外国映画レビュー──1939年
製作国:アメリカ
日本公開:1952年9月10日
監督:ヴィクター・フレミング 製作:デヴィッド・O・セルズニック 脚本:シドニー・ハワード 撮影:アーネスト・ホーラー、レイ・レナハン 音楽:マックス・スタイナー
アカデミー作品賞
我が儘で高慢で自己本位な女スカーレットが気持ちいい
原題は"Gone with the Wind"で、マーガレット・ミッチェルの同名小説が原作。アカデミー賞では作品賞のほか、監督・主演女優(ヴィヴィアン・リー)・助演女優(ハティ・マクダニエル)・脚色・撮影・美術等で9部門を受賞。日本公開は13年後、戦後しばらくしてからの1952年だが、キネ旬ではベスト10にかすりもしていない。日本の映画評論もまた発展途上(今もそうかもしれない)だったことがわかる。
南北戦争を背景に、その前後で運命が一変してしまう主人公スカーレット・オハラの半生を描いたもので、三度の結婚を繰り返しながらも一人の男を愛し続け、その妻との奇妙な友情を軸に、男たちを翻弄する華やかな娘時代、敗戦、没落、成功、そして夫の二度に渡る死、出産、流産、子供の死、夫との不和・離別といった不幸に見舞われる波乱の女の人生が描かれる。
この映画が何より気持ちいいのは、スカーレットがそうした人生に翻弄されながらも、男たちを手玉にとり、弱みを見せることなく、したたかに強く生きていくことで、劇中にも語られるが、彼女は男にもない強さを神から与えられていること。このような女の強さは往々にして母の強さとか、男に虐げられても我慢する強さで描かれることが多いが、彼女の強さはあくまでもポジティブ。我が儘で高慢で自己本位で・・・といったところに魅力がある。
それを演じるヴィヴィアン・リーはまさに適役で、彼女の演技なしにこの映画の成功はなかった。
1939年当時、これだけの大作が作れたということも驚きだが、脚本・演出・美術・撮影・俳優の演技を含めて、現在作られている映画を凌駕するクオリティの高さに舌を巻く。アトランタで家が焼けおちるシーンが有名だが、タラの屋敷や農場のシーン、とりわけアトランタの駅前の傷病兵の間をスカーレットが行く俯瞰のロングショットが素晴らしい。
222分という長尺で、見どころを挙げればきりがないが、数々の不幸に見舞われながら再び立ち上がるスカーレットのラストシーンは感動的。70年以上前に真の女の自立を描いたこの作品は、男だけでなく現代の女も必見。 助演女優賞ハティ・マクダニエルは黒人初のオスカー。クラーク・ゲーブルが共演。「タラのテーマ」を始めとする音楽も有名。 (評価:5)

日本公開:1952年9月10日
監督:ヴィクター・フレミング 製作:デヴィッド・O・セルズニック 脚本:シドニー・ハワード 撮影:アーネスト・ホーラー、レイ・レナハン 音楽:マックス・スタイナー
アカデミー作品賞
原題は"Gone with the Wind"で、マーガレット・ミッチェルの同名小説が原作。アカデミー賞では作品賞のほか、監督・主演女優(ヴィヴィアン・リー)・助演女優(ハティ・マクダニエル)・脚色・撮影・美術等で9部門を受賞。日本公開は13年後、戦後しばらくしてからの1952年だが、キネ旬ではベスト10にかすりもしていない。日本の映画評論もまた発展途上(今もそうかもしれない)だったことがわかる。
南北戦争を背景に、その前後で運命が一変してしまう主人公スカーレット・オハラの半生を描いたもので、三度の結婚を繰り返しながらも一人の男を愛し続け、その妻との奇妙な友情を軸に、男たちを翻弄する華やかな娘時代、敗戦、没落、成功、そして夫の二度に渡る死、出産、流産、子供の死、夫との不和・離別といった不幸に見舞われる波乱の女の人生が描かれる。
この映画が何より気持ちいいのは、スカーレットがそうした人生に翻弄されながらも、男たちを手玉にとり、弱みを見せることなく、したたかに強く生きていくことで、劇中にも語られるが、彼女は男にもない強さを神から与えられていること。このような女の強さは往々にして母の強さとか、男に虐げられても我慢する強さで描かれることが多いが、彼女の強さはあくまでもポジティブ。我が儘で高慢で自己本位で・・・といったところに魅力がある。
それを演じるヴィヴィアン・リーはまさに適役で、彼女の演技なしにこの映画の成功はなかった。
1939年当時、これだけの大作が作れたということも驚きだが、脚本・演出・美術・撮影・俳優の演技を含めて、現在作られている映画を凌駕するクオリティの高さに舌を巻く。アトランタで家が焼けおちるシーンが有名だが、タラの屋敷や農場のシーン、とりわけアトランタの駅前の傷病兵の間をスカーレットが行く俯瞰のロングショットが素晴らしい。
222分という長尺で、見どころを挙げればきりがないが、数々の不幸に見舞われながら再び立ち上がるスカーレットのラストシーンは感動的。70年以上前に真の女の自立を描いたこの作品は、男だけでなく現代の女も必見。 助演女優賞ハティ・マクダニエルは黒人初のオスカー。クラーク・ゲーブルが共演。「タラのテーマ」を始めとする音楽も有名。 (評価:5)

オズの魔法使
日本公開:1954年12月22日
監督:ヴィクター・フレミング 製作:マーヴィン・ルロイ 脚本:ノエル・ラングレー、フローレンス・ライアソン、エドガー・アラン・ウールフ 撮影:ハロルド・ロッソン 音楽:ハーバート・ストサート
原題"The Wizard of Oz"。ライマン・フランク・ボームの児童小説" The Wonderful Wizard of Oz"(オズの素晴らしき魔法使い)が原作で、オズは魔法の国の名。
ミュージカル・ファンタジーの名作で、主人公ドロシー役のジュディ・ガーランドが歌う"Over The Rainbow"(虹の彼方に)が大ヒット、スタンダード・ナンバーとなって今も歌い継がれている。アカデミー歌曲賞を受賞。
カンザスの叔母さん夫婦の家に住むドロシーは、意地悪地主のガルチ(マーガレット・ハミルトン)に噛みついた愛犬トトを処分されそうになり、家出。占師マーヴェル(フランク・モーガン)に諭されて戻ったところ、竜巻がやってきて気絶、家ごと魔法の国オズに飛ばされてしまう。
ここで夢オチであることがバレてしまうのが本作最大の欠点だが、その後のファンタジックな映像と物語がこれを補って余りある。
北の良い魔女(ビリー・バーク)に出会い、カンザスに帰るためにはオズの魔法使いに会わないといけないと教えられる。これを邪魔するのがドロシーが手に入れた魔法の靴を狙う西の悪い魔女で、ガルチと同じ顔をしている。
桃太郎よろしく旅のお供をするのが、案山子・ブリキ男・ライオンで、どこかで見た顔と思いきや叔母さんの農場の3人の使用人。最後に出会う魔法使いもこれまた親切な占師で、結局のところ夢に出てくるのだから身近な人、という子供らしい発想になっているのがいい。
西の魔女・案山子・ブリキ男・ライオンも今ならVFX加工で処理するところだが、着ぐるみとメーキャップの手作り感が芝居を見ているようで堪らなく良く、メルヘン・ファンタジーの醍醐味を味わわせてくれる。
魔法の国の美術もCGにはない温かさがあって、現実世界がセピア色、魔法の国への扉を開けた途端に総天然色に変わるという、子供の心象の演出も優れたところ。
CGアニメの映像を見るのではなく、絵本を開くような感覚が本作にはある。 (評価:4)

