海月衛 映画帖
~映画の大海原をたゆたう~

日本映画レビュー──1957年

製作:日活
公開:1957年07月14日
監督:川島雄三 製作:山本武 脚本:田中啓一、川島雄三、今村昌平 撮影:高村倉太郎 音楽:芥川也寸志 美術:平川透徹
キネマ旬報:4位

品川宿の完全再現セットも見どころ
 名作の評価高い作品。いくつかのエピソードが輻輳する形で物語が進むが、それらを縒り合せていく、居残り佐平治・フランキー堺の軽妙な演技が見もの。落語をベースにしただけに、肩の凝らない軽快で楽しい作品になっている。
 高杉晋作役の石原裕次郎を除くといずれも芸達者で、映画の完成度を高めている。旅籠・相模屋の主人と女将に金子信雄・山岡久乃、女郎に左幸子・南田洋子、菅生きん(やり手婆)、貸小沢昭一(貸本屋金造)、殿山泰司(仏壇屋倉造)、市村俊幸(大尽杢兵衛)、佐平治の連れに西村晃、熊倉一雄、幕末志士に二谷英明。小林旭、岡田真澄、芦川いづみも出ていて、キャストを眺めるだけでも楽しい。
 相模屋のセットは実在のものを忠実に再現したもので、当時の旅籠(江戸4宿の旅籠は宿泊よりも女郎で成り立っていた)の構造や様子を知る上でも興味深い。そういえば品川は海岸だった。
(評価:4)

製作:松竹大船
公開:1957年11月26日
監督:渋谷実 脚本:菊島隆三 撮影:長岡博之 美術:浜田辰雄 音楽:黛敏郎
キネマ旬報:6位

刺激的なタイトルのために埋もれてしまった名作
 きだみのるの『気違い部落周遊紀行』等の『気違い部落』シリーズが原作。
 森繁久弥の口上から始まり、日本橋の南西13里半にある集落と紹介されるが、現在の八王子市下恩方町にあった辺名部落14戸がモデル。
 きだによって気違い部落と命名されたが、気違いは精神障碍者のことではなく、因習や欲・業に絡めとられて正気を無くした愚か者のことで、つまりは俗人、我々一人ひとりのことを指している。
 辺名部落もまた気違いの集まりで、日本中どこにでもある風景であることから、この国全体が気違いの集まりだと示唆する。
 時代こそ違え、現代人のメンタリティや対人関係、社会や集団の在り方は、驚くほど辺名部落と相似していて、半世紀ぶりに本作を見ても、テーマと問題提起は少しも色褪せていない。
 日本のムラ社会は永遠に不滅で、翻ればそれは日本に限らず、個人よりも集団が優先する人間社会の宿命なのかもしれない。
 部落を取り仕切る素封家の良介(山形勲)に一人反旗を翻した鉄次(伊藤雄之助)、両家のロミオとハムレットの次郎(石浜朗)とお光(水野久美)を絡めながら、気違い部落の人々の醜い愚かな姿をコミカルに描いていく。
 村八分になった鉄次の一家の娘・お光が結核で死んで、休戦から和解へと向かうかに見えるが、気違い部落に大団円はないのが、本作の真骨頂となっている。
 気違い部落の人々を生々しく描く渋谷実の演出と俳優陣の演技が冴えている。
 刺激的な放送禁止用語が二語重なるタイトルのため、テレビ放映はされず、ビデオも発売されないという、不幸にも埋もれた名作となっている。なお、部落は同和とは関係ない。 (評価:3.5)

製作:東映東京
公開:1957年10月15日
監督:今井正 製作:大川博 脚本:水木洋子 撮影:中尾駿一郎 美術:進藤誠吾、福山栄子 音楽:大木正夫
キネマ旬報:2位

