海月衛 映画帖
~映画の大海原をたゆたう~

外国映画レビュー──2009年

製作国:アメリカ、イギリス
日本公開:2009年12月23日
監督:ジェームズ・キャメロン 製作:ジェームズ・キャメロン、ジョン・ランドー 脚本:ジェームズ・キャメロン 撮影:マウロ・フィオーレ 美術:リック・カーター、ロバート・ストロンバーグ 音楽:ジェームズ・ホーナー
ゴールデングローブ作品賞

精神こそがリアルであるという仮想現実のドラマ
 原題"Avatar"で、化身の意。
 3D映画の先駆けとなった作品で、公開時に3Dで観たものを改めて2Dで観てみると、キャメロンが如何に両立に腐心したかが窺えて面白い。前者を仮想現実性、後者を客観性に置き換えれば、本作のテーマの中心はまさにそこにあって、仮想現実であるアバターと客観的な存在である生身の人間との相克のドラマとなっている。
 表向きは環境がテーマとなっていて、開発により緑を失った地球人たちがパンドラという星に前線基地をおき、エネルギー資源を採掘しようとするが、自然と一体となって生活する原住民ナヴィの抵抗に遭っている。そこに海兵隊出身の不具の青年(サム・ワーシントン)が送り込まれ、科学者の調査チームに混じり、アバターとなってナヴィを偵察するという密命を受ける。
 ナヴィの一員となることに成功するが、娘(ゾーイ・サルダナ)に恋し、パンドラの生態系の一部となったナヴィの生活を知ることで、星を守るためにナヴィに寝がえり、地球人と戦うというのが物語の骨子。
 宮崎駿などにもよくある環境テーマだが、設定とシナリオがよく出来ているので、教条的な嫌味はない。
 本作のもう一つのテーマは、作中でも主人公の台詞として出てくるように、アバターと生身とどちらが本当の現実か判らなくなってくることで、パンドラの星そのものがそうであるように、肉体は空蝉であって、精神こそがリアルであるということにある。生身もまたアバターであり、ラストシーンで主人公は撤退する地球人を見送り、ナヴィの一員、一種の精神世界へと転生する。
 3D映画は映像表現が主眼となるため、往々にして2Dで観るとつまらない。本作では、3D用に創られた映像は視覚的には煩雑で、カメラ移動にも酔いそうになってしまうという難点はあるが、物語的には作品性を保っているため、骨格のしっかりとした作品になっている。
 ナヴィを蹂躙する地球人重量メカとの戦いも、最後は大佐(ティーヴン・ラング)との前近代的なタイマン勝負というハリウッド・エンタテイメントの王道をしっかり踏んでいて、アクション映画としても気を抜いていない。
 女研究者に『エイリアン』(1979)のシガニー・ウィーバーというのもちょっとしたフック。 (評価:2.5)

製作国:アメリカ
日本公開:2009年11月20日
監督:クエンティン・タランティーノ 製作:ローレンス・ベンダー 脚本:クエンティン・タランティーノ 撮影:ロバート・リチャードソン
キネマ旬報:10位

さすがタランティーノ、歴史さえもぶち壊す痛快な映画
 原題"Inglourious Basterds"だが、正しい綴りは"Inglorious Bastards"で「不名誉なろくでなし」。劇中に出てくるアメリカ軍特殊部隊の通称で、指揮官はブラッド・ピット。
 ナチス占領下のフランスが舞台。家族を殺され一人逃げ延びた娘(メラニー・ロラン)がパリで映画館主となり、たまたまナチのプロパガンダ映画のプレミア上映をすることになる。ゲッペルス、ヒトラーなどナチ高官が集うことから、可燃性フィルムを燃やして復讐を果たそうと計画する。一方、イングロリアス・バスターズは、スパイのドイツ人女優の手引きでプレミア上映に潜入して爆破テロを行おうと計画。二つのナチ殲滅計画が同時進行するという筋立て。
 計画の全貌がわかるになるにつれて、タランティーノ監督なのでラストは華々しく全員が討ち死にして死屍累々の山を築くのだろうという期待が高まる。しかし、実在のゲッペルスとヒトラーはどうなってしまうのか?
 そこはさすがタランティーノで、歴史さえもぶち壊す爽快感が味わえる。
 暴力描写は冒頭から期待にたがわず、ユダヤ人一家の虐殺シーン、アパッチ族が祖先だというバスターズ指揮官は倒したドイツ兵の頭皮を剥ぐ。反抗すればバットで撲殺し、生き残りには額にナイフでハーケンクロイツを刻む。
 映画の緊張感はずっと続き、暴力描写が苦手でなければ、タランティーノらしい理屈抜きの痛快な第一級エンタテイメントが楽しめる。 (評価:2.5)

瞳の奥の秘密

製作国:アルゼンチン
日本公開:2010年8月14日
監督:フアン・ホセ・カンパネラ 製作:マリエラ・ベスイエフスキー、フアン・ホセ・カンパネラ 脚本:エドゥアルド・サチェリ、フアン・ホセ・カンパネラ 撮影:フェリックス・モンティ 音楽:フェデリコ・フシド
アカデミー外国語映画賞

完成した小説はサスペンスではなくラブロマンス
 原題"El secreto de sus ojos"で、邦題の意。エドゥアルド・サチェリの小説"La pregunta de sus ojos"(瞳の問いかけ)が原作。
 ブエノスアイレスの刑事裁判所を定年退職した男エスポシト(リカルド・ダリン)が25年前の事件を小説にするために、関係者を訪ねるという物語で、最初に訪ねるのが女上司のイレーネ(ソレダ・ビジャミル)。このイレーネとは互いに思いを寄せる中なのだが、身分違いのためにそれぞれが別の家庭を持ったという因縁があり、事件の25年後というサスペンスと共に、25年後の愛の行方という2本の糸が絡み合う展開になっている。
 若干わかりにくいのがアルゼンチンの刑事制度で、検事と刑事を兼ねている上に裁判所に所属している。さらに強姦殺人犯として終身刑になった男(ハビエル・ゴディーノ)が情報屋として有用ということで釈放されて刑事裁判所に勤め、意趣返しに殺し屋を雇って検事たちを殺そうとするというアルゼンチンの政治事情も良くわからない。
 つまるところ妻を殺された夫(パブロ・ラゴ)が、釈放された犯人に終身刑を全うさせようとして25年の間に捕らえ、田舎の一軒家の牢に閉じ込めていたというオチの復讐話で、メリハリに欠けるストーリーの2時間余りが長く感じられるが、サスペンスの落としどころが上手く、アルゼンチンで大ヒット。アカデミー外国語映画賞を受賞した。
 この顛末でエスポシトは悪戦苦闘の小説を完成させるが、これをイレーネに読ませて間接的に愛を告白するというラストから、小説はサスペンスではなくラブロマンスだったのだろう。
 タイトルは、写真の人物の目が語るものが犯人逮捕のきっかけとなったことから。 (評価:2.5)

製作国:アメリカ、南アフリカ、ニュージーランド
日本公開:2010年4月10日
監督:ニール・ブロムカンプ 製作:ピーター・ジャクソン、キャロリン・カニンガム 脚本:ニール・ブロムカンプ、テリー・タッチェル 撮影:トレント・オパロッチ 音楽:クリントン・ショーター
キネマ旬報:3位

南アのアパルトヘイトをなぞるエイリアンSF
 原題は"Districtt 9"で邦題の意。劇中で難民となったエイリアンの隔離居住区のこと。エイリアンたちはその外見から海老(prawn)と呼ばれている。
 舞台は1980年代の南アのヨハネスブルクとなれば、人種隔離政策との比喩が連想されるが、実際、1971年から10地区に隔離され、劇中の強制移住も行われた。アパルトヘイトが終了するのは、1994年のマンデラ大統領誕生にかけて。本作は南アのアパルトヘイトの歴史をエイリアンに置き換えて同時代的に描いたもので、SF作品としてこのようなあからさまな政治的設定は議論となるところ。
 物語はヨハネスブルク上空で宇宙船が故障し、エイリアンは第9区に隔離される。10区への強制移住が始まり、主人公のヴィカスが立ち退き交渉の先頭に立つが、意識もやり口も人種差別主義者そのもの。トラブルからヴィカスのDNAがエイリアンに変化し始め、DNA認証が必要な彼らの武器を操れるようになる。そのことから白人の実験体にされ、第9区に逃げ込む中で宇宙船に人間に戻れる装置があることを知り、エイリアン親子と力を合わせることになる。故郷に戻ろうとする親子と人間に戻ろうとするヴィカス。白人の非人道と戦う元白人のヴィカス。カラードとなった彼の変化がこの映画の焦点となる。
 映画はアパルトヘイトを同時進行的に描くためにドキュメンタリー手法で演出される。若干忙しないが、テンポと臨場感が従来のSF映画にないリアリティを引き出している。
 ラストシーンは『未知との遭遇』を彷彿させ、エイリアン親子が2年後の解放を約束し、ヴィカスはエイリアンのキャンプに消える。エイリアン親子はマンデラを象徴しているのかもしれない。
 アパルトヘイトを忘れればよくできたSFだが、連想すると興趣を削がれる。逆に映画に政治性を求める向きには評価は高いかもしれない。 (評価:2.5)

製作国:韓国
日本公開:2009年10月31日
監督:ポン・ジュノ 脚本:パク・ウンギョ、ポン・ジュノ 撮影:ホン・クンピョ 音楽:イ・ビョンウ
キネマ旬報:2位