ゲームの規則
日本公開:1982年9月25日
監督:ジャン・ルノワール 製作:クロード・ルノワール 脚本:ジャン・ルノワール、カール・コッホ 撮影:ジャン・バシュレ 音楽:ロジェ・デゾルミエール
原題"La Règle du jeu"で、邦題の意。
フランスの上流社会を舞台にした恋愛物語で、大西洋を23時間で単独飛行した飛行家(ローラン・トゥータン)が、記者会見で恋人の候爵夫人(ノラ・グレゴール)が迎えに現われなかったことをなじったことから起きる騒動を描く。
飛行家は友人で夫人の叔父(ジャン・ルノワール)とともに侯爵(マルセル・ダリオ)の別荘に招待され、侯爵夫人、侯爵の愛人(ミラ・パレリー)、侯爵の侍女(ポーレット・デュボー)、その夫の森番(ガストン・モド)、新米の召使い(ジュリアン・カレット)、夫人を誘惑する男(ピエール・ナイ)が入り乱れての恋愛騒動が繰り広げられる。
侯爵夫人を中心とした上流社会の不道徳と精神の退廃が描かれるが、その影響を受けた侍女の不道徳も描かれ、上流社会が悪徳を伝染させる巣であることが示される。
ラストは飛行家が夫人と駆け落ちしようとするのを叔父が横取りし、妻の侍女との密会と誤解した森番が入れ替わった飛行家を銃殺するという悲劇となるが、狩猟事故だと隠蔽され、何事もなかったかのように元の生活に戻るというアイロニーに満ちた物語となっている。
ジャン・ルノワール自身が出演し、執事以下の使用人たちの裏側の生活も描かれ、上流社会の実態を描いたところが見どころとなるが、男たちの華であるノラ・グレゴールが38歳のオバサンで、今ひとつ魅力的でないのが残念なところ。
ノラ・グレゴールはイタリア北部のユダヤ人両親の下に生れた女優で、ピアニストの最初の夫と離婚後、オーストリア大公と再婚。本作の侯爵夫人のモデルとなったという。 (評価:3)

製作国:アメリカ
日本公開:1940年6月19日
監督: ジョン・フォード 製作:ジョン・フォード 脚本:ダドリー・ニコルズ 撮影:バート・グレノン、レイ・ビンガー 音楽:ボリス・モロース
日本映画雑誌協会:2位(映画旬報:2位)
アパッチの襲撃シーンは必見の価値あり
映画通の評価の高い作品。子供の頃にテレビで見たきりだったが、渡河などの部分的なシーンは憶えていた。最大の見どころは、アパッチが駅馬車を襲撃するシーンで、迫力満点。今だったらカット処理や特殊撮影だろうと思えるものを、実際にロケでカメラを回してしまうところが凄い。本当はそれだけでも★5つなのかもしれない。
娯楽西部劇ということで、駅馬車の前半部分だけで終わりにするわけにはいかなかったのだろう。やはり、リンゴ・キッド役のジョン・ウェインの決闘の見せ場がなければ西部劇ファンは納得しないというわけか。そういうわけで、この映画は二部構成になっていて、それが何となく作品としての一貫性を欠く。
医者役のトーマス・ミッチェルがいい。改めて思ったのだが、ジョン・ウェインと高倉健、三船敏郎はヒーロー俳優としての共通点を持っている。それにしても、臨月の妊婦が駅馬車の乗りこむという設定はかなり無理がある。 (評価:3)

日本公開:1940年6月19日
監督: ジョン・フォード 製作:ジョン・フォード 脚本:ダドリー・ニコルズ 撮影:バート・グレノン、レイ・ビンガー 音楽:ボリス・モロース
日本映画雑誌協会:2位(映画旬報:2位)
映画通の評価の高い作品。子供の頃にテレビで見たきりだったが、渡河などの部分的なシーンは憶えていた。最大の見どころは、アパッチが駅馬車を襲撃するシーンで、迫力満点。今だったらカット処理や特殊撮影だろうと思えるものを、実際にロケでカメラを回してしまうところが凄い。本当はそれだけでも★5つなのかもしれない。
娯楽西部劇ということで、駅馬車の前半部分だけで終わりにするわけにはいかなかったのだろう。やはり、リンゴ・キッド役のジョン・ウェインの決闘の見せ場がなければ西部劇ファンは納得しないというわけか。そういうわけで、この映画は二部構成になっていて、それが何となく作品としての一貫性を欠く。
医者役のトーマス・ミッチェルがいい。改めて思ったのだが、ジョン・ウェインと高倉健、三船敏郎はヒーロー俳優としての共通点を持っている。それにしても、臨月の妊婦が駅馬車の乗りこむという設定はかなり無理がある。 (評価:3)