戦後見捨てられた者たちへの哀歌
 2年前の出来事として始まるので、時は1957年、終戦から10年後の物語となる。
 戦災孤児同士のミツ子(中原ひとみ)と貫太郎(江原真二郎)が孤児のメッカ上野の山で出会い、アベック・スリで生活費を稼ごうとして失敗。それぞれに更生施設に送られるが、貫太郎が逃亡してミツ子の施設に面会に行き、子供の頃に世話になった下山教官(岡田英次)の説得で少年院に戻る。
 ところが今度は病弱なミツ子が施設で仮病と扱われるのに耐えかねて逃亡。ドヤ暮らしをしながら、保護観察になった貫太郎と密会を重ねる。
 ミツ子を原爆症と知る小島教官(楠田薫)が漸く探し出して入院させるが時遅く、貫太郎は死に目には会えない。
 戦災孤児、上野、原爆症がキーワードとなる戦後見捨てられた者たちへの哀歌で、水木洋子の脚本と今井正の演出による問題提起の感動作となっている。
 死の直前にミツ子と貫太郎が緑の牧場、市川市でピクニックをする泣かせどころもあり、当時の上野の山、アメ横など映像的な見どころも多い。
 戦後10年経った上野の風俗と、原爆症が一般的に認知されていなかったことなどが興味深い。 (評価:2.5)

製作:独立映画
公開:1957年06月25日
監督:家城巳代治 製作:栄田清一郎 脚本:依田義賢、寺田信義 撮影:宮島義勇 音楽:黛敏郎 美術:中村公彦、千葉一彦
キネマ旬報:9位

三國連太郎+田中絹代共演の唯一無二の名演
 田宮虎彦の同名小説が原作。三國連太郎、田中絹代の名優が共演する佳作。
 物語は、陸軍少将にまで上り詰める主人公(三國連太郎)の軍人一家の大正から終戦までの戦争の時代を描く。三國には連隊長の娘との間に二人の息子がいるが、妻は病弱。女中の田中絹代を手篭めにし、子供が生まれる。妻が死んで仕方なく田中を後添えとするが、三國も息子たちも田中を女中としてしか扱わず、田中との間に生まれる二人の男の子も妾腹の子扱いされ、使用人の部屋で育てられる。
 厳しい父の下、息子たちは当然のように士官学校から帝国軍人となるが、4男の中村嘉葎雄は病弱で心がやさしく、女中の高千穂ひづると仲の良いところを三國に見咎められて勘当される。
 三國は退役しやがて終戦。息子たちから家を出ようと言われ続け、惨めな境遇に耐え忍んできた田中がこの時初めて夫に言う台詞がこの映画の肝。
 三國と先妻の子供たちは軍国主義と国体そのものを象徴する。後妻と息子たちは国体のもとに虐げられてきた民衆であり、国体が滅びて初めてこの国の主人公となる・・・という日本が主権を回復して数年経った時代の民主主義の息吹を感じさせてくれる作品だが、おそらく今もって主人公とはなり得ていないからこそ、この作品が現代に価値を持つ。
 30代から60代までの三國の演技が鬼気迫る。田中の演技は秀逸。芸達者の飯田蝶子、中村嘉葎雄、高千穂ひづるも好演。高千穂は暗い設定の本作で唯一の明るいキャラで、アカペラでタカラジェンヌの歌声を聴かせてくれる。 (評価:2.5)

東京暮色

製作:松竹大船
公開:1957年4月30日
監督:小津安二郎 脚本:野田高梧、小津安二郎 撮影:厚田雄春 美術:浜田辰雄 音楽:斎藤高順

現代からはいささか古臭く見える二親必要論
 母親が早くに出奔し、娘二人を育ててきた父子家庭が舞台。
 長女(原節子)は父(笠智衆)に勧められた男と結婚するが仲が上手くいかず、赤ん坊を連れて里帰り。次女(有馬稲子)は大学生の子を妊娠。偶然から母(山田五十鈴)に出会い、男がデキて子供を置いて家出した事実を知って動揺。堕した挙句、大学生の不実により、最後に自殺してしまう。
 子供にはやはり二親が必要だというのが結論で、長女は夫のもとに帰る。
 家族を描きながらも、人間に対する救いとやさしさに溢れた小津作品としては例外的に暗い作品で、ラストはそれなりに希望を残すが、次女の自殺という重さはそれでは拭えない。
 母ならば相談できたことも父だからできなかったという理由も、姉にも相談していないことで説得力を欠き、片親の増えた現代から見れば、本作の二親必要論もいささか古臭い保守的な考えに見えてしまう。
 もっとも、このような作品を創った背景には、親子関係の希薄化を描いた『東京物語』(1953)同様、戦後変貌していく家族意識の中で、小津なりの危機感があったのかもしれない。
 本作の見どころの一つは、これが小津作品唯一の出演となった山田五十鈴で、子供を捨てた不実な母を好演。
 当時市川崑と不倫中で、堕胎もした有馬稲子の妊娠に悩む姿とズベ公ぶりも見どころで、初めから終わりまで笑顔がない。 (評価:2.5)