キム・ヘジャの踊りがシュールで印象的
 原題は"마더"(マザー)で、motherのこと。
 知的障害を持つ息子と二人で暮らす母親が主人公で、息子が近所のヤリマン少女を殺した容疑で逮捕され裁判にかけられる。息子の無罪を信じる母親が、真犯人を追い求めていくと意外な事実が! というのが物語の大筋。
 冒頭、ベンツに撥ねられた息子が友人と仕返しをすると、逆に車を破損したと賠償請求されるなど、韓国ではこれが常識なのか? あるいはこんな無茶苦茶な設定でも観客は納得してしまうのか? はたまたこれはコメディなのか? と頭が混乱する。威張り散らす大学教授、無能な警察、倫理観のない弁護士など、単にコメディの道具立てかと思いつつも、仏像盗難や強制労働賠償の韓国での裁判のニュースなどを思い出し、意外と未開なのかもと思い、関心は別の方向に向く。
 それを社会風刺のコメディと思って見ていると、話は犯人探しになってミステリーだったのかと思い、さらに子を思う母の行動に及ぶに至ってシリアスな方向に進んでいき、本作が母子ものだったことに気付く。
 そしてラストは意外な結末となるのだが、本作はミステリーが売りと考えて結末は書かないことにする。
 終盤は若干蛇足気味にだれるものの、全体は『グエムル-漢江の怪物-』同様に退屈はしない。とりわけミステリー話になってからはキム・ヘジャの演技も真に迫る。しかし、全体に方向感がなくて、見終わって今ひとつピンとこない。
 冒頭とラストのキム・ヘジャの踊りがシュールで印象に残る。 (評価:2.5)

ニューヨーク、アイラブユー

製作国:アメリカ、フランス
日本公開:2010年2月27日
監督:チアン・ウェン、ミーラー・ナーイル、岩井俊二、イヴァン・アタル、ブレット・ラトナー、アレン・ヒューズ、シェカール・カプール、ナタリー・ポートマン、ファティ・アキン、ジョシュア・マーストン、ランディ・バルスマイヤー 製作:エマニュエル・ベンビイ

ニューヨークにアメリカ人は少なく外国人ばかり
 原題"New York, I Love You"。
 ニューヨークを舞台に11人の監督が撮った短編を繋いだオムニバス映画だが、全体で1本の映画に見えるように編集されている。NYの様々なカップルを中心とした人間模様がモザイクのように繋ぎ合わされ、都会の諸相をスケッチしたような味わい深い作品に仕上がっている。劇中にニューヨークにアメリカ人は少なく外国人ばかり(Everyone came from somewhere else.)、という台詞があるが、その言葉が象徴するニューヨークが描かれる。
 注目は岩井俊二とナタリー・ポートマンが参加していることで、岩井パートはアッパー・ウエスト・サイドに住む作曲家(オーランド・ブルーム)と顔を知らない依頼主(クリスティーナ・リッチ)の話。アニメーションも使われているところが日本的。
 ナタリー・ポートマンは、セントラルパークで白人少女の子守をする黒人青年の話で、初監督らしくハートウォーミング。ポートマンはミーラー・ナーイル監督のダイヤモンド取引所を訪れるユダヤ教徒新婦の役でも出演していて、スキンヘッドを披露している。
 チアン・ウェン監督のスリの話(ヘイデン・クリステンセン)、イヴァン・アタル監督の娼婦の話(イーサン・ホーク)、シェカール・カプール監督のオペラ歌手の話が印象深い。 (評価:2.5)

製作国:ドイツ、オーストリア、フランス、イタリア
日本公開:2010年12月4日
監督:ミヒャエル・ハネケ 製作:シュテファン・アルント、ファイト・ハイドゥシュカ、ミヒャエル・カッツ 脚本:ミヒャエル・ハネケ 撮影:クリスティアン・ベルガー
キネマ旬報:4位
カンヌ映画祭パルム・ドール

解決しないミステリーと生煮えのテーマに消化不良
 原題は"Das weiße Band"で邦題の意。監督は『ピアニスト』『愛、アムール』のミヒャエル・ハネケ。カンヌ国際映画祭パルム・ドールを受賞した作品。
 1913年のドイツの村が舞台。村に次々と起きた謎の傷害事件を村の教師の回想として描くミステリーだが、謎解きの1年の間に事件とは無縁のオーストリア皇太子暗殺のサラエボ事件が触れられるという思わせぶりな作品。
 サラエボ事件は神聖ローマ帝国に繋がるオーストリア・ハンガリー帝国、ハプスブルク家終焉を象徴する歴史的事件で、この事件をきっかけにヨーロッパの民族主義が台頭し、第一次世界大戦が勃発、ナチスが登場する。
 本作のテーマは難解というか不明で、何を描こうとしたのかよくわからない。それを読み解く鍵として、ストーリーには全く関係のないサラエボ事件が語られるわけだが、その鍵をどう使うかは観客に委ねられるという不親切ぶり。
 敢えて読み解くとすれば、封建領主が統治するドイツの村は民主化・近代化とは無縁に見えるが、20世紀の潮流はこの村にも押し寄せていて、そのギャップに多くの矛盾が内包され、この村を息苦しい暗雲が覆っている。
 それは村人の生殺与奪の権力をふるう領主であり、領主への不満を飲み込んで唯々諾々とする小作人であり、堕落した医者であり、白いリボンに象徴される純粋無垢な精神を子供たちに強要する厳格な牧師。
 それに歯向かうのが小作人の倅、牧師の子供たち、館を出ていく領主夫人、そして医者の愛人である助産婦で、新旧の価値観の対立が村の事件の底流となっている。
 価値観の対立が潜在する古臭いこの村が、ハプスブルク家が支配してきた封建的な欧州のミニチュア化であり、ハプスブルク家の終焉がこの村のこれからの変化を予感させる。
 そこから先にどのような意味を言い出すかについては、ハネケは観客を放り出してしまっているが、ミステリーとしても最終的には解決されてなく、ハネケにとってはどうでもいいことだったに違いない。
 そうした不親切さをどう捉えるかで評価も変わるが、解決しないミステリーを見終わって、生煮えのテーマともども消化不良のもやもや感が残ることだけは間違いない。 (評価:2.5)

ミレニアム2 火と戯れる女

製作国:スウェーデン、デンマーク、ドイツ
日本公開:2010年9月11日
監督:ダニエル・アルフレッドソン 製作:ソーレン・スタルモス 脚本:ヨナス・フリュクベリ 撮影:ペーテル・モクロシンスキー 音楽:ヤコブ・グロート

ミステリー、アクション、スリルがテンポ良く展開
 スティーグ・ラーソン原作のスウェーデンのベストセラー小説『ミレニアム』第2部が原作。原題は"Flickan som lekte med elden"で邦題の意。
 監督が変わったせいか、第1部「ドラゴン・タトゥーの女」の陰鬱な印象とはだいぶ変わって、映像的にもモダンなイメージになっている。もともとはテレビ用に制作されていたということだが、肩の力が抜けているためか、それとも原作がそうなのか、こちらの方が面白い。
 リスベットが殺人犯として追われるというミステリアスな展開を軸に、彼女の秘密が明かされていく。アクションやスリルも楽しめ、テンポも良い。ただサービスとはいえ、前作同様の過剰な性描写が流れを壊す。スウェーデンでは、映画興行に必須なのだろうか。
 第3部とは前後篇になっているが、作品的には第2部だけで結末は付いている。 (評価:2.5)

ミレニアム3 眠れる女と狂卓の騎士

製作国:スウェーデン、デンマーク、ドイツ
日本公開:2010年9月11日
監督:ダニエル・アルフレッドソン 製作:ソーレン・スタルモス 脚本:ヨナス・フリュクベリ 撮影:ペーテル・モクロシンスキー 音楽:ヤコブ・グロート

スパイ映画の緊迫感と法廷劇が楽しめる、第2部解決篇
 スティーグ・ラーソン原作のスウェーデンのベストセラー小説『ミレニアム』第3部が原作。原題は"Luftslottet som sprängdes"で「爆発した空の城」の意。
 第2部の後編で、物語としては独立しているが、前作を見ないと話がわからないので第2部とセットで観た方がよい。テンポの良さ、ストーリーの面白さは前作と変わらないが、最初から誰が敵かはわかっているという点ではミステリー色は薄い。しかし第3部はこれまでとは一転、スパイ映画のような展開と法廷劇の緊迫感があって、第2部とは趣の違うエンタテイメント作品になっている。リスベットもすっかり可愛らしくなって、最後にはカタルシスが用意されている。
 ミカエルの妹で弁護士のアニカ・ハリソンと医師のアクセル・モリッセがいい。ハッカー疫病神も活躍するので、オタク好きには楽しめるかも。 (評価:2.5)

ハリー・ポッターと謎のプリンス

製作国:イギリス、アメリカ
日本公開:2009年7月15日
監督:デヴィッド・イェーツ 製作:デヴィッド・ハイマン、デヴィッド・バロン 脚本:スティーヴ・クローヴス 撮影:ブリュノ・デルボネル 音楽:ニコラス・フーパー

