海月衛 映画帖
~映画の大海原をたゆたう~

日本映画レビュー──1956年

製作:日活
公開:1956年1月21日(第一部)、2月12日(第二部)
監督:市川崑 製作:高木雅行 脚本:和田夏十 撮影:横山実 音楽:伊福部昭 美術:松山崇
キネマ旬報:5位

ビルマは様変わりしたけれど、映画は不変
 原作は竹山道雄の児童小説。ビルマで終戦を迎え、イギリス軍の捕虜となった小隊と水島上等兵の物語。同じ市川昆によって1985年にリメイクされている。個人的には中井貴一+石坂浩二より、安井昌二+三國連太郎が好き。音楽学校出身の小隊長を演じる怪優・三國連太郎とビルマ人老婆を演じる北林谷栄がこの作品に深みを与えている。全編緩みのない演出で、時代を超えた映画。
 ラストの水島の手紙を読むシーンは蛇足のように思えるのだが、どうか。脚本は和田夏十、音楽はゴジラの伊福部昭。そういえばオープニングのクレジットはスターウォーズのよう。 (評価:4)

製作:現代ぷろだくしょん
公開:1956年3月27日
監督:今井正 製作:山田典吾 脚本:橋本忍 撮影:中尾駿一郎 美術:久保一雄 音楽:伊福部昭
キネマ旬報:1位
毎日映画コンクール大賞 ブルーリボン作品賞

冤罪・八海事件裁判と同時進行で自白偏重の司法制度を告発
 正木ひろしのノンフィクション『裁判官―人の命は権力で奪えるものか』を基に冤罪事件を描いた実話で、地名・人名等は架空になっている。正木ひろしは本作のモデル、八海事件の弁護士。
 八海事件は1951年に山口県八海で起きた老夫婦強盗殺人事件で、犯人の青年(劇中では小島、松山照夫)が逮捕され、警察の複数犯の犯行との見込と拷問による自白強要で友人5人が逮捕された。
 アリバイの成立した1人を除く5人が起訴されるが(劇中では逮捕時から4人に簡略化されている)、一審では主犯とされた阿藤(劇中では植村、草薙幸二郎)に死刑、他の4人に無期懲役の判決が下される。小島を除く4被告と検察が控訴し、弁護士は4被告の共犯が時間的に実行不可能であることを立証。被告家族らは無罪を確信するが、全員に有罪判決が下る。
 小島は無期確定、植村ら4被告は上告するが、正木ひろしが弁護団に加わり、上訴中に本作が制作されることになる。
 冤罪を確信する制作陣による社会派映画だが、自白強要と冤罪を招きやすい自白偏重の日本の司法制度への告発として、今も意義を失っていない。
 刑事による精神的肉体的拷問、見込み捜査など生々しく、今井正監督、橋本忍脚本らしい本格的作品だが、終盤無罪を確信させる描写の後で、まさかの有罪判決に転換する演出が上手い。
 ラストは警察・検察・裁判所が一体となった司法権力への冤罪告発で終わるが、八海事件そのものは、高裁差し戻し、被告に有利な証言をした証人の偽証罪逮捕という醜い過程を経て、無罪、上告、高裁差し戻し、有罪、上告と変転を繰り返し、1968年に無罪が確定する。 (評価:3.5)

洲崎パラダイス 赤信号

製作:日活
公開:1956年07月31日
監督:川島雄三 製作:坂上静翁 脚本:井手俊郎、寺田信義 撮影:高村倉太郎 音楽:真鍋理一郎 美術:中村公彦

川島雄三の代表作にして洲崎遊廓を記録した映像は貴重
 芝木好子の小説『洲崎パラダイス』が原作。
 洲崎は江東区東陽1丁目にあった地名で遊廓があった。映画は売春防止法施行直後の設定。洲崎橋の袂、洲崎パラダイスの入口にある飲み屋が舞台で、亭主に逃げられた女将(轟夕起子)と店に転がり込む元娼婦(新珠三千代)、その男(三橋達也)の再起の物語。
 もっとも、店で働き始めた元娼婦はすぐに客のラジオ商の妾となるが、籠の鳥にもなれず妾宅を逃げ出してしまう。一方、女将のところには愛人を作って逃げた亭主が帰ってくる。女将は幸せな家庭を取り戻し、元娼婦の男も蕎麦屋で真面目に働き始めたかに見えたが・・・と言ったところで元の黙阿弥。女将の店に新たな元娼婦らしき女が訪ねてきて、ラジオ商は早速食指を動かす、といったネバーエンディング・ストーリーを予感させて終わる。
 冒頭、新珠が店で働かせてほしいと頼んだ時の女将の台詞、この店で働く女に長続きする者はいない、がラストで照応している。それが洲崎であり、それが洲崎で働く女(と娼婦に惚れる男)なのだと。
 遊廓のある洲崎橋の向こうに対して、こちらは堅気の世界。女将の店はその境にあって、ギリギリ堅気の世界に身を置いている。その店にやってくる男と女は、どちらにも転ぶ不安定な者たち。そんな人間の弱さと悲しさ、滑稽さを描く。
 蓮っ葉女を演じる新珠三千代がいい。蕎麦屋の店員を芦川いづみ、小沢昭一が演じるが芦川が可愛い。
 作品とは別にこの映画が貴重なのは、往時の洲崎の様子を映像として記録していることで、埋め立てられた洲崎川を始め面影は現在に残っていない。惜しむらくは遊廓の外の風景のみで、中の様子がないこと。川島雄三の代表作の一つ。 (評価:3)

