海月衛 映画帖
~映画の大海原をたゆたう~

外国映画レビュー──2011年

製作国:​イ​ラ​ン
日本公開:2012年4月7日
監督:アスガル・ファルハーディー 製作:アスガル・ファルハーディー 脚本:アスガル・ファルハーディー 撮影:マームード・カラリ 音楽:サッタール・オラキ
キネマ旬報:2位
アカデミー外国語映画賞 ベルリン映画祭金熊賞


日本やヨーロッパにも、かつてこんな映画があった
 ​原​題​は​"​ج​د​ا​ی​ی​ ​ن​ا​د​ر​ ​ا​ز​ ​س​ی​م​ی​ن​"​で​「​ナ​デ​ル​と​シ​ミ​ン​の​別​居​」​の​意​。​ア​ス​ガ​ル​・​フ​ァ​ル​ハ​ー​デ​ィ​ー​監​督​、​ペ​ル​シ​ャ​語​作​品​。​ベ​ル​リ​ン​国​際​映​画​祭​金​熊​賞​、​ア​カ​デ​ミ​ー​外​国​語​映​画​賞​等​を​受​賞​し​て​い​る​。
​ ​物​語​は​ナ​デ​ル​と​シ​ミ​ン​と​い​う​中​流​階​級​の​夫​婦​が​別​居​を​す​る​と​こ​ろ​か​ら​始​ま​り​、​娘​テ​ル​メ​ー​が​裁​判​所​で​ど​ち​ら​と​一​緒​に​暮​ら​す​か​を​選​択​す​る​と​こ​ろ​で​終​わ​る​。​こ​の​間​に​さ​ま​ざ​ま​な​問​題​が​起​き​る​が​、​宗​教​的​に​異​質​で​世​界​か​ら​孤​立​し​て​い​る​国​イ​ラ​ン​で​も​、​個​人​が​抱​え​る​問​題​は​我​々​と​さ​ほ​ど​変​わ​ら​な​い​こ​と​が​わ​か​り​、​親​近​感​を​感​じ​る​。​政​治​や​国​家​体​制​が​壁​を​作​っ​て​も​、​ひ​と​り​ひ​と​り​の​人​間​は​皆​同​じ​だ​と​い​う​こ​と​を​知​る​。
​ ​こ​の​映​画​を​観​る​た​め​に​は​、​イ​ラ​ン​が​1​9​7​9​年​の​イ​ス​ラ​ム​革​命​に​よ​っ​て​宗​教​指​導​者​が​国​の​最​高​権​力​を​握​り​、​イ​ス​ラ​ム​法​に​よ​っ​て​政​治​が​行​わ​れ​る​イ​ス​ラ​ム​原​理​主​義​の​国​だ​と​い​う​こ​と​を​知​っ​て​お​い​た​方​が​い​い​。​そ​の​様​子​は​裁​判​制​度​、​離​婚​・​流​産​等​の​法​制​度​、​戒​律​、​女​性​の​扱​い​に​表​れ​て​い​て​、​生​活​の​中​に​異​文​化​を​感​じ​と​れ​る​。
​ ​イ​ス​ラ​ム​社​会​主​義​は​ど​う​か​と​い​う​と​、​主​人​公​は​拝​金​・​個​人​主​義​で​、​親​の​介​護​は​人​頼​み​、​自​己​の​利​益​を​守​る​た​め​に​裁​判​所​で​平​気​で​嘘​を​つ​く​。​娘​も​父​を​庇​う​た​め​に​偽​証​す​る​と​い​う​、​誰​も​彼​も​が​自​己​保​身​に​走​る​姿​が​描​か​れ​る​。​フ​ァ​ル​ハ​ー​デ​ィ​ー​は​イ​ス​ラ​ム​国​家​の​欺​瞞​を​描​い​て​い​て​、​唯​一​イ​ス​ラ​ム​に​忠​実​な​市​民​と​し​て​ナ​デ​ル​の​家​で​働​く​家​政​婦​ラ​ジ​エ​ー​を​登​場​さ​せ​て​い​る​。
​ ​本​作​の​観​方​に​は​二​通​り​あ​っ​て​、​一​つ​は​イ​ラ​ン​に​お​け​る​人​々​の​堕​落​を​描​い​た​、​も​う​一​つ​は​こ​の​よ​う​な​国​家​と​政​治​の​欺​瞞​を​描​い​た​と​す​る​も​の​で​、​イ​ラ​ン​国​内​的​に​は​前​者​で​評​価​さ​れ​る​。​ナ​チ​ュ​ラ​ル​な​観​方​を​す​れ​ば​、​結​局​の​と​こ​ろ​ど​ん​な​政​治​・​国​家​体​制​で​あ​ろ​う​と​人​間​の​本​質​は​同​じ​で​、​エ​ゴ​と​愛​と​少​し​ば​か​り​の​正​義​の​も​と​に​生​き​て​い​て​、​社​会​矛​盾​の​中​に​身​を​置​い​て​い​る​。
​ ​フ​ァ​ル​ハ​ー​デ​ィ​ー​は​、​そ​れ​を​イ​ス​ラ​ム​の​特​殊​事​情​に​帰​さ​ず​に​人​間​に​普​遍​な​も​の​と​し​て​描​い​た​。​ラ​ス​ト​で​テ​ル​メ​ー​が​両​親​の​ど​ち​ら​を​選​ぶ​か​と​い​う​問​題​は​、​彼​女​が​何​に​価​値​を​求​め​る​か​と​い​う​問​い​で​あ​る​。
​ ​日​本​や​ヨ​ー​ロ​ッ​パ​で​も​、​か​つ​て​本​作​の​よ​う​な​映​画​が​作​ら​れ​て​い​た​。​情​緒​で​は​な​く​理​性​に​問​い​か​け​る​作​品​は​、​自​由​と​繁​栄​の​幻​想​に​浸​る​先​進​国​で​は​も​う​生​ま​れ​な​い​の​か​も​し​れ​な​い​。 (評価:3.5)

製作国:台湾
日本公開:2013年4月20日
監督:ウェイ・ダーション 製作:ジョン・ウー、テレンス・チャン、ホァン・ジーミン 美術プロデューサー:赤塚佳仁 脚本:ウェイ・ダーション 撮影:チン・ディンチャン 音楽:リッキー・ホー
キネマ旬報:4位

セデック族も日本の侍も同じ蛮族だと感じさせる作品
 原題"賽德克·巴萊"で邦題の音韻。セデック語で真の人という意味。
 第1部「太陽旗」、第2部「虹の橋」で、併せて4時間半の大作。
 1930年の台湾原住民セデック族による抗日暴動、霧社事件を描く。
 主人公は暴動の中心人物となったセデック族マヘボ社の頭目、モーナ・ルダオで、第1部は彼の青年期から頭目となって暴動を起こすまで、第2部では暴動後の日本軍との戦いに敗れるまでが描かれる。
 史劇としてのエンタテイメント性を前面に押し出した作品で、セデック族の戦士たちは勇者として描かれる。一方の日本軍は原住民を差別する侵略者で、蛮人と思っていたセデック族の戦士たちに翻弄される間抜けとして、勧善懲悪のストーリーを支えている。
 これについて史実とは大幅に異なる脚色だと批判することも可能だが、ヒーローたちが日本軍の力の前に全滅してしまう悲劇性と併せ、あくまでエンタテイメントとして見るのが正しい。もっとも、中国映画のように日本人の残虐性を強調せず、むしろ間抜けな悪者としてコミカルに描かれる分、日本人が見ても嫌味がなく、後味の悪さを残さない。
 歴史性を離れ、文化論を離れて言えば、これは騎兵隊とインディアンの戦いと同じであり、西部劇に近い。アパッチ族は勇猛で、間抜けな騎兵隊を翻弄し、中にはいい白人もいるが、多くは先住民を蛮族としか思わない悪い白人であり、しかし結果的にはアパッチは非道な白人たちに滅ぼされてしまう。
 セデック族が首狩り族で、近代的価値観から見れば蛮族であることは間違いない。勇猛であるということは自らの命を軽んじていることで、負ける前に女も子供も首をくくってしまう。
 ラストで日本の将軍が、セデック族にかつての日本の武士道を見ると語るシーンがあるが、切腹も落とし前をつけるという点ではセデック族と同じ蛮族であり、近代以前の侍文化も騎士道文化も、命を軽んじるということではどれも蛮族の文化だということを認識させられる。
 翻って近代、民族や愛国の名のもとに命を軽んじる者たちが蛮族の末裔だということを、改めて強く感じさせてくれる作品となっている。 (評価:3)

製作国:​アメリカ
日本公開:2012年5月18日
監督:アレクサンダー・ペイン 製作:ジム・バーク、アレクサンダー・ペイン、ジム・テイラー 脚本:アレクサンダー・ペイン、ナット・ファクソン、ジム・ラッシュ 撮影:フェドン・パパマイケル
ゴールデングローブ作品賞

