海月衛 映画帖
~映画の大海原をたゆたう~

日本映画レビュー──1991年

製作:徳間書店、日本テレビ放送網、博報堂
公開:1991年7月20日
監督:高畑勲 製作:徳間康快、佐々木芳雄、磯邊律男 脚本:高畑勲 作画監督:近藤喜文、近藤勝也、佐藤好春 美術:男鹿和雄 音楽:星勝
キネマ旬報:9位

ファンタジーで終わる27歳女性のリアリズムを描く
 岡本螢作・刀根夕子画の同名漫画が原作。
 仕事か結婚かの岐路に立つ27歳のOLタエ子が、同じように子供から少女の体へと脱皮する小学5年生の時の思い出を胸に、山形の義兄の実家を訪ねるという物語。
 回想のきっかけは、田舎がなく子供の時に寂しい夏休みを送った思い出で、姉の結婚により疑似的田舎を持つことができたタエ子が農業体験をする中で、休暇の真似事なのか永住しての仕事かの選択を迫られる。
 ラストで帰京するタエ子が翻意して農家に戻っていくという映像のみのエンドロールになるが、結末は高畑勲の本意ではなく製作の意向とされる。
 現在形の物語は徹底したリアリズム描写で、微妙な表情の変化を出すために、顔に皺の描線を入れるという手法を採用している。この作画法は『火垂るの墓』(1988)でも試みられたが、本作ではこれが徹底され、デフォルメされた表情しかつけない従来のアニメ・キャラクターの作画からは違和感を持たれた。
 高畑が行おうとしたのは記号化されたステレオタイプなアニメキャラではなく、具象的な作画によって登場人物に命を吹き込むことで、タエ子役の今井美樹、トシオ役の柳葉敏郎ら、声優を排した声の起用がリアリティを生むのに成功している。とりわけ、素人然としたばっちゃ役の伊藤シンが味わい深い。
 対する子供時代のタエ子らは従来のアニメ風の作画、すなわち抽象化されたキャラクターで、淡くぼかした背景や空を舞うイメージシーンともども、タエ子の回想が記憶の抽象化によるファンタジーであることが示される。
 タエ子の思い出話は、流れる懐かしい歌謡曲と共に同時代に生きた者に共通のエピソードであって、都市伝説ないしは民話としてシンボライズされる。
 リアリズムとファンタジーを巧みに組み合わせた高畑の演出は溜め息が出るほどに切なく、自然の幻想に憧れるだけで、ファンタジーから脱皮できない27歳のタエ子をばっちゃのリアリズムが穿つ。
 リアリズムの延長線上には、すごすごと尻尾を巻いて東京に帰るタエ子がいるべきで、エンドロールの物語は無理矢理なハリウッド的ハッピーエンドに映る。もっとも、子供時代のタエ子に手を引かれる描写は、エンドロールそのものが現実の物語ではなく27歳のタエ子の夢想といえなくもなく、寂しげな子供時代のタエ子のラストショットが、これがファンタジーであると高畑は示したかったのかもしれない。 (評価:3.5)

製作:山田洋行ライトヴィジョン、バップ
公開:1991年12月7日
監督:恩地日出夫 製作:鍋島壽夫 脚本:古田求 撮影:安藤庄平 美術:斎藤岩男 音楽:毛利蔵人
キネマ旬報:10位

