海月衛 映画帖
~映画の大海原をたゆたう~

外国映画レビュー──1980年

製作国:イギリス、アメリカ
日本公開:1980年12月13日
監督:スタンリー・キューブリック 製作:スタンリー・キューブリック 脚本:スタンリー・キューブリック、ダイアン・ジョンソン 撮影:ジョン・オルコット 音楽:バルトーク・ベーラ、クシシュトフ・ペンデレツキ、ジェルジ・リゲティ、ウェンディ・カーロス、アル・ボウリー

映倫のぼかし以外は全編恐怖。ホラーの最高傑作
 スティーブン・キングの同名小説が原作。ホラー映画の傑作だが、なぜかホラーファンにも原作者にも受けが悪かった。タイトルの"The Shining"は、主人公の少年が持つ超能力、「輝き」のことだが、超能力ものの原作に比べ、映画がファンタジックでサイコなホラー作品として超能力を重視しなかったことが原作者の不評を買った。
 ホラーだけでなく映画としても第一級の作品だったが、アカデミー賞やキネ旬にも選ばれなかったことから、映画賞というものの意味を推し量ることができる。
 この作品の見どころは、まずジャック・ニコルソンの狂気に陥っていく演技。そして山に入っていく冒頭の空撮シーン、ラストの伏線となる迷路のミニチュアの俯瞰、廊下で遊ぶ少年を移動撮影する滑らかなカメラワーク、雪に埋もれた迷路のシーン等々の巧妙な演出と映像。ただ怖いだけではない甘美なホラー。唯一恐怖を忘れるのは映倫のぼかしのシーンで、名作を台無しにしている。 (評価:4.5)

製作国:アメリカ
日本公開:1981年3月28日
監督:ジョン・ランディス 製作:ロバート・K・ウェイス 脚本:ダン・エイクロイド、ジョン・ランディス 撮影:スティーブン・M・カッツ
キネマ旬報:9位

腹の底から笑えた時代を思い出して観る映画
 スラップスティックコメディをベースに、アクションとミュージカルを詰め込んだ玩具箱のようなエンタテイメント作品。コメディは涙が出るくらいに腹の底から笑え、アクションはカーチェイスを中心に迫力満点。ミュージカルもレイ・チャールズを筆頭に実力派の歌と踊りと、どこをとっても一級の出来。カントリー&ウエスタンの店で披露するダン・エイクロイドの『ローハイド』には思わず唸る。
 思えばベトナム戦争後の平和と豊かさを取り戻した良き時代の映画で、この映画の底抜けの明るさには一点の曇りもない。そうした時代への憧憬も含めて、憂いを忘れて誰もが心の底から楽しめる映画。そして、この映画のアクションと笑いはCGでは決して成しえないことに気づく。映画は知恵を振り絞って困難なシーンに挑戦するから観客が感動できるのであって、CGで作る映像がどんなに荒唐無稽でも同じような感動を与えることができないことをこの映画は教えてくれる。
『スターウォーズ』のレイア姫・キャリー・フィッシャーが危ない女で登場、ミニの女王・ツイッギーやスティーブン・スピルバーグが出演しているのも、ちょっとしたネタ。オープニングの空撮シーンは『ブレードランナー』風、ショッピングモールのカーチェイスなど、映像的な見どころも多い。 (評価:4)

製作国:アメリカ
日本公開:1981年3月7日
監督:ロバート・レッドフォード 製作:ロナルド・L・シュワリー 脚本:アルヴィン・サージェント 撮影:ジョン・ベイリー 音楽:マーヴィン・ハムリッシュ
キネマ旬報:3位
アカデミー作品賞 ゴールデングローブ作品賞

