海月衛 映画帖
~映画の大海原をたゆたう~

日本映画レビュー──1955年

製作:東宝
公開:1955年01月15日
監督:成瀬巳喜男 製作:藤本真澄 脚本:水木洋子 撮影:玉井正夫 音楽:斎藤一郎 美術:中古智
キネマ旬報:1位
毎日映画コンクール大賞 ブルーリボン作品賞

万華鏡のように女の心を演じる高峰秀子に尽きる
 林芙美子原作で成瀬巳喜男の代表作。男女の愛の遍歴を描く、ともすれば冗長になりがちな物語だが、それをテンポ良く見せて行く水木洋子の脚本の完成度は高い。
 この映画の最大の見どころは、どうしようもない男を愛し続ける女の二転三転する心境を万華鏡のように熱演する高峰秀子に尽きる。最後はそのひたむきさと女の純情にほろりとさせられてしまう。山形勲、加東大介、岡田茉莉子もいい。ただ惜しむらくは、高峰の愛人のどうしようもない男を演じる森雅之が今ひとつなこと。虚無的・刹那的な性格が伝わらず、単に恰好つけの女好きで酷薄な男にしか見えないところが、この作品の評価を下げている。ラストの仏印の回想シーンも安っぽい。
 戦後の東京の街並みや路地裏の子供たちなど、生活の様子が窺われるのも見どころのひとつ。千駄ヶ谷駅や神宮外苑ロケも当時が偲ばれる。 (評価:4)

製作:日活
公開:1955年2月3日
監督:久松静児 製作:坂上静翁 脚本:井手俊郎 撮影:姫田真佐久 美術:木村威夫 音楽:團伊玖磨
キネマ旬報:6位

これ以上はない俳優陣の中で光る子役・二木てるみの名演技
 伊藤永之介の同名小説が原作。
 会津の田舎町の警察署を舞台にした人情ドラマで、失恋した青年(伊藤雄之助)、捨て子の姉弟、人身売買の斡旋屋(杉村春子)と貧農の娘(岩崎加根子)、万引きの母子(千石規子)などが入れ代わり立ち代わりやってきて警察署をてんてこ舞いさせる。
 その警察署は署長の三島雅夫を始めとして、森繁久彌、十朱久雄、殿山泰司、三國連太郎の芸達者を集め、エピソードに絡む町の人々を東野英治郎、飯田蝶子、左卜全、沢村貞子で固めているので、これ以上はないと言っていいくらいの俳優陣。
 当然、ドラマとしての完成度は高く、農村の貧しい人々の生活と葛藤を人情豊かに描く。
 そして本作最大の見どころは、捨て子の姉を演じる名子役・二木てるみで、5歳にして台詞ではなく表情やしぐさで演じるその演技には舌を巻く。森繁久彌・沢村貞子ならずとも、引き取ってやりたくなるほど可愛い。
 もっとも母(坪内美子)との別れのシーンでの、母の演技は演出過剰で、情緒に傾き過ぎ。それでも、母と気づいたのか気づかなかったのか、見送る二木のあどけなさが何とも切なく、名シーンとなっている。 (評価:3)

