外国映画レビュー──1921年
日本公開:1924年10月17日
監督:レイ・C・スモールウッド 脚本:ジューン・メイシス 撮影:R・J・ベルグキスト
キネマ旬報:(芸術的に最も優れた映画)3位
原題"Camille"で、"La Dame aux Camélias "の英語での通称。アレクサンドル・デュマ・フィスの小説"La Dame aux Camélias "(椿のレディたち;邦題は椿姫)が原作のサイレント映画。
マルグリット(アラ・ナジモヴァ)は椿の花を胸に付けたレディ=高級娼婦で、真面目な法学生アルマン(ルドルフ・ヴァレンティノ)は観劇の帰り、友人ガストン(レックス・チェリーマン)に貴族の男たちを侍らせているマルグリットを紹介される。
マルグリットの美貌に目を奪われたアルマンは、彼女が病弱ながらも男たちを楽しませていることを知って同情。彼の思いやりに心を動かされたマルグリットは、レディをやめてアルマンとの生活に入る。ところがアルマンの妹の縁談の障害になっていることを知り、アルマンには黙ってパリの生活に戻る。
追いかけてきたアルマンに老貴族を愛していると嘘を言ってパリを去らせるが、体を壊したマルグリットは年の暮れ、アルマンに真意を告げる手紙を遺して息を引き取るという悲劇。
サイレントなので俳優たちが演技過剰だが、前半、パリ社交界の狂騒シーンでアラ・ナジモヴァがただの下品な娼婦にしか見えず、美青年のルドルフ・ヴァレンティノが心奪われるような女に見えないのが残念なところ。
貞女になってからのマルグリットと、アルマンに貰った『マノン・レスコー』の本を抱えて息を引き取るシーンが感動的で、アラ・ナジモヴァの演技が見どころとなっている。
アルマンの家を馬車で去るシーンの擦れ違いは、その後の映画でもよく使われる名シーン。 (評価:2.5)
悪太郎
日本公開:劇場未公開
監督:バスター・キートン、マル・セント・クレア 製作:ジョセフ・M・シェンク 脚本:バスター・キートン、マル・セント・クレア 撮影:エルジン・レスレー
原題"The Goat"で、悪ふざけの意か? キートンの初期の頃の27分の短編で、いくつかのエピソードを繋ぎ合わせたスラップスティックなサイレント。
金のないキートンがパンの配給の列に並んだつもりが、前に並んでいたのは洋品店のマネキンで、腹いせに蹴った蹄鉄が幸運を呼ぶ蹄鉄だったり、警官との追いかけっこや、囚人のポスターに写ってしまって脱獄囚と間違えられたり、困っていた娘を助けたら親父がギャングだったりといった流れ。
脈絡なくエピソードが続くのでよく見てないとギャグが分らなかったりし、それぞれが特に面白いわけでもないが、キートンのギャグのアイディアがいっぱい詰まっていて飽きることもない。キートンならではの命懸けのギャグがないのが物足りない。 (評価:2.5)
キッド
日本公開:1921年7月
監督:チャールズ・チャップリン 製作:チャールズ・チャップリン 脚本:チャールズ・チャップリン 撮影:ロリー・トザロー
原題"The Kid"で、その子供の意。チャップリンの初期のサイレント長編作品。
冒頭、"A Picture with a smile- and perhaps, a tear."の字幕と共に始まるが、涙と微笑みだけでコメディとしての笑いの要素はほとんどない。
未婚の女(エドナ・パーヴァイアンス)が手紙と共に赤ん坊を捨て、チャップリンがそれを拾って育てた5年後、ジョンと名付けられた少年(ジャッキー・クーガン)と2人で実の親子のように暮らしている。
その頃、女は女優として成功して屋敷住まい。慈善のために貧民街にやってきてジョンが熱を出して倒れたところに遭遇、チャップリンの家に連れて行く。やってきた医者は、少年が捨て子だったことを知って通報。ジョンは孤児院に収容されそうになるが、チャップリンの父性愛で奪還、木賃宿に逃れる。
一方、医者から手紙を見せられた女は我が子と知り、1000ドルの懸賞金で新聞広告を出す。それを読んだ木賃宿主がジョンを警察に連れて行き、女の下に帰る。
チャップリンは家に戻るがジョンは帰ってなく、失意のままドアの前で寝てしまい、ジョンと二人、町の者もみな天使になった幸せな夢を見る。警官に起こされて連行されるが、そこは女の豪邸。幸せそうなジョンと女に招かれてドアを入るところでエンドマークとなる。
プロローグより、如何に少年が母の下に帰るかの物語で、その予定調和な段取りを見せられても面白くない。
最悪なのはラストシーンで、捨てた子を裕福になったから引き取るではあまりに都合が良すぎ、少年も養父もやすやすとそれを許すという、世の中金がすべてという結論。これがハッピーエンドのヒューマンドラマでは、どこがメデタシメデタシなのかさっぱりわからない。
チャップリンの家の養子と分かっているのに、懸賞金を出して探すというのも変。感動話としての作為ばかり気になって、涙も微笑みも誘わない。
天使のシーンでワイヤーアクションが使われているのが見どころ。 (評価:2)