父子3人がカウチに座ってテレビを見るラストシーンに心温まる
 原題は"The Descendants"で、子孫・末裔の意。カウイ・ハート・ヘミングスの同名小説が原作。
 舞台はハワイ。ハワイ王国時代に移民したアメリカ人とカメハメハ大王に繋がる一家の物語で、広大な屋敷の庭には代々の受け継がれてきた菩提樹の古木がある。邦題は家系(図)の意味だが、その木にも引っかけたか。
 主人公(ジョージ・クルーニー)は先祖から受け継いだ一族の広大な土地を管理している資産家。リゾート開発用地への売却を進めているが、妻がボート事故で昏睡となる。娘2人の世話をしなければならなくなるが、仕事一徹で父親不在の娘との接し方もわからない。
 生命維持装置を外したことを長女に告げると、逆に妻の不倫を聞かされて間男探しが始まる。そうした中で主人公は初めて娘たちとの絆を強め、家族の大切さを知ることで、不倫した妻を受け入れていく。
 それが妻の死が契機となったというのが悲しいが、海への散骨を終えた後に、3人がテレビの前のカウチに並んで座り、1枚のひざ掛けを共用しながらアイスクリームのデカ容器を回しながら同じスプーンで食べるエンディングが、不和だった父娘が絆を取り戻した様子を描いていて心温まる。
 同時に、物質主義に染まっていた主人公が、リゾート開発によって失われていくハワイの自然を守ろうと、親子の絆にシンクロして精神主義に回帰していく。
 ハワイ各島の自然や風景が楽しめるのも見どころで、全編ハワイアンが流れるのでハワイに行きたくなる。
 南国ハワイの人間らしい大らかで幸せな気持ちになれる作品。 (評価:3)

製作国:イギリス、アメリカ
日本公開:2012年3月1日
監督:マーティン・スコセッシ 製作:グレアム・キング、ティム・ヘディントン、マーティン・スコセッシ、ジョニー・デップ 脚本:ジョン・ローガン 撮影:ロバート・リチャードソン 音楽:ハワード・ショア
キネマ旬報:3位

スコセッシの映像の魔術は3Dで観る必要がある
 ブライアン・セルズニックのアメリカ児童小説『ユゴーの不思議な発明』(The Invention of Hugo Cabret)が原作。映画の原題は"Hugo"。1930年代のフランスが舞台で、主人公の名がユゴーなのかヒューゴなのかはフランス語と英語の発音の違い。原作は英語で主人公も架空だが、邦訳ではユゴー・キャブレとフランス語読み。映画は劇中でも英語発音のヒューゴ・カブレになっている。
 物語にはサイレント時代の実在の映画製作者ジョルジュ・メリエスと二番目の妻で女優のジュアンヌ・ダルシーが登場する。劇中のモンパルナス駅の列車事故も1895年に実際にあったものだが、映画の時代とはずれている。TUTAYAでは洋画SFにカテゴリーされているが、ファンタジーだがSFではない。
 この作品を観るためには二つの注意点がある。
 一つは、ヒューゴがメリエスの再起を助けるという老人と少年のドラマだが、メリエスの伝記が中心となっている。スコセッシの映画愛が詰まっている作品なので、その愛に共感できないと面白みは半減する。もう一つは、これは3Dで観るために作られた映画で、2Dではやはり面白みは半減する。ストーリー的にも物足りなさがあって、スコセッシにとってヒューゴの存在は付け足しでしかなく、本来の主人公がメリエスのために、それがドラマ的には中途半端になっている。
 ミニチュアセットやモンパルナス駅の時計、本物の機械人形を使った映像は2Dで見ても美しく素晴らしい。とりわけ冒頭のパリ上空からモンパルナス駅の時計までカメラが移動していく映像は圧巻。時計内部にいるヒューゴが駅構内まで降りていくカメラの移動も力が入っている。アカデミー撮影・美術・視覚効果・音響編集・録音賞を受賞。
 スコセッシはまさに映像の魔術をこの作品で観客に見せるわけで、それは手品師から映画製作者となり、トリック撮影の礎を築いた魔術師メリエスへのオマージュでもある。映画のラストで復活を果たしたメリエスは観客に、"Come and dream with me."(さあ、私と一緒に夢を見ましょう)と言うが、スコセッシがこの映画に仮託したメッセージでもある。
 つまりスコセッシと一緒に映像の魔術・夢を見るためには、この映画は3Dで見る必要があり、そうすれば★3つだったかもしれない。 (評価:2.5)

製作国:イギリス
日本公開:2012年5月26日
監督:ウディ・アレン 製作:レッティ・アロンソン、スティーヴン・テネンバウム、ジャウマ・ロウレス 脚本:ウディ・アレン 撮影:ダリウス・コンジ 音楽:ステファン・レンベル
キネマ旬報:5位

古今の魅力溢れるパリに住みたくなるファンタジー
 原題は"Midnight in Paris"で、主人公の小説家志望の男が真夜中に1920年代のパリにタイムスリップすることがタイトルの由来。コミカルなファンタジー映画で、ウディ・アレンのパリ愛が詰まった作品。
 冒頭は主人公(オーウェン・ウィルソン)とフィアンセがパリの町を観光するシーンから始まるが、短いショットを繋ぎ合せた映像は下手な観光映画よりはよほどパリの魅力を伝えていて、思わずパリに行きたくなる。主人公の会話もエスプリが利いていて、いかにもおフランスな感じ。とりわけ1920年代のシーンがよく、モンパルナスに住む芸術家たち、スコット・フィッツジェラルドと妻のゼルダ、ヘミングウェイ、ジャン・コクトー、ピカソ、ダリ等々が登場し、そのメイクと当時のパリのサロンの雰囲気が楽しめる。
 1920年代パリに憧れる主人公は、タイムスリップによって夢叶うが、そこで知り合う劇中のピカソの愛人と恋仲になる。しかし彼女が憧れるのは19世紀のロートレック、ゴーギャン、ドガの時代というわけで、いつの時代も古き良き時代に憧れるが、現代を生きるのが一番という、いかにもウディ・アレンらしいオチがなければ、本作はもっと良い作品になった。
 パリのアパルトマンの屋根裏部屋で暮らしたいという主人公が、ラストで典型的アメリカ娘のフィアンセと別れ、雨の中を中古レコード商の娘(レア・セドゥ)と歩き出すシーンがおしゃれ。現代のパリも、昔のパリも含めて、パリの魅力をファンタジックに描いた映画で、観終わって主人公同様にパリに住みたくなる。
 アカデミー賞で脚本賞を受賞。レア・セドゥが、パリジェンヌらしくて可愛い。 (評価:2.5)

製作国:​フ​ィ​ン​ラ​ン​ド、フランス、ドイツ
日本公開:2012年4月28日
監督:アキ・カウリスマキ 製作:アキ・カウリスマキ 脚本:アキ・カウリスマキ 撮影:ティモ・サルミネン 美術:ヴァウター・ズーン
キネマ旬報:4位

カレーの移民キャンプに移民問題の現実を知る
​ ​原​題​は​"​L​e​ ​H​a​v​r​e​"​(​ル​・​ア​ー​ヴ​ル​)​で​フ​ラ​ン​ス​・​ノ​ル​マ​ン​デ​ィ​地​方​の​港​町​の​名​。
​ ​靴​磨​き​の​老​人​マ​ル​セ​ル​は​ふ​と​し​た​こ​と​か​ら​ガ​ボ​ン​か​ら​の​不​法​移​民​の​少​年​を​匿​う​こ​と​に​な​る​。​少​年​を​捜​す​刑​事​と​警​察​、​マ​ル​セ​ル​に​協​力​す​る​パ​ン​屋​の​お​か​み​さ​ん​た​ち​、​不​治​の​病​で​入​院​す​る​妻​な​ど​が​絡​み​な​が​ら​、​マ​ル​セ​ル​は​少​年​の​身​寄​り​を​捜​し​、​ロ​ン​ド​ン​に​い​る​母​の​も​と​へ​少​年​を​密​航​さ​せ​る​た​め​の​資​金​を​集​め​る​。
​ ​貧​し​い​が​、​清​く​正​し​く​美​し​く​生​き​る​善​人​マ​ル​セ​ル​を​神​が​見​放​す​わ​け​は​な​く​、​ラ​ス​ト​で​マ​ル​セ​ル​夫​婦​に​思​い​も​か​け​ぬ​恩​寵​が​も​た​ら​さ​れ​る​と​い​う​、​奇​跡​の​ヒ​ュ​ー​マ​ン​ド​ラ​マ​。
​ ​背​景​と​し​て​は​フ​ラ​ン​ス​の​移​民​問​題​が​あ​っ​て​、​ガ​ボ​ン​の​旧​宗​主​国​は​フ​ラ​ン​ス​。​同​じ​よ​う​に​フ​ラ​ン​ス​の​植​民​地​だ​っ​た​ベ​ト​ナ​ム​人​少​年​が​不​法​入​国​し​て​マ​ル​セ​ル​と​と​も​に​靴​磨​き​を​し​て​い​る​と​い​う​設​定​。​か​つ​て​フ​ラ​ン​ス​は​人​口​減​か​ら​移​民​に​積​極​的​だ​っ​た​が​、​結​果​は​貧​困​、​犯​罪​、​ス​ラ​ム​化​を​招​く​。​映​画​で​も​ホ​ー​ム​レ​ス​の​移​民​た​ち​が​カ​レ​ー​に​集​ま​っ​た​移​民​キ​ャ​ン​プ​が​登​場​す​る​。
​ ​サ​ル​コ​ジ​時​代​に​移​民​取​締​が​強​化​さ​れ​、​自​由​・​平​等​・​博​愛​の​国を​二​分​す​る​社​会​問​題​と​な​っ​て​い​る​が​、​フ​ィ​ン​ラ​ン​ド​人​監​督​ア​キ​・​カ​ウ​リ​ス​マ​キ​は​、​移​民​に​同​情​的​な​善​意​の​人​々​を​描​こ​う​と​す​る​。
​ ​こ​れ​を​荒​ん​だ​世​の​中​に​光​明​を​見​い​出​す​メ​ル​ヘ​ン​、​フ​ァ​ン​タ​ジ​ー​と​見​る​か​、​嘘​く​さ​い​夢​物​語​と​切​り​捨​て​る​か​、​あ​る​い​は​政​治​的​プ​ロ​パ​ガ​ン​ダ​と​見​る​か​は​観​る​人​の​価​値​観​に​よ​る​。 (評価:2.5)

