海月衛 映画帖
~映画の大海原をたゆたう~

日本映画レビュー──1978年

製作:ATG、行動社、木村プロダクション
公開:1978年04月29日
監督:増村保造 製作:藤井浩明、木村元保、西村隆平 脚本:白坂依志夫、増村保造 撮影:小林節雄 音楽:宇崎竜童 美術:間野重雄
キネマ旬報:2位

極楽でなく地獄に引っ張られそうな梶芽衣子迫真の演技
 近松門左衛門の人形浄瑠璃が原作。映画では徳兵衛の濡れ衣が晴れる等の歌舞伎の場面が入っている。
 道行きの場面から始まり、二人が心中するに至った物語を描きながら、ラストに露天神で情死する場面で終る。人物の所作や台詞回しは浄瑠璃を取り入れた演出で、近松心中物の独特な様式美が展開される。
 とりわけ徳兵衛・お初の演技は徹底していて、梶芽衣子のお初に至っては道行きでしっかと徳兵衛を?まえて歩く場面は最高。終始鬼気迫るものがあって、この映画は梶芽衣子の熱演のためにあると言って過言ではない。女囚さそりの松島ナミには殺されてもいいと思える可愛さがあったが、お初には殺されたくないと思わせるくらいの凄味がある。徳兵衛を極楽に行こうと誘うが、地獄に道連れされそうな怖さがある。
 一方の徳兵衛・宇崎竜童は役者としては素人だが、まるで梶に操られた傀儡(くぐつ)のように浄瑠璃の芝居を力演している。
 この映画は非常にロマンチックで、死神にとり憑かれたかのように死に向かって猛進する梶が、一転、心中の場面で吐露する無垢な思いが涙を誘う。朝の光の中に浮かび上がる愛に殉じた二人の姿はどこまでも美しく、声明(しょうみょう)と仏像のやさしい顔によって、二人が極楽往生したことを象徴する。
 天満屋のセットと撮影も良く、増村保造円熟期の佳作。 (評価:4)

製作:日活
公開:1978年8月19日
監督:藤田敏八 製作:岡田裕 脚本:藤田敏八、中岡京平 撮影:前田米造 美術:渡辺平八郎 音楽:アリス
キネマ旬報:5位

青春の夢と挫折のほろ苦い思い出の中に希望が残る
 中岡京平の第3回城戸賞受賞作脚本『夏の栄光』が原作。
 長野県飯田から上京して小説家を目指している青年(永島敏行)が主人公。父が交通事故死し、葬儀のために帰省する列車の中で偶然、高校時代の級友と一緒になり、当時を回想するという構成になっている。
 喫茶店のウェイトレス(浅野真弓)に恋した主人公と、彼女の従弟で同じ高校に通う少年(江藤潤)との友情物語を縦軸に描くが、その思い出のすべては青春のほろ苦さに満ちていて、主人公だけでなく周囲のすべての人間の夢と挫折の屈折した思いに彩られている。
 永島の家庭は複雑で、父は若い女を作って別居しているが、母(朝丘雪路)は離婚に同意しない。
 江藤の従姉は、妻帯者(中尾彬)と交際していてその子供を宿しているが、男は態度をはっきりさせない。
 元同級生の少女(竹田かほり)は、都会で美容師となるがセクハラを受けて2年ぶりに帰郷。永島は少女と初体験するが、実家(吉行和子)の小料理屋が潰れ、少女は再び大阪に旅立つ。
 そして親友となった江藤は、天竜川の川下りのバイト中に永島を助けようとして片足を失う。江藤は競輪選手を目指していた。
 6年後の永島自身、キャバレーのボーイで自活していて、小説家になる夢を果たせてなく、同棲しているホステス(根岸季衣)が妻であることを家族に公認させようと無断で列車に乗り込んでくる。
 それとは対照的に列車で出会った級友は、可愛い新妻を連れて帰省するところで、防大を出て上官の娘をもらったと言う。しかし主人公たちの高校は工業科で、自衛官の道を選んだ優等生に永島は釈然としない思いをする。
 そうした屈折した青春群像の一人ひとりの人物描写が丁寧に繊細に描かれていて、完成度の高い青春映画となっている。
 とりわけ江藤潤が、徐々に深まっていく友情を素晴らしい演技で見せる。心は別の女にあると知っても主人公に思いを寄せ続ける少女の切ない心を演じる竹田かほりも、抱きしめたくなるくらいに可愛い。
 親友の死を知るという思いがけない結末で終わるが、青春の夢と挫折のほろ苦い思い出の中で、喪失したものの悲しみを糧に、負けないで生きていく希望のようなものが残る。
 キレたヤクザを演じる中村敦夫も迫真の演技。 (評価:3.5)