製作:東宝
公開:1956年11月20日
監督:成瀬巳喜男 製作:藤本真澄 脚本:田中澄江、井手俊郎 撮影:玉井正夫 美術:中古智 音楽:斎藤一郎
キネマ旬報:8位

置屋の亭主になったつもりで見る茶飲み話
 幸田文が柳橋の置屋の住み込み女中をしていた時の体験を基に書いた、同名小説が原作。
 当時の名女優を揃え、これでつまらない作品ができるわけはないという置屋を舞台にした成瀬巳喜男渾身の作品で、確かに見応えは十分なのだが、ドラマの方も流れるままにメリハリを欠き、エッセイのようにまとまりのない締まらないラストとなる。
 男に入れ込んだために傾いてしまった置屋の女将に、大御所・山田五十鈴。その娘に高峰秀子。妹に『素晴らしき日曜日』(1947)の中北千枝子、姉に賀原夏子、年増の芸者に杉村春子、若い芸者に岡田茉莉子と芸達者を揃え、これをウォッチする語り部の住み込み女中に田中絹代と超豪華キャスト。
 さらには、戦前の大女優・栗島すみ子が置屋組合の組合長として特別出演して、山田五十鈴と堂々の貫禄演技を見せる。
 これら女優陣の演技だけでも十分に見応えがあり、置屋の亭主になったつもりで酒かお茶でも啜りながら女たちのドラマを見るのが一番正しい鑑賞法で、終盤、山田五十鈴が三味線を爪弾きながら長唄を歌うシーンは、名女優の本領発揮で見逃せない。
 演技とはかくあるべし、映画とはかくあるべしという見本を成瀬巳喜男は存分に呈示してくれるが、今ひとつ物足りないのは原作の故か、はたまた背景として描かれる売防法後の花街の衰退がそこはかとない影を落としているためか。
 物語は、借金に首が回らなくなった置屋の女将を中心とした人間模様を女中の目を通してスケッチしていくが、売防法取締りを避けるために警官を懐柔したり、喧嘩して置屋を出た芸者の千葉の伯父(宮口精二)が強請りにやってきたりする。
 やがて、組合長が借金を肩代わりする代わりに置屋のオーナーとなって、女将は置屋を続けられることになり、女中が郷里に帰ることになってチョンとなるという、茶飲み話に相応しい幕切れ。
 中北の元亭主に加東大介、乾物屋の主人・上田吉二郎が後年の悪役俳優の片鱗を感じさせる演技でいい。 (評価:3)

製作:松竹大船
公開:1956年1月29日
監督:小津安二郎 製作:山内静夫 脚本:野田高梧、小津安二郎 撮影:厚田雄春 美術:浜田辰雄 音楽:斎藤高順
キネマ旬報:6位

仕事も家庭も流れに身を任せるだけのサラリーマン人生
 小津安二郎には珍しく、不倫をテーマにした夫婦の物語。
 子供を幼くして疫痢で亡くした倦怠期の夫婦(池部良、淡島千景)。夫は丸ビルの煉瓦会社に勤めるサラリーマンで、好意を持つ同期の独身女(岸恵子)と不倫してしまう。
 それに気づいた妻が家を出たところに、夫に岡山県三石町への転勤話。心機一転、単身転勤した夫を追いかけて妻がやってきて、過去を水に流して再出発を誓って終わる。
 間に、脱サラした先輩(山村聰)、左遷された元上司(笠智衆)、自営業の戦友(加東大介、宮口精二)とのエピソードが入り、サラリーマンの悲哀が語られる。
 社宅と会社を往復するだけの毎日、会社の延長にある社宅、通勤も一緒なら終業後も会社の人間と一緒で、休日も同期たちと過ごす。さらに浮気も社内という、会社に囲われてしまった社畜人生を嫌味なく描写し、そこから飛び出すこともなく、流れに身を任せるサラリーマン人生を温かい目で見守る。
 齢53歳の小津安二郎らしく、人生の悲哀と諦観、夫婦の在り方や男女の間合いなど、円熟のシナリオと演出で語る恬惔とした人生論が、心にしみじみと浸みてくる。
 夫の浮気に腹を立てる妻に対して言う母(浦邊粂子)の「怒るってことは、まだ亭主のことが好きなんだね」の台詞が、夫婦の関係を表して上手い。
 その中で、夫がなぜ浮気をしたのか、浮気相手をどう思っているのか、妻のことをどう思っているのか、池部良の演技は、サラリーマン同様に流されるだけで今一つ茫洋としている。 (評価:2.5)

製作:山本プロ、まどかグループ
公開:1956年12月19日
監督:山本薩夫 製作:松本酉三、吉野順二 脚本:八住利雄、山形雄策 撮影:前田実 美術:平川透徹 音楽:芥川也寸志
キネマ旬報:7位

