海月衛 映画帖
~映画の大海原をたゆたう~

日本映画レビュー──2011年

製作:「大鹿村騒動記」製作委員会(セディックインターナショナル、パパドゥ、関西テレビ放送、講談社、TOKYO FM、КИНО)
公開:2011年07月16日
監督:阪本順治 脚本:阪本順治、荒井晴彦 撮影:笠松則通
キネマ旬報:2位

亡くなった人々とともに刻まれるムラの永遠の記憶
 大鹿村は南アルプスに実在の村で、作中で主題となる大鹿歌舞伎も300年の伝統。演目は「六千両後日文章 重忠館の段」で、大磧神社舞台が使用され、村長以下村人がエキストラ出演。作中登場の鹿塩温泉山塩館は1泊2食付11,700円~。
 物語は大鹿歌舞伎公演を目前にした村に、かつて駆け落ちして村を出た男女(岸部一徳、大楠道代)が18年ぶりに帰ってくるところから始まる。2人は原田芳雄の経営する鹿牧場の仲間で、女は原田の妻だったがアルツハイマーになり、手に負えなくなった岸部が原田に返しにきたという顛末。記憶を失くした出戻り妻・大楠と、微妙な立場でその世話を焼く夫・原田の奇妙な夫婦愛を二人が好演する。原田は公開直後に亡くなり、これが遺作となった。
 この二人を始め、岸部、佐藤浩市、松たか子といった芸達者が脇を支え、一級の作品に仕上がっている。出番は少ないが、大楠の父役でかつて原田と同じ境遇だった三國連太郎の演技がさらに飛び抜けていて、思わず唸らされる。
 その三國も亡くなり、エンディングテーマを歌う忌野清志郎はこの時すでに故人。美しい自然に囲まれた過疎の山村と、その村に連綿と伝えられてきた地芝居の文化と、その土地に根を張って生きる日本人の素朴な心が、亡くなった人々とともにこのフィルムの中に永遠の記憶を刻む。日本人の心にある故郷の原風景をペーソスで描く好編。 (評価:3)

no image
製作:空族、『サウダーヂ』製作委員会
公開:2011年10月22日
監督:富田克也 脚本:相澤虎之助、富田克也 撮影:高野貴子
キネマ旬報:6位

故郷を奪われ漂流していく地方都市の若者たちを描く
 甲府市を舞台に地方都市が抱える問題を描く社会派作品。
 土建業の肉体労働で働く日本人の若者たち、彼を使う日系ブラジル人の土建業者、土方仲間たちと繰り出すタイ人ホステスのパブ、といった地方都市の様相をありのままに描いていくが、同種の作品と違うのは、出稼ぎ外国人たちのコミュニティがしっかりと根を下ろしていて、むしろ日本人がマイノリティになりつつあるという視点が導入されていること。
 物語は群像劇となっているが、土方のアルバイトを始めたラッパーの猛(田我流)、土方一筋の精司(鷹野毅)が中心となる。
 市営団地の住民は外国人にとって代わられていて、ライブハウスに集まるのも外国人。言葉によるメッセージ性の強いラップは、言語の壁を乗り越えられず、猛は焦燥感と疎外感を持つようになる。
 エステシャンの妻(工藤千枝)と暮らす精司は、妻が怪しげな連中と付き合い始め、不況から親方が土建業を畳むことになって失業。日本人でありながら日本に住むことにアイデンティティを見つけられなくなり、タイ人ホステスのミャオ(ディーチャイ・パウイーナ)を誘ってタイ移住を持ちかける。しかし家族に仕送りができなくなると断られ、日本に働きに来る外国人と開発途上国に移住しようとする日本人の立場の違いを思い知らされる。
 幼馴染のまひる(尾崎愛)と再会した猛は、応援してくれると思っていた彼女までもが日系ブラジル人ラッパー(デニス・オリヴェイラ・デ・ハマツ)に乗り換えたことに裏切りを感じて、彼を刺してしまうというのがラスト。
 生活のために漂流民となった外国人同様、故郷を奪われ、住む場所を失って漂流していく地方都市の若者たちを描く佳編。猛役の田我流は自身がラッパーで、劇中で口ずさむ歌詞が面白い。
 サウダーヂはブラジルの公用語ポルトガル語で、郷愁、憧憬、思慕、切なさ、などの意味合いを持つ複雑なニュアンスの言葉と解説されるが、劇中では日系ブラジル人が占拠する山王団地が訛ってサウダーヂと呼ばれている。 (評価:2.5)

