海月衛 映画帖
~映画の大海原をたゆたう~

外国映画レビュー──2018年

製作国:イギリス、ニュージーランド
日本公開:2020年1月25日
監督:ピーター・ジャクソン 製作:ピーター・ジャクソン、クレア・オルセン 音楽:デヴィッド・ドナルドソン、ジャネット・ロディック、スティーヴ・ローシュ

戦争を追体験するある種のヴァーチャルリアリティ
 原題"They Shall Not Grow Old"で、彼らは年をとらないの意。イギリスの詩人ローレンス・ビニョンの詩"For the Fallen"(倒れた者たちのために)の詩句 "They shall grow not old, as we that are left grow old" (残された我々が年をとっても、彼らは年をとらない)からの引用で、"For the Fallen"は、第一次世界大戦西部戦線のイギリス海外派遣軍の戦死者に敬意を表して書かれた。
 ロアルド・ダールに、第二次世界大戦で戦死した英国空軍パイロットについて書かれた同じタイトルの短編小説がある。
 イギリス帝国戦争博物館に所蔵されていた第一次世界大戦の記録映像を編集してまとめたドキュメンタリー映画で、映像を解説する形でBBCが保有する退役軍人たちのインタビューが流れる。
 フィルムは修復・リマスターされて鮮明になっており、冒頭の出征前とエピローグの帰還後の映像はモノクロで、ニュース映画風に枠で小さく囲んでいる。大陸に渡ってからのヨーロッパ戦線は、フルスクリーンでフルカラーに着色されていて、ニュース映画風のモノクロ映像が現在から過去を見る形なのに対し、戦争場面のカラー映像は現在形で感じるように演出されている。
 カラーパートに入った当初は、劇映画を見ているような不思議な感覚にとらわれる。前線後方での兵士たちの日常や会話はドラマのように平和で、前線に送り出されて戦闘が始まってからも戦争映画を見ているような非現実的な感覚が続く。それが、着弾する砲弾や地面を吹き飛ばす地雷、兵士たちの死体が映るにつれて、俄かに現実感が迫ってくる。
 そこからはある種のヴァーチャルリアリティで、塹壕内の生活や移動、戦闘など前線での戦いを実感を持って追体験することになる。
 プロローグで、ゲームに参加するような感覚で志願したと語った元兵士たちが、エピローグでは、実際の戦争は恐怖だけだった、それは戦争に参加したものでなければわからないと述懐する。
 そして帰還した兵士たちを待っていたのは、志願しない若者を臆病者と蔑んだ者たちの掌を返したような冷たい視線。中には戦争があったことなど忘れたかのような者もいる。戦争初期の国民の高揚と狂気は、戦争が終われば潮が引いたように冷めてしまう。狂気に乗せられた者だけが取り残され、戦争が終わって居場所が失われたことを知る。
 ここで思い出すのはベトナム帰還兵との類似で、戦争は極限状態を経験した兵士たちに虚無しか残さないことを教える。
 戦争の様々な側面、兵士だけでなく銃後の国民たちの罪業をもまた見せてくれる。戦争は何ももたらさない、という元兵士の言葉が重い。
 記録映像と共に元兵士たちのインタビューが切れ目なく流れるため、字幕を追うのが忙しい。だからといって吹替ではだめで、戦争に参加した元兵士たちの肉声でしか伝わらないものがある。 (評価:3.5)

製作国:中国
日本公開:2019年11月2日
監督:フー・ボー 脚本:フー・ボー 撮影:ファン・チャオ 音楽:ホァ・ロン
キネマ旬報:9位

中国近代化から落ち零れた地方都市生活者の閉塞感
 原題"大象席地而坐"で、地べたに座っている象の意。
 河北省の省都、石家荘市に住む希望なき都市生活者4人の物語。
 ブー(パン・ユーチャン)は底辺校に通う高校生で、障碍者の父とも仲が悪く家出を考えている。高校が廃校になると副主任から聞かされ、退学して将来は屋台の売り子になる人生だと言われる。親友のカイが携帯泥棒の嫌疑を掛けられたのを庇い、誤って不良のシュアイを死なせて殺人犯として逃亡。その途中、逃走資金を作るために老人のジン(リー・ツォンシー)にビリヤードのキューを売る。
 ジンは娘夫婦と暮らしているが、孫娘を文教地区の学校に通わせるために転居したいという理由で、老人ホームへの入居を求められている。
 ブーのクラスメイトのリン(ワン・ユーウェン)は荒んだ生活を送る母との二人暮らし。副主任と不倫していて、カイが盗んだシュアイの携帯の動画が流出し、家に怒鳴り込んできた主任の妻をバットで殴って逃走する。
 シュアイの兄のチェン(チャン・ユー)はチンピラのリーダー。親友の妻を寝取ってしまい、目の前で親友が飛び降り自殺。シュアイの仇を討つように母親に頼まれるが、クズだらけの環境に嫌気がさしていて、満州里の動物園で一日座っているだけの象に会いたいというブーを逃がしてあげる。
 こうしてブー、リン、孫娘を連れたジンがそれぞれの思いを胸に駅に集まるが、列車は運休。潘陽経由の長距離バスで満州里を目指そうというブーとリンに、どこに行っても同じというのが長い人生経験の結論だと言って、ジンは孫娘と共に帰ろうとする。
 ブーは追いかけて行ってジンを引き留め、2300キロ先にいる一日座っている象に答えを求めて旅立つという物語。夜中に休憩所に立ち寄ったバスから降りた四人が、ブーが唯一得意だという羽根蹴りをしている様子を遠景で捉えて終わる。
 満州里はロシアと国境を接する交易都市。地方都市の閉塞感から国境の街を目指すが、そこにあるのも希望という蜃気楼の中の閉塞感という暗喩が、一日座っているだけという象から汲み取れる。
 従来の中国映画の経済的な格差社会ではなく、近代化によってドロップアウトする人たちの格差社会が描かれているのが特長。とりわけ妙に哲学的なチンピラのチェンがその歪みを象徴していて、人々の閉塞感を生み出す体制への批判を読み取ることもできる。
 ほぼ1シーン1カットで撮影されているが、人物の息詰まるような内面的緊張感が伝わってきて、約4時間の長尺ながら時間を感じさせない。
 フー・ボー監督の初の長編作品だが、本作の閉塞感を体現するように完成後に自殺している。 (評価:2.5)

製作国:オーストリア、ドイツ
日本公開:2019年5月31日
監督:ニコラウス・ライトナー

束縛された精神に対する少年の失意が哀しい
 原題"Der Trafikant"で、タバコ屋の意。ローベルト・ゼーターラーの同名小説が原作。
 1937年、オーストリアの田舎からナチズムの台頭するウィーンに出てきた17歳の少年フランツ(ジモン・モーツィ)は、母の元恋人オットー(ヨハネス・クリシュ)が経営するタバコ店で働き始める。
 オットーは傷痍軍人で反ナチの自由主義者。ユダヤ人も共産主義者の来店を拒まないため、親ナチの連中から睨まれている。顧客の一人がユダヤ人で心理学者のフロイト(ブルーノ・ガンツ)で、親しくなったフランツは、上京の列車で見初めた娘アネシュカ(エマ・ドログノヴァ)との恋の相談相手になってもらう。
 ノンポリの田舎者だったフランツが、この3人との関わりを通して成長し自己を確立していく。
 オーストリアがドイツに併合されると、オットーは警察に逮捕されてしまう。フランツが代わりに店を守ることになる。
 フロイトには恋の悩みの対処法として見た夢を日記につけるように言われるが、オットーの逮捕後はナチズムに対する抵抗としてそれを店頭に張り出す一方、フロイトにロンドン亡命を進言する。
 アネシュカはボヘミア出身で、生活のために寄席でストリッパーをしていた。ナチを揶揄して笑いを取る芸人の恋人がいることがわかり失恋するが、再会すると芸人は逮捕されていて、代わりに親衛隊員を恋人にしていた。
 やがてオットーは殺され、フランツは3者との個人的な関係性の中からナチに反抗し、最後には彼自身が逮捕されてしまう。
 街の小さなタバコ屋を舞台に、ノンポリの少年の目を通してナチズムを描いた作品で、民族の自由は精神の自由によってもたらされるというテーマが語られる。
 ナチズムに侵されていく不安、恋への不安を少年の夢を通してフロイト流に描き出していくが、その不安な心こそが精神の自由の脆さでもあって、生きるために精神の自由を奪われた人々、とりわけアネシュカの束縛された精神に対する少年の失意が哀しい。 (評価:2.5)

製作国:アメリカ
日本公開:2019年3月1日
監督:ピーター・ファレリー 製作:ジム・バーク、チャールズ・B・ウェスラー、ブライアン・カリー、ピーター・ファレリー、ニック・ヴァレロンガ 脚本:ニック・ヴァレロンガ、ブライアン・カリー、ピーター・ファレリー 撮影:ショーン・ポーター 音楽:クリス・バワーズ
キネマ旬報:5位
アカデミー作品賞

ハリウッド的ハッピーエンドが予定調和的
 原題"Green Book"で、劇中に登場するヴィクター・H・グリーンによって書かれた黒人ドライバーのための旅行ガイドブック"The Negro Motorist Green Book"のこと。1936~66年まで発行され、黒人が利用できる宿泊施設・レストラン・ガススタンドなどが書かれていた。
 1962年、失業中のトニー・ヴァレロンガ(ヴィゴ・モーテンセン)が運転経験とボディガード経験を買われて、黒人ジャズピアニスト、ドン・シャーリー(マハーシャラ・アリ)のアメリカ南部ツアーの運転手を務めた実話を基にした作品。人種差別主義者だったヴァレロンガが、シャーリーと行動を共にするうちに互いを理解し合い、黒人差別の理不尽さを実感しながら友情を深めていく話になっている。
 イタリア系白人のヴァレロンガが下品で貧しく無学、ジャマイカ系黒人のシャーリーが上品で豊かでインテリという、当時の常識を逆転した関係がよく出来ていて、ヴァレロンガが黒人に対する偏見を改めていく過程、黒人の中の白人であるシャーリーの孤独と内なる偏見の克服により、二人が互いの壁を乗り越える。
 終盤、シャーリーが黒人としてのアイデンティティを取り戻し、孤高であることをやめてヴァレロンガの家族の中に入っていくハリウッド的ハッピーエンドが予定調和的で、それまでのシャーリーの孤独を浅いものにしてしまったのが残念。ツアーでの黒人差別との戦いを終え、ヴァレロンガと友情を得てもなお残る人種差別、黒人の中の白人の孤独を描いてほしかった。
 シャーリーが南部ツアーに出た動機もそれほど明確には描かれてなく、黒人差別との戦いだったのか、黒人への偏見をなくす伝道師だったのか、はたまた似非白人文化人を嘲笑するためだったのか、人種差別主義者への自己アピールと挑発だったのか、今一つはっきりとしない。
 それでも心を浄化するものが残るのは、アカデミー助演男優賞受賞のマハーシャラ・アリよりもむしろ主演男優賞を逃したヴィゴ・モーテンセンの粗野だが自分に素直に生きる好漢の演技に負うところが大きい。 (評価:2.5)

製作国:ポーランド、イギリス、フランス
日本公開:2019年6月28日
監督:パヴェウ・パヴリコフスキ 製作:ターニャ・セガッチアン、エヴァ・プシュチンスカ 脚本:パヴェウ・パヴリコフスキ、ヤヌシュ・グロワツキ、ピョートル・ボルコフスキ 撮影:ウカシュ・ジャル 美術:カタジーナ・ソバンスカ、マルセル・スラヴィンスキ
キネマ旬報:7位

子持ちながら神の前では初婚という純潔の証明
 原題"Zimna Wojna"で、冷戦の意。最後にパヴェウ・パヴリコフスキの両親への献辞が捧げられているが、母親は元バレエダンサーで両親の人生に触発されている。
 第二次大戦後の1940~60年代の物語で、ポーランドの民族音楽家と若い歌手の悲恋を描く。二人は冷戦によってフランスとポーランドに引き裂かれ、最後は永遠の愛を誓って心中するという『ロミオとジュリエット』のような展開を取るが、一見通俗的な悲恋物語も冷戦というフィルターと、民族音楽の美しい歌唱によって心に響く作品になっている。
 二人は音楽舞踊団のオーディションで出会い、音楽監督のヴィクトル(トマシュ・コット)はズーラ(ヨアンナ・クーリク)に惹かれて合格させる。二人はすぐに恋愛関係になるが、当局から演目に共産主義や指導者を礼賛する歌を入れるように仕向けられ、東ベルリン公演の際、ヴィクトルはズーラを亡命に誘う。
 ズーラの決心がつかず二人は離れ離れとなるが、忘れられないズーラは党関係者と結婚して合法的にパリに出国。ヴィクトルとアルバムを作るが、ヴィクトルと女の訳詞者との関係に嫉妬して帰国。逮捕覚悟でポーランドに渡ったヴィクトルは収監される。
 数年後、ズーラの助力で出所したヴィクトルは、共産化で廃墟となっている村の教会で二人だけの結婚式を行い、服毒心中する。もっとも、服毒後に二人が歩き回るので、自殺かどうかがわかりにくい。
 ズーラはカトリック教徒で、当局に対しては信心を否定しているが、子持ちながら神に宣誓した結婚はこれが初めてというのが、ズーラ=ジュリエットとしての純潔の証明となっている。
 冷戦下で静かに燃える純愛を演出するための、情感を排したモノクロ映像が効果的。 (評価:2.5)

製作国:メキシコ
日本公開:2019年3月9日
監督:アルフォンソ・キュアロン 製作:ガブリエラ・ロドリゲス、アルフォンソ・キュアロン、ニコラス・セリス 脚本:アルフォンソ・キュアロン 撮影:アルフォンソ・キュアロン 美術:エウヘニオ・カバイェーロ
キネマ旬報:8位
アカデミー外国語映画賞 ヴェネツィア映画祭金獅子賞

