海月衛 映画帖
~映画の大海原をたゆたう~

日本映画レビュー──1977年

製作:表現社
公開:1977年11月19日
監督:篠田正浩 製作:岩下清、飯泉征吉 脚本:長谷部慶治、篠田正浩 撮影:宮川一夫 音楽:武満徹 美術:栗津潔
キネマ旬報:3位

瞽女たちの心の目に映る自然の美しいカメラワーク
 原作は水上勉の同名小説。舞台は大正時代の北陸で、第一次世界大戦後のシベリア出兵の話が出てくる。瞽女(ごぜ)は門付けをして歩く盲目の女芸人のこと。
 男と寝たために一座から追放されてはなれ瞽女となったおりん(岩下志麻)が、山の阿弥陀堂で男(原田芳雄)に出会い、昔語りをするところから物語は始まる。おりんは若狭の海沿いの村に生まれたが、盲目のために母に捨てられ、越後・高田の瞽女屋敷に引き取られて芸を仕込まれた。おりんは男と共に旅をすることになり、やがて男が作った下駄を縁日で売るようになり、瞽女をやめる。貧しいながらもささやかな幸せな日々が訪れるが、縁日の鑑札でヤクザと揉めたことが発端となって二人を不幸が襲う。
 この映画のポイントは、男が瞽女のおりんを仏様のようだと美化し崇め、決して手を触れないこと。おりんがなぜ抱かないのかと訊くと、抱いたら今までの男たち同様に別離があるだけで、おりんと一緒にいたいから抱かないのだと答える。一度離れ離れになった二人が再会して男がおりんを抱いた時、真の別離が訪れるという悲劇の伏線になっている。
 公開時に観た時には、この男の心情が今ひとつ理解できなかったが、歳をとって観直してみて原田の演技に感服する。瞽女の女将・奈良岡朋子はもちろんだが、西田敏行もいい。とりわけ、同じはなれ瞽女として後半に登場する樹木希林が抜群。憲兵役で小林薫も出ているが、舞台風でまだ演技が硬い。
 宮川一夫のカメラが捉える北陸の自然は美しく、目の見えない瞽女たちがその中を通り過ぎる時、蕗の薹や蕨や土筆が彼女たちの心の目に映り、肌に感じる風景だと伝わる、そのカメラワークは必見。
 ラストでおりんが憲兵に問われて、盲なので原田をいつも心の目で見ていた、という台詞が泣かせる。 (評価:3.5)

製作:近代映画協会、ジァンジァン
公開:1977年3月17日
監督:新藤兼人 製作:高嶋進、佐藤貞樹、能登節雄、赤司学文 脚本:新藤兼人 撮影:黒田清巳 美術:大谷和正 音楽:林光
キネマ旬報:2位

貧しさと対照的な日本の自然の美しさが胸に染みる
 津軽三味線の名手で、津軽三味線の存在を全国に広めた高橋竹山の放浪を描いた伝記もの。
 冒頭、ジャンジャンでの高橋竹山での語りから始まり、誕生からの物語へと移っていく演出がいい。
 視力を失ってから母の計らいで津軽三味線の師匠(観世栄夫)に預けられ、幼少期を経て少年となり独立して門付けを始めるが、坊様と呼ばれる乞食同然の放浪生活。
 大正から昭和にかけての盲人の棄民状態を描きながらも、定蔵(竹山)に一人で生きる術を与え、嫁を与え、遠く離れながらも常に見守り続ける母の愛情が温かい。
 その母を乙羽信子が演じて本作を感動的にしているが、成人してからの定蔵を林隆三が演じる。前半は元気すぎて、竹山の音楽から受けるイメージに程遠く感じられるが、次第に逞しくも純粋でナイーブな人間へと変化していく。
 定蔵の最初の妻に島村佳江、次の情人を伊佐山ひろ子、第二の妻を倍賞美津子が演じるが、按摩となるために入る盲学校で教師の子を身籠った少女(吉田さより)へのやさしさが、高橋竹山の音楽の真髄に通じるエピソードとなっている。
 このドラマと並行し、定蔵の放浪とともに描き出される北海道から東北の寒村風景が素晴らしく、貧しさとは対照的な日本の自然の美しさが胸に染み、とりわけ雪景色が素晴らしい。
 三味線を手に歩いたそうした風景と風土が定蔵の見えない目に染みこみ、高橋竹山の津軽三味線の音色と音楽となったことが伝わってきて、その調べとともに日本の原風景へのノスタルジーに溢れた作品となっている。
 定蔵の道連れとなる泥棒の川谷拓三が味のある演技で好演。 (評価:3.5)

