海月衛 映画帖
~映画の大海原をたゆたう~

日本映画レビュー──2012年

製作:​ス​タ​ー​サ​ン​ズ
公開:2012年8月4日
監督:ヤン・ヨンヒ 脚本:ヤン・ヨンヒ 撮影:戸田義久 音楽:岩代太郎 美術:丸尾知行
キネマ旬報:1位
ブルーリボン作品賞

あなたが嫌いな国で私は死ぬまで生きなければならない
 ​在​日​朝​鮮​人​・​梁​英​姫​(​ヤ​ン​・​ヨ​ン​ヒ​)​が​実​体​験​を​基​に​監​督​・​脚​本​し​た​映​画​。​ブ​ル​ー​リ​ボ​ン​作​品​賞​等​を​受​賞​。
​ ​1​9​9​7​年​夏​、​北​千​住​で​暮​ら​す​リ​エ​(​安​藤​サ​ク​ラ​)​の​家​に​、​ピ​ョ​ン​ヤ​ン​の​兄​ソ​ン​ホ​(​井​浦​新​)​が​一​時​帰​国​す​る​。​2​5​年​前​、​中​学​生​だ​っ​た​ソ​ン​ホ​は​総​連​が​推​進​す​る​帰​国​事​業​で​北​朝​鮮​に​移​住​し​た​。​朝​鮮​総​連​幹​部​だ​っ​た​父​(​津​嘉​山​正​種​)​の​立​場​を​考​え​て​の​移​住​だ​っ​た​こ​と​、​叔​父​(​諏​訪​太​朗​)​が​そ​れ​に​反​対​し​て​い​た​こ​と​は​ド​ラ​マ​の​進​行​と​と​も​に​明​ら​か​に​な​る​。
​ ​兄​の​帰​国​に​リ​エ​は​嬉​し​さ​を​隠​し​き​れ​ず​、​兄​を​自​分​の​部​屋​に​泊​め​、​身​の​回​り​の​世​話​や​朝​鮮​学​校​の​友​達​と​の​会​合​に​連​れ​回​す​。​ソ​ン​ホ​の​帰​国​理​由​は​脳​腫​瘍​の​治​療​の​た​め​だ​っ​た​が​、​北​朝​鮮​か​ら​の​監​視​ヤ​ン​(​ヤ​ン​・​イ​ク​チ​ュ​ン​)​の​見​張​り​が​つ​き​、​診​療​の​結​果​、​3​ヶ​月​の​滞​在​期​間​で​は​手​術​を​受​け​る​こ​と​が​で​き​な​い​こ​と​が​わ​か​る​。
​ ​リ​エ​は​ソ​ン​ホ​か​ら​在​日​朝​鮮​人​の​密​告​役​の​誘​い​を​受​け​る​。​裏​の​仕​事​の​依​頼​を​受​け​て​い​た​こ​と​に​リ​エ​と​父​は​愕​然​と​す​る​。​「​あ​な​た​の​住​む​国​が​大​嫌​い​だ​」​と​抗​議​す​る​リ​エ​に​、​ヤ​ン​が​「​あ​な​た​が​嫌​い​な​そ​の​国​で​、​私​は​死​ぬ​ま​で​生​き​な​け​れ​ば​な​ら​な​い​の​だ​」​と​答​え​る​シ​ー​ン​が​重​い​。
​ ​理​由​も​わ​か​ら​ず​に​突​如​、​ソ​ン​ホ​の​帰​国​命​令​が​下​り​る​。​抗​議​す​る​父​に​ヤ​ン​は​、​「​命​令​が​絶​対​な​の​は​、​あ​な​た​が​一​番​よ​く​知​っ​て​い​る​で​し​ょ​う​」​と​諭​し​、​抗​議​さ​れ​た​こ​と​は​忘​れ​る​と​い​う​。
​ ​母​(​宮​崎​美​子​)​は​孫​の​た​め​に​貯​金​箱​に​貯​め​て​お​い​た​金​を​集​め​て​、​ソ​ン​ホ​の​背​広​の​ほ​か​に​、​ヤ​ン​の​背​広​と​子​供​の​た​め​の​土​産​を​用​意​す​る​。
​ ​同​じ​国​に​住​み​な​が​ら​、​民​族​的​に​も​政​治​的​に​も​不​幸​な​立​場​に​置​か​れ​て​い​る​在​日​朝​鮮​人​の​苦​悩​を​よ​く​知​ら​な​い​。​そ​う​し​た​人​々​の​祖​国​に​対​す​る​複​雑​な​思​い​、​過​去​へ​の​慙​愧​、​人​間​的​な​喜​怒​哀​楽​を​梁​英​姫​は​冷​静​か​つ​丁​寧​に​描​き​、​出​演​者​も​好​演​し​て​い​る​。
​ ​本​作​が​優​れ​て​い​る​の​は​、​在​日​朝​鮮​人​や​帰​国​者​の​境​遇​や​思​い​だ​け​で​な​く​、​北​朝​鮮​で​生​ま​れ​育​っ​た​監​視​役​に​対​し​て​も​人​間​的​な​目​を​向​け​て​い​る​こ​と​で​、​二​律​背​反​す​る​立​場​を​ヤ​ン​・​イ​ク​チ​ュ​ン​が​好​演​す​る​。
​ ​人​々​が​ナ​シ​ョ​ナ​リ​ズ​ム​に​躍​ら​さ​れ​て​い​る​今​の​ア​ジ​ア​で​、​国​家​と​人​と​の​関​係​が​最​も​シ​リ​ア​ス​な​の​が​北​朝​鮮​・​在​日​朝​鮮​人​で​、​本​作​は​日​本​人​に​と​っ​て​も​国​家​と​人​と​の​関​係​を​映​す​鏡​と​な​る​。
​ ​本​作​を​見​る​に​は​、​在​日​朝​鮮​人​社​会​と​朝​鮮​総​連​、​7​0​年​代​の​帰​国​事​業​に​つ​い​て​あ​る​程​度​知​っ​て​お​い​た​方​が​良​い​。
​ ​ソ​ン​ホ​の​元​ガ​ー​ル​フ​レ​ン​ド​に​京​野​こ​と​み​、​同​級​生​に​大​森​立​嗣​、​村​上​淳​、​省​吾​。 (評価:3.5)

ニッポンの嘘 報道写真家 福島菊次郎90歳

製作:「ニッポンの嘘 報道写真家 福島菊次郎90歳」製作委員会
公開:2012年8月4日
監督:長谷川三郎 撮影:山崎裕

「ごめんね」に集約される報道写真家の一生
 1921年生まれのフォトジャーナリスト、福島菊次郎の足跡を写真と共に追ったドキュメンタリー。
 福島の思想信条とは別に、一人の人間の姿をよく描き出したヒューマン・ドキュメンタリーとして、出色の出来となっている。キネ旬文化映画1位、毎日映画コンクールドキュメンタリー映画賞、日本映画ペンクラブ文化映画1位を受賞。
 太平洋戦争末期に特攻要員となった福島は、終戦後被爆者の写真集によってプロカメラマンとなる。その後は被爆者を中心に自衛隊、学生運動、三里塚、公害、ウーマンリブ、天皇、原発事故などをテーマに社会派の報道カメラマンとして写真集を発表し、90歳となっても活動を続ける。
 福島は写真を客観で撮るのではなく、ファインダーに心をのめり込ませるように主観で撮る。その姿は90歳となっても変わらないが、映し出される写真の中に、彼の感性が切り取ったものが鋭く描き出されているのがよくわかる。
 そうやって、福島は日本の社会の中で表面的に取り繕われているものの真実をえぐり出そうとし、それは我々のナアナア精神を寸分も許さずに決して妥協しない。それが福島の生き方であり、福島の写真であって、常識的に生きる我々は怯まざるを得ないのだが、我々の価値判断を超越して感動的ですらある。
 広島は平和都市になることで暗部と真実を隠蔽し、被爆者や朝鮮人などのマイノリティを差別しているという福島の主張は、逆説的ながら説得力を持って迫る。それは彼がテーマとするものすべてに共通し、国家を告発し続ける。
 しかし、福島は彼の写真によって社会を変えることができたのか?
 最初にテーマとした被爆者の墓に詣でる終盤のシーン。墓前に跪いて大粒の涙を流す彼が発したのは「ごめんね」だった。その言葉を考える時、被爆者を無遠慮に被写体としたことではなく、彼が望んだ「自分の姿を社会に知らしめねば死んでも死にきれない」に対して、福島が無力だったことへの慚愧であることに気付く。同時に、社会を変えることがことができなかったカメラマンとしての一生への悔恨でもある。
 ナレーションは大杉漣。 (評価:3.5)

