海月衛 映画帖
~映画の大海原をたゆたう~

日本映画レビュー──2013年

製作:「横道世之介」製作委員会(日活、博報堂DYメディアパートナーズ、バンダイビジュアル、毎日新聞社、アミューズソフトエンタテインメント、テンカラット、ショウゲート、文藝春秋、ソニー・ミュージックエンタテインメント、テレビ東京、テレビ大阪、BSジャパン、Yahoo! JAPANグループ)
公開:2013年2月23日
監督:沖田修一 脚本:沖田修一、前田司郎 撮影:近藤龍人 音楽:高田漣 美術:安宅紀史
ブルーリボン作品賞

人のために命を投げ出した平凡な好青年を追憶する佳篇
 吉田修一の同名小説が原作で、2001年にホームから落ちた人を助けようとして韓国人留学生と日本人カメラマンが死んだ新大久保駅乗客転落事故がモデルになっている。本作の主人公、横道世之介はカメラマンがモデル。
 本作は、世之介の友人・恋人たちがそれぞれに大学生時代の世之介を回想し、世之介の人物像をデッサンしていくという構成をとっている。デッサンするのは事故のあった時点からで、おそらく実際に事故のあった2001年から10年前を回想する。
 一般的には主人公に感情移入させるために主観から描いていくが、本作ではそうした主観ではなく客観から人物像を描くという手法をとり、成功している。
 10年後の友人・恋人たちは誰も今の世之介と接点を持ってなく、実際、社会人となってしまえば新しい人間関係の中で、大抵は学生時代と隔絶した人生を送ることになる。それを思えば、映画の登場人物同様、観客もまた彼らとともに過去に存在した世之介という好青年を追憶することになる。
 登場人物たちはかなりカリカチュアされているが、自然な台詞と演出による人物描写はしっかりしていて、80年代の甘酸っぱい青春物語としても成功。後に他人のために命を投げ出した世之介という好人物の輪郭を浮かび上がらせる。世之介役の高良健吾も好演。
 ビデオテープや公衆電話、携帯電話といった時代考証で、行きかう二つの時間軸を描き分けているが、10年後と回想シーンの切り変わりがわかりにくいのが難。10年後と続く回想が内容的にリンクしているので、しっかりみる必要がある。
 映像的には、ホワイトクリスマスの夜に庭に出てはしゃぐ世之介と恋人(吉高由里子)をアパートのドアから俯瞰までワンショットで映すシーンが、ロマンティックかつファンタジックで、最大の見せ場となっている。 (評価:3)

製作:「舟を編む」製作委員会(テレビ東京、松竹、アスミック・エース、電通、光文社、朝日放送、テレビ大阪、読売テレビ、朝日新聞社、フィルムメイカーズ、リトルモア)
公開:2013年04月13日
監督:石井裕也 脚本:渡辺謙作 撮影:藤澤順一 音楽:渡邊崇 美術:原田満生
キネマ旬報:2位

アスペルガー症候群の青年・松田龍平の演技が見どころ
 三浦しをんの同名小説が原作。
 出版社の辞書編集部が舞台で、十数年かけて1冊の国語辞典を作り上げるまでの過程と、それが辞書を作る者にとってある意味、人生そのものということを感じさせる物語。
 主人公・馬締を演じる松田龍平がいい。言葉を操るための辞書編纂の仕事をしているのに人とコミュニケーションが取れない青年をよく演じている。小林薫、オダギリジョー、加藤剛、池脇千鶴も実力派のいい演技をしていて、とりわけ途中から編集部に配属になる黒木華が新人ながら上手い。
 非常によくできた映画だが、ただひとつ残念なのは松田が好きになり結婚する相手・宮﨑あおいで、ワンパターンのお人形演技しかできないために、この作品の雰囲気を大きく損なっている。地味な作品のために、興行を考えてアイドル女優が欲しかったのだろうが、もう少し配役を考えるべきだった。興行を考えなければ宮崎あおいの役は不要で、わけのわからないラブストーリー的ラストシーンにならずに済んだ。
 編集部と松田が下宿する家のセットが本好きには嬉しい。他に渡辺美佐子、伊佐山ひろ子、八千草薫。 (評価:3)

製作:スタジオジブリ、日本テレビ、電通、博報堂DYMP、ディズニー、三菱商事、東宝、KDDI
公開:2013年11月23日
監督:高畑勲 製作:氏家齋一郎 脚本:高畑勲、坂口理子 作画監督:小西賢一 音楽:久石譲 美術:男鹿和雄
キネマ旬報:4位

二度と作れないキャラクターと背景が一体となった動く絵本
 『竹取物語』が原作で、ストーリーは幼少期を除きほぼオリジナルに沿っている。
 企画から公開まで8年を要していて、製作費50億円。底の抜けた鍋のように製作費が流れていったものと思われ、エンドロールに財務担当者の名前や監査役の名前が入っている映画を初めて見た。製作費を管理する人たちも相当この映画に深く関与したのだろう。
 作画のクオリティだけを見れば、★5を上げられる。劇場で観たがビデオで繰り返し見てみたいと思わせるだけのものがあって、おそらく二度とこのようなアニメーションは作られないだろう。
 本作を一言でいえば、動く絵本。絵本はキャラクターと背景が一体となっていて、それが美術的統一感、完結した世界観を観る者に提示する。
 しかし従来の日本のアニメでは背景と人物とでまったく画質が異なっていて、ストーリーを見せるフィクションとしては問題ないが、ファンタジーとしては違和感が残る。絵本の持つキャラクターと背景の質感をそのままアニメにしたのが本作で、花びらの舞う様子、鳥や水や自然の描写のすべてを丹念に描いた労作であることは間違いない。
 細かい点を挙げればきりがないが、かぐや姫が都を抜け出して郷里に走るシーン、とりわけ月の動きは秀逸で芸術と呼んでいい。カメラが野を高速で前進するシーンも素晴らしい。これで人物に落ちる影が動けば完璧だった。
 本作を見ていて思い出したのは『スノーマン』(1982、レイモンド・ブリッグズ原作、ダイアン・ジャクソン監督)で、26分の短編、アニメーションはもっと荒いが、表現方法や目指すものは同じ。それを本作では137分の長編、ディテールに凝った映像で見せている。
 ただ映像的に芸術性が高ければそれでよいかという点には疑問があり、それに関心がなければ退屈な映画。高畑の演出は素晴らしいが、単調な話に2時間以上かける必要性があったのか。その単調さを避けるために入れた捨丸とのエピソードも、宮崎駿ならともかく、高畑には通俗的で相応しくない。
 かりそめの生を生かされたかぐや姫の悲劇というテーマも、映像の美しさに目を奪われるあまり、あまり明確には響いてこない。
 プレスコで行われた声優陣は豪華で、翁役は公開前年に他界した地井武男の遺作。媼役の宮本信子のナレーションがいい。 (評価:3)