ステキな金縛り

製作:フジテレビ、東宝
公開:2011年10月29日
監督:三谷幸喜 製作:亀山千広、島谷能成 脚本:三谷幸喜 撮影:山本英夫 音楽:荻野清子 美術:種田陽平

冗長だが深津絵里・西田敏行・中井貴一は役者
 幽霊を裁判の証人に立てるという凝ったストーリーで、ずんずん映画に引き込まれていく。しかし中盤からは冗長な展開が続き、見終わると、この映画はいったい何だったのか? という散漫な印象しか残らない。
 三谷幸喜の才気溢れる脚本は随所に面白いのだが、映画全体としてのまとまりに欠ける。だから途中で何度も話は終わった感があって、それでも話は連続ドラマのように続く。ラストは、えっ、そういう映画だったの? という付け足し感が拭えず、無理やりな蛇足に見える。
 全体としては舞台劇の印象で、出演陣も舞台出身の芸達者揃い。そういった点では華やかな芝居を見る感じはあって、とりわけ深津絵里・西田敏行・中井貴一の演技は最大の見どころとなっている。 (評価:2.5)

製作:近代映画協会
公開:2011年08月06日
監督:新藤兼人 製作:新藤次郎、渡辺利三、宮永大輔 脚本:新藤兼人 撮影:林雅彦 音楽:林光 美術:金藤浩一
キネマ旬報:1位
毎日映画コンクール大賞

しまったと思いつつも、結局最後まで見てしまう映画
 新藤兼人98歳の作品にして遺作。国内数多くの映画賞を受賞しているが、出来はそれほどではなく、高齢の作品に敬意を表するのなら功労賞か特別賞が相応しい。
 演出的には一世代前の映画。とりわけ大竹しのぶが新藤の期待に応え過ぎたのか、演技過剰で興ざめする。全体にやり過ぎていて、新藤の本来のリアリティが損なわれているのは、この作品への思いこみが強すぎたということか。豊悦と大杉蓮が殴り合うシーンはほとんど漫画で、『姿三四郎』張りに投げられて空中を飛ぶシーンなど、これはコメディ映画かと勘違いしてしまう。同様に大杉蓮が頬かむりをして現れるシーンなども真面目なのか笑いを取るつもりなのかわからなくなる。ラスト近くの蛇踊りなどシュール過ぎる。
 俳優陣も多くがベテランで、六平直政が大竹しのぶに「戦争から帰ったら子供を作ろう」という台詞には思わずのけぞる。制作時、六平56歳・大竹53歳。新藤からすれば、まだ子供・孫みたいなものだろうが、もう少し配役を考えてほしかった。
 俳優陣は大竹を除けば総じていい。とりわけ六平の朴訥ぶり、柄本の曲者ぶりがいい。
 内容的には新藤らしく生真面目な映画。戦争によってすべてを失った二人が、日本を捨てて新天地を求めようとするが、結局この国で再生の第一歩を踏み出す。テーマも明快で、半世紀以上前に日本人が希望に向かっていった話。映画館で見始めてからしまったと思いつつも、結局最後まで見てしまう映画。 (評価:2.5)

製作:映画「マイ・バック・ページ」製作委員会(WOWOW、バンダイビジュアル、アスミック・エース、日活、ホリプロ、ビターズエンド、Yahoo! JAPAN、マッチポイント)
公開:2011年05月28日
監督:山下敦弘 製作:和崎信哉、川城和実、豊島雅郎、杉原晃史、堀義貴、喜多埜裕明 脚本:向井康介 撮影:近藤龍人 音楽:ミト 美術:安宅紀史
キネマ旬報:9位

