日本映画レビュー──1935年
丹下左膳餘話 百萬兩の壺
公開:1935年06月15日
監督:山中貞雄 脚本:三神三太郎 撮影:安本淳
名作の誉れ高い人情喜劇。名作だというと過剰反応しがちだが、昭和10年にこのような作品が作られたという視点で見るべきかもしれない。
この作品をひと言で評すれば、粋。当時の感覚ならモダン? モノクロならではのソフトで艶っぽい映像は、高精細映像を是とする風潮へのアンチテーゼ。とりわけ矢場の美術は、当時だからこその情緒が漂う。三味線片手に歌うお藤役の喜代三もいい。往年の時代劇には欠かせない音楽も心地よい。もちろん丹下左膳役の大河内伝次郎も。おそらくは、『三丁目の夕日』を見るように、今は手に入れることのできないノスタルジーの数々をこの映画は提供してくれる。
夭折した山中貞雄の天才を見るとすれば、現代の演出手法と遜色ない構図とカメラワークだろうか。もし戦後も映画作りをしていたら、と思うと背筋がぞっとする。
原作者の林不忘の不評を買ったそうだが、この映画は良くできたハートフル・コメディで、チャンバラ映画ではない。シナリオの完成度が高く、メンコのシーンは何度見ても可笑しい。 (評価:4)
製作:P.C.L.映画製作所
公開:1935年8月15日
監督:成瀬巳喜男 脚本:成瀬巳喜男 撮影:鈴木博 編集:岩下広一 音楽:伊藤昇
キネマ旬報:1位
男には虫のいい古き良き昭和の香りと情緒
中野実の戯曲『二人妻』が原作。商業映画としてアメリカで初めて公開された日本映画。
男(丸山定夫)には正妻と妾がいて、何かと堅苦しい東京の妻(伊藤智子)のもとを離れ、長野に住む芸者だった妾(英百合子)と暮らしてもう何年にもなる。
主人公は正妻の娘・君子(千葉早智子)で、婚約者(大川平八郎)の両親に父を紹介しなければならないという必要性と、母が仲人を引き受けてしまったことから妾宅を訪れ、父を帰京させるというのが物語の骨子。君子は当初、父を東京に引き留めるつもりでいたが、妾の父に対する献身にほだされ、母が建前でしか妻の役目を果たせないことを悟り、父が妾と暮らすことを許す。
夫婦の愛情の在り方について、結婚を前にした娘が自身と両親について考えるというテーマ設定になっていて、父と母は夫婦ではなく、父と妾が夫婦だという結論に至る。君子が非常に現代的な女に設定されていて、恋人に対して物怖じせずにずけずけモノを言う新しい女性像、自由恋愛による新しい夫婦の在り方を成瀬巳喜男は提示する。
それでは男女同権かといえば、恋人よりも高給取りの職業婦人の娘はともかく、妾のお雪は典型的な良妻賢母で、ヒモ同然の山師の夫に尽くし、これぞ妻の鑑として描いているのは、男には虫が良くて心地よいが、女には反感を買うかもしれない。
シリアスな状況設定だが、物語はコミカルに進み、思わず笑ってしまうシーンも多く、現代の感覚から見ても十分に楽しめる。
古き良き昭和の香り漂う成瀬の真骨頂を見せる作品で、昭和の良き女たちの情緒が漂い、英百合子の古風な色香がこれまた嬉しい。
妻失格の正妻だが、それを糧に新聞歌壇で活躍していて、夫に逃げられて流すのが、心を開けない自分の悲し涙なのか、妾に夫をとられた悔し涙なのか、はたまた歌心に心情を寄せることのできた嬉し涙なのか、判然としないところもまたいい。 (評価:3)
公開:1935年8月15日
監督:成瀬巳喜男 脚本:成瀬巳喜男 撮影:鈴木博 編集:岩下広一 音楽:伊藤昇
キネマ旬報:1位
中野実の戯曲『二人妻』が原作。商業映画としてアメリカで初めて公開された日本映画。
男(丸山定夫)には正妻と妾がいて、何かと堅苦しい東京の妻(伊藤智子)のもとを離れ、長野に住む芸者だった妾(英百合子)と暮らしてもう何年にもなる。
