日本映画レビュー──1944年
加藤隼戦闘隊
公開:1944年3月9日
監督:山本嘉次郎 製作:村治夫 脚本:山本嘉次郎 撮影:三村明 音楽:鈴木静一 特殊技術:円谷英一
1943~45年は戦争でキネ旬ベストテンは選出されていない。あれば確実に入っていた作品。監督は山本嘉次郎で、情報局選定、陸軍省後援。
太平洋戦争初期の飛行第64戦隊(通称、加藤隼戦闘隊)の活躍を描いた、部隊長の加藤建夫陸軍中佐(藤田進)が主人公の戦争映画。中国からインドシナへと転戦し、連合軍基地に先制攻撃をしかけながら、1942年に戦死するまでを描く。他に大河内伝次郎、志村喬、灰田勝彦、木村功が出演。
戦意発揚のために陸軍省が全面的にバックアップ。多数の軍用機、捕獲した敵軍機を撮影用に飛ばして地上・空中撮影も行い、航空部隊、落下傘部隊も撮影に参加。現在ではこれほどの協力を自衛隊から得ることは不可能。戦闘・爆撃シーンには円谷英二が参加、そのリアルな特撮技術の完成度の高さには舌を巻く。
映画としての完成度は非常に高く、山本嘉次郎の演出もよく、なにより軍用機・特撮シーンの迫力に、これが陸軍省のPR映画であることを忘れる。もっとも戦意高揚映画とはいえ、これは加藤中佐のヒーロー映画であって、似たようなハリウッド映画は現代にいくらでもある。
ランボーや坂本竜馬でさえ加藤中佐と大差なく、ヒーローとは何かについて考えさせられる。 (評価:3)
陸軍
公開:1944年12月7日
監督:木下恵介 脚本:池田忠雄 撮影:武富善男 美術:本木勇
火野葦平の同名小説が原作。
陸軍省後援の戦意高揚映画として製作されたが、内容的にはそうなっていない。
小倉城下の質屋・高木屋を営む高木家の4代に渡る物語で、慶応2年(1866)の長州藩の侵攻に始まり、日清戦争、日露戦争、明治末期、大正年間、昭和初期、上海事変までが年代記風に描かれる。
高木家の家宝として受け継がれるのが尊王論の基となった『大日本史』で、天皇の赤子として身命を捧げるという思想に貫かれる。
軍人となった3代目の友彦(笠智衆)は病気のために日露で戦えずに後れを取ったことを悔み、息子の伸太郎に思いを託す。母・わか(田中絹代)は気弱な性格の伸太郎に軍人勅諭の精神を教える。
伸太郎(星野和正)が長じて中支に出征することになり、両親は喜んで送り出してラストとなるが、友彦は軍人勅諭に殉じるように言いながらも病気になるなと身を案じ、わかは悲痛な顔で軍人勅諭を暗唱し出征行進の中に我が子を見つけて必死に追いかける。
このラストの田中絹代の演技は息子を戦争に送り出す母の悲しみに溢れていて、死を覚悟しながらも無事を祈るという非戦への思いが託されている。
戦意高揚映画というよりは木下らしい家庭ドラマで、タイトルの陸軍は表面的に描かれるだけで全くテーマになっていない。
友彦のライバルとなる成金の現実主義者・櫻木(東野英治郎)に日本が神国ではないことを語らせ、友彦の尊王論を正面に掲げつつも、それに殉じる人々の隠れた悲しみを描くという、ヒューマンな作品になっている。 (評価:3)
五重塔
公開:1944年8月17日
監督:五所平之助 製作:菊岡久利 脚色:川口松太郎 美術:木村荘八、仲美喜夫 音楽:斎藤一郎
谷中感応寺(現在は天王寺)にあった五重塔を題材にした、幸田露伴の同名小説が原作。
五重塔が建立されたのは寛永年間で、大工たちがザンギリ頭なのを見ると、本作の美術等の時代設定には若干違和感がある。
それを置いても残念なのは、主人公である十兵衛が単に自分勝手な男にしか見えず、兄貴分の源太に不義理してまで五重塔建築に執念を燃やす心情の機微が描かれていないこと。
物語は、五重塔建築を感応寺の御用を勤める源太が受託したのを、十兵衛が無理やり住職にねじ込んで仕事を横取りしようとし、住職の仲裁で二人で話し合うことになる。共同でやろうという源太の申し出を断り、仕方なく源太が譲ったにもかかわらず、協力を申出る源太を袖にし、独力で五重塔を完成させる。
嵐がやってきて、皆が心配するのを無視し、住職の依頼で仕方なく塔に行くと、既に源太が見回りに来ていた。謙譲の精神にあふれるばかりか、他人の造った塔なのに寺の御用職人の責任感とボランティア精神に富んだ職人気質の源太に対し、自分のことしか考えない我儘な十兵衛。