製作:松竹大船
公開:1955年11月29日
監督:木下恵介 製作:久保光三 脚本:木下恵介 撮影:楠田浩之 美術:伊藤憙朔 音楽:木下忠司
キネマ旬報:3位

矢切の別れのシーンは一幅の絵を見る趣き
 伊藤左千夫の『野菊の墓』が原作。3度映画化されている中の第1作。
 明治後期、矢切の渡しに近い千葉県松戸近郊の旧家が舞台。兄弟のように育った数えで17歳と15歳、満で15歳と13歳の従姉弟・民子と政夫が互いに淡い恋心を抱くものの、周囲の反対で引き離され、従姉は意に添わぬ結婚をさせられた挙句に流産で衰弱死してしまうという悲恋物語。
 政夫が民子を野菊のようだ言い、僕は野菊が好きだと拙い愛の告白をするところからタイトルは来ている。
 本作では、73歳になった政夫が住む人のなくなった実家を訪ねるという回想形式を採り、回想部分は楕円の白枠で囲うという古風な編集を施している。
 回想は矢切に向かう渡し船の中で行われるが、民子と最後に別れたのが矢切の渡しの船着場で、この点を押さえておくと政夫の思いが伝わる演出になっている。73歳の政夫を笠智衆が演じるが、原作にはないこの脚色が本作を単なる悲恋物語以上のものにしている。
 白枠については古臭いだけでなく画面を狭めていて余計な感じもするが、全体に映像が素晴らしいこともあって、それ以上にメルヘンな効果を引き出しているともいえる。
 少年時代の政夫と民子の演技は上手くなく、シナリオ・演出もそれを求めていないのか、恋心に変る二人の心情の変化は描けていない。二人が引き離される段になって、漸く恋心が伝わってきて、後半は切ないラブストーリーとなって、メロドラマとはわかっていても涙が零れる木下演出はさすが。
 特に、民子の祖母を演じる浦辺粂子が上手い。
 本作の最大の見どころは、二人の初恋を清々しいまでに描き切る映像にあって、古民家と田園風景の抒情が素晴らしい。とりわけ、矢切の渡し場で民子と政夫が別れるロングショットは一幅の絵を見る趣きがある。 (評価:2.5)

製作:山本プロダクション、俳優座
公開:1955年11月15日
監督:山本薩夫 製作:浅野竜麿、佐藤正之 脚本:八住利雄 撮影:前田実 美術:久保一雄 音楽:芥川也寸志
キネマ旬報:9位

大衆演劇から一転、社会派映画が山本薩夫らしい
 真山美保の戯曲『市川馬五郎一座顛末記』が原作。
 旅回りの芸人一座がヤクザな興行師に公演料ももらえず、不景気な炭鉱町で興行を打たされ、解散に追い込まれそうになるというのが前半の物語。
 座長に東野英治郎、娘に津島恵子、その恋人に菅原謙二、悪徳興行主に小沢栄太郎という布陣で、山本薩夫には珍しい大衆演劇を描いた娯楽作ながら、舞台を含めて手慣れた演出ぶりを見せ、ちょっと驚かされる。
 この一座が炭鉱町で売り上げを持ち逃げされ、労働組合の支援を受けるあたりから俄かに山本薩夫らしい社会派映画になっていく。
 初めは組合をアカだと毛嫌いしていた無学な座員たちが、組合員の労働教育の結果、搾取するのが資本家ではなくヤクザだという違いだけで、搾取される立場は同じだという階級意識に目覚めていき、同じプロレタリアート同士が連帯するという流れになる。
 組合が一座に労働劇の公演を依頼し、慣れない新劇を大衆演劇の台詞回しで演じるのがユーモラス。いささかプロレタリア臭が鼻に突くものの、山本の演出が冴える。
 一座が興行主の支配を断ち切って、自主公演に旅立つというラストとなる。
 組合員に扮する小沢昭一、仲代達矢が如何にもな感じで、ちょっとした見どころ。 (評価:2.5)

製作:中央映画
公開:1955年2月12日
監督:今井正 製作:岩崎昶、市川喜一 脚本:水木洋子 撮影:中尾駿一郎 美術:川島泰造 音楽:團伊玖磨
キネマ旬報:5位

山の子供たちには一生に一度の体験のはずだったが
 群馬交響楽団の草創期を描く実話もの。戦後間もなく結成された高崎市民オーケストラは、県内の小中学校を巡回するだけでもオーケストラを維持できる収入が見込めるとの皮算用でスタートし、東京から失業したばかりのコンサートマスター(岡田英次)を招聘する。
 ところが音楽性の高いプロ楽団を目指すコンマスは兼業団員を追い出し、少数精鋭主義を貫くものの経営は悪化。音楽教室やチンドン屋で生活費を捻出する状況に追い込まれる。
 家財を売って家まで売る羽目になるマネージャー(小林桂樹)は遂に解散を決断。山奥の小学校での赤字公演のラストコンサートに向う。
 オーケストラとは名ばかりで、弦・金管・打楽器・ピアノの総勢で10人に満たず木管はなし。それでも初めての生演奏に熱心に耳を傾ける子供たちの素朴さに心を打たれ、それが樵や猟師になる山の子供たちにとっては一生に一度の体験だという教師の話に一同は思いを深くする。
 郡響の草創話だと知っていれば、これが劇団員たちの再出発のきっかけになるエピソードだということは容易に想像がつき、実際、本作でも県の補助金を受けて立派に立ち直った数年後の後日談で締め括られる。
 今井正らしいヒューマニズムに溢れた佳作で、彼らが音楽の泉を作り出したというタイトルの意味も容易に伝わってくる。
 山田耕筰が本人役で出演しているのも貴重だが、ハンセン病療養所での演奏会シーンと山奥の小学校の別れのシーンが静かな感動を呼ぶ。もっとも、山の子供たちにとっては一生に一度の体験のはずが、高度経済成長によりそうはならなかったのは、今井にも脚本の水木洋子にも予想がつかなかった。
 楽団員に岸恵子、加東大介、マネージャーの妻に千石規子、経理係に東野英治郎。 (評価:2.5)

