海月衛 映画帖
~映画の大海原をたゆたう~

日本映画レビュー──2019年

製作:吉本興業、TANAKA、バップ、アミューズメントメディア総合学院
公開:2020年7月31日
監督:大林宣彦 脚本:大林宣彦、内藤忠司、小中和哉 美術:竹内公一 撮影:三本木久城 音楽:山下康介
キネマ旬報:2位

映画愛に溢れた大林宣彦の映画人生の終活ノート
 尾道に最後に残った映画館・瀬戸内キネマが、オールナイト上映「日本の戦争映画大特集」をもって閉館されることになり、この上映の様子を描くという、日本映画界の黄昏と大林宣彦の終幕を重ね合わせたような作品。
 実際、大林にとっての映画とは、シネコンではなく身近な生活の臭いの中にあるもので、瀬戸内キネマに集う人々の描写、それは平成でも令和でもなく、昭和の映画館といって良い。
 上映される映画も大林個人にとっての映画史であり、オープニング・クレジット、インターミッション、エンド・クレジットという懐かしいフォーマットを踏襲し、それでいて大林が長年追究してきた色彩処理から合成といった様々な映像表現による、虚構による真実へのアプローチを試みて、『ハウス』(1977)に還ったような印象を受ける。
 フィルム映写機、可燃性フィルムといった映画技術、サイレント、トーキー、カラー、ハリウッドミュージカルの映画の発展、小津安二郎、山中貞雄ら戦中戦後の日本の映画史、大林の映画との出会い、とあらゆるものが詰め込まれ、まさしくキネマの玉手箱なのだが、最後には大林の映画論に収束しているのが見事。
 大林の映画監督としての幕引きを瀬戸内キネマの閉館に重ねながら、日本の映画界、映画ファンへの思いを語る、大林の遺言になっている。
 そこで語られるのは、スクリーンの内と外、スクリーンを媒介にした制作者と観客の一体化であり、映画とは両者の共同作業だとする。故に、客席にいる3人の若者(厚木拓郎、細山田隆人、細田善彦)が映画の中に入り込み、幕末から原爆投下に至る、様々な戦争を経験していくことになる。
 その中で、映画のタイムマシンに乗って過去から未来へと時代を駆ける少女として希望の子である希子(吉田玲)が登場するが、彼女はさまざまな戦争の犠牲者であり、住友銀行広島支店の石段に遺された原爆の影であり、3人の若者が守るべき平和の象徴となる。
 未来の平和と自由のために戦った者は誰なのか、権力を得るために戦争で人々を苦しめたのは誰なのか、敵ではなく仲間を殺したのは誰なのか…大林は様々に問いかけながら、戦争には映画のようなハッピーエンドはない、戦争を体験していない人々は戦争映画の先にある未来にハッピーエンドを作らなければならないと訴える。それこそが、スクリーンの内と外にいる者たちが共同して作らなければならない映画なのだと。
 大林らしい、いささかセンチメントな作品になっているが、大林の映画人生のメッセージとなっていて、大林の映画愛が玉手箱に溢れている。合掌。 (評価:3)

典座 TENZO

no image
製作:全国曹洞宗青年会
公開:2019年10月4日
監督:富田克也 脚本:相澤虎之助、富田克也 撮影:スタジオ石

ドキュメンタリーでもフィクションでもないリアル
 東日本大震災を経て、仏教の意味を探求するドキュメンタリーとフィクションを融合させた作品。
 山梨県耕雲院の住職・河口智賢を中心に永平寺での修行、精進料理教室、尼僧・青山俊董との問答、東日本大震災で全壊した福島の寺の住職のエピソードが語られるが、とりわけ俊董との問答、被災した寺の話が印象に残る。
 典座は禅宗寺院の食事係のことで、食=命であることから重要な役職とされ、甘酸辛淡苦塩の六味で章構成される。
 智賢の子供が食物アレルギーで食の大切さを精進料理を通して語るが、モンゴル仏教では牛の肉を食べ、動物にしろ植物にしろ命を頂くという殺生の思想が大事だと説く俊董の話が面白い。
 また智賢が寺の長男として引き継ぐことに悩んだ経験に対し、江戸期の檀家制度と維新後の僧侶妻帯による世襲が日本の仏教を堕落させたという俊董の指摘が面白い。
 本作最大の眼目は、東日本大震災によって多数の寺院が被害を受けたということに気づかせる点にあり、智賢の兄弟子・倉島隆行が墓石の倒れた墓地の隣で瓦礫撤去の土木作業に当たる姿が痛々しい。
 寺が全壊し檀家は散り散りとなった中で住職の仕事を失い土方となるが、俊董の語る日本仏教を堕落させた2つのもの、檀家制度と寺の世襲の両方を震災は破壊したわけで、隆行が仏教の原点に立つ姿が瓦礫撤去の土方に重なる。
 震災後に様々な人間の絆を巡るセンチメントが語られる中で、命とは何か? 命を紡ぐとはどういうことか? という問いかけが、宗教映画の枠を超えて訴えかける。
 隆行は実際には三重県四天王寺の住職で、作中の設定はフィクションだが、震災の被害を受けた多くの寺院の象徴であり、リアリティを超えたリアルな存在として伝わってくる。
 スタッフ、キャストを併せ、ドキュメンタリーでもフィクションでもない、リアルを伝える映画としての試みに成功している。 (評価:3)

製作:キノフィルムズ
公開:2019年2月15日
監督:阪本順治 脚本:阪本順治 撮影:儀間眞悟 美術:原田満生 音楽:安川午朗
キネマ旬報:2位

小さな世界に生きる不器用な父と子の物語
 伊勢の炭焼職人を主人公に、世間の目の届かない世界=半世界を描く。
 タイトルの半世界は、日中戦争に従軍した写真家・小石清が中国の片隅を撮影した作品集から採られたもの。劇中、海外派兵から戻った元自衛隊員・瑛介(長谷川博己)が、主人公の紘(稲垣吾郎)に「おまえらは世間しか知らない、世界を知らない」と非難する。物語の終盤、紘は瑛介に自分には小さな世界=半世界があると答える。
 物語は瑛介が故郷に帰るところから始まり、部下を死なせたことから一人で家に引き籠る。親友だった紘が瑛介の心を開こうとする中で、紘が父を乗り越えるために家業を継いだこと、それがもとで息子・明(杉田雷麟)が苛められていること、そして家庭内に目を向けて来なかった自分に気づかされる。息子との仲を恢復しようと奮闘する最中、急死してしまうが、瑛介から紘の話を聞いた明は、炭焼職人を引き継ぐことを決意する。
 半世界を巡る父と子の物語で、炭焼職人の世界、紘の家族、瑛介との友情、町の人々との交流を絡めた、良くできたシナリオになっている。
 良き父になれない不器用な夫を支える妻を池脇千鶴が好演。もう一人の親友(渋川清彦)の父を演じる石橋蓮司のヘタレ親父ぶりがいい。 (評価:2.5)

製作:ギャガ、カルチュア・エンタテインメント、マッチポイント
公開:2019年5月31日
監督:塩田明彦 製作:依田巽、中西一雄、定井勇二 脚本:塩田明彦 撮影:四宮秀俊 美術:竹内公一 音楽:きだしゅんすけ
キネマ旬報:6位

薄っぺらいハッピーエンドの印象を残したのが残念
 インディーズのフォーク・デュオ、ハルレオとマネージャーの3人が、解散を前にした最後の全国ツアーをする様子を描くロードムービー。
 解散を隠してのツアーで、ハル(門脇麦)とレオ(小松菜奈)の出会い、マネージャーとなるシマ(成田凌)との出会いを回想しながら、解散の理由を描いていく。
 簡潔にいえばハルがレズビアンで、レオを見染めてデュオを組み、ハルの音楽性を認めたシマがマネージャーとなるが、ハルは初対面でレオがシマに惹かれたことを見抜き、ユニット内恋愛禁止を宣言する。
 しかしシマは内省的な曲を作るハルに惹かれていて、ハル→レオ→シマ→ハルという円環の中でハルとレオの軋轢が高まり不仲となる。
 そこには何のために音楽をやるのかという究極のテーマと共に、それだけでは保てない人間関係があって、生=音楽だからこその矛盾を露呈する。シマが「音楽をやると人生を失う」という友人の言葉を引用し、「それでも俺は音楽をやる」と宣言するが、それが二人を動かすラストシーンに結び付く。
 もっともこのハッピーエンドは、それじゃ今までの葛藤はいったい何だったんだという、門脇麦の演技が良かっただけに、薄っぺらい印象を残してしまったのが残念。
 門脇麦と小松菜奈が実際に歌うオリジナル曲と二人の歌唱も良く、インディーズぽさを出している。 (評価:2.5)