製作国:アメリカ
日本公開:2011年11月11日
監督:ベネット・ミラー 製作:マイケル・デ・ルカ、レイチェル・ホロヴィッツ、ブラッド・ピット 脚本:スティーヴン・ザイリアン、アーロン・ソーキン 撮影:ウォーリー・フィスター 音楽:マイケル・ダナ
キネマ旬報:6位

二人三脚で球団改革を進めていく姿に引き込まれる
 原題"Moneyball"。原作はマイケル・ルイスのノンフィクション"Moneyball: The Art of Winning An Unfair Game"(マネーボール:不公平なゲームに勝利する技術)で、マネーボールは金権野球といったニュアンスか。
 メジャー・リーグのオークランド・アスレチックスが有力選手を金持ち球団に引き抜かれ、有力球団のためのファームと化していたところ、ゼネラルマネージャーのビリー・ビーンがイエール大学経済学科卒業のピーター・ブランド(実話ではハーバード大卒のポール・デポデス)の才能に目をつけ、統計学的見地から二流選手で一流球団を組織する賭けに出て、ヤンキースの3分の1の予算で20連勝、全球団で最高勝率のチームに育て上げるという実話を基にした作品。
 ドラフトで1位指名されながら芽が出なかったビリー・ビーンの選手としての過去と挫折、娘との交流を交えながら、経験に頼る選手のスカウトではなく、データから導く選手の能力判断でチーム作りに成功する様子を描く。
 ブラッド・ピットが主役を演じ、いい男を脚色しすぎるという難はあるが、ピーター(ジョナ・ヒル)と二人三脚で球団改革を進めていく姿に引き込まれる。ただ、アスレチックスが快進撃を続けるようになってからの成功話は若干退屈で、冗長感が否めない。 (評価:2.5)

ファウスト

製作国:ロシア
日本公開:2012年6月2日
監督:アレクサンドル・ソクーロフ 製作:アンドレイ・シグレ 脚本:アレクサンドル・ソクーロフ、マリーナ・コレノワ、ユーリー・アラボフ 撮影:ブリュノ・デルボネル 美術:エレナ・ジューコワ 音楽:アンドレイ・シグレ
ヴェネツィア映画祭金獅子賞

錬金術の怪しい世界観は満点だが話がわかりにくい
 原題"Faust"で、主人公の名。ゲーテの同名戯曲が原作。
 アレクサンドル・ソクーロフの権力者を描いた4部作の最終作で、中世の伝説上の人物ファウストを題材に、19世紀初頭のドイツに舞台を置き換えたもの。メフィストフェレスとの契約によって悪魔の力を得たという点では権力者だが、本作では学究の徒ファウスト教授が、魂の在り処を求めて放浪の旅に出るという、観念的というよりは幻想的な作品になっている。
 そのため一度見ただけではよくのみ込めず、見直して理解が図れるという難解な作品だが、人生に悩む者にとっては、多少のヒントとなるかもしれない。
 原作と大きく異なるのは、ファウスト(ヨハネス・ツァイラー)がメフィストフェレス=マウリツィウス(アントン・アダシンスキー)と契約を結ぶのが冒頭ではなく、終盤近くなってからのこと。悪魔が罠を仕掛けてファウストを追い込み、肉欲に負けたファウストが契約を結んでしまう。もっとも悪の権化となったファウストは、悪魔との契約を反故にして岩場に封じ込める。
 悪魔を凌駕したファウストは、荒涼とした雪山へと放浪に出るというラスト。
 ファウストが助手のワーグナー(ゲオルク・フリードリヒ)とともに、魂を見つけるために死体を解剖するというエグイシーンから始まるが、金に困り質屋を訪ねて悪魔と出会い、研究室の外の生々しい人間たちを知る。悪魔の手引きでマルガレーテ(イゾルダ・ディシャウク)の誘惑に負け、堕落と悪徳に塗れることになるが、神と悪魔の二元論、魂の在り処、生と死、善と悪、人生、肉欲、苦痛、孤独といった様々な言葉が投げかけられる。
 心理の歪みを投影したような変形した映像や、悪魔のペニスが尻に付いて尻尾になっていたり、ホムンクルスも登場したりと錬金術の怪しい世界観は満点だが、句読点のないシークエンスの連続とアフレコによる音声と口の映像のずれなど、意図的に映画の文法を崩しているのがわかりにくい。 (評価:2.5)

製作国:アメリカ
日本公開:2012年1月28日
監督:クリント・イーストウッド 製作:クリント・イーストウッド、ブライアン・グレイザー、ロバート・ロレンツ 脚本:ダスティン・ランス・ブラック 撮影:トム・スターン 音楽:クリント・イーストウッド
キネマ旬報:9位

竜馬伝を外国人が見るようなものか?
 原題は"J. Edgar"。FBI初代長官として半世紀にわたって君臨したフーヴァーの伝記。共産主義、ギャング、赤狩り、キング牧師、ケネディ、ニクソンと1920-70年代のアメリカ現代史が足早に描かれるため、主に政治的な背景が理解できないと退屈な伝記かもしれない。ある意味、アメリカ人のための映画であって、竜馬伝を外国人が見るようなものかもしれない。
問題の多い人物に対して距離を置いて描くことで評伝としては成功しているが、人物像に食い足りない気がするのはフーヴァーに魅力がないせいなのか、掘り下げが不足しているためなのか。
それでも時代背景と、公安権力を牛耳ったフーヴァーを知っていると、意外な面とFBIの歴史が楽しめる。青年から老年にいたるフーヴァーを演じるディカプリオも頑張っている。 (評価:2.5)

製作国:イギリス、フランス、ドイツ
日本公開:2012年4月21日
監督: トーマス・アルフレッドソン 製作:ティム・ビーヴァン、エリック・フェルナー、ロビン・スロヴォ 脚本:ブリジット・オコナー、ピーター・ストローハン 撮影:ホイテ・ヴァン・ホイテマ 音楽:アルベルト・イグレシアス
キネマ旬報:10位

オッサンばかりの中で、ソ連の美人スパイに心安らぐ
 ジョン・ル・カレのスパイ小説『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』が原作。映画の原題も"Tinker Tailor Soldier Spy"で、Tinker、Tailor、Soldierは英国情報部幹部のコードネーム。他にPoor Manと主人公のBeggar Manがいるが、タイトルには残りの2人は入っていない。コードネームの由来は"Tinker, Tailor"というイギリスの韻を踏んだわらべ歌で、"Tinker, Tailor, Soldier, Sailor, Rich Man, Poor Man, Beggar Man, Thief."と続く。作中で情報部チーフのコントロールが、SailorはTailorと似ていて、Rich Manも相応しくないからと外しているが、コードネームではなく、もと歌の韻を生かして"Tinker Tailor Soldier Spy"としたのだろう。邦題のサーカスは作中で使われる英国情報部の呼称。
 原作は1974年に書かれたもので、ソ連のスパイを巡る物語も舞台も当時のまま。そのクラシカルさが映画にも投影されている。本格スパイ映画なので007のような派手さはない。物語・演出・撮影のどれをとっても陰鬱で、主人公のゲイリー・オールドマンを始め俳優陣の平均年齢も高い、極めて渋い映画に仕上げっている。従ってアクションやスリルよりはむしろ、人生の哀愁を感じるためのスパイ映画。
 ブタペストやイスタンブールのロケを始め、映像も演出も洒落ている。しかし諜報員たちが寡黙なために、意識を集中させないとストーリーが良くわからない。そういった点では、観客も真剣に謎解きに参加しなくては事件が解決できない本格ミステリー、本格スパイ映画。かくいう私も2回見たが未だにすべての謎が解けていないという、まさにビデオ向きの作品といえる。
 男と男の誠が美しく描かれるラストシーンはなかなかいい。ただそのあとのスマイリーのシーンは余計。
 個人的にはPoor Manのデヴィッド・デンシックがいい。おっさんばかりの中で、紅一点のソ連の女スパイ・スヴェトラーナ・コドチェンコワが魅力的。 (評価:2.5)

