海月衛 映画帖
~映画の大海原をたゆたう~

日本映画レビュー──2018年

製作:映画『寝ても覚めても』製作委員会、Comme des Cinémas
公開:2018年9月1日
監督:濱口竜介 脚本:田中幸子、濱口竜介 撮影:佐々木靖之 美術:布部雅人 音楽:tofubeats
キネマ旬報:4位

3.11のメタファーは10年後の若者に届かない
 柴崎友香の同名小説が原作。濱口竜介初の商業映画。
 ラブストーリーで、好きな男の子がいたのに突然蒸発してしまって、そこに彼にそっくりな男の子が現れて、どうしようかドキマギしているうちにコクられ、同棲始めて自分はその人が好きだと思い始めるんだけど、そこにまたまた元彼が現れて俺について来いっていうもんだから、今彼を捨てて元彼と逃げたのに、途中で思い直して元彼と別れて今彼のところに戻ってきて許してもらうというお話。
 もちろん、濱口竜介がそんな少女漫画みたいなストーリーで満足するわけもなく、メルヘンの王子様に恋い焦がれる夢うつつな女の子が、ヴァーチャルな世界を彷徨っているうちに世界がリアルであることに気づき、そのリアルを生き始めるが、王子様の出現でリアルがヴァーチャルだったんじゃないかと錯覚する。
 夢が覚めて王子様を捨てる決心をした彼女は、今度こそリアルの世界で生きようとして終わるが、最初に彼女にリアルを覚醒させたのは2011.3.11の地震で、ボランティアがリアルを実感させる糸となっている。二度目にそれを覚醒させるのも3.11で、地震後に造られた海を隔てる防潮堤を見て、夢の世界と訣別する。
 今彼はそんな彼女を一生信じないと言うが、それこそがリアルな世界とそこに生きる人の不確実さで、濱口は作品中に様々なメタファーを放つ。
 しかし、3.11の地震もボランティアも防潮堤も説明不足でそれと気づきにくく、10年後に本作を見た若者には届かないという点で、シナリオ・演出の未熟が出ている。
 地震の描写は頑張ってはいるが、制作費からかリアリティが足りず舞台裏が覗けてしまうのも興趣を削ぐ。
 猫も使った初の商業映画としては及第で、今後に期待が繋げる作品になっている。
 ふわふわしたヴァーチャル少女を唐田えりかが好演。2役の東出昌大も上手く演じ分けている。 (評価:2.5)

製作:映画「友罪」製作委員会(WOWOW、ハピネット、ギャガ、ジェイ・ストーム、ツインズジャパン、集英社、TBSラジオ、読売新聞社)
公開:2018年5月25日
監督:瀬々敬久 脚本:瀬々敬久 撮影:鍋島淳裕 美術:磯見俊裕 音楽:半野喜弘
キネマ旬報:8位

他人を不幸にした者に幸せになる権利はないのか?
 薬丸岳の同名小説が原作。1997年の神戸連続児童殺傷事件の少年Aがモデル。
 青年になった少年A(瑛太)は鈴木の偽名で町工場に就職。同じ日、元雑誌記者の益田(生田斗真)も採用される。無感情で人との接触を持とうとしない変人の鈴木と、益田は寮内の出来事を通じて次第に打ち解けるようになるが、親しかった元同僚(山本美月)が少年Aの消息を取材していることをきっかけに、鈴木が少年Aであることを知るというのが大きな流れ。
 これに鈴木が親しくなる娘(夏帆)、タクシー運転手(佐藤浩市)、医療少年院で母親役だった女医(富田靖子)のエピソードが加わるが、中心のテーマは人は犯した罪から逃れられないというもの。
 娘は元恋人に無理矢理AVに出演させられ、家族から見放され独りぼっちとなった今も元恋人との関係を断てないでいる。その罪悪感と孤独が鈴木と共鳴することになるが、少年Aであることを知ると去っていく。
 タクシー運転手は息子が起こした死傷事故のために遺族に償う人生を送っているが、結婚して幸福を得ようとする息子を許せない。
 益田の罪は最後に明らかになるが、苛めを受けていた同級生を見捨てた一言が彼を自殺に追いやったという呵責から夜毎うなされる。
 他人の命を奪いながら自分は生きたいと身勝手を告白する鈴木。他人を不幸にした息子に幸せになる権利はないと宣告するタクシー運転手。一度犯した罪は命に代えても償うことはできず、未来永劫の罰を受けなければならないという救いのなさが重い。
 瑛太が人格障害の難しい少年Aの役を好演、佐藤浩市のストイックな父親ぶりもいい。 (評価:2.5)

止められるか、俺たちを

製作:若松プロダクション、スコーレ
公開:2018年10月13日
監督:白石和彌 製作:尾崎宗子 脚本:井上淳一 撮影:辻智彦 美術:津留啓亮 音楽:曽我部恵一

女だからこそのピンク映画の性と生に敗れていく姿が哀しい
 初期の若松プロダクションを舞台に、映画制作を志した若者群像を描くピンク映画版『蒲田行進曲』。
 中心に描かれるのはピンク映画の女性助監督となった吉積めぐみで、若松孝二を始め足立正生、大和屋竺、荒井晴彦、大島渚、赤塚不二夫等が登場する実話もの。
 吉積めぐみ(門脇麦)は1969年に若松プロに入社し、1972年にアルコールと睡眠薬服用で死ぬが、事故死だったのか自殺だったのかは明確には描かれない。若松孝二(井浦新)に弟子入りし、過酷なピンク映画の撮影現場で女性として奮闘しながらも目指す映画が見つからず、才能の壁に挫折し、妊娠して産むべきかどうかに葛藤するという、女だからこそのピンク映画の根源的なテーマである性と生に敗れていく姿が哀しい。
 並行して、時代と四つに組み合っていく若松孝二の過激な映画作りが描かれるが、そこで若い才能たちが梁山泊を形成する姿が、時代の息吹を感じさせる。そうした中、若松プロが政治に傾いていくのは必然で、吉積めぐみの死後、足立正生(山本浩司)は『赤軍―PFLP 世界戦争宣言』(1971)を携えて政治の世界へ。若松孝二は反権力ながらも映画の中に留まっていくというラストシーンで終わる。
 揺籃期の若松プロを描く中で、それぞれがそれぞれの脱皮をしていく。その中で羽化しようとして羽化できない蛹のままに死んでいったのが吉積めぐみで、1974年生まれの白石和彌を始め、当時を知らないスタッフによるレクイエムとなっているが、門脇麦演じる蜻蛉のように儚いめぐみがむしろ眩しい作品となっている。
 ゴールデン街のママに寺島しのぶ。 (評価:2.5)