東京干潟

製作:TOKYO HIGATA PROJECT
公開:2019年7月13日
監督:村上浩康 撮影:村上浩康

捨て猫と生きる孤老の考えに今一歩迫れていない
 多摩川河口でシジミを獲って暮らすホームレスの老人を追ったドキュメンタリー。
 老人は獲ったシジミを仲買業者に売って生計を立て、捨て猫たちの世話をして暮らす。老人が盛んに言葉にする「だって誰だって生きる権利があるんだもの」は猫だけでなく自ら、そして同じホームレスたちにも向けられていて、老人らもまた社会に遺棄された存在であることを意味する。
 同類として老人が捨て猫たちに心を寄せていく姿が切なくもあり温かくもある。老人以外にもシジミを獲るホームレスがいて、その生活が興味深い。
 老人と親しくなった村上は老人の人生について聞きだすが、福岡の炭鉱町に生まれ、父を頼って沖縄でMPとなり、大阪で建設の鳶職に就き所帯を持つものの妻が早逝。以降、竹中工務店の仕事で様々な大型工事に従事。孫請けの会社を設立してバブルの頃には潤うものの事故で片眼を失明し、ホームレスとなっていく軌跡が断片的に語られる。
 社会の片隅で懸命に生きてきた隣人が、何かをきっかけにドロップアウトし、棄民されていく姿がリアリティを持って迫ってくるが、河川敷の不法占拠者となった彼らは、橋梁工事の浚渫でシジミの漁場を奪われようが、一般人や船橋の漁師に乱獲されようが文句を言えず、さらに社会の片隅に追いやられてしまう。
 ラストはそれを象徴するように、台風で増水した川の水が彼らのテントを脅かすシーンで終わる。
 棄老・棄民を描く良く出来たドキュメンタリーだが、老人が社会のセーフティネットを求めていないようにも見え、彼の考えに今一歩迫ることができていないのが食い足りない。 (評価:2.5)

さよならテレビ

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製作:東海テレビ放送
公開:2020年1月2日
監督:土方宏史 撮影:中根芳樹 音楽:和田貴史

ドキュメンタリーと報道の欺瞞性を示しながらも矮小に終わる
 内部の東海テレビ報道部を取材対象にしてテレビ報道の現状を追うドキュメンタリー。
 見学に来た小学生らに対し、事実報道、弱者救済、権力監視の3つをテレビ局の使命と説明する広報の映像を再三流し、同時のこの3つに焦点を当てて報道部の内部矛盾を描く手法を取る。
 それぞれ、放送事故を起こしたニュースキャスターのアナウンサー、過重残業への対処から採用されたアイドルオタクの契約記者、共謀罪の問題点を追うベテラン契約記者の3人に焦点を当てることで、3つの問題を擬人化する。
 もっともこの手法そのものがドキュメンタリーに作為的な演出を持ち込むことで、ドキュメンタリーの最後に3人に絞って取材をするという企画会議の映像、さらには編集作業でドキュメンタリー効果を狙う様子が挿入され、ドキュメンタリーそのものが作為によって成り立つ演出作品であることを観客に示して終わる。
 衝撃的なのは途中、1年で契約を切られたアイドルオタクの契約記者が生活に困って金を借りるシーンで、相手の顔は写さないが、それが薄々土方なのではないかと思っていると、最後にそれを明かしてしまうこと。
 契約記者はその後、テレビ大阪で仕事を見つけることになるが、取材を継続するために金を渡すという、『ホームレス理事長』(2013)で土方が拘ったドキュメンタリーの禁則を犯す。
 もっとも契約記者に金を貸すというシーンそのものが、作為的な演出だったのではないかという疑いもあって、本作そのものがドキュメンタリーないしは報道の欺瞞性を示しているのかもしれない。
 対するベテラン契約記者の頑なともいえる原理主義的ジャーナリスト精神が、堕落したテレビ局社員のブルジョア性を対照させるが、そうしたものを包含する日本社会の精神の衰退を感じさせるとともに、本作が所詮その矮小性の中で反抗しているだけの中二病的作品に思えてしまうのが虚しく、ベテラン契約記者同様の無力感となって残る。 (評価:2.5)

製作:『喜劇 愛妻物語』製作委員会
公開:2020年9月11日
監督:足立紳 製作:川城和実、潮田一、宮前泰志、古迫智典 脚本:足立紳 撮影:猪本雅三 美術:平井淳郎 音楽:海田庄吾
キネマ旬報:8位

三文脚本家には再スタートで終わるシナリオは書けなかった?
 足立紳の自伝的小説『乳房に蚊』が原作。
 脚本家として将来を期待された豪太(濱田岳)が、大学の映研で出会ったチカ(水川あさみ)と結婚。しかし芽が出ず、今や年収50万円の売れないシナリオライターという、よくある話。子供・アキ(新津ちせ)も産まれたが、結婚10年にして仕事もダメ、家庭人としてもダメのダメダメおやじを極める。
 時間を持て余し、家で燻る男の考えることといったらセックスのことばかり。妻には相手にされずに2ヶ月セックスレス。金もないので風俗にも行けず、仕事部屋でヴァーチャル・リアリティのエロ動画で興奮するか、アキを遊ばせる公園の若いお母さんを見て妄想するだけ。これじゃ仕事も上手くいくわけもなく、妻に呆れられるのも納得というクズ男。
 プロデューサから讃岐うどんを高速で打つ女子高生・ななみ(河合優実)を映画にするシナリオを書いて欲しいと依頼が来て、チカを頼み落として四国へ取材を兼ねて家族旅行するという珍道中ロードムービー。
 いつも怒っているように不機嫌で、夫を散々こき下ろしてストレス発散する、毒舌妻を水川あさみが好演。悪妻のように見えて実は良妻、というのが伝わってくる演技がいい。
 高速うどん打ち女子高生の企画は他社に先を越されチカの不機嫌は増幅するが、友達(夏帆)のとりなしで夫婦仲が戻り、妻とのセックスに成功。大団円と思いきや映画化が決まっていた企画がぽしゃり、ついにチカがプッツンして離婚宣言。
 妻兼母親がわりのチカが一緒にいると、豪太は甘えるばかりで独り立ちできない。親子3人ともに不幸になるから、別れてやり直した方が良いというのは説得力のある結論で、それぞれの再スタートで終わるのかと思いきや、3人抱き合いながら号泣し、雨降って地固まるの譬え通りに夫婦の関係が戻るという、予定調和なハッピーエンドが拍子抜け。
 どうやら三文シナリオライターには、再スタートで終わるシナリオは書けなかったらしい。
 家族旅行を通して夫婦の絆が深まったという定番よりは、家の大黒柱である父権的な妻が、我が子を千尋の谷に落とす獅子のように、夫に試練を与えるラストの方が、夫婦愛のドラマとしては深かったか。
 水川あさみの当意即妙な毒舌トークが、気持ち良いくらいに決まるアダルトなコメディ。頭の中はいつもピンク色というダメ男を演じる濱田岳と、不仲な両親の狭間で不安に揺れる娘を演じる新津ちせの好演も見逃せない。 (評価:2.5)

製作:『宮本から君へ』フィルムパートナーズ
公開:2019年9月27日
監督:真利子哲也 脚本:真利子哲也、港岳彦 撮影:四宮秀俊 音楽:池永正二
キネマ旬報:3位

キンタマを潰された後は気絶して欲しかった
 新井英樹の同名漫画が原作で、原作の後半部分を描いた作品。
 恋人・靖子(蒼井優)のレイプ事件をきっかけに、善良な凡人・宮本(池松壮亮)が、レイプ犯に復讐を成し遂げるという物語で、最後は復讐でも恋人のためでもなく、自己を改革するための戦いだったと締め括られる。
 長い話を2時間10分に纏めるため、復讐を成し遂げたところから始まり、靖子との結婚をそれぞれの両親に報告する過程を通して、過去の出来事をフラッシュバックするという構成をとっていて、時制を区別するアイコンとして腕のギプスを使ってわかりやすくしている。
 それでも宮本のバックボーンや人となり、恋人との関係性については説明不足で、観客の想像に委ねている。
 宮本は、世の中でその他大勢に甘んじている男、とりわけ狼になれずに羊のように暮らしている若者たちの等身大のアバターで、靖子の元カレ(井浦新)に対抗するために、彼女を守ると虚勢を張ったことがきっかけで、彼女を守るための戦いに自らを追い込んでしまう。
 『ディストラクション・ベイビーズ』(2016)で、人間に内在する暴力性を描いた真利子は、本作では弱者が強者に立ち向かう暴力をテーマに、激しいバイオレンス描写を見せる。
 それは登場人物が過剰に大声を張り上げるという声の暴力演出にも現れているが、少々騒々しくて、とりわけ蒼井優は顔を歪めて頑張ってはいるのだが、不自然すぎて演技が追いついていない。
 レイプ犯である、宮本の取引先の部長(ピエール瀧)の息子(一ノ瀬ワタル)のふてぶてしさがいいが、キンタマを潰された後は気絶するぐらいの演技が欲しかった。
 弱者が強者に復讐を成し遂げる話は気持ちがいいが、それがファンタジーでしかないというのが見終わって虚しい。 (評価:2.5)

