海月衛 映画帖
~映画の大海原をたゆたう~

外国映画レビュー──1940年

製作国:アメリカ
日本公開:1963年1月12日
監督:ジョン・フォード 製作:ダリル・F・ザナック 脚本:ナナリー・ジョンソン 撮影:グレッグ・トーランド 音楽:アルフレッド・ニューマン
キネマ旬報:3位

1枚の写真で語るアメリカ移民の夢の終焉
 原題"The Grapes of Wrath"で、邦題の意。ジョン・スタインベックの同名小説が原作。
 開墾による砂嵐とトラクターの導入によりオクラホマを追われた小作人のジョード一家がカリフォルニアに移住する物語。時は大恐慌とも重なり、多くの流民が押し寄せたカリフォルニアは労働力の供給過剰となり、一家は低賃金の日雇い労働者となって貧民キャンプを渡り歩くという、農業の近代化の犠牲となった人々の悲劇が描かれる。
 移民第一世代の祖父母は旅の途中で亡くなるが、オクラホマの家を離れる時に祖母が荷物整理で手紙や写真を焼くシーンが一家の歴史を語る秀逸なシーン。写真の1枚が自由の女神像で、大きな夢を抱いてアメリカに渡ってきたものの小作農にしかなれず、その結果、農業の近代化と資本主義化によって離農し、都市労働者となっていくという一家の歴史がすべて語られる。
 途中立ち寄るドライブインは本作で唯一救われるシーンで、祖父が幼い孫二人を連れてパンを買い求める。1斤15セントのパンを10セント分だけカットしてほしいという祖父を見かねたドライブインの主人は、昨日のパンだからと嘘をついて10セントで1斤を売る。続いて祖父が子供たちにとキャンディを買い求めると、女将は1個5セントを2個で1セントだと言う。それを見ていたトラック運転手たちは、帰りがけに女将にチップを渡す。
 そうした情けとは裏腹に、カリフォルニアでは無慈悲な人々が一家を待ち受けるという対照を成す。
 主人公は第三世代の長男トムで、過剰防衛で相手を殺害したために服役、仮出所してくるところから物語は始まる。激情家で正義漢という設定で、理不尽な仕打ちからカリフォルニアの農園の警備員を殺害。逃亡して社会主義の闘士となることを誓って終わる。
 相手が悪いとはいえ2人も殺していながら何も葛藤がないのがヒューマンドラマとしては気になるところで、時代性なのか、それとも悪者は殺して当然というジョン・フォードの西部劇感覚が現れているようにも感じられる。 (評価:3)

製作国:アメリカ
日本公開:1951年4月7日
監督:アルフレッド・ヒッチコック 製作:デヴィッド・O・セルズニック 脚本:ロバート・E・シャーウッド、ジョーン・ハリソン 撮影:ジョージ・バーンズ 音楽:フランツ・ワックスマン
アカデミー作品賞

見どころは不気味な女中頭ダンヴァース夫人に尽きる
 原題"Rebecca"。ダフネ・デュ・モーリアの同名小説が原作。
 ヒッチコックらしくミステリアスな雰囲気の作品になっているが、内容的にはミステリーというよりはラブ・ロマンス。
 みなしごの美女(ジョーン・フォンテイン)がモンテカルロで男寡のイギリス貴族マキシム・ド・ウィンター(ローレンス・オリヴィエ)に見初められて結婚。マナーハウスの女主人となるが、慣れない貴族生活に戸惑うばかり。マキシムの先妻レベッカを崇拝する女中頭のダンヴァース夫人(ジュディス・アンダーソン)に意地悪された挙句、なんと水難事故死したはずのレベッカがマキシムに殺されていたという衝撃の事実を知る。
 レベッカは財産狙いのとんだ悪女で、従兄のジャック(ジョージ・サンダース)の子を宿したのが殺害の理由。レベッカの事故死に不審な点が見つかり、新妻は夫と一緒に事件を揉み消そうとするが、実はレベッカは妊娠ではなく末期癌だったということがわかり、警察も自殺にしてくれてハッピーエンド。
 前半はヒッチコックらしい3倍速の会話と編集であっという間に話が進むが、中盤からは夫の告白と妻の愛の会話が延々と続いて若干うんざり。説明調の台詞もローレンス・オリヴィエの演技でなんとか持たしている。
 終盤は巻きが入って、テンポの速さでストーリーの粗を隠し、死を覚悟したレベッカが夫に殺させたという説明にわかったような気になる。
 見どころは不気味な女中頭を演じるジュディス・アンダーソンに尽き、火を放ってマナーハウスを炎上させるラストシーンが壮観。恋に恋するジョーン・フォンテインの初々しい美貌にも見惚れてしまうが、ローレンス・オリヴィエが演じるには少々物足りない作品となっている。 (評価:2.5)

