海月衛 映画帖
~映画の大海原をたゆたう~

外国映画レビュー──1950年

製作国:アメリカ
日本公開:1951年9月21日
監督:ジョセフ・L・マンキウィッツ 製作:ダリル・F・ザナック 脚本:ジョセフ・L・マンキウィッツ 撮影:ミルトン・クラスナー 音楽:アルフレッド・ニューマン
キネマ旬報:1位
アカデミー作品賞

虚実不明の天性の女優ぶりを描くが、脅迫紛いの味が悪い
 原題"All About Eve"。メアリー・オルの短編小説 "The Wisdom of Eve"が原作。作中の女優マーゴ・チャニングはオーストリア女優エリザベート・ベルクナーがモデルで、彼女の経験が基になっている。
 アメリカ演劇界の授賞式のシーンから始まり、最高賞の栄誉を受けたイブが歩んできた道を振り返るという回想形式を採っている。
 女優を目指すイブ(アン・バクスター)が戯曲家(ヒュー・マーロウ)の妻(セレステ・ホルム)に近づき、大女優マーゴ・チャニング(ベティ・デイヴィス)の付き人に雇われる。彼女の芝居を盗み、代役の座を射止め、若さを武器にトップ女優の座を射止めるまでの物語。ラストシーンはイブの部屋に付き人志願の娘(バーバラ・ベイツ)が現れ、ネバーエンディングであることを示して終わる。
 アメリカ演劇界の裏側を描く舞台裏もので、イブが無意識に作り話をでっち上げ目的のためには私生活でも嘘の芝居をするという天性の女優ぶりを描く。実力者に取り入るだけでなく脅迫紛いのことをするのが若干味が悪く、私生活での虚実のわからない完璧な演技でトップ女優になってほしかった。
 アン・バクスターの得体の知れないイブの演技がいい。嫉妬深い大女優役のベティ・デイヴィスの貫禄の演技が最大の見どころ。イブと手を組む批評家、ジョージ・サンダースがクールな演技でアカデミー助演男優賞。
 マーゴの恋人の演出家ビル(ゲイリー・メリル)の誕生パーティに批評家が連れてくる新進女優にマリリン・モンローが扮しているのも見どころ。 (評価:3)

製作国:アメリカ
日本公開:1951年10月28日
監督:ビリー・ワイルダー 製作:チャールズ・ブラケット 脚本:ビリー・ワイルダー、チャールズ・ブラケット、D・M・マーシュマン・Jr 撮影:ジョン・サイツ 音楽:フランツ・ワックスマン
キネマ旬報:2位
ゴールデングローブ作品賞

ツバメにはなりたくないと思わせるグロリア・スワンソンの名演技?
 原題は"Sunset Boulevard"で邦題の意。
 サンセット・ブールバード(大通り)はハリウッドにある通り名で、本作のサイレント時代の大女優の邸宅がある。容姿も人気も褪せた女優が、自ら脚本を書いた『サロメ』で栄光を取り戻そうとしているところに売れない脚本家がやってきて、安楽で奢侈な生活と引き換えに彼女のどうしようもない脚本を手直しすることになる。
 しかし実際は50女のツバメ。倦怠した男は夜中に抜け出してパラマウントの22歳の女性の求めで脚本を共作するが、魅かれ合うようになり、50女の嫉妬によって殺されてしまう。
 ニュース映画のカメラマンたちが殺到し、精神に異常をきたした女優はサロメのつもりでカメラの前に立つ・・・というのが物語。
 大女優の栄光と凋落を描いた映画だが、一言でいえばハリウッドの内輪もので、だからどうした? 感が拭えない。
 ただ飽きずに見られるという点では、暇つぶしにはなる映画。内容が内容だけに出てくれる女優がなかなか見つからず、ツバメを演じる男優も決まらなかったということに、当時のハリウッド・スターの栄光を窺うことができる。
 女優を演じるのはサイレントで活躍したグロリア・スワンソン。金を積まれてもツバメにはなりたくないと思わせる、彼女の鬼気迫る怪演が見どころか。 (評価:2.5)

製作国:メキシコ
日本公開:1953年8月11日
監督:ルイス・ブニュエル 製作:オスカル・ダンシヘルス 脚本:ルイス・ブニュエル、ルイス・アルコリサ 撮影:ガブリエル・フィゲロア 音楽:ロドルフォ・ハルフター
キネマ旬報:9位