製作:東映東京
公開:1957年3月4日
監督:今井正 製作:大川博 脚本:八木保太郎 撮影:中尾駿一郎 美術:進藤誠吾 音楽:芥川也寸志
キネマ旬報:1位
毎日映画コンクール大賞 ブルーリボン作品賞

昭和20年代の貴重な農村・農家の民俗を見るのも一興
 霞ヶ浦の農村が舞台。農家の次男坊以下、農地をもらえず賃金労働者にならざるを得ない青年と、小作と漁労の半農半漁で生活している貧しい農家の母娘が主要登場人物で、つまりは社会の構造的矛盾の中で苦しむ弱者を描くというドラマ。
 賃仕事に出ざるを得ない青年・次男(江原真二郎)は川向こうの貧農の娘・千代(中村雅子)を見初め、仲間の仙吉(木村功)と網元の仕事を請け負ううちに、母・よね(望月優子)と漁をする千代と知り合う。
 物語はこの二人の恋愛を中心に進むと思いきや、中盤からは望月優子の演技力もあってよねがすっかり主役になってしまう。
 よねは夜の漁でたまたま見つけた刺し網を持ち帰った上に、夜間禁止されている刺し網漁を行っているのを警察に見つかり、呼び出しを受ける。政治家に1万円を渡せばもみ消すという地主(山形勲)の誘いを断り、結局は行き詰って自殺。次男も帆引き網で夜の漁に出るが強風で舟が転覆。千代に助けられて一命を取り留めるものの仙吉は死んでしまう。
 徹頭徹尾可哀想な物語で、そんな状況の中で二人の愛の成就までには辿り付けないという救いのない物語。
 見どころは当時の霞ヶ浦の漁法で、ワカサギやウナギなどを獲っている。機械化される前の農法も見どころで、昭和20年代の貴重な農村・農家の民俗を見るのも一興。霞ケ浦周辺の農村風景も美しい。
 次男の妹に中原ひとみが出演していて唯一可愛いが、出番は少ない。中村雅子は望月優子の妹。 (評価:2.5)

製作:東宝
公開:1957年1月15日
監督:黒澤明 製作:黒澤明、本木荘二郎 脚本:小国英雄、橋本忍、菊島隆三、黒澤明 撮影:中井朝一 音楽:佐藤勝 美術:村木与四郎
キネマ旬報:4位

三船敏郎が矢の集中攻撃を浴びるラストが凄い
 シェイクスピアの『マクベス』を戦国時代に置き換えた翻案。
 ドラマとして観た場合は、この映画は決して面白くない。原作は17世紀初頭に書かれたもので、物語の骨格は他の作品に影響を与えたことで原典でありながら使い古されたものとなっている。物の怪の予言も成就されることが前提のため、『マクベス』を知らなくても結末が簡単に予想される。現在の映画作りなら、この予言が成就されないのではないかと観客に思わせる点にシナリオの腕が発揮されるが、本作は原典に忠実に作ったために捻りもなく、ただマクベスが自滅するのを待つばかりとなる。
 それでは芸がないと思ったのか黒澤は能楽を演出に取り入れ、それはそれで成功してはいるが、全体にはまったりとしてテンポを悪くしているため、能同様の退屈さは拭えない。ただ、それを置いても映像と演出の秀逸さは見事。
 この映画は黒澤の映像美を見るだけで価値のある作品であり、それを見るための作品でもある。冒頭の廃墟となった蜘蛛巣城から始まり霧の立ちこめる中から忽然と姿を現す過去。霧は幽玄のものとして蜘蛛巣城を運命へと誘う。砧に作られた山城のオープンセット、駆けこむ伝令、騎馬といったすべてのシーンに計算しつくされた美がある。とりわけラストの三船敏郎が矢で集中攻撃を受けるシーンはトリックなしで迫力だけでない様式的な美しさがある。
 奥方・山田五十鈴の能面のような演技は、浪花千栄子の物の怪よりも不気味。 (評価:2.5)

