海月衛 映画帖
~映画の大海原をたゆたう~

外国映画レビュー──1953年

製作国:アメリカ
日本公開:1954年4月21日
監督:ウィリアム・ワイラー 製作:ウィリアム・ワイラー 脚本:イアン・マクレラン・ハンター、ジョン・ダイトン、ダルトン・トランボ 撮影:フランク・F・プラナー、アンリ・アルカン 音楽:ジョルジュ・オーリック
キネマ旬報:6位

王女が一日だけの夢を見る中世騎士道物語
 原題"Roman Holiday"。
 某国の王女がローマ訪問中に宿舎を抜け出し、知り合った新聞記者と1日だけのローマの休日を楽しむというシンプルな物語だが、何度見ても見飽きることのない名作。
 理由にはいくつかあって、一つは王女を演じるオードリー・ヘプバーンの世間知らずぶりが無茶苦茶可愛くて、彼女なくしてこの映画は名作とはならなかった。王女と乙女のギャップを上手く演じていて、アイドル映画としても完璧。イギリス人の彼女が話す英語が端正な発音で、気取って庶民風でないのも聴きどころ。ヘプバーンはアカデミー主演女優賞を受賞している。
 一つはローマの休日が観光案内になっていて、それぞれに楽しいエピソードが組み込まれている。とりわけ、今なら観光客でごった返しているトレヴィの泉やスペイン広場などに人が少なく、本作をきっかけに人気になった。
 本作の最大の魅力は、これが王女が一日だけの夢を見るというメルヘン、ファンタジーにあり、ナイトとして登場するのが平民の新聞記者という、身分の違いゆえに決して実ることのない恋物語であること。
 つまり本作は中世騎士道物語にも通じる、王女とナイトの物語であって、ナイトは決して報われることのない愛を王女に捧げ、王女は成就することのない愛を受け入れることでナイトに報いる。
 そうした禁断の恋とラストの悲劇を予感させながら、1日だけのデートを王女とナイトが恋の思い出に昇華させていく姿が描かれ、予定通りの別れが訪れる。
 二人の間に芽生えるのは淡い恋心に過ぎず、それが別れを必然としたことによる恋の勘違い、二人に掛けられた恋の魔法ともいえ、物語自体がメルヘン、ファンタジーとなっている。
 王女のエスケープの動機は予定通りの生活の否定にあったが、王女は一日だけのエスケープの後に予定通りの生活に戻り、エスケープも含めてすべてが予定通りだったわけで、そこに人生の悲しみ、無常観を漂わせているのも、本作が不朽である理由になっている。
 最初は特ダネ狙いから、王女のピュアな姿に心を動かされて無償の愛に転じるナイトをグレゴリー・ペックが清々しく演じているのもいい。
 気のいい相棒のカメラマンを演じるエディ・アルバートが、脇役ながらコミカルに好演。ラストの王女にローマの休日の記念写真を渡すシーンが泣かせる名場面。 (評価:5)

製作国:アメリカ
日本公開:1953年10月20日
監督:ジョージ・スティーヴンス 製作:ジョージ・スティーヴンス 脚本:A・B・ガスリー・Jr 撮影:ロイヤル・グリッグス 音楽:ヴィクター・ヤング
キネマ旬報:7位

西部開拓時代の世代間の権益争いと軋轢が背景の西部劇の傑作
 原題"Shane"で、主人公の名。ジャック・シェーファーの同名小説が原作。
 西部劇の傑作中の傑作。流れ者のガンマン、シェーン(アラン・ラッド)が開拓村を通りがかり、有力者のライカー(エミール・メイヤー)に追い立てを食らっているスターレット(ヴァン・ヘフリン)の家に居候。農業を手伝うが、先住の畜産家であるライカーと開拓農民たちの対立に巻き込まれ、ライカーの雇った殺し屋ウィルスン(ジャック・パランス)ともどもライカー一家を一掃。
 スターレットの一家と開拓農民たちに安寧をもたらすが、一度人を殺した人間は正道に戻ることはできないと、シェーンに憧れる息子ジョーイ(ブランドン・デ・ワイルド)に言い残して去っていき、"Shane, come back!"の有名なラストシーンとなる。
 孤高のガンマン、シェーンの格好良さが際立つが、改めて見直すと、ガンマンに憧れるジョーイに対し、それは引き返すことのできないアウトローへの道で、父親のようにまともな人間になれと諭す物語となっている。
 開拓民を追放しようとするライカーにも彼なりの正義があって、先住民との戦いの中で得た開拓第一世代の土地を、第二世代のスターレットたち開拓農民が、その苦労なしに国策によって土地を得ていくことへの異議申し立てになっている。
 そうした西部開拓時代の世代間の権益争いと軋轢が背景になっていて、単なるヒューマンなヒーロードラマに終わっていないところに名作たる深みがある。
 シェーンとスターレットの妻マリアン(ジーン・アーサ)との秘めたる思いというのは、ハリウッド・ヒーローものの定番とはいえ、エピソード的にも描き切れてなく、雰囲気だけに終わらせた方が良かった。 (評価:4)