製作:TOEKICK☆12、ライブラリーガーデン、オフィス・シロウズ
公開:2018年10月6日
監督:佐向大 脚本:佐向大 撮影:山田達也 美術:安藤真人
キネマ旬報:10位

罪と贖罪についてアヒルの水掻き程度に掻き回しただけ
 拘置所で死刑囚に教誨を行う牧師(大杉漣)と6人の死刑囚の会話劇で、教誨師が少年の頃に犯した自らの罪と向き合う中で、"罪を問うこと"を問う。
 牧師が教誨する死刑囚は、ヤクザ(光石研)、ストーカー殺人犯(古舘寛治)、経営者(小川登)、元美容師(烏丸せつこ)、ホームレス(五頭岳夫)、大量殺人の青年(玉置玲央)の6人。
 他の殺人を告白して死刑執行を先延ばしにしようとするヤクザ、嘘八百の不満を並べ立てる元美容師、女の幽霊を見て早い執行を望むストーカー殺人犯、事実誤認を訴える経営者とそれぞれのエピソードが紹介されるが、中心になるのは小利口で理屈屋の青年と文盲のホームレス。
 青年は死刑執行となり、それまでの悟ったような態度から一転、死を前にして動揺する。
 ホームレスは教誨師に平仮名を習い、罪について考えるうちに洗礼を望むようになるが、脳溢血で倒れてしまう。回復した彼は洗礼を受け、教誨師に大切にしていたグラドルの切り抜きを渡すが、そこには平仮名で「あなたがたのうち、だれがわたしにつみがあるときめうるのか」と書いてあり、これが本作のテーマともなっている。
 もっとも、死刑制度や罪と贖罪についてどれだけ描き得たかというと、アヒルの水掻き程度に問題を掻き回しただけで、各死刑囚の内面や葛藤は描けていない。教誨師の過去に犯した罪もテーマに噛み合ってなく、隔靴掻痒に終わっている。
 教誨師を主人公にするのなら、『デッドマン・ウォーキング』(1995)のような深みが欲しかった。
 重箱の隅をほじくれば、ホームレスは過去に車で女の子を撥ねたと話すが、文盲で運転免許は取れない。 (評価:2.5)

製作:映画「愛がなんだ」製作委員会
公開:2019年4月19日
監督:今泉力哉 脚本:澤井香織、今泉力哉 撮影:岩永洋 美術:禪洲幸久 音楽:ゲイリー芦屋
キネマ旬報:8位

見終わればトイレを出る時のようなスッキリとした気分
 角田光代の同名小説が原作。
 愛がなんだ、好きならば何も考える必要はない、がテーマで、昔流にいえば「恋は盲目」を描いた作品。タイトルから愛がテーマだと思うのは間違いで、恋がテーマ。レイモンド・カーヴァーの『愛について語るときに我々の語ること』風にいえば、5人の男女による「恋について語るときに我々の語ること」。
 主人公のストーカー女・照子(岸井ゆきの)はクズ男の守(成田凌)に恋していて、守はケセラセラ女・すみれ(江口のりこ)に恋していて、照子の親友でお姫様・葉子(深川麻衣)に下僕男・中村が恋している。
 あとは、それぞれの恋愛観、というよりは男女の人間関係の在り方について語られていくが、それぞれの現代的、というよりは風俗的なキャラクター造形が良くできていて、話の内容はそのままトイレに流してしまうのに相応しいが、臭い話は臭いなりに不思議と引き込まれてしまい、見終わればトイレを出る時のようなスッキリとした気分になる。
 トイレを比喩にすれば、照子はジャンクフードのような守に人生を投げうってしまうトコトン糞詰まり女で、喰いついたら絶対に離れないサナダムシのような女を岸井ゆきのが好演する。劇中では、不思議ちゃんというよりは不気味ちゃんと表現される。
 ファンタスティックな5人をまるでリアリティがあるかのように思わせてしまう演出が見どころで、俳優たちの演技も良く応えているが、江口のりこの人生を捨てたような女ぶりがいい。 (評価:2.5)

製作:「来る」製作委員会
公開:2018年12月7日
監督:中島哲也 製作:市川南 脚本:中島哲也、岩井秀人、門間宣裕 撮影:岡村良憲 美術:桑島十和子 音楽:冨永恵介、成川沙世子

