海月衛 映画帖
~映画の大海原をたゆたう~

外国映画レビュー──2012年

製作国:香港、フランス
日本公開:2013年5月25日
監督:ワン・ビン 製作:フィルヴィー・ファグエ、マオ・ホイ 撮影:ホアン・ウェンハイ、 リー・ペイフォン、ワン・ビン
キネマ旬報:5位

貧困の村の三姉妹を結論に導くことなく眺めるドキュメンタリー
 原題は"三姊妹"。雲南省の3200メートルの高地に住む幼い三姉妹の生活を追ったドキュメンタリー。映像はビデオで撮られている。
 雲南省は中国でも最貧の地域で、80戸ある洗羊塘村の主食はジャガイモ。牧畜で暮らしを立てている。一家の母は三姉妹を置いて家出、父は町に出稼ぎに出ていて不在。10歳、6歳、4歳の姉妹は祖父や近所に住む伯母の世話になりながら、牧畜を手伝い自炊している。
 村では子供は労働力で、豚の世話・羊飼いをしながら薪を集めたり、肥料の家畜の糞を集めたりしている。村には学校があるが、学業よりも家の手伝いが優先され、唯一の娯楽はテレビ。そうした中で三姉妹の変化のない日常が淡々と描かれる。
 カメラは三姉妹に干渉することなく、客観的に眺めているだけだが、そのカメラが捉えるありのままの現実が強い説得力を持って迫ってくる。
 着の身着のままの服と履き潰した靴、ボロ布団、体を拭くこともなく汚れて虱だらけの体。短髪の二人の妹は正直女の子に見えない。それでも妹たちは純朴で可愛く、妹たちの面倒を見る長女は健気。帰省した父が二人の妹だけを連れて再び出稼ぎに行くと、祖父の下に一人取り残された長女が寂し気で切ない。
 やがて妹と新しい母を連れて帰ってくる父は、出稼ぎをやめて村で暮らすことになるが、結局のところ、貧しくとも家族全員が一緒に暮らす姿に安らぐ。
 本作を見た感想はおそらく正反対の二つに分かれ、一つは近代化し豊かになった中国で取り残された人々の矛盾と貧困。上海などの都市生活者からは想像もつかない格差であって、そうした中国の暗部を告発しているようにも見える。
 もう一つは、この僻村の貧しい一家に我々が過去に置き去りにしてきた家族の姿を見て、懐かしく甘酸っぱい感情が蘇ることで、本来の人間の姿、家族愛と心の幸せを見るような気がすること。
 もっとも、それは厳しい生活を現実に体験しえない我々のノスタルジーにすぎないと簡単に反論されてしまう程度のものだが、そのどちらの感想をも認めるように、映像はどちらに組することもなく、結論に導くことなくただ三姉妹を眺める。 (評価:3.5)

製作国:フランス、ドイツ、オーストリア
日本公開:2013年3月9日
監督:ミヒャエル・ハネケ 製作:マルガレート・メネゴス、シュテファン・アルント、ファイト・ハイドゥシュカ、ミヒャエル・カッツ 脚本:ミヒャエル・ハネケ 撮影:ダリウス・コンジ 美術:ジャン=ヴァンサン・ピュゾ
キネマ旬報:1位
アカデミー外国語映画賞 カンヌ映画祭パルム・ドール

鳩を助けてやるシーンに象徴される命に対する慈しみ
 原題は"Amour"(愛)。カンヌ国際映画祭パルム・ドール、アカデミー外国語映画賞など、多数の映画賞を受賞した佳作。
 ストーリーは至ってシンプルで、パリに暮らす老音楽家夫婦の老老介護の物語。妻の発病から半身麻痺による車椅子生活、病状の悪化を介護する夫の姿を描く。
 一定の年齢以上の者なら身につまされる話で、ネガティブな将来の可能性には目を背けたくなる。そう思いつつも、物語に流れる夫婦の愛情に引き込まれていく。
 劇中、妻が夫に介護の負担を糺す場面で、立場を変えれば君だって同じことをするだろうと夫が諫めるシーンがある。劇中の妻は病気ゆえの我が儘さを発揮し、本作は愛だけに美化せず、老老介護のありのままの姿を伝える。娘は父の介護の妥当性を非難するが、それならお前が引き取るのか、それとも老人ホームに入れるのかと逆に問う。誰も立ち入ることのできない、夫婦の愛情と孤独が切ない。
 理屈だけでは割り切れない問題を本作は丁寧なシーンの連続で描いていく。介護の様子や家族や友人が訪ねてくるシーンも、一見無駄に長く描きながらも、リアルタイムに時間の経過を追うことで、人物の心の機微を描き、短いカットでストーリーを追うことをしない演出は見事。老夫婦を演じるジャン=ルイ・トランティニャン、イザベル・ユペールの演技もいい。
 本作を見て思うのは、老老介護の問題が日本に留まらないということの再発見。ラストシーンからは、人間の心情は悲しいまでに万国共通で、二人が家を出ていくシーンに観客はハッピーエンドと安らぎを見る。部屋に紛れ込んだ鳩を助けてやる、夫の命に対する慈しみを描くシーンがいい。 (評価:3.5)

製作国:イタリア
日本公開:2013年1月26日
監督:パオロ・タヴィアーニ、ヴィットリオ・タヴィアーニ 製作:グラツィア・ヴォルピ 脚本:パオロ・タヴィアーニ、ヴィットリオ・タヴィアーニ 撮影:シモーネ・ザンパーニ 音楽:ジュリアーノ・タヴィアーニ、カルメロ・トラヴィア
ベルリン映画祭金熊賞

演劇を通して精神の解放と自由の素晴らしさを知る囚人たち
 原題"Cesare deve morire"で、シーザーは死ななければならないの意。
 ローマ郊外にあるレビッビア刑務所を舞台に、長期刑の囚人たちが更生プログラムの演劇実習でシェイクスピアの戯曲”The Tragedy of Julius Caesar”(ジュリアス・シーザーの悲劇)を演じる様子を描くが、演じているのは実際の囚人たちだそうで、舌を巻くような演技力を見せるのが驚き。
 物語は刑務所内の劇場で一般客を相手に囚人たちが『ジュリアス・シーザーの悲劇』を演じ、拍手喝采の大成功を収めるシーンから始まる。
 物語はそこで、6ヶ月前のオーディションの回想へと転じ、囚人たちの練習風景を通して戯曲の筋を追って行くという構成になっているが、稽古熱心な囚人たちが稽古場だけでなく、監房や廊下、運動場といった刑務所内のあらゆるところで稽古に励み、次第に役柄と一体化していく演出が斬新で、最後は劇場の舞台でのクライマックスとなってプロローグに戻る。
 上演が終わると、囚人たちはそれぞれに監房に戻り、監守が扉の鍵を閉めるシークエンスとなるが、演劇を通して精神の解放と自由の素晴らしさを知った彼らが、肉体的には未だ自由を得られないという対立概念が示される。
 もっとも出所して肉体的自由を得た彼らが、演劇体験を通して人間存在の意義に目覚めるなら意味のある更生プログラムだが、それを実現できない終身刑・長期刑の囚人にとっては二重の苦しみとなるのかもしれない。
 その象徴として、上演パートはカラーだが、多くの刑務所内の稽古パートはモノクロとなっている。 (評価:2.5)

孤独な天使たち

製作国:イタリア
日本公開:2013年4月20日
監督:ベルナルド・ベルトルッチ 製作:マリオ・ジャナーニ、ロレンツォ・ミエーリ 脚本:ベルナルド・ベルトルッチ、ニッコロ・アンマニーティ、ウンベルト・コンタレッロ、フランチェスカ・マルチャーノ 撮影:ファビオ・チャンケッティ 美術:ジャン・ラバッセ 音楽:フランコ・ピエルサンティ

ヘロイン中毒の姉のゲロを吐く姿さえ愛くるしい
 原題"Io e te"で、あなたと私の意。ニコロ・アンマニーティの同名小説が原作。
 引き籠りの14歳の少年が主人公で、学校の1週間のスキー旅行に行った振りをして自宅の地下室に隠れる物語。案に相違してヘロイン中毒の異母姉が転がり込み、彼女と1週間を送る羽目になる。
 複雑な家庭事情が示唆されるものの、少年の実母が過保護・過干渉だということと、姉が継母を石で殴って殺そうとしたと告白する以外には、家庭事情には踏み込まない。
 話は共に問題のあるこの異母姉弟が、不思議な共同生活を送りながら、片やボーイフレンドとの田舎での牧場生活を夢見ながらヘロイン中毒の禁断症状を乗り越え、片や引き籠りから人と交わって生きる生活を目指すという、欠陥姉弟の更生物語、ないしは成長物語という、ありふれてはいるが、どこか心の休まるハッピーエンドな作品となっている。
 欠陥姉弟の描写、とりわけ世の中からドロップアウトした芸術写真家の姉の、総てから解放された何ものにも囚われない自由闊達な性格がよく、禁断症状に苦しみ悶え、ゲロを吐く姿さえ愛くるしい。その姉ののたうち回りながらも自由で束縛されない姿が弟の閉塞した精神を解放したといえ、はみ出し者姉弟の薄汚れた物語ながらもハートウォーミングな気分にさせてくれる。
 そんな二人が遺伝子を引き継いだらしい父方の祖母が、話せるお祖母ちゃん役でちょっといい。
 少年をジャコポ・オルモ・アンティノーリ、姉をテア・ファルコ、祖母をヴェロニカ・ラザールが好演する。 (評価:2.5)