製作:東映東京
公開:1957年11月24日
監督:内田吐夢 脚本:橋本忍、内田吐夢 撮影:藤井静 美術:森幹男 音楽:小杉太一郎
キネマ旬報:7位

土壇場過ぎれば経営者も労働者もノーサイド
 菊島隆三脚本の同名テレビドラマ(1956)が原作。
 美濃平野の田甫の下にある炭鉱で、長雨のために地下水が流れ込み落盤事故が起き、5人の炭鉱夫が坑内に閉じ込められる。
 5人を救出するまでの物語で、レスキューが上手くいかないといういわばパニック映画だが、前半は炭鉱掘りの様子とレスキューの手順をドキュメンタリー風に淡々と描くため、炭鉱紹介映画ないしは記録映画を観ているように興味深いが、あまり長く続くと次第に退屈になってくる。台詞も生硬。
 内田吐夢の演出は良く言えばリアリズム、悪く言えばドラマとしての工夫がないため冗長。炭鉱夫の家族たちの一人(花沢徳衛)が鉱山主(加藤嘉)を吊し上げるあたりからようやくドラマになる。
 初めは悪徳だった鉱山主が、事故を起こして右往左往、責任を追及されてようやく人間らしさを取り戻していく過程が上手く、後半は加藤嘉の演技がドラマを支えている。
 隣の炭鉱の朝鮮人労働者(岡田英次)やOBも協力し、炭鉱夫の命は炭鉱夫が守るという信頼と絆の展開になるが、救出されて経営者も労働者もノーサイドというのも何かな~というラスト。事故を起こした本質は忘れられてちょんになる。
 閉じ込められるのに江原真二郎、志村喬。ウィンチ係のヒロインに中村雅子。 (評価:2.5)

製作:新東宝
公開:1957年7月10日
監督:加戸野五郎 脚本:林音弥、赤坂長義 撮影:鈴木博 音楽:伊藤宣二 美術:宮沢計次

江戸都市伝説の伝統的ジャパニーズホラー
 加戸野五郎監督、明智十三郎主演。
 タイトルの本所七不思議とは、片葉の葦、お竹蔵の狸囃子、送り提灯、消えずの行灯、首笑いの井戸、足洗い屋敷、置いてけぼりの7つと冒頭で説明される、江戸時代の怪談・奇談。映画はそれらを織り込んだ物語となっている。
 旗本の勘当した甥(天地茂)が旗本の後妻と財産の乗っ取りを企てるが、かつて旗本に命を助けられたことを恩に感じる長兵衛狸が、復讐のために旗本の長男夫婦の助太刀をする。
『本所七不思議』(1937)のリメイクで、傘お化け・大入道・ろくろ首などのお馴染みの妖怪変化も登場して、幽霊話のような怪談というよりは、水木しげる的な楽しい妖怪物語になっている。町娘に化ける長兵衛狸がほのぼのと可愛く、怖がらせるだけではない日本の怪談の奥行きを感じさせる作品。天地は悪役が似合う。 (評価:2.5) 

大阪物語

製作:大映京都
公開:1957年3月3日
監督:吉村公三郎 製作:永田雅一 脚本:依田義賢 撮影:杉山公平 美術:水谷浩 音楽:伊福部昭

中村鴈治郎の徹底したドケチぶりが最大の見どころ
 井原西鶴の浮世草子『日本永代蔵』『世間胸算用』『万の文反古』を基に溝口健二が書いたものが原作で、急逝したために吉村公三郎がメガホンをとった作品。
 江戸時代、東近江の水吞百姓が年貢を納められず一家で大阪に逃亡。零れ米を拾って売ることから始め、ドケチにドケチを重ねて両替商として成功するドケチ物語。
 一家の主人を中村鴈治郎が演じ、その徹底したドケチぶりが最大の見どころとなっている。妻を浪花千栄子、娘を香川京子、息子を林成年が演じるが、豊かになってそれなりの暮らしを求めるようになり、父との間に距離を生じ始める。
 ドケチでは負けていない三益愛子演じる油問屋の女主人と懇意になり、娘と息子を結婚させることになるが、持参金を巡ってのドケチ勝負が見もの。
 ところが娘には市川雷蔵演じる番頭の恋人がおり、油問屋の勝新太郎演じる息子は遊び人で花魁・滝野(小野道子)と駆け落ち。これを手助けするのが妹思いの林成年で、身請金のために蔵の金をネコババ。金以外、家族も信じられなくなった鴈治郎が発狂して終りとなるが、この結末がつまらなすぎて、鴈治郎の熱演を台無しにしている。
 勝新太郎のドラ息子ぶりが秀逸で、隠れた見どころ。花魁・綾衣を鴈治郎の長女・中村玉緒が演じていて、本作出演をきっかけに勝新と華燭へと進んだ。 (評価:2.5) 