製作:松竹
公開:1978年10月7日
監督:野村芳太郎 製作:野村芳太郎、野村芳樹 脚本:井手雅人 撮影:川又昂 美術:森田郷平 音楽:芥川也寸志
キネマ旬報:6位

ネグレクトされた子供たちの愛おしさに心が潰れそうになる
 松本清張の同名小説が原作。松本清張が検事から聞いたという実話がベースになっている。
 川越の印刷屋の主人(緒形拳)が妾(小川真由美)を囲っていたが、火事で経営が傾きお手当が途絶える。本妻(岩下志麻)には子供がいないが妾には6歳の長男を筆頭に次女と赤ん坊の次男がいて、本宅に押しかけ、3人の子供を置いて失踪。逆上した本妻は次男を未必の故意で殺害。続いて夫が次女を東京タワーに置き去りにし、長男を能登半島の断崖から海に突き落とす。
 今風にいえば育児放棄と児童虐待がテーマの作品で、夫と妾と本妻の3人が3人とも鬼畜なのだが、とりわけ岩下の虐待ぶりが真に迫っていて、飯を口に押し込まれる次男の子役などトラウマになったのではと心配になる。
 わけても胸を打つのが東京タワーのシーンで、望遠鏡を眺めていた次女がエレベーターで逃げ去る父を振り返り、あどけない顔を残して扉が閉まるシーンが名場面。
 極めつけは崖から落とされて助かった長男が、逮捕されて面通しに来た父を親ではないと否定するシーンが爆涙もの。
 野村芳太郎の子役演出は名人芸で、プロローグの3兄弟が仲良く遊ぶシーンに始まり、ひどい親から身を守るべく互いに助け合う姿、次男を気遣う姿、兄妹が励まし合う姿等々、野村芳太郎に壺をすっかり押さえられてしまい、愛おしさに心が潰れそうになる。
 とりわけ長男を演じた岩瀬浩規が素晴らしいが、子役たちのその後の消息は不明。
 緒形、岩下、小川の名演が見どころで、序盤で3人が言い争うシーンは真に迫り過ぎていてコメディかと思えるくらい。岩下、小川の女の争いが凄まじく、緒形の右往左往する情けなさが、この修羅の物語のせめてもの救いとなっている。 (評価:3.5)

製作:松竹
公開:1978年6月3日
監督:野村芳太郎 製作:野村芳太郎、織田明 脚本:新藤兼人 撮影:川又昂 美術:森田郷平 音楽:芥川也寸志、松田昌
キネマ旬報:4位
毎日映画コンクール大賞

不幸を一身に背負う松坂慶子の出色の演技
 大岡昇平の同名小説が原作。
 同棲しようとした女の姉を刺殺した青年をめぐる法廷劇で、裁判の過程で青年と姉妹の三角関係が明らかになってくるが、それぞれの心理の綾が見どころ。同じ年にNHKでもTV版が放映されたが、本作で丹波哲郎が演じた弁護士役を若山富三郎が演じて評判となった。
 本作での新藤兼人の脚本と野村芳太郎の演出は寸分の隙もなく見事。実質的な主役は回想でしか登場しない姉で、不幸を一身に背負う松坂慶子の出色の演技が光る。
 義父に犯され家出して新宿でホステス。そこでヤクザのヒモができ、受刑中に郷里の厚木でスナックを始め、幼馴染だった妹の恋人と深い関係に。出所したヤクザがやってきて元の因縁が戻り、一方、妹が妊娠して青年と同棲を始めるのを知る。そうして生きる希望を失った姉は、青年の手によって自らの命を絶つという、ある種の情死事件。
 そうした不幸な女を熱演する松坂を前に、本来の主役である妹役・大竹しのぶも、青年役・永島敏行も、事件の真相を究明する弁護士・丹波哲郎も霞んで見える。
 農村から新興住宅地へと大きな変化に呑み込まれる東京近郊の町。本作はその荒波に流されていく人々の漂流を描くが、オープニングの厚木の町を俯瞰する空撮が、やがて捜査員が検証する犯行現場へと移動していく導入が上手い。
 裁判長に佐分利信、首席検事に芦田伸介と法廷劇は重厚な布陣。ヒモ役の渡瀬恒彦も好演で、証人の北林谷栄、森繁久彌、西村晃など役者が揃っている。 (評価:3.5)