高慢と偏見

製作国:アメリカ
日本公開:劇場未公開
監督:ロバート・Z・レオナード 製作:ハント・ストロンバーグ 脚本:オルダス・ハクスリー、ジェーン・マーフィン 撮影:カール・フロイント 美術:セドリック・ギボンズ 音楽:ハーバート・ストサート

高慢と偏見は曖昧なままのハッピーエンド
 原題"Pride and Prejudice"で、邦題の意。ジェーン・オースティンの同名小説が原作。
 18世紀イギリスの田舎町ロンボーンを舞台に、娘ばかり5人の中流家庭ベネット家と二人の上流青年の恋愛模様を描くラブコメ。ベネット氏(エドマンド・グウェン)亡き後は相続財産がすべて甥(メルヴィル・クーパー)に移ってしまうという事情を背景に、ベネット夫人(メアリー・ボーランド)が婿探しに奔走。女は結婚以外に生き残る道はないという当時の事情が描かれるが、現代でもそう考える女性は巷に大勢いて、80年前の作品ながらベネット家の母娘を笑えない。
 そうした点では、時代は古いが中身は古びてなく、むしろ男女同権の現代に玉の輿意識から抜けられない18世紀的女性たちが自らの姿を映す鏡となっている。
 物語はベネット家の次女リジー(グリア・ガースン)と資産家の叔母からの相続権を持つダーシー(ローレンス・オリヴィエ)を中心に進み、上流階級の高慢と偏見に我慢がならないリジーが高慢を逆手にとって男を撥ね退ける作戦に出て、見事相手を屈服させて結婚を勝ち取る。
 貧しい娘が王子様を獲得するというシンデレラ物語の18世紀バージョンで、相対的に地位の低い者が高い者の鼻をへし折るという点では爽快だが、ダーシーや叔母(エドナ・メイ・オリヴァー)が跳ねっかえりの生きのいいリジーに惚れこんで上流階級の大きな懐に受け入れただけの話で、彼らの高慢と偏見が消えたのではなく、さらなる高みに上っただけといえなくもない。
 ダーシーや叔母の高慢と偏見を糾弾したリジーも、二人の誠意と懐柔の前にあっさりと陥落。一時は破談に追い込まれた長女(モーリン・オサリヴァン)も上流青年(ブルース・レスター)と復縁し、5女(アン・ラザフォード)も遺産を手にした軍人(エドワード・アシュレイ)と結婚。残るは二人の娘だけとベネット夫人の作戦通りに事が運び、高慢と偏見は曖昧なままのハッピーエンドとなる。ベネット夫人の通俗ぶりが良い。 (評価:2.5)

製作国:アメリカ
日本公開:1946年4月18日
監督:ジョン・クロムウェル 製作:マックス・ゴーロン 脚本:グローヴァー・ジョーンズ 撮影:ジェームズ・ウォン・ハウ 音楽:ロイ・ウェッブ
キネマ旬報:4位

奴隷解放の父の人となりを知る手軽な評伝
 原題"Abe Lincoln in Illinois"で、イリノイのエイブ・リンカーンの意。
 イリノイ州の田舎の青年だったエイブラハム・リンカーン(レイモンド・マッセイ)が、単身ニューセイラムに移り住んで雑貨屋を経営。弁護士、州議会議員、下院議員を経て大統領になるまでの半生を描く。
 リンカーンは商売が苦手で、ジョークで人を引き付けるなどの弁術に長けていたことから、ビジネスマンよりも弁護士か政治家が向いていたこと、無学だったが独力で読書を重ねて政治家となったこと、結婚した上院議員の娘メアリー(ルース・ゴードン)が野心家で、リンカーンを大統領に押し上げたことなどが語られ、リンカーンの政治演説なども引用されて、人となりを知る上では手軽でコンパクトな伝記映画となっている。
 初恋の女性(メアリー・ハワード)との死別、妻との確執なども描かれるが、基本的には淡々と評伝が語られていくだけで、ドラマ的要素はないのが劇映画としては物足りない。
 奴隷廃止については、リンカーンが人権よりは憲法の解釈という法律論に立脚していて、積極的な奴隷解放論者ではなく、立場が曖昧だったことが興味深い。
 リンカーンは大統領になったことを素直に喜ばず、南部州の離脱を怖れていたという事実で作品は締めくくられるが、リンカーンが融和主義者、現実主義的な政治家だったという点が、本作で一番面白い。 (評価:2.5)