主人公は正妻の娘・君子(千葉早智子)で、婚約者(大川平八郎)の両親に父を紹介しなければならないという必要性と、母が仲人を引き受けてしまったことから妾宅を訪れ、父を帰京させるというのが物語の骨子。君子は当初、父を東京に引き留めるつもりでいたが、妾の父に対する献身にほだされ、母が建前でしか妻の役目を果たせないことを悟り、父が妾と暮らすことを許す。
夫婦の愛情の在り方について、結婚を前にした娘が自身と両親について考えるというテーマ設定になっていて、父と母は夫婦ではなく、父と妾が夫婦だという結論に至る。君子が非常に現代的な女に設定されていて、恋人に対して物怖じせずにずけずけモノを言う新しい女性像、自由恋愛による新しい夫婦の在り方を成瀬巳喜男は提示する。
それでは男女同権かといえば、恋人よりも高給取りの職業婦人の娘はともかく、妾のお雪は典型的な良妻賢母で、ヒモ同然の山師の夫に尽くし、これぞ妻の鑑として描いているのは、男には虫が良くて心地よいが、女には反感を買うかもしれない。
シリアスな状況設定だが、物語はコミカルに進み、思わず笑ってしまうシーンも多く、現代の感覚から見ても十分に楽しめる。
古き良き昭和の香り漂う成瀬の真骨頂を見せる作品で、昭和の良き女たちの情緒が漂い、英百合子の古風な色香がこれまた嬉しい。
妻失格の正妻だが、それを糧に新聞歌壇で活躍していて、夫に逃げられて流すのが、心を開けない自分の悲し涙なのか、妾に夫をとられた悔し涙なのか、はたまた歌心に心情を寄せることのできた嬉し涙なのか、判然としないところもまたいい。 (評価:3)
製作:松竹キネマ
公開:1935年6月15日
監督:島津保次郎 脚本:島津保次郎 撮影:桑原昴 美術:脇田世根一
キネマ旬報:3位
倒錯文学にしては田中絹代の清純なこいさんぶりが見どころ
谷崎潤一郎の小説『春琴抄』が原作。原作の発表は1933年で、本作が最初の映画化。以降、2008年までに計6回映画化されている。
琴を田中絹代、佐助を高田浩吉という大スターが演じ、最初の映画化、戦前という時代性もあり、純愛色の強いソフトな内容となっている。2回目の映画化となる伊藤大輔監督『春琴物語』(1954)の京マチ子の女王様ぶりや花柳喜章のマゾぶりに比べて、いささかきれいに描かれ過ぎていて、『春琴抄』に倒錯的恋愛の昇華を求める向きには物足りなさが残る。
盲目の商家の娘・琴は将来一人で身を立てるために琴と三味線を習うが、丁稚の佐助を専属の世話係に指名して片時も離さない。佐助は見よう見真似で手習いを覚えてしまい、琴は佐助を弟子にして専有する。
そうこうしているうちに琴は身籠ってしまい、原作では佐助の子と示されるが、本作では性的連想を避けて明確にされない。琴の父は佐助を婿にしようと考えるが、琴は身分違いを理由に受け入れず、頑なにこいさんとしてのプライドを守る。
琴の弟弟子・利太郎(斎藤達雄)が琴に袖にされたのを逆恨み、寝所に忍び込んで琴の顔に火傷を負わせる。琴は佐助にだけは傷ついた顔を見られたくないと頑なに拒み、ここに初めて佐助への恋心を明かす田中絹代の演技が上手い。
それを知った佐助は自らの目を針で刺して盲となり、琴と永遠の愛を誓って純愛物語は幕を閉じる。
倒錯文学にしては田中絹代の清純なこいさんぶりが見どころ。 (評価:2.5)
公開:1935年6月15日
監督:島津保次郎 脚本:島津保次郎 撮影:桑原昴 美術:脇田世根一
キネマ旬報:3位
谷崎潤一郎の小説『春琴抄』が原作。原作の発表は1933年で、本作が最初の映画化。以降、2008年までに計6回映画化されている。
琴を田中絹代、佐助を高田浩吉という大スターが演じ、最初の映画化、戦前という時代性もあり、純愛色の強いソフトな内容となっている。2回目の映画化となる伊藤大輔監督『春琴物語』(1954)の京マチ子の女王様ぶりや花柳喜章のマゾぶりに比べて、いささかきれいに描かれ過ぎていて、『春琴抄』に倒錯的恋愛の昇華を求める向きには物足りなさが残る。
