が絵付け師を斬ろうとしたため市が刀を投げつけて倒し、自らは丸腰となってしまう。ここで、多十郎は市の覚悟に負けたと言ってそのまま立ち去るという、剣豪ドラマらしい終幕となる。
 要はこのラストがどれだけかっこよく見えるかが作品の勝負の分かれ目で、勝新太郎と近衛十四郎の立ち回りが見どころとなっている。
 道中、市が出会う旅芸人一座に朝丘雪路、中尾ミエ。中尾ミエが歌謡映画よろしく歌も披露する。
 窯元に松村達雄、その娘に高田美和、悪代官に小沢栄太郎と鉄壁の布陣。子役も登場して、市の人情話として気軽に楽しめる娯楽作品になっている。 (評価:2.5)

製作:大映京都
公開:1967年10月20日
監督:増村保造 製作:永田雅一 脚本:新藤兼人 撮影:小林節雄 美術:西岡善信 音楽:林光
キネマ旬報:5位

内助の功よりも本懐を遂げた女の物語
 有吉佐和子の同名小説が原作。
 日本初の全身麻酔手術を成功させたことで知られる紀州の医師・華岡青洲の妻・加恵(若尾文子)が主人公で、嫁姑が麻酔薬完成のために競って生体実験台になる物語。内助の功の美談とされるが、本作ではむしろ嫁姑の戦いとして描かれる。
 華岡家よりは格上となる名家・妹背家に嫁を貰いに行った姑・於継(高峰秀子)は、婿が京都遊学中で不在にも拘らず祝言を挙げ、すぐに医院の資金稼ぎの労働力として、手仕事などしたことのない加恵に機を織らせる。そして青洲(市川雷蔵)が戻ると麻酔薬完成のための生体実験に自ら志願するように仕向ける。
 導入で少女だった加恵が美しい於継を見て憧れを抱くシーンがあり、それに気づいた於継が憧れと競争心を利用して加恵を掌の上で操るしたたかぶりを発揮するが、於継が死んで青洲が全身麻酔手術に成功するラストで、加恵は於継に操られてきたことを自覚しつつも、最後に麻酔薬完成の果実を手にしたことで姑を乗り越えた勝利感に浸る。
 夫・青洲に対してでも姑・於継に対してでもなく、一人の女として本懐を遂げた加恵の物語としているところに増村保造らしさがあり、常連・若尾文子が強い女を演じてこれに応えている。
 姑を演じる高峰秀子が嫌らしいまでに上手く、舅の伊藤雄之助の野卑たところも絶品。 (評価:2.5)

製作:松竹大船
公開:1967年6月5日
監督:中村登 製作:白井昌夫 脚本:広瀬襄、中村登 撮影:竹村博 美術:浜田辰雄 音楽:佐藤勝
キネマ旬報:6位

智恵子に切ないまでの愛を捧げる光太郎を丹波が好演
 高村光太郎の詩集『智恵子抄』と佐藤春夫の『小説智恵子抄』が原作。
 光太郎(丹波哲郎)と智恵子(岩下志麻)の出会いから始まり、智恵子が亡くなるまでを描くが、前半は芝居掛かった定型的な演技と演出が多く、二人の恋の進展が中心のためにストーリー展開も間延びしているが、智恵子が自殺未遂をして心を病むようになってからは、岩下の渾身の演技で見違えるように緊張感のある作品になっている。
 画家を志した智恵子が、師であり同じ芸術家である光太郎と結婚したことで、自らの才能の限界を思い知らされ、絵筆を捨て、家庭人として夫に尽くす道を選ぶが、自我を支えるものを失ったことで精神の崩壊を来してしまう。
 光太郎は智恵子と結婚したことで芸術家としての自己変革に成功したが、智恵子には逆に自信を失わせてしまったのではないか、という光太郎の述懐が悲しい。
 『智恵子抄』の詩が要所要所に入るのが、智恵子に対する光太郎の心情を的確に表して効果的。芥川比呂志の朗読もいい。
 精神が崩壊した智恵子に切ないまでの愛を捧げる光太郎を、丹波が好演。友人に岡田英次、南田洋子、平幹二朗、智恵子の父に加藤嘉らが脇を固める。智恵子を看病する姪ふみ子に島かおり、犬吠の太郎に石立鉄男。
 『智恵子抄』の有名な詩「あどけない話」に、東京に空が無い、阿多多羅山(安達太良山)の山の上に毎日出てゐる青い空が智恵子のほんとの空だという真意、空が具象ではなく智恵子の内面の抽象だということが伝わってくる。 (評価:2.5)

