海月衛 映画帖
~映画の大海原をたゆたう~

日本映画レビュー──1990年

製作:ニュー・センチュリー・プロデューサーズ、サントリー
公開:1990年11月03日
監督:中原俊 製作:岡田裕 脚本:じんのひろあき 撮影:藤澤順一 音楽:熊本マリ 美術:稲垣尚夫
キネマ旬報:1位

幻想をふりまく女子高生の妖術に騙されるな!
 原作は吉田秋生の同名漫画。20年ぶりに見た。原作を読んだのも昔だが、女子高生の内面を描いたデリケートでリリカルな作品だったように思う。公開時に映画を観た時、原作のままに少女たちの姿を上手く捉えていて、とても良くできた映画だと思った記憶がある。
 この映画は非常にリリカルで、少女たちの繊細な心とその揺れ動きを壊れものを扱うように細心の注意で描いていく。カメラはそれを彼女たちに直接触れないようにして時に遠くから、あるいは物陰から、あるいは息を殺した静物となってじっと見ている。それは多くで成功しているが、時にストーカーの視点のようになっているのが覗き見のようでちょっと気持ち悪い。
 彼女たちの台詞と仕草はとても自然で、少女たちをこれほど純粋に、これほど輝かせる脚本と演出にも感心する。しかし、20年以上たった今、若干違った感想を持つ。
 女の子って、この映画に描かれているほど純真なの? この映画って、少女に幻想を抱くオジサンたちが作ったファンタジーなんじゃないの?
 つみきみほ演じる杉山紀子にも、白島靖代演じる倉田知世子にも、そして一番に中島ひろ子演じる志水由布子にオジサンは胸キュンとなる。思わず服の一枚も買ってあげたくなる。そして陰でほくそ笑んでいる彼女たちを想像してしまう。彼女たちの妖術に騙されてはいけないと思いつつ、でも騙されてもいいと思ってしまう作品。少女たちだけでなく、桜も美しい。 (評価:3)

製作:黒澤プロダクション
公開:1990年5月25日
監督:黒澤明 製作:黒澤久雄、井上芳男 脚本:黒澤明 撮影:斎藤孝雄、上田正治 特撮:ILM 音楽:池辺晋一郎
キネマ旬報:4位

黒澤の黙示録的な作品で映像的には見どころが多い
 黒澤明が自分で見た夢をもとにしたオムニバス映画、ということに一応なっているが、どうか?
 少年期に見たという狐の嫁入りと桃の木の精は、ワダエミの衣裳を含めて幻想的。もっとも最終話を除く7話は、基本的にはナイトメアで、黒澤の主張を強く押し出した黙示録的な作品となっている。
 とりわけ原発事故の話と放射能を浴びて鬼になった話は、本作がチェルノブイリの事故の後で制作されたということもあるが、黒澤の危惧が福島の事故で生々しい現実のものとなった。
 一方、ゴッホの話には画家を志した黒澤の挫折の影、死んだ兵士たちの話には戦争翼賛映画を作って兵役を回避した黒澤の後ろめたさが見て取れる。
 大学生の時に見たという雪女までの3話は民話的主題で、間の4話を挟んで、最終の水車村の話では反文明を唱えるという構成になっていて、見た夢といいつつも初めから主題を基にシナリオが書かれているのがわかる。
 もっとも、1990年に反文明という使い古されたテーマを持ち出されても、今さらな感が強くて腰が抜ける。
 ただ、映像的には見どころも多くて、ゴッホの絵画との合成、原発爆発に映える赤富士、水車村の美しさは出色。
 大人になってからの黒澤を演じるのは寺尾聰。笠智衆、井川比佐志、原田美枝子等も出ているが出番が少ない。 (評価:2.5)

製作:松竹富士、全国FM放送協議会、山田洋行ライトヴィジョン
公開:1990年10月20日
監督:市川準 製作:奥山和由、後藤亘、鍋島壽夫 脚本:市川準 撮影:川上皓市 美術:正田俊一郎 音楽:板倉文
キネマ旬報:9位