盲目の商家の娘・琴は将来一人で身を立てるために琴と三味線を習うが、丁稚の佐助を専属の世話係に指名して片時も離さない。佐助は見よう見真似で手習いを覚えてしまい、琴は佐助を弟子にして専有する。
そうこうしているうちに琴は身籠ってしまい、原作では佐助の子と示されるが、本作では性的連想を避けて明確にされない。琴の父は佐助を婿にしようと考えるが、琴は身分違いを理由に受け入れず、頑なにこいさんとしてのプライドを守る。
琴の弟弟子・利太郎(斎藤達雄)が琴に袖にされたのを逆恨み、寝所に忍び込んで琴の顔に火傷を負わせる。琴は佐助にだけは傷ついた顔を見られたくないと頑なに拒み、ここに初めて佐助への恋心を明かす田中絹代の演技が上手い。
それを知った佐助は自らの目を針で刺して盲となり、琴と永遠の愛を誓って純愛物語は幕を閉じる。
倒錯文学にしては田中絹代の清純なこいさんぶりが見どころ。 (評価:2.5)
製作:松竹キネマ
公開:1935年06月29日
監督:衣笠貞之助 脚本:伊藤大輔 撮影:杉山公平
キネマ旬報:10位
林長二郎の女形の色気と中村座を再現したセットが見所
原作は三上於菟吉の同名小説。これまで幾度となく映画化・TV化された中の最初の映像化。監督は衣笠貞之助、主演は林長二郎(長谷川一夫)。主題歌は東海林太郎のヒット曲「むらさき小唄」。
濡れ衣を着せられて死んだ両親の仇を討つために、旅芸人の一座に育てられた雪太郎(長谷川)が仇をとるまでの物語。雪太郎は雪之丞を襲名し、一座の看板女形となって江戸に上るが、母親と瓜二つ、江戸では雪之丞とそっくりな義賊・闇太郎が仇討ちの助立ちをするということで、長谷川は三役をこなす。
天下の二枚目、色気のある男と評せられた長谷川の魅力がよくわかる映画だが、その演技力が当時群を抜いていたことも共演者との比較でよくわかる。
中村座を再現したセットが大きな見どころで、舞台で演じられる歌舞伎と観客の掛け声の間合いが最高に雰囲気がある。昔の歌舞伎小屋の粋を感じさせる演出は一見の価値あり。パンを使った場面転換も、暗転や幕引きを思わせて舞台風。役者の動きに合わせて移動・停止するカメラワークなど、衣笠のレイアウトや撮影技法も楽しめる。 (評価:2.5)
公開:1935年06月29日
監督:衣笠貞之助 脚本:伊藤大輔 撮影:杉山公平
キネマ旬報:10位
原作は三上於菟吉の同名小説。これまで幾度となく映画化・TV化された中の最初の映像化。監督は衣笠貞之助、主演は林長二郎(長谷川一夫)。主題歌は東海林太郎のヒット曲「むらさき小唄」。
濡れ衣を着せられて死んだ両親の仇を討つために、旅芸人の一座に育てられた雪太郎(長谷川)が仇をとるまでの物語。雪太郎は雪之丞を襲名し、一座の看板女形となって江戸に上るが、母親と瓜二つ、江戸では雪之丞とそっくりな義賊・闇太郎が仇討ちの助立ちをするということで、長谷川は三役をこなす。
天下の二枚目、色気のある男と評せられた長谷川の魅力がよくわかる映画だが、その演技力が当時群を抜いていたことも共演者との比較でよくわかる。
中村座を再現したセットが大きな見どころで、舞台で演じられる歌舞伎と観客の掛け声の間合いが最高に雰囲気がある。昔の歌舞伎小屋の粋を感じさせる演出は一見の価値あり。パンを使った場面転換も、暗転や幕引きを思わせて舞台風。役者の動きに合わせて移動・停止するカメラワークなど、衣笠のレイアウトや撮影技法も楽しめる。 (評価:2.5)
公開:1935年12月22日
監督:成瀬巳喜男 脚本:成瀬巳喜男 撮影:鈴木博 美術:山崎醇之輔 音楽:伊藤昇
キネマ旬報:8位
隠居の遊興で経営の傾いた酒屋の物語。
婿養子の主人(御橋公)にすでに妻は亡く、長女(千葉早智子)と店を切り盛りするが、義父の隠居(汐見洋)は酒と女と謡曲で遊び暮らす。現代娘の次女(梅園龍子)も同様、毎日小遣いをせびって遊び歩く。