四万十川とその周辺を写し取った映像美が最大の見どころ
 笹山久三の同名小説が原作。
 時は1959年、高知県四万十川の橋の袂で商店を営む一家の物語。
 日本の高度経済成長が始まる頃で、一家の主人(小林薫)は宇和島の建設現場に出稼ぎ、妻(樋口可南子)は商売の傍ら、村人たちと共に四万十川の砂利採掘場で働く。
 村の貧しい人々は農地を手放して出稼ぎで暮らしを立てていて、高度経済成長の波が四国の山奥にも届き、人々の生活を変えていく様子が描かれる。
 高度経済成長が、都市の視点からではなく自然豊かな山村の目を通して描かれるという点に本作の意義があるが、淡々と描かれる山村の静かな変化は、歴史民俗のほかには過ぎ去った時代への哀惜の念しか残さない。
 舞台となった時代から30年後に撮影された本作においても、四万十川の悠々たる流れと山々の景色の美しさは普遍で、人間社会の変容など小さなことのように思えてくる。
 主人公は一家の次男坊で、家が貧しいからと苛められている同級生の女の子に同情する優しい子供。この女の子の一家は食い扶持を求めて町に引っ越し、やはり貧しい家の親友だった男の子も父の出稼ぎ先に移って行ってしまう。母を助けるために中学卒業後も家に残った姉も町に働きに出ることになり、怪我をして一旦家に戻った父も再び出稼ぎに出る。
 伊勢湾台風で四万十川が溢れ、商店兼家屋も損害を受けるが、母は残った子供たちと共に逞しく生きていく、というのがストーリー。
 劇中、四万十川の砂利を運ぶトラックに子犬を轢き殺された母犬が、トラックが来るたびに吠え掛かるというエピソードがある。物語後半、友達が次々と去っていく中で、少年が砂利トラの前に立ち塞がり、石を投げるというシーンがあり、世の中の変化に呑み込まれた弱き者たちの怒りを代弁するが、それでしかないのが寂しい。
 四万十川とその周辺を写し取った映像美が最大の見どころで、人物を遠景に置いたカメラワークがいい。 (評価:2.5)

製作:黒澤プロダクション
公開:1991年5月25日
監督:黒澤明、製作:黒澤久雄 脚本:黒澤明 撮影:斎藤孝雄、上田正治 美術:村木与四郎 音楽:池辺晋一郎
キネマ旬報:3位

原爆について学んでいく孫たちが優等生的でどこか空々しい
 村田喜代子の芥川賞受賞作『鍋の中』が原作。『夢』と遺作『まあだだよ』の間に作られた作品で、反核がテーマ。
 夏休みに孫4人が長崎の祖母の家で過ごすという物語。祖母は原爆で夫を亡くし、自らも二次被爆して子供二人を育て上げた。貧乏人の子沢山の兄弟は皆亡くなっているが、ハワイに一人だけ歳の離れた兄がいて死にかかっていることを知り、子供たちが会いに行く。
 ハワイの伯父はパイナップル農園で成功し、子供たちは欲目に釣られるが、祖母には原爆を落としたアメリカへの拘りが残っている、という設定。
 孫たちは祖母の話を聞きながら原爆について学んでいくが、優等生的でどこか空々しい。
 黒澤がこうした社会派作品を撮る際に共通しているのだが、テーマのために甚だしくリアリティを欠き、祖母の作った食事をまずいと言って糞味噌に貶す子供たちが一転、被爆地を訪ねる社会科見学を始めてしまう。喧嘩をしたり、お化けを怖がったりという大人目線の子供らしさの演出はあっても、言動に子供らしさがなくテーマに沿った台詞を代弁させられている。
 こうした作品を好む人は確実に存在し、そうした人たちの義憤を晴らし、浄化の涙を流させるという点で黒澤社会派作品はポピュリズムで、翌日からはさっぱりした気分で現実の生活に戻ることができる。
 ハワイの兄に会いに行こうとしないのはアメリカが嫌いだからだと斟酌する子供たちに対し、憎しみは消えたという祖母。父が原爆死したことをハワイの伯父に隠す兄妹。事実を知った伯父の息子リチャード・ギアが謝罪に来日し、祖母と和解する・・・という如何にもな黒澤ヒューマニズムで大団円。
 兄が死んで急にボケた祖母は雷光にピカが来たと怯え、心の傷は決して癒えることはないと、黒澤らしいわかりやすさで締めくくるが、雨の中を御猪口になった傘をさして走るラストは印象的な名シーンで、編集を含めた演出力は確か。
 祖母役の村瀬幸子が上手い。その子供に井川比佐志、根岸季衣。孫に吉岡秀隆。 (評価:2.5)

