海月衛 映画帖
~映画の大海原をたゆたう~

外国映画レビュー──2010年

製作国:ポルトガル、スペイン、フランス、ブラジル
日本公開:2015年12月5日
監督:マノエル・ド・オリヴェイラ 脚本:マノエル・ド・オリヴェイラ 撮影:サビーヌ・ランスラン 美術:クリスティアン・マルティ、ジョゼ・ペドロ・ペーニャ
キネマ旬報:3位

幽明境にいる101歳のオリヴェイラ監督が描いた大霊界
 原題"O Estranho Caso de Angelica"で、アンジェリカの奇妙なケースの意。オリヴェイラ101歳の監督作品。
 ポルトガル、ドウロ川の小さな町が舞台で、下宿屋に住むユダヤ人のカメラマンの青年が、地方では有力者の家の次女アンジェリカの死に顔のポートレート写真の撮影を頼まれたことから、その死美女に魅入られて、最後は憔悴して昇天してしまうという物語。
 一見ホラー風だがあくまでもファンタジーで、美女の霊と空を飛ぶ夢や幻想がコミカルで微笑ましい。
 臨終すると、死化粧をしてドレスに花束を抱かせ、ソファーに寝かせてポートレートを撮ることや、昔ながらの下宿屋の描写、おもらい、教会、葡萄畑の農夫など、馴染みのないポルトガルの習俗が興味深い。
 ドウロ川に沿った町の風景も美しく、絵本のようにメルヘンチックな映像が、この素朴な町と人々のファンタジーに誘い、ユダヤ青年同様、アンジェリカの亡霊の棲む世界に魅せられていく。
 作品的にはただそれだけの小品で、強いていえば、幽明境にいるオリヴェイラ監督が大霊界を描いた作品ともいえ、アンジェリカの微笑みを頼りにあの世へ旅立とうという点では、アンジェリカは青年にとってマリアの現出ともいえる。
 ユダヤ教の青年がマリアに魅せられるのか? いや青年は宗教には寛容で教会にも足を運んだではないか、これはユダヤ教をも包容する異教に起源をもつマリア信仰を描いたものか? と考え始めればきりがない。死美女に魅せられて精気を吸い取られるという土着信仰は古今東西にあり、幽霊もまたマリアなのかという撞着に陥るが、それらを達観できるのもまた101歳のオリヴェイラならではといえる。
 ピラール・ロペス・デ・アジャラ演じるアンジェリカの微笑みは、個人的には魅惑的というよりも若干気色悪い。 (評価:2.5)

蜂蜜

製作国:トルコ、ドイツ
日本公開:2011年7月2日
監督:セミフ・カプランオール 脚本:セミフ・カプランオール、オルチュン・コクサル 撮影:バリス・オズビチャー 美術:ナズ・エライダ
ベルリン映画祭金熊賞

トルコの森の環境ビデオを見ている心持ちになる映像詩
 原題"Bal"で、邦題の意。カプランオールの自伝的なユスフ3部作の第3作で、幼少期を描いたもの。
 吃音で無口な少年ユスフ同様に寡黙なドラマで、ユスフが6歳の時に蜂蜜の巣箱を仕掛けに木に登って事故死した父親のエピソードを軸に、幼少期の思い出を詩情豊かに描く。
 行方不明になった夫への不安とその死による悲しみに暮れる母を、この無口な少年は嫌いな牛乳を飲み干すことで支えようとし、森に父の足跡を求めて出掛けるという健気さを見せるが、ほとんど無言劇のように進むこの作品を支えるのは、トルコの深い森の静謐と美しさ、圧倒的な神々しさで、その木漏れ日や木の葉の揺らぎ、鳥の羽ばたき、部屋の窓に切り取られた緑の景色といった映像詩で、雄大な自然の中で生きるユスフ少年とその両親を包含する、トルコの森の環境ビデオを見ているような心持ちになる。
 ロケは黒海に面したトルコ東北部の都市リゼの近郊の山間部で行われていて、イスタンブールからトルコ中部にかけての赤茶けた風景に馴染んだ目には、それと全く異なる深い森の景色が新鮮に映る。
 父を亡くしたユスフが吃りながらも一所懸命に教科書を読む努力に報いて、教師が褒美の赤いバッジを贈って同級生と祝福、励ますシーンと、父との思い出を確かめながら森に蜂蜜を探しに行くユスフの姿が心に温かい。 (評価:2.5)

製作国:アメリカ
日本公開:2011年3月18日
監督:ジョエル・コーエン、イーサン・コーエン 製作:スコット・ルーディン、イーサン・コーエン、ジョエル・コーエン 脚本:ジョエル・コーエン、イーサン・コーエン 撮影:ロジャー・ディーキンス 音楽:カーター・バーウェル
キネマ旬報:7位

ただなんてものはない、神の恩寵を除いては
 原題"True Grit"で、本当の勇気、気概の意。ジョン・ウェインの同名映画(1969、邦題:『勇気ある追跡』)のリメイクで、チャールズ・ポーティスの同名小説が原作。
 14歳の少女(ヘイリー・スタインフェルド)が父を殺した男に復讐するために、保安官(ジェフ・ブリッジス)を雇って追跡する話で、これに同じ男を追っているテキサス・レンジャーの男(マット・デイモン)が加わる。この3人を軸に物語は展開するが、ストーリーそのものは単純。しかし、勝気で男勝り、頭の回転の良い少女と、逮捕よりも射殺を優先する実戦的だが評判の悪い昔気質の保安官、実直な正義漢だが実戦には甘いレンジャーのキャラクターが個性的で、アクション西部劇というよりは、キャラクタードラマとして楽しめる。
 とりわけ大人の男と対等に渡り合う少女がかっこよく、少々出来すぎていてリアリティに欠けるのだが、なかなかのセリフを吐く。
 ナレーションは、40歳になった彼女の回想として語られるが、復讐相手のチェイニーについての台詞がいい。
"No doubt Chaney fancied himself scot-free. But he was wrong. You must pay for everything in this world, one way and another. There is nothing free, except the grace of God."(チェイニーが逃げおおせるつもりでいたのは疑いない。しかし彼は間違っていた。人はこの世のあらゆるものに対して、何らかの方法で費用を払わなければならない。ただなんてものはない、神の恩寵を除いては)
 その彼女自身が、復讐の代償に片腕を失ってしまうのが、本作がオリジナルの『勇気ある追跡』と異なるところ。
 隻眼の保安官を演じるジェフ・ブリッジスは貫録の演技。気丈な少女を演じるヘイリー・スタインフェルドがツンデレ風で可愛い。 (評価:2.5)

製作国:イギリス
日本公開:2011年11月5日
監督:マイク・リー 製作:ジョージナ・ロウ 脚本:マイク・リー 撮影:ディック・ポープ 音楽:ゲイリー・ヤーション
キネマ旬報:10位