製作国:フランス
日本公開:1948年3月9日
監督:ジュリアン・デュヴィヴィエ 脚本:ジュリアン・デュヴィヴィエ、シャルル・スパーク 撮影:アレックス・ジョフェ、クリスチャン・マトラ 音楽:モーリス・ジョーベール
キネマ旬報:5位
過去の幻影にすがる養老院の老俳優たちの姿が物悲しい
原題"La Fin Du Jour"で、一日の終わりの意。
デュヴィヴィエらしい哀愁漂う作品で、舞台は南仏の元俳優ばかりが集まる養老院。17歳のカフェの女給を除けばジジババばかりという、地味の極致を追求している。
中心となるのは名前を覚えきれないほど女との浮名を流したセントクレア(ルイ・ジュヴェ)、演技力はあったが運に恵まれなかったマーニー(ヴィクトル・フランセン)、そして代役のための補欠要員で、一度も舞台に上がることの出来なかったカブリサード(ミシェル・シモン)の3人。
マーニーは愛する妻を寝取った上に死に追い込んだセントクレアとは仇敵の関係。死の真相を糺すがセントクレアは自殺ではなく事故死だと言い逃れる。
そんなセントクレアが17歳の女給(マドレーヌ・オズレイ)を籠絡し、二枚目俳優としての自尊心を満足させるために、彼女を自殺に追い込もうとする。
女給を愛していたマーニーが窮地を救い、セントクレアは狂気に落ちる。
これに養老院の経営難の話が並行し、パトロンとなった新聞社の要請で慈善興業を行うことになる。無理矢理、主役マーニーの代役となって舞台に上がったカブリサードは、舞台恐怖症から台詞を忘れる屈辱を味わい、自分自身を騙してきたことへの絶望から死んでしまう。
人生の終わりに過去の幻影にすがる養老院の老俳優たちの姿が物悲しい。
死んだカブリサードへの美辞麗句の弔辞を読んでいたマーニーが、突然、カブリサードのありのままの俳優人生を語り始めるが、そこに初めて虚飾を離れた人生の意義を見い出すというデュヴィヴィエらしいヒューマンなラストとなっている。 (評価:2.5)

日本公開:1948年3月9日
監督:ジュリアン・デュヴィヴィエ 脚本:ジュリアン・デュヴィヴィエ、シャルル・スパーク 撮影:アレックス・ジョフェ、クリスチャン・マトラ 音楽:モーリス・ジョーベール
キネマ旬報:5位
原題"La Fin Du Jour"で、一日の終わりの意。
デュヴィヴィエらしい哀愁漂う作品で、舞台は南仏の元俳優ばかりが集まる養老院。17歳のカフェの女給を除けばジジババばかりという、地味の極致を追求している。
中心となるのは名前を覚えきれないほど女との浮名を流したセントクレア(ルイ・ジュヴェ)、演技力はあったが運に恵まれなかったマーニー(ヴィクトル・フランセン)、そして代役のための補欠要員で、一度も舞台に上がることの出来なかったカブリサード(ミシェル・シモン)の3人。
マーニーは愛する妻を寝取った上に死に追い込んだセントクレアとは仇敵の関係。死の真相を糺すがセントクレアは自殺ではなく事故死だと言い逃れる。
そんなセントクレアが17歳の女給(マドレーヌ・オズレイ)を籠絡し、二枚目俳優としての自尊心を満足させるために、彼女を自殺に追い込もうとする。
女給を愛していたマーニーが窮地を救い、セントクレアは狂気に落ちる。
これに養老院の経営難の話が並行し、パトロンとなった新聞社の要請で慈善興業を行うことになる。無理矢理、主役マーニーの代役となって舞台に上がったカブリサードは、舞台恐怖症から台詞を忘れる屈辱を味わい、自分自身を騙してきたことへの絶望から死んでしまう。
人生の終わりに過去の幻影にすがる養老院の老俳優たちの姿が物悲しい。
死んだカブリサードへの美辞麗句の弔辞を読んでいたマーニーが、突然、カブリサードのありのままの俳優人生を語り始めるが、そこに初めて虚飾を離れた人生の意義を見い出すというデュヴィヴィエらしいヒューマンなラストとなっている。 (評価:2.5)

製作国:アメリカ
日本公開:1940年7月
監督:ヘンリー・キング 脚本:フィリップ・ダン、ジュリアン・ジョセフソン 撮影:ジョージ・バーンズ 音楽:ルイス・シルヴァース
日本映画雑誌協会:6位(映画旬報:6位)
本作が描いたのはスタンリーよりもむしろリビングストン
原題"Stanley and Livingstone"で、スタンリーとリビングストン。
ニューヨーク・ヘラルド紙の記者スタンリーが、1870年アフリカで行方不明になったリビングストンを発見、イギリスに戻るまでの2年間を中心にした探検記で、リビングストンの遺志を継いでアフリカを横断、コンゴ川の流路を確かめた功績が語られて終わる。
スペンサー・トレイシーが主演し、あくまでヒーローとして描いているので、そういうお約束の映画だと思って見た方が良い。
作品ではリビングストンに出会うまでの8か月間の苦難が中心となるが、最大の見どころは撮影当時の手つかずのアフリカの大自然で、モノクロながら感動的。とりわけフラミンゴの群れが飛び立つシーンが素晴らしい。
攻撃的な種族が山野に広がって駆け下りてくるモブシーンが壮観だが、サファリ・シーンはオットー・ブラウアーが監督している。
本作を見て感じるのは、スタンレーよりもリビングストンの人となりが浮かび上がってくることで、むしろ本作が描こうとしたのはスタンレーではなくリビングストンだったのではないかとさえ思えてくる。
リビングストンにとって探検は付随するものに過ぎず、使命は宣教師として布教と人々の救済のために身命を捧げること。この好人物をセドリック・ハードウィックが好演している。 (評価:2.5)

日本公開:1940年7月
監督:ヘンリー・キング 脚本:フィリップ・ダン、ジュリアン・ジョセフソン 撮影:ジョージ・バーンズ 音楽:ルイス・シルヴァース
日本映画雑誌協会:6位(映画旬報:6位)
原題"Stanley and Livingstone"で、スタンリーとリビングストン。
ニューヨーク・ヘラルド紙の記者スタンリーが、1870年アフリカで行方不明になったリビングストンを発見、イギリスに戻るまでの2年間を中心にした探検記で、リビングストンの遺志を継いでアフリカを横断、コンゴ川の流路を確かめた功績が語られて終わる。
スペンサー・トレイシーが主演し、あくまでヒーローとして描いているので、そういうお約束の映画だと思って見た方が良い。
作品ではリビングストンに出会うまでの8か月間の苦難が中心となるが、最大の見どころは撮影当時の手つかずのアフリカの大自然で、モノクロながら感動的。とりわけフラミンゴの群れが飛び立つシーンが素晴らしい。
攻撃的な種族が山野に広がって駆け下りてくるモブシーンが壮観だが、サファリ・シーンはオットー・ブラウアーが監督している。
本作を見て感じるのは、スタンレーよりもリビングストンの人となりが浮かび上がってくることで、むしろ本作が描こうとしたのはスタンレーではなくリビングストンだったのではないかとさえ思えてくる。
リビングストンにとって探検は付随するものに過ぎず、使命は宣教師として布教と人々の救済のために身命を捧げること。この好人物をセドリック・ハードウィックが好演している。 (評価:2.5)