徹底したリアリズムの中で少年のシュールな夢に安心する
 原題"Los olvidados"で、忘れられたものの意。ブニュエルのメキシコ時代の社会主義リアリズムの作品。
 冒頭、実話だという字幕が入り、メキシコシティのスラム街の少年ペドロの物語が始まる。
 ストリートギャングのリーダー格ハイボが、感化院を出所してすぐにペドロを仲間に引き入れ、盲人やいざりを襲って強盗を働く。フリアンの密告で感化院に送られたと思い込むハイボは、ペドロを使ってフリアンを呼び出し撲殺してしまう。
 これがペドロの運の尽きで、不仲の母を喜ばせるために鍛冶屋に奉公に出ると、ナイフをハイボに窃取されて自分が犯人にされてしまう。感化院送りにされたペドロが所長のお使いで煙草を買いに行くとハイボが金を持ち逃げ。取り戻そうと追いかけると返り討ちされてしまう。
 死体を見つけた妹と祖父は、感化院を脱走したペドロを匿ったことが知られるのを恐れて、死体をごみ山に運んで処分。
 母との不仲も父親が誰なのかわからないのが理由で、多情な母はハイボとも交合。ナイフ事件の真相を知ってペドロを探し回る母の愛はすでに遅く、哀れペドロ少年の物語は幕を閉じる。
 貧困が犯罪とさらなる貧困の連鎖を生むという社会派作品で、映像的にもリアリズムに徹したカメラワークが見事。ペドロ少年が見る夢のシーンはブニュエルらしいシュール感があって、本格的なリアリズム映像を見せられていると、少しだけ安心する。 (評価:2.5)

越境者

製作国:イタリア
日本公開:1953年5月16日
監督:ピエトロ・ジェルミ 製作:ルイジ・ロヴェレ 脚本:フェデリコ・フェリーニ、トゥリオ・ピネッリ 撮影:レオニーダ・バルボーニ 音楽:カルロ・ルスティケリ

不法移民や難民と不寛容な社会をテーマに今も色褪せない佳作
 原題"Il Cammino della Speranza"で、希望の道の意。ニーノ・ディ・マリアの小説”Cuori negli abissi”が原作。
 シチリア島の硫黄鉱山が閉山となり、生計の糧を失った鉱夫とその家族たちが、新生活を求めて故郷を捨て、フランスに移住するという物語で、不法移民であるがゆえに、苦難の旅を強いられる。
 家財を売り払って旅費を得た彼らの最初の苦難が、実はブローカー(サロ・ウルジ)に騙されていたというもので、シチリアからローマで列車を乗り換える際に、ブローカーと移民団に紛れ込んでいた犯罪者ヴァンニが逃亡。移民団は警察に検挙され、シチリアへの帰郷を命じられる。
 それでも一部の者たちは旅を続行。イタリア北部エミリアまでやってきて、農園主に誘われてアルバイトをすることに。ところが、これが農園労働者たちのスト破りで、追い出された移民団は再び国境越えの旅に。
 男やもめのサロ(ラフ・ヴァローネ)は、娘の怪我を契機にヴァンニの恋人バルバラ(エレナ・ヴァルツィ)と親密になるが、そこにヴァンニが現れ、国境近くノアスカからのアルプス越えの際に決闘となる。
 吹雪の中、計理士が落命。漸く国境に辿り着いたところで国境警備隊に見つかるのが最後の苦難。サロの息子に微笑みかけられた警備隊長が、不法移民を見逃すというのが心地よいラストとなっている。
 苦難を乗り越えるために現在も続く不法移民や難民と、それに対する不寛容な社会をテーマに、今も色褪せない佳作となっている。 (評価:2.5)

製作国:フランス
日本公開:1951年4月17日
監督:ジャン・コクトー 製作:アンドレ・ポールヴェ 脚本:ジャン・コクトー 撮影:ニコラ・エイエ 音楽:ジョルジュ・オーリック
キネマ旬報:4位