製作:ニュー・センチュリー・プロデューサーズ、サントリー、日本テレビ放送網
公開:1991年12月14日
監督:中原俊 製作:岡田裕 脚本:三谷幸喜と東京サンシャインボーイズ 撮影:高間賢治 音楽:エリザベータ・ステファンスカ 美術:稲垣尚夫
キネマ旬報:7位

俗物の12人のキャラクターの描きわけが見どころ
 三谷幸喜原作の舞台劇の映画化。
『十二人の怒れる男』のオマージュで、妻が夫を突き飛ばしてトラックに轢死させた事件について、12人の陪審員が評決を出すまでの会話劇。最初はいい加減だった男女が議論を重ねながら一つの結論に向かって真摯になっていく。
どこにでもいるような俗物の12人のキャラクターの描きわけが見どころで、三谷らしいよく練られた会話の掛け合いが楽しめる。
 会話劇であるため映画としてのスケール感やアクションに乏しく、面白いがそれ以上のものにはなっていない。演技的にも粒はそろっているが突出したものがないのが恨み。ドラマとしての中身はなくライトなナンセンスコメディ以上のものはない。
 陪審員役で塩見三省、林美智子、豊川悦司、加藤善博ら、守衛に久保晶。 (評価:2.5)

製作:喜八プロ、ニチメン、フジエイト
公開:1991年1月15日
監督:岡本喜八 製作:岡本よね子、田中義巳、安藤甫 脚本:岡本喜八 撮影:岸本正広 美術:西岡善信、加門良一 音楽:佐藤勝
キネマ旬報:2位

スカイラインとマークⅡも登場する誘拐コメディ
 天藤真の推理小説『大誘拐』が原作。
 主人公の若者(風間トオル)が孤児院時代に篤志家として知り合った大富豪の老婆(北林谷栄)を仲間二人と身代金誘拐する話。
 肝の据わった老婆は、これをチャンスといずれ相続で取り上げられてしまう土地を国と子どもたちから守るため、逆に誘拐を利用することを思い立ち、若者たちを振り回すというコメディ。
 若者たちは老婆の指示に従って総資産に相当する100億円を要求、老婆が用意したアジトに隠れてまんまと警察を欺いて身代金を手に入れる。身代金のほとんどは老婆が手にし、老婆の子どもたちも資産の山林を抵当に取られ、山林は守られたという結論だが、理屈が通らないのが難。
 老婆は戦争で3人の子供を失くし、山林さえも奪う国に対するレジスタンスというのが動機で、若干の社会派作品になっている。事件が起きる前に老婆は体重が急減して癌と思い込むが、若者たちの誘拐のおかげで篤志家の心が蘇り、若者たちの更生と生き甲斐を見出し、体重も元に戻ってメデタシメデタシのハッピーエンドで、気楽に楽しめる娯楽作品となっている。
 老婆の子供たちに、神山繁、水野久美、岸部一徳。県警本部長に緒形拳。ほかに天本英世、嶋田久作、橋本功、常田富士男、竜雷太、樹木希林と個性派ぞろいで、山藤章二と景山民夫までゲスト出演する豪華キャストに加え、往年の名車、スカイラインとマークⅡも登場してエンタテイメントに花を添える。 (評価:2.5)

製作:アポロン、毎日放送、三菱商事、荒戸源次郎事務所
公開:1991年11月25日
監督:阪本順治 製作:荒戸源次郎 脚本:阪本順治、豊田利晃 撮影:伊藤昭裕 美術:小池直実 音楽:梅林茂
キネマ旬報:8位