製作:『ペコロスの母に会いに行く』製作委員会(素浪人、TCエンタテインメント、フォーライフミュージックエンタテイメント、東風)
公開:2013年11月16日
監督:森崎東 脚本:阿久根知昭 撮影:浜田毅 美術:若松孝市 音楽:星勝、林有三
キネマ旬報:1位

森﨑東ならではの後味のよい認知症映画
 岡野雄一の実体験を基に描き自費出版した同名漫画が原作。ペコロスは作者の名乗りで、町のライブハウスでペコロス岡野の名で歌うシーンが登場する。ペコロスは4センチ前後の小さな玉葱のこと。
 認知症の母と初老の息子との心の交流を描いた作品で、時に息子の記憶さえも薄らいでいく中で、過去の記憶の中に戻っていく母の姿を描く。87歳の森﨑東でなければ描けない老境と人生の機微、人生観に溢れた佳作となっている。
 母を赤木春恵、息子を岩松了が演じるが、味のある母子を好演する。
 失われていく母の記憶の中に最後まで残るのが、幼馴染の原田知世、幼くして死んだ妹、夫の加瀬亮で、どれも悲しく辛い思い出なのだが、母の中には甘酸っぱい人生において価値ある記憶となっている。
 この中でも原田知世が演じる幼馴染が印象的な役で、子供の頃に長崎に引っ越し、被爆して遊女となり、売春禁止法が施行される頃に病没する。原田知世が登場するのは、ラストシーンを除けば、母が遊郭で再会する1シーンだけで、その1シーンだけで儚い女の一生を演じ切る演技となっている。
 この母の若き日を演じるのが原田知世の姉の原田貴和子で、姉妹出演となっているのも見どころ。
 宇崎竜童、根岸季衣、志茂田景樹なども出演しているが、残念なのは竹中直人で、禿げ頭を生かしたいつもの演技なのだが、そのパターン化されたエピソードとわざとらしい演技が、この作品の大きな欠点となっている。
 大ベテラン森﨑の演出は、感性だけで映画になると勘違いしている近年の日本映画にはない正統的かつ技巧的なもので、終始安心して見ていられる。冒頭のアニメーションも原作漫画の味を生かしてほのぼのとしており、喜劇を多く作ってきた森﨑ならではの深刻にならない後味のよい認知症映画となっている。 (評価:2.5)

製作:日活、ハピネット
公開:2013年9月21日
監督:白石和彌 製作:鳥羽乾二郎、十二村幹男 脚本:高橋泉、白石和彌 撮影:今井孝博 音楽:安川午朗 美術:今村力
キネマ旬報:3位

痴呆症の母を介護する妻のエピソードが余計
 新潮45編集部編のノンフィクション『凶悪 -ある死刑囚の告発-』が原作。
 元暴力団組員の死刑囚が、上告中に編集部に手紙を送り保険金殺人事件等の余罪を告白。記者が事件の真相と首謀者を追い詰めていく実話を基にした物語。
 ドラマ性を高めるために、痴呆症の母とそれを介護する記者の妻を設定し、家庭を顧みず憑かれたように殺人事件の取材をするサイドストーリーを織り込んでいるが、作品的にはテーマが絞れないままにダッチロールしている。
 3件の殺人事件が登場するが、うち2件は老人が被害者。高齢者遺棄を記者の母とだぶらせるというシナリオの意図だが、主軸は孤立無援な記者が(これもドラマ性を高めるための脚色だが)凶悪な男たちの悪を暴く正義感と、死刑囚の延命に利用されても真実を究明・報道するというジャーナリストの使命感。
 しかし、男たちがこれだけ身も蓋もない人非人だと、記者の正義感も使命感も説得力を持たず、それを補完するために老人問題を絡めたのだろうが、小枝を集めても柱にはならないように、何が作品テーマなのかわからなくなった。
 痴呆症の母を介護する妻を放ったらかしにして事件にのめりこんでしまう記者の設定も、かなり作為的でリアリティを欠く。妻が介護の母に暴力を振るっていたと告白するシーンがあるが、人間が内面に抱える暴力性をこれで指摘したのだとすれば、殺人事件の男たちの凶悪性とは次元が違っていて、比較の対象にならない。
 死刑囚のピエール瀧、首謀者のリリー・フランキー、記者役の山田孝之がいずれも好演していて、余計なサイドストーリーを入れなければ佳作になりえただけに、ドラマ性のために私生活のエピソードを入れたことが惜しまれる。 (評価:2.5)