あらくれ

製作:東宝
公開:1957年5月22日
監督:成瀬巳喜男 製作:田中友幸 脚本:水木洋子 撮影:玉井正夫 美術:河東安英 音楽:斎藤一郎

自立した人生を貫く女の爽快な生き様が気持ちよい
 徳田秋声の同名小説が原作。
 芯の強い奔放な生き方をする女の一代記で、勝気が原因で離婚を繰り返すが、女丈夫が故に洋服屋の事業に成功。高峰秀子が豪胆な女・島を爽快に演じる。
 時は大正。島が罐詰屋の鶴(上原謙)の後妻となり妊娠するが、鶴が自分の子か疑った上に愛人を作り、取っ組み合いの大喧嘩となって流産、離縁するエピソードから始まる。そこで島が養家で無理矢理結婚させられた過去が語られる。
 兄の借金の形に旅館の女中となるが、若旦那(森雅之)と出来てしまい、山奥の温泉宿に行かされるが、囲い者になったと思った父(東野英治郎)に東京に連れ帰され、縫子に。そこで才覚を現し、職人の小野田(加東大介)と洋服の店を出すが、小野田は怠け者で酒飲みの父親を居候させてしまう。
 島との関係を続けていた若旦那が死に、小野田が島の幼馴染(三浦光子)を妾にしていたのが発覚。若い職人(仲代達矢 )に新しい店を出そうと言って終わる。
 良く出来た脚本で、話を端折りながらテンポよく進むが、高峰秀子の熱演がドラマを支えていて、家長制度の抑圧に反逆し、自立した人生を貫く女の爽快な生き様が気持ちよい。 (評価:2.5) 

くちづけ

製作:大映東京
公開:1957年7月21日
監督:増村保造 製作:永田秀雄 脚本:舟橋和郎 撮影:小原譲治 美術:下河原友雄 音楽:塚原哲夫

夫婦となる川口浩と野添ひとみの熱烈な口づけが見どころ
 川口松太郎の同名小説が原作。
 収監されている父親に面会に来たのがきっかけで知り合った若い男女が、競輪で当てた金で一日を二人で楽しく過ごして心惹かれるが、ともに父親の保釈のために10万円が必要という奇遇のために再会することになり、二人の思いが成就するという恋物語。
 本作の大きな売りは、生活のために絵画のヌードモデルで稼いでいるという設定の野添ひとみの水着姿で、江ノ島海岸で披露してくれる。もっとも、その水着姿でローラースケートをするシーンがあって、体当たり演技で何度も転ぶのが痛そうで身が縮む。
 野添と川口浩が出会うのが小菅刑務所、続いて後楽園競輪、江ノ島、清瀬の結核療養所、三番町、雪谷、上目黒と舞台が移り変わり、当時の東京が楽しめるのも一興。
 ラブストーリーながら物語の中心となるのは川口の方で、父(小沢栄太郎)は選挙違反で収監、愛想を尽かした母(三益愛子)は離婚して宝石商。そんな家庭不和から息子は厭世的となり、金の世の中への異議申し立てから金に無頓着となる。
 そんな彼に新鮮さをもたらしたのが野添で、宝石のように価値のある人間になれという母に対し、人に投資してこその金だと、母から借りた10万円を野添に渡して彼女の父の保釈のために使わせる。そして、10万円に値する娘かどうか確かめろと母に引き合わせるというラスト。
 清々しい若いカップルの恋を描く、増村保造の第1回監督作品となっている。
 カップルを演じる川口浩と野添ひとみが3年後に結婚するが、タイトルの口づけを熱烈に交わすというのが最大の見どころ。もっとも夫唱婦随の二人は川口51歳、追うように野添58歳で早逝してしまった。川口松太郎は川口浩の父、三益愛子は母。 (評価:2.5) 