半世紀を経ても変わらない日本の政治風土が悲しい
 杉浦明平のルポルタージュ『台風十三号始末記』が原作。
 1953年9月に志摩半島から伊勢湾を横切った台風13号で被害を受けた、渥美半島の福江町がモデル。
 海浜の町、富久江町が台風で大きな被害を受ける中、被災した町民はほったらかしで、小学校の木造校舎を台風で倒壊したことにして、1千万円の政府補助金を詐取して鉄筋コンクリートの校舎に建て替えようと画策する町長以下、町議会議員たちの醜態を描くコメディ。
 木造校舎を故意に取り壊したことを大蔵省の監査官に見破られ、補助金は100万円しか出ず町長たちの目論見は水泡に帰すが、それでも地元建設業者と癒着する町のボスたちが町民を騙して鉄筋校舎を建てようとするのがあざとい。
 この騒動に巻き込まれるのが、正義漢だが気に弱い代用教員・里井(菅原謙次)と同僚教諭の妙子(野添ひとみ)で、里井に会いに東京からやって来た友人・吉成(佐田啓二)が大蔵省監査官と間違われたことから、町のボス連中の悪事が明るみに出るというストーリーになっている。
 社会派・山本薩夫らしい地方政治の風刺と批判で、半世紀以上を経ても十分に楽しめる作品になっている。
 それ以上に驚かされるのは、半世紀以上経っても日本の政治風土が変わっていないことで、町のボスや有力者が支配する地方政治、彼ら地方政治家と持ちつ持たれつの関係にある地元業者、利益誘導で有権者の票を得る政治家、そうした政治を地縁・血縁で支える有権者、補助金に頼ることしか考えない地方自治体という歪んだ姿は、今と少しも変わらない。
 これを山本薩夫の慧眼と捉えるべきか、我々国民の愚昧と捉えるべきか、本作の問いかけが今も生きているのが悲しい。 (評価:2.5)

製作:松竹
公開:1956年11月21日
監督:小林正樹 脚本:松山善三 撮影:厚田雄春 美術:平高主計 音楽:木下忠司
キネマ旬報:10位

野球スカウトを通して金がすべての戦後の風潮を風刺
 小野稔の同名小説が原作。1955年に南海ホークス入団の穴吹義雄の争奪戦がモデル。
 主人公は東洋フラワーズ(東映がモデル?)のスカウト岸本(佐田啓二)。阪電リリーズ(阪神?)、九州チューリップ(西鉄?)、大阪ソックス(南海)らと昭和大学(中央大学)の強打者・栗田(大木実)の争奪戦を繰り広げる話で、最終的に大阪ソックスが1千万円の契約金で射止める。
 栗田には才能を見込んで投資、育ててきた恩人・球気(伊藤雄之助)がいるが、各球団に小遣いをせびるという食えない男。球気が戦時中、中国のスパイだったという情報を基に、岸本は球気の裏を読みながら取り込みに成功する。
 ところが球気に契約交渉を一任していた栗田の両親がこれを撤回。栗田の兄たち(三井弘次、花沢徳衛、磯野秋雄、織本順吉)が契約金を吊り上げ、それぞれに袖の下を貰うという金塗れの醜い争いになる。
 秋になり、岸本は栗田との最終交渉に臨むが、栗田は球気の指示を無視して大阪ソックスと契約。約束を違えた栗田の兄たちは刃傷沙汰となり、病気の球気は結果を知らずに臨終となる。
 栗田本人を含め、すべてが金のために醜い行動をとるという後味の悪い作品で、逆に言えば、金に群がる人々の戦後の醜い風潮を風刺している。
 その中で一人逆らうのが栗田の恋人・笛子(岸恵子)で、球気を逆に利用しているのは栗田の方だと非難して、そのために遠ざけられる。その笛子と接するうちに、岸本は金塗れの争奪戦に距離を置くようになり、球気が栗田に賭けた思いもまた知るようになる。
 本作の救いはそこにあるが、札束を踏み越えて初試合のバッターボックスに立つ栗田の眼差しの先に、金の予感を漂わせて物語は終わる。
 神宮球場の空撮から始まるプロローグが、昭和を伝える貴重映像。阪電のスカウト・多々良純がいい。 (評価:2.5)