赤裸な赤新聞・朝日の実態と赤色エレジー・あがた森魚
 同名の川本三郎の体験記が原作。川本は映画評論家としても知られる。
 川本は元朝日ジャーナル記者で、1968~72年にかけ、取材を通じて過激派と接触。赤衛軍が起こした朝霞自衛官殺害事件に関与して、犯人を幇助し犯人蔵匿及び証拠隠滅で逮捕され、有罪となり、朝日新聞を懲戒解雇された。
 このような特異な事件は、おそらく当時を知らないと理解できない。戦後のイデオロギー闘争が労働者や学生だけでなくジャーナリズムも巻き込み、公平にいえば右も左も偏向報道を行っていた。この事件では週刊プレイボーイの記者も逮捕されている。
 今もそうだが、当時、朝日新聞は赤新聞と言われ、反米・反資本主義の記事が紙面を埋めていた。とりわけ朝日ジャーナルは新左翼の機関誌と化していて、このような事件を産んだのも必然といえた。新聞と新聞記者が非常に危うい境界線の上を歩いていて、しかも第3の権力・社会の木鐸といったプライドが、常識では考えられない傲慢さを産んでいたが、その様子は本作を観るとかなりの部分でリアリティがあり、それが最大の見どころとなっている。
 マスメディアの実態とそれを考える教材としては面白いが、メディア論に興味のある人以外にはどうでもいい話で、川本の個人史として観る分にはそれなりに面白く飽きもしないが、これも川本に興味がないとどうでもいい話。赤衛軍も新左翼としてどうなのかという存在。正直、映画は川本の個人史以外のなにものでもない。
 劇中、モデルの女の子(忽那汐里)と主人公(妻夫木聡)が映画について語り合うシーンがあって、忽那が男が流す涙が好きだと言うと、妻夫木は涙を流すのは男らしくないと言う。この伏線は最後に妻夫木が涙を流すシーンに生きてくるが、一つの青春の蹉跌といえる。
 妻夫木と松山ケンイチが好演。「赤色エレジー」のあがた森魚が懐かしい。 (評価:2.5)

ゲキ×シネ 薔薇とサムライ

製作:劇団☆新感線、ヴィレッヂ
公開:2011年6月25日
監督:井上和行 演出:いのうえひでのり 脚本:中島かずき 撮影:鯵坂輝国

本当に楽しみたければ劇場に来てね、という限界値がある
 劇団☆新感線の舞台『薔薇とサムライ〜GoemonRock OverDrive』のライブ映像で一部映画用に編集された映像が入る。
 17世紀、イベリア半島に石川五右衛門(古田新太)がやってきたという設定で、女海賊の用心棒となっている。海賊同士の争いから、女海賊のキャプテンがコルドニア王国の王位継承者だということがわかり、女王となって海賊退治に乗り出すも、貴族たちの陰謀で騙されたいたということがわかり、女王を騙った逆賊として処刑・・・ところが本当は、というよくある二転三転もの。
 エンタテイメントの舞台なので、ストーリーがどうというよりも俳優たちの芝居が楽しめれば良いわけで、女海賊を天海祐希が演じることからミュージカルというよりも宝塚風に楽しめる。エリザベッタを演じる宝塚出身・森奈みはる、貴族の娘・神田沙也加の歌声も聴きどころ。
 残念なのは5.1chの割には音響が今ひとつなことで、映像的にも単なる舞台録画に終わっていて、映画的な演出が感じられないこと。芝居そのものは面白いがフラストレーションが溜まり、やはり公演を見なければ十分には楽しめないという恨みが残ってしまう。
(評価:2.5)

製作:「探偵はBARにいる」製作委員会(東映、テレビ朝日、木下グループ、東映ビデオ、アミューズ、CREATIVE OFFICE CUE、東映チャンネル、北海道新聞社、北海道テレビ放送、メ〜テレ、朝日放送、広島ホームテレビ、九州朝日放送)
公開:2011年9月10日
監督:橋本一 脚本:古沢良太、須藤泰司 撮影:田中一成 美術:福澤勝広
キネマ旬報:10位