製作:日活
公開:1955年6月26日
監督:田坂具隆 製作:芦田正蔵 脚本:田坂具隆、須崎勝彌 撮影:伊佐山三郎 美術:木村威夫 音楽:伊福部昭
キネマ旬報:7位

東京の中流家庭の一時代前のスノッブな描写が面白い
 由起しげ子の同名小説が原作。
 東京・世田谷の加治木の女中となった初(左幸子)が、次男・勝美(伊庭輝夫)の保護者となって可愛がる物語で、友達から「女中ッ子」と揶揄されるのがタイトルの由来。
 加治木夫妻(佐野周二、轟夕起子)は、人を身分や門地で差別するタイプの鼻持ちならない人間で、きかん坊の勝美は家族の厄介者となっている。捨て犬を可愛がる勝美の優しさに気づいた初は味方となり、母親のように可愛がるが、勝美が母のコートを犬のベッド代わりにしたのを隠したことが、最後に家を追われる原因となる。本来なら真実を語るべきところを、勝美への愛情と思って隠し通すところが初の未熟さで、それをよしとして終わるところがすっきりしない。
 初は中学を出たばかり少女だが、左幸子が加治木夫妻とは対照的な正義感のあるしっかり者を演じるだけに、この未熟さとのギャップが大きい。
 母が子犬を放逐したことが原因で勝美が家出、帰省した初を頼って秋田の実家に向かうが、この一連のエピソードが話の作り過ぎで不自然さが目立ち、リアリティを欠いた後半の失速になっている。
 秋田の人々の温かな人間性とは対照的な、東京の中流家庭・加治木家の一時代前のスノッブな描写が面白い。
 初の母に東山千栄子、勝美を保護する老婆に北林谷栄。1950年代の世田谷など郊外の田舎っぷりも見どころ。 (評価:2.5)

製作:東映
公開:1955年2月27日
監督:内田吐夢 製作:大川博 脚本:三村伸太郎 撮影:吉田貞次 美術:鈴木孝俊 音楽:小杉太一郎
キネマ旬報:8位

とってつけたチャンバラに、内田吐夢の戦争への思い
 井上金太郎の『道中悲記』(1927)の再映画化。
 東海道を江戸へ向かう侍(島田照夫)の槍持ちを勤める中間(片岡千恵蔵)の道中記で、供に加東大介。
 道中の仲間に旅芸人母子、浮浪児、娘を請け出しに行く男(月形龍之介)、小間物屋を装う岡っ引き、娘を売りに行く父娘、巡礼を装う泥棒(進藤英太郎)、按摩がいて、それぞれのエピソードを絡めながら旅が進行する。
 泥棒が見つかっての立ち回りや身請け・身売りの人情話が、至って平和で微笑ましくコミカルに描かれるが、それだけでは時代劇としては娯楽が足りないとみて、最後に筋とは関係のないチャンバラが無理やり入る。
 侍と供が居酒屋にいるところに、他の侍一行が上﨟と下﨟が一緒に酒を飲んでいると因縁を吹っかけ、喧嘩となって二人が斬られる。駆け付けた槍持ちが大奮闘して相手を全員槍で殺し、侍側は槍持ちに殺されたとあっては家の恥ということで、事件はなかったことになって無罪放免というオチ。
 槍持ちになりたがる浮浪児に千恵蔵が武士の因果を含めて、遺骨を抱いて故郷に帰るという、太平洋戦争を反映させた封建主義批判という、戦後の民主主義と平和主義に則した作品になっている。
 とってつけたような最後のチャンバラも、内田吐夢の戦争への思いで、血槍=戦禍、富士=日本というわかりやすいタイトルへと繋がっている。
 浮浪児と旅芸人母子の幼女に千恵蔵の息子と娘が出演しているのも、ちょっとした見どころ。 (評価:2.5)