ヴォルデモートの少年時代大幅カットが残念
 原題は"Harry Potter And The Half-Blood Prince"で、副題は「混血のプリンス」の意。副題の意味については説明されない。原作はJ.K.ローリングの同名児童小説で、シリーズ第6作。監督は「不死鳥の騎士団」以降を担当したデヴィッド・イェーツ。
 ヴォルデモートが魔法界・人間界公知の存在となり、人間界にも被害を及ぼす。ドラコはダンブルドア暗殺の指令を受け、それをスネイプがサポートする。ハリーはドラコの陰謀を探りながら、ダンブルドアとともに分霊箱の破壊に向かう。魔法薬学で、ハリーは混血のプリンスと署名のある教科書を手に入れる。
 公開以来、久し振りに見たが、ストーリーを忘れていることもあって、映画として客観的に観られた。長い原作を要領よくまとめていて、原作を読まないと物語がわからないという問題は解消されている。ただ、ヴォデモートの過去のエピソードが大幅にカットされているので、原作ファンには不満かもしれない。
 またシリーズを見ていることを前提に作られていて、どこまで話が進んでいたかを憶えていないので、プロローグで「前回までのお話」的なものは欲しい。
 とにかく登場キャラが多く、基本はストーリーを追うだけなので、見どころを挙げるのは難しい。敢えて挙げればアカデミー撮影賞のCG合成シーンか。ホグワーツ特急やデス・イーターの登場シーンは凝っている。もともと滑舌の良くないマクゴナガルのマギー・スミス75歳の口が回らないのが気になる。 (評価:2.5)

製作国:アメリカ
日本公開:2010年6月12日
監督:スコット・クーパー 製作:スコット・クーパー、ロバート・デュヴァル、ロブ・カーライナー、ジュディ・カイロ、T=ボーン・バーネット 脚本:スコット・クーパー 撮影:バリー・マーコウィッツ 音楽:T=ボーン・バーネット、スティーヴン・ブルトン
キネマ旬報:7位

日本ならば昔ヒット曲を出した演歌歌手の落ちぶれた物語
​ ​原​題​は​"​C​r​a​z​y​ ​H​e​a​r​t​"​。​ト​ー​マ​ス​・​コ​ッ​ブ​の​同​名​小​説​が​原​作​。
​ ​か​つ​て​は​人​気​だ​っ​た​カ​ン​ト​リ​ー​歌​手​は​5​7​歳​と​な​り​、​ド​サ​周​り​の​日​々​、​酒​と​女​に​溺​れ​る​日​々​を​送​っ​て​い​る​。​弟​子​だ​っ​た​男​の​前​座​を​務​め​る​と​い​う​屈​辱​の​中​で​、​音​楽​ラ​イ​タ​ー​の​子​持​ち​女​と​恋​を​す​る​が​、​ア​ル​中​で​子​守​り​も​満​足​に​で​き​ず​愛​想​を​尽​か​さ​れ​る​。​一​方​、​元​弟​子​か​ら​依​頼​さ​れ​、​自​分​の​哀​愁​を​綴​っ​た​曲​が​ヒ​ッ​ト​し​、​彼​女​に​復​縁​を​迫​る​が​再​婚​し​て​い​た​。​男​が​別​れ​た​妻​に​電​話​を​す​る​と​死​ん​で​い​て​、​4​歳​の​時​に​会​っ​た​き​り​の​息​子​が​電​話​に​出​る​が​相​手​に​さ​れ​な​い​。
​ ​ど​こ​ま​で​い​っ​て​も​ダ​メ​男​。​そ​れ​が​カ​ン​ト​リ​ー​と​重​な​っ​て​ア​メ​リ​カ​人​の​郷​愁​を​誘​う​の​か​。​日​本​な​ら​ば​主​人​公​は​さ​し​ず​め​昔​ヒ​ッ​ト​曲​を​出​し​た​こ​と​が​あ​る​演​歌​歌​手​と​い​っ​た​と​こ​ろ​。​こ​の​手​の​人​生​の​悲​哀​と​う​ら​ぶ​れ​た​男​の​物​語​が​好​き​な​向​き​に​は​、​寂​し​い​心​を​癒​し​て​く​れ​る​映​画​だ​が​、​そ​れ​だ​け​の​映​画​と​も​い​え​る​。
​ ​老​い​た​カ​ン​ト​リ​ー​歌​手​役​の​ジ​ェ​フ​・​ブ​リ​ッ​ジ​ス​が​ア​カ​デ​ミ​ー​主​演​男​優​賞​。​歌​も​な​か​な​か​よ​く​て​、​主​題​歌​の​"​T​h​e​ ​W​e​a​r​y​ ​K​i​n​d​"​で​ア​カ​デ​ミ​ー​歌​曲​賞​受​賞​。
​ ​恋​人​役​の​マ​ギ​ー​・​ジ​レ​ン​ホ​ー​ル​が​ア​カ​デ​ミ​ー​助​演​女​優​賞​だ​が​、​出​会​い​の​場​面​で​ど​う​し​て​カ​ン​ト​リ​ー​歌​手​を​好​き​に​な​っ​た​の​か​が​今​ひ​と​つ​わ​か​ら​な​い​演​技​。 (評価:2.5)

製作国:韓国、フランス
日本公開:2010年10月9日
監督:ウニー・ルコント 製作:イ・チャンドン、ロラン・ラヴォレ、イ・ジュンドン 撮影:キム・ヒョンソク 美術:ペク・ギョンイン 音楽:ジム・セール
キネマ旬報:8位

監督の孤児院への思いが、映画を寒々しいものにしている
 原題は"여행자"で、旅行者の意。
 監督のウニー・ルコントの実体験を基に描いた作品で、韓国の孤児院に育った少女がフランス人の里親に引き取られるまでを描く。
 主人公のジニは、父親の再婚を機に孤児院に捨てられるように預けられる。少女ばかりのキリスト教修道院系の孤児院で、孤児たちは家族となり、里親が現れるのを待つことになる。
 ジニは父親に捨てられたことが理解できず、父のもとに帰れると思いながら、里親を待つ他の孤児たちと馴染めずに孤独な生活を送る。この間に仲良くなるのが年上のスッキで、怪我をした小鳥を隠して看病し、死んで埋葬したことから絆を強める。
 スッキはアメリカ人に里親になってもらおうと積極的に英語を勉強し、やがて引き取られていく。スッキがいなくなり、院長から父親の所在が不明になったと聞かされ、小鳥の墓を掘って自分を埋葬しようとする。やがて彼女の里親が決まり、一人飛行機に乗ってフランスの空港に降り立つが、これが原題「旅行者」となっている。
 一人の孤児の孤独を描き、よくできたセンチメンタルな作品だが、結局のところ感傷主義の私小説でしかなく、個人的体験以上のものにはなっていない。冒頭1975年のテロップが入るが、それがこの作品が客観性を持たせられなかったことを表している。
 面白いのは、仲間が里親に引き取られていく時には、孤児院の前庭で全員で記念撮影をしてから見送ることで、合唱しながら車を送り出す。1曲目は別れを歌う「蛍の光」、2曲目はいつの日かの再会を歌うが、おそらくは再会のないことを知りながらこの歌を歌わせる孤児院の偽善を象徴していて、院長や修道女たちの子供たちに対する接し方は冷淡。
 脚の悪い少女が「里親とは名ばかりで家政婦だ」と嫌がると、「おまえは脚が悪いのだから我慢しろ」と院長が言い放つ。
 そうした監督の孤児院への思いが、この作品を寒々しいものにしている。 (評価:2.5)

シャーロック・ホームズ

製作国:イギリス、アメリカ、オーストラリア
日本公開:2010年3月12日
監督:ガイ・リッチー 製作:ジョエル・シルバー、ライオネル・ウィグラム、スーザン・ダウニー、ダン・リン 脚本:マイケル・ロバート・ジョンソン、アンソニー・ペッカム、サイモン・キンバーグ 撮影:フィリップ・ルースロ 音楽:ハンス・ジマー

シャーロック映画にしなくても良かったのでは?
 サスペンスではなくアクションのシャーロック映画として話題になった。公開時は飛行機の小さなモニターで観たが、ハリウッド風アクション映画に違和感が残った。
 ホームズといえば、グラナダテレビが原作に忠実に製作した『シャーロック・ホームズの冒険』(1985-95)の印象が強く、ジェレミー・ブレットのインテリ・ホームズが頭に焼き付いている。最近になって舞台を現代に移したBBCの『SHERLOCK』(2010、2012)を第2シリーズまで観て、当初はベネディクト・カンバーバッチのオタク・ホームズに面喰ったが、結構気に入って見続けた。それもあって、映画のシャーロックをもう一度見直してみたが、カンバーバッチがブレットのホームズ像を壊してくれたおかげで、偏見なく観ることができた。
 アクション映画としては面白いし、SFXも映画ならではの迫力。ロバート・ダウニーJr.のくたびれた感のあるホームズも個人的には結構気に入ったのだが、ジュード・ロウのワトソンはミスキャストだったのではないか。ホームズよりも目立つし、なにしろ偉そうに見える。レストレード警部やハドソン夫人の出番も少ないし、何もシャーロック映画にせずに、別キャラの映画にすれば良かったのではないか。 (評価:2.5)

ドラゴン・タトゥーの女 ミレニアム

製作国:スウェーデン、デンマーク、ドイツ
日本公開:2010年1月16日
監督:ニールス・アルデン・オプレヴ 製作:ソーレン・スタルモス 脚本:ニコライ・アーセル、ラスマス・ヘイスターバング 撮影:エリック・クレス、イェンス・フィッシェル 音楽:ヤコブ・グロート

北欧の陰鬱さを味うオーソドックスなスウェーデン映画
 スティーグ・ラーソン原作のスウェーデンのベストセラー小説『ミレニアム』第1部が原作。原題は"Män som hatar kvinnor"で、「女性を嫌う男たち」の意。
 2011年にハリウッド版が制作されたが、ストーリー的にはこちらの方がわかりやすい。犯人像の整理や謎解きも丁寧に説明され、オーソドックスな作りとなっている。映像的にも北欧の陰鬱さが良く出ていて、ミステリー的雰囲気。
 ただ、リ​ス​ベ​ッ​ト​役のノオミ・ラパスは割とノーマルで、ハリウッド版のル​ー​ニ​ー​・​マ​ー​ラ​ほどのイッチャッてる感はない。登場人物は全般に地味目で、ハリウッド版ほど個性的でないのはスウェーデン映画の伝統か。
 ハリウッドの華やかさと、スウェーデンの陰鬱さのどちらを選ぶかは好みの問題。2つを比較して映画文化の違いを味わうというのも一興か。惨殺死体の写真が多いので要注意。 (評価:2.5)

