海月衛 映画帖
~映画の大海原をたゆたう~

日本映画レビュー──1996年

製作:光和インターナショナル
公開:1996年03月09日
監督:森田芳光 製作:鈴木光 脚本:森田芳光 撮影:高瀬比呂志 音楽:野力奏一、佐藤俊彦 美術:小澤秀高
キネマ旬報:4位

ネットによって結ばれるプラトニック純愛物語の秀作
 当時のパソコン通信を題材にした恋愛映画で、ヴァ-チャルな恋愛を先取りした。ネットワークによる交流が一般化した今でも、この映画の描くプラトニックな世界は古びていない。
(ハル)はハンドルネームで、アメフトの元社会人選手(内野聖陽)と盛岡に暮らす(ほし)=深津絵里は、映画フォーラムを通して知り合い、メールで文通する仲となる。(ハル)は体を壊して店頭販売の営業に回るが、恋人(山崎直子)とも上手くいかず、閉塞した日々をメールを通して癒す。(ほし)は恋人に死なれ、その空白と社会との繋がりを(ハル)に求める。二人はメールを通して精神的な結びつきを強め、互いを支え成長していく。  顔や外見に惑わされることがないため、二人は心だけで通じ合っていく。テクノロジーは人間関係を純化し精神化するという逆説を提示するが、人間は外見や偏見に囚われる生き物で、二人は顔を見たいという気持ちとの間で葛藤する。二人が新幹線の車窓から互いを確認し合うシーンが美しい。
 本作はメール文がシーンの多くを占めていて、映画でありながら文章が主体の映画となっている。その多くはメール文である脚本に負っていて、監督の森田芳光が担当しているが、一冊の本を読むような趣きがある。
(ローズ)=戸田菜穂をきっかけに、二人はラストで顔を合わすが、ネットを通してプラトニックに結ばれる純愛物語を内野と深津が好演する。 (評価:3.5)

製作:群馬県人口200万人記念映画「眠る男」製作委員会、SPACE
公開:1995年12月2日
監督:小栗康平 脚本:小栗康平、剣持潔 撮影:丸池納 美術:横尾嘉良 音楽:細川俊夫
キネマ旬報:3位

小栗康平が美しい映像で群馬県の魅力を紹介する
 群馬県が人口200万人になったことを記念して製作された、地方自治体が主体となった作品で、劇映画の体裁を取りながらも全体を俯瞰すると見事な群馬県アピール映画になっている。
 撮影は中之条町を拠点に、法師温泉や片品村など群馬県各地で行われ、四季の自然の美しさ、山岳地帯を含む野山や田園地帯、湖や谷川、出湯など、群馬県の魅力を余すことなく伝えていて、小栗が切り取った映像は溜め息が出るほどに素晴らしい。映像を見ていると群馬県に住みたいと思うほど。
 映画は、そうした群馬県の美しい自然の中で暮らす人々を点描するだけで、物語性はほとんどない。
 タイトルの眠る男は山で転落して以来眠り続けている拓次(アン・ソンギ)で、季節が移ろい、息を引き取る。拓次の魂は山へと還っていく。
 町にはオモニに育てられている少年リュウがいて、水車小屋に住む老人・傳次平(田村高廣)から昔ばなしを聞くのを楽しみにしている。
 南の国から来た女たちが働くスナックがあり、その一人ティア(クリスティン・ハキム)は故国の川で我が子を亡くしている。神社の能芝居の夜、ティアは死者に引き寄せられるように森に入り、拓次の魂に出会う。
 拓次の幼馴染の上村(役所広司)は、子供の頃に二人で遊びに行った山奥の家を思い出し、森に入るとティアがいる。山奥の家の涸れ井戸に水が湧き、温泉が熱くなり、南の国の女たちを見かけなくなったという話を聞く。
 四季の自然の変化は生と死へのサイクルであり、人間もまた自然に組み込まれていて、魂は山に帰って再生するという、自然とともに生きる人の故郷、群馬県を紹介する。 (評価:2.5)

製作:大映、日本テレビ放送網、博報堂、日本出版販売
公開:1996年01月27日
監督:周防正行 製作:加藤博之、漆戸靖治、大野茂、五十嵐一弘 脚本:周防正行 撮影:栢野直樹 音楽:周防義和 美術:部谷京子
キネマ旬報:1位