製作国:アメリカ
日本公開:1940年2月8日
監督:ヘンリー・C・ポッター 製作:ジョージ・ヘイト 脚本:リチャード・M・シャーマン 撮影:ロバート・デ・グラス 音楽:ロバート・ラッセル・ベネット
日本映画雑誌協会:7位
見どころはアステアとロジャースの社交ダンス
原題"The Story of Vernon and Irene Castle"で、ヴァーノン&アイリーン・カッスルの物語。アイリーン・カッスルの追憶書が原作。
ドタバタ喜劇の役者だったヴァーノンとダンサー志望のアイリーンの出会いから結婚、パリのカフェ・ド・パリでカッスル・ウォークの社交ダンスで注目を浴び、ブロードウェーに凱旋して近代ダンサーとして成功を収める物語。
ヴァーノン(フレッド・アステア)はイングランド出身で、ニューヨーカーのアイリーン(ジンジャー・ロジャース)とともにアメリカで活動するが、第一次世界大戦が勃発、アメリカ参戦により故国への愛国心から航空兵として志願、墜落死するまでが描かれる。
アステアとロジャースのダンスを中心に描くミュージカルで、タップだけでなく激しい動きの社交ダンスを見せるのが見どころとなっているが、後半の第一次世界大戦のエピソードがいささか愛国的に描かれるのは、第二次世界大戦前夜という時代性からか。
冒頭、路面電車の車内から道路、雑踏へと移動していくカメラワークが上手い。パリからの凱旋後、全米を新しい社交ダンスで席巻していく様子を地図との合成で見せる演出もおしゃれ。 (評価:2.5)

日本公開:1940年2月8日
監督:ヘンリー・C・ポッター 製作:ジョージ・ヘイト 脚本:リチャード・M・シャーマン 撮影:ロバート・デ・グラス 音楽:ロバート・ラッセル・ベネット
日本映画雑誌協会:7位
原題"The Story of Vernon and Irene Castle"で、ヴァーノン&アイリーン・カッスルの物語。アイリーン・カッスルの追憶書が原作。
ドタバタ喜劇の役者だったヴァーノンとダンサー志望のアイリーンの出会いから結婚、パリのカフェ・ド・パリでカッスル・ウォークの社交ダンスで注目を浴び、ブロードウェーに凱旋して近代ダンサーとして成功を収める物語。
ヴァーノン(フレッド・アステア)はイングランド出身で、ニューヨーカーのアイリーン(ジンジャー・ロジャース)とともにアメリカで活動するが、第一次世界大戦が勃発、アメリカ参戦により故国への愛国心から航空兵として志願、墜落死するまでが描かれる。
アステアとロジャースのダンスを中心に描くミュージカルで、タップだけでなく激しい動きの社交ダンスを見せるのが見どころとなっているが、後半の第一次世界大戦のエピソードがいささか愛国的に描かれるのは、第二次世界大戦前夜という時代性からか。
冒頭、路面電車の車内から道路、雑踏へと移動していくカメラワークが上手い。パリからの凱旋後、全米を新しい社交ダンスで席巻していく様子を地図との合成で見せる演出もおしゃれ。 (評価:2.5)

製作国:アメリカ
日本公開:1940年10月
監督:セシル・B・デミル 製作:セシル・B・デミル 脚本:ウォルター・デレオン、C・ガードナー・サリヴァン、ジャック・カニンガム、ジェシー・ラスキー・Jr 撮影:ヴィクター・ミルナー 音楽:ジグムンド・クラムゴールド、ジョン・レイポルド、ジョージ・アンセイル
映画旬報:8位
カンヌ映画祭グランプリ
大陸横断鉄道のロマンを描く西部劇らしい西部劇
原題"Union Pacific"で、アメリカの鉄道会社、ユニオン・パシフィックのこと。
1862年、リンカーン大統領の命で大陸横断鉄道が敷設されることになり、西からはセントラル・パシフィック鉄道、東からはユニオン・パシフィック鉄道が建設開始。ユタ州で繋がるまでの物語をユニオン・パシフィック鉄道の側から描く。
アーネスト・ヘイコックスの小説"Trouble shooter"(紛争解決人)が原作。
主人公のトラブルシューターとなるのが元北軍兵士のジェフ(ジョエル・マクリー)。ユニオン・パシフィックの鉄道建設に出資する銀行家のバロウズ(ヘンリー・コルカー)は、セントラル・パシフィックの株を買い、ユニオン・パシフィックの工事を遅らせてセントラル・パシフィックの敷設距離を長くし、株価上昇で一儲け企む。
そのためにキャムポー(ブライアン・ドンレヴィ)を手先に雇い、作業員を怠けさせるためにユニオン・パシフィックの工事現場に賭博場を開設させる。そのキャムポーの仲間の一人がジェフの戦友ディック(ロバート・プレストン)で、現場の郵便係をしているモリー(バーバラ・スタンウィック)が恋人。3人の友情と三角関係を絡めながら、ジェフが如何にバロウズの悪事を食い止めるかというのが物語の軸になる。
ネタばらしをすると、ディックはバロウズの悪事を明かして命を失い、ジェフは無事トラブルシューターの役目をはたして鉄道は完成、モリーの二兎を得る。
西部劇らしい西部劇で、スー族の襲撃もあればガンファイトもあって、恋に友情に悪漢との対決、さらには大陸横断鉄道のロマンもあって、インディアンの扱いなど気になる点もあるが、総じて楽しめる娯楽作品となっている。
第1回カンヌ映画祭パルム・ドールを受賞。列車転覆シーンなど、ミニチュアの特撮も見どころ。 (評価:2.5)