長女は店の経営を立て直すために金持ち息子(大川平八郎)と見合いをし、結婚後の父を支えるために妾(伊藤智子)を後妻に迎えようとする。ところが、見合い相手は妹を気に入って内緒でデート。仕舞には妹を嫁に欲しいと言い出す始末で、長女は失意。さらに、妾を嫌っていた妹が、それが実の母と知らされて家を出ようとする。
そこに警官が現れて酒屋の主人を連行。どうやら酒に混ぜ物を入れて売っていたのがばれたらしい。
話はよくできていて面白いが、真面目に生きている婿養子の主人と長女、妾だけが割を食ってトコトン可哀想なのに、遊び人の義父と妹は能天気なままという、要領良く生きた者勝ちというシニカルな展開が、成瀬巳喜男作品としてはどうにもしっくりこない。
ラストシーンで、向かいの床屋で顔を当たっていた義父が、婿養子が警官に連れ去られるのを見て、看板が変わるだけだと他人事のように言うのも厭世的で、昭和恐慌後の不況と軍国主義に進む日本の沈んだ空気を感じさせる作品。
酒屋の主人の弟に藤原釜足、床屋の主人に三島雅夫。長女役の千葉早智子が上手い。 (評価:2.5)
東京の英雄
公開:1935年3月7日
監督:清水宏 脚本:荒田正男 撮影:野村昊 音楽:鈴川家潤
母子家庭の母と子の葛藤と和解を描いたサイレント映画で、戦前の風俗が窺えて面白いところもあるが、全体的に設定がステレオタイプなのがつまらない。
春子(吉川満子)は二人の子供を連れて、同じ子持ちの嘉一(岩田祐吉)と再婚するが、まもなく嘉一は投資詐欺事件を起こして姿を眩ましてしまう。この時、再婚のために、嘉一が新聞に求婚広告を出すというのが面白い。
シングルマザーとなった春子は、子供たちにはクラブ勤めだと言って働き出す。春子の帰りが遅くなるのは偉くなったからだという子供たちが可笑しい。
場面一転、子供たちが成長すると裕福な家庭となっていて、二人の息子は大学生。長女(桑野通子)を嫁にやるが、嫁ぎ先に春子の職業を知って返されてしまう。
不審に感じた次男(三井秀男)が母の働く店に行ってチャブ屋だと知り、実子二人は家を出てしまう。チャブ屋は売春絡みのダンスホールで、春子は店の経営者。
嘉一の連れ子の長男(藤井貢)は感謝していると春子を慰め、卒業して新聞記者となる。
取材中に街娼となった長女と出会い、次男もチンピラになっているのを知る。
用心棒となった次男は争いで死亡。用心棒を雇ったのが嘉一の投資会社だと知った長男は、これも親孝行と父の悪事を新聞に公表。賞をもらうが、春子はそのために大学に行かせたのではないと泣き崩れるというラスト。
実子二人は母を捨てるが、孝行息子となったが連れ子の方だったという、生みの親より育ての親の人情噺となっている。 (評価:2.5)
かぐや姫
公開:1935年11月11日
監督:田中喜次 撮影:円谷英二 美術:松岡映丘 音楽:宮城道雄
アニメーションと特撮を用いた実写ミュージカルで、撮影に特撮の神様・円谷英二、美術に日本画家・松岡映丘、音楽に邦楽の父・宮城道雄という錚々たるメンバーが制作に加わっている。さらに日本のアニメーションの父・政岡憲三が人形アニメを担当しているが、現存する輸出用に編集された33分の短縮版(オリジナルは75分)ではカットされているのが惜しい。
一流のスタッフで制作されているだけにクオリティは高い。とりわけ日本のミュージカルにありがちな泥臭さがなく、宮城道雄の邦楽をベースに洗練された作品になっている。
映像は円谷英二の撮影技術のエキシビジョンになっていて、平安期をイメージした特殊効果やミニチュア撮影、合成、クレーン撮影、とりわけ海のシーンの露出を絞った海面の重厚感が素晴らしい。
ストーリーは概ね『竹取物語』に沿っているが、かぐや姫(北澤かず子)が月に帰っていく結末ではなく、帰ったふりをして、竹取の翁・媼と思い人の息子(藤山一郎)と牛車で都を去って行くという、ファンタジーからは現実的なハッピーエンドになっている。