ファンタジア

製作国:アメリカ
日本公開:1955年9月23日
監督:ベン・シャープスティーン 製作:ウォルト・ディズニー 脚本:ジョー・グラント、ディック・ヒューマー 音楽:エドワード・H・プラム

第三者のイメージを押し付けられるとむしろ退屈
 原題"Fantasia"で、幻想曲・幻想的作品の意。
 『白雪姫』(1937)、『ピノキオ』(1940)に次ぐディズニー長編アニメ第3作で、当時のアニメーション技術による映像表現のすべてを試みた実験作という点では、アニメ史、映画史に残る名作だが、一般向け作品として面白いかという点では評価が難しい。
 レオポルド・ストコフスキー指揮、フィラデルフィア管弦楽団によるクラシック音楽をベースとしたアニメ映像作品で、音楽ビデオに近い。演奏される曲は、「トッカータとフーガ ニ短調」「くるみ割り人形」「魔法使いの弟子」「春の祭典」「田園交響曲」「時の踊り」「はげ山の一夜」「アヴェ・マリア」の8曲で、これをバックにイメージ映像が展開されるという趣向。
 抽象的な幾何学模様から始まり、水や光・泡といった高度なアニメ技術による映像表現を見せた後、セルアニメのミッキーマウスが登場。続いて、地球の歴史、神話世界を音楽に合わせて見せる「田園」までは付き合ってられるが、次第に映像表現が冗長となって退屈してくる。
 一般にはクラシック音楽は退屈なものとされ、これに映像を被せることで退屈しなくなるというのがコンセプトだったのかもしれないが、意外に逆で、同じ音楽を演奏会場で聞いていた方が退屈しない。
 本作は何度か見ているが、改めて見て感じたのは、演奏者を眺めたり、音楽に耳を傾けながらイメージや感性を委ねたりする方がむしろ退屈ではなく、第三者のイメージを押し付けられると音楽に広がりがなくなってむしろ退屈してしまうということ。
 個人的には音楽的にも映像的にも変化の多い「くるみ割り人形」がお薦め。 (評価:2.5)

西部の男

製作国:アメリカ
日本公開:1951年1月11日
監督:ウィリアム・ワイラー 製作:サミュエル・ゴールドウィン 脚本:ジョー・スワーリング、ナイヴン・ブッシュ 撮影:グレッグ・トーランド 音楽:ディミトリ・ティオムキン

『シェーン』と同じテーマのかっこ良くない流れ者版
 原題"The Westerner"で、西部の人の意。
 1880年代のテキサスが舞台。放牧で畜産業を営むカウボーイを中心とする移民第一世代と、南北戦争後に政府の方針で入植した開拓農民の第二世代の対立を描く。
 名作『シェーン』(1953)と同じテーマを先駆けて扱った作品だが、シェーンが第一世代の横暴に怒り第二世代についたのに対し、本作の主人公コール(ゲイリー・クーパー)は両者の仲介役となるという中立的立場で、その優等生ぶりが西部劇としては興趣を削がれる。
 第一世代の中心となるのが酒場の主人で、町の判事を自称するロイ・ビーン(ウォルター・ブレナン)。実在の人物で、自分が法律だと自認。裁判もリンチ同然のいい加減さで、手当たり次第に死刑を宣告するが、実物はそれほどでもなく、かなり誇張されている。
 女優のリリー・ラングトリー(リリアン・ボンド)の熱烈なファンで、アメリカ魂の憎めない男として描かれているが、コールとの約束を反故にして畑に放火して開拓農民を追い払うなど度を越した悪辣さで、とてもコールのようには寛容になれない。
 コールが身を寄せるのも開拓農民の家で、娘のジェーン(ドリス・ダヴェンポート)との間に恋が芽生えるが、シェーンのように流れ者で終わらず、コールは流れ者から定住者になって落ち着くというガンマンとしては腑抜けでかっこ良くなく、しかもジェーンと所帯を持つというハッピーエンドに、西部劇としては肩透かしを喰らう。
 ビーンを演じたウォルター・ブレナンは、いい感じの不器用男を演じてアカデミー助演男優賞。
 ワイラーらしい本格的な作品で、畑を焼く火事のシーンが迫力ある見どころとなっている。 (評価:2.5)

