海月衛 映画帖
~映画の大海原をたゆたう~

日本映画レビュー──1946年

製作:東宝
公開:1946年7月11日
監督:衣笠貞之助 製作:清川峯輔 脚本:小国英雄 撮影:河崎喜久三 美術:久保一雄 音楽:鈴木静一
キネマ旬報:3位
毎日映画コンクール大賞

新時代への希望を描く衣笠貞之助の戦後第1作
 衣笠貞之助の戦後第1作で、藩閥政治を背景に内閣が誕生する明治18年を舞台に、敗戦からの日本の再起に向けて明治の教訓と新時代への希望を描く。
 鉄道建設の利権をめぐる新興ブルジョアジーの争いに、華族の家柄を利用しようとする平民と、平民になりたがる華族という、元水戸藩の殿様が絡む珍騒動を描く。
 コメディ仕立てのシナリオが良く出来ていて、これを長谷川一夫(殿様=書生)、山田五十鈴(旅館の女中)、高峰秀子(越後屋の娘)、飯田蝶子(越後屋の妻)、進藤英太郎(越後屋)、吉川満子(山崎の妻)、志村喬(越後屋の妻の昔馴染み)といった芸達者が演じるので、完成度の高い円熟した作品になっている。
 元孤児の越後屋の妻と元芸者の山崎の妻が互いをあげつらうシーンから始まり、越後屋の妻に他人のフリをされた昔馴染みが、これを懲らしめてやろうと貧乏書生を殿様に仕立て、家柄コンプレックスを刺激。まんまと騙された越後屋の妻は娘を華族と結婚させようと、越後屋は鉄道建設の利権獲得に利用しようと取り込みを図る。
 書生は殿様に成りきってみんなを騙すのだが、その堂々とした様子から本物のフリをした本物というオチが途中でわかってしまうが、それを含めて楽しめるのが本作の出来の良いところ。
 普通なら殿様と越後屋の娘がめでたく結ばれるハッピーエンドだが、それでは門閥を否定するテーマにそぐわないということで、殿様に思いを寄せる旅館の女中との二人を残して、殿様は平民議員を目指して去って行くラストシーンになっている。 (評価:3)

製作:松竹大船
公開:1946年10月29日
監督:木下恵介 脚本:木下恵介 撮影:楠田浩之 美術:小島基司 音楽:木下忠司
キネマ旬報:5位

ズームレンズなき時代にズームの効果を狙った木下の演出
 浅間高原の牧場が舞台。
 物語は時系列に沿って進み、牧場の入口に捨て子があり、続いて捨て子・美子の母の身投げ、牧場主の家で息子・甚吾と兄妹のように仲良く育てられる美子のショットが続き、昭和21年、甚吾が5年ぶりに復員してきての家族水入らずの生活の始まりとなる。
 話は単純で、兄(原保美)は妹(井川邦子)に恋していて、母(東山千栄子)の了解を得て祭りの晩にプロポーズしようとするが、妹に恋人(増田順二)がいることを知り、無理に結婚して仲の悪い夫婦になるよりは、いつまでも仲の良い兄妹でいる道を選ぶという、妹思いの兄の泣かせる人情噺。
 清々しいドラマには清々しい風景が必要というわけで、浅間高原の雄大な自然をバックにした映像が見どころ。高原を馬に乗ってで疾駆したり、丘の上に腰かけて麓を見下ろしたりと、思わずヨーデルを奏でたくなるが、サトウハチロー作詞の挿入歌がロシア民謡風でダサい。
 妹を快く他の男に譲ったあとで、一人思い詰める兄の横顔をカメラの切り替えでロングからアップに寄っていくシーンがあって、ズームレンズなき時代にズームの効果を狙った木下の演出に座布団一枚。
 出征の5年間が甚吾の恋を儚く打ち砕いたという、見ようによっては戦争の悲劇。 (評価:2.5)