家族に縛られている役所の父親像が悲しい
 ピンク映画出身の周防正行の出世作にして代表作。タイトルは、ミュージカル『王様と私』の主題歌"Shall we dance?"(踊りませんか?)から。
 公開時、話題になったが、本作が最も秀でていたのは、それまでの邦画にはなかったお洒落さで、日本人には馴染みの薄い社交ダンスの世界や競技ダンスの魅力を紹介したこと。中年のしがないサラリーマンを主人公に、照れを捨てて人生を変える勇気を描く。草刈民代が最後に役所広司にかけるキメ言葉"Shall we dance?"など、これまで邦画が照れて使わないようなシーンを周防はハリウッドマインドで恥ずかしげもなく使った。
 ストーリーも飽きさせず良くできた映画だが、随所に邦画らしい湿っぽさもあって、家族の和解を描くラストシーンは日本的情念に回帰。結局、家族に縛られている役所の姿が日本の父親像を表していて悲しい。
 作品全体には地味な役所の存在は霞んでいて、踊りに人生のすべてを賭けている竹中直人と渡辺えり子が主役を喰っている。改めて見直すと草刈の演技も踊り以外は下手で、彼女のエピソードも薄っぺらい。
『ファンシィダンス』『シコふんじゃった。』と題材の意外性を狙った延長にあって、お洒落で楽しいけれども、それ以上のものはない。
 本作をきっかけに、周防と草刈が結婚。2004年にハリウッドでリメイクされた。 (評価:2.5)

製作:松竹、日本テレビ放送網、住友商事
公開:1996年10月19日
監督:山田洋次 製作:中川滋弘 脚本:山田洋次、朝間義隆 撮影:長沼六男 音楽:冨田勲 美術:出川三男
キネマ旬報:8位

厚化粧で人気となる前の素顔の浜崎あゆみも見どころ
 山田洋次監督の『学校』シリーズ第2作。前作は夜間中学校、本作は高等養護学校と、通常とは異なる学校の姿を描く。
 舞台は北海道・滝川あたり。安室奈美恵のコンサートに二人の3年生生徒が無断外出し、それを追って二人の教師が旭川に向かう。この間を生徒たちが入学してからの回想で繋ぐという構成になっていて、教師は新人で赴任してきた永瀬正敏とベテランの西田敏行。ほかに障碍児教育を志望して養護学校教師となったいしだあゆみが絡む。
 知的障碍のある生徒を演じる神戸浩と吉岡秀隆が抜群に上手く、この二人が主役の映画といって過言ではない。重度の神戸が吉岡に信頼を寄せ、二人が親友となっていく3年間を描きながら、無断外出した二人が卒業生の就職した層雲峡のホテルに泊まり、たまたま出会ったグループに熱気球に乗せてもらう自由な日々を描く。
 それとは対照に障碍者を取り巻く社会の壁と偏見は厚く、二人が卒業するシーンで終わるのだが、主役が西田と永瀬に変わった途端、声高に障碍者差別を告発するスローガンを絶叫するのはいただけない。それまでの神戸と吉岡の熱演を台無しにして、障碍者の人間的な姿を描いた映画が政治映画に豹変してしまった。
 前半の養護学校の教室でのシーンは、短いカットで見せるのではなく、長廻しのカメラで障碍児たちの様子を丹念に描いていき、見る側にじっくりとした視点を与える。その山田の演出には感服するが、最後で悪い癖が出た。
 西田の演技は一長一短で、アドリブなのか妙にあざといギャグを入れてきて、ぎりぎりコメディにはならない線で踏みとどまってはいるものの、若干興ざめ。
 厚化粧で人気となる前の、素顔の浜崎あゆみが西田の娘役で登場するのも見どころの一つ。 (評価:2.5)