製作:東映京都
公開:1955年10月3日
監督:吉村公三郎 製作:糸屋寿雄、山田典吾、大森康正 脚本:新藤兼人 撮影:宮島義勇 美術:丸茂孝 音楽:伊福部昭
キネマ旬報:10位

セクシーダンスあり、竜神の外連ありのエンタテイメント
 歌舞伎十八番『鳴神』の映画化。プロローグは歌舞伎の舞台シーンから始まり、本編を劇映画、エピローグで再び歌舞伎の舞台シーンに戻るという形式を採っている。
 三条天皇の平安京。旱魃が続くが、その原因は、朝廷が約束を違えたために、怒った北山の鳴神上人(河原崎長十郎)が法力で竜神を志明院の滝壺に閉じ込めてしまったというもの。そこで関白・藤原基経(嵐芳三郎)が安倍晴明(高松錦之助)を呼ぶと、遊船叢という中国の書物に法力を破る方法が書かれているが、学者の孫娘・絶間姫(乙羽信子)にしか解読できないといい、絶間姫が呼ばれる。
 絶間姫は公卿の文屋豊秀(東千代之介)との婚姻を条件に引き受けるがもとより遊船叢を読めるわけもなく、秘策・色仕掛けで鳴神上人を酔わせ、竜神を封印する注連縄を伐って、雨を降らせることに成功するというのがストーリー。エピローグは、騙された鳴神上人が竜神に姿を変え、絶間姫を追って花道に消えていく。
 三条天皇、安倍晴明、藤原基経の生きた時代がずれているという良くある矛盾はあるものの、セクシーダンスのお色気あり、竜神の外連ありで前進座俳優総出演の楽しめる作品。
 夏の設定で、氷室の氷でかき氷を食すシーンもある。 (評価:2.5)

自分の穴の中で

製作:日活
公開:1955年9月28日
監督:内田吐夢 製作:岩井金男 脚本:八木保太郎 撮影:峰重義 美術:木村威夫 音楽:芥川也寸志

自分の穴を覗いて寂しい気持ちになれる
 石川達三の同名小説が原作。
 人は皆、それぞれの穴の中に閉じ籠って生きていくというのがタイトルの意味で、孤独に生きる男女5人が織り成す人間ドラマで、象徴的に横田基地の戦闘機の騒音が被るが意味不明。
 中心になるのが中流家庭(?)の娘・多美子(北原三枝)で、バツイチの医師・伊原(三國連太郎)との結婚を望みながらも、伊原と義母・伸子(月丘夢路)との関係を疑い、持ち前の自尊心から結婚に踏み切れずにいる。
 その多美子に恋しているのが好青年・小松(宇野重吉)で、伊原とは親友。控えめな性格からプロポーズもできず、会社までクビになってしまう。
 伊原は離婚以後、女を信じることができず、手当たり次第に女に手を出す好色漢で、伸子の成熟した色気に惹かれて言い寄っている。
 伸子は後妻で、夫亡き後、先妻の子で病弱な順二郎(金子信雄)、多美子の面倒を看ながら一家を取り仕切っていて、多美子を伊原に嫁がせようとしているが、それが伊原との関係を保つためではないかと多美子は疑っている。
 家計のため、多美子が京都にある父の土地を売りに行くところから事態は動き、伊原を同行させて関係を持つ。それを知った小松は伊原と絶交。遺産を独り占めにしようとした伸子は家を追い払われ、順二郎は遺産を株でスッてしまう。
 伊原に結婚を迫った多美子は、医師の妻になって安住したいだけだと逆に本心を言い当てられ、都会を俗を離れて九州で再出発する小松に誘いをかけるも断られてしまう。
 順二郎が亡くなり、伸子は伊原の下に行き、ひとりぽっちとなった多美子で幕を閉じる。
 俳優たちの演技も良く演出も冴えた良く出来た作品だが、1ミリも救いのない話で、自分の穴を覗いて寂しい気持ちになれる。 (評価:2.5)