製作国:イギリス
日本公開:1954年1月26日
監督:ジョージ・ロウ 製作:レオン・クローレ、ジョン・テイラー、グラハム・サープ 撮影:トマス・ストバード、ジョージ・ロウ
キネマ旬報:5位

初登頂に至るまでを丁寧に追った準備と行程が興味深い
 原題"The Conquest of Everest"で、邦題の意。
 世界で初めてエベレスト登頂に成功したイギリス隊の行動を記録したドキュメンタリー。
 初登頂は1953年5月29日で、エリザベス女王の戴冠式と同じ年だったという説明から始まる。1921年から何度か登頂が試みられ、マロリーらの犠牲で失敗した経験から万全の装備とサポートを整えて挑む。
 この際、エベレストがネパールとチベットの国境にあると地図で説明しているのが興味深い。
 エベレスト登頂のドキュメンタリーの多くがベースキャンプから登頂アタックを中心に描かれるのに対し、本作ではカトマンズからベースキャンプを設営するまでの行程を丁寧に描いている。
 ネパールの緑の山村から雪と氷に閉ざされた高山に至る自然が楽しめ、大量の食糧・装備の輸送など、エベレスト登頂がネパールの多数の人々の協力によってなされ、雪原に入ってからはクレバスに橋を渡し、ラッセルでルート作りをする様子がわかる。
 登頂の様子は当然ながら映像はなく、登頂写真と登頂者のインタビューで語られるが、ベースキャンプ後のルート開拓の厳しさが実感できるフィルム。
 歴史に名を遺した登頂者のヒラリーがイギリス人ではなくニュージーランド人で、もう一人がネパール人のシェルパのテンジンというのも感慨深い。 (評価:2.5)

製作国:フランス、イタリア
日本公開:1954年7月25日
監督:アンリ=ジョルジュ・クルーゾー 製作:レイモン・ボルデリエ、アンリ=ジョルジュ・クルーゾー 脚本:アンリ=ジョルジュ・クルーゾー、ジェローム・ジェロミニ 撮影:アルマン・ティラール 音楽:ジョルジュ・オーリック
キネマ旬報:2位
カンヌ映画祭グランプリ ベルリン映画祭金熊賞

ルイージが任天堂のマリオ・ブラザーズそっくりなのが笑える
 原題"Le Salaire de la peur"で、原題の意。
 イヴ・モンタン主演で、カンヌ国際映画祭グランプリ、ベルリン国際映画祭で金熊賞を受賞したサスペンス・ドラマ。
 失業した移民たちが流れ込むベネズエラの町が舞台。主人公のマリオ(イヴ・モンタン)とジョー(シャルル・ヴァネル)が同じフランス人同士ということで意気投合し、遠い祖国を懐かしむ。
 そこに降って沸くのが油田事故で、ニトログリセリンを爆発させて火災を消し止めるために、爆薬を運ぶ人間が募集される。僅かな振動でも爆発する危険物なため、報酬は2000ドルと高額。マリオとジョーはフランスに帰れるとばかりに応募し、ほかに二人が選ばれる。
 ペアになって2台のトラックで爆薬を運ぶ道中がサスペンスで、途中思わぬ障害が待ち受けていて、無事ミッションを達成できるかというのが見どころ。
 もう1ペアはルイージとビンバで、ルイージが任天堂のマリオ・ブラザーズそっくりなのが笑える。
 トラック運転手を募集する際、油田採掘会社の人間が、危険の大きな仕事に、失業者なら使い捨てにできる、と放言するのがフランス映画らしいエスプリ。
 マリオの恋人リンダを演じるのは監督アンリ=ジョルジュ・クルーゾーの妻のヴェラ・クルーゾーで、小柄で童顔なため40歳には見えない。
 ミッション達成を知ってリンダが喜んだあとにバッドエンドが来るという、今なら定番のオチだが、若干冗長な点を除けばスリリングなシーンもあって楽しめる。 (評価:2.5)