製作国:アメリカ
日本公開:1960年10月22日
監督:チャールズ・チャップリン 製作:チャールズ・チャップリン 脚本:チャールズ・チャップリン 撮影:カール・ストラス、ロリー・トザロー 音楽:メレディス・ウィルソン
キネマ旬報:1位

ギャグがすべからく空振りするプロパガンダ喜劇
 原題は""The Great Dictator""で偉大なる独裁者の意。
 この手の作品に高い評価を与える人がいるのは承知しているが、主義主張を前面に出した映画は立場がどうであれプロパガンダ映画に変わりなく、それが戦意高揚映画であれプロレタリア映画であれ、個人的には評価しない。
 本作は架空の国を設定しているが、誰が見てもナチスドイツとヒットラーを描いたものであり、またそう連想するように作られている。チャップリンの外貌がヒットラーによく似ているというのはさておき、チャップリンが本作を通して専制政治、民族主義を否定し、民主主義、国際平和を訴えたかった心情はわかる。制作されたのが1940年ということからも已むに已まれぬ気持だったに違いない。
 しかし、本作はチャップリンの喜劇とは全く異質であり、挿入されたギャグも空々しくて笑えない。ヒットラーにそっくりなユダヤ人の床屋がゲットーに暮し、ナチの迫害を受けながら逃げ出すと、侵略した国でヒットラーと間違えられて演壇に登らされる。そこで、チャップリンのメッセージを国民に訴えるという寸法。
 すべてはラストのメッセージのために作られていて、笑うことのできない喜劇ほど悲しいものはない。
 本作はチャップリン初の完全トーキーで、チャップリンの喜劇の本質がパントマイムにあり、サイレントだからこそのコメディだったということを如実に証明した。ユダヤ人の迫害を描き、政治プロパガンダ映画だったという点を差し引いても、ギャグはすべからく空振りしていて、滑っている。パントマイムを得意としたチャップリンが、マイクの前に立たされて何で笑いをとるべきか戸惑っている様がよくわかる。 (評価:2)

海外特派員

製作国:アメリカ
日本公開:1976年9月11日
監督:アルフレッド・ヒッチコック 製作:ウォルター・ウェンジャー 脚本:チャールズ・ベネット、ジョーン・ハリソン 撮影:ルドルフ・マテ 音楽:アルフレッド・ニューマン

スパイ映画風サスペンスも中途半端な反ナチ宣伝映画
 原題"Foreign Correspondent"で、邦題の意。
 1939年の第2次世界大戦開戦前夜のヨーロッパを舞台に、アメリカの新聞記者がドイツの諜報戦に巻き込まれるスパイ映画だが、ハリウッド製作らしくヒーロー&ヒロインのラブ・ストーリー仕立てで、ヒッチコック監督らしくサスペンス・ドラマの展開、且つ反ナチ・プロパガンダ映画なので、本格的なスパイ映画にはなっていない。
 開戦の特ダネを掴むためにヨーロッパに派遣されたジョーンズ(ジョエル・マクリー)は、コネのある平和運動家のフィッシャー(ハーバート・マーシャル)の助けを借りながら、開戦の鍵を握るオランダの外交官ヴァン・メア(アルバート・バッサーマン)に接近。ところがメアが暗殺されてしまい、犯人を追って行くと、殺されたのは替え玉でメアはドイツのスパイ・グループに拉致されたことを知る。
 フィッシャーの娘キャロル(ラレイン・デイ)、ライバルの記者(ジョージ・サンダース)とともにメア奪還を図るが、意外にもドイツのスパイは身近にもいて…という良くあるパターン。
 スピーディな演出とサスペンスで、ジョーンズの息詰まる活躍を見せるが、メア救出後、英独開戦となり、フィッシャー父娘とアメリカに向かう旅客機をドイツ軍に撃墜。アメリカの艦船に救出され、見事開戦の第一報送信に成功する。
 最後は、キャロルとロンドンに居を構えたジョーンズが、ロンドン空襲の中、アメリカへのラジオで「国を強化し、灯を燃やし続けよう」と呼びかけて終わる。
 アメリカでの公開は1940年8月16日。製作のウォルター・ウェンジャーは反ナチ活動家で、中立国アメリカをイギリス支援に方針転換させるために作り、この後、アメリカは参戦に向かう。
 開戦時の背景説明がないため全体像が解りにくく、メアを誘拐する理由がわからないのもサスペンス優先のヒッチコックらしい。プロパガンダも付け足し感が強く、中途半端で狙いが定まっていない。平和主義者は敵側スパイも同然という描かれ方も、アメリカ非戦派への批判か? (評価:2)