日本公開:1940年10月
監督:セシル・B・デミル 製作:セシル・B・デミル 脚本:ウォルター・デレオン、C・ガードナー・サリヴァン、ジャック・カニンガム、ジェシー・ラスキー・Jr 撮影:ヴィクター・ミルナー 音楽:ジグムンド・クラムゴールド、ジョン・レイポルド、ジョージ・アンセイル
映画旬報:8位
カンヌ映画祭グランプリ
原題"Union Pacific"で、アメリカの鉄道会社、ユニオン・パシフィックのこと。
1862年、リンカーン大統領の命で大陸横断鉄道が敷設されることになり、西からはセントラル・パシフィック鉄道、東からはユニオン・パシフィック鉄道が建設開始。ユタ州で繋がるまでの物語をユニオン・パシフィック鉄道の側から描く。
アーネスト・ヘイコックスの小説"Trouble shooter"(紛争解決人)が原作。
主人公のトラブルシューターとなるのが元北軍兵士のジェフ(ジョエル・マクリー)。ユニオン・パシフィックの鉄道建設に出資する銀行家のバロウズ(ヘンリー・コルカー)は、セントラル・パシフィックの株を買い、ユニオン・パシフィックの工事を遅らせてセントラル・パシフィックの敷設距離を長くし、株価上昇で一儲け企む。
そのためにキャムポー(ブライアン・ドンレヴィ)を手先に雇い、作業員を怠けさせるためにユニオン・パシフィックの工事現場に賭博場を開設させる。そのキャムポーの仲間の一人がジェフの戦友ディック(ロバート・プレストン)で、現場の郵便係をしているモリー(バーバラ・スタンウィック)が恋人。3人の友情と三角関係を絡めながら、ジェフが如何にバロウズの悪事を食い止めるかというのが物語の軸になる。
ネタばらしをすると、ディックはバロウズの悪事を明かして命を失い、ジェフは無事トラブルシューターの役目をはたして鉄道は完成、モリーの二兎を得る。
西部劇らしい西部劇で、スー族の襲撃もあればガンファイトもあって、恋に友情に悪漢との対決、さらには大陸横断鉄道のロマンもあって、インディアンの扱いなど気になる点もあるが、総じて楽しめる娯楽作品となっている。
第1回カンヌ映画祭パルム・ドールを受賞。列車転覆シーンなど、ミニチュアの特撮も見どころ。 (評価:2.5)

スミス都へ行く
日本公開:1941年10月9日
監督:フランク・キャプラ 製作:フランク・キャプラ 脚本:シドニー・バックマン 撮影:ジョセフ・ウォーカー 音楽:ディミトリ・ティオムキン
原題"Mr. Smith Goes to Washington"。
アメリカ西部の州の上院議員が急逝。急遽上院議員に指名された少年警備隊長スミス(ジェームス・スチュアート)がワシントンD.C.にやってくるという物語。
スミスが指名された理由は、政治には素人で無害だと州のボスたちに見なされたこと。リンカーンを尊敬する純朴な愛国者で田舎者のスミスを美人秘書(ジーン・アーサー)は最初のうちバカにしているが、故郷に全米少年のためのキャンプ場を建設したいという熱意にほだされて法案作成に協力する。ところが、その場所が同じ州選出の大物上院議員ペイン(クロード・レインズ)が州のボス(エドワード・アーノルド)と利権のために建設しようとしていたダム予定地だったことから、2つの法案が衝突。
ペインとボスの老獪な罠に嵌ったスミスは議員辞職に追い込まれるが、秘書の協力で孤軍奮闘、最後はペインが折れてボスの野望を阻む。
建国の理想を失った議会に活を入れるというのがテーマで、キャプラらしい正義感と軽快なストーリー運びが見もの。スミスの失神するまでのコミカルな23時間の議会演説が見どころとなっている。
興味深いのはアメリカではこのようなフィリバスターが許されていることで、描かれる上院の堕落とは別に民主主義の健全が保たれていること。もう一点は、当時の議会や新聞社での児童労働が描かれていることで、スミスが子供たちの人権のために議員となったという密かな意図が盛り込まれている。 (評価:2.5)

地獄への道
日本公開:1951年5月19日
監督:ヘンリー・キング 製作:ダリル・F・ザナック 脚本:ナナリー・ジョンソン 撮影:ジョージ・バーンズ 音楽:ルイス・シルヴァース
原題"Jesse James"で、主人公の名。南北戦争後のアメリカ中西部を舞台に、伝説的なアウトロー、ジェシー・ジェイムズの半生を基にした西部劇。
ジェシー(タイロン・パワー)がアウトローになったきっかけは、悪徳な鉄道会社の用地買収のトラブルで母親を殺されたためとして、以下、政治家や警察、司法と結託した鉄道会社に対する復讐劇という、民衆に支持される義賊的な扱いで描かれる。
史実を別とすれば、時代劇で悪代官を懲らしめる仕置人のようなアンチヒーローで、鉄道会社社長(ドナルド・ミーク)以下、権力側の者たちは徹底的に悪い奴として描かれる。
お尋ね者となったジェシーとその仲間たちは、民衆の喝采を受けながら列車強盗を繰り返す。
両者の中間に位置するのが、かわら版を発行するコブ少佐(ヘンリー・ハル)とその姪ジー(ナンシー・ケリー)、保安官(ランドルフ・スコット)で、ジェシーはジーと結婚して一児を設けるが、家にも帰らないただのアウトローとなる。ジェシーが改悛して一家でカリフォルニアで新生活を始めようとした矢先、懸賞金に目が眩んだ裏切り者に殺されてしまう。
疾走する列車の屋根を走り抜け、崖から馬ごと大河に飛び込むなど、アクションシーンは迫力満点。
ジェシーの兄フランクにヘンリー・フォンダと、見どころいっぱいの娯楽作になっている。 (評価:2.5)

嵐が丘
日本公開:1950年12月1日
監督:ウィリアム・ワイラー 製作:サミュエル・ゴールドウィン 脚本:ベン・ヘクト、チャールズ・マッカーサー 撮影:グレッグ・トーランド 音楽:アルフレッド・ニューマン
原題"Wuthering Heights"で、激しく風が吹く高所の意。劇中の主人公が住む屋敷の呼び名。エミリー・ブロンテの同名小説が原作。
イングランド北部の田舎が舞台。ウィリアム・ワイラーの前期の作品で、主人公のヒースクリフにローレンス・オリヴィエ、ヒロインのキャサリンをマール・オベロンが演じている。
嵐が丘を訪ねたロックウッドがキャサリンの幽霊を見て、それを聞いたヒースクリフが幽霊を追って屋敷を飛び出すというホラー映画的なプロローグから始まり、以下、家政婦のエレン(フローラ・ロブソン)が嵐が丘に纏わる悲劇をロックウッドに語るという構成で、語り終えた時に屋敷にやってきたケネス医師(ドナルド・クリスプ)が、シースクリフが岩の近くで死んでいるのを見たと話し、エレンがその岩がかつて愛し合っていた2人の密会の場所で、漸く一緒になれたのだと語るという悲恋の物語のエンディングになっている。
物語の骨子はキャサリンに裏切られたと感じたヒースクリフが、キャサリンとその兄のヒンドリー(ヒュー・ウイリアムズ)、キャサリンと結婚する隣家のエドガー(デヴィッド・ニーヴン)に対する復讐だが、長編の原作を悲恋の純愛物語にまとめたシナリオがよく出来ている。
もっとも原作を端折った部分が若干不自然で、ヒースクリフへの愛と裕福な生活との間で揺れ動くキャサリンが、エキセントリックなだけの女に見えてしまうのはマール・オベロンの演技力の問題か? エドガーがキャサリンに恋してしまうのも短兵急。
これがハリウッド本格デビューとなる、ローレンス・オリヴィエの愛とその復讐心に燃える冷徹な男の演技が見どころ。 (評価:2.5)