太陽は光り輝く

製作国:アメリカ
日本公開:1966年3月11日
監督:ジョン・フォード 製作:ジョン・フォード、メリアン・C・クーパー 脚本:ローレンス・スターリングス 撮影:アーチー・スタウト 音楽:ヴィクター・ヤング

南部人を先入観で見ないJ・フォードのヒューマンな視点
 原題"The Sun Shines Bright"で、邦題の意。アーヴィン・S・コッブの短編小説"The Sun Shines Bright""The Mob from Massac""The Lord Provides"が原作。
 南北戦争後のケンタッキーの町が舞台。主人公は南軍のラッパ手だったプリースト判事(チャールズ・ウィニンジャー)で、北部の弁護士を対抗馬とする判事選挙を控えている。
 判事が世話をした黒人少年が少女暴行犯と間違われ、判事が匿ったことからリンチ騒ぎが勃発。さらに村を出た商売女が村に舞い戻り死んだことから、故人との因縁もあって白い眼を顧みずに葬列に参列。選挙に不利とわかりながら、正義感と信念を貫く。
 投票日となり負けを覚悟するが、判事の正義感と勇気に魅かれる人々の支持で当選するという物語。
 町には南軍の将軍が住んでいて、その息子と死んだ商売女の間に出来た娘(アーリーン・ウィラン)を医師兼学校長が養女に引き取っているというエピソードもあり、判事はかつての南軍兵士の年寄たちを集めて、将軍に孫娘を認知させようと奮闘する人情家でもある。
 敗れた南軍の人々を偏見や先入観だけで捉えず、功利的な北部の人間よりもむしろ人情家で心優しい者たちとして描く、ジョン・フォードのヒューマンな視点が心地よい。 (評価:2.5)

青春群像

製作国:イタリア
日本公開:1959年5月30日
監督:フェデリコ・フェリーニ 製作:ルイジ・ジャコージ 脚本:フェデリコ・フェリーニ、エンニオ・フライアーノ、トゥリオ・ピネッリ 撮影:オテッロ・マルテッリ、ルチアーノ・トラザッティ、カルロ・カルリーニ 音楽:ニーノ・ロータ

今一つ煮え切らないものが残る「初めの一歩」
 原題"I Vitelloni"で、雄牛の意。フェリーニの故郷、北イタリアの港町リミニを舞台とする自伝的な作品。
 仕事にも就かずぶらぶらしている5人の青年の物語で、女たらしのファウスト(フランコ・ファブリッツィ)はモラルド(フランコ・インテルレンギ)の妹サンドラ(レオノーラ・ルッフォ)を妊娠させ逃げようとして失敗、結婚させられ舅の友人の店で働くことになる。ところが浮気の虫は収まらず、サンドラは生まれた子供と家出。ファウストが反省してメデタシメデタシというのが主軸の話。
 これにアルベルト(アルベルト・ソルディ)の姉の不倫男との駆け落ち、劇作家志望のレオポルド(レオポルド・トリエステ)が老俳優に認められるものの怖気づいてしまうエピソード、歌が取り柄のリカルド(リカルド・フェリーニ)が絡み、田舎で燻っているだけで飛躍できない青年たちの惰眠を貪る姿が描かれる。
 そうした状況の中で、何かを求めようとするモラルドは夜中に町を彷徨い、鉄道駅で働く少年と出会う。初めの一歩を踏み出そうとせず怠惰な日常に甘んじる仲間たちを振り切るように、モラルドはトランク一つを下げて列車に乗る。
 ここで初めてこれがモラルドの物語であることがわかるのだが、モラルドが何に不満を持ち何に不安を抱え、何に焦燥を感じて何から脱出したいのかが描かれてこないため、目的も目的地もなくただ現状打破のために初めの一歩を踏み出す青春物語として、今一つ煮え切らないものが残ってしまう。
 ネオレアリズモの映像と演出が見どころ。 (評価:2.5)

第十七捕虜収容所

製作国:アメリカ
日本公開:1954年2月3日
監督:ビリー・ワイルダー 製作:ビリー・ワイルダー 脚本:ビリー・ワイルダー、エドウィン・ブラム 撮影:アーネスト・ラズロ 音楽:フランツ・ワックスマン