ジャンゴ 繋がれざる者

製作国:アメリカ
日本公開:2013年3月1日
監督:クエンティン・タランティーノ 製作:ステイシー・シェア、レジナルド・ハドリン、ピラー・サヴォン 脚本:クエンティン・タランティーノ 撮影: ロバート・リチャードソン

マカロニに徹し、ラストシーンはすべてを吹き飛ばす
 原題は"Django Unchained"で邦題の意。ジャンゴは『続・荒野の用心棒』(1966)の主人公の名前で作品タイトル。棺桶を引き摺るシーンが有名。
 タランティーノのジャンゴ(ジェイミー・フォックス)は元奴隷の凄腕のガンマン。棺桶馬車を引き摺るのはジャンゴを自由の身にし、相棒として連れ歩く賞金稼ぎのシュルツ(クリストフ・ヴァルツ)。
 冒頭からマカロニウエスタン風の演出・カメラワーク・音楽・タイトル文字で、西部劇ファンには嬉しい。話は南北戦争2年前の南部で、売られたジャンゴの妻(ケリー・ワシントン)を解放するために旅をしながら白人農場主(レオナルド・ディカプリオ)を訪れるというもので、この農場主が奴隷を格闘士として殺し合わせるのが趣味。無事、妻を救いだせるのかというのが見どころだが、一応のハッピーエンド。
 アカデミー脚本賞のシナリオが非常によくできていて3時間近くを飽きさせない。助演男優賞のヴァルツの演技が抜群で、ドイツ人の歯医者の設定だが人間的にかっこいい男を演じ、ほとんど彼が主役。
 マカロニウエスタンやペキンパーを意識したところがあって、バイオレンスシーンはかなり刺激的なので注意が必要。早撃ちのシーンは爽快だが、思い切り血しぶきが飛び、終盤の撃ち合いでは死体が盾代わりになる。
 黒人奴隷と南部白人の非人間性を全面に描き、それに立ち向かっていくドイツ人と黒人のガンマンの活劇という内容だが、ジャンゴが白人を殺すのに快感を覚えていくため、白人が見ると不快かもしれない。
 妻を取り戻すまでは佳作を思わせる展開だが、タランティーノとしてはマカロニに徹したかったのか、その後はエンタテイメントが爆発。爽快すぎるほどに爽快で、もやもやしたものと一緒にそれまでのドラマを吹き飛ばしてしまう。 (評価:2.5)

製作国:アメリカ
日本公開:2013年3月22日
監督:ポール・トーマス・アンダーソン 製作:ジョアン・セラー、ダニエル・ルピ、ポール・トーマス・アンダーソン、ミーガン・エリソン 脚本:ポール・トーマス・アンダーソン 撮影:ミハイ・マライメア・Jr 音楽:ジョニー・グリーンウッド
キネマ旬報:8位

太平洋戦争アメリカ帰還兵のPTSDを描く不親切な佳作
 原題"The Master"で、劇中に登場する新興宗教教祖の呼称。
 太平洋戦争でPTSDになった帰還兵(ホアキン・フェニックス)の物語で、帰国後アルコール依存症から抜け出せず、写真屋を続けながら転々とする。そんな折に出会ったのが新興宗教"The Cause"の教祖(フィリップ・シーモア・ホフマン)で、帰還兵が作るカクテルが基で二人は仲良くなる。
"The Cause"(原因)は、悩める人々に催眠をかけて過去にタイムスリップさせ、その原因を解き明かして病を治すことを信条とする団体。
 帰還兵の思い出したくない過去も、マスターの手によって次第に明らかにされていくが、アンダーソンの演出は甚だ不親切で、説明不足な上になんのサインもなく時間軸を行ったり来たりするので、見ているとストーリーがこんがらかって、何の話か分からなくなる。それがなければ佳作なのだが・・・
 帰還兵には故郷に残してきた許嫁がいて、精神を病んだ彼は6年間も放浪を続けていた。"The Cause"の客人扱いとなるも、マスターを守るために暴力事件を起こしたり、アル中から抜け出すことができない。マスターの妻(エイミー・アダムス)によって教団を追放されかかり更生するが、黙って結局教団を去る。
 そうして故郷に帰った帰還兵は、許嫁が再会を諦めて結婚してすでに子供も二人いることを知る。ひとつの過去を克服してマスターの許を訪れた帰還兵は、再び放浪に出る。
 プロローグとエンディングでは、戦場となった南の島の砂浜に、砂で作った裸の女に寄り添って眠る帰還兵が描かれる。
 これも不親切なのだが、彼がPTSDとなった原因が日本軍との激戦にあったと思われるのだが、そうした説明も描写も省略されていて、戦場となった島の砂浜で、殺戮とは対照的な民話風・砂の女の子宮で眠る帰還兵の安らかな心象風景を描き、それを象徴として戦争が心に傷を負わせる悲惨を訴えている。 (評価:2.5)

製作国:フランス
日本公開:2013年10月19日
監督:ロレーヌ・レヴィ 製作:ラファエル・ベルドゥゴ、ヴィルジニー・ラコンブ 脚本:ロレーヌ・レヴィ、ナタリー・ソージェン、ノアン・フィトゥッシ 撮影:エマニュエル・ソワイエ 音楽:ダッフェル・ユーセフ
キネマ旬報:10位

フランス版『そして父になる』は内向きではない希望のある話
 原題は"Le fils de l'Autre"で邦題の意。
 見始めてすぐに、あ、これは『そして父になる』と同じ話なんだと気付く。病院で赤ちゃんを取り違え、DNA鑑定の結果、そのことに気付く。さて、子供を交換すべきか、それとも今のままが良いか・・・
『そして父になる』と違うのは、子供が18歳に成長していることと、単に個人の問題ではなく民族問題を孕んでいること。こちらはフランス映画だが、内向きな日本人の発想に対し、だいぶ社会的。
 病院はイスラエルのハイファにあるが、湾岸戦争でイラクからスカッドミサイルを撃ち込まれたときに、新生児を避難させたドサクサで看護婦が赤ん坊を取り違えてしまう。しかも、取り違えられた2家族というのが、テルアビブに住むユダヤ人と、ヨルダン西岸地区に住むパレスチナ人。見事、憎しみ合う民族の家庭に自分の子供が育てられたという設定になっている。
 ユダヤ人の父親は軍人、パレスチナ人の家庭では次男がイスラエルに殺されていて、はたして血を選ぶか情を選ぶかという、宗教・人種・人生をかけた究極の選択が行われる。
 すでにこの時点で『そして父になる』がコップの中の争いに見えてしまうのだが、大きく異なるのは、『そして父になる』が父親の選択の問題に帰せられるのに対し、本作では取り違えられた子供自身の選択の問題として描かれることにある。
 最終的には本人が選ぶべきという西欧的思想に対し、『そして父になる』が親がどうするかという日本的家族観に立つのが文化的比較として面白い。
 もっと面白いのは日本で作った映画が2013年のカンヌに出品され、フランス人が作った映画が同じ年の東京国際映画祭に出品されたこと。まるで、取り違えっこを地でいっている。
 どちらがよくできているかといえば、本作の方が数段上。演技陣も実力派ぞろいで、ロレーヌ・レヴィは女性監督。
 長い対立の続くパレスチナで、取り違えられた二人の息子の友情と選択が、未来への希望を示す。 (評価:2.5)

製作国:アメリカ
日本公開:2013年1月25日
監督:アン・リー 製作:ギル・ネッター、アン・リー、デヴィッド・ウォマーク 脚本:デヴィッド・マギー、ディーン・ジョーガリス 撮影:クラウディオ・ミランダ 音楽:マイケル・ダナ
キネマ旬報:7位

映像に騙されて子供に見せるべきではない
 原題は"Life of Pi"で、ヤン・マーテルの同名小説が原作。パイは主人公の名前。Lifeは命と訳すのが適切か。
 インド人の少年パイの一家は動物園を経営していたが、動物を売ってカナダに移住することになる。マニラから太平洋に出た日本船籍の貨物船が嵐で沈没。少年は救命ボートで漂流するが、ボートに乗り移ったのはシマウマとハイエナと途中から現れたチンパンジーとベンガルトラ。ノアの方舟だったが、創世記のように仲良く陸地を見つけることはできず、他を食べることによって生き延びるしかない。そうした恐怖に晒されながら、少年はトラを調教して友とし、やがてメキシコの砂浜に上陸する。
 この物語は大人となって家族を持ったパイの体験談として小説家に語る形式をとるが、パイはヒンドゥもキリストもアッラーもユダヤも受け入れるという寛容で汎宇宙的な宗教観の持ち主で、逆に何でも信じるのは何も信じないのと同じという批判に繋がる。父はパイにトラとは友達になれないと教え、パイはトラを友達にしたと思うが、父の教えの正しさを知り、それはトラだけでなく人間を含むあらゆる生命に対しても共通する。
 3D用に作られた映像はきれいで、大海原を漂うボートがただ一人宇宙に投げ出され、その中を漂流するパイの魂そのものとしてファンタジックに描かれる。漂流シーンはトラを含めていささか現実味に欠けるが、その意味はラストシーンで明かされ、漂流そのものがパイにとってリアルをファンタジーに置き換えたものであったことがわかる。
 そこで初めてこの映画のテーマ、神・宗教は救済となりうるのかという命題となるが、途中、パイが九死に一生を得る涅槃の島も人に幻想を与えているだけだと示される。
 すべての宗教を突き放すこの映画は、これを少年とトラが生き延びる美しい友情物語だとか、CGや映像が美しい映画だと宣伝で騙されてしまうが、ファンタジーだと誤解して、小さな子供に見せるべき映画ではない。ラストシーンで子供から質問を受けたら、カニバリズムについて説明する必要があり、映画会社がそのことを宣伝で伏せるのは倫理に反する。邦題の副題もわざとファミリー向けと誤解させている。
 レーティングはアメリカではPG (Parental guidance suggested)だが、日本の映倫は全年齢に指定している。映像表現だけでレーティングをつける映倫の見識のなさが表れている。
 トラの名前リチャード・パーカーは19世紀に遭難したイギリス船籍のヨット、ミニョネット号で漂流し、仲間の食料となった少年の名前から採られている。
 アカデミー賞監督賞、作曲賞、撮影賞、視覚効果賞を受賞。映像が美しいだけに、観終わって後味の悪いものが残る。 (評価:2.5)