坂田三吉の伝統息づく如何にもな浪花ど根性喜劇
 大阪・新世界の将棋会館を舞台にした、真剣師と呼ばれる賭け将棋師の物語で、浪花の勝負師・坂田三吉の伝統息づく如何にもな浪花ど根性喜劇。
 通天閣の真下にある賭け将棋禁止の将棋会館では賭け将棋花盛りで・・・という浪花風ギャグで始まり、道場一の真剣師(赤井英和)が、プロアマ交流戦でプロ八段(伊武雅刀)を破り、最後はプロ名人に挑む。
 赤井英和を阻むのが老真剣師の若山富三郎で、真剣師四天王の霊を背負っているために無敵無双。赤井は、借金取り(國村隼)に追われ、プロ棋士を目指す弟子の奨励会員(加藤雅也)、ストリッパーの輝美(広田レオナ)に助けられながら、若山の指導を得て、名人との大勝負に挑む。
 名人に勝てば赤井英和ばかりか通天閣の人々全員の借金が棒引きになるというのがクライマックスの盛り上がりというのも、如何に浪花ドラマらしい。一番笑えるのは、ストリッパーの輝美の読み方がテレビというもので、ベタなギャグが浪花風でいい。
 赤井英和は上手くはないが熱演で、気軽に楽しめる作品。
 中国将棋や、36×36のマス目の大局将棋も登場するのが見どころのひとつ。 (評価:2.5)

製作:松竹映像
公開:1991年10月12日
監督:山田洋次 脚本:山田洋次、朝間義隆 撮影:高羽哲夫 美術:出川三男 音楽:松村禎三
キネマ旬報:1位
毎日映画コンクール大賞

爽やかな恋物語に水を差す山田洋次的教条主義
 椎名誠の『倉庫作業員』が原作。
 転職を繰り返していた青年(永瀬正敏)が、鉄工所で働き始めて取引先の聾唖の少女(和久井映見)を見染め、新しい生活をスタートさせる物語。
 山田洋次らしく、これを郷里の父親(三國連太郎)と息子の親子のドラマに仕立てるが、出来のいい長男(田中隆三)ではなく、この出来の悪い次男と心を通じるというのも反知性主義のエリートである山田らしい。
 いわば馬鹿な子ほど可愛いを地で行く物語で、その馬鹿な子が障碍者である娘を娶ることを、非エリートで平等主義の父親が歓迎するという、ややもすると偽善的なヒューマニズムが気になる。結末では、父親は岩手に帰って息子らがまだ子供だった頃にフラッシュバックして幸せな過去に立ち返るだけで、一人暮らしの問題が解決するわけでも、次男と一緒に暮らすわけでもなく、センチメントだけで映画は終わってしまう。
 冷静に見れば、父親の一人暮らしを心配して狭いマンションに引き取ろうと申し出る長男や、それに賛成する妻(原田美枝子)の方が現実的には善人なのであり、父親を物理的に受け入れることが不可能な次男を馬鹿な子だとか恋人が障碍者だからというだけで肯定するのは、あまりに恣意的。
 そうした山田洋次的教条主義を除けば、永瀬正敏と和久井映見の恋物語はさわやかな演技で、とりわけ三國連太郎が和久井映見に決意を確かめるシーンは感動的。 (評価:2.5)

製作:ケイエスエス、松竹第一興行
公開:1991年11月2日
監督:竹中直人 製作:中沢敏明、関根正明 脚本:丸内敏治 撮影:佐々木原保志 美術:斎藤岩男 音楽:GONTITI
キネマ旬報:4位

これが初監督の竹中直人の演技がくどくないのがいい
 つげ義春の同名漫画連作が原作。
 漫画に芸術性を求め、若い頃のような娯楽漫画を描けなくなった漫画家が主人公で、生活は困窮に陥り、家族を養えなくなった、社会から落ち零れた無能の人の悲哀をコミカルに描く。
 漫画以外に能のない助川(竹中直人)は、石を鑑賞する水石という趣味があることを知り、多摩川の河原に小屋を建てて元手の掛からない石屋を始める。多摩川で拾った石を買う客はなかったが、鳥男(神代辰巳)や散歩の夫婦(須賀不二男・久我美子)、石のオークションを主催する男(マルセ太郎)とその妻(山口美也子)、その元夫(神戸浩)などと知り合う。
 山梨で良い石を見つけてオークションにかけるが、妻(風吹ジュン)が欲張りすぎて失敗。漫画しか能がないと漫画家に復帰、編集者に持ち込むが断られ、1回百円で人を背負う川渡しを始めるというラスト。そんな助川を妻と子(三東康太郎)が優しく労わる。
 助川が最後に描いた漫画は鳥男の漫画で、飛びたくても飛べずに墜落してしまう男の悲哀がテーマ。現実的な価値観や社会に適応できずに落ち零れていく者たちの物語となっている。
 神代辰巳のほか、原田芳雄、三浦友和、泉谷しげる、井上陽水、周防正行、鈴木清順らがカメオ出演し、つげ義春も出演しているのが見どころで、初監督だけに竹中直人の演技がくどくないのがいい。 (評価:2.5)