男に捨てられた二人の女が自立と再出発を図る物語
 原題"Roma"で、メキシコシティにあるコロニア・ローマのこと。監督のアルフォンソ・キュアロンの半自伝的物語。
 1970年前後、コロニア・ローマにあるヨーロッパ風の邸宅に住む中流階級の家庭が舞台。家政婦クレオ(ヤリッツァ・アパリシオ)を主人公に雇い主の家族との交流を描く。
 1970年頃の映画を見るようなモノクロ映像、ロングショット、固定カメラと長回しのパンのカメラワークなど、静謐で正統的な演出が良き時代のノスタルジックな感傷を呼び覚ます。
 夫婦と子供4人、祖母の幸せそうな家庭で、家政婦のクレオは子供達のナニーでもある。
 この一家の中の男に捨てられた二人の女が、物語の主軸となる。
 その一人、クレオはボーフレンドのフェルミン(ホルヘ・アントニオ・ゲレーロ)に妊娠したことを告げた途端、逃げられてしまう。もう一人は女主人のソフィア(マリーナ・デ・タビラ)で、夫アントニオ(フェルナンド・グレディアガ)は出張と偽って愛人のもとに去ってしまう。
 クレオはフェルミンの居所を突き止めるが絶縁を宣告され、望まない子供を死産したことで、一方のソフィアは子供達に真実を告げたことで、自らの再生を図ることができる。
 物語は淡々と進むが、二人の女が主従の関係を超えて共鳴し支え合っていく姿が心を温かくする。それぞれが男に捨てられた試練を克服し、自立と再出発を図る女の物語となっている。
 冒頭、水に濡れた床に飛行機が横切るのが映り、ラストでもクレオの背後の空を横切るなど、飛行機が象徴的に扱われる。コロニア形式の建物や山火事のシーンなど映像的にも見どころは多く、とりわけ死産のシーンの描写が丁寧。
 劇中描かれるデモの騒乱は、1971年に起きた民主化を求める学生と対峙する民兵組織ロス・アルコネスとの衝突で、フェルミンはロス・アルコネスの一員だったことが明かされる。 (評価:2.5)

製作国:韓国
日本公開:2019年2月1日
監督:イ・チャンドン 脚本:イ・チャンドン、オ・チョンミ 撮影:ホン・ギョンピョ 音楽:モグ
キネマ旬報:10位

不確かさが不思議と心地よい幻想的な物語
 原題"버닝"で、燃焼の意。村上春樹の『納屋を焼く』ほかの短編小説が原作。
 小説家を目指すフリーターの青年ジョンス(ユ・アイン)が、幼馴染のヘミ(チョン・ジョンソ)と出会ったことから始まる現実とも虚構ともつかない幻想的な物語。ヘミの海外旅行中に猫の世話を頼まれるが、実際には猫は存在せず、「存在しないことを忘れれば存在することになる」というテーゼが、全体のテーマにもなっている形而上学的作品。
 このテーゼはヘミがパントマイムをするときにも語られ、途中で煙のように消えてしまうヘミの存在そのものにも敷衍される。
 ヘミが海外旅行から連れて帰る高等遊民の金持ちベン(スティーヴン・ユァン)についても同様で、監督のイ・チャンドンは韓国の若者たちが「存在しないものをあたかも存在するように追い求めている」と語っているようにも思える。
 ジョンスは整形して美人になったヘミを幼馴染のヘミと同一として認識し得てなく、彼女の語る過去も存在するかどうか不明となる。コリアン・ドリームの体現者で、ポルシェに乗り毎日をパリピとして暮らすベンもまたその実像は不確かで、幻想のように思えてくる。
 不確かな現実に翻弄されるジョンスは、謎だらけの世の中に小説を紡ぐことができず、幻想の象徴的存在であるベンを抹殺することで、幻想の物語に幕を下ろす。
 ベンは存在意義のなくなったビニルハウスを焼いていると語るものの、それは現実ではなく観念で、最後にジョンスがポルシェ=ビニルハウスを焼くことでベンを消失させるというメタファーになっているが、存在しないものを焼くことで現実に立ち返るという結論のようにも見える。
 どこまでが現実なのかわからなくなる幻想的作品だが、その不確かさが不思議と心地よい。
 ベン役のスティーヴン・ユァンはテレビドラマ『ウォーキング・デッド』のグレン・リー役の韓国系アメリカ人で、上手いのか下手なのかはわからないが韓国語で話す。 (評価:2.5)

誰もがそれを知っている

製作国:スペイン、フランス、イタリア
日本公開:2019年6月1日
監督:アスガー・ファルハディ 製作:アレクサンドル・マレ=ギィ、アルバロ・ロンゴリア 脚本:アスガー・ファルハディ 撮影:ホセ・ルイス・アルカイネ 美術:クララ・ノタリ 音楽:ハビエル・リモン

家族の形と脆さを描くがサスペンスとしては煮え切らない
 原題"Todos lo saben"で、邦題の意。
 妹の結婚式出席のためにアルゼンチンからスペインの田舎町に帰省した次女の一家の娘イレーネが、結婚パーティの最中に誘拐されるというサスペンス映画だが、実は家族愛がテーマという『別離』(2011)、『セールスマン』(2016)のイラン監督アスガー・ファルハディらしい変化球のヒューマン・ドラマ。
 犯人不明のまま物語は進むが、脅迫メールがイレーネ(カーラ・カンプラ)の母ラウラ(ペネロペ・クルス)だけでなく、元恋人パコ(ハビエル・バルデム)の妻ベア( バルバラ・レニー)にも送られてくるところから、顔見知りの犯行と疑われる。一方、金持ちと思われていたラウラの夫アレハンドロ(リカルド・ダリン)が破産していて結婚式に来てなく、イレーネがパコの甥に駆け落ちを持ちかけるなど狂言の可能性もあり、イレーネがラウラとパコの子だということが明らかになるに至って犯人像が混沌とする展開が上手い。
 終盤、観客に対して唐突に犯人が示されるが、物語の中では犯人不明のままイレーネが解放されて終わるという、サスペンスとしてはやや煮え切らないものになっている。
 ファルハーディーの狙いは、犯人探しを通して実父と養父の愛情と家族の形を描くとともに、ラウラの両親や同居する姉の一家、パコの夫婦も含めて家族の関係の脆さも浮き彫りにする。
 タイトルは、イレーネがラウラとパコの子だということをパコ以外はみんな町の噂で知っていたというものだが、ドラマ展開上は若干不自然さが残るのと、犯人らしくない者が犯人という常道を踏みながらも、犯人がつまらないというのがサスペンスとしては期待外れになっている。 (評価:2.5)

フリーソロ

製作国:アメリカ
日本公開:2019年9月6日
監督:エリザベス・チャイ・ヴァサルヘリィ、ジミー・チン 製作:エリザベス・チャイ・ヴァサルヘリィ、ジミー・チン、エヴァン・ヘイズ、シャノン・ディル 撮影:ジミー・チン、クレア・ポプキン、マイキー・シェーファー 音楽:マルコ・ベルトラミ

見るべきは死線と対峙するA・オノルドのサムライ魂
 原題"Free Solo"で、ザイルなどの登攀器具を用いずに単独で岸壁を登るフリー・クライミングのこと。
 ロッククライマーのアレックス・オノルドが、アメリカ・ヨセミテ国立公園にある岩山エル・キャピタンのフリーソロ・クライミングに挑戦するドキュメンタリー・フィルム。アカデミー長編ドキュメンタリー賞受賞。
 興味深いのはアレックスの生い立ちと家庭環境で、子供の頃から人付き合いが苦手で独りを好み、バンで暮らしながらアメリカ各地の岩山をキャラバンしている。父親とのクールな関係。成功以外はすべて失敗が信条の母親。そこには距離を置いた親子関係があって、アレックスの単独主義への道程が見える。もっとも幼少からクライミングジムに通っているので、クライミングの家庭環境は整っていたのだろう。
 死と隣り合わせのフリーソロをサムライに譬えているのも面白く、鍛錬と集中力、孤独と求道、道を究めることに目的を見出す武士道と相通じるものがあるのかもしれない。
 その際、障害となるのが女で、恋人サンニがラスベガスにスイート・ホームを築き、アレックスの心に邪念を引き起こす。エル・キャピタン登頂前、彼女が姿を隠すことでアレックスの決心を呼び覚ます。
 ドキュメンタリーの撮影スタッフもアレックスが無心になれない原因の一つで、これまた視界から姿を消すことで登頂を成功に導く。
 それにつけてもアレックスのサムライ魂は見事で、心技一体となった瞬間に彼は死線を潜って道を切り開く。
 併せてカメラマンの撮影技術も見事で、美しくも神々しい映像がアレックス同様に神業。撮影方法を想像してみるのも楽しい。 (評価:2.5)

SHADOW 影武者

製作国:中国
日本公開:2019年9月6日
監督:チャン・イーモウ 製作:エレン・エリアソフ、チャン・チャオ 脚本:チャン・イーモウ、リー・ウェイ 撮影:チャオ・シャオティン 美術:マ・グァンロン 音楽:ラオ・ツァイ

伝統と様式美を描く一幅の中国絵巻を見るような趣
 原題"影"。
 舞台は戦国時代。炎に領土を奪われた小国・沛の王(チェン・カイ)は同盟による和平を望むが、重臣・都督(ダン・チャオ)が王の命に背いて領土奪還のため炎の将軍・楊蒼(フー・ジュン)にタイマン勝負を挑む。ところが実は都督は病気で、表にいるのは瓜二つの影武者(ダン・チャオの2役)。しかも奪われた土地には母がいて、母恋しの思いを都督の領土奪還に利用されているという設定。
 沛王は影武者の存在に気づいていて、かつ重臣に炎の内通者がいて、表裏の都督を含めて、それぞれの権謀術数が渦巻き、真実はラストまで分からないという中国武侠ドラマらしい展開。
 ワイヤーアクションやCG、合成を使ったアクションもふんだんで、ギャグすれすれの思わず吹き出しそうな武器や武芸を至って真面目に披露する。そうした点では血生臭いバイオレンスなシーンを除けば、武侠ドラマの伝統に則った最新映像による純中国風映画として楽しめる内容。
 とりわけ、雨に煙る水墨画のような美術と撮影で全体トーンが統一され、様式美で統一された城の美術など、一幅の中国絵巻を見るような趣がある。
 バンブーで組んだ船や、陰陽を基にした技の掛け合いや太極図のバトルステージなど、中国の伝統と様式美へのチャン・イーモウの回帰が見どころ。
 都督の妻にスン・リー、家臣・田戦にワン・チエンユエン。沛王の妹・青萍のクアン・シャオトンが可愛い。 (評価:2.5)

ミッション:インポッシブル/フォールアウト

製作国:アメリカ
日本公開:2018年8月3日
監督:クリストファー・マッカリー 製作:トム・クルーズ、ジェイク・マイヤーズ、クリストファー・マッカリー、J・J・エイブラムス 脚本:クリストファー・マッカリー 撮影:ロブ・ハーディ 音楽:ローン・バルフェ

ラストの満身創痍のトム・クルーズが感動的
 原題"Mission: Impossible – Fallout"。Mission: Impossibleは任務:不可能なこと。Falloutは放射性降下物のこと。
 トム・クルーズがイーサン・ハントを演じる映画シリーズ第6作。
 ロシア流出系のプルトニウム爆弾3個の回収が今回のミッション。ベルリンでの回収に失敗したハント3人組にCIAのお目付け役ウォーカーが加わり、パリ、ロンドン、カシミールと舞台を移す。
 奪った相手は謎の女ホワイト・ウィドウ。これまた謎の男ジョン・ラークと取引するという情報を基にラークに成りすまして接触。核爆弾回収は収監中の前作登場のシンジケートのボス、ソロモン・レーン(ショーン・ハリス)の奪還を条件にされるが、核爆弾とレーンの二兎を追うのがイーサンで、争奪戦を繰り返しながらシンジケートとの核爆発カウントダウンへの最終対決となる。
 ベルリンでの回収失敗があまりにお粗末すぎて笑えるほか、核爆弾のコード解除での騙しやその後のどんでん返しはセオリー通りで読めてしまい、核爆弾争奪とタイムレースというのも工夫がなく、設定やキャラクターの煩雑さもあってストーリーがわかりにくいが、パリでのカーチェイス以降のアクションがよく出来ていて、トム・クルーズの体当たり演技もあって予想外に面白い。
 パリのカーチェイスは観光名所巡りにもなっていて、それには劣るがロンドンの観光名所巡りも楽しい。ラストのカシミール(撮影はニュージーランド、ノルウェー)でのヘリチェイスを含め、合成・特撮とわかっていても迫力満点のアクションが見どころになっている。
 ラストの満身創痍のトム・クルーズが、それまでの迫真の演技もあってちょっと感動的。これを有終の美としてほしいところだが、次回作はあるのか? (評価:2.5)

希望の灯り

製作国:ドイツ
日本公開:2019年4月5日
監督:トーマス・ステューバー 製作:ヨヘン・ラウベ 脚本:クレメンス・マイヤー、トーマス・ステューバー 撮影:ペーター・マティアスコ 音楽:ミレナ・フェスマン