製作:大映
公開:1996年5月25日
監督:細野辰興 製作:池田哲也 脚本:成島出 撮影:山本英夫 美術:柴田博英 音楽:藪中博章
キネマ旬報:10位

覚醒剤に嫌悪感がなければ十分に楽しめるエンタテイメント
 山之内幸夫の『シャブ荒らし』が原作。覚醒剤描写が多いことから成人指定を受けたという珍しい作品で、当初ビデオについてもビデ倫のタイトル変更指示で『大阪極道戦争 白の暴力』『大阪極道戦争 白のエクスタシー』の前後編にして発売されたという曰く付きの作品。
 シャブが生きる活力という博徒系暴力団厳竜組組員の真壁(役所広司)が賭場で見初めた神崎組組長(藤田傳)の養女・鈴子(早乙女愛)を略奪婚。厳竜組破産を機に組長となり覚醒剤を資金源にして成長するが、収監中に鈴子が覚醒剤を一掃。出所した真壁は再び覚醒剤に手を出し、博多・天神組と取引中に竹馬の友の若頭・下村(渡辺正行)を殺され、神崎の仕業と知って射殺。警官隊に包囲されながらも、鈴子と逃亡を図るまで・・・という物語。
 物語を通したキーワードは2つあって、一つはシャブが活力源の真壁はメタンフェタミン(シャブ)を体内で作り出せるようになることを目指す。ラストシーンで、真壁はこれができるようになったからもうシャブは必要ないと鈴子に告げ、再出発を宣言。神崎の頸木から自由になった真壁の精神面を象徴するメタファーになっている。
 もう一つは、覚醒剤を絶対悪として憎む神崎が鈴子の幸せのために結婚を許すといった言葉で、覚醒剤から逃れられない真壁と厳竜組を抹殺する理由ともなっている。二人の対立を覚醒剤に置き換えれば、最後は真壁の勝利だが、鈴子は覚醒剤を受け入れない体質で、真壁もメタンフェタミンを自家生産できると宣言しているので、別のメタファーを読み取ることも可能かもしれない。
 作品に意味を求めずとも本作はエンタテイメント作品としてよく出来ていて、覚醒剤の反社会性に嫌悪感がなければ十分に楽しめるが、164分はチト長い。
 役所広司のヤク中ぶりと早乙女愛の肝の据わった姐さんの演技も見どころ。 (評価:2.5)

製作:カルチュア・パブリッシャーズ
公開:1996年3月23日
監督:市川準 脚本:市川準、鈴木秀幸、森川孝治 撮影:小林達比古 美術:間野重雄 編集:渡辺行夫 音楽:清水一登、れいち
キネマ旬報:7位

光の描写が足りない単なる挫折へのセンチメント
 戦後の漫画家たちの梁山泊であったトキワ荘を舞台に、リーダー格であった寺田ヒロオを主人公に描く青春群像。
 トキワ荘については漫画家たちの自伝など多くが残されているが、寺田ヒロオが主人公だという時点で本作の方向性は決定づけられていて、物語は予想通りに進んで行く。
 『スポーツマン金太郎』などの健全な児童漫画を遺した寺田は、トキワ荘に集まった後輩漫画家たち、藤子不二雄、石森章太郎、赤塚不二夫らに追い抜かれ、時代遅れとなって、やがてトキワ荘を去っていく。時代に取り残されていく者を描く、方丈記の如き「もののあはれ」の作品にならざるを得ない。
 誰に対しても思いやりのある人格者であり、後輩たちの良き先輩・兄貴であり、だからこそ児童漫画の理想を語り、そのあるべき姿を追究し、時代の風潮に流されず、信念を曲げずに清貧を貫く。そうした真面目な善き人である寺田を本木雅弘が好演し、少年漫画の世界を通して精神性を失っていく時代を描き出す。
 週刊少年ジャンプ600万部の漫画隆盛の1990年代に、そうした漫画界の光と影、子供たちの戦後史に焦点を当てた本作は佳作といってもよいが、漫画もまた1990年代を頂点に衰退してしまった現在からすれば、トキワ荘同様に本作も戦後史の遠景へと遠ざかってしまった感がある。
 市川準の演出は、寺田ヒロオその人同様に淡々として清々しいが、トキワ荘やそこから生まれた人気漫画家たちについては既知のこととして扱っているために、現在から見れば登場人物たちの説明がかなり不足している。
 寺田を中心とする影の部分は良く描けているが、光に部分である人気漫画家たちの描写が足りないために、トキワ荘の知識がないと影が際立ってこず、単なる挫折へのセンチメントにしか見えない。
 石森章太郎の姉、トキワ荘の周縁にいたつのだじろう、水野英子の説明が足りず、後輩たちに対する手塚治虫の嫉妬も気づかれない。
 よく出来ている作品だけに、それらが大変惜しまれる。 (評価:2.5)

スワロウテイル

製作:「スワロウテイル」製作委員会(烏龍舎、ポニーキャニオン、日本ヘラルド映画、エースピクチャーズ、フジテレビジョン)
公開:1996年9月14日
監督:岩井俊二 脚本:岩井俊二 撮影:篠田昇 美術:種田陽平 音楽:小林武史