男はつらいよ 寅次郎の告白

製作:松竹
公開:1991年12月21日
監督:山田洋次 製作:島津清 脚本:山田洋次、朝間義隆 撮影:高羽哲夫、花田三史 美術:出川三男 音楽:山本直純

待ち合わせ場所は鳥取砂丘というのが笑わせどころ
 寅さんシリーズの第44作。満男(吉岡秀隆)と泉(後藤久美子)のカップル3作目で、泉の就職が上手くいかず母と喧嘩して家出、鳥取に満男が追いかけるという早くもマンネリ化したパターン。
 観光地をロケ地に組み込まなければならず、かつ満男と泉が物語の中心になってしまったため、二人が旅をしなければならないというシバリがシナリオを狭めている。
 前作で泉の母(夏木マリ)といい仲になりかけた寅次郎だが、偶然(!)鳥取で泉に出会い、10年前に恋仲だったという料理屋の女将(吉田日出子)が今回のマドンナとなる。
 ストーリー自体は可もなく不可もなくテーマもなく、寅次郎と女将の焼けぼっくいが燻るというのが中心で、吉田日出子の演技が見どころとなっている。寅次郎にだっていい仲の女はいたんだという寅さんファンの心を和ませる話で、泉に告白できない満男の優柔さを対比させる。
 もっとも、ストーリー的には泉の上京、就職活動、家出に至るストーリーは強引で、満男との待ち合わせ場所が単に鳥取砂丘というのが最大の笑わせどころというのが、コメディとしては残念なところ。 (評価:2)

製作:オフィス北野、東通
公開:1991年10月19日
監督:北野武 製作:館幸雄 脚本:北野武 撮影:柳島克己 音楽:久石譲 美術:佐々木修
キネマ旬報:6位
ブルーリボン作品賞

センチメントな粉砂糖をまぶした聾唖者の道行き
 北野武監督作品3作目は、松竹から東宝の配給へ。前2作から一転、センチメンタルな青春映画に。音楽に久石譲が参加。
 聾唖の青年(真木蔵人)が粗大ゴミのサーフボードを手に入れたのを切っ掛けに、サーフィンに打ち込んでいく物語。同じ聾唖者の恋人(大島弘子)がいて、常に海に同伴する。本作はサイレント映画風に作られており、恋人同士が聾唖者という設定もサイレントを狙ったものか。
 物語としては聾唖者の道行きの話で、それにセンチメントなパウダーシュガーをたっぷりまぶしているが、単に感傷的な青春映画以上のものはないサイレント映画なのでシーンの積み重ねで物語を説明していて、北野の印象主義的な作風にはマッチしている。ただ、若干退屈で、人物の動きや演出が造形的・記号的なところは、評価の割れるところ。雨の日に、青年の後から海に行くシーンでは、傘をさして恋人の帰りを待つが、前半シーン同様に服を畳んだ方が悲しみが増す。
 音楽が弦楽アレンジのサティ風なのは、『その男、凶暴につき』を意識したのか。 (評価:2)