善人風のトム&ジェリーは、実はシニカルでクール
 原題は"Another Year"で、別の1年の意。
 映画では、ある夫婦の家の1年を春夏秋冬の4つに分けて描くが、それに続くもう1年、といった意味か。
 病院に勤める心理療法士の妻、土木の地質調査をする夫の紹介から始まり、ロンドンで暮らす初老夫婦トム&ジェリーとその家を訪れる人々を淡々と静かに描く。
 夫婦の趣味は市民農園での野菜作りで、来る者は拒まず。男運がなく酒と煙草に溺れるジェリーの同僚メアリー、トムの友人で親友に死なれた初老の独身男ケン、恋人ができずにいる息子のジョー、妻に死なれ息子との仲がうまくいかないトムの兄ロニーらが集う。
 おしどり夫婦でいかにも善人のトム&ジェリーだが、イギリス人らしくトムはシニカルでジェリーはクール。ワイン片手に訪れ、酔いつぶれるメアリーを歓待し家に泊めるが、内心は冷めた目で見ている。メアリーが独身の息子にモーションをかけても気付かないふりをし、ジョーに女友達ができて落胆しているメアリーに叔母みたいなものだと思っていると突き放す。ジョーも、幾つに見える?とメアリーに聞かれて60歳とジョークで答えるイギリス紳士ぶり。
 突然訪ねてきて上がり込んでいる元気のないメアリーに、心理療法士は電話をしてから来るようにと言い、そこにやってきた息子と恋人に、メアリーから見えないところで困ったちゃんが来ているのよと大袈裟なジェスチャーで会話をする。
 こう書くと性悪なトム&ジェリーのようだが、偽善の仮面を被った二人はいかにも善人風に描かれていて、さすがはシニカルなイギリス監督と唸らせられる。
 夫婦と息子は幸せな人生を歩み、そこに集う人たちは孤独の淵に沈んでいる。その対照が人間の絆の大切さと脆さの両面を浮かび上がらせるのだが、本作はそれを客観的に描いているだけで、幸せになるも不幸になるもそれぞれが個人の責任と突き放す。
 監督のマイク・リーはトム&ジェリー同様にシニカルでクールに人間を見つめ、トム&ジェリーの家庭からもスポイルされたメアリーが、another yearをどのように過ごすのだろうかという余韻で締めくくる。
 人生に上手くいかなかった者の救いようのない孤独を見つめながらも、本作はそこに何らの希望も指針も示さない。 (評価:2.5)

製作国:香港、フランス、ベルギー
日本公開:2011年12月17日
監督:ワン・ビン 撮影:ルー・ション
キネマ旬報:4位

過去を清算できない現在の中国と二重写しとなる
 原題は"夹边沟"で、中国西部甘粛省にある労働教育農場の名前。ヤン・シエンホイ(楊顕恵)の小説『告別夾辺溝』が原作。
 劇映画だが、1960年というクレジットがなければドキュメンタリー映画と思ってしまうほどに、演出臭さ、演技臭さがない。
 物語は毛沢東体制を批判した者たちが右派として再教育収容所に送られ、粛清される様子を描いたもので、ストーリーらしきストーリーもなく淡々と進む。それ自体がドキュメンタリー手法で、中国全土の飢饉により、ゴビ砂漠の収容所で自ら食糧を調達しなければならない過酷な状況、鼠を食べたり、他人の吐瀉物を口にする描写が積み重ねられていく。
 大躍進政策により砂漠に灌漑路を掘らされ、収容施設は地下壕。元革命家や大学教授だった囚人たちは次々と衰弱死し、布団にくるまれたまま砂漠に埋められる。一方で収容所長の食べるものといえば囚人より遥かにましな丼の麺で、この国の過酷な状況が垣間見える。
 物語らしいのは、そこに死んだ囚人の妻がやってきて、死んだ夫の亡骸を求めて砂漠を掘り続け、荼毘に付して遺骨を持って帰ること、そして脱走を企てる男の話くらい。
 カメラは長回しでそれらのシーンを追い続けるが、そこには救いは全くなく、中国版シベリア収容所の空しい風景だけが続いていき、過去を清算できない現在の中国と二重写しとなる。 (評価:2.5)

サンザシの樹の下で

製作国:中国
日本公開:2011年7月9日
監督:チャン・イーモウ 製作:チャン・ウェイピン、ビル・コン、ヒューゴ・ション 原作:エイ・ミー 脚本:イン・リーチュエン 撮影:チャオ・シャオティン

女子高生を演じるチョウ・ドンユィのアイドル映画
 原題"山楂樹之恋"で、サンザシの恋の意。エイ・ミーの同名小説が原作。
 ストーリーはよくある純愛悲恋物語で特に目新しさはないが、舞台が文化大革命当時の中国というのが一つのミソ。
 主人公の女子高生ジンチュウはインテリの家庭だが父が走資派として労働改造所送り、教師の母も思想再教育を受けている。農村教育のためにホームステイした農家で、一目惚れするのが党幹部の息子で地質調査隊の青年スン。
 ここから先は、共産主義国家であるにもかかわらず、身分違いの恋、王子様が貧しい娘に恋をして長靴やらサンザシの実やら赤い布地やらをプレゼントしてもらうシンデレラ・ストーリーとなる。劇中、文革中にもかかわらず、出自が違うからという言葉が飛び交うのが可笑しい。
 早い段階で悲恋に終わることが何となく想像でき、前半は密会がばれるのかと思うが、青年が健康ではないことが示唆された途端、鉄壁の『世界の中心で愛を叫ぶ』パターンであることが予想されてしまう。
 物語はそのように進むが、本作の最大の見どころは文革と『世界の中心で愛を叫ぶ』で味付けされてはいるが、実は女子高生を演じるチョウ・ドンユィのアイドル映画であることで、岩井俊二ばりのチャン・イーモウの演出は、清純派女優ドンユィの美少女ぶりを存分に引き出して可愛い。
 もっとも聖女化が若干行き過ぎているきらいもあって、手を握っただけで妊娠すると思い込んでいるカマトトぶりは、1970年代の中国とはいえ限度がある。
 映像的には、二人が川を挟んで向かい合うロングショットが情感たっぷりで上手く、何度か使われる。
 本作でも赤い布地、サンザシの赤い実と赤に拘っていて、抗日戦争の中国烈士たちを葬った場所にあるサンザシがその血で赤い花を咲かすという伝承が冒頭で述べられる。
 それを語るのは壮年の男で、戦前は白い花だったかどうか知ってるはずだが、それには触れられない。案の定、ラストで王子様を埋めたサンザシが白い花を咲かせたと語られ、冒頭の伝承は何だったのかと、抗日さえ入れればそれで済むというチャン・イーモウの安易さが再確認できる。
 サンザシの木が三峡ダムに沈むという文明批判的ノスタルジーも活かされてなく、基本は凡作だが、チョウ・ドンユィの可愛さをプラスした評点。 (評価:2.5)