製作:松竹
公開:1977年10月01日
監督:山田洋次 製作:名島徹 脚本:山田洋次、朝間義隆 撮影:高羽哲夫 音楽:佐藤勝 美術:出川三男
キネマ旬報:1位
毎日映画コンクール大賞 ブルーリボン作品賞

どこにも売ってない黄色いハンカチ自体がファンタジー
 ピート・ハミルの"Going Home"が原作。
 網走刑務所を出所した高倉健が、途中ドライブ旅行の男女(武田鉄矢、桃井かおり)の車に乗り合わせ、別れた妻(倍賞千恵子)のいる夕張の家に帰るまでのロードムービー。出所後に出したハガキで、まだ一人で暮らしているなら目印に鯉幟の棹に黄色いハンカチを吊るしてほしい、なければそのまま家には帰らない、というのが良く知られたクライマックスの伏線。夕張が近づき、躊躇する健さんを桃井が説得し・・・観客の思いが一つになるという、良くできた脚本。
 公開から40年近く経って観直すと、結末がわかっていることもあり、冷静に見られてしまい、感情移入が今ひとつ。流産した妻の過去をなじって家を飛び出し、酔っ払いと喧嘩して死なせてしまう。同情も情状酌量の余地もなく懲役6年。そんな男を黄色いハンカチで歓迎するという作品コンセプトに疑問符がついてしまう。
 武田と桃井も相当にやかましい上にうざい、軽佻浮薄な男女を演じるが、その二人が高倉と倍賞の夫婦愛に触れて真実の愛に目覚める、というのが山田洋次のテーマだが、そんなラストシーンも一時の熱病で、明日には別れてしまいそうなくらいに軽い。
 高倉も倍賞も、武田も桃井も一時の熱病に罹っているだけで、実はそれを観ている観客も同じ熱病に冒されているだけ、というのが山田の狙いならそれもあるが、そんなはずはない。
 綿菓子のようにふわふわして甘いだけの、芯のない男女の恋愛ファンタジーで、冷静に考えれば、真っ黄色のハンカチなど巷で見たこともなく、黄色いハンカチそれ自体がファンタジーともいえる。
 本作もまた高倉健を見るための映画で、どんな人でなしでも健さんなら誰もが許してしまうということでキネ旬1位に選ばれたが、演技は相当に大根で、そんな高倉に長台詞を言わせた山田の勇気に感服。 (評価:2.5)

製作:東宝映画
公開:1977年4月2日
監督:市川崑 製作:田中収、市川崑 脚本:久里子亭 撮影:長谷川清 美術:村木忍 音楽:村井邦彦
キネマ旬報:6位

市川崑ならではの極彩色な死体の造形美が見どころ
 原作は横溝正史の同名小説。
 市川崑監督・石坂浩二主演の『犬神家の一族』に続く金田一耕助シリーズ第2作。製作は角川映画から東宝に代わった。
 登場人物が多いために推理物としては話が分かりにくいが、手毬唄に合わせて連続殺人が起きるあたりからは人物相関もはっきりしてくる。もっとも、それと同時に犯人がわかってしまうというのが少々残念なところ。演出的には、騙し打ちなしで伏線をきちんと見せている正統派推理ドラマ。
 岡山の山村が舞台で、満州事変の始まった昭和6年、世界恐慌に続く農業恐慌の時に、詐欺師が村に現れて・・・というのが全体の伏線。詐欺師に夫を殺された旅館の未亡人(岸恵子)が主人公で、夫がサイレントの弁士。トーキーに代わったために失業したという歴史背景も丁寧に説明されていて、単なる推理ドラマには終わらせていないのは立派。
 物語はそれから20年後に、この因縁に絡んだ殺人事件が起きるというよくできた設定。
 見どころの一番は、市川崑の演出で、オープニングが殺人事件の原因となる若い男女のキスシーンのロングショットから始まるという、市川らしい映像が期待感を盛り上げる。タイトルの入るタイミングも絶妙で、以降、ロングショットとズームイン・アウトの効果的な挿入がいかにも市川らしい。
 寂れた日本家屋の屋内シーンも雰囲気十分。とりわけ極彩色な色彩感覚と衝撃的な死体の造形は、市川ならではの見どころとなっている。振袖に三角桝を口に咥えて水に横たわる死体、小判の飾りをつけて風呂から首を出す死体は、前衛芸術的でさえある。
 古い映画のシーンもあってマニア受けのする作品。老刑事役の若山富三郎がいい。 (評価:2.5)

