海月衛 映画帖
~映画の大海原をたゆたう~

日本映画レビュー──1988年

製作:新潮社
公開:1988年04月16日
監督:高畑勲 製作:佐藤亮一 脚本:高畑勲 作画監督:近藤喜文 音楽:間宮芳生 美術監督: 山本二三
キネマ旬報:6位

これは兄と妹の哀しい道行きの物語
 野坂昭如の小説が原作。終戦時の野坂の実体験が基になっているといわれ、完成したアニメを見た野坂が絶賛したといわれる。実際、原作が短編であるため、兄妹の道行きを丁寧に描いたアニメは、原作を超えた作品になっている。
 道行きというのは原作者自身の言葉で、ラストの兄妹の蛍の飛ぶ六甲山から見下ろす神戸の夜景が、戦争の犠牲となった兄妹の道行きと現代の平和との対比を、物悲しいまでの作画の美しさで象徴する。平和が戻った時に象徴的に流れる『埴生の宿』と、終戦を知らずに妹の死を迎える兄。高畑の演出の妙を数え上げれば切りがない。1981年『じゃりン子チエ』では、マッチを擦るシーンなど生活感のある卓越した演出をしているが、日本で作家と呼べる唯一人のアニメ監督であり、『火垂るの墓』は高畑の最高傑作でもある。
 この作品は夏になると必ずテレビ放映され、その感動は20年を超えても古びない。節子を演じたのは6歳の少女、清太の声も16歳の少年だった。 (評価:5)

製作:松竹
公開:1988年09月15日
監督:大林宣彦 製作:杉崎重美 脚本:市川森一 撮影:阪本善尚 音楽:篠崎正嗣 美術: 薩谷和夫
キネマ旬報:3位

今半のシーンは涙なしに見られない文芸ホラー?の佳作
 山田太一の同名小説が原作。公開以来の再見で、こんなにホラーだったかと意外だったが、幽明界を異にした親子愛と今半別館のシーンが印象深かった作品で、TUTAYAが邦画ドラマ/人情/喜劇に誤分類したのも故なしとはいえない。喜劇はさすがにブラックだが。
 妻子と別れた人気シナリオライター(風間杜夫)はいささか傲慢なところがあって、レスキューを求めてやってきた同じマンションの女(名取裕子)をけんもほろろに追い返してしまう。その晩から風間の奇妙な夏が始まり、取材の帰りに浅草演芸ホールに立ち寄ったところ、死んだ父(片岡鶴太郎)に出会い、家に連れて行かれる。そこには母(秋吉久美子)もいて温かいもてなしを受けるが、両親は12歳の時に交通事故で死んでいた。一方、マンションの女との新しい愛をスタートさせるが、男は日に日に衰えていく…
 異人は赤い靴を履いてた女の子を連れ去った外国人ではなく、ここでは幽霊のこと。精気を吸い取られながらも少年の日に得られなかった両親の温もりを求める男の心が切ない。解説風にいえば、人を愛する心を失った主人公のもとに死んだ両親が現れて、肉親の愛と人のやさしさを取り戻させるという話で、会うことが息子の命を縮めることを知って姿を消す。そのクライマックスが今半別館のシーンで涙なしには見られない。下町の父ちゃん・母ちゃんの鶴太郎と秋吉が素敵で、セットともども昭和30年代の懐かしい下町の空気をよく演じている。
 ホラーの設定としては、両親がなぜ冥界に帰らなければならなかったのか、愛する息子の精気を本当に吸い取っていたのかが不明瞭で、ホラーだけにトワイライトということか? 神話的には冥界の食べ物を口に入れると冥界の住人になってしまうが、それで息子は衰弱したのか? 現世の食べ物を口にしたから両親は冥界に帰らざるを得なかったのか? 観終わってすっきりしないものが残る。
 ラストはそこまでホラーにしなくても、というくらいにそれまでとは別物の映画になっていて、もう少し穏やかでよかったのではないか。風間と息子とのラストシーンも余計。 (評価:3)

