海月衛 映画帖
~映画の大海原をたゆたう~

日本映画レビュー──1976年

製作:角川春樹事務所
公開:1976年11月13日
監督:市川崑 製作:角川春樹、市川喜一 脚本:長田紀生、日高真也、市川崑 撮影:長谷川清 音楽:大野雄二 美術:阿久根巖
キネマ旬報:5位

石坂の金田一耕助と市川崑の映像表現がかっこいい
 原作は横溝正史の同名小説。角川春樹の映画製作第1作で、この成功により、その後の角川春樹事務所作品が生まれた。
 市川は1972-1973年にTVシリーズ『木枯し紋次郎』を監督・監修していて、本作は一番脂の乗った時代の作品。画面いっぱいの活字で組まれたオープニングクレジット、コマ落ちやストップモーション、回想シーンでのモノクロ反転等々、それまで市川が追求してきた映像表現の集大成でもあり、その軽快でメリハリのある映像は今見てもかっこいい。戦後に設定した古い日本家屋のノスタルジックな重厚感は、金田一耕助のアナクロな風貌とともに古き良き時代の日本をロマンティックに描きだしている。
 劇中の湖面から突き出た逆さ死体の脚は、その後のリメイクにも欠かせないシーン。
 石坂浩二も飄々とした金田一耕助像を確立し、計6作で金田一を演じた。「そうか、わかった!」の加藤武の刑事役も個性的で、金田一シリーズの名脇役として欠かせない。犬神家長女の高峰三枝子、ホテルの女中・坂口良子もいい。
 本作は骨格のしっかりとした本格作品で、演出・映像・編集のどれをとっても高レベル。エンタテイメントのひとつの完成形を示した。
 横溝正史、角川春樹も出演している。 (評価:3.5)

製作:今村プロ、綜映社、ATG
公開:1976年10月23日
監督:長谷川和彦 製作:今村昌平、大塚和 脚本:田村孟 撮影:鈴木達夫 美術:木村威夫 音楽:ゴダイゴ
キネマ旬報:1位

市原悦子の演技が強烈で、嫌悪以上の恐怖を感じる
 実話を基にした中上健次の短編小説『蛇淫』が原作。
 過保護に育てられた青年(水谷豊)が、幼馴染の少女(原田美枝子)との交際を咎められて父(内田良平)を殺し、付き纏う母(市原悦子)を殺す、親殺しが題材。
 中心テーマはオイディプス・コンプレックスで、神話では知らずに父を殺し母と姦通したオイディプスが真実を知り追放され、母は自殺するが、本作では母が姦通を迫り、拒絶されて息子と心中しようとして、最後は息子に観念して殺されるという展開になっている。
 市原悦子の演技が強烈で、家庭内の揉め事で他人に迷惑を掛けたわけではないからと父殺しを隠蔽し、時効までは母子で同衾することを迫る溺愛ぶりが真に迫る。公開時、この演技に嫌悪以上の恐怖を感じた思い出がある。原作の蛇淫は少女と母の魔性のことを指しているが、市原悦子の演技が凄すぎて、原田美枝子が霞んでしまう。
 蛇は西洋では悪魔の化身、東洋では正邪の両方のイメージがあるが、本作では女の魔性。
 対する少女は、中学生の時に母の愛人と性的関係を持ち、それが基で母にぶたれて片耳の聴力を失っている。しかし青年には無花果の実を盗んで母にぶたれたと嘘をいい、事実を知られると、母の愛人に強姦されたという。青年は次第に強姦ではなく、性的好奇心から男と関係を持ったのではないかと疑い、両親の死体を海に沈め、父から任されたスナックに放火し、少女を棄て、すべてを清算して放浪に出るところで終幕となる。
 本作が単なる子が父の壁を乗り越えるという自立の物語ではなく優れているのは、アイスキャンデー売りから身を起こして家庭を築いた父を認めることで、母や少女の母性を離れ、ひとり自立の旅にでること。
 高校時代に作ったムービーでも親殺しは十字架を背負い、検問する権力の象徴である警察は、自白する少年を突き放して相手にしないという、比較的わかりやすいキーワードが散りばめられている。
 抑圧するものから解き放たれたとき、頼るものを放棄した青年はどこに向かうのか? といった70年代的問いかけが提示されるが、当時、豊かさを手にした社会が抱えていた問題意識が懐かしい。
 1978年の空港開港前の成田が描かれていて、スナックもそれを当て込んだ開店と思われるが、そうした大人=権力の象徴とは別に、当時の成田の映像も見どころの一つ。 (評価:3.5)