少女嗜好の岩井俊二にしては伊藤歩への思い入れは今ひとつ
 近未来的な無国籍な町・エンタウンが舞台。公開されたのは、出稼ぎの中国人やアジア人が東京近郊に定住し始めた時期で、バブルの余韻からまだ冷め切っていない時代に、円=金に群がる人間の夢と挫折を描く作品となっている。
 本作の最大の見どころは、東京近郊に出現したエンタウンの無国籍な雰囲気で、撮影は開発中の臨海埋立地などで行われていて、どことなく取手・荒川沖のイメージ。もっとも売春窟・阿片窟は、時代錯誤感と『ブレードランナー』的オリエンタル感が漂う。エンタウンで使われる言葉が英語・中国語・日本語のチャンポンなのも雰囲気があっていい。
 娼婦の母親が死んで孤児となった少女(伊藤歩)が娼婦のグリコ(CHARA)と同居し、グリコの胸の刺青に因んでアゲハと命名される。この時、グリコがアゲハの胸に幼虫の絵を描いてやるが、終盤、アゲハが自分でアゲハチョウの刺青を入れるまでの成長物語で、歌手になる夢を掴みながら過去がばれて再びエンタウンに沈んでいくグリコと、グリコ同様に蝶となってエンタウンを抜け出す夢に向かって1歩を踏み出すアゲハのラストシーンで締めくくられる。
 その二人が夢を掴む手段となるのが偽札で、グリコの場合は偽札同様、手に入れた夢もまた儚く消えてしまう。
 この二人にグリコの恋人(三上博史)、マフィアの兄(江口洋介)、何でも屋(渡部篤郎)と子供たちが絡み、事故死したグリコの客(塩見三省)が持っていた偽札製造データの入った「マイウェイ」のカセットテープを巡って争いが起きる。
 少女嗜好の岩井俊二にしては、伊藤歩への思い入れは今ひとつで、エンタウンの舞台設定が勝ったか、アゲハのキャラクター性が合わなかったか、岩井の好みの少女ではなかったのか。
 本作の見どころのひとつは、グリコのバックバンド・YEN TOWN BANDで、外人顔の混血の日本人ミュージシャンを集めた即席バンドだが、なかなかいい。
 刺青を入れる阿片窟の医者にミッキー・カーチス、雑誌記者に桃井かおり、グリコの仲間の娼婦に大塚寧々。
 作中でも説明されるが、アゲハチョウは羽の形が燕の尾に似ていることから、英語でswallowtail butterflyで、それがタイトルになっている。 (評価:2.5)

製作:松竹、吉本興業
公開:1996年3月16日
監督:井筒和幸 製作:中川滋弘、木村政雄 脚色:鄭義信、我妻正義 撮影:浜田毅 美術:細石照美
キネマ旬報:6位
ブルーリボン作品賞

岸和田には近寄りたくなくなる
 中場利一の同名の自伝的小説が原作。本作のヒットで続編シリーズが作られた。
 ナインティナインの岡村隆史と矢部浩之が主演の1970年代、大阪・岸和田を舞台にした不良青春グラフィティ。
 中学3年から高校1年までを演じるが、岡村の背の低いのを除けば相当無理があるが、とりわけ岡村の演技が嵌っていて肩の凝らないコメディになっている。主人公は矢部。
 矢部・岡村の不良グループと対立するグループのやったりやられたりの喧嘩がメインで、これに矢部と同級生の少女(大河内奈々子)の仄かなラブストーリーが絡む。
 両親(石倉三郎・秋野暢子)や教師(塩見三省・笹野高史)、床屋(志賀勝)・ゲーセン(山城新伍)・お好み焼き屋(正司花江)等の町の大人たちを含めて全体が戯画化されていて、『嗚呼!!花の応援団』的な既視感はあるが、タイトルの愚連隊を含め、不良たちの進学先は工業高校、大河内は中卒でスーパーに就職と、舞台設定がアナクロなので、どことなくノスタルジック。
 暴れまくった矢部が少年鑑別所送りの審判に向かうところで終わるが、本作を見ると、岸和田には近寄りたくなくなる。 (評価:2.5)

製作:オフィス北野、バンダイビジュアル
公開:1996年7月27日
監督:北野武 製作:森昌行、柘植靖司、吉田多喜男 脚本:北野武 撮影:柳島克巳 音楽:久石譲 美術:磯田典宏
キネマ旬報:2位