製作:徳間書店
公開:1988年4月16日
監督:宮崎駿 製作:徳間康快 脚本:宮崎駿 作画監督:佐藤好春 美術:男鹿和雄 音楽:久石譲
キネマ旬報:1位

『トトロ』で宮崎駿が描けなかったもの
 『天空の城ラピュタ』に続くスタジオジブリ初期作品で、公開は高畑勲『火垂るの墓』との併映。
 子供向けに創られたが、興行成績が振るわなかったために、その後のジブリ作品を宮崎駿ファン、ないしはアニメファン向けに方向づけることになった。もっとも、公開後にトトロのキャラクターが人気となり、キャラクター商品やDVD、久石譲の主題歌によってジブリを代表するアニメと位置づけられ、スタジオマークや三鷹の森ジブリ美術館へと発展した。
 昭和30年代の狭山丘陵が舞台で、母のいる結核療養所近くの一軒家に大学教授の父とサツキ・メイの幼い姉妹が引っ越してくるという設定で、そこで妖怪たちに出合うという、民話風自然回帰もの。子供向けお話の鉄板であるお化け・妖怪もので、彼らと友達になるという物語がこれまた鉄板で受けた。
 その後のジブリ作品に比べると作画そのものに革新性はないが、キャラクターを含めて温かみのある映像で、旧き良き漫画映画を思い出させる。
 そうした点で、ストーリーを含めて旧き良き時代への憧憬に溢れる作品となっているが、子供たちと自然との触れ合いを民話風に描き、自然との共生を謳うだけで、『まんが日本昔ばなし』同様の子供向けの良質な漫画映画以上のものはない。
 幼少に感じた自然への畏怖、それがお化けや妖怪の原型だという民俗学的意味づけも目新しくはなく、本作でノスタルジー以上のものを語ることができなかったことが、その後のあからさまな環境テーマに傾斜する宮崎アニメのきっかけとなったのかもしれない。
 そうした本作のテーマの消化不良だったものへの回答は、同じジブリ作品の『平成狸合戦ぽんぽこ』(1994)で高畑勲が出すことになる。
 父の声を当てた糸井重里が、朴訥とした演技で清々しい。隣家のお婆さん役の北林谷栄が声優としても名演技を聞かせてくれるのは必聴。 (評価:3)

製作:にっかつ
公開:1988年10月22日
監督:藤田敏八 脚本:荒井晴彦 撮影:藤沢順一 美術:徳田博 音楽:原田末秋
キネマ旬報:9位

「袖すり合うも他生の縁」というお気楽な作品
 佐藤正午の同名小説が原作。
 盗まれた一丁の拳銃を縦糸にして、さまざまな男女のドラマの糸が絡み合うという構成で、鹿児島の海水浴場から始まり、糸が絡んだり解けたりしながら、ラストの札幌で再び1本にまとまるという凝った物語になっている。
 ある種の群像劇だが、中心になるのは沢田研二扮する交番の巡査。好きでもない見合い相手(南條玲子)に迫られた挙句、不倫相手(吉田美希)に逃げられた中年男(小林克也)に拳銃を奪われるのが発端。怖くなって捨てたのを受験生(村上雅俊)に拾われるが、これまたレイプを目撃したためにヤクザ男(山田辰夫)に殴られ、復讐するために男の住む札幌に向かう。
 依願退職した巡査は拳銃を回収するために受験生を追って、彼のガールフレンド(佐倉しおり)と札幌に。更にそれを巡査がバーのホステス(手塚理美)と同居しているのを知った見合い相手が追うという展開。
 受験生はヤクザ男を追いつめるが撃てず、全員がその場に集結したところ、はずみで見合い相手に銃が渡り、見合い相手は怒りで巡査に向けて発砲。流れ弾が無関係な競輪マニア(柄本明)に当ってしまうというオチ。
 競輪マニアには同好の連れ(尾美としのり)がいるが、本作のプロローグはこの二人の競輪場での出会いから始まり、続く鹿児島の海水浴場のシーンに、札幌の全員が居合わせる形でそれぞれのドラマがスタートしている。
 いわば「袖すり合うも他生の縁」というのが、本作の面白さであり見どころ。それ以外には何もないが、人は過去を消すために新しい出会いを求めるという、もっともらしい台詞も登場するが、それでも過去を忘れることはできないというのが結論になっていて、それもだからどうしたという程度でしかない。
 そんなどうでもいい話を藤田敏八はお気楽な作品に上手くまとめているが、巡査に執拗に絡む新聞記者が不自然で、省いた方が良かった。 (評価:2.5)

製作:近代映画協会、天恩山五百羅漢寺
公開:1988年4月30日
監督:新藤兼人 製作:日高宗敏、高島道吉 脚本:新藤兼人 撮影:三宅義行 美術:重田重盛 音楽:林光
キネマ旬報:7位