製作:幻燈社、ATG
公開:1978年03月25日
監督:東陽一 製作:前田勝弘 脚本:寺山修司 撮影:川上皓市 音楽:田中未知 美術:綾部郁郎
キネマ旬報:1位
ブルーリボン作品賞

シャドウ・キャッチボールで描く少年の青春
 軒上泊の小説『九月の町』が原作。
 殺人を犯したために少年院に入った少年サード(永島敏行)の青春の不安と閉塞感を描く。テーマ的には良くある青春映画だが、三十数年ぶりに観て作品力は少しも衰えていない。当時よりも共感が薄れたとすれば、それは自分自身が走り続けることに疲れたからかもしれない。
 サードは綽名で、高校の野球部でサードを守っていたことによる。彼はあるかないかわからないホームに向かって走り続ける。ともすれば観念的になりがちな話をそうさせなかったのは、この主人公への共感を脚本にした寺山修司と、ひたすら走り続けるサードの鬱屈とひたむきさを好演した永島に負うところが大きい。
 少年たちを取り巻く社会の偽善、漠然とした夢と未来、誰も信じることのできない孤独、サードは自分の力だけを頼りに周囲と戦い生き延びていく。夢や希望に向かって走るのではなく、未来が見えないからこそひたすら今を走り続ける。
 そうした青春を描いた映画だと、もっともらしい解説をつけることは可能だが、そんな理屈を超えたところにこの作品の言葉ではなく感性に訴えるものがある。
 シーン的な見どころは永島と吉田次昭のシャドウ・キャッチボールと、森下愛子のヌード、峰岸徹の倶梨伽羅紋々。母親役の島倉千代子がなかなか良く、ロマンポルノの片桐夕子も拝める。
 ラストシーンでトラックを走るサードの踏む土に、撮影の車の轍が続くのが若干興ざめ。現在ならデジタル処理で消すこともできるが、やはり映画で楽屋裏が覗けてしまうのはいただけない。 (評価:3)

製作:大映
公開:1978年10月07日
監督:岡本喜八 製作:俊藤浩滋、武田敦 脚本:井手雅人、古田求 撮影:村井博 音楽:佐藤勝 美術:竹中和雄
キネマ旬報:7位

アラカンの老いぼれ親分が一番のダイナマイト
 原作は火野葦平の『新遊侠伝』。昭和25年のアメリカ占領下の小倉を舞台にしたヤクザ抗争劇。米軍司令官と警察署長(藤岡琢也)の提案で、ヤクザの抗争も戦後民主主義的に野球対抗戦で争うというスラップスティック・コメディ。
 主役の菅原文太を筆頭に、金子信雄、岸田森、フランキー堺、田中邦衛といった個性的な面々が登場するので、コメディとしてはかなり上質。とりわけ、嵐寛寿郎が老いぼれの親分を熱演し、これだけでも見る価値は十分。さらに日活ロマンポルノの宮下順子、伊佐山ひろ子らの女優陣もお色気とギャグをスクリーンいっぱいにまき散らすが、これまた宮下のしっとりとした団地妻的色気が堪らない。
 岡本喜八の演出は冴えていて、多少下ネタも混じるセリフは噴飯もので、題材がヤクザだけにコケにしまくっていて、「戦争、戦争」と叫ぶ子供や、お水のチアガール、ストリップ嬢、といったスタンドの応援団にも注目したい。
 配役的には、一人だけコメディを演じられない白戸家のパパ・北大路欣也が、違和感がありすぎて残念。
 ヤクザの野球試合だけに予想通りの反則・乱闘になるが、神聖なスポーツをルール無視のギャグにすることに嫌悪を感じる人もいるかもしれない。
 アメリカも民主主義も、警察、ヤクザも一緒くたにして、権威も権力も笑いものにする。そうしたアナーキズムと平民主義がこの映画には溢れていて、それこそが戦後の日本人が手に入れたものだということを岡本は笑いの中に描いた。 (評価:3)

製作:松竹、東京放送
公開:1979年9月15日
監督:木下恵介 製作:飯島敏宏、杉崎重美 脚本:砂田量爾、木下恵介 撮影:岡崎宏三 美術:重田重盛 音楽:木下忠司
キネマ旬報:5位

