海月衛 映画帖
~映画の大海原をたゆたう~

外国映画レビュー──2004年

製作国:フランス、ギリシャ、イタリア
日本公開:2005年4月29日
監督:テオ・アンゲロプロス 製作:テオ・アンゲロプロス、フィービー・エコノモプロス、アメディオ・パガーニ 脚本:テオ・アンゲロプロス、トニーノ・グエッラ、ペトロス・マルカリス、ジョルジオ・シルヴァーニ 撮影:アンドレアス・シナノス 美術:ヨルゴス・パッツァス、コスタス・ディミトリアディス 音楽:エレニ・カラインドロウ
キネマ旬報:2位

村人たちの生活の描写は一篇の叙事詩
 原題"Τριλογία - Το Λιβάδι που Δακρύζει"で、三部作-嘆きの低湿地の意。『エレニの帰郷』(2008)が第2部となるが、2012年に未完でアンゲロプロスは事故死した。
 ロシア革命で戦災孤児となり、オデッサを逃れたギリシャ移民の子エレニの半生を描く物語で、第二次世界大戦によって夫と双子の子供を失い、再び一人ぽっちとなるまでの悲劇が描かれる。
 エレニの第二の故郷となるギリシャ難民の村が、水辺の低湿地にあることが原題の由来で、夫と子供を失ったエレニが故郷の低湿地に帰り丘の上で号泣するシーンで終わる。
 ストーリーは、エレニが難民村の長の子を産み、結婚式を抜けて長の息子と駆け落ち、楽団に拾われて一緒に旅をしながらドイツ占領下の左派レジスタンスと行動を共にするまでが前半の流れ。養子に出した二人の子を引き取り、夫は渡米して家族を呼び寄せるために米軍兵士となる。しかし、双子は内戦の敵味方に分かれてどちらも戦死。夫も沖縄で戦死する。
 テオ・アンゲロプロスらしい、メタファーに満ちたシュールなシーンも登場するが、なんといってもロングショットの長回しのシーンが秀逸。低湿地の難民村をパンしながら、そこで繰り広げられる村人たちの生活の描写は一篇の叙事詩となっている。その村が増水で水没するシーンや、オペラハウスのボックス席が難民たちの住居となっているシーンなど、町も自然も映像美に満ちている。
 なじみの薄いギリシャの歴史が背景となるが、それを超えて語りかけるものがある。 (評価:3)

製作国:アメリカ
日本公開:2005年5月28日
監督:クリント・イーストウッド 製作:ポール・ハギス、トム・ローゼンバーグ、アルバート・S・ルディ 脚本:ポール・ハギス 撮影:トム・スターン 音楽:クリント・イーストウッド
キネマ旬報:1位
アカデミー作品賞

俳優イーストウッドにはせめて残念賞で救済してあげたい
 ボクシング・トレーナー、ジェリー・ボイドがF.X.トゥールの筆名で書いた短編集『Rope Burns:Stories From the Corner』が原作。Rope Burnsはロープでできる擦過傷のことで、Cornerはおそらくリングのコーナーの意。
 映画の原題"Million Dollar Baby"は直訳すると100万ドルの彼女。最後に闘うタイトルマッチのファイトマネーが100万ドルだが、観た人によってタイトルの意味合いは変わる。
 イーストウッド監督はセンチメンタルな作品が好きで、それが人気の秘訣でもある。この作品も父娘のような老人と女性ボクサーの疑似恋愛話であり、センチメンタルな結末を迎える。尊厳死についても描かれるため、公開時に観た時は完成度の高いセンチメント映画という印象だったが、何か心に引っ掛かるものがあった。
 今回改めて観直して、これはイーストウッド演じる老人が救済を得る話だということに気づいた。過去の失敗に懲りて最後の決断のできない男。家族にも見限られた孤独な老人。相手の尊厳を奪うことで自らの尊厳を手に入れるボクシングに一生を捧げる男は、奪われた自らの尊厳と魂の救済を求めて毎日教会に通うが、彼の真の苦悩を神父は理解しない。その彼の前に現れるのが、拳だけを頼りに貧しい境遇から抜け出したいと考えている女。二人はミリオンダラー・ベイビーを目指すが、悲劇が襲う。その時、彼女は男に失われた決断と尊厳を取り戻すように迫る。救済された男は再びコーナーに戻ることはない。
 イーストウッドの意図はわからないが、この映画が感動を呼ぶのは男の救済の物語だからであり、女は男にとっての天使だった。
 秀美はモーガン・フリーマンのナレーションとバックに流れるギターの調べ。どちらが欠けてもこの映画は成功しなかった。イーストウッドは俳優としては大根で、この映画でもヒラリー・スワンクがアカデミー主演女優賞、モーガン・フリーマンが助演男優賞をとったにも関わらず、主演男優賞はとれなかった。それでも後年のイーストウッドとしてははまり役で、せめて残念賞くらいは上げたい。 (評価:3)

製作国:アメリカ
日本公開:2004年5月15日
監督:ザック・スナイダー 製作:マーク・エイブラハム、エリック・ニューマン、リチャード・P・ルビンスタイン 脚本:ジェームズ・ガン 撮影:マシュー・F・レオネッティ 音楽:タイラー・ベイツ

最後の審判を冷めた目で見せるゾンビ映画の傑作
 ジョージ・ロメオの『ゾンビ』("Dawn of the Dead"、1978)のリメイク。"Dawn of the Dead"は「死者の夜明け」の意。
 本作の最大の特長は、ゾンビは歩かずに走るというもの。ゾンビの行動は俊敏でハイエナのように飛びかかってきてスリリング。ゾンビのスピーディさに合わせて映画のテンポも早く、息つかせぬ展開でシナリオの密度は濃い。
 ウンカのように押し寄せるゾンビと、ショッピングモールに立て籠もる人間たち。彼らの戦いと脱出アクションが見もの。カーアクション、ガンアクションあり、ゾンビに感染していく仲間とのドラマありで、孤立しながらもゲームをしたりテレビを見たりといった悲壮感ばかりではない人間らしさ、一方でゾンビの頭を射撃ゲームのように楽しんで撃つ残酷もあって、生と死の極限に置かれた人間に対する冷めた視点が、本作を並のゾンビ映画に終わらせていない。これを最後の審判になぞらえることもでき、ゾンビは地獄に落ちる大勢の人々ということになる。
 出演するゾンビの数も半端でなく、トラックでゾンビをなぎ倒すシーンなどスタントとも俄かに判断できず、とりわけ残酷シーンの撮影は見事で最大の見どころなのだが、当然のごとくR-15となっている。終末に向かう世界を俯瞰する冒頭の空撮シーンが秀逸で、その終末を人間の視点で対照するエンディングがいい。 (評価:3)

製作国:アメリカ
日本公開:2006年2月11日
監督:ポール・ハギス 製作:ポール・ハギス、ボビー・モレスコ、キャシー・シュルマン、ドン・チードル、ボブ・ヤーリ 脚本:ポール・ハギス、ボビー・モレスコ 撮影:J・マイケル・ミューロー 音楽:マーク・アイシャム
キネマ旬報:8位