製作:「苦役列車」製作委員会(東映、木下グループ、キングレコード、東映ビデオ、東映チャンネル、Yahoo! JAPAN、日本コロムビア、マッチポイント、ビターズ・エンド、東京スポーツ新聞社、ソニーPCL、niconico、CGCGスタジオ)
公開:2012年7月14日
監督:山下敦弘 脚本:いまおかしんじ 撮影:池内義浩 音楽:SHINCO 美術:安宅紀史
キネマ旬報:5位

森山未來の演技に尽きるミクロコスモス作品
 原作は西村賢太の同名の芥川賞受賞作で、私小説。
 主人公(森山未來)は、小学生の時に父親が性犯罪を犯したために家庭崩壊し、中学卒業とともに家を出て日雇いで暮らしている19歳の青年。稼いだ金は酒と風俗に消え、安アパートの家賃を踏み倒してはねぐらを変えるどうしようもない奴。
 その唯一の趣味が読書で、古本屋で店番をしている女子学生(前田敦子)に思いを寄せている。
 青年は日雇いのバイトで働く専門学校生(高良健吾)と仲良くなり、女子大生との仲を取り持ってもらい、トモダチになる。しかし、森山にはトモダチの関係性が理解できず、男の友達=一緒に性風俗に行く、女の友達=肉体関係を持つ、という単純化しかできない。
 日雇い先の年上の同僚との関係性も同じで、自分が最底辺にいるのを自覚するのと同様、彼らを最底辺にいる屑としか考えず、人間的な関係を結ぶことができない。
 そうした点で青年は愛情というものを理解できない、自己中心世界の殻に閉じ籠った幼児で、その原因が小学生の時の家庭崩壊にあることは容易に想像できる。
 その青年の精神的放浪、幼児性を森山は巧みに演じていて、どうしようもない人間でありながら、どこか憎めない。「ヤラしてくれよ、だってボクたちトモダチだろう」と言って女子大生に抱き付く純粋なまでの幼児性に、可愛らしささえ感じる。
 本作はこの森山の演技に尽きるところがあり、日雇い先で暴れて職を失い、専門学校生に「トモダチになってくれてありがとう」と言って別れるシーンが泣かせる。
 夢を持たなければいけないと諭した同僚(マキタスポーツ)が夢を実現するのを見て、小説を書き始めるシーンで終わるが、本作にはコンプレックスと自意識に凝り固まったミクロコスモスを描く私小説以上のものはなく、よくできた作品だが、残るものはない。 (評価:2.5)

製作:「わが母の記」製作委員会(松竹、キングレコード、電通、衛星劇場、中部日本放送、ワコー、Yahoo! JAPAN、朝日新聞社、静岡新聞社)
公開:2012年4月28日
監督:原田眞人 脚本:原田眞人 撮影:芦澤明子 音楽:富貴晴美 美術:山崎秀満
キネマ旬報:6位

ありきたりの感涙ラストには涙は流れない
 井上靖の同名小説が原作。原作は私小説で、幼少期の体験を基に書いた『しろばんば』のの後日談となっている。
 作者は幼少期に曽祖父の妾おぬいに育てられ、母には捨てられたという思いを持っている。小説家となった作者は、老母がおぬいに息子を奪われたと言うのを聞き咎め、真実を明らかにしようとする。ボケた振りなのか一筋縄ではいかない老母を芸達者の樹木希林、息子の小説家を役所広司が演じる。
 真実を知った息子はボケた母と和解するが、樹木が老醜をリアルに演じきるために、母の死にホッとするはずの世話をしている長女や役所が涙を流すのがどうにも嘘くさい。そもそもの真実が樹木演じる図太く無神経な母からは説得力がなく、演出の失敗かキャスティングミス。
 それまでの老母を巡る家族の複雑な思いがよく描けていただけに、ありきたりな感涙のラストシーンで通俗に堕してしまい、白けるだけで感動の涙は出てこない。
 1960~70年頃が時代背景となっているため、絶対的権威を振りかざす父親や姑の専横といった家父長的な古い家族形態が描かれ、懐かしさと同時に歴史証言ともなっている。本の奥付に印税の印鑑を押すという忘れられた慣習や、姥捨て山の絵本とおぬい・老母とのアナロジーも登場し、さすが井上靖の私小説と妙な感慨の残る作品。
 小説家の娘に宮﨑あおい、死にかけた父に三國連太郎が遺作となる迫真の最期を演じるが、所詮はタイトル通りの私小説的作品でしかなく、それ以上のものはない。 (評価:2.5)

この空の花 長岡花火物語

製作:「長岡映画」製作委員会
公開:2012年4月7日
監督:大林宣彦 製作:大林恭子、渡辺千雅 脚本:長谷川孝治、大林宣彦 撮影:加藤雄大、三本木久城、星貴 美術:竹内公一 音楽:久石譲、山下康介

長岡の空襲と花火の映像は大林らしい効果的な演出
 天草の地方紙記者(松雪泰子)が、東日本大震災の被災者を受け入れた長岡市に取材にやってくるところから物語はスタートする。長岡には17年前に別れた恋人(高嶋政宏)がいて、長岡空襲をテーマにした舞台を見に来てほしいという手紙を受け取っていて、震災・戦争・花火が錯綜する長岡の歴史をたどる中で、不思議な体験をするというドラマ。
 その不思議さに花を添えるのが、舞台を主宰する女子高生・花(猪股南)で、空襲で死んだ乳児・花の化身であり、その母(富司純子)は実在の戦争体験の紙芝居の語り部をモデルにしている。  同様、シベリア抑留の過去を持つ花火師(柄本明)も実在のモデルがいて、実話とフィクションが混在する物語となっている。
 記者は被爆二世であり、長岡には模擬原子爆弾が落とされたという事実も織り込まれ、花火と爆弾の類似性、平和な花を咲かせることもできれば、人を殺傷する武器ともなる二重性に触れながら、東日本大震災や真珠湾で平和と復興の祈りに長岡の花火を象徴させる。
 2時間40分の力作だが、短いカットを急かすように繋ぐ大林宣彦の演出と編集は、休む間も与えられず緊張感を強いられて、正直疲れる。後半は感動的なので、前半のテンポはもう少し緩めても良かったのではないかというのが残念なところ。
 もう一つの残念さは、東日本大震災の年に作られたことで、核兵器・原発・戦争・被災・復興というテーマが未整理のまま詰め込まれて客観性を失っていることで、全体に前のめりな印象を免れない。
 ただ、天災は人々の絆を取り戻すことができるが、人災は憎しみしか残さないというのは至言。
 焼夷弾による長岡空襲のアニメーションやビジュアル・エフェクトを使った映像は、大林らしい効果的な演出で、ラストシーンの長岡の花火と併せて、大きな見どころとなっている。 (評価:2.5)

同じ星の下、それぞれの夜

製作:「同じ星の下、それぞれの夜」製作委員会
公開:2013年2月9日
(第1話)監督:富田克也 脚本:相澤虎之助、富田克也 撮影:高野貴子
(第2話)監督:冨永昌敬 脚本:冨永昌敬 撮影:今井孝博 美術:安宅紀史 音楽:パードン木村
(第3話)監督:真利子哲也 脚本:真利子哲也 撮影:芹澤明子 音楽:鈴木広志