製作:東宝
公開:1955年9月13日
監督:豊田四郎 製作:佐藤一郎 脚本:八住利雄 撮影:三浦光雄 美術:伊藤憙朔 音楽:團伊玖磨
キネマ旬報:2位

演技と演出は優れていてもつまらない物語
 織田作之助の同名小説が原作。
 商家の跡取り息子が曽根崎新地の芸妓と駆け落ちして勘当され、二人で所帯を持ったのはいいが男の方は実家の金ばかりあてにして働かず、女は二人で店でも持とうとヤトナ芸者で生活を支えるものの貯めた金を男に遊びに使われ、なんとか関東煮に店を出して繁昌させるが、男が腎臓結核になり店を売って入院費を工面、ヤトナ芸者に逆戻りして今度はカフェを開くという、ダメ男とそんな男に尽くす女の物語。
 昭和初期の大阪が舞台で、時代性とそれを許す文化がなければ、これで何が夫婦善哉かという内容の作品。
 夫婦善哉の由来は劇中で説明されるが、法善寺境内にある「めをとぜんざい」の提灯の掛かった甘味処で、山盛りいっぱいの善哉よりも2杯に分けた方がお得感があるというもので、この2杯1組を夫婦善哉と名付けている。
 1人よりも2人なら苦労も乗り越えられるというのが夫婦善哉だが、妻や親の財産ばかりを当てにするヒモ男に夫婦善哉もなく、情けない男とバカな女のグダグダの物語を2時間見せられることになる。
 このダメな男女を森繁久彌と淡島千景が好演し、まさに等身大の庶民を見せられる大衆演劇そのものなのだが、森繁のように生きられたらいい、淡島のような女に尽くされたら幸せだという男の本望を除けば、二人の演技以外に見るべきものはない。
 淡島が森繁が寝ていると思って襖を開けた途端、枕が転げ落ちて卵を割ってしまうシーンなど、豊田四郎の演出は心憎いばかりだが、演出は優れていてもつまらない作品というのはある。 (評価:2)

月夜の傘

製作:日活
公開:1955年8月21日
監督:久松静児 製作:坂上静翁 脚本:井手俊郎 撮影:姫田真佐久 美術:木村威夫 音楽:斎藤一郎

女の井戸端会議が活きてない月夜の傘ならぬ昼行燈な作品
 壺井栄の同名小説が原作。
 東京郊外が舞台。共同井戸で洗濯しながら井戸端会議をする、4人の女の家庭のエピソードが長閑に綴られていくが、サザエさん程度のエピソードばかりで、ドラマ性がなければどこにも収束しないので、かったるい。
 出演者だけは今になれば重量級で、彼らの演技と久松静児の子供を使った演出、姫田真佐久のカメラ、木村威夫の美術に助けられてはいるものの、つまらないものはつまらない。
 同時進行する4つのエピソードは、専横な学校教師(宇野重吉)と従順な妻(田中絹代)、反抗する子供たちの一家、家庭円満と信じている母(轟夕起子)とそれぞれに秘密を持つ夫(三島雅夫)と息子、同居する若後家(坪内美詠子)と幼い娘(二木てるみ)の再婚話、マイホームを手に入れたばかりの新婚妻(新珠三千代)。
 若後家の再婚話の相手は伊藤雄之助、近所の老婆に東山千栄子。
 大雑把にいえば、終戦から10年、戦中世代と戦後世代の価値観の対立、溝を描くのだが、どのエピソードも中途半端で芯がない。
 孤高の亭主関白、宇野重吉も最後には戦後派の子供たちに擦り寄って良きパパになるという一件落着の腑抜けたハッピーエンドで、雨上がりの夜道を妻と行くのが月夜の傘。
 壺井栄の原作で女4人の井戸端会議という設定の割には、女の視点が活きてなく、月夜の傘ならぬ昼行燈の作品。 (評価:2)