製作:表現社
公開:1967年9月30日
監督:篠田正浩 製作:中島正幸 脚本:鈴木尚之 撮影:小杉正雄 美術:戸田重昌 音楽:武満徹
キネマ旬報:8位

感動のクライマックスは松尾和子の「再会」が勝る
 水上勉の同名小説が原作。
 表現社第1回作品で、岩下志麻26歳が19歳の無垢な少女を熱演するが、自分を騙した脱走兵(山崎努)が逮捕されるラストシーンで「みんなは悪い人だというけど、わたしにとっては悪い人じゃないんです」と叫ぶ感動のクライマックスで、今一つ感動が伝わらないのは、顔が純粋無垢に見えない岩下志麻のキャスティングに無理があったのか、岩下と山崎の演技が悪かったのか、篠田の演出が悪かったのか? 
 この台詞、佐伯孝夫作詞のヒット曲「再会」を思い出させるが、松尾和子の歌唱力の方が勝る。「再会」は1960年の曲で、映画と小説よりも古い。
 時は昭和12年の石川県輪島。貧しい実家の仕送りのために商人宿の女中をしているまつの(岩下志麻)は小杉という男と知り合い、小杉の口利きで山代温泉の置き屋の仲居(酌婦)となる。ところが小杉は金沢の久能川(花柳喜章)に脱走兵であることを知られ、口封じのために病気の父の入院費で困っているまつのを100円で水揚げさせる。
 まつのが姐と慕う芸者の律子(小川真由美)は、脱走兵を追う憲兵(佐藤慶)に小杉が人買同然だと話し、まつのを尾行した警察によって小杉は逮捕されるという物語。
 まつのが主人公なのだが、妙に脱走兵の小杉が自己主張していて、どっちつかずの物語になっている。
 モノクロ作品で、要所要所のあかね雲のシーンだけパートカラーになるが、センチメンタルに流れすぎていて、あまり効果的とはいえない。佐藤慶のステレオタイプの憲兵の演技が興ざめ。小川真由美が一番まともな演技。 (評価:2.5)

製作:日活
公開:1967年2月18日
監督:蔵原惟繕 脚本:藤田繁夫、蔵原惟繕 撮影:間宮義雄 音楽:黛敏郎 美術:千葉和彦
キネマ旬報:7位

浅丘ルリ子の香り立つエロティシズムを堪能する
 三島由紀夫の同名小説が原作。三島の昼メロ系の小説は、家庭内が中心の日常的なストーリーで、主人公の心理や妄想が多く語られ、映画化には向かない比較的単調なものが多い。蔵原は俯瞰・あおり・遠景・接写のさまざまなカメラワークと、ナレーション・テロップを駆使して、主人公の心理を描写する。それはある程度成功しているが、園丁の三郎の主人公・悦子との心理の綾までは描き出せてなく、最も重要なラストシーンで三郎が悦子の嫉妬に気づいていたことがわかるのが唐突。三郎を演じたチー坊のパパ・石立鉄男の演技力が足りなかったということか。
 この映画は、27歳の浅丘ルリ子を美しく撮影していて、接写する浅丘の肌からは艶めかしいエロティシズムが香り立つ。義父と関係を持ち、少年の園丁の逞しい肉体に惹かれる未亡人という役どころを妖しい色気で演じているのが最大の見どころ。
 モノクロの映像が艶っぽくていい。作品は今ひとつだが、撮影と演出におまけ。脚本に藤田敏八(繁矢)、音楽に黛敏郎。 (評価:2.5)