北野武の敗北した仲間たちへのレクイエム
 北野作品の中では骨格のしっかりした、奇をてらわない安心して見れる作品。シナリオもカメラワークも模範的だが、逆に北野らしさがないところをどう評価するか。ある意味、監督は誰が撮ってもいい。
 ドロップアウトした高校生二人が喧嘩で負けたことからボクシングジムに通うが、一人は才能がなくてヤクザの道へ。もう一人はボクサーとしてデビューするが、悪い先輩に染まって試合に負ける。ヤクザになった方も不始末から制裁を受ける。ドロップアウトした二人は結局、自分の道を踏み出しながらも挫折して再び落ちこぼれる。そして最後に言う台詞が、「俺たち終わったのかな」「まだ始ってねえよ」。
 この台詞を肯定的に捉えるか、負け惜しみと捉えるかで作品に対する評価が割れるが、108分の物語を観終わってまだ始っていないわけがなく、そうした甘えた考えが敗北しかもたらさない、というのは厳しすぎる意見か?
『3-4X10月』もそうだが、北野の映画に出てくる人間は予め敗北を約束された者しか出てこない。ヤクザも含めて落ちこぼれた人間しか出てこない。それが北野の人生の周りにいた多くの者たちで、彼らに対する哀惜が北野のセンチメンタリズムの根底にあるのかもしれない。北野の敗北した仲間たちへのレクイエムで、その精神的慰撫というかマスターベーションを受け入れられる者でないと、北野作品を評価することができない。
 授業のシーンやボクシングジムのシーンはリアリティがあって、ある意味、北野が真面目に取り組んだ映画ともいえる。 (評価:2.5)

製作:シグロ
公開:1996年7月13日
監督:東陽一 製作:山上徹二郎、庄幸司郎 脚本:東陽一、中島丈博 撮影:清水良雄 美術:内藤昭 音楽:カテリーナ古楽合唱団
キネマ旬報:5位

ノスタルジックなだけで中身がないのが痛い
 田島征三の同名の自伝的エッセイが原作。
 双子の絵本作家、田島征彦と田島征三の少年時代を描いたもので、昭和23年の高知の山村が舞台。母(原田美枝子)は二人が通う小学校の教諭で、家には中学生の姉がいるが、教育委員会に勤める父(長塚京三)は単身赴任中。父は親類(小松方正、岩崎加根子)の養子に入ったが、義父は家族に意地悪。ところが、養子に入った事情も意地悪をする理由もわからない。
 学校の校長(上田耕一)は教育者にあるまじき人物で、貧しい児童センジに暴力を働き放逐してしまう。感化院出だというセンジの事情はおろか、家族がいるのかどうかも不明。
 そのセンジが唯一心を許すのが双子兄弟で、遊びにきたセンジを母が家に入れるのを頑なに拒むが、その理由は説明されない。
 とにかく消化不良の作品で、閉鎖的な村人や校長から一家は意地悪をされ、忘れられない子供時代というのが、楽しく川で遊んだ思い出なのか、はたまた碌でもない村人たちの記憶なのか、それらをすべて含んだ思い出なのかよくわからない。
 美しい風景や双子の兄弟を演じる二人の子供らしさは共感できるが、ノスタルジックなだけで中身がないのが映画作品としては何とも痛い。 (評価:2)

スーパーの女

製作:伊丹プロダクション
公開:1996年6月15日
監督:伊丹十三 脚本:伊丹十三 撮影:前田米造、浜田毅、柳島克巳、高瀬比呂志 美術:川口直次 音楽:本多俊之

伊丹がクックパッドをもとに作ったフルコース
 前作『静かな生活』の失敗を受けて、再び『─の女』シリーズに回帰した作品。
 伊丹監督作品は、よく知られていない業界・職業の裏側をハウツー的に描いてきたが、本作ではネタが尽きて身近なスーパーを舞台に取上げた。
 しかし、スーパーは観客、とりわけ主婦にとっては身近な存在で、日頃の買い物を通して裏側が透けて見える世界。主婦ではない伊丹以上によく知っていて、伊丹には新鮮に思えることも主婦には当たり前のことでしかない。
 本作で描かれるスーパーマーケットはあまりにリアル感に乏しく、戯画化された舞台裏もコメディにすればするほど茶番にしか見えない。主婦からレジ・マネージャーに採用されたスーパーの女・宮本信子が、調理場や駐車場にまで活躍の場を広げるたびに、おいおいレジはどうするんだ、客が困るだろう? と突っ込みたくなる。
 その宮本も中性的なキャリアウーマンといった『─の女』シリーズではワンパターンの役柄・演技で、少々食傷気味。
 大手安売りスーパーの進出で経営難に陥る地場スーパーの専務(津川雅彦)と幼馴染だった宮本信子が、消費者目線で地場スーパーを立て直し、大手安売りスーパーに勝つまでの物語を、食品偽装やリパックなどの消費者問題と絡めて描いていく。
 台所に立ったことのない男が、クックパッドをもとにいきなりフランス料理フルコースを作るようなもので、随所にチグハグさの目立つ作品。娯楽作品だと割り切っても、ファミレスの満足感さえも得られない。
 調理場の面々に、六平直政、柳沢慎吾、高橋長英、伊集院光、三宅裕司、あき竹城とこちらは個性的。 (評価:2)