統一に順応できなかった東独出身それぞれの世代への哀歌
 原題"In den Gängen"で、通路にての意。クレメンス・マイヤーの同名短編小説が原作。
 旧東ドイツ、ライプツィヒ近郊の巨大なスーパーマーケットが舞台。3章から構成され、1章は主人公のクリスティアン、2章は主人公が好きになる菓子セクション責任者のマリオン、3章は主人公の飲料セクション責任者のブルーノの紹介で、全体で一つの物語となっている。
 試験採用となったクリスティアン(フランツ・ロゴフスキ)は在庫係としてブルーノ(ペーター・クルト)の下に配属。仕事を教えられながら電動フォークリフト運転の資格を取る。マリオン(ザンドラ・ヒュラー)を好きになり二人は次第に惹かれ合うようになるが、DV夫がいることが判明する。
 ブルーノは誰にでも優しい職場の人気者で、東独時代は長距離トラックの運転手だった。統一後、勤めていた倉庫会社が西独の会社に吸収され今の仕事に就くが、今でも東独時代を懐かしむ。妻とは別居していることを隠していて、ある日首吊り自殺。クリスティアンが飲料セクション責任者となる。
 淡々とした日常のエピソードが描かれるだけで、特に物語性があるわけでもない。ただ3人ともに淋しげな内向する人生、色彩を失ったくすんだ人生を送っていて、クリスティアン自身も不良の少年時代を送り刑務所から建設労働者をしていた過去が明かされていく。
 3人は東独出身者で、ベルリンの壁崩壊時にブルーノは若者、マリオンは子供、そしてクリスティアンはまだ生まれてなく、それぞれがそれぞれの世代の統一後の苦難の歴史を歩んできたことを想像させる。
 そこには統一に順応できなかった東独出身者の悲哀があり、互いにその匂いを感じ取り共鳴する中での心の触れ合いと慰撫があり、フォークリフトの機械音にさざ波の音としてブルーノが聴いていた、消え去った東独への郷愁を分かち合う。
 本作はそうした東独出身者への哀歌なのだが、冒頭「美しき青木ドナウ」「G線上のアリア」で始まる静かな調べが、ロックで終わるという音楽構成が今一つ理解できない。 (評価:2.5)

製作国:アメリカ
日本公開:2019年3月8日
監督:クリント・イーストウッド 製作:クリント・イーストウッド、ティム・ムーア、クリスティーナ・リヴェラ、ジェシカ・マイアー、ダン・フリードキン、ブラッドリー・トーマス 脚本:ニック・シェンク 撮影:イヴ・ベランジェ 美術:ケヴィン・イシオカ 音楽:アルトゥロ・サンドヴァル
キネマ旬報:4位

90歳の麻薬運び人という題材の面白さとイーストウッドの演技
 原題"The Mule"で、邦題の意。麻薬・密輸品などの運び屋を指す俗語。ニューヨーク・タイムズの記事"The Sinaloa Cartel's 90-Year-Old Drug Mule"が原案。
 退役軍人で園芸家として成功したアール(クリント・イーストウッド)がインターネット通販に押されて事業が行き詰まり、メキシコの麻薬カルテルの運び屋になるが、最後は警察に逮捕されるまでの物語。これに、園芸一筋の人生で妻(ダイアン・ウィースト)とは離婚、娘(アリソン・イーストウッド)とも断絶状態だったアールが最後に家族と和解する物語を加え、イーストウッドらしいヒューマンドラマに仕立てている。
 齢90歳のアールの姿が映画一筋のイーストウッドに重なるところがあり、仕事よりも家族が大事という結論に導かれ、孫娘(タイッサ・ファーミガ)を介した妻と娘との和解の物語になっているのが興味深い。
 アールは、始めは麻薬とは知らずに運び屋となり、大金を手に入れてからは功名心や奢侈な生活に駆られて悪事と知りながら運び屋を続ける善良な老人に設定されていて、裁判で潔く有罪であることを認めるが、モデルとなったレオ・シャープは刑務所を回避するためにハワイアンパパイヤの栽培で罰金を支払うことを提案、却下されている。
 妻の死に際して人生初めて仕事よりも家族を優先し、妻娘の許しを手にするが、若干都合が良すぎる展開で、家族を巡る麻薬捜査官(ブラッドリー・クーパー)との会話などアールを好々爺に仕立てるが、題材の面白さとイーストウッドの演技で上手く回避はしているものの嘘くささは残る。
 アールの娘アイリスのアリソン・イーストウッドはイーストウッドの実娘。 (評価:2.5)

レディ・プレイヤー1

製作国:アメリカ
日本公開:2018年4月20日
監督:スティーヴン・スピルバーグ 製作:ドナルド・デ・ライン、スティーヴン・スピルバーグ、クリスティ・マコスコ・クリーガー、ダン・ファラー 脚本:ザック・ペン、アーネスト・クライン 撮影:ヤヌス・カミンスキー 音楽:アラン・シルヴェストリ

キャラクターやCG・VFXにのめり込む映画人・観客への問い
 原題"Ready Player One"で、ビデオゲームのスタート画面の表示「プレーヤー1、用意」のこと。アーネスト・クラインの同名小説が原作。
 2045年の近未来が舞台。貧富の差が進んで都市はスラム化し、仕事もない若者たちはオアシスと呼ばれる仮想現実世界に現実逃避し、ゲームで稼ぐ仮想通貨によってリアルの生活を支えている。
 しかしこの世界にも格差と搾取は持ち込まれていて、ゲームで破産した者たちは借金を返済するためにオアシスを運営するIOIで強制労働させられる。
 設定自体はありふれていて、ヴァーチャルだけでなくリアルに生きることの肝要を説いて終わるという物語のラストも平凡。オアシスではゲームに敗れた途端、プレイヤーが断片化してコインに変るという拝金批判もスピルバーグらしい。
 本作の見どころは、こうした文明批判よりも、オアシスに登場する映画からゲームまでのエンタテイメントが総登場することで、キングコングやシャイニング、ガンダムもあればゴジラもあるといったマニアックなパロディにあって、元ネタ探しが楽しみとなっている。
 映画もゲームも仮想世界の入口で、ヴァーチャル・リアリティをその進化の極みとして、SNSを含めて極度に仮想現実にのめり込む人々に警鐘を鳴らすと同時に、キャラクターやCG・VFXにのめり込む映画人・観客への問いでもある。スピルバーグは本作にそうした多数の映画作品を登場させ、キャラクターやCG・VFXの限りを尽くす。
 もっとも作品が多岐にわたり、古い作品も多いことから、その意図がどこまで観客に伝わるかは疑問。
 冒頭のオハイオのスラムの美術やレースシーンなど、CGを駆使した映像とスピード感のある演出はエンタテイメントとしては第一級の出来だが、見ていていささか疲れる。
 ラストのお約束のキスシーンはともかく、オアシスのゲーム賞品がオーナーの遺産というのはスピルバーグの拝金批判と相反していて、ゲーマーみんなに分け与えるという逃げが中途半端。
 オアシス・オーナーにマーク・ライランス。ゲーマーの一人にミャンマー出身の森崎ウィンが起用されている。 (評価:2.5)

ガーンジー島の読書会の秘密

製作国:フランス、イギリス
日本公開:2019年8月30日
監督:マイク・ニューウェル 製作:ポーラ・メイザー、ミッチェル・カプラン、グレアム・ブロードベント、ピート・チャーニン 脚本:ドン・ルース、ケヴィン・フッド、トーマス・ベズーチャ 撮影:ザック・ニコルソン 音楽:アレクサンドラ・ハーウッド

読書会の秘密よりはラブストーリーという肩透かし
 原題"The Guernsey Literary and Potato Peel Pie Society"で、ガーンジー文学とジャガイモの皮のパイの会の意。メアリー・アン・シェイファー&アニー・バロウズの同名小説が原作。
 1946年、原題の読書会のメンバー、ドーシー(マイケル・ユイスマン)と文通していた女性作家ジュリエット(リリー・ジェームズ)が、取材のためにガーンジー島を訪れる。読書会はガーンジー島がドイツ軍に占領されていた時代に思い付きから発足したもので、ジュリエットがタイムス紙に会のことを書くというとメンバーのアメリア(ペネロープ・ウィルトン)に拒絶される。
 ジュリエットがその理由を探っていくというミステリーで、結論から書けば、アメリアが娘のように可愛がっていた会の創設者エリザベス(ジェシカ・ブラウン・フィンドレイ)がドイツ軍兵士との間の子を残して大陸に行ったまま行方不明となり、ドーシーがその子の養父となっているというもので、エリザベスの消息を含めて謎としては大したものではない。
 ジュリエットには婚約者がいるが、ドーシーと出会った時点で予想されるように、婚約者をふってドーシーと結びつくという逆転ラブストーリーとなる。
 ドイツ軍占領下での読書会の意義とかメンバーに与えた影響が描かれるかという期待は裏切られ、終盤は専らラブストーリーに比重がかかるので、エリザベス絡みのエピソードに纏わる戦争の悲劇の印象は薄まり、アメリアを演じるペネロープ・ウィルトンやアイソラ役のキャサリン・パーキンソンらの好演にも拘らず、読書会のメンバーの背景が描かれず、ドラマ的には肩透かしを食った気になる。
 作家役のリリー・ジェームズがあまり知的には見えないのも残念なところ。 (評価:2.5)

製作国:アメリカ
日本公開:2018年3月1日
監督:クリント・イーストウッド 製作:クリント・イーストウッド、ティム・ムーア、クリスティーナ・リヴェラ、ジェシカ・マイアー 脚本:ドロシー・ブリスカル 撮影:トム・スターン 音楽:クリスチャン・ジェイコブ
キネマ旬報:6位

ヒーロー物語の影に隠れてしまったメッセージ
 原題"The 15:17 to Paris"で、邦題の意。事件の主役となったジェフリー・E・スターン、スペンサー・ストーン、アンソニー・サドラー、アレック・スカラトスの自叙伝"The 15:17 to Paris: The True Story of a Terrorist, a Train, and Three American Heroes"(15時17分パリ行き:テロリスト、列車、三人のアメリカ人ヒーローの実話)が原作。
 2015年のアムステルダムからパリに向かう高速鉄道タリス内で起きたテロ未遂事件を描いたもので、テロリストを拘束し、テロを未然に防いだアメリカ人3人とイギリス人夫妻が本人出演した。
 イーストウッドらしい安定した演出で、アメリカ人3人の生い立ちから列車に乗り合わせるまでをフラッシュバックさせながら、列車内での捕り物をテンポよく描いている。
 『ハドソン川の奇跡』(2016)に続く民間人ヒーローものだが、出演のマカロニウエスタンから始まるイーストウッドのヒーロー像に一貫した負の側面が、前作からすっかり影を潜めてしまったのは老化のせいか?
 本作でも文句のつけようのないヒーロー像が描かれ、子供時代は親の手も教師の手も焼かせる問題児だったのが、フランス大統領から最高栄誉のレジオン・ドヌール勲章をもらうまでになれたと手放しで持ち上げる。
 中心に描かれるのが空軍兵士のスペンサー・ストーンで、目標を持てなかった青年時代にパラシュート救出部隊の存在を知り、人の命を救いたいと努力して空軍に入隊したものの健康診断でパラシュート部隊の資格を得られず、失意のままにサバイバルなどの生き抜く方法を学ぶSERE指導教官の教育を受け、結果それがテロで重症の乗客の救命に役立つ。
 無駄になったと思っていた空軍に入るための努力が結局は無駄ではなかった、どのような努力にも無駄ということはなく必ず報われるというのがイーストウッドの伝えたかったメッセージなのだが、ヒーローとして持ち上げすぎたためにその陰に隠れてしまった。 (評価:2.5)

帰れない二人

製作国:中国、フランス、日本
日本公開:2019年9月6日
監督:ジャ・ジャンクー 製作:市山尚三 脚本:ジャ・ジャンクー 撮影:エリック・ゴーティエ 音楽:リン・チャン

中国近代化に抗う渡世の義理を描くが懐古趣味と紙一重
 原題"江湖儿女"で、渡世する男女の意。
 万里の長城に近い炭鉱の街・山西省大同の渡世人=ヤクザの男女、ビン(リャオ・ファン)とチャオ(チャオ・タオ)の物語で、ビンを庇って5年間の服役を終えたチャオが出所すると、先に出所したビンが三峡ダムに近い重慶市奉節で新しい人生を送っていたというもの。
 ビンを探し当てたチャオは、5年の間に世の中が急速に変化し、ビンが落ちぶれて渡世人としての義侠心とチャオへの愛もまた失われたことを知る。
 ひとり大同に帰る途中、乗り合わせた男に時代は今や深圳から新疆に移ったと誘われ、新しい人生を求めて新疆に向かうが、それが幻想だと知り列車を降りてしまう。
 それから11年後の2017年、チャオは大同で雀荘を経営、脳溢血で半身不随となって帰郷したビンを出迎える。1年後、チャオの懸命のリハビリで歩けるようになったにもかかわらず、そこに自分の居場所がないことを知ったビンは黙って去ってしまう。
 『長江哀歌』(2006)、『山河ノスタルジア』(2015)でジャ・ジャンクーが問うた中国近代化の矛盾がテーマとなっていて、ビンが時代の変化に乗り損ねた敗残者、チャオを時代の変化に抗う守旧派に位置づける。
 それをシンボライズするものとして、渡世人という言葉を古き良き中国を守る義侠心と同義で用い、渡世人を捨てたビンと渡世人であり続けるチャオに比定する。
 ビンを愛するが故に罪を負ったチャオに対し、ビンは愛を捨てて裏切り、チャオは愛し続ける。
 裏切られたにもかかわらず、半身不随となったビンを引き取って介護する理由を尋ねられたチャオは、それを愛ではなく渡世人の義理だと答える台詞が泣かせるが、人と人との絆さえも押し流してしまう近代化に対し、チャオは絆の重さにこだわり続ける。
 心の拠りどころを失っていく中国社会に対するジャ・ジャンクーの異議と警鐘の作品だが、古き良き中国が懐古趣味と紙一重なのが、渡世人の辛いところ。
 UFO話が出てくるが、中国人が抱く経済的成功への希求を、幻想を含めて象徴しているのかもしれない。 (評価:2.5)