あゝ同期の桜

製作:東映京都
公開:1967年6月3日
監督:中島貞夫 製作:大川博 脚本:須崎勝弥、中島貞夫 撮影:赤塚滋 美術:鈴木孝俊 音楽:鏑木創

佐久間良子が出撃する夫の編隊を追いかけるシーンがいい
 学徒出陣による第14期海軍飛行予備学生の遺稿集『あゝ同期の桜・帰らざる青春の手記』が原作。
 1943年の神宮球場での出陣学徒壮行会の記録映像から始まり、勝つ見込みのない戦争と分かりながらも召集され、飛行訓練を受けた後、戦況悪化と共に自爆攻撃に駆り出される特攻兵たちの死出の旅を描く。
 冒頭より、冷静な学生たちによる客観的な視点が貫かれ、戦争の狂気の中で自律と尊厳を保とうとする姿が痛々しい。職業軍人、学生たちの中にも冷静な者もいればそうでない者もいて、中島貞夫が国粋にも反戦にも肩入れせず、特攻隊を通して戦争を戦った者たちのありのままを伝えようとする姿勢を貫こうとして好感が持てる。
 脚本の須崎勝彌、最後に学生を率いて特攻に出陣する隊長・陣之内大尉役の鶴田浩二、特攻隊員たちの世話係・花田一等水兵役の西村晃はいずれも14期飛行予備学生。
 劇中、敵性語が飛び交ったり、電車や架線シーンなど若干の粗さはあるが、記録映像を違和感なく織り交ぜながら、実録ヤクザ映画の中島貞夫らしく勢いで乗り切っている。とりわけ、南条少尉(夏八木勲)の妻(佐久間良子)が赤子を抱きながら、出撃する夫の編隊を追いかけるシーンがいいが、頭を揺さぶられる赤子は大丈夫なのかとちょっと心配になる。
 主役の松方弘樹、親友の千葉真一ともに、アクション俳優の片鱗を感じさせない真面目な学生を演じているのも見どころ。松方の妹役に藤純子、上官に高倉健と東映オールスターキャスト。 (評価:2.5)

トッポ・ジージョのボタン戦争

製作:マリア・ペレゴ・プロ、キングスメン・エンタープライズ
公開:1967年7月20日
監督:市川崑 製作:青山ヨシオ、フィデリコ・カルドーラ、市川崑 脚本:市川崑、永六輔、アルベルト・オンガロ、フィデリコ・カルドーラ 撮影:長野重一 美術:マリオ・ミラーニ、青木浩 音楽:中村八大 操演:マリア・ペレゴ

とても人間業とは思えない人形の仕草・表情・動き
 トッポ・ジージョは、マリア・ペレゴ原作のイタリア人形劇の鼠のキャラクターで、1960年代に日本でもトッポ・ジージョの人形を使ったテレビ番組が放送された。
 映画は日本とイタリアの合作で、トッポ・ジージョの声に中村メイコ、ナレーションに小林桂樹。人形と人間が共演する映画で、悪者のボスに顔を出さないが大平透が出演している。
 一人寂しく暮らしているトッポ・ジージョが夜の散歩に出て赤い風船と友達になるというのが前半のストーリー。一方で、ギャングたちがわざと留置所に捕まり、地下道を掘って銀行の大金庫を狙う。後半は2つの物語が繋がって、ジージョが警察に通報して警官隊とギャングとの戦いとなるという物語で、ジージョの親友は不幸な最期を遂げるという定番ストーリー。
 実は、大金庫の中身は5つの核保有国が互いに攻撃し合わないようにしまってある5つの最終ボタンで、ギャングのボスがこれを手に入れようとする反核ドラマ。制作したのが元枢軸国の日伊というところがミソで、核保有による世界戦争の危機が迫っていた時代の一応子供向けの作品。
 パペットの操演を見せるための演出が中心となっているために、ストーリーは二の次で、ゆったりとした、かったるいシーンが続く。
 もっとも人形の操演はとても人間業とは思えないくらいに見事で、人形の仕草・表情・動きにうっとりする。そうしたテクニカルな面では非常な秀作で、市川崑の映像的演出も見応え十分。しかしそれだけでは映画とはいえないのに、それで映画芸術だと思っていた時代の残念な作品。 (評価:2.5)