製作:橋本プロ、東宝、シナノ企画
公開:1977年06月18日
監督:森谷司郎 製作:橋本忍、野村芳太郎、田中友幸 脚本:橋本忍 撮影:木村大作 音楽:芥川也寸志 美術:阿久根巖
キネマ旬報:4位

青森歩兵第5連隊同様に吹雪に彷徨して遭難した作品
 新田次郎の『八甲田山死の彷徨』が原作。
 明治35年の八甲田雪中行軍遭難事件を基にしたノンフィクション的フィクション。遭難した青森隊と無事帰還した弘前隊の指導者・体制・指揮の対照を描くためにかなり情緒的。吹雪のシーンだけでは単調とばかりに春の花咲く美しい八甲田のイメージシーンが何度も挿入されるが、緒形拳とお花畑は似合わないなど、背中がもぞもぞする。
 行軍の失敗を理性ではなく情緒で訴えるという中途半端さが最後まで続き、本作のテーマが(あればの話だが)よくわからないままに終わる。2頭立ての馬車では彷徨するという組織論、あるいは高倉健のような独断専行の人格者が必要という指導者論なのか、無謀な陸軍批判なのか・・・よくわからないが、どれがテーマでもあまりにつまらない。
 それでセンチメントに訴える、上層部はバカだ、可哀そうなのは下士官や兵卒だというわかりやすい感情のはけ口だけを作って溜飲を下げる映画でお茶を濁したのか。
 本来の主人公は北大路欣也で、「天は我々を見放したか」をいうのも北大路。しかしクレジットの主役は高倉健というのも、本作のどっちつかずの印象を強めている。高倉、三國連太郎の役がステレオタイプで、健さんしか演じられない高倉はともかく、何のために三國を出演させたのか意味がない。
 緒形、加山雄三、小林桂樹、丹波哲郎、大滝秀治、藤岡琢也、加藤嘉等々、大根・芸達者入り乱れた配役陣だが、これといった演技もなく、紅一点・秋吉久美子の可愛らしさも寂しい。北大路と妻の栗原小巻くらいが演技してるといえば演技しているくらい。
 すべては八甲田の吹雪に彷徨して凍てつき、遭難してしまった作品。 (評価:2.5)

男はつらいよ 寅次郎と殿様

製作:松竹​
公開:1977年8月6日
監督:山田洋次 製作:島津清 脚本:山田洋次、朝間義隆 撮影:高羽哲夫 美術:出川三男 音楽:山本直純

嵐寛寿郎が大活躍でマドンナの影が薄い
 寅さんシリーズの第19作。マドンナは真野響子で、伊予大洲の殿様の息子と死別した未亡人。
 夫の墓参りの際に寅次郎と知り合うが、身分違いの結婚に反対されていたため夫の実家には立ち寄らずに帰京。
 一方の寅次郎は殿様にラムネを奢った縁で屋敷に逗留、出会った女がそれとは知らず、殿様に嫁捜しを安請け合いする。
 寅を追いかけて殿様も上京、寅はマリコという名前だけを頼りに東奔西走、諦めかけたところでマリコが虎屋を訪れるという棚ボタで、ご都合主義の目立つストーリーだが、そこは喜劇の範囲内。
 全体にさほど出来のいいシナリオではないが、殿様役の嵐寛寿郎が年季の入ったおとぼけで楽しく見せる。
 終盤、殿様からマリコと寅次郎が再婚して、屋敷に同居することを望む手紙が届き、ようやくマドンナの出番となるが、マリコには好きな相手がいて、寅次郎ともども殿様もフラれるというお約束のオチ。
 副題どおり嵐寛寿郎が大活躍で、マドンナの影が薄いという曲がり角の作品になっている。 (評価:2.5)