悪意で応じるつぐみの正直な生き方が、ある種爽快
 吉本ばななの『TUGUMI』が原作。
 映画の舞台は伊豆・松崎で、撮影に使われた旅館・梶寅は実在。幼い頃から病弱で、甘やかされて育てられたつぐみ(牧瀬里穂)は、暴君で手が付けられない。その中で唯一の友達が従姉のまりあ(中嶋朋子)で、大学生となって上京した彼女が帰省したひと夏の回想として語られていく。
 牧瀬里穂が性格の悪い女を好演し、それが地なのかどうか判然としないところも見どころ。前半はそうしたつぐみの人物描写が中心で、中盤、真田広之演じる美術館員に恋し、かつて弄んだ男友達のグループに復讐されるという展開。
 愛犬を殺され、彼等に報復するために落とし穴を掘り、それが基で寝込むが、ラストシーンはつぐみの元気な顔でストップモーションとなり、それが死を暗示する逆表現となっていて上手い演出。
 どうしても不自然なのは、これだけ性格の悪いつぐみを真田広之が受け入れてしまうことで、それが単なる同情心なのかがきちんと描かれていないこと。この恋によってつぐみは初めて素直になれるが、リアリティを欠いていて若干ご都合主義になっている。
 頑強な男でさえ掘るのが困難な落とし穴を、病弱なつぐみが掘ってしまうというのも、暴力事件を起こした元彼グループが警察沙汰にならないのも不自然だが、ドラマ進行上やむを得ない。
 ただ、本作の最大の見どころにしてテーマは、そうした少女が18歳にして人生の虚しさ、儚さについて達観していることで、悪意に満ちた運命や人間社会に対して悪意で応じる欺瞞のないつぐみの正直な生き方が、ある種爽快でもある。
 松崎の街並みや港の風景もノスタルジックで、川上皓市のカメラワークも魅力の一つとなっている。 (評価:2.5)

製作:「少年時代」製作委員会(藤子スタジオ、小学館、中央公論社、テレビ朝日、旭通信社、シンエイ動画)
公開:1990年8月11日
監督:篠田正浩 製作:藤子不二雄A 脚本:山田太一 撮影:鈴木達夫 美術:木村威夫 音楽:池辺晋一郎
キネマ旬報:2位
毎日映画コンクール大賞 ブルーリボン作品賞

疎開の個人的体験というノスタルジーに終始
 柏原兵三の実体験を基にした小説『長い道』が原作。
 昭和19年夏に東京から富山の伯父の家に疎開した国民学校5年生の少年が、田舎の子供たちと過ごす終戦までの1年間を描く。
 東京モンの優等生が、田舎のガキ大将たちに苛められて仲間に入り、今度は対立するグループに入って仕返しをするという話で、遠縁の大阪から来た女の子に処世術が上手いと皮肉られる。
 苛めたり友達にして独占したがったりする、ガキ大将の東京モンに対する憧れと憎さの複雑な心情を子役が好演し、最後の別れのシーンでは二人の友情が描かれる。
 こうして、子供時代のよくある話をノスタルジーたっぷりに描くが、友達の姉の恋人が徴兵されるエピソードがあるくらいで、この田舎の村にも子供たちの日常にも戦争は影を落とさない。
 疎開という舞台を設定しながら、単なる少年時代の個人的体験というノスタルジーに終始してしまったことが、作品として良かったのか悪かったのか判断が難しいが、少なくともそれ以上の作品にはなっていない。
 富山の田園風景や古い街並みは美しく、昭和という時代への郷愁を呼ぶ。
 主人公の少年の父母に細川俊之、岩下志麻。叔父の河原崎長一郎が、朴訥とした田舎の伯父さんを演じて上手い。 (評価:2.5)

製作:松竹映画、若松プロダクション
公開:1990年11月17日
監督:若松孝二 製作:若松孝二 脚本:丸内敏治 撮影:伊東英男、田中一成 美術:増本知尋 音楽:梅津和時
キネマ旬報:6位

過去に生きる人間たちの救いようのなさが寂しい
 佐々木譲の小説『真夜中の遠い彼方』が原作。
 不法滞在のベトナム難民タイ国籍の女(呂㛢菱)が、ヤクザに拉致され人身売買されそうになるところを組長を射殺、スナックのマスター(原田芳雄)に匿われながら逃げ回るという物語。
 中国マフィアが進出する新宿が舞台で、スナックは地上げのために閉店間際という、時代性を反映した設定で、しかもマスターは元全共闘で、店の常連も学生運動の元同志。新宿騒乱のノスタルジーに浸っているという、何ともいえない化石のようなムード。
 マスターはその時に交番の警官にゲバ棒を振るえず、逆に殴られてしまったという心の傷があって、20年前の挫折を払拭すべく、女に偽造パスポートを手に入れさせて出国させようとする。
 これに立ちはだかるのが、組長を殺された上に殺人ビデオを奪われたヤクザと事件を追う刑事(蟹江敬三)。この刑事が20年前の交番警官という因縁付きで、マスターにとっては新宿騒乱の雪辱戦となるという、若松孝二だから許される黴臭い話。
 もっとも、全共闘の同志たちが20年経っても同窓会に集まるというリアリティのなさが、本作が空想的ノスタルジーでしかないことを証明していて、反権力の時代を懐かしむというマスターベーションの上に、今も「われに撃つ用意あり」と宣うことによって負け犬である自分を慰撫するマスターベーションが上塗りされ、過去に生きる人間たちの救いようのなさが観ていて寂しい。
 原田芳雄以下、その救いようのない人々を桃井かおり、山口美也子、小倉一郎、麿赤児らが演じるのも、いかにもな若松孝二作品。 (評価:2.5)