製作:映画「蜜蜂と遠雷」製作委員会
公開:2019年10月4日
監督:石川慶 製作:市川南 脚本:石川慶 美術:我妻弘之 撮影:ピオトル・ニエミイスキ 音楽:篠田大介
キネマ旬報:5位
毎日映画コンクール大賞

音楽論のようでいて中身は少女漫画的通俗ドラマ
 恩田陸の同名小説が原作。
 ピアニストへの登竜門である国内ピアノコンクールを舞台に、4人の出場者を巡るドラマ。
 主人公は幼くして天才少女といわれながら挫折、コンクールに復活をかける20歳の亜夜(松岡茉優)で、予選から本選へと進む過程で他の3人の出場者に触発され、過去を克服して成長する姿を描く。
 他の3人は、これがコンクールへの最後の挑戦と覚悟する28歳の高島(松坂桃李)、亜夜の幼馴染でジュリアード音楽院在籍のマサル(森崎ウィン)、高名な音楽家に見出された非エリートの野性的で型破りな少年・風間(鈴鹿央士)。
 妻子持ちで楽器店に勤める音大出の高島は、生活者の音楽がポリシー、風間は内なる音楽を奔出させる。
 マサルによってピアノを弾くことの喜び、世界が音に包まれていることを思い出した亜夜は、コンクールの成否を超えて演奏をするというラスト。
 一度はコンサートピアニストを目指す数多の神童たちが越えることのできない一線を描き、音楽とは何か、芸術とは何かという高尚なテーマに挑むが、設定とストーリーは少女漫画的で、わかりやすい通俗ドラマになっているのが何ともいえない。
 本選指揮者の鹿賀丈史と審査委員長の斉藤由貴がステレオタイプの漫画キャラで、少女漫画的通俗ドラマを引き立てるが、意地悪爺と好々爺の両極を演じる鹿賀丈史の演技が過剰気味。
 プロローグの雨や馬の高速度撮影などリリカルな映像と、時にコミカルな演出がどうにもバランスを欠いていて居心地が悪い。
 タイトルの蜜蜂は養蜂家の子供だった風間が蜜蜂王子と呼ばれたことから。 (評価:2.5)

製作:「旅のおわり世界のはじまり」製作委員会(キングレコード、ローデッド・フィルムズ、東京テアトル、朝日新聞社、TBSラジオ、博報堂、UZBEKKINO)
公開:2019年6月14日
監督:黒沢清 脚本:黒沢清 撮影:芦澤明子 美術:安宅紀史 音楽:林祐介
キネマ旬報:10位

マエアツPVはともかくウズベキスタン観光映画としては成功
 日本・ウズベキスタン国交樹立25周年、ナヴォイ劇場完成70周年記念国際共同製作作品ということで、一言で言えばウズベキスタン紹介の観光映画。さらにいえば主演の前田敦子のプロモーションビデオになっていて、見どころはこの2点に尽きる。
 黒沢清はよほど前田敦子がお気に入りなのか、『Seventh Code』(2014)同様に前田敦子が出突っ張りで、途中2回も長々と「愛の讃歌」を歌うが、前作で22歳だったマエアツも結婚して27歳。こんなPVみたいな映画を撮ってていいのかという気になる。
 ナヴォイ劇場については劇中説明があって、シベリア抑留の日本人捕虜が内装などの工事の仕上げに参加している。
 マエアツの役どころも旅番組のレポーターというこれまた観光映画に相応しい安直な設定。ミュージカル俳優になるのが夢だったがレポーターの仕事から抜け出せずにいて、夢を失いかけているという良くあるパターン。
 そんな彼女がタシケントで心も体も迷子になり、旅先のウズベキスタンの人々の温かい心で夢に向かって一歩を踏み出すというのがタイトルで、テーマは日本とウズベキスタンの友好というお話。本作がきっかけでマエアツがウズベキスタン観光大使に就任した。
 観光映画でマエアツPVという観点からは、シナリオの不自然さも共演の染谷将太、柄本時生、加瀬亮の出番の少なさも気にならない。むしろタシケントのバザールに行ってみたいとか、アイダール湖や雪山を背景に抱く草原の美しい自然を眺めてみたいという気にさせ、PVはともかく観光映画としては成功している。 (評価:2.5)

ダンスウィズミー

製作:「ダンスウィズミー」製作委員会
公開:2019年8月16日
監督:矢口史靖 脚本:矢口史靖 撮影:谷口和寛 美術:磯田典宏 音楽:GENTLE FOREST JAZZ BAND、野村卓史

唐突に歌い出すミュージカルへのパロディ
 小学生の時に学芸会でミュージカルの主役に選ばれ失敗したのがトラウマのOL静香(三吉彩花)が、インチキ催眠術師・マーチン上田(宝田明)の催眠術にかかってしまい、音楽が流れると踊らずにはいられなくなってしまう。
 会議のプレゼン中に踊り出し、デートをしても踊り出し、解決策はマーチンに催眠術を解いてもらうしかないと、中盤からは新潟・秋田・北海道と公演先を追いかけるロードムービーとなる。
 静香に同行するのがマーチンの元助手・千絵(やしろ優)、興信所調査員の義雄(ムロツヨシ)、ストリート・ミュージシャンの洋子(chay)で、歌と踊りの楽しいミュージカルを展開する。
 冒頭、静香が「劇の途中で唐突に歌い出すミュージカルなんて変!」と、ミュージカル嫌いによくある見解を披露。それを音楽が鳴り出すと突然ミュージカルスターの暗示にかかってしまうという設定でクリアする、ミュージカルへのパロディに転化したところが本作のアイディア。矢口史靖らしい楽しいコメディになっている。
 ではミュージカルとしての出来はどうかというと、前半のオフィスやレストランでの踊りは華やかな仕掛けでよくできているが、ロードムービーになってからが失速。ドサ回りのようにショボい。
 次第にパワーダウンしていく様子を見ていると、歌・踊り共に才能ある俳優を多数抱えるアメリカに比べ、日本のミュージカルの層の薄さが目に付く。それでも主演の三吉彩花が頑張っていて、ロブ・マーシャルやボブ・フォッシーには敵わないものの矢口史靖も慣れないミュージカル演出に頑張っている。
 それでも群舞ができないこと、ミュージカルの看板となるナンバーがないことなど、日本のミュージカルが抱える音楽性の弱さを表す作品になっている。 (評価:2.5)

ラストレター

製作:「ラストレター」製作委員会
公開:2020年1月17日
監督:岩井俊二 製作:市川南 脚本:岩井俊二 美術:都築雄二、倉本愛子 撮影:神戸千木 音楽:小林武史

岩井が少女幻想を卒業したことに一抹の寂しさ
 岩井俊二の小説『ラストレター』が原作。
 死んだ恋人への想いを文通によって語るという、『Love Letter』(1995)と同じ構造の作品で、ならば25年を経て、岩井俊二が前作について何らかの回答を用意して、本作を作ったことになる。
 物語構造のほかに両作に共通するのは、中山美穂と豊川悦司のカップルが登場していることで、二人が前作を引き継いでいなければキャスティングの意味がない。
 二人は前作の博子と秋葉に相当していて、死んだ樹は博子の婚約者であり秋葉の友人。二人は成り行きからおそらく結婚することになる。本作の阿藤(豊川悦司)とサカエ(中山美穂)は成り行きから同棲していて、手紙によって描かれる乙坂(福山雅治)の未咲(広瀬すず)への清らかな初恋からは、遥かに遠い対極にある。
 これは前作の男・樹の女・樹への初恋に対する博子・秋葉のなりゆきの関係の未来を暗示していて、簡単にいえば初恋は幻想、男女の関係は理想の愛とはかけ離れた現実的なもの、ということになる。
 岩井はこれを乙坂への問い掛けとして、「お前が結婚すれば未咲を幸せにできたか?」と阿藤に言わせている。
 未咲が娘・鮎美(広瀬すずの二役)に宛てたラストレターも、未来は無限の可能性といいながら夢を叶える者もいればかなえられない者もいるという寂しいもので、人生は思い通りにはいかない哀しいもの、それが生きていく現実だというのが、『Love Letter』への岩井の回答ということになる。
 少女への憧憬とファンタジーを描き続けた岩井が、それを幻想と否定したわけで、ようやく気づいたのかと思うと同時に、岩井が幻想を卒業したことに一抹の寂しさを覚える。
 広瀬すずにしても、未咲の妹・裕里と鮎美の従妹の二役の森七菜にしても、従来の岩井のウェヌスにはなり得ていない。
 乙坂と未咲の関係が物語の主軸なのだが、大人の裕里を演じる松たか子、豊川悦司の演技力と岩井の少女趣味的センチメントが勝って、主人公が誰だかよくわからないところがあり、散漫な印象。
 最後に再出発を誓うのは乙坂と母の意を汲んだ鮎美で、おそらくこの二人が主人公なのだろう。 (評価:2.5)