製作:松​​​竹
公開:1976年07月24日
監督:山田洋次 製作:名島徹 脚本:山田洋次、朝間義隆 撮影:高羽哲夫 音楽:山本直純 美術:高田三男
キネマ旬報:2位

田舎芸者・太地喜和子と宇野重吉の名演が光る佳作
​​​ ​​​シ​​​リ​​​ー​​​ズ​​​第​​​1​​​1​​​作​​​。​マ​ド​ン​ナ​は​太​地​喜​和​子​。
​ ​寅​次​郎​が​飲​み​屋​で​拾​っ​て​き​た​ル​ン​ペ​ン​同​様​の​老​人​(​宇​野​重​吉​)​が​有​名​な​画​伯​で​、​出​身​地​の​市​役​所​に​招​か​れ​た​画​伯​と​播​州​龍​野​で​再​会​し​た​寅​は​付​き​人​の​扱​い​を​受​け​て​贅​沢​三​昧​。​接​待​で​知​り​合​っ​た​芸​者​(​太​地​喜​和​子​)​と​意​気​投​合​す​る​が​、​寅​屋​に​芸​者​が​訪​ね​て​く​る​。​芸​者​は​2​0​0​万​円​を​騙​し​取​ら​れ​て​い​て​、​義​憤​か​ら​タ​コ​社​長​が​詐​欺​師​に​掛​け​合​う​が​無​駄​骨​。​そ​こ​で​寅​は​画​伯​に​絵​を​描​い​て​く​れ​る​よ​う​に​頼​む​が​、​金​の​た​め​に​絵​は​描​け​な​い​と​断​ら​れ​る​。​そ​の​後​が​気​に​な​る​寅​は​播​州​龍​野​の​芸​者​の​家​を​訪​ね​る​が​、​そ​こ​で​見​た​も​の​は​・​・​・​と​い​う​物​語​。
​ ​ち​ょ​っ​と​い​い​話​で​、​ラ​ス​ト​の​芸​者​の​台​詞​に​籠​る​心​根​が​い​い​。​太​地​は​美​人​で​は​な​い​が​女​ら​し​さ​と​艶​っ​ぽ​さ​で​は​随​一​の​女​優​で​、​演​技​派​の​太​地​と​宇​野​が​本​作​を​佳​作​に​し​た​。​芸​者​の​た​め​に​詐​欺​師​に​会​い​に​い​く​タ​コ​社​長​・​太​宰​久​雄​、​市​役​所​の​課​長​・​桜​井​セ​ン​リ​も​い​い​。​シ​リ​ー​ズ​の​5​本​の​指​に​入​る​名​作​。
​ ​他​に​宇​野​の​息​子​・​寺​尾​聰​が​出​て​い​る​が​、​こ​ち​ら​は​話​題​づ​く​り​で​ほ​と​ん​ど​演​技​が​な​い​。​画​伯​の​恋​人​・​岡​田​嘉​子​も​ロ​シ​ア​亡​命​か​ら​の​帰​国​後​第​1​作​で​話​題​だ​っ​た​。
​ ​冒​頭​の​夢​は​『​ジ​ョ​ー​ズ​』​の​パ​ロ​デ​ィ​で​、​前​年​の​公​開​。 (評価:3)