日本の仁義

製作:東映京都​
公開:1977年5月28日
監督:中島貞夫 脚本:神波史男、松田寛夫、中島貞夫 撮影:増田敏雄 美術:井川徳道 音楽:青山八郎

自滅する菅原文太との任侠の仁義を鶴田浩二が演じる
 1950年代の徳島県小松島市での山口組と本多会の代理戦争がモデル。
 神戸で山口組と勢力を二分した本多会の盛衰を描いたヤクザ映画。
 本多会がモデルの新宮会会長・新宮(藤田進)は、千田組(山口組がモデル)との抗争収拾のため、須藤(菅原文太)を二代目に指名してに会長を引退する。
 須藤は夕刊紙記者・関(林隆三)から手に入れたスキャンダルをネタに阪鉄社長(岡田英次)を脅して利権を手に入れるが、対立する千田組若頭(佐藤慶)と幹部(成田三樹夫)が須藤に不満を持つ新宮会系暴力団を切り崩し、脱会させる。
 以下、千田組、警察の包囲網の中で崩壊する新宮会と自滅していく須藤を描くが、阪鉄利権を手に堅気になって須藤を利用した新宮に破門され、最後は右腕の須藤組若頭・木暮(千葉真一)の裏切りによって射殺されてしまうという悲劇に終わる。
 その須藤を最後まで見守るのが兄貴分の大橋(鶴田浩二)で、遺志を継いで千田組先代組長の法要を襲撃するラストシーン。鶴田浩二らしい任侠の仁義を演じる。
 藤田進、岡田英次、佐藤慶を始め、大橋の妹にして須藤の妻に岡田茉莉子、須藤の妾に池波志乃、大橋組幹部にフランキー堺という異色のオールスターキャスト。大野伴睦をモデルとする政治家に小松方正。 (評価:2.5)

やくざ戦争 日本の首領

製作:東映京都​
公開:1977年1月22日
監督:中島貞夫 製作:岡田茂 脚本:高田宏治 撮影:増田敏雄 美術:井川徳道 音楽:黛敏郎、伊部晴美

任侠から経済ヤクザへと転換する暴力団の変質を描く
 山口組三代目組長・田岡一雄をモデルにした実録風フィクションで、昭和40年代からの山口組の勢力拡大、関東進出、稲川会との衝突、第一次頂上作戦から若頭・地道行雄の死までが描かれる。
 劇中では、山口組は中島組、田岡一雄は佐倉(佐分利信)、地道行雄は辰巳(鶴田浩二)に置き換えられ、錦政会(稲川会)は錦城会、その理事を菅原文太が演じ、ほか千葉真一、渡瀬恒彦、小池朝雄、梅宮辰夫、金子信雄、神田隆、内田朝雄など東映オールスターの重厚な布陣となっている。
 紡績会社社長(高橋昌也)のハニートラップを収拾するため常務(西村晃)が中島組に助けを求め、両者の関係が深まっていく。常務は関西企業グループをまとめて中島組に上納。一方、中島組は組織拡大のために東征、東京湾のコンビナート埋立を巡って錦城会と抗争。警察は中島組を解散に追い込もうとするという流れ。
 これに佐倉の長女・登志子(二宮さよ子)と医師・一宮(高橋悦史)の結婚問題、左翼運動の高まりに危機感を持つ右翼らの暴力団を巻き込んだ政治団体結成の策動が並行して描かれるが、終盤で入院中の辰巳が山口組解散を警察に届けようとするのを一宮が薬殺し、佐倉ファミリーの一員となったことを宣言するラストとなる。
 任侠から経済ヤクザへと転換する暴力団の変質を描いていて、旧態依然の武闘派の迫田(千葉真一)が自滅し、近代的な犯罪組織に変貌するヤクザ映画となっている。
 2時間余りの上映時間は山口組の歴史を描くには短いが、観る方にはいささか長すぎて、若干飽きる。
 内田朝雄演じる大山は児玉誉士夫、神田隆の小野は大野伴睦がモデル。金子信雄の田口はモデルの田中彰治にそっくりの名演。 (評価:2.5)

