海月衛 映画帖
~映画の大海原をたゆたう~

日本映画レビュー──1930年

その夜の妻

製作:松竹キネマ
公開:1930年7月6日
監督:小津安二郎 脚色:野田高梧 撮影:茂原英雄

ハリウッド映画のようにハードボイルドでセンチメント
 犯罪ドラマで、オスカー・シスガル(Oscar Schisgall)の短編小説"Nine to Nine"が原作。
 父が子の医療費を稼ぐために銀行強盗をし、今夜が峠の子を看病するために家に戻るが、そこに刑事が現れたため、妻が銃で脅して刑事を軟禁。ところが疲れから居眠りをしてしまい立場は逆転。刑事は温情から朝を待つ。
 朝になり、峠を越えた子は回復。逮捕の時を迎えるが、葛藤した刑事は寝たふりをして夫を逃がす。ところが夫は自首。このまま逃げ回るより、刑に服して堂々と子を胸に抱きたいと殊勝な台詞で締める…というO.ヘンリーのような人情ドラマ。
 もっともストーリーには穴が多く、銀行強盗後に街を逃げ回った父をタクシー運転手に化けた刑事が乗せて家を突き止めるが、忙しい最中にタクシー運転手に化ける手間暇があるのかとか、正体不明の犯人をどうやって確認したのかとか、そもそもなぜそのような回りくどいことをするのかとか、なぜ妻だけが刑事を見張って夫は看病に掛り切りなのかとか、そんな状況で妻が居眠りするかとか、今夜が峠の割には子供が元気といった疑問が多い。
 サイレントだという点を割り引いて矛盾点を忘れて観ると、冒頭の夫のビル街での逃走劇はまるでハリウッド映画のようにハードボイルドで、カッコいい。
 純和風の小津調を見慣れた目からは新鮮で、小津安二郎の洋風演出の才覚に驚かされる。そのくせコンポジション、カット、編集、そして感情表現を丁寧に描く小津らしさが確認でき、最後は善行の勧めで終わるのも小市民か。
 アメリカ映画の演出を真似たセンチメントともいえるが、小津調の人間心理のリアリズムの出発点を確認できる。 (評価:2.5)

製作:帝国キネマ演芸
公開:1930年2月6日
監督:鈴木重吉 脚色:鈴木重吉 撮影:塚越成治
キネマ旬報:(現代映画)1位

最後に神を否定し社会主義作品として漸く体面を保つ
 藤森成吉の同名戯曲が原作のサイレント映画。1992年にロシアでプリントが発見されたが、プロローグとエピローグが欠落、テキストで補った修復版のみが残存。
 社会主義思想の影響を受けた作品で、貧しい少女・すみ子(高津慶子)の苦難の生涯を年代記に描く。
 まずは14歳で天涯孤独となったすみ子が鉄路を行くシーンだが、これはテキスト。親切な車夫(片岡好右衛門)に助けられて一宿一飯の後、町に住む伯父の家を訪ねるが、父からの手紙を読んだ伯父は父の自殺を教えずに礼金だけを抜き取り、学校に行かせると偽って曲馬団に売る。
 曲馬団長や団員の苛めや横暴に耐え兼ね、団員の新太郎(海野龍人)と脱走。ところが新太郎が交通事故に遭って行方不明に。すみ子は詐欺師の手先に使われ、老人と浮浪者のための養育院に保護。議員の家の女中になるも非道な奥様とお嬢様に歯向かってクビ。次に琵琶法師(藤間林太郎)の女中となって偶然新太郎と再会するも、師匠に手籠にされそうになって脱出。
 新太郎を訪ね夫婦となり束の間の幸せを得るが、劇団員の新太郎は仕事がなくなり万策尽きて入水心中。ところが助かってしまい、今度はキリスト教施設・天使園に。新太郎も助かったことを知って手紙を出そうとしてシスターに見つかってしまう。ここからは再びテキストで、罪を許さない神を罵って教会に放火。八百屋お七の如く狂乱してお縄となる。
 社会主義作品として見るとブルジョアジーは議員くらいで、後はすみ子を食い物にするのは支配階級ではなくただの悪人ばかり。どこが社会主義なのだと思想的未熟さしか見えてこないが、最後に神の否定、宗教の否定によって、漸く体面を保っている。
 全体にはステレオタイプな設定や描写ばかりで、物語としては面白味に欠ける。 (評価:2.5)