製作:日活
公開:1976年6月12日
監督:田中登 製作:結城良煕、伊地智啓 脚本:いどあきお 撮影:森勝 美術:菊川芳江 音楽:蓼科二郎
キネマ旬報:10位

性を通して虚無的・無目的な時代のリセットを描く
 江戸川乱歩の同名短編小説が原作。原作の明智小五郎のエピソードはなく、下宿屋でのピーピングを中心に、乱歩の短編『人間椅子』を組み込んだ日活ロマンポルノの名作。
 物語は、屋根裏に登って下宿屋の住人たちのピーピングをする青年(石橋蓮司)と、その下宿に情事のための部屋を借りる貴婦人(宮下順子)の虚無的な生き方を描くが、大正ロマンの舞台設定となるセットや美術、小道具はちょっとした見もので、映像的にも演出的にも大正の雰囲気を醸し出している。とりわけ大正ロマン的衣装と家具に包まれる貴婦人の造形がよく、ロココな椅子やベッドで、ピエロとの情事に耽ったり、オナニーを覗き穴の青年に見せる宮下順子の退廃的雰囲気がいい。
 宮下の演技はけっして上手くはないのだが、彼女が人間椅子に座っただけで官能的雰囲気が漂い、大正ロマンの耽美的世界が画面いっぱいに広がる。
 宮下はカマキリのように愛人のピエロを太股で絞殺し、使用人の身分を越えようとする人間椅子の召使いを焼死させる。一方で、石橋は偽善者の牧師を節穴から毒殺し、二人は共犯関係を結んで、女画家を犯して殺す。
 二人には殺人を犯す目的も動機もなく、あるのは彼らを取り巻く偽善と退廃の現状に対する否定と、自らの虚無でしかない。
 そのすべてをリセットするように突然の大地震が起き、東京は壊滅する。関東大震災の記録映像と流れるツゴイネルワイゼンが印象的で、虚無感が募るが、瓦礫の中でポンプの血をくみ出す下宿屋の女中に、生命力と再生を託す。
 ラストシーンはやや類型的だが、70年代の政治的季節の去った後の虚無的・無目的な時代の空気を描き、情況のリセットと一からの再出発を提示したと、70年代的に作品を意味づけることもできる。 (評価:2.5)

製作:行動社、木村プロ
公開:1976年6月12日
監督:増村保造 製作:藤井浩明、木村元保 脚本:白坂依志夫、増村保造 撮影:中川芳久 美術:間野重雄 音楽:竹村次郎
キネマ旬報:3位
ブルーリボン作品賞

巡礼に出てからのりんの姿が描かれないのが物足りない
 素九鬼子の同名小説が原作。
 石鎚山の山奥で老婆(賀原夏子)に育てられた山猿のような孤児の少女(原田美枝子)が、老婆の死後、女衒(木村元)に騙されて瀬戸内海の島の売春宿に売られ、誰にも頼らずに強く生きるが、性病で失明し、牧師(岡田英次)に助けられてお遍路さんになるという物語。
 プロローグは遍路に出るところから始まり、自らの生い立ちを回想するという形式を採っている。
 りんが売春宿に売られるのは13歳の時で、17歳の原田美枝子が山猿のように気性の激しい少女を体当たりで熱演するのが全編を通しての見どころとなる。
 老婆の死後、りんは一人で生きていこうとするが、海を見せてやるという女衒の甘言に乗せられ、瀬戸内の大崎下島の港町・御手洗の売春宿に売られる。周りは総て敵とばかりに主人に逆らい、年上の遊女たちとも喧嘩を繰り返すが、海の好きなりんは遊女を停泊中の船に運ぶおちょろ船の漕ぎ手を志願し、男手のように働く。
 やがて初潮を迎えたりんは抵抗するも空しく、折檻されて客を取らされるが、頭を散切りにし風呂にも入らない。それが却って評判を呼び、若さもあって一番人気の遊女となり、持ち前の勝気から仲間の客も奪うようになるが、やがて失明してしまう。
 それを救い出すのが牧師で、四国に帰ったりんは、御手洗で友達となったあさ(中川三穂子)に目の快癒のために勧められたお遍路の旅に出る。
 不幸な少女の半生ものだが、苦界を逃れて巡礼に出てからのりんの姿が描かれないために、だから何だという感想が残ってしまうのが残念なところ。りんの天性の強さが幼さと結びつくために、そこから立ち上がる姿にならないのが、増村保造の女性映画としては物足りない。
 田中絹代、梶芽衣子がゲスト出演。 (評価:2.5)