製作国:アメリカ
日本公開:2012年8月11日
監督:フランシス・フォード・コッポラ 製作:フランシス・フォード・コッポラ 脚本:フランシス・フォード・コッポラ 撮影:ミハイ・マライメア・Jr 音楽:オスバルド・ゴリホフ、ダン・ディーコン

13歳の少女への贖罪を描くコッポラのゴシックホラー
 ​フ​ラ​ン​シ​ス​・​フ​ォ​ー​ド​・​コ​ッ​ポ​ラ​監​督​の​ヴ​ァ​ン​パ​イ​ア​映​画​。​原​題​は​"​T​w​i​x​t​"​で​b​e​t​w​e​e​n​の​古​語​b​e​t​w​i​x​t​の​短​縮​形​。​作​中​で​主​人​公​が​過​去​と​現​在​の​間​を​彷​徨​す​る​こ​と​を​意​味​す​る​。​邦​題​の​ヴ​ァ​ー​ジ​ニ​ア​は​ミ​ス​テ​リ​ア​ス​な​少​女​の​名​前​。
​ ​自​分​の​本​を​売​り​な​が​ら​田​舎​町​に​や​っ​て​き​た​オ​カ​ル​ト​作​家​(​ヴ​ァ​ル​・​キ​ル​マ​ー​)​は​、​町​の​保​安​官​か​ら​胸​に​杭​を​打​ち​付​け​ら​れ​た​少​女​の​死​体​を​見​せ​ら​れ​る​。​ス​ラ​ン​プ​の​作​家​は​深​酒​を​し​て​町​を​散​歩​し​、​過​去​に​児​童​大​量​殺​人​事​件​の​あ​っ​た​ホ​テ​ル​と​不​思​議​な​1​3​歳​の​少​女​(​エ​ル​・​フ​ァ​ニ​ン​グ​)​に​出​会​う​。​こ​の​町​に​滞​在​し​た​こ​と​の​あ​る​エ​ド​ガ​ー​・​ア​ラ​ン​・​ポ​ー​に​導​か​れ​、​作​家​の​1​3​歳​で​死​ん​だ​娘​を​鍵​と​し​て​、​ヴ​ァ​ン​パ​イ​ア​に​ま​つ​わ​る​過​去​の​事​件​を​辿​っ​て​い​く​。
​ ​ゴ​シ​ッ​ク​ホ​ラ​ー​の​王​道​の​作​品​で​、​色​調​を​落​と​し​た​過​去​の​シ​ー​ン​が​幻​想​的​か​つ​耽​美​的​。​ダ​コ​タ​・​フ​ァ​ニ​ン​グ​の​妹​エ​ル​・​フ​ァ​ニ​ン​グ​の​目​の​周​り​だ​け​が​赤​く​て​後​は​蝋​の​よ​う​に​白​い​メ​ー​キ​ャ​ッ​プ​も​ゾ​ク​ゾ​ク​す​る​。​来​る​か​来​る​か​、​や​っ​ぱ​り​と​い​う​ラ​ス​ト​も​期​待​を​裏​切​ら​な​い​が​、​幻​想​文​学​風​に​な​っ​た​分​、​怖​さ​が​今​ひ​と​つ​で​、​現​在​の​事​件​の​真​相​が​説​明​不​足​で​わ​か​り​に​く​い​。
​ ​ミ​ス​テ​リ​ー​風​の​虚​実​不​明​の​作​劇​で​、​B​級​感​の​な​い​コ​ッ​ポ​ラ​ら​し​い​作​品​だ​が​、​若​干​話​を​重​層​的​に​し​す​ぎ​た​き​ら​い​も​あ​っ​て​、​そ​れ​が​ホ​ラ​ー​と​し​て​よ​か​っ​た​の​か​ど​う​か​。
​ ​ヴ​ァ​ー​ジ​ニ​ア​は​ポ​ー​が​2​7​歳​の​と​き​に​結​婚​し​た​従​妹​で​1​3​歳​の​幼​な​妻​の​名​前​で​も​あ​る​。 (評価:2.5)

私が、生きる肌

製作国:スペイン
日本公開:2012年5月26日
監督:ペドロ・アルモドバル 製作:アグスティン・アルモドバル、エステル・ガルシア 脚本:ペドロ・アルモドバル、アグスティン・アルモドバル 撮影:ホセ・ルイス・アルカイネ 美術:アンチョン・ゴメス 音楽:アルベルト・イグレシアス

女フランケンシュタインの官能的なエロチシズム
 原題"La piel que habito"で、邦題の意。ティエリ・ジョンケの小説"Mygale"(ミゲル)が原作。
 トレドの大邸宅に暮らす形成外科医ロベル(アントニオ・バンデラス)が主人公で、死んだ妻そっくりの美女ベラ(エレナ・アナヤ)をバイオテクノロジーの人工皮膚によって造り上げ幽閉しているというもの。
 いわばフランケンシュタインの怪物もので、ベラの正体や如何にというサスペンス・ミステリー。
 前半、妻が異父弟セカ(ロベルト・アルモ)と逃避行中に自動車事故で全身火傷を負うが、ロベルの治療で奇跡的に生還。しかし自身の顔を見て自殺。続いて娘ノルマ(ブランカ・スアレス)がビセンテ(ジャン・コルネット)にレイプされ、精神病院入りした挙句に自殺。
 復讐心に燃えるロベルがビセンテを拉致し、なんと性転換手術をしてしまうというのが後半で、ここであっと驚くタメゴローとなる。
 犯罪者となったセカが母マリリア(マリサ・パレデス)のいるロベルの邸に逃げてきて、ベラを見て交合。それを見たロベルがセカを銃殺。最後はベラにマリリアともども殺されて幕という物語。
 ロベルが天才形成外科医というのがミソで、皮膚ばかりか複願手術までしてしまう。フランケンシュタインの怪物ならぬロベルの怪物ベラがどうやって造られたのかという謎とともに、『悪魔のはらわた』(1973)同様、女フランケンシュタインの官能的なエロチシズムが見どころとなる。 (評価:2.5)

ハリー・ポッターと死の秘宝 PART2

製作国:イギリス、アメリカ
日本公開:2011年7月15日
監督:デヴィッド・イェーツ 製作:デヴィッド・ハイマン、デヴィッド・バロン、J・K・ローリング 脚本:スティーヴ・クローヴス 撮影:エドゥアルド・セラ 音楽:アレクサンドル・デプラ

ヘレナ・ボナム=カーターの少女の演技が見どころ
 原題は"Harry Potter and the Deathly Hallows"で、死に関する聖なるものの意。作中では、ニワトコの杖、蘇りの石、透明マントのこと。
 前編のレビューを書いたのが、後編を劇場で観る直前の2011年7月で、そのまま後編のレビューは書かなかった。今回、ビデオで通して観たが、「死の秘宝」の前後編、とりわけ後編はシリーズ中でも良くできている。原作のエピソードをなるべく丁寧に描こうとしていて、ラストの戦闘シーンは映画ならではの迫力ある描写で、原作よりも数段いい。
 前編はヴォルデモートの完全復活で、騎士団全員がハリーに化けてロンの家へ。フラーとビルの結婚式をデス・イーターに襲われ、ロン、ハーマイオニーとともにホークラックス(分霊箱)捜しの旅に出る。ペンダントを破壊し、『吟遊詩人ビードルの物語』の謎を解明し、ニワトコの杖をヴォルデモートが手に入れるまで。
 後編はグリンゴッツ銀行でカップを手に入れ、ドラゴンとともに脱出。ハーマイオニーがベラトリクスに化けるが、少女を演じるヘレナ・ボナム=カーターの演技が見どころ。ホグワーツに乗り込み、ヴォルデモートとの最終決戦。スネイプのアラン・リックマンがハリーに涙を流すシーンがこれまた見どころ。その後の回想シーンを含め、本作の一番いいところを持っていく。ネビルも最後にいい役で、終盤は感動的。
 陰鬱な上に人がたくさん死んで、従来の『ハリーポッター』とはまったくテイストが違い、本シリーズに何を期待するかで評価が分かれるが、シリアスな魔法ファンタジーとしては良くできている。 (評価:2.5)

ドラゴン・タトゥーの女

製作国:アメリカ、スウェーデン、イギリス、ドイツ
日本公開:2012年2月10日
監督:デヴィッド・フィンチャー 製作:ソロン・スターモス、オーレ・センドベリ、スコット・ルーディン、セアン・チャフィン 脚本:スティーヴン・ザイリアン 撮影:ジェフ・クローネンウェス 音楽:トレント・レズナー、アッティカス・ロス

推理よりもストーリーを楽しむミステリー映画
 スティーグ・ラーソン原作のスウェーデンのベストセラー小説『ミレニアム』第1部が原作。2009年制作のスウェーデン版のリメイクで、映画の原題は"The Girl with the Dragon Tattoo"で邦題の意。
 とにかく登場人物が多い。殺人事件の中心となるヴァンゲル家だけで17人が原作に登場するが、映画に何人登場しているのか良くわからない。そのほかにヴァンゲル家の関係者がいて、主人公ミカエルに絡む人物、ドラゴン・タトゥーの女リスベットに絡む人物がいて、人物関係が込み入っている上にストーリーも混線気味。こういった映画の場合はミステリーを追うよりは単純にストーリーを追いかけるしかないが、ついていくためには結構疲れる。ラスト近くで真犯人が出て来ても誰だったかよく覚えていなかったが、ストーリーはそれなりに楽しめた。
 リスベット役のルーニー・マーラが不気味で良い。スウェーデンが舞台の映画はイングマール・ベルイマンくらいしかないので、寒々しい風景も見どころか。
 ただサディスティックで露骨なシーンが多いので、要注意。 (評価:2.5)