最大の見どころ・聴きどころはカルメン・マキ
 東直己の推理小説『バーにかかってきた電話』が原作。
 すすきののバーを事務所にしている探偵が主人公。携帯も持たず、バーの古臭い黒電話を連絡用にしているという金田一耕助的バンカラ設定が特色で、ルパン3世的コミカルさとお色気、アクションを加えた感じ。地回りのヤクザともお友達で、相棒は空手の達人という、やや都合のいい設定が並ぶ。
 前半はお色気とコミカルを中心に話が展開、後半はウエットな人情話という日本人好みの探偵もので、こうした要素が人気を呼んだ。
 で、作品の出来はというと、残念ながらテレビサイズ。演出もベタならカメラワークにも工夫がなく、よく見るレイアウト、アングル、パン、カット編集で、お手軽なテレビスペシャルを見ている感じ。
 ストーリーもよくあるパターンで、ヒロインを演じるバーのママ(小雪)の「いい女」→「悪女」→「悲劇のヒロイン」の変化に探偵(大泉洋)と観客が振り回されるという、裏のまた裏的な構成になっている。  事件は探偵に死んだ女を名乗る調査依頼の電話があり、ポランスキーの『チャイナタウン』(1974)風な展開。探偵は暴力団に命を狙われながら真相に迫り、依頼人の復讐に気付く。
 ストーリーや設定には矛盾や欠陥もあるが、テレビスペシャル程度だと考えれば十分楽しめる。基本は大泉洋のキャラクターもので、小雪が彩を添え、相棒の松田龍平がアクセントとなる。もっとも、松田龍平の出番とアクション以外の活躍が今ひとつなのが寂しい。
 暴力団のキレ男を演じる高嶋政伸のメーキャップが見どころ。「時には母のない子のように」のカルメン・マキの元気な姿が見られる。「時計をとめて」のエンディング曲も聴きどころ。 (評価:2.5)

SP 革命篇

製作:「SP」プロジェクトチーム
公開:2011年03月12日
監督:波多野貴文 製作:亀山千広、藤島ジュリー景子 脚本:金城一紀 撮影:相馬大輔 音楽:菅野祐悟

見どころは堤真一の悲壮感と国会議事堂見学
 エピソード6。クーデターという非常事態に機動隊も自衛隊も開会中の議事堂に来ず、SPだけが頑張るという日本の危機管理の甘さは置いておくとして、作品としては完結していて楽しめる。
このエピソードは4の井上と対になる尾形の過去話で、見どころは堤真一の悲壮感と国会議事堂見学。芸達者・香川照之が『カイジ』の利根川を彷彿させる与党幹事長を演じるが、そっくりそのまま利根川なので、意外とステレオタイプな演技しかできないのかと疑ってしまう。
思わせぶりなラストは続編への布石だが、作れば見てしまう覚醒剤のような不思議な習慣性がある。 (評価:2.5)

製作:テレビ東京、東宝
公開:2011年09月23日
監督:大根仁 製作:井澤昌平、市川南 脚本:大根仁 撮影:宮本亘 音楽:岩崎太整 美術:佐々木尚
キネマ旬報:7位

妄想・ネット・サブカル系が好きでない人には壁が厚い
 久保ミツロウの同名漫画が原作で映画用の描き下ろし。タイトルはモテ期=異性にモテる時期のこと。
 冒頭30分は駄作の臭いがふんぷんとし、観たことを後悔する。女に縁のない男の前に棚ボタ式に可愛い女の子が現れ言い寄られるという妄想系。昔からこの手の妄想系漫画は多く、いわば男性版シンデレラ・コンプレックス。都合のいい展開に鼻白みながらも、新奇なディズニーランド風なショー的演出で誤魔化される。しかしこの時間帯を乗り切ることができれば、そこそこには面白くなる。ただそれもよくある恋愛映画のパターンは抜け切れておらず、最後に愛は勝って都合よく終わるのだが・・・
 後半、この映画を支えるのは麻生久美子で、主人公同様に寂しい女の演技がいい。主人公の森山未來も情けない男を好演。
 前半はネット系やサブカル系のネタが多く、それが好きでない人には壁が厚い。風俗的な台詞や演技は洗練されいて秀逸だが、サブカル系のネタ同様にこの手の時代性はすぐに古びて色褪せる。旬が短いこと、作品的にはよくある恋愛映画でしかないことを考慮すれば、★1.5の駄作にした方がよいのかもしれない。
 前半は幻想、後半はシリアスということなのか、カラオケやミュージカルといった前半の実験的な演出が、ストーリーの展開とともに後半はほとんどなくなってしまうのが残念。 (評価:2)