冷淡なマスコミの実像も描く冷めた目の木下劇場
 佐藤秀郎のノンフィクション『衝動殺人』が原作。
 1966年、息子(田中健)を通り魔の少年に刺殺された工場主(若山富三郎)が、息子の敵討ちのために犯罪被害者家族への国家補償制度を求めて東奔西走する姿を描く。
 一度は生きる目的を失った工場主が、少年の軽すぎる刑罰と被害者家族に対する救済制度がないことに不条理を感じ、法整備をすることが息子の敵討ちだと悟る。被害者家族の会を作って署名を集め、国会に請願するものの門前払いされる。
 1974年の三菱重工爆破事件をきっかけに犯罪被害者家族への関心が高まり、法整備へと動き出すが、工場主は心筋梗塞で倒れ、死んでしまう。
 犯罪被害者給付金支給法が成立するのは映画公開の2年後で、法成立の世論形成に寄与したともいわれる作品。
 『子連れ狼』など時代劇・任侠映画でコワモテで売ってきた若山富三郎が、ヒューマンドラマの俳優としてイメージチェンジするきっかけとなった作品でもある。
 工場主の妻を高峰秀子が演じ、名匠・木下恵介が監督の人間ドラマとなれば、どう転んでも感動作にしかならず、期待通りの作品となっている。
 もっとも単に心に響く木下劇場に終わらせてなく、世論に訴えたい工場主の活動を話題性やニュース価値でしか見ないマスコミへの実像も描いていて、冷淡で不遜な新聞記者を近藤正臣が演じる。
 東京放送の共同制作でありながら、TBSのワイドショーに出演する工場主夫妻への司会者の事務的な対応に、木下の冷めた目が窺える。
 署名活動に無関心な市民、大事件が起きないと動かない政治など、不条理な社会を変えようとするには無力な個人の、それでも不屈の精神を描くとともに、社会正義とその実現の難しさを訴える。
 被害者の従兄で工場主の甥を演じる尾藤イサオ、被害者家族の一人・藤田まことが好演。 (評価:2.5)

製作:日活
公開:1978年7月8日
監督:田中登 製作:三浦朗 脚本:佐治乾 撮影:森勝 美術:柳生一夫 音楽:石間秀樹、篠原信彦
キネマ旬報:9位

室田日出男の社会規範を超越した仙人のような演技が見どころ
 埼玉県の東武伊勢崎線沿線の町が舞台。中卒で転職を重ねる若者3人が、町に住む元テキヤの男・江口(室田日出男)と仲良くなるが、元酌婦だという妻・技美子(黒沢のり子)を集団レイプし、その最中に技美子が死亡してしまうという事件を描く。扇情的なタイトルだが、ロマンポルノ風にアレンジされた青春映画なので、タイトルに期待すると肩透かしを食う。
 ストーリーそのものは目新しくもなく、かといってポルノ映画風でもなく、郊外の低学歴の若者たちの日常的な姿を映し出す。中学の同級生だった彼らはごく普通に性に飢えていて、キャバレーのホステスをしている同級生の女友達を相手にしたり、交際中の女の子を口説いたりする。
 その3人が養鶏をしている江口の卵を盗んだことがきっかけで知り合い、逆に年齢差を越えて仲良くなるが、魅力的な技美子を出来心からレイプしてしまう。技美子の死因は心臓麻痺で、死後、心臓が悪かったことがわかる。
 技美子が知的障害者だったことから、江口は彼女の持病に気づいていなかったが、知的障害ゆえに江口が技美子を如何に愛していたかが、彼女の死後に明らかになる。
 無骨だが、若者たちにも妻にもやさしい、純粋な男を室田日出男が好演していて、社会の規範を超越した仙人のようでもあり、その演技が最大の見どころとなっている。
 事故死ということから主犯の昭三(古尾谷雅人)が強姦罪のみの実刑、他の二人は執行猶予という軽い判決。ラストシーンで何事もなかったように恋人(志方亜紀子)との日常に帰る礼次(深見博)の明るさが、若者たちの軽率と、江口と技美子の愛の重さとがアンバランスな、事件の悲劇性を浮かび上がらせる。 (評価:2.5)