錠前屋が娘に話す透明マントの話と結末が唯一の救い
 原題"Crash"。『ミリオンダラー・ベイビー』『父親たちの星条旗』『007 カジノ・ロワイヤル』のポール・ハギスの脚本・監督で、シナリオが非常にうまくできている。
 ロサンゼルスで起きた交通事故を出発点に、網の目のように絡んだ多人種の街の人々の人間模様が描かれていくという展開で、主人公はいない群像劇。
 冒頭追突事故を起こした黒人刑事グラハムの語りに、この作品のテーマが語られている。
"It's the sense of touch. In any real city, you walk, you know? You brush past people, people bump into you. In L.A., nobody touches you. We're always behind this metal and glass. I think we miss that touch so much, that we crash into each other, just so we can feel something."(触覚だ。街中で人々とすれ違うと体がぶつかるが、ロサンゼルスでは誰にも触れることがない。いつもこの金属とガラスの中にいるからだ。しかし触れる機会を逃しているだけで、ぶつかれば何かを感じることができる)
 this metal and glassは、グラハムの乗っている車のこと。他人とcrashした時に、その存在を感じられると言っている。
 劇中にはこの黒人刑事とヒスパニックの妻、その母と不良の弟ピーター、ピーターと自動車強盗の相棒、二人に車を奪われた白人検事夫妻、ベテランと若手の白人警官コンビ、二人に辱めを受ける黒人のテレビディレクターと妻、小売店を営むイラン人の父娘、白人検事の家とイラン人の店の錠前を取り替えるメキシコ人一家、グラハムに追突された中国女とピーターたちに轢かれるその夫が登場し、それぞれが互いにcrashしながら物語が進む。
 多人種の街でそれぞれの生活を営み、人種的に反目しながら孤立し衝突する。公民権運動から半世紀がたち、多人種化がさらに進んで、表面的には人種差別が解決されたはずの街で、多人種間の差別と対立は深く潜行している。反差別を利用する者、恩恵を受ける者、不満を持つ者、そうした本音を描きながら、ロスの街の人々の不信を浮かび上がらせるが、一人若い白人警官だけは人種的偏見を超えた心でヒッチハイクするピーターを車に乗せるが、皮肉にも内なる人種の壁によって不幸を招いてしまう。
 この結末は、きれいごとで済まない哀しい現実を示して、都市と人間の抱える重さを感じさせる。その中で、錠前屋が娘に話す透明マントの話と結末が唯一の救い。 (評価:3)

製作国:韓​国
日本公開:2005年2月11日
監督:イム・チャンサン 脚本:イム・チャンサン 撮影:チョ・ヨンギュ 音楽:パク・キホン
キネマ旬報:6位

韓流嫌いにもお薦めな韓国現代史の寓話
 ​原​題​は​"​효​자​동​ ​이​발​사​"​で​「​孝​子​洞​の​理​容​師​」​の​意​。​孝​子​洞​は​青​瓦​台​の​あ​る​町​。
​ ​孝​子​洞​で​理​容​店​を​営​む​平​凡​な​男​の​波​瀾​の​物​語​で​、​李​承​晩​か​ら​全​斗​煥​ま​で​の​時​代​が​描​か​れ​る​。​中​心​と​な​る​の​は​朴​正​煕​が​モ​デ​ル​の​大​統​領​専​属​理​容​師​と​な​る​1​6​年​間​で​、​こ​の​間​の​青​瓦​台​を​巡​る​北​朝​鮮​ゲ​リ​ラ​襲​撃​、​警​護​室​長​と​K​C​I​A​部​長​の​対​立​、​大​統​領​暗​殺​な​ど​の​様​々​な​政​治​的​事​件​が​理​容​師​の​目​を​通​し​て​コ​ミ​カ​ル​に​描​か​れ​る​。
​ ​民​主​化​弾​圧​は​マ​ル​ク​ス​病​と​い​う​下​痢​症​状​で​茶​化​さ​れ​、​理​容​師​の​幼​い​息​子​が​た​だ​の​下​痢​に​も​関​わ​ら​ず​逮​捕​さ​れ​、​拷​問​さ​れ​る​と​い​う​パ​ロ​デ​ィ​。
​ ​た​ま​た​ま​大​統​領​の​理​髪​師​に​な​っ​た​男​は​、​訪​米​に​も​同​行​し​、​孝​子​洞​の​人​々​か​ら​羨​ま​れ​る​。​し​か​し​長​い​も​の​に​は​巻​か​れ​ろ​主​義​で​、​逮​捕​さ​れ​て​釈​放​さ​れ​た​息​子​が​歩​け​な​く​な​っ​た​の​を​見​て​、​息​子​を​治​す​た​め​に​全​国​行​脚​し​、​N​O​を​言​え​る​男​に​変​わ​っ​て​い​く​。
​ ​必​死​の​男​の​変​身​が​息​子​を​回​復​さ​せ​、​二​人​が​笑​顔​で​新​し​い​歩​み​を​始​め​る​と​い​う​ラ​ス​ト​に​な​っ​て​い​る​が​、​韓​国​民​主​化​の​歴​史​を​寓​話​に​し​て​描​い​た​佳​篇​。​全​体​が​コ​メ​デ​ィ​な​の​で​、​韓​国​政​治​史​に​興​味​が​な​く​て​も​楽​し​め​る​。
​ ​理​容​師​を​演​じ​る​の​『​シ​ュ​リ​』​『​J​S​A​』​の​演​技​派​ソ​ン​・​ガ​ン​ホ​が​抜​群​に​上​手​い​。​そ​の​妻​を​演​じ​る​ム​ン​・​ソ​リ​が​、​こ​れ​ま​た​如​何​に​も​な​女​丈​夫​の​韓​国​女​を​好​演​し​て​い​る​。
​ ​韓​流​嫌​い​に​も​本​篇​は​お​薦​め​。 (評価:3)

製作国:ドイツ、トルコ
日本公開:2006年4月29日
監督:ファティ・アキン 製作:ラルフ・シュヴィンゲル、シュテファン・シューバート 脚本:ファティ・アキン 撮影:ライナー・クラウスマン 音楽:アレキサンダー・ハッケ、メイシオ・パーカー
ベルリン映画祭金熊賞

ボスポラス海峡の演奏がトルコ民話の吟遊詩人のような効果
 原題"Gegen die Wand"で、壁に向かっての意。
 ドイツのトルコ移民の男女二人の恋物語で、前半は北ドイツの港湾都市ハンブルク、後半はトルコの中心都市イスタンブールが舞台となるが、途中イスタンブールのボスポラス海峡でのトルコ音楽の演奏シーンも入り、背景や文化の説明不足もあって、トルコ人の移民事情に疎い者にはわかりにくい、ドメスティックな作品になっている。
 本作で一番面白いのはボスポラス海峡の演奏シーンで、遥か遠くのドイツに渡った男女の悲恋を語る、トルコ民話の吟遊詩人のような効果を生んでいる。
 歌っているのはイスタンブールのアジア側で、ボスポラス海峡の対岸に見えるヨーロッパを背景に、分断ないしは融合された二つの文化の「壁に向かって」に生きるトルコ人を、ドイツで暮らす移民に重ねる象徴的なシーンとなっている。
 物語は、ハンブルクに住む妻と死別した中年男ジャイト(ビロル・ユーネル)が自棄になり、原題通りに車を壁に激突させて自殺を図るところから始まる。
 鞭打ち症だけで助かったジャイトは、病院でリストカットした若い女シベル(シベル・ケキリ)と知り合うが、ジャイトがトルコ人と知ったシベルにいきなり結婚してほしいと叫ばれる。
 さてはプッツン女かと思いきや、敬虔なムスリム家庭で抑圧されたシベルは、自由を手にするには結婚しかなく、ムスリムのトルコ人なら親も許すと考えている。酒と薬に溺れる世俗派のジャイトにムスリムのふりをさせ、強引に偽装結婚に持ち込む。
 以下、ただの同居人のはずだった二人が恋に落ちるという定型を踏み、酒と薬とフリーセックスの自由を謳歌するシベルに嫉妬したジャイトが、彼女のボーイフレンドを殴殺。ジャイトへの愛に気づいたシベルが、出所するまで待つという約束をしてイスタンブールで真面目な暮らしを始めるが、一人に耐えきれずに結婚してしまう。
 出所したジャイトがシベルを訪ね、駆け落ちを持ちかけるが、今の生活が捨てられないシベルはバスターミナルに現れず、一人故郷メルスィンに帰って行くという、故郷に帰るトルコ移民の哀しい恋物語で終わる。
 ラストでシベルが自由を得たのかどうか、ムスリムの暮らしに戻ってしまったのか曖昧で、センチメントに流れているのが惜しい。
 二人の会話に出てくるトルコの地名がわからないのも背景の理解を妨げている。 (評価:3)

製作国:ドイツ、オーストリア、イタリア
日本公開:2005年7月9日
監督:オリヴァー・ヒルシュビーゲル 製作:ベルント・アイヒンガー 脚本:ベルント・アイヒンガー 撮影:ライナー・クラウスマン 音楽:ステファン・ツァハリアス
キネマ旬報:10位