スパイの処理を決めるラストの名案が鮮やかで爽快
 原題"Stalag 17"で、邦題の意。ドナルド・ビーヴァンとエドマンド・トルチンスキーが捕虜体験をもとに書いたブロードウェイの戯曲が原作。二人がいたのはオーストリアにある捕虜収容所。
 脱走を試みた兵士が射殺され、捕虜たちの秘密が収容所長(オットー・プレミンジャー)に筒抜けなことから、捕虜内にスパイがいると疑われ、脱走計画に懐疑的でドイツ兵ともうまくやっているセフトン(ウィリアム・ホールデン)が疑われる。
 そこに新たに中尉(ドン・テイラー)が収容され、ベルリンでの弾薬輸送列車を爆破したことを喋ったことが所長に伝わり拘束されてしまう。スパイがいるのが決定的となり、仲間にリンチされたセフトンが本当のスパイを探る・・・という物語。
 コメディタッチの舞台劇のため、アメリカ兵の陽気さがいささか場違いで鼻につくが、ドイツ軍の所長までがアメリカ人のように陽気なのが違和感。
 話が面白くなるのはスパイ(ピーター・グレイブス)発見後で、仲間に教えて私刑にすれば捕虜全員が殺され、通告して追い出せば他の収容所にスパイを送り込むことになるだけとセフトンが悩むところから。
 中尉がSSに連行されることになり、捕虜たちが妨害して中尉を隠す。これを誰かが同行して逃亡させることになり、スパイが志願する。密告して殺すつもりだと見抜いたセフトンが仲間に真実を打ち明け、スパイを囮にしてその間にセフトンが中尉を連れ出すことになる。
 成功して二人が逃亡するところで物語は終わるが、スパイの処理を決めるラストの名案が鮮やかで爽快。
 アカデミー主演男優賞受賞のウィリアム・ホールデンがかっこいい。オットー・プレミンジャーは『帰らざる河』『栄光への脱出』等の監督。ピーター・グレイブスはTV『スパイ大作戦』のフェルプス君。 (評価:2.5)

製作国:アメリカ
日本公開:1953年10月18日
監督:フレッド・ジンネマン 製作:バディ・アドラー 脚本:ダニエル・タラダッシュ 撮影:バーネット・ガフィ 音楽:モリス・W・ストロフ
アカデミー作品賞

見終わってモヤモヤした気持ちでスッキリしない
 原題"From Here to Eternity"で、邦題の意(邦題の地上の読みは、ここ)。ジェームズ・ジョーンズの同名小説が原作。
 真珠湾攻撃前夜のオアフ島スコフィールド陸軍基地が舞台だが、戦争ものではなく、2組の男女のラブロマンスがストーリーの主軸。背景に陸軍内部の腐敗が描かれているものの反戦でも反軍でもなく、何を描きたかったのか不明瞭で、どことなく中途半端な作品になっている。
 主人公は本土から転属してきたプルウィット(モンゴメリー・クリフト)で、異動理由は自分より下手なラッパ吹きが上官になったため。スコフィールド基地の中隊長ホルムズ大尉(フィリップ・オーバー)をこれを知って引き取るが、理由はプルウィットが拳闘が得意で、軍の大会で中隊を優勝させて昇進を図るため。
 一方、プルウィットは拳闘で親友を失明させてしまったことから二度とやらないと断言。中隊長の反感を買って理不尽にシゴかれる羽目になる。
 大尉の右腕ウォーデン軍曹(バート・ランカスター)はプルウィットを気にかけ、要領が悪いと忠告。一方、大尉とは夫婦仲が最悪の夫人カレン(デボラ・カー)も気にかけていて、道ならぬ仲になってしまう。
 プルウィットの唯一の楽しみは街の女アルマ(ドナ・リード)とのデートだが、親友アンジェロ(フランク・シナトラ)が酔って営倉に入れられ、ジャドソン軍曹(アーネスト・ボーグナイン)の虐待を受けて死亡。プルウィットが仇討ちをしてアルマの部屋に隠れているところに真珠湾攻撃を受け、軍人魂から基地に戻ろうとして射殺される。
 ホルムズ大尉はプルウィット虐待の責任を取らされて除隊。避難勧告が出て、カレンとアルマは本土行きの船に乗るというラスト。
 ウォーデンによってプルウィットは名誉の戦死ということにされているが、見終わってモヤモヤした気持ちで腑に落ちない、スッキリしない作品となっている。
 フランク・シナトラとドナ・リードがそれぞれ助演男優・女優賞を受賞しているが、シナトラの歌うシーンがないのが若干寂しい。 (評価:2.5)

製作国:アメリカ、イタリア
日本公開:1953年9月15日
監督:ヴィットリオ・デ・シーカ 製作:デヴィッド・O・セルズニック、ヴィットリオ・デ・シーカ 脚本:チェザーレ・ザヴァッティーニ、トルーマン・カポーティ 撮影:G・R・アルド 音楽:アレッサンドロ・チコニーニ
キネマ旬報:5位