ほとりの朔子

製作:Sakuko Film Partners
公開:2014年1月18日
監督:深田晃司 脚本:深田晃司 撮影:根岸憲一 音楽:Jo Keita

現実を乗り越えて生きる力を得ていく青春ストーリー
 福島の原発事故から2年。夏の終わりに海辺の家にやってきた浪人生・朔子(二階堂ふみ)が、避難民の高校生・孝史(太賀)と知り合い、ほのかに惹かれていくというひと夏の体験もの。
 郷里の伯母が海外旅行に行くため東京に暮らすもう一人の伯母・海希江(鶴田真由)と留守宅を預かるという設定で、伯母たちは朔子の母とは血の繋がらない姉妹。海希江はインドネシア文学の翻訳者で滞在中に仕事を終わらせる予定だが、妻帯者の大学講師・西田(大竹直)と不倫していて、西田は地元女子大の夏期講座?の講義のために海希江を追いかけて町にやって来る。
 町には海希江のかつての恋人・兎吉(古舘寛治)がいて、二人の間に生まれた娘・辰子(杉野希妃)を引き取っているが、地元女子大に通っていて、海希江の縁で西田と親しくなる…という複雑な人間関係となっているが、物語の大勢には関係ない。
 中心となるのは、原発事故の避難民であることから学校で苛められ不登校となった兎吉の甥・孝史に、大学受験に失敗した朔子が未来に希望を持てない者同士として心を寄せていく中で、人々のエゴイズムと偽善と出会い、現実を乗り越えて生きる力を得ていく姿にある。
 世の中は見かけほどには正しくなく、清廉でも夢のある世界でもない。そうした現実のありのままの姿を知ることで、それに負けずに生きていくことの大切さを知る。
 朔子は孝史に心惹かれる中で、同級生のガールフレンド・知佳(小篠恵奈)がいることを知り、むしろ彼女との仲が進展するように身を引く。ところが知佳が孝史に接近したのは、彼が被災者であることが理由で、知佳が参加する反原発運動に勧誘するためだったというエピソードが重い。
 朔子は失意の孝史と共に一晩現実社会から逃避するが、朝になり、孝史を促して逃避から現実社会へと還ってくる。
 多感な少女を淡々と演じる二階堂ふみの演技がいい。 (評価:2.5)

ホームレス理事長 退学球児再生計画

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製作:東海テレビ放送
公開:2014年2月15日、2016年5月14日(2016年版)
監督:土方宏史 撮影:中根芳樹 音楽:村井秀清

ドキュメンタリーはどこまで客観で有り得るかを考えさせる
 高校を中退した球児たちを集めて野球チーム・ルーキーズを作り、通信教育で高校を卒業させて社会に送り出すのを目的としたNPO法人の創設者である山田豪理事長を追ったドキュメンタリー。2014年にテレビ放送された後、放送基準に抵触したことから放送できなくなり、NPO法人のその後を追記した映画版として2016年に公開された。
 小中学校では野球エリートだった彼らは、甲子園を目指して野球強豪校に入学したものの、野球部内の厳しい競争の中で挫折し、中退してドロップアウト。そのままなら社会のクズ人間になるだけの彼らを救おうとして、山田はNPOを立ち上げる。
 山田自身、高校野球部の監督を務めるなど野球一筋の人間だが、暴力事件で高校球界を追放された池村を監督に迎えるという、NPO全体が挫折人間の集まり。発足から2年、NPOはたちまち経営難に陥ってしまう。
 百数十万円の運営費を捻出するために山田は金策に走り回るが、滞納でガス・電気・水道を止められ、アパートを追い出され、ネットカフェ難民のホームレスとなるというのがタイトルの由来。
 靴の底に穴が空き、自らの生活費を削って運営費を掻き集めるが、ついに窮してディレクターの土方に借金を申し込むシーンがクライマックス。
 コーチ、監督の首を切り、リストラでなんとか持ち堪えるが、どうなることやらでエンドクレジットとなる。2016年の映画版ではその後が記され、支援企業が現れてNPOが再建されたという安堵がもたらされる。
 挫折した球児たちを立ち直らせたいという山田の必死の思いへの共感、ないしは山田のNPO運営手法に対する批判といったものが最初に思い浮かぶが、本作最大の眼目はドキュメンタリーの在り方にある。
 第一に、山田の借金の申込みに対し、土方は制作者の関与がドキュメンタリーの方法論と相容れないことを理由に断る。これは『コミック雑誌なんかいらない!』(1986)にも描かれた1985年に起きた豊田商事会長刺殺事件で、目の前で殺人事件が起きても報道の客観性を優先させるべきかという、報道と倫理の相克となる。
 土方はそこまで追い詰められていないが、支援企業の登場が本作の影響だったとすれば、結果としてドキュメンタリーが対象に関与したことになる。
 本作には更に後日談があって、この後、山田は常滑市議会選挙に日本維新の会より立候補して当選。大村愛知県知事リコール運動の不正署名事件に関与したことを認めて議員辞職した。
 ドキュメンタリーが制作されなければ、NPOは解散し、山田が市議になることも不正署名事件に関わることもなかったかもしれない。
 本作は、改めてドキュメンタリーはどこまで客観で有り得るかを考えさせる。 (評価:2.5)

製作:エムオン・エンタテインメント、キングレコード
公開:2013年11月23日
監督:山下敦弘 脚本:向井康介 撮影:芦澤明子、池内義浩 美術:安宅紀史
キネマ旬報:9位

前田敦子のダメ女ぶりがなかなか堂に入っている
 前田敦子を主役、星野源の「季節」を主題歌にした78分のショート・ムービー。
 前敦は東京の大学を卒業して、離婚した父(康すおん)の家に居候しているモラトリアム娘23歳の役。甲府のスポーツ店の店番を手伝いはするが、ゲームばかりして友達もなく、やることもないグータラ娘で、テレビのニュースを見ては「この国はダメだ」とほざくが、逆に「ダメなのはおまえの方だ」と父に叱られる。
 そうして秋冬春夏と季節はめぐるが、前敦のダメ女ぶりがなかなか堂に入っていて、『苦役列車』のアイドルタレントを脱皮した姿が見どころ。とりわけ、父の再婚候補の富田靖子との会話がうまく、ダメ女なりの魅力を見せている。
 1年が経って、父から独立して生きてゆくように言われ、本人もそのつもりになるが、最後までグダグダぶりで、本当に家を出るのかどうかもよくわからないという監督の山下敦弘のモラトリアム的ラスト。
 好意的にとれば現代の若者を等身大に描き、その行く末に妙な結論を出さずに、ありのままの現実を描いたともいえ、ある種の共感を呼ぶのかもしれない。
 しかし、未消化のままに放り出された観客にとっては、「ここで終わるの?」という未完成感は払拭できない。
 康すおんが、ぶっきら棒だが心の奥で娘を案じ愛している父親を演じて上手い。 (評価:2.5)