赤線地帯

製作:大映東京
公開:1956年3月18日
監督:溝口健二 製作:永田雅一 脚本:成沢昌茂 撮影:宮川一夫 美術:水谷浩 音楽:黛敏郎

赤線廃止前夜の娼婦たちをスケッチするだけの作品
 芝木好子の『洲崎の女』が原作だが、舞台は吉原。溝口の遺作となった作品。
 1953年の『祇園囃子』の木暮実千代、若尾文子に、溝口作品常連の京マチ子を加え、売春防止法前夜の吉原の娼家を描く。
 父親の保釈金のために娼婦となり、貯金が趣味の若尾文子。裕福な家に育ちながらも父に反発して放蕩し吉原にやってきた京マチ子。結核の夫と幼子の治療費と生活費のために娼婦となった木暮実千代。ほかに、一人息子を育てるために娼婦となった三益愛子、普通の結婚を夢見る田舎者の町田博子とそれぞれに事情を抱えた女たちを、溝口は独特の視線で温かく描く。
 女優たちの演技もそれを支えてなかなか面白い人間模様が描かれるが、ラストシーンは下働きの少女が化粧して初めて客を取るシーンで終わるものの、溝口が本作で何を描きたかったのかが今ひとつ明確に伝わらない。
 体を売って生きる女たちの悲惨なのか生命力なのか、はたまた赤線廃止によって彼女らが救われるのか生きる手段を失うのか、女を食い物にする娼家(進藤英太郎、沢村貞子)の鉄面皮には触れるものの、赤線廃止前夜の娼婦たちをスケッチするだけで、彼女たちの生き方や行く末、あるいは娼婦という存在そのものには迫れていない。
 女のしたたかさへの応援歌を描いた川島雄三の『女は二度生まれる』(1961)、あるいは行きつく先のない姿を描いた『洲崎パラダイス赤信号』(1956)に比べて、今ひとつ生温い作品となっている。 (評価:2.5)

狂った果実

製作:日活
公開:1956年7月12日
監督:中平康 製作:水の江滝子 脚本:石原慎太郎 撮影:峰重義 美術:松山崇 音楽:佐藤勝、武満徹

戦前の高等遊民・デラシネだが、女と暴力というのが戦後的
 原作は石原慎太郎の同名小説。映画化の条件として出された弟・石原裕次郎の初主演作。
 無目的な若者たちを描いたという点では、戦前の高等遊民・デラシネの流れを汲むが、その結果が女と暴力という点が戦後的とも、石原慎太郎的ともいえる作品。
 主人公は兄弟で、この二人が一人の女を取り合うのだが、女を後に裕次郎と結婚する北原三枝が演じている。
 この結論どおりに、裕次郎は弟から女を奪ってしまい、結果、怒り狂った弟が洋上で二人に暴力的なアタックをして明日のない、空しい結末を迎える。
 弟を演じるのが津川雅彦だが、ペンギン歩きの洟垂れ小僧のような情けない弟で、人妻の女を未婚の娘だと信じて騙される。
 遊び仲間と高等遊民・デラシネの毎日を送る兄は、その弟に無目的な太陽族だと批判され、女に騙されている弟の目を覚まさせるつもりか、デラシネの性からか、女と寝て離れられなくなり、弟と奪い合いを演じる。
 女は中年の外人と結婚していて、オンリーさんだったのかどうかの素性は明かされないが、夫を愛してはいず、浮気ばかりを繰り返しているうちに純な弟に純に惚れてしまったと告白する。
 三角関係の話自体は適当に面白いので飽きずに見られるが、捉えどころのない3人の男女の捉えどころのない物語で、湘南とヨットが登場する遊び人の若者たちの風俗がどうにも風俗映画的で、食傷する。
 デラシネを否定する弟が、戦後の無目的な若者を代表する兄と女を否定して破壊するという点が、テーマといえばテーマか。
 見どころは、兄弟を手玉に取る北原三枝の体当たり演技。 (評価:2.5)

驟雨

製作:東宝
公開:1956年1月14日
監督:成瀬巳喜男 製作:藤本真澄、掛下慶吉 脚本:水木洋子 撮影:玉井正夫 美術:中古智 音楽:斎藤一郎

見合い時代の夫婦のノウハウ
 『驟雨』等の岸田国士の戯曲が原作。
 結婚4年目の夫婦(佐野周二、原節子)の日常を描いた作品で、倦怠期とはいえあまりに不毛な夫婦に見える。
 時代背景を考えれば、おそらく二人は見合いで結婚したのであり、特に互いを好きでも嫌いでもない。夫と妻という枠に収まっているだけで、夫婦という社会的な形式を受け入れているに過ぎない。
 結婚して4年も経てば互いの性格を熟知して、欠点ばかりが目につくようになる。夫婦を演じながらもそれぞれの生き方を模索し、その障碍が相手にあると考えるようになる。本作はそうした時代の夫婦の在り方を描き、妥協しながらも生涯の伴侶として相手を受け入れていく。
 当時はそうして二人は老い、子は鎹となり、共に白髪の生えるまで支え合って共同生活を営み、墓場に入ったが、現代ならば熟年離婚の道をまっしぐらということになる。
 そうした冷めた夫婦を佐野と原が好演しているが、不満たらたらの新婚の妻を香川京子、隣の芝生を小林桂樹と根岸明美が演じるが、見合い時代の夫婦が上手くやってくためのノウハウ的なところがあって、現代性は皆無。小津が描く普遍的な家族とは対極にあって、不毛感だけが残る。
 舞台は小田急線梅ヶ駅の住宅街。今なら田園都市線を舞台にしたマイホームドラマ。 (評価:2.5)