製作国:中国、フランス
日本公開:2010年11月6日
監督:ロウ・イエ 製作:ナイ・アン、シルヴァン・ブルシュテイン 脚本:メイ・フォン 音楽:ペイマン・ヤザニアン
キネマ旬報:9位

身も心も漂泊する中国の伝統的ニヒリズムの映画
 原題は"春風沈酔的晩上"で、「春風に酔うような夜」の意。劇中、戦前の中国作家・郁達夫の同名短編小説からの文章の引用があるが、物語はオリジナル。
 本作は同性愛と異性愛をテーマとする映画で、合わせれば愛がテーマ。冒頭から男同士が交わるシーンで始まり、愛=セックスというくらいに、男同士のセックスシーンとキス、抱擁シーンが延々と続く。
 個人的には同性愛を理解できているわけではないが、異性愛と同じくらいにプラトニックは重要だと推し量るので、セックス・キス・抱擁シーンばかりが続くと辟易とする。
 もっとも、反体制映画人のロウ・イエにとっては、タブーに挑戦するのも映画作りの目的で、そうした映画を作ってしまう状況に中国の文化的後進性が表れる。ゲリラ的に制作するために、ビデオで撮影した粗い画像も物悲しい。
 物語はゲイの男がバイの男を恋人に持つが、バイの妻が探偵を雇って夫の素行調査を始め、二人の関係を疑っているのに気付くと、あっさりバイの男を捨てる。バイの男は浮気がばれた上に、妻と寝ても勃起せず、手首を切って自殺。
 なぜかゲイの次の相手は探偵で、彼には工場長と浮気している女工員の恋人がいる。元彼が自殺して傷心のゲイと探偵は、女工員を誘ってドライブに行き、男男女の愛と友情を結ぶ。ところがゲイは元彼の妻に切りつけられ、傷口をタトゥーで隠して、また別の男を恋人にする・・・という理解の難しい物語。
 究極、同性愛も異性愛も英題の"Spring Fever"というのが結論か。
 spring feverは、春の高揚感、春先のものうい感じのことで、春先に性的エネルギーが高まってホルモンバランスが崩れ、体や精神に変調をきたすこと。
 中国詩人のように身も心も漂泊する中国の伝統的ニヒリズムの映画といえば、いかにも芸術映画っぽい。 (評価:2.5)

製作国:アメリカ、南アフリカ
日本公開:2010年2月5日
監督:クリント・イーストウッド 製作:ロリー・マクレアリー、ロバート・ロレンツ、メイス・ニューフェルド、クリント・イーストウッド 脚本:アンソニー・ペッカム 撮影: トム・スターン 音楽:カイル・イーストウッド、マイケル・スティーヴンス
キネマ旬報:2位

マンデラを描けばヒューマンドラマも政治映画になる
 ジョン・カーリンの"Playing the Enemy: Nelson Mandela and the Game that Made a Nation"が原作で、「敵との対戦:ネルソン・マンデラと国造りのゲーム」といった意味。映画の原題"Invictus"はイギリスの詩人ウィリアム・アーネスト・ヘンリーの詩のタイトルで、劇中でマンデラが唱える"I am the master of my fate:I am the captain of my soul."(私は我が運命の主人であり、我が魂の指導者)は、この詩の一節。invictusはラテン語で「征服されない」という意味。
 この映画を要約すれば、大統領に就任したマンデラが黒人差別の怨讐を超えて黒人と白人の融和策を進めるために、アパルトヘイトの象徴であったラグビーチームを国民統一の絆に変え、ワールドカップ優勝に導き、国民融和を果たす物語。マンデラの傑出した人格や才能・聡明さを描き、感動を与えてくれる。しかし観終わって、これで良いのかという思いがする。
 マンデラが不屈の闘士であり、反アパルトヘイトのために戦い、黒人大統領として平和国家を建設し、ノーベル平和賞を受賞した傑物だということは否定しない。しかし国民融和という崇高な目的でも、やはりマンデラはスポーツを政治的に利用している。日本の首相が国民栄誉賞を与えてスポーツを政治利用するのと同じ。しかも話がラグビーに絞られているために、政治家としてのマンデラを客観的に描けていない。
 イーストウッド監督はスポーツをヒューマンドラマに仕立てるのが上手く、本作もエンタテイメント映画であって政治映画ではない。しかしマンデラを描くことは政治的にしかなりようがない。この映画はそのような危険性を孕んでいたが、マンデラを対象として突き放す客観がなかった。そのためイーストウッドが意図しようがしまいが、マンデラのプロパガンダ映画になっている。
 この映画を理解するためには過去の南アのアパルトヘイト政策、マンデラについての予備知識が必要。
 モーガン・フリーマンの貫禄ある演技が見どころ。映画はスルーしたが、貧富の格差も治安の悪さも南アは世界最悪を脱していない。 (評価:2.5)

ブロンド少女は過激に美しく

製作国:ポルトガル、スペイン、フランス
日本公開:2010年10月9日
監督:マノエル・ド・オリヴェイラ 製作:フランソワ・ダルテマール、マリア・ジョアオン・マイエ、ルイス・ミニャーロ 脚本:マノエル・ド・オリヴェイラ 撮影:サビーヌ・ランスラン

ブロンド少女が邦題ほどには美人ではないのが残念
 原題"Singularidades de Uma Rapariga Loura"で、あるブロンド少女の奇癖の意。エッサ・デ・ケイロスの同名短編小説が原作。
 『アンジェリカの微笑み』(2010)のオリヴェイラ99歳の時の作品で、列車に乗り合わせた見ず知らずの隣の婦人に、青年が聞かせる話。妻にも友にも言えないことは見知らぬ人に話しなさい、というポルトガルの諺? により回想に入るという構成を採っている。
 物語そのものは、叔父(ディオゴ・ドリア)の生地屋の経理をしていた青年(リカルド・トレパ)が、窓越しの向かいの部屋の少女(カタリナ・ヴァレンシュタイン)に恋するというもので、叔父に結婚を反対されて店を辞め、大西洋にある旧ポルトガル領カーボベルデで一旗揚げ、結婚資金を作って帰ってくるが、友人に騙されて破産。叔父は青年に仕事を与え結婚を許し、青年は結婚指輪を注文に娘と宝石店に行くが、娘が万引きを働いて破談という顛末。
 前半、生地屋でビロードのハンカチがなくなったという何気ない会話を覚えていると、娘が万引きの常習犯だということがわかる。
 オリヴェイラらしい淡々とした不思議な魅力に満ちた作品で、一部を除いて固定カメラによる静かな映像とコンポジションが見どころ。車掌が検札していくワンショットで、物語に入る前の青年と婦人が互いを気にしている導入が上手く、階段の鏡を使ったシーンなど、印象的な映像が多い。
 青年が恋するブロンド少女は、邦題ほどには美人ではないのが残念なところ。 (評価:2.5)

カールじいさんの空飛ぶ家

製作国:アメリカ
日本公開:2009年12月5日
監督:ピート・ドクター 製作:ジョナス・リヴェラ 脚本:ボブ・ピーターソン、ピート・ドクター 音楽:マイケル・ジアッキノ

エリーの思い出とともにひっそりと佇むラストがいい
 原題"Up"で、上昇の意。ピクサー・アニメーション・スタジオ製作の3Dアニメーション。
 1930年代、南米パラダイス・フォールに棲む怪鳥を生け捕りにするため、飛行船で向かったまま行方不明となった冒険家マンツに憧れる少年カールと少女エリーが、意気投合して結婚。パラダイス・フォールの上に家を建てることを夢見るが、果たせぬまま年老いてエリーが亡くなり、一人ぽっちとなった老人カールが、家の立ち退きを迫られ、ボーイスカウトの少年ラッセルとともに家に風船をつけて、空からパラダイス・フォールを目指すというファンタスティックな冒険物語。
 驚くことに今もマンツが生きていて、怪鳥を追いかけている。ラッセルが怪鳥を手懐けてしまい、これをマンツが飛行船で強奪。カールが空飛ぶ家で追いかけ、逆に飛行船ごと怪鳥を奪還、巣に戻してあげる。
 戦いでエリーとの思い出の家は落下し、カールはラッセルと飛行船でアメリカに帰還。孤独だったカールは孫のようなラッセルを得、父と不仲だったラッセルは父親代わりを得るというハッピーエンド。
 併せてカールは少年の時からの夢を果たし、ラッセルもボーイスカウトのお手伝いバッジを獲得。バッジでは測れない大切な経験をするという心温まる物語。
 二人は知らないが、カールの家はパラダイス・フォールの上に着陸。エリーの思い出とともにひっそりと佇むというラストがいい。
 テンポもシナリオも良く、カラフルな風船をたくさん着けて浮かぶカールの家が楽しい。 (評価:2.5)

製作国:イスラエル、フランス、イギリス
日本公開:2010年12月11日
監督:サミュエル・マオズ 脚本:サミュエル・マオズ 撮影:ギヨラ・ベイハ
ヴェネチア映画祭金獅子賞