製作国:フランス、ドイツ、イギリス
日本公開:2011年8月27日
監督:ロマン・ポランスキー 製作:ロベール・ベンムッサ、ロマン・ポランスキー、アラン・サルド 脚本:ロバート・ハリス、ロマン・ポランスキー 撮影:パヴェル・エデルマン 音楽:アレクサンドル・デプラ
キネマ旬報:1位

一級の出来だが、ポランスキーとしては何かが足りない
 ロバート・ハリスの同名小説が原作。ポランスキーらしい安定感のある作品。演出、映像、演技のどれをとっても非の打ちどころがない。しかし観終わって今ひとつすっきりしない。
 その原因は原作か脚本にあって、一言でいえば英首相を取り巻く陰謀とスキャンダルという大枠の設定にリアリティがない。サスペンス感を出すために誇張される設定、素人探偵がググって調べられる情報を誰も知らないという不自然さ、最後に明かされる事実が噂レベルにすぎないものというやや肩透かしな結末。
 それでも、演出のテンポで一気に見せてしまうポランスキーはやはり凄い。エンタテイメントとして観るには一級の出来で、しかしポランスキーに何かを期待する向きにはやや物足りない。
 平凡で冴えないゴーストライターを演じるユアン・マクレガーの演技が意外といい。 (評価:2.5)

製作国:イギリス、オーストラリア
日本公開:2011年2月26日
監督:トム・フーパー 製作:イアン・キャニング、エミール・シャーマン、ガレス・アンウィン 脚本:デヴィッド・サイドラー 撮影:ダニー・コーエン 音楽:アレクサンドル・デプラ
キネマ旬報:3位
アカデミー作品賞

文句のつけようのない出来過ぎたドラマ
 原題は"The King's Speech"。標題の英国王、ジョージ6世は、現在の女王エリザベス2世の父。先王の兄・エドワード8世は、アメリカ人のシンプソン夫人と結婚し、王位を捨てて恋を選んだことで有名で、映画のエピソードにも絡んでいる。歴史上の人物像やエピソードがどこまで忠実かは不明。史実を基にドラマ的に脚色された創作として見ないと、いろいろ気になるかもしれない。
『シャイン』ジェフリー・ラッシュの演技が秀逸。コリン・ファース、ヘレナ・ボナム=カーターの3人の演技が、王と言語療法士の友情を感動的にする。脚本も演技も演出も良い。確かに面白い。しかし何か物足りなさが残るのは、あまりに出来過ぎたドラマだからか。魔女や狂人ばかりの怪演に見慣れると、ヘレナ・ボナム=カーターの正常な人間の演技もちょっと食い足りない。 (評価:2.5)

塔の上のラプンツェル

製作国:アメリカ
日本公開:2011年3月12日
監督:ネイサン・グレノ、バイロン・ハワード 製作:ロイ・コンリ 脚本:ダン・フォーゲルマン 音楽:アラン・メンケン

従来とは違う主体的に行動するディズニー・プリンセス
 原題"Tangled"で、絡みついたの意。グリム童話の"Rapunzel"が原作。ラプンツェルは主人公の少女の名で、原作ではいわれのある野菜の名を少女に与えている。
 本作では貴種流離譚として、ラプンツェルは赤ん坊の時に魔女に連れ去られた王女という設定。盗賊の若者フリンがラプンツェルを閉じ込められていた森の塔から連れ出し、魔女から解放してめでたく王女の座に戻し、二人は結婚する。
 原作はこれとは反対に、ラプンツェルは平民の娘で、森の塔にやってくるのが王子。王子の子を宿したために魔女が森に追放し、数年後に王子と再会してめでたく結婚する。
 魔女がラプンツェルを連れ去るきっかけは、原作では父親が魔女の土地から野菜のラプンツェルを摘む代償として娘を魔女に差し出すが、本作では母親の病気の治癒のために魔法の花を持ち去った代償として魔力を宿した王女を魔女が連れ去る。
 また、原作では失明した王子と再会したラプンツェルの涙で視力が戻るが、本作では魔女に殺されたフリンの命をラプンツェルの涙で回復するというように、原作の重要な要素を使って上手に換骨奪胎した、ディズニー・プリンセスの物語に仕上げている。
 ラプンツェルが従来のディズニー・プリンセスと大きく違うのは、魔法のブロンド・ロングヘアーを自在に操り、フライパンとともに武器にして屈強な男を相手に戦うという点。さらには、誕生日に繰り広げられる城のライトショーを間近に見たいという強い意思を貫く点で、与えられた使命のためではなく自分の目的ために主体的に行動する。
 このため、プリンセス物語に興味がなくても楽しめる冒険活劇になっている。
 ラプンツェルとフリンに何故だか味方するようになる、馬のパスカルや札付きの悪党どもも個性的で楽しい。 (評価:2.5)

製作国:アメリカ
日本公開:2011年2月19日
監督:クリント・イーストウッド 製作:ロバート・ロレンツ、キャスリーン・ケネディ、クリント・イーストウッド 脚本:ピーター・モーガン 撮影:トム・スターン 音楽:クリント・イーストウッド
キネマ旬報:8位

スマトラ島沖地震がモデルの津波シーンは圧巻
 原題"Hereafter"は来世のこと。日本公開は2011年2月19日、3月11日の東日本大震災で上映中止になった。本作には、2004年スマトラ島沖地震で被害に遭ったプーケット島をモデルとした津波が描かれている。
 物語はこの津波で臨死体験をした女性キャスター、子供の頃の臨死体験で霊能者となった男(マット・デイモン)、双子の兄を亡くした少年の3人の物語が並行して進み、最終的にロンドンのブックフェアで3人が出会う。
 クリント・イーストウッドの演出はしっかりしていて、それぞれの人間ドラマとしては楽しめるが、観終わって何を描きたかったのかが今一つ釈然としない。デイモンはイタコのように死者の霊を呼び出すことができるが、その能力を商売として兄に利用されるだけで、本人には交霊は苦痛でしかなく、不幸しか招かない。ロンドンで少年を自立させ、女性キャスターと心を通わせることができて、初めてデイモンの霊能力が幸せをもたらす。
 しかし、だからどうした、という終わり方で、死後の世界を肯定するのが目的なのか、死や死者を引き摺らすに生きることが大切というテーマなのか、死について考えようというテーマなのか、よくわからないままにエンドクレジットを観ていたら、つい臨死体験をしてしまった。
 実際の津波とは異なる描写もあるが、冒頭の津波のCGは見もの。海岸から町や人が呑まれていく様子がリアルなので、ナイーブな人や子供と観るのは要注意。 (評価:2.5)

製作国:アメリカ
日本公開:2010年7月10日
監督:リー・アンクリッチ 製作:ダーラ・K・アンダーソン 脚本:マイケル・アーント、ジョン・ラセター、アンドリュー・スタントン、リー・アンクリッチ 音楽:ランディ・ニューマン