東南アジアの3つの夜の星の下で起きる小さな奇跡の心温まるドラマ
 「チェンライの娘」、「ニュースラウンジ25時」、「FUN FAIR」の3話からなるオムニバス映画。夜空の流れ星を共通アイテムに、タイ、フィリピン、マレーシアのそれぞれの夜に流れる星の下で起きる小さな奇跡を描く、心温まるヒューマンドラマ。
 「チェンライの娘」は、売れない俳優キンちゃん(川瀬陽太)が怪しげな仕事先で聞いた情報を元にバンコクへ向かう話。娼婦のメイと出会い夢のような一晩を過ごす。キンちゃんを金持ちと勘違いした娼婦のメイ(Ai)が、友達のフォン(スシットラポン・ヌッチリ)と結婚の約束をしながら帰国した日本人の身代わりにキンちゃんを宛がい、フォンの故郷チェンライを目指すロードムービー。途中、金持ちでないことがバレてしまうが、極楽とんぼのキンちゃんはタイを極楽と勘違いしたままフォンとチェンライに落ち着いてしまう幸せな物語。
 「ニュースラウンジ25時」は、ニュースキャスターの堀内(ムーディー勝山)とマニラ駐在のレポーター・充子(阿部真理)との恋のすれ違いの物語。堀内が多忙を理由に恋人をマニラに放ったらかしたことから、充子がレポーターを降りて堀内と別れることを決意。マニラ支局の閉鎖でそれを知った堀内は東京からマニラに日参して充子の心を繋ぎ止めようとする。仲直りのきっかけが、それではなく、マニラ支局の現地社員・正男(森松剛憲)のために、堀内が努力した結果というのが好ましい。
 「FUN FAIR」は、日本テレビの「はじめてのおつかい」のマレーシア版。ママが結婚指輪を家に置いたまま仕事に行ったのに気づいた幼い娘の小嘉嘉(スン・ジェニー)が、勤め先の遊園地FUN FAIRに1日がかりで届けに行く話で、途中出会った日本人ビジネスマン(山本剛史)、自転車タクシーの運転手(アズマン・ハッサン)に助けられながらたどり着く。それぞれ中国語、日本語、マレー語しか話せない3人が、最初は誤解しながら、次第に心を通じ合わせていく。小嘉嘉が指輪を届ける動機が、両親の不仲に気付いてというのが切ないが、そうした人々の小さな善意が集まって小嘉嘉の思いが母に届くという好編。 (評価:2.5)

製作:「鍵泥棒のメソッド」製作委員会(クロックワークス、テレビ朝日、朝日放送、電通、パルコ=メディアファクトリー、Yahoo! JAPAN、シネバザール、キングレコード、メ~テレ、北海道テレビ)
公開:2012年09月15日
監督:内田けんじ 脚本:内田けんじ 撮影:佐光朗 音楽:田中ユウスケ 美術:金勝浩一
キネマ旬報:8位

記憶喪失時の香川​照​之​のコミカルな演技が見どころ
 ​ス​ト​ー​リ​ー​で​見​せ​る​作​品​で​、​ど​ん​で​ん​返​し​も​用​意​さ​れ​、​肩​の​凝​ら​な​い​エ​ン​タ​テ​イ​メ​ン​ト​作​品​と​し​て​脚​本​も​良​く​で​き​て​い​る​。​堺​雅​人​、​香​川​照​之​が​安​定​し​た​演​技​を​見​せ​る​。​ほ​か​に​、​広​末​涼​子​、​荒​川​良​々​、​森​口​瑶​子​。
​ ​余​命​半​年​の​父​の​た​め​に​結​婚​を​決​意​す​る​ビ​ン​テ​ー​ジ​も​の​を​特​集​す​る​雑​誌​の​編​集​長​・​広​末​。​恋​人​と​別​れ​、​ア​ル​バ​イ​ト​生​活​で​食​い​繋​ぐ​の​に​も​疲​れ​て​自​殺​を​決​意​す​る​売​れ​な​い​役​者​の​堺​。​依​頼​を​受​け​て​会​社​社​長​を​殺​害​す​る​プ​ロ​の​殺​し​屋​の​香​川​。​物​語​は​関​係​の​な​い​3​人​の​プ​ロ​ロ​ー​グ​で​始​ま​る​。
​ ​最​後​の​入​湯​券​で​銭​湯​に​行​っ​た​堺​が​、​渋​滞​に​巻​き​込​ま​れ​て​急​に​汗​を​流​し​た​く​な​り​銭​湯​の​石​鹸​で​滑​っ​て​転​び​記​憶​喪​失​と​な​っ​た​香​川​と​出​会​い​、​荷​物​を​持​ち​逃​げ​し​た​こ​と​か​ら​、​二​人​が​入​れ​替​わ​る​。​父​の​看​病​に​訪​れ​た​広​末​が​病​院​の​玄​関​で​香​川​と​知​り​合​い​、​3​人​が​係​わ​り​を​持​ち​始​め​る​。
​ ​香​川​が​手​掛​け​た​嘱​託​殺​人​の​依​頼​人​(​荒​川​)​、​殺​さ​れ​た​社​長​の​愛​人​(​森​口​)​の​話​を​軸​に​展​開​し​、​最​後​は​大​ど​ん​で​ん​返​し​で​ピ​ン​チ​を​切​り​抜​け​て​大​団​円​。
​ ​物​語​は​コ​ミ​カ​ル​で​、​非​人​間​的​な​香​川​と​広​末​が​人​間​的​に​な​っ​て​い​く​ハ​ー​ト​・​ウ​ォ​ー​ミ​ン​グ​な​と​こ​ろ​も​あ​っ​て​、​全​体​は​サ​ス​ペ​ン​ス​タ​ッ​チ​で​楽​し​め​る​。​記​憶​喪​失​時​の​香​川​の​コ​ミ​カ​ル​な​演​技​が​見​ど​こ​ろ​。 (評価:2.5)

桐島、部活やめるってよ

製作:映画「桐島」映画部(日本テレビ放送網、集英社、讀賣テレビ放送、バップ、D.N.ドリームパートナーズ、アミューズ、WOWOW)
公開:2012年8月11日
監督:吉田大八 製作:菅沼直樹、弘中謙、平井文宏、阿佐美弘恭 脚本:喜安浩平、吉田大八 撮影:近藤龍人 音楽:近藤達郎 美術:樫山智恵子
キネマ旬報:2位

橋本愛が一人で『鉄男』を見るのは有り得ないな
 朝井リョウの同名小説が原作。国内で各賞を受賞した話題作。
 原作と同様のオムニバス形式を採っているが、必ずしも成功していない。
 第一に、時制が前後するためにわかりにくいこと。また、わざわざこの形式を採る割には、誰の主観なのかが今ひとつはっきりせず、単に大林宣彦『時をかける少女』のようにタイムスリップしているだけにしか見えない。
 原作ではそれぞれの生徒の心情を1人称で語るが、映画の場合は基本はカメラから見た3人称。本作の場合も各オムニバスが1人称になりきれてなく、結果的に各人のデリケートな心情を描けないままで、ストーリーがバラけた印象を与える。ラストは桐島の親友である宏樹に収束することから、宏樹を主人公に描いた方が作品としてまとまったのではないか。
 シナリオも桐島に拘り過ぎ。桐島を描くのであれば、登場しなくても桐島の人物像が浮かび上がって来なければならないが、結局はよくわからないまま。原作同様に桐島が単なるきっかけでしかないならば、桐島との関係性に執着しすぎ。桐島の彼女の過剰描写やバレー部のしごき、ラストで桐島が現れたという大騒ぎが茶番じみている。
 原作は、大人になる前の高校生の孤独と不安、焦燥を軽いタッチで描いたが、映像は重い。テーマは映画もほぼ同じだが、心情ではなく生態しか描けなかったために散漫。東出昌大と神木隆之介のラストシーンで無理やりテーマをまとめている。
 神木隆之介が好演。東出昌大、橋本愛、大後寿々花も悪くはないが、今ひとつキャラクターに踏み込めてなく、結局はオムニバス形式の是非の問題。
 桐島の彼女を中心とした女子高生の通俗性が過剰で鼻白むし、橋本愛が一人で『鉄男』(塚本晋也)を見るのは絶対にない。本作はやはりオジサンの高校生への理解でしかない。 (評価:2.5)

劇場版 魔法少女まどか☆マギカ [前編] 始まりの物語

製作:Madoka Movie Project(アニプレックス、芳文社、博報堂DYメディアパートナーズ、ニトロプラス、ムービック、MBS、シャフト)
公開:2012年10月6日
監督:宮本幸裕 脚本:虚淵玄 総作画監督:谷口淳一郎 美術監督:内藤健 音楽:梶浦由記