蟹の惑星

製作:TOKYO HIGATA PROJECT
公開:2019年7月13日
監督:村上浩康 撮影:村上浩康 音楽:田中舘靖子

身近に別の惑星があることに気づかせてくれる
 市井の蟹の研究家、吉田唯義を追ったドキュメンタリー。
 会社を定年退職した吉田は、人に勧められて多摩川河口にある干潟に住む蟹の研究を始め、15年になる。部品の検査係をしていたというだけあって、その研究ぶりは几帳面で緻密。家にはワープロ書きの研究データをまとめた資料や論文がファイルに収められていて、脱皮した蟹の殻や巣穴の石膏取りなど、標本も分類して箱に収められている。
 定期的に多摩川の干潟を訪れ、村上浩康に知られざる蟹の生態について解説していく様子が科学映画のようで面白いが、蟹を接写レンズで写した映像そのものは村上が撮影していて、この映像がとりわけ素晴らしい。おそらくは吉田の指導の賜物なのだが、村上が吉田に劣らず根気よく撮影したことが窺える。
 好奇心さえあれば身近に別の惑星があることに気づかせてくれると同時に、環境マニアや宮崎駿が取り上げる以外の自然を人間がどれほど知らないかも教えてくれる。
 10年前に比べて蟹の数が半減している原因が、地盤沈下と3.11の津波の影響ではないかという吉田の説が興味深いが、地盤沈下についての説明がないのが残念。
 蟹の鰓呼吸の仕組みや交尾の様子が面白い。 (評価:2.5)

ミセス・ノイズィ

製作:ヒコーキ・フィルムズ インターナショナル、メディアプルポ
公開:2020年12月4日
監督:天野千尋 製作:井出清美、植村泰之 脚本:天野千尋、松枝佳紀 撮影:田中一成 音楽:田中庸介、熊谷太輔

出来たコメディだが安っぽいカタルシスしか残らないのが残念
 新人賞で華々しくデビューを果たした後、鳴かず飛ばずの女性小説家・真紀(篠原ゆき子)が主人公。自己中心的な上に鬱屈が積み重なって、ミュージシャンの夫(長尾卓磨)にも幼い娘(新津ちせ)にも攻撃的。転居したマンションの隣人・美和子(大高洋子)とトラブルを引き起こすが、それをネタにして書いた小説が若者受けしてヒット。従弟が二人の喧嘩の様子を動画に撮ってネットで公開したことが、宣伝プロモーションとなって相乗効果を上げるという当世風なストーリー。
 第1パートは真紀の主観視点、第2パートは隣人・美和子の主観視点で描かれ、一つの事象を立場を変えた二つの面から見るという二層構造で、同じ事象も見方を変えれば全く違った世界が見えてくるという、ネット社会の二面性がテーマになっている。
 トラブルの発端は隣人・美和子の布団叩きの騒音で、第2パートで心を病む夫・茂夫さん(宮崎太一)のためという隠された理由が明かされるが、二人の激しい応酬が繰り広げられることになる。これに、美和子から見れば育児放棄に見える真紀の娘を巡るトラブルが加わり、ネット社会を巻き込んだ公開リンチへと発展する。
 第3パートはそれに続く展開を客観視点で語り、一方的に変人・悪者扱いされてネットに晒された美和子が、後半では攻守ところを替え、真紀が悪者となって炎上するというのが今日的。
 小説家として復活するためにネットで仕掛けた真紀がネット社会に振り回されることになるが、終始冷静なのは昔堅気のアナログな倫理観や価値観に生きる美和子と茂夫さん。
 思い込みや一方的な主張で相互理解を求めない真紀やネット社会、規格外というだけで曲った胡瓜を廃棄する経済社会に対して、おかしいのは自分たちではなく世の中の方だと語り合う場面が、本作の中心的なテーマとなっている。
 終盤マスコミの好奇の目に晒される真紀の娘を美和子が助け出し、世の中が変わろうとも決して変わらない真理を示して、真紀が初めて美和子と相互理解することができるというラストとなるが、この辺りで最後のオチが読めてしまい、実際その通りになってしまうのが類型的。
 感動的なハッピーエンドだが、それまで語ってきた歪んだ現代社会というテーマが雲散霧消してしまい、結果オーライの安っぽいカタルシスしか残らないのが残念。
 よく出来たコメディで、おばさんキャラクターとして強烈な印象を残す隣人・美和子を演じる大高洋子が楽しい。 (評価:2.5)

初恋

製作:東映、Akatsuki、朝日新聞社、東映ビデオ、OLM
公開:2020年2月28日
監督:三池崇史 脚本:中村雅 撮影:北信康 美術:清水剛 音楽:遠藤浩二

バイオレンスにコメディに恋愛と三兎追った結果が中途半端
 プロボクサーの青年(窪田正孝)がラッキーパンチを喰らってダウン。ところがダウンの原因は脳腫瘍と医者(滝藤賢一)に診断され、絶望して歩いているところに中年男(大森南朋)に追いかけられている少女(小西桜子)に遭遇。男を殴ったところがこれが刑事で、手帳を奪って少女と逃走。
 少女は父親に性的虐待を受けた上に、借金のカタに暴力団に売られ、シャブ中にされ売春させられていて、麻薬取引に利用されたというもの。利用したのがチンピラ(染谷将太)と悪徳刑事で、中華マフィアとの取引麻薬を少女を使って持ち逃げしようとして失敗。
 暴力団と中華マフィアの両方に追われることになるが、巻き込まれた少女とボクサー青年との間に恋が芽生え、暴力団と中華マフィアが殺し合う中を生き延び、二人仲良く同棲するというハッピーエンド。
 設定は一昔前のヤクザ映画のようで陳腐だが、シリアスタッチで見せながらも不条理コメディになっていて、悪徳刑事らの計画が失敗する段になって定型的ヤクザ映画の設定もスラップスティックな仕掛けだということがわかる。
 逆ギレするチンピラ2(三浦貴大)の女(ベッキー)、エイサー踊りの幻覚、首が飛んだりの残虐描写等々、ブラックなバイオレンスコメディが面白いが、シリアスとの狭間で完全にコメディに振り切れていないのが中途半端な印象を残す。
 父親に性的虐待を受けたシャブ中、売春の家畜人のような少女が、アイドル顔の上に演技が下手で役柄通りに見えないのも中途半端なキャスティング。
 少女と青年が恋に落ちる過程も描けてなく、バイオレンスにコメディに恋愛と三兎追った結果が中途半端。一件落着後のラブストーリーが蛇足で、深作欣二『バトル・ロワイアル 』(2000)のようなラストの切れ味がない。 (評価:2.5)

浅田家!

製作:「浅田家!」製作委員会
公開:2020年10月2日
監督:中野量太 製作:市川南 脚本:中野量太、菅野友恵 撮影:山崎裕典 美術:黒川通利 音楽:渡邊崇

家族写真の意味に迫るべきエピローグの‪逃げが残念
 浅田政志の写真集『浅田家』、藤本智士共著のノンフィクション『アルバムのチカラ』が原案。
 家族写真をテーマとした感動系ドラマで、原案となった二冊の本が成立したエピソードを融合させた話となっているが、風変わりな一家の能天気なエピソードと、東日本大震災などで家族を亡くした者たちの深淵のあるエピソードとを同じ家族写真として纏めるにはギャップがあって、とりわけ後者に重みがあるだけに、浅田家の葬式写真のオチで終わらせるのには、救いというよりは軽さを感じてしまう。
 こうしたセンチメントに頼るだけのドラマツルギーは、『湯を沸かすほどの熱い愛』(2016)にも共通していて、小児癌の子供や震災の家族写真のエピソードが家族のリアリズムとして深く刺さるだけに、家族写真の意味に迫るべきエピローグの‪逃げが残念。
 浅田政志に二宮和也。脇を固める家族の平田満、風吹ジュン、妻夫木聡、恋人の黒木華が上手い。
 東日本大震災後の被災地のシーンが良く出来ていて、後半だけを切り出せば、東日本大震災を扱った作品としては良い出来。
 被災地の泥だらけの写真を集めて洗い、家族の思い出を持ち主に届けるという浅田らボランティアの活動が、震災によって失われたもの、失われなかったものを冷静に伝えている。 (評価:2.5)

製作:YOKOGAO FILM PARTNERS
公開:2019年7月26日
監督:深田晃司 製作:堀内大示、三宅容介 脚本:深田晃司 撮影:根岸憲一 美術:原田恭明 音楽:小野川浩幸
キネマ旬報:4位