製作:「まほろ駅前多田便利軒」製作委員会(フィルムメイカーズ、アスミック・エース、ハピネット、日活、TSUTAYA グループ、Yahoo! JAPAN、ヨアケ、リトルモア)
公開:2011年4月23日
監督:大森立嗣 脚本:大森立嗣 撮影:大塚亮 音楽:岸田繁 美術:原田満生
キネマ旬報:4位

町田はこの映画のように盲腸な町なのか?
 三浦しをんの同名小説が原作。舞台のモデルは東京・町田市で、映画の撮影のロケ地でもある。
 駅前で便利屋を営む多田(瑛太)と、彼の家に転がり込んだ中学校の同級生・行天(松田龍平)の奇妙な共同生活を描く。チワワを預けて夜逃げする一家、チワワを引き取る風俗嬢、麻薬の売人と小学生の運び屋、行天の元妻と娘、その秘密、というように町を舞台に日常的な話が展開するが、多田自身にも離婚した妻と子供との暗い過去がある。
 全体に閉塞感の漂う映画で、登場人物の誰一人として希望がない。それが東京の外れの盲腸のように突き出した町田に充満する気分なのかどうかはわからないが、映像からは東京でありながら東京でない、この町の孤立感が伝わってくる。
 夢も希望も失った多田は誰かの役に立つことで、自分の存在する意味を確認しようとする。行天はクラゲのようにふらふらと漂いながら気張ることなく自然体で生きていく。そうした二人の中に、便利屋に係わる人たち同様、心の安らぎを見いだすことができれば、この映画は傷つき疲れた人たちの癒しになるし、彼らを人生の敗残者と見れば、負け犬たちが傷を舐め合う映画にしか見えない。
 立場によってそのどちらの評価もありうる作品で、ただそのどちらの評価も生む演技を見せる松田龍平がいい。刑事役の岸部一徳は類型的な演技で残念。ときどき、日本映画風の観念的なセリフが出てくるのも生硬で残念。
 大森立嗣の父・麿赤兒、弟の大森南朋もバス本数調査を依頼する客と弁当屋の役で出ていてファミリー。 (評価:2)

製作:映画「八日目の蝉」製作委員会(日活、松竹、アミューズソフトエンタテインメント、博報堂DYメディアパートナーズ、ソニー・ミュージックエンタテインメント、Yahoo! JAPAN、読売新聞、中央公論新社)
公開:2011年4月29日
監督:成島出 製作:鳥羽乾二郎、秋元一孝 脚本:奥寺佐渡子 撮影:藤澤順一 音楽:安川午朗 美術:松本知恵
キネマ旬報:5位

見どころは余貴美子の怪演と渡邉このみの可愛い演技
 角田光代の同名小説が原作。タイトルの意味については、劇中で、蝉は7日間しか生きられないが、8日目の蝉はひとり取り残されて孤独だがみんなが見なかった景色を見ることができる、という説明がある。タイトルに比喩的な意味を持たせるという古典的な方法で、作品中でその理由を説明されるとゲンナリするが、その予感を裏切らない内容。
 妻子ある男の子を堕胎して妊娠できない体になった女(永作博美)が、男の妻に生まれた嬰児を誘拐。4年後に両親の下に帰ったが、馴染めないまま大学生(井上真央)になったという設定。
 映画の前半は事件の概要と井上が誘拐犯同様に妻子ある男の子を孕むまで、後半は井上が誘拐犯と過ごした幼い日の足跡を辿る旅をするという話になっているが、前後半で家庭不和と誘拐犯との母子愛とのテーマが完全に分裂。ラストで、空白の4年間を取り戻すという台詞でまとめようとするが、それまでがあまりに冗長。前半はとりわけ退屈。
 涙をとりに行く感傷的な母子もの作品だが、物語の構造を含めてあざとさが目につき、心地よい涙が流れない。とりわけ誘拐のシーンで、両親が嬰児を家に残して外出するのは決定的なリアリティの欠如。特殊な立場に置かれた子供の心を掘り下げていないし、誘拐犯のその後を描いていないという点では、人間の内面への洞察を放棄して安易にセンチメントに逃げた感がある。
 演出はストーリーを追い掛けているだけで凡庸、映像的にも演技的にも特筆するものはなく、エンゼル役の余貴美子の演技が目立つくらい。井上の幼少期を演じる渡邉このみが可愛い。 (評価:2)