製作:東宝映像​
公開:1977年7月30日
監督:大林宣彦 製作:大林宣彦、山田順彦 脚本:桂千穂 撮影:阪本善尚 美術:薩谷和夫 音楽:小林亜星、ミッキー吉野

映画がまだ映像の魔術であった時代への原点回帰
 CMディレクターだった大林宣彦の初の商業用映画監督作品で、従来の劇映画の文法を破ったオモチャ箱をひっくり返したような映像が画期的だった。アニメーションや合成、映像加工、現像処理、切り貼りのような編集ととにかく忙しく、半世紀近く経って観ると結構疲れる。
 当時はCM的なポップで前衛的な映像と思ったが、見返すと意外とジョルジュ・メリエスの『月世界旅行』(1902)を髣髴させて、映画がまだ映像の魔術であった時代への原点回帰であることに気付かされる。
 本作にはそうした映像の非日常性、不可思議といったものが横溢していて、それはホラー映画という非日常性、不可思議と重なり合うことによって表現される。
 物語は夏休みに女子高生オシャレ(池上季実子)がクラスメート6人を誘って山奥に住む叔母(南田洋子)の家に遊びに行くというもので、実は叔母は亡くなっていて家と一体化していたというもの。叔母が若さを取り戻すために7人の女の子たちを食べてしまう過程がコミカルに描かれる。
 いわば食人化け物屋敷だが、叔母が化け物になったのには理由があって、戦争に奪われた恋人を待ち続けていたことで精霊化したというもの。いわば猫又なのだが、恋人への一途な思い、すなわち愛は不滅なものとして時を超えて生き続けるという、晩年の大林作品にも共通するテーマが顔を出している。
 クラスメートに大場久美子、松原愛、神保美喜といった当時のアイドルたちが起用され、笹沢左保、尾崎紀世彦、小林亜星、三浦友和、檀ふみ、鰐淵晴子、石上三登志、ゴダイゴといった賑やかな顔ぶれで、如何にもなCM的キャスティングがポップだが、反面の軽さは否めない。 (評価:2.5)

製作:左プロ、国鉄労働組合
公開:1977年9月11日
監督:左幸子 製作:左幸子 脚本:宮本研 撮影:瀬川順一 美術:育野重一 音楽:三木稔
キネマ旬報:10位

労働者階級も専業主婦を理想としたプチブル社会派作品
 左幸子の初監督作品。
 北海道で保線区員として30年間真面目に働いてきた国鉄マンの物語。JR北海道が民営化される以前の話で、十年後に民営化されることなど夢にも思ってなく、半世紀近く経って見ると、現在のJR北海道が抱えている諸問題、安全管理の不祥事の続発や企業統治、経営の問題の根源を本作に見出すことができる。
 物語は主人公の市蔵(井川比佐志)が保線一筋に「遠い一本の道」を歩んできたことが語られ、組合運動に参加しているためにで出世が遅れたり、給与が上がらなかったりという不満が語られる。そのため妻(左幸子)が働かなくてすむ給与を求めるのだが、男女の社会参加が当たり前の現在からは、労働者階級でさえ専業主婦を理想とする感覚が保守的に映る。
 合理化の波が押し寄せて保線作業にも機械化が導入されるが、職を奪うとして反対し、職人の勘や手作業を正当化する。第二次産業革命以来の近代化の象徴であった鉄道が、1世紀を経れば近代化に抵抗して手工業に先祖返りするという矛盾。IT技術者もいずれは近代化に反対するようになり、保守反動化するという人間の歴史は繰り返されるのか?
 「遠い一本の道」を歩む頑固一徹な市蔵という人物像は、娘の結婚には父親の許可が必要という家父長的な思考に表れるように、因習から脱皮できない蒙昧な父親でしかない。一方の妻もお喋りが夫の昇進試験の勉強を邪魔していることに気づかないか、気づいていて嫌がらせをしているかのどちらかで、その自己本位な姿が見ていて気に障る。
 ラストは、1974年に閉山された軍艦島の炭鉱労働者に国鉄労働者を重ねて、どちらも国策に振り回される犠牲者という描かれ方をするが、自分の足で立とうとしない、国策におんぶにだっこの親方日の丸にしか見えないのが辛い。
 国労が製作に加わっているが、国鉄の撮影許可が必要なシーンが多々あり、内容的に当局が許可するとは思えないのだが、当時は国労の許可だけで撮影できて、それに会社側が異議を唱えられなかったのでは? という歪な労使関係が垣間見える。
 社会派作品を作ったつもりが、半世紀経てば黴の生えたプロレタリア作品でしかない。 (評価:2)