大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス

製作:大映東京
公開:1967年3月15日
監督:湯浅憲明 製作:永田秀雅 脚本:高橋二三 撮影:上原明 美術:井上章 音楽:山内正

子供向けに徹した作品に上田吉二郎が微笑ましい
 初期シリーズ第3作。
 子供たちのヒーロー・ガメラ路線を確立した最初の作品で、完全にお子様ランチに徹している。
 平成のリブート・ガメラからすれば、あまりに子供用で異質だが、当時としてはこれが子供に受けたという事実が重い。
 改めて観るとガメラが可愛くて、このまま浦島太郎を乗せて竜宮城に行ってくれそうな雰囲気さえあり、『まんが日本昔ばなし』の実写版かと見紛う。
 吸血蝙蝠の怪獣版のギャオスも三角形のコラージュで、キーホルダーにしたら可愛いんじゃないかと思ってしまう。
 ストーリーも他愛なく、三宅島・明神礁に続いて富士山が噴火。地中からギャオスが目を覚ますという設定。
 当時、建設中の中央高速の土地買収話が絡み、渦中の富士山麓の村で暴れまくり、自衛隊も敵わず、村の少年が正義の味方ガメラを呼び寄せ、両雄対決。最後は光に弱いギャオスをガメラが富士火口にもろとも引き摺り込んで一件落着する。
 単純なストーリーだが、湯浅憲明はむしろ特撮シーンに重きを置いていて、ギャオスの光線でヘリや戦闘機が真っ二つに切られるなど、子供には楽しい作品になっている。
 本郷功次郎のほか、悪役専門の上田吉二郎が子供向け作品に出演しているのが微笑ましい。 (評価:2)

父子草

製作:東宝、宝塚映画
公開:1967年12月6日
監督:丸山誠治 製作:金子正且 脚本:木下恵介 撮影:梁井潤 美術:松山崇 音楽:木下忠司

木下恵介らしいあざといセンチメントが鼻につく
 木下恵介脚本らしいお涙頂戴のヒューマンドラマで、戦後20年以上経って、主人公の50男(渥美清)が生きていた英霊というから恐れ入る。
 もっとも横井庄一がグアム島で発見されたのが1972年、小野田寛郎がルバング島で投降したのが1974年なので、戦後はまだ終わっていなかったのかもしれない。
 50男はシベリア抑留組で、終戦の5年後に故郷の佐渡島に帰ったところ、妻は弟と結婚していて、失意のうちに飯場を渡り歩く建設労働者になったというもの。
 たまたまガード下のおでん屋台で苦学の浪人生(石立鉄男)と知り合い、赤子の時に別れたままの息子に仮託して、あしながおじさんになる。もっとも当時の金額で16万円近くを援助していて、いくら気に入ったとはいえ、赤の他人に大金を渡すのには無理がある。
 浪人生は無事東大に合格してハッピーエンドとなるが、おでん屋台の小母さん(淡路恵子)と50男の会話劇が主体で、二人の演技でこのあからさまな人情ドラマを持たせている。
 センチメントを引っ張るのは、ダイジェストで見せる生きていた英霊のエピソードだが、台詞なしのBGMだけというのが、効果的というよりもあざとさがあって、手抜き感を否めない。
 演出とストーリーが作為的で、わざとらしいセンチメントが若干鼻につく。
 浪人生のガールフレンドに星由里子、50男の父に浜村純。おでん屋台の小母さんは気風のいい江戸っ子だが、製作に宝塚映画が入っていたからか、屋台の撮影は大阪だったそうだ。 (評価:2)

座頭市牢破り

製作:勝プロ、大映京都
公開:1967年8月12日
監督:山本薩夫 製作:永田雅一 脚本:中島丈博、松本考二、猿若清方 撮影:宮川一夫 美術:西岡善信 音楽:池野成

本格的だが定番すぎて面白みがない山本薩夫・座頭市
 座頭市シリーズ第16作。
 勝プロ第一回作品で、監督に山本薩夫を起用。脚本に中島丈博、撮影に宮川一夫と力の入った作品。
 本格的でシナリオも演出も破綻がないのだが、任侠と信じていた親分(三國連太郎)のために対立する一家を皆殺しにして凶状持ちとなった座頭市が、自分が利用されたことを知って成敗するという定番の展開で、イカサマ博打、農民イジメ、悪徳役人(西村晃)、手籠め、遊女に身を落とす娘とこれまた定番のエピソードで組み合わせているため、物語に意外性がない。
 本格作品にしようとして安全牌ばかりを寄せ集めたため、総花的で中盤で展開が読めてしまうのが残念。
 山本薩夫らしさが出ているのが、農本主義の浪人を入れてプロレタリア色を出した点で、しかも浪人役がこれまた正義漢の定番、鈴木瑞穂というのが笑える。ワルに三國連太郎、西村晃というのもお約束過ぎて、興趣を削ぐ。
 目の見えない者こそが、外見に囚われない偏見のない目を持つというメッセージも社会派・山本薩夫らしい。
 座頭市の時代設定が幕末だということも明かされる。 (評価:2)