たそがれ酒場

製作:新東宝
公開:1955年6月19日
監督:内田吐夢 製作:栄田清一郎 脚本:灘千造 撮影:西垣六郎 美術:伊藤寿一 音楽:芥川也寸志

どのエピソードも水割りのように薄いのが物足りない
 大衆酒場を舞台にしたグランド・ホテル形式の群像劇。
 東野英治郎、加東大介、丹波哲郎、宇津井健と多彩な客が酒場にやってくるが、どのエピソードも中途半端で水割りのように薄いのが物足りない。
 中心になるのが常連客でパチプロの梅田(小杉勇)で、戦前は有名な画家だったが、戦争画を描いていた罪悪感から筆を折っている。酒場の女給ユキ(野添ひとみ)の駆け落ちを手助けするが、ユキは母と妹を残して行けずラストで出戻ってくる。
 酒場ではステージがあって、歌や踊りのショータイムがあるが、歌劇団主宰(高田稔)が店を訪れたのを梅田が見て、酒場の専属歌手(宮原卓也)にオペラを歌わせスカウトの機会を与えるというのがもう一つのエピソード。もう一つは酒場のストリッパー(津島恵子)で、刃傷事件に巻き込まれる。
 どのエピソードも表面を撫でただけで伝わるものが何もないが、歌謡映画かと思わせるくらいに歌唱シーンが多く、歌や踊りで退屈を紛らわせてくれる。ストリップショーは太股を見せるくらいなので、期待しない方がいい。
 時代がかった酒場の雰囲気や、壁に貼られたメニューの値段が見どころといえば見どころ。
 新しい時代になったのだから旧世代は引っ込んで、若い人たちに世の中を任せようというのがテーマだが、内田吐夢58歳、いささか勇み足の感あり。 (評価:2)

新・平家物語

製作:大映京都
公開:1955年9月21日
監督:溝口健二 製作:永田雅一 脚本:依田義賢、成沢昌茂、辻久一 撮影:宮川一夫 美術:水谷浩 音楽:早坂文雄

雅の欠片もない江戸時代劇風平安コスプレ
 吉川英治の同名小説が原作。三部作の第1部で、平清盛が主人公。
 清盛の出生の秘密を軸に、西海の海賊討伐での平氏の凱旋から、藤原氏等との宮廷内、叡山僧兵との争いを経て、清盛が武家の時代を宣言するまでが描かれる。
 冒頭より、平安時代というよりは江戸時代の時代劇を見せられている感じがする。とりわけ演技も演出も通俗的な上に雅の欠片もなく、江戸時代劇風の平安コスプレ物、たとえて言えば外国人が撮った時代劇といった違和感が漂う。
 平清盛(市川雷蔵)が白河上皇(柳永二郎)の子かはたまた野卑な間男の子かと悩み、母・泰子(木暮実千代)がヒステリーを起こす場面などは、橋田寿賀子の現代劇の通俗家庭ドラマのようで、いささかげんなりする。溝口健二の祇園物に見られる情緒は皆無。
 清盛が出生で葛藤した挙句に養父・忠盛(大矢市次郎)の子と気を取り直した割には、母から上皇の子だと知らされて自信満々となるあたりは、なんとも首尾一貫していない。
 こうした武士として立とうというのに貴種へのこだわりを断ち切れないところに、源氏に敗れる清盛の弱さを暗示したと深読みするのは、やはり穿ちすぎか。 (評価:2)

楊貴妃

製作:大映京都、ショウ・ブラザース
公開:1955年5月3日
監督:溝口健二 製作:永田雅一、ラン・ラン・ショウ 脚本:陶秦、川口松太郎、依田義賢、成沢昌茂 撮影:杉山公平 美術:水谷浩 音楽:早坂文雄