見どころは被爆した俳優4人が死に至る生き地獄の有り様
 江津萩枝のノンフィクション『櫻隊全滅』を原作とした、インタビューと再現ドラマによるドキュメンタリー。
 広島の原爆投下の日にたまたま広島に居合わせた移動劇団「桜隊」の9人の役者の最期を解き明かすもので、手法としては『ある映画監督の生涯』(1975)に近い。ナレーションは乙羽信子。
 小沢栄太郎、滝沢修、宇野重吉、杉村春子といった演劇界の大御所がインタビューに応じているのは、さすが新藤兼人。原爆投下後の広島の街の再現ドラマが生々しい。
 前半は桜隊結成までの経緯が語られ、築地小劇場からの演劇界の歴史、大政翼賛会下での日本移動演劇連盟結成、国家への協力が語られる。一方で、弾圧を受けて投獄された小沢栄太郎らもいて、戦時下での演劇人の苦悩が語られる。
 芝居を続けるために慰問巡回に協力した桜隊の内、9人は爆心地近くで被爆。丸山定夫、園井恵子、仲みどり、高山象三以外の5人は瞬時に骨となってしまう。
 残りの4人も、原爆症のために10~20日の内に死んでしまうが、本作の見どころは、生き地獄の中で死に至る4人の有り様が、彼等を看病した劇団員たちによって証言されていることで、原爆がもたらす悲惨をドキュメントタッチでリアルに描く。
 とりわけ、東大病院の原爆症患者第1号となった仲に関する医師たちの証言は、科学的であるがゆえの説得力を伴っている。本作は、絶対悪としての原爆を観る者に示す。
 園井恵子は宝塚出身で、稲垣浩監督の『無法松の一生』(1943)で、阪東妻三郎が恋する未亡人役。製作の目黒・天恩山五百羅漢寺には、桜隊原爆殉難碑がある。 (評価:2.5)

バカヤロー!私、怒ってます

製作:​光​和​イ​ン​タ​ー​ナ​シ​ョ​ナ​ル
公開:1988年10月15日
監督:渡辺えり子、中島哲也、原隆仁、堤幸彦 製作総指揮:森田芳光 脚本:森田芳光 撮影:川上皓市、長田勇市 音楽:笹路正徳、中尾淳、吉良知彦、仙波清彦 美術:寒竹恒雄、及川一

バブルだって幸せじゃなかったんだ、バカヤロー!
 ​森​田​芳​光​総​指​揮​・​脚​本​の​4​話​オ​ム​ニ​バ​ス​。
​ ​主​人​公​が​理​不​尽​に​耐​え​て​耐​え​抜​い​て​、​最​後​は​我​慢​で​き​ず​に​ブ​チ​切​れ​て​「​バ​カ​ヤ​ロ​ー​!​」​と​叫​ん​で​周​囲​を​唖​然​と​さ​せ​る​、​と​い​う​の​が​コ​ン​セ​プ​ト​。​バ​ブ​ル​の​頃​の​作​品​で​、​各​作​品​と​も​に​当​時​の​世​相​が​現​れ​て​い​る​が​、​世​の​中​景​気​が​良​く​て​も​忍​耐​を​強​い​ら​れ​て​い​て​精​神​的​に​は​決​し​て​豊​か​で​は​な​か​っ​た​、​と​い​う​の​が​今​振​り​返​っ​て​観​た​感​想​。
​ ​1​話​は​、​フ​ィ​ア​ン​セ​(​伊​原​剛​志​)​に​ダ​イ​エ​ッ​ト​を​強​要​さ​れ​る​女​の​子​(​相​楽​晴​子​)​の​話​で​、​監​督​は​渡​辺​え​り​子​。​他​に​石​橋​蓮​司​、​森​下​愛​子​。
​ ​2​話​は​、​郊​外​遠​く​に​住​ん​で​い​る​た​め​に​終​電​が​早​く​、​恋​人​と​の​デ​ー​ト​も​マ​マ​な​ら​ず​に​振​ら​れ​て​し​ま​う​女​の​子​(​安​田​成​美​)​の​話​。​監​督​・​中​島​哲​也​、​父​親​に​小​坂​一​也​。
​ ​3​話​は​、​と​ん​で​も​な​い​客​相​手​に​辛​酸​を​な​め​る​タ​ク​シ​ー​運​転​手​(​大​地​康​雄​)​の​話​。​ホ​ス​テ​ス​に​斉​藤​慶​子​、​鬱​憤​を​晴​ら​す​同​業​者​に​イ​ッ​セ​ー​尾​形​、​1​万​円​し​か​持​た​な​い​客​に​成​田​三​樹​夫​。​監​督​は​原​隆​仁​。
​ ​4​話​は​、​シ​カ​ゴ​転​勤​を​命​じ​ら​れ​た​男​(​小​林​薫​)​が​上​司​(​小​林​稔​侍​)​に​バ​カ​に​さ​れ​な​が​ら​も​英​会​話​の​勉​強​に​悪​戦​苦​闘​す​る​話​。​妻​に​室​井​滋​。​監​督​は​堤​幸​彦​。
​ ​監​督​も​俳​優​も​ま​だ​若​手​だ​っ​た​が​、​振​り​返​る​と​な​か​な​か​の​強​力​メ​ン​バ​ー​。​主​題​歌​の​忌​野​清​志​郎​の​『​サ​ン​・​ト​ワ​・​マ​・​ミ​ー​』​も​な​か​な​か​良​か​っ​た​。 (評価:2.5)