心の闇と共にテーマも異界に飲み込まれてしまった感
 澤村伊智のホラー小説『ぼぎわんが、来る』が原作。
 前作『渇き。』(2014)で観念的なミステリー作品を撮った中島哲也なので、今回も通常のホラー作品にはならない。テーマは傷つくことを怖れる現代社会の人々で、そうした点では立派に観念的なのだが、ホラーとしても成立させようとした意気込みと判然としない暗喩とのコンフリクトが、結局わかりにくい作品にしてしまった。
 主要なメタファーは、異界との境界を示す芋虫、人々の自傷と受傷と痛み、異界を呼び寄せる女児・知紗(志田愛珠)が夢見るオムライスで、周囲との軋轢を避けるために八方美人となる軽佻な父親・秀樹(妻夫木聡)を中心に物語は展開する。
 彼には子供時代、お山に連れ去られた友達チサとの思い出があり、自らもお山に誘われるのを拒絶した過去がある。香奈(黒木華)と結婚して一女を設けるが、無意識に知紗と名付けてしまう。秀樹は誕生前からイクメンパパと幸せな家庭を演出するが、内実は子育てを妻に押し付け、妻は育児ノイローゼになっている。
 この秀樹のエゴイズムがお山=異界という闇を呼び寄せ、一家は崩壊していくが、異界のもう一人の触媒である秀樹の大学時代の友人・津田(青木崇高)を通じて香奈も育児放棄というエゴイズムの闇に引き寄せられる。
 魔祓いのために登場するのがライターの野崎(岡田准一)と霊媒師・真琴(小松菜奈)で、真琴は自ら傷つくことで異界を退けようとするが、力を増すお山には敵わず、真正霊媒師の姉(松たか子)によって鎮められる。
 クライマックスでは警察幹部も登場し全国から霊媒師・禰宜・僧侶が総動員されるので、人々が呼び込んだお山=異界の強大化が社会を危機に陥れているということかもしれない。
 ラストシーンは子どもの産めない真琴が知紗の母となるという受傷から癒しへと転換するハッピーエンドで、知紗の夢見るオムライスのお山というメタファーになるが、好物であるオムライスそのものが知紗の欲望を示すネバーエンディング・ストーリーかもしれない。
 ホラーのためか従来のポップさには欠けるが、時間軸を軽快に流れていくテンポは健在で、CGを使った美術やVFXはホラー映画としてもよくできている。
 柴田理恵演じる霊媒師を通して、痛みが生きている証と言わせ、傷つくこと、傷つけあうことを怖れ、かりそめの友愛に安寧を見出す人々を警鐘するが、テーマもまた異界に飲み込まれてしまった感があって、伝わっているかは心許ない。 (評価:2.5)

製作:松竹ブロードキャスティング
公開:2018年11月16日
監督:野尻克己 製作:井田寛 脚本:野尻克己 撮影:中尾正人 美術:渡辺大智、塚根潤 音楽:明星/Akeboshi
キネマ旬報:6位

コメディとシリアスの間を極端に振れてどっちつかず
 鈴木家の長男・浩一(加瀬亮)が引き籠りの末に自宅で首つり自殺。それを発見した母(原日出子)が気を失い卒倒。それを発見した長女(木竜麻生)が警察に連絡するも、母は入退院の末、ショックで記憶喪失となり、家族は浩一がアルゼンチンに行ったことにして自殺を隠すというのが鈴木家の嘘。
 この嘘に積極的に加担するのが長女とアルゼンチンにエビ養殖の会社を持つ母の弟(大森南朋)。父(岸部一徳)は浩一が生命保険の受取人にソープ嬢イブの名を残したことから、息子の真実を知ろうとイブ捜しを始める。
 基本はコメディなのだが、話がシリアスなため、演出は両極の間を極端に振れ、見る方の感情も振り回されてどっちつかず。全体として見れば、遺された3人がそれぞれに浩一の自殺の責任が自分にあると考え、長男を溺愛していた母を精神的に守ろうとする家族愛の物語となっている。
 そのため、家族のテーマ、引き籠りのテーマ、単なるブラックコメディと、観客もそれぞれの間を引きずり回されることになる。
 エピソードや各シーンはそれなりに出来ていて、何も考えずにエンタテイメントとして楽しめるようにはなってるが、作品としては纏まりを欠いたモザイク画のようで、見終わって残るものがない。
 終盤、母の卒倒の原因が、ロープを切ろうとして手首を切った失血によるものと明かされるが、前半では手首に傷があるのに、後追いで腹を刺そうとしたのじゃないかと言ってみせたり、そもそも失血で記憶を失うというのも変な話。
 暗くなって帰ってきた長女が灯りをつけないのも不自然で、鈴木家同様に嘘の多いシナリオ。鞄を持って家族そろって家を出るラストシーンでは、イブに会いに行くのか転居なのか目的がはっきりせず、演出的な詰めが甘い。 (評価:2.5)

モリのいる場所

製作:日活、バンダイビジュアル、イオンエンターテイメント、ベンチャーバンク、朝日新聞社、ダブ
公開:2018年5月19日
監督:沖田修一 脚本:沖田修一 撮影:月永雄太 美術:安宅紀史 音楽:牛尾憲輔

うどんを箸で挟もうとして滑り落ちてしまう山崎努の至芸
 画家の熊谷守一の晩年を描いた作品。
 熊谷は晩年、豊島区千早町の家に引き籠り、庭の自然観察に勤しみながら30年間の蟄居生活を送る。その仙人のような暮らしぶりを山崎努がコミカルに演じ、見どころはほぼ山崎の演技に尽きると言っていい。
 仙人らしく人と交わることも世俗に染まることも忌避、ひっそりと息を潜めながらも外出を試みるが、近くに子供の姿を見かけて慌てて家に戻るシーンが熊谷の人となりを表して上手い。
 山崎の演技の極致はうどんを食べるシーンで、箸で何度も摘まむが滑り落ちてしまうという至芸を見せる。対する老妻役の樹木希林も巧みなのだが、それを抑えての山崎のワンマンショーとなっている。
 そうした熊谷の仙境ともいえる世界にずかずかと割り込んでくるのが、近くに建つマンションで、ある種の文明批判ともなっているが、そこは熊谷同様、仙人のように超然として世俗に交わることをしない作品にしている。
 昭和天皇が熊谷の「伸餅」という作品を見た際に「これは何歳の子が描いたのか?」と質問したというエピソードがあるそうで、冒頭でそのシーンを林与一が演じる。
 熊谷のペースに付き合ってスナップ写真を撮るカメラマンに加瀬亮など、脇を固める俳優もいい。 (評価:2.5)