最後の日に玩具たちと遊ぶアンディの姿が麗しい
 原題"Toy Story 3"で、命を持った玩具が主人公のファンタジー・シリーズ第3作。
 前二作を経て、アンディも17歳となり大学進学のために家を出ることになる。玩具箱にしまわれていた玩具を処分することになり、お気に入りのウッディだけを持っていき、バズ以下残りの玩具は袋に入れて屋根裏部屋へ仕舞おうとしたところが、手違いから託児所に寄付されてしまうというのが発端。
 託児所は持ち主に捨てられてスネ夫となった熊の縫ぐるみロッツォが頂点に立つ玩具たちのヒエラルキーができていて、新参のアンディの玩具たちは乱暴な年少組の部屋に入れられてしまう。
 ウッディが中心となって託児所を脱出、アンディの家に帰ろうとするが、立ちはだかるのがロッツォとその手下。ゴミ処理場を経て無事帰宅し、ウッディが知り合った幼女ボニーの家に全員が貰われていくというストーリー。
 アンディがウッディをはじめとした玩具たちに別れを告げ、それを玩具たちが見送るシーンがしんみりさせる。
 子供が成長して不要となった玩具の処遇を巡る物語だが、裏を返すと玩具離れをしなければならないアンディの成長物語となっているのがミソ。普通なら捨てられる運命にある玩具への愛着から捨てられないでいるアンディが、それを幼いボニーに引き継ぐことで、子供時代への区切りをつけることになる。
 ボニーとともに、玩具たちとの別れの日を子供に帰って遊ぶアンディの姿が麗しい。
 託児所でバズがロッツォに初期化され、スペイン語でジェシーを口説き始めるシーンが笑える。 (評価:2.5)

製作国:アメリカ、イギリス
日本公開:2011年8月5日
監督:マット・リーヴス 製作:サイモン・オークス、アレックス・ブラナー、ガイ・イースト、トビン・アーンブラスト、ドナ・ジグリオッティ、ジョン・ノードリング、カール・モリンダー 脚本:マット・リーヴス 撮影:グレイグ・フレイザー 音楽:マイケル・ジアッキーノ

八百比丘尼の妖怪婆は12歳の少年と恋に落ちるか?
 原作はスウェーデンのヨン・アイヴィデ・リンドクヴィストのホラー小説"Låt den rätte komma in"で、英題は"Let the right one in"(正しきものを入れよ)。2008年にスウェーデン版が同名タイトルで映画化され(邦題は「ぼくのエリ 200歳の少女」)、本作は英語版として映画化された。英語版の原題は"Let me in"で「わたしを中に入れて」の意。
 劇中で、入っていいと言わないと吸血鬼は家に入れないという説明があり、題名はこれに基づく。但し、本来の吸血鬼伝承にはこのような条件はない。
 主人公の少年の隣室に父娘らしきふたりが引っ越してくる。吸血鬼とは知らない少年が娘に恋する。この手のラブストーリーは、究極的に愛が実らないロミオ&ジュリエットものなので題材としてよく描かれるが、本作もその一つ。ラストに若干工夫がある。
 この類型は、基本的に何百年も生きてきた吸血鬼が果たして精神年齢の幼い人間の子供と恋に陥るのかという根本的な問題があって、人間同士ならセックスがそれを乗り越えるとしても、吸血鬼はプラトニックなので個人的にはこの類型を受け入れ難い。本作でも見かけ12歳の吸血鬼少女の実年齢は、自分の歳も忘れるほどの長生きで、そんな八百比丘尼のような妖怪婆が12歳の人間の少年を少女のような気持ちで愛せるわけがない。
 それを言ってしまうと身も蓋もないが、根本問題を忘れれば少年少女の禁断の純愛物語。少しも怖くないホラーで、ロマンチックな気分に浸ることも可能。苛めも取り入れられているが、カタルシスのための道具でしかなく、他のテーマも深読みしない方がいい。
 邦題のモールスは、ふたりが壁を叩いて会話するモールス信号の意味だが、劇中で説明はない。 (評価:2.5)

製作国:アメリカ
日本公開:2011年5月11日
監督:ダーレン・アロノフスキー 製作:マイク・メダヴォイ、アーノルド・W・メッサー、ブライアン・オリヴァー、スコット・フランクリン 脚本:マーク・ヘイマン、アンドレス・ハインツ、ジョン・マクロクリン 撮影:マシュー・リバティーク 音楽:クリント・マンセル
キネマ旬報:5位

黒鳥との二役を演じ分けるのは難しいという証明
 原題は"Black Swan"で、チャイコフスキーのバレエ組曲『白鳥の湖』に登場する黒鳥のこと。
『白鳥の湖』は童話が基になっている。悪魔に白鳥に変えられたオデットの呪いを解くため、ジークフリート王子は彼女を花嫁選びの舞踏会に招待する。しかしオデットに化けた悪魔の娘オディールを選んでしまう。騙された王子は悪魔を討つが呪いは解けず、絶望した二人は湖に身を投げる。  黒鳥はオディールで、バレエでは白鳥のオデットとの一人二役になる。性格の違う二人を踊り分けるには技巧と演技力が必要とされる。
 映画の物語は、『白鳥の湖』のプリマに抜擢された主人公(ナタリー・ポートマン)が緊張からパラノイアとなり、初演に自滅していくまでを描く。
 サイコ・ミステリー風なので観ていて飽きない。しかし面白いかといえばストーリー以上のものはなく、サスペンスに依存していて、アカデミー主演女優賞のポートマンの演技も今ひとつ。恐怖感や狂気が伝わってこず、人間ドラマにもなっていない。バレエ・シーンも吹き替え以外は見劣りし、映画の役的にも黒鳥との二役は演じ切れていない。
 映像的にはオデットの幻覚の中で腕が黒鳥に変化していくシーンが見どころ。 (評価:2.5)

イリュージョニスト

製作国:イギリス、フランス
日本公開:2011年3月26日
監督:シルヴァン・ショメ 製作:ボブ・ラスト、サリー・ショメ 脚本:シルヴァン・ショメ 音楽:シルヴァン・ショメ