ツリー・オブ・ライフ

製作国:アメリカ
日本公開:2011年8月12日
監督:テレンス・マリック 製作:サラ・グリーン、ビル・ポーラッド、ブラッド・ピット、デデ・ガードナー、グラント・ヒル 脚本:テレンス・マリック 撮影:エマニュエル・ルベツキ 美術:ジャック・フィスク 音楽:アレクサンドル・デスプラ
カンヌ映画祭パルム・ドール

『2001年宇宙の旅』張りの映像表現が既視感というよりは似非感
 原題"The Tree of Life"で、生命の木の意。
 一言でいえば宗教的映画で、冒頭ヨブ記の引用から始まり、オブライエン一家の物語となる。1950年代、夫妻は3人の男子に恵まれるが、厳格というよりは父権を振りかざす父と慈愛に満ちた母という、時代の典型というよりはステレオタイプな設定で、社会的な成功を人生の目的と教える父に反発する長男ジャックは、遊び友達の死を境にグレてしまう。
 そんな時、父がリストラされ一家は家を出ていくことになるが、父は自分の教育が間違っていたことをジャックに詫び、誇れるものは息子たちだけだと告げる。
 時は移り、ジャックは弟が19歳で死んだことを知るが、構成的にはこれがプロローグで、以下はジャックの回想という形で進む。
 神による天地創造と地球の歴史がキューブリックの『2001年宇宙の旅』(1968)張りに描かれるが、映像表現が類似していて、それを想起させてしまうのが既視感というよりは似非感を漂わせる。
 すべては神の思し召しと信じるジャックは、友達と弟の早すぎる死を通して、あるがままの自然の摂理を受け入れるという結論に導く。
 それを一つの映像詩として描くが、広角レンズを使った常に移動するカメラワークで、無常感と浮遊感を描き出そうとするものの、それがあまりにあざとくて不快になる。
 これを哲学的映画というには結論が月並みで、教会の祭壇の前で幻視する信仰の告白というに相応しい。 (評価:2.5)

シャーロック・ホームズ シャドウ ゲーム

製作国:アメリカ、イギリス
日本公開:2012年3月10日
監督:ガイ・リッチー 製作:ジョエル・シルバー、ライオネル・ウィグラム、スーザン・ダウニー、ダン・リン 脚本:ミシェル・マローニー、キーラン・マローニー 撮影:フィリップ・ルースロ 音楽:ハンス・ジマー

今回は『モンティ・パイソン』+『マトリックス』
 原題は"Sherlock Holmes: A Game of Shadows"。  「最後の事件」をベースにして、モリアーティ、マイクロフト等の原作キャラを中心にストーリーが進行するので、前作よりはシャーロック映画の雰囲気がする。
 アクション版の前作と同じかと思いきや、意外とコメディ色が強く、アクションシーンも映像処理に力を移して、『空飛ぶモンティ・パイソン』+『マトリックス』版シャーロックといった趣き。今回は主にバトルの展開をシャーロックが推理するというように、主人公が地味で目立たなかった反省を随所に生かしている。その甲斐あって今回のロバート・ダウニー・Jrは、主人公らしくなった。
 もっともストーリーの方は勢いで見せているために説明不足が多く、話が呑み込めないままにラストを迎え、最後のシャーロックの謎解きも付け足し感が強い。『マトリックス』映像処理も多用するとくどい。 (評価:2.5)

マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙

製作国:イギリス
日本公開:2012年3月16日
監督:フィリダ・ロイド 製作: ダミアン・ジョーンズ 脚本:アビ・モーガン 撮影:エリオット・デイヴィス 音楽:トーマス・ニューマン

これは伝記映画ではなくメリル・ストリープの映画
 マーガレット・サッチャーが昨日(2013年4月8日)死んだ。この映画が公開されたのは1年前で、原題は”The Iron Lady”。
 伝記映画は伝記として面白そうな人を描くので外れはあまりない。事実を基にドラマとして脚色するのでストーリーもしっかりしている。ただ問題があるとすれば、長い人生を2時間程度に纏めなければならず、サッチャーのように人生が歴史事実と密接に絡んでくる場合は、その背景をきちんと描けないために消化不良となり、ダイジェストになってしまうこと。『J・エドガー』(2011)もそうだったし、それを回避するには『英国王のスピーチ』(2010)のように特定のテーマに絞って伝記を諦めるしかない。
 フーヴァー同様、サッチャーも毀誉褒貶が多く、しかも派手な言動で知られたので映画は観る人の彼女に対する評価で大きく割れる。それを前提に、しかしなるべく客観的に書けば、この映画はサッチャーというひとりの女のドラマであり、政治映画でもなければ、政治家サッチャーの評伝でも伝記でもない。政治的にはサッチャーに対する見方は冷静で中立的に描かれている。
 映画は食料品店の娘だったサッチャーが政治家を志し、首相となっていく生涯を晩年の認知症の彼女を通して描いていく。彼女の描き方はいささか感傷的で、この映画に「鉄の女」を期待すると、肩すかしを喰らう。「鉄の女」もやはり女であるという女性映画になっている。
 女性映画であるため、見どころはメリル・ストリープのアカデミー主演女優賞の演技ということになる。彼女は3人のサッチャーを演じる。1人目は首相になるまでのどこか頼りなげなサッチャー。2人目は首相となってからの鉄の女サッチャー。3人目は認知症のサッチャー。3人目のサッチャーは女性映画として描くために脚本・演出の主観で描かれていて、これが実際のサッチャーだと真に受けない方がいいが、メリル・ストリープの演技は素晴らしい。
 この映画はサッチャーという人物を借りた創作ドラマで、伝記ではない。階級制度の残るイギリスで、サッチャーに痛めつけられた労働者階級はこの映画にどのような評価を与えたのだろうか? 端から見ない?
 余談だが、レビューしようとしたら『マーガレット・サッチャー 鉄の女の素顔』(2011)というビデオがあって、ツタヤの紹介もレビューも本作と勘違いしている。未見だがドキュメンタリーで、原題は"Margaret Thatcher-The Iron Lady"。間違って買わせようという魂胆なのか、タイトル似すぎ。 (評価:2.5)

製作国:アメリカ
日本公開:2012年3月2日
監督:スティーヴン・スピルバーグ 製作:スティーヴン・スピルバーグ、キャスリーン・ケネディ 脚本:リー・ホール、リチャード・カーティス 撮影:ヤヌス・カミンスキー 音楽:ジョン・ウィリアムズ
キネマ旬報:7位

アカデミー主演男優賞は馬のジョーイにあげたかった
 原題は"War Horse"で軍馬のこと。マイケル・モーパーゴの同名児童小説が原作。
 この映画で残念なのは、エンディングに出演した馬の名前がクレジットされていなかったこと。この映画の主役は馬のジョーイで、主演男優賞。助演女優賞か男優賞か不明(おそらく女優)なのは、カンバーバッチ少佐の黒い馬だが、名前がわからない。この映画で最も良い演技をしていたのはこの2頭の馬で、演技指導のトレーナーに監督賞をあげたいくらいだが、やはりエンディングのラスト近くに小さくクレジットされていただけだった。ガチョウの名演技にも賞をあげたい。
 この映画は動物か子供で感動を取るというありがちな映画に忠実に作られている。ディズニーアニメ並みに擬人化されていて、馬の演技が臭すぎるのが難。しかし、それを演じきった馬には感心する。それに比べ、人間たちは説教・教訓じみた台詞が多く、シナリオ上も感動させようとする意図が露骨すぎて辟易する。馬も人も風景もゴージャスで、空撮や俯瞰シーンを見ていると空から金が降ってきそうな気がする。
 ドイツとフランスの兵士が英語を喋るのも気になる。有刺鉄線に絡まった馬を助けるために対峙している英独の兵士同士が協力し合うが、英軍の兵士が「英語が上手だね」なんて独軍の兵士に言う台詞には、あれ今までドイツ語を喋っていたの? と思わず突っ込みを入れたくなる。
 巡り巡って元の所に帰ってくるというモチーフは民話などに古くからあって、すぐに物語の先が読めてしまうのが残念。テーマもわかりやすくて「反戦」。児童向け感動動物物語と考えれば文科省選定の優良映画で、スピルバーグ的には『E.T.』に先祖返りしたような作品。 (評価:2.5)

ミッション:インポッシブル ゴースト・プロトコル

製作国:アメリカ
日本公開:2011年12月16日
監督: ブラッド・バード 製作:トム・クルーズ、J・J・エイブラムス、ブライアン・バーク 脚本:アンドレ・ネメック、ジョシュ・アッペルバウム 撮影:ロバート・エルスウィット 音楽:マイケル・ジアッキーノ、ラロ・シフリン