変身グッズを失った魔法少女のアイデンティティを問う
 深夜TVアニメシリーズの総集編・前編「始まりの物語」。深夜アニメはDVD販売用に作られた作品の販促のためにTV放送する。本作劇場版は尺もテレビシリーズとほとんど変わらず、編集版というよりは再構成版。小規模上映で前編の一週間後に後編が封切られるという変則上映で、DVD販売のために劇場公開したというのが適切。
 劇場版として上映する目的は、レンタル店対策+DVD宣伝+配収で、単にTV版・OVAとするよりも、劇場版として箔付けした方がレンタル店の引きが良いという事情がある。本作がTV用か劇場用かを云々しても意味がなく、修正もあるのでこれが取り敢えず完成版。
 本作は2011年1月から東日本大震災の一時休止を挟んで全12話でTV放送。一部の熱狂的な支持を受けたが、魔法少女という形式を借りて作られただけで、TVで見慣れた魔法少女を期待すると外れる。TVの魔法少女は玩具販促用に作られていて、変身シーンと変身アイテムは提供の玩具メーカーにとっては必須。本作では販促する玩具はなく、魔法少女の様式を取り入れているだけ。そんなアイデンティティを失った魔法少女に意味があるのかということになるが、本作はまさしく魔法少女のアイデンティティを問う。
 前半のストーリーは中学生のまどかがペット的エイリアンから、願い事を叶えることを交換条件に、魔法少女にならないかと誘われる。魔法少女の仕事は人々を自殺に追い込む魔女を退治すること。すでに魔法少女となっているマミの戦いを見学するが、まどかには交換条件にする願いが思いつかない。友達のさやかは魔法少女となる交換条件に好きな男の子の怪我を治すが、親友に彼を取られてしまう。杏子という利己主義の魔法少女が現れるが、願い事を父のために使ったことが裏目に出た失意の結果で、表面を取り繕っているだけの少女たちの偽善と本音をぐりぐりと抉る。
 魔法少女とはやがて魔女になる少女のことだという台詞もあって、夢と希望を失くしてしまった少女はなんのために魔法少女となるのか? という問いと、彼女らが持つソウルジェムの秘密が前半の物語的な見どころ。
 作画はファンタジックで、異世界の描写が映像的見どころ。前半は設定説明が多くてもたつくが、後半からのシナリオはいい。 (評価:2.5)

少年H

製作:「少年H」製作委員会
公開:2013年8月10日
監督:降旗康男 脚本:古沢良太 撮影:会田正裕 美術:中澤克巳 音楽:池頼広

見ようによっては軍部と同じくらいに窮屈な一家
 妹尾河童の少年時代を基に描いた同名の自伝的小説が原作。
 本名・肇のイニシャルHを編み込んだセーターを着ていたことから、友達にHと呼ばれていたことがタイトルの由来。
 物語は昭和初期の神戸から始まり、敬虔なクリスチャンの両親(水谷豊、伊藤蘭)と妹(花田優里音)と暮らす肇(吉岡竜輝)の一家が、戦争によって翻弄される姿を描く。
 アカのうどん屋のお兄ちゃん(小栗旬)の逮捕、女形の男姉ちゃん(早乙女太一)の招集と自殺、日米開戦後はクリスチャンである故の弾圧、軍事教練のエピソードと神戸空襲を経て敗戦、窮乏生活、家業の復活、少年の旅立ちまでが描かれる。
 父は洋服の仕立て屋で神戸の在留西洋人とも親しく、クリスチャンであるがゆえに戦時下においても良識派で世界情勢をわきまえた一家というように描かれるが、帰国した米婦人から送られてきたエンパイヤステートビルの絵葉書1枚から、少年が日米の国力の差を認識し、日本の敗戦を見通すという冷静な分析をするなど、いささか胡散臭い一家で、戦時下における反戦一家を純粋化し美化しているのが鼻につく。
 軍国主義に染まる愚かなおっちゃんや教官、同級生。彼らが敗戦とともに掌を返したように米兵や民主主義に迎合する姿を批判するが、一貫しているのは大衆を愚かだと断じる賢い少年の上から目線で、自分とその家族だけが一億総懺悔の責から免れるという、まるでユダの言い訳のように語られる。
 愛と罪について語る母、現実を受け入れる人格者の父、自己の正当性を貫く主人公と、見ようによっては正義感溢れるヒューマンドラマだが、見ようによっては軍部と同じくらいに窮屈な一家となっている。 (評価:2.5)

ヒミズ

製作:ギャガ、講談社
公開:2012年1月14日
監督:園子温 製作:依田巽、吉岡富夫 脚本:園子温 撮影:谷川創平 美術:松塚隆史 音楽:原田智英

東日本大震災を融合させようとして消化できなかった失敗作
 古谷実の同名漫画が原作。日不見はモグラの一種。
 家庭的に恵まれない中学生が普通に生きたいと願いつつ、そうならない境遇を描く。映画では、舞台設定を東日本大震災後の東北に置き、両親不在の釣具店を営む傍ら、被災者たちを敷地に受け入れ、善意の人々と悪意の社会とを対比し、主人公が再生に向かって歩き出す。
 原作本来の社会の閉塞感のテーマと、東日本大震災後の人々の在り方をテーマに融合させているが、未整理のままのシナリオで、何を描きたいのかわからない、中途半端な作品となっている。後半、東日本大震災のテーマが後方に退き、社会の悪意とどん詰まりに追い込まれる主人公の厭世に焦点が絞られると、ドラマは明確になってくる。
 それでも、登場する被災者や津波で壊滅した東北沿岸地域の惨状の映像が消化できないままに終わっていて、作品的に意味をなしていない。
 主人公を染谷将太、それを支える不思議ちゃんの同級生を二階堂ふみが演じてそれなりだが、ともに二十歳前で、贔屓目にも中学生に見えないのが相当な違和感。児童虐待以外、高校生であってもテーマ的にはそれほど困らないのに、中学生に設定した理由がわからない。
 さらには、二階堂ふみの家庭も崩壊していて、それが主人公に共感を持つ理由と思われるのに、こちら側の描写が不足していて、ラストで二人が共に涙を流し、力を合せて歩き出すシーンに繋がらないのが演出的に痛い。
 震災後の津波で破壊された町の映像は、作品的には意味をなしていないが、記録映像としては訴求力を持った価値あるものとなっている。 (評価:2.5)

東京家族

製作:「東京家族」製作委員会
公開:2013年1月19日
監督:山田洋次 製作:秋元一孝 脚本:山田洋次、平松恵美子 撮影:近森眞史 美術:出川三男 音楽:久石譲

『東京物語』の単なる焼き直しでリメイクの意味がない
 『東京物語』(1953)のオマージュとして作られたが、原作表記がないのが不思議なくらいに設定とシナリオはそのまんま。原作表記しなかったのは山田洋次のプライドか、それとも原作の権利を認めたくなかったのか?
 老夫婦が暮らす町が尾道から広島・大崎上島に、原節子演じた戦死した次男の嫁・紀子の代わりに出来の悪い次男(妻夫木聡)と恋人(蒼井優)が登場、老母の死が帰郷後から帰郷前になったのが大きな変更点でしかない。
 話の中核となるのは、出来の悪い次男と父親(橋爪功)との確執で、父親が頼りにしていた長男(西村雅彦)・長女(中嶋朋子)は実は不人情で、本当に親思いだったのは出来の悪い次男だったという設定は、同じ山田洋次監督の『息子』(原作:椎名誠『倉庫作業員』)からの借用。『東京物語』+『息子』=『東京家族』と言って差し支えない。
 敗戦による家族観の変化を描いた『東京物語』に対して、本作が半世紀以上を経て日本の家族の何を描こうとしたのか、何を描き得たかというと、それがさっぱり見えない。ここに描かれるのは『東京物語』の瓦解した家族の焼き直しでしかなく、リメイクした意味も意義も感じられない。
 制作中に2011.3.11が起きたことで、震災の話も出てくるが、家族については何の意味も与えていない。
 半世紀前の家族の設定を持ってきたことは却ってリアリティを欠いていて、急病患者の往診で行楽をキャンセルしたり、町内会のイベントで忙しいからと両親をほったらかすなど、現代ではあり得ない話が連続する。
 そもそも冒頭で息子の迎えが遅いからと、品川から町田までタクシーに乗るというのも無理なシナリオ。子供たちの暮しを確認できただけでも良しとする老父の台詞も、交通機関の発達で時間的距離が短縮され、SNSやスカイプで空間的距離もなくなった現代にはそぐわず、山田洋次の時代遅れな感覚が際立つ。
 それを象徴するのが吉行和子との蒼井優の台詞で、「~なのよ」と言わせているのが現代娘としては不自然。原節子の「~ですのよ」の山の手言葉を真似たのか? それが大崎上島に渡ってからの蓮っ葉感と違和感を生じていてキャラクター性が不明。「いい娘」だという老父の言葉に説得力を持たない。
 原作が良くできているのでそれなりに楽しめるが、小津安二郎の情感はなく、山田洋次の終盤のセンチメントがしつこい。
 西村雅彦が医者に見えないのが難。妻夫木聡は好演。 (評価:2.5)