マスカレード・ホテル

製作:フジテレビジョン、集英社、ジェイ・ストーム、東宝
公開:2019年1月18日
監督:鈴木雅之 製作:石原隆、木下暢起、藤島ジュリーK.、市川南 脚本:岡田道尚 撮影:江原祥二 美術:あべ木陽次 音楽:佐藤直紀

ミステリーというよりは人間模様を描いた『グランド・ホテル』
 東野圭吾の同名小説が原作。
 都内の一流ホテルを舞台としたミステリーで、美人のフロント係・山岸(長澤まさみ)とコンビを組む潜入捜査官・新田(木村拓哉)を中心に物語は展開する。
 事件は連続殺人事件で、1件目の殺害現場に緯度経度で示された2件目の殺害場所の予告が書かれた紙が残され、同様に2件目の殺害現場には3件目の殺害場所の緯度経度の予告メモが残され、舞台となるホテルは4件目の殺害場所として示されていたというもの。
 もっとも、物語そのものはミステリーというよりは『グランド・ホテル』(1932)同様にホテルの宿泊客の人間模様を描いた群像劇で、視覚障害者のふりをしてホテルの対応を探る老女(松たか子)、ストーカーに追われているという女(菜々緒)、新田に因縁をつける元恩師(生瀬勝久)、ホテルで挙式予定の花嫁(前田敦子)などが登場する。
 事件解決後に、ほんわかラブストーリーで幕を閉じるのも『グランド・ホテル』と同じで、たぶんに名作を意識した作りになっている。
 ホテル名はコンテシア東京で、マスカレード(masquerade)は仮面舞踏会のこと。主題曲もハチャトゥリアンの組曲「仮面舞踏会」のワルツに似せたものになっていて、一流ホテルにやってくる客は虚飾の仮面を被って正体を隠した者たち、ゲストとしての過剰な処遇を求める俗物たちの仮面舞踏会のようなものだというのがテーマになっている。
 そのためミステリーとしては不自然な組み立てになっていて、座標による暗号トリックも含めて無理やり感があり、連続殺人事件については駆け足で説明不足。シナリオ・演出共に謎解きよりは仮面舞踏会に重きを置いているので、ミステリーを期待すると裏切られる。
 俳優陣もバラエティに富み、長澤まさみも頑張っているので気楽に楽しめるドラマとなっているが、木村拓哉がいつもの一本調子のキムタク演技のために長澤との掛け合いが薄味になっていて、大泉洋あたりが演じていればもっと面白くなっただろうにと惜しまれる。 (評価:2.5)

沖縄スパイ戦史

製作:DOCUMENTARY JAPAN、東風、三上智恵、大矢英代
公開:2018年7月28日
監督:三上智恵、大矢英代 撮影:平田守 音楽:勝井祐二

底知れない戦争の業への掘り下げが甘い
 沖縄戦で本島北部ゲリラ戦を戦った少年兵・護郷隊と、波照間島の島民の西表島移住等を題材に、これらを指揮した陸軍中野学校出身の青年将校らによる歴史に埋もれた戦争犯罪を発掘するドキュメンタリー。
 同時にこれらを与那国島など八重山諸島への自衛隊の基地展開に結び付け、戦禍の再来への警鐘とするが、後半部分では政治的主張が前面に出すぎていて、事実のみを提示して判断を観客に委ねるというドキュメンタリーとしては、中立性を損なっているのが残念なところ。
 自衛隊法の問題点については、本作とは切り離して別にテーマ立てをすべきで、護郷隊、強制移住、住民殺害など陸軍中野学校に関係するものをごった煮にしてしまったために焦点がぼやけ、今一つテーマが明確になっていない…というよりは、自衛隊の離島配備反対にテーマを収斂させたかったのか。
 各題材を繋ぐ核となっている陸軍中野学校の沖縄戦における役割についての掘り下げも不十分で、戦争犯罪に関与した中野学校関係者への取材も甘い。
 本島北部での住民殺害に関与した民間人について、あれだけの惨禍を招いた沖縄ですら、住民同士が死ぬまで不可触にしていたという闇が、底知れない戦争の業を感じさせ、最も追求すべきテーマに思えるが、ここでも本作の掘り下げは甘い。 (評価:2.5)

空飛ぶタイヤ

製作:「空飛ぶタイヤ」製作委員会
公開:2018年6月15日
監督:本木克英 脚本:林民夫 撮影:藤澤順一 美術:西村貴志 音楽:安川午朗

リコール隠しを描く社会派ドラマというよりは企業ドラマ
 池井戸潤の同名小説が原作。
 2002年に起きた三菱自動車の大型トレーラーのタイヤ脱輪による横浜母子3人死傷事故とリコール隠しを基にした社会派映画。
 事故を起こした運送会社社長(長瀬智也)が真相究明に奔走するのを軸に、同社内の従業員、事故車を製造した財閥系自動車メーカー、両社に融資しする同じ財閥系列の銀行、事故を捜査する神奈川県警、リコール隠しの内部告発を受けて取材する週刊誌記者(小池栄子)、遺族が絡んだ物語となっている。
 原作が経済小説なので、社会派ドラマというよりは企業ドラマになっていて、重心は自動車メーカーの販売課課長(ディーン・フジオカ)が事故に対し、会社員としてどう対処すべきかという話になっている。
 自動車の欠陥問題を隠蔽しようとする常務(岸部一徳)を中心とした社内組織、それに反発して週刊誌に内部告発し左遷される技術者、欠陥問題を社長に上げ社内を上手く渡ろうとしながらも失敗する販売課課長。
 経営危機に陥る運送会社から貸付金回収を図る一方、欠陥車対策で資金難に陥る自動車メーカーへの貸付を渋る、官僚的な財閥系銀行マン(高橋一生)。
 告発記事を広告部から差し止められる週刊誌と、それに諾々と従う記者。
 中小企業の運送会社社長は、そうした中で会社を潰してでも正義を貫こうとするが、あまりにヒロイズム。遺族の怒りと悲嘆も過剰で、情緒に偏りすぎたドラマ作りに引いてしまう。
 そして最後は自動車メーカー常務の逮捕で留飲を下げさせるという通俗なドラマツルギーからは、この事件の何が問題だったのかという真相には至らず、社会派の告発映画にはなっていない。
 神奈川県警の捜査も熱血刑事(寺脇康文)の空回りだけで主体性がなく、で? という感想に終わってしまう。運送会社社長の妻に深田恭子。 (評価:2.5)