男はつらいよ 寅次郎わが道をゆく

製作:松竹
公開:1978年8月5日
監督:山田洋次 製作:島津清 脚本:山田洋次、朝間義隆 撮影:高羽哲夫 美術:出川三男 音楽:山本直純

見どころは今はなきSKDと浅草国際劇場のレビュー
 寅さんシリーズの第21作。マドンナは木の実ナナで、寅次郎の幼馴染でSKDのダンサー。
 虎屋の将来をめぐって喧嘩して出て行った寅次郎が、阿蘇・田の原温泉に逗留。宿賃が払えなくなってさくらに来てもらい、帰京して虎屋の店員として真面目に働く寅次郎、というのが本作のちょっとした見どころ。
 ところが幼馴染のSKDダンサーが現れるとすっかり入れあげてしまい、元の黙阿弥。そこに阿蘇で恋愛指南をしてあげた青年(武田鉄矢)が上京してきて、こちらも若い踊り子(梓しのぶ)に夢中になって故郷に帰らないというダブル寅次郎の展開。
 マドンナに恋人(竜雷太)がいることが発覚するが、今度は仕事か結婚かで悩むダンサーの相談相手に。結局、結婚を選んだことで寅次郎は旅に出ることになり、青年も若い踊り子にフラれて阿蘇に帰り、失恋した者同士が再会してシャンシャン。
 最大の見どころは今はなき松竹歌劇団と浅草国際劇場のレビューが見られることで、トップスターの小月冴子、春日宏美などが出演している。
 もっともレビューシーンと木の実ナナの歌唱シーンが長く、これまでの『男はつらいよ』の軽快なテンポを壊しているのが、ちょっとした違和感。
 さくらがマドンナとの会話で「私もSKDに入りたかった」という台詞もあって、SKD出身者の倍賞千恵子の楽屋落ちのギャグになっている。 (評価:2.5)

製作:アルゴス・フィルム、大島渚プロダクション
公開:1978年10月28日
監督:大島渚 製作:アナトール・ドーマン 脚本:大島渚 撮影:宮島義勇 美術:戸田重昌 音楽:武満徹
キネマ旬報:3位

ホラーでもなく性愛を描けているわけでもない
 中村糸子の小説『車屋儀三郎事件』が原作。明治29年、茨城県で起きた殺人事件を基にした実話。
 人力車夫・儀三郎(田村高廣)の妻せき(吉行和子)が、日清戦争の兵隊帰りの豊次(藤竜也)と浮気。共謀して儀三郎を殺し、地主の持つ山の古井戸に捨てるが、3年経って村に儀三郎の幽霊が現れるようになり、二人に嫌疑がかかる。地主の息子(河原崎建三)が古井戸に感付いたのを知って、豊次は地主の息子を自殺に見せかけて殺害。逮捕された二人は拷問にかけられ自白。証言通り古井戸から儀三郎の死体が見つかるという物語。
 せきは40代半ばだが若々しくて30歳にも見えず、豊次は20歳前後という設定だが、43歳の童顔の吉行はともかく、37歳の藤がどうにも青年に見えず、年上の女と青年との純愛というよりは性欲だけで結びついた不倫にしか見えないのが辛い。
 夫との性生活に不満を抱く明治時代の女の性愛がテーマとなるが、女性の性の解放というテーマも、舞台となる明治にしても描かれた昭和にしても、いずれも時代は遠くなりにけりで、平成を過ぎ令和となった今ではすっかりくすんでしまい、キャスティングもあって単なる欲情する男女の物語でしかない。
 田村の幽霊もそれなりに怖いのだが、かといってホラーと呼べるようなシナリオでも演出でもなく、性愛がテーマという割には大島渚の前作『愛のコリーダ』(1976)ほどには男女の性を通した関係が描けているわけでもなく、何を描きたかったのか今一つ不明。
 演出も相当にかったるいので、次第に飽きて眠くなる。地主の妻に小山明子、巡査に川谷拓三。 (評価:2)

赤穂城断絶

製作:東映京都、東映太秦映画村
公開:1978年10月28日
監督:深作欣二 製作:高岩淡、日下部五朗、本田達男、三村敬三 脚本:高田宏治 撮影:宮島義勇 美術:井川徳道 撮影:仲沢半次郎 音楽:津島利章