日本の大本営とそっくりであることに驚かされる
 原題"Der Untergang"で、失脚・破滅の意。ヨアヒム・フェストの同名ノンフィクションとトラウドゥル・ユンゲの回顧録"Bis zur letzten Stunde"(最後の時まで)が原作。
 トラウドゥル・ユンゲは2年余りヒトラーの秘書を務めた女性で、映画の冒頭とラストに彼女のインタビューが入る。物語は秘書採用試験のシーンから始まり、ナチ党結成の地であるミュンヘン出身だったことが採用の理由だったことが明かされる。後は、ヒトラーが自殺するまでの最期の12日間の出来事が描かれるが、秘書の目を通したヒトラーや閣僚・親衛隊・ドイツ軍将軍の人物像、ベルリン市街戦の様子などが、連合軍からの視点ではなくドイツ人の目を通して描かれているのが興味深い。
 個々の人物の描写についての当否は別にして、敗北を冷静に見つめられないヒトラーや、それを諫言することのできない側近、降伏ではなく自滅を選んでしまう狂気が、まるで日本の大本営とそっくりであることにファシズムの本質を見るようで驚かされる。
 ヒトラーが愛人エヴァ・ブラウンと拳銃自殺を遂げるシーンと、ゲッベルスが地下壕に家族を集め、幼い子どもたちを毒殺して一家心中するシーンが最大のクライマックスで、その悲劇的描写がいささか同情を引いてしまうが、それを別にしても従来のヒトラーやナチスに対する一面的な見方に別の視点を与えている。
 絶対悪としてのナチスの悪行ばかりが映画に描かれることがほとんどだが、その責任はヒトラーとナチスにあるとはいえ、本作ではベルリン市街戦の様子を通して、戦争がドイツの人々にも大きな惨禍をもたらしたことが描かれる。第二次世界大戦ではドイツは数百万人の死者を出していて、本作は勝者の歴史観とは別の視点を与えてくれる。
 ヒトラー役にブルーノ・ガンツ、トラウデル・ユンゲ役のアレクサンドラ・マリア・ララが可愛い。 (評価:3)

製作国:イギリス、アメリカ、ドイツ、アルゼンチン、ペルー
日本公開:2004年10月9日
監督:ウォルター・サレス 製作:マイケル・ノジック、エドガード・テネンバウム、カレン・テンコフ 脚本:ホセ・リベーラ 撮影:エリック・ゴーティエ 美術:カルロス・コンティ 音楽:グスターボ・サンタオラヤ
キネマ旬報:7位

ゲバラが好青年過ぎて青春映画以上の感動をもたらさない
 原題は"Diarios de motocicleta"で、オートバイ日記の意。チェ・ゲバラの同名旅行記が原作。
 チェ・ゲバラが23歳の医学生だった時に、友人の生化学者アルベルト・グラナードと共に、南米縦断旅行をした記録で、ゲバラが革命家になるきっかけとなった原体験を描く。半年間の旅行記でしかないが、人生観が大きく変わったという意味ではゲバラの伝記ともいえる内容。
 中古バイクで二人はブエノスアイレスを出発。チリ、ペルーを旅するが、当初はナンパにも精を出すヤンチャな若者らしい冒険旅行で、途中バイクが壊れて徒歩&ヒッチハイクとなる。
 ところが資本主義に土地を収奪されたインディオの困窮や搾取される鉱山労働者、無理解から隔離されるハンセン病患者などの南米の現実に出合い、民衆と共に生きるというゲバラの生き方が決まる。
 ゲバラが幼い頃から喘息持ちだったことや、医者を志していたことなど、革命家の若き日の違った一面が知れて興味深く、若い日の旅の経験の重さを改めて感じさせてくれる。
 そうした点で物語そのものは面白く感動的なのだが、反面優等生的な青年の映画で、青春映画以上の感動をもたらさない。
 旅の途中で受け取る恋人からの手紙の内容が観客に知らされないのもモヤモヤするし、ゲバラの人間的な欠点や葛藤を含めた生々しい人物像が描かれていれば、より深みと味わいのある映画になったかもしれない。 (評価:2.5)

製作国:ウルグアイ、アルゼンチン、ドイツ、スペイン
日本公開:2005年4月29日
監督:フアン・パブロ・レベージャ、パブロ・ストール 製作:フェルナンド・エプスタイン、クリストフ・フリーデル、エルナン・ムサルッピ 脚本:フアン・パブロ・レベージャ、パブロ・ストール、ゴンサロ・デルガド・ガリアーナ 撮影:バルバラ・アルバレス 音楽:ペケーニャ・オルケスタ・レインシデンテス
キネマ旬報:7位

2年後に自殺したレベージャ監督の死の影の漂う作品
 原題"Whisky"で、写真を撮るときに日本では「チーズ」というところを、南米では"Whisky"というのに由来する。作中、主人公たちが写真を2回撮るときにこのシーンが登場する。
 主人公はウルグアイの靴下製造の町工場の経営者。母の1周忌に墓石が建つことになり、葬儀に来なかった弟を法事に招く。詳しい事情は明かされないが、嘘をついていたのか見栄なのか、妻がいると見せかけるために事務員のマルタに偽装妻を依頼する。
 二人とも無口でつまらなそうに仕事をしているが、夫婦を装うためには写真が必要ということになり、二人で写真館に行く。この時が1回目の"Whisky"で、無表情だった二人の笑顔の写真ができ上がる。
 ブラジルに住む弟がやってきて、二人の関係を疑うこともなく法事が終わる。弟はブラジルで同じく靴下会社を経営して成功し、妻子にも恵まれていることがわかる。会話の中で、兄が父の町工場の経営を引き継ぎ、老母の介護に明け暮れて結婚もできず、単調で陰鬱な毎日を送っていたことがわかる。長年の苦労はその無表情な顔に刻まれていて、一方の弟はブラジルの如く陽気で明るい。
 弟は罪滅ぼしに兄夫婦を小旅行に誘い豪華なホテルに宿泊する。マルタは陽気な弟に魅かれ、バカンスを楽しむが、兄は子供の頃に取った杵柄のゲームを楽しむことしかできない。クレーンゲームでカメラを手に入れ、浜辺で3人で撮る写真が2回目の"Whisky"。
 休暇が終わり、弟はブラジルへ。偽装夫婦も終わり、兄には以前と変わらない無味乾燥な日常が戻るが、マルタだけは靴下工場に現れないというラストで終わる。
 淡々とした日常が丁寧に描かれ、客室の冷蔵庫が高いからと外で水を買って来たり、ポーターにチップを渡すのに気付かなかったりという兄の生活感がよく出ているが、人生の悲哀という以上のものは描かれない。そうした中で、マルタだけが日常に変化をもたらしたらしいことが示唆されるが、弟の後を追うのか、そうではないのかが描かれず、観客は中途半端に放り出されてしまう。
 タイトルが示すように無味乾燥な日常の中に作り出された束の間の笑顔ということだが、3人のスケッチに終始し、そこから何ももたらされないのが惜しい。
 監督のフアン・パブロ・レベージャは2年後に32歳で自殺するが、死の影の漂う作品となっている。 (評価:2.5)

製作国:スペイン
日本公開:2005年4月16日
監督:アレハンドロ・アメナーバル 脚本:アレハンドロ・アメナーバル、マテオ・ヒル 撮影:ハビエル・アギーレサロベ 音楽:アレハンドロ・アメナーバル
キネマ旬報:5位
アカデミー外国語映画賞