藤山一郎の歌唱は素晴らしいが、かぐや姫が美人でないのが残念なところ。宰相(横尾泥海男)の息子(徳山璉)がなびかないかぐや姫に対して、「たとえ一生かかっても来年の春までにはものにしてみせる」と言う台詞がお茶目。 (評価:2.5)
製作:松竹キネマ
公開:1935年12月10日
監督:五所平之助 脚本:伏見晁 撮影:小原譲治 美術:五所福之助 音楽:堀内敬三
キネマ旬報:6位
田中絹代の洋風な現代娘ぶりが見どころ
60歳の中流サラリーマン家庭を舞台にした小市民映画。
主人公の男(福島省三)には3人の娘と年の離れた末子の息子がいる。すでに長女(坪内美子)は医者(大山健二)、次女(田中絹代)は画家(小林十九二)に嫁いでいて、三女(水島光代)も軍人(佐分利信)との結婚式を挙げて南紀白浜の新婚旅行に。
3人を嫁がせて肩の荷が下りた男だが、家に戻ると10歳の息子(葉山正雄)がいて、あと10年働かなければならないとこぼし、年の離れた子供を作らなければよかったと言って妻(吉川満子)と喧嘩になる。
もとより父と息子の交流は薄く、怒った妻は息子を連れて家を出て次女の家に。ところが息子は学校を終えてうっかり元の家に帰ってしまい、父子の情を深めることになる。
それを知った母も元の家に向かい、元の鞘に収まる予感でエンドマークとなる。
子はかすがいという、これまた小市民なテーマでお茶を濁すが、家族それぞれの描写とそれぞれの関係が類型に過ぎて、今一つリアリティを伴わない。それこそが小市民的家族と小市民的ホームドラマだと言われれば、はいそうですかと引き下がざるを得ない。
ホームドラマというには長女の着物と日本髪が妙に違和感があって、まるで芸者のように見えて、時代性を感じさせる。次女を演じる田中絹代の洋風な現代娘ぶりが見どころか。 (評価:2)
公開:1935年12月10日
監督:五所平之助 脚本:伏見晁 撮影:小原譲治 美術:五所福之助 音楽:堀内敬三
キネマ旬報:6位
60歳の中流サラリーマン家庭を舞台にした小市民映画。
主人公の男(福島省三)には3人の娘と年の離れた末子の息子がいる。すでに長女(坪内美子)は医者(大山健二)、次女(田中絹代)は画家(小林十九二)に嫁いでいて、三女(水島光代)も軍人(佐分利信)との結婚式を挙げて南紀白浜の新婚旅行に。
3人を嫁がせて肩の荷が下りた男だが、家に戻ると10歳の息子(葉山正雄)がいて、あと10年働かなければならないとこぼし、年の離れた子供を作らなければよかったと言って妻(吉川満子)と喧嘩になる。
もとより父と息子の交流は薄く、怒った妻は息子を連れて家を出て次女の家に。ところが息子は学校を終えてうっかり元の家に帰ってしまい、父子の情を深めることになる。
それを知った母も元の家に向かい、元の鞘に収まる予感でエンドマークとなる。
子はかすがいという、これまた小市民なテーマでお茶を濁すが、家族それぞれの描写とそれぞれの関係が類型に過ぎて、今一つリアリティを伴わない。それこそが小市民的家族と小市民的ホームドラマだと言われれば、はいそうですかと引き下がざるを得ない。
ホームドラマというには長女の着物と日本髪が妙に違和感があって、まるで芸者のように見えて、時代性を感じさせる。次女を演じる田中絹代の洋風な現代娘ぶりが見どころか。 (評価:2)
製作:松竹キネマ
公開:1935年11月21日
監督:小津安二郎 脚本:池田忠雄、荒田正男 撮影:茂原英朗 美術:浜田辰雄 音楽:堀内敬三
キネマ旬報:9位
絶望的で陰鬱な気分しか残らない、希望のない作品
不況下で失業した父子を描く物語で、『出来ごころ』(1933)に始まる喜八を主人公とする作品の4作目最終作。
喜八(坂本武)は旋盤工の職を求めて東京下町の工場を訪ね歩くが、どこでも門前払いとなり、二人の幼い息子(突貫小僧、末松孝行)を抱えて、その日の食費と宿代にも困っている。