旅する映写機

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製作:森田惠子
公開:2013年11月30日
監督:森田惠子 製作:森田惠子 撮影:森田惠子 音楽:遠藤春雄

アナログでもデジタルでもどっちでもいいってこと
 映写技術がデジタル化していく中で、生産中止となったアナログ映写機で上映を続ける弱小映画館主たちの映画に懸ける情熱を追ったドキュメンタリー映画。
 一言でいえば、滅び行く文化への哀悼歌で、見る前から内容が予見できてしまう類の映画。その意義は否定しないが、消えていく藁葺き家や練炭コンロ、LPプレーヤーを惜しむ人たちを題材にしたものは、懐古趣味に陥るのが常で、後ろ向きのマスターベーション的な感傷しか残さない。
 本作も同様で、関係者の間では名機と謳われる骨董品的映写機とそれをメンテナンスする老齢の技術者たち、シネコン全盛の興行界で小さな町や村に映画館の灯を灯し続ける人たち、それをアーカイブに記録するドキュメンタリー制作者の内向きなドラマとなっている。
 それに心を癒される人もいれば、朽ちかけた映画館に足を向けようという人もいるかもしれないが、実際にはこの映画をリビングのDVDとテレビモニターで見ているという現実がある。
 制作者が意図したかどうかはわからないが、そうした滅びの美学とは別に、本作は映画とは何か? ということを結果的に提起している。
 それが示されるのが東日本大震災で避難生活をしている人のための巡回上映で、皮肉なことに映写機ではなくDVDプレーヤーとモニターなのだが、映画の本質はアナログだとかデジタルにあるのではなく、観客が映画に何を求めているかが重要であることに気付かされる。
 宮古の映画館主と高知の片田舎の映画館主が提供するのは、映画を通したコミュニティ、人々が交流し安らぐための時間と場であって、映画はその媒介役を果たしているに過ぎない。
 タイトルは、閉館した映画館から中古の映写機を譲り受けることを旅に譬えている。 (評価:2.5)

永遠の0

製作:「永遠の0」製作委員会(東宝、アミューズ、アミューズソフトエンタテインメント、電通、ROBOT 、白組、阿部秀司事務所、ジェイ・ストーム、太田出版、講談社、双葉社、朝日新聞、日本経済新聞社、KDDI、TOKYOFM、日本出版販売、GyaO!、中日新聞社、西日本新聞社)
公開:2013年12月21日
監督:山崎貴 製作:市川南、畠中達郎 脚本:山崎貴、林民夫 撮影:柴崎幸三 美術:上條安里 音楽:佐藤直紀

山本學、田中泯の老人グループが味のある演技
 百田尚樹の同名小説が原作。製作費が必要だったのか、製作委員会に19社が名を連ねているが、本作最大の見どころは白組制作のCGで、ゼロ戦を中心とした真珠湾攻撃からミッドウェー、ガダルカナル、沖縄特攻などの海戦・空戦シーンが見どころ。
 ただCGの限界も感じさせて、実際の記録フィルムと比べると汚しが足りなくて、リアリティに欠けた嘘っぽさが拭えない。それでも白組は頑張っていて、戦記ファンには嬉しいかもしれない。
 物語は、ヒューマニストのゼロ戦乗りが主人公(岡田准一)で、ヒロイズムに偏り過ぎていてリアリティに欠けるのが難。とりわけ前半で岡田苛めを際立たせるために、戦友たちが日本軍人の鑑を演じるのがこれまたリアリティに欠け、橋田寿賀子の嫁苛めのテレビドラマか、梶原一騎の劇画を見ているようで、ややうんざりした気分になる。
 後半、岡田苛めが一巡して、岡田君が特攻隊の教官となるあたりから、『愛と誠』の任侠+友情+恋愛ドラマとなり、岡田君死後の終盤はメロドラマとなって、それなりに楽しめる。
 要は大衆演劇の通俗ドラマで、その道具立てにゼロ戦と特攻隊という強力コンビを持ってきているので、ドラマ的にはお涙頂戴が露骨だが、それほど嫌味でもない。
 ラストにはちょっとしたサプライズもあって、物語的には上手い構成になっているが、戦争映画としては情緒に訴えるだけに終わっている。
 細かい点を挙げればいろいろあるが、あまり難しいことを考えずに見た方が良い。
 キャラクター的には若者たちが熱血漢なのが引いてしまうが、山本學、田中泯の老人グループが味のある演技をしている。 (評価:2.5)

製作:「そして父になる」製作委員会(フジテレビジョン、アミューズ、ギャガ)
公開:2013年9月28日
監督:是枝裕和 製作:亀山千広、畠中達郎、依田巽 脚本:是枝裕和 撮影:瀧本幹也 美術:三ツ松けいこ
キネマ旬報:6位