ブラック・クランズマン

製作国:アメリカ
日本公開:2019年3月22日
監督:スパイク・リー 製作:スパイク・リー、ジェイソン・ブラム、ジョーダン・ピール 脚本:チャーリー・ワクテル、デヴィッド・ラビノウィッツ、ケヴィン・ウィルモット、スパイク・リー 撮影:チェイズ・アーヴィン 音楽:テレンス・ブランチャード

社会派エンタテイメントを台無しにしたラストシーン
 原題"BlacKkKlansman"で、黒人のKu Klux Klan(クー・クラックス・クラン)団員の意。ロン・ストールワースの回顧録"Black Klansman"が原作。原題の中間の一文字多いKは、Ku Klux Klanの略称、KKKのもじり。
 アメリカ西部コロラドスプリングス警察署初の黒人警官ロン・ストールワース(ジョン・デヴィッド・ワシントン)が、クー・クラックス・クランに潜入捜査した模様を描いたもので、白人至上主義者たちが白人に成りすました黒人に見事に出し抜かれる様子をコミカルに描く。
 物語の導入ではストールワースが黒人解放運動に潜入捜査し、ゴリゴリに白人と警察を敵視する黒人女子学生をガールフレンドにするエピソードを入れ、ストールワースと二人一役を演じる同僚警官(アダム・ドライバー)をユダヤ人に設定するなど、黒人の側からだけの反人種差別ではなく、白人への偏見も含めたそれぞれ人種間の反目の解消を訴える内容になっている。
 クー・クラックス・クランに白人至上主義=アメリカ・ファーストを題目させ、トランプとその支持者たちに重ねるという政治的主張も盛り込んではいるが、基本的には社会派エンタテイメントとして楽しめる内容。それだけに、ラストでアメリカ国内で起きた人種対立暴動事件の映像を入れて現実の政治問題に引き戻したのは、蛇足というよりも制作者によるテーマの押し売りという点で作品性を損なった。
 クー・クラックス・クランの最高幹部デービッド・デューク(トファー・グレイス)は実在の人物で、元下院議員。 (評価:2.5)

アリー スター誕生

製作国:アメリカ
日本公開:2018年12月21日
監督:ブラッドリー・クーパー 製作:ビル・ガーバー、ジョン・ピーターズ、ブラッドリー・クーパー、トッド・フィリップス、リネット・ハウエル・テイラー 脚本:エリック・ロス、ブラッドリー・クーパー、ウィル・フェッターズ 撮影:マシュー・リバティーク

夕日の海に消えていく夫の哀愁と情緒が欲しかった
 原題"A Star Is Born"。ウィリアム・A・ウェルマン監督の1937年の同名映画が原作で、3度目のリメイク。
 1976年の2度目のリメイク(フランク・ピアソン監督)同様に、舞台を映画界から音楽界に移している。
 ゲイバーで歌っているところをカントリー歌手ジャクソン・メイン(ブラッドリー・クーパー)に見出されたウェイトレスのアリー(レディー・ガガ)はジャクソンのコンサートに共演。それをメジャーの音楽プロデューサーにスカウトされ、グラミー賞を獲得するまでの人気歌手となる・・・という原作を踏襲した物語。ジャクソンは酒に溺れて失態を続け、アリーは夫との生活を守るために欧州ツアーをキャンセル。それを知ったジャクソンが自殺して身を引く。
 最後に"One more look at you."(もう一度顔を見せてくれ)と言う名セリフは"I just wanted to take another look at you."(もう一度顔を見たかっただけだ)に変更されている。
 音楽映画にして観客を誘引するというのも安直で、楽曲や主演二人の歌唱はともかく、原作の夕日の海に消えていく夫の哀愁も情緒もないのが残念なところで、首吊り自殺というのも何かな~という感じ。
 自殺後の蛇足的な描写もしまりが悪く、追悼公演で"Mrs.Jackson Maine"ではなく"Ally Maine"と名乗るのもピンとこない。音楽界に舞台を移したリメイクとはいえ、ブラッドリー・クーパーの渋さで持ってきただけに、終盤の迷走が惜しい。 (評価:2.5)

エッシャー 視覚の魔術師

製作国:オランダ
日本公開:2019年6月2日
監督:ロビン・ルッツ 製作:ロビン・ルッツ 脚本:ロビン・ルッツ、マラインケ・デ・ヨンケ 撮影:ロビン・ルッツ

美術解説としての文化映画の範疇を抜け切れていない
 原題"M.C. Escher-Het oneindige zoeken"で、M・C・エッシャー─無限の探求の意。
 だまし絵で知られる版画家エッシャー(1898-1972)の足跡をたどるドキュメンタリーで、書簡や日記、講演録に基づいたナレーションが入る。冒頭エッシャーが、自分はアーティストではなく数学者だと言っているのが興味深く、理系の家庭に育ち、建築美術の学校に進んだエッシャーが装飾美術の才能を見い出され、版画家となっていく過程が面白い。
 絵画を輪郭で認識し、建物や動植物が図形へとメタモルフォーゼする発想がエッシャーの理系的発想にあったこと、イタリア・スイスの風景からスペインでのイスラム建築の幾何学模様へと展開し、終わりなきメタモルフォーゼの帰結が、循環する騙し絵的なエッシャーの独特の絵画へと発展する。
 師であるユダヤ人のメスキータがナチに連行された戦争、妻イエッタの精神病、ポップカルチャーとしてのヒッピーやミュージシャンの賞賛への反応など、子供たちの証言によりエッシャーの人物像も語られるが、多くは美学的な観点から語られ、版画にアニメーションやカラーリングなどのイマジネーションを加えて、エッシャーの絵画の解説としてはよく出来ているが、伝記としては不十分。
 ではエッシャーの作家性なり芸術性なり人物像に迫れているかというとそれも不十分で、新しい発見や見方があるわけでもなく、美術解説としての文化映画の範疇を抜け切れていない。 (評価:2.5)

スーパージャンプ・リターンズ

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製作国:ルクセンブルク、ベルギー
日本公開:2019年6月19日
監督:フェリックス・コシュ 脚本:フェリックス・コシュ 撮影:Dylan E. Thompson 美術:Ravit Bechor 音楽:Felix Raffel

ハリウッドコメディに倣った『スーパーマン』のパロディ
 原題"De Superjhemp retörns"。ルシアン・チュガ&ロジェ・ライナーのコミック"De Superjhemp"が原作。スーパージャンプは、劇中のスーパーヒーローの呼び名。
 舞台はルクセンブルク公国ならぬ、架空のリュクスブルク公国。かつて国の一大事を超人パワーで救ったスーパージャンプがいたが、大聖堂の火災でケガを負い、以降は消息不明となっている。
 国王と首相が雪崩で死亡。皇太子が王位を継ぐことになるが、そこに降って沸いたのが王冠盗難で、公衆の面前でテレポーテーションしてしまう。さらには皇太子の命が狙われることになって、国の危機を救うためにスーパージャンプ捜索が命じられるというお話。
 命令を受けるのが今は役人となっている元スーパージャンプ本人で、妻は夫が元スーパージャンプとは知らずに結婚したスーパージャンプの元恋人。
 そもそも『スーパージャンプ』が『スーパーマン』のパロディなのは明らかで、クラーク・ケントの正体が新聞社の連中、とりわけロイスにバレないのが不自然すぎるが、本作でもそれを踏襲して、結婚して子供までいるのに夫が元恋人だと気づかないという愚鈍。
 それを逆手にとってのコメディといえなくもないが、アメリカンコメディ並みにギャグはベタ。
 引退した元スーパージャンプは能力も失っているが、息子の危機に際して火事場の馬鹿力を如く能力を取り戻して再びスーパーヒーローとして復活。これがタイトルの由来となる。
 犯人の黒幕は新首相となった皇太子の叔父で、王位継承が目的だが若干説明に矛盾がある。
 プロローグはニュース形式で設定を急ぎ足で紹介するが、全体に急ぎすぎでシーンが繋がっていないところがある。
 遺伝子を受け継いだ息子とスーパージャンプ・コンビを組んで事件を解決。最後はヒーローを息子に譲って引退という、万事ハッピーエンドに収まるほのぼのぶりも定番ハリウッドコメディを見習ったかのようで物足りないが、それなりに楽しめる。 (評価:2.5)

製作国:韓国、アメリカ
日本公開:2020年6月20日
監督:キム・ボラ 脚本:キム・ボラ 撮影:カン・グクヒョン
キネマ旬報:2位

浅田真央似だが、彼女のようには輝けない中2女子の物語
 原題"벌새"で、邦題の意。
 1994年のソウルが舞台。団地に暮らす女子中学生ウニ(パク・ジフ)が主人公で、顔立ちがどことなく浅田真央に似ている。
 ソウル大学を目指す進学校(?)に通うウニは成績もさっぱりで、男友達とキスしたり、ディスコやカラオケ、タバコも嗜むという落ち零れ。
 影響を与えているのは女子高生の姉スヒ(パク・スヨン)で、商店街で餅屋を営む父が一人息子のデフン(ソン・サンヨン)をソウル大学に入れるのを一家の目標に掲げている男尊女卑がグレた原因。ウニはデフンのストレスの捌け口ともなっていて、家庭にも学校にも疎外感を持ち、移り気な男友達や女友達とも信頼関係を築けないでいる。
 孤独なウニの心の支えとなるのが漢文塾の教師でソウル大生のヨンジ(キム・セビョク)。殴られたら忍従するなと教えられる。
 そこに起きたのが聖水大橋崩落で塾教師をやめたヨンジが死亡。ヨンジへの手紙「私の人生もいつか輝くでしょうか」の問い掛けは届かずに終わる。
 孤独なローティーンの少女の気持ちに同化できないと、前半は目標を持てない少女の鬱屈に付き合わされているだけでかなり退屈。ヨンジが魅力的なキャラで、漢詩を基に他人をどこまで理解できているかとウニを挑発してからが、従来の韓流映画にはない思索を感じさせるようになる。
 もっとも、聖水大橋事故で鍵となるキャラを殺すという安易な展開は、彼女が塾教師をやめた理由を明かさないままの中途半端な幕引きとなり、作品的な着地点を見い出せなかったようで拍子抜け。思春期へのノスタルジーだけに終わってしまった。
 顔立ちは浅田真央似だが、中学生の時の浅田真央は輝いていた。彼女のようには輝けない女の子の物語。 (評価:2.5)

女王陛下のお気に入り

製作国:アイルランド、アメリカ、イギリス
日本公開:2019年2月15日
監督:ヨルゴス・ランティモス 製作:セシ・デンプシー、エド・ギニー、リー・マジデイ、ヨルゴス・ランティモス 脚本:デボラ・デイヴィス、トニー・マクナマラ 撮影:ロビー・ライアン 美術:フィオナ・クロンビー

女の争いが描かれるが政治劇が薄いのが少々物足りない
 原題"The Favourite"で、お気に入りの意。
 18世紀初頭アン王女治世下のイギリス宮廷が舞台の史劇。
 没落貴族の娘アビゲイル(エマ・ストーン)がアン女王(オリヴィア・コールマン)側近で従姉のマールバラ公爵夫人サラ(レイチェル・ワイズ)を頼って宮廷の女中となり、野心と才覚によってのし上がっていくという物語。
 この3人の関係を中心に物語は進行していくが、流産・死産を含め17人の子全員を失い情緒不安定な女王を同性愛で操るサラの秘密を知ったアビゲイルが、それを武器に女王に接近。女王を性的に満足させ、女王が17人の子の代わりに飼う17匹のウサギを可愛がり、女王の寵愛を獲得して寝室付女官となる。
 さらに薬草の知識に詳しいアビゲイルはサラに毒を盛って遠ざけ、マールバラ公の戦費横領を申し立て夫婦を国外に追放する。
 サラに代って女王側近となるが、アビゲイルの傲慢さに気づいた女王との関係が冷えるまで。
 女の争いだけでなく、スペイン継承戦争を巡ってサラが主戦派、アビゲイルが非戦派という政治要素の絡むのが面白いが、こちらの描写は薄いのが少々物足りない。
 アカデミー主演女優賞のオリヴィア・コールマンが圧巻の演技。 (評価:2.5)

インクレディブル・ファミリー

製作国:アメリカ
日本公開:2018年8月1日
監督:ブラッド・バード 製作:ジョン・ウォーカー、ニコール・パラディス・グリンドル 脚本:ブラッド・バード 音楽:マイケル・ジアッキノ

妻は仕事、夫は家庭の時代性を映したスーパーヒーロー
 原題"Incredibles 2"。"Incredibles"は、インクレディブル一家の意。
 前作の続編で、名誉回復なったMr.インクレディブルが、今は家族全員でスーパーヒーローとして活躍。巨大掘削ドリルを使った銀行強盗に立ち向かうが、犯人を取り逃がした上に騒ぎを大きくして街を破壊してしまう。
 このためスーパーヒーローの活動を止められるが、スーパーヒーロー・ファンの実業家の支援を受け、妻のイラスティガールがスーパーヒーローに復帰。スーパーヒーローを社会に認知させるべく活躍する。
 新たな敵はテレビ映像でマインドコントロールするスクリーンスレイヴァーという悪者。ところがこれを操るのは意外にも…という展開。ラストはスクリーンスレイヴァーを逮捕し、危機を回避するが、今回のミソは時代に合わせて妻がスーパーヒーローとして活躍し、夫は家事と子供の世話をする専業主夫という立場の逆転。それでも最後には夫も出動するが、終始イラスティガールが活躍する。
 長女ヴァイオレットの初恋エピソードと赤ん坊ジャック=ジャックの超能力エピソードが花を添えるが、長男ダッシュが父同様に影が薄い。
 前作同様のスピーディな展開が楽しめるが、よく見てないと何が起きているのかわからないところがあって、演出的にはやり過ぎ感もある。ジャック=ジャックはレーザー光線、炎、怪物への変身、分身等々17種類の百貨店的な超能力を見せるが、一応発動条件などを説明して何でもアリの印象を避けるようには努力している。
 冒頭の巨大掘削ドリル、中盤のモノレールの暴走シーンはスリリングで見応えあり。 (評価:2.5)