フィラデルフィア物語

製作国:アメリカ
日本公開:1948年2月24日
監督:ルドウィッヒ・ベルガー、マイケル・パウエル 製作:アレクサンダー・コルダ 脚本:マイルス・メールスン 撮影:ジョルジュ・ペリナール 音楽:ミクロス・ローザ

上流社会を皮肉るのかと思いきや能天気な結末
 原題"The Philadelphia Story"で、フィラデルフィアの上流階級令嬢の結婚式の話。原作はフィリップ・バリーの同名ブロードウェイ・ミュージカルの戯曲。
 令嬢をキャサリン・ヘプバーン、前夫をケーリー・グラントが演じるという以外にこれといった見どころのない映画で、上流社会の人間をネタにした通俗ドラマになっている。
 前夫が令嬢と喧嘩別れをして家を出ていくサイレントシーンから始まり、2年後、出戻り令嬢が再婚相手の石炭王との結婚式を翌日に控えているところからドラマは始まる。
 喧嘩別れした原因というのが、令嬢が女神気取りで、男から崇拝されることを望んでいるからだというのが前夫の意見。その前夫は結婚式を見てやろうと友人2人を連れてやってくる。
 この友人2人は雑誌社のカメラマンとライターで、上流社会の実態の取材が目的。マスコミ嫌いの令嬢を騙すものの、令嬢は騙された振りをして取り繕うとする。そこからはコメディなのだが、笑えないのが残念なところ。
 前夜の披露パーティで酔っぱらった令嬢はライターと浮気して醜態を晒し、翌朝には石炭王から婚約破棄を伝えられ、その気になったライターに肘鉄。結局、復讐に来たはずの前夫がそんなしょうもない令嬢を今でも愛していて、結婚式のキャンセル寸前で2年前に挙げなかった挙式に変更して、めでたくハッピーエンド。
 再婚相手の石炭王は成り上がり者で、途中までは、女王様然と我が儘し放題の令嬢と上流社会を皮肉る作品かと思いきや、それは忘れてハッピーエンドという如何にもアメリカ的能天気な結末。
 カメラマンとライターも刺身のツマ程度の役割しか与えられず、そもそも歴史のないアメリカの上流階級と石炭成金にどれほどの差があるのかと令嬢を見ながら思う始末で、それがこのワサビ抜きの刺身のラストシーンにならざるを得ないのだと得心する。 (評価:2)

哀愁

製作国:アメリカ
日本公開:1949年3月22日
監督:マーヴィン・ルロイ 製作:シドニー・フランクリン、マーヴィン・ルロイ 脚本:S・N・バーマン、ハンス・ラモウ、ジョージ・フローシェル 撮影:ジョセフ・ルッテンバーグ 音楽:ハーバート・ストサート