似非ヒューマンドラマで本当に父親になれたのか?
 1971年に起きた赤ちゃん取り違え事件を基にした、オリジナル脚本。カンヌ映画祭への出品が大きく取り上げられたが、そのこと自体が製作側の話題作りに思われ、カンヌ出品のために映画を作っているような本末転倒な印象を受けた。
 その期待を裏切らず、全体にテーマを見せるための作為性が鼻につく。  都心のエリートサラリーマン家庭と前橋の電気屋という、殊更に二つの家庭の違いを際立たせる設定を持ち込むが、ステレオタイプな上に無理が目立ち、冒頭の小学校お受験の面接シーンで、演技や台詞にいきなりリアリティを欠く。
 福山の継母、取り違えが看護婦の故意だったというエピソードは、親子の血縁を強調するための過剰な作為の持ち込みで、嫌らしい。
 本作はタイトル通り、取り違え事件の親子の葛藤をテーマにしたものではなく、父親としての資質に欠けていた男が成長して父になる物語となっている。従って本作には子供の視点から事件をどうやって解決すればいいかという話にはなっていないので、それを期待するとがっかりする。
 鼻持ちならないエリートサラリーマンで、子供のことを理解できない父親役は、福山雅治に適役だが、ガリレオをそのまま演じているだけで、映画を見終わってもはたして「父になる」ことができたのかどうかはなはだ疑問。そうした点では、テーマを描くことに失敗している。
 ラスト近くで子供が撮った写真を見て、福山が震えながら涙を流すクライマックスは父親が子供の思いに気付くというシーンだが、福山の演技が下手なのはともかく、眠っている父親の姿を子供が撮ったという写真程度で「父になる」ことができたというシナリオそのものがお粗末。「ミッション終了」程度で、子供の心の傷を癒せたというのでは、父親になったことのない男の空想映画でしかない。
 子供を描くシーンが、演出側の都合のよい子供を演じさせているのもリアリティを欠く。  そうした点からは、取り違えは単なる映画の題材にしかすぎず、福山の演じた父親は決して父親になることはできないという予感だけを残し、この事件がどういう解決を見るのか、あるいは子供と親にどのような成長と傷跡を残すのかという肝腎の点は描かれないままに終わっている。
 親子の悲劇を描いた似非ヒューマンドラマで涙を流したい向きと、福山のハンサムを眺めたい人には退屈はしないが、それ以上のものは期待しない方がよい。
 電気屋の父親を演じるリリー・フランキーが好演。その妻の真木よう子も庶民派のお母ちゃんを頑張って演じている。 (評価:2.5)

製作:『共喰い』製作委員会(スタイルジャム、ミッドシップ、ギークピクチュアズ、アミューズソフトエンタテインメント、ビターズ・エンド)
公開:2013年9月7日
監督:青山真治 脚本:荒井晴彦 撮影:今井孝博 美術:清水剛 音楽:山田勲生、青山真治
キネマ旬報:5位

地霊のような怨念を今に伝える長州の根深い精神風土
 原作は田中慎弥の同名の芥川賞受賞作。タイトルからして言葉に品がないが、作品内容も同様。
 主人公の高校生には肉体関係にある女生徒がいるが、セックスの時に女を殴らないとエクスタシーを得られないという父の性癖を引き継いでいるのではないかと恐れている。母はそのために2子目を妊娠中に掻爬して別居。父は若い女を家に引き入れながら別に愛人を持っている。
 若い女は妊娠し家出するが、狂ったようにそれを探しに出た父が、主人公と逢引予定の女生徒を神輿倉で強姦し、それを知った主人公の母が成敗するというストーリー。
 これに父子の葛藤やオイディプス的意味を見いだせれば、それなりに楽しめるかもしれないが、糞のような父親にしか見えなければ、性癖を受け継いでいると悩む息子が阿呆にしか見えず、とても昭和の終わりとは思えないような時代性を背景にした特殊な一家と、それを取り巻く人々の閉鎖社会そのものがリアリティを欠く。
 そうした終戦直後的なある種のファンタジーが心地よければ、四畳半的純文学の中でマスターベーションによる慰めを得られるかもしれない。
 あるいは舞台となる下関には、このような抑圧的で自慰的な精神風土が、今もハアハアと喘ぎ声を漏らしながら息づいているのか? だとすれば、太古からの地の底から涌き上がる地霊のような日本の怨念を今に伝える霊場かもしれない。
 作品内容はともかく、主人公の菅田将暉、母の田中裕子ら演技陣は見どころ。
 戦災で片手を失った母が夫殺しの後、戦争責任者の昭和天皇が崩御して、恩赦をもらうまでは死ねないというのが唐突。片手を失ったのも、夫が暴力でしかエクスタシーを得られないのも、その性癖を息子が引き継いだのも、すべて戦争が悪いということなのか?
 明治維新から多くの政治家や軍人を輩出している長州には、想像もつかない根深い精神風土がある。 (評価:2.5)

うたうひと

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製作:silent voice
公開:2013年11月9日
監督:酒井耕、濱口竜介 製作:芹沢高志、相澤久美 撮影:飯岡幸子、北川喜雄、佐々木靖之

民話が権力に対する抵抗文学であることを想起させる
 民話研究者・小野和子を聞き手に、東北民話の語り手3人の語りを収録したドキュメンタリー。
 方言で語られるために若干話の内容がわかりにくいが、猿の嫁取り話では、猿が村役等の表象であることが類推されたり、民話好きのお殿様の話が千一夜物語に似ているなど、民話誕生の経緯を知ることができる。
 いずれも祖母から孫に口承されたというのが面白いが、農村の世帯構成や生活が大きく変化した中で、このような民話本来の伝承は不可能となっていて、彼らが最後の伝承者であることは間違いない。
 民話の内容そのものが面白いかといえばそうでもなく、あくまでも最後の伝承を映像という形で記録することに意義がある作品。
 本来のテーマからは外れるが、小野和子が民話研究を始めたきっかけが、国民学校の時に終戦を迎え、黒塗りの教科書から国家への信頼を失い、庶民文化の中に頼れるものを求めたというもので、民話が権力に対するある種の抵抗文学であることを想起させて面白い。 (評価:2.5)