製作国:カナダ
日本公開:2019年1月4日
監督:アサフ・バーンスタイン 脚本:アサフ・バーンスタイン 撮影:ペドロ・ルケ 音楽:マリオ・グリゴロフ

オリヴィア・ハッセーの娘は可愛くないが演技は上手
 原題"Look Away"で、目をそらすの意。
 父親からは出来損ないと言われ、学校では苛められっ子の自閉気味の少女マリア(インディア・アイズリー)が、鏡に映ったもう一人の自分と入れ替わって復讐をしていくホラーというよりはスリラー。
 最初のシーンで、オナニーをしていたマリアが、オーガズムに達して横の鏡を見ると別の自分が見ているというのが怖い。
 前半はホラーテイストで進むが、もう一人の自分アイラムと仲良くなってからはスリラー。鏡に手を合わせキスをすると入れ替わって、性格が正反対のアイラムが苛めっ子や上辺だけの親友に復讐。親友の彼氏を奪ってしまうが、最後にはこの彼氏も殺し、父親も殺してしまうという、それなりのハッピーエンド。
 アイラム(Airam)はMariaのアナグラムで、陰陽の人格が分離したものと思って見ていると、実は双子で、アイラムが異常児であったために父親に処分されていたという理由が凄い。マリアの復讐ではなく、この世に生を得ることの出来なかったアイラムの復讐劇となっている。
 父親の性格や苛めっ子たちの設定に相当飛躍はあるが、全く性格の異なるマリアとアイラムを演じるインディア・アイズリーの頑張りで、B級作品としてそれなりに楽しめる。オリヴィア・ハッセーを母に持った割にはあまり可愛くないのが残念だが、対照的なキャラを魅力的に演じている。
 酷薄な父親役のジェイソン・アイザックスは、『ハリー・ポッター』シリーズのマルフォイのお父ちゃん。親友リリー役のペネロープ・ミッチェルはスケートが上手い。 (評価:2.5)

THE GUILTY ギルティ

製作国:デンマーク
日本公開:2019年2月22日
監督:グスタフ・モーラー 製作:リナ・フリント 脚本:グスタフ・モーラー、エミール・ニゴー・アルバートセン 撮影:ヤスパー・J・スパンニング 美術:グスタフ・ポントピダン 音楽:カール・コールマン、カスパー・ヘッセラーガー

不自然な穴は見ないふりをするのが脚本のアイディアへの敬意
 原題"Den skyldige"で、有罪の意。
 女性誘拐事件の緊急通報を受けた指令室のオペレーターが、電話の指示だけで事件解決を目指すというサスペンスで、舞台は緊急通報指令室のみ、登場人物はほぼオペレーターのアスガー(ヤコブ・セーダーグレン)だけで、後は通話を通じた主要4人の声だけという異色の作品。
 この一人芝居に近い舞台設定が本作最大の特色で、アイディアを武器にした究極の低予算映画というのが見どころになっている。
 もちろん、ほぼ一人芝居のヤコブ・セーダーグレンの演技がすべてだが、約1時間半を飽きさせないで見せる脚本が最大の功労者で、俳優一人の表情を様々に引き出すカメラマンも見事。
 声の出演の主要4人は、誘拐された女イーベン、誘拐犯の別居中の夫ミケル、イーベンと暮らす6歳の娘マチルデ、アスガーの同僚刑事ラシッド。
 アスガーは刑事だが、正当防衛で少年を射殺したために裁判中で、現在は緊急通報指令室でボランティアをしているという設定。妻にも逃げられ、元囚人であるミケルと似たような立場に置かれている。
 アスガーの指示でマチルデの保護に向かった警官が、マチルデの弟の死体を発見。DV夫が引き起こした事件と思いきや…というどんでん返しが用意されている。
 アイディアで勝負の脚本には不自然な穴がいくつかあって、最大は誘拐されたイーベンがいつまでも携帯電話でアスガーと会話している点。次はアスガーが指令室の他の人間に事件の発生を知らせずにコソコソ動くこと。
 そんな穴は見ないふりをするのがこのアイディアへの敬意で、後味の良いラストとなっている。 (評価:2.5)

製作国:スペイン、アメリカ
日本公開:2019年1月4日
監督:ロドリゴ・コルテス 脚本:マイク・ゴールドバック、クリス・スパーリング 撮影:ジェアリン・ブラシュケ 音楽:ビクトル・レイェス

幽霊よりも女校長とやたら腕力のある女用務員が怖い
 原題"Down a Dark Hall"で、暗い廊下の先の意。ロイス・ダンカンの同名小説が原作。
 問題児ばかりを集めた森の中の女子寄宿学校が舞台のホラー映画で、入学した生徒5人はいずれも秘められた才能を持っているというもの。教師たちの英才教育で、それぞれ数学の天才、絵画の天才、文学の天才などになっていくが、主人公のキット(アナソフィア・ロブ)はピアノの天才。
 ネタ晴らしをすれば、実は生徒たちが天才なのではなく、過去の天才たちの霊の受容体としての才能を持っていて、それぞれに夭逝した天才たちの霊を降臨させて、死後に成したであろう成果を生徒たちに引き継がせようというもの。
 女校長(ユマ・サーマン)はそれを利用して財産を手に入れようと目論むが、キットが秘密を知り、喧嘩だけが取り柄のヴェロニカ(ヴィクトリア・モロレス)と生贄になるのを拒否、部屋に閉じ込められてしまう。
 この手のホラーの常道で、失火により館が燃え上がり、キットとヴェロニカだけが助かる。
 寄宿学校が古めかしい洋館で、女校長の呪術であの世との扉が開き亡霊たちも多数登場するが、単なるモブで大した悪さをしないのであまり怖くない。
 むしろアイディアが面白い設定絡みの謎解きが見どころで、幽霊よりも人間、女校長とやたら腕力のある女用務員の方が怖いという作品。ホラーに必須のヒロインの美少女度は中くらい。 (評価:2.5)

TAXi ダイヤモンド・ミッション

製作国:フランス
日本公開:2019年1月18日
監督:フランク・ガスタンビドゥ 製作:リュック・ベッソン、ミシェル・ペタン、ロラン・ペタン 脚本:リュック・ベッソン、フランク・ガスタンビドゥ、ステファーヌ・カザンジャン 撮影:ヴァンサン・リシャール 美術:サミュエル・テッセール

カーアクション、ギャグ、差別も満開の大らかなフランス映画
 原題"Taxi 5"。Taxiシリーズ第5作。
 前作(2007)から11年が経ち、マルセイユ警察に女癖からパリ警察を左遷されたマロ(フランク・ガスタンビドゥ)がやってくる。これと新たにコンビを組むのがタクシー運転手のエディ(マリク・ベンタルハ)で、マロはスピード狂、エディはドジと役柄が入れ替わる。
 前作までのアラン(エドゥアルド・モントート)は署長に昇進、署長のジベール(ベルナール・ファルシー)はマルセイユ市長になっている。
 イタリアの宝石強盗団がマルセイユにやってくるという話で、強盗団のフェラーリ、ランボルギーニに対抗して、新バディは改造タクシーで頑張るという設定。
 ゲロを吐くなど少々汚いが、ボンド・カー並みのチェイスとギャグは健在。
 マロが一目惚れするエディの姉でメカニックのサミア(サブリナ・ウアザニ)がいい女。エディの恋人もセクシー美女で、ジェンダーも何のその、小人警官やデブ&ブス婦警も登場して差別満開だが、そこはフランス映画。野暮は言いっこなしと大らか。
 バディがウーバーの配達をやっていたり、ドローンも登場したりと現代的要素も取り入れて、楽しめるコメディとなっている。 (評価:2.5)

製作国:オーストラリア、アメリカ
日本公開:2018年6月29日
監督:ピーター・スピエリッグ、マイケル・スピエリッグ 製作:ティム・マクガハン、ブレット・トムバーリン 脚本:トム・ヴォーン、ピーター・スピエリッグ、マイケル・スピエリッグ 撮影:ベン・ノット 美術:マシュー・パットランド 音楽:ピーター・スピエリッグ

銃で幽霊に立ち向かうのが冗談かと思える
 原題"Winchester"で、カリフォルニア州サンノゼに実在する幽霊屋敷"Winchester Mystery House"のこと。
 ウィンチェスターは銃器メーカーで、1800年代に娘と2代目社長ウィリアムが続けて亡くなったことから、会社を相続した夫人サラ・ウィンチェスターが霊媒師に助言を求めたところ、ウィンチェスター銃に命を奪われた人たちの怨霊が原因で、西部に霊のための家を建てるように求められた。
 これが幽霊屋敷の由来で、以来サラは幽霊のために増築を続けるが、本作では霊の命令でサラ(ヘレン・ミレン)がそれぞれに縁の部屋の設計図を描いているという設定になっている。
 物語は1906年、ウィンチェスター社から夫人の精神鑑定を頼まれた医師エリック(ジェイソン・クラーク)が屋敷にやってきて幽霊騒動に巻き込まれるというもので、エリック自身が妻に先立たれて霊を見ることができ、かつてウィンチェスター社を襲った最強の怨霊と対決することになる。
 正統的なホラーで、演出も結構怖く、銃規制側に立った制作意図であることは容易に想像がつく。ホラーにそのような政治性を持たせることの是非は別にしても、サラの目的からして屋敷内の銃器室に飾ってある銃に実弾が装填されているのが良くわからないし、エリックや屋敷の男たちが銃などの凶器で幽霊に立ち向かうのも冗談と思えるくらいに理解できない。
 最後は狼男の銀の銃弾のように、エリックによって聖別された銃弾で怨霊を仕留めて、冗談を回避している。
 エリックと妻とのエピソードでしんみりとドラマをまとめているが、続編を思わせるラストシーンが興趣を削ぐ。 (評価:2.5)

製作国:アメリカ
日本公開:2018年9月21日
監督:コリン・ハーディ 製作:ジェームズ・ワン、ピーター・サフラン 脚本:ゲイリー・ドーベルマン 撮影:マキシム・アレクサンドル 美術:ジェニファー・スペンス 音楽:アベル・コジェニオウスキ

悪魔と尼僧の淫靡な組み合わせがゴシックホラーに花を添える
 原題"The Nun"で、修道女の意。死霊館シリーズ(The Conjuring Universe)『死霊館 エンフィールド事件』の(2016)のスピンオフ。
 1952年のルーマニアの田舎の修道院が舞台。修道女ヴィクトリアが首吊り自殺したことから、教皇庁がバーク神父(デミアン・ビチル)と見習い修道女アイリーン(タイッサ・ファーミガ)を調査に赴かせるという物語で、村の若者フレンチー(ジョナ・ブロケ)が協力する。
 修道院で出会う院長が悪魔の化身。もともと悪魔が封印されていた地で、第二次世界大戦中の空爆で封印が破られ、悪魔が修道女たちを次々に襲い、アイリーンが最後の修道女だったというもの。悪魔は人に憑依しなければ修道院を出られないため、それを阻止するために最後の一人として自死を選んだ。從ってキリスト教の大罪である自殺ではないと説明されるのがよくわからない。
 そもそも戦後7年間、教皇庁も知らずに修道女たちが悪魔と戦い続けていたのというのも不自然。悪魔を封印するためのキリストの血というアイテムも登場し、神父が墓に閉じ込められる超常現象や、悪魔の再封印の合理的に説明できない現象など、ストーリーは相当に無茶苦茶。
 それでも廃墟のような広大な修道院、墓地、カタコンベ、幽霊のような尼僧たちと装置のホラー感だけは充満していて、映像と演出は怖い。
 悪魔祓いのバーク神父がてんで役立たずだが、アイリーンが頼もしく、再封印を成功に導くが、フレンチーが悪魔に憑依されていたという続編のためのオチが安っぽい。
 悪魔と尼僧という淫靡な組み合わせが、ゴシックな雰囲気に花を添える。 (評価:2.5)

タッチ・ミー・ノット ローラと秘密のカウンセリング

製作国:ルーマニア、ドイツ、チェコ、ブルガリア、フランス
日本公開:2020年7月4日
監督:アディナ・ピンティリエ 製作:ビアンカ・オアナ、フィリップ・アヴリル、アディナ・ピンティリエ 脚本:アディナ・ピンティリエ 撮影:ジョージ・チッパー=リルマーク 音楽:イヴォ・パウノフ
ベルリン映画祭金熊賞

内容がディープ過ぎて居心地の悪い場所に放り出された感覚
 原題"Touch Me Not"で、私に触らないでの意。主人公の女性が他人に触られることに拒否反応する精神障害者であることから。
 ローラ・ベンソンは病院で治療のためのカウンセリングを受けるが、そこにいるのが様々な障害者で、彼らの性を通して自我の本質に迫っていくという半ドキュメンタリーの実験的なドラマ作品。
 身体障害者も登場し、健常なのは頭部とペニスだけで、セックスすることで自己存在を確認できるという話が印象深い。
 ローラは無毛症のトーマス・レマルキスに導かれて性的倒錯者の集まりにも顔を出すが、人間存在の本質は性で、触れ合うことで自我を開放できるという話はともかく、描写が生々しくて醜悪だという感情も起きる。
 それは偏見に囚われていて、自我を開放できていないからだと言われればそれまでだが、内容がディープ過ぎて、見終わって居心地の悪い場所に放り出された感覚は残る。 (評価:2.5)