製作国:ポルトガル、ドイツ、ブラジル、フランス
日本公開:2013年7月13日
監督:ミゲル・ゴメス 製作:サンドラ・アギラール、ルイス・ウルバノ 脚本:ミゲル・ゴメス、マリアナ・リカルド 撮影:ルイ・ポッサス 音楽:バスコ・ピメンテ
キネマ旬報:9位

モノクロ映像が切ない、よくできた不倫物語
 原題は"Tabu"で、劇中に登場するアフリカの農園近くにある山麓の名。物語は楽園喪失(現在)と楽園(50年前)の2部構成になっていて、タブーは第2部の舞台となる。
 第1部の主人公はピラールという壮年女性で冴えない日常を送っている。隣人の孤独な老婆アウロラが危篤となり、頼まれてベントゥーラという老人を探しに行くが、死に目に会えず、老人はアウロラとの関係を語る。その内容が第2部。
 第2部は簡単に言えば人妻アウロラとベントゥーラの不倫物語で、出会ってから別れるまで。別れのきっかけは二人が引き起こした殺人事件で、以来50年間、アウロラはベントゥーラとの思い出に生きていたという結末。
 モノクロ映像で、サイレント風に一部台詞を消したナレーションのみの演出は、レトロ感と切なさが相まって映画的には面白い。シナリオもよくできた不倫物語で、悲恋、永遠の愛といったハーレクイン的ロマンスに満ちている。しかし、何かが残るかといえばそれ以上のものはない私小説的物語で、『マディソン郡の橋』(1995)に通じるものがあるが、あとは好みの問題。
 強いて言えば、情熱に生きた自由奔放な女の青春と老後を描く、途中をカットした女の一生。人生のツキを占うためにカジノで財布を擦ってしまうという豪胆さが象徴的でいい。
 個人的にはホームステイの若者にふられたり、カジノ狂いの面倒な老婆の遺言を仲介したり、といったピラールの冴えない生活のドラマに興味が湧いたが、彼女はプロローグのための脇役に過ぎず、描かれなかったのが残念。 (評価:2.5)

アンナ・カレーニナ

製作国:イギリス、フランス
日本公開:2013年3月29日
監督:ジョー・ライト 製作:ティム・ビーヴァン、ポール・ウェブスター 脚本:トム・ストッパード 撮影: シェイマス・マクガーヴェイ 音楽:ダリオ・マリアネッリ

トルストイの長編小説が2時間10分で楽しめる
 レフ・トルストイの同名小説が原作。これまで何回か映画化されている。
 何よりキーラ・ナイトレイが魅力的なアンナ・カレーニナを演じていて、社交界ばかりかスクリーンからも男を虜にする微笑みを振り撒く。前半はこの愚かな女と気障な二枚目男、彼に振られる可愛い令嬢のちょっと鼻につく退廃的なラブ・ストーリーが展開するが、中盤からはそれぞれの登場人物たちが見違えるような人間性を見せる。
 アンナは愚かだが健気で、二枚目男は少年のように純粋で、令嬢は賢い女になる。そして真面目なだけが取り柄のアンナの夫・ジュード・ロウがラストシーンで、いい役を一人占めしてしまうのはちょっとずるいが、観終わってそれぞれの男女の愚かなりにも清々しい生き方にこころが浄化される思いがする。
 演出は舞台劇であるという想定のもとにかなり前衛的。シュールと言っても良いが、ノーマルな映画に見慣れた目には面喰うかもしれない。やり過ぎだという声も聞こえそうだが、舞台的場面転換を効果的に使って長編小説をダイジェストにならないように上手く見せている。
 ただ、前半部では場面転換をカメラの動きで流れるように見せるが、動き過ぎていて酔う。ポケモン・チェッカーなら確実にアウト。
 アカデミー衣裳デザイン賞を獲った衣装も見どころだが、トルストイの最高傑作の長編小説を2時間10分で見られるのがポイント。 (評価:2.5)

製作国:ドイツ、ルクセンブルク、フランス
日本公開:2013年10月26日
監督:マルガレーテ・フォン・トロッタ 製作:ベティーナ・ブロケンパー、ヨハネス・レクシン 脚本:パム・カッツ、マルガレーテ・フォン・トロッタ 撮影:カロリーヌ・シャンプティエ 音楽:アンドレ・メルゲンターラー
キネマ旬報:3位

ナチズムに新しい視点を提供するが単眼的
 原題は"Hannah Arendt"で、ドイツ系ユダヤ人の女性政治哲学者の名前。
 ナチ・シンパだったハイデッガーの弟子で一時不倫関係にあった。フランス亡命後、ドイツ侵攻で収容所を経てアメリカに亡命。コロンビア大学教授の1960年に、SS隊員でアルゼンチンに潜伏していたアイヒマンがモサドに逮捕され、ニューヨーカーに記事を書くためにエルサレムの裁判を傍聴。発表した『イエルサレムのアイヒマン-悪の陳腐さについての報告』(Eichmann in Jerusalem: A Report on the Banality of Evil)がアイヒマンを擁護していると物議を醸すことになるが、映画はアイヒマン逮捕から論争までを描く。
 劇中のアイヒマンの法廷は実際の記録フィルムが使われている。
 本作の見どころは、ナチズムに対する全面否定しかできなかった戦後映画史の中で、『愛を読む人』(2008)同様にナチに協力した人たちの内面と人間的問題に立ち入ったことで、アーレント自身がアイヒマンが倫理に対して思考停止しただけの平凡な人間でしかなく、誰もがアイヒマンになれるということを問題提起する。
 翻って日本でも第二次世界大戦中に多くの人が思考停止し、戦後、その戦争責任は国家に転嫁されて戦争協力者の多くは免罪された。その論法で行けば、アーレントの主張は正しいが、実際に数百万のユダヤ人が虐殺された中で、ユダヤ人がアーレントの主張を受け入れがたいのも頷ける。
 本作は概ねアーレントの主張に沿って描かれるが、視点が単眼でこの問題を複眼的に捉えることを端から考えていないために、このような複雑な問題を扱うには制作者の態度が一面的でしかないという批判は免れない。
 劇映画として見た場合には、再現ドキュメントを見せられているだけでシナリオに幅も余裕もなく、作品性を持たない。
 それでも戦後70年経って、ナチズムについて新しい視点を与えようとする試みは評価できる。 (評価:2.5)

007 スカイフォール

製作国:イギリス、アメリカ
日本公開:2012年12月1日
監督:サム・メンデス 製作:マイケル・G・ウィルソン、バーバラ・ブロッコリ 脚本:ジョン・ローガン、ニール・パーヴィス、ロバート・ウェイド 撮影:ロジャー・ディーキンス 音楽:トーマス・ニューマン

78歳のボンド・ガールは果たして007映画か?
 シリーズ23作目。第1作『007ドクター・ノオ』(1962)から50周年ということで、日劇には歴代シリーズのパンフが展示されていた。ダニエル・クレイグの3作目。
 半世紀目の記念作ということか、従来の007映画とは若干異質。これを是とするか非とするかは007映画に何を求めるかで違ってくる。ボンドも同様で、ショーン・コネリー、ロジャー・ムーア、ピアース・ブロスナンの誰が好みかによっても、007への向き合い方が違う。
 冒頭のアクションは従来の007映画への期待を裏切らない。イスタンブールのバザールでのバイク・チェイスは見もの。長崎・軍艦島でのロケもある。今回のボンド・ガール、セブリン(ベレニス・マーロウ)が早々に退場するあたりから雲行きが怪しくなり、いつもの007映画ではなくなってくる。一説には本作の本当のボンド・ガールは78歳のM(ジュディ・デンチ)だそうで、引退を迫られる彼女のためにボンドが八面六臂の活躍をするというシブすぎる話になっている。
 007映画の面白さは奇想天外なところにあって、このようなシブい展開を受け入れられるかどうかがこの作品の評価に繋がる。スカイフォールはボンドの生家でスコットランドにあって、物語の後半はイギリスが舞台となる。これまでの話なら設定がハチャメチャでも気にならないが、シブいと話が違う。悪党が私兵を繰り出してMI6のボスを追い掛け回しているのに、ボンドたちは孤立無援で、文明国家イギリスの警察や軍隊は何をしているのかと普通に疑問がわく。
 いかに上司といえど所詮は婆さん、ショーン・コネリーなら助けない。これまでの007は、いい女を失ってしまったという下半身的センチメントなのだが、プラトニックなセンチメントは007にはいらない。(と思う) (評価:2.5)