チップス先生さようなら
日本公開:不明
監督:サム・ウッド 製作:ヴィクター・サヴィル 脚本:R・C・シェリフ クローディン・ウェスト、エリック・マスクウィッツ 撮影:F・A・ヤング 音楽:リチャード・アディンセル
原題"Goodbye, Mr. Chips"で、邦題の意。ジェームズ・ヒルトンの同名小説が原作。
イングランドの架空のパブリックスクールが舞台。新任教諭のチッピング=チップス先生(ロバート・ドーナット)が生徒たちの悪戯の洗礼を受け、真面目一筋に生徒たちと格闘しながら教育に励む。独身を続けるが、休暇で知り合ったキャサリン(グリア・ガースン)と気が合い結婚。生徒たちに冗談もいえるようになるが、出産で妻子を亡くし、教え子たちを戦場に送り出しながらも教育者の心は曲げず、生徒や教員たちに慕われながら亡くなるまでを描く。
25歳から85歳までを演じるロバート・ドーナットの名演技が最大の見どころで、アカデミー主演男優賞を獲得している。
不器用だが真面目で素朴、愛妻を得て舎監から校長と人並みに出世を目指すも、校長と対立。退職後の戦時中に教員不足から代理校長として復職、戦死した教え子たちを追悼し、信念を貫きながら老成していく好人物を演じ切る。
新任の時に生徒を指導できない頼りなさがコミカルとはいえ不自然だが、体罰を基本的には否定しているところが先進的。やさしさと平和主義を貫く理想的な教育者像を描いている。
身寄りもなく人生を終えようとするチップス先生が周囲の哀れみに対して、教え子たちが私の子供だという、予定調和な台詞で締め括られるが、それを含めて心安らかな作品となっている。 (評価:2.5)

ベイジル・ラスボーン版 シャーロック・ホームズ バスカヴィル家の犬
日本公開:劇場未公開
監督:シドニー・ランフィールド 脚本:アーネスト・パスカル 撮影:ペヴァレル・マーレイ
原題は"Sherlock Holmes and the Hound of the Baskervilles"。ベイジル・ラスボーンはシャーロック・ホームズ役で人気となったトーキー初期のイギリス人俳優。ワーナー・ブラザース製作の14本の映画シリーズの第1話で、どちらかといえば映画史的に意味のある作品。ワトソン役はナイジェル・ブルース。日本未公開。
ラスボーンのホームズは気難しそうなイギリス紳士で、台詞も早口、動作もきびきびして、当時人気だったのも頷ける。見どころはラスボーンのキャラクター作りで、その後のホームズ像を確立している。
事件の舞台はイギリス南西部の泥炭地ダートムアで、魔犬伝承を利用した遺産を巡る殺人事件。80分の作品で、手際良くまとまっていてテンポもいい。もっともラストは余韻がなくて、まだ続きがありそうな感じのいきなりのend markにちょっと茫然とする。
辻馬車の走るベイカー通りや貴族の館、古代遺跡などのセットもモノクロ映像と相まって古色蒼然とした雰囲気が見どころ。出来としては可もなく不可もなく、正攻法で作ったオーソドックスな映画。 (評価:2.5)

製作国:アメリカ
日本公開:1940年4月
監督:ルーベン・マムーリアン 製作:ウィリアム・パールバーグ 脚本:サラ・Y・メイソン、ヴィクター・ヒアマン、ルイス・メルツァー、ダニエル・タラダッシュ 撮影:カール・フロイント 音楽:モリス・W・ストロフ、ヴィクター・ヤング
日本映画雑誌協会:8位
ボクサーとバイオリニストという組み合わせが終始違和感
原題"Golden Boy"で、将来性のある青年のこと。クリフォード・オデッツの同名戯曲が原作。
イタリア移民の青年がボクサーとバイオリニストの二兎を追うというサクセス・ストーリーで、この二兎の組み合わせが終始違和感を感じさせる。
青年(ウィリアム・ホールデン)は子供の頃からバイオリンを習っているが、路上ミュージシャンでは食えないからとボクシングでの金稼ぎを思い立つ。彼の入門するジムの社長(アドルフ・マンジュウ)が絵に描いた業突く張りで、おまけに若い美人の愛人(バーバラ・スタンウィック)がいて妻と離婚調整中。よせばいいのに青年は社長に食い物にされ、才能に目を付けたギャングのボス(ジョゼフ・キャレイア)がメジャーデビューを餌に割込む。
ボクシングに反対する父親(リー・J・コッブ)と、色仕掛けで慰留する社長の愛人を押し切って移籍し、見事マジソン・スクエア・ガーデンでの試合を制するが、相手を死なせてしまう。
そこでバイオリニストに戻る決心をし、社長の愛人も青年の恋人に転じてくれ、父親の祝福を受けてのハッピーエンド。
まず最初に違和感があるのが、路上ミュージシャンでは食えないからという青年のバイオリンの腕前で、吹替はプロが演奏しているのでもちろんプロ級。姉のピアノの腕も凄く、音楽家の道を進まない理由がわからない。
食えないからボクサーという繊細な腕から剛腕な腕への転身がどうにも無理があり、しかも潰れかけた業突く張り社長のジム入りに拘る理由もわからない。
愛人を含めて、設定のための設定、シナリオのためのシナリオで、青年が周りに利用されるだけの阿呆にしか見えないのが痛い。 (評価:2.5)