製作国:韓国
日本公開:2019年3月23日
監督:チョン・ボムシク 製作:キム・ウォンクク 脚本:チョン・ボムシク、パク・サンミン 撮影:ユン・チョンホ 音楽:ナ・ユンシク

お化け屋敷や肝試しが好きな人にお薦めのホラー映画
 原題"곤지암"で、邦題の意。京畿道広州市に実在した心霊スポット、コンジアム精神病院に、YouTubeチャンネルの主宰者と参加者の男女が潜入して実況するという現代風ホラー。『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』(1999)のSNS版で、特に目新しさはないが、誰でも動画撮影の時代を反映して6人のメンバーが全員、主観と自撮りのカメラを標準装備、ほかに固定カメラも設置して多数の動画が駆使される。
 6人の主観視点での映像は臨場感があって、時折画像が乱れたり、自撮りの恐怖の表情が挿入されて、ホラー感は高い。
 ストーリー的には単なる肝試しに過ぎないが、降霊やポルターガイスト現象、憑依も取り入れて単調にならないように工夫している。
 最後は全員呪われて、テントで配信している主宰者を含めて全員が行方不明となり、謎は謎のままにするのはお約束だが、お化け屋敷や肝試しが好きな人には楽しめる作品になっている。 (評価:2.5)

製作国:イギリス、アメリカ
日本公開:2018年11月9日
監督:ブライアン・シンガー 製作:グレアム・キング、ジム・ビーチ 脚本:アンソニー・マクカーテン 撮影:ニュートン・トーマス・サイジェル 音楽:ジョン・オットマン
キネマ旬報:5位
ゴールデングローブ作品賞

フレディの人物像に迫れてなくドラマにもなっていない
 原題"Bohemian Rhapsody"で、ロックバンド、クイーンの代表曲のタイトル。クイーンのフレディ・マーキュリーの半生を描く伝記映画。
 学生バンド・スマイルの抜けたボーカルの後釜にフレディ(ラミ・マレック)が収まり、新バンド・クイーンが結成されるところから物語は始まり、自主制作レコーディング、メジャーデビュー、メアリー(ルーシー・ボイントン)とのラブ・ストーリーと結婚、海外ツアーの成功、「ボヘミアン・ラプソディ」誕生秘話とサクセス・ストーリーが前半。
 後半はフレディの同性愛エピソード、恋人に勧められてのソロデビュー、エイズ感染、1985年のライブエイドでの再結成までが描かれる。
 フレディを中心としたクイーンの履歴を知ることができるが、基本は音楽映画。フレディの恋愛・同性愛・エイズといったエピソードもドラマにまではなってなく、フレディの人物像に迫れているわけでもなく、28曲の音楽がなければ凡庸な作品。
 フレディのエイズ感染が契機となって、フレディ自身が奢りを内省し、メンバーへの謝罪とメンバーの容赦、クライマックスのライブエイドの成功へと一気呵成に進むが、会場内外の観客との一体化、フレディの家族までがクライマックスに参加しての大団円と、話を盛り過ぎで通俗的な感動ドラマを見るよう。
 フレディを含むクイーンの他のメンバー、ブライアン・メイ(グウィリム・リー)、ロジャー・テイラー(ベン・ハーディ)、ジョン・ディーコン(ジョゼフ・マゼロ)のメーキャップも見どころの一つか。 (評価:2)

ホテル・ムンバイ

製作国:オーストラリア、アメリカ、インド
日本公開:2019年9月27日
監督:アンソニー・マラス 製作:ベイジル・イヴァニク、ゲイリー・ハミルトン、マイク・ギャブラウィ、ジュリー・ライアン、アンドリュー・オギルヴィー、ジョーモン・トーマス 脚本:ジョン・コリー、アンソニー・マラス 撮影:ニック・マシューズ 美術:スティーヴン・ジョーンズ=エヴァンズ 音楽:フォルカー・バーテルマン

テロリストから逃げ回るだけの物語が単調で退屈
 原題"Hotel Mumbai"。ムンバイの高級ホテル、タージマハル・ホテルを舞台に、2008年に起きたムンバイ同時多発テロを描く実録物。
 ホテル・レストランのウェイターのアルジュン(デーヴ・パテール)、イラン人の富豪令嬢ザーラ(ナザニン・ボニアディ)と夫のアメリカ人デヴィッド(アーミー・ハマー)を中心に展開するが、どちらのドラマも薄くて、テロリストからただ逃げ回るだけの物語になっているのが、単調で退屈。
 かといってテロリスト側のドラマや葛藤があるわけでもなく、ただの殺人鬼となっただけのパニック映画、ないしは脱出劇でしかない。
 テロリストがボートでムンバイに上陸するシーンから始まり、『スラムドッグ$ミリオネア』(2008)を想起させるスラムと近代化の象徴としての高層ビル群が対比される。
 鉄道駅での銃乱射に始まる無差別テロ。タージマハル・ホテルに逃げ込む群衆に混じり、テロリストたちが侵入。銃を乱射して占拠する。
 以下、テロリストの攻撃を逃れて如何に隠れるか、脱出するか、救援を待つかの物語となり、地元警察の数人が決死の救助に向かうが、テーマとなる「客は神様」というホテルマンたちの献身にそれほどヒーロー性があるわけでもなく、テロリストたちの残虐性ばかりが際立つ。
 デヴィッドも殺され、赤子を抱いたザーラとアルジュンが助かるという終幕に、ハッピーエンドという爽快感はなく、政治ドラマないしはヒューマンドラマとして残るものは何もない。 (評価:2)

風の向こうへ

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製作国:フランス、イラン、アメリカ
日本公開:劇場未公開
監督:オーソン・ウェルズ 製作:フランク・マーシャル 脚本:オーソン・ウェルズ、オヤ・コダール 撮影:ゲイリー・グレイヴァー 音楽:ミシェル・ルグラン

O・ウェルズらしい映画界を描く作品だが、黴臭さは拭えない
 原題"The Other Side of the Wind"で、風の向こう側の意。
 1976年に撮影終了したままで他界したオーソン・ウェルズ未完の作品を編集して完成させたもの。
 オーソン・ウェルズ自身を映したものなのか、かつてハリウッドの巨匠だった映画監督ハンナフォード(ジョン・ヒューストン)が2年ぶりに映画を撮る。その試写会をドキュメンタリー風に劇中劇と並行させて描くが、たぶんに当時のニューシネマを意識していて、映像やカット割り、構成が前衛的な上にと台詞が断片的。その上、邦訳も良くないので、わかりにくい作品に仕上がっている。
 オーソン・ウェルズらしくハリウッドを風刺した内容で、ハンナフォードが撮る映画はシンボライズな全裸の女が登場し、カーセックスもあるアバンギャルドなB級ポルノ。最後はシンボライズな巨大なペニスの張りぼてを女が鋏で切り倒すという暗喩的な描写を入れて、ニューシネマそのものも皮肉っている。
 ハンナフォードの誕生日パーティ会場での試写会には映画人やマスコミ、批評家も大勢集まるが、フィルムが未完成な上にハプニングで中断、最後はドライブインシアターといった配給への風刺も忘れない。
 模倣などの映画論や映画界の不品行など映画に纏わるものをすべてぶち込んでいて、纏まりに欠いているが、それ自体が映画だということかもしれない。
 『アフリカの女王』(1951)のジョン・ヒューストン、『ペーパー・ムーン』(1973)のピーター・ボグダノヴィッチ、『イージー・ライダー』(1969)のデニス・ホッパーが俳優で出演。そのほか、映画監督や俳優の本人出演もあって、オーソン・ウェルズらしい映画界を描く作品になっているが、若干の黴臭さは拭えない。
 原題もオーソン・ウェルズの立ち位置を表しているようで、暗喩的。 (評価:2)

ハン・ソロ スター・ウォーズ・ストーリー

製作国:アメリカ
日本公開:2018年6月29日
監督:ロン・ハワード 製作:キャスリーン・ケネディ、アリソン・シェアマー、サイモン・エマニュエル 脚本:ジョン・カスダン、ローレンス・カスダン 撮影:ブラッドフォード・ヤング 音楽:ジョン・パウエル

ハン・ソロにハリソン・フォードの茶目っ気がない
 原題"Solo: A Star Wars Story"で、『ローグ・ワン』に続く番外編第2作。
 前作はデス・スターの設計図がレイア姫に渡った経緯を描いたが、本作ではハン・ソロがアウトローの密輸業者となるまでの物語となっている。
 惑星コレリアで犯罪組織の下働きをしていたハンが、不法出国して帝国軍兵士を経て脱走。アウトロー一味に加わり、犯罪組織と関わりながら、一人前のアウトローになるが、ストーリーは至って平凡。
 アウトロー一味と峡谷を疾走する貨物列車からお宝コアクシアムを強奪するシーンが最大の見どころで、後半は裏切り者が二転三転四転するというシナリオで凡庸を紛らす程度。
 家族を持たないハンがソロという苗字になった理由、チューバッカと出会い仲間となったわけ、ミレニアム・ファルコン号をランドから手に入れた経緯が語られるが、特段面白いわけでもなく、シナリオ全体がエピソードのパッチワークでアイディアが足りない。
 それを補うキャラクターに魅力があるわけでもなく、ハン・ソロ役のオールデン・エアエンライクにハリソン・フォードのような茶目っ気がない。
 ハンがチューバッカ語をどこで覚えたのかとか、最後のダース・モール復活とか何でもありの謎が、『スター・ウォーズ』ファンの琴線にどう触るのか微妙。
 ハンの恋人キーラ(エミリア・クラーク)の変心エピソードも語られず、番外編なのにいかにも続編のありそうな引きの終わり方がディズニーらしい。 (評価:2)

華氏119

製作国:アメリカ
日本公開:2018年11月2日
監督:マイケル・ムーア 製作:マイケル・ムーア、カール・ディール、メーガン・オハラ 脚本:マイケル・ムーア 撮影:ジェイミー・ロイ、ルーク・ガイスビューラー

結論ありきのドキュメンタリーはつまらない
 原題"Fahrenheit 11/9"で、華氏11月9日の意。11月9日は、ドナルド・トランプが大統領選で勝利宣言した日に因む。
 トランプの予想外の大統領選勝利を中心に、彼の人間性や適格性を批判しながら、トランプを勝利させた要因となった民主党の空洞化した民主主義、保守的な選挙制度の問題点を浮き彫りにするドキュメンタリー。
 トランプを批判するためではなく、トランプ大統領を生み出すことになったアメリカの政治風土や社会を批判するものになっているが、出発点としてトランプ否定を前提としており、結論ありきの制作姿勢はプロパガンダ映画と表裏一体。作品の主旨が民主主義の在り方を問うという点からも、ドキュメンタリーの制作姿勢としてはいただけない。
 トランプ個人の性癖だけでなく、民主党の大統領候補選出の欺瞞性、パラノイア的な草の根運動家、ミシガン州フリントの水道水汚染を巡る問題や政治家の対応等々、ワイドショーを見ているようで興味深いが、意図的な編集・構成によるムーアの政治的な誘導が、教宣臭くて少々気持ち悪い。
 とりわけムーアならではの攻撃的な突撃取材とは正反対な、民主党の草の根運動家への同調的なインタビューが気持ち悪く、民主主義を取り戻そうというムーアの民主主義が、ただのポピュリズムに見えてしまうのが本作の残念なところ。
 結論ありきのドキュメンタリーは、取材過程での不確実性がなく、ドラマ性が感じられなくてつまらない。 (評価:2)

チィファの手紙

製作国:中国
日本公開:2020年9月11日
監督:岩井俊二 製作:ピーター・チャン、岩井俊二 脚本:岩井俊二 撮影:神戸千木 音楽:岩井俊二

中国版・岩井俊二の少女幻想が止まらない!
 原題"你好"(ニーハオ)。岩井俊二の小説『ラストレター』が原作。
 姉のチィナンが亡くなり、届いた中学同窓会に代理出席した妹チィファ(ジョウ・シュン)が成り行きから姉に成りすますというのが物語の発端。姉のことを好きだったチャン(チン・ハオ)が追いかけてきて、手紙のやり取りが始まる。
 中学時代、チィファにとってチャンは憧れの君で、チャンから姉へのラブレターを運ぶ役目を引き受けながら渡さずにいたというエピソードが語られ、今度は姉に成りすましての手紙のやり取り。
 ところがチャンは先刻承知で、大学時代に姉の彼氏だったこと、チィナンを今の夫に奪われてしまったことなどをチィファに話し、チィファは逆に夫はDVを振るい失踪してしまったことをチャンに教える。
 話の流れは通俗的な少女漫画のどうでもいいストーリーなので、時間と共に次第に飽きてくる。
 チィファにもチィナンにもそれぞれに子供がいて、彼らが混線気味に物語に絡んでくるが、結局は、人生は上手くいかないけど生きるしかないね的な、ノスタルジーの中に挫折の慰めを見出すような、達観とも諦念ともつかない終わり方をする。
 岩井俊二もオッサンとなって少女趣味に磨きがかかっているが、同じところをぐるぐる回って年だけは食ってしまった印象の作品。
 『Love Letter』(1955)に『花とアリス』(2004)のキャラクターを重ねた感じで、少女時代のチィファ(チャン・ツィフォン)が花、チィナン(ダン・アンシー)がアリス。
 中国版、岩井俊二の少女幻想が止まらない。 (評価:2)

メリー・ポピンズ リターンズ

製作国:アメリカ
日本公開:2019年2月1日
監督:ロブ・マーシャル 製作:ジョン・デルーカ、ロブ・マーシャル、マーク・プラット 脚本:デヴィッド・マギー 撮影:ディオン・ビーブ 美術:ジョン・マイヤー 音楽:マーク・シェイマン