ダークナイト ライジング

製作国:アメリカ
日本公開:2012年7月28日
監督:クリストファー・ノーラン 製作:エマ・トーマス、クリストファー・ノーラン、チャールズ・ローヴェン 脚本:ジョナサン・ノーラン、クリストファー・ノーラン 撮影:ウォーリー・フィスター 美術:ネイサン・クロウリー、ケヴィン・カヴァナー 音楽:ハンス・ジマー

「蜘蛛の糸」の如く地下から這い上がるシーンが印象的
 原題"The Dark Knight Rises"で、暗黒の騎士立ち上がるの意。アメリカン・コミック『バットマン』が原作で、クリストファー・ノーラン版「ダークナイト・トリロジー」の第3作。
 前作で地方検事デントの罪を着てバットマンが姿を消してから8年後の物語。傭兵団を率いるベイン(トム・ハーディ)が、ウェイン産業の持つ核融合炉を狙って会社乗っ取りを図り、ゴッサム・シティを支配下に収めようとするという物語で、身を隠していたウェイン(クリスチャン・ベール)が、会社と街の危機にバットマンとして立ち上がる。
 ベインvsバットマンという対立軸だけでなく、殺人犯バットマンvsゴッサム市警という対立軸も加わるトライアングル。
 市警本部長のゴードン(ゲイリー・オールドマン)、キャットウーマン(アン・ハサウェイ)も登場して賑やかな物語が展開するが、基本は暗い。
 ウェイン、ウェインを手伝う警官ジョン、ベインともに孤児で、格差社会の中で犯罪者となって社会から隔離される者たちと、富を貪る者たちとの対立を描き、ベインは貧者の救世主としての正義を説き、貧者が支配するゴッサム・シティを目指す。
 ベインの裏に黒幕がいたというどんでん返しがあるが、「蜘蛛の糸」の如く地下から這い上がるシーンが印象的。
 ラストはジョンがロビンとなるというエピソードで締め括られる。 (評価:2.5)

リンカーン

製作国:アメリカ
日本公開:2013年4月19日
監督:スティーヴン・スピルバーグ 製作:スティーヴン・スピルバーグ、キャスリーン・ケネディ 脚本:トニー・クシュナー 撮影:ヤヌス・カミンスキー 美術:リック・カーター 音楽:ジョン・ウィリアムズ

公職を餌に野党議員を一本釣りする手法が凄い
 原題"Lincoln"。ドリス・カーンズ・グッドウィンの伝記小説"Team of Rivals"が原作。
 アメリカ大統領リンカーンの最後の4か月を描いたもので、奴隷解放宣言を恒久化するための憲法修正第13条を下院で可決するために、野党の民主党議員たちの多数派工作に奔走する様子を描く。
 4年間続いた南北戦争に疲弊した南部が和平交渉に乗り出す前夜、その前に修正第13条を可決しなければ奴隷解放令が反故にされると危ぶむリンカーン(ダニエル・デイ=ルイス)が、閣僚と共に奴隷解放急進派タデウス・スティーブン(トミー・リー・ジョーンズ)に妥協を促し、民主党の一部議員を寝返らせて可決に持ち込むが、下院選に落選して任期終了間近の民主党議員に公職を餌に釣るという手法が、今なら買収で凄い。
 目的のためには手段を択ばずという民主主義に非ざる独裁政治だが、結果オーライでヒューマニストな大統領として名を遺すのも、正義の通用しない前時代だからということになる。
 奴隷解放をめぐる経緯やリンカーンの妻メアリー(サリー・フィールド)が精神病だったりといったことが興味深いが、歴史上の事物としてアメリカ人ほどには身近に感じられず、偉人の生臭さ以外には特に感じ入るものはない。
 むしろ奴隷解放急進派のタデウス・スティーブンの方が興味深く、「人種の平等」でなく「法の前での平等」を目指すと詭弁で妥協するが、黒人女性が内縁の妻だったという描写がスピルバーグらしくて胸を打つ。
 南北戦争終結後、軍紀違反者の処刑について、戦争が終わってなぜ人が死ななければならないのかとリンカーンに言わせるのもスピルバーグらしい。
 ダニエル・デイ=ルイスが、理知的で人格者の理想的なリンカーンの偉人像を演じてアカデミー主演男優賞。 (評価:2.5)

製作国:アメリカ
日本公開:2012年10月26日
監督:ベン・アフレック 製作:グラント・ヘスロヴ、ベン・アフレック、ジョージ・クルーニー 脚本:クリス・テリオ 撮影:ロドリゴ・プリエト 美術:シャロン・シーモア 音楽:アレクサンドル・デスプラ
キネマ旬報:6位
アカデミー作品賞 ゴールデングローブ作品賞

アカデミー選考委員会のように歴史を忘れて見る映画
 原題は”Argo”で、劇中に登場する人質救出作戦に使われたフェイクの映画のタイトル名。ギリシア神話では、金色の羊を求めてイアーソーンの乗る船の名。
 1979年のイランのアメリカ大使館占拠事件で、映画の撮影スタッフと称して大使館員を救出した作戦を題材に描いた作品。事件そのものは史実だが、大幅に脚色されたアメリカ人好みのヒーロー映画となっていて、冒頭の史実だという謳い文句が嘘くさい。
 当時のイラン事情は冒頭のナレーションで簡単に触れられるだけで、事件の背景となった石油利権をめぐるアメリカ政府の政策は、ヒーロー物には不要とばかりに描かれない。当時の事情を多少なりとも知っている者には、それを忘れて本作を単なるヒーロー物語として見ることはできない。
 事件から30年以上が経っているが、核問題を含めてイラン革命の余波は現在も中東の棘として残っていて、パーレビ時代からの傀儡王朝を支えてきた責任を負っているアメリカが、もう遠い過去の歴史だからという顔で007ばりのエンタテイメント映画にして白を切る能天気さが堪らない。
 1972年生まれの監督ベン・アフレックにそのような歴史認識はないらしく、歴史や政治の背景に目を配るクリント・イーストウッドのような作品は望むべくもない。
 これをアカデミー賞やゴールデングローブ賞に選出してしまうハリウッドのセンスにも脱帽。
 本作が架空の事件を扱った物語ならば、サスペンスフルなよくできたエンタテイメントということもできた。出国で身分を疑われる危機を乗り越えたものの、搭乗直前になって革命防衛軍に正体がばれてしまい、飛び立つ旅客機を追いかけてくるタイムレースは、サスペンスものの常道とはいえハラハラする。もっとも、タイムレースは相当にリアリティを欠いていて、架空の物語にしても「んなわけねぇだろう」と突っ込みたくなる。 (評価:2.5)

ヒッチコック

製作国:アメリカ
日本公開:2013年4月5日
監督:サーシャ・ガヴァシ 製作:アイヴァン・ライトマン、トム・ポロック、ジョー・メジャック、トム・セイヤー、アラン・バーネット 脚本:ジョン・J・マクロクリン 撮影:ジェフ・クローネンウェス 音楽:ダニー・エルフマン

主人公はヒッチコックというよりも妻のアルマ
 原題"Hitchcock"。スティーヴン・レベロのノンフィクション"Alfred Hitchcock and the Making of Psycho"が原作。
 ヒッチコックの代表作『サイコ』(1960)制作の舞台裏を中心に描いた作品で、主人公はヒッチコックというよりもむしろ妻のアルマで、内助の功を描いた作品になっている。
 当時、60歳を迎えていたヒッチコックは、映画業界からは若干飽きられかけていて、最新作の『北北西に進路を取れ』(1959)の評判も今ひとつ。アカデミー賞にも縁遠く、起死回生に猟奇殺人事件をモデルにした小説の映画企画をパラマウントに持ち込むもののOKが出ず、仕方なく屋敷を抵当にした自費制作という勝負に出る。
 映画はもちろんヒットすることになるが、この間の制作の苦労話や妻エマとの確執が描かれる。でき上がったフィルムが散々な出来で、アルマが編集をやり直し、再撮影と音楽を加えて傑作ができ上がったという秘話が面白い。
 冒頭と終わりにヒッチコックが登場して、描かれる内容の解説を述べるくだりは、かつてテレビで放映された『ヒッチコック劇場』を踏襲、ラストシーンでは肩にカラスが舞い降りて、次回作が『鳥』(1963)であることを示唆するあたりは、往年のファンをニヤリとさせるが、ヒッチコックをリアルタイムで見ていない観客には何のことかさっぱりわからないのが残念。
 ヒッチコックにアンソニー・ホプキンス、アルマにヘレン・ミレン、『サイコ』の主演ジャネット・リー役にスカーレット・ヨハンソンと豪華キャストだが、アンソニー・ホプキンスのヒッチコックが今ひとつイメージが合わない。
 妻アルマが脚本家で、ヒッチコックが風邪の時には監督の代役を務め、編集も行うほど、ヒッチコック作品に重要な位置を占めていたことや、テレビの『ヒッチコック劇場』がハリウッドには歓迎されていなかったという事実が興味深い。 (評価:2.5)

製作国:アメリカ
日本公開:2013年5月11日
監督:スコット・デリクソン 製作:ジェイソン・ブラム、ブライアン・カヴァナー=ジョーンズ 脚本:スコット・デリクソン、C・ロバート・カーギル 撮影:クリストファー・ノアー 音楽:クリストファー・ヤング