タイトルは「アメリカ人妻の無分別」の方がしっくりする
 原題"Stazione Termini"で、テルミニ駅の意。ローマ・テルミニ駅を舞台に、2時間弱を同時進行で描くという実験的作品。
 アメリカに夫と娘を残してローマの妹の家に家出した人妻(ジェニファー・ジョーンズ)が、ローマのイタリア青年(モンゴメリー・クリフト)と不倫。娘可愛さに帰国しようとしたところ、テルミニ駅に青年が追いかけてきて引き留められ、1時間半後の列車に1本遅らせる。
 行こか戻ろか女心を揺らした挙句、出産騒動に巻き込まれたり、引き込み線の列車に潜り込んで青年といちゃついて駅員に捕まったりして、出国を条件に保釈され、涙ながらの最後の別れとなる。
 どうでもいい物語だが、二人の熱演もあってそれなりに退屈はしないが、スペイン階段の出会いで二人ともに愛のキューピッドの矢に心臓を射抜かれたという以外には、二人の恋が深まっていった事情も、別れ難いほどに二人が愛し合っている理由も語られず、瞬間湯沸かし器のように頭から蒸気を出して沸騰するだけのホットな二人を、氷のようにクールな目でつい見てしまう。
 テルミニ駅での愛の交歓も出会い同様に刹那的にしか見えず、セルズニックによる64分短縮版の英題"Indiscretion of an American Wife"(アメリカ人妻の無分別)の方が、内容的にはしっくりくる。
 見どころは、当時のテルミニ駅の様子を残した映像か。 (評価:2.5)

道化師の夜

製作国:スウェーデン
日本公開:1965年6月25日
監督:イングマール・ベルイマン 脚本:イングマール・ベルイマン 撮影:スヴェン・ニクヴィスト、ヒルディング・ブラド 音楽:カール=ニビルイェル・ブロムダール

小津安二郎の『浮草物語』を連想させる日・瑞の人生観の違い
 原題"Gycklarnas afton"で、邦題の意。
 年老いたサーカス団の座長(オーケ・グレンベルイ)が妻(アニカ・トレトウ)と息子のいる町に巡業で帰ってくる物語で、座長には若い曲馬師の愛人(ハリエット・アンデルソン)がいて、座長を引退して家に落ち着くかどうか、二人の間で迷うが、設定が小津安二郎の名作『浮草物語』(1934)を連想させる。
 小津版では旅芸人一座は解散し、座長と愛人は浮草としての再出発を思わせて終わるが、ベルイマン版ではサーカス団は残るものの座長は自殺してしまう。
 サーカス団の馬車の連なりを横からのロングショットでとらえる映像が印象的で、映像的にも凝っているが、浮草の生き方を消極的ながらも肯定する小津に対し、否定的に捉えるキリスト教的倫理観がベルイマンらしい。
 座長は妻の許しを乞うて浮草をやめようとするが、自立の道を歩んできた妻はきっぱり拒絶する。
 一方、曲馬師の愛人はそんな座長に不安を感じ、町で出会った劇団の看板俳優(ハッセ・エクマン)によろめく。
 それを知った座長は俳優と決闘することになるが、敗れて身も心もズタズタとなり、絶望して人生を清算するために引き金を引く。
 救いのある小津に対して、破滅的な結末が日本人と北欧人の人生観の違いを感じさせる。 (評価:2.5)

白い馬

製作国:フランス
日本公開:2008年7月26日
監督:アルベール・ラモリス 脚本:アルベール・ラモリス 撮影:エドモン・セシャン 音楽:モーリス・ルルー

白馬と少年の『ロミオとジュリエット』
 原題"Crin-Blanc"で、邦題の意。
 40分の短編作品で、野生馬の白馬と少年の友情を詩的に描く。カンヌ映画祭短編グランプリ受賞作品。
 南仏カマルダの荒地に棲む野生馬たちのリーダーの白馬の物語で、牧場主たちが白馬を囲いに追い込んで飼い慣らそうとするが失敗する。少年がそれを飼い慣らせば自分のものにできると大人たちに約束させ、見事白馬と友達になるが、大人たちは約束を反故にして白馬を手に入れようとする。
 ラストは追い詰められた白馬を救い出し、海の彼方へと消える少年と白馬で終わり、黄泉の国に旅だったことを暗示する。
 少年と白馬の無垢な友情、残酷で無理解な大人たちという、メルヘンチックだが類型的な物語、『ロミオとジュリエット』パターンの少年と白馬の悲恋、道行きの物語となっていて、映像詩ということを除けばドラマは凡庸。
 見どころはむしろ白馬の暴れぶりにあって、牧場主たちに前足を上げて抵抗したり、立ち上がって他の馬と喧嘩する姿が、調教とはいえ見慣れない馬の生態として面白い。 (評価:2.5)