清須会議

製作:フジテレビ、東宝
公開:2013年11月9日
監督:三谷幸喜 製作:亀山千広、市川南 脚本:三谷幸喜 撮影:山本英夫 美術:種田陽平、黒瀧きみえ 音楽:荻野清子

下手な演技で一人気を吐いている剛力彩芽
 本能寺の変後、信長の後継と領地再配分を巡り、尾張国清洲城で開かれた評議が題材。
 参加者は柴田勝家、丹羽長秀、羽柴秀吉、池田恒興の4人で、滝川一益が欠席。4人を役所広司、小日向文世、大泉洋、佐藤浩市が演じる。
 信長の二男・織田信雄と三男・織田信孝が後継を争い、勝家が信孝、秀吉が当初、信雄を担ぐが、信長の嫡孫・三法師を引っ張り出し、勝家から主導権を奪って天下取りの第一歩を固めるというのが大筋。通説に従った内容で、実際には会議前に三法師で決着していたといわれるが、それではドラマにならない。
 三谷幸喜お得意のコメディで、それぞれの登場人物は面白く戯画化されていて概ね退屈しない。もっとも会議だけでは話が持たないとあって運動会まで登場するのは、いささかふざけすぎ。
 秀吉を演じる大泉洋が上手く、田舎者で滑稽な面と、深謀遠慮の策略家の二面を演じ分けている。とりわけ後半、秀吉以外に信長の後継になれるだけの人物はいないという説得力のある存在感を出している。
 対する勝家の役所広司も好演していて、腕力があり粗野だが純朴な好人物で若干頭が鈍いという、従来の役所広司から一段進んだ演技を見せてくれる。
 この二人の演技が平板なストーリーを救っているが、ラストはいつも通りの蛇足に蛇足を重ねる三谷流で、秀吉の天下取り宣言をしつこく繰り返して、エンディング・クレジットが始まるまでの10分間(くらいか?)睡魔に勝てない。ここまでポリシーに近い蛇足を入れられると、何か理由があるのではないかとさえ勘繰ってしまう。
 小日向文世と佐藤浩市、寧の中谷美紀はいつもの演技。織田信雄役の妻夫木聡のタワケタ演技も見どころ。
 お市の方の鈴木京香のメイクが不気味。松姫の剛力彩芽が一人、下手な演技で気を吐いている。浅野忠信、伊勢谷友介らは存在感のない演技。 (評価:2)

製作:「さよなら渓谷」製作委員会(スターダストピクチャーズ、キングレコード、ファントム・フィルム)
公開:2013年6月22日
監督:大森立嗣 製作:細野義朗、重村博文、小西啓介 脚本:高田亮、大森立嗣 撮影:大塚亮 音楽:平本正宏 美術:黒川通利
キネマ旬報:8位

レイプされた女がその相手と同棲できるのか?
 ​吉​田​修​一​の​同​名​小​説​が​原​作​。
​ ​大​学​野​球​の​ト​ッ​プ​選​手​が​仲​間​と​部​室​で​女​子​高​生​を​レ​イ​プ​と​い​う​、​あ​り​が​ち​な​設​定​を​基​に​、​サ​ラ​リ​ー​マ​ン​と​な​っ​た​主​犯​の​男​(​大​西​信​満​)​と​過​去​か​ら​逃​れ​ら​れ​な​い​女​(​真​木​よ​う​子​)​の​そ​の​後​の​人​生​を​描​く​。
 ​本​作​の​一​番​の​売​り​は​、​男​が​贖​罪​の​た​め​に​自​暴​自​棄​の​女​と​旅​を​し​、​や​が​て​同​棲​す​る​こ​と​。​こ​れ​に​隣​家​の​女​の​子​供​殺​し​が​絡​む​が​、​そ​の​事​件​を​き​っ​か​け​に​週​刊​誌​記​者​(​大​森​南​朋​)​が​二​人​の​過​去​を​暴​い​て​い​く​と​い​う​話​に​な​っ​て​い​る​。
​ ​本​作​の​評​価​の​分​か​れ​目​は​、​こ​の​設​定​が​受​け​入​れ​ら​れ​る​か​ど​う​か​で​、​同​棲​中​は​偽​名​を​名​乗​っ​て​い​た​女​が​、​最​後​に​人​生​の​谷​か​ら​抜​け​出​し​て​過​去​と​訣​別​す​る​と​い​う​予​感​で​終​わ​る​。​そ​れ​が​、​タ​イ​ト​ル​の​意​味​で​も​あ​る​。
​ ​週​刊​誌​記​者​が​こ​の​物​語​の​語​り​部​だ​が​、​興​信​所​み​た​い​で​、​記​者​と​し​て​ほ​と​ん​ど​仕​事​ら​し​い​仕​事​を​し​て​な​い​の​が​現​実​味​に​欠​け​る​。​レ​イ​プ​さ​れ​た​女​が​そ​の​相​手​と​同​棲​で​き​る​の​か​?​ ​愛​欲​に​ま​み​れ​な​が​ら​男​と​別​れ​ら​れ​る​の​か​?​ ​と​い​っ​た​疑​問​を​感​じ​さ​せ​な​が​ら​も​、​奇​抜​な​話​の​た​め​に​な​ん​と​な​く​見​ら​れ​て​し​ま​う​。
​ ​当​初​、​二​人​の​関​係​は​隠​さ​れ​て​い​る​が​、​序​盤​で​見​当​が​つ​く​。​週​刊​誌​記​者​の​相​棒​に​鈴​木​杏​、​妻​に​鶴​田​真​由​。 (評価:2)