製作:松竹、松竹第一興行
公開:1990年4月28日
監督:小栗康平 製作:荒木正也 脚本:小栗康平 撮影:安藤庄平 美術:横尾嘉良 音楽:細川俊夫
キネマ旬報:3位

松坂慶子の熱演だが、私小説以上の内容がない
 島尾敏雄の同名小説が原作。
 実体験を描いた私小説で、特攻隊員として奄美大島で終戦を迎えた敏雄は島の女性・ミホと結婚するが、10年目に浮気が発覚。妻は精神を病み、激情する発作を繰り返すようになる。
 妻に責められる日々に敏雄もまた死を望むようになり、故郷での平穏な生活を求めるものの妻は入院するまでに症状が進み、子供を妻の実家に預け、妻と病院で暮らすことで、ようやく精神の共生と平穏が訪れるという物語。
 私小説なのでストーリーを云々しても仕方がないが、私小説以上の内容がないのもまた事実で、ミホを熱演する松坂慶子くらいしか見どころはない。
 岸部一徳の棒のような演技を含めて、二人の演技も台詞も人形のようなのっぺらぼうなものになっていて、それが血の通わない二人を描く小栗の意図だとしても、作為的でリアリティがなく、ドラマも感じさせない。
 当時はそれもアバンギャルドな制作手法だったが、今となっては不自然さが際立つ。
 『泥の河』(1981)同様、昭和30年頃の町並みを再現した美術は、甘酸っぱいノスタルジーを感じさせる。
 敏雄の愛人、木内みどりは自然な演技。 (評価:2.5)

製作:山田洋行ライトヴィジョン、松竹、日本テレビ放送網
公開:1990年8月18日
監督:黒木和雄 製作:鍋島壽夫、足達侃三郎、務台猛雄 脚本:笠原和夫 撮影:高岩仁 美術:内藤昭 編集:谷口登司夫 音楽:松村禎三
キネマ旬報:8位

昔の子供向けのチャンバラ漫画を見るよう
 原作は山上伊太郎脚本、マキノ正博監督のサイレント映画『浪人街 第一話 美しき獲物』(1928)。4回目のリメイクで、マキノ正博の監督以外では初。
 大衆娯楽時代劇なので、細かい点に文句をつけても始まらないが、マキノ正博総監修ということもあってか、笠原和夫の脚本も黒木和雄の演出は今ひとつ冴えない。
 一膳めし屋を舞台に、風来坊の源内(原田芳雄)、用心棒の赤牛(勝新太郎)、常識人の母衣(石橋蓮司)、妹と暮らす孫左衛門(田中邦衛)の4人の浪人が登場し、旗本らの夜鷹殺しと百両の手形を軸に物語が展開する。
 4人がそれぞれに個性的な役どころを演じて上手いが、敵に寝返えるコウモリを演じる勝新だけはどうにもミスキャストで、卑怯者に見えない。このためメリハリに欠けたままズルズルと物語が進んでしまい、ラストの勝新の見せ場も今一つ盛り上がらない。
 全体に若干冗長で、クライマックスの剣劇シーンも刀を差しまくる原田などコメディでしかなく、石橋を含めて殺陣も無茶苦茶で、昔の子供向けのチャンバラ漫画を見るよう。
 中尾彬の旗本は悪役の演技があまりにステレオタイプで、お茶の間時代劇。天本英世の琵琶法師も意味のない登場で、美人の夜鷹を演じる樋口可南子の艶っぽい演技と表情が、数少ない見どころか。 (評価:2)