私は告白する

製作国:アメリカ
日本公開:1954年4月15日
監督:アルフレッド・ヒッチコック 製作:バーバラ・ケオン 脚本:ウィリアム・アーチボルド、ジョージ・タボリ 撮影:ロバート・バークス 音楽:ディミトリ・ティオムキン、レイ・ハインドーフ

ヒッチコックにヒューマン・ドラマは描けない
 原題"I Confess"で、邦題の意。ポール・アンセルメの戯曲"Nos deux consciences"(私たちの2つの良心)が原作。
 カナダ・ケベック市の教会が舞台。マリー教会で下働きしているオットー(O・E・ハッセ)が殺人を働き、ローガン神父(モンゴメリー・クリフト)に懺悔(Confess)。ところが犯行時、オットーが神父の服を着ていてそれを目撃されていたためにローガンに容疑が掛かる。
 神父には告解の守秘義務があるため、真犯人を知っていながら自らの嫌疑を晴らすことができない、という相克がドラマの肝。
 ローガンは人妻(アン・バクスター)との密会を被害者(オヴィラ・レガーレ)に見られ、人妻が恐喝されていたことから動機も十分。しかもオットーがローガンに罪を着せる証言をしたため、ローガンは裁判にかけられてしまう。
 証拠不十分で無罪となるが、オットーの妻が真実を告げようとして夫が射殺。逃げたオットーも警官に射殺され、ローガンの潔白が証明されるという結末。
 ヒッチコックらしいサスペンスタッチの展開で、映像的な見せ場もあるが、ローガンが陥った神父としての葛藤はまったくない。モンゴメリー・クリフトに演技力がないのか、ヒッチコックにヒューマン・ドラマの演出力がないのか、おそらくその両方。
(評価:2)

ピーター・パン

製作国:アメリカ
日本公開:1955年3月22日
監督:ハミルトン・ラスケ、クライド・ジェロニミ、ウィルフレッド・ジャクソン 製作:ウォルト・ディズニー 脚本:テッド・シアーズ、アードマン・ペナー、ウィンストン・ヒブラー、ビル・ピート、ジョー・リナルディ、ラルフ・ライト 音楽:オリヴァー・ウォーレス

性の固定化にとらわれた子供には見せたくないアニメ
 原題"Peter Pan"。ジェームス・マシュー・バリーの戯曲"Peter Pan; the Boy Who Wouldn't Grow Up"が原作。
 ピーター・パンの実在を信じるウェンディと二人の弟が、ピーターとともにネバーランドに向かう物語で、ウェンディを孤児たちの母親にしようとする大人にならない少年ピーター、ピーターを亡き者にせんとする海賊フック船長、ピーターに恋しウェンディに嫉妬する妖精ティンカー・ベル、インディアン、人魚などが絡んだ冒険が繰り広げられる。
 最後はピーターとフック船長の一騎打ち。船長を追放したピーターが船長となり、ウェンディたちをロンドンに送り届ける。
 テーマはもちろん大人になることで、プロローグでいつまでもピーター・パンに捕らわれているウェンディを父親が一人部屋に移すと宣言したことから、ウェンディが大人にならない少女を目指してピーターとともにネバーランドに行く。ネバーランドで孤児たちの世話をすることになったウェンディが、ピーターに導かれていつまでも子供でいてはいけないと悟り、大人になる決意をするという、ピーター・パン・シンドロームというよりは、ウェンディ・シンドロームを克服する話になっている。
 ネイティブ・アメリカンに対する差別的な描写が多く、ウェンディに母親の役割を求めるという固定観念にとらわれた作品で、歴史作品としてはともかく、子供には見せたくない作品となっているので要注意。カトゥーンの面白さに目を瞑ってはいけない。
 ストーリー自体はそれほど面白くもなく、ドラマチックでもないので、次第に飽きてくる。見所はティンカー・ベルが振りまく粉か? (評価:2)

宇宙戦争

製作国:アメリカ
日本公開:1953年9月1日
監督:バイロン・ハスキン 製作:ジョージ・パル 脚本:バー・リンドン 撮影:ジョージ・バーンズ 音楽:リース・スティーヴンス