ワイルドツアー

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製作:山口情報芸術センター
公開:2019年3月30日
監督:三宅唱 脚本:三宅唱 撮影:三宅唱 音楽:Hi’Spec

ワークショップらしい素人臭さが新鮮で清々しい
 山口県のYCAM(山口情報芸術センター)で行われているワークショップを舞台に、地元の植物を採取してDNAを解析する中学生2人と進行役の女子大学生の活動を描く。
 実際の活動をカメラで追っていくため、当初はドキュメンタリーと勘違いするが、少年が「山口のDNA図鑑」のワークショップにいる友達に会いに来たところで、これがフィクションであることに気づく。
 DNAを解析するワークショップに参加する中学生と女子大学生を演じている3人は、本作の映像制作というワークショップに参加している作り手で、従って彼らはスマホで自らの活動を記録して日記風にストーリーを進めていく。
 物語には展開と何らかの結末が必要で、「山口のDNA図鑑」の活動中に中学生2人が女子大学生に恋するという物語性を加えていく。
 少年2人が年上の女性に恋する淡い青春物語という、それ自体はありふれた内容なのだが、映像制作のワークショップの過程をそのまま映画にしてしまうという制作手法が面白い。
 何を描くか模索している間に、結局恋物語という月並みな展開と結末になってしまったともいえ、ワークショップらしい素人臭い作品ともいえるが、3人の演者の素人臭さが新鮮で清々しくもある。 (評価:2.5)

岬の兄妹

製作:片山慎三
公開:2019年3月1日
監督:片山慎三 製作:片山慎三 脚本:片山慎三 撮影:池田直矢、春木康輔 美術:松塚隆史 音楽:高位妃楊子

障碍者タブーの限界に挑戦するがキワモノめいた印象は拭えない
 タイトル通り、地上の端っこに追い詰められた底辺に生きる兄妹を描いたもので、いわばゴーリキーの『どん底』の現代版、黒澤明翻案の同名映画(1957)等を連想するが、本作は身体障碍者の兄と知的障碍者の妹というこれ以上ないような設定になっている。
 究極の社会の底辺、救いのない棄民を描くが、なぜ生活保護や障害者手当を受けないのかという疑問は本作の根底を揺るがすことになるので、あくまでも棄民がテーマなんだと本作の意図を汲むことにするが、テーマとしてそうした人たちを如何に救うかという問題提起には繋がってなく、ただ棄民という存在を極端に描くだけで夢も希望もない、ファンタスティックで自己満足的プロレタリア映画に終わっていると考えてしまうと、あまり本作に意義を見い出せない。
 障碍者の兄妹だけでなく小人症の青年まで登場して、障碍者タブーの限界にまで挑戦しているが、キワモノめいた印象は拭えない。
 妹・和田光沙の無修正全裸シーンや、幼少期にブランコに股間を押し付けるシーンを子役に演じさせていて、タブーというよりは倫理にも問題がある。
 そうしたキワモノ的な興味を引き付けられることと、何となく社会派作品を見ている気になることで、若干の嫌悪感を抱きながらも見通してしまう。
 物語は漁師町で妹と暮らす兄が、身体障碍が理由で解雇され、生活苦に陥り妹に売春をさせるというもの。周囲から虫けらのように虐げられ、挙句に妹が妊娠し窮地に陥るが、復職の話があり、客らしき電話もあって…というところでエンドとなる。
 演出はよく、撮影もカメラの手持ちや移動に臨場感がある。 (評価:2.5)

製作:フジテレビジョン、AOI Pro.、ギャガ
公開:2018年6月8日
監督:是枝裕和 製作:石原隆、依田巽、中江康人 脚本:是枝裕和 撮影:近藤龍人 美術:三ツ松けいこ 音楽:細野晴臣
キネマ旬報:1位
毎日映画コンクール大賞 カンヌ映画祭パルム・ドール

血縁より愛情・信頼が家族の絆というセコハン・ヒューマニズム
 是枝裕和のライフワーク・家族がテーマの作品だが、家族の崩壊ないしは家族の意味を問うにしては、児童虐待など類型的で今更な上に表層的。疑似家族を通して家族の本質を問うにしては、万引きによって金銭的に相互依存しているだけの関係でしかない。
 真の家族関係であれば扶養の義務が生じるが、疑似家族にはその義務がないだけに近親憎悪やDVに走ることのない気楽な関係を結べるという洞察もなく、血縁よりも愛情と信頼が家族の絆という使い古されたヒューマニズム以上には描かれない。
 家族というテーマを鰻のように捕まえ切れていないのは、終盤の警察の事情聴取に対する疑似家族一人ひとりの答えの混迷ぶりに表れていて、是枝が自身のカオスの中に観客を招き入れるという、制作者としてはいささか恥ずかしい作品になっている。
 疑似家族の父親(リリー・フランキー)と息子(城桧吏)、その妹(佐々木みゆ)が万引きを繰り返す前半のシーンは変化もなく冗長だが、警察に捕まってからの物語の迷走ぶりは更にひどい。日本人にはリアリティのない空虚な設定も、西洋人には東洋の神秘に映ったのか、カンヌ国際映画祭パルム・ドールを受賞した。
 孤独な老人が疑似家族に安らぎを得るというものにルキノ・ヴィスコンティの『家族の肖像』があるが、本作では疑似家族に招き入れられるのが年端もいかない幼女というあざとさが鼻につく。
 母親に安藤サクラ、その妹に松岡茉優、祖母に樹木希林。安藤サクラの演技がいい。 (評価:2)