あげまん

製作:伊丹プロダクション
公開:1990年6月2日
監督:伊丹十三 製作:玉置泰 脚本:伊丹十三 撮影:山崎善弘 美術:中村州志 音楽:本多俊之

もっと破天荒なあげまんのドラマが観たかった
 『マルサの女2』に続く作品。あげまんは男の運気を上げる女を指す隠語で、マルサ同様に流行語となり話題となった。
 キャストは従来作品とほぼ同じで、あげまんの女に宮本信子、運気をもたらす銀行員の男に津川雅彦。ほかに大滝秀治、菅井きん、高瀬春奈。
 捨て子で育てられて芸者に売られ、生臭坊主に水揚げされたところが坊主が出世、あげまんと認定される。この生臭坊主に悪役俳優の金田龍之介というのがはまり役で、以下、伊丹の好きな政界のワル共の話になっていくのが何とも通俗的で辟易する。
 銀行と政治家がよっぽど嫌いだったのか、ここでもあげまんそっちのけで、ステレオタイプな銀行マンと政治家が裏で金で繋がっているという構図で、同じ絵ばかり見せられては新鮮味がない。生臭坊主が水揚げ、次期首相(宝田明)が手籠めというひと昔前の定番パターンで、伊丹が早くも限界を見せている。
 伊丹の本領は作品の中身というよりは取上げる題材の話題性にあって、プロモーション的にはその点で成功しているが、内容的にはマンネリ感が否めない。
 ラストシーンでは、真のあげまんは男を出世させることではなく、男を幸せにすることだというマイホーム的で無難な結論に導いていて、もっと破天荒なあげまんのドラマが観たかった気がするが、これまた伊丹の限界か。 (評価:2)

男はつらいよ 寅次郎の休日

製作:松竹
公開:1990年12月22日
監督:山田洋次 製作:内藤誠 脚本:山田洋次、朝間義隆 撮影:高羽哲夫 美術:出川三男 編集:石井巌 音楽:山本直純

タコ社長と人生論に老いと枯れを感じさせる
 寅さんシリーズの第43作。前作に引き続き、満男(吉岡秀隆)と泉(後藤久美子)の物語で、離婚した父に会うために大分・日田に向かう泉と満男、その後を追う寅次郎と泉の母(夏木マリ)という展開で、4人で泊まる旅館で女中相手に偽装夫婦を演じたことから、冗談から駒で夏木マリが寅次郎のマドンナのような存在になる。
 このエピソードが割とうまく嵌っていて、後半の夏木マリ登場後は、青春映画になってしまった前作よりは寅次郎が主役の地位を取り戻している。
 渥美清だけでなく、おいちゃん・おばちゃんの下條正巳・三崎千恵子も老人になったが、タコ社長・太宰久雄の老いぼれぶりが際立ち、寅次郎との口喧嘩にも老いが目立つ。
 泉の父に寺尾聰は、妻・夏木マリ、娘・後藤久美子からはどうにも意外な配役。その新しい内縁?の妻に宮崎美子がそれっぽい。
 泉が新しい女と暮らす父親を幸せそうだったと言うのに対して、満男がタコ社長はフーテンの寅次郎を幸せだといい、さくらは浮草の寅次郎を不幸せだというが、しあわせって何だろうと問い返す。
 取って付けたようなクロージングのいきなりのテーマ設定に面食らうが、本シリーズの根底にあるテーマ、自由とは何か?と同様、キャストを含めてシリーズが老境に迫ってきて、幸せとは何かという人生論で締めくくるのも本シリーズの枯れを感じさせる。
 タイトルは意味不明。 (評価:2)

製作:関西テレビ
公開:1990年10月13日
監督:神山征二郎 製作:巻幡展男 脚本:佐藤繁子 撮影:飯村雅彦 美術:北川弘 音楽:国吉良一
キネマ旬報:10位

幼い時から色恋という少女目線で描く少年時代ノスタルジー
 椎名誠の同名小説が原作。
 昭和31年、外房の港町が舞台で、よくある少年時代ノスタルジーもの。
 本作には大きな問題点が二つあって、一つは原作が短編連作であるため、全体に取り留めがなく、シナリオの出来があまりよくない。標題の白い手に纏わる話が単なる1エピソードのような扱いで、物語の軸になっていないのも纏まりを欠く。
 もう一つは、女性の手によるシナリオのためか少年の目線になってなく、少女目線からの恋愛話になっているのが大きく作品性を損なっている。岩井俊二『打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?』(1995)のような、少女への思慕に少年らしい幼さが欲しかった。
 千葉の田舎町の5年生のクラスに、都会的でひ弱な転勤族の少年・隆清(福原学)が転校してきて、早速苛めの対象となるが、どういうわけか隆清の母(小川真由美)が勝(中垣克麻)の家を訪ねてきて、友達になるように頼まれる。
 そこから二人の友情物語となり、洋館の白い手の少女(広瀬珠美)に隆清がどういうわけか恋してしまう。更にラストで勝もこの少女に恋していたことになっているのがよくわからない。
 勝にはそろばん塾に通う美少女の憧れの君がいて、担任の先生(南野陽子)の恋愛話や、戦争未亡人の母親(桜田淳子)と叔父(石黒賢)との恋愛話が絡み、友達とのエロ本覗きの描写もあって、思春期の少年の性が主題のようにも映るが、力道山などの少年風俗も散りばめられ、全体は勝と隆清を中心とする悪ガキたちの友情物語になっている。
 なぜこのように纏まりがないかを考えると、クレジット上の主役は南野陽子で、哀川翔、石黒賢、山瀬まみ、桜田淳子といったテレビドラマ級の配役に、核となる俳優が存在せず、シナリオが八方美人にならざるを得なかったのかもしれない。
 ラストは隆清の仙台への転校で、短い友情物語は終わるという、これまたよくあるエピローグとなる。 (評価:2)