海を飛ぶ夢が尊厳死だというのではいささか悲しい
 原題は"Mar adentro"で、内なる海の意。ラモン・サンペドロの手記『地獄からの手紙』を基にした、尊厳死がテーマの実話もの。
 元船員のラモンは25歳のときに海の事故で脊髄を損傷し、全身不随となる。物語はその約30年後、尊厳死を求めて裁判を起こしたラモンと、彼を世話してきた兄の家族、父親、裁判の弁護を買って出た認知症を発症した女弁護士、ラモンに関心を持つシングルマザーの女工らの関わり合いを通して、尊厳死の葛藤を描いていく。
 最も重いのは、ラモンの気持ちを理解しつつも死を選択できない肉親で、裁判に負けて死を決意する弟に兄が「俺たちはずっとお前の奴隷だった」と最後に言って、沈痛な思いの家族とともに死出の旅に送り出す。
 一方、ラモンの手記を出版して、心中する予定だった認知症の女弁護士が約束を果たせず、ラモンの存在さえ忘れてしまうラストシーンが何とも哀しい。
 明確な答えの出ない問題だが、本作がそれに一定の回答を導き出せているかというと疑問で、ラモンの主張を肯定していたとしても、説得力は持ち得ていない。
 寝たきりの人生に価値がないとするラモンに最も反論できていたのは実は女工で、離婚して子供を育てる身で、さらには工場を首になって失職する彼女の心の支えとなっていたのがラモンだと気付けば、彼の人生は無意味ではなかったということになる。ただ彼女もまた、ラモンに対する愛情を最終的にラモンに利用され、彼の自殺に協力してしまう。
 ラモンの人生が無意味だったかということと尊厳死とは別問題で、それらを切り分けることができなかったために、どちらの問題も掘り下げが不十分で、中途半端な気持ちのままでエンディングを迎えることになる。
 タイトルであり、劇中でも語られる、空想の中では自由だというシークエンスは、尊厳死とどのような関わりを持つのか? 尊厳死もその自由に中にあるというのでは、ヒューマンドラマとしてはいささか悲しい。 (評価:2.5)

エターナル・サンシャイン

製作国:アメリカ
日本公開:2005年3月19日
監督:ミシェル・ゴンドリー 製作:スティーヴ・ゴリン、アンソニー・ブレグマン 脚本:チャーリー・カウフマン 撮影:エレン・クラス 音楽:ジョン・ブライオン

砂浜がきれいなSF設定の空想的恋愛映画
 原題は"Eternal Sunshine of the Spotless Mind"で、汚れなき心の不滅の日の光という意味。喧嘩別れした恋人同士がそれぞれに相手の記憶を脳科学によって消去し、再び同じ砂浜で出会ってまっさらな状態で再び惹かれ合うロマンティックなラブストーリー。タイトルはそのこと、つまり愛は永遠を表している。
 アカデミー脚本賞を受賞しているが、予備知識なしに観ると話がわかりにくい。見直してもまだ不明点が残って、人に教えてもらってようやく理解した。個人的にはあまりいい脚本とは思えない。
 わかりにくさの最大のポイントは現在と回想の境目がなく、なおかつ治療中は回想が加工されるという点で、観賞を一度で済ませたいなら、ネタばれ覚悟で予習をし、映画は復習のつもりで観た方が良い。それはそれで各シーンに合点がいくかもしれない。
 設定はSFだが単に道具立てにすぎない空想的恋愛映画。作品テーマは互いの欠点を受け入れることが大切という恋愛指南。しかし、相手を忘れたければ記憶除去手術でという安直さ同様、再び惹かれ合ったのだから二人は赤い糸で結ばれているのだという展開は如何にも軽い。二人は再び喧嘩別れするとしか思えず、いっそ再び記憶を除去し、再び惹かれ合うという腐れ縁に描いた方が作品的には重みがあったかもしれない。
 愛については何も語られてなく、現実逃避のメルヘン。ジム・キャリーがケイト・ウィンスレットと出会った砂浜が幻想的できれい。 (評価:2.5)

Mr.インクレディブル

製作国:アメリカ
日本公開:2004年12月4日
監督:ブラッド・バード 製作:ジョン・ウォーカー 脚本:ブラッド・バード 音楽:マイケル・ジアッキノ

超速のダッシュのスピーディな演出とカメラワークが最高
 原題"The Incredibles"で、インクレディブル一家の意。
 incredibleは途方もないという意味で、主人公のボブが強靭な肉体とパワーのミスター・インクレディブルと呼ばれている。妻ヘレンはゴムのように伸縮自在の身体、長女ヴァイオレットは透明化とバリアー、長男ダッシュは超速、赤ん坊のジャック=ジャックは未発動だが、ラストで何でもありの怪物となる。
 プロローグはボブの超人ぶりの紹介で、スーパーヒーローとして息つく暇もないレスキューを分単位でこなす。途中で超人仲間のヘレン等が登場、市民の喝采を浴びるが、ビルの破壊などで訴訟を起こされ、スーパーヒーローたちは揃って引退。ヘレンと結婚したボブは保険会社の事務員となり、家族全員が超能力をひた隠して平凡な日々を送っているというギャップが楽しい。
 ボブに付き纏って追い払われたヒーロー志望の少年バディが年月を経て、科学力で悪の帝王となり、ボブらインクレディブル一家を監禁した挙句、ニューヨークに戦闘ロボットを送り込み、自分が退治してスーパーヒーローとなるという狂言を図る。
 もちろんインクレディブル一家の活躍で失敗に終わり、スーパーヒーローが名誉回復を果たしてのハッピーエンドとなるが、シナリオが良くできていて楽しい作品となっている。
 全体にスピーディな演出で、とりわけ超速のダッシュのシーンの演出とカメラワークが最高で、水上シーンは忍者のようで笑わせてくれる。
 バディの秘密基地ではボブは007張りの活躍で、音楽も007を喚起させる。
 インクレディブル一家それぞれに特徴のある超能力で見せ場を作っているのに対し、最終兵器となるジャック=ジャックの超能力が今一つ個性的でなく、見せ場を作れていないのが残念なところか。ピクサー・アニメーション・スタジオ製作の3Dアニメーション。 (評価:2.5)

世界

製作国:日本、フランス、中国
日本公開:2005年10月22日
監督:ジャ・ジャンクー 脚本:ジャ・ジャンクー 撮影:ユー・リクウァイ 音楽:リン・チャン

成長する中国が目指す矮小化された世界で挫折する若者たち
 原題"世界"。
 北京郊外にあるテーマパーク・世界公園で働く若者たちを描く群像劇。主人公はベテラン・ダンサーのタオ(チャオ・タオ)で、今カレの警備主任タイシェン(チェン・タイシェン)との関係を軸に物語が展開する。
 モンゴルに行く元カレを二人が送り出すところから始まり、タオの女心の揺れ、夫が音信不通の人妻に惹かれるタイシェン、それが人妻の遊びとわかり、浮気を知ったタオはタイシェンを避ける。
 そこにヨリを戻しにタイシェンがやってくるが、その晩、二人は一酸化炭素中毒で死んでしまうというラスト。事故なのか心中なのかは明かされない。
 並行してロシア人ダンサーの売春、団長の愛人となって出世する後輩、同僚の幸せな結婚、建設現場で働くタイシェンの同郷の若者のエピソードと共に、発展する北京での成功を目指して地方から集まってくる若者たちの悲喜こもごもの青春が描かれる。
 とりわけ印象的なのは建設現場で事故死する若者のエピソードで、遺言のメモが彼に金を貸してくれた人たちのリストだったというのが悲しい。
 貧しい暮らしの中で誠実に生きようとする若者たちと、それを呑み込みながら国際都市として成長していく北京。
 テーマパーク・世界は、エッフェル塔やピラミッドなどの世界名所を10分の1スケールで集めた公園で、タオたちは毎日世界の踊りを披露する。
 それが発展する首都・北京の中でタオたちが挫折する、夢見る「世界」で、同時に発展する中国が目指す矮小化された「世界」でもある。
 説明を排したクールなリアリズムがジャ・ジャンクーらしいが、若干話がわかりにくい。 (評価:2.5)

ヴェラ・ドレイク

製作国:イギリス、フランス、ニュージーランド
日本公開:2004年12月4日
監督:マイク・リー 製作:サイモン・チャニング=ウィリアムズ 脚本:マイク・リー 撮影:ディック・ポープ 美術:イヴ・スチュワート 音楽:アンドリュー・ディクソン
ヴェネツィア映画祭金獅子賞