吉良邸の隣でヒーロー演技する三船敏郎が凄い
 豪華キャストによる東映版忠臣蔵で、実録ヤクザ路線の深作欣二がメガホンをとった。
 随所に東映的娯楽色とヤクザ的暴力描写が顔を覗かせるが、伝統的忠臣蔵の演技・演出とが渾然一体となった、良くいえばカオス、実際には中途半端で纏まりのない忠臣蔵になってしまった。
 深作的には江戸で時機を待つ赤穂浪士と吉良の間者との攻防戦というエンタテイメントな忠臣蔵を狙い、不破数右衛門(千葉真一)が吉良の間者を迎え撃って内蔵助(萬屋錦之介)を守り、橋本平左衛門(近藤正臣)は脱落して遊女に落ちた妻はつ(原田美枝子)とともに果てるという娯楽アクションに脚色している。
 一方で、旧来の忠臣蔵、時代劇の演技をする萬屋錦之介、丹波哲郎(柳沢吉保)、成田三樹夫(加藤越中守)、三船敏郎(土屋主税)らがいて統制が執れていない。
 松の廊下から内匠頭(西郷輝彦)切腹、赤穂城開城に至るまでは古臭い時代劇、スパイ合戦が始まってからはカオスとなり、内蔵助が主役なのかそうでないのか判然とせず、よくわからないままに討入りに進む。
 ドラマ的に見れば本作の主役は近藤正臣で、サブ的ヒーローとして千葉真一と渡瀬恒彦(小林平八郎)という全体としては群像劇。
 内蔵助に討入りは仇討ちではなく幕府に対する謀反だと言わせていることから、深作らしい反権力ドラマといえなくもないが、このテーマは不完全燃焼のままに終わっている。
 こうした中で、吉良邸の隣の旗本屋敷で超然と存在感のあるヒーロー演技をしている三船敏郎がある意味凄い。 (評価:2)

製作:エル・アイ・エル
公開:1978年12月2日
監督:曾根中生 製作:土肥静加 脚本:石森史郎、長谷川法世 撮影:森勝 美術:斉藤嘉男 音楽:服部克久
キネマ旬報:10位

年寄りのセピア色の思い出話に付き合わされている感
 長谷川法世の同名漫画が原作。
 博多に住む少年の思春期ストーリーで、性や異性、喧嘩の中で大人への一歩を踏み出す姿をコミカルに描く。
 父は博多人形の職人、親子そろって博多祇園山笠に熱を上げるという100%博多風味の作品。当然、全編博多弁が飛び交い、ときどき意味のわからない言葉があるが、山笠同様構わずに突っ走るところも博多流。
 主人公・六平(光石研)とクラスメート小柳(松本ちえこ)との交際、隣家の青葉(立花美英)と尊敬する元番長・穴見(赤木良次)の駆け落ち、床屋の娘(伊佐山ひろ子)の誘惑、番長・無法松との親交、他校の不良たちとの喧嘩などのエピソードが日記風に綴られるが、ローカル色豊かな昭和の青春物語は半世紀も経てば色褪せてしまい、年寄りのセピア色の思い出話に延々と付き合わされている感があり、そろそろと席を立ちたくなる。
 六平の両親に小池朝雄、春川ますみ。桂歌丸、桂米丸、竜虎、なぎら健壱、宮下順子、児島美ゆきと出演陣も賑やかで、原作者の長谷川法世も町内会役員の役で出ている。
 昔話が好きな年寄り向けの作品。 (評価:2)

男はつらいよ 噂の寅次郎

製作:松竹
公開:1978年12月27日
監督:山田洋次 製作:島津清 脚本:山田洋次、朝間義隆 撮影:高羽哲夫 美術:出川三男 音楽:山本直純

泉ピン子は大原麗子より上手いがマドンナにはなれない
 寅さんシリーズ第22作。マドンナは大原麗子。
 プロローグの夢のシーンで、渥美清の顔そっくりの寅地蔵が出て来るが、これが本作最大の見どころで、本編はシナリオ、マドンナともに上手くいっていない凡作。
 離婚協議中の美女・大原麗子が寅屋の店員となり、帰ってきた寅が惚れるというパターン。大原麗子は小悪魔的可愛らしさがあるが、観賞用というか受け身のためにどうしても寅に親近感や好感を持つタイプに見えない。端的にいえば、庶民的な話での演技力が不足しているわけで、寅屋の店員になるという時点で違和感アリアリ。
 寅に対し「優しいんですね」とか「寅さんのこと好きです」という台詞も無理して言っているようにしか見えず、配役とシナリオに難があったとしか思えない。
 寅が旅先で博の父(志村喬)に出会い、諸行無常の教えに感得するが、大原麗子に会う際の伏線としては外していて、その後もストーリーに生きてこない。タコ社長の自殺騒動のギャグも、第5作・望郷篇の焼き直しで、シナリオ全体の完成度は今ひとつ。
 大原麗子のことを幼い頃から思い続けている従兄の高校教師に室田日出男。東映ヤクザ映画とはかけ離れた役どころをどう演じるかも見どころ。
 寅が旅先で出会う女に泉ピン子。大原麗子よりは遥かに上手いが、やはりマドンナは演じられない。 (評価:2)