ロイヤル・ドルトン・ミュージック・ホールが楽しい
 原題"Mary Poppins Returns"。パメラ・L・トラヴァースの児童文学"Mary Poppins"を原作にした同名ミュージカル映画(1964)の続編。
 前作から25年後、バンクス家の両親はすでに亡く、マイケル(ベン・ウィショー)は男寡で双子の長女長男、次男、先代からの家政婦エレン(ジュリー・ウォルターズ)と家を継いでいる。姉のジェーン(エミリー・モーティマー)は未だ独身で近くにアパート暮らし。母の血を引いて労働運動をしているという設定。
 時は大恐慌時代。マイケルの父が勤めていた銀行に、借金の形に家を召し上げられることになったマイケルのピンチに、メリー・ポピンズ(エミリー・ブラント)が現れ、現実よりも大切な夢について一家に教え、危機一髪、前作エピソードの凧と預金した2ペンスによって窮地を救われるというハッピーエンド。
 今回のメリー・ポピンズはマイケルの子供たちの押し掛けnannyで、風貌は25年前のまま、若さも失っていない。
 不況に追い詰められたマイケルに、夢と希望を持って明るく生きることを思い出させるというのが物語の骨子で、その鍵が25年前の凧と2ペンスにあったというのがオチ。ストーリーもテーマも前作と繋がっているが、前作を見て覚えている必要がある。
 ロブ・マーシャルらしく群舞シーンがステージを見ているように華やかで、ラストの風船シーンなど映像的にも楽しめるが、若干大人向けにエンタテイメントし過ぎていて、『メリー・ポピンズ』らしい子供向けファンタジーとしては物足りなさが残る。
 エミリー・ブラントのメリー・ポピンズは冷たくよそよそしくて、ジュリー・アンドリュースの温かみに欠けるのが難。
 銀行家にコリン・ファース、メリー・ポピンズの姉にメリル・ストリープ。ロンドンの街並みやロイヤル・ドルトン・ミュージック・ホールのアニメーション合成も見どころ。 (評価:2)

ファンタスティック・ビーストと黒い魔法使いの誕生

製作国:アメリカ
日本公開:2018年11月23日
監督:デヴィッド・イェーツ 製作:デヴィッド・ハイマン、J・K・ローリング、スティーヴ・クローヴス、ライオネル・ウィグラム 脚本:J・K・ローリング 撮影:フィリップ・ルースロ 美術:スチュアート・クレイグ 音楽:ジェームズ・ニュートン・ハワード

『ハリー・ポッター』二番煎じのつまらない作品
 原題"Fantastic Beasts:The Crimes of Grindelwald"で、幻の動物:グリンデルバルドの犯罪の意。『ハリー・ポッター』のスピンアウト作品『ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅』の続編。
 1927年、前作で捕らえられたグリンデルバルド(ジョニー・デップ)がヨーロッパに移送中、脱獄。一方、イギリスに戻った魔法生物学者スキャマンダー(エディ・レッドメイン)は、魔法省の監視下に置かれる。
 前作のアメリカ魔法省のティナ(キャサリン・ウォーターストン)はオブスキュリアルという新設定の子を追ってパリへ。妹のクイニー(アリソン・スドル)は恋人のパン屋コワルスキー(ダン・フォグラー)と姉の元へ。
 スキャマンダーはグリンデルバルドを追ってパリに向かい、ダンブルドア(ジュード・ロウ)、ニコラス・フラメルも登場。パリを舞台にグリンデルバルドが魔法族の公然化を訴えて決起し、阻止できなかったスキャマンダーは魔法省に入るという展開。
 スキャマンダーの魔法生物収集というコンセプトは活かされず、『ハリー・ポッター』と似たような話になってしまい、前作のクイニー、コワルスキーのキャラクターも活かされず、シリアス中心のつまらない作品になっている。 (評価:2)

製作国:アメリカ
日本公開:2019年1月18日
監督:マリア・プレラ 製作:エリック・バナウン、マリア・プレラ、デヴィッド・ヒラリー 脚本:マリア・プレラ 撮影:トーマス・ヘンス 美術:ディンズ・ダニエルセン 音楽:ジェイソン・ソロウスキー

黒人が登場しない貧困白人層向けのドラマが今日的
 原題"Between Worlds"で、世界と世界の間の意。
 二つの世界とは現世と霊界のことで、臨死体験の得意な女ジュリー(フランカ・ポテンテ)が巫女的な役割を果たし、魂の入れ違いから騒動になるという物語。ホラーでもスリラーでもミステリーでもなく、ニコラス・ケイジが主演という以外に見どころがない。
 ジョー(ニコラス・ケイジ)は、バイク事故を起こして瀕死の娘ビリー(ペネロペ・ミッチェル)の魂を呼び戻そうとしているジュリーとたまたま知り合い、一緒に看病。ビリーは生還するが、実はジョーの亡妻メアリーの魂を呼び戻してしまったというもの。
 寡婦のジュリーはジョーに恋し、ジョーも初めはその気だったが、ビリー内のメアリーがジョーに真実を告げ、昔の家に逃亡。ジュリーとビリーの恋人マイク(ギャレット・クレイトン)が駆け付け、ジョーはメアリーの死の真相を知って焼身自殺。ビリーからメアリーの魂が離れてメデタシメデタシという物語。
 ラストは若き日のジョーの訳の分からないシーンで締め括られ、???のまま終わる。
 ジョーは妻子を亡くして借金だらけの個人営業のトラック運転手、ジュリーも夫に逃げられたトラック運転手で、どちらも白人。白人の貧困労働者、貧困家庭が舞台で、女医以外に黒人が登場しない貧困白人層向けのドラマというのも今日的かもしれない。 (評価:2)

serch サーチ

製作国:アメリカ
日本公開:2018年10月26日
監督:アニーシュ・チャガンティ 製作:ティムール・ベクマンベトフ、セヴ・オハニアン、アダム・シドマン、ナタリー・カサビアン 脚本:アニーシュ・チャガンティ、セヴ・オハニアン 撮影:フアン・セバスティアン・バロン 音楽:トリン・バロウデイル

事件はパソコン上で進行するというアイディアがすべて
 原題"Searching"で、捜査・検索の意。本作では警察の捜査(investigation)に対し、被害者の父親がネットを駆使して真相を追求するネット検索のこと。
 行方不明になった高校生の娘(ミシェル・ラー)を捜して、父親(ジョン・チョー)が手掛かりをFacebookやInstagramなど娘のSNSのアカウントを通じて検索するというイマ風の作品で、映像はチャットや動画、ネットニュースなど、すべてがパソコン画面上で繰り広げられる。
 父親の妻(サラ・ソーン)は癌で死んでいて、過去のエピソードもパソコン上のビデオやフォトライブラリで回想するという念の入れよう。
 もっとも主人公ほどにはネットに精通していない観客にとっては、検索を駆使してネット上の様々な情報にアクセスする父親のスピードに付いて行けず、サーチに置いてけぼりを食うかもしれない・・・あるいは推理小説を読むようなサーチの単調さに退屈するかもしれない。
 ストーリーそのものは至ってシンプルで、母を亡くし父ともディスコミュニケーションな娘は友達からも離れて孤独で、不良な叔父(ジョセフ・リー)からドラッグに逃避することを覚え、その結果、事件に遭遇する。担当刑事(デブラ・メッシング)は最初は家出ではないかと疑い、父親が次々にサーチしてくる情報によって事件に巻き込まれたことが明らかになり変質者が逮捕されるが、明らかになる真相はこの手の犯罪ドラマにありがちなドンデン返しで、それほど意外でもなかったりする。
 最後はハッピーエンドでパソコンを終了させて終わりとなるが、すべてはパソコン上で進行するというアイディアがすべてでもあり、父親が何をしているかを考えずにただ画面上のストーリーだけを追っている方がストレスが少ないという点では、ならば普通の撮り方で良かったということになり、それではストーリーが凡庸でつまらないということであれば、作品としてはアイディア倒れに終わっているともいえる。 (評価:2)

My Counry My Home

no image
製作国:ミャンマー、日本
日本公開:2018年3月18日
監督:チー・ピュー・シン 製作:中元秀俊、アウン・ピョー・ウィン 脚本:チー・ピュー・シン 撮影:マウン・マウン・タ・ミン、コー・ンゲ・レイ 音楽:オカ・ウー・タ

日緬友好の懸け橋・ミャンマー女優のアイドル映画
 日本で生まれ育ったミャンマー人の女子高生の、いわゆる成長物語。
 将来パティシエになることを夢見るヤンは、ミャンマー料理店を営む父たちの会話を聞いて自分が無国籍であることを知る。
 ここからは、日本しか知らず日本国籍を取得するのが当然と考えるヤンと、ミャンマー国籍を取得してほしいと考える父親とのミャンマー人としてのアイデンティティの物語で、夏休みにアルバイトのミャンマー人店員に付き添われて母国の祖父母や親類を訪ね、ミャンマー国籍を取得する決意をするまでの話となる。
 ミャンマーとの合作でもあり、在日ミャンマー人の抱える問題やミャンマーの現代史を知って日緬友好に寄与したいというのが制作者の最大の眼目で、作品もその狙い通りに作られている。
 ただそうした意図で作られた作品が劇映画として面白いかどうかは別で、在日ミャンマー人の置かれた状況を知るということでは興味深いが、教育映画的なシナリオと優等生的な物語は面白味に欠ける。
 ミャンマーの民主化運動に参加して祖国を逃れた父親のエピソードを軸に、遠く離れた血縁への強い絆と愛情が描かれ、何も知らなかったヤンの白紙からの勉強という、観客にとっても現代ミャンマーの入門編となるが、ノーベル平和賞を受賞した民主化の旗頭だったアウンサンスーチーの評価や国軍、ロヒンギャなどの人権・政治問題は日緬友好の前には当然アンタッチャブルで、父親が娘とともになぜ帰国しなかったかなどは曖昧にされている。
 日緬友好のテーマのために作られたストーリーは無難すぎて、無理矢理入れたヤンとミャンマー人店員のラブストーリーも白々しい。
 相当に退屈なストーリーでもあるに拘わらず何とか見通せるのは、ミャンマー人の宗教慣習などが珍しいのと、ヤンを演じるウィッ・モン・シュエ・イーが29歳とは思えぬほどに童顔で可愛いからで、見ようによっては彼女のアイドル映画といえるかもしれない。日本生まれという設定の割には日本語が下手すぎてよく聞き取れないのは愛敬か。 (評価:2)

バード・ボックス

no image
製作国:アメリカ
日本公開:劇場未公開
監督:スサンネ・ビア 製作:ディラン・クラーク、クリス・モーガン、クレイトン・タウンゼント 脚本:エリック・ハイセラー 撮影:サルヴァトーレ・トチノ 美術:ヤン・ロールフス 音楽:トレント・レズナー、アッティカス・ロス

UMAの正体が最後までわからないのがツマラナイ
 原題"Bird Box"で、鳥箱の意。ジョシュ・マラーマンの同名小説が原作。
 ある日突然、世界が見ると自殺するという"something"に襲われるというUMA系SFで、その正体が最後までわからないというのがツマラナイ。
 男女の幼児二人を連れたマロリー(サンドラ・ブロック)が目隠しをして家を脱出、ボートで川下りを始めるシーンから始まり、こうなった経緯をフラッシュバックで語りながら、安心安全なコミュニティに辿り着くまでが描かれる。
 何処となくテレビドラマ『ウォーキング・デッド』(2010-22)もどきの薄味黙示録だが、目隠しをして川下り、急流下りまでやってしまうというのに無理があって、経緯がわかるにつれてサンクチュアリが盲人の国というのが読めてしまうのもツマラナイ。
 二人の子供は二年前に産んだマロリーと避難生活を共にした女の子供で、数人いた運命共同体は次々と"something"に敗れ自殺してしまう。最後に残ったマロリーと良い仲になってしまう黒人(トレヴァンテ・ローズ)とで家族生活を送るが、目隠しでどのようにして5年間を過ごしたかは語られない。
 "something"は正常な人間を狂人に、狂人は狂人のままにするが、唯一正常で"something"を見ることのできない盲人だけが世界に生き残るという、ダイバーシティなのか寓話なのか、考えてもよくわからない物語になっている。
 タイトルは鳥箱の鳥が"something"が近づくと暴れて警告するという設定から。 (評価:2)

レッド・スパロー

製作国:アメリカ
日本公開:2018年3月30日
監督:フランシス・ローレンス 製作:ピーター・チャーニン、スティーヴン・ザイリアン、ジェンノ・トッピング、デヴィッド・レディ 脚本:ジャスティン・ヘイス 撮影:ジョー・ウィレムズ 音楽:ジェームズ・ニュートン・ハワード

三流も極まれば爽快になるエロ可愛い女スパイ映画
 原題"Red Sparrow"。赤いスズメの意で、ロシアのハニートラップ専門スパイのこと。ジェイソン・マシューズの同名小説が原作。
 物語は、元ボリショイバレエのプリマが大怪我をして引退、ロシア情報庁の叔父の推薦でスパイになるという驚愕の設定。
 その理由が、再起不能のバレリーナは国家の役に立たないのでお払い箱、ロシアでは人民は国家のためにのみ存在するという、コチコチの赤嫌いアメリカ人の偏見100%によって制作された三流スパイ作品で、ここまで見事だとある意味爽快。
 ロシアのスパイ訓練というのが如何に個人を捨て非人間的になれるかというもので、女の場合は性玩具のごとき娼婦が理想像。
 哀れ元プリマは、ロシア上層部のアメリカスパイを発見するためにブタペストに送られ、米ロ両大使館を舞台にネズミ発見に努めるが、ネズミを知っているアメリカ側スパイのハンサムと恋仲になる。しかしそれも情報を盗み出すためか? ということで、この女が米ロ双方から二重スパイと疑われ、観客も翻弄されて、彼女の本心がわからないというのが、本作の見どころとなっている。
 冷徹ながら恋に揺れる女スパイという、マタハリ以来の理想像を追求し、これを演じるジェニファー・ローレンスのエロ可愛い魅力がすべて。
 叔父のマティアス・スーナールツがプーチンそっくりの顔というのもウケる。
 前半の無茶苦茶な設定が駄作感を盛り上げるが、二重スパイもので話が分かりにくいのもマイナス。 (評価:2)