不条理こそが人生という世捨て人しか楽しめない
 真面目で善良な訪問看護師が、市井の人々の些細な悪意から理不尽な目に遭い、平穏な人生を失っていくというサスペンス。
 不条理な世の中が人生を狂わせ、不幸せな人々を作る、というテーゼに共感できなければ、何処に面白味を見出せばよいのかわからない。
 冒頭、主人公・市子(筒井真理子)が美容師・米田(池松壮亮)を指名するシーンから始まるが、市子が看護師を辞めた後の時制で、その後に米田と親しくなっていくエピソード、時制が戻って米田の部屋を覗き見るエピソード、さらに過去に起きた一連の事件と時制が入れ替わるのがわかりにくい。
 時系列では、訪問看護先で孫娘二人のうちの妹が市子の甥に誘拐され、騒動となって看護師を辞めることになる。この原因を作るのが孫娘のうちの姉・基子(市川実日子)で、市子に対し密かに愛情を抱いていて、市子に婚約者がいることを知って嫉妬、マスコミに中傷する。
 失業した上に結婚も解消となり、復讐するため基子の恋人・米田に偽名で近づくというのが冒頭のシーン。親しくなって米田を寝取るが、市子に惹かれていた基子と米田の関係はとうに解消されていて、復讐は空振りに終わる。
 甥が出所して物語は終わるが、市子に憧れて看護師となった基子を見かけ、彼女に振り回された市子の虚しさだけが残る。
 周囲からイジメつくされるヒロインの被虐でストーリーを引っ張るが、人間ドラマにはなってなく、市子の虚しさ以外に見どころはない。不条理こそが人生という世捨て人にしか楽しめない作品。 (評価:2)

製作:「ひとよ」製作委員会
公開:2019年11月8日
監督:白石和彌 脚本:高橋泉 撮影:鍋島淳裕 美術:今村力、多田明日香 音楽:大間々昂
キネマ旬報:7位

登場人物の掘り下げが今ひとつでテーマは空振り
 桑原裕子の同名戯曲が原作。
 子供たちのためにDV夫を殺した母が服役を終えて15年後に家に帰ってくるという物語で、崩壊した家族が絆を取り戻すというテーマ。もっとも設定のすべてが作り事めいていて、どうにも共感がしにくい。
 事件の夜、子供たちは長男(鈴木亮平)が高校生、長女(松岡茉優)と次男(佐藤健)は中学生。それぞれに将来の夢を抱えていて、母(田中裕子)は子供たちの自由な人生のために夫(井上肇)を殺すが、人殺しの母を持ったことで子供たちの人生は自由を失っていく。
 そんな一夜(ひとよ)をきっかけとして、人の世、ないしは家族の絆について、「人よ」と問いかける二重の意味をタイトルに持たせているのかもしれないが、登場人物の掘り下げが今ひとつなのがテーマを空振りさせている。
 人殺しの子供になるよりはDVに我慢する方がマシだったという理屈もよくわからないし、それが理由で長女が美容師の夢を断たれたというのも説得力に欠ける。フリーライターとなった次男が、母を告発する記事を書いた動機も説明不足、不仲な長男の妻が母の殺人を知らなかったのも不自然なら、知って夫になぜ悩みを打ち明けてくれなかったかと急にいい子になるのも唐突過ぎて理解不能。
 最後に家族が絆を取り戻せた理由がわからないのが致命的。
 母がオーナーのタクシー会社に執拗に嫌がらせがあるのもわからないし、元ヤクザ(佐々木蔵之介)と息子とのやりとりが小市民すぎてとても元ヤクザとは思えない。
 すべての道具立てが物語に都合よくできていて、「人よ」という割には個々の人物像が記号的なのが風俗的なだけの作品に終わらせている。 (評価:2)

楽園

製作:「楽園」製作委員会(KADOKAWA、朝日新聞社、ハピネット、ユニバーサルミュージック、日本映画専門チャンネル)
公開:2019年10月18日
監督:瀬々敬久 製作:堀内大示、宮崎伸夫、松井智、楮本昌裕、杉田成道 脚本:瀬々敬久 撮影:鍋島淳裕 美術:磯見俊裕 音楽:ユップ・ベヴィン

煮え切らない食材を食べさせられたような消化不良感
 吉田修一の短編『青田Y字路』『万屋善次郎』が原作。
 短編2編を併せているため2つの事件が並行して進む形をとる。一つは女児誘拐事件と犯人と目される帰国子女の青年。もう一つは村八分になって集落の人間を皆殺しにしてしまうUターンの中年男。それぞれ1979~96年の北関東連続幼女誘拐殺人事件(未解決)、2013年の山口連続殺人放火事件がモデル。二つの事件を繋ぐのが限界集落という設定で、女児誘拐の直後、現場を通りかかったUターン男が捨て犬を拾うという薄い接点になっている。
 主人公は被害者の女児の友達・紡(杉咲花)で、遊びの誘いを断ったことが誘拐の原因を作ったと自責の念に駆られている。
 テーマは「人と人の繋がり」らしく、繋がりを拒否したことで友達が死に、Uターン男・善次郎(佐藤浩市)が村八分に遭ったことで孤立、人との繋がりを断たれて殺人を犯すが、それぞれに「人と人の繋がり」について追究されてなく、茫洋としたまま雰囲気だけのセンチメンタリズムでお茶を濁していて、何を描こうとしたのかさっぱりわからない。
 善次郎が村八分になって庭にマネキンを並べるのが意味不明で、善次郎の心理を掘り下げられていない。女児誘拐殺人犯・豪士(綾野剛)も人間関係が築けない一人だが、女児誘拐の動機がまったく見えてこない。
 人と人の繋がりは難しいというのが結論ならその通りだが、それだけでは映画にはならず、それぞれが孤独と心の闇を負っているという結論では三文の価値もない。
 トラウマを抱えてとても幸せそうに見えない紡に、自分だけ幸せになっていいのかと真顔で言われても、大丈夫、あなたは幸せではありませんと答えるしかなく、不治の病のボーイフレンド(村上虹郎)の余命が5年延びて、紡がそこに楽園を見る(らしい)というのも良くわからない。
 楽園が定義されないままに物語は終り、煮え切らない食材を食べさせられたような消化不良感が残る。 (評価:2)

製作:「火口のふたり」製作委員会
公開:2019年8月23日
監督:荒井晴彦 作:瀬井哲也、小西啓介、梅川治男 脚本:荒井晴彦 撮影:川上皓市 音楽:下田逸郎
キネマ旬報:1位

従兄妹の間に性欲だけで性愛を感じないのが痛い
 白石一文の同名小説が原作。
 従妹の結婚式を機に再会した従兄妹同士の愛欲の物語で、兄妹のように育った二人が上京して同棲しつつも近親相姦的な負い目から別れ、愛のない結婚をした従兄は離婚、従妹は独身を通すが子供が欲しくなって自衛官と婚約、踏ん切りをつけるために従兄を誘う。
 一夜限りの契りのはずが従兄の情欲を燃え立たせ、結婚式まで関係を続けるが、婚約者の事情で結婚延期となり、従妹は婚約破棄して従兄との愛を貫くことを決意するというラスト。火口、即ち愛欲の崖っぷちに立つ二人が、火口に落ちることを決意する。
 ただこれだけなら愛欲に溺れる男女の話で終わるが、二人は秋田県民で、従兄は東日本大震災で失職、婚約延期の事情も富士山噴火と、二人が無常を感じた原因が自然災害にあって、自然の前に人は無力、ならば欲望のままに生きるという生き方を選ぶという、自然と人を対峙させた一見もっともらしいテーマが加えられている。
 もっとも従兄を演じる柄本佑にそのような思索は窺えず、離婚後に自殺まで考えたという繊細さもなく、まして男女の機微にも疎い、ただ性欲に素直なだけの男にしか見えない。
 妻子に捨てられ仕事もせずに無気力に日々を送るだけの自堕落で破滅型の人間にしか見えず、津波や噴火があってもなくても関係のない人間に見える。
 終盤、富士山噴火を巡る話になると、急にリアリティのないファンタジーになってしまって、非科学的な上に情報公開を含めてあり得ない設定。厭世的で退廃的な終末論に導くためのご都合主義になっている。
 人間の生と性を描くはずが単なるデカダンスだけに終わっていて、災害出動に紐づけて自衛隊の海外派遣といった政治まで出されると急に生々しくなる。
 テーマ的には『赫い髪の女』(中上健次原作・神代辰巳監督・荒井晴彦脚本、1979)に通底するが、『赫い髪の女』とは異なり、従兄妹の間に性欲だけで性愛を感じないのが痛い。
 それにしても二人とも金がないのに、お洒落な食事をしているのが何とも不自然。 (評価:2)