銭形平次

製作:東映京都
公開:1967年10月10日
監督:山内鉄也 脚本:田坂啓、山内鉄也 撮影:古谷伸 美術:矢田精治 音楽:津島利章

余りに無謀な平次が岡っ引きになるエピソード
 野村胡堂の小説『銭形平次捕物控』が原作。1966年から18年間フジテレビで放映されたロングシリーズの大川橋蔵版『銭形平次』で、舟木一夫の歌うテレビの主題歌が使われているが、お静と八五郎はテレビ版とは異なる水野久美と大辻伺郎。
 映画は平次が岡っ引きとなるエピソードを描いたもので、まだ独身。鳶の親方(河野秋武)が殺され、それを機に死んだ父の跡を継いで岡っ引きとなり、事件の真相を追うという物語。親方の娘がお静で、八五郎とは賭場で知り合う。
 事件そのものは過去の因縁話に材木問屋同士の争い、与力の汚職が絡むという時代劇には定番の筋立てだが、冒頭の賭場の登場人物が事件を構成するという練られたシナリオになっている。
 活劇なので、平次が単身、刀を手にする大勢の敵を相手に大立ち回りを演じるが、所詮武器は十手と寛永通宝しかないので余りに無謀に見えてしまうのは時代劇のお約束。
 この窮地を救うべく、謎の剣士・舟木一夫がゲスト出演し、提灯片手の同心たちも頼もしい。
 平時に十手を預ける与力に大友柳太朗、平次の幼馴染に小池朝雄。
 材木問屋が絡むとあって深川が舞台となるが、江戸の割には人通りが少ない。 (評価:2)

製作:創造社
公開:1967年2月15日
監督:大島渚 製作:中島正幸、山口卓治、大島渚 脚本:佐々木守、大島渚 撮影:高田昭 音楽:林光
キネマ旬報:10位

静止画による実験映画だが結局のところ妥協の産物
 白土三平の同名劇画が原作。原画のコマを直接撮影し、トリミングやパンによって繋ぐ静止画による絵物語。
 実験映画といえば聞こえはいいが、要はアニメーションにする制作費と技術がなかっただけで、後者については同時期より構想を温めてきた高畑勲が、『ホーホケキョ となりの山田くん』(1999)や『かぐや姫の物語』(2013)でこれを実現することになる。
 原画の撮影と台詞や効果音で、動きを補う演出と編集は素晴らしく、白土三平の絵のタッチやコンポジションを生かした臨場感は、通常のアニメーションに勝っている。それゆえ、セルアニメーションにしなかったという制作意図は十分に汲み取れるが、それを実現した後年の『ホーホケキョ となりの山田くん』『かぐや姫の物語』を見てしまうと、結局のところ本作の手法は妥協の産物でしかない。
 演出がどれだけ工夫して優れていようとも、本作は大島渚の作品ではなく、白土三平の絵を見るための作品になっている。
 大島はスチール写真を映画にするという手法を1965年の短編『ユンボギの日記』で試しており、先行してクリス・マルケルの『ラ・ジュテ』(1962)があるが、本作が白土三平の劇画の二次創作であるという点が大きく異なる。
 本作の手法はTVの『ゴルゴ13』(1971)や虫プロの『哀しみのベラドンナ』(1973)に引き継がれるが、作品としての不完全感は免れない。
 物語は戦国時代、影一族を率いる忍者・影丸が、農民一揆を指揮して被支配者による国を造ろうとするもので、舞台は出羽国伏影城から美濃・尾張へと移り、本能寺の変から天王山の戦いまでが描かれる。
 原作は長編の上に、明智光秀を中心に織田信長、羽柴秀吉などの武将、忍者等の登場する歴史群像劇のため、小沢昭一のナレーションで語られる物語は駆け足で、台詞は入るもののダイジェスト感は否めず、細切れのカットや煩雑なキャラクターの登場で、ストーリーがわかりにくくなっている。
 とりわけ忍者ものであるにも関わらず、忍術のシーンが少なく説明不足。忍者というよりは怪物か超能力者に見えてしまう。 (評価:2)