周りの女たちが簡単に妊娠してしまうのが可笑しい
 原題"Vera Drake"で、主人公の名。
 1950年のロンドンで、望まない妊娠をした女性の堕胎をボランティアで手伝う主婦の話。
 物語の大筋は、質素な家庭の主婦ヴェラ(イメルダ・スタウントン)が何年も違法な堕胎を続けてきて、その中の娘が重態に陥ったことから警察に発覚。逮捕されて懲役刑を受け女子監獄に入るまで。
 並行して、ヴェラが家政婦の仕事で知り合った青年(エディ・マーサン)をシャイな長女(アレックス・ケリー)に引き合わせ、二人が婚約するエピソード、義弟夫婦の話などが描かれる。
 圧巻なのはイメルダ・スタウントンの演技で、不幸な女性を救いたい一心で、「もとの体に戻す」ために違法と知りながら堕胎する善意ある女を好演する。
 彼女の逮捕で秘密を知った家族のうち、長男(ダニエル・メイズ)だけが母親を非難し、夫(フィル・デイヴィス)と長女、その婚約者は彼女を赦すというそれぞれの立場の違いが面白い。
 当時のイギリスでは一部を除いて中絶は禁止されていて、レイプされた上流家庭の娘が精神病を偽装して、自殺の可能性を理由に合法的に堕胎する例が示される。
 ただ、労働者階級では違法な堕胎が頻繁に行われていたことは、ヴェラが収監された女囚たちの会話からわかるのだが、作劇の必要性からヴェラの周りの女たちが簡単に妊娠してしまうのが可笑しい。 (評価:2.5)

華氏911

製作国:アメリカ
日本公開:2004年8月14日
監督:マイケル・ムーア 製作:マイケル・ムーア 脚本:マイケル・ムーア
カンヌ映画祭パルム・ドール

9.11後を覚えていないとムーアに洗脳されそうになる
 原題"Fahrenheit 9/11"で、邦題の意。フランソワ・トリュフォー監督『華氏451度』(1966、原作:レイ・ブラッドベリ)を引用したタイトルで、911は2001年のアメリカ同時多発テロ事件のこと。カンヌ国際映画祭パルムドールを受賞したドキュメンタリー作品。
 第43代アメリカ大統領の子ブッシュの再選阻止を目的として制作されたもので、就任から半年間、ゴルフと釣りに明け暮れていたブッシュが、9.11の事件報告を受けても何もアクションを起こさなかった無能ぶりから紹介。ビンラディン家、サウジ王室との石油利権を背景に、国民の目を逸らすためにアフガン侵攻、イラク戦争を始めて私利私欲に走るブッシュを告発する。
 ドキュメンタリーというよりはブッシュを叩くことを目的とした政治プロパガンダ映画で、大統領選の不正疑惑、国民監視を目的とする愛国者法、ベトナム戦争を想起させるイラクでの残虐行為、貧しい若者に対する志願兵募集、子弟を戦場に送らない国会議員に対する嫌がらせなど、ムーアらしい主観的で一面的な描写が続く。
 もっとも、イラク戦争の理由となった大量破壊兵器疑惑が捏造であったことはその後にわかっており、正義なき戦争というムーアの指摘が正しかったことになる。
 本作を観ていると、ブッシュがイラク戦争を始めたのは石油利権にとって邪魔なサダム・フセインの排除が目的で、大量破壊兵器は理由づけに過ぎなかったというムーアの主張が腑に落ちる。
 全体に早口なので、9.11後の経緯を覚えていないと、ムーアに洗脳されそうになる。 (評価:2.5)

ネバーランド

製作国:イギリス、アメリカ
日本公開:2005年1月15日
監督:マーク・フォースター 製作:ネリー・ベルフラワー、リチャード・N・グラッドスタイン 脚本:デヴィッド・マギー 撮影:ロベルト・シェイファー 音楽:ヤン・A・P・カチュマレク

病に倒れるケイト・ウィンスレットの未亡人が艶っぽい
 原題"Finding Neverland"(ネバーランドの発見)で、ネバーランド(実在しない国=夢の国)は『ピーター・パン』に登場する、親からはぐれて年を取らなくなった子どもたちがティンカーベルなどの妖精とともに暮らすお伽の国。
 スコットランドの劇作家ジェームス・マシュー・バリーが『ピーター・パン』のモデルとなる少年と出会い、作品を完成させるまでの物語で、原作はアラン・ニーの戯曲"The Man Who Was Peter Pan "(ピーター・パンだった男)。
 バリーは公園でピーターと出逢い、デイヴィズ未亡人一家と知り合いになる。それからデイヴィズ家に出かけて子供たちと遊ぶようになり、インディアンごっこや海賊ごっこをして遊びながら、新しい芝居の着想を得ようとする。バリーは未亡人との仲を噂されるようになり、妻からは嫉妬。未亡人の母がやってきてバリーの出入りを禁止する。ところが未亡人は病に罹っていて、完成した戯曲『ピーター・パン』の初演に行くことができない。
 感動的なのはそうした未亡人のために、バリーがデイヴィズ家で芝居を上演するシーンで、バリーは約束通りにネバーランドを見せてやり、彼女はネバーランドへと旅立つ。
 ケルト神話では妖精の国=西方浄土だという知識が、本作を理解する助けとなる。
 本作はファンタジックで、演出的にも現実とファンタジーを繋いでいる。そういった点で『ピーター・パン』同様にメルヘンなのだが、ピーターをはじめデイヴィズ家の子供たちが母の死によってピーター・パンから大人へと成長していく中で、バリーだけがピーター・パンであり続けることについては何も語られてなく、この映画そのものがお伽噺なのか、それともバリーに対する皮肉なのかよくわからない。
 ジョニー・デップが珍しく普通の男を演じていて、ケイト・ウィンスレットの未亡人が艶っぽい。芝居のプロデューサーにダスティン・ホフマンといい俳優が揃っていて、破綻なく楽しめる。 (評価:2.5)

ターミナル

製作国:アメリカ
日本公開:2004年12月18日
監督:スティーヴン・スピルバーグ 製作:ローリー・マクドナルド、ウォルター・F・パークス、スティーヴン・スピルバーグ 脚本:サーシャ・ガヴァシ、ジェフ・ナサンソン 撮影:ヤヌス・カミンスキー 音楽:ジョン・ウィリアムズ

スピルバーグらしいファンタジーなヒューマニズム
 原題"The Terminal"で、空港ターミナルビルのこと。
 ハートフル・コメディなので、空港職員が親切すぎるとか、主人公の英語の上達が早すぎるとか、器物破損だとか、設定がおかしいとかいったことについては、ファンタジーなヒューマニズムが好きなスピルバーグに免じて許してあげないといけない。
 舞台はニューヨークのケネディ空港。クラコウジア国からやってきた旅行者が、母国でのクーデター発生でパスポートもビザも無効になり入国できなくなる。無国籍者のために難民申請も出来ず、入国も帰国も出来ないという宙ぶらりん状態に置かれ、空港の乗り継ぎロビーで暮らすことに。
 昇進したばかりの国境警備局長は、厄介払いするために不法入国させようと画策するが、真面目な主人公は許可の下りるのを辛抱強く待ち、カートのデポジットや内装工事の手伝いで食費を稼ぐ。空港職員との交流やスッチーとの恋ありで、やがてクーデターも収まり帰国を許されるが、主人公にはニューヨークに来た目的があり、亡父がコレクションしていたジャズメンの最後のサインをもらってコンプリートしなければならなかった。
 上陸して早速ホテルのラウンジに急行した主人公はベニー・ゴルソンのサインをもらい帰国の途に就いてエンド。
 2001年アメリカ同時多発テロ事件後に製作で、英語を話せない外国人とのディスコミュニケーションも、互いが心を通わせればコミュニケーションできるというメッセージ。クラコウジアは東欧の国らしき設定で、異質な人間に見えてもジャズを理解し文化を共有できる世界人類はみな友達という、『E.T.』(1982)で宇宙人とも仲良くなれると主張したスピルバーグらしい作品になっているが、時代背景がわからないとやや散漫な印象かもしれない。
 真面目で誠実な外国人を適役トム・ハンクスが演じ、怪しげな外国語を操る。スッチーにキャサリン・ゼタ=ジョーンズ。 (評価:2.5)

2046

製作国:香港
日本公開:1996年6月29日
監督:ウォン・カーウァイ 製作:ウォン・カーウァイ 脚本:ウォン・カーウァイ 撮影:クリストファー・ドイル、クワン・プンリョン、ライ・イウファイ 美術:ウィリアム・チャン 音楽:ペール・ラーベン、梅林茂