沖繩やくざ戦争

製作:東映京都
公開:1976年9月4日
監督:中島貞夫 脚本:高田宏治、神波史男 撮影:赤塚滋 美術:井川徳道 音楽:広瀬健次郎

見所は千葉真一の狂犬ぶりとビール瓶回し蹴り
 沖縄の暴力団・旭琉会をモデルに、沖縄の3つの組の抗争を中心に山口組がモデルの本土暴力団の介入を描く。
 本土復帰直前の1971年、基地の町コザの3つの組が連合会を結成。国頭(千葉真一)の弟分・中里(松方弘樹)が出所して戻ってくると、国頭派のナンバー2・石川(地井武男)が中里派を冷遇したことから抗争が始まる。
 ヤマト嫌いの国頭が沖縄観光中の本土暴力団の幹部を殺したことから海津(梅宮辰夫)の介入を受け、中里派が国頭を射殺、両派の報復合戦となる。
 抗争は連合会に拡大し、最後はクルーザー同士の銃撃戦となり、中里と梅津を残して全滅する。
 見どころは千葉真一の狂犬ぶりで、アクションスターの本領発揮で沖縄拳法? のワンマンショーを見せてくれる。テーブルのビール瓶回し蹴りなど、演舞を見ているよう。
 機関銃や手榴弾を交えたド派手な銃撃戦やカーチェイスあり、ラストのクルーザー銃撃戦など、中島貞夫のアクション演出の醍醐味を味わえる。 (評価:2.5)

製作:東映京都
公開:1976年10月30日
監督:深作欣二 脚本:笠原和夫 撮影:中島徹 美術:富田治郎 音楽:津島利章
キネマ旬報:8位

悲劇のヒーロー物語だが「くちなしの花」は余計
 深作欣二+笠原和夫コンビで撮られた暴力団と警察の癒着を描くドラマで、カメラワークや演出・音楽など『仁義なき戦い』シリーズを継承しているが、リアリティよりもフィクションに重きを置いた娯楽作品となっている。
 4課の刑事・黒岩(渡哲也)はチンピラをはめて逮捕・拷問するのも平気というはみ出し刑事で、西田組と癒着している署長(金子信雄)にもなびかない硬骨漢。
 ところが侠気で、自分が射殺したヤクザの妻の面倒を見、収監中の西田組若頭の妻・啓子(梶芽衣子)に同情し、それがもとで西田組顧問・岩田(梅宮辰夫)と殴り合いの末、兄弟の杯を交わすことになる。
 西田組と対立する山城組の金融ブローカーを摘発すると、県警本部OBの天下り先になっていて、県警本部は西田組潰しを画策。黒岩は4課を外され、山城組に自白剤を打たれた末に逮捕された岩田が留置場内で事故に見せかけ殺されてしまう。
 啓子に身の潔白を証明するため黒岩は両組の手打ち式をしている県警本部に乗り込み、金融ブローカー社長の県警本部OB(佐藤慶)を射殺、元同僚刑事で警務部警部補(室田日出男)に射殺されるという、自滅的な悲劇のヒーローの最期を遂げる。
 設定上はかなり乱暴だったりするが、エンタテイメントに徹した笠原のシナリオはよく出来ていて、渡哲也と梅宮辰夫の悲劇性と、室田日出男を加えた3人の男のドラマに仕上がっている。
 暴力団と警察の癒着のほかに、暴力団と韓国・朝鮮人の関係という社会問題を取り入れているのも笠原らしい。
 エンディングの渡哲也の「くちなしの花」は余計。 (評価:2.5)