ある殺し屋の鍵

製作:大映京都
公開:1967年12月2日
監督:森一生 脚本:小滝光郎 撮影:宮川一夫 美術:太田誠一 音楽:鏑木創

市川雷蔵の殺し屋と色っぽい佐藤友美が美味しい
 藤原審爾の小説『消される男』が原作。
 市川雷蔵が殺し屋を演じるというのが見どころの作品で、表の顔は日本舞踊の師匠というのが雷蔵にぴったりの設定。雷蔵が踊るシーンもたっぷりあって、雷蔵ファンを楽しませる内容になっている。
 もっとも雷蔵に現代劇の殺し屋が似合っているかというとそうでもなく、眠狂四郎ほどにはかっこ良くなく、キャラクターとしては今ひとつ。型で見せる立ち回りとは違って、アクションシーンの動きも鈍臭い。
 脱税で仮釈放中の悪役・内田朝雄の証言から火の粉が及ぶのを恐れた政界のボス・山形勲が、建設会社社長・西村晃に抹殺を依頼。西村晃は暴力団組長・中谷一郎に命じ、組員・金内吉男が雷蔵に依頼するという、定番のわかりやすい設定によく出来た配役。
 雷蔵はホテルプールで浮きマットに寝そべる内田を潜水で水中から長い針で刺し殺すが、金内の仕掛けた証拠隠滅、逃走用の車のブレーキが壊され箱根ターンパイクの下り坂で‘暴走するという、これまた定番の罠で殺されかかる。
 もちろん雷蔵は間一髪で助かり、下っ端から順に復讐していくというストーリーだが、よく考えれば雷蔵を殺そうとしたのは中谷で、それを容認した西村はともかく、山形はとんだとばっちり。
 雷蔵の復讐を手伝うのが、雷蔵を慕う踊りの弟子で内田の囲い者となっている芸者の佐藤友美。芸者姿は似合わないが、水着姿もバスタオル姿も披露してくれ、何より色っぽいのが美味しい。
 ホテルプールで遭遇していることから雷蔵を怪しいと思うはずがそうでもなく、雷蔵に袖にされた腹いせに、雷蔵が大金を隠すコインロッカーを警察にチクるのだが、どうしてそのことを知っていたのかも、拾った鍵をそのロッカーの鍵だと分かったのかも、ロッカーの場所がわかったのかも謎。
 B級エンタテイメントらしい粗さが味わい深い。 (評価:2)

怪獣島の決戦 ゴジラの息子

製作:東宝
公開:1967年12月16日
監督:福田純 製作:田中友幸 脚本:関沢新一、斯波一絵 特技監督:有川貞昌 撮影:山田一夫 音楽:佐藤勝 美術:北猛夫

お父さんの見どころはミニラよりも前田美波里のボディ
 ​『​ゴ​ジ​ラ​』​シ​リ​ー​ズ​第​8​作​。​初​心​を​失​っ​た​ゴ​ジ​ラ​の​転​落​ぶ​り​は​と​ど​ま​る​こ​と​を​知​ら​ず​、​つ​い​に​ゴ​ジ​ラ​の​子​供​が​登​場​す​る​。​監​督​は​福​田​純​、​特​撮​は​有​川​貞​昌​。
​ ​ゴ​ジ​ラ​は​卵​生​で​、​台​詞​で​は​子​育​て​は​雄​が​す​る​ら​し​い​。​し​か​し​、​ど​う​や​っ​て​雌​雄​を​判​別​し​た​の​か​?​ ​タ​イ​ト​ル​に​従​え​ば​生​ま​れ​て​き​た​子​供​は​雄​。​こ​の​子​供​の​可​愛​ら​し​い​シ​ー​ン​、​親​子​の​微​笑​ま​し​い​シ​ー​ン​を​好​意​的​に​取​る​か​、​ベ​タ​な​お​子​様​向​け​と​取​る​か​が​ポ​イ​ン​ト​で​、​公​開​当​時​を​思​い​起​こ​す​と​、​ゴ​ジ​ラ​の​子​供​と​い​う​セ​ー​ル​ス​ポ​イ​ン​ト​に​目​が​行​っ​て​、​こ​れ​が​あ​ざ​と​い​大​人​の​商​売​と​ま​で​は​気​づ​か​な​か​っ​た​。
​ ​再​見​す​る​と​あ​ざ​と​さ​ば​か​り​が​気​に​な​る​。​大​人​的​に​い​え​ば​、​見​ど​こ​ろ​は​無​人​島​に​ひ​と​り​住​む​前​田​美​波​里​の​ボ​デ​ィ​。​ゴ​ジ​ラ​の​父​子​同​様​、​人​間​の​父​子​も​呼​ぼ​う​と​い​う​計​算​が​見​え​る​。
​ ​物​語​は​世​界​の​人​口​増​に​対​処​す​る​た​め​の​気​候​変​動​実​験​を​科​学​者​た​ち​が​無​人​島​で​行​う​。​無​人​島​に​は​ゴ​ジ​ラ​の​卵​が​あ​っ​て​、​島​に​す​む​巨​大​な​カ​マ​キ​リ​や​ク​モ​、​父​さ​ん​ゴ​ジ​ラ​が​加​わ​っ​て​の​戦​い​。​ス​ト​ー​リ​ー​は​な​く​、​た​だ​怪​獣​同​士​が​戦​う​と​い​う​知​恵​の​な​い​映​画​で​、​主​演​は​高​島​忠​夫​と​久​保​明​。​前​田​美​波​里​の​出​演​が​な​け​れ​ば​、​★​1​.​5​の​作​品​。
​ ​こ​の​映​画​で​は​ゴ​ジ​ラ​の​子​供​は​ま​だ​ミ​ニ​ラ​と​命​名​さ​れ​て​い​な​い​。 (評価:2)