ホラー演出は過剰だがラストは上手に予想を外す
 原題"Sinister"で、「邪悪な」の意。
 陰惨な事件の真相を告発するノンフィクションでベストセラー作家となった男(イーサン・ホーク)が、次回作のために家族には内緒で一家首つり事件のあった家に引っ越してくるところから物語は始まる。
 早速、不審な出来事が続き、霊感のある長男と娘も異常行動を起こし始め、知らぬは女房ばかりなりという展開になるが、結構鳥肌立つ。プロローグで庭の大木で首を吊る一家を映した8ミリフィルムが流れ、引っ越しが一段落して作家が窓外に目をやると、同じ構図で庭の大木が映るという演出が秀逸。
 もっともその後は怖がらせるための停電シーンや天井裏シーンばかりで、何も闇の中を動き回らずに昼間確かめればいいだろうというツッコミを入れたくなるのが、やや残念なところ。
 怖さの演出にもう一役買うのが天井裏の箱にあった8ミリ映写機とフィルムで、これがチェーン・メールのような重要な役割を担っているのが最後にわかるが、8ミリ映写機のカタカタ回る音と荒れた映像がホラー感たっぷりでいい。もっとも、これまた撮影したのは誰だという劇中の疑問よりもカメラとフィルムと現像はどうしたんだという21世紀的ツッコミどころが残る。
 呪いのルーツは古代バビロニアの邪教にあるが、実行するのがアングロサクソン系の幽霊ブギーマンというのも納得がいかないところ。
 そもそも、なんでこんな家に引っ越したんだとか、なんで家族は逃げて行かないんだとかいう設定の無理筋はあるが、後半への物語はよく出来ていて、最後に父親が一家を惨殺する『シャイニング』パターンかと思いきや、引っ越さなければ良かったんだと気が付くラストは、上手に予想を外してくれる。 (評価:2.5)

シュガー・ラッシュ

製作国:アメリカ
日本公開:2013年3月23日
監督:リッチ・ムーア 製作:クラーク・スペンサー 脚本:ジェニファー・リー、フィル・ジョンストン 音楽:ヘンリー・ジャックマン

悪役がいなければヒーローだって存在しないというお話
 原題"Wreck-It Ralph"で、壊し屋ラルフの意。劇中に登場するアーケードゲーム"Fix-It Felix Jr."(修理屋フェリックス・ジュニア)の敵役の名。ディズニー・スタジオ製作の3DCGアニメーション。
 邦題は、同じく劇中に登場するアーケードゲーム"Sugar Rush"(甘いものを食べた時のような興奮)のタイトルで、日本のゲームという設定。エンディングでAKB48が同名楽曲を歌っている。
 ゲームセンターの営業時間が終わると、それぞれのゲームキャラクターたちが仕事を終えてプライベートタイムになるという擬人化は、『トイ・ストーリー』(1995)によく似た設定。
 "Fix-It Felix Jr."の誕生30周年記念パーティに乱暴な敵役だからと一人仲間外れにされたラルフが、自分もヒーローになりたいと、ゲームをクリアするともらえるメダルを求めて、他のゲームの世界に出かける。
 シューティングゲーム"Hero's Duty"(ヒーローの任務)で念願のメダルを手に入れるが、レースゲーム"Sugar Rush"内で失ってしまい、ゲーム内で除け者にされている少女ヴァネロペと組んで、優勝すればメダルを取り返せるというレースに彼女を出場させようとするのが、ストーリーの大きな流れ。
 これに中盤からヴァネロペの正体と"Sugar Rush"の世界の謎が加わり、二人の仲違いを経てハッピーエンドに至るという、よくできたストーリーになっている。
 ヒーローに憧れたラルフが、悪役がいなければヒーローも成り立たないという悪役の存在意義に気づいて、自分の仕事に誇りを持てるようになるという結末で、ラルフとヴァネロペの除け者同士が友情を育んでいく姿が、月並みだが共感を呼ぶ。
 名誉を回復したヴァネロペが"Sugar Rush"で一緒に暮らそうと言うのに対し、ラルフが自分の役割の意義を話して"Fix-It Felix Jr."に戻るというラストもパターンながらも上手い。 (評価:2.5)

製作国:アメリカ
日本公開:2012年8月24日
監督:リドリー・スコット 製作:リドリー・スコット、デヴィッド・ガイラー、ウォルター・ヒル 脚本:ジョン・スペイツ、デイモン・リンデロフ 撮影:ダリウス・ウォルスキー 音楽:マルク・ストライテンフェルト

エイリアンの堕胎手術では裸になってほしかった
 原題"Prometheus"で、ギリシャ神話の神。劇中で天上の火=文明を人類に与えたと説明され、人類創造の神=エンジニアを捜す宇宙探索船の名前になっている。
 エイリアンの前日譚とされているが、むしろ創世神話となっていて、宇宙人が滝に身を投げて自らの体を溶かし、DNAを拡散させるという、解説を読まないとわからないプロローグで始まる。
 そのDNAが海に広がり人類誕生というプロセスに繋がるが、じゃあほかの生物はどうなんだという科学的疑問は、劇中の300年の進化論の歴史を否定する新説ということで片づけられる。
 基本はファンタジーなので、神=エンジニアに出合い、その正体を知るまでの冒険譚、ないしはミステリーで、これに神々の黄昏をもたらす寄生生物=エイリアンが脇役として登場する。
 乗組員を騙して冷凍カプセルに乗っていた探索船の会社社長(ガイ・ピアース)が、見せ場もないままに呆気なく創造主に殺されてしまうなど、若干尻すぼみなシナリオだが、全体には飽きずに見られる。
 女考古学者(ノオミ・ラパス)がエイリアンを堕胎するために全自動手術台に載るが、裸じゃないのがどうにも不自然。会社の責任者にシャーリーズ・セロン、今ひとつ活躍の場がないのが寂しい。
 デヴィッドのマイケル・ファスベンダーがアンドロイドらしい演技。 (評価:2.5)

製作国:イギリス
日本公開:2013年1月12日
監督:マサイアス・ヘイニー 製作:ジェームズ・ハリス 脚本:ジェームズ・モラン、ルーカス・ローチ 撮影:ダニエル・ブロンクス 音楽:ジョディ・ジェンキンズ

権力にもゾンビにも屈しないロンドンっ子の心意気
 原題"Cockneys vs Zombies"で、ロンドンっ子対ゾンビの意。
 2012ロンドン・オリンピックを控えて再開発の進むイーストエンドで、地下墓地からゾンビが出現。瞬く間にイーストエンド中がゾンビだらけになってしまうという舞台設定。
 再開発で立ち退きを迫られている老人ホームと、それを救うための資金稼ぎに、入居している祖父母の孫たちが銀行強盗を企てるというエピソードを中心に、ゾンビとの戦いと孫たちの老人救出劇となる。
 基本はコメディで、足の悪い老人がゾンビ・ウォークとチェイスするという老人絡みのギャグが面白い。
 戦争経験のある祖父(アラン・フォード)が敢然とゾンビに立ち向かいパンチを繰り出したり、それに夫唱婦随する祖母(オナー・ブラックマン)、孫兄弟(ハリー・トレッダウェイ、ラスムス・ハーディカー)のヤンキーな従姉(ミシェル・ライアン)、友達の頭突き男(アシュレイ・トーマス)、襲われた銀行の職務に忠実な男性行員(トニー・ガードナー)、現実派の女性行員(ジョージア・キング)など、キャラが立っているのがコメディを面白くしている。
 ラストはテムズ川の船で無事脱出。権力にもゾンビにも屈しない、労働者階級・ロンドンっ子の人情と心意気を描く。 (評価:2.5)

メリダとおそろしの森

製作国:アメリカ
日本公開:2012年7月21日
監督:マーク・アンドリュース、ブレンダ・チャップマン 製作:キャサリン・サラフィアン 脚本:マーク・アンドリュース、スティーヴ・パーセル、ブレンダ・チャップマン、アイリーン・メッキ 音楽:パトリック・ドイル

話が入り乱れている割に結末がつけられてない
 原題"Brave"で、勇士の意。中世のスコットランドが舞台のピクサー・アニメーション・スタジオ製作の3Dアニメーション。
 王女のメリダは男勝りで弓の名人。ところが王妃は礼儀作法に厳しい王女教育を施し、王国内の有力な3領主の息子から婿選びをさせる。これに反発したメリダが、森で出会った魔女に王妃の考えを変える魔法のケーキを作ってもらい、これを食べさせたところが熊に変身。
 鬼火に導かれて王妃と古城に逃れたメリダは、古王国の伝説が事実だと知り、魔法を解く鍵のタペストリーの修復のために城に戻る。ここで話は二転三転、メリダは森に向かった王妃を元の姿に戻すべく追いかけて、父王の仇敵の巨大熊モルデューとの対決となる。
 物語の背景に王子4人の仲違いによって滅びた古王国の伝説があり、現世では王と3人の領主の関係に重ね合わされ、モルデューと魔法がこの伝説に関係するという伏線が加えられ、話が入り乱れている割にそれぞれに結末がつけられてなく、見終わってモヤモヤしたものが残る。
 メインテーマは、しきたりに縛られずにそれぞれが自由意志で自分の未来を切り拓くというもので、とりわけメリダの女性という性に縛られない生き方が時代の精神を映しているが、シナリオが無理やりだったかテーマが無理やりだったのか、全体としてはストーリーとテーマが空中分解している。ゲーム的なストーリーと展開の速さでそれなりに楽しめるが、終わってみれば中世の魔法同様に幻惑されただけの気がしてくる。 (評価:2.5)