雑居家族

製作:日活
公開:1956年5月3日
監督:久松静児 製作:坂上静翁 脚本:田中澄江 撮影:姫田真佐久 美術:木村威夫 音楽:斎藤一郎

轟夕起子に母親らしさが足りないのが難
 壺井栄の同名小説が原作。
 女流作家の家が舞台で、安江(轟夕起子)と文吉(織田政雄)の夫婦は子宝に恵まれず、死んだ姉の夫・兵六(伊藤雄之助)から預かった赤ん坊を養女にしたのをきっかけに、妹の遺児、病気の知人の息子の3人を育てているというお人好し。
 そこに郷里・小豆島の親戚の家出娘・浜子(左幸子)が転がり込み、騒動を巻き起こすというのが大筋。失敗続きの兵六は金の無心に訪れ、次男の郵便貯金にまで手を出した挙句、敷金を取って勝手に大学生を下宿させる。これがタイトルの由来。
 浜子が妊娠し未成年のために堕胎できずに家出。これを兵六が保護して屋台の雑貨商で自活を始める。次男への返済のために貯金の積み立てを始め、浜子も家に戻って子を産むことにするという再出発の物語。お人好しの雑居家族で血は繋がらないが、心で繋がっているという、家族とは何かを問うヒューマンドラマとなっている。
 久松静児らしい、やさしさと温かさに満ちた好編で、姫田真佐久のカメラを通した人物描写がしみじみとした気持ちにさせる。
 轟夕起子が20代から老年までを演じるが、やや母親らしさが足りないのが難。大人になってからの長女を新珠三千代、幼少時を二木てるみ。 (評価:2.5)

製作:東京映画
公開:1956年10月9日
監督:豊田四郎 製作:滝村和男、佐藤一郎 脚本:八住利雄 撮影:三浦光雄 美術:伊藤憙朔 音楽:芥川也寸志 キネマ旬報:4位

森繁久彌、山田五十鈴の演技が上手すぎて脳内からアルファ波が出る
 谷崎潤一郎の同名小説が原作。
 出来は悪くない。猫を含めて森繁久彌、山田五十鈴といった芸達者が揃い、男女の愛憎模様を演じ、至芸の人情喜劇となっている。しかし、ほんわかしすぎてドラマチックでもなく、ギャグというよりは穏やかなユーモアで、まったりとした芝居と演出に睡魔に勝てなくなる。
 クラシック音楽を聴くとアルファ波が出て眠くなるのと同様に、森繁、山田の演技が上手すぎて、脳内からアルファ波が出るのかもしれない。
 舞台は芦屋。母一人子一人で育てられた庄造(森繁久彌)は母(浪花千栄子)の言いなりで、姑とそりの合わない妻・品子(山田五十鈴)を離縁してしまう。後釜に収まったのが金持ち娘で財布代わりの福子(香川京子)だが、少々軽薄。
 それを知った品子は庄造を取り戻すことを決意し、庄造が一番に愛しているのは妻ではなく愛猫リリーだと福子の嫉妬心に火を点け、リリーを手に入れるのに成功。意気消沈した庄造はリリーを取り返しに品子の家に潜入。見つけた品子はよりを戻そうとするが、そこに福子がやってきて…という展開。
 男と女二人の三角関係に猫も絡んだ複雑な関係が展開するが、内輪話で基本的にストーリーがつまらない。そこを森繁、山田の芸でカバーするが、二人に頼り過ぎて緊張感がないのが睡魔を招く原因となっている。
 それではだめだと、香川京子が下着姿や水着、ホットパンツで均整の取れた肢体を晒すが、もとよりセクシー女優ではないので、睡魔を駆逐することができない。
 二人の女から追い出されて家なしとなった庄造が最愛のリリーと雨の中で抱き合うという、愛猫家に響くラストとなるが、女二人に散々放り投げられ、雨の中びしょ濡れになる若干虐待気味の猫の熱演に鰹節を贈りたい。
 香川京子の露出度の高い肢体美も本作の大きな見どころだが、残念ながらDVD化されていない。 (評価:2.5)

人間魚雷出撃す

製作:日活
公開:1956年12月26日
監督:古川卓巳 製作:岩井金男 脚本:古川卓巳 撮影:横山実 美術:小池一美、千葉一彦 音楽:小杉太一郎

声高な反戦映画になっていない分、戦争の虚しさが伝わってくる
 伊号第58潜水艦の元艦長・橋本以行、軍医長・斎藤寛、回天搭乗員・横田実らの手記を基に、1945年7月、テニアン島に原爆を運んだアメリカ海軍重巡洋艦インディアナポリスを撃沈した、回天特別攻撃隊多聞隊の同艦の軍記を描く戦争映画。
 終戦後、艦長(森雅之)が米軍の査問を受けるシーンから始まり、瀬戸内海の回天訓練を経て、伊58潜水艦が出撃。フィリピン沖でインディアナポリスを撃沈するまでを艦長の独白という形式で描く。
 回天に搭乗するのは石原裕次郎、葉山良二、杉幸彦、長門裕之の四人で、出撃前夜、それぞれ家族に別れを告げにいくが、すでに沖縄戦は終了しているのに、本土防衛どころか、遥々フィリピン海まで出かけるという大和魂が凄い。
 1回目の戦闘で葉山と杉が米軍の艦船を撃沈するが、通信機の故障で石原の回天が出撃できない。回天搭乗員が特攻を果たせずに帰還すれば生き恥とばかりに死に急ぐが、無駄死にはさせないと艦長に諌められる。
 2回目の戦闘では長門の回天も通信機が故障。通常の魚雷だけでインディアナポリスを沈めるが、逆探知され伊58は爆雷攻撃を受けて浸水、危機に陥る。
 そこで生き恥二人組が、故障のまま回天で出撃。敵を撹乱・撃沈する間に伊58は戦闘海域を離脱し、帰還する。
 「こんな戦法では勝てない」と石原に言わせているが、声高な反戦映画になっていない分、戦争の虚しさがリアルに伝わってくる。
 石原が太陽族の演技で、戦後の不良がかった慶應ボーイに見えてしまうのがいただけないが、森の抑制の効いた演技がいい。
 掌水雷長・安部徹、航海長・西村晃の戦争体験組の演技が自然で、軍隊調の定型パターンになっていないのも好感が持てる。 (評価:2.5)