製作:東宝
公開:1967年11月18日
監督:成瀬巳喜男 製作:藤本真澄、金子正且 脚本:山田信夫 撮影:逢沢譲 音楽:武満徹 美術:中古智
キネマ旬報:4位

もしかしたら司葉子と加山雄三の演技が見どころ?
 女性映画で名高い成瀬巳喜男監督作品。当時、テレビは昼メロ全盛期だったが、それに負けず劣らずのメロドラマ。
 脚本はかなり粗く、轢死させても業務上過失致死に問われず無罪で賠償義務がないという導入から始まって、未亡人を夫の実家が除籍するという、いったいいつの時代の話かわからないような設定になっている。成瀬巳喜男は明治38年生まれ、脚本の山田信夫は昭和7年生まれ。
 夫を交通事故で亡くした女と轢死させた青年が和解して恋に落ちるという脚本に無理があるのか、司葉子と加山雄三の演技に問題があるのか、見ていても釈然としない。加山は不遜・横柄・能天気の三拍子揃った「若大将」のような青年を演じ、司も何を考えているのかわからない女を演じる。
 このような二人の恋のラストは心中しかないと思うのだが、そうではない結末もミステリアス。見どころは当時の十和田湖と日本家屋の美しさ。 (評価:2)

ある殺し屋

製作:大映京都
公開:1967年4月29日
監督:森一生 脚本:増村保造、石松愛弘 撮影:宮川一夫 美術:太田誠一 音楽:鏑木創

あんみつのように大甘の純和風フィルム・ノワール
 藤原審爾の小説『前夜』が原作。
 市川雷蔵が殺し屋に扮するという和製フィルム・ノワールで、表の顔は小料理屋の板前。ラーメン屋で無銭飲食の不良娘(野川由美子)を助けたのが仇となり、押し掛け女房志願となってしまう。
 依頼された殺しのために羽田空港近くの埋立地にアパートを借りるが、たちまち不良娘に押し掛けられてしまうという脇の甘さで、仕事も暴力団のヒットマンと今一つ。この時の組長(小池朝雄)の舎弟(成田三樹夫)が弟子にしてくれというのを断るが、麻薬の横取り話を土産にこれまたアジトにやってきてしまう。
 プロの殺し屋が麻薬に手を出すわけがないと思いきや、簡単に儲け話に乗ってしまい、不良娘まで加わって強奪に参加。強奪後の舎弟の裏切りを許して、かっこよく男を上げて去って行く…というストーリー。
 一流の殺し屋なんだから、ゴルゴ13のように独断専行、クールに決めてほしいところだが、不良娘にも舎弟にも付け込まれ、挙句にヤクザの麻薬強奪というとんでもない殺し屋で、キャラクター造形があんみつのように大甘の、和製というよりは純和風のフィルム・ノワール。
 見どころは羽田空港北の埋立地でのロケで、埋め立てたばかりの昭和島、平和島が隔世の感。 (評価:2)