戦争が生んだ悲恋というには、話を作り過ぎのメロドラマ
 原題"Waterloo Bridge"で、ウォータールー橋の意。ロバート・E・シャーウッドの同名戯曲が原作。
 1939年英独開戦の日、ウォータールー橋を通りかかったクローニン大佐(ロバート・テイラー)が、空襲警報の日に同じ場所で出会ったバレエの踊子マイラ(ヴィヴィアン・リー)との思い出を回想するという物語。一瞬、第二次世界大戦の出来事かと思うが、よく考えれば前後がおかしく、回想は第一次世界大戦の時のもの。
   ウォータールー橋で出会った2人は一目惚れし、あれよという間もなく急接近。戦時中で互いに明日の知れない身とはいえど、大尉だったクローニンは上司との食事をキャンセルしてディナーの申し込み。
 それを知ったバレエ団々長のマダム・キーロワ(マリア・オースペンスカヤ)はマイラに代わってデートを断る。それもそのはず、その日の公演を見にきたクローニンにマイラはのぼせ上がって、踊りに神経を集中できない有り様。
 マイラに同情した仲間はマダムをわからず屋と非難するが、わからず屋なのは踊子たちの方で、マイラはサカリのついた牝犬の如くで、1人マダムだけが冷静に思えてくる。
 上司の約束をキャンセルして会ったその日にデートに誘うクローニンも単なるチャラ男で、結局2人はその夜デートしてすぐにキスしてしまうのだが、翌日には結婚しようと教会に駆け込むクレイジーぶり。ところが結婚式は翌日に延期。クローニンは突然の召集で結婚式はドタキャン。マイラは仕事に穴を開けてバレエ団を解雇される。
 生活苦の上、新聞にクローニン戦死の報を見て、失意のあまり私娼になってしまうが、葛藤が描かれないのが人物像を薄くしている。
 死んだと思ったクローニンが生きて帰り、売春を隠しきれずに思い出のウォータールー橋で身を投げる…で回想終わり。
 戦争が生んだ悲恋というには、話を作り過ぎのメロドラマ。出会いからマイラが悲恋の予感を口走るが、最初にネタバレから始まるので引きになっていない。
 意外なのは川ではなく車列に身を投げて死ぬことで、マイラの人物像が薄口でヴィヴィアン・リーを活かせていない。 (評価:2)

ピノキオ

製作国:アメリカ
日本公開:1952年5月17日
監督:ベン・シャープスティーン、ハミルトン・ラスケ 製作:ウォルト・ディズニー 脚本:テッド・シアーズ、オットー・イングランダー、ウェッブ・スミス、ウィリアム・コトレル、ジョゼフ・サボ、アードマン・ペナー、オーレリアス・バタグリア 作画監督:アーサー・バビット、ミルトン・カール、ウォード・キンボール、エリック・ラーソン、フレッド・ムーア、ウーリー・ライザーマン、ウラジミール・ティトラ 音楽:リー・ハーライン、ポール・J・スミス、ネッド・ワシントン

おバカなピノキオの性根が直ったと思えないところが辛い
 原題"Pinocchio"。カルロ・コッローディの童話"Le Avventure di Pinocchio"(ピノッキオの冒険)が原作。
 ゼペット爺さんが、作った操り人形に人間の子供になるという願掛けをし、フェアリーがそれを叶えるという物語。
 ところが無垢すぎておバカなピノキオはずる賢い狐に騙されて興行師に売られ、フェアリーに助け出されるが、またしても狐に騙されて悪さを覚え、子供の人買いに売られそうになり、こんどはコオロギのジミニー・クリケットに助けられるという教訓話。
 学校はサボってはいけません、怠けて遊びにうつつを抜かしてはいけませんと、ほとんど修身の教科書みたいな内容なので、作画はともかくストーリー的にはうんざりした気分にさせる。
 ガキの癖に葉巻まで吸うシーンが登場するが、制作年代からはアメリカでよくある光景だったのだろう。
 ピノキオが行方不明になって心配して捜しに出かけた爺さんが鯨に呑み込まれてしまい、助けに行ったピノキオまでが鯨の腹の中へ。ここからは脱出劇で、爺さんを生還させたもののピノキオは息絶えてしまい、その犠牲的な善行にフェアリーがピノキオを人間の子供として生き返らせるというハッピーエンド。
 冒頭、フェアリーに"Prove yourself brave,truthful and unselfish,- and someday you will be a real boy."(あなたが勇敢で誠実で利己的でないことを示したら、いつか人間の男の子にしてあげる)と言われるシーンがあるが、前段のおバカなだけのピノキオが、このエピソードでとても性根が直ったと思えないところが辛い。
 女神のリアルすぎる動画も気味が悪いほどに浮いていて、他の作画と合っていない。
 ディズニーランドでお馴染みの、主題歌"When You Wish Upon a Star"(星に願いを)がアカデミー歌曲賞を受賞。 (評価:2)