西陣心中

製作:たかばやしよういちプロ・​A​T​G​
公開:1977年10月15日
監督:高林陽一 脚本:高田宏治 撮影:高林陽一 音楽:高林博子 美術:藤谷辰太郎、細谷照美

京都は鬼そのものという京都人が描く京都の嫌らしさ
 ​監​督​の​高​林​陽​一​は​京​都​市​出​身​。​『​本​陣​殺​人​事​件​』​『​金​閣​寺​』​に​続​く​作​品​だ​が​、​本​作​以​降​パ​ッ​と​し​な​か​っ​た​。
​ ​オ​リ​ジ​ナ​ル​脚​本​で​、​良​く​も​悪​く​も​京​都​の​匂​い​が​染​み​付​い​て​い​る​。​京​都​人​は​保​守​的​で​裏​表​が​あ​り​意​地​が​悪​い​と​さ​れ​る​が​、​西​陣​を​舞​台​と​し​て​い​る​だ​け​に​京​都​の​本​領​を​発​揮​し​て​い​る​。​京​都​以​外​の​人​間​が​京​都​人​を​理​解​す​る​に​は​最​適​の​教​材​で​、​主​人​公​以​外​の​登​場​人​物​を​嫌​ら​し​い​と​感​じ​た​な​ら​ば​、​そ​れ​が​京​都​人​と​い​う​こ​と​に​な​る​。
​ ​そ​れ​以​外​に​何​か​あ​る​か​と​言​え​ば​、​京​都​フ​ァ​ン​に​は​そ​の​雰​囲​気​が​心​地​い​い​が​、​そ​う​で​な​け​れ​ば​特​に​な​い​。​せ​い​ぜ​い​が​島​村​佳​江​の​ヌ​ー​ド​が​見​ら​れ​る​く​ら​い​で​、​あ​と​は​西​陣​に​使​わ​れ​る​絹​糸​が​き​れ​い​な​く​ら​い​。
​ ​島​村​は​美​女​に​化​身​し​た​鬼​で​、​全​体​は​サ​イ​コ​・​ホ​ラ​ー​風​。​男​た​ち​は​次​々​魅​入​ら​れ​て​い​く​が​、​島​村​は​死​ん​で​も​生​き​返​る​本​物​の​鬼​。​彼​女​が​愛​す​る​の​は​京​都​の​美​=​西​陣​織​で​、​そ​の​織​り​手​の​繊​細​な​手​。​最​後​に​心​中​す​る​男​の​手​を​愛​し​て​い​る​。​そ​の​手​に​比​べ​れ​ば​男​も​金​も​売​春​も​取​る​に​足​ら​な​い​。
​ ​A​T​G​的​に​意​味​づ​け​る​な​ら​、​彼​女​は​京​都​そ​の​も​の​で​、​人​を​魅​了​す​る​京​都​は​鬼​そ​の​も​の​と​い​う​こ​と​に​な​る​。​そ​れ​自​体​、​京​都​人​以​外​に​は​ど​う​で​も​い​い​こ​と​で​、​こ​の​作​品​を​監​督​し​た​高​林​自​身​が​京​都​の​嫌​ら​し​さ​を​体​現​し​て​い​る​と​い​え​る​。 (評価:2)

男はつらいよ 寅次郎頑張れ!