大巨獣ガッパ

製作:日活
公開:1967年4月22日
監督:野口晴康 脚本:山崎巌、中西隆三 撮影:上田宗男 美術:小池一美 音楽:大森盛太郎 特技監督:渡辺明

見どころは山本陽子の探検服ショートパンツ姿
 怪獣ブームに乗って、日活でも怪獣映画を作ってみたという作品。南の島の守り神ガッパの子供が日本に連れ去られ、それを探しにふた親ガッパがやってくるという話で、子供を返してもらってめでたしめでたし・・・という、どこかで見たようなパターン。
 第一にガッパのデザインもキャラクター性もイマイチで、カッコいい系というよりはブースカのほのぼの系。怪獣映画なのに怪獣のキャラが立ってなく、河童を怪獣にしてみたが、やることはゴジラと同じという安直さが駄作の第一歩。
 シナリオも子供だましの工夫のなさで、金儲けに走る社長や名声のために倫理を考えない科学者といった当時の世相批判もあるにはあるが、南海の島民はステレオタイプの裸族で、しかも戦時中に日本統治下にあったという、とても子供には見せられないような設定。
 すべてに安直さが際立つが、特撮のミニチュアだけは頑張っていて、熱海、河口湖、東京と破壊しまくる。合成もなかなかだが、破壊するだけで今ひとつ絵になるシーンや、緊迫感が足りず、スタッフの苦労が空回りしている感じ。
 主役は川地民夫と山本陽子で、山本陽子の探検服のショートパンツ姿がせいぜいの見どころか。 (評価:1.5)

日本春歌考

製作:創造社
公開:1967年2月23日
監督:大島渚 製作:中島正幸 脚本:田村孟、田島敏男、佐々木守、大島渚 撮影:高田昭 美術:戸田重昌 音楽:林光

宮本信子、吉田日出子のセーラー服姿も見どころ
 添田知道の著書『日本春歌考』に触発されて制作されたもので、内容は無関係。
 大学受験のために上京した高校生男子4人が、試験場で見初めた女生徒を空想で犯し、最後はそれを実行に移すという物語で、最後は女生徒を絞殺して終わる。
 大島渚らしい観念的な作品で、標題の春歌は「抑圧された庶民の精神の解放手段」くらいの説明しかなく、春歌についての考察を期待すると裏切られる。
 大島お得意の反権力、反天皇制、反ブルジョア、反革命、反米、反似非民主主義としての対抗手段、レジスタンスとして春歌が位置付けられているくらいのもので、殊更に春歌をステータスシンボルとして好む似非インテリ、似非文化人的な臭いが芬々とする。
 この年に復活した紀元節の反対デモや、万国旗に囲まれたフォーク集会など、ビジュアル的には面白い映像もあるが、基本はメタファーと観念だけで作られているため、そういったものを好まないかぎりは無駄な時間を送ることになる。
 犯される対象として最後に殺される女生徒(田島和子)は、反〇〇の象徴。受験生を引率する教師(伊丹一三)は春歌を歌って抑圧者の立場を鼓舞するが、それが自己満足に過ぎないことに気づく主人公の中村豊秋(荒木一郎)は、泥酔した教師をガス中毒で死なす。そして、世の中の数々の欺瞞を見た末に、反〇〇の象徴である女生徒の首を絞める。
 主人公の同級生女子を演じる宮本信子、吉田日出子のセーラー服姿も見どころの一つか。 (評価:1.5)

殺しの烙印

製作:日活
公開:1967年6月15日
監督:鈴木清順 脚本:具流八郎 撮影:永塚一栄 美術:川原賢三 音楽:山本直純

鈴木清順の出来損ないの和製ヌーベルバーグ
 鈴木清順のカルトムービーの傑作とされるハードボイルド映画だが、スタイリッシュとアバンギャルドを気取っただけにしか見えず、宍戸錠をハンフリー・ボガートやアラン・ドロンに見立てて格好をつけているのがわかるだけに、60年代邦画アクションの一所懸命な背伸びが、見ていて気恥ずかしくなる。
 シナリオ・演出が無茶苦茶で、殺し屋同士がナンバーワンを目指して殺し合うというのがどうにも無理筋。森の中の廃ビルでの銃撃戦というのも場違いなら、どこを狙って撃ってるのかもわからない撃ち合いシーンもリアリティに欠け、いきなりの西部劇風のタイマン勝負というのも当時の邦画アクションのレベルがわかる。
 アクションのシークエンスが繋がってないので何が起きているのかわからないが、自動車との銃撃戦に至っては、敵を轢かないように避けているのが理解不能。
 整形手術の失敗による宍戸錠の頬の膨らみが終始気になり、炊飯器の炊ける臭いに恍惚となるシーンはまさに噴飯もの。
 本作に意義があるとすれば、当時としてはギリギリの性描写で、清順美学を感じるコンポジションとカメラワークがいい。
 それを除けば出来損ないの和製ヌーベルバーグでしかない。 (評価:1.5)