どっちが主役かわからない物語で、十兵衛の心の内が細やかに描かれていれば、十兵衛も主役になれたかもしれない。
その表面上の主役を演じるのが花柳章太郎。真の主役は柳永二郎で、十兵衛の女房に森赫子。
五重塔は実景とミニチュア特撮を組み合わせて撮影されているが、実景の五重塔が新築の割には風雪を重ねた風格を漂わせているのは仕方のないところ。戦後、焼失して現存していないのが惜しい。 (評価:2)
歓呼の町
公開:1944年6月8日
監督:木下恵介 脚本:森本薫 撮影:楠田浩之
東京の下町を舞台にした庶民劇で、戦況悪化の中で地方への疎開を促すために制作された国策映画。
本土空襲に備えて町内の疎開が進んでいる中、残っている4軒の家族が登場。
山師の夫(東野英治郎)が出奔し、陸軍試験飛行士の長男(上原謙)と暮らす筝曲の師匠をしている妻(信千代)は、夫の帰りを待っていて疎開できない。
隣の印刷屋(日守新一)は、北千住へ引っ越す相談。舞台となる町はおそらく蒲田辺りで、爆撃目標となる町工場が多く立ち並んでいるために疎開を促されている。
風呂屋(小堀誠)の主人は住み慣れた土地への愛着から、心配する妻(飯田蝶子)や娘夫婦(安部徹、山鳩くるみ)に、客がいるうちは銭湯を締められないと強情を張る。
もとは地主だったらしい町会長(勝見庸太郎)は、田舎に疎開して農業をしようかと妻(岡村文子)と相談するが、こちらも踏ん切りがつかないでいる。
東野英治郎の帰還、町会長の娘(水戸光子)の縁談話があって、そうこうしているうちに上原謙が墜落死。東野英治郎の夫婦が引っ越すことになり、町内の人々も銃後の戦いを誓って疎開を決意するという物語。
土地や商売への愛着を断って疎開しようというキャンペーン映画のため、木下恵介お得意のホームドラマながら、中身はなくてスカスカ。上原謙と水戸光子のラブストーリーもドラマにはなってなく、折角の上原謙の死も生かされていない。 (評価:2)
一番美しく
公開:1944年4月13日
監督:黒澤明 製作:宇佐美仁 脚本:黒澤明 撮影:小原譲治 音楽:鈴木静一 美術:安部輝明
「撃ちてし止まむ」のテロップで始まる、情報局撰定國民映畫。『姿三四郎』に続く監督2作目。
戦時中に製作・公開された国策映画だが、『ハワイ・マレー沖海戦』『加藤隼戦闘隊』など山本嘉次郎の同じ国策映画に比べると、単に国策映画作りのために映画でしかない。
山本の戦争映画では、真摯な映画作りがなされているためにリアルな戦争の実態を確実に捉えていて、生死を賭けた兵士たちを通して戦争の悲惨さを伝えている。本人の意図はわからないが、山本の国策映画には見方によって戦意高揚と反戦の二面性があり、それが時代性を超えた作品となっている。
翻って黒澤監督・脚本の本作にはそのような二面性は感じられず、戦争協力映画以上のものにはなっていない。
そこに本来がエンタテイメントの監督である黒澤の不器用さを見て取ることができる。
舞台は兵器に使う照準器を製造している軍需工場で、主人公は勤労動員で平塚にやってきた女学生たち。熟練が必要な精密機械にど素人の女学生を使わなければならないという非常体制下で、工場長の志村喬が生産倍増を命令する。
男子は2倍、女子は1.5倍の計画だが、軍国少女たちは泣いて抗議し、1.66倍の嵩上げを要求するという愛国ぶり。過労や病気、あるいは意気高揚により生産量は株価の如く乱高下するのが笑いどころ。
病を隠しての献身や、故郷の家族の死、女学生特有の糞真面目で嫉妬深い争い事などを描きながら、僅かなミスを徹夜で挽回する感動的な報国少女(まるで女学生版爆弾三勇士だ)と、銃後の国民を鼓舞する内容となっている。
黒澤がこのような国策映画を撮ったことを認めたくない人たちは戦争協力は仕方なかったと弁護するが、情報局の気に入るような企画を出さなかったために映画が撮れず、戦地に赴いた監督もいたわけで、だからといって黒澤を非難するわけでもなく、むしろ映画を撮り続けるためにこのような映画を作った新人監督・黒澤の小市民的な凡人ぶりに親しみが湧いたりもする。
いかなる擁護をもってしても本作は駄作であり、見るべきものは何もない。それでも敢えて挙げるとすれば、主役の報国少女を演じた矢口陽子は後に黒澤と結婚し、美人の先生役が入江たか子ということくらいか。 (評価:1)