背景を知らないとまことに奇異なタチの贖罪の物語
 原題"L'Illusionniste"で、奇術師の意。
 ジャック・タチが遺した脚本をシルヴァン・ショメが脚色したもので、主人公の奇術師タチシェフは本名ジャック・タチシェフのタチがモデル。アニメーションの主人公もタチの風貌に似せてあり、劇中タチシェフが映画館に入ると『ぼくの伯父さん』(1958)が上映されていて、スクリーンに映る実写のタチとそっくりなのがわかる。
 原作は、タチがイギリスに住む婚外子の娘ヘルガに宛てた手紙が基になっている。劇中に登場するスコットランドの少女アリスはヘルガの投影で、タチが妊娠していたヘルガの母を捨てたことへの贖罪の物語となっている。
 物語そのものは、そうした背景を知らないと真に奇異で、パリからイギリスに渡った売れない奇術師がスコットランドで少女に出会い、旅に付いてきた少女を道連れにするという奇妙な作品になっている。
 少女がタチシェフに付いてきたのは、奇術を知らずに魔術師と思い込んだからで、きっかけは奇術で出された赤い靴だった。旅に付いてきた少女のためにタチシェフは切符やら白い服やらを奇術で出してあげる。ところが、少女が欲しがっていた白い靴を楽屋に置いておいたのを少女が見つけてしまい、少女に掛けた魔法は解けてしまう。
 少女は少しずつ世間を知り、やがてタチシェフに代る恋人ができる。それを知ってタチシェフは、「魔法なんて存在しないんだよ」と書いた手紙を残して去って行く。
 タチが一度も会うことのなかった娘ヘルガに宛てた物語で、タチに抱くヘルガの幻想を自己否定し、無力な父親を忘れて生きてほしいという願いが込められているのかもしれない。
 ショメはこれをタチを主人公にするに相応しいパントマイムのアニメーションにした。タチの作るコメディとはまた違う、しみじみとした「タチ映画」になっている。 (評価:2.5)

ロスト・アイズ

製作国:スペイン
日本公開:2011年6月18日
監督:ギリェム・モラレス 製作:ギレルモ・デル・トロ、ホアキン・パドロ、マル・タルガローナ 脚本:ギリェム・モラレス、オリオル・パウロ 撮影:オスカル・ファウラ 音楽:フェルナンド・ベラスケス

???を吹き飛ばすほどに怖さだけを追求したスリラー
 原題は"Los Ojos de Julia"で「フリアの目」。フリアはヒロインの名。ホラーというよりはスリラーないしはサスペンス。
 失明した双子の姉サラが自殺に見せかけて殺されるというところから物語は始まり、フリアが真相を究明していく。ただフリア自身も視力を失う病気が進行していて、物語の重要な道具立てとなっている。
 映画はホラー風に展開し、恐怖をもたらすのが人間なのかそうではないのか判然としない点が結構怖くて、演出も次々スリラーのお膳立てをする。ところが整合性を無視して怖さを追求しているため、次第に???が山積みになって、観終わるとあのシーンはいったいどういうこと? いくら透明人間のような男でも、そこまで透明人間になれるのか? という疑問というよりはシナリオと演出の乱暴さが際立つ。
 それでも怖さだけを追求する演出に、これはこれでありか、と思わせるくらいに矛盾を吹き飛ばすテンポが良く、ある意味スリラーとエンタテイメントに徹した潔さがある。 (評価:2.5)

製作国:アメリカ
日本公開:2011年1月15日
監督:デヴィッド・フィンチャー 製作:スコット・ルーディン、デイナ・ブルネッティ、マイケル・デ・ルカ、セアン・チャフィン 脚本:アーロン・ソーキン 撮影:ジェフ・クローネンウェス 音楽:トレント・レズナー、アッティカス・ロス
キネマ旬報:2位
ゴールデングローブ作品賞

台詞は100Mbps、作品の忘却はdog year
 原題"The Social Network"。ザッカーバーグがFacebookを考案・創設し、会員数100万人を突破するまでの物語と、それを巡る関係者との裁判を、同時進行で描く。
 訴訟に関係するのは被告のザッカーバーグ。原告はハーバード大学でコミュニティサイトを企画するウィンクルヴォス兄弟で、ザッカーバーグにプログラムを依頼するが、ザッカーバーグがサベリンとFacebookを立ちあげたためにアイディア盗用で訴える。二人は父親がペンシルバニア大学教授というエリート子弟で、北京五輪ボート選手にもなっている。もう一人の原告はFacebookの共同事業者でCFOだったサベリンで、こちらは方針の対立から経営権を奪われた。
 映画はザッカーバーグが補償金等を払って和解するまでの話だが、Napsterのショーン・パーカーも絡んで、Facebook成功の経緯を知る上では興味深い。ただ作品として観た場合、ザッカーバーグの成功を描きたかったのか、トラブルがあったことを描きたかったのか、ザッカーバーグの不当性を描きたかったのか、ITの競争の実態を描きたかったのか、趣旨がよくわからない。
 台詞も100Mbpsくらいに高速でついていくのに苦労するし、いずれビル・ゲイツのように、そういえばそんな人がいたねという時は、dog year 並みにやってきて、この映画が色褪せるのは必至。
 NHKスペシャル程度に時代性を描いただけの作品が、キネ旬2位になったのが不思議。 (評価:2.5)

ハリー・ポッターと死の秘宝 PART1

製作国:イギリス、アメリカ
日本公開:2010年11月19日
監督:デイビッド・イェーツ 製作:デイビッド・ヘイマン、デイビッド・バロン、J・K・ローリング 脚本:スティーブ・クローブス 撮影:エドゥアルド・セラ 音楽:アレクサンドル・デプラ、ジョン・ウィリアムズ、ニコラス・フーパー

成長して顔もシリアスになった3人
 テレビではないので、To be continued の映画の作り方は好きではない。それで1~6は劇場で見たが、7の前篇は見なかった。7の後篇を劇場で見るために借りた。既に、どこまでが前篇でどこからが後篇だったのか判らなくなっている。ただ前後篇に分けて長くした分、ストーリーのダイジェスト感はなくなって、お話が楽しめるようになった。
 もともと3D用に作られただけに、各所に奥行きを意識して誇張したカメラワークが見られる。後篇がそれほどでもなかっただけに、3Dだったらどう見えるかと考える楽しみ方もできる。ストーリーがシリアスになっただけでなく、成長した3人の顔がシリアスになってしまったのは残念。第1作の3人の可愛らしさが懐かしい。
 金のかかった豪華で迫力ある映像は、やはり一見の価値あり。 (評価:2.5)

製作国:カナダ、フランス
日本公開:2011年12月17日
監督:ドゥニ・ヴィルヌーヴ 製作:リュック・デリー、キム・マクロー 脚本:ドゥニ・ヴィルヌーヴ 撮影:アンドレ・トュルパン 音楽:グレゴワール・エッツェル 美術:アンドレ=リン・ボパルラン
キネマ旬報:9位