フィギュアなあなた

製作:角川書店、ファムファタル
公開:2013年6月15日
監督:石井隆 脚本:石井隆 撮影:佐々木原保志、山本圭昭 美術:鈴木隆之 音楽:安川午朗

セリフだけでフィギュアの細部が見えないのは欲求不満
 石井隆の短編劇画『無口なあなた』が原作。
 会社をリストラされて運から見放された青年が自暴自棄となり、レズのカップルと喧嘩。逃げ込んだ老朽ビルで出会ったのが等身大の制服美少女フィギュア。
 ここからは現実なのか青年の妄想なのか、はたまた両者が渾然一体となったのか、判然としないままに物語は進み、青年はフィギュアと同棲。ギャンブルに手を出して運のない日々を送るが、乾坤一擲、「九蓮宝燈」というフィギュアの言葉を頼りに遂にアガリ、運を手にするが、その帰りにフィギュアそっくりの女の子を助けようとして交通事故死するというオチ。
 いわば一生で一回のツキを手に入れたのが運のツキというサガリで、運に見放された者はどこまで行っても幸せにはなれない、せめて妄想の中で幸せを手に入れるしか方法はないという、何とも悲しい物語。
 見どころは運のない青年を演じる柄本佑と、美少女フィギュアを演じる佐々木心音の制服姿と裸体しかないが、裸体の方は肝腎なところにボカシが入っているので、フィギュアとして確認しようがなく、生身なら諦めもつくが、そうではなくフィギュアの細部が見たいファンには「毛が1本1本生えている」とか「穴がない」というセリフだけでは欲求不満になる。
 ラストシーンから敷衍すると人肌の生きているように見えたフィギュアはやはり青年の妄想で、実際はPVCで、希望のないオタクの物悲しい物語になっている。 (評価:2)

製作:スタジオジブリ、日本テレビ、電通、博報堂DYMP、ディズニー、三菱商事、東宝、KDDI
公開:2013年7月20日
監督:宮崎駿 脚本:宮崎駿 作画監督:高坂希太郎 音楽:久石譲 美術:武重洋二
キネマ旬報:7位

人間・堀越二郎の掘り下げが不十分
 原作は宮崎駿のモデルグラフィックスに連載した同名漫画。七試艦上戦闘機、九試単座戦闘機、零式艦上戦闘機を設計した堀越二郎の半生に、堀辰雄の『風立ちぬ』を加えて脚色している。
 飛行機アニメということで、飛行シーンの演出は宮崎駿らしさが随所に光っているが、作品的には実話ベースにフィクションを糊塗した中途半端さがそのまま表れている。
 全体は堀越の戦闘機開発者としての半生を描くが、ダイジェストな上に、選ばれたエピソードが何のためか不明瞭で、おそらくは飛行機のことしか頭にないノンポリ専門バカを描きたかったのだろうと思われるが、庵野秀明の棒読み演技もあって、ドラマの方向性が見えないままに進行する。
 中盤からは降って沸いたようなラブストーリーに変わり、これまた淡々と描かれるので避暑地のシーンはかなり退屈。恋愛部分は戦闘機開発者のドラマとはまったくリンクしてなく、堀越の人間性に関係するわけでも影響を与えるわけでもなく、ノンポリ男の味気ないドラマに無理やりキャラクター性と悲劇性をあたえるためだけの道具となっている。
 戦闘機開発者のドラマを描くなら、『風立ちぬ』の部分は不要で、人間・堀越二郎の掘り下げが不十分、あるいはできなかったための方策にしか見えない。中軸となるはずの戦闘機開発話はどれも説明不足で開発史として繋がらず、それを通して堀越が何を考えたかというのも見えない。とりわけ技術的な話が観客にわかるように説明されてなく、単なる戦闘機オタクをくすぐるくらい。
 関東大震災や特高にマークされるドイツ人のエピソードも表面的にしか描かれてなく、近代歴史物語としての味付け程度でしかない。
 兵器を作りたいのではなく飛行機が作りたいという主人公の言葉も、死屍累々のゼロ戦のラストシーンも、戦闘機開発者の言い訳にしかなってなく、それでも飛行機が作りたかった狂気も、葛藤も反省も描かれていない。そうした曖昧な歴史観がそのまま表れていて、主人公の飛行機への憧憬が妻となる女性や避暑地のブルジョア的憧憬とオーバーラップして見える。
 宮崎はキャラクターや人間性を深く描くのには長けてなく、エンディング『ひこうく雲』のユーミン同様、ファッショナブルとkawaiiの糖衣に包んだ漫画映画を作るのが上手い。漫画映画の名手が漫画映画ではない作品を作ろうとしたことに、そもそも本作の無理があった。 (評価:2)

攻殻機動隊ARISE border:1 Ghost Pain

製作:「攻殻機動隊ARISE」製作委員会(バンダイビジュアル、講談社、電通、プロダクション・アイジー、フライングドッグ、東宝)
公開:2013年06月22日
監督:黄瀬和哉 脚本:冲方丁 撮影:竹田悠介 音楽:コーネリアス

攻殻誕生前史を描くクールジャパンを代表するアニメ
 原作は士郎正宗の漫画『攻殻機動隊』。攻殻機動隊誕生前史を描く4部作の第1作。1時間弱の尺からも、ビデオ販売用として作られたOVAの劇場公開版。
 一応、一話完結で話をまとめている点は良心的。陸軍501機関に所属する草薙素子が罠にかけられ、上官殺しの容疑者となる。上官は国防省のミサイル密売を告発しようとしていた・・・
 Production I.G 制作で、作画クオリティはまずまず。レイアウトなども期待通りのセンスのよさで、クールジャパンを代表するアニメ。もっとも気どったセリフはカッコつけすぎで、説明不足は否めない。
 SF作品は日常性から乖離するために、舞台設定、キャラクター設定、SF用語がわかりにくい。日本のSFの良くないところはそれを当然として、ついていけない一般人を排除してしまう閉鎖性。わかりにくさを補う台詞がスタイルばかり求めると、話がよくわからないという制作者の自己満足になり、その不親切さは本作にも表れている。それにしても1時間弱は短い。
 監督は押井守、神山健治から黄瀬和哉に。脚本は冲方丁。 (評価:2)