製作:海獣シアター
公開:2018年11月24日
監督:塚本晋也 製作:塚本晋也 脚本:塚本晋也 撮影:塚本晋也、林啓史 美術:遠藤剛 音楽:石川忠
キネマ旬報:7位

蒼井優が何処にでもついてくるのがウザい
 塚本晋也の初時代劇作品。
 江戸時代末期の江戸近郊の農村が舞台。若い浪人の都筑(池松壮亮)は、喰うために農家を手伝っている。そこに佐幕派の澤村(塚本晋也)が現れ、都筑の剣術の腕を見込んでスカウト、京に行くことになる。
 ところが浪人崩れの無法者たちが村にやってきて、農家の若者を傷つけたことから澤村が成敗。ところが逃げ延びた一人(中村達也)が更に仲間を呼んで村人たちを殺戮。暴力が暴力を呼ぶ展開になる。
 都筑は暴力の連鎖を止めるように澤村に懇願するが、それでは倒幕派と戦うことはできないと澤村に刀を抜かせる。
 剣術は達者ながら人を斬ったことのない都筑は、無法者を斬ることができず、目の前で恋仲の農家の娘・ゆう(蒼井優)が強姦されてしまう。
 京に上ることを諦めて逃げ出した都筑を斬ろうと澤村が追い詰めるが、刹那、都筑は澤村を斬り殺してしまい、山中を逃げていくというラスト。
 人を斬ることのできない若者を通して暴力の是非をテーマに描くが、葛藤する若者を池松が好演する。池松の連続した殺陣も大きな見どころで、塚本自身も頑張っている。
 大量の血しぶきが舞い、血糊も凄いが、都筑と澤村の最後の対決はともに手負いで、失血死しないのが不思議なくらいに血を流し続ける。
 残酷描写とアクションで見せるが、それだけなのでストーリー的には単調で終盤飽きが来る。
 紅一点の蒼井をアイドル並みにフューチャーするが、剣劇では出番が少ないとあって、金魚の糞のように何処にでもついてくるのがウザい。ぶりっこの演技と台詞回しもウザいが、それが演出の狙いなのか、そうした演技しかできないのか? (評価:2)

製作:「孤狼の血」製作委員会
公開:2018年5月12日
監督:白石和彌 脚本:池上純哉 撮影:灰原隆裕 美術:今村力 音楽:安川午朗
キネマ旬報:5位

『仁義なき戦い』風の演出と刑事ドラマは水と油
 柚月裕子の同名小説が原作。
 昭和63年の広島を舞台にしたヤクザ映画といえば容易に察しがつくのが『仁義なき戦い』(1973)で、いわばオマージュ作品。冒頭はドキュメンタリー風のナレーションや手持ちカメラで『仁義なき戦い』風に始まるが、直ぐに固定カメラでの呉の港を見下ろすロングショットとなると、もう違う。以降は、普通に劇映画のマル暴刑事ものとなり、呉で加古村組と対立する尾谷組と癒着する悪徳刑事(役所広司)と県警本部から左遷された広島大卒の若手刑事(松坂桃李)の凸凹コンビの物語となる。
 ヤクザ間の抗争が描かれるものの、内容としてはミステリー。若手刑事は悪徳刑事の査察のために所轄に送り込まれ、過去の暴力団幹部殺害が絡んでいる。若手刑事は薬局の店員(阿部純子)と仲良くなるが、出番の少ない彼女の正体は最後に明らかになる。
 査察にも裏があって、悪徳刑事もただの悪徳刑事ではないという仕掛けになっているが、途中で死んでしまい、若手刑事が悪徳刑事の遺志を継いで悪徳刑事になるというラストとなる。
 ヤクザに竹野内豊、嶋田久作、ピエール瀧、石橋蓮司、伊吹吾郎、江口洋介とバラエティ豊か。真木よう子演じるクラブのママが、ヤクザの情婦のなのに「私ら素人」という台詞が笑える。
 中盤は展開がとろくて退屈するが、冒頭と一部『仁義なき戦い』風の演出と刑事ドラマとは水と油で、これに違和感を持たない白石和彌の演出センスにはいささか疑問符がつく。 (評価:2)

製作:「菊とギロチン」合同製作舎
公開:2018年7月7日
監督:瀬々敬久 脚本:相澤虎之助、瀬々敬久 撮影:鍋島淳裕 美術:露木恵美子 音楽:安川午朗
キネマ旬報:2位