ゴジラvsキングギドラ

製作:東宝映画
公開:1991年12月14日
監督:大森一樹 製作:田中友幸 脚本:大森一樹 特技監督:川北紘一 撮影:関口芳則 音楽:伊福部昭 美術:酒井賢

未来人チャック・ウィルソン登場のバラエティ・ゴジラ
​​ ​​​ゴ​​​ジ​​​ラ​​​第​​​1​​​8​作​​​、​​​新​​​生​​​ゴ​​​ジ​​​ラ​​​第​​​3​作​​​。​前​作​に​引​き​続​き​、​監​督​・​大​森​一​樹​+​特​撮​・​川​北​紘​一​の​コ​ン​ビ​。
​ ​前​作​で​ど​こ​に​行​っ​た​の​か​わ​か​ら​な​か​っ​た​ゴ​ジ​ラ​は​若​狭​湾​に​向​か​っ​て​い​た​。
​ ​2​3​世​紀​か​ら​チ​ャ​ッ​ク​・​ウ​ィ​ル​ソ​ン​、​中​川​安​奈​ら​の​未​来​人​が​や​っ​て​き​て​、​歴​史​を​変​え​れ​ば​ゴ​ジ​ラ​が​消​滅​す​る​と​提​案​。​ゴ​ジ​ラ​は​戦​中​日​本​軍​を​助​け​た​ラ​ゴ​ス​島​の​テ​ィ​ラ​ノ​型​恐​竜​で​ビ​キ​ニ​環​礁​の​水​爆​実​験​で​怪​獣​に​な​っ​た​と​、​詳​し​い​プ​ロ​フ​ィ​ー​ル​が​明​か​さ​れ​る​。​未​来​人​は​手​助​け​す​る​と​見​せ​か​け​て​キ​ン​グ​ギ​ド​ラ​を​創​造​。​未​来​に​超​超​大​国​と​な​っ​た​日​本​の​破​壊​を​狙​う​が​、​最​初​は​ゴ​ジ​ラ​で​日​本​が​壊​滅​し​た​と​嘘​を​つ​き​、​最​後​に​は​や​っ​ぱ​り​キ​ン​グ​ギ​ド​ラ​に​破​壊​さ​れ​て​い​た​と​い​う​オ​チ​も​あ​り​、​何​の​た​め​に​未​来​人​が​や​っ​て​来​た​の​か​よ​く​わ​か​ら​な​い​。​シ​ナ​リ​オ​が​タ​イ​ム​パ​ラ​ド​ッ​ク​ス​の​陥​穽​に​は​ま​っ​て​し​ま​っ​た​の​か​?
​ ​世​の​中​が​バ​ブ​ル​の​終​焉​に​ま​だ​気​づ​か​な​か​っ​た​頃​の​作​品​で​、​J​a​p​a​n​ ​a​s​ ​N​o​.​1​の​幻​想​を​抱​け​て​い​た​時​代​の​空​気​が​ひ​し​ひ​し​と​伝​わ​る​点​で​貴​重​な​映​画​。​現​在​の​日​本​の​姿​な​ど​微​塵​も​想​像​し​て​な​い​。
​ ​福​岡​、​札​幌​が​破​壊​さ​れ​、​ゴ​ジ​ラ​も​キ​ン​グ​ギ​ド​ラ​も​映​像​的​に​パ​ワ​ー​ア​ッ​プ​し​て​い​る​が​、​未​来​人​の​設​定​は​ど​う​だ​っ​た​か​?​ ​チ​ャ​ッ​ク​・​ウ​ィ​ル​ソ​ン​の​ほ​か​、​ケ​ン​ト​・​ギ​ル​バ​ー​ト​、​ダ​ニ​エ​ル​・​カ​ー​ル​、​矢​追​純​一​も​登​場​す​る​バ​ラ​エ​テ​ィ​感​も​違​和​感​が​あ​る​。 (評価:2)

製作:ギャラック、ピー・エス・シー、NHKエンタープライズ
公開:1991年5月11日
監督:大林宣彦 製作:川島国良、大林恭子、田沼修二 脚本:桂千穂 撮影:長野重一 美術:薩谷和夫 音楽:久石譲
キネマ旬報:5位