日本公開:1940年4月
監督:ルーベン・マムーリアン 製作:ウィリアム・パールバーグ 脚本:サラ・Y・メイソン、ヴィクター・ヒアマン、ルイス・メルツァー、ダニエル・タラダッシュ 撮影:カール・フロイント 音楽:モリス・W・ストロフ、ヴィクター・ヤング
日本映画雑誌協会:8位
原題"Golden Boy"で、将来性のある青年のこと。クリフォード・オデッツの同名戯曲が原作。
イタリア移民の青年がボクサーとバイオリニストの二兎を追うというサクセス・ストーリーで、この二兎の組み合わせが終始違和感を感じさせる。
青年(ウィリアム・ホールデン)は子供の頃からバイオリンを習っているが、路上ミュージシャンでは食えないからとボクシングでの金稼ぎを思い立つ。彼の入門するジムの社長(アドルフ・マンジュウ)が絵に描いた業突く張りで、おまけに若い美人の愛人(バーバラ・スタンウィック)がいて妻と離婚調整中。よせばいいのに青年は社長に食い物にされ、才能に目を付けたギャングのボス(ジョゼフ・キャレイア)がメジャーデビューを餌に割込む。
ボクシングに反対する父親(リー・J・コッブ)と、色仕掛けで慰留する社長の愛人を押し切って移籍し、見事マジソン・スクエア・ガーデンでの試合を制するが、相手を死なせてしまう。
そこでバイオリニストに戻る決心をし、社長の愛人も青年の恋人に転じてくれ、父親の祝福を受けてのハッピーエンド。
まず最初に違和感があるのが、路上ミュージシャンでは食えないからという青年のバイオリンの腕前で、吹替はプロが演奏しているのでもちろんプロ級。姉のピアノの腕も凄く、音楽家の道を進まない理由がわからない。
食えないからボクサーという繊細な腕から剛腕な腕への転身がどうにも無理があり、しかも潰れかけた業突く張り社長のジム入りに拘る理由もわからない。
愛人を含めて、設定のための設定、シナリオのためのシナリオで、青年が周りに利用されるだけの阿呆にしか見えないのが痛い。 (評価:2.5)

モホークの太鼓
日本公開:1949年9月20日
監督:ジョン・フォード 製作:ダリル・F・ザナック、レイモンド・グリフィス 原作:ウォルター・D・エドモンズ 脚本:ラマー・トロッティ、ソニア・レヴィン 撮影:バート・グレノン、レイ・レナハン
原題"Drums Along the Mohawk"で邦題の意。Mohawkはアメリカ西部開拓村にある川の名。
1770年代初め、新婚の男女がディアフィールド地方、モホークの谷にある開拓農場に移り住む。時はアメリカ独立戦争の時代で、王党派に率いられた先住民の襲撃を受け、夫婦は家を焼かれてしまう。開拓村は民兵を組織して王党派と戦うものの砦に追い詰められ・・・というところで、主人公が愛国派の援軍を頼み、勝利。アメリカ独立の朗報が入るまでを描く。
開拓村の民兵が出撃するときに鳴らすのがモホークの太鼓で、それがタイトルとなっているが、アメリカ映画である以上、独立派にとっての建国の歴史ということになる。
独立戦争に至った経緯は説明されず、先住民を扇動する隻眼のイギリス軍将校はいかにもな悪人面で、先住民がイギリス軍側に付いた理由の説明もなく、善良な開拓村を襲って放火する、ただの野蛮人としてしか描かれない。
主人公のトモダチで、愛国派につく"良いインディアン"もいて、20世紀のアメリカ西部劇の先住民収奪の正当化と似非ヒューマニズムの類型を本作でも見ることができる。
戦闘場面が描かれず、夫婦の愛情を主軸にした歴史ドラマ的な作りで、建国の苦労話を見せられているようで白けてしまうが、普通にインディアンとの戦いをノンポリティカルに見せられた方が、日本人としては楽しめたかもしれない。 (評価:2.5)

製作国:アメリカ
日本公開:1940年2月
監督:ハワード・ホークス 製作:ハワード・ホークス 脚本:ジュールス・ファースマン 撮影:ジョセフ・ウォーカー 音楽:モリス・W・ストロフ
日本映画雑誌協会:4位(映画旬報:3位)
命を賭けて飛行機を飛ばす男の美学? 愚かさ?
原題"Only Angels Have Wings"で、天使だけが翼を持つの意。ハワード・ホークスが目にした実話を基にした、南米で輸送用複葉機を飛ばすパイロットたちの物語。
補給のために入港した旅客船の女性船客ボニー(ジーン・アーサー)が町で航空貨物輸送会社を営むジェフ(ケーリー・グラント)に一目惚れ。船を降りて町に居座り、彼女が目にした飛行機に命を賭けたパイロットたちの男の生き様を描くという構成になっている。
時代が時代だけに、事故を起こして命を落とすのは腕が未熟だからの一言で片づけられ、始めは疑問を抱くボニーもそれを空の男たちのプロ根性と勘違いしていく様が近代の精神からは程遠い。
悪天候を押して飛行機を飛ばすことが勇敢だとか言われても、人命だけでなく飛行機までを墜落させては、中ブルとはいえ経済的損失ではないかという近代合理主義の打算が、男の生き様を否定してしまう。危険なニトログリセリンを運びながら、山越えを諦めてコンドル(これが邦題の由来か? それともパイロットをコンドルになぞらえているのか?)の巣に投下したのでは、積荷まで失って仕事を引き受けない方が良かったんじゃないかとか、ジェフの経営能力まで疑ってしまう。
ホークス自身、そんなことには無頓着で、命を賭けて飛行機を飛ばすことに男の美学を感じたとしか思えず、パイロットたちの愚かさに気づかないのが何ともいえず、その男たちに共鳴してしまう女も愚かで、これが男たちのアメリカ魂、アメリカン・ヒーローだといわれると、そうか『ハドソン川の奇跡』(2016)がもてはやされる国だからなと妙に納得してしまうが、そういえば『ハドソン川の奇跡』はキネ旬1位だったと不思議な気持ちになる。
複葉機の空撮シーンもあって、航空好きには見応えのある航空映画? (評価:2)