少年と家族の問題を静かに見つめるハリウッドの名作
 原題は"Ordinary People"で邦題の意。ジュディス・ゲストの同名小説が原作。ロバート・レッドフォードの監督で、アカデミー監督賞、助演男優賞等を受賞。
 助演男優賞のティモシー・ハットンは物語上では主役。この年の主演男優賞は『レイジング・ブル』のロバート・デ・ニーロだった。ティモシー・ハットンは揺れ動くナイーブな高校生の心を好演している。
 主人公の少年はヨットの事故で兄を死なせたことで自責の念から精神を患い、退院後もカウンセリングに通う。少年を腫れもののように扱う父、長男を溺愛していた母との反目、病院の仲間で今は立ち直ったかに見える少女、聖歌隊で知り合った少女、彼らとの交流を通して病に立ち向かう少年の姿が描かれる。
 物語はシリアスで、カウンセラーが少年の心の闇を明らかにしていく過程が描かれるので、身につまされるかもしれない。とりわけ家族との愛憎は見ていて辛いものがある。しかし、折れそうになる少年の心が聖歌隊の少女によって支えられ、時に挫折しながらも自信を取り戻していく姿は微笑ましくもあり、観る者の心を和らげる。  本作に登場するのは誰もが普通の人であり、自分・家族・友人たちのありふれた等身大の姿。しかし、そうした人々が互いを愛し、傷つけ合う。そのどうしようもない人間の性を認めることから、少年は本当の強さと生きる勇気を得ることになる。
 ラストシーンはハッピーエンドではないが、やさしく清々しい。父親役にはキーファー・サザーランドの父親ドナルド・サザーランド。テーマも配役も地味だが、心に静かに訴える秀作。この作品のアカデミー受賞をきっかけに、ハリウッドでは家族の問題をテーマとするしっかりした作品が作られるようになった。 (評価:3.5)

製作国:アメリカ
日本公開:1980年8月15日
監督:ショーン・S・カニンガム 製作:ショーン・S・カニンガム 脚本:ヴィクター・ミラー 撮影:バリー・エイブラムス 音楽:ハリー・マンフレディーニ

戸板返しもある、ホラーの基本を踏まえた静の恐怖
 原題は"Friday the 13th"で邦題の通り。B級ホラーの代表作で、TV放映などでこれまでに何度も見ているが、覚えているのは湖のキャンプ場の惨劇、若者たちのセックス、斧で頭をかち割られる女の子、ジェイソンの仮面。見事にストーリーを忘れているのは、ホラー映画としては傑作の証かもしれない。
 見直してラストシーンまで来て、そういえばそういうストーリーだったと気づくが、最後のジェイソンの仮面はシリーズの他の作品とごっちゃになっていた。
 わかっていても各シーンが怖いのは、ホラーとしてよくできている証で、最近のスプラッターほどには血も飛び散らず、殺される直前でシーンをカットし、死体だけを見せるという静の演出。本来ホラーは静の恐怖で、動の派手な殺戮シーンに腐心する最近のホラー映画は、本作に見習った方がよい。
 殺戮シーンを見せずに想像させ、最後にヒロインが惨殺された死体巡りをするが、『四谷怪談』の戸板返しと同じで、怖い怖い・・・ギャッ!という正統的演出。
 改めて見直すと、非常にオーソドックスにホラーの基本を踏まえていることに気づく。もっとも、惨殺の犯人の正体がわかってからがどうにも怖くなく、もうひと工夫ほしかった。
 テーマ的には、夏休みにいちゃいちゃしてると良くないことが起きるという修身的教訓。 (評価:3)

終電車

製作国:フランス
日本公開:1982年4月10日
監督:フランソワ・トリュフォー 製作:フランソワ・トリュフォー 脚本:フランソワ・トリュフォー、シュザンヌ・シフマン 撮影:ネストール・アルメンドロス 音楽:ジョルジュ・ドルリュー

占領下のパリの舞台で、とにかくドヌーヴの美貌が炸裂する
 原題"Le Dernier métro"で、メトロの終電の意。
 1942年、ナチ占領下のモンマルトルの劇場が舞台。劇場主は演出家のルカ・シュタイナー(ハインツ・ベンネント)だが、ユダヤ人のために国外に逃亡、夫人のマリオン(カトリーヌ・ドヌーヴ)が経営を引き継いでいる・・・ことになっているが、実はルカは劇場の地下室に隠れているという設定。
 新しい戯曲を上演するため、マリオンは新人のベルナール(ジェラール・ドパルデュー)と共演することになるが、女たらしのために冷たい。それは恋心の裏返しというのはフランス映画の常道だが、ドヌーヴが美人すぎるためかそれとも演技が下手なのか恋心を抱いているようには見えず、勘のいいルカが地下室で稽古を盗み聞きして、それを指摘するまで気づかない自分が鈍いのか?
 ゲシュタポのガサ入れを躱し、パリ解放でようやくルカは地上に戻ることができる。一時はナチに奪われそうになった劇場も無事で、演出家に復帰するルカ。そしてマリオンがルカとベルナールと手を繋ぎ、3人でカーテンコールを受けるという、フランスらしい仲良し3人の恋愛関係で幕を閉じる。
 タイトルは夜間外出禁止令で終電で家に帰らなければいけない当時のパリの状況のことで、マリオンはしばしば劇場の地下室に外泊して終電車には乗らない。当時のパリ市民は、家に帰っても暖房がないので夜は映画館や劇場で終電まで過ごすという説明が面白い。
 占領下のフランス演劇界の様子を描くが、基本はフランス的恋愛映画で、とにかくドヌーヴの美貌が炸裂する。 (評価:2.5)