SF映画の名作だがサイエンス設定がお粗末
 原題は"The War of the Worlds"。H.G.ウェルズの同名小説が原作。
 SF映画の名作とされ、アカデミー特殊効果賞を受賞したSFXが当時としてはなかなか派手。火星人のマシーン(UFO)のデザインもいいし、モブシーンに動員したエキストラの数も半端ではない。金も掛かって豪華でスペクタクル映画としては文句なしだが、演出・シナリオは冗長で、SFとして盛り込んだサイエンス設定がお粗末。字幕の日本語訳もおざなり。
 火星人のマシーンは電磁気カバーで米軍の砲撃を防げるらしく、原子爆弾攻撃による放射能も他のアメリカ映画同様に無警戒。閃光と熱・爆風を防ぐだけ。冒頭の第二次世界大戦の映像も本篇との繋がりがはっきりせず、ラストのオチは原作通りということで、現代(1953年)の設定に置き換えて、結局何を描きたかったのかがわからない。
 強大な敵・宇宙人襲来に備えて世界よひとつになれ! ということか? それとも、どれほど戦争技術が向上しても人間の力はバクテリアにも劣る、神を畏れよ! ということか?
 SFの難しさは、科学の進歩とともに内容が陳腐化すること。安易に最新の科学知識を盛り込むとすぐにボロが出て、時間の経過に耐えられないものになる。歴史に耐えられるためには、思いきって原作どおりにするか、あるいは恒久的なテーマがきちんと描かれていることで、本作はそのどちらでもない。 (評価:2)

バンド・ワゴン

製作国:アメリカ
日本公開:1953年12月15日
監督:ヴィンセント・ミネリ 製作:アーサー・フリード 脚本:ベティ・コムデン、アドルフ・グリーン 撮影:ハリー・ジャクソン 音楽:アドルフ・ドイッチ

ミュージカルスターは老いを隠すことができない
 原題"The Band Wagon"で、劇中劇に出てくるミュージカルのタイトル。舞台時代のフレッド・アステアが主演した1931年の人気ミュージカル・コメディで、bandwagonはパレードで楽隊を乗せて走るワゴンのこと。
 54歳となったフレッド・アステアの集大成のミュージカルで、主役はトニー・ハンターというフレッド・アステアを髣髴させるミュージカル・スター。絶頂期を過ぎて新しいミュージカル舞台のためにニューヨークにやってくる。古典劇を手掛ける俳優兼演出家の舞台で共演することになるが古典にミュージカルを取り入れるという前衛劇で、『バンド・ワゴン』の初演は散々な評価となってしまう。
 心機一転、ハンターが中心となって本来のミュージカル・コメディに戻し、成功を収めるというストーリーだが、失敗する前衛劇版は劇中劇として1シーンも登場せず、コメディ版もハイライトの歌唱シーンだけがヒット・アルバムのように続くだけなので、正直飽きる。
 全体を通した物語も、フレッド・アステアの楽屋落ちのようなエピソードばかりでドラマがないために退屈。フレッド・アステアのミュージックビデオを出来の悪い脚本で繋いだだけの印象で、ラストは54歳の熟年スターが共演した若い娘とラブラブになるというお決まりのシーンで終わり、いささか食傷する。
 その若い娘を演じるのがシド・チャリシーで、トゥー・シューズを履いて美しい脚を見せて、老いたアステアの代わりに華麗なダンスを踊るのがせめてもの見どころか。
 アステアもそれなりに頑張っていて、往年の美しいダンスを見せはするが激しくは踊れない。俳優は老いても演技はできるが、ミュージカルスターは老いを隠すことができない。 (評価:2)