せめてもの救いは石田ひかりの可愛さと大林演出
 赤川次郎の同名小説が原作。
 赤川次郎原作なので、正直中身がない。女の子の恋と友情に、姉の事故死、母親の精神疾患、父親の不倫といったケータイ小説並みの通俗ストーリーが延々と展開され、暇潰しにもならないどうでもいいストーリーとどうでもいいラストに2時間半付き合わされることになるが、見どころというかせめてもの救いは、これが映画初出演にして初主演の石田ひかりの可愛さと大林の演出で、とりわけ石田ひかりの可愛さがなければ、誰もこんなつまらないストーリーを観ない。
 大林のアイドル映画作りは本作でも冴えていて、石田ひかりの可愛さを最大限に引き出す。冒頭からコントラストのないフィルム現像と映像にマッチしない平板なアフレコ音声で浮遊感を演出し、大林独特の非日常世界へと引きずり込む。
 打ち上げ花火をバックにした第九コンサートシーンの映像加工や駅伝シーンは『HOUSE ハウス』『時をかける少女』を髣髴させるものがあるが、初めのうちは大林らしさに引き付けられるが、クドイところがあって、次第にいい加減にしてほしいと思うようになる。
 父役・岸部一徳の台詞棒読みはいつものことだが、母役・富司純子は人形ぶりのような演技で、本作からリアル感と生活感を一掃する。
 物語は姉(中嶋朋子)の妹でしかなかった少女(石田ひかり)が、姉の死によって姉の妹という立場を脱していくもので、その手助けをするのが姉の幽霊で、自立し、姉の存在が不要になるとともに、姉は彼岸へと去ってしまうという、書けばもっともらしいテーマだが、実際にはそれほどのことはない。
 少女のクラスメイトに柴山智加、中江有里、島崎和歌子が出演するが、石田ひかり同様の新人で、まだ幼いのもアイドル映画的な隠れた見どころ。
 吉行和子、入江若葉、藤田弓子、尾美としのり等に混じり、竹中直人、増田惠子、奈美悦子といった意外なキャストも楽しめる。
 久石譲の音楽と主題歌も聴きどころ。 (評価:2)

戦争と青春

製作:こぶしプロダクション、プロデュースセンター、「戦争と青春」制作委員会
公開:1991年9月14日
監督:今井正 製作:大澤豊、岡村光雄 脚本:早乙女勝元 撮影:岡崎宏三 美術:春木章 音楽:佐藤勝

反戦教育映画、市民運動映画の範疇から抜けられてない
​​ 早乙女勝元の同名小説が原作。
 1945年3月10日の東京大空襲を経験し、東京空襲を記録する会を結成した早乙女が、東京大空襲をテーマに描いた小説を、早乙女自身が脚色。どのような映画になるか想像がつくというものだが、それを79歳の今井正が監督。空襲から半世紀近くが経ち、想像に違わぬアナクロニズム溢れる作品になっている。
 戦後生まれの高校教師(樹木希林)が夏休みに戦争世代から聞き書きをするレポートを宿題に出すという、何の捻りもアイディアもない反戦映画で、少女(工藤夕貴)が早速伯母(奈良岡朋子)に話を聞くのだが、この伯母が空襲のトラウマを抱えていて、上手くいかない。父(井川比佐志)に聞いても黙するばかりだが、やがて父が東京大空襲の体験を手紙にして教えてくれる。
 以下、手紙の内容となるが、回想シーンをモノクロ、伯母の少女時代を工藤夕貴が演じるという、既視感のある昭和的演出となる。
 伯母の恋人が兵役拒否して逃亡。伯母は未婚の母となるが、空襲で赤子とはぐれてしまう。それが心の傷となるが、再婚して戦後を生き抜いた割に今も心ここに在らずで、それがトラウマの再発によるものなのか、認知症によるものなのかよくわからない。
  さらに言えば、空襲を記録する黒焦げの電信柱が今も公園脇に生き残っているのがどうにも不自然で、ツクリモノ感が芬々とする。
 伯母が死んだ後に赤子だった娘(これも奈良岡朋子の二役)が韓国にいることがわかって再会するハッピーエンドが用意されているのも、反人種差別と暗いだけの話にならないようにと作為的。
 今井正もそれなりに頑張ってはいるが、反戦教育映画、市民運動映画の範疇から抜けられず、エンドクレジットの協力市民の行列に納得してしまう。 (評価:2)