今更なテーマに昭和の頃の映画を見ているような錯覚
 大正のアナーキスト集団、ギロチン社の中浜鉄(東出昌大)と古田大次郎(寛一郎)が女相撲興行の見物に行ったことから力士の花菊(木竜麻生)と十勝川(韓英恵)のファンとなり、一座と行動を共にするという物語。
 一座には朝鮮人の十勝川や琉球人の与那国、家出妻がいて、女性、マイノリティ、農民、労働者といった弱者の世界が描かれていく。象徴的存在となるのが花菊で、姉が死んで義兄の後妻にされ、DVを受けて逃亡。女相撲に入ったのは、強くなって夫に勝負を挑むというもの。
 アナーキストは軍部の弾圧を受け、一座は官憲に監視され、朝鮮人は在郷軍人・自警団にリンチされ、琉球人は差別を受ける。そうした中で、中浜らは格差のない平等な社会を目指し強者に立ち向かうが、弱者の戦いは常に敗れるしかなく、「女一人も助けられなくて革命ができるか!」の言葉も空しくエンディングを迎える。
 タイトルの菊が、女力士の花菊だけでなく天皇を示しているのは明らかで、朝鮮との歴史問題など至って政治的な作品なのだが、古くからのテーマに対して特に目新しいアプローチもなく、今更ながらのアナーキストと共産主義が題材というアナクロニズムに、昭和の頃の映画を見ているような錯覚に捉われる。
 当時繰り返されたテーマのデジャブを見せられているようで、緩慢で冗長なシナリオ・演出・編集と相まって、物語が進めば進むほどにエンドマークが待ち遠しくなる。それにしても無駄なカット、無駄に長いカットが多く、3時間余りは長尺というよりはラッシュフィルムのよう。
 ロケ地の茅葺き屋根の農村風景が美しい。 (評価:2)

愛しのアイリーン

製作:VAP、スターサンズ、朝日新聞社
公開:2018年9月14日
監督:吉田恵輔 製作:河村光庸、瀬井哲也、宮崎伸夫 脚本:吉田恵輔 撮影:志田貴之 美術:丸尾知行 音楽:ウォン・ウィンツァン

90年代の古びたテーマに親の扶養を絡めるが…
 新井英樹の同名漫画が原作。『ビッグコミックスピリッツ』連載は1995~6年で、当時は農村の嫁不足、フィリピン人妻、フィリピン女性の出稼ぎや人身売買組織などが社会問題だった。最近は農村に限らず国際結婚が進み、外国人労働者も水商売だけでなく街に溢れるようになり、時代は大きく変わった。
 本作についていえば、20年以上経って今更映画化する意義が見つからない。
 主人公は40歳になる岩男(安田顕)だが、農家の跡取りではなくパチンコ店勤め。老母(木野花)との二人暮らしで、旧家で気位が高いために嫁が見つからない。
 岩男は同僚のシングルマザー(河井青葉)に密かに思いを寄せているが、真面目そうな外見とは裏腹に誰とでも寝ることがわかり、失意の岩男はフィリピンに嫁探しに行く。連れ帰ったのがアイリーンで、老母はこれを拒絶し、女衒(伊勢谷友介)に売り渡そうとする。
 ここからが急展開で、アイリーンを守るために岩男が猟銃で女衒を射殺。女衒の仲間から脅迫され、誰構わず性欲を発散するようになり、アイリーンとの関係も悪化。山中で事故死し、残った老母はアイリーンに姥捨てをさせるというストーリー。
 原作が古びたためか、親の扶養をテーマに据えていて、身を売って故郷の両親に仕送りするフィリピーナと親を捨てる日本人を対比させ、アイリーンが他人である義母を養おうとして、姥捨てを命じられるという矛盾する立場に置かれる。
 もっともこのテーマにしても、90年代の古びたテーマにしても、どれも中途半端の生煮えで、ストーリーに振り回されてテーマが分散、何を描こうとしているのかわからず、見ているのが辛くなる。 (評価:2)

製作:函館シネマアイリス
公開:2018年9月1日
監督:三宅唱 製作:菅原和博 脚本:三宅唱 撮影:四宮秀俊 美術:井上心平 音楽:Hi’Spec
キネマ旬報:3位

世の中舐めている連中に歌ってくれる鳥なんかいない
 佐藤泰志の同名小説が原作。タイトルはビートルズの曲"And Your Bird Can Sing"からだが、映画には登場しない。
 函館が舞台。書店でアルバイトをしている僕(柄本佑)と佐知子(石橋静河)が恋人のような関係になり、僕がルームシェアしている無職の静雄(染谷将太)と3人で遊び呆けるという青春もの。僕は佐知子を束縛しないふりをして、やがて佐知子は静雄を好きになる。僕は物わかり良く身を引こうとするが、思い直して佐知子に愛の告白をするというラスト。
 ありふれたストーリーで、屈折した佐藤泰志の心情が僕に投影されていれば、それでも青春の蹉跌に沈む若者の物語になりえたが、僕を演じる柄本佑があまりに軽い。
 単なる怠け者、単なるスケコマシで、簡単に切れて暴力を振るってしまう現代若者像を演じてはいるが、それでは単なるスネ者でしかなく、人生に葛藤しない。それこそが現代の若者の閉塞感だというなら、何も佐藤泰志の小説を使う必要はなかった。
 舞台を東京から函館に変更したしたことも含めて、函館シネマアイリスが製作だから函館出身の佐藤泰志の小説を映画化したという事情が透けて見え、いかにもな現代の風俗だけを描いた底の浅い作品になってしまった。
 佐知子も何も考えないただの尻軽女で、静雄を好きになったのもケ・セラ・セラ。せいぜいが僕が大事にしてくれなかったから程度のメロドラマでしかない。
 静雄だけが多少まともにも見えるが、僕と佐知子に引き摺り回されるだけの主体性のない男で、無職なのに遊び呆けているだけ。そもそも、3人とも金がないのにどうやって毎晩遊び歩く遊興費を手に入れているかも謎。
 世の中舐めているだけで、これが僕らの青春だ! などと嘯いている3人に、歌ってくれる鳥なんかいるはずもない。
 薄っぺらいキャラクター造形に、佐藤泰志の原作を使った意味がない。 (評価:2)

製作:『日日是好日』製作委員会
公開:2018年10月13日
監督:大森立嗣 脚本:大森立嗣 撮影:槇憲治 美術:原田満生、堀明元紀 音楽:世武裕子
キネマ旬報:9位