製作:松竹大船
公開:1946年2月21日
監督:木下恵介 製作:細谷辰雄 脚本:久板栄二郎 撮影:楠田浩之 美術:森幹男 音楽:浅井挙曄
キネマ旬報:1位

ブルジョア一家の穏健平和主義を描かれても鼻白む
 終戦の半年後に公開された作品で、戦況の逆転した1943年クリスマスから始まり、戦争がもたらした大曾根家の変化を年代記風に描く、戦争回顧映画。
 祖父を元勲に抱く大曾根家では、しかし亡くなった父が自由主義者で、妻(杉村春子)と子供たちもリベラルな環境にある。そのため長男(長尾敏之助)は思想犯として拘束され、役人で軍国主義者の叔父(小沢栄太郎)が一家に何かと干渉、空襲で焼け出されると妻(賀原夏子)と我が物顔で移り住む。
 画家志望の次男(徳大寺伸)は徴兵、長女(三浦光子)は楽な勤労奉仕を叔父に世話され縁談まで無理強いされるが首を振らない。ただ一人、素直な三男(大坂志郎)が叔父の勧めで海軍少年兵に志願するが特攻機で自爆。次男も戦死する。
 兵隊や国民が窮乏する中、叔父は地位を利用して贅沢な暮らし。敗戦となり夫人の堪忍袋の緒が切れて叔父を家から追い出し、長男は釈放され、長女の恋人(増田順二)が復員して、多難だった大曾根家が夜明けを迎えるという話。
 平和主義の一家と軍国主義の叔父を対峙させ、国民を戦争に引き摺り込んだ軍国主義者たちの戦争責任を糾弾するというわかりやすい話だが、そもそも大曾根家は名家のブルジョアで、夫人も叔父の言いなりで、軍国主義の被害者だといわれてもどこか鼻白む。
 戦争に異を唱えず、殊更に被害者であることを免罪符とした日本人のメンタリティ、特に映画人を含む文化人の責任回避を象徴する作品で、その後のステレオタイプな軍国主義批判の先駆けともいえる。
 終戦半年後の作品とはいえ、戦争に対する反省や熟考がなく、制作者たちは戦時中も深く考えていなかったと思われても仕方がない。 (評価:2)

歌麿をめぐる五人の女

製作:松竹京都
公開:1946年12月17日
監督:溝口健二 脚本:依田義賢 撮影:三木滋人 美術:本木勇 音楽:大沢寿人、望月太明吉

女たちの色恋沙汰を描いただけで見どころがない
 邦枝完二の小説『歌麿をめぐる女達』が原作。
 稀代の浮世絵師・喜多川歌麿(坂東簑助)を中心に展開する群像劇、エピソード集で、幕府の御用絵師狩野派の門弟・勢之助(中村正太郎)が、町絵師の歌麿に弟子入りするところから始まる。
 5人の女は、歌麿の美人画で一躍有名となった浅草観音前の水茶屋の娘おきた(田中絹代)、歌麿が背中に刺青の下絵を描いた花魁・多賀袖(飯塚敏子)、勢之助の許嫁・雪江(大原英子)、歌麿がモデルとして気に入ったお蘭(川崎弘子)で、もう一人が良くわからないが、最後に歌麿の弟子・竹麿と夫婦になる遊女おしん(白妙公子)らしい。
 物語は、おきたが惚れる紙問屋の息子・庄三郎が多賀袖と駆け落ち。これを追って気性の激しいおきたが庄三郎を連れ戻すが、多賀袖と切れない庄三郎に業を煮やして二人とも刺してしまう。一方、失踪した勢之助を追って雪江は竹麿と小田原に行くが、お蘭と駆け落ちしたことを知って江戸に帰る。
 歌麿は女たちのエピソードの狂言回しでしかなく、歌麿の物語を期待するとガッカリする。かといって、誰が主役というわけでもない群像劇で、何がテーマという話にもなってなく、女たちの色恋沙汰をスケッチしただけの見どころのない作品となっている。 (評価:2)