詩人を魅惑する死を描くコクトー的耽美の世界
 原題"Orphée"。原題は、ギリシャ神話の吟遊詩人オルフェウスのフランス語表記。
 時代は現代で、同じ名前を持つ有名な詩人が、女の死神と出会い、その美しさに魅かれるとともに死神もまたオルフェに惚れてしまうという話。夫の浮気に気づいた妻ユリディスが、死神の導きで死に、その妻を求めてオルフェが冥界に向かうところから、ギリシャ神話の冥府下りと同じストーリーを辿ることになる。ユリディス(Eurydice)はオルフェウスの妻エウリュディケのフランス語発音。
 冥府の入口が鏡というのが現代らしいが、妻の顔を見てはいけないという死神の条件をのんで、オルフェは妻を現世へと連れ戻す。
 見ないようにしていたものの最後は思わぬことから顔を見てしまい妻は姿を隠し、オルフェは濡れ衣から殺されてしまう。最後は死神が自身の身勝手を悟り、オルフェを妻の下に帰す。
 ギリシャ神話を翻案した物語そのものは普通で、オルフェのジャン・マレーの渋さや美男美女の揃ったコクトーの妖艶な映像が見どころだが、詩人にとって最も魅惑的なのは死神、すなわち死であって、それに心を奪われるさまが、ある種の耽美として描かれていく。
 最後は死神がオルフェを死の魅惑から解放して終わるが、妖艶なオルフェと死神に比べて、妻ユリディスがひどく現実的でつまらない女に見えてしまうのがコクトーらしい。 (評価:2.5)

宝島

製作国:アメリカ
日本公開:1951年12月27日
監督:バイロン・ハスキン 製作:パース・ピアース 脚本:ローレンス・エドワード・ワトキン 撮影:F・A・ヤング 音楽:クリフトン・パーカー

子供の頃には感じなかったロマンと別離の切なさを感じさせる
 原題"Treasure Island"。ロバート・ルイス・スティーヴンソンの同名小説が原作。
 映画も小説も子供の頃に見て読んだ記憶が懐かしい。ジム少年(ボビー・ドリスコール)は、海賊フリント船長が宝箱を隠した島の地図を手に入れ、片足のシルバー船長(ロバート・ニュートン)たちとともに宝島への冒険の旅に出るという有名な物語だが、大半のストーリーは忘れてしまっていた。
 ディズニーの記念すべき実写長編映画第1作だが、ジム少年が海賊の一人を銃で射殺するシーンもあって、今ならR指定というきわどい描写も多い。
 もっとも冒険映画らしいワクワク感もあって、良識なき時代の自由な空気が感じられて、良き時代の映画を楽しめる。
 宝島の地図を手に船を仕立てるのは領主のトレローニー(ウォルター・フィッツジェラルド)だとか、船長はスモレット(ベイジル・シドニー)で、シルバーは料理長に身を隠していて、乗り込ませた海賊仲間と宝を横取りする計画だとか、忘れていたことも多くて、改めて子供の頃の新鮮な気分を味わえる。
 イギリスで撮影されていて、帆船や海岸などのシーンも臨場感がある。
 話としてはジム少年とシルバー船長の友情物語で、ジムを守るためにシルバーが仲間の海賊を裏切ったにも拘らず、堅物のスモレットはシルバーを拘束。逃げ出したシルバーにジムが手を貸して大洋に逃がし、見送るというラストシーンに子供の頃には感じなかったロマンと別離の切なさの漂う作品となっている。 (評価:2.5)

ガラスの城

製作国:フランス
日本公開:1953年6月3日
監督:ルネ・クレマン 製作:アンリ・デューチュメイステル、ユージェーヌ・テシュレエ 脚本:ルネ・クレマン、ピエール・ボスト 撮影:ロベール・ルフェーヴル 音楽:イヴ・ボードゥリエ

悲しい女の性を描くセンチメンタルな悲恋の物語
 原題"Le Château de verre"で、邦題の意。
 ヴィッキー・バウムの小説"Das große Einmaleins"が原作。
 一言でいえば人妻とプレイボーイの不倫ドラマで、このどうでもいいストーリーをルネ・クレマンが如何に料理するかが腕の見せどころ。
 前半は人妻が如何に夫の目を盗んで逢引するかをサスペンス・タッチで描くのが上手いが、後半の思いがけない展開から後をドラマチックな悲恋物語に仕上げている。
 人妻(ミシェル・モルガン)は夫(ジャン・セルヴェ)との北イタリアでの休暇中に、若い男(ジャン・マレー)と出会い夢中になる。
 もっともこの辺りはお約束ということで、出会いとfall in loveの過程が描かれないため、なんで人妻が男を好きになったのかはよくわからない。
 休暇が終わり、男はパリ、夫妻はスイスのベルンへと帰るが、夫は判事で係争中の姑殺人事件の審理を抱えていて、これが二つの愛憎の対比となるが、愛のためなら障害となる者を殺せるかという思わせぶりな夫婦の会話がピンとこない。
 夫は妻の浮気に感づいてはいるものの、男からの電話で妻がパリに行ったまでは知らない。嘘をついてパリに行った妻は、自分の軽卒に気づいてベルンに戻ろうとするが列車に乗り遅れ、1日を男と共に過ごしベッドイン。
 ここからの演出が上手く、オーバーラップして彼女の死体の場面に代る。
 妻の死の知らせを受けた夫が事実を知り、話はオーバーラップした情事の後に戻る。以下、人妻が死ぬまでのエピソードが描かれるという、にくい演出になっている。
 結果からいえば因果応報の教訓話だが、悲しい女の性を描くセンチメンタルな悲恋の物語となっている。 (評価:2.5)