男はつらいよ 寅次郎純情詩集

製作:松竹
公開:1976年12月25日
監督:山田洋次 製作:名島徹 脚本:山田洋次、朝間義隆 撮影:高羽哲夫 美術:出川三男 音楽:山本直純

マドンナ最高齢の京マチ子の貫禄の演技が見どころ
 寅さんシリーズの第18作。マドンナは京マチ子で柴又の旧家の奥様。その娘が檀ふみで、第16作『葛飾立志篇』に続き、年増のマドンナをアシストするキャスティング。
 満男の担任教師(檀ふみ)にウキウキした寅次郎にさくらが、「娘ほども年が離れているのよ、お母さんに恋するならともかく」と言ったところに京マチ子が登場、言葉通りに惚れてしまうという話。
 冒頭の檀ふみとのエピソードがシリーズ初期のヤクザな寅に逆戻りしていて、ちょっと味が悪い。別所温泉で第8作登場の旅芸人一座と再会した寅が、大盤振舞いの無銭飲食も同様。
 もっとも京マチ子が登場してからは、貫禄の演技で寅との絡みが大きな見どころとなる。薄幸薄命の熟女を健気に演じて泣かせ、シリーズには珍しくマドンナの退場が別れの理由となるが、惚れた腫れたのマドンナ騒動ではなく、純粋に献身する寅という人情ドラマになっている。
 泣かせる話としてはなかなかよく出来ているが、コメディとして見た場合にはシリーズとしては異色で、これが「男はつらいよ」かといえば違和感がある。系統的には家族3部作に近く、3部作が完結した翌年の作品で、シリーズのマンネリ打破と共に、3部作の影響が出たのかもしれない。
 ちなみに渥美清48歳、檀ふみ22歳。京マチ子は52歳で、シリーズ中のマドンナ最高齢。 (評価:2.5)

製作:芸苑社
公開:1976年08月28日
監督:山本薩夫 製作:佐藤一郎、市川喜一、宮古とく子 脚本:山田信夫 撮影:黒田清巳 音楽:佐藤勝 美術:間野重雄
キネマ旬報:4位
毎日映画コンクール大賞

個人的には21歳の秋吉久美子の可愛さが唯一の見所
 山崎豊子の同名小説が原作。時代設定は昭和33年で、60年安保、当時の岸信介らしき首相も登場する。小説連載中の1978年にダグラス・グラマン事件が明るみに出た。
 主人公の壱岐(仲代達矢)は伊藤忠の瀬島龍三がモデルだが、瀬島は会長にまで上り詰めている。ライバルの鮫島(田宮二郎)は日商岩井の海部八郎がモデル。
 社会派の山崎豊子と左翼系の山本薩夫が組めば、映画のテイストは観る前から想像でき、好みが分かれる映画。  元大本営参謀でシベリア抑留11年後に復員し、防衛庁の勧誘を断り民間の繊維商社に入社した壱岐が、戦闘機購入競争に係わることになり、防衛庁の元軍人の仲間を汚職に巻き込んでいくという話。抑留中の留守を忍んだ家族は軍事に係わらないことを壱岐に求めるが、結局は軍人魂を押さえられない。映画では、人を殺す欲望が抑えられないと言わせるのが、いかにも山本らしい。もっとも作戦参謀としての壱岐の提案はそれほど卓越したものではなく、フィクションの限界を感じさせる。
 山形勲、神山繁、丹波哲郎、小沢栄太郎、加藤嘉、大滝秀治等々の豪華配役陣。壱岐の妻に八千草薫、娘の秋吉久美子21歳が可愛い。
 冒頭、大阪の街並みが映るが、公開当時の街並みのロケで昭和33年に見えないのがいきなり白ける。CGのなかった当時としては、オープンセットも組めずに仕方ないのだが、大作ということを考えればハリウッドに見劣りしてしまう。 (評価:2.5)

金閣寺

製作:たかばやしよういちプロ・映像京都・ATG
公開:1976年07月17日
監督:高林陽一 製作:高林輝雄、西岡善信 脚本:高林陽一 撮影:森田富士郎 美術:西岡善信