11.25 自決の日 三島由紀夫と若者たち

製作:若松プロダクション
公開:2012年6月2日
監督:若松孝二 製作:若松孝二 脚本:掛川正幸、若松孝二 撮影:辻智彦、満若勇咲 音楽:板橋文夫

『豊饒の海』脱稿のシーンと作品リストのエンドクレジットは不要
 楯の会結成から1970年の割腹自殺までを、三島と森田必勝を中心に追った実録ドラマ。
 70年安保政治闘争のニュース映像や写真を入れて時代背景を説明しながら、左翼思想に危機感を募らせ、民族主義に傾斜する三島と若者たちの道程を描く。
 天皇を中心とする民族的国家主義・国体を護持しようとする三島たちの思想や、それを純化し支える武士道の美学、国を支えるべき武士道は官僚である警察ではなく軍隊にあり、占領軍憲法によって失われた国体・軍隊の復活に失敗した結果として、三島たちが殉死・切腹に進んだ過程は理解できるように描かれている。
 ただ、文学者・三島が彼の思想とどう向き合ったかは本作からは窺うことはできず、僅かに自決の朝に『豊饒の海』を書き終えたことと、エンドクレジットで三島の全作品のタイトルが流れるにとどまっている。
 これまでの作品において左翼志向の強い若松孝二が、三島由紀夫の政治・イデオロギーに興味を持ち、本作でそれを描くのにある程度成功はしているが、それしか描けなかったというのも率直な感想で、本作からは自滅に至った三島の全体像は見えてこない。
 森田が「先生の作品は僕には理解できない」と語るように、文学者としての三島は若松にも理解できなかったのか。とすれば、『豊饒の海』脱稿のシーンも作品リストのエンドクレジットも本作には不要だったわけで、むしろその方が、若松らしい政治映画としてすっきりしたのではないか。
 三島自決事件の経緯を知る上では便利な作品だが、民族主義者・三島の思想については改めて語るまでもなく、また自決から40年を経て、そのことに殊更意味があるとも思えない。意味があるとすれば、現在もなお価値を失わずにいる三島の文学作品であり、それらを生み出した三島の内面を描かずに、事象だけを追う映画を制作した意味がよくわからない。
 三島役の井浦新が違和感ありあり。内田裕也は年齢的に無理にしても、筧利夫とか、もう少し狂気と才気と屈折した人物を演じられる俳優にしてほしかった。 (評価:2)

親密さ

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製作:ENBUゼミナール
公開:2013年5月25日
監督:濱口竜介 脚本:濱口竜介

焦点の定まらない親密さを求める者たちへの哀歌
 ENBUゼミナールの映像俳優コースの卒業制作として上演する演劇をドキュメンタリー風に描く映画で、上演に至る制作・稽古の過程と、上演された演劇の二部構成という実験的な作品になっている。
 エピローグでは、上演の2年後、稽古中に主役を降りて韓国の義勇軍に参加した田山幹雄と、演劇の演出をした平野鈴がJR田町駅で偶然に再会し、それぞれが山手線と京浜東北線の車両に別れて品川駅で線路が分岐するまで、互いに相手の姿を追いかけるという印象的なシーンで終わる。
 演劇は実際に平野鈴が演出しているため、とりわけ濱口がフィクションとして演出した映画パートとは水と油ぐらいに遊離していて、4時間15分の映画総体として見た時には焦点の定まらない作品となっている。
 『親密さ』は演劇のタイトルで、上演時間は2時間半。舞台の前後左右から複数のカメラで撮影し、映画として撮影・編集されている。
 離婚して父母に別々に引き取られた兄妹と、兄の継母の連れ子である妹を中心とした話で、愛とは何かというテーマを大上段に振りかざすが、濱口の『PASSION』(2008)とほぼ同じテーマになっている。
 映画パートは演劇を志す若者たちが単に芝居だけでなく、戦争などの社会問題に自らをどう位置付けるかという、創作に関わる者の課題になっている。
 ラストシーンで平野は演劇雑誌の編集者になっていて、演劇を離れた田山ともども、演劇に身を置くことの難しさと離れてもなお親密さを求める者たちへの哀歌となっている。 (評価:2)

のぼうの城

製作:『のぼうの城』フィルムパートナーズ
公開:2012年11月2日
監督:犬童一心、樋口真嗣 脚本:和田竜 撮影:清久素延、江原祥二 美術:磯田典宏、近藤成之 音楽:上野耕路

エンタテイメントを含めて何も残らない空疎感が本作の見所
 和田竜の同名小説が原作。
 安土桃山時代、忍城を舞台に豊臣方の石田三成軍と北条方の成田氏の攻防戦を描く。  史実に則った物語だが、内容的には娯楽時代劇であり、水責めの東日本大震災の大津波のような大袈裟なCGをスペクタクルと取るか、リアリティよりもコメディに重きを置いたドタバタ劇をエンタテイメントと取るかで、本作への見方も変る。
 ただ大筋においては歴史ドラマとは言い難いもので、主人公の成田長親を始め、漫画のキャラクターを見ているよう。史実を題材に取ったファンタジー映画に近い。甲斐姫役の榮倉奈々の演技は目も当てられないほどひどく、家老役の佐藤浩市も何を演じていいのかわからないような戸惑いが表れている。
 領民に慕われている成田長親という設定もステレオタイプな上に、説得力のないエピソードで補完する有様。演じる野村萬斎も志村けん並みのバカ殿さまにしか見えないのだが、舟の上で踊る狂言ぶりが唯一の見どころか。
 CGとSFXを多用した合成シーンが全編続き、半分はアニメ映画と言っても過言ではなく、樋口真嗣の色ばかりが目立って、犬童一心が吹き飛んでしまった感がある。
 尾野真千子、芦田愛菜、ピエール瀧も友情出演しました的な中途半端な役で、それでもしっかり豊臣秀吉を演じた市村正親は立派。
 最後に、登場人物たちのその後が語られて、一応歴史ドラマらしい体裁を整えるが、エンタテイメントを含めて何も残らない空疎感が本作の見所か。 (評価:2)

製作:「希望の国」製作委員会(キングレコード、鈍牛倶楽部、ビターズ・エンド、RIKIプロジェクト、グランマーブル、ピクチャーズデプト、マーブルフィルム)
公開:2012年10月20日
監督:園子温 脚本:園子温 撮影:御木茂則 美術:松塚隆史
キネマ旬報:9位

テーマを未消化なままに作ってしまった即席映画
 2011.3.11の福島第一原発事故後の近未来、日本の架空の地で再び地震による津波と原発事故が起きるという相似形の物語。強制退去地区に隣接して住む酪農家の一家を中心とした物語で、痴呆の妻(大谷直子)を抱える父(夏八木勲)は、妻の病気の悪化を懸念して家に留まり、息子夫婦(村上淳、神楽坂恵)を避難させる。妊娠した嫁は放射能恐怖症になりさらなる遠方への移転を望み、父は汚染牛を射殺して妻と心中する。
 息子夫婦にも安住の地はなく、愛だけが希望という、それが結論なのか逆説なのか不明なラストで終わる。
 毎日映画コンクール男優主演賞を受賞した夏八木の熱演が光るが、それ以外は難点が多すぎる作品。
 埼玉県と岩手県でロケされているが、津波で破壊された風景を描く岩手県のシーンは冬で、一面に雪が積もっている。この地域が避難地区の撮影に使われているが、立ち入り禁止のバリケードの外側のシーンは埼玉県のためにパンジーの咲く春の景色で、作中では隣接している2つの地区が春景色と冬景色という不整合を生み出している。
 東北の被害地域の様子を見せるためには、そんなことは大した問題ではない、という園子温監督の制作姿勢は立派といえば立派だが、これほど雑なつくりもそう滅多にお目にかかれない。東北シーンでは、強制避難地区の2人のカップルが雪の中を歩くシーンがあって、最初は2人とも白い息を吐いているが、シーンが切り替わるともう息は白くなく、明らかに撮影時間帯が変わったことがわかる。
 こうした不整合は映像制作としては初歩的なことなので、これで良しとする姿勢には違和感を覚えてしまう。
 大谷直子が野生化した牛と山羊しかいない無人の道を歩くシーンでは、ブルースクリーンの合成を使っているのが一目でわかるというくらいに不出来で、人と動物は背景から浮いてしまっていて、影もつけられていない。
 こうした素人っぽさが園の魅力なのか? と思わず唸ってしまうが、作品的にも基本は反原発がテーマというよりはメッセージで、いささか生硬なところがあって、事故から1年で制作されて監督自身がテーマを未消化なまま映画を作ってしまったという即席感がどうしても離れない。 (評価:2)