噛む女

製作:​にっかつ
公開:1988年7月1日
監督:神代辰巳 脚本:荒井晴彦 撮影:篠田昇 美術:菊川芳江 音楽:小六禮次郎

ただのサスペンスに終わらない神代流夫婦の愛憎劇
 結城昌治の同名小説が原作。
 神代辰巳には珍しいサスペンス映画だが、主人公はアダルトビデオ会社の社長で、原因は女遊びというロマンポルノ的舞台が与えられ、夫婦になった男女の愛憎の機微が描かれるという、神代らしい作品になっている。
 古賀(永島敏行)には幼馴染の妻(桃井かおり)と娘がいるが、セックスレスの上、外泊ばかりしている。娘も出来たから生んだ子だが、古賀は妻よりも娘の方を愛していて、別れたいのに家庭は壊せないという状況。夫婦ともに事故か病気で相手が死ねばいいと思っている。
 古賀は勃起もせず、毎晩女遊びを続けているのも惰性。家庭も女も会社もすべてが形骸化した日常で、中身のない人生というのが神代らしいが、テレビ出演をきっかけに昔の同級生・早苗(余貴美子)から電話が掛かってきて、いつも通りに女と寝るが、これが噛む女で、古賀は久しぶりに勃起できる女を得る。
 ここからがミステリーで、早苗は姿のないストーカーとなり、古賀の家庭を壊し始めるが、旅行に逃げ出した古賀一家が温泉宿に泊まった晩、二人目の子供を作りたいという妻を相手にしなかったことで、妻が夫に殺意を抱くという筋書き。
 姿のないストーカーの正体が実は妻なのではないのか、というヒントが散りばめられるが、そもそも古賀の一家には父親は見えない存在だったというラストシーンも神代的。
 サスペンス映画としての謎解きもしながら、ただのサスペンス映画には終わっていない。 (評価:2.5)

製作:ライトヴィジョン、沢井プロダクション、創映新社
公開:1988年8月13日
監督:黒木和雄 製作:鍋島壽夫 脚本:黒木和雄、井上正子、竹内銃一郎 撮影:鈴木達夫 美術:内藤昭 音楽:松村禎三
キネマ旬報:2位

原爆投下を前提に判ってくださいでは作品にならない
 井上光晴の『明日 1945年8月8日・長崎』が原作。
 長崎の原爆投下の前日を中心とした物語で、一組の男女の結婚式に集う人々を点描するグランドホテル方式を採っている。
 群像劇のため、散漫になりがちな各エピソードを如何に一つのテーマに集約できるかが監督の手腕となるが、残念ながら本作がそれに成功しているとは思えない。
 テーマは明確で、「明日にすべてが無に帰す人々の暮らし」を描く中で、原爆の悲惨さと犯罪性を浮かび上がらせるわけだが、翌日の原爆投下という結末を誰もがわかっていることにいささか寄り掛かり過ぎたのではないか。
 前日の日常を淡々と描いてはいるが、そこにドラマ性が希薄なため、人々の悲劇が今ひとつ鋭く胸に届かない。
 俳優の演技が今ひとつだったのか演出が悪かったのか、事実は淡々とした日常であったろうが、やはりそこに日常の中のドラマを抽出できなければ胸に応える作品にはならない。
 クレジットをみても、妊婦の桃井かおりと花嫁の南果歩が中心となるべきだったのだろうが、出産と結婚という事実以外にドラマは生まれてこない。
 長門裕之、馬渕晴子、佐野史郎、田中邦衛、原田芳雄、なべおさみ、賀原夏子、二木てるみ、殿山泰司等々、出演陣は揃っているが、総花的になってエピソードをまとめきれなかった。
 原爆投下を前提に、何も言わないでもわかってくださいと観客に頼るのでは作品にならない。 (評価:2.5)

製作:ビクター音楽産業、サンダンス・カンパニー
公開:1988年11月12日
監督:和田誠 製作:藤峰貞利 脚本:和田誠 撮影:丸池納 美術:中澤克巳 音楽:八木正生
キネマ旬報:10位