聖衣

製作国:アメリカ
日本公開:1953年12月26日
監督:ヘンリー・コスター 製作:フランク・ロス 撮影:レオン・シャムロイ 音楽:アルフレッド・ニューマン

敬虔なキリスト教徒でなければ見てもつまらない
 原題"The Robe"で、ローブの意。ここではイエスの着るローブのこと。ロイド・C・ダグラスの同名小説が原作。
 西暦33年のイエスの処刑を前後に、ローマ、パレスチナを舞台に描く宗教ドラマで、敬虔なキリスト教徒でなければ見てもつまらない。
 物語は西暦30年頃のティベリウス治世下のローマから始まり、主人公の護民官マーセラス(リチャード・バートン)がエルサレムに左遷される。ここで、イエスの処刑を担当する羽目となり、聖衣に触れた瞬間からイエスの呪いに苦しむ。
 もちろん呪いであるわけがなく、イエスの神通力によってマーセラスの頭が罪悪感からおかしくなったのだが、マーセラスの奴隷デミトリアス(ヴィクター・マチュア)ともども、唐突にイエスが救世主だと信じてしまうお約束が、異教徒には付いていけない。
 頭のおかしくなったマーセラスがティベリウスの命で呪いの聖衣を焼却するためにガラリヤに赴き、ペテロ(マイケル・レニー)に出会ってイエスの信徒となり、新しく皇帝となったカリギュラ(ジェイ・ロビンソン)の軍に背く。反逆者となったマーセラスは、訳もなくキリスト教徒となった婚約者ダイアナ(ジーン・シモンズ)ともども捕らえられて、地上のローマ帝国を捨て、天上の神の王国に行くという、敬虔なキリスト教徒には感動的なセリフを残して刑場に赴く。
 イエスの教えはペテロによって若干語られるが、むしろペテロの誠実さが勝っていて、ローマ皇帝が恐れるに至るイエスの教えそのものが描かれないため、異教徒どころか、それほど敬虔とはいえないキリスト教徒にも説得力を持ちえない聖書物語となっている。
 すべてがお約束で事が運んでしまうために、ダイアナをめぐるマーセラスとカリギュラの鞘当て、マーセラスとデミトリアスの身分を超えた友情が、ドラマになっていないのが全体をつまらなくしている。 (評価:2)

男の叫び

製作国:アメリカ
日本公開:1953年12月15日
監督:ウィリアム・A・ウェルマン 脚本:アーネスト・K・ガン 撮影:アーチー・スタウト、ウィリアム・クローシア 美術:ジェームズ・バセヴィ 音楽:エミール・ニューマン

ただ救助を待つだけのジョン・ウェインのパイロット・ヒーロー
 原題"Island in the Sky"で、天空の島の意。アーネスト・K・ガンの同名小説が原作。
 ジョン・ウェインが製作と主演を行うために設立したWayne-Fellows Productionの作品で、ジョン・ウェインが西部劇のガンマンではなく軍用輸送機のパイロットになるヒーローものだが、地図にない未踏地の凍結湖に不時着して、ただ救助を待つという物語なので、少しもヒーローらしい活躍がない。
 それではジョン・ウェインじゃないということで、設定上は仲間たちがなんとしても助けなければならない名パイロットということになっているが、不時着シーンでは搭乗員にただ命令しているだけの無能な上司のようで、結局未踏の地に着陸。捜索隊を困らせる結果となる。
 以下、捜索隊がどうやって見つけるか、遭難者がどうやって見つけてもらうかという話が延々と続き、捜索本部と雪原を飛ぶ飛行機の空撮、遭難地の殺風景な映像しかないために場面転換にも乏しく、次第に退屈して眠くなる。
 最後はもちろんハッピーエンドなのだが、発見されるきっかけが通信機の電波と発煙筒というごくごく当たり前のアイディアしかないのもつまらない。 (評価:2)

恐怖と欲望

製作国:アメリカ
日本公開:2013年5月3日
監督:スタンリー・キューブリック 製作:スタンリー・キューブリック 脚本:ハワード・サックラー 撮影:スタンリー・キューブリック 音楽:ジェラルド・フリード

キューブリック初監督の失敗を確認できるのが唯一の見どころ
 スタンリー・キューブリックの初監督作品で、原題は"Fear and Desire"で邦題の意。
 観念が先行した作品で、架空の戦争を描きながら戦争と人生の同一次元での普遍化を試みているが、正直、何が言いたいのかよくわからない。
 軍用機に搭乗していた4人の兵士が、最前線から10キロメートル敵陣に入った地点で撃墜され、味方の陣地への帰還を目指す。
 ストーリーは単純で、筏を作って川を下ろうとするが、敵の将軍のいる宿舎を発見したことから、帰りの駄賃に将軍の首をとって、二人乗りの軍用機を奪って逃げようとする。一人は囮になりながら筏で帰還する。もう一人はすでに恐怖から発狂していて、筏の兵士が帰還する途中、乗り込んでくる。
 物語はいたって平凡、何の工夫も見せ場もなく、退屈するだけ。それに哲学を気取った訳の分からない台詞を連発するため、深読みが好きな人には楽しめるかもしれないが、普通に映画を楽しみたい人には低予算映画のために見どころは一切なく、上映時間が約1時間と短いのが救いになっている。
 キューブリック自ら、アマチュアの仕事としてフィルムを回収して封印したと解説にあるが、頷ける。本作に価値を見出すとすれば唯一、初監督作品の失敗ぶりを確認できるということ。 (評価:1.5)