落第はしたけれど

製作:松竹キネマ
公開:1930年4月11日
監督:小津安二郎 脚本:伏見晁、小津安二郎 撮影:茂原英雄

ハリウッド・コメディを意識しているが今一つ垢抜けない
 『大学は出たけれど』(1929)に続く、大学生の就職難の時代を背景にしたサイレント・コメディで、卒業試験と就職に翻弄される学生たちを描く。
 主人公(斎藤達雄)とその仲間たちは、卒業試験をカンニングでパスすることしか考えないという劣等生グループ。  あの手この手のカンニングを試みるが上手くいかず惨敗。主人公を除くほかの連中は一夜漬けで翌日の試験に臨むが、主人公は試験は要領とばかりに、シャツをカンニング・ペーパーにとみっちり書き込むが、その姿を喫茶店の娘(田中絹代)は猛勉強と勘違い。これだけ勉強すれば大丈夫と励ます。
 ところが下宿屋の小母さん(二葉かほる)にシャツをクリーニングに出されてしまい、主人公は答案用紙を前に敢え無く撃沈。発表された卒業試験の合格者名簿から外れて落第してしまう。
 ところが卒業組は折からの不況に就職浪人。落第して新学期を迎える主人公を見て、大学に戻りたいと嘆くという世の中を皮肉るオチになっている。
 設定はハロルド・ロイドの『ロイドの人気者』(1925)に似て、ハリウッド・コメディを意識しているが、今一つ垢抜けない内容。ギャグも稚拙で今一つ冴えない。
 卒業組に笠智衆が出演している。 (評価:2)

製作:松竹キネマ
公開:1930年11月15日
監督:牛原虚彦 脚本:村上徳三郎 撮影:水谷至宏
キネマ旬報:(現代映画)2位

大玉をみんなで押し合い圧し合いするスポーツが謎
 子供たちが成人している男寡の内務大臣の家に、後妻がやってきたことから巻き起こる騒動を描く、193分のサイレント映画。
 専横を振るう後妻(吉川満子)とそりの合わない長男・茂(鈴木傳明)と次女・梢(田中絹代)が実家を出て、滝野川に部屋を借り、茂は隣の平吉(小林十九二)の紹介で東洋新聞勤務に。たまたま編集長が学友の児島(岡田時彦)で、茂の父(藤野秀夫)のスキャンダルを追うことになる。
 茂が恋した平吉の妹・弓子(川崎弘子)が、東洋新聞営業部長・赤沢(坂本武)の妾にされてしまったり、父のスキャンダルの張本人が後妻で、贔屓の小説家・香取(山内光)の事業資金稼ぎのために長女・二葉(筑波雪子)を抱き込んで、実業家夫人(谷崎竜子)に公共工事の機密情報を流したりといった話が並行する。
 ストーリーの中身の割にテンポがゆっくりで、とりわけ兄妹が下宿するまでが退屈。田中絹代の演技力で茂と梢が兄妹以上に仲が良すぎて、恋人に見えてしまうのがご愛敬。
 サイレントということもあって吉川満子ら悪女3人の演技が類型的だったり、字幕が説明的で長すぎたりと、シナリオの出来は良くない。ラストに至っては、罪を憎んで人を憎まずと妙な博愛主義で、横領女の罪まで不問にするという腑抜けた結末。
 茂が気の狂った弓子と結婚して愛の力で正気に戻し、梢も児島と結婚して危険な兄妹愛を解消。二葉も誰かと結婚して、引退した父夫婦と湖畔の家で仲睦まじい二世帯同居という、シリアスなドラマの割には無茶苦茶なハッピーエンドとなっている。
 児島の丸いサングラスが現代的で、ちょいイカス。
 冒頭、茂の高校でのスポーツシーンから始まるが、ラグビーかと思いきや運動会の大玉送りのように大きな玉で、みんなで押し合い圧し合いする。あのスポーツが何だったのかが最後まで謎。 (評価:2)

朗らかに歩め

製作:松竹キネマ
公開:1930年3月1日
監督:小津安二郎 脚色:池田忠雄 撮影:茂原英雄

修身の教科書のように優等生過ぎてつまらない
 原案・清水宏、監督・小津安二郎のヤクザ映画となれば、ヤクザが更生するお約束の話にしかならないのは明白で、清純な女に惚れたヤクザが堅気を目指すものの、ヤクザ仲間に邪魔をされ、昔の悪事? をチクられて逮捕されるが、過去の汚れをきれいに洗い流すべく素直に収監され、真面目にお勤めを果たして晴れて出所。将来を約束した清純な女に温かく迎えられるというヒューマン・ストーリーのサイレント映画。
 清純な女・やす江を演じるのが川崎弘子という適役で、主人公・謙二の高田稔ならずとも進んで更生したがるという予定調和な展開が、修身の教科書のように優等生過ぎてつまらない。
 やす江を手籠にしようとする社長(阪本武)が登場するのも定番で、和風美人の川崎弘子と対照に謙二のヤクザな恋人にモガの伊達里子というのも破綻がない。
 自動車、ゴルフ、ビリヤード、ホテルとアメリカナイズされたドラマ設定で、小津安二郎がモダニズムを前面に出すが、演出自体は平板で感情表現が丁寧というかまどろこしい。どれをとっても平均点で作られた作品になっている。 (評価:2)

製作:松竹キネマ
公開:1930年12月12日
監督:小津安二郎 脚本:北村小松 撮影:茂原英雄
キネマ旬報:(現代映画)2位

 フィルム現存せず(サイレント)

製作:日活太秦
公開:1930年7月15日
監督:伊藤大輔 脚本:伊藤大輔 撮影:唐沢弘光
キネマ旬報:(時代映画)3位

 断片プリントのみ(サイレント)