製作:松竹​
公開:1977年12月29日
監督:山田洋次 製作:島津清 脚本:山田洋次、朝間義隆 撮影:高羽哲夫 美術:出川光男 音楽:山本直純

マドンナ・藤村志保のカマトトぶりに無理がある
​ 寅さんシリーズの第20作。マドンナは藤村志保で、平戸の土産物屋の未亡人。弟(中村雅俊)が虎屋に下宿したのが知り合う縁となる。
 弟にも大竹しのぶのマドンナがあてがわれ、年増マドンナを補うための第16作『葛飾立志篇』、第18作『寅次郎純情詩集』に続く、若手女優起用のダブル・マドンナ路線。
 もっとも、苦し紛れに付けたタイトルが示すように、内容に乏しい苦しい出来になっている。
 下宿人の電気工(中村雅俊)が蕎麦屋の女店員(大竹しのぶ)にホの字なのを見抜いた寅次郎が一肌脱いで取り持つが、勘違いから電気工はフラれたと思いガス自殺を図る。ところがタバコの火が元で虎屋の2階で大爆発、電気工は郷里の平戸に帰ってしまう。
 心配した寅次郎が平戸に行くと姉との二人暮らしで、寅次郎に恋心が芽生え、土産物屋の押しかけ店員となるという寸法。
 失恋の誤解が解けて、留守を寅次郎に託して姉弟が上京、寅次郎は居ても立ってもいられなくなり、後を追って上京する。万事丸く収まるが、収まらないのが寅次郎の恋心で、寅次郎の好意を姉が親切と勘違いしているのを知って寅次郎は旅に出る。
 まとまってはいるが破綻のない予定調和のシナリオで、電気工に蕎麦屋の店員と山田洋次のプロレタリアートな青春恋愛劇。大竹しのぶに恋をしない善いオジサンの寅次郎も脂が抜け、器量良しとはいえない藤村志保もマドンナには役不足で、寅次郎の恋心に気づかないというカマトトぶりに無理がある。
 大間違いなのはガス爆発で虎屋を半壊させてしまうことで、シナリオの味の悪さが目につく。 (評価:2)

製作:東映東京
公開:1977年10月1日
監督:寺山修司 脚本:石森史郎、岸田理生、寺山修司 撮影:鈴木達夫 美術:桑名忠之 音楽:J・A・シーザー
キネマ旬報:8位

『あしたのジョー』にどこか似通っている
 ボクシング好きの寺山修司のボクシング愛が詰まった作品だが、偏愛はともして客観性を失い独りよがりになりがちで、本作がそれ。
 脚の悪い青年(清水健太郎)が新人王戦に勝つまでの物語で、コーチをするのが元東洋チャンプ(菅原文太)。それぞれに曰くがあって、菅原は勝ち試合を突然放棄して引退、清水は好きな女と婚約した菅原の弟を事故で死なせてしまう。
 清水は脚が悪いためにボクシングジムから見限られ、弟の恨みを持つ菅原にコーチを依頼。それからは、ジョーと段平の二人三脚が始まるといった寸法で、力石の葬式まで挙げた寺山修司が好きな『あしたのジョー』にどこか似通っている。
 舞台の町もどこぞの下町風で、都電が走る割には木場で特訓とわけが分からないが、70年代には死語となっていたパン助まで登場して、泪橋を髣髴させる人々が汚い食堂に集う。
 この人々が寺山作品らしいのを除けば、シナリオも演出も見ていて恥ずかしくなるぐらいに臭くて陳腐。
 男たちはなぜ拳で殴り合うのか? ともっともらしい台詞も回収がなくて、菅原がボクシングを辞めた理由もわからず仕舞い。
 往年の世界チャンプ、輪島功一、具志堅用高、ファイティング原田、ガッツ石松も仰々しくゲスト出演するが、往年のボクシングファン以外には、その人誰? かもしれない。 (評価:2)