戦車内だけの戦争というアイディアだけが狙い?
 原題"לבנון"で、邦題の意。
 1982年のレバノン内戦の1日をサミュエル・マオズ監督の体験を基に描いたというもの。戦車内とスコープから見える外の世界だけを描いているのが特徴で、戦車兵の気分が実感できる。『U・ボート 』(1981)の戦車版。
 エグいシーンも結構あるので、残酷描写が苦手な人と、閉所恐怖症の人は心の準備がいる。
 戦車に乗るのは、指揮官アシ(イタイ・ティラン)、砲撃手シムリック(ヨアヴ・ドナット)、運転手イーガル(ミハエル・モショノフ)、装填手ヘルツル(オシュリ・コーエン)の新兵4人。総指揮官ジャミル(ゾハール・シュトラウス)の指示に従って、状況もよくわからないまま歩兵部隊を援護しながら、ひまわり畑に囲まれた町に入る。
 部隊がレバノンに侵攻したイスラエル軍で、レバノン内戦はキリスト教徒の民兵ファランジュ党vsイスラーム教徒とパレスチナPLOの間で行われ、部隊はイスラム、PLO掃討作戦中に誤ってファランジュ党を支援するシリア軍支配地域に入ってしまい、そこから脱出して町の外に出るまでの物語、という説明がほとんどないので、レバノン内戦について知らないと、戦車内の新兵4人同様につんぼ桟敷に置かれる。
 人道派のシムリックは怯えて砲撃ができず、ヘルツルは協調性がないなど、戦争に不向きな戦闘未経験の新兵4人に重要な戦車を任せるのか? という疑問もあるが、監督の経験を基にした単なる経験談なのか、それとも戦争の残酷な実態を描く反戦映画なのか、戦車内だけの戦争というアイディアだけが狙いだったのか、本作で何を描こうとしたのか制作意図がさっぱりわからない。 (評価:2.5)

製作国:アメリカ
日本公開:2010年7月24日
監督:ルーベン・フライシャー 製作:ギャヴィン・ポローン 脚本:レット・リース、ポール・ワーニック 撮影:マイケル・ボンヴィレイン 音楽:デヴィッド・サーディ

エマ・ストーンの肝っ玉姉ちゃんが大きな見どころ
 原題"Zombieland"。
 新型ウイルスによってアメリカがゾンビに占領されたゾンビランドとなり、ゾンビのいない場所を求めて、青年(ジェシー・アイゼンバーグ)がテキサスからロサンゼルスへと旅するロードムービーで、途中からワイルド小父さん(ウディ・ハレルソン)、詐欺師の姉妹が道連れとなる。
 ホラーコメディで、プロローグは友達のいない引き籠りゲーマーだった青年が生き延びた理由について語られ、生存のためのルールが説明される。ルールは全部で32あって、いちいち字幕がインサートされるが、序盤に説明される「シートベルトをしろ」「有酸素運動」が可笑しい。
 青年が初めて部屋に招いた美人(アンバー・ハード)がゾンビ化した事の発端、小父さん、姉妹と出会うまでは結構笑えるが、ロサンゼルスを目指すあたりから青年と姉のラブコメになってトーンダウン。あとは『ゴーストバスターズ』(1984)のビル・マーレイのビバリーヒルズの邸宅、遊園地という設定や仕掛けで見せるようになるとギャグも凡庸になって面白くない。
 ビル・マーレイの本人出演と、詐欺姉妹の姉に初期のエマ・ストーンが出演して肝っ玉姉ちゃんぶりを見せているのが大きな見どころ。遊園地のコースターに蹴散らされたりアトラクションから落下するゾンビが可哀想。 (評価:2.5)

製作国:香港、フランス
日本公開:2010年5月15日
監督:ジョニー・トー 製作:ミシェル・ペタン、ロラン・ペタン 脚本:ワイ・カーファイ 撮影:チェン・シウキョン、トー・フンモ 編集:デヴィッド・M・リチャードソン 音楽:ロー・ターヨウ、バリー・チュン
キネマ旬報:6位

香港映画らしいコミカルな中華風西部劇
 原題は"復仇"で、仇討ちのこと。
 マカオに住む娘の家族を殺されたフランス人の父親が、3人の殺し屋を雇って復讐し、そのバックにいるボスを殺害するまでの物語。
 ハードボイルドな設定だが、『荒野の用心棒』的な西部劇を意識した作りになっていて、殺し屋同士がニヒルな銃撃戦を演じる。もっとも荒野ならぬ河川敷のような場所での銃撃戦では、干し草ならぬごみの塊を楯にして撃ち合うなど、パロディ風な演出で、香港映画らしいコミカルさが溢れる映画となっている。
 娘一家を襲った犯人がいとも簡単に見つかったり、殺し屋への依頼も安直で写真まで撮らせるなど、シナリオはかなりいい加減だが、それも香港映画と割り切ればそれなりに楽しめる。
 むしろ香港映画で西部劇のパロディをやったというのが最大の見どころで、主人公のフランス人が昔頭に銃弾を受けていて、記憶喪失が持病というのも一見ありえないシーンの伏線になっていて、肩の凝らないエンタテイメントとして楽しめる。 (評価:2.5)

製作国:アメリカ
日本公開:2009年11月6日
監督:サム・ライミ 製作:ロブ・タパート、グラント・カーティス 脚本:サム・ライミ、アイヴァン・ライミ 撮影:ピーター・デミング 音楽:クリストファー・ヤング

真剣なのか受けを狙ったのかよくわからない演出
 原題"Drag Me to Hell"で、「私を地獄へ引きずる」の意。
 銀行のキャリアウーマンが住宅ローンが払えなくなった老女の家を取上げたことから恨みを買うというのが物語の発端。この老女がロマだったことから引きちぎられたコートのボタンに呪いを掛けられ、悪霊ラミアに取り憑かれて幻覚と怪奇現象に悩まされることになる。
 キャリアウーマンは占い師を通して、40年前にラミアに子供を奪われた霊媒女の協力を得、呪いを解こうとするものの霊媒女が死んで失敗。占い師に相談したところ、ボタンを他の人に渡せばいいと、それまでの苦労が無になることを言われ、死んだロマの老女に返すのが一番という、これまたそれまでのストーリーは何だったんだという結論にたどり着く。
 こうして事件は一件落着したかに見えるが、もちろん最後はどんでん返しで、ボタンを入れた封筒を恋人の車で落とした時点でラストが読めてしまうという、伏線もしっかりしたホラーファンには安心のストーリー。
 ゲロゲロの汚いシーンが多いが、ホラーシーンはそれなりに怖い。もっとも、思わず爆笑してしまうような過激というか過剰なシーンも多くて、真剣なのか受けを狙ったのかよくわからない演出は、ホラーコメディといえなくもない。
 銀行女を演じるアリソン・ローマンはホラー向きの顔だが、顔面センターで可愛いのか可愛くないのか微妙。
 呪いを掛けるのがジプシー女というのは定番だが、貧しくて危険という差別丸出しの設定で、字幕だけロマにしても意味がない。 (評価:2.5)

ウォッチメン

製作国:アメリカ
日本公開:2009年3月28日
監督:ザック・スナイダー 製作:ローレンス・ゴードン、ロイド・レヴィン、デボラ・スナイダー 脚本:デヴィッド・ヘイター、アレックス・ツェー 撮影:ラリー・フォン 音楽:タイラー・ベイツ

ローリーはアメコミ美女体型だ!
 アメコミが原作。R-15で、えぐい残酷シーンが出てくるので要注意。セックスシーンも直接的。ダークな世界観の集団アンチ・ヒーローもので、核戦争の危機をテーマに、レイプ・虐待・刑務所と社会悪がてんこ盛りで、爽快感は全くない。
 ストーリーの方は複雑な設定を詰め込み過ぎでちょっと長い。悪もまた善なりという通俗的アンチテーゼですっきりしないラスト。見どころはCGなどの特殊撮影と、ローリーの女優が凹凸のはっきりしたアメコミ美女の典型的体型であること。それにしても、みんな付け鼻のように三角形の高い鼻をしている。 (評価:2.5)

スター・トレック

製作国:アメリカ
日本公開:2009年5月29日
監督:J・J・エイブラムス 製作:J・J・エイブラムス、デイモン・リンデロフ 脚本:アレックス・カーツマン、ロベルト・オーチー 撮影:ダニエル・ミンデル 音楽:マイケル・ジアッキーノ

見どころはザカリー・クイントのスポック
 劇場版第11作で、1966-9年のテレビシリーズ『宇宙大作戦』の前史となるエピソード。カークの出生、宇宙艦隊アカデミーでのスポックとの出合い、そしてエンタープライズの処女航海と、カークが船長となるまでのエピソードを描くというのが、ざっくりとした内容。要は、そのストーリーが気に入って納得できるかどうかによって、トレッキーの評価は分かれるのだろう。
 トレッキーではないが、かつてリアルタイムで『宇宙大作戦』を見た目からすれば、『スターウォーズ』ばりのカークの少年時代も、感情に揺れてウフーラとキスをしてしまうスポックも気に入らない。これがハリウッドシナリオの常道といえばそれまでだが、冒頭の類型的で情緒的なエピソードに始まり、観客の感動を誘うお膳立てに満ち満ちていて、なんともウェットなスタートレックに仕上がっている。アメリカ青春映画にありがちなやんちゃなカークと、人間味溢れるスポック…何かが違う。
 それを好むかどうかは観る者次第で、これはむしろ新しい観客に向けた『スタートレック』なのかもしれない。『ヒーローズ』のサイラー役ザカリー・クイントのスポックは違和感なく好演。レナード・ニモイに負けてなく、この映画の見どころはやはりスポックなのかもしれない。 (評価:2.5)