製作:「夢売るふたり」製作委員会(バンダイビジュアル、オフィス・シロウズ、讀賣テレビ放送、アスミック・エース、文藝春秋、電通、衛星劇場、パパドゥ、Yahoo! JAPAN、エネット)
公開:2012年9月8日
監督:西川美和 脚本:西川美和 撮影:柳島克己 美術:三ツ松けいこ 音楽:モアリズム
キネマ旬報:10位

リアリティなんてどうでもいいの、女のセンシブな感性の方が大事なのよ!
 夫婦で営む小料理屋が火事で焼けてしまい、再起のための開店資金を結婚詐欺で集める物語・・・と、1行で済んでしまう作品。
 この夫婦を演じるのが松たか子と阿部サダヲだが、松は阿部に女を誘惑させるという女性監督らしい逆ヒモ・バージョン。きっかけは上司と浮気していた店の常連客だったOLが、ヤケクソで阿部と寝て、手切れ金をくれたこと。このきっかけを覚えていないと、最後に松がこの手切れ金を返すまでの、長~い長~い詐欺話の本当の意味が分からなくなる。
 要は寝取られた上に大金までくれた女への嫉妬が松が夫に結婚詐欺をさせた動機で、麺が茹ですぎのラーメン屋のバイトでしか夫を支えられない松が、女性心理を夫に指南して稼がせる。そこにOLに対抗できるアイデンティティを見出すが、純粋な女子重量挙げ選手をカモにできなかったことをきっかけに、阿部の心が離れていく。夫が収監され、開店の夢と夫の愛の両方を失った松は、自分を駆り立てていた嫉妬のエナジーを失い、金を返して一人漁港の荷役人として再出発する。
 なんだ、嫉妬女の小宇宙の話かと気付くと、壮大な詐欺物語も急に松たか子のオナニーシーン程度のシケた話になってしまい、男に寄生することでしか生きられない女が独り立ちする話だと穿った見方をしても、どこか寒々しい。
 爽快な詐欺話まではついていけても、傷害事件で警察が事情聴取しているのに被害者はまだ救急隊員と話しているといった、西川美和のいつもながらの杜撰なシナリオと演出に萎えてしまう。
 リアリティなんてどうでもいいの、女のセンシブな感性の方が大事なのよ! と開き直られた感じがして、今の日本映画の限界を見たような気がする。 (評価:2)

製作:スペースシャワーネットワーク
公開:2013年1月19日
監督:松江哲明 撮影:渡辺知憲
キネマ旬報:10位

記憶障害となった音楽家の苦悩と勇気をどこまで描けたか?
 交通事故で記憶障害となったディジュリドゥ奏者GOMAの復活の軌跡を描くドキュメンタリー作品。ディジュリドゥはユーカリの木から作られるアボリジニの吹奏楽の民族楽器。
 首都高の追突事故で脳に損傷を負ったGOMAは、過去の記憶を失い、自分がディジュリドゥ奏者であったことも忘れる。新しい記憶も失われる可能性があり絶望の底に追いやられるが、音楽だけは体が覚えていて、復活のライブに成功する。
 ドキュメンタリーの前半は、彼がディジュリドゥ奏者となり妻子とともに幸せな生活を送っていた頃のフィルムをバックに現在の彼による演奏が延々と続く。2Dで視聴したが、手前で演奏する彼が3D映像で、バックの過去の映像が2Dのスクリーンに映写されるという演出。一部、フィルムの身になるが、基本はこのスタイルが貫かれている。
 後半は、事故後の写真や映像とともに彼と妻の日記がバックに綴られ、闘病と復活までの軌跡が伝えられ、未来志向のメッセージで締め括られる。
 この手の映画を評するのは難しいところがあって、GOMAの個人的な苦悩と勇気と、映画の出来は分けて考えなければならない。またスタッフの志と、映画の出来は分けなければならない。
 前半部分は正直退屈で、後半部分に関しても感動系ドキュメンタリーにありがちな一面的な演出と描写は平凡。GOMAの苦悩と勇気を情緒的・表面的に描くだけで終わらせない、制作の哲学と洞察力が欠けている。
 同じ音楽系ドキュメンタリーに『アルゼンチンタンゴ 伝説のマエストロたち』(2008)があるが、老境の音楽家たちが一夜限りの演奏会に集結する姿を、彼らの人生と重ね合わせた佳作で、本作と比べるのは酷だが映像の重みと厚みが違っている。  (評価:2)

製作:「アウトレイジ ビヨンド」製作委員会(バンダイビジュアル、テレビ東京、オムニバス・ジャパン、ワーナー・ブラザース映画、オフィス北野)
公開:2012年10月06日
監督:北野武 製作:森昌行、吉田喜多男 脚本:北野武 撮影:柳島克己 音楽:鈴木慶一 美術:磯田典宏
キネマ旬報:3位

梅島の野原で銀玉鉄砲を撃ち合うギャングごっこ
 『アウトレイジ』(2010)の続編。"outrage beyond"は暴力の果てという意味?
 刑務所を出所する元大友組組長(ビートたけし)が前作で関東の山王会会長となった三浦友和に報復する話を軸に、関西の花菱会、両暴力団の潰し合いを目論むマル暴刑事の小日向文世が絡む。
 物語そのものはステレオタイプの暴力団抗争劇で、形式的である上に中身は空疎。名作『仁義なき戦い』に比べ得るもないが、リアリティもなければドラマもない。派手に銃をぶっ放し、たくさん人が死ぬ割には、玉をとる弾に心がこもってなく、半世紀前に梅島の野原で銀玉鉄砲を撃ち合っていた子供のギャングごっこにしか見えない。当時、三輪車とランニングシャツで遊んでいた子供たちが、黒スーツにネクタイを締め、ベンツに乗ってモデルガンで遊んでいる映画でしかない。こんな映画をヴェネツィアに持って行ったら、日本に来る観光客が減るんじゃないかと心配になる。
 本作の見どころは表面を撫でただけのヤクザごっこに、有名俳優が多数出演していることで、セリフは罵詈雑言しかないので演技の真価が試される。三浦友和、神山繁、中尾彬、西田敏行、塩見三省がそれぞれ違ったタイプのヤクザを好演している。加瀬亮も頑張っているが、若頭にしてはチンピラっぽいのがちょっと残念。
 マル暴刑事の小日向文世は嫌らしさ満点のゴキブリぶりで、潰してやりたくなるぐらいに好演する。花菱会幹部の塩見三省は『あまちゃん』のベンさん役で、琥珀の代わりに銃を磨くが、180度違う演技は見もの。 (評価:2)