父子鷹

製作:東映京都
公開:1956年5月3日
監督:松田定次 脚本:依田義賢 撮影:川崎新太郎 美術:桂長四郎 音楽:深井史郎

麟太郎の生い立ちを描く後半は美談ばかりの偉人伝で退屈
 子母澤寛の同名小説が原作。
 勝海舟の父・勝小吉が主人公の物語で、旗本・男谷家の三男として生まれ、跡継ぎのいない旗本・勝家の養子となるも、喧嘩っ早くて破天荒な性格・行動から無役のままで番入りが叶わず不遇をかこつ人生が描かれる。
 その小吉の唯一の手柄が麟太郎、後の勝海舟を子に持ったことで、まさに鳶が鷹を生んだが、それでは物語にならないという訳で、曲ったことの嫌いな真っ直ぐな男として描き、鷹が鷹を生んだというこじつけがタイトルになっている。
 揉め事ばかりを引き起こす小吉を描く前半は面白いが、麟太郎の生い立ちを描く後半は美談ばかりの偉人伝になって退屈になる。
 小吉を演じるのが市川右太衛門で、江戸っ子らしい気風はいいのだが、剣術と腕っぷしは滅法強い荒くれに見えないのが残念なところで、もろ肌脱ぐとぶよぶよの体型というのがいただけない。
 意地悪ババアの勝家の養祖母(東山千栄子)、物わかりのいい実父・男谷平蔵(志村喬)、実直な実兄・男谷彦四郎(月形龍之介)と脇を固める俳優たちがいい。
 小吉の妻・お信(長谷川裕見子)、平蔵の用人・利平治(薄田研二)が麟太郎の学問を支え、その才が認められて麟太郎が12代将軍・家慶の五男・初之丞の遊び相手に召され、江戸城に登城、初御目見するシーンで終わるが、麟太郎役の北大路欣也は市川右太衛門とは実際の親子にして、本作が初デビュー。13歳にして精悍な顔立ちがいい。 (評価:2)

製作:大映京都
公開:1956年09月12日
監督:吉村公三郎 製作:永田雅一 脚本:田中澄江 撮影:宮川一夫 音楽:池野成 美術:内藤昭
キネマ旬報:2位

大年増にしか見えない25歳・山本富士子の不倫ドラマ
 ​澤​野​久​雄​の​同​名​小​説​が​原​作​。
​ ​監​督​は​吉​村​公​三​郎​で​、​映​画​技​法​の​古​さ​は​否​め​な​い​。​天​下​の​美​男​美​女​、​山​本​富​士​子​と​上​原​謙​の​不​倫​ド​ラ​マ​だ​が​、​演​技​は​御​世​辞​に​も​上​手​く​な​く​、​二​人​と​も​顔​に​白​粉​や​ド​ー​ラ​ン​を​塗​り​た​く​っ​た​厚​化​粧​で​不​自​然​こ​の​上​な​い​。​そ​の​厚​化​粧​の​せ​い​で​は​な​い​が​、​互​い​に​な​ん​で​相​手​を​好​き​に​な​っ​た​の​か​が​ま​っ​た​く​伝​わ​ら​な​い​。
​ ​天​下​の​美​男​と​美​女​が​出​会​え​ば​二​人​の​恋​物​語​に​決​ま​っ​て​い​る​だ​ろ​う​、​と​い​う​お​約​束​の​も​と​に​段​取​り​を​踏​ん​だ​ス​ト​ー​リ​ー​だ​け​が​進​行​し​、​お​と​っ​つ​あ​ん​の​東​野​英​治​郎​を​始​め​、​み​ん​な​木​偶​の​棒​に​し​か​見​え​な​い​。
​ ​物​語​は​京​都​の​染​物​屋​(​東​野​)​の​娘​で​ろ​う​け​つ​染​め​デ​ザ​イ​ナ​ー​の​先​生​・​山​本​が​、​若​干​行​き​遅​れ​な​が​ら​も​父​を​助​け​、​家​業​の​た​め​に​デ​ザ​イ​ナ​ー​と​し​て​売​り​込​み​を​か​け​る​が​、​美​人​ゆ​え​に​男​た​ち​が​ま​と​わ​り​つ​く​。​そ​の​中​で​た​ま​た​ま​自​分​が​デ​ザ​イ​ン​し​た​ネ​ク​タ​イ​を​締​め​て​シ​ョ​ウ​ジ​ョ​ウ​バ​エ​の​研​究​を​し​て​い​る​大​学​教​授​と​知​り​合​い​、​不​倫​の​炎​を​燃​え​上​が​ら​せ​る​。
​ ​残​念​な​の​は​、​こ​の​時​2​5​歳​の​山​本​が​男​経​験​を​積​ん​だ​大​年​増​に​し​か​見​え​ず​、​可​愛​ら​し​さ​の​欠​片​も​な​い​こ​と​。​上​原​も​成​り​行​き​任​せ​で​女​の​い​い​な​り​の​ダ​メ​男​に​し​か​見​え​ず​、​ス​リ​ル​も​パ​ッ​シ​ョ​ン​も​な​い​。
​ ​推​量​す​る​に​新​時​代​の​女​の​自​立​し​た​生​き​方​を​描​い​た​作​品​で​、​結​婚​に​拘​ら​ず​に​仕​事​と​恋​に​生​き​る​女​。​し​か​も​後​添​え​を​求​め​る​男​に​女​は​従​属​す​る​立​場​を​否​定​す​る​。​し​か​し​、​そ​れ​が​観​客​に​伝​わ​っ​た​か​と​い​う​と​心​許​な​い​。 (評価:2)