遊女役・テレサ野田の京都弁が個人的にはツボ
 原作は三島由紀夫の同名小説。市川崑『炎上』(1958)に続く2度目の映画化。
 原作は1950年に実際に起きた金閣寺放火事件を基にした小説で、金閣寺の21歳の大谷大学生の見習い僧が放火犯人。この見習い僧の動機と人物像を三島が文学的に解釈しのが原作で、映画はほぼ原作に沿っているが、さらに高林の解釈が入る。この高林の解釈が実際の犯人の動機・人物像に対するものなのか、それとも三島作品に対するものなのかが不明。
 ただ原作で重要部分がいくつか描かれてなく、一つは芸妓を連れた老師と出会う場面。その後の老師との確執もなく、冒頭の金閣寺の美への拘りも後半薄くなっている。
 映画なので原作に拘る必要はないが、原作のこの重要な点を外したことで、主人公の放火の動機が不明瞭になってしまった。高林としては敗戦によっても変わらない日本への失望という、三島の自決とも重ね合わせたテーマにしているのかもしれないが、あまりに俗っぽい。
 もっとも実際の犯人も社会とか金閣寺に対する不満等を口にしていて俗っぽく、やはり高林なりの実際の犯行への解釈なのか?
 主人公の青年僧に篠田三郎。島村佳江、テレサ野田、市原悦子、加賀まりこと女優陣が個性的。遊女役のテレサ野田の下手な京都弁が個人的にはツボ。 (評価:2.5)

製作:日活映画
公開:1976年8月21日
監督:曾根中生 製作:三浦朗 脚本:田中陽造 撮影:山崎善弘 美術:柳生一夫 音楽:コスモス・ファクトリー
キネマ旬報:7位

原作のアナーキーさにロマンポルノで味付け
 どおくまんプロの同名漫画が原作。
 大学応援団を舞台にした不良学ランもので、暴走族などのヤンキー漫画に繋がる系譜。それを独特のギャグで味付けしたところに原作の人気があったが、人物が演じてどこまで原作の面白さを引き出せるかがポイントとなる作品。
 曾根中生の演出はそれなりに頑張っていて、親衛隊長・青田赤道のクェックェックェッのポーズもそれほど浮いてはいない。
 全編、原作のアナーキーさを前面に押し出していて、日活=曾根中生作品らしく伊佐山ひろ子、宮下順子らを起用してロマンポルノ風の味付けもしている。
 前半は設定紹介を兼ねて1回生2人が見た理不尽な応援団のエピソードが中心となるが、青田赤道(今井均)が登場してからは主役が移行する。
 応援団同士の対立は不良番長もの、ヤクザ抗争ものと同じ構図。野球の試合と応援団旗、駅伝と青田赤道の恋が前半・後半のそれぞれの山場となるが、父の妾で青田のマドンナ・宮下順子への純情が、バンカラ一辺倒ではない青春を描いて、ドラマに纏めている田中陽造のシナリオが職人技。
 無名俳優が多いが、応援団のOB役に元力士の龍虎。 (評価:2.5)

任侠外伝 玄海灘

製作:唐プロダクション、ATG
公開:1976年05月29日
監督:唐十郎 製作:富沢幸男、多賀祥介 脚本:石堂淑朗、唐十郎 撮影:瀬川浩 音楽:安保由夫 美術:今井高司

唐十郎も逮捕されたセオリー無視のアングラ映画
 状況劇場の唐十郎の監督作品として当時話題になったが、評判は今ひとつだった。
 約40年ぶりに見直すと、意味のない演出や、カットが映画的に繋がらないために、全体としてみると継ぎ接ぎの印象。主人公は誰なのか、それぞれに何を考え何をしようとしているのかが良くわからない。途中、いきなり歌謡映画になったり、ハプニング的なロケ、おそらくギャグなんだろうと思えるシーンもあったりして、ある意味アングラなのだが、白けるというか面喰う。アングラといえば、この映画の撮影で拳銃の実弾を発射して、主演の元暴力団組長・安藤昇と警察に逮捕されてもいる。
 物語は、玄界灘に面した町のやくざが韓国の女たちを密航させ東京に売りさばく話。紛れ込んだ韓国人男女2人に、朝鮮戦争当時の話が絡む。
 この手の監督によくあるのだが、意味もなくばっちいシーンを入れたり、椿三十郎ばりの出血どびゅーシーンを入れたり、必要以上のバイオレンスシーンやグロテスクシーン、罵詈雑言を入れて、それが映画的にかっこいいとかダーティだとか尖っているとか、大きな勘違いをしている。個人的には、こういうスタイルの映画や監督が好きではなく、唐十郎もこの1作だけで監督を止めて良かった。
 それでもガラクタ箱をひっくり返したようなアングラな魅力もあったりして、李麗仙と根津甚八、小松方正の演技にちょっとシンミリしたりもする。 (評価:2)