今回のミッションは『それ行けスマート』のパロディ?
 原題は"Mission: Impossible – Ghost Protocol"。Mission: Impossibleは任務:不可能なこと。Ghost Protocolは幽霊の指令の意で、 IMF(Impossible Mission Force)がイーサンに出す指令が存在していないことを指す。
 トム・クルーズがイーサン・ハントを演じる映画シリーズ第4作。TVシリーズ『スパイ大作戦』をリアルタイムで見た世代なので、どうしても期待とこだわりがある。それからすれば、本作には少々がっかりした。
 大作であり、クレムリン、ドバイの超高層ブルジュ・ハリファと、アクションシーンの道具立ても派手で、きっと製作費もかかっているのだろう。しかし、核戦争の危機にもかかわらず米政府から見捨てられたイーサンたちが命を張って阻止するという設定があまりに荒唐無稽で安っぽい。
 ハイテク技術を駆使したスクリーンやスパイダーマンさながらの吸盤装置、IMFの指令装置や認証装置もトンデモもないところにあって、今回は『それ行けスマート』張りのコメディかと勘違いする。ラストの核ミサイルシーンには唖然とするが、やはり『それ行けスマート』のパロディなのだろうか? (評価:2.5)

猿の惑星 創世記

製作国:アメリカ
日本公開:2011年10月7日
監督:ルパート・ワイアット 製作:リック・ジャッファ、アマンダ・シルヴァー、ピーター・チャーニン、ディラン・クラーク 脚本:リック・ジャッファ、アマンダ・シルヴァー 撮影:アンドリュー・レスニー 音楽:パトリック・ドイル

一体どこからそんなに大勢のapeが沸いたのか?
 原題"Rise of the Planet of the Apes"で、猿の惑星の始まりの意。地球がなぜ猿の惑星になってしまったかという発端を描く新シリーズ第1作。
 父親がアルツハイマーの主人公の科学者(ジェームズ・フランコ)が、治療薬を開発するためにチンパンジーを実験台にして新薬を開発する。
 ところが、実験体の雌が妊娠中で、子を守るために凶暴になったために射殺。仕方なく乳児を引き取ったところ、天才児シーザーとなって、乱暴な隣家のオヤジを殴ったために類人猿センターに容れられてしまう。
 飼育係の虐待に怒ったシーザーは新薬を盗み出してセンターのapes全員を利口にしてしまったから、さあ大変。脱走した挙句に動物園のapesまで解放して反乱を起こし、金門橋で警官隊との戦いとなる。
 人気シリーズのリブートの割にはストーリーは良くできているが、反乱あたりから一体どこからそんなに大勢のapesがやってきたんだという非現実感が堪らなくなる。
 そのくらいしないと猿が地球を征服できないという事情はわかるものの、それでも人類の1%にも遠く及ばないわけで、続編に続かざるを得ないというプロローグでしかないのが残念。
 主人公の恋人役の獣医(フリーダ・ピントー)が知的美人。シーザー役はアンディ・サーキスで、CGIのモーションキャプチャー。 (評価:2.5)

製作国:アメリカ
日本公開:2012年1月7日
監督:クレイグ・ギレスピー 製作:マイケル・デ・ルカ、アリソン・ローゼンツワイグ 脚本:マーティ・ノクソン 撮影:ハビエル・アギーレサロベ 美術:リチャード・ブリッジランド・フィッツジェラルド 音楽:ラミン・ジャヴァディ

コリン・ファレルの耽美で恐ろしい吸血鬼が見どころ
 原題"Fright Night"で、恐怖の夜の意。トム・ホランド脚本・監督の同名映画(1985)のリメイク。
 隣に越してきた二枚目独身男ジェリー(コリン・ファレル)がヴァンパイアと知った高校生チャーリー(アントン・イェルチン)が、シングルマザー(トニ・コレット)とガールフレンドのエイミー(イモージェン・プーツ)を守るためにヴァンパイアと戦うという物語で、コリン・ファレルの耽美で恐ろしい吸血鬼ぶりが最大の見どころ。
 オリジナル版で主人公を演じたクリス・サランドンがカメオ出演している。
 CGを使ったジェリーとエイミーのヴァンパイアへの変貌がリメイクの目玉で、美形が鬼の形相に変わる様子が確かに怖い。
 吸血鬼が日光に弱いということから、舞台は夜の町ラスベガスというのも上手い設定で、ヴァンパイア・ハンターのピーター(デイヴィッド・テナント)のテレビ番組『フライトナイト』もラスベガス・ショーに変更されている。
 最後はチャーリーとピーターがジェリーの心臓に杭を打って退治。信仰心がないと十字架も役に立たないとか、エイミーが銀の弾丸をジェリーに撃って「それは狼男用だ」といなされたりと、全体はそこはかとないコメディ仕立てで、楽しめるヴァンパイア映画となっている。
 チャーリーとエイミーが若干薹が立っていて、高校生に見えない。 (評価:2.5)

最強のふたり

製作国:フランス
日本公開:2012年9月1日
監督:エリック・トレダノ、オリヴィエ・ナカシュ 製作:ニコラ・デュヴァル=アダソフスキ、ヤン・ゼヌー、ローラン・ゼトゥンヌ 脚本:エリック・トレダノ、オリヴィエ・ナカシュ 撮影:マチュー・ヴァドピエ 編集:ドリアン・リガール=アンスー 音楽:ルドヴィコ・エイナウディ

心温まるヒューマンドラマだが主従を超えたものが描き切れていない
 原題"Intouchables"で、不可触民、最下層民の意。フィリップ・ポッツォ・ディ・ボルゴの著書"Le Second Souffle"が原作。
 実話を基にした物語で、パラグライダーの事故で四肢麻痺となった富豪(フランソワ・クリュゼ)が、スラム出身の黒人青年(オマール・シー)を介助人として雇い、生まれ育った環境の違う彼の人間性に惹かれ、主従を越えた友人となって行く過程を描くヒューマン・コメディ。
 下層に育った介助人と富豪の生活習慣の違いを初めはコミカルに描いていくが、主人が一度も会ったことのない女性と文通していることを知り、それが相手に障碍者だと知られてしまうのを恐れてのことだというのを無視して、勝手に電話を架け、デートの約束までさせてしまう。
 外見を恐れる主人に、女が男に一番惹かれるのは金だと言い切る単純さがいい。
 そうして主人も他の使用人も介助人の気取らない人間性に惹かれ、一度は邸を辞した介助人が再び友情から復帰するという常道を踏んでエンドとなる。
 実話ベースながらもよく出来たヒューマンドラマで、楽しく心温まる。もっとも、ラストシーンで実話の二人が登場すると、それまでの話が急にフィクションめいてしまい、映画の中の二人からは主従関係を超えたものが描き切れていなかったことに気づく。
 それは立場の違いを超えた信頼、心の絆のようなものなのだろうが、それが描けていれば単なるいい話ではなく、より感動的なものとなっただろう。 (評価:2.5)

製作国:フランス
日本公開:2012年4月7日
監督:ミシェル・アザナヴィシウス 製作:トマ・ラングマン 脚本:ミシェル・アザナヴィシウス 撮影:ギョーム・シフマン 音楽:ルドヴィック・ブールス 美術:ローレンス・ベネット
アカデミー作品賞

助演男(女?)優賞は死んだ振りのできる犬に
 原題"The Artist"。
 サイレントからトーキーに移り変わる時代のハリウッドを舞台にした映画で、映画全体はサイレントの様式を取り入れている。
 シーンの合間に入る字幕が英語のため、英語の映画という括りで、フランス映画にもかかわらずアカデミー作品賞、監督賞、主演男優賞、作曲賞、衣裳デザイン賞を受賞。題材と表現方法がハリウッドの映画人の琴線をくすぐったらしい。
 物語は『街の灯』や『ライムライト』の逆ヴァージョンのようなストーリーで、主人公もサイレント時代の映画俳優という設定で、なんとなくチャップリンを想起させる。
 主人公はサイレントのスター俳優兼監督。エキストラのオーディションを受けに来た新人女優ペピーと知り合い、俳優には個性が必要だと教えて付け黒子をさせる。時代はトーキーへの過渡期。サイレントこそ芸術だと拘る主人公は、次第に落ちぶれ、屋敷財産を手放し、忘れられていく。
 一方のペピーはトーキーの波に乗ってスター女優の階段を駆け上り、恩人である主人公を蔭で支え、競売に出された家具を買い集め、自暴自棄になった主人公をペピーの屋敷で療養させ、最後は映画界への復帰を助けてハッピーエンド。
 本作の見どころはサイレント形式を採った、サイレント映画へのオマージュであることで、途中トーキーの足音を表現するために効果音が使われるシーンがあるが、徹頭徹尾字幕で対応。ラストはタップダンスを踊るため、音楽と効果音が使われ、主人公が肉声を出すことでトーキーに転身したことを示す。
 もっとも、途中のシーンで効果音が使われたことから、ラストがトーキーで終わるのは容易に予想でき、むしろ音声がいかに劇的に使われるか、主人公がどのような台詞を話すのかに期待を持たせるのだが、正直肩透かし。おそらく、これを画竜点睛を欠くというのだろう。
 本作の一番の見どころはむしろ主人公が買っている犬で、死んだ振りができるという名優で、感心する。この犬に助演男(女?)優賞をあげたい。 (評価:2)