浪人街

製作:京都映画
公開:1957年4月3日
監督:マキノ雅弘 脚本:村上元三、マキノ雅弘 撮影:三村明 美術:進藤誠吾 音楽:鈴木静一

合わせると刀から火花が飛び散る真剣?の迫力
 『浪人街 第一話/美しき獲物』(1928)のマキノ正博の雅弘名義による3度目のセルフリメイク作品。
 オリジナル版がクライマックスの8分しか現存していないため、本作はオリジナル版の全体像を知るための手掛かりとなる。
 物語には4人の浪人が登場するが、中心となるのは赤牛弥五右衛門(河津清三郎)で、詩吟と酒と喧嘩が大好き。居酒屋で知り合った荒牧源内(近衛十四郎)は、酒と女が大好きで巾着切りの女房・お新(水原真知子)の紐となり、小芳(高峰三枝子)のいる丹前風呂に通い詰め。
 赤牛の長屋の土居孫八郎(北上弥太朗)に帰参の知らせが来たことから話が動き出すが、短刀を手放していたためこれを取り戻さねば帰参が叶わない。短刀を持つのが荒牧で、報奨目当ての赤牛と、孫八郎の妹・おぶん(山鳩くるみ)が別々に取り戻そうとする。
 旗本愚連隊・小幡兄弟と喧嘩になった赤牛と荒牧は、別々に逃げ、人好きのする赤牛は小幡弟を丸め込んで小幡邸の食客に。荒牧はお新を人質に差し出して逃亡。
 小幡兄弟はお新を牛裂きの刑にすると脅して荒牧を子恋の森におびき出し、クライマックスの荒牧対旗本衆の大殺陣となる。
 かつてお新と恋仲だったもう一人の浪人・母衣権兵衛(藤田進)が駆け付け、これを見た赤牛も小幡家の仕官の夢を捨てて浪人側に付く。
 最後は、お新、荒牧、母衣を逃がした赤牛が一人で小幡一党に立ち向かい、果てるという悲劇のヒーロー。
 土居兄妹は短刀と共に国許に旅立ち、荒牧・お新を逃がした母衣は、赤牛の位牌と酒を酌み交わし、これまた駆け付けた役人たちに立ち向かうというラスト。
 子恋の森の大殺陣と、赤牛と源内のチャンバラが迫力で、チャンバラは刀を合わせると火花が飛び散ることから真剣か?
 話が若干煩雑で整理されていないが、浪人たちの人間臭さが良く描けていて、楽しめる娯楽剣劇となっている。 (評価:2.5) 

この二人に幸あれ

製作:東宝
公開:1957年2月19日
監督:本多猪四郎 製作:堀江史朗 脚本:松山善三 撮影:小泉一 美術:北辰雄 音楽:中田喜直

三船敏郎がホルンの結婚行進曲で見送るシーンがちょっといい
 松山善三のシナリオで、社内恋愛のカップルが障碍を乗り越えて結婚、危機を乗り越えて夫婦の絆を結ぶまでを描く。
 最初の障碍は支店長(笈川武夫)の娘との縁談で、これをきっかけに青年(小泉博)は同僚の女子社員(白川由美)にプロポーズをする。支店長の娘との縁談を断った青年は社内で冷遇され、女子社員の父(志村喬)は青年の出世の見込みがないことから結婚に反対。女子社員は家を出て青年と結婚するが、青年は代わりに支店長の娘と結婚した同僚の横暴に怒って喧嘩となり、退職。折からの就職難で夫婦の関係がギクシャクするが、和解して互いに支え合うことを誓うというハッピーエンド。
 戦後、恋愛や結婚が自由な時代になりながら、戦前からの旧弊、閨閥や家父長に結婚が縛られるという葛藤の中で、若い男女が結婚の自由と共に責任を自覚して、夫婦の関係を如何に確立すべきかというのがテーマになっていて、松山善三らしい物語になっている。
 男尊女卑や女が男に従属する関係を否定し、失業した夫の代わりに妻が家計を支えるために働きに出て、夫は男のメンツにこだわることなく家事をするという、半世紀後の現代にも通じる男女平等の理念が示されている。
 ただ教科書的であることも事実で、ドラマの生真面目さが若干映画としての興趣を削いでいる。
 二人のアドバイザーとなる娘の姉夫婦に津島恵子と三船敏郎。三船はオーケストラのホルン奏者でアテレコでホルンを吹く姿が珍しい。結婚式を挙げた二人をホルンのウエディングマーチで見送るシーンがちょっといい。 (評価:2.5) 