ハリウッドならオードリ・ヘップバーンの役どころ
 ヘンリー・スレッサーの短編小説シリーズ"Ruby Martinson"が原作。
 青年のアパートに魅力的な女の子が引っ越してきて仲良くなったところが、彼女は泥棒で片棒を担がされることになるというロマンティック・コメディ。
 往年のハリウッド・コメディを彷彿させる作品で、和田誠がそれを狙ったオマージュ的作品。ハリウッドならオードリ・ヘップバーンの役を小泉今日子が演じ、コケティッシュな可愛い魅力をスクリーンいっぱいに広げる。
 演出も心得ていて、小泉の目がキラキラ光るようにライティングをし、ソフトフォーカス気味。窓の外の風景もそれとわかる書割で、途中ミュージカル風にもなって、往年のハリウッド映画を知っているファンには堪らないお洒落な映画に仕上がっている。
 もっとも、それを知らなければストーリーはハリウッド・コメディ同様に相当に他愛ないし、食料店主の鞄のすり替え、銀行強盗、宝石店詐欺、マンション泥棒と、快盗どころかただの間抜けなコソ泥で、雰囲気を楽しむ以外に見どころはない。
 小泉はヘップバーンにはそこそこ成り切っていて、ジバンシィほどではないにしてもカジュアルからドレッシーまでのファッションショーを見せてくれる。
 小泉の相手役は真田広之で、おどおどと頼りない青年を好演しているのも見どころ。
 粋な作品であるのは間違いないが、30年を経てそれを楽しめる映画ファンがどれだけ残っているかも気になるところ。 (評価:2.5)

製作:プルミエ・インターナショナル、ジャニーズ事務所、東宝
公開:1988年2月20日
監督:長崎俊一 製作:ジャニー喜多川、増田久雄 脚本:長崎俊一、北原陽一 撮影:杉村博章 美術:尾関龍生 音楽:義野裕明
キネマ旬報:4位

男闘呼組のツッパリも堂に入った定番の成長物語
 吉岡紗千子の同名手記が原作。
 松本市が舞台で、東京から転校した高校生の俊介(岡本健一)、同級生の武(成田昭次)、不良仲間の務(高橋一也)と拓也(前田耕陽)のツッパリ四人組が、ロックバンド・クライムのファンという共通項から仲間となり、バンド結成のためにアルバイトなどで楽器を購入、初ライブを目指すが、ライブ直前に武が交通事故死。追悼ライブを成功させるという更生物語。
 不良たちがロックバンドに目標を見出し、そのことに一所懸命となって仲間との友情を育てるが、仲間の死をきっかけとして一層絆を強め、死んだ仲間を含めて大人へと脱皮する、という定番すぎる上に臭さも100%なのだが、舞台が松本というローカル色が相乗してか、何となく見れてしまう。
 メンバーの4人は、そのままジャニーズの男闘呼組のメンバーで、相似形をなしている。
 高校生が平然と酒を飲み煙草を吸うといったシーンが連続し、今では想像もできない作りだが、男闘呼組のツッパリも堂に入って演技も頑張っていて、アイドル映画としても音楽映画としても違和感なく見ていられる。
 お話が予定調和で通俗的なのが物足りないところか。
 俊介の母にあべ静江。新聞記者の寺尾聰がロック的に違和感。光GENJIも友情出演している。 (評価:2.5)

男はつらいよ 寅次郎サラダ記念日

製作:松竹
公開:1988年12月24日
監督:山田洋次 脚本:山田洋次、朝間義隆 撮影:高羽哲夫 美術:出川三男 音楽:山本直純

終末のテーマがシリーズの年輪を感じさせる
 寅さんシリーズの第40作。マドンナは三田佳子で、小諸の病院に務める未亡人の女医。三田寛子が姪役で、年増マドンナをサポートする。
 一人暮らしの老女(鈴木光枝)と知り合った寅次郎が彼女の入院に付き添い、その時に出会うのが女医の三田佳子。子供を東京の実家に預けて地方病院に務めていて、老女同様、マドンナの寂しい心の支えに寅次郎がなる。
 実家に住む姪に会いに早稲田大学へ行くエピソードで話を盛り上げるが、老女が危篤となり小諸に駆けつけたが間に合わず、女医と自分は不釣り合いと悟る寅次郎が身を引いて幕となる。
 冒頭から渥美清の枯れが目立ち、マドンナとの恋も始めから成就しない友達関係にしかならない。
 そんな煮え切らなさがシナリオにも表れていて、決定的な失恋には至らず、二人の関係は曖昧なまま。三田佳子の茫洋としたキャラクターもこの曖昧さには合っていて、それほど不自然ではない大人の関係になっている。
 臨終を病院で迎えるのか自宅で迎えるべきかという問題提起も織り込まれていて、寅さんともどもテーマが老人問題になっているのがシリーズの年輪を感じさせる。 (評価:2.5)