日本公開:1940年2月
監督:ハワード・ホークス 製作:ハワード・ホークス 脚本:ジュールス・ファースマン 撮影:ジョセフ・ウォーカー 音楽:モリス・W・ストロフ
日本映画雑誌協会:4位(映画旬報:3位)
原題"Only Angels Have Wings"で、天使だけが翼を持つの意。ハワード・ホークスが目にした実話を基にした、南米で輸送用複葉機を飛ばすパイロットたちの物語。
補給のために入港した旅客船の女性船客ボニー(ジーン・アーサー)が町で航空貨物輸送会社を営むジェフ(ケーリー・グラント)に一目惚れ。船を降りて町に居座り、彼女が目にした飛行機に命を賭けたパイロットたちの男の生き様を描くという構成になっている。
時代が時代だけに、事故を起こして命を落とすのは腕が未熟だからの一言で片づけられ、始めは疑問を抱くボニーもそれを空の男たちのプロ根性と勘違いしていく様が近代の精神からは程遠い。
悪天候を押して飛行機を飛ばすことが勇敢だとか言われても、人命だけでなく飛行機までを墜落させては、中ブルとはいえ経済的損失ではないかという近代合理主義の打算が、男の生き様を否定してしまう。危険なニトログリセリンを運びながら、山越えを諦めてコンドル(これが邦題の由来か? それともパイロットをコンドルになぞらえているのか?)の巣に投下したのでは、積荷まで失って仕事を引き受けない方が良かったんじゃないかとか、ジェフの経営能力まで疑ってしまう。
ホークス自身、そんなことには無頓着で、命を賭けて飛行機を飛ばすことに男の美学を感じたとしか思えず、パイロットたちの愚かさに気づかないのが何ともいえず、その男たちに共鳴してしまう女も愚かで、これが男たちのアメリカ魂、アメリカン・ヒーローだといわれると、そうか『ハドソン川の奇跡』(2016)がもてはやされる国だからなと妙に納得してしまうが、そういえば『ハドソン川の奇跡』はキネ旬1位だったと不思議な気持ちになる。
複葉機の空撮シーンもあって、航空好きには見応えのある航空映画? (評価:2)

オクラホマ・キッド
日本公開:1940年5月29日
監督:ロイド・ベーコン 原作:エドワード・E・パラモア・Jr、ウォーリー・クライン 脚本:エドワード・E・パラモア・Jr、ロバート・バックナー 撮影:ジェームズ・ウォン・ハウ 音楽:マックス・スタイナー
原題"The Oklahoma Kid"。で、登場人物の名。
1893年のオクラホマが舞台。クリーブランド大統領令によってチェロキー・インディアンの土地が解放され、タルサと名付けられた町の建設が始まる。
オクラホマ・キッドことジム(ジェームズ・キャグニー)は町の有力者キンケイド一家のはぐれ者だが、雀の涙の補償金でインディアンから土地を収奪する政府に歯向かい、駅馬車を襲って補償金を強奪する半グレの正義漢。
タルサでは賭場と酒場を経営するマッコード(ハンフリー・ボガート)が町を牛耳っていて、ジムの父ジョン(ヒュー・サザーン)が綱紀粛正を目指して町長選に立候補。マッコードの罠に嵌り、逆に殺人犯として保安官に捕らえられてしまう。
メキシコ人一家と暮らしていたジムは、それを知ってタルサにやってくるが、頼みの綱のハードウィック判事(ドナルド・クリスプ)の留守中に裁判が強行されてジョンは縛り首に。ジムのマッコード一派への復讐が始まり、悪者を一掃するという爽快な西部劇。
最後はジムのWANTEDが免罪され、判事の娘ジェーン(ローズメリー・レーン)と結ばれるというハッピーエンドが定型すぎてうんざりするが、制作年代を考えれば致し方ないか。
ハンフリー・ボガードが西部劇に出演しているというのが唯一の引きで、その悪役ぶりに惚れ惚れするが、見どころは迫力満点、馬による崖下りのシーンに尽きる。 (評価:2)

ベイジル・ラスボーン版 シャーロック・ホームズ シャーロック・ホームズの冒険
日本公開:劇場未公開
監督:アルフレッド・ワーカー 脚本:エドウィン・ブラム、ウィリアム・ドレイク 撮影:レオン・シャムロイ
原題は"The Adventures of Sherlock Holmes"。ベイジル・ラスボーンはシャーロック・ホームズ役で人気となったトーキー初期のイギリス人俳優。ワーナー・ブラザース製作の14本の映画シリーズの第2話。ワトソン役はナイジェル・ブルース。日本未公開。
ライバル・モリアーティがホームズを出し抜こうと頭脳戦を挑む話で、ロンドン塔の宝物庫に収められるエメラルドの強奪と、資産家一家の殺害事件が並行して描かれるオリジナルストーリー。
モリアーティのプライベートが描かれるのが見どころで、役に立たない部下をすぐ殺すなどマフィアのボスのイメージ。警官に化けて宝石を盗みにいくなど天才らしさが感じられないただの泥棒的な通俗ぶり。
ホームズと並んで辻馬車に乗って話をするシーンや、家の場所が明らかになっていてホームズとワトソンがモリアーティの屋敷に踏み込など、ミステリアスな教授を望む向きには不満が残る。
ホームズもアクション寄りで、正統といえば正統。ウィリアム・ジレットの戯曲『シャーロック・ホームズ』の映画化で、ラストシーンはいきなり最終回。 (評価:2)

ニノチカ
日本公開:1949年11月8日
監督:エルンスト・ルビッチ 製作:エルンスト・ルビッチ 脚本:ビリー・ワイルダー、チャールズ・ブラケット、ウォルター・ライシュ 撮影:ウィリアム・H・ダニエルズ 音楽:ウェルナー・リヒャルト・ハイマン
原題"Ninotchka"で、主人公の名。
ソ連の堅物の女性軍曹ニノチカ(グレタ・ガルボ)が、パリに滞在中にフランス貴族レオン・ダルグー伯爵(メルヴィン・ダグラス)と恋に落ち、共産主義の思想に反するブルジョア的堕落をする。伯爵の愛人で元ロシア大公妃(アイナ・クレア)は邪魔者のニノチカを策略に嵌めてソ連に追い返すが、伯爵の策略でニノチカをイスタンブールに呼び寄せ、めでたく亡命させるというハッピーエンドの反共プロパガンダ映画。
ロマンチック・コメディ仕立てでソ連の共産主義をおちょくるが、風刺というよりは低俗な嘲笑だけの批判精神に欠けた作品になっている。ニノチカ流にいえば、頽廃したブルジョア精神による反動的な作品なのだが、ニノチカ自身がこのブルジョア精神に染まってしまい、それでハッピーエンドとする。
ソ連や共産主義に対する評価とは別に、理想など人間の欲望の前には無力だとか、ソ連=ロシアの人々の貧困を嘲笑いバカにする制作者たちの下衆な悪意が本作の底流に流れていて、心から楽しめない。
それを救っているのがグレタ・ガルボの演技で、ニノチカを理想と女心の狭間に揺れる可愛らしい女に見せている。とりわけ、酔っぱらってトイレで共産主義をアジるというエピソードが笑える。 (評価:2)