2046年は一国二制度で保証された香港の自治権が終了する年
 原題"2046"で、主人公が書く小説のタイトル。
 2046年は、1997年に香港が中国に返還された50年後で、一国二制度で保証された香港の自治権が終了する年にあたる。
 本作で語られる2046は、皆が向かう壮大なネットワークが構築された近未来で、怪しげな列車がそこを目指す。乗客の目的はなくした記憶を見つけるためで、そこでは何も変わらずに残っている。それが本当かどうかは2046に行って戻ってきた者がいないのでわからない、と説明される。
 唯一戻ってきたのはこの物語の主人公であり、語り手である新聞記者上りの小説家チャウ(トニー・レオン)で、過去の女性スー・リーチェンに囚われている。
 舞台は1967年前後で、中国の文化大革命が香港に波及し、左翼によるデモや暴動が続いていたことは作品中でも触れられている。
 本作が単なる過去を捨てられない男の恋愛映画というだけでなく、2046に向かう列車に乗り合わせている香港人が、中国人のDNAに戻れるのかという不安を描いているようにも見える。
 主人公のチャウはそうした香港人の一人で、シンガポールに住んだこともある根無し草。アパートの2046号室の隣に住み、2046号室を出入りする人々を覗き見る。
 大家の娘ジンウェン(フェイ・ウォン)は日本人駐在員(木村拓哉)との恋愛騒動を起こすが、結局結婚して日本に行ってしまう。
 リン(チャン・ツィイー)はチャウを好きになるが、チャウが根を張ろうとしないのを知ってチャウとの過去を捨てようとする。
 過去を忘れられないままのチャウは、小説2046の結末をハッピーエンドに変えてほしいとジンウェンに頼まれるが、思いつくことができない。
 デラシネであるチャウの浮遊感がウォン・カーウァイ独特の映像美で描かれるが、それぞれのエピソードに暗喩を求めるかはともかく、現実とSFが交錯する不可思議な時空間に引き込まれていく。
 チャウの元恋人と同姓同名の女をコン・リーが演じるなど、香港・中国の俳優が好演するが、日本での興行のためのキャスティングか、木村拓哉の演技が足を引っ張っている。 (評価:2.5)

LOVERS

製作国:中国
日本公開:2004年8月28日
監督:チャン・イーモウ 製作:ウィリアム・コン 脚本:チャン・イーモウ、リー・フェン、ワン・ビン 撮影:チャオ・シャオティン 美術:フォ・ティンシャオ 音楽:梅林茂

チャン・ツィイーの歌あり踊りありアクションありお色気ありのPV
 原題"十面埋伏"で、待ち伏せの意。
 チャン・イーモウ監督の武侠ドラマで、チャン・ツィイーと金城武が主演というのが目玉。
 唐が衰退する9世紀を舞台に、朝廷を脅かす地方の武力集団の頭目・飛刀門を討つべく命令を受けた捕吏・リウ(アンディ・ラウジン)が、飛刀門の娘・シャオメイ(チャン・ツィイー)を捕え、それを同僚ジン(金城武)に助けさせて頭目に近づこうとする。そうとは知らないシャオメイはジンと共にリウの手勢に追われながら仲間の許へと逃げ延びる。
 実はそれぞれに正体を隠しての騙し合いというどんでん返しはあるものの、ストーリーはただの追いかけっこ。それでも手を替え品を替え、忍者まで登場する殺陣で目先を変えるチャン・イーモウの演出力が見もので、敵と知りながら愛し合っていくジンとシャオメイのラブストーリー、恋人を奪われるリウとの三角関係、そして『マトリックス』(1999)張りのバレットタイムやワーヤーアクションを使ったVFXで、純粋に楽しめるエンタテーメントに仕上がっている。
 序盤は遊郭の盲目の踊り子シャオメイがワダ・エミがデザインの衣装を身に纏って歌う華麗な踊り、続いてワイヤーアクションの殺陣へと移行。中盤からは武術を中心としたVFX、ジンとのラブシーン、さらには水浴シーンの背中までのヌードと、チャン・ツィイーの踊りありアクションありお色気ありのPVと化すが、それにしても可愛い。
 冒頭の遊郭シーンからチャン・イーモウらしい極彩色のセットで、竹林の青、白い花の咲く草原と雪原の白、紅葉の赤の色彩処理した映像も見どころ。とりわけ竹林ではチャン・ツィイーが背景に合わせた青竹色の衣装で林を抜ける姿が幻想的。
 終始走りっぱなしの金城武とチャン・イーモウはお疲れさんだが、それに見合う流れるテンポのアクション作品になっている。 (評価:2.5)

製作国:カナダ、イギリス
日本公開:2004年9月11日
監督:アレクサンダー・ウィット 製作:ポール・W・S・アンダーソン、ジェレミー・ボルト、ドン・カーモディ 脚本:ポール・W・S・アンダーソン 撮影:クリスチャン・セバルト、デレク・ロジャース 音楽:ジェフ・ダナ

ミラ・ジョヴォヴィッチが無敵サイボーグ化
 原題"Resident Evil: Apocalypse"で、居住する邪悪:黙示録の意。カプコンの同名ビデオゲーム(英題、原題は『バイオハザード』)が原作。
 前作の完全な続編になっていて、アリス(ミラ・ジョヴォヴィッチ)が病院から出ると、アンブレラ社の城下町ラクーンシティはゾンビに溢れかえっている。住民たちが街を逃げ出そうとするが、事件を隠蔽しようとするアンブレラ社は特殊部隊によって道路を封鎖。関係者だけを避難させる。
 小学校に娘のいるアンブレラ社のアシュフォード博士(ジャレッド・ハリス)は避難せずに、アリスたちに脱出方法と交換に娘の救出を依頼。アリス、女性警官バレンタイン(シエンナ・ギロリー)、上司の黒人警官(ラズ・アドティ)、スリの黒人ウェイド(マイク・エップス)、ニュースキャスター(サンドリーヌ・ホルト)らが寄り集まって救出に向かう。
 ウイルスによる肉体強化でサイボーグ化したアリスが、教会のステンドグラスをバイクで突き破って登場するシーンは思わず吹き出す。その後も無敵化したアリスの活躍が続き、究極のクリーチャー兵器ネメシスに改造された前作登場の環境活動家マットとの怪物同士のタイマン勝負に挑む。
 『マトリックス』(1999)の高速度撮影などの映像演出を取り入れて、前作よりはだいぶアクションに偏っていてホラー色は薄いが、ウェイドを道化役にしてコミカル色も盛り込むなど、万人向けのエンタテイメントを指向。アリスとバレンタインの二人の女傑が活躍するところは前作を引き継いでいる。
 最後は娘を救出してアンブレラ社のヘリを奪ってラクーンシティを脱出するが、街はアンブレラ社が撃ち込んだ核ミサイルで壊滅してしまう。 (評価:2.5)

Shall we Dance? シャル・ウィ・ダンス?

製作国:アメリカ
日本公開:2005年4月23日
監督:ピーター・チェルソム 製作:サイモン・フィールズ 脚本:オードリー・ウェルズ 撮影:ジョン・デ・ボーマン 美術:キャロライン・ハナニア 音楽:ジョン・アルトマン、ガブリエル・ヤーレ

日本的ウエット感のないハリウッド的ホームコメディ
 周防正行監督の『Shall we ダンス?』(1996)のリメイクで、ストーリーはほぼ同じ。ただ、日本とアメリカのサラリーマン中流家庭が舞台ということで、日本とアメリカの家庭環境や家族観の違いが作品テイストに反映している。
 家族の幸せを第一に働いてきた男が、ある日、電車の窓から目にしたダンス教室の若い女性に心惹かれ、人生の生き甲斐を見つけていくというコンセプトは変わらないが、妻が郊外で専業主婦をしている閉じ籠り型の日本と、妻も働き、子供も社交的なアメリカでは夫の疎外感の質が異なり、しかもリチャード・ギアではカッコ良すぎて、役所広司の孤独感は出ない。
 パパが家族に内緒でダンスを始めて、みんなで応援するといったアメリカ的陽気さはどうしようもなく、しかも全員のハッピーエンドが前提のハリウッド的ホームコメディでは、日本的ウエット感の漂うオリジナルとは同じテーマでも別物になってしまう。
 家族の閉塞感や保守的な家庭観の殻を破ろうとした日本版に比べると、これは夢見るパパをみんなで応援するホームドラマ。オリジナルのストーリーを踏襲する中でそんなチグハグさが夫婦間のセリフに垣間見え、リチャード・ギアのダンスも上手すぎて、終始違和感を感じ続ける。
 ヒロイン役のジェニファー・ロペスにも草刈民代のような陰がなく、リチャード・ギアが憧れるには存在感が薄い。 (評価:2)