拳銃王

製作国:アメリカ
日本公開:1951年11月13日
監督:ヘンリー・キング 製作:ナナリー・ジョンソン 脚本:ウィリアム・ボワーズ、ウィリアム・セラーズ 撮影:アーサー・C・ミラー 音楽:アルフレッド・ニューマン

リンゴ・キッドにグレゴリー・ペックのマイホーム・パパは似合わない
 原題"The Gunfighter"で、拳銃の名手の意。
 西武開拓時代の有名な無法者リンゴ・キッドの最後を描いたもので、西部の街で有名な無法者を目指す若者に馬に乗ったところを射殺されたという結末となっている。
 史実に基づく話かと思いきや、実際には人里離れた峡谷で頭部を銃弾で撃ち抜かれて死んでいて、自殺説が有力。本作のリンゴのファーストネームはジミーで、ジョニー・キッドがモデルの架空の人物らしい。
 グレゴリー・ペック演じるリンゴは無法者というよりは人の好さそうなヤサ男で、無法者のイメージにはそぐわない。  酒場で生意気な若者に銃を抜かれて射殺。早撃ちの本領を発揮するが、死んだ若者の兄たちに追われることに。
 別れた妻(ヘレン・ウェスコット)のいる町にやってきたリンゴは、かつての強盗仲間だった保安官(ミラード・ミッチェル)の仲介で妻子との再会を果たし、無法者から足を洗い、西海岸で牧場を持てるようになったら迎えにくると約束する。
 ところが町の酒場で因縁をつけられた無法者志望の若者を小馬鹿にして恨みを買い、町を出ようとしたところを物陰から撃たれてしまう。
 若者にかつての自分の姿を見て、若者が同じような最期を遂げるだろうことを予言してこと切れるというラスト。ヘンリー・キングらしくヒーローの悲劇性を教訓的に描くが、それまで狙撃に対しても隙を見せないガンマンぶりを強調していただけに、簡単に撃たれてしまって腰砕けの印象が残る。
 二人の若者に対する接し方も上から目線で、クリント・イーストウッドならそれもありだが、人の良さそうなグレゴリー・ペックが喋りそうもないセリフで極めて不自然。大人気なく見えてしまって、明らかなミスキャストとなっている。
 愛妻家と子煩悩ぶりにはピッタリだが、リンゴ・キッドにマイホーム・パパは似合わない。 (評価:2.5)

製作国:フランス
日本公開:1954年8月24日
監督:アンドレ・カイヤット 脚本:アンドレ・カイヤット、シャルル・スパーク 撮影:ジャン・ブールゴワン 音楽:レイモン・ルグラン
キネマ旬報:7位
ヴェネツィア映画祭金獅子賞 ベルリン映画祭金熊賞