日本の悲劇

製作:日本映画社
公開:1946年
監督:亀井文夫 製作:岩崎昶

激動の15年を42分で振り返るには駆け足すぎる
 満州事変から太平洋戦争、敗戦に至る歴史を反資本主義の立場から追ったドキュメンタリー。
 終戦直後の軍人・政治家・天皇・財閥を中心とする戦争遂行者への批判・弾劾の高揚の中で、当時のニュースフィルム等を再編集したもの。バックに流れる「インターナショナル」の労働歌と同様、共産主義イデオロギーを基に恣意的に42分にまとめているため、バランスを欠いた作品になっている。
 ラストシーンは多くの国民を死に追いやった戦争遂行者たちの戦争責任を追及するもので、最後に昭和天皇が軍服から背広姿に変わって終わるために、首相の吉田茂の逆鱗に触れ、GHQによってフィルムが没収され、上映禁止となった。
 そうした経緯を別にしても、激動の15年を42分で振り返るには駆け足すぎていて、各エピソードが繋がっていない上に説明不足であまりに粗い。
 冷戦の始まりによるGHQの反共政策と、それに関連した昭和天皇の戦争責任不問の政治的流れの中で、本作が葬り去られたという不幸はあったにせよ、作品的には出来は悪く評価に値しない。 (評価:2)

製作:東宝
公開:1946年10月29日
監督:黒澤明 製作:松崎啓次 脚本:久板栄二郎 撮影:中井朝一 音楽:服部正 美術:北川恵笥
キネマ旬報:2位

いつもニコニコの原節子が投獄もされるシリアスな役を演じる
 黒澤の戦後第1作として公開された作品。京大事件とゾルゲ事件がモデルの反ファシズム映画。
 時系列では、『續姿三四郎』『虎の尾を踏む男達』に続く監督5作目だが、戦時中の軍国主義映画『一番美しく』から一転、僅か2年後には掌を反したプロレタリア映画に豹変する。黒澤36歳。
 黒澤は、正義や悪、犯罪をテーマにした作品が多いことからヒューマニズムの監督と誤解されやすいが、本質はヒロイズムを描く娯楽映画の監督で、軍部やGHQの意向や世の中の流れに敏感に反応して映画制作を行うポピュリズムの作家であることが作品史を通して窺うことができる。
 黒澤がポピュリズムの監督であったからこそ、大衆に受けるこれだけ多くの作品を遺したともいえる。
 京大事件をきっかけに、八木原教授(大河内傳次郎、瀧川幸辰がモデル)の教え子・野毛(藤田進、尾崎秀実がモデル)が逮捕され、出獄の後、転向して中国エコノミストとなるも実はソ連のスパイとなっていたという物語。主人公は八木原の娘・幸枝(原節子)で、勝気ながらも野毛の硬骨と秘密に魅かれ、上京して同棲する。
 野毛はスパイ事件で逮捕され獄死。野毛の妻を自認する幸枝は義父母の家に入り、スパイの家と罵られながらも、慣れない野良仕事に精出し、終戦後は女性解放活動家として再出発する。
 この映画を初めて観たのは70年頃で、左翼映画の多かった当時としてはそれなりだったが、見返してみるとイデオロギーが強すぎてつまらない。しかも、黒澤が映画監督として生き残るためにGHQや社会風潮に迎合して作ったことがありありで、黒澤本人がこのような思想傾向を持たないだけに大いに白ける。
 最大の見どころは、いつもニコニコしている原節子が、本作では投獄もされるシリアスな役を演じていることで、他の映画では見られない、お飾り女優ではないという片鱗を見せる。
 特高刑事に志村喬。原に片思いする河野秋武と野毛の母・杉村春子がいい。 (評価:1.5)

七つの顔

製作:大映京都
公開:1946年12月31日
監督:松田定次 脚本:比佐芳武 撮影:石本秀雄 美術:角井平吉 音楽:西梧郎

片岡千恵蔵のそこはかとない魅力と哀愁
 『多羅尾伴内』シリーズの第1作。GHQにより戦後チャンバラ映画が禁じられ、片岡千恵蔵が探偵ヒーローになって登場した戦後映画史的な作品。人気を得て大映と東映で続編が作られ、「七つの顔の男」でテレビシリーズ化された。
「ある時は片目の運転手、またある時は…、しかしてその実体は」の決め台詞で一世を風靡したが、この記念すべき第1作は、正直つまらない。
 レビューの歌姫(轟夕起子)が誘拐されてダイヤの首飾りが奪われ、名探偵・多羅尾伴内が事件の謎を解いて犯人を捕まえるというストーリーだが、大根役者ばかりで多羅尾伴内の謎解きの説明を聞く気にもならないほど稚拙。
 それでも七変化する片岡千恵蔵にはそこはかとない魅力と哀愁があって、くだらないと思いつつも最後まで見てしまう。 (評価:1.5)