わが父わが子

製作国:フランス
日本公開:1951年6月16日
監督:ジュリアン・デュヴィヴィエ 脚色:マルセル・アシャール、シャルル・スパー、 ジュリアン・デュビビエ 撮影:ジュール・クリュージェ 音楽:ジャン・ウィエネル

戦争をテーマにした一家の年代記よりもモンマルトルの歴史が面白い
 原題"Untel père et fils"で、ある父と息子の意。
 普仏戦争の1871年から始まり、第二次世界大戦の始まる1939年までのパリ・モンマルトルの農家フロマン家を4世代に渡って描く、戦争をテーマにした年代記。
 パリ陥落を前に製作したデュヴィヴィエの志は良いのだが、約70年に渡る年代記を約80分で描くには駆け足過ぎて、ドラマとして残るものがない。もっともオリジナルは113分だそうだが…
 19世紀のモンマルトルには葡萄畑があったというのが意外で、サクレ・クール寺院もムーラン・ルージュもまだない。寺院が普仏戦争敗戦の償いとして建てられ、画家たちの集まるボヘミアンな街になったというモンマルトルの通史はそれなりに面白く、二代目の娘が画家と結婚。
 無学な農夫だった初代の望みは長男を医者にするということだったが、本人を含めて3人が普仏戦争、第一次世界大戦等で戦死。4代目が第二次世界大戦に出征するところで終わる。
 フロマン家は愛国者で、作品は対独戦争のプロパガンダとして製作されたが、パリ陥落によりヴィシー政権下では公開されず、1943年にアメリカで初公開されている。
 もっとも、一家の男たちが次々と戦死し、むしろ愛国心の空虚さばかりが伝わってきて、単にプロパガンダ映画と言い切れないものがある。
 戦争とは無関係に文明の発展に乗って行くジュウル叔父さん(レイミュ)が魅力的に映る。 (評価:2)

バグダッドの盗賊

製作国:イギリス
日本公開:1951年12月22日
監督:ルドウィッヒ・ベルガー、マイケル・パウエル 製作:アレクサンダー・コルダ 脚本:マイルス・メールスン 撮影:ジョルジュ・ペリナール 音楽:ミクロス・ローザ

リメイク版は、特撮だけでは映画にならないという証明
 1924年のサイレント映画のリメイク。カラー作品だが、ラオール・ウォルシュのオリジナルからは劣る。アカデミーの特殊効果賞・撮影賞・美術賞を受賞しているが、オリジナルを超えられていない。
 物語はオリジナルとは大幅に異なり、盗賊の少年は脇役。宰相の魔法使いに騙され追放された主役のバグダッドの王と知り合う。王はバスラの姫に恋して宰相とを取り合うことになるが、宰相の魔法で王は盲目に、盗賊は犬に変えられてしまう。いろいろあって、魔法の絨毯・水晶、天馬といったアイテムも登場するが、シナリオと演出がボロボロのため書いても混乱するだけ。わけの分からないうちに盗賊は魔法の弓矢を手に入れ、バグダッドで囚われの身となっている王を助け、王と姫は結ばれてメデタシメデタシという退屈なストーリーが展開する。
 オリジナル版のストーリーは『バグダッドの盗賊』(1924)のレビューに書いてあるが、別のストーリーを組み立てようとした結果は悲惨。監督も脚本も『千夜一夜物語』に理解が足りないということは、勘違いの異国趣味がてんこ盛りで、オリジナル版の魔法のアイテムに加えて魔法のランプやジンまで入れた総花的アラビアンナイトもどきの映画に仕立てたことでわかる。タイトルの主人公はバグダッドの盗賊(少年)だがストーリーの主役は王で、その曖昧さを引き摺ったまま、どちらが主役なのか不明瞭な映画になっている。特撮にさえ力を入れればエンタテイメント映画が出来ると思ったのか?  冗漫なため、106分なのにオリジナルよりも長く感じてしまう。 (評価:2)