非理性主義のおフランスな『十二人の怒れる男』
 原題"Justice est faite"で、邦題の意。
 おフランスな『十二人の怒れる男』(1954)ともいえる法廷劇だが、本作の方が早い。
 末期癌の愛人を安楽死させた女性医師が被告の陪審裁判で、選ばれた7人の陪審員の評決の過程を描くが、大半は陪審員の私生活、それも男女関係の描写に充てられているのが、いかにもフランス映画らしい。
 女性医師は死んだ愛人の遺産を総取りしていて、尚且つ看病中に別に恋人をこさえていて、遺産目当てなのか、それとも看病が負担になったのか、はたまた安楽死を依頼した愛人との約束のためなのか、の3つが焦点となる。
 陪審員の男女絡みの私生活が描かれるのは、各々が拠って立つ立場から偏見無しに、どれだけ被告の男女関係を客観的に裁けるのかがテーマとなっていて、結局、客観よりも主観によって被告は有罪となってしまう。
 法廷劇が男女関係の視点から描かれるところがいかにもフランス映画で、陪審員の妻の浮気やら、娘の縁談やらといった、正直どうでもいい話が延々と描かれていくのだが、被告の現恋人が証言に立ってからようやく法廷ドラマらしくなる。
 焦点は、被告がドイツ系の無神論者の外国人で、形式的な婚姻も望んでいなかったという理性主義であるのに対し、フランス人の陪審員らは保守的なカトリック信者。感情に支配されやすい非理性主義で、被告の思考法を理解できないことにある。
 恋人ができて愛人の看病が負担になったのなら捨てれば良かったはずだが、理性主義に生きる被告は恩師でもある愛人との安楽死の約束を破ることができず、結果に対する罪悪感から遺族に対し事実を伝えた。刑罰を受ける不利益よりも愛人との約束を優先させたという見立てになっている。
 しかし陪審員の過半は主観からこれを理解できず、自己の利益のために安楽死させたという結論に至る。
 カイヤットの同国人に対する非理性主義の批判という点ではこれで良いのかもしれないが、外国人にとってはどうでもよく、侃侃諤諤の評決の議論が見たかった。
 ヴェネツィア映画祭金獅子賞、ベルリン映画祭金熊賞受賞。 (評価:2.5)

リオ・グランデの砦

製作国:アメリカ
日本公開:1951年12月7日
監督:ジョン・フォード 製作:ジョン・フォード、メリアン・C・クーパー 脚本:ジェームズ・ケヴィン・マッギネス 撮影:バート・グレノン、アーチー・スタウト 美術:フランク・ホテイリング 音楽:ヴィクター・ヤング

突然女子供がぞろぞろ現われるのでビックリする
 原題"Rio Grande"で、リオ・グランデはメキシコとの国境を流れるリオ・グランデ川の名。リオ・グランデ川近くのスターク砦が舞台の西部劇。
 ロケとスタジオ撮影の2班で撮影が行われているが、ブルースクリーンがすぐにそれとわかるのが興を削ぐ。
 物語も、父親が騎兵隊の指揮官を務める砦に息子が新兵としてやってきて、息子を翻意させるために母親がやってくるというホームドラマで、西部劇としては何かな~という感じ。
 伏線として、10年前の南北戦争で夫の部隊が妻の実家を焼き払ったことで、怒った妻が息子と別居し、それ以来顔を合わせていないという事情がある。
 ここからは父子、夫妻の相克が描かれ、最後はアパッチとの戦いで息子が手柄を挙げて仲直り、家族の絆を取り戻すという何ともいえないアメリカ的家族ドラマとなる。
 その父親を演じるのがジョン・ウェインとくれば、アメリカ人の好む父親像で内容もおおよその見当がついてしまう。この類型に付き合えるかどうかで本作が面白いか退屈かの分かれ道となるが、母親のモーリン・オハラがこれまた西部劇には似つかわしくない美人で、アパッチ族と熾烈な戦いをしている前線にやってくるには違和感アリアリ。
 砦に住む開拓民も描かれないため、騎兵隊しかいないのかと思いきや、アパッチ族の襲撃があるので住民を避難させるという話になって、突然女子供がぞろぞろ現われるのでビックリする。
 アパッチ族が単なる野蛮人としか描かれないのも類型的で寂しいが、ローマ式騎馬という二頭の馬に立乗りするシーンはちょっとした見どころか。 (評価:2)

神の道化師、フランチェスコ

製作国:イタリア
日本公開:1991年3月16日
監督:ロベルト・ロッセリーニ 製作:ジュゼッペ・アマト 脚本:ロベルト・ロッセリーニ、フェデリコ・フェリーニ 撮影:オテッロ・マルテッリ 音楽:レンツォ・ロッセリーニ、エンリコ・ブオンドン

俗人は美しい尼僧たちのシーンに邪な期待を抱いてしまう
 原題"Francesco, Giullare di Dio"で、邦題の意。
 フランシスコ修道会の創始者フランチェスコが、11人の仲間とローマ教皇から布教の許可を得て、アッシジに戻ってくるところから物語は始まる。
 彼らが住んでいた小屋は留守の間に農夫に占拠され、12人は追い払われるが、人に施すことができたとフランチェスコが諭し、11人が喜ぶという清貧の極みのエピソードから始まるが、以降この繰り返しで、新興宗教の原理主義の怖さを見る思いで、背中に悪寒が走るのは、俗界の穢れに塗れているからか。
 物乞いに施す物がなく僧服を与えてしまうジネプロの思慮のないエピソードが続くが、これもまた新興宗教を妄信して浅はかな行動に走る信者を思い出させる。
 おそらくはロッセリーニの制作意図に反して新興宗教の狂気が描かれていき、12人が布教のために世界に散って行く姿で終わる。
 フランチェスコを扱ったものに『ブラザー・サン シスター・ムーン』(1972)があるが、こちらはローマ教皇に許可を得るまでの本作の前段になる。狂人と聖人の紙一重のフランチェスコを描いた佳作だが、本作はまさにタイトル通りの道化師にしか見えない。
 むさい男12人の教会に美しい尼僧たちがやってくるシーンに、邪な期待を抱いてしまうのは俗人だからか。 (評価:2)