長いお別れ

製作:『長いお別れ』製作委員会
公開:2019年5月31日
監督:中野量太 脚本:中野量太、大野敏哉 撮影:月永雄太 美術:丸尾知行 音楽:渡邊崇

患者よりも家族のエモーショナルな心情を描く
 中島京子の同名小説が原作で、原作者の実体験をもとしたフィクション。
 ラストシーンで、アルツハイマー型認知症はゆっくりと記憶から遠ざかっていくことから、英語で"Long Goodbye"(長いお別れ)の別名があると説明されるが、それを紹介するのが目的の作品。
 アルツハイマー型認知症を描いた作品は数多くあり、古くは森繁久彌(恍惚の人、1973)、千秋実(花いちもんめ、1985)から渡辺謙(明日の記憶、2006)、ジュリアン・ムーア(アリスのままで、2014)らが演じているが、作品の良し悪しは患者を演じる俳優の力量に掛かっているともいえ、本作では名優・山﨑努であることがすべて。
 ではその演技に応えられるだけの作品力になっているかといえば、「家族とは何か」という近年使い古されて食傷気味のテーマがまたしても登場し、患者よりも家族のエモーショナルな心情に焦点が当てられ、病気ないしは患者の問題は置いておかれている。それこそがタイトルの"Long Goodbye"が示しているもので、別れを言うのは患者ではなく家族の方で、情緒の対象物となった山﨑努は単にコミカルなだけの存在になってしまった。
 結婚して渡米した長女(竹内結子)は英語が苦手で家族の中で疎外感を感じていて、むしろ実家の家族がhomeとなっている。職を転々として独身の次女(蒼井優)は離婚した幼馴染と同棲を始めるが、幼馴染が別れた妻子と家族のヨリを戻したのを見て、これまた家族とは何かについて悩む。そんな中で家族への信頼と絆を持ち続けるのが老妻の松原智恵子で、すぐに娘に頼るところはあるもののしっかり夫を支えている。
 "Long Goodbye"の末に老父が亡くなるが、長女の夫婦仲が急に良くなるのもご都合主義で、シナリオ・演出的には不自然なシーンも多く、遊園地の記憶が老父に強く刻まれているというのも今一つ。
 孫が老祖父を思い出して終わりというのも、結末がつからずに情緒で誤魔化した感がある。
 東日本大震災で、絆の安売りがされたことに対して、改めて絆を問いかけるシーンもあるが、これまた不発に終わっている。 (評価:2)

製作:ミグラントバーズ、オムロ、京都造形芸術大学
公開:2019年5月24日
監督:鈴木卓爾 製作:田村由美、鈴木卓爾 脚本:浅利宏、鈴木卓爾 撮影:鈴木一博 美術:嵩村裕司 音楽:あがた森魚
キネマ旬報:9位

空気のように捉えどころのないほぼアマチュア映画
 プロと学生が共同で映画を創るをコンセプトに、京都造形芸術大学の准教授をしている鈴木卓爾と学生が創った作品だが、ワークショップの域を出てなく、俳優も如何にも芝居をしてますの演技で、ぴあフィルムフェスティバルが相当のほぼアマチュア映画。
 アマチュア映画としての評価はともかく、商業映画としてキネ旬ベストテンの対象になるのか甚だ疑問で、制作者・評論家を含めて日本の映画界は終わった感がする。
 似たような作品に濱口竜介監督の『親密さ』(2012)があるが、こちらは実際に演劇制作をする学生をフィクション化する映画のコントロールができていて、映画としてプロフェッショナルなものになっているが、本作は出演の井浦新、大西礼芳を含めプロのコントロールが利いてない。あるいはプロがコントロールしないというのが鈴木卓爾のコンセプトかもしれず、それを商業映画と並べるべきなのか?
 本作の主役は京都・京福電鉄の嵐山線(嵐電)で、これに3組の男女のラブストーリーが絡む。ストーリーはファンタスティックというよりは感覚的で何かテーマがあるわけでもない。終電後に走る嵐電で車掌のキツネとタヌキの両方に出会うと、カップルは別れることになるという都市伝説がモチーフとして語られるが、だからどうだという結末もなく、空気のように捉えどころのない作品になっている。 (評価:2)

男はつらいよ お帰り 寅さん

製作:松竹撮影所
公開:2019年12月27日
監督:山田洋次 脚本:山田洋次、朝原雄三 撮影:近森眞史 美術:倉田智子、吉澤祥子 音楽:山本直純、山本純ノ介

リリー登場のシーンが本作で一番の盛り上がりを見せる
 劇場版『男はつらいよ』誕生50周年、シリーズ第50作として制作された記念作品。
 渥美清の逝去から23年を経て制作され、冒頭に献辞が捧げられているほか、エンド・クレジットの最後に、鬼籍に入った笠智衆、三崎千恵子、下條正巳、太宰久雄らの名前も記されている。その中で、源ちゃんの佐藤蛾次郎が顔を見せるのが嬉しい。
 満男(吉岡秀隆)の夢のシーンから始まり、タイトルと主題歌が流れるというシリーズのフォーマットを踏襲、寅次郎二世の満男の「男はつらいよ」であるという構成はいい。しかし、唐突な桑田佳祐の登場と歌はまるでバラエティのようでいただけない。
 6年前に妻を亡くした満男は、脱サラした初老の新人作家。高校生の一人娘ユリ(桜田ひより)と暮らしている。さくら(倍賞千恵子)と博(前田吟)は寅屋を継ぎ、建物は50年前から変わらない。タコ社長の娘・朱美(美保純)も隣に住んでいて、昔の設定を引き継いではいるが、おいちゃん・おばちゃんの居ない寅屋に生気のなさは拭えない。
 満男が小説家というのも違和感ありすぎ。ラストシーンでシナリオ上、その設定が必要だったことがわかるが、使い古された手法で山田洋次の老いを感じる。
 山田洋次の老いは随所に感じられ、令和の時代でありながら、満男の古臭さ、出版社、ユリやその友達の描写など、昭和にタイムスリップした雰囲気。それが本作に黴臭い影を落としていて、作らなかった方が良かったと思うが、松竹も山田洋次も今も寅さんに頼らなければならないのが寂しい。
 ヨーロッパで結婚した泉(後藤久美子)が仕事で里帰りするが、ゴクミもすっかりオバサンになって貫禄たっぷり。久しぶりの演技とあって何処からも泉には見えず、私生活と設定が被っているために、オバサンになって里帰りしたゴクミにしか見えない。
 一方、出会った満男はオジサンになっても昔のままに頼りなく、いつまでも子供で成長しないところが寅次郎二世なのだが、マドンナ役の貫禄オバサン・ゴクミとはどうにも釣り合わない。
 八重洲ブックセンターで偶然元恋人と再会したゴクミは、連れられて寅屋に宿泊。翌日、老人病院のパパ(橋爪功)を見舞い、ママ(夏木マリ)とも再会。終始満男が付き添って、30年前のロマンスを思い出すが、ゴクミは人妻。
 すっかりフランス人のゴクミは、満男に挨拶のキスをして去っていくという、寅次郎二世の2度目の失恋模様となる。満男にはもう一人、担当編集者(池脇千鶴)のマドンナがいるが、演技派すぎてマドンナらしい華やかさに欠ける。
 ラストは旅先からの寅次郎の葉書ではなく、満男が新作のペンを取って終わるという寸法。途中、随所にシリーズ48作品のカットバックが入るが、物語そのものがシリアスで、喜劇役者もいないため、懐かしの人情喜劇からは程遠く、「男はつらいよ」の冠がしっくりこない。
 寅さんのメモリアルなのか、寅次郎二世の物語なのか、どっちつかずで、新作にしては山田洋次の老いとともに一抹の寂しさが漂う。
 ジャズ喫茶を開いているリリー(浅丘ルリ子)も登場し、寅さんとの恋模様を語るが、このシーンが本作で一番の盛り上がりを見せるのはさすが。 (評価:2)

いちごの唄

製作:ファントム・フィルム、VAP、朝日新聞社
公開:2019年7月5日
監督:菅原伸太郎 製作:小西啓介、岡本東郎、宮崎伸夫 脚本:岡田惠和 撮影:岩永洋 美術:小竹森智子 音楽:世武裕子、銀杏BOYZ