製作:「あなたへ」製作委員会
公開:2012年8月25日
監督:降旗康男 脚本:青島武 撮影:林淳一郎 音楽:林祐介 美術:矢内京子

健さんの最後を締めくくるには、ちと悲しい
 高倉健最後の主演作で、監督は降旗康男とのコンビ。
 元刑務官で今は指導技官というのが健さんの役どころ。不器用、無口、実直を絵に描いたいつもの役で、妻(田中裕子)が亡くなり遺言サポートのNPOの女(根岸季衣)から2通の手紙が届けられるが、1通は妻の故郷の郵便局止めで投函するので、長崎・平戸で十日以内に受け取るように言われる。もう一通は絵手紙になっていて、故郷の海への散骨を託される。
 こうして、富山から長崎へと車で旅をする健さんのロードムービーが始まる。妻は童謡歌手で慰問で知り合った晩婚だが、妻と車で旅行するはずだった思いを抱いて、各地を辿りながらの空想と回想のシーンが挿入されるが、若干構成がわかりにくい。飛騨高山でキャンピングカーで旅をするビートたけし、京都で北海道物産展で全国巡りをしている草彅剛、大阪でその部下の佐藤浩市と知り合うが、今一つピンと来ない。
 何が足りないのか考えていると、雪がない、北海道がない、居酒屋がない、ということに気付く。健さんを健さんたらしめるシチュエーションに欠けている。さらには健さん映画には必ず隠れた主役がいるが、それが見当たらない。
 健さんはもともと演技ができない雰囲気だけの俳優なので、脇がいい演技をしないと主役の健さんが引き立たない。しかし、ロードムービーのために健さん自身が演技しなければならなくなり、多くの台詞を喋らなければならない。
 本来なら田中裕子、ビートたけし、草彅剛が隠れた主役にならなければならないが、エピソードが分散しすぎていて、誰もなり切れていない。
 同じロードムービーの『幸福の黄色いハンカチ』は桃井かおり・武田鉄矢が同行者として健さんをカバーしたが、本作は一人旅。企画を誤ったとしか思えない。
 シナリオも、冒頭の旅を始める理由や宮大工が作る神輿を刑務所の木工所で作ったりと設定が無理やりなうえに、いくら健さん映画とはいえ聞いていて恥ずかしい台詞のオンパレード。
 さようならと書かれた2通目の絵手紙を受け取った健さんが、最後に納得する理由も解せない。感動系を狙った凡庸な物語の最後を締めくくるために、平戸の食堂母子(余貴美子・綾瀬はるか)と佐藤浩市の因縁話でラストを締めくくるが、お蔭で肝心の健さんの物語はすっ飛んでしまった。
 ほかに大滝秀治、長塚京三、原田美枝子、三浦貴大とキャスティングはなかなかだが、健さんの最後を締めくくるには、ちと悲しい。 (評価:2)

製作:フジテレビジョン、東宝、アルタミラピクチャーズ
公開:1963年10月27日
監督:周防正行 製作:亀山千広 脚本:周防正行 撮影:寺田緑郎 音楽:周防義和 美術:磯田典宏
キネマ旬報:4位
毎日映画コンクール大賞

正義を振りかざした非常に後味の悪い映画
 朔立木の実際の事件をモデルにした小説『命の終わりを決めるとき』が原作。
 江木(役所広司)は重症の喘息患者でいつ発作が起きて死ぬかもしれないと長年診療を受けている女医(草刈民代)に言われている。女医は同僚医師との不倫が壊れ、睡眠薬自殺を図る。それがきっかけで、女医は江木と死について話すようになり、満州で妹の最期を看取った江木は尊厳死を女医に委託する。それが、本作のタイトルとなっている。
 女医は救急で運び込まれた江木に対し委託のもとに家族の了解を取って酸素吸入のチューブを外すが、江木は死なずに苦しみ、弛緩剤を打って安楽死させる。家族は終末だと言った女医に不信を抱き告訴、女医は検察官(大沢たかお)の取り調べを受け、殺人罪で逮捕される。裁判の様子は描かれないが、女医の誤診と認められて執行猶予付きの有罪となる。
 テーマは悪くない。映画なので女医と患者のプラトニックな疑似恋愛を描くのもいい。しかし、『ボクはやっていない』で社会派に目覚めた周防は、果たしてあるのかどうかわからない正義を振りかざして、非常に後味の悪い映画を作ってしまった。
 冒頭の女医と同僚医師(浅野忠信)の病院内でのセックスシーンなど不要で、元ピンク映画監督のサービス精神が出てしまったのかもしれない。2時間24分の映画は全体に冗長で、くどくどと同じ話を繰り返し、まるで延命治療を映画で表現しているかのよう。取り調べシーンは、検事の横暴さをエグイまでに強調して、女医の逮捕が不当だと印象付ける演出。
 本作には女医に過誤があったと思わせるシーンがあるが、周防はそれを無理やり女医側に立って描く。社会派映画にしたいのなら客観が必要だし、女医と患者の「終の信託」ドラマにしたいなら、評論家の評価は低くてもお涙頂戴の人情映画にした方がよかった。
 役所広司が上手い。本当に喘息を患っているかのよう。 (評価:2)

私の奴隷になりなさい

製作:角川書店
公開:2012年11月3日
監督:亀井亨 製作:池田宏之、加茂克也 脚本:港岳彦 撮影:中尾正人 美術:須坂文昭 音楽:野中“まさ”雄一

愛の本質に純粋なる下半身の勃起と共に目覚められるか?
 サタミシュウの同名小説が原作。
 SMでいう調教物で、先生(板尾創路)に調教されるのが壇蜜演じる人妻・香奈。そうとは知らず、入社した出版社の先輩・香奈に猛アタックを掛けるスケコマシの青年(真山明大)が、いつの間にやら調教の道具にされ、気がついた時には人妻に調教される立場になっているというオチ。
 テーマを無理やり見つけるとすれば、愛するということはその人の奴隷になる事、100%隷従することで昇華されて初めて美しい存在になれるというもので、手当たり次第に女を食っていた青年が、愛とは何かという本質に純粋なる下半身の勃起と共に目覚める。
 一見、谷崎潤一郎に通じるテーマにも見えるが、決して形而上的ではなく、形而下的というよりは下半身的な通俗でしかないという点では谷崎潤一郎モドキでしかない。では、団鬼六のようにSMを極めているかといえばアキバ的ご主人様物でしかなく、中途半端。所詮はノーマルなセックスシーンを売り物にしている。
 人妻はなぜ先生を愛するようになったのかという点は完全に無視されていて、美しくなるという言葉の意味も説明されないが、そこは谷崎潤一郎ではないので精神的にも肉体的にも洞察する必要はなく、壇蜜さえいれば演技力もシナリオもどうでもいいという作品になっている。 (評価:2)

製作:「ふがいない僕は空を見た」製作委員会(東映ビデオ、東映チャンネル、ステアウェイ)
公開:2012年11月17日
監督:タナダユキ 製作:福原英行、古玉國彦 脚本:向井康介 撮影:大塚亮 美術:松塚隆史 音楽:かみむら周平
キネマ旬報:7位

ストーリーのリアリティよりも性描写のリアリティに拘る
 原作は窪美澄の山本周五郎賞受賞作。
 男子高校生(永山絢斗)とコスプレ妻(田畑智子)の不倫を中心に、生をテーマに描く。前半は二人が不倫に至った経緯が中心だが、時間軸が前後する演出と編集が上手くなく、話が混乱する。
 コスプレ妻が浮気する理由が次第に明らかになるのだが、夫婦には子供ができず、原因は夫にある。義母は跡継ぎを作るように執拗に迫るが、人工授精もままならず、少年に精子を求めている。これがバレても義母は跡継ぎのためと動ぜず、話に相当無理がある。
 少年の母(原田美枝子)は助産師で、妊婦の一人が帝王切開に迫られ病院に担ぎ込むが、看護婦がいざとなれば病院を頼ると助産師を否定するような嫌味を言うなど、後半はテーマのための強引過ぎる設定とストーリーで、この町の団地は「どん底」並みの貧民窟。
 クズの子供たちはコンビニで万引き、高校は底辺校。その生徒にホモの医者の息子が、頑張って大学へ行け、無償の奨学金もあると説得するが、奨学金をもらって大学に行ける学力とはとても思えず、シナリオの問題点を挙げればきりがないほど。
 リアリティなんてどうでもいいというのが本作の制作スタイルで、ひたすらテーマのみを追い求め、望んでも生まれない子供、望まないのに生まれてくる子供、そうした主人公たちを含めて生を受けた命一つ一つの存在意義と慈しみのような余韻で締めくくるが、主人公が定まらない上にストーリーにまとまりを欠いていて、焦点が定まらず明確にテーマが伝わってこない。
 生がテーマとはいえ、性描写は執拗なほどリアルで、なぜ女性監督というのはストーリーのリアリティは無視するのに、性描写のリアリティにはこうも拘るのだろうというのも見どころ。 (評価:2)