製作:東映京都
公開:1978年6月17日
監督:降旗康男 脚本:倉本聰 撮影:仲沢半次郎 美術:井川徳道 音楽:クロード・チアリ
キネマ旬報:8位

シャガール、チャイコフスキーも登場するハイソな任侠映画
 邦画低迷期のヤクザ映画衰退期に作られた、新趣向のヤクザ映画。主役は高倉健なので、『仁義なき戦い』のような実録路線もできず、任侠を旗印とした映画にならざるを得なかったが、倉本聰にヤクザ映画のシナリオは荷が重かったのか、湿っぽいだけが売りのリアリティもテーマの欠片もない、ただの安っぽい人情ドラマになってしまった。
 物語を一言でいえば『あしながおじさん』ヤクザ版で、やむを得ず仲間を殺した健さんが、その一人娘を15年の刑期に服しながら育てる。出所した健さんは名乗らずに娘を見守るが、そこは仄かなラブストーリー風になっていてストイックな健さんの面目躍如。
 一旦はヤクザから足を洗う決意をするが、大阪から進出した暴力団との抗争に巻き込まれ、裏切り者を殺して・・・というところで、再び振り出しに戻った不運の健さんの顔のアップで終わる。
 仁義のためにヤクザから足を洗えない従来の任侠道と、娘の幸せを願って身を引くヒロイズムがすべてで、70年頃なら「よ、健さん!」の声もスクリーンに掛かるところだが、そうした熱気が充満した時代は過去となっていた1978年に、今更こんな映画を作ってどうするの?感は否めない。
 設定も滅茶苦茶で、横浜伊勢佐木町が抗争の舞台になるが、出所後に健さんが住むのは、港の見える丘公園付近の高級マンション。しかも内装はモデルルームのようにお洒落で、トーストにジャム、500mlの牛乳瓶のラッパ飲みというアメリカ映画のような演出。
 ヤクザの親分(藤田進)は豪邸に住み、シャガールの絵がお気に入りで蒐集。自らも埠頭で油絵の風景画を描く。
 健さんのマドンナはヴァイオリンを習っているにも拘らずチャイコフスキーのピアノ協奏曲1番がお気に入りで、馬車道の名曲喫茶で同じ曲をリクエストする。
 バブル前の成金ニッポンの金満ハイソ志向を時代背景に、任侠+ハイソ+あしながおじさんという訳の分からない映画になっているが、それにしても絶対に美人にはならないという顔の幼女にも拘らず、18歳になると池上季実子になっていて、ロンパリ気味の目がまだしも面影を残しているかしらん、と無理やり納得する。
 それにしても、父親が殺され、周りがヤクザだらけなのに、ブラジルのあしながおじさんが育て親だと信じている娘が何とも言えない。
 北大路欣也、田中邦衛、三浦洋一、小池朝雄、夏八木勲らがメインキャストで、俳優陣にも脱東映ヤクザ路線色を出しているが、大阪暴力団の組長が岡田眞澄というのは違和感ありありで、何ともチグハグ。
 いっそ、『セーラー服と機関銃』くらに飛んでほしかった。 (評価:2)

トラック野郎 一番星北へ帰る

製作:東映東京
公開:1978年12月23日
監督:鈴木則文 脚本:掛札昌祐、中島信昭、鈴木則文 撮影:中島徹 美術:桑名忠之 音楽:木下忠司

母子との別れの潔さだけは任侠っぽくていい
 シリーズ第8作。
 桃次郎が岩手県のリンゴ農園で働くコブ付き未亡人の大谷直子に惚れ、その息子の御機嫌を取りながら交際に持ち込むものの、母一人子一人の家庭に育った桃次郎の思い出話が大谷に再婚を断念させる結果になるという物語。
 桃次郎の見合い話、金造(愛川欽也)が真室川(谷村昌彦)の保証人となったことからサラ金の取り立てに遭う話、真室川の娘(舟倉たまき)と新沼謙治の恋愛話を織り込みながらの、下ネタ、喧嘩、カーチェイス、観光案内ありも人情コメディ。
 デコトラシーンは冒頭でのライバル・黒沢年男との競走、終盤人工透析装置の運搬でのパトカーとのカーチェイスで、本編に絡まないのがシナリオ的には寂しい。
 父の形見の模型飛行機をデコトラで轢いたことからことから始まる大谷の息子との確執がドラマの中心になるが、並行して進展する大谷の恋心が微塵も感じられないのは、シナリオが拙いのか大谷の演技が下手なのか? 桃次郎を拒否する息子が突然桃次郎を許す極端な変わり身も白けるところ。
 通俗的な人情噺も辟易するところだが、母子との別れの菅原文太の潔さだけは任侠っぽくていい。
 スパリゾートハワイアンズが常磐ハワイアンセンターで登場したり、全盛だった頃の山田うどんが懐かしい。 (評価:2)