女性像に迫れてなく溝口健二の女性映画としては空振り
 香港との合作映画。楊貴妃が玄宗皇帝の妃となり、傾国の責任を負わされて自殺するまでの半生を描く。
 必ずしも通説通りではないが、楊貴妃(京マチ子)が玄宗皇帝(森雅之)に寵愛されたことにより、楊一族が権勢を得て、従兄の楊国忠(小沢栄)が宰相となり、これを快く思わない安禄山(山村聡)が反乱。玄宗が長安を逃れる途上、護衛の兵士らが楊国忠に反旗を翻し、貴妃の自害を求めるという流れは押さえられている。
 退位させられた玄宗が、反乱鎮圧後に幽閉された長安で楊貴妃を懐古するという回想形式で、ひとり寂しく崩御して終わるが、楊貴妃の半生と玄宗の運命を撫でただけで、総天然色による中国歴史絵巻という以外にこれといったテーマも見どころもない。
 玄宗皇帝治世の8世紀。国を繁栄させ唐の絶頂期を築いた玄宗は、寵妃武恵妃の死去により政治は緩み、740年、息子寿王の妃・楊玉環を後宮に迎えて寵愛。玉環は貴妃となり、玄宗は政治への関心を失う…というのが歴史的事実だが、特に楊貴妃が傾国の美女だったという描き方でもなく、楊国忠や安禄山に利用されただけの可哀想な美女という見立て。
 玄宗もそうした取り巻きに翻弄され、二人の対立の中で愛する貴妃との板挟みになり、不本意に仲を割かれていくという溝口健二らしい悲恋物語となっている。
 豊満でセクシー、芯の強い女に京マチ子はピッタリなのだが、周囲に振り回されるだけの女で、今ひとつ女性像に迫れているわけでもなく、溝口の女性映画としては空振り感が否めない。 (評価:2)

製作:東宝
公開:1955年11月22日
監督:黒澤明 製作:本木荘二郎 脚本:橋本忍、小国英雄、黒澤明 撮影:中井朝一 美術:村木与四郎 音楽:早坂文雄
キネマ旬報:4位

突然反核映画を作られると、どうしちゃったの? という感じ
 第五福竜丸被爆の翌年に作られた反核映画。前年公開された『ゴジラ』に触発されたのか、黒澤には珍しい政治的な作品。
『わが青春に悔なし』同様、突然こういう映画を作られると、どうしちゃったの? という感じがするが、政治的主張というよりもポピュリズムの監督として、今は反核が受ける、という企画意図だったのかもしれない。
 もっとも興行は不振で、作品的にもイデオロギーばかりが突出していて、黒澤らしいリアリズムもなく、どちらかといえばブラック・コメディで、頭でっかちな主張が空回りしている感がある。
 主人公の老人を演じるのが三船敏郎35歳で、老け役が堂に入っているのが最大の見どころ。ビキニ環礁水爆実験がきっかけで、原水爆の放射能汚染の恐怖に取り憑かれている。そのために、秋田にシェルターを作ろうとして散財し、次にはブラジルに一族郎党を引き連れて避難しようとする。
 このため禁治産者にしようとする子供たちと対立。ついには経営する工場に放火して、精神病院送りとなる。
 放射能汚染を恐れる主人公が狂人か? それとも放射能の恐怖に平然としていられる周囲の方が狂っているのか? というのがテーマで、福島第一原発事故を経験して今日的ともいえるが、テーマだけを弄んでいるところがあって、内容は薄い。
 とりわけ、放射能を恐れる主人公が前半はそれなりにリアリティを持っているが、最後に本当に狂人になってしまっては、やっぱり頭がおかしかったのかということになり、テーマが台無し。数少ない理解者の志村喬も中途半端な役回り。
 そうした点で、ポピュリズムから作られた社会派風作品の考えの甘さを露呈している。 (評価:2)