製作:プロジェクト・エー、アクターズプロモーション、中島丈博
公開:1988年1月23日
監督:中島丈博 製作:根田哲雄、石川洋、阿知波信介 脚本:中島丈博 撮影:林淳一郎 美術:亀岡紀 音楽:近藤等則
キネマ旬報:5位

『祭りの準備』に似て非なる只のノスタルジー
 昭和28年の四万十川が舞台。
 中島丈博の初監督作品だが、自分の脚本を消化しきれないぎごちなさがあって、演出は借り物のように凡庸。俳優の演技も今一つ役になり切れていないところがあって、作為的で不自然なシーンが多い。
 題材としては、同じ中島脚本で黒木和雄が監督した『祭りの準備』(1975)に似ていて、同じようなモチーフが登場。故郷を出て行くのが主人公ではなく主人公の姉で、土地の磁場を振り切る者の視点から描いた『祭りの準備』に対し、土地の磁場に縛られる者の視点から描いたというのが本作の違い。
 ただ傑作であった『祭りの準備』に比べるとテーマが茫洋としていて、配役を含めて演出の力不足は否めない。
 主人公・住男(西川弘志)の姉・泰子(小牧彩里)を縛る磁場の一つは家で、金を稼がない芸術家の父(津川雅彦)はパトロン兼妾宅で別居中。母(吉行和子)は電話交換手の姉のサラリーを家計のアテにしていて、姉と恋人の住男の担任教師(榎木孝明)との結婚も許さない。担任教師は失恋にプラス、てんかんの生徒を死なして土地の磁場に引き寄せられるように自堕落に落ちる。それでプッツンしたのか姉はキャバレーの女給を始め、バスの運転手(斉藤洋介)と付き合い始めるも事故をきっかけに土地を出る決意をする。
 住男が慕う美人で頭もよく働き者で家族思いの姉は、住男に大学に行かせてやるという約束を反故にし、行先も告げない。一家がかつて住んでいた京都かもしれないというだけで、土地に取り残された住男が放り出されたままに終わるが、中島丈博の"郷愁"という言葉の思いも伝わらず、土地を出て行った者の只のノスタルジーに終わっている。 (評価:2)

製作:フジテレビジョン
公開:1988年5月14日
監督:滝田洋二郎 脚本:一色伸幸 撮影:志賀葉一 美術:中澤克巳 音楽:大野克夫
キネマ旬報:8位

子供のチンチンがもろに映っていて今なら児童ポルノ
 谷俊彦の同名小説が原作。
 多摩の新興住宅地に住む守銭奴一家を描くコメディで、中で一人だけ価値観を共有できない息子(伊崎充則)に、母(桃井かおり)の兄夫婦(木内みどり、柄本明)から養子話が来たことから、一家が方針を転換、集めるものを小銭からベルマークに変えるが、耐えきれなくなって元の守銭奴に戻ってしまうという物語。
 失意の息子を父(鹿賀丈史)が福島に住む兄夫婦の家に車で送っていくが、父子の絆は価値観の断絶に勝るということで、父子抱き合って東京に戻るというエンディング。
 息子との愛情よりも金の魔力に負けた父が、ラストでは正しい生き方を求める息子を親子の絆で無理やり物欲の世界に引き戻したようで、今一つしっくりこない。
 人々が精神よりも物欲に走ったバブル時代の作品で、金に踊らされて小銭をけちけち集める木村家の人々が滑稽に描かれるが、やっぱり金の魔力には勝てなかったという結論。ラストシーンは親子の愛情の強さを描いたつもりなのだろうが、結局のところ愛情も金の前にひれ伏してしまっていて、制作スタッフのバブルに洗脳された状況が見てとれる。
 当時、製作のフジテレビもバブルの絶頂期で、まさに時代を象徴するテレビ局だったというのも皮肉。
 伊崎充則が正気を保とうとする健気な息子を演じる一方、姉を演じる岩崎ひろみが揺るぎのない物欲の断固とした現実派の演技がいい。
 子供のチンチンがもろに映っていて、今なら児童ポルノ。子供の前でアヘアヘやセックスについての会話もあって、今なら児童虐待。 (評価:2)