原子力戦争

製作:文化企画プロモーション、ATG
公開:1978年2月25日
監督:黒木和雄 製作:西山哲太郎、友田二郎 脚本:鴨井達比古 撮影:根岸栄 美術:丸山裕司 音楽:松村禎三

黒木和雄に社会派ドラマは無理と実証した作品
 田原総一朗の同名小説が原作。
 原発事故を題材にした社会派サスペンスドラマで、女を捜しに彼女の故郷にやってきたヒモ(原田芳雄)が、彼女の心中事件を探るうちに背後に原発事故の隠蔽と原発の闇に突き当たるという物語。
 探偵ごっこをした男は最後に権力側に殺され、事件は闇に葬られるという70年代的ラストを迎える。
 原発事故隠蔽のために技術者が殺され、ヒモの女との心中に偽装されるが、その隠蔽に市長選立候補を狙うヒモの兄が絡んでいるといういかにもな設定で、電力会社や恩恵に与る自治体関係者、ヤクザ、原子力学者といった権力側だけでなく、新聞社上層部まで隠蔽工作に関わるという類型的社会派ドラマになっている。
 周りはみんな悪者で、孤軍奮闘するのはヒモとはみ出し新聞記者(佐藤慶)だけという、あまりに幼稚なシナリオで、黒木和雄に社会派ドラマは無理ということを実証した作品。
 技術者の美人妻を山口小夜子が演じるが、歩き方がモデル・ウォークで変。事故資料をヒモに提供した挙句、死んだら原子力学者(岡田英次)といい仲になってしまうという謎の女を演じるが、演技が下手すぎてよくわからない。
 それに比べれば風吹ジュンの方がまだマシで、取り敢えずは可愛い。
 ドラマを中断しての福島第一原子力発電所への突撃撮影もATG的で、時代を感じさせる。 (評価:1.5)

皇帝のいない八月

製作:松竹
公開:1978年9月23日
監督:山本薩夫 製作:杉崎重美、宮古とく子、中川完治 脚本:山田信夫、渋谷正行、山本薩夫 撮影:坂本典隆 美術:芳野尹孝 音楽:佐藤勝

クーデターというよりは列車ジャックのテロ事件
 小林久三の同名小説が原作。
 自衛隊のクーデター未遂を描く社会派ものだが、内容があまりにショボく、列車ジャックのテロ事件でしかないのが寒い。スタッフ・キャストは大作感たっぷりだが、原作が映画に向いていなかったのか、そもそも企画に無理があったのか、山本薩夫の社会派映画としては本格に程遠い子供だまし。無理な企画を押し付けられて、開き直って作ったとしか思えない。
 そういった点ではコメディすれすれのパロディ感があって、1970年に自決した三島由紀夫やクーデターを夢想する右翼を笑ってやろうという意図すら感じるが、おそらくは真面目に作ったのだろう。
 青森でクーデター一味がパトカーを機関銃で銃撃するという杜撰な事件から始まり、九州では元自衛官(渡瀬恒彦)がなぜか部隊を率いて寝台特急さくらに極秘乗車し、一路東京駅を目指すというマンガのようなクーデター計画を実行する。一応、全国一斉蜂起ということになっているが、このさくら隊以外は失敗して鎮圧される。1シーンだけ登場する部隊はマイクロバスで武装して鎮圧部隊の装甲車に突撃するという、旧日本軍のような無謀ぶり。
 さくらに乗車するのは指揮官の元自衛隊員の妻(吉永小百合)と元恋人の業界紙記者(山本圭)で、記者に至っては素性も知らないはずなのにクーデター部隊の2人が切符を奪って乗車を止めさせようとするのが最後まで解決されない謎。そんな自衛隊員を相手に山本圭の持ち前の正義感も不燃焼。
 妻が乗車する動機も、美人なだけで内面を表現できない吉永小百合の演技で、クーデターに参加するためなのかクーデターを翻意させるためなかよくわからない。
 ラストは模型を使った特急爆破シーンでそれなりのアクション大作感を出すが、クーデターを後押しする政治家・官僚たちも今一つ大仰でマンガ的な類型パターン。
 社会派作品には程遠い。 (評価:1.5)