製作国:スペイン
日本公開:2009年10月24日
監督:ジャウマ・バラゲロ、パコ・プラサ 脚本:ジャウマ・バラゲロ、パコ・プラサ 撮影:パブロ・ロッソ

病原菌の正体を知った途端にスペイン製ホラーだと納得
 前作"REC"の続編で、原題は"REC 2"。recはrecord(er)の略。
 ストーリー的にも前作の続きになっていて、ラストで窮地に陥った女性レポーターが後半登場する。
 前半は、特命を帯びた医師とSWATが病原菌に感染して隔離されたビルに突入する。感染者はゾンビ状になって生者を襲うという設定は引き継がれていて、無人と思っていると襲われる。
最上階には子供のゾンビが何体もいたりするが、保健省に派遣されたと思っていた医師が実は悪魔だったということが割と早めに判明した途端、キリスト教と無縁な人間は急に白けて、ゾンビは悪魔だと知って怖くなくなる。やはりスペイン製ホラーだと納得しつつ、続編は結局そこに落ちついてしまったのかとガッカリする。
 もっとも前作と同じくドキュメンタリータッチは生きていて、SWATのひとりが記録係。隊員のそれぞれが小型カメラをヘルメットに搭載しているて、ゾンビが襲ってくるシーンはやはり怖い。後半、ビルに妻子を残したままの男と前作の消防士の同僚が下水道からビルに侵入。それを追ってビデオ好きの若者たちが侵入して、悪魔との死闘を繰り広げるが、ラストはTo be continued...とあからさま。 (評価:2.5)

Dr.パルナサスの鏡

製作国:イギリス、カナダ
日本公開:2010年1月23日
監督:テリー・ギリアム 製作:ウィリアム・ヴィンス、エイミー・ギリアム、サミュエル・ハディダ、テリー・ギリアム 脚本:テリー・ギリアム、チャールズ・マッケオン 撮影:ニコラ・ペコリーニ 音楽:マイケル・ダナ、ジェフ・ダナ 美術:デイヴ・ウォーレン

『ファウスト』になぞらえた観念的で思わせぶりな物語
 原題"The Imaginarium of Doctor Parnassus"で、パルナサス博士のイマジナリウム。
 イマジナリウムは、空想の世界が現実のように思える場所のことで、本作ではパルナサス博士が見世物小屋で見せる鏡の裏側にある。そこに入ると、各人の精神世界が現出する。その中で、欲望から精神的幸福へと導くのが博士の目的だが、上手くいかないこともある。
 イマジナリウムの大道芸一座を率いる博士の過去話が並行して進んでいく構成をとっているが、ファンタジーにありがちな観念的なメタファーを散りばめ、思わせぶりに話が進むので、ストーリーがわかりにくい上に、見終わって釈然としない。
 ゲーテの『ファウスト』になぞらえられていて、パルナサスがファウスト、悪魔のニックがメフィストフェレス。博士の相棒の矮人パーシーもイメージシーンで尻尾があって、メフィストフェレス風。
 1000年前、パルナサスは世の中の物語を紡ぐ大賢者で、それゆえにドクター(博士)と呼ばれる。12人の弟子を集めるという悪魔との賭けに勝って永遠の命を手に入れるが、それは悪魔の策略で、博士は永遠の苦痛を手に入れることになる。
 大道芸人となった博士は女に恋し、悪魔の助けで若さと女を手に入れるが、交換条件に生まれる娘を16歳の誕生日に引き渡さなくてはならなかった。
 イマジナリウムを見せる大道芸一座を組んだ博士は16年後、娘の誕生日を迎える。橋で吊るされた詐欺師トニーを助けると、再び悪魔が現れて、娘を助けるために誕生日までに5人の選択を手に入れる賭けをする。選択は悪魔の欲望か賢者の幸せかというもの。
 しかし5人目となる娘の選択を手に入れた悪魔は、トニーを殺せば娘を返す新たな条件を出し、博士はそれを受け入れる。そして娘が幸せに暮らす姿を見て物語は終わる。
 見どころはイマジナリウムのファンタジックな映像で、一座の折り畳み式舞台を載せた馬車のデザインも面白い。
 撮影中にトニー役のヒース・レジャーが死んで、イマジナリウム内のトニーをジョニー・デップ、ジュード・ロウ、コリン・ファレルが演じているのも見どころの一つだが、演出的には意味がありそうでなさそうで、違和感の方が大きくて作品的には中途半端感は否めない。
 大悪人のトニー(ヒース・レジャー)の額の印、吊られ男のタロットカード、60歳で博士の子供を産んだ女も謎のまま。総じて監督・脚本のテリー・ギリアムと、その理解者にしかわからない主観的な作品。 (評価:2)

ミックマック

製作国:フランス
日本公開:2010年9月4日
監督:ジャン=ピエール・ジュネ 製作:フレデリック・ブリヨン、ジル・ルグラン、ジャン=ピエール・ジュネ 脚本:ジャン=ピエール・ジュネ、ギョーム・ローラン 撮影:永田鉄男 音楽:ラファエル・ボー 美術:アリーヌ・ボネット

一歩も前に進まないアンチ武器映画。見どころは軟体女
 原題は""Micmacs à tire-larigot""で、「陰謀、彼の心の中身」といった意味。
 監督はジャン=ピエール・ジュネで、『アメリ』同様のブラックコメディ作品。本作はフランスの武器輸出がテーマで、政治的な主張が強い。
 主人公のバジル(ダニー・ブーン)は幼少の頃にサハラ砂漠の地雷除去で父を亡くしている。大人になり、レンタル・ビデオ店の店番をしているときに流れ弾を頭に受け、摘出と残留のリスクについて医師がコイン占いした結果、弾丸は摘出されずに残っている。レンタル店を首になり、ホームレスを続けているところを廃品回収屋のボス(ジャン=ピエール・マリエール)に誘われ仲間になる。
 ある日、通りかかった工場が頭に入ったままの弾丸を製造した武器会社で、その向かいには父を殺した地雷の武器製造会社があった。両社に復讐しようとするバジルを見かねてボスと仲間たちが協力して復讐を成就させるまでが物語。両工場は爆破され、バジルたちの捕虜となった両社の社長は命乞いのために過去の悪行を告白し、それをYouTubeで流されるという仕返しを受ける。
 フランスは国家挙げての仁義なき武器商人で、そうした政府・大統領と国家に結び付いた武器商人たちを告発する。ストーリー自体はありえないような展開だが、そこはコメディで何でもあり。コミック・ヒーロー張りにグループがリアリティを無視して軽快なサスペンス劇を演じ、見終われば胸のすく復讐で溜飲を下げるという寸法。
 しかし、現実はこの映画のようではないのは明らかで、時代劇のような勧善懲悪で胸すっきりとお茶を濁すことにどれだけの意味があるのか? 映画にしなくても知れていることを映画にして、結局制作の前と後で1ミリも前進しないという虚無感だけが残る。
 見どころは軟体女を演じるジュリー・フェリエ。とにかく体が柔らかい。料理女のヨランド・モローは『アメリ』にも出演していて、安定した演技を見せる。 (評価:2)

風にそよぐ草

製作国:フランス、イタリア
日本公開:2011年12月17日
監督:アラン・レネ 製作:ジャン=ルイ・リヴィ 脚本:アレックス・レヴァル、ロラン・エルビエ 撮影:エリック・ゴーティエ 美術:ジャック・ソルニエ 音楽:マーク・スノウ

猫の餌は猫にならなくても食べられる
 原題"Les Herbes folles"で野草の意。クリスチャン・ガイイの同名小説が原作。
 アラン・レネ監督のとってもおフランスで洒脱な映画で、野暮天には理解しがたい作品。
 主人公は初老の男で、女性ものの財布を拾って警察に届ける。その時、中にあった写真を見てしまったのが間違いのもとで、一目惚れした挙句にストーカーになってしまう。
 女は赤毛が満開のカーリーヘアの独身オバサンで特別美人でもないが、警官やほかの男たちが心魅かれるところから男好きがするらしい。
 男には老人特有の頑固さや怒り、そして逡巡もあって、警官は変人だという印象を受けるが、美人の妻も娘夫婦もいて、何不自由のない生活。カーリーオバサンに一目惚れしたのも、男が飛行機好きで、彼女が小型飛行機のライセンスを持っているからと推測される。
 そんな初老男のストーカー話かと思いきや、途中でどうやらカーリーオバサンもストーカー男に惚れはじめたということがわかり、観ている方は狐に鼻をつままれたような気分。
 老いらくの恋の少年少女のような初心な駆け引きがくり返されるが、カーリーオバサンは大人の態度でストーカー男の夫婦を遊覧飛行に招待し、男に操縦桿を握らせるとアクロバット飛行の末に墜落の予感。
 さては事故か、それとも3人で心中か? と思う間もなくシーンは変わり、知らない少女が「猫になったら猫の餌が食べられるの?」と呟いてFINになるという、わけのわからなさ。
 猫の餌は猫にしか食べられない、変人の恋は変人に体験できない、いやこの3人の心がわからない者には本当に人を愛することができないということかと思いつつ、そういえばストーカー男の妻はほとんど目立たないけれども、夫の恋を許していたな、とこれまたフランス人になった気持ちで自由・平等・博愛だと強引に納得するが、猫の餌は猫にならなくても食べられると、ふと思う。 (評価:2)

シャッター アイランド

製作国:アメリカ
日本公開:2010年4月9日
監督:マーティン・スコセッシ 製作:ブラッドリー・J・フィッシャー、マイク・メダヴォイ、アーノルド・W・メッサー、マーティン・スコセッシ 脚本:レータ・カログリディス 撮影:ロバート・リチャードソン 美術:ダンテ・フェレッティ 音楽:ロビー・ロバートソン