サザエさん

製作:東宝
公開:1956年12月12日
監督:青柳信雄 製作:杉原貞雄 脚本:笠原良三 撮影:遠藤精一 美術:北猛夫、植田寛 音楽:原六朗

高倉が愛した江利チエミの愛らしさに溢れたサザエが最大の見どころ
 長谷川町子の同名漫画が原作。1965~67年にかけて、TBSで江利チエミ主演のTVドラマが人気となり、同じ江利チエミ主演で映画化されたもの。
 フネの清川虹子はそのままだが、マスオは川崎敬三から小泉博、波平は森川信から藤原釜足、ワカメは上原ゆかりから松島トモ子、カツオも変更になっていて、TV版を見慣れていると違和感がある。
 映画版はシリーズ化されて全10作が制作され、舞台にもなって、江利チエミのサザエさんははまり役だった。
 映画版の本作は、サザエの独身時代が描かれ、マスオとの出会いと恋が中心の話となる。家事手伝いのサザエが社会を知るために両親の反対を押し切って出版社に就職するという設定が、当時の時代背景を映し出すが、失敗したサザエがマスオの紹介で探偵社に勤めて、ノリ助の見合い相手の素行調査に乗り出すという、ほのぼのコメディ。
 ノリ助に仲代達矢、作家先生に花菱アチャコ、探偵所長に森川信という東宝らしい豪華キャストだが、話は時代性を映してまったりしていて、テンポもギャグも今ひとつでいささか退屈。
 サザエが夢想の中で歌を歌ったりという、歌手・江利チエミをサービスする歌謡映画的なところもあって、童謡歌手・松島トモ子も歌を披露する。終盤のクリスマスイブに江利チエミが「きよしこの夜」を歌うシーンがあるが、進駐軍キャンプのジャズで鍛えた英語の発音はなかなか。
 3年後に高倉健と結婚。異父姉の横領事件で高倉に迷惑を掛けないために離婚し、45歳で急死したが、高倉は離婚後も再婚せず、チエミの菩提を弔い続けた。
 高倉が愛した江利チエミの愛らしさに溢れたサザエが最大の見どころか。 (評価:2)

太陽の季節

製作:日活
公開:1956年5月17日
監督:古川卓巳 製作:水の江滝子 脚本:古川卓巳 撮影:伊佐山三郎 美術:松山崇 音楽:佐藤勝

裕福な家庭に育った子供たちの堕落を描いた教育映画?
 原作は石原慎太郎の芥川賞受賞の同名小説。奔放な若者たちを描いたこの小説が当時話題を巻き起こし、太陽族なる言葉を生んだことが、世間から忘れられて久しい。
 ボクシング部に入った高校生が町で女の子をナンパし、デキてしまう。しかし二人とも格好つけか素直でないかで、娘は遊び相手が多くて男を愛せなくなった、少年は面白可笑しく生きればよいと恋の駆け引きが始まり、ついには娘との交際権を兄に金で売ってしまう。
 娘は娘で交際権を買い戻してこれで少年は自分が身請けしたも同然だとするが、妊娠してしまい、優柔不断な少年への当てつけに中絶手術を受け死んでしまう。最後は「何で死んだんだよ!」といって、祭壇に鈴を投げつけて終わる・・・というのが大枠のストーリー。
 時代の風俗を描いただけに終わっていて、今見ると、で? という感想しか出ない。
 物語自体が面白いわけでもなく、単なる不良同士のラブストーリーを見せられても、終戦を転機に大きく風俗や価値観が変わった当時ならまだしも、退屈な時間を送るだけにしかならない。
 致命的なのは、高校生役の長門裕之のグループが不良大学生にしか見えないことで、娘役の南田洋子も少し若い目の有閑マダムにしか見えないこと。
 この連中が高そうなダンスホールで飲食し、酒まで掻っ食らっていると、ただの不良大学生かフーテンで、10代のナイーブな不良少年の悲恋物語に見えないのが、どうにも辛い。
 それにしても湘南が舞台とはいえ、出てくるのは金持ちのボンボンとお嬢ばかりで、リアリティの欠片もなく、裕福な家庭に育った子供たちの堕落を描いた教育映画かと勘違いしてしまう。
 石原裕次郎、石原慎太郎兄弟がチョイ役で出演しているのが、数少ない見どころ。 (評価:1.5)