コクリコ坂から

製作:日本テレビ放送網、電通、博報堂DYメディアパートナーズ、ディズニー、三菱商事、東宝
公開:2011年7月16日
監督:宮崎吾朗 製作:星野康二 脚本:宮崎駿、丹羽圭子 作画監督:山形厚史、廣田俊輔、高坂希太郎、稲村武志、山下明彦 美術:吉田昇、大場加門、高松洋平、大森崇 音楽:武部聡志

荷台に女の子を乗せて飛ばし過ぎだ
 佐山哲郎・作、高橋千鶴・画の同名少女漫画が原作。
 昭和38年頃の横浜の山手辺りが舞台の高校生のラブ・ストーリー。ひょんなきっかけから二人の交際が始まり恋に落ちるが、実は異母兄妹だったということがわかるという、少女漫画にありがちな禁断の恋。ところが、深い事情があって、やっぱり二人には血の繋がりはなかった、メデタシメデタシというハッピーエンドも如何にもな少女漫画。
 これに高校文化部の部室塔取り壊し反対運動が絡むが、男子高校生たちが如何にもなバンカラで、まるで旧制高校生のようなアナクロニズム。
 主人公の少女の家は洋館の下宿屋で、下宿人は若い女性ばかり。しかも父親は船長で朝鮮戦争で運搬船が沈んで死んでいて、幼い頃からの習慣で船舶用の国際信号旗を毎朝掲揚しているという、宮崎駿の好みそうな設定。
 ありがちな少女漫画のストーリーで、環境問題も絡まないので、血の繋がりが云々というだけの何を描きたいのかさっぱりわからない作品となっている。高校の部室塔や下宿屋の洋館に引っかけて、古い建物・文化を大切にしようという話は出てくるが、別段掘り下げもないので、「はあ、そうですか」で終わってしまう。
 ジブリらしく、作画がメインでストーリーは付け足しかと思って見ても、特段目を奪われるシーンがあるわけでもなく、ジブリとしては可もなし不可もなしの作画。自転車で坂を下るシーンはスピード感があるが、つい、「荷台に女の子を乗せて飛ばし過ぎだ」とハラハラするばかり。
 息子の映画に宮崎駿がどこまで手を入れたのかは不明だが、ファンタジー以外のアニメでの限界を感じさせる。 (評価:2)

製作:Convergence Entertainment、Rockwell Eyes、V Project Canada Productions
公開:2012年9月15日
監督:岩井俊二 製作:岩井俊二 脚本:岩井俊二 撮影:岩井俊二 音楽:岩井俊二

良くも悪くも岩井俊二らしさの出た作品
 自殺サイトを利用して自殺志願者の生血を抜き取るという新手のヴァンパイア物で、ちょっとしたトラブルから道連れになった女の子に自分がヴァンパイアであることがばれてしまい、恋が芽生えて、二人で共生することになるというヴァンパイア・ラブストーリー。
 儚い吸血鬼の儚い美少女との儚い関係という、いかにも岩井俊二らしい作品で、ヴァンパイアという設定そのものが岩井俊二ワールドにはぴったりで、水を得た魚のはずが、条件がそろい過ぎるとアクセントがなくなってしまい、印象までもが儚くなってしまう。
 ヴァンパイアものとはいいつつもホラー感は皆無で、『ポーの一族』ほどには吸血鬼心理が掘り下げられているわけでもなく、カナダで撮影され、蒼井優を除いて出演者も全員外人、言語は英語というにも拘らず、徹頭徹尾邦画色が漂うのは、さすが岩井俊二というべきか。
 孤独な若者たちを孤独なヴァンパイアに置き換え、最後は心の壁を乗り越えて、互いの傷を癒しながら共生していくというのがテーマで、それをリリカルに描いたというのが、良くも悪くも岩井俊二らしい。
 それにしても留学生という設定の蒼井優は出番も少なく、無くてもいいキャラで、なんで起用したのかよくわからない。ゲスト出演か? (評価:2)