人生の特等席

製作国:アメリカ
日本公開:2012年11月23日
監督:ロバート・ロレンツ 製作:クリント・イーストウッド、ロバート・ロレンツ、ミシェル・ワイズラー 脚本:ランディ・ブラウン 撮影:トム・スターン 美術:ジェームズ・J・ムラカミ 音楽:マルコ・ベルトラミ

ITの時代に生きられない平凡な人たちへのお伽噺
 原題"Trouble with the Curve"で、カーブの問題の意。
 野球のスカウトマンの物語で、メジャーリーグのドラフトの目玉、高校生の強打者の隠れた弱点が、カーブを打つ時に腕が泳いでしまうというのがタイトルの由来。
 邦題は、老スカウトマンが自分を三等席(cheap seats)の人生に譬え、弁護士となった娘に人生の特等席(best seat)を望んだことから。ラストでは、娘は弁護士を辞めてスカウトマンになる。
 頑固親父の老スカウトマンをクリント・イーストウッド、気丈な娘をエイミー・アダムスが演じ、仲の良くなかった父娘が誤解を解いて理解し合うという凡庸パターンを二人の演技でしみじみと見せるが、誤解の理由が後出しジャンケンみたいなところがあって、今一つシナリオが甘い。
 さらに母親を亡くして幼い時に親戚に預けられ、寄宿学校に入れられた娘が、どれほど父親から野球の薫陶を受けられたかは疑問で、玄人はだしの野球眼を持っているという設定には無理がある。エイミー・アダムスの吹き替えなしのバッティング・シーンもへなちょこ。
 物語は、老スカウトマンがITの波に引退の危機に追い込まれるが、アナログがITに勝利するというもの。弁護士の娘は出世よりも父を選んで昇進を逃すが、ライバルの失敗で復権、ついでに元野球選手との恋も成就させる。
 万事に都合の良すぎるハッピーエンドだが、ITの時代に生きられない平凡なアナログ人間たちに、あなたたちは"cheap seats"ではなく"best seat"なんだと思わせるお伽噺だと思えば、それなりにハッピーな気持ちになれる。 (評価:2)

ゼロ・ダーク・サーティ

製作国:アメリカ
日本公開:2013年2月15日
監督:キャスリン・ビグロー 製作:キャスリン・ビグロー、マーク・ボール、ミーガン・エリソン 脚本:マーク・ボール 撮影:グリーグ・フレイザー 音楽:アレクサンドル・デプラ

アメリカ版『忠臣蔵』には切腹のシーンがない
 原題"Zero Dark Thirty"は、軍事用語で深夜0時30分のことだという。  CIAの女性捜査官が、パキスタンのアボッターバードのウサマ・ビン・ラディンのアジトを突き止め、ビン・ラディン殺害作戦を実行する物語で、深夜0時30分はそのアジト急襲時刻。
 本作を一言でいえば、アメリカ版『忠臣蔵』で、無念の死を遂げた藩主のために、仇敵・吉良上野介の首を取る復讐劇。
 クライマックスの討ち入りまでのエピソードというのは『忠臣蔵』でも退屈だが、アメリカ版『忠臣蔵』でも冗長。実録物としては追わなければいけない史実だが、拷問シーンを含めて勿体ぶりすぎ。9.11の怨念だけではアルカイダへの拷問は正当化できないと考えたのか、討ち入りを正当化する理由を積み重ね、女性捜査官と急襲部隊が義士であると観客に思い込ませていく。
 急襲部隊が討ち入るシーンは、ヘリコプターなども駆使した見どころだが、『忠臣蔵』の雪あかりがないのが残念なところで、暗視スコープだけでは映像的に何が起きているのかわからないのが恨み。炭小屋に隠れていたのがビン・ラディンなのかどうかも判然とせず、爽快感には程遠い。
 もっともアメリカ人ならここで拍手喝采するのかもしれず、『忠臣蔵』が日本人にしか理解できないように、『ゼロ・ダーク・サーティ』もアメリカ人にしか理解できないのかもしれない。
 問題は急襲部隊がパキスタンの主権を侵害して行われたことで、『忠臣蔵』ならルール破りは全員切腹ということでけじめをつけ、義に殉じた元藩士たちに同情が集まって、後々まで語り伝えられるというのが日本人的メンタリティだが、『ゼロ・ダーク・サーティ』では誰も切腹しない。
 切腹なしは史実だから仕方がないとしても、映画的には切腹は必要なんじゃないかというのがせめてもの問題提起だが、掟破りの義士はヒーローとなってしまい、後は不問に付すというのがアメリカ人的メンタリティで、ここが『忠臣蔵』との最大の違いとなっている。 (評価:2)

レ・ミゼラブル

製作国:イギリス
日本公開:2012年12月21日
監督:トム・フーパー 製作:ティム・ビーヴァン、エリック・フェルナー、デブラ・ヘイワード、キャメロン・マッキントッシュ 脚本:ウィリアム・ニコルソン、アラン・ブーブリル、クロード・ミシェル・シェーンベルク、ハーバート・クレッツマー 撮影:ダニー・コーエン 音楽:クロード・ミシェル・シェーンベルク
ゴールデングローブ作品賞(ミュージカル・コメディ部門)

同録の歌唱と演技は感動的だが、今更なぜああ無情?
 同名ミュージカルを映画化したミュージカル映画で、台詞はすべて歌。原作はヴィクトル・ユーゴーの"Les Miserables"で「悲惨な人たち」の意。
 ミュージカル映画であるからには、最大の見どころ・聴きどころはやはり歌で、その期待を裏切らない。歌唱は撮影の際に演技しながらの同時録音で、息遣いや演技がそのまま歌に反映されていて、この映画の最大の特色になっている。俳優もミュージカル出身者が多く、誰も上手い。オペラなら愁眉のアリアを歌うエポニーヌ役のサマンサ・バークスは歌手出身の俳優で、この作品が映画デビュー。日本のミュージカルでは島田歌穂が歌った。
 映像も良くできてる。しかし、なぜ今の時代にジャン・バルジャンなのか。世界的に失業者が溢れ、貧富の格差が広がっている社会、世界的な経済と政治の危機の中で混迷する人々、それを19世紀に書かれた物語の中に見直すということだとすれば、途中からすっかりコゼットとマリウスのラブストーリーに主題が置き換わっているし、革命で若者たちが死んでいく中で、生き残って幸せを手にする二人がずるく見えてしまう。
 ラストでジャン・バルジャンはファンティーヌとの約束を貫いた聖人として自己完結してしまうし、革命を果たせなかった死者たちもまた満面の笑みを湛えてジャン・バルジャンを讃美するという、宗教的偽善の終り方。原作となったミュージカルや小説の制約はあったにしても、これでは21世紀に『レ・ミゼラブル』を映画化した意図がわからない。 (評価:2)

ホビット 思いがけない冒険

製作国:アメリカ、ニュージーランド
日本公開:2012年12月14日
監督:ピーター・ジャクソン 製作:キャロリン・カニンガム、ゼイン・ワイナー、フラン・ウォルシュ、ピーター・ジャクソン 脚本:フラン・ウォルシュ、フィリッパ・ボウエン、ピーター・ジャクソン、ギレルモ・デル・トロ 撮影:アンドリュー・レスニー 音楽:ハワード・ショア

ホビット役、41歳のマーティン・フリーマンが可愛い
 原題は"Hobbit: An Unexpected Journey"。J・R・R・トールキンによる児童小説『ホビットの冒険』が原作で、映画化3部作の第1作。
 ハイ・ファンタジーのファンには待望の映画化で、『指輪物語』の前の話になる。フロドと同じホビット庄のバギンズ一族で、養父のビルボの物語。1作目は『指輪物語』でフロドが譲り受ける指輪をビルボが手に入れるまで。物語は次々訪れる手を変え品を変えの危機の連続で、『ロード・オブ・ザ・リング』ほどには飽きさせないが、170分はやはり長い。
 本作は北欧・中欧では馴染み深いお伽噺やキャラクターを基にした物語で、日本でいえば桃太郎の鬼退治の話に一寸法師、かぐや姫、天狗等々を混ぜ込んだようなもの。それらキャラクターやお伽噺の舞台が絢爛な美術とCG、特殊メイクで大絵巻のように展開されれば子供には大受けだが、大人が暇つぶしに観るには長すぎる。
『ロード・オブ・ザ・リング』に比べれば、子供受けするようなエピソードも織り交ぜてあり、ビルボ役の41歳のマーティン・フリーマンが、ちょっと可愛い。小人の動作や表情がなかなか上手く、BBCの『SHERLOCK』ワトソン役で、ホームズがゲイ心をくすぐると勘違いするのも納得できる。
 軽い突っ込みどころも満載なので、家族でビデオで和気藹藹と観ると団欒にもなる。ニュージーランドの壮大な自然も良い。 (評価:2)


製作国:スペイン
日本公開:2012年4月28日
監督:パコ・プラサ 製作:フリオ・フェルナンデス 脚本:ルイソ・ベルデホ、パコ・プラサ 撮影:パブロ・ロッソ 音楽:ミケル・サラス