製作:東宝映画
公開:1976年10月23日
監督:今井正 製作:椎野英之、金子正且 脚本:水木洋子 撮影:原一民 音楽:渋谷毅 美術:竹中和雄
キネマ旬報:6位

今井正のアナクロニズムと配役ミスに兄妹愛も霞む
 原作は室生犀星の同名小説。木村荘十二(1936)、成瀬巳喜男(1953)に続く3度目の映画化。
 原作は1934年で、多摩川の六郷が舞台。それを現代に置き換えるのには相当無理があって、1953年版と同じ水木洋子の脚本だが、もん(秋吉久美子)を妊娠させる大学生(下條アトム)に戦前のステータスはない。さらに下條が秋吉が惚れ込むほどの男には見えないという致命的な配役ミスがあり、兄・伊之吉役の草刈正雄が大根過ぎて兄妹愛が伝わらず、ラストシーンの和解が唐突。
 この時、監督の名匠・今井は64歳と、はや老人病になっていて、娘の妊娠がこれほどの大問題になるという、とんだ時代錯誤の映画を作ってしまった。それにしても下條の大学生は心底情けない。
 映画は全体にバラバラでまとまりがなく、頑固親父・大滝秀治の演技も空振りしていて、母・賀原夏子がいいくらい。さん役に池上季実子、大和田獏、蟹江敬三、伊佐山ひろ子、絵沢萠子、なべおさみなど。
 時代設定を原作当時にするか、現代ならもっと思い切った設定変更がほしかった。老いたり、今井正。 (評価:2)

製作:松竹、バーニングプロ
公開:1976年3月13日
監督:山根成之 製作:樋口清 脚本:ジェームス三木 撮影:坂本典隆 美術:森田郷平 音楽:大野雄二
キネマ旬報:9位

郷ひろみ同様にマシュマロのようにフワフワした作品
 遠藤周作の同名小説が原作。
 2浪の予備校生・野呂(川口厚)の下宿に居候しているプータローの少年・南条(郷ひろみ)が主人公で、1人の少女(秋吉久美子)をめぐる恋と友情の葛藤を描く青春映画…というともっともらしいが、バーニングが製作に入った郷ひろみのアイドル映画で、文芸と二兎追っているために、いささか中途半端な印象が拭えない。
 郷が子どもっぽいために、少女に真剣に恋しているように見えず、思慮浅薄で、青春の葛藤とは無縁のお子ちゃまに見えてしまうのが何とも辛い。そのため、少女が南条に惹かれるという設定にどうにも無理がある。
 物語は、南条が少女を引っ掛けて相思相愛となるものの、怪我をしてデートの代役を野呂に頼んだところ、野呂が少女に熱を上げてしまい、少女も代役で済まされた意地から野呂と寝てしまう。
 気の良い南条は野呂に少女を譲ってやり少女は妊娠、2人は結婚することになるが、少女がバイト先の店長にレイプされそうになったことから南条が仕返しに行き、返り討ちにあったところを駆けつけた野呂が過剰防衛。
 南条は2人のために罪を着るが、バレて野呂が拘置され、裁判中に病死してしまう。
 生まれてくる子供と少女への本心から結婚を申し出るが、少女は3人で1組、1人欠けたらバラバラと断って故郷に帰ってしまう。
 ラストシーンは、少女が主人公と思えるくらいにカッコいい。
 遠藤周作の原作らしく、私生児の葛藤といったこの世に生まれ出る人の原罪も語られるのだが、郷の甘いマスク同様にマシュマロのようにフワフワした作品になってしまっている。
 南条と少女が働くのがロッテリアで、商品管理に不安を感じるような南条の不良店員ぶりだが、店長までレイプを働くというシナリオに、ロッテリアが良く協力したもんだと思う。 (評価:2)