シンデレラ

製作国:アメリカ
日本公開:1952年3月7日
監督:ウィルフレッド・ジャクソン、ハミルトン・ラスケ、クライド・ジェロニミ 動画監督:ウォード・キンボール 脚本:ウィンストン・ヒブラー、ビル・ピート、テッド・シアーズ、ホーマー・ブライトマン、ケネス・アンダーソン、アードマン・ペナー、ハリー・リーヴス、ジョー・リナルディ 音楽:オリヴァー・ウォーレス、ポール・J・スミス
ベルリン映画祭金熊賞

変身前のシンデレラの生活ぶりはそれほどひどくない
 原題"Cinderella"で、シャルル・ペローの童話を脚色したディズニー・アニメ。
 女の子の憧れであるシンデレラが少女ではなくオバサンにしか見えないのが残念だが、アメリカの子供たちにとってはこういう顔が将来目指すべき顔なのかと思うと、ある程度は納得できる。
 物語というかアイテムは、このアニメがシンデレラの原型を作ったといってよく、舞踏会でのシンデレラの衣装やビジュアル、カボチャの馬車や妖精のオバサンなど、後続の作品がこのイメージから離れることができなくなったという点では画期的な作品。
 鼠のエピソードなど、長編に引き延ばすための膨らましもそれほど退屈ではないが、全体にやや冗長感は否めない。
 これまでのディズニー・アニメに比べて水の描写が減っていて、アニメーション技術を見せるというよりはミュージカル風に夢物語、それこそシンデレラ・ストーリーを楽しく見せるというエンタテイメント性に主眼が移っていて、王宮の華やかな映像とともに楽しめる。
 もっともいじめられっ子シンデレラの生活ぶりはそれほどひどくもなく、布団の継宛ても遠慮気味で、変身後とのギャップが小さいのがシンデレラ・ストーリーとしては残念。 (評価:2)

ウィンチェスター銃 '73

製作国:アメリカ
日本公開:1952年6月26日
監督:アンソニー・マン 製作:スチュアート・ローゼンバーグ 脚本:ロバート・L・リチャーズ、ボーデン・チェイス 撮影:ウィリアム・H・ダニエルズ 美術:バーナード・ハーツブラン、ネイザン・ジュラン 音楽:ジョセフ・ガーシェンソン

ライフル銃の持ち主が次々と変わっていくだけの物語
 原題"Winchester '73"で、邦題の意。Winchester'73は、西部開拓時代のウィンチェスター社製のライフル銃M1873のこと。
 1873年の独立記念日、ドッジシティで行われた射撃コンテストで優勝したリン(ジェームズ・ステュアート)は賞品のM73を手にするが、悪党のダッチ(スティーヴン・マクナリー)に奪われてしまう。ダッチはリンの父親を殺した仇敵で、M73はポーカーに負けたダッチから銃器商人ラモントに手に、さらにインディアンの酋長ブル(ロック・ハドソン)に奪われ、その襲撃を撃退した騎兵隊に協力したスティーヴに渡るが、殺されて無法者ウェイコ、再びダッチ、最後は岩山での1対1の対決でリンの手に戻るという、ライフル銃の持ち主が次々と変わっていく流転の物語。
 当然ながらスティーヴの婚約者の美女(シェリー・ウィンタース)が殺伐とした西部劇に華を添え、最後に主人公のリンが手に入れる。
 ただそれだけの物語で、アウトローとの対決やギャンブル、インディアンとの戦いで西部劇の体裁はつけるが、ドラマもなければ中身もなく、見終わって徒労感だけが残る。
 ブルもただ好戦的なインディアンの酋長としてしか描かれてなく、地球侵略の宇宙人のように目的の良くわからないステレオタイプの襲撃者なのも痛い。 (評価:2)