青空娘

製作:大映東京
公開:1957年10月8日
監督:増村保造 製作:永田雅一 脚本:白坂依志夫 撮影:高橋通夫 美術:柴田篤二 音楽:小杉太一郎

継母と姉たちに苛められる灰かぶりのシンデレラ物語
 源氏鶏太の同名小説が原作。
 田舎で祖母と暮らしていた青空のような天然娘が、祖母の死によって上京して父の家に暮らすという物語。もっとも娘(若尾文子)は父(信欣三)が会社の事務員(三宅邦子)と不倫して生まれた子で、東京の家には本妻(沢村貞子)と異母兄姉弟の3人、味方は父と年増の女中(ミヤコ蝶々)だけというアゲインな環境。
 それでもへこたれずに異母弟をまず味方につけ、異母姉のボーイフレンド・広岡(川崎敬三)をファンにし、東京で再就職した高校の恩師(菅原謙二)を頼りに家を出て、実母探しをして念願叶って再会。広岡と結婚してめでたしめでたしという結末。
 見どころは本妻以下の苛めとの攻防戦で、最後は父を含めて人間味に欠けたハイソな一家を一刀両断し、一段の高みからみんなを許すという光輪を背にした菩薩のような裁きで、青空娘の本領を発揮する。
 基本はコメディだが、設定とシナリオには相当無理があり、リアリティの欠片もないが、そこは若尾文子に菩薩の姿を見い出すための作品で、しかも若々しい天然な魅力が極まっているので、ラストでは観客も若尾とともに青空を拝める。
 もっとも広岡も金持ちのお坊ちゃんで、何のことはない継母と姉たちに苛められる灰かぶりのシンデレラ物語だと気がつけば、アイドル若尾以外に見るべきものはない。 (評価:2) 

製作:松竹大船
公開:1957年10月1日
監督:木下恵介 脚本:木下恵介 撮影:楠田浩之 美術:伊藤憙朔、梅田千代夫 音楽:木下忠司
キネマ旬報:3位

長女の結婚式はなぜ神前ではなくキリスト教だったのか?
 灯台長の妻の手記をヒントにした木下恵介のオリジナル脚本。
 2時間半にわたる長編で、灯台職員の結婚から子供の独立までを描く夫婦愛の物語なのだが、全体に感動ドラマにしようとする作為が目立ち、見終わって特に印象を残さない。
 公開当時は、ヒューマンドラマ、しかも夫婦愛がテーマとあって、主題歌と共にヒットしたが、風雪に耐えた夫婦のドラマも、歳月には耐えることができなかった。
 冒頭、孤独のために気違いになった灯台職員の妻まで登場させ、灯台の仕事が如何に大変かということをプロレタリア映画を見るようにくどくど台詞で述べるのだが、灯台の拭き掃除以外は仕事の内容は描かれず、辺鄙だという以外に何が大変なのかがよくわからない。
 しかも、現在の無人灯台を見慣れた目には、なんで複数の職員がいるのかがわからず、灯台職員の生活も描写されない。
 時間軸としては上海事変からの戦争の歴史、灯台への米軍機の空襲が背景として描かれるが、灯台に籠ってばかりでなく社会にも目を向けなくてはいけないという中盤のテーマも、すぐに夫婦愛の前に拡散してしまい、未消化のままで終わる。
 大学受験の長男が挫折し事故死してしまうが、ここでも学問や立身出世ではなく、灯台職員の使命感こそ宝というという月並みな労働讃歌に回帰し、戦争や長男の死の「悲しみ」もどこへやら、長女が商社マンと結婚し海外赴任するという「喜び」でドラマを閉じる。
 この長女夫婦の海外赴任船を御前埼灯台から見送り、汽笛と霧笛で呼応するが、おそらくはシナリオの初期段階でこのアイディアがあったと思われ、感動シーンも予定調和的な作為性の前に鼻白む。
 物語としては凡庸な昭和的感動ドラマの域を出ないが、夫婦が転勤で各地を回る灯台の風景は非常に美しく、雪原の石狩灯台、青い海と砂浜の女島灯台など、ロングショットを多用した美しい日本の原風景を満喫できる。
 それにしても長女の結婚式はなぜキリスト教だったのか? 辛酸を舐めた灯台守の話としては、神前の方が相応しかったのではないか? と木下恵介の妙なモダニズムが最後に違和感として残る。 (評価:2)