赤子の足の三ツ星は大人になったら消えてしまう
 原題は"Incendies"で火災の意。レバノン出身のカナダの劇作家ワジディ・ムアワッドの同名戯曲が原作。
 カナダに住むアラブ人姉弟の双子が、母ナワルの遺言に従って中東に旅し、彼女の衝撃的な半生を知るという物語をミステリータッチに描く。母の遺言は存在さえ知らない父と兄に手紙を届けるもので、それまでは墓碑を建てることを禁じる。
 母の足跡を辿るために中東を訪ねた姉は、キリスト教徒の母が恋人のムスリムの子を産んだことから生家を追われ、叔父の家に寄宿していたことを知る。子供が孤児院にいることを知った母は、それを探してバスに乗るが、キリスト教右派の襲撃に遭う。
 バスは放火されるが彼女はクリスチャンであることを訴えて助命される。この時、ムスリムの子を預かるが、燃えるバスの母親に走り寄ろうとして銃殺されてしまう。このバス火災が原題となっていて、ナワルは我が子を奪われた母としての怒りから、ムスリムの子を殺したキリスト教右派のリーダーを殺すテロリストとなる。
 収監された刑務所で拷問官にレイプされ、双子を産んだナワルは、釈放されて子供とともにカナダに移住する。ある日、プールで泳いでいた彼女は恋人との子に付けた刺青を持つ男を見つけるが・・・というところで衝撃の事実が明かされる。
 この傷というのが、長子の足に付けた三ツ星の刺青なのだが、どう考えても大人になったら消えてわからなくなってしまうようなもので、ミステリーとしては若干説得力に欠ける。もっとも、最後に明かされる衝撃の事実が結構衝撃的で、細かい穴をカバーするだけのエンタテイメント性は持っている。
 しかし題材的には、宗教対立とそれによってもたらされる非人道がテーマと思われ、その割にはナワルの人物像があまり描けてなく、宗教対立も架空の国を設定しているために曖昧で、復讐劇としても『キル・ビル』的バイオレンスのない単なるミステリーになってしまっているのが残念。
 一番説得力に欠けるのは、三ツ星の刺青をつけた長子で、物語からは一貫したキャラクター像が描けず、謎解きのためのただの道具になってしまっている。 (評価:2.5)

未来を生きる君たちへ

製作国:デンマーク、スウェーデン
日本公開:2011年8月13日
監督:スサンネ・ビア 製作:シシ・グラウム・ヨアンセン 脚本:アナス・トマス・イェンセン 撮影:モーテン・ソーボー 音楽:ヨハン・セーデルクヴィスト
アカデミー外国語映画賞

無抵抗なだけで暴力根絶の処方箋は示せてない
 原題"Hævnen"で、復讐の意。
 アフリカの難民キャンプにいる父と学校で苛められっ子の息子。二人が直面する暴力が描かれ、おそらく暴力と非暴力がテーマと思われるのだが、終盤は息子が起こした事件をきっかけに父子が仲直り、別居している夫婦が仲直り、事件に関与した少年が反省というヒューマンドラマにありがちな予定調和でお茶を濁し、子供の非行の原因は家庭環境というのがテーマに置き換わっていて、ガンジーの非暴力の思想には遠く及ばない腑抜けた結末となる。
 父・アントンは難民キャンプのボランティア医師で、常に内戦という大きな暴力に直面している。一方、息子のエリアスはガキ大将に苛められているが、転校生・クリスチャンが暴力で撃退したことから仲良くなる。
 クリスチャンは「目には目を」の正義漢で、帰国したアントンが町の与太者に殴られても非暴力こそが勇気ある行為だと言うのに納得できない。
 アフリカに戻ったアントンは、難民たちの反対を押し切って極悪人ビッグマンの治療をするが、アントンの手下が腹を切り裂かれて死んだ女を屍姦しようとするのを見てキレる。非暴力主義者だったはずのアントンは、難民たちがビッグマンをリンチするのを黙認する。
 一方、エリアスはクリスチャンと与太者の車を爆破することになる。ところが母子が通り掛かり、止めようとして爆発に巻き込まれる。
 エリアスは怪我をしたものの無事で、アントンもクリスチャンも復讐よりも大切なものがあることを知るという、イソップ童話のような教訓話。
 結局のところ、ビッグマン一党も与太者も野放しで、無抵抗なだけで暴力根絶の処方箋は示せてない。 (評価:2.5)

ザ・ファイター

製作国:アメリカ
日本公開:2011年3月26日
監督:デヴィッド・O・ラッセル 製作:デヴィッド・ホバーマン、トッド・リーバーマン、ライアン・カヴァナー、マーク・ウォールバーグ、ドロシー・オーフィエロ、ポール・タマシー 脚本:スコット・シルヴァー、ポール・タマシー、エリック・ジョンソン 撮影:ホイテ・ヴァン・ホイテマ 音楽:マイケル・ブルック

紛いものの家族愛を描く紛いものの成功物語
 原題"The Fighter"で、ボクサーの意。
 実在のプロボクサーを描いた実録物で、この手のボクシング映画同様に飽きない。
 本作の目玉は、WBUウェルター級チャンピオンとなったミッキー・ウォードと、世界チャンプを目指しながらも薬漬けで挫折した異父兄ディッキー・エクランドとの二人三脚の兄弟ドラマだが、感動の成功物語に仕上げるべく都合の良い物語になっているのが潔くない。
 マサチューセッツ州ローウェルの貧困地区に育ったミッキー(マーク・ウォールバーグ)は、兄ディッキー(クリスチャン・ベール)からボクシングを教えられ、薬で挫折した兄の代わりに今はプロボクサーとして、数人の異父姉たちの暮らす一家の家計をファイトマネーで支えている。
 マネージャーの母(メリッサ・レオ)は無理な試合を組んでミッキーを食い物にしているが、ディッキーが暴力事件で収監されたのを機に、ミッキーはガールフレンドのシャーリーン(エイミー・アダムス)、実父らと組んで再出発。着実に勝利を重ねていくが、難敵との戦いで収監中のディッキーから受けたアドバイスで逆転勝利。出所したディッキーをトレーナーに受け入れてWBUウェルター級タイトルマッチで勝利するまでが描かれる。
 どうしようもない兄母を演じたクリスチャン・ベールとメリッサ・レオがアカデミー助演男優・女優賞を受賞し、その甲斐あって荒んだ家庭の歪んだ家族愛?のドラマが楽しめる。
 もっともWBUはマイナー団体で、その後、ミッキーがIBF世界スーパーライト級のタイトルマッチでTKO負けし、以後はノンタイトル戦しか戦っていない事実を知れば、ミッキーの家族同様にこの成功物語も紛いものといえる。
 事実そのままでもミッキーのボクサーとしての人生が劣るわけでもなく、むしろリアリティとドラマの深みが増したと思われ、アメリカンサクセスストーリーに拘ってしまったのが残念。 (評価:2.5)

バイオハザードⅣ アフターライフ

製作国:アメリカ
日本公開:2010年9月10日
監督:ポール・W・S・アンダーソン 製作:ジェレミー・ボルト、ポール・W・S・アンダーソン、ロバート・クルツァー、ドン・カーモディ、ベルント・アイヒンガー、サミュエル・ハディダ 脚本:ポール・W・S・アンダーソン 撮影:グレン・マクファーソン 美術:アーヴ・グレイウォル 音楽:トムアンドアンディ