苺のようにふんわりと口当たりはいいが捉えどころがない
 岡田惠和、峯田和伸の同名連作短編集が原作。
 東京・中野で働いている青年・コウタ(古舘佑太郎)が中学生の同級生・千日(石橋静河)に駅前で偶然出会い、年に一度の七夕の逢瀬を3回繰り返すという物語。
 もっとも二人は恋人同士ではなく、千日を助けて死んでしまった親友の伸二(小林喜日)との友情物語という爽やか青春ドラマで、織姫に比定される千日はコウタと伸二の天の川の女神=アイドルという、AKB的な距離感の設定になっている。
 そうした扱いに千日が不満を持ち、天の川から地上に降ろしてほしいとコウタに訴えるが、それが今のオタク少年たちのアイドル崇拝症候群に対する批判になっているわけでもなく、伸二と千日の育った孤児院・いちごの家のレタス畑が、伸二の願い通りにストロベリーフィールドになったという、苺のように甘くてふんわりとした、口当たりはいいが捉えどころのない作品になっている。
 その大きな原因は、これがコウタ、千日、伸二の誰の物語かわからないところにあって、それぞれのキャラクター造形も曖昧なために、何を描こうとしているのかわからなくなっている。
 雰囲気的には3人の友情物語として、死んだ伸二を媒介にしたコウタと千日の再出発の物語なのだろうが、2人の目的とするものが描かれていないために、ファンタジックなストロベリーフィールドという現実感のない世界に着地しただけに終わっている。
 岡田惠和の泣かせるシナリオと古舘佑太郎の熱演もあって退屈しないドラマにはなっているが、ともするとコウタが知的障害のある青年に見えてしまい、そういう話かと思って見ていてもそういう展開にはならず、かといってコメディにも振り切れていない。
 織姫だから天野千日、七夕だけの逢瀬、ストロベリーフィールド=千日紅の品種とメルヘンな道具立てやパンク、ビートルズといったキーワードは並べられているが、雰囲気作り以外に活かされていない。 (評価:2)

キングダム

製作:映画「キングダム」製作委員会
公開:2019年4月19日
監督:佐藤信介 脚本:黒岩勉、佐藤信介、原泰久 撮影:河津太郎 美術:斎藤岩男 音楽:やまだ豊

「中華統一が夢」という台詞が習近平とダブって見える
 原泰久の同名漫画が原作。
 紀元前3世紀の中国春秋戦国時代を舞台とするアクション映画で、後に中華を統一する秦の奴婢の少年・信(山﨑賢人)が剣術修行の末、後に始皇帝となる秦王・嬴政(吉沢亮)と出会い、これを助け、謀反を興した異母弟・成蟜(本郷奏多)を討伐するまでの物語。
 ストーリーはあるが、小ボス、中ボス、ラスボスの順に倒していくというゲーム的な単純なもので、中国史劇や大河ロマン、人間ドラマのようなものを期待すると裏切られる。
 一応、主人公・信の親友が嬴政のそっくりさんで、影武者として宮廷入りするが、殺されてしまい、その仇を討つためという設定はあるが、ドラマと呼ぶには薄く、信が嬴政と絡んでいくための筋運びでしかない。
 国盗り物語で男の俳優ばかりでは色気がないので、長澤まさみや橋本環奈を起用するが、設定上はおそらく男なのだろうが、エンタテイメントなので女という設定もアリなのだが、その辺りが曖昧。
 かといって女優の起用が生きているともいえず、全体にスカスカな作品をワイヤー風なアクションで乗り切ろうとするが、中国武術というよりはチャンバラか忍者で、日本の戦国時代に見えてしまうのが惜しい。
 空疎なドラマに何とか芯を入れようと、「中華統一が夢」という台詞が呪文のように繰り出されるが、なぜそれが夢なのかという理由は示されず、習近平とダブって見える。 (評価:2)

製作:knockonwood Inc.
公開:2020年2月7日
監督:HIKARI 脚本:HIKARI 撮影:江崎朋生、スティーヴン・ブレイハット 美術:宇山隆之 音楽:アスカ・マツミヤ
キネマ旬報:6位

ご都合主義だらけの自立を目指す障害者ヒューマンドラマ
 障碍者を主人公に、実際の障碍者が主役を演じるという二重に批評のしづらい作品だが、『AIKI』(2002)、『ジョゼと虎と魚たち』(2003)同様にセックスを扱いながら、今一つキワモノめいたところがあって、素直な気持ちで見ることができない。
 同様の不自然さは随所にあって、主人公の夢馬(佳山明)がおそらく障碍者であるために人気漫画家・SAYAKA(萩原みのり)のゴーストライターをしている設定が理解不能で、例を挙げればアニメーターとしても活躍した村野守美は下半身不随の漫画家である。
 その彼女がゴーストをやめるために出版社に原稿の持ち込みをするが、それが上手くいかないのも不自然で、かつそのためにエロ漫画誌(レディース?)に満ち込みをするというのも、障碍者の性の問題に話を持っていくためのこじつけにしか見えない。
 母(神野三鈴)の過保護を抜け出そうとして障碍者相手の風俗嬢(渡辺真起子)、介護士(大東駿介)と知り合うが、彼らが異常に夢馬に親切なのも不自然で、挙句に双子の姉(芋生悠)に会うために母に内緒でタイに行くという段になると、一体どうやってパスポートを取得したのかと訝る。
 両親がそれぞれ双子の片方を引き取って離婚した理由も?で、全体にご都合主義な設定に溢れているため、自立を目指す障害者のヒューマンドラマを装っているだけに見えてしまうのが残念。
 タイトルは、夢馬の出生時に37秒間呼吸が止まったことから脳性麻痺になったというもの。 (評価:2)

製作:「犬鳴村」製作委員会
公開:2020年2月7日
監督:清水崇 脚本:保坂大輔、清水崇 撮影:福本淳 音楽:海田庄吾、滝澤俊輔

結末のないVシネ・クオリティの都市伝説ホラー
 福岡県に実在した犬鳴村と近くの犬鳴隧道の都市伝説を基に創作したホラー。
 犬鳴ダム建設により湖底に沈んだ犬鳴村の住民は犬神憑きのような狂人で、世間と隔絶した閉鎖社会を形成していたが、電力会社がダム建設のために村人たちを虐待し、湖底に沈めたというトンデモハップンな設定。
 その際に赤ん坊を助けた者がいて、その捨て子が主人公・奏(三吉彩花)の祖母。奏の兄・悠真(坂東龍汰)がオカルトファンで、ガールフレンドの明菜(大谷凜香)と心霊スポットの動画を撮りに行ったところ、犬鳴隧道を抜けて異空間の犬鳴村に迷い込み、村人たちの亡霊に襲われて犬神憑きになった明菜が自殺。
 真相を突き止めに行った悠真と弟が行方不明になり、奏が祖父(石橋蓮司)の家の墓場に住む健司(古川毅)の霊に導かれて、異空間の犬鳴村に。囚われていた悠真と弟を助けるが、健司の赤子を託され、悠真の犠牲によって赤子を連れ帰る。そこは昔の祖父の家で、赤子は祖母だったという、因果の逆転するタイムパラドックス。
 幽霊たちが心霊スポットにやって来る者たちを襲う理由がよくわからず、犬鳴村の血族である悠真と弟を殺さなかったのはともかく、赤子を連れ出しただけで亡霊たちの恨みを晴らしたわけでもなく、健司とその妻、つまり奏の曾祖父母を慰霊して終わる。
 この手のタイムパラドックスものでは、祖母を助けなければ自分が存在しなくなるという動機が必要だが、本作ではそれがないのも、何を描きたかったのかよくわからない結末のない作品にしている。
 ホラーとしての怖さも見どころもなく、高嶋政伸、高島礼子、寺田農らをキャスティングに起用しながらも都市伝説ホラーのVシネ・クオリティなのが寂しい。 (評価:2)

天気の子

製作:「天気の子」製作委員会
公開:2019年7月19日
監督:新海誠 製作:市川南、川口典孝 脚本:新海誠 作画監督:田村篤 美術:滝口比呂志 音楽:RADWIMPS

地球温暖化がテーマだと深読みしておいてあげよう
 神津島から家出した16歳の少年と晴れ女の14歳の少女のラブストーリー。
 家出少年が仕事も見つからず歌舞伎町のマックに入り浸っていると、マックで働く親切な少女が声をかけてくれるという都合のいい出会いで、今度は少女が失業して彼女の晴れ女の才能を生かして2人で商売を始めるという、これまた都合のいい展開。
 異常気象だとかオカルトだとかが出てくるが、これまたファンタスティックというよりも支離滅裂。
 舞台となる東京の街だとか店舗だとか雨の描写だとか細部のリアリティにパラノイア的に拘る割には、未成年の少女がどうやってバイト就職できたのかとか、アパートに入居できたのかとか、どうやってウェブサイトを開設したのかとか、中高生がラブホに泊まれるのかとか、少年保護の警察の対応が過剰だとか、ストーリーはシュールリアリズム。
 夏に雪が降るとか、かなとこ雲の上にある天上世界に至っては、行くとこまで行ったオタクの妄想世界を見せられている感がある。
 セリフは恋愛シミュレーションゲームの進行のためのテキストで、登場人物はゲームキャラのように記号的。リアリティに拘った映像が労力の多大な浪費に見えてしまう。
 雨が降り続くとか、人の身体が水でできているというモチーフはフィクションには昔からあって、本作の設定はアイディア以上のものにはなっていない。
 降り続く雨で東京の低地が水没してしまったことについて、江戸時代の前に戻っただけだという説明が入るが、海だったのは江東区と中央区の一部などで、線路際まで水没しているのは古代の話。高架軌道が水没したりしていて、映像ほどにはリアルでないのがチグハグ。
 せめて地球温暖化がテーマで、地球環境の激変に未来への希望を繋ぐ若者たちの物語と深読みしておいてあげよう。 (評価:1.5)