不気味なものの肌に触れる

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製作:LOAD SHOW、fictive
公開:2014年3月1日
監督:濱口竜介 脚本:高橋知由 撮影:佐々木靖之 音楽:長嶌寛幸

触れようとして触れられない人と人との関係
 少年二人の不思議なダンスシーンから始まるが、触れ合うことを禁止されたダンスが作品の主題へのメタファーとなる。
 このダンスが人間同士の触れ合いを否定しているかというとそうではなく、不可触ながらも感覚によって受動的に相手の動きを知るという、人と人との皮膚感覚を問う。その感覚が「不気味なもの」であり、その肌に触れる物語となっている。
 もっとも物語性は希薄で、いくつかのシークエンスとメタファーで構成されているだけで、不思議感はあるものの見終わってポカンとせざるを得ない。
 川を遡上するモーターボート、人の輪から放り出されるフリスビー、人の背骨に埋め込まれた古代魚ポリプテレス、水と魚の関係性。
 高校生の少年二人、千尋(染谷将太)と直也(石田法嗣)。父を亡くした千尋には腹違いの兄・斗吾(渋川清彦)がいて、恋人・里美(瀬戸夏実)と同棲する家に同居する。
 直也はガールフレンドの梓(水越朝弓)に振られ、接近することを禁じられる。これに反発した千尋は梓を殺害。ラストで、"to be continued to FLOOD"の字幕とともに、本作が"FLOOD"(洪水)の予告編であることが明かされるが、それが古代魚と同様に古代神話の洪水とのアナロジーなのか、消化不良のままに終わる。ロケ地は茨城県の那珂川か。
 BGMに流れるのはサティの"Je te veux"(おまえが欲しい)で、触れようとして上手く触れられない、もどかしい人と人との関係を示唆する。 (評価:2)

夏の終り

製作:クロックワークス、バップ、プランダス
公開:2013年8月31日
監督:熊切和嘉 製作:藤本款、伊藤和明 脚本:宇治田隆史 撮影:近藤龍人 美術:安宅紀史 音楽:ジム・オルーク

昭和の黴臭い映画で平成の女を演じてしまう満島ひかり
 瀬戸内晴美(寂聴)の自伝的短編小説が原作。
 年上の作家の愛人となっている女が、かつて夫と子供を捨てて駆け落ちした男と再会し、二股の恋愛に悩む話。
 時代設定といい、テーマといい、題材といい、昭和の香りが芬々とする化石のような作品で、今さら、なぜこのような黴の生えた小説を映画化したのかが、まず第一に理解できない。
 第二に、女の状況を説明するために、回想によって何度か時間軸が行ったり来たりするのが演出的にわかりづらく、結局のところ女の過去の経緯や周囲の関係が最後まで理解できないままに終わる。
 第三に、主人公の女を演じる満島ひかりが、どうしても昭和の黴臭い女にも、作家を愛人に持つ女にも見えない。平成の愛人バンクの女にしか見えず、二股の恋愛にプラトニックに悩んでいるような葛藤が感じられない。
 作家を演じる小林薫はそれなりに昭和の男と作家という二重に黴臭い役をこなしているが、満島の平成の女とはどうにもうまくかみ合っていない。満島は、古い邦画を観て、昭和の女の仕草や口調などをもう少し勉強した方が良かった。
 それからすれば、第一に企画の失敗であり、第二にキャスティングの失敗であり、脚本も演出も冴えないままに見るところのない作品となってしまった。
 昭和のゆったり感を出すために、長伸ばしにしたフェードアウトも間が抜けていて、いいところがない。
 焼けぼっくいに火が付いた主人公の恋人役に綾野剛。  原作次第で出来不出来の出てしまう監督の熊切和嘉も、ちと悲しい。 (評価:1.5)

利休にたずねよ

製作:「利休にたずねよ」製作委員会(東映、木下グループ、キングレコード、東映ビデオ、テレビ東京、東急エージェンシー、ギルド、テレビ大阪、クリエイターズユニオン、日本出版販売、PHP研究所、読売新聞社、東映チャンネル)
公開:2013年12月07日
監督:田中光敏 製作:白倉伸一郎、木下直哉、重村博文、間宮登良松、井澤昌平、林誠、菅野征太郎、羽白勝、近藤哲、吉川英作、清水卓智、伊藤隆範、香月純一 脚本:小松江里子 撮影:浜田毅 音楽:岩代太郎 美術:吉田孝

主演は海老蔵だが見どころは團十郎で、役者が違う
 田中光敏の同名小説が原作。12代目市川團十郎と11代目市川海老蔵の親子出演で話題になった作品。團十郎は出演後に死去。
 これまでも千利休を描いた映画はあったが、本作は相当に俗っぽい。利休だけでなく信長も秀吉もステレオタイプに俗っぽく、歴史ファンや本格的な作品を期待する人はがっかりするか腹が立つ。
 テーマは利休の追究する美。この時点で? を感じてしまうと、最後まで浅薄な話にしか見えない。利休の追究する美が何から生まれたかがラストで明らかになるが、なんだ×××だったのかと思わず噴いてしまう。
 千利休役の海老蔵はほとんど出ずっぱりだが、残念ながら力量不足。キャラクターを演じられていないために、利休の人物像がシーンによってバラバラで、一貫性もなければ全体像どころか輪郭も浮かび上がってこない。それに引っ張られたのか妻・宗恩役の中谷美紀もメロメロで、ラストの嫉妬が唐突。
 全体にテンポが悪い上に無駄なシーンが多くて退屈。それに海老蔵のジツのない演技が加わるため、時間の経つのが遅い。ただ着物の捌きなど所作はきれいで、歌舞伎で鍛えたものがある。
 後半は高麗の娘イ・ソンミンとのラブストーリーになって、茶道とは縁遠い通俗ぶり。見どころは團十郎で、やはり役者が違う。 (評価:1.5)


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