製作国:アメリカ
日本公開:2005年3月26日
監督:マーティン・スコセッシ 製作:サンディ・クライマン、チャールズ・エヴァンス・Jr、グレアム・キング、マイケル・マン 脚本:ジョン・ローガン 撮影:ロバート・リチャードソン 美術:ダンテ・フェレッティ 音楽:ハワード・ショア
ゴールデングローブ作品賞

ヒューズ自身に魅力がなかったのか退屈な伝記映画
 原題"The Aviator"で、飛行士のこと。
 アメリカの大富豪ハワード・ヒューズの伝記で、18歳のときに父が死んで莫大な遺産と会社を引き継ぎ、『地獄の天使』(1930年)などの映画製作者、飛行機好きが昂じて航空機製造会社を興し、パイロットとなり、TWAを買収。パンナムとの国際路線争奪エピソードが語られ、生涯をかけて製作した飛行艇H-4ハーキュリーズの最初で最後の飛行を成功させて物語は終わる。
 難聴や異常なほどの潔癖症、精神障害、女性遍歴などが語られるが、約3時間をかけているにも関わらずヒューズの半生を羅列しただけに終わっていて、総花的、茫洋としていて、人物像には迫れていない。
 派手で破天荒な人生であったにも関わらず、人生のドラマといったものがなく、ヒューズ自身に人間的な魅力がなかったのか、はたまたアカデミー主演男優賞を獲れなかったレオナルド・ディカプリオの演技が良くなかったのか、はたまたアカデミー監督賞を獲れなかったスコセッシの演出が悪かったのか、退屈な伝記映画に終わってしまった。
 ヒューズのガールフレンドとなるキャサリン・ヘプバーンを演じ、アカデミー助演女優賞を獲得したケイト・ブランシェットが見どころなくらいで、飛行シーンもスペクタクルなだけ。編集しきれずに長尺になってしまったところに、スコセッシ自身が何を描けばいいのかわからなくなった様子が見て取れる。 (評価:2)

ヴェニスの商人

製作国:アメリカ、イタリア、ルクセンブルク、イギリス
日本公開: 2005年10月29日
監督:マイケル・ラドフォード 製作:ケイリー・ブロコウ、マイケル・コーワン、バリー・ナヴィディ、ジェイソン・ピエット 脚本:マイケル・ラドフォード 撮影:ブノワ・ドゥローム 音楽:ジョスリン・プーク

パチーノが演じれば裁判に負けてもシャイロックが勝ち
 原題は"The Merchant of Venice"で、シェイクスピアの戯曲が原作。
 物語は原作通りだが、冒頭シャイロックがアントーニオに唾を吐きかけられるシーンなどが追加されており、全体に拝金ながらもユダヤ人であることで不当な差別を受けるシャイロックを際立たせた作品となっている。
 そのシャイロックを演じるのがアル・パチーノとなれば、キリスト教徒の不遜と横暴の中で虐げられるユダヤ人の悲劇の色彩が濃くなるのは必然で、キャスティング的には上手いが、シェークスピアの『ヴェニスの商人』としてこれで良いのかというと疑問。アントーニオのジェレミー・アイアンズはともかく、バサーニオ、ポーシャなどは傲慢で軽薄な若者にしか見えない。
 ユダヤ人差別をテーマにしたことでシリアスな話になる。その分、本来の喜劇性は薄れ、拝金主義を巡る善悪と人種差別を巡る善悪が相対立するテーマとなり、本作はこの対立を上手く解決できていない。監督のマイケル・ラドフォードは、金しか頼るもののなかったユダヤ人の悲劇を描きたかったという印象で、それにしては原作の束縛から逃れることができず、シャイロックが主人公の物語にはなっていない。
 人物の台詞は原作のままで、中途半端なままに途中からはコメディとなる。原作を換骨奪胎するくらいの思い切りが欲しかった。 (評価:2)

トロイ

製作国:アメリカ
日本公開:2004年5月22日
監督:ウォルフガング・ペーターゼン 製作:ゲイル・カッツ ウォルフガング・ペーターゼン、ダイアナ・ラスバン、コリン・ウィルソン 脚本:デヴィッド・ベニオフ 撮影:ロジャー・プラット 音楽:ガブリエル・ヤーレ

字幕でヘレンと出るたびに、西川きよしの奥さんが思い浮かぶ
 原題"Troy"。
 エンドクレジットでホメロスの『イーリアス』にインスピレーションを受けた作品と出てくるように、『イーリアス』がベースになっているが、相当部分が創作。とりわけ、アキレスとブリセイスのラブストーリーは制作者の妄想に近く、これはギリシャ悲劇の翻案でも、史劇でもなく、トロイ伝承に題材をとったファンタジーと考えた方が良い。
 それでも残念なのは、冒頭でスパルタ王妃ヘレネーがトロイア王子パリスと駆け落ちする経緯が全く語られないことで、わけのわからないままにトロイ戦争が始まってしまう。『イーリアス』とトロイ伝承の核心ともいえるエピソードが語られないと、この題材を選んだ意味がない。
 一方で、クライマックスとなる木馬のエピソードもあっさりしていて、神々の登場しない現代劇風な人間ドラマなので、これなら普通に『ナルニア物語』のようにスペクタクルでラブストーリーなファンタジー映画を作った方がすっきりしたかもしれない。
 ブラッド・ピットはギリシャ神話の英雄にはどうしても見えず、プリアモスのピーター・オトゥールを見ながら、アキレスはチャールトン・ヘストンだったら良かったのに、という雑念が終始、頭から離れない。ヘレネーのダイアン・クルーガーは美の女神アフロディーテも嫉妬するような美人だが、英語はともかく、字幕でヘレンと出るたびに、西川きよしの奥さんじゃないのに、と違和感ありあり。
 トロイ伝承を知っていると木馬が出てくるまでが長すぎて、冒頭の端折りを含めてかったるい。 (評価:2)

製作国:アメリカ
日本公開: 2004年12月18日
監督:ポール・W・S・アンダーソン 製作:ジョン・デイヴィス、ウォルター・ヒル、ゴードン・キャロル、デヴィッド・ガイラー、ティエリー・ポトク 脚本:ポール・W・S・アンダーソン 撮影:デヴィッド・ジョンソン、キース・パートリッジ 音楽:ハラルド・クローサー

エイリアンファンには納得できないヴァーサスもの
 原題"Alien vs. Predator"。
 『エイリアン』シリーズ、『プレデター』シリーズでそれぞれ人気の地球外生命体同士を対決させるという、月並みな発想から企画された作品。
 2003年には『エルム街の悪夢』のフレディと『13日の金曜日』のジェイソンを対決させる『フレディVSジェイソン』もあって、その流れから企画されたが、有名対決にすれば話題性で集客できると考えた安直な企画でもある。
 その安直さは設定とシナリオにそのまま現れていて、南極に近いブーヴェ島の捕鯨基地地下に遺跡が発見され、それがエジプト、インカ、カンボジアの古代文明をミックスしたというもの。それぞれの文明をもたらしたのがプレデターで、100年周期で地球にやってきて、冷凍睡眠のエイリアン・クイーンに卵を産ませ、それと戦う成人儀礼をやっていたというトンデモハップンな事実が明らかになる。
 調査隊がプレデターと孵化したエイリアンの戦いに巻き込まれ、遺跡=闘技場のパズル的仕掛けの中で次々命を落としていく中で、主人公の女性冒険家(サナ・レイサン)が敵の敵は味方と、プレデターと手を組めば味方に出来るはずという勝手な理屈で見事タッグを組むことに成功。
 最後には自分だけ生き残って、プレデターの長老に認められて無事生還するという、ストーリーとしてはどうでもいい話で、肝腎のエイリアンとプレデターの両雄対決にはなっていない。
 ゴジラ対モスラ、ゴジラ対キングコングのように、たとえ引き分けでも正面対決が欲しいところで、もともと地球外生命体としては異質な両者を登場させることに無理があったのか、一方的にエイリアンがお邪魔虫では、エイリアンファンにとってはとても納得できないヴァーサスものになっている。 (評価:2)