スター・ウォーズ 帝国の逆襲

製作国:アメリカ
日本公開:1980年6月28日
監督:アーヴィン・カーシュナー 製作:ゲイリー・カーツ 脚本:リー・ブラケット、ローレンス・カスダン 撮影:ピーター・サシツキー 美術:ノーマン・レイノルズ 音楽:ジョン・ウィリアムズ

お伽噺の定番ながらもラブ・ストーリーが若干ウザい
 原題"The Empire Strikes Back"で、帝国の逆襲の意。『スター・ウォーズ』シリーズ第2作。時系列のエピソード5。
 前作の成功を受けて3年後に公開されているが、制作費も増えて映像的にもクオリティアップ。AT-ATのストップモーションとXウイングによる戦いが特撮シーンの大きな見どころとなっている。AT-ATの股をくぐり抜けるXウイング、AT-ATの脚にワイヤーを絡ませるXウイング、AT-ATの横をすり抜けるスカウト・ウォーカーなど、手の込んだ特撮が見もの。
 冒頭、ルーク(マーク・ハミル)がワンパに襲われて顔に怪我をするエピソードがあるが、その後の物語にも絡まず不要に感じられたが、マーク・ハミルが交通事故で顔に怪我をしたために急遽追加されたシーンと知って納得した。
 氷の惑星ホスに秘密基地を築いた反乱軍を探知した帝国軍が攻撃、反乱軍は本拠を移すために惑星を脱出することになる。逃げ遅れたレイア姫(キャリー・フィッシャー)はハン・ソロ(ハリソン・フォード)、チューバッカ、C3POとともにミレニアム・ファルコンで脱出するが、帝国軍の追撃を受け、小惑星帯等を経てソロの仲間、ランドが執政官を務める惑星ベスピンへ逃れる。しかし帝国軍の手が回り捕獲される。
 一方、ダースベイダーの真の標的ルークは、Xウイングでホスを離脱後、オビ=ワン(アレック・ギネス)の助言で惑星ダゴバに向かい、ヨーダからジェダイの修行を受けるが、レイア姫らの危機を予知しベスピンへ。
 ここまでは、2つのストーリーが並行して進むが、テンポの良い切り替えと編集が上手い。
 ベスピンに到着したルークはダースベイダーと一騎討ちとなるが、父であることを告げられダークサイドへの誘いを受ける。ダースベイダーに敗れたルークは脱出を試みて失敗。そこにランドの手引きでベスピンを脱出したファルコン号が現れ、ルークを収容してエンドとなる。
 ベスピンはガス惑星で、ランドがいるのは空中都市クラウド・シティなのだが、構造と位置関係がわかりにくい。
 ハン・ソロとレイア姫が喧嘩しながらもいい仲になっていくが、美姫でないためにお伽噺の定番ながらも若干ウザい。 (評価:2.5)

製作国:アメリカ、イギリス
日本公開:1981年5月23日
監督:デヴィッド・リンチ 製作:ジョナサン・サンガー 脚本:クリストファー・デヴォア、エリック・バーグレン、デヴィッド・リンチ 撮影:フレディ・フランシス 音楽:ジョン・モリス
キネマ旬報:10位