マイティ・ソー

製作国:アメリカ
日本公開:2011年7月2日
監督:ケネス・ブラナー 製作:ケヴィン・フェイグ 脚本:アシュリー・エドワード・ミラー、ザック・ステンツ、ドン・ペイン 撮影:ハリス・ザンバーラウコス 音楽:パトリック・ドイル

豪華出演陣!なぜかニューメキシコで北欧神話の戦い
 原題は"Thor"。マーベル・コミックのスーパーヒーロー"The Mighty Thor"を主人公にした映画化で、コミックには複数タイトルがあるが、主に"Thor"。
 北欧神話が題材で、ソーはトールの英語読み。天上のアスガルドにはオーディンやロキもいて、巨人の国ヨトゥンヘイム、人間の住むミッドガルド、アスガルドとミッドガルドに架かる虹の橋ビフレストも登場する。北欧神話の知識があると設定が理解しやすい。
 作品はアスガルドと現代のミッドガルドを結ぶ話だが、北欧神話なのに虹の橋がなぜニューメキシコに架かっているのかといったような細かい問題は気にしない。これはアメコミであり、北欧神話に名を借りたスーパーヒーローもの。
 エンタテイメントとしてどれだけ楽しめるかに掛っているが、CGもふんだんでそこそこには飽きさせない。雷神トールの戦鎚は万能過ぎて向かうところ敵なし。とにかく派手で壮快。
 ただソーたち、アスガルドの面々が神話の如く繰り広げるニューメキシコでの戦いは、どう見ても絵空事でしかなく、現代のミッドガルド、セブンイレブンもある町のリアリティとの間に違和感は拭えない。まるで漫画なのだが、アメコミなので当たり前か?
 ナタリー・ポートマン、アンソニー・ホプキンスも出演して大作感はあるが、なぜ監督がシェイクスピア俳優のケネス・ブラナーかというのも違和感のひとつ。北欧神話絡みだからか? 浅野忠信も出ている。 (評価:2)

キャプテン・アメリカ ザ・ファースト・アベンジャー

製作国:アメリカ
日本公開:2011年10月14日
監督:ジョー・ジョンストン 製作:ケヴィン・ファイギ 脚本:クリストファー・マルクス、スティーヴン・マクフィーリー 撮影:シェリー・ジョンソン 美術:リック・ハインリクス 音楽:アラン・シルヴェストリ

戦時国債の宣伝マンは面白いがヒーローになってからが退屈
 原題"Captain America: The First Avenger"で、キャプテン・アメリカ:最初の報復者の意。ジョー・サイモンとジャック・カービーの漫画"Captain America"が原作。
 第二次世界大戦中、兵役検査で失格の青年スティーブ・ロジャース(クリス・エヴァンス)が愛国心から軍の超人兵士計画に参加。超人兵士に生まれ変わり、ナチと戦うというもの。
 終戦前に北大西洋上で軍用機と共に消息を絶ち氷漬けとなるが、物語は70年後に軍用機が発見され、氷漬けとなったロジャースが生還するところから始まり、過去の物語へと遡る形式を採っている。
 次作『アベンジャーズ』(2012)に繋がるように北欧神話ユグドラシル由来のパワーユニット、コズミックキューブを登場させ、ナチのヨハン・シュミット(ヒューゴ・ウィーヴィング)がこれを手に入れて新兵器を開発する。
 コズミックキューブはあくまで次作への繋ぎで、物語そのものはキャプテン・アメリカの誕生とヒーローとしての活躍を描く。当初は戦時国債を売るための宣伝マンというのが面白いが、欧州慰問中に親友バッキーがナチの科学部門ヒドラに捕まったことから単身潜入。米軍から盗んだ超人化血清の副作用でレッドスカルとなったシュミットとの対決となる。
 シュミットはコズミックキューブで地球外に飛ばされ、ロジャースは爆撃機もろとも北極海に消えるというキャプテン・アメリカの一代記。
 再び現代に戻り、氷漬けのロジャースがS.H.I.E.L.D.基地に運ばれて生き返り、To the "Avengers"となる。
 前半はそれなりに面白いのだが、類型的なヒーロー物語となってからの後半が少々退屈。キャプテン・アメリカの一代記なだけに話が長く、山場がないままにダラダラとエピソードが続く。 (評価:2)

カーズ2

製作国:アメリカ
日本公開:2011年7月30日
監督:ジョン・ラセター 製作:デニス・リーム 脚本:ベン・クイーン 音楽:マイケル・ジアッキノ

007もどきのスパイ映画では車の擬人化である必然性がない
 原題"Cars 2"。擬人化された車しか登場しないピクサー・アニメーション・スタジオ製作の3Dアニメーションのシリーズ第2作。
 前作のレーシングカーの物語から一転、冒頭から007もどきスパイが忍者のように飛び回るという奇をてらった導入。船の艦橋を攀じ登ったり、綱渡りをしたり、ミサイルを発射したり、水陸両用で海中を進んだりということになると、これはもう車の擬人化である必然性がない。
 こうした制作者の勘違いが本作全体を覆っていて、一方のライトニング・マックィーンはワールド・グランプリで東京・パリ・イタリアの海岸リゾート・ロンドンを転戦。ロードレースで観光名所めぐりをするという、レーシングカーになり切ることで子供の夢を具現化する基本コンセプトからは大きく逸脱した物語になっている。
 バイオ燃料の会社のCEOが、油田を掘り当てたためにワールド・グランプリを開催。バイオ燃料で走る車に仕掛けをして評判を落としてガソリン車の価値を保とうとしたという、車絡みの話にはなっているがわかりにくい設定。この陰謀を察知して登場するスパイの車も007のアストンマーティンというマニア志向。
 レーシングカーの位置づけが薄らいだ分、ストーリーもマックィーンの親友でレッカー車のメーターが中心の話になっていて、役立たずのメーターに足を引っ張られたマックィーンがレースに負けて仲違い。最後はメカニックのメーターが陰謀の事件解決に役立ち、友情を回復するという、いささか類型的なハッピーエンドがつまらない。 (評価:2)

ドリームハウス

製作国:アメリカ
日本公開:2012年11月23日
監督:ジム・シェリダン 製作:ジェームズ・G・ロビンソン、デヴィッド・ロビンソン、ダニエル・ボブカー、アーレン・クルーガー 脚本:デヴィッド・ルーカ 撮影:キャレブ・デシャネル 美術:キャロル・スピア 音楽:ジョン・デブニー

ホラーっぽく始まるが後半はただのミステリー
 原題"Dream House"で、夢想の家の意。
 モーレツ仕事人間の主人公ウィル(ダニエル・クレイグ)が、マイホームパパになろうと編集者を辞め、郊外の中古一軒家を買って作家生活に入ろうとするが、5年前にその家ではパパによる一家惨殺事件があって、精神病院を出たパパ=ピーターらしき不審者が一家の平安を脅かす…というサイコホラー。
 ウィルがなぜ事件を知らずに家を買ったのかという疑念が最初に起き、隣家の妻アン(ナオミ・ワッツ)を始め、ウィルに冷たい警官や精神病院の人々など態度が相当に不自然なのだが、これらは最後に謎が解ける。
 もっとも、こうしたストーリー上の不自然さを感じさせてしまうのは、似たような設定の『シックスセンス』(1999)や『アザーズ』(2001)と比べてもシナリオの出来が悪い。
 これをダニエル・クレイグ、ナオミ・ワッツ、レイチェル・ワイズ(ウィルの妻リビー)らの出演陣でカバーするが、殺された家族たちが幽霊なのかウィルの幻想なのか今一つ不明で、事件の真相の説明も5年前と現在とが混在していて演出的にもわかりにくい。
 不審者が家をうろつく前半は、ホラー味があって怖かったりするが、後半は幽霊(?)たちがあまり怖くないのでホラー味もスリラー味もなくなり、ただのミステリーになってしまうのが寂しい。
 それにしても5年前の事件がショックで、ピーターが事件の真相を忘れてしまうというのが相当に不自然。 (評価:2)

パイレーツ・オブ・カリビアン 生命の泉

製作国:アメリカ
日本公開:2011年5月20日
監督:ロブ・マーシャル 製作:ジェリー・ブラッカイマー 脚本:テッド・エリオット、テリー・ロッシオ 撮影:ダリウス・ウォルスキー 音楽:ハンス・ジマー、ロドリーゴ・イ・ガブリエーラ