新聞記者

製作:『新聞記者』フィルムパートナーズ(VAP、スターサンズ、KADOKAWA、朝日新聞社、イオンエンターテイメント)
公開:2019年6月28日
監督:藤井道人 脚本:詩森ろば、高石明彦、藤井道人 撮影:今村圭佑 美術:津留啓亮 音楽:岩代太郎

山本薩夫の映画に学んで一から作り直した方が良い
 望月衣塑子の同名ノンフィクションが原案。
 首相の友人が国家戦略特区を利用して内閣府直轄で大学医学部を新設しようとしているスクープを追いかける新聞記者の物語で、すぐに安倍元首相が関与した加計学園問題を想起させるようになっている。元毎日新聞記者と女性ジャーナリストの準強姦事件、森友学園の官僚自殺を連想させる話も出てきて、実際の事件をモデルにした社会派ドラマと思いきや、官邸と大学医学部の企みは生物兵器研究!というブッ飛んだSF設定に腰が抜けてしまう。
 主人公の女性記者エリカ(シム・ウンギョン)は東京新聞の名物記者・望月衣塑子がモデルと思われるが、本人の尊厳を傷つけるくらいの素人記者で、取材のイロハもできてなく、怪文書だけで裏も取らずにスクープに仕立てるに至っては、よく東京新聞が協力したものだと呆れるくらいのシナリオ。
 官邸に行政権を集中させることへの問題提起はともかく、ストーリーがお粗末すぎて、政治権力とマスメディアをテーマにした社会派ドラマを撮ろうとするなら、山本薩夫の映画に学んで一から作り直した方が良い。
 ラストシーンは内閣参事官(田中哲司)の策略でスクープが誤報に仕立てあげられるという予感で終わるが、悪役が官邸の政治家ではなく官僚というのも矮小な官僚批判の感があり、社会派ドラマとしては正鵠を射ない。
 正義漢の青年官僚に松坂桃李。その妻の西田尚美は必要のない役。 (評価:1.5)

この世界の(さらにいくつもの)片隅に

製作:2019「この世界の片隅に」製作委員会
公開:2019年12月20日
監督:片渕須直 脚本:片渕須直 作画監督:松原秀典 美術:林孝輔 音楽:コトリンゴ

不使用カットを39分復元復活させただけの退屈な不完全版
 こうの史代の同名漫画が原作。
 広島の少女すずを主人公にした昭和8年から21年までの戦争を挟んだ物語で、原爆投下の広島市に生れ、軍港のあった呉に嫁ぐという少女と戦争がテーマのアニメ作品。
 『この世界の片隅に』(2016)に39分を追加した、いわゆる完全版だが、すずの個人史を年表風に並べていくだけで、各シーンが途切れ途切れでシークエンスを構成できていない前作に、不要で捨てた細切れの不使用カットを39分復活させただけの、言ってみればラッシュを繋ぎ合わせた未編集フィルムを見せられている気分になる。
 このため、テーマのないエピソードが脈絡なく延々と続き、途中で見るのを止めたくなる。
 原作は連載なので、脈絡のない話を一週間毎に読んでも退屈しないが、1本の映画に纏めるに当たってはシナリオの整理と再構築が必要になる。この作業は前作でも上手く出来ていなかったが、それなりに再構築したシナリオを完全版を作るに当たって整理前に戻したようなもの。
 そもそも何でこのような完全版を作ろうとしたのか制作意図がよくわからず、単に前作が商業的に成功したからそれをリユースして、新カットを継ぎ足してもう一儲けしようとした、アニメオタク向け完全版商法にしか見えない。
 前作を貶める結果となり、作らなかった方が良かった作品。 (評価:1)

製作:「Fukushima 50」製作委員会
公開:2020年3月6日
監督:若松節朗 脚本:前川洋一 撮影:江原祥二 美術:瀬下幸治 音楽:岩代太郎
ブルーリボン作品賞

命を賭しても加害者はヒーローにはなり得ない
 門田隆将のノンフィクション『死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発』が原作。タイトルは、原発事故直後に現場に踏みとどまった約50人の作業員らに対し海外メディアが付けた呼称。
 エンドの字幕にオリンピックの宣伝文句が入ることから、フクシマ50を讃え、原発事故をオリンピックで上書きしようとするある種政治的なプロパガンダ臭のする映画で、原発事故に対する立場の違いによって、原発事故をめぐる経過から事実の証明、対応の評価で意見が対立のは必至。そのような題材を敢えて映画にするには、制作者に相当の覚悟と深慮、客観性が求められるが、それがないままに作られている。
 『ハドソン川の奇跡』(2016)のような実話ヒーローものを描きたかったようにも見えるが、イーストウッドが機長の判断の是非を問うたように、本作ではヒーローの判断の是非は不問に付されていて、情緒に流されるだけに終わっている。
 本作の描写では、首相だけでなく吉田を含めた原発責任者たちはただ怒鳴り散らしているだけで冷静さを欠き、ベントや注水以外は漫然と成り行きに任せているだけのように見える。実際、2号機の格納容器が爆発しなかったのも、人為ではなく偶然穴が開いたためで、とても人事を尽くして天命を待ったようには見えない。自衛隊の空中放水に「蛙の小便」と茶化す割には、原発関係者も無為無策。
 それに比べれば怒鳴り散らすだけのお邪魔虫のように描かれている首相の方が、撤退せずに最後まで戦えと言っているだけましで、東電幹部に至っては存在感もない。
 吉田が官邸の介入に対して「素人は黙ってろ!」と言い放つところに、制作者の意図に反して原発技術者の驕りが出ている。
 そもそも東電は加害者の立場にあり、フクシマ50が命を賭して原発のカタストロフィーを防いだとしてもヒーローにはなり得ない。フクシマ50の佐藤浩市と吉岡秀隆に対して、避難民の泉谷しげるが「故郷を守った」と言う台詞があるが、故郷を放射能で汚染され、故郷を離れた人々が多くいる現実さえも無視して、ヒロイズムにしてしまう脚本が情けない。
 情緒に流されているだけの制作者たちの理性のなさは、正しく日本の原発政策の現状を象徴している。 (評価:1)

製作:フジテレビジョン、東映、テレビ埼玉
公開:2019年2月22日
監督:武内英樹 製作:石原隆、村松秀信、遠藤圭介 脚本:徳永友一 撮影:谷川創平 美術:あべ木陽次 音楽:Face 2 fAKE
ブルーリボン作品賞

内輪ネタではしゃぐテレビのバラエティ番組のようなもの
 魔夜峰央の同名漫画が原作。原作の発表は35年以上前で、そのまま埋もれていたがSNSで話題となって映画化されたという作品。
 娘の結納のために自家用車で都内に向かう熊谷市の一家が、カーラジオのドラマを聴いているという枠物語で、劇中劇が主体となっている。
 劇中劇は、都市伝説となっている架空世界が舞台。周辺県から都内に入るためには通行手形が要り、都内も中心区から都下へのヒエラルキー構造になっていて、見どころは江戸時代の百姓のような周辺県とキンキラモダンな都心と、ビジュアル系キャラクターという宝塚歌劇のような世界観。
 代々の都知事を輩出する名門・白鵬堂学院に美少年の麗(GACKT)がアメリカから転校して、たちまち生徒会長・百美(二階堂ふみ)を押し退けて次期都知事候補に。百美は麗に同性愛するが、麗が埼玉県出身だということが発覚。二人で埼玉県へ愛の逃避行をするが、埼玉解放戦線リーダーの麗の父(京本政樹)、都知事の百美の父(中尾彬)、執事を隠れ蓑にする千葉解放戦線リーダー(伊勢谷友介)などが絡んでナンセンスドラマを展開する。
 最後は通行料を横領する都知事の不正が発覚して、レジスタンスが勝利、日本を世界を埼玉化して終りとなる。
 ナンセンスギャグドラマなのでストーリーも結末もどうでもよく、要はどれだけ笑えるかに掛かっているが、埼玉や千葉を如何にディスるかがギャグの本質なので、見ていて極めて低俗。何ももたらさない時間をただ空費することになる。
 とりわけ首都圏の地理や交通、風俗がわからないと、ギャグがギャグにならない。一言でいえば、タレントたちが内輪ネタではしゃいでいるテレビのバラエティ番組を映画にしてしまったようなもので、製作にテレビ局が2つも入っていることから、そのノリで企画されてしまったことがわかる。
 コメディにもならない究極の暇つぶし作品で、企画もままならない日本映画の現状を映し出しているということがブルーリボン作品賞の受賞理由か? (評価:1)


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