女囚と共に

製作:東京映画
公開:1956年9月11日
監督:久松静児 製作:滝村和男 脚本:田中澄江 撮影:小原譲治 美術:小島基司 音楽:斎藤一郎

男を憎んで女を憎まずという人道映画
 女子刑務所を舞台にした146分の大作で、豪華女優陣が女看守・女囚に扮しているのが最大の見どころだが、主演の原節子が女囚ではなく看守というのが配役的には残念なところ。
 仏の看守として女囚たちの人望厚い保安課長・原節子が、ひねくれ者の女囚・久我美子の更生に努力するというを縦糸に、横糸にそれぞれの女囚の境遇を描く。
 久我は良家の子女で、前科を知った夫が他の娘と結婚したことを恨んで放火、自殺未遂で愛児を殺した過去を持つ。岡田茉莉子は夫殺し、香川京子は関係を強要した養父殺し、浪花千栄子は前科を繰り返す女スリ、他に木暮実千代、淡路恵子、千石規子、杉葉子が女囚に。
 いきなり圧倒されるのが、女子刑務所にやたら乳児がいっぱいいること。おまけに就労支援どころか結婚斡旋までしていることで、ラストに至っては香川京子が花嫁衣装で仮出所して嫁入りする。それにしても香川京子は花嫁姿が似合う。
 原節子は善人がお約束で、久我美子が言う通りの偽善者にしか見えないのが残念なところで、女囚たちの信望も原節子だから当然という強引な設定で、演技・演出ともに説得力がない。
 その原が女看守になったきっかけも厚生省の役人だった夫の浮気が原因という、これまた無理やりな設定で、最後は反省した夫が現れるものの原は仕事を選ぶという、永遠の処女・原節子ならではの結末になっている。
 女子刑務所に毒婦のような女が見当たらないのもリアリティに欠け、田中澄江の脚本は『星の流れ』張りに、こんな女に誰がしたという、悪いのはみんな男、罪を犯した女は本当は被害者という、男を憎んで女を憎まずという、人道主義な思想に貫かれている。 (評価:1.5)

空の大怪獣 ラドン

製作:東宝
公開:1956年12月26日
監督:本多猪四郎 製作:田中友幸 脚本:村田武雄、木村武 撮影:芦田勇 美術:北辰雄 音楽:伊福部昭 特技監督:円谷英二

ゲスト出演ばかりだったことに半世紀以上経って得心
 黒沼健の小説が原作。
 『ゴジラ』(1954)に続いて人気となった怪獣だが、改めて観るとつまらない。プテラノドンが突然変異した翼竜型で、空飛ぶ怪獣というコンセプトが『ガメラ』(1965)同様に子供的には受けたが、キャラクターとしての人気と作品の良し悪しは別で、誰に向けて作った映画なのかがよくわからない。
 『ゴジラ』もそうだが、本多はファミリー向け映画が作れなかったのか、敢えてファミリー向けには作らなかったのか、シナリオはあまり子供のことを考えていない。
 舞台は阿蘇に近い炭鉱で、古代トンボの幼虫・メガヌロンに炭鉱夫が惨殺されるところから物語は始まる。炭鉱事故張りの発端で、修羅場を演じるのは大人ばかりで社会派ドラマを見ているような気分にさせられる。
 この希少生物種を捕獲ではなく警察が退治してしまおうという展開には時代性を感じさせるが、メガヌロンを食餌するのがラドンで、大賀ハスの種的卵が残っていて、度重なる核実験で卵が孵化してしまったのだという説明が後段でなされるが、ゴジラのように直接被爆をしたわけではないので説得力に欠ける。
 落盤で坑道に閉じ込められた技師(佐原健二)が記憶喪失で助け出され、謎のUFOが自衛隊機を撃墜し、北京・マニラと暴れまくる中で、技師が記憶を取り戻して正体はラドンとなる。
 ここからは自衛隊がラドンの巣にロケット砲を雨嵐のように撃ち込むという特撮ショーが延々と工夫もなく続いて、ラドン丸焼き、意味もなく感傷に浸る技師と恋人(白川由美)でエンドとなる。
 ストーリーはラドン登場の段取りを踏むだけでドラマはなく、かといってゴジラのように迫りくる危機というスリリングな展開でもないので、前半を中心にかなり退屈。ラドンとの決戦シーンも花火が上がるだけ。
 よくよく考えれば、空を飛んで羽ばたくだけしか芸のないラドンではゴジラのような乱暴狼藉もプロレスも無理で、子供心に感じた翼竜のカッコ良さだけでは、ティラノサウルスの悪役の活躍は期待できないということ。
 その後もラドンは主演とはなり得ず、ゲスト出演ばかりだったことに半世紀以上経って得心するのだった。 (評価:1.5)