製作国:アメリカ、日本
日本公開:2005年2月11日
監督:清水崇 製作:ロバート・G・タパート、一瀬隆重、ダグ・デイヴィソン、ロイ・リー 脚本:スティーヴン・サスコ、清水崇 撮影:山本英夫、ルーカス・エトリン 美術:斎藤岩男 音楽:クリストファー・ヤング

オリジナル版と監督くらいは変えた方が良かった
 原題"The Grudge"で、怨念の意。『呪怨』(2002)のハリウッド・リメイク。
 主人公にアメリカ人留学生のヘルパー(サラ・ミシェル・ゲラー)、呪いの家=ホラーハウスの住人は在日アメリカ人の一家というように、主要キャラクターはアメリカ人にシフトしながらも、舞台は日本、ホラーハウスは日本家屋、幽霊もオリジナルの伽椰子(藤貴子)で日本製という、ほぼ原作を踏襲したリメイクになっている。
 アメリカ向けにオリエンタリズムに溢れた脚色で、プロローグは東京・柳橋Mビルから米人男性が飛び降りるという、非常にわかりやすいロケ地で始まる。神田川に架かるのは柳橋、左に天麩羅・大黒家、右に佃煮・小松屋、正面に料亭・亀清楼と日本情緒も豊か。
 ホラーハウスに関与した者の繋がりなら、相手構わず所構わず襲うという節操のなさもオリジナル通りで、ハリウッド版らしくポルターガイストの性質も入れ込んである。
 オリジナルがエピソードの寄せ集めのパッチワークなのに対して、ハリウッド版シナリオは多少のストーリー性と起承転結は考慮されていて、最後は主人公がホラーハウスに放火して一件落着となる。もちろん、それで伽椰子は滅びず、死んだ恋人が安置する病院の霊安室に伽倻子が復活してTo be continued となる。
 猫少年の俊雄も正体不明、メーキャップと驚かしに頼るだけの演出もオリジナルを踏襲していて、せめて監督くらいは変えた方が良かったかもしれない。
 簡単に退場する日本人ヘルパーに真木よう子、英語ペラペラの刑事に石橋凌。 (評価:2)

製作国:アメリカ
日本公開:2004年9月4日
監督:スティーヴン・ソマーズ 製作:ボブ・ダクセイ、スティーヴン・ソマーズ 脚本:スティーヴン・ソマーズ 撮影:アレン・ダヴィオー 音楽:アラン・シルヴェストリ

怪物オールスター総出演でB級ホラーにもなれない
 原題は"Van Helnidsing"で、本作に登場するモンスター・ハンターの主人公の名。もともとはブラム・ストーカーの小説"Dracula"に登場する老教授。
 吸血鬼だけでなく、フランケンシュタインの怪物、ジキルとハイド、狼男とモンスターはてんこ盛り。ドラキュラ伯爵がフランケンシュタインに怪物を作らせ、横取りして自分の子孫に永遠の命を与えようとするが、怪物は行方不明。ヘルシング(ヒュー・ジャックマン)はバチカンの闇のモンスター・ハンターで、記憶喪失で過去を知らない。パリでハイドを退治すると教会の命令でトランシルヴァニアへ。狼男に兄を殺された王女とともに吸血鬼退治に乗り出すが、実は兄さんは 狼男になっていて、フランケンシュタインの怪物も生きていた・・・
 息もつかせぬスピーディな展開で、このハチャメチャなストーリーとキャラクターについて冷静に考えさせる暇を与えない演出は見事。もっともCGの使い過ぎは辟易で、モンスターだけでなく人間まで超人で、まるでアメコミを見ている雰囲気。
 作りは『インディ・ジョーンズ』によく似ていて、あわよくばシリーズ化を狙ったのだろうが、いかんせん第1作でオールスター総出演では後が続かない。
 金かけでB級ホラーにもなれない映画作ってどうすんのよ、という作品。 (評価:2)

ブリジット・ジョーンズの日記 きれそうなわたしの12か月

製作国:イギリス、アメリカ
日本公開:2005年3月19日
監督:ビーバン・キドロン 製作:ティム・ビーヴァン、ジョナサン・カヴェンディッシュ、エリック・フェルナー 脚本:ヘレン・フィールディング、アンドリュー・デイヴィス、リチャード・カーティス、アダム・ブルックス 撮影:エイドリアン・ピドル 音楽:ハリー・グレッグソン=ウィリアムズ

シンデレラ・ストーリーも二度目は飽きる
 前作『ブリジッド・ジョーンズの日記』(2001)のヒットを受けて作られた続編。物語は後日談になっているが、例にもれず、「作らなければよかったのに」作品になっている。
 原作はヘレン・フィールディングの小説"Bridget Jones: The Edge of Reason"で映画の原題と同じ。The Edge of Reasonは、理由の果てといった意味。
 前作でハッピーエンドとなったブリジッド(レネー・ゼルウィガー)だが、マーク(コリン・ファース)の所属するソサイエティや美人レベッカ(ジャシンダ・バレット)の登場、結婚を切り出さないマークに自信をなくす。元上司(ヒュー・グラント)とタイに取材に行き、誘惑に乗りそうになったり、トラブルに巻き込まれたりといった果てに再びハッピーエンドとなるが、コメディとしてはそれなりだが、そんな醜態を見せるブリジッドを尚も追いかけるマークに説得力がない。普通ならレベッカを選ぶところだが、ラストに一応の理由がある。
 本作には前作のようなブリジッドの可愛らしさがなく、さらに太った35歳のゼルウィガーは嫉妬深いだけの中年女にしか見えない。前作と同じ恋愛ものの構造を踏襲しているために、マンネリの上にキャラクターの魅力まで損なっている。
 その穴埋めにアルプスのスキー場とタイの海外ロケで目先を変えようとしても、そもそも『エマニエル夫人』や『007』ではないので大して効果がない。冴えない女が二人の男に追いかけられるというシンデレラ・ストーリーも、二度見せられると飽きる。
 黒髪の女友達ジュード役のシャーリー・ヘンダーソンは『ハリー・ポッターと秘密の部屋』の嘆きのマートル。 (評価:2)

ナイト・ウォッチ

製作国:ロシア
日本公開:2006年4月1日
監督:ティムール・ベクマンベトフ 製作:コンスタンティン・エルンスト、アナトリー・マキシモフ 脚本:ティムール・ベクマンベトフ、レータ・カログリディス 撮影:セルゲイ・トロフィモフ 美術:ワレーリー・ヴィクトロフ 音楽:ユーリ・ポテイェンコ

スタイリッシュなようで玩具箱をひっくり返しただけ
 原題"Ночной дозор"で、邦題の意。本来は夜警のことで、劇中では闇の勢力に対する光の勢力の監視人の名称。セルゲイ・ルキヤネンコの同名ファンタジー小説が原作。
 光と闇の二つの勢力に分かれて戦っていた、特殊な能力を持つ異種とよばれる人間が休戦協定を結び、それぞれ協定を破る者をナイト・ウォッチとデイ・ウォッチが監視しているという、米ソ冷戦時代を思わせる世界観。
 主人公アントン(コンスタンチン・ハベンスキー)は、浮気女房を流産させようとして魔女の手を借りてナイト・ウォッチに見つかるが、一般人には見えないナイト・ウォッチを見ることができるという特殊能力を発見され、ナイト・ウォッチにスカウトされるというのがプロローグ。
 続いてヴァンパイアに狙われる少年イゴールを救出することになり、呪いをかけられた女スヴェトラーナのエピソードを経て、イゴールが流産に失敗したアントンの子で、異種であることがわかるという展開。出生の秘密を知ったイゴールは、当然闇の勢力を選ぶ。
 ダーク・ファンタジーなので、世界観に入り込めないと面白くもなんともなく、光と闇と言いながら結局は吸血鬼もので、世界観が煩雑で面倒なだけになっている。それに輪を掛けるのが前衛を目指した映像と編集で、スタイリッシュなようで玩具箱をひっくり返しただけでストーリーにもドラマにもなっていない。 (評価:1.5)


イメージは商品紹介にリンクしています