マルサの女2

製作:​伊丹プロダクション
公開:1988年1月15日
監督:伊丹十三 製作:玉置泰、細越省吾 脚本:伊丹十三 撮影:前田米造 美術:中村州志 音楽:本多俊之

風呂敷を広げ過ぎた山本薩夫の社会派ドラマの劣化版
 『マルサの女』のヒットを受けた続編。宮本信子、津川雅彦、大地康雄、桜金造らの査察チームは同じ。
 前作がラブホなどの風俗店の脱税がテーマだったのに対し、今回は宗教法人の税逃れがテーマ。新興宗教団体が宗教法人を隠れ蓑に風俗店や新宿の超高層ビルの地上げを通した収益事業で裏金を得て脱税しているという設定で、ヤクザや銀行、政治家までもが絡むという、いささか大風呂敷を広げた物語になっている。
 宗教法人の税逃れを告発するというテーマには広げた風呂敷が大きすぎて、単に地上げをめぐって政財界・ヤクザの黒い霧を描く社会派娯楽映画になっていて、チンピラだけでなく教団管長までもが捨て駒で、背後にはもっと大きな鼠がいるという工夫のないラストでは、山本薩夫の社会派ドラマの劣化版を見せられているような気になる。
 制作当時としては不動産バブルと銀行の過剰融資が大きな社会問題になっていたこともあって、伊丹としてはそれなりの正義感から制作したのだろうが、底の浅さは免れない。
 前作よりもコメディ色が強くなっているが、大きくリアリティを欠くシーンが随所にあり、社会問題をテーマとするには戯画化の限度を超えていて、説得力を持たない。そうした点では、テレビスペシャル並みの肩の凝らないエンタテイメントで、社会派映画としては失敗している。
 教団管長の三國連太郎の個性が強すぎ、他の俳優陣の影が薄い。宮本信子はキャラを作り過ぎて浮いているし、査察部課長の丹波哲郎も顔がでかくてミスキャスト。その中で、地上げ屋の小松方正がメイク・演技ともにいい味を出している。 (評価:2)

製作:映画「敦煌」委員会
公開:1988年6月25日
監督:佐藤純彌 製作:武田敦、入江雄三 脚本:吉田剛、佐藤純彌 撮影:椎塚彰 美術:徳田博、冠鴻烈 音楽:佐藤勝
ブルーリボン作品賞

莫高窟、ゴビ砂漠の中国ロケをするために製作された映画
 井上靖の同名小説が原作。
 時は11世紀、宗(北宋)の青年・趙行徳(佐藤浩市)が科挙試験に落ち、人身売買されていた西夏の女(三田佳子)を助け、通行証を手に入れたことから西夏に向かい、西夏文字の辞書作り、莫高窟の敦煌文書保存に関わるまでの物語。
 趙行徳が西夏で傭兵の漢人部隊に入れられ隊長(西田敏行)と友情を持ち、ウイグルとの戦いで王女(中川安奈 )を助け恋に落ちるといった通俗エピソードを交え、この王女を西夏皇太子(渡瀬恒彦)に奪われ王女が自殺したことから、隊長ともども敦煌城に立て籠もって迎え撃つ復讐ドラマに仕立てる。結果、敦煌城は焼け落ち、学問を愛する趙行徳によって経典などが焼失を免れたというオチで、型に嵌った筋立てはドラマ性にもストーリー性にも乏しくて、正直つまらない。
 見どころは、製作総指揮の当時大映社長徳間康快が全力で実現した中国ロケで、むしろ原作を利用して中国ロケをするために製作された映画と言っても過言ではない。
 ゴビ砂漠の自然や生き物、陽炎立つ遠景などは、映像的に素晴らしい。大砂漠の中に配置した大量の馬やエキストラも圧巻。ただ、そうした映像的スケールに寄りかかり過ぎて、工夫のない単純な合戦シーンばかりなのは遺憾。そもそも西夏とウイグルがなぜ戦っているかの説明もない。
 莫高窟の映像も当時としては貴重で、NHKスペシャルのようにたっぷりと鑑賞させてくれる。 (評価:2)