製作:「奇跡」製作委員会
公開:2011年6月11日
監督:是枝裕和 脚本:是枝裕和 撮影:山崎裕 美術:三ツ松けいこ 音楽:くるり

『打ち上げ花火』を上げ損なった感じ
 九州新幹線の全線開通を機に、JRの広告代理店が企画、JR九州が協力した宣伝映画で、博多と鹿児島中央を出発した開通一番列車が熊本ですれ違う際に願い事が叶う奇跡が起きるという噂を聞いた少年たちが、それを実行するというのが作品コンセプト。
 これに参加するのが、両親の離婚で鹿児島と福岡でそれぞれに引き取られて暮らす兄弟とその友達だが、奇跡というにはあまりに矮小な都市伝説で、この矮小な奇跡に向けての子供たちの退屈なだけのストーリーを延々と見せられる。
 類似の設定としては岩井俊二の『打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?』(1995)があるが、イベントに夢を託す少年たちの純な心は、『打ち上げ花火』に遠く及ばない。
 少年たちは学校をサボって熊本に出かけるが、学校教師の阿部寛や長澤まさみは類型的で、各シーンも不必要に冗長。編集でもう少し摘まんでいれば退屈な2時間にはならなかったかもしれない。
 学校を抜け出してから熊本までの旅もファンタジーなら、見ず知らずの老夫婦が子供たちを泊めるに至ってはあまりに都合の良すぎるシナリオで、クライマックスが映像的にもよくわからない列車のすれ違いとなって、『打ち上げ花火』を上げ損なった感じ。
 子どもたちの願い事の結果もバラバラで、奇跡が何だったのかは描かれずじまい。兄弟の父親・オダギリジョーのバンドがメジャーデビューできましたが奇跡では、余りに世知辛い。
 樹木希林と共演した孫の内田伽羅12歳が大人っぽい雰囲気を漂わせていて、見どころといえば見どころか。 (評価:1.5)

製作:「東京公園」製作委員会(ディーライツ、アミューズ、ショウゲート、日活、メモリーテック、Yahoo! JAPAN、博報堂DYメディアパートナーズ)
公開:2011年06月18日
監督:青山真治 脚本:青山真治、内田雅章、合田典彦 撮影:月永雄太 音楽:山田勳生、青山真治 美術:清水剛
キネマ旬報:7位

観ていて恥ずかしくなる映画研究会映画
 小路幸也の同名小説が原作。
 カメラマン目指す大学生(三浦春馬)が公園で母親似の人妻(井川遥)の写真を撮っていると、その夫の歯科医に妻の尾行写真を撮るようにと突然依頼される。彼女は幼子を連れてアンモナイトの思い出のため渦巻状に都内の公園巡りをしている。青年は友人の幽霊と暮らしていて、その元彼女(榮倉奈々)とは友達のような関係。義姉(小西真奈美)がいるが、青年のことを愛していて、榮倉も青年に好意を持つ・・・という観ていて恥ずかしくなるくらいの映研映画。
 小西が義弟を好きだという話も無理矢理で、観客も榮倉に言われて初めて「へえ、そうなの」とわかるくらいに唐突。物語も記号的ならセリフも記号的。監督・脚本だけが自分の頭の中でこねくり回した理屈をもとに映画を作っているので、説得力もなければ登場人物の心情も理解できず、観客は置いてけぼりを食う。
 それに輪をかけるのが俳優たちの演技で、誰一人として上手くないのは演技力の問題か演出の問題か?
 タイトルは、東京は癒しと温もりのある公園のようだということらしいが、主人公はマザコンの上にシスコンで小西にキスされても激しく返すほどには愛情はなく、普通なら小西が傷つくシチュエーションをそうは考えない監督以下のスタッフの感性になさに呆れるが、榮倉の同棲志願にも明確な態度を示せず、それが公園のようなやさしさだと勘違いしているところに、この映画の未成熟を感じる。 (評価:1.5)


イメージは商品紹介にリンクしています