時々、虫唾が走る茶道シーンがあるので要注意
 森下典子のエッセイ『日日是好日―「お茶」が教えてくれた15のしあわせ-』が原作。
 端的にいえば、二十四節気を中心にお茶の作法と茶室の掛け軸、茶席の着物と和菓子について描いた作品で、季節の移ろい、自然と共に如何に心身を一体化させられるか、その極意を主人公を通して語る。
 主人公の典子(黒木華)は女子大生の時に行儀見習いのために従姉(多部未華子)と共に武田(樹木希林)の茶道教室に通い始め、扁額の「日日是好日」の文字に出会う。以降、茶道とも馬が合い、茶の道は水の音、自然の声を聞いて一体となることと会得。雨の日も晴れの日も自然と共に営む変哲のない一日一日がこれ好日なりと達観するまでを描く。
 1970年代に始まるので、従姉が就職後、郷里に帰って開業医と見合い結婚するとか、現代にはそぐわない話も出てくるが、なんといっても典子のお嬢さんぶりで、いったい着物を何着持っているのかという和服ファッションショーが凄い。
 茶席の和菓子も季節を彩る風雅で、和菓子カタログを見ているよう。
 こんな金持ちに「日日是好日」と茶の道を説かれても別世界の話で、庶民には無縁の高等遊民の世界を映画にしようとした大森立嗣のハイソな感覚にも唸らされる。
 煙すら立たなかった典子の失恋話も唐突で、茶道の極意ばかりでドラマがおざなり。時々、虫唾が走る茶道シーンがあるので要注意。ファザコン典子のパパに鶴見辰吾。 (評価:2)

四月の永い夢

製作:WIT STUDIO
公開:2018年5月12日
監督:中川龍太郎 脚本:中川龍太郎、吉野竜平 撮影:平野礼 音楽:加藤久貴

センチメントの大半は朝倉あきのアイコンに支えられている
 物語は3年前に死んだ恋人の母親の手紙から始まり、新たに自分に好意を持つ青年が現れ、再就職話もありながら新しい一歩を踏み出せないでいる時に、死んだ恋人の実家を訪ね、帰り際に青年のラジオ投稿を聞いて新しい扉を開く・・・らしい、と想像させて終わる、とってもポエムな作品。
 恋人は主人公と別れたことが原因で死んだらしい、それが痛手で主人公は学校教師をやめたらしい、それ以来3年を逼塞して生きてきたらしい、主人公は恋人の家族とも相当に親しかったらしい、両親は息子の納骨を3年間もできないほどにナイーブらしい・・・といったように観客に忖度ばかりを求める作品で、主人公がどうしてそこまで恋人を忘れられないでいるのかが全く説明されない。
 そうして点では典型的な中二病作品で、上手く言えないけどわかってほしいという芸術家もどきにありがちな甘え、言葉よりは感性だという言いわけ、逃避を繊細と思い込む勘違いで、センチメントだけに訴える。
 いわば薄幸なお姫様が苦難に耐えていると、素敵な王子様が現れ、お姫様を可哀想な身の上から救ってくれるという、少女漫画にありがちなメルヘン。
 主人公を演じる朝倉あきは、このメルヘンなお姫様を演じるにはぴったりで、センチメントの大半は彼女のアイコンに支えられている。
 恋人の母を演じる高橋惠子とのやり取りで、人生とはあらゆるものが失われていく過程という穿った人生観が語られるのも、なんだか青臭くて白ける。 (評価:2)

未来のミライ

製作:NTTドコモ、日本テレビ放送網、KADOKAWA、スタジオ地図
公開:2018年7月20日
監督:細田守 脚本:細田守 作画監督:青山浩行、秦綾子 美術:大森崇、髙松洋平 音楽:高木正勝

エピソードが決定的につまらないアイディア倒れの作品
 4歳の男児・くんちゃんが主人公で、妹ミライが生まれたところから物語はスタートするが、5分も経たないうちに駄作の予感がして見始めたことを後悔する。いっそ見るのをやめて、このアニメは見なかったことにしようかと迷うが、取り敢えず最後まで見ることにした。
 駄作の予感の第一は、くんちゃんの声優・上白石萌歌が若い女性の声のままで、男児に聞こえないこと。第二に退院した直後から、乳児について無知を絵に描いたような描写ばかりが続き、リアリティの欠片もないこと。好意的に見れば、細田守が乳児を身近に見たことがないか、子供がいるとすれば、アニメスタジオに籠りきりで子育てに全くノータッチだったかのどちらか。
 どちらでもないとすれば、子供の観察眼は皆無で、優れた観察力を持っていた高畑勲の『アルプスの少女ハイジ』、『かぐや姫の物語』、『火垂るの墓』等々の作品に学んだ方が良い。子供を知らない者が、いくら子供の成長や家族の物語を描いても、正しく絵空事にしかならない。
 物語は長男長女にありがちな、両親の愛情を独占してきたところに第二子が生まれて嫉妬や疎外感を抱くというもので、それを克服して兄姉に脱皮していく成長が描かれる。
 もっとも話の中心となるのは、くんちゃんの空想なのか、白昼夢なのか、はたまた妄想なのか、タイムスリップなのか、よくわからない精神離脱のエピソード。現実の物語の中で唐突に始まり、しかもそれらに整合性がないために、観る者をいたずらに混乱させる。
 細田の意図を斟酌すれば、くんちゃんを通して自己と他の区別、客観的な視点を獲得する幼児期の成長過程を描き、自己の存在が世代を超えて続くファミリー・ツリーの一角に位置し、家族の繋がりの大切さを知る物語ということになるが、幼児に理解できる話でもなく、かといって大人にそれを説かれても今更で、一体誰を対象に作った作品なのか意味不明。
 中学生になった未来の妹・未来や、祖母、祖父、曾祖父、母、そして飼い犬までが人間となり、時空を超えてくんちゃんと交わるが、エピソードが決定的につまらないというアイディア倒れの作品。 (評価:1)


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