帝都物語

製作:エクゼ
公開:1988年1月30日
監督:実相寺昭雄 製作:堤康二 脚本:林海象 撮影:中堀正夫 音楽:石井眞木 美術:木村威夫

大正ロマン的映像美と特撮・銀座オープンセットが見所
 荒俣宏の同名小説が原作。舞台は明治末~大正の東京。式神使いの魔人(嶋田久作)が平将門の怨霊を復活させて東京を破壊するという物語。陰陽道・風水といった当時はやった日本的オカルトがてんこ盛りで、プラス関東大震災・学天則・地下鉄開通・都市計画・将門塚といったオタク東京人受けする要素も多い。
 公開時は、こういった目眩ましに騙されたのかそれなりに面白かった印象があったが、四半世紀経って観直してみると荒唐無稽を通り越してあまりに陳腐。もともとの原作がつまらないのか、シナリオが悪いのか、演出がよくないのか、俳優の演技が悪いのか。
 配役陣は豪華なのだがどれもちょんの間でしかなく、そもそも主役が誰なのかよくわからない。群像劇というにはどのキャラも記号でしかないし、魔人の嶋田は単なる狂言回し。ラストでどうやら石田純一らしいと気づくのだが、それにしてはあまりに大根で、ほんの脇役でしかない平幹二朗、勝新太郎、桂三枝、坂東玉三郎、西村晃等の個性派の中に完全に埋没している。他に、原田美枝子、佐野史郎、宍戸錠、寺田農、大滝秀治、井川比佐志、峰岸徹もいて、石田では完全に力不足。豪華配役陣が裏目に出た。
 この映画の見どころはちょんの間の個性派俳優陣を眺めることと実相寺昭雄の大正ロマンを奏でる映像美、『ウルトラマン』等の特撮で培った技。式神の人形アニメや鬼、護法童子の造形・動きが、銀座のオープンセットを含めてなかなか良い。現在ならCGに頼るところだが、特撮やオープンセットでしか味わえない艶っぽさがある。
 ストーリーと俳優の演技を除けばよくできた作品。 (評価:1.5)

AKIRA

製作:アキラ製作委員会(講談社、毎日放送、バンダイ、博報堂、東宝、レーザーディスク、住友商事、東京ムービー新社)
公開:1988年7月16日
監督:大友克洋 脚本:大友克洋、橋本以蔵 作画監督:なかむらたかし 美術:水谷利春 音楽:芸能山城組

無駄に金をかけただけの作画を見る作品
 大友克洋の同名漫画が原作。
 1988年、新型爆弾により東京が壊滅、東京湾にネオ東京が建設されるという近未来SF。超能力を持つ少年少女を集めて兵器化する研究所に対し、暴走族の少年たちが立ち向かうという当時爆発的なヒット作で、その人気と原作者の我儘から誕生したアニメ映画。
 原作が完結していなかったこともあって、プロローグからいきなりエンディングに進んでしまうというストーリーにもなっていないシナリオで、後に完結した原作同様、大風呂敷を広げたは良いが模様を眺めているだけで畳み方がわからず、最後は空しいだけの?マークで終わる作品。
 もっとも大風呂敷の模様は派手で、ストーリーに飽きなければ無駄に金をかけただけの作画を楽しむ方法もある。
 設定は主人公・金田の暴走族、カワイ子ちゃんのいる反政府ゲリラ、超能力研究所のバックにいる軍部の三つ巴の戦いで、金田にコンプレックスを持つ鉄雄が超能力に覚醒、制御出来ない程に暴発してしまう。最終決戦は、建設中の地下に研究施設のあるオリンピックスタジアムで、2020年開催というのが受ける。 (評価:1.5)

ぼくらの七日間戦争

製作:角川春樹事務所
公開:1988年8月13日
監督:菅原比呂志 製作:角川春樹 脚本:前田順之介、菅原比呂志 撮影:河崎敏 美術:小澤秀高 音楽:小室哲哉

思春期の子供のためのカタルシスしか残さない
 宗田理の同名小説が原作。
 本作の見どころはただ一つで、これが映画デビューとなる宮沢りえのホットパンツ姿が拝めることだけ。
 管理教育に反発した中学1年坊主たちが、なぜか学校ではなく、廃工場に立て籠もるという話。校長・教頭(金田龍之介、笹野高史)をはじめとする教師たちの描写が『青い山脈』以来、綿々と続いてきた類型的キャラクター像で、一人だけ話の分かる民主的な女教師(賀来千香子)がいるのも同じ。1960年代の青春学園ドラマの中学生版を見せられた感じで、中学生の学園紛争ごっこ、浅間山荘ごっこはバカバカしくて見てられない。
 話の唐突さや辻褄の合わなさ加減は置いても、子供たちの立て籠もりは体制との戦いというよりはエスケープないしはトム・ソーヤごっこ。放っておけばいいのに、それを真面目に相手をしている教師や大人たちにも白け、何を描きたいのか制作者の意図がさっぱり見えてこない。
 大人や大人になる自分に対して破壊行動をとって気晴らしをするだけという、思春期の子供のためのカタルシスしか残さない。
 佐野史郎と倉田保昭の剛腕教師ぶりが憎たらしくて良い。 (評価:1)