RECのアイデンティティを否定したのは悪魔の所業か?
 シリーズ第3作。原題は"REC 3 Génesis"で創世記の副題がついた。recはrecord(er)の略。
 前二作の監督からジャウマ・バラゲロが抜けて、大きく変質。ただの平凡なホラー映画になった。2014年に"REC 4 Apocalipsis"が製作されるが、こちらは黙示録。"REC 2"で宗教ホラーになってしまったが、悪魔色を強め、ホラーというよりはキリスト教ゾンビ映画。
 前二作と大きく異なるのは、これまで登場人物が撮影したビデオ映像の編集という大前提が崩れて、冒頭結婚式の様子を撮影するビデオ映像で始まるが、すぐに客観カメラに変わる。前二作の制約を離れたが、それが"REC"というホラー映画を決定づける特長でありコンセプトであっただけに、自らそれを放棄してしまったのは大きなマイナス。
 アイデンティティの否定というべきか。
 制約を離れた分、シナリオは自由になったが、パンデミックは悪魔の仕業という前作のネタバレで、本作は冒頭より教会での結婚式に悪魔が現れるというわかりやすい設定で、唯一の対抗手段は司祭の悪魔祓いという『エクソシスト』(1973)路線をまっしぐら。その呪文がGénesis(創世記)の言葉だが、カソリックなのに新約ではなく旧約というのが解せない。
 悪魔の創世記、または創世記の時点に戻った神と悪魔の対決の復活ということか?
 結婚式に悪魔が現れ、披露宴会場はゾンビ状態。はぐれた新郎新婦が地獄絵の中をいかに再会を果たすか? というのがストーリーの軸で、平凡なホラーになったことから再会を果たし、これまでの"REC"の結末から、ふたりがどうなるかも簡単に予想がつく。そして実際、その通りになるという、凡庸感が何とも言えない。
 司祭の呪文が耳の悪い祖父には聞こえなかったというギャグもあって、シリアスながら全体にはコメディ感が漂う。
(評価:2)


製作国:フランス、ドイツ
日本公開:2013年4月6日
監督:レオス・カラックス 製作:マルティーヌ・マリニャック、モーリス・タンシャン 脚本:レオス・カラックス 撮影:カロリーヌ・シャンプティエ、イヴ・カペ
キネマ旬報:6位

すべてはカラックス監督の頭の中の風景
 原題は"Holy Motors"。「聖なる車たち」という意味だが、映画の内容同様によくわからない。
 レオス・カラックス監督の前衛的映画で、解説によれば、ホテルの一室で夜中に目覚めたカラックスが部屋の隠し扉を見つけると、眠っている観客で一杯の映画館に続いている。スクリーンに映る銀行家オスカーは、セリーヌが運転する白いリムジンに乗り込み、その日の予定をこなしていく。
 そのスケジュールというのが奇妙で、パリの物乞い、モーション・キャプチャーの演者、モデルを誘拐する怪人、10代の娘の父親、アコーディオン奏者、スキンヘッドの殺人者、死にゆく老人、覆面男等々の人格を演じ、セリーヌからその日のギャラをもらい、ゴリラの妻子と暮らす家に帰る。
 最後にリムジンは"Holy Motorsと書かれた車庫に帰投。
 車庫はリムジンだらけで、セリーヌが一日の仕事を終えて車を去っていくと、リムジンたちが意味不明の会話を始める。
 前衛的といえば前衛的、哲学的といえば哲学的だが、観念をはるかに通り越したパラノイアといえばパラノイアで、このようなカルト作品を好むファンのための映画でもある。
 映画にはどのような作品があってもいいが、少なくともストーリー性のある作品や首尾一貫したドラマやテーマを共通語で語る作品を望む一般の観客からすれば、これは訳の分からない映画、あるいは映像であって、観終わってから1分間ほど何を描こうとしたのか考えたのちに、これは監督が自分のために作った映画で、人の頭の中を覗くことは不可能。それについてあれこれ解釈を試みることほど非生産的なことはないと気付く。
 怪人になるシーンでは伊福部昭のゴジラのテーマが流れ、CGやアクション、ミュージカルもあって、各シーンが様々な映画へのオマージュとも受け取れることから、Holy Motorsが映画ないしは映画が描く人生の暗喩となっている。
 全体からは、映画の限界、映画人への批判、観客への失望をカラックスが表明していると受け取ることもできるが、当たっているかどうかはカラックスの頭の中にしかない。 (評価:2)


バイオハザードⅤ リトリビューション

製作国:アメリカ
日本公開:2012年9月14日
監督:ポール・W・S・アンダーソン 製作:ジェレミー・ボルト、ポール・W・S・アンダーソン、ロバート・クルツァー、ドン・カーモディ、サミュエル・ハディダ 脚本:ポール・W・S・アンダーソン 撮影:グレン・マクファーソン 美術:ケヴィン・フィップス、ニーヴン・ハウィー 音楽:トムアンドアンディ

アクション全開ながらもどこかリアリティーが希薄
 原題"Resident Evil: Retribution"で、居住する邪悪:報復の意。カプコンの同名ビデオゲーム(英題、原題は『バイオハザード』)が原作。
 アンブレラ社に操作されたジル(シエンナ・ギロリー)率いる戦闘部隊が、アリス(ミラ・ジョヴォヴィッチ)等の乗るアルカディア号を襲撃するという前作ラストから始まるが、オープニングではこれを逆回しで見せるという、前作のラストを観客が思い出すように仕向ける凝った演出法がとられている。
 続いて『バイオハザード』Ⅰ~Ⅳまでの要約説明が入るという今までにない丁寧さで、Ⅰから10年を経て新しい観客のために初心に返ったのか、ミラ・ジョヴォヴィッチの新規の全裸シーンも登場させているが、10年の歳月は隠せない。
 アルカディア号から投げ出されたアリスはアンブレラ社のカムチャッカ半島海溝の秘密基地に収容され、脱出しようとするアリスとこれを助ける謎の中国女エイダ(リー・ビンビン)、前作ルーサー(ボリス・コジョー)を含む救出チームと、これを阻止するジルとAIレッドクイーン(ミーガン・シャルパンティエ)との戦いとなる。
 秘密基地はシミュレーション用のVRで、東京・ニューヨーク・モスクワの街並みを再現できるため、ゲームのダンジョン感が強いが、VRでありながら戦闘結果の生死は現実という矛盾は無視されている。
 クローンのアリスに育てられたクローンの少女ベッキー(アリアーナ・エンジニア)をオリジナルのアリスが保護し、彼女を守るために闘うというあざとい設定もあり、全体にはアクション全開ながらもどこかリアリティーが希薄で、『バイオハザード』からかけ離れてしまった印象が残る。
 ラストはジルを正気に戻して秘密基地を爆破。気を失ったアリスが目覚めると、救出チームの正体はアンブレラ社を抜けた前作の敵ウェスカー(ショーン・ロバーツ)だったというオチで、ゾンビに囲まれたホワイトハウスで、究極の敵はレッドクイーンだと共闘を申し入れられてエンドとなる。 (評価:2)


殺人の告白

製作国:韓国
日本公開:2013年6月1日
監督:チョン・ビョンギル 脚本:チョン・ビョンギル、イ・ヨンジョン、ホン・ウォンチャン 撮影:キム・ギテ 音楽:キム・ウグン

思わず吹き出すハロルド・ロイド張りのアクション・コメディ
 原題"내가 살인범이다"で、私は殺人犯ですの意。京畿道で1980~90年代に起きた連続女性猟奇殺人事件をヒントにしたサスペンス・アクション。
 主人公は17年前の連続女性殺人事件の担当刑事で、自らも恋人が被害に遭ったチェ・ヒョング(チョン・ジェヨン)。
 事件が時効となり、イ・ドゥソク(パク・シフ)が真犯人だと名乗り出て事件の真相を書いた告白本を出版。本はたちまちベストセラーとなり、イケメンだったことから人気者となる。
 ヒョングはドゥソクが真犯人ではないと直感。二人のTV討論番組での直接対決となるが、そこにもう一人、真犯人だと名乗る男J(チョン・ヘギュン)が登場。これにドゥソクの命を狙う遺族会が絡み、真相は如何に? というミステリー。
 ヒョングの回想に登場する犯人は、屋上から向かいのビルの看板に飛び移り、落下しても銃で撃たれても平気なターミネーター並みの超人。
 ドゥソクも疾走する乗用車の屋根の上で暴れても落ちないという離れ技で、このカー・アクションはハロルド・ロイド張りのコメディにしか見えず、思わず吹き出してしまう。
 エンタテイメント色を強めようとし、『模倣犯』(2002)のアイディアを借用したようなマスメディア利用の劇場型犯罪にしているものの、逆にやり過ぎてしまっている。
 ラストはそれまでの展開と整合性がとれないほどの大どんでん返しとなるが、カタルシス優先の結末を含めて通俗感に溢れた作品になっている。 (評価:2)


ダイ・ハード ラスト・デイ

製作国:アメリカ
日本公開:2013年2月14日
監督:ジョン・ムーア 製作:アレックス・ヤング、ウィク・ゴッドフリー 脚本:スキップ・ウッズ 撮影:ジョナサン・セラ 音楽:マルコ・ベルトラミ