ゴジラの逆襲

製作:東宝
公開:1955年4月24日
監督:小田基義 製作:田中友幸 脚本:村田武雄、日高繁明 特技監督:円谷英二 撮影:遠藤精一 音楽:佐藤勝 美術:北猛夫

東京の次は大阪。成功作の後の偉大なる失敗作
​ ​1​9​5​4​年​の​『​ゴ​ジ​ラ​』​の​続​編​、​第​2​作​。​キ​ャ​ス​ト​は​入​れ​替​わ​る​が​、​山​根​博​士​の​志​村​喬​は​再​登​場​。​主​役​陣​は​小​泉​博​、​若​山​セ​ツ​子​、​千​秋​実​。
​ ​前​作​の​ヒ​ッ​ト​を​受​け​て​の​5​か​月​後​の​G​W​公​開​だ​け​に​、​拙​速​に​創​ら​れ​た​感​は​否​め​な​い​。​プ​ロ​グ​ラ​ム​ピ​ク​チ​ャ​ー​の​悪​い​面​が​出​た​が​、​所​詮​は​子​供​向​け​と​い​う​姿​勢​だ​っ​た​の​か​。
​ ​第​1​作​が​東​京​だ​っ​た​の​で​今​回​は​大​阪​に​上​陸​と​い​う​の​も​安​直​。​通​天​閣​は​ま​だ​な​く​、​大​阪​城​を​破​壊​す​る​。​第​2​ラ​ウ​ン​ド​は​北​海​道​の​島​で​、​千​島​列​島​の​神​子​島​。​架​空​の​島​と​は​い​え​、​北​方​領​土​以​外​の​島​と​い​う​こ​と​か​?
​ ​こ​の​雪​山​で​の​ゴ​ジ​ラ​と​の​戦​い​が​悲​し​い​。​爆​弾​で​雪​崩​を​起​こ​し​ゴ​ジ​ラ​を​谷​に​埋​め​て​し​ま​う​と​い​う​作​戦​だ​が​、​雪​崩​が​雪​で​は​な​く​砕​氷​し​た​氷​で​い​か​に​も​な​特​撮​。​雪​崩​で​生​き​埋​め​と​い​う​の​も​ゴ​ジ​ラ​が​吐​く​白​熱​光​で​簡​単​に​解​け​そ​う​で​陳​腐​。​ス​ト​ー​リ​ー​も​単​調​で​眠​く​な​る​。
​ ​ゴ​ジ​ラ​と​と​も​に​水​爆​実​験​で​甦​っ​た​ア​ル​マ​ジ​ロ​の​よ​う​な​ア​ン​ギ​ラ​ス​も​登​場​す​る​。
​ ​音​楽​も​伊​​​福​​​部​​​昭​​​で​は​な​く​、​全​体​に​取​り​敢​え​ず​作​り​ま​し​た​的​な​盛​り​上​が​り​に​欠​け​、​成​功​作​の​後​の​偉​大​な​る​失​敗​作​と​な​っ​た​。 (評価:1.5)

ノンちゃん雲に乘る

製作:新東宝
公開:1955年6月7日
監督:倉田文人 製作:熊谷久虎、中田博二 脚本:倉田文人、村山節子 撮影:小原譲治 美術:山手健 音楽:飯田信夫

子役の鰐淵晴子が多芸ぶりを発揮するが演出は学芸会
​ 石井桃子の同名児童文学が原作。
 夏休みの小学校の校庭で、校舎の壁にスクリーンを垂らして映写したのを見たのが初見。どんな内容の映画だったか全く覚えていなかったが、再見してその理由がわかった。つまらなかったから覚えていなかった。
 プロローグは泣きながら林を歩いているノンちゃん(鰐淵晴子、9歳)で始まる。木に登って空を飛んでいる姿を夢想していて池に転落。すると雲の上の老人(徳川夢声)に引き上げられて雲の上に乗せられる…というファンタジー。
 もっとも普通に考えれば、池に落ちた拍子に気絶して夢を見ているか、死んで天国に行ったかのどちらかで、状況からは後者にしか思えないが、文部省推薦の児童映画でそれはない。
 生死が良くわからないままに見ていると、ノンちゃんの喧嘩友達、お兄ちゃん、ノンちゃん自身のエピソードを老人が聞き取る構成で、このエピソードがつまらない上に演出が退屈。導入は『アリスの不思議な国』なのだが、ノンちゃんが優等生過ぎて戦後民主主義の道徳を教えている感じ。藤田進、原節子の両親も戦前の修身の教科書を引き摺ったまま民主教育に悩む親そのもの。
 子役の鰐淵晴子が、歌にヴァイオリンにバレエにと多芸ぶりを発揮するが、演出そのものは歌あり踊りありの学芸会で、子供向けだからそれで良しとする志が低い。
 ノンちゃんの可愛らしさだけが見どころ。 (評価:1.5)