製作:東宝
公開:1957年9月17日
監督:黒澤明 製作:黒澤明 脚本:小国英雄、黒澤明 撮影:山崎市雄 音楽:佐藤勝 美術:村木与四郎
キネマ旬報:10位

見どころは有名俳優が揃って薄汚い恰好と演技をすること
 ゴーリキーの同名戯曲の翻案。舞台を江戸時代の貧民窟に置き換え、そこに暮らす泥棒(三船敏郎)、元御家人(千秋実)、元役者(藤原釜足)、遊び人(三井弘次)、鋳掛屋夫婦(東野英治郎、三好栄子)、夜鷹(根岸明美)、飴売り(清川虹子)、桶屋(田中春男)、駕籠かき(渡辺篤、藤田山)、下駄の歯入れ屋(藤木悠)を会話劇を中心に描く。
 ストーリー的には、大家(中村鴈治郎)の女房(山田五十鈴)が泥棒と出来ているが、泥棒は妹(香川京子)に気があって、それが基で一騒動あって、死人も出て・・・という展開。最底辺で生きる人間たちの悲しみと絶望ともがきを描くが、正直、ドラマとしては退屈。
 正体不明で曰くありげな遍路の老人(左卜全)が長屋に転がり込み、嘘も方便の他人へのやさしさと思いやりを説く。
 見どころとしては、とにかく貧乏人だらけなので、有名俳優が揃って薄汚いセットの中で薄汚い恰好をして、下卑た演技をすること。香川京子も蓮っ葉な言葉遣いの下町娘を演じて頑張っている。 (評価:2)

嵐を呼ぶ男

製作:日活
公開:1957年12月28日
監督:井上梅次 製作:児井英生 脚本:井上梅次、西島大 撮影:岩佐一泉 美術:中村公彦 音楽:大森盛太郎

裕次郎がドラマを叩きながら歌うシーンがすべて
 石原裕次郎がドラマを叩きながら主題歌を歌うシーンが有名で、2度リメイクされたが、ドラム・シーンの印象とは正反対の母子もの。
 母が弟ばかりを偏愛していて、長男の裕次郎には見向きもしない。その母の愛を何とか自分に振り向かせようとする裕次郎がいじましいが、それが基で拗けてしまい、喧嘩に酒に女に逃げるという定番設定。もっとも、前半は小公女のようで、最後に母を振り向かせて感涙するシーンはマザコンのようで背筋が震える。
 荒削りの一匹狼のドラマーが、人気楽団のドラマーが引き抜かれた穴埋めをさせられるというのが物語の発端。この楽団のマネージャーが北原三枝でちょっと凛々しい。引き抜いた側の適役が安部徹、仲介する小狡い男に金子信雄で、有名なシーンは二人のドラマーの腕比べで登場する。
 ドラム合戦という設定ながら、それぞれの楽団にSKDのようなダンスチームまで踊るという訳のわからなさ。もっとわからないのが、左手を怪我してスティックの握れない裕次郎が、途中から歌を歌って誤魔化すこと。ドラム合戦にならないにも拘らず、歌うドラマーという売りで、なんとドラム合戦に勝ってしまう。
 歌は上手いが、ドラムで勝ったことにはならないだろうと、リンゴ・スターならずとも思うところ。
 これに恋模様が絡むが、こちらも何で好きになったのかよくわからないまま、女は一番近くにいる男に恋をするという迷セリフで強引に押し通す。
 裕次郎はアパート住まいで、それほど裕福そうでもなく、母親は音楽が嫌いな上に弟が音楽の道に進むのに反対しているにも拘らず、部屋にはピアノがあるのもよくわからない。
 結局のところ、裕次郎がドラマを叩きながら主題歌を歌うシーンがすべてという作品。 (評価:2)