踊る大捜査線 THE FINAL 新たなる希望

製作:フジテレビジョン、アイ・エヌ・ピー
公開:2012年09月07日
監督:本広克行 製作:亀山千広、永田芳男 脚本:君塚良一 撮影:川越一成 音楽:菅野祐悟

最終作は定年サラリーマンの退職の挨拶
 TVシリーズの劇場化第4作で、一応これが最終作と銘打たれている。
 前作でいかりや長介がいなくなった段階でこのシリーズは終わっていて、人気シリーズへのテレビ局とスタッフの未練がましさが感じられる。シナリオも出来が悪く、思わず君塚良一が書いたのか? とスタッフ表を見直してしまった。
 いかりやが去り、北村総一朗以下の署長・副署長・課長トリオが引退し、織田裕二が係長、ユースケ・サンタマリアが署長という時点で『踊る大捜査線』は変質しているのであり、本来なら★1つの「作ったことが間違い」とすべきもの。
 それでも★1.5としたのは、TV放映から15年経って同窓会で昔の友達にあって、「へえ、青島君は係長になったの?」といった懐かしい気分になれることで、故人を偲びながらのまさしくこれは同窓会映画だということ。ただ、同窓会映画からは慰労の言葉だけで新しいものは寂しさ以外に何も生まれない。
 物語は6年前の幼女誘拐事件を軸に警察内部の腐敗を描くが、室井が最後に言う「組織に中で生きる者こそ信念が必要だ」という台詞は、組織に埋没しているサラリーマンの言いわけを代弁しているだけで、最終作の制作同様、本シリーズを貶めている。TVシリーズが人気を集めたのは、警察を舞台にサラリーマン社会を等身大に描いたことで、その中でもがく青島の喜怒哀楽が視聴者の共感を得た。最後に教訓めいたことを言って終えるのは、定年サラリーマンの退職の挨拶のようでみっともない。 (評価:1.5)

天地明察

製作:『天地明察』製作委員会
公開:2012年9月15日
監督:滝田洋二郎 製作:椎名保、秋元一孝、岩原貞雄、藤島ジュリーK. 脚本:加藤正人、滝田洋二郎 撮影:浜田毅 美術:部谷京子 音楽:久石譲

暦勝負や忍者まで登場するという劇画的味付け
 冲方丁の同名小説が原作。幕府天文方となった江戸時代の学者、渋川春海が貞享暦をつくった過程を描くフィクション。
 ベストセラー小説が原作とはいえ、題材が地味なだけに映画としてどう描くかがポイントになるが、本作は見事それに失敗している。
 題材の最も面白い点は、日本の暦学の由来と改暦にあって、唐からもたらされた宣明暦が江戸時代、2日の誤差を生じていて、それを正すために元の授時暦をもとに北京との経度差を修正した貞享暦を完成させたことにあって、それをどのように実現させたかにある。
 その中心となるのが天文学と算術ということになれば、俄然理系の物語となり、映画としては最も忌避すべきと考えるのは邦画界にあっては当然のことで、またそれを料理出来る映画人がいないのも事実。
 そうなれば、この題材的に最も面白い点はなるべく素通りして、別のドラマにせざるを得ず、妻とのラブストーリーと公家との暦勝負という、コミック的手法に頼らざるを得なくなる。
 ラブストーリーは宮崎あおいのブリッコ演技で、あってもなくてもどうでもいいようなエピソードにしかならず、人間ドラマまでには盛り上がらない。
 公家との暦勝負は、忍者まで登場するという劇画的味付けで、『美味んぼ』もどきの対決や星取表、はては公衆の面前で武士と公家が丁々発止するとなると、もうこれは歴史ドラマではない。
 春海が囲碁棋士であったことから本因坊道策との囲碁勝負や初手天元のエピソード、水戸黄門まで登場してバラエティで賑やかすが、結局、何が面白いのかわからないままに、春海役の岡田准一が頑張っている印象だけを残して終わる。
 中井貴一の水戸光圀がどうにも違和感。 (評価:1.5)

劇場版 魔法少女まどか☆マギカ [後編] 永遠の物語

製作:Madoka Movie Project(アニプレックス、芳文社、博報堂DYメディアパートナーズ、ニトロプラス、ムービック、MBS、シャフト)
公開:2012年10月13日
監督:宮本幸裕 脚本:虚淵玄 総作画監督:谷口淳一郎 美術監督:内藤健 音楽:梶浦由記

大風呂敷広げた後編はSFとメロドラマのダッチロール
 深夜TVアニメシリーズの総集編・後編「 永遠の物語」。前編の一週間後に後編が封切られた。詳細は前編レビュー参照。
 魔女となったさやかを取り戻そうというところから話は始まるが、前編の魔法少女ものとは打って変わって後編はSF色が濃くなる。エントロピーだとか並行宇宙だとかのSF的な理屈をこね始めると大抵はボロボロになって物語が破綻するが、本作もその好例。魔女の歴史にまで話を広げ、空間的にも時間的にも壮大な風呂敷となるが、少女の日常からは大きくかけ離れて急に頭でっかちになる。
 終盤近くは、SFからいきなり大きく転じてメロドラマ風少女漫画となり、ラストは再び特撮設定になるという方向性の定まらないダッチロールを繰り返し、前半のダーク・ファンタジーの雰囲気が台無し。
 あるいは、スタッフは押井守の『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』を魔法少女でやってみたかったのか?
 宇宙に遍在するロリキャラの神様というのはどうしても違和感が拭えず、制作側の魔法少女の外形と作品内容とのミスマッチと、基本、魔法少女戦士のキャラクター人気というファンとのギャップに、『エヴァ』以降のアニメの勘違いが見える。
 魔法少女のアイデンティティを掘り下げることができず、月並みな結論に終わったのが残念。 (評価:1.5)

製作:映画「Another アナザー」製作委員会(角川書店、東宝、NTTドコモ、ツインズジャパン)
公開:2012年8月4日
監督:古澤健 製作:下田淳行、小林剛 脚本:田中幸子、古澤健 撮影:喜久村徳章 音楽:安川午朗 美術:丸尾知行

死の連鎖を断つには3年3組を3年C組にするのが一番
 綾辻行人の同名小説が原作。
 基本的には学校の怪談ものだが、実際に死者が出てしまうというところが怪談ではなくホラーということなのだろう。物語自体は相当に作り物めいていて、怪談の理屈も中二病的。昔、中学校の3年3組で殺人事件があって、それ以来、誰かが教室で死んだ者を演じなければならず、転校生がこの因縁に巻き込まれていく。この因縁を断ち切るには死んだ者を殺さなければならないというチェーン構造で、しかも転校生の母と叔母がかつて3年3組で・・・
 破綻してる設定に突っ込んでも意味がないが、このチェーンを断ち切るには3年3組を3年C組にするのが一番簡単。小説として読めばそれなりなのかもしれないが、映像にすると無理が多すぎて人が死ぬシーンなどコメディにしか見えない。かといってコメディホラーでもなく、ホラーとしては失敗作。企画の段階で予想されることから、評点の★1.5は限りなく★1に近い。
 敢えて見どころを挙げれば、橋本愛が主演していることくらいで、眼帯で片目を隠していてユイちゃんほどの魅力もない。 (評価:1.5)

テルマエ・ロマエ

製作:「テルマエ・ロマエ」製作委員会(フジテレビジョン、東宝、電通、エンターブレイン)
公開:2012年04月28日
監督:武内英樹 脚本:武藤将吾 撮影:川越一成 音楽:住友紀人

孤軍奮闘の阿部寛を見ていると風呂に入りたくなる
 ヤマザキマリの同名漫画が原作。"Therma Roma"はローマの浴場の意。
 フジテレビ肝入りの話題作。映像はシネスコサイズ、内容はテレビサイズで、10分10話シリーズでテレビ放映した方が良かった。ショートギャグとしては笑えるところもあるが、映画にして通して見せられるのは辛い。このような企画に出資する東宝に映画会社の黄昏を感じる。
 古代ローマのオープンセットは良くできているが、外国人の俳優やエキストラの演技は低レベル。上戸彩の演技もそれに引けを取らない。演出も同様で、とりわけローマ軍と蛮族のやる気のない戦闘シーンは、観客を舐めているとしか思えない。素っ裸で孤軍奮闘する阿部寛が次第に気の毒にも思えてきて、エンディングで風呂の片隅にひとりぼっちで浸かる阿部に、御苦労さまと声をかけたくなる。
 市村正親のハドリアヌス帝の演技はなかなかで、この映画唯一の救い。温泉シーンが気持ちよさそうで、うつらうつらしながら観終わって、風呂に入りたくなった。
(評価:1)


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