ミステリーとしてもヒューマンドラマとしても喰い足りない
 原題"Shutter Island"で、シャッターの島の意。デニス・ルヘインによる同名小説が原作。
 連邦保安官テディ・ダニエルズ(レオナルド・ディカプリオ)がボストン港にある監獄島で行方不明になったレイチェル・ソランドの捜査に行くという物語で、全体はミステリーの体裁をとっている。
 時代は1954年、監獄島は精神異常犯罪者を66人収容している精神病院で、レイチェルは67番目の収容者がいるというメモを残し、謎だらけの失踪を遂げる。
 テディは相棒の保安官チャック(マーク・ラファロ)と共に捜査を始めるが、院長(ベン・キングスレー)も医師も胡散臭く、何かを隠しているように感じる。それはロボトミー手術らしく、嵐に乗じて何かが隠されているC棟に踏み込む。
 この辺りの描写から少し様子がおかしくなり、テディのトラウマとなっている終戦時のユダヤ人収容所看守の虐殺や、放火で死んだ妻の事件とその犯人の記憶などから、テディ自身が精神を病んでいるのでは? と気づくようになる。
 レイチェルは我が子3人を殺した事件で収容されているのだが、実は…というのがラストのどんでん返しで、すべてはテディの妄想。テディの存在も妄想で、本名はアンドリュー・レディス。院長がアンドリューにロボトミー手術を受けさせるかどうかを決定するための物語だったというオチになっている。
 もっとも本当のオチは、「怪物として生きるのと善人として死ぬのとでは、どちらがより悪いか」というハムレット張りのアンドリューの問いで、狂気を装っていただけなのか? という意味深なラストに観客は放り出される。
 アンドリューの妄想に2時間余り付き合わされる割にはすっきりしない終わり方で、ミステリーとしてもヒューマンドラマとしても喰い足りない。 (評価:2)

製作国:アメリカ、カナダ
日本公開:2010年6月12日
監督:ジョージ・A・ロメロ 製作:ポーラ・デヴォンシャイア 脚本:ジョージ・A・ロメロ 撮影:アダム・スウィカ 美術:アーヴ・グレイウォル 音楽:ロバート・カーリ

ゾンビとの共存を図るというのがアイディアだが
 原題"Survival of the Dead"で、死者の存続の意。
 アイディア勝負のゾンビ映画の中で、元祖ジョージ・A・ロメロによる6作目のゾンビ映画。
 ゾンビの恐怖を描いてきたこれまでの作品とは違って、ゾンビを手懐けて人間を襲わないように調教し、ゾンビとの共存を図るというのがユニーク。
 これならば、愛する家族や恋人、友達を抹殺しないで済むし、今まで通り一緒に暮らすこともできる。
 もっとも、ゾンビ映画のドラマにおいて最も大切なのは、愛する者たちを二度殺さなければならないという心の葛藤、すなわちハムレットの苦渋の選択で、それを回避するための解決策というのは、一見グッド・アイディアのように思えるが、ドラマとしては面白みも緊張感も恐怖も欠いてしまうバッド・アイディア。
 本作ではゾンビ共存派のマルドゥーン(リチャード・フィッツパトリック)が、ゾンビ排除派のオフリン(ケネス・ウェルシュ)を島外に追放して、死者共存の島を建設しようとする。オフリンはゾンビのいない島があると嘘をついて強盗団のブルーベイカー(アラン・ヴァン・スプラング)らを集めてリベンジを図り、両者対決となるが、結局ゾンビともども両勢力は全滅。
 ブルーベイカーたちが島を去ると、マルドゥーンとオフリンがゾンビとなっても戦い続けるという、コミカルな作品。脱力系のゾンビ映画となっている。 (評価:2)

NINE

製作国:アメリカ
日本公開:2010年3月19日
監督:ロブ・マーシャル 製作:マーク・プラット、ハーヴェイ・ワインスタイン、ジョン・デルーカ、ロブ・マーシャル 脚本:アンソニー・ミンゲラ、マイケル・トルキン 撮影:ディオン・ビーブ 音楽:モーリー・イェストン、アンドレア・グエラ

+1/2か-1/2か見方が割れるが、"8 1/2"か? と問われれば-1/2
 原題"Nine"。アーサー・コピット版の同名ブロードウェイ・ミュージカルの映画化で、フェデリコ・フェリーニの"8 1/2"が原作。
 原作のタイトルには諸説あり、一般的にはフェリーニの単独監督8作目で、共同監督の処女作を1/2として8 1/2作目になるからといわれている。それからすると、本作もまた原作にミュージカルの1/2だけを加えて、9としたという意味か。
 "8 1/2"は、フェリーニ・ファンにとっては神聖にして犯すべからざる名作なので、1/2をマイナスした8かもしれないが、トニー賞を受賞したアーサー・コピット版の初演は1982年なので、当然のことながら存命中のフェリーニは承認していたということになる。
 +1/2か-1/2かは見方が割れるかもしれないが、ストーリーはほぼ原作通りで主要人物名も同じ。映画作りに行き詰って精神を病んだ監督の妄想が、そのまま舞台のショーのシーンに置き換わる。
 原作の暗い話をミュージカルにして楽しいのかという疑問は終始付き纏い、歌のシーンも気分が沈む。
 もっとも、さすがロブ・マーシャルというところもあって、レビューシーンの一糸乱れぬ群舞は溜め息が出るほどに美しい。娼婦役のファーギーの歌唱"Be Italian"は最大の聴きどころ。
 主人公の母親をソフィア・ローレンが演じるというサプライズもあって、主人公をダニエル・デイ=ルイス、女たちにニコール・キッドマン、ペネロペ・クルス、ケイト・ハドソン、マリオン・コティヤール、さらに熟女のジュディ・デンチとキャスティングは一級。
 原作にある映画監督フェリーニの人生と宗教に対する深き葛藤という重いテーマはミュージカルによって軽減され、スランプに陥った監督が立ち直るだけの話になっていて、ストーリーもわかりやすい。
 これを+1/2とすることもできるが、主人公が内面と対峙するというテーマは音楽とともに軽やかに飛んでいってしまうので、これが"8 1/2"か? と問われれば、-1/2と答えざるを得ない。 (評価:2)

製作国:イ​ギ​リ​ス
日本公開:劇場未公開
監督:フィル・クレイドン 製作:スティーヴ・クラーク=ホール 脚本:スチュワート・ウィリアムズ、ポール・ハップフィールド 撮影:デヴィッド・ヒッグス 音楽:デビー・ワイズマン

看板に偽りあり。『カーミラ』題材イギリス・コメディ
 ​原​題​も​"​L​e​s​b​i​a​n​ ​V​a​m​p​i​r​e​ ​K​i​l​l​e​r​s​"​で​、​レ​ズ​ビ​ア​ン​の​吸​血​鬼​が​人​を​殺​す​の​で​は​な​く​、​レ​ズ​ビ​ア​ン​の​吸​血​鬼​を​殺​す​人​の​物​語​。​日​本​劇​場​未​公​開​。
​ ​タ​イ​ト​ル​は​立​派​に​B​級​の​香​り​が​漂​っ​て​い​て​、​ホ​ラ​ー​好​き​と​し​て​は​食​指​が​動​く​。​と​ん​で​も​な​く​駄​作​か​、​意​外​と​見​っ​け​物​で​は​な​い​か​と​い​う​直​感​が​働​き​、​一​か​八​か​で​観​る​と​い​う​の​も​B​級​ホ​ラ​ー​の​楽​し​み​の​ひ​と​つ​だ​が​、​こ​の​作​品​は​そ​の​ど​ち​ら​で​も​な​い​。
​ ​ジ​ャ​ン​ル​的​に​は​『​ロ​ッ​キ​ー​・​ホ​ラ​ー​・​シ​ョ​ー​』​の​よ​う​な​ホ​ラ​ー​コ​メ​デ​ィ​で​、​見​始​め​て​か​ら​同​じ​イ​ギ​リ​ス​映​画​で​あ​る​こ​と​に​気​づ​い​た​。​イ​ギ​リ​ス​の​コ​メ​デ​ィ​は​『​モ​ン​テ​ィ​・​パ​イ​ソ​ン​』​『​M​r​.​ビ​ー​ン​』​の​よ​う​に​シ​ニ​カ​ル​で​毒​を​含​ん​だ​ジ​ョ​ー​ク​が​伝​統​で​、​本​作​も​そ​れ​を​引​き​継​い​で​い​る​。​イ​ギ​リ​ス​・​ジ​ョ​ー​ク​が​好​き​か​ど​う​か​で​本​作​に​対​す​る​観​方​も​変​わ​っ​て​く​る​が​、​少​な​く​と​も​ホ​ラ​ー​を​期​待​し​て​観​な​い​方​が​よ​い​。
​ ​本​作​に​登​場​す​る​カ​ー​ミ​ラ​は​吸​血​鬼​文​学​の​古​典​『​カ​ー​ミ​ラ​』​に​登​場​す​る​女​吸​血​鬼​で​、​劇​中​に​登​場​す​る​キ​ャ​ビ​ン​・​ミ​ラ​ー​カ​も​カ​ー​ミ​ラ​の​ア​ナ​グ​ラ​ム​で​、​『​カ​ー​ミ​ラ​』​に​も​登​場​す​る​化​身​。​レ​ズ​ビ​ア​ン​色​も​同​じ​だ​が​、​『​カ​ー​ミ​ラ​』​は​耽​美​的​か​つ​ロ​マ​ン​テ​ィ​ッ​ク​で​、​本​作​で​は​女​吸​血​鬼​が​女​を​誘​惑​す​る​と​い​う​肝​腎​の​部​分​が​な​い​。​『​カ​ー​ミ​ラ​』​の​パ​ロ​デ​ィ​に​す​ら​な​っ​て​な​く​、​男​の​主​人​公​二​人​と​女​吸​血​鬼​と​の​闘​い​ば​か​り​が​描​か​れ​、​レ​ズ​ビ​ア​ン​シ​ー​ン​も​男​と​女​吸​血​鬼​の​ポ​ル​ノ​チ​ッ​ク​な​シ​ー​ン​も​な​い​。
​ ​看​板​に​偽​り​あ​り​の​作​品​で​、​B​級​ホ​ラ​ー​で​す​ら​な​く​、​『​カ​ー​ミ​ラ​』​の​パ​ロ​デ​ィ​で​も​な​く​、​単​に​女​吸​血​鬼​を​材​料​に​し​た​だ​け​の​コ​メ​デ​ィ​。
​ ​女​吸​血​鬼​軍​団​は​美​人​揃​い​。​ホ​ラ​ー​だ​と​思​わ​な​け​れ​ば​、​イ​ギ​リ​ス​・​ジ​ョ​ー​ク​も​そ​こ​そ​こ​に​面​白​い​。 (評価:2)