陽炎

製作:バンダイ、松竹第一興行
公開:1991年2月9日
監督:五社英雄 製作:奥山和由 脚本:高田宏治 撮影:森田富士郎 美術:西岡善信 音楽:佐藤勝

樋口可南子の立ち回りは贔屓目でも細うで繁昌記
​​ 東映の『極道の妻たち』(1986)のヒットに乗って、五社英雄監督以下同じスタッフで松竹で制作された2匹目の泥鰌的作品。
 極妻とは違い、主人公が女胴師と呼ばれる賭博師なので、立場的には『緋牡丹博徒』(1968)に近い。
 殺された父親の仇を探して渡世するのもお竜と一緒だが、本作のりん(樋口可南子)は手本引と呼ばれる相手の心理を読む札勝負なのがミソで、最後は最強の胴師・仲代達矢との対決となる。
 大阪で義弟(本木雅弘)に出会い、熊本の養父の料亭が博打の形にヤクザ(白竜)に乗っ取られたことを知り、10年ぶりに家に帰る。権利書を掛けての勝負となり、最後は仲代に勝つが、白竜は当然悪役で、義弟とその恋人・荻野目慶子を殺し、りんはダイナマイトを手に料亭に乗り込んで爆破、立ち回りの末に仲代の助っ人を得て悪者を退治するという、王道の任侠映画。
 仲代がりんに加勢する理由というのが、実は親の仇で、その償いからというのも定番。
 五社英雄らしく、樋口可南子のヌードも含めて濡れ場のシーンも多く、東映作品かと見紛うばかりの大サービス。
 もっとも、歯の浮くようなカッコ付けの台詞が多い上に、樋口可南子の立ち回りは贔屓目に見ても細うで繁昌記で、途中出てくる芝居小屋の舞台の立ち回りの方が余程上手い。
 女胴師の義理と人情の復讐劇に、無理にお嬢さんの殺陣を演じさせることもなかったのではと、ドラマ部分がよくできていただけに惜しまれる。
 極妻同様、丹波哲郎、神山繁、岡田英次、岩下志麻等々の豪華キャスト。 (評価:2)

夢二

製作:荒戸源次郎事務所
公開:1991年5月31日
監督:鈴木清順 製作:荒戸源次郎 脚本:田中陽造 撮影:藤沢順一 美術:池谷仙克 音楽:河内紀、梅林茂 

芸術的映像美に昇華され、見る者を混沌とさせる
​​ 『ツィゴイネルワイゼン』(1980年)、『陽炎座』(1981年)で芸術映画監督としての評価を手に入れた鈴木清順が、映像美だけを頼りに制作した竹久夢二の美人画論で、だからといって竹久夢二論になっているわけでもなく、単に夢二を取り巻く女たちとの頼りない交歓を描いただけで、見終わって何も残らない。
 夢二を演じる沢田研二がただの女たらしにしか見えず、絵を描くシーンもなく絵描きに見えないのが何とも痛い。  結核を患う恋人・彦乃(宮崎萬純)と駆け落ちの約束をして金沢で待つ夢二の物語で、待てど暮らせど来ぬ人を宵待ち草のやるせなさ今宵は月も出ぬさうな、といういくつもの宵待ち草を重ねたラストで、淡谷のり子の歌で締めくくるという、何とも通俗的な構成。
 宵待ち草とは何かについて語られるわけでもなく、夢二の作家論としても茫洋としたイメージだけ。  妻と間男(原田芳雄)を殺した男(長谷川和彦)、行方不明の死体を探す間男の妻(毬谷友子)、その妻と深い仲になる夢二、金沢にやってくるモデルのお葉(広田玲央名)と画家・稲村御舟(坂東玉三郎)のエピソードが脈絡なく感覚的に綴られる。
 田中陽造のシナリオにはそれなりのドラマがあったのかもしれないが、鈴木清順の手に掛かればそれは芸術的映像美に昇華され、見る者を混沌とさせる。 (評価:1.5)