ディズニーランドからアドベンチャーゲームへ
 原題は"Pirates of the Caribbean: On Stranger Tides"。シリーズ第4作は監督がゴア・ヴァ-ビンスキーからロブ・マーシャルに変わり、ティム・パワーズの小説"On Stranger Tides"が原作。映画の副題ともなっている原作の邦題は「幻影の航海」だが、「奇妙な流れに」の意味で、劇中の若返りの泉(Fountain of Youth)を指すと思われる。
 監督が交代し原作を基にしたことで、前3作とは若干テイストが変わった。普通のアドベンチャー作品になっていて、アクションにディズニーランドっぽさがなくなり、ジャックたち海賊のコミカルさと軽快さが薄れた。これを良しとするか否かはシリーズのファンの観方次第。
 大筋としては前作でジャックが持っていた地図に在り処の記された若返りの泉の水を巡る争奪戦。国王の命令を受けた公認海賊のバルボッサと、異教の泉を破壊しようとするスペイン、ブラックパール号を瓶に閉じ込めてしまった海賊・黒ひげ。ジャックは恋人アンジェリカとともに黒ひげの案内人を務める。
 オーソドックスな冒険物語の構造に乗っているので話はわかりやすくなったが、主舞台は陸地で、海賊物語ではなくなっているのが寂しい。人魚も出てきてファンタジー色も強まり、どちらかというと遊園地からアドベンチャーゲームに移行した印象。 (評価:2)

製作国:アメリカ
日本公開:2013年3月9日
監督:ドリュー・ゴダード 製作:ジョス・ウェドン 脚本:ジョス・ウェドン、ドリュー・ゴダード 撮影:ピーター・デミング 音楽:デヴィッド・ジュリアン

魑魅魍魎がたくさん出てくる割には説明がないのが不満
 原題"The Cabin in the Woods"で、森の中の山小屋の意。
 大学生の男女5人が週末を山小屋で過ごすという物語だが、実は太古の神=巨人に捧げる生贄だったというオチ。設定についての説明はないが、国際機関のようなものがゾンビや半魚人、幻獣といった魑魅魍魎を地下の檻に閉じ込めていて、これに生贄を捧げることで巨人を鎮めているらしく、ある程度の世界神話や古代宗教の知識があれば、物語が進むうちに呑み込めてくるが、そうでないと単に騒々しいだけの、ホラーともいえないゲテモノ映画に見えてしまうかもしれない。
 魑魅魍魎がたくさん出てくる割には、それぞれについての説明がないのが不満なところで、ラストシーンで地中から突き出す巨人の手も唐突。
 ホラー映画の割には余り怖くなくて、どちらかといえば怪人の出てくるスリラー映画。ゾンビもモンスターにしか見えないのも残念なところ。
 男女5人はお約束通りに一人ずつ死んでいくが、全員死んで地球が滅びてしまうのも意外といえば意外。
 ヒロイン、デイナ役のクリステン・コノリーが可愛い。 (評価:2)

製作国:ハンガリー・フランス・スイス・ドイツ
日本公開:2012年2月11日
監督:タル・ベーラ 製作:テーニ・ガーボル 脚本:タル・ベーラ、クラスナホルカイ・ラースロー 撮影:フレッド・ケレメン 音楽:ヴィーグ・ミハーイ
キネマ旬報:1位

苦痛を耐え忍ぶことでニーチェの思想に迫れる映画
 原題は"A torinói ló"で「トリノの馬」の意。冒頭に説明される、ニーチェが1889年1月3日にトリノの広場で御者に鞭打たれる荷車の馬の首を抱きながら昏倒し、狂気に陥ったという逸話に因む。
 映画はニーチェではなく、馬のその後をイメージしたもので、荒野の一軒家に戻る御者と娘との単調な生活を単調に描く。台詞も説明もほとんどなく、長回しのカメラで男が黙って着替えるシーン、娘と芋を煮て食うシーン等を数回見せられる。音楽も同じフレーズの繰り返しで、意味のない繰り返しの毎日を描くことでニーチェの思想を体現する。
 ストライキをする馬、家に酒を買いに来る近隣の男、流れ者の一団、涸れる井戸等から、世界は天地創造と対になる終末を迎えていて、この世界を出ていくことも叶わず、水も火も尽き、ただ終わりゆく世界を生きていることが暗喩される。この中に人間の驕りの果てに行き着いた現代社会への批判を読み取ることもできるが、それも含めての超人思想だということがラストで示される。
 映画論的には、ニーチェの思想をモノクロ映像で描き、黙示録の世界を長回しで静かに見つめるカメラワークについて延々と論じることはできる。ゆっくりとしたズームイン・ズームアップ、とりわけ冒頭の荷車を引く馬をクレーンカメラで舐め回す映像は秀逸。
 芸術としての映画があってもよいし、記録から劇映画、ポルノに至るまでジャンルや手法によって映画を格付けすべきでもない。しかし、映画は作り手だけではなく観客がいて成立するもので(と考えない人もいるかもしれないが)、少なくとも本作は見続けることが苦痛になるくらいに退屈で、観る者に忍耐を強いる。  同じ手法をとった作品に新藤兼人『裸の島』があるが、これほど退屈しない。個人的には難解で知的であれば秀作だとも、文化人のサロンで論じられるだけのものが映画芸術だとも思わない。本作の★1.5は秀作にも通じる駄作で、他に見せ方があったのではないかと思う。
 ベルリン国際映画祭審査員グランプリ受賞。 (評価:1.5)

製作国:アメリカ
日本公開:2012年3月31日
監督:ニコラス・ウィンディング・レフン 製作:マーク・プラット 脚本:ホセイン・アミニ 撮影:ニュートン・トーマス・サイジェル 音楽:クリフ・マルティネス
キネマ旬報:8位

カンヌ映画祭はル・マンで開催した方が良かったかもね
 ジェイムズ・サリスの同名小説が原作。カースタントマンが主人公の犯罪映画で、カンヌ国際映画祭監督賞を受賞している。
 この映画の見どころは、スタントマンが主人公だけにカーアクションの迫力にある。次にハンサムな主人公の肉体美とスプラッターもどきの暴力シーン。これでR15指定を受けている。もう一つがスローモーションシーンの多用。それによって心理描写をサスペンスフルに見せている。以上挙げた3点が、おそらくカンヌやキネ旬の映画評論家たちに評価された。
 しかし、そのいずれもが、物語的にも設定的にも、そして作品としても破綻しているこの映画を糊塗するための方便にすぎない。小説を読んでいないのでその原因が原作にあるのか、それともシナリオにあるのかはわからないが、話としてはボロボロ。
 例を挙げれば、主人公の運転する車が警察のヘリやパトカーに追われる冒頭シーンだが、なぜその車が強盗犯の乗る車だと特定されたのか説明されていない。それも強盗を終えた直後にすでに車種まで特定されて緊急手配される。二度目の強盗の背後にいる犯罪組織の描写も陳腐。ボスがいる事務所のようなところはハーレムのように美女が配置されているだけだが、売春クラブかキャバレーのようなところだとしても現実感が乏しく、完全に手抜きの設定で、昔の地球制覇を企む悪の組織のようなイメージだけの存在。
 数え上げればきりがないほどで、要は雰囲気だけで成立している映画。それでも前半は期待感があったが、次第に眠気を催し、エンドクレジットが始まるとついに沈没してしまった。 (評価:1.5)

製作国:アメリカ
日本公開:2012年1月21日
監督:トロイ・ニクシー 製作:ギレルモ・デル・トロ、マーク・ジョンソン 脚本:ギレルモ・デル・トロ、マシュー・ロビンス 撮影:オリヴァー・ステイプルトン 音楽:マルコ・ベルトラミ、バック・サンダース

ホラーシーンは結構怖いが、シナリオはひどい
 原題"Don't Be Afraid of the Dark"で、暗闇を恐れるな。1973年のABCの同名テレビ映画のリメイク。
 冒頭、古い館にカメラが寄っていくホラー映画の王道を踏んだカメラワークと演出で、本格的ゴシックホラーの雰囲気がみなぎる。そして館の中で起きるスーパーナチュラルな出来事。タイトルインの後、場面は現代に変わって小さな少女が改装された館に現れ、この少女がかつての惨劇を再現する主人公であることが容易に想像される。
 再婚した母から父のもとに帰され、その父にはやがて継母となる美人のパートナー。そして事件は繰り返され・・・と映像的作りと演出も悪くはない。しかし、本作には決定的に欠けているものがあって、あまりにシナリオがひどい。
 館の地下室には暗闇を好むゴブリンのような悪魔が巣食っていて、庭師の老人が襲われて瀕死の重傷を負うにも拘らず、建築家のパパは事故で済ましてしまう。パパはこの家を改装して転売するつもりだが、欲得に駆られて悪魔の存在を否定しているわけでもなく、単に事態が理解できないだけ。
 少女が恐怖を訴えても耳を貸さず、事件に警察もやってこない。次に少女が襲われてもパパは相変わらず無関心。パーティで大騒動になり、客が引き揚げてからものんびりしていて、夜になってようやく逃げ出す算段を始める始末。継母は継母で少女を寝室に残したまま地下室探検に出かけ、ゴブリンたちの罠に嵌ってしまう。
 要はホラーシーンを作るために、辻褄が合わなくても無理やり不自然な状況設定をしてしまうというご都合主義なシナリオ。
 この手のドラマにはありがちな無理解で阿保なパパと、少女を理解しようとして助けてくれる美人な継母というキャラクターシフトで、パパは死んでも少女と継母は助かるはずなのにそうならず、パパと子供は何事もなかったようにメデタシメデタシでは、継母が浮かばれずにゴブリンになってしまうのも仕方のないことか。
 ゴブリンの造形やCGはよくできていて、ホラーシーンは結構怖い。しかし、シナリオはひどい。 (評価:1.5)


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