『ダイ・ハード』ではなく劣化版『ミッション:インポッシブル』
 原題"A Good Day to Die Hard"で、ダイ・ハードには良き日の意。"Die Hard"は粘り強く耐えてなかなか死なないという意。
 前作でマクレーン刑事の娘を登場させ、今回はCIAのエージェントとなっている息子を登場させる。
 息子(ジェイ・コートニー)がCIAエージェントとは知らないマクレーンが、息子が起こしたモスクワでの殺人事件の初公判に訪れる。
 証人として政治犯が喚問されていて、彼が大物政治家の悪事の証拠となるファイルを持っていることから、CIAが裁判所を爆破、混乱に乗じてマクレーンの息子が証人を連れて逃亡し、アメリカに亡命する手筈をマクレーンが妨害したために失敗。3人が大物政治家一派に追われるという展開になる。
 これまでの『ダイ・ハード』のコンセプトは、マクレーンがテロに巻き込まれ、被害を防ぐために敵との"Die Hard"な死闘を演じるというものだが、今回はスパイの息子がミッションを達成する話で、マクレーンがその足を引っ張るお邪魔虫となって、混乱の原因を作るという、従来のコンセプトとは違う作品になっている。
 『ダイ・ハード』ではなく劣化版の『ミッション:インポッシブル』を見せられているようなもので、全く楽しめない。
 しかも中盤からは政治犯が敵側の手に落ちて、これを救出するのが目的となり、息子はともかくマクレーンは何にために"Die Hard"しているのかわけがわからない。
 最後には、政治犯父娘が仕組んでいたという結末で、これが筋書き通りというには偶然ばかりで整合性がなく、チェルノブイリがまるでロシアにあるような描写や放射能除染の話など、シナリオがお粗末。
 父と子の絆の回復といったアメリカ人好みの通俗で、本来なら作ったことが間違いが相応しいが、ブルース・ウィリスの頑張りに免じての評価。 (評価:1.5)

アベンジャーズ

製作国:アメリカ
日本公開:2012年8月14日
監督:ジョス・ウェドン 製作:ケヴィン・ファイギ 脚本:ジョス・ウェドン 撮影:シーマス・マッガーヴェイ 美術:ジェームズ・チンランド 音楽:アラン・シルヴェストリ

原作ファン以外を相手にしない制作姿勢はむしろ天晴れ
 原題”Marvel's The Avengers”。マーベル・コミックの漫画"Avengers"が原作。Avengersはヒーローのチーム名、avengerは敵を討つ者の意。
 アベンジャーズは、もとより違った世界観の物語のヒーローたちの集合体で、これが同一世界に存在することを受け入れられるかどうかが最初の関門で、個人的にはこれをクリアすることができなかった。
 関門を乗り越えるために制作者が編み出したのが四次元キューブで、第二次世界大戦のキャプテン・アメリカばかりか、北欧神話の『マイティーソー』まで融合してしまうのだが、アイアンマンとキャプテン・アメリカの登場シーンには思わず吹き出してしまう。
 無理くりな融合に、それぞれのヒーローが登場するたびに、登場してきた言い訳ばかりが続き、物語よりもキャラクター説明ばかりで欠伸が出る。
 四次元キューブとは何なのか、ロキは何のために地球を侵略しているのか、S.H.I.E.L.D.は何をしている組織なのか、そもそも舞台となっている場所は何処なのか、ロキ一人のために何で総がかりなのか、ロキの捕獲劇を延々と見せられるだけの話なのか…そんなことを考えているうちに猛烈な睡魔に襲われて、気がついたらエンディングとなっていた。
 あらすじを読むと、それ以上のものはなかったようで、マーベル・コミックのファン以外には楽しみどころのない作品らしい。  マーベル・コミック・ファン以外には、設定と世界観を追いかけるだけで精一杯で、それすらも理解できるものなのかどうかも不明。原作ファン以外をここまで相手にしない制作姿勢は、むしろ天晴れ。
 スカーレット・ヨハンソン、サミュエル・L・ジャクソンといった豪華俳優陣も眠気に霞む。 (評価:1.5)


嘆きのピエタ

製作国:韓国
日本公開:2013年6月15日
監督:キム・ギドク 脚本:キム・ギドク 撮影:チョ・ヨンジク 音楽:パク・イニョン
ヴェネツィア映画祭金獅子賞

性と暴力が売りの割には変に道徳的な物語
 原題"피에타"で、ピエタの意。ピエタは十字架から降ろされたイエスを膝に抱く、悲しみの聖母子像のこと。イタリア語で悲しみの意。
 マチ金の取り立て屋の男の前に赤ん坊の時に捨てたと母親を名乗る男が現れ、赦しと救いの手を差し伸べるというドラマ。つまり母がマリアというわけだが、子である主人公がイエスとはかけ離れた悪党なので、どうにもタイトルがしっくりこない。
 主人公の自慰のシーンから始まり、借金を返せない町工場に取り立てに行くと、工場主は機械で片端になって障害保険金を詐取する覚悟を決める。妻は主人公にカラダで返済延期を頼むが無慈悲にも工場主を片端にするという、定型的な話が進む。
 不必要に性と暴力シーンを入れるという青臭いシナリオと演出にうんざりするが、取り立てシーンが続いて主人公の無慈悲ぶりを描いてから、マリアの登場となる。
 母の顔を知らない主人公は名乗り出た母を疑うが、この母が神出鬼没で正に神懸っていて、いきなりの宗教ドラマになり、主人公が心を開こうとする矢先に姿を消す。実は取り立てで自殺した息子の復讐だったというオチで、被害者たちの苦しみを知った主人公が反省して自殺するという、性と暴力が売りの割には変に道徳的な物語。
 この作品のどこが良かったのか、韓国の底辺の描写がオリエンタリズムを誘ったのか、ヴェネツィア映画祭で金獅子賞を獲ってしまった。 (評価:1.5)


終戦のエンペラー

製作国:アメリカ
日本公開:2013年7月27日
監督:ピーター・ウェーバー 製作:奈良橋陽子、ゲイリー・フォスター、野村祐人、ラス・クラスノフ 脚本:デヴィッド・クラス、ヴェラ・ブラシ 撮影:スチュアート・ドライバーグ 音楽:アレックス・ヘッフェス

思いつきで戦争を題材に映画を作った印象
 原題は"Emperor"。岡本嗣郎のノンフィクション『陛下をお救いなさいまし 河井道とボナー・フェラーズ』が原作だが、ほとんどオリジナル。
 マッカーサーの副官ボナー・フェラーズが天皇免責を進言する物語で、マッカーサーの来日から天皇会見までが描かれる。史実をベースにしているが、物語はフィクションなので戦争歴史映画を期待するとがっかりする。終戦時の天皇ものとしてはアレクサンドル・ソクーロフの『太陽』(2005)に遠く及ばない。
 恋愛も取り込んだエンタテイメント作品で、この味付け的なサイドストーリーが設定上無理があって若干閉口する。終戦時、フェラーズ49歳。12年前の大学時代に日本人留学生と恋に落ちたことになっているが37歳。5年前に来日してプロポーズしているが44歳で相当無理がある。
 娘の父がサイパンと沖縄戦の司令官というデタラメぶりで、江戸城の天守閣も描かれる。プロデューサーに日本人が3人もいることが信じられないような設定・描写が多くて、エキゾチックで不可解な日本人を通り越したアメリカナイズに、「これはフィクションで史実とは関係ありません」のクレジットを入れた方が良かったんじゃないかという出来。
 天皇の戦争責任論が主題だが、その内容も推して知るべしで、何を描きたかったのかよくわからない。思いつきで戦争を題材に映画を作ってみましたという、ハリウッド映画にありがちな生半可な知識で考証抜きの映画。 (評価:1.5)


スノーホワイト

製作国:アメリカ
日本公開:2012年6月15日
監督:ルパート・サンダーズ 製作:ジョー・ロス、サム・マーサー 脚本:エヴァン・ドーハティ、ジョン・リー・ハンコック、ホセイン・アミニ 撮影:グレッグ・フレイザー 美術:ドミニク・ワトキンス 音楽:ジェームズ・ニュートン・ハワード

童話のプロットにCGでぬり絵をしたアクション・ファンタジー
 原題は"Snow White & the Huntsman"(白雪姫と猟師)。グリム童話の『白雪姫』が原作だが、換骨奪胎どころか、原作の面白みをすべて奪って素人が二次創作したような作品で、コミケで総スカンを食うような出来。
 そもそもがメルヘンないしはファンタジーを甘く見て、童話のプロットを真似してCGでぬり絵をすればファンタジーになるという考えがあからさま。シナリオは夢見心地な少女が書いたようなレベルで、毒林檎も小人たちも、王子様のキスも生かせていない。トロールも登場するが、ただのモンスターで、登場させた必要性が感じられない。
 王子様の代わりに登場するのがクリス・ヘムズワースの猟師で、『マイティ・ソー』よろしくアクションで、シャーリーズ・セロンの魔女軍団と暴れまくる。
 デジタルの破片のようになってしまう闇の軍団やカラスの集合体、『ターミネーター2』のような光沢のあるドロドロなどCGは頑張っているが、それが作品内容に活かせているわけでもなく、既視感が否めない。  大体、なんで白雪姫でなければ魔女を倒せないのか、王国が復活できないのかという、そもそもの設定がいい加減で、ジャンヌ・ダルクよろしく軍勢を率いて戦うのも解せない。魔女は魔女で何のために王国を乗っ取ったのか? 世界征服のためか?
 そんなことを考えて必死に眠気を堪えるのだが、退屈なクライマックスで沈没してしまいそうになる。 (評価:1.5)



イメージは商品紹介にリンクしています