渋谷壊滅のCGシーンがいかにも絵空事で安手のSF映画のよう
 原題"Resident Evil: Afterlife"で、居住する邪悪:その後の意。カプコンの同名ビデオゲーム(英題、原題は『バイオハザード』)が原作。
 アリスがアンブレラ社東京本部に宣戦布告する前作のラストを引いて、本作は渋谷のスクランブル交差点にゾンビが出現するシーンから始まる。
 渋谷地下? のアンブレラ社東京本部にアリス(ミラ・ジョヴォヴィッチ)が乗り込み、いきなり殺されて驚かせるがもちろんクローンで、オリジナルとクローンたちで支部長ウェスカー(ショーン・ロバーツ)を追い詰めるが、クローンが多すぎるのも小兵みたいで迫力不足。
 ウェスカーは飛行機で脱出するも、アリスの妨害で富士山に激突して行方不明に。一方、東京本部は爆破されて渋谷の街が灰燼に帰すが、一連のCGシーンがいかにも絵空事で、安手のSF映画のような気分。
 半年後、舞台はアラスカに移り、前作で安息の地とされたアラスカがアンブレラ社の罠と知り、記憶を失ったクレア(アリ・ラーター)とロサンゼルスで数人の生存者を発見。ゾンビとの戦いで結局アリス、クレアにプラスして、クレアの兄(ウェントワース・ミラー)、ルーサー(ボリス・コジョー)だけが生き残り、沖に停泊中のアルカディア号に移動。
 これが富士山墜落後にT-ウイルスで一命をとりとめたウェスカーが、クリーチャー化を食い止めるための健全なDNA提供者を保存しておくための冷凍庫で、再びアリスたちとの戦いとなり、間一髪、前作でクレアの仲間だったKマート(スペンサー・ロック)の助力でアリスが勝利する。
 ウェスカーの乗るオスプレイが爆破しメデタシメデタシというところで、アンブレラ社に操作されているらしいⅡ登場の女性警官ジル・バレンタイン(シエンナ・ギロリー)が、アリスが生存者たちに呼びかける放送を聞いて、アルカディア号に出撃する続編への引きのシーンで終わる。 (評価:2.5)

ブンミおじさんの森

製作国:タイ
日本公開:2011年3月5日
監督:アピチャッポン・ウィーラセタクン 脚本:アピチャッポン・ウィーラセタクン 撮影:サヨムプー・ムックディプローム
カンヌ映画祭パルム・ドール

曖昧模糊としたファンタジーでアニミズム回帰を求めるが…
 原題"ลุงบุญมีระลึกชาติ"で、ブンミおじさんは前世を思い出すの意。カンヌ映画祭パルム・ドール受賞作。
 タイ東北部の森の中、妻を亡くし農場の使用人以外に身寄りのないブンミおじさんに死期が迫り、町のアパートで暮らす義妹とその息子が呼ばれる。
 3人で夕食を囲みながら、ブンミが農場を引き継ぐように頼んでいると、そこに妻の幽霊が現れ、続いて行方不明の息子が大猿の精霊となってやって来る。ブンミの死が近づき、森の精霊や動物たちが集まっているという話で、要は自然崇拝のアニミズム的世界観が提示されるが、タイ映画なのでこれに仏教的な生命観や輪廻転生が混淆。ただし、天国や幽霊・精霊・異界は出てくるが、涅槃については語られない。
 ブンミが病気になったのは国のために共産主義者を殺したカルマだとか、ラオスから不法入国した農場労働者といった話も出てきて、単にファンタジーと割り切れればいいが、宗教や政治が意味あり気に絡んでくると、タイ人なら理解できるのかもしれないが、そうでないと纏まりのない世界観に戸惑うことになる。
 古代の王女がナマズと交わるエピソード、森の動物のエピソード、葬儀後のホテルの部屋でのドッペルゲンガーなど、モダニズムに害された人々へのアニミズム回帰を求めるが、説得力のある話になっているわけでもなく、最後まで曖昧模糊としたファンタジーに終わっているのが残念なところか。
 王女が水の中でナマズと交合するシーンが、タイ映画的にはちょっとエロい。 (評価:2)

SOMEWHERE

製作国:アメリカ
日本公開:2011年4月2日
監督:ソフィア・コッポラ 製作:G・マック・ブラウン、ロマン・コッポラ、ソフィア・コッポラ 脚本:ソフィア・コッポラ 撮影:ハリス・サヴィデス 美術:アン・ロス 音楽:フェニックス
ヴェネツィア映画祭金獅子賞

一般庶民のリアリティには程遠い底知れぬ虚無
 原題"Somewhere"。
 フェラーリに乗ってロサンゼルスの高級ホテルで暮らすハリウッド・スター、マルコ(スティーヴン・ドーフ)が、前妻の代わりに11歳の娘クレオ(エル・ファニング)の夏休みの面倒を見るという物語。
 ビデオゲームやプールで相手をしながらも、仕事に女にと忙しい毎日。パーティやミラノでの主演映画のプロモーションにも娘を伴い、最後はサマーキャンプに送り出してようやく平穏を得る。
 虚飾の毎日を送るマルコが、娘との生活を通して父娘の情愛を知り、人生の虚しさを感じるというものだが、描かれる父娘がセレブすぎて一般庶民のリアリティには程遠く、主人公以上に本作そのものが虚しく映る。
 つまりはソフィア・コッポラにとってのリアリティがこの映画なんだと思うに至り、金獅子賞を与えたヴェネツィア映画祭の映画人のリアリティがこの程度なんだと知ると、主人公以上に虚しくなり、本作の底知れぬ虚無を感じてしまう。
 見どころがあるとすれば、何もない道をひた走るフェラーリの虚無が、ハリウッド映画人の虚無を象徴していることくらいで、意味をなさない長回しの多用をスタイリッシュだと思うソフィア・コッポラの致命的な勘違いを示している。
 本作の唯一の救いはエル・ファニングの可愛らしさか。 (評価:2)

製作国:アメリカ
日本公開:2010年7月23日
監督:クリストファー・ノーラン 製作:エマ・トーマス、クリストファー・ノーラン 脚本:クリストファー・ノーラン 撮影:ウォーリー・フィスター 音楽:ハンス・ジマー
キネマ旬報:10位