君よ憤怒の河を渉れ

製作:永田プロ、大映映画
公開:1976年2月11日
監督:佐藤純弥 製作:永田雅一 脚本:田坂啓、佐藤純弥 撮影:小林節雄 美術:今井高司、間野重雄 音楽:青山八郎

タイトルからは凡そ想像もできない内容に腰が抜ける
 西村寿行の同名小説が原作。
 無実の罪を着せられた検事(高倉健)が、逃走しながら隠された陰謀を暴いていくというサスペンス劇で、途中知り合った令嬢(中野良子)とのラブストーリーも絡むという娯楽大作。
 もっともスター俳優が真面目に演技する割には中身はB級アクション。ストーリーは粗雑な上に吹き出しそうなセリフやシーンが続出するため、内容的にはコメディと言っていい。
 そもそも被害者の証言だけで逮捕されてしまう時点で相当にエンタテイメントなのだが、検事のくせに被疑者として無実の証明をせずに逃亡してしまうのが良くわからない。
 怪しい被害者を追って北海道に渡った折、熊に襲われている令嬢を助けるが、この熊が着ぐるみなのが笑える。令嬢は健さんに一目惚れ。逃げ込んだ洞窟でいきなり結ばれるという展開も娯楽作ならでは。
 ビギナーながらセスナで逃亡。新宿では街中を馬で逃亡するという度肝を抜く演出。
 政界の黒幕(西村晃)と製薬会社と精神病院長(岡田英次)が結託し、新薬を開発してアカをロボトミーにするという陰謀を企てるが、その際に起きた代議士自殺事件に検事が疑問を持って捜査を始めたために罠に嵌められたというのが事の真相。
 検事を執拗に追う刑事(原田芳雄)や司法上層部が陰謀に絡んでいるのかと思いきや、そうではなく、法律を過信するのは良くないというテーマで締め括る。
 刑事が拳銃を突きつけて逮捕し、黒幕を逮捕せずに射殺してしまうという爽快な決着の付け方もマンガ的。タイトルからは凡そ想像もできない内容に腰が抜ける。 (評価:1.5)

ふたりのイーダ

製作:映画「ふたりのイーダ」プロダクション
公開:1976年11月6日
監督:松山善三 製作:山口逸郎、赤井明 脚本:松山善三 撮影:中川芳久 美術:村木忍 音楽:木下忠司

ホラー風な民話的世界観を吹き飛ばす反戦・反核映画
 松谷みよ子の同名児童小説が原作。
 広島の母(倍賞千恵子)の実家に帰郷した幼い兄妹が、廃屋の生きた椅子と交流するというミステリアスな子供向けファンタジー。
 松谷みよ子らしく民話風に物語は進んでいき、どうやら廃屋にはかつて幼女イーダと祖父が住んでいて、その二人が突然いなくなって、椅子は二人の帰りを待ちわび、妹をイーダと思い込んでいるというあたりで、ああ、これは戦争ものなのかと気が付く。
 そこまでの展開はホラー映画風でそれなりなのだが、戦争物の輪郭がはっきりしてから突然よくある反戦映画に調子が変わって、まるで別の映画になったようでいただけない。
 原爆が前面に出てくる告発映画となり、あまつさえ黒焦げ死体などの目を背けたくなるような悲惨な記録写真が度々インサートされると、前半の民話的世界観は消し飛んでしまう。おそらくは子どもに見せるのを前提に制作されているわけで、民話風の映像が予告なしにトラウマになりそうな原爆写真展に変わってしまうのは、反戦・反核意識ばかりが先走った、見る子供のことを考えない、大人の理念の押しつけ。
 松山善三ならば、前半の民話の雰囲気を生かしながら、反原爆を子供の心に訴える作品もつくれたはずで、非常に残念。
 被爆者の母とプロポーズする男(山口崇)が、原爆症でないことを結婚条件にし、そうでないことを知って喜ぶ演出もあまり褒めたものではない。
 その原爆症を怖れる母が、二人の子供をつくった理由と先夫の存在が全く語られないのは、子供向けとはいえ不誠実。
 椅子の声に宇野重吉、母の両親に森繁久彌と高峰秀子と、配役はいいのだが・・・ (評価:1.5)