海を駆ける

製作国:日本、フランス、インドネシア
日本公開:2018年5月26日
監督:深田晃司 製作:新井重人 脚本:深田晃司 撮影:芦澤明子 音楽:小野川浩幸

現実の厳しさをファンタスティックに提示するだけ
 2004年のスマトラ沖地震で津波被害を受けたバンダ・アチェが舞台。アチェ王国があった地で、イスラム信仰が強く長く内戦が続いていたが、地震を機に停戦、現在は統合されているが、そうしたものがジャーナリスト志望のイルマの背景になっている。
 バンダ・アチェの海岸に日本人らしき男(ディーン・フジオカ)が打ち上げられ、在住日本人の貴子(鶴田真由)が預かることになる。ところがラウと名付けられたこの男、不思議なヒーリング能力を持っていて、道端に倒れていた少女を助ける。さらに日本からやってきた貴子の姪サチコ(阿部純子)が、父の遺灰を撒くための遺言の場所を夢で教える。サチコが貴子の息子タカシ(太賀)、友人のクリス(アディパティ・ドルケン)、イルマ(セカール・サリ)と遺灰を撒きに行った帰り、子供がラウによって溺死させられたことを知る。
 ラウは海の上を駆けて逃げ、それを追いかけるサチコらも海の上を駆けるが、ラウが海中に沈むとともにサチコらも没するという不思議系のエンディング。ラウは現地語で海の意味で、男は海そのものの象徴。人々を癒すとともに命を奪う存在として描かれるが、それ以上はファンタジーで誤魔化していて、それで?という感想しか残らない。
 貴子は津波被害の復興NGOという設定で、冒頭イルマのインタビューに答えて津波について語るが、おそらくは2011年の東日本大震災との津波繋がり。遺灰を撒く場所も旧日本軍のトーチカで独立運動との繋がりが示唆されるもののどちらも消化不良。
 宗教や言葉の壁も描かれて、若者たちの間に横たわる現実の厳しさをありのままに提示するものの、それ以上のものがない。 (評価:2)

犬ヶ島

製作国:アメリカ
日本公開:2018年5月25日
監督:ウェス・アンダーソン アニメーション監督:マーク・ウェアリング 製作:ウェス・アンダーソン、スコット・ルーディン、スティーヴン・レイルズ、ジェレミー・ドーソン 脚本:ウェス・アンダーソン 撮影:トリスタン・オリヴァー 音楽:アレクサンドル・デスプラ

アニメ映像はいいがストーリーが単調でつまらない
 原題"Isle of Dogs"。
 近未来の日本・メガ崎市が舞台で、犬が飽和し伝染病が蔓延したため、犬ヶ島に犬を廃棄するという設定。日本が舞台だけに人間は日本語、犬は英語を話し、文字は英語と日本語の併記とややこしく、目と耳が混乱する。
 神社や相撲、和太鼓、寿司屋といったジャポニズムが美術的には面白く、大勢の犬たちの人形を使ったストップモーション・アニメは必見といってよいくらいに良くできている。
 各シーンを切り出せばギャグも効いていて、それなりに面白いのだが、如何せん全体のストーリーが単調でつまらない。犬ヶ島に犬の投棄を決めた市長の息子の愛犬が捨てられてしまい、息子が犬を助け出すというのが全体ストーリーで、息子もまた孤児を養子にしたという捨て犬の立場。
 最後は市長が心を入れ替えて投棄を中止してハッピーエンドとなるが、人形に演技をつけるのには限界があり、ドラマにならない。
 睡魔を堪えて見続けたが、エンドクレジットでついに堪えきれなくなった。
 オノ・ヨーコが科学者の助手の声を当てているのが聴きどころか? (評価:2)

製作国:カナダ
日本公開:劇場未公開
監督:エルダル・ジェイラン 製作:ポール・バートン 脚本:エルダル・ジェイラン 音楽:ピーター・アレン

白目シーンでは驚きと共に思わず吹いてしまった
 原題"Selfie from Hell"で、地獄からの自撮り写真の意。
 スマホで自撮りをすると背後に黒い男の影が現れ、これを13枚撮ると殺されてしまうという都市伝説的な設定で、この話の出処がダークウェブというURLの存在しないネット空間という今風な設定。
 それもそのはず、YouTubeに投降されたショートムービーの長編映画化で、制作したミーラ・アダムズがジュリア役でそのまま出演している。従妹ハンナ役のアリソン・ウォーカーに比べると、容姿で相当に劣るというホラー映画としてはあり得ない配役なのも納得できるが、『エクソシスト』(1973)の白目シーンも再現してそれなりに頑張っている。
 背後に物の怪がいるという恐怖の心理を上手く憑いたアイディアで、全体のカメラワークもこの「背後に物の怪」感を上手く演出している。
 惜しむらくはストーリーがグチャグチャで、ジュリアは何で寝たきりなのかとか、ハンナは何で一人になりたがるのかとか、ストーカー男が何で突然現れるのかとか、首吊り男は誰なのかとか、化け物は何者かとか、キリがないくらいで、要は怖ければストーリーも整合性もどうでもいいという作品。
 しかし考えて見れば、物の怪なんぞは合理的な説明がつかないから怖いのであって、そうした点で本作はホラーの原点に立ち返ったというか、原点だけをひたすら追い求めた作品だといえる。
 ラストシーンも、もっともらしいことを言っているようで何を言ってるのかさっぱりわからない。
 ジュリアがベッドで半身を起こす『エクソシスト』白目シーンでは、驚きと共に思わず吹いてしまうのもシリアス・ホラーとしては稀有な体験。 (評価:2)

製作国:アメリカ
日本公開:2018年9月28日
監督:ジョン・クラシンスキー 製作:マイケル・ベイ、アンドリュー・フォーム、ブラッド・フラー 脚本:ブライアン・ウッズ、スコット・ベック、ジョン・クラシンスキー 撮影:シャルロッテ・ブルース・クリステンセン 美術:ジェフリー・ビークロフト 音楽:マルコ・ベルトラミ

この状況下で子供を作ってしまう夫婦の馬鹿さ加減に呆れる
 原題"A Quiet Place"で、静かな場所の意。
 宇宙からやってきた音に反応する捕食者から身を守るために、手話で会話する一家という設定のホラー作品。
 音声の台詞が使えないために、音を出さないために一家が腐心するシーンが続き、音を出した末っ子が捕食されてしまうことで設定の説明が終わるが、台詞がないシナリオを演出が補えず、いささか退屈して捕食者より先に眠気が襲ってくる。
 捕食者には足音は聞こえないのかとか、なぜドアを閉めて防御しないのかとか、ご都合主義が気になっていると、妻が妊娠していたという衝撃の事実が明らかになって、この状況下で子供を作ってしまう夫婦のバカさ加減に、ご都合主義も極まる。
 案の定、出産による状況悪化がラストに向けての山場となるが、子供を助けるために父親が声を上げて犠牲になるという、これまた能なしのヒロイズム。もっと他の方法はあるだろうにと、力不足のシナリオに呆れていると、捕食者を一匹倒し、その銃声に多数の捕食者が押し寄せるというシーンでチョン。
 続編のためのラストというには結末がなさすぎで、作品として完結していない。
 捕食者は高い音に反応するように見受けられ、しかし高周波には弱いらしいが、そのあたりの科学設定も不明というよりは余り考えていないようで、アイディアがすべての作品。このアイディアを面白いと思えないと、粗ばかりが気になって楽しめない。 (評価:1.5)

ウトヤ島、7月22日

製作国:ノルウェー
日本公開:2019年3月8日
監督:エリック・ポッペ 製作:フィン・イェンドルム、スタイン・B・クワエ 脚本:シヴ・ラジェンドラム・エリアセン、アンナ・バヘ=ウィーグ 撮影:マルティン・オッテルベック 美術:ハラルド・エーゲデ=ニッセン

72分間、こけずに頑張ったカメラマンに撮影賞
 原題"Utøya 22. juli"で、邦題の意。
 2011年にウトヤ島で起きた労働党青年部のサマーキャンプでの銃乱射事件を基にしたもので、事件発生から収束までの72分間をワンカットでリアルタイムに描写する。
 基本的にはカヤ(アンドレア・ベルンツェン)という架空の政治志望の娘の視点で事件を追うが、ただ逃げ回るばかりで犯人は終盤に一度遠景に姿を現すだけ。ミクロな視点で事件を描いているために事件を俯瞰的には捉えてなく、事件の概要も犯人像も描かれていないために、リアルタイムで描くといってもドキュメンタリーにはなってなく、72分間を如何に持たせるかというシナリオになっているために、人物描写も希薄でドラマにもなっていない。
 一言でいえばTV的手法の事件の再現映像でしかなく、リアルタイムというアイディアを設定してしまったがゆえに、72分間の間を持たせるために主人公が逃げ回り、一緒に参加した妹を探し、途中で人を助け、仲間と将来を語るという、かなり苦しい弛緩したシナリオになっている。TVの再現映像ほどコンパクトにも纏まっていないので、あと何分掛かるのかと残り時間が気になってしまう。
 唯一用意されたどんでん返しは、主人公が終了間際に死んでしまうというもので、リアルタイムといい、ワンカットといい、全体にアイディア倒れに終わっている。
 海岸など足場の悪いところをカメラが移動するため、72分間、こけずに頑張ったカメラマンに撮影賞を上げたい。 (評価:1.5)

製作国:アメリカ
日本公開:劇場未公開
監督:ロバート・パラティーナ 製作:デヴィッド・マイケル・ラット 脚本:ジェイコブ・クーニー、ブランドン・ストラウド 撮影:ジョシュ・マース 音楽:クリス・ライデンハウア、クリストファー・カノ

第一級の駄作だがトンデモ映画なのが見どころ
 原題"Flight 666"で、666便の意。
 邦題のエアポートはラストシーンで僅かに登場するだけで、ほとんどが機内シーン。しかも、幽霊に乗っ取られた飛行機というパニック・ホラー映画というコンセプトが売り。
 666便が飛び立つや否や正体不明の雷雲に巻き込まれ、ロサンゼルスからニューヨークまでの5時間、この雷雲に包まれっぱなしというから訳がわからない。
 これぞ怨霊のなせる業で、エンジンは止まるわ、地上との通信は断たれるわ、電気供給は失われるわ、スマホは使えなくなるわ、機内食は蛆が湧くわ、翼に幽霊が現れるわ、トイレに化け物が現れるわ、乗客に幻覚を見させるわ、副操縦士に幽霊が憑依するわと怪奇現象の連続。
 当然飛行機はダッチロール、急降下を繰り返し、機内は大騒ぎとなるが、パニックになった乗客はシートベルトも締めずに機内を歩き回り、しかも揺れる機内で怪我もしないという幽霊以上の怪奇現象が起きる。
 最大の怪奇現象は、なんとか空港に胴体着陸して助かるのだが、燃料が尽きて出火しないのはまだしも、空港ビルに突っ込んで機体は傷一つ負わないという不思議。
 幽霊は飛行機に搭乗している殺人鬼に殺された女たちで、殺人鬼は誰かというミステリーも大体読めてしまい、パニック映画としてもホラー映画としても第一級の駄作なのだが、あまりにトンデモ映画なのが見どころといえば見どころ。 (評価:1.5)

製作国:アメリカ
日本公開:2018年11月30日
監督:アリ・アスター 製作:ケヴィン・フレイクス、ラース・クヌードセン、バディ・パトリック 脚本:アリ・アスター 撮影:パヴェウ・ポゴジェルスキ 美術:グレイス・ユン 音楽:コリン・ステットソン

キリスト教徒以外には面白味がない悪魔復活劇
 原題"Hereditary"で、遺伝的の意。
 祖母の死をきっかけに呪われた一家が無残な死を遂げていくが、結局のところ、最後に生き残る孫息子に悪魔ペイモンが乗り移るという悪魔復活劇で、キリスト教徒以外にはホラーとしてのストーリーが弱く面白味がない。
 ネタばらしといえるほどのものでもないが、祖母は悪魔崇拝のカルト信者で、母に近づくジョーンのその仲間。孫息子にペイモンを召喚するために、一家を利用する…ただそれだけ。
 祖母は解離性同一性障害、祖父は精神分裂病で餓死、伯父は被害妄想で自殺、母は夢遊病という精神病一家で、母はそれが遺伝で息子と娘にも精神疾患が現れるのではないかと心配。祖母の呪いか偶然かよくわからぬままに息子が原因で娘が事故死。娘恋しさにジョーンに教えてもらった交霊術でペイモンを召喚してしまう。
 墓地に埋めた祖母の死体が掘り起こされて屋根裏部屋にあったり、父がペイモンの呪いで焼死したりして、最後に母が自分で首を切って自殺。家はカルト教団に乗っ取られ、息子の体にペイモンが復活して終り。
 母はミニチュア・ハウスの作家で、冒頭部屋を舐めてミニチュア・ハウスにズームして物語が始まるのが、ホラー演出的にはワクワクする。娘と母が首なし死体になるシーンがエグイ。 (評価:1.5)


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