友子の場合

製作:フジテレビジョン
公開:1996年8月10日
監督:本広克行 脚本:青柳祐美子 撮影:福田紳一郎 音楽:大島ミチル

ともさかりえが頑張るが、仲間由紀恵デビュー作というおまけ付
 藤野美奈子の同名漫画が原作。
 テレビ畑の本広克行の映画初期作品で、時間も1時間というテレビサイズなら、内容もテレビサイズ。撮影もハイビジョン。
 もっともすべてにおいてテレビサイズながら、そこそこ面白くできていて、気楽な暇つぶしには最適。主演のともさかりえ映画初主役とはいいつつも、テレビサイズ映画なので、映画初主演と言っていいものか。それでも、結構頑張っていて・・・んー、でもやっぱりテレビサイズの演技か。
 本作最大の見どころは、本作で仲間由紀恵17歳が本格デビューしていることで、メガネをかけ、顔もまだふっくらとしている。仲間はともさかの友達役。
 女の子4人、男の子4人で伊豆に温泉旅行に出かける中の一人を演じている。ストーリーは、途中の駅で弁当を買っていたともさかが電車に乗り遅れ、7人を追いかけるが、7人はともさかが家に帰ったものと思い込んで、みんなで宴会。一人侘しく妄想ばかりを膨らますともさかのズッコケ・コメディで、その他愛ないストーリーをともさかが孤軍奮闘して演じていて楽しい。
 仲間は台詞もそこそこあるが、特に目立った演技も存在感もない。あの独特の鼻にかかった声はすでにこの時に始まっている。 (評価:2)

製作:シネカノン、イメージファクトリー・アイエム、テレビ東京
公開:1996年8月3日
監督:阪本順治 脚本:阪本順治、豊田利晃 撮影:笠松則通 美術:金勝浩一 音楽:TEN-GU
キネマ旬報:9位

筋よりも見せ場作りを優先するコテコテの難波魂
 大阪・通天閣の名物キャラクター、ビリケンを題材にしたコメディ。大阪が2008年のオリンピック誘致活動をしていた時に、新世界一帯が候補地になったことが舞台背景となっている。
 オリンピック誘致に伴い、客足の減った通天閣を取り壊すという計画が持ち上がり、反対する通天閣観光株式会社では社長以下が通天閣の人気復活の策を練る。その最中、大正以降に行方不明となっていたビリケン像が発見され、展望台に置かれることになる。
 ビリケン像は、足の裏をかいて笑えば願いが叶うと言い伝えられていて、ご利益があったことから評判となり人々が押し掛ける。ところが忙しすぎて評判を落としてしまい、ビリケン像は質屋に売られ、ビリケンの実体(杉本哲太)は病気になってしまう。
 ビリケンの実体を見ることのできる少年・清太郎と学童保育の先生・月乃(山口智子)の看病で元気になったビリケンが、質屋から像を取り戻して通天閣に行くと、開発派の江影(鴈龍太郎)が清太郎を人質に展望台に籠城中。助けてという清太郎の願いを聞いて神通力を取り戻したビリケンは江影を取り押さえて一件落着となるが、シナリオが説明不足で刹那的なためにシーンが繋がらず、話の脈絡がなくてわかりにくい。
 一件落着後、ビリケンは清太郎と月乃の前から人ごみに消えていくが、住み処の通天閣に戻ったはずのビリケンがどこに行くのかよくわからない。最後は通天閣の上に立ってポーズを決めるが、筋よりも見せ場作りを優先するシナリオと演出に、コテコテの難波魂を感じさせてくれる。
 通天閣観光社長に岸部一徳、マッサージ師に泉谷しげる、他、國村隼、原田芳雄と出演陣もコテコテ。 (評価:2)