製作:日本ビクター
公開:1990年6月2日
監督:松岡錠司 製作:長谷川誠 脚本:松岡錠司 撮影:笠松則通 美術:小林正巳 音楽:茂野雅道
キネマ旬報:5位

初監督の新人が新人の俳優にコメディをやらせること自体に無理がある
 望月峯太郎の同名漫画が原作。
 見どころは、これがデビュー作となる筒井道隆、浅野忠信、二作目の高岡早紀のハイティーン時代を見られること以外はない。とりわけイガグリ頭の浅野忠信が可愛い。
 青春コメディなのだがシナリオ、演出、演技が三拍子揃ってダメで、唐突で辻褄の合わないストーリーがスラップスティック・コメディにもなり得ていないために作品自体が破綻。
 そもそもまともに演技もできない新人二人を主役に、コメディを作ろうとしたこと自体、コメディを舐めている。
 千葉市近郊の高校を舞台に、カオル(筒井道隆)が水泳部のソノコ(高岡早紀)に一目惚れ。カナヅチながらも水泳部に入部、ストーカー紛いの猛烈なアタックを始め、オリンピック・ヒーローを目指して元オリンピック選手だというババア(白川和子)がコーチする子供水泳教室に入る。
 なぜかババアに気に入られて住み込みになるため、カオルの家庭は登場しない。ソノコの母(佐藤オリエ)は能天気というラブコメにはよくあるパターンで一方的な片思いが展開するが、最後通牒をしたソノコが逆にストレス太り。
 それを見たカオルが身を引くと、ソノコはカオルが好きだったことに気づくというお決まりのパターン。
 単細胞の熱血少年カオルが、恋のために猪突猛進するものの空回り。周囲を混乱に巻き込んだ挙句、最後には恋が成就するという物語だが、オリンピックはどうした? というところもあって、これが初監督の新人が新人の俳優にコメディをやらせること自体に無理があった。 (評価:1.5)

製作:バンダイ、松竹富士
公開:1990年09月15日
監督:北野武 製作:奥山和由 脚本:北野武 撮影:柳島克己 美術:佐々木修
キネマ旬報:7位

タンクローリーの爆発シーンはコドモ大人的射精?
 タイトルは「さんたいよんえっくすじゅうがつ」と読む。3-4Xは野球のスコア。北野武の監督第2作だが、北野のオリジナル脚本で、作りたいように作った実質的な初監督作品といえる。
 全体には北野の少年期のノスタルジーで、少年野球、喧嘩、女の子苛め、コンバットといった梅島のやんちゃなガキの映画。それを草野球、ヤクザとの喧嘩、情婦苛め、銃乱射の大人に置き換えて描いているが、最後はトイレの中の夢落ちで、子供の憧憬を引きずったままの落ちこぼれ青年(小野昌彦)の白昼夢となっている。それを現実に抑圧された若者のカタルシスとして受け入れられるか、ただのコドモ大人のマスターベーションとみるかどうかが評価の分かれ目となる。
 物語はガソリンスタンドで働く冴えない青年が、いちゃもんをつけるヤクザを殴り、可愛い女の子(石田ゆり子)の恋人ができ、草野球でホームランを打ち、最後にはヤクザをやっつける・・・カイカーン!
 もっとも東京が舞台の前半は小野昌彦を主人公にそれなりにまとまっているが、銃を手に入れに沖縄に行ってからは北野武が主人公になってしまい、まったく別の映画。しかもビートたけしのガキ大将的おふざけになって、ほとんど精神分裂状態。前半のストーリーもどこかに行ってしまって、何をしているのかわからない、折角沖縄にロケに来たんだからいろいろ撮って帰りましょう的な思いつきシーンの積み重ね。
 北野のアマチュア映画的試行錯誤を見せられている感があるが、東京に帰ってからのタンクローリーの爆発シーンは見ごたえがある。あるいはトイレの中の射精のイメージ? (評価:1.5)