ある日、最後の金を夕食に使い野宿を決め込んだが、生憎の雨となり、飯屋の軒下で雨宿りしていると、そこが昔馴染みのおつね(飯田蝶子)の店だったことから、捨てる神あれば救う神ありで、おつねは一宿だけでなく仕事まで世話してくれる。
木賃宿で出会ったおたか(岡田嘉子)母娘と再会し、おたかを気にかけていた喜八が世話を焼くが、娘の君子が疫痢となり入院してしまう。
それを知った喜八はおつねに借金を頼むが、以前に借りた金も返していないために断られてしまう。喜八は思い余って強盗を働き、その金をおたかに届けるが、事情を知ったおつねに諭され、警察に出頭するというシーンで締め括られる。
「そしてひとつのたましひがすくはれました」という字幕が入るが、盗んだ金で君子の命が救われたとしても、それを喜八の善行とするには腑に落ちない、あまり後味の良いラストではない。
社会から落ち零れた人々を描く社会派作品とはいえ、ただその悲惨さだけしか描けてなく、宿無しという名の東京の宿という反語的なタイトルも含めて、絶望的で陰鬱な気分しか残らない、希望のない作品となっている。 (評価:2)
公開:1935年11月21日
監督:小津安二郎 脚本:池田忠雄、荒田正男 撮影:茂原英朗 美術:浜田辰雄 音楽:堀内敬三
キネマ旬報:9位
不況下で失業した父子を描く物語で、『出来ごころ』(1933)に始まる喜八を主人公とする作品の4作目最終作。
喜八(坂本武)は旋盤工の職を求めて東京下町の工場を訪ね歩くが、どこでも門前払いとなり、二人の幼い息子(突貫小僧、末松孝行)を抱えて、その日の食費と宿代にも困っている。
ある日、最後の金を夕食に使い野宿を決め込んだが、生憎の雨となり、飯屋の軒下で雨宿りしていると、そこが昔馴染みのおつね(飯田蝶子)の店だったことから、捨てる神あれば救う神ありで、おつねは一宿だけでなく仕事まで世話してくれる。
木賃宿で出会ったおたか(岡田嘉子)母娘と再会し、おたかを気にかけていた喜八が世話を焼くが、娘の君子が疫痢となり入院してしまう。
それを知った喜八はおつねに借金を頼むが、以前に借りた金も返していないために断られてしまう。喜八は思い余って強盗を働き、その金をおたかに届けるが、事情を知ったおつねに諭され、警察に出頭するというシーンで締め括られる。
「そしてひとつのたましひがすくはれました」という字幕が入るが、盗んだ金で君子の命が救われたとしても、それを喜八の善行とするには腑に落ちない、あまり後味の良いラストではない。
社会から落ち零れた人々を描く社会派作品とはいえ、ただその悲惨さだけしか描けてなく、宿無しという名の東京の宿という反語的なタイトルも含めて、絶望的で陰鬱な気分しか残らない、希望のない作品となっている。 (評価:2)
弱虫珍選組
公開:公開不詳
作画:中野孝夫、八住紫郎、市川義一、宮崎和夫 撮影:平泰陣、黒川時雄 音楽:藤堂顕一郎
2014年にアメリカで発見された9分のアニメーション映画。市川義(儀)一は市川崑の本名で、J・Oスタジオトーキー漫画部のアニメーター4人のうちの1人として参加している。
花より團子シリーズの第三話で、少年侍・團子之助が主人公。高下駄を履いた乱暴者の侍と捕物役人を相手に喧嘩、鐘楼の鐘を落とされて劣勢になるものの、相手を投げ飛ばして鐘撞の棒にして懲らしめるというシンプルな物語で、トーキーとはいえ台詞はほとんどなく、劇伴中心のサイレントに音楽をつけただけのものに近い。
『蒸気船ウィリー』(1928)など、当時のディズニーに比べるとトーキー・アニメーションの習作の域を出ず、観客に見せるものにはなっていない。動きとデフォルメについてテストするアニメ研的漫画コントでしかなく、シナリオや演出については未開。アニメとしては子供騙しだが、果たして当時の子供たちはこれを見て楽しめたのか?
アニメーションの草創期を研究する歴史的価値以外には、作品として楽しめるものはなく、評価の対象外。 (評価:─)