さて、この話は現実、それとも夢の中の出来事?
 原題"Inception"は、始まりの意味。劇中では、潜在意識の「飢え付け」という意味で使われる。
 人の夢に入り込むことで情報を盗み出す産業スパイの話で、情報は夢の中の金庫に保管されているというわかりやすさ。もっとも、夢の中で夢を見る、さらにまた夢を見る、というように夢に階層があって、複数の人間が夢スパイになるために、階層ごとの夢が同時進行し、ストーリーは複雑というか煩雑でわかりにくい。
 設定上の矛盾もありそうだが、敢えて突っ込む気にもならないほどに空想的。
 冒頭シーンが時間的には最後に来るというありふれた構成で、夢スパイのレオナルド・ディカプリオが渡辺謙の依頼で、大企業の御曹司の夢に入って、二代目が会社をダメにするようなアイディアをインセプションするというのが骨子。
 御曹司が飛行機のファーストクラスで移動中を睡眠薬で眠らせ夢スパイするのだが、ファーストクラスの乗客乗員全員がスパイというトンデモ設定。御曹司が夢スパイの対抗訓練を受けていて、夢の中に敵が現れて金庫への侵入を阻止しようとするというアクション中心の強引な展開。渡辺謙や御曹司が死にかけたりというスリルもあって、みんなユ~メ~の中♪ というわけの分からないままにインセプションに成功する。
 夢の中ゆえ、空間が歪んだり、ビルが爆発したり、重力に逆らって物が浮遊したりするが、このCGが見どころといえば見どころだが、逆にくど過ぎてCGであることを意識させてしまう程度に出来は良くない。
 ドラマ的にはディカプリオの妻が夢が原因で自殺していて、現実もまた夢か? という使い古されたテーマに絡んでくるが、ラストシーンで「さて、この話は現実、それとも夢の中の出来事?」という予想通りの終わり方をして、その凡庸に呆れる。
 展開はサスペンスフルな割に冗長で退屈。2時間程度に編集してほしかった。
 ディカプリオはいつものディカプリオで新鮮味がない。渡辺謙は出番が多いので、ファンは嬉しいかもしれない。 (評価:2)

製作国:アメリカ
日本公開:2010年6月26日
監督:サミュエル・ベイヤー 製作:マイケル・ベイ、アンドリュー・フォーム、ブラッド・フラー 脚本:ウェズリー・ストリック、エリック・ハイセラー 撮影:ジェフ・カッター 音楽:スティーヴ・ジャブロンスキー

オリジナル版をなぞっているが怖くないのが欠点
 リメイク版で、原題は同じく"A Nightmare on Elm Street"。
 フレディと主人公のナンシーは名前だけが同じだが、ストーリーは新作。ただ基本のキャラクター・シフト、物語の大枠はオリジナル版と同じ。クリス(オリジナルではティナ)が部屋の中を飛び回りながら殺されるシーン、ナンシーがバスタブで股を広げている間に鉄の爪が浮かび上がるシーン、ラストのママが襲われるシーンはそのまま生かされている。
 オリジナルにはないフレディの過去話が描かれるが、思わせぶりな割には事件そのものは曖昧。子供たち全員に過去の記憶がないのも不自然で、ナンシーの潜在意識がフレディを呼び寄せたという設定も取ってつけたよう。
 本作の最大の問題点は、ナンシーら若者たちが年を食っていること。高校生か大学生らしいがフレディと互角に戦えそうで、フレディが少しも怖くないこと。ナンシー役のルーニー・マーラ25歳というのは如何なものか。(オリジナル版のヘザー・ランゲンカンプは20歳)
 オリジナル版を形だけなぞっただけの制作者には、オリジナル版とホラーの基本を学んでもらいたい。 (評価:2)

製作国:アメリカ
日本公開:2011年8月27日
監督:ジェームズ・ワン 製作:ジェイソン・ブラム、スティーヴン・シュナイダー、オーレン・ペリ 脚本:リー・ワネル 撮影:ジョン・R・レオネッティ、デヴィッド・M・ブルーワー 音楽:ジョセフ・ビシャラ

幽体離脱を基に引っ越し、屋根裏、悪魔、続編の型通りなホラー
 原題"Insidious"で、こっそり悪事を働くの意。ジェームズ・ワンの『ソウ』シリーズ後の作品で、『ソウ』同様に状況設定だけで見せるため、映像的には怖いシーンもあるが、シナリオはかなり粗雑。
 新しい家に引っ越してくると怪異現象が! というよくある導入で、発端も屋根裏部屋という、これもよくある設定。子供(タイ・シンプキンス)が意識不明に陥り、続発する怪異現象に母親(ローズ・バーン)は狼狽するが、父親(パトリック・ウィルソン)がのんびり構えていてリアリティが皆無。ようやく引っ越すものの怪異現象は続き、似非科学のエクソシストの登場となるが、『死霊館』(2013)に繋がるキャラクター設定。
 家付きの霊ではなく、子供が幽体離脱したまんまという設定で、空となった肉体を死霊ばかりか悪魔まで狙っているというキリスト教的ホラーまで登場する。
 幽体離脱は父親からの遺伝という後付け設定のご都合主義が続き、最後は子どもの幽体を連れ戻すために父親が幽体離脱し、最初の家にやってくる。悪魔や悪霊たちの妨害を物理的力によって撥ね退けるというアメリカ的発想で子供を肉体に連れ戻すが、無事帰還したと思われた父親の肉体が悪魔に乗っ取られていたというオチで、これも型通りなシリーズ化狙いにいささかうんざりする。 (評価:1.5)

アリス・イン・ワンダーランド

製作国:アメリカ
日本公開:2010年4月17日
監督:ティム・バートン 製作:リチャード・D・ザナック、ジョー・ロス、スザンヌ・トッド、ジェニファー・トッド 脚本:リンダ・ウールヴァートン 撮影:ダリウス・ウォルスキー 音楽:ダニー・エルフマン

オリジナルストーリーそのものが本物に似せた偽物
 原題"Alice in Wonderland"。ルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』と『鏡の国のアリス』が原作だが、19歳となったアリスが2度目に不思議の国を訪れるという物語になっている。
 冒頭、アリスの意に添わぬ相手との結婚話から始まり、白兎を追って穴に落ちるという導入。アリスは13年前に訪れたことを忘れていて、繰り返し見る夢と勘違いしている。
 地下の国に行くと預言書を見せられて、アリスが赤の女王に支配されている暗黒世界を救う救世主だと知らされる。アリスが13年前と同じアリスなのか本物ではないのかという問いの中で、冒険が繰り広げられる。
 原作と同じような不条理な会話が展開するが、このオリジナルストーリーそのものが本物に似せた偽物という感が免れず、VFXを除けば、かなり退屈な作品となっている。
 夢だと思っていたワンダーランドがアリスの中の実在の世界であり、その実在の世界で自我を確立するアリスは、外界の現実世界でもまた自立して生きていくというのがラストで、それなりの教訓話にはなっているが、19世紀の世界観でそれをやられてもという今さら感が拭えず、そんなテーマよりも二次創作的なストーリーを何とかしてほしかった。
 赤の女王のヘレナ・ボナム=カーターやマッドハッターのジョニー・デップ、白の女王のアン・ハサウェイなど、キャラクターがビジュアル的には面白いだけに終わっているのが残念。 (評価:1.5)


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