ターミネーター4

製作国:アメリカ
日本公開:2009年6月13日
監督:マックG 製作:モリッツ・ボーマン、デレク・アンダーソン、ヴィクター・クビチェク、ジェフリー・シルヴァー 脚本:ジョン・ブランカトー、マイケル・フェリス 撮影:シェーン・ハールバット 音楽:ダニー・エルフマン

一言でいえば『ターミネーター』に非ず
 原題"Terminator Salvation"で、ターミネーターの救済の意。シリーズ第4作。
 「最後の審判の日」以後、ターミネーターが誕生するまでの物語で、なぜ対人殺戮ロボットが人型アンドロイドに造られたかが語られる。
 ストーリーで気になるのは、前作でスカイネットが分散型インターネットだとされていたのに、本作ではスカイネットの中核施設があって、レジスタンスが総攻撃をすること。ターゲットの定まらない分散型では話にならないということだろうが、何ともご都合主義。
 3で生き残ったジョン・コナー(クリスチャン・ベイル)、父親となるカイル・リース(アントン・イェルチン)、死刑囚から作られた初期型ターミネーターが登場し、潜入型としてT-800が開発されていることが明かされる。
 スカイネットの暗殺リストにジョンとともにカイルの名があり、カイルを守るためにジョンが戦うというのがストーリー上の見どころ。ただ、タイム・パラドックスは煩雑に絡みあい、混線気味なのは否めない。
 本作の最も残念なところは、舞台が「最後の審判の日」以降、T-800登場以前のため、ほんの一瞬を除いてシュワルツェネッガーが登場しない。シュワルツェネッガーの出てこない『ターミネーター』は『ターミネーター』に非ずで、もう一つの見どころであるカーチェイスも、T-1000、T-Xも登場しない上に破滅後のためになく、それらが本作に決定的に欠けたものとなっている。 (評価:2)

ダレン・シャン 若きバンパイアと奇怪なサーカス

製作国:アメリカ
日本公開:2010年3月19日
監督:ポール・ワイツ 製作:ポール・ワイツ、アンドリュー・ミアノ、ユアン・レスリー、ローレン・シュラー=ドナー 脚本:ポール・ワイツ、ブライアン・ヘルゲランド 撮影:ジェームズ・ミューロー 音楽:スティーヴン・トラスク

渡辺謙も出ている、見世物小屋の畸形を楽しむ映画
 原作はタイトル・主人公共に同名のダレン・シャンの児童小説。原作はパラパラと読んだ程度なので、映画がどこまで原作に忠実なのかはわからない。
 学園・吸血鬼・奇形・見世物小屋と、設定も物語もチープ。原作が12巻に及ぶ人気シリーズだということを考えれば映画化には適さない作品だったのだろうが、見世物小屋の畸形たちを映像化すればファンを呼べるという意図で映画化されたように思える。ただ、畸形たちはグロテスクで、映画全体の印象もグロテスクで『ハリー・ポッター』のような健康さがない。
 シリーズの先には壮大な世界観が用意されているのかもしれないが、第1巻では人を殺すかどうかで吸血鬼同士が戦争をしているだけという、どうでもいい話。
 畸形以外に見どころを捜せば、クレプスリー役のジョン・C・ライリーくらいか。渡辺謙も見世物小屋の主人役で出ている。 (評価:2)

ニュームーン トワイライト・サーガ

製作国:アメリカ
日本公開:2009年11月28日
監督:クリス・ワイツ 製作:マーク・モーガン、グレッグ・ムーラディアン、ウィク・ゴッドフリー 脚本:メリッサ・ローゼンバーグ 撮影:ハビエル・アギーレサロベ 音楽:アレクサンドル・デスプラ 美術:キャサリン・イルチャ

フランケンとゾンビが加われば鉄壁
 原題は"The Twilight Saga: New Moon"(トワイライト・サーガ:新月)。サーガと呼ぶには若干大袈裟で、新月は 狼男に関係があるのかもしれないが、月齢に関係なく変身する。
 前作が吸血鬼ということで、次は 狼男というのも意表を突く安直さで、あれほど君を守ると言っていた吸血鬼は君のためだと言って姿を消す。その代わりが 狼男で、最初は吸血鬼が忘れられないと言いながらも恋してしまう。ところが、前作の悪い吸血鬼集団が現れ、 狼男が退治するが、やっぱり吸血鬼が恋しくなって、最後は吸血鬼と 狼男の争いとなるが、「私のことで争わないで!」というお姫様ののぼせ上った台詞でキメ。
 ストーリーにも内容的にもそれ以上のものはなく、前作を見て、取り敢えず続きが気になって見たものの、時間の浪費かもしれないという危惧は大当たり。
 本作を見ると、作品テーマらしきものも見えてきて、私も吸血鬼になって若さを失わずに恋人と添い遂げたい(不死なので添い遂げられない)、でも不死は不幸だ(『ポーの一族』のテーマ)というラノベ的掘り下げで、最大の見どころは主人公の女の子は、果たして吸血鬼になるのかという引き。この引きにどこまで付き合えるかが、さらに続編に進もうという気が起きるかどうかの鍵。お姫様・吸血鬼・ 狼男の少女漫画トライアングルもある。
 吸血鬼も 狼男も地上に残された血族で、これにフランケンとゾンビが加われば鉄壁だが、『怪物くん』ではないのでお姫様物語には不要。 (評価:1.5)

製作国:韓国
日本公開:2010年2月27日
監督:パク・チャヌク 製作:パク・チャヌク 脚本:パク・チャヌク、チョン・ソギョン 撮影:チョン・ジョンフン 音楽:チョ・ヨンウク

吸血鬼モノの体裁を取ったポルノグラフィック・ラブロマンス
 原題"박쥐"で、蝙蝠の意。エミール・ゾラの『テレーズ・ラカン』が原案のエロティック・ホラー作品。
 病院の患者を見舞うボランティア神父が、重症患者同様の苦行を求めてエイズのような致死性ウイルスの治験に参加、感染してしまうが、輸血で奇跡的に回復。その秘跡を求めて多くの信者が集まり、その中の人妻に恋してしまう。
 ところが病気が再発。血を欲する吸血鬼となってしまい、神父と吸血鬼の相克に葛藤、病院の輸血用血液で解決する。人妻との肉欲に負けた神父はその夫を殺害。夫の幻視に悩まされる人妻を殺し血を交換する。吸血鬼となった人妻は殺人鬼と化し、困った神父が無理やり朝日を浴びせさせて共に灰となるというラスト。
 ホラーとしても話が荒唐無稽な上に、シナリオが雑で説明不足。ストーリーがまとまっていない。
 エイズ的な奇病がベースなだけに描写が汚く、ホラーとしても趣味が悪い。致命的なのはドラキュラものであるにも拘らず、神父の快楽が吸血と肉欲にの両方にあって、性描写は観客サービスにはなっているが、吸血鬼のエクスタシーがどちらにあるのか曖昧で、ドラキュラの耽美性を打ち消してしまっている。
 ドラキュラではないのに吸血鬼の弱点はお約束となっているのもご都合主義。ラブストーリーとしての出来も悪く、吸血鬼モノの体裁を取ったポルノグラフィック・ラブロマンスになっている。 (評価:1.5)

製作国:アメリカ
日本公開:未公開
監督:トーマス・ガード、チャールズ・ガード 製作:ウォルター・F・パークス、ローリー・マクドナルド、ロイ・リー 脚本:クレイグ・ローゼンバーグ、ダグ・ミロ、カルロ・バーナード 撮影:ダニエル・ランディン 音楽:クリストファー・ヤング

スタッフにはB級ホラーの作り方を一から学んでほしい
 韓国映画『箪笥』のリメイク。ハリウッド版の原題は"The Uninvited"で招かざる者の意。ドリームワークスの製作だが、日本で劇場公開されなかった理由がわかる作品。
 サイコホラーにジャンル分けされているが、それは結果としてみた場合で、テイストとしてはオカルトミステリー。『シックスセンス』や『アザーズ』を意識して作られた感じだが、冒頭からB級感の漂うシナリオと演出で、まさか 夢落ちじゃないよね、それって映画作りとして反則だよね、と思って見続けながら、でも 夢落ちじゃないよねと何度も思っていると、ラストの種明かしになって、まさかの 夢落ちだったことに呆然というか釈然としない気持ちになる。
『シックスセンス』も『アザーズ』も、観客に対して映像で嘘をつくことはしないが、平然とそれをやってしまったのがこの映画。説明のつかない反則技を次々繰り出し、ラストで強引な種明かしをする。シナリオが三流なら、女の子の可愛いさもホラー映画的には三流。B級ホラーの面白さもない。 (評価:1)


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