惑星大戦争

製作:東宝映画、東宝映像​
公開:1977年12月17日
監督:福田純 製作:田中友幸、田中文雄 脚本:中西隆三、永原秀一 撮影:逢沢譲 美術:薩谷和夫 音楽:津島利章 特技監督:中野昭慶

見どころは必要性のない浅野ゆう子のホットパンツ姿
​ 『スター・ウォーズ』(1977)の全米ヒットを受けて制作された作品で、『スター・ウォーズ』には及ばないものの、俄か作りながら東宝の特撮技術を駆使し、非常に丁寧な特撮作品に仕上がっている。
 この特撮シーンだけを見れば、評価してあげても良いが、とにかくシナリオがスカスカ。
 主役の森田健作とヒロイン・浅野ゆう子はともかく、大滝秀治・池部良まで投入して俳優陣を固め、シリアスな演出で頑張っていて、シーンだけ切り取れば本格作品に見えるのだが、シナリオの空疎だけは埋めようがない。
 『海底軍艦』(1963)をベースにしていて、ムウ帝国が異星人、海底軍艦が宇宙船・轟天に置き換わり、異星人に誘拐されるのが高島忠夫・藤山陽子から浅野ゆう子となり、中身のなさも引き継いでいる。
 金星を基地にした異星人の襲来を受け、建造を中止していたスーパー戦艦・轟天を完成させ、国連宇宙局・宇宙防衛軍が金星に出撃する、というだけの話。
 これに森田健作と沖雅也の婚約者・浅野ゆう子の昔の恋が復活し、ラストで沖雅也が戦死。異星人を倒し、二人が結ばれてメデタシメデタシという、なんともいえないストーリー。
 シナリオの薄さを救うべく、特撮シーンが大部分を占めていて、その点では上手く作っている。
 見どころは特撮シーンがすべてで、『スター・ウォーズ』のデザインとスピード感はないが、各カットが手抜きなく丁寧に撮影されているのが好印象。
 スカスカのシナリオを救うべく、大滝秀治・池部良が演技で穴埋めするが、もう一つの見どころは必要性のない浅野ゆう子のホットパンツ姿で、地味な作品に華を添えている。 (評価:2)

製作:松竹、バーニングプロ
公開:1977年4月29日
監督:山根成之 製作:樋口清 脚本:中島丈博、山根成之 撮影:坂本典隆 美術:重田重盛 音楽:三原綱木
キネマ旬報:9位

中島丈博とは思えないおざなりなシナリオ
 郷ひろみ主演のアイドル映画で、ヒロインは秋吉久美子。
 アイドル映画ならお子様ランチで十分といった感じの中島丈博とは思えないおざなりなシナリオで、キネ旬ベストテンに入ったのが不思議なくらいの作品。バーニングの威光か、それともこの年がよほど不作だったのか、邦画の低迷期を象徴する。
 文無し無職の少年(郷ひろみ)が、交通事故がきっかけで准看護婦の少女(秋吉久美子)と知り合い同棲するが、妊娠をきっかけに不和となり、少女が交通事故で流産。入院費を捻出するために少年は恐喝を働いて逮捕。
 少女は少年と別れて水商売で自活するが、得意客との温泉旅行でタクシー運転手となった少年とバッタリ。新婚旅行と嘘をつき、それぞれに涙の別れとなるという悲恋物語。
 少年は金持ちの両親が離婚・再婚したために、どちらからも邪魔者となって家出。少女は母が子連れ再婚した福井の実家に居所がなく、それぞれに孤独を抱えた者同士という設定だが、人物設定は薄っぺらく、二人とも若干頭が足りないのではないかと思わせるストーリー。もっとも演出や演技ではそうなってないので、自ら不幸を招いたカップルのバッドエンド以外に何を描きたかったのかさっぱりわからない。
 タイトル字幕を含め、同一カットの繰り返しや、突然のストップモーションを繰り返すという意図も意味不明。
 郷ひろみが主役なのに、秋吉久美子のアイドル映画のような雰囲気もあって、あるいは山根成之の抵抗だったのかと邪推してしまう。見どころは少女と大人の女を演じ分ける秋吉久美子の演技・メイク・衣装か。 (評価:1.5)