怖いもの見たさの見世物小屋と同じ怪奇趣味といえなくもない
 原題"The Elephant Man"で、象人間の意。19世紀イギリスで、プロテウス症候群等が原因で、頭部から全身が極度に変形したために象人間と呼ばれたジョゼフ・メリックの実話を基に脚色されたヒューマン・ドラマ。
 ロンドン病院の医師トリーブス(アンソニー・ホプキンス)は、バイツ(フレディ・ジョーンズ)の見世物小屋にいたエレファント・マン、ジョン・メリック(ジョン・ハート)を病院に連れ帰り、症例研究として医学会に発表、名声を得る。
 人気舞台女優のケンドール夫人(アン・バンクロフト)が面会に訪れたのをきっかけに、ボランティアで売名しようとする著名人が次々と訪れ、トリーブスは婦長(ウェンディ・ヒラー)からバイツ同様に見世物として利用していると責められる。
 バイツはメリックを病院から連れ去り再び見世物に利用するが、他の芸人たちの助けで脱走。ロンドンのリバプールストリート駅で警官に保護され、ロンドン病院に帰る。
 ラストシーンは奇形のために座って寝ることしかできなかったメリックが、人並みにベッドに身を横たえて眠るが、そのまま呼吸困難で死んだことを暗示している。
 実話では、メリックが自ら見世物になることを望むなど通俗が伝えられているが、リンチはラストシーンを含めてロマンティックなヒューマンストーリーに変えている。
 もっとも、メリックの見世物としての悲哀、トリーブスらの偽善といったテーマ的なものはニュアンスだけで、奇形であるがゆえにメリックがロンドン病院での安楽な生活を手に入れ、社交界の人間からの同情と恩寵を受けたというシリアスな問題は、バイツを悪玉に仕立てることで体よく取り除かれている。
 メリックがトリーブスの家に招かれ、夫人に対し、"If only I could find her... so she could see me... with such lovely friends here now. Perhaps she could... love me as I am."(母を探すことができて、そして彼女があなたのようなとても素敵な友達と一緒にいる私に会えたらいいのに。そうすれば、私と同じくらい彼女も私のことを愛せるのに)と感動的なセリフを言うが、メリックを捨てた母については全く描かれない。
 ヒューマニズムをシュガーパウダーのように塗しただけで、中身は怖いもの見たさの見世物小屋と同じ怪奇趣味といえなくもない。 (評価:2.5)

製作国:アメリカ
日本公開:1981年4月4日
監督:ブライアン・デ・パルマ 製作:ジョージ・リットー 脚本:ブライアン・デ・パルマ 撮影:ラルフ・ボード 音楽:ピノ・ドナッジオ

シャワーシーンに始まり、シャワーシーンに終わる
 原題"Dressed to Kill"で、殺すための扮装の意。
 公開当時、性描写と殺しのシーンが話題になった作品だが、性描写はともかく、殺しのシーンは今見ても鳥肌が立つ。
 シャワーシーンに始まり、シャワーシーンに終わるが、無防備と密室性にナイフが加わると、これはもう痛い・怖いという恐怖心に響く。エロスとホラーは人間本能の根源で、デ・パルマはこれに鏡という、これまた人間心理を不安にさせるアイテムを使い、サイコ・ホラーの傑作を創った。ヒッチコックの『サイコ』との類似点も多くオマージュとされるが、作品的には別物となっている。
 公開以来、35年ぶりに観たが、シャワーシーン、エレベーター、女装のシーンはトラウマのように明確に記憶されている。
 物語は再婚した夫との性生活に不満を持つ女が、精神科医の診察を受けた後、美術館を訪れてゆきずりの男と寝る。ところがその帰りにエレベーターで金髪の女装した男に殺害され、それを目撃した娼婦と被害者の息子が犯人探しをするというのが全体の流れ。
 精神科医の患者の一人が性同一性障害だということがわかるが、精神科医はなぜかその患者の秘密を守ろうとする。メカオタクの被害者の息子が、クリニック前に隠しカメラを設置、女装の男が最後にクリニックから出てきた映像から、その日の最終訪問者の名前を知ろうと、娼婦と組んで記録を手に入れる。
 性同一性障害の患者はむしろジキルとハイド的な二重人格で・・・と、ここからは核心なので見てのお楽しみ。
 冒頭、被害者の女が夢想するシーンから始まり、夢と現実を混在させるシナリオと演出が上手く、犯人逮捕で一件落着後もトラウマになりそうな映像を見せてくれる。
 欲求不満の女を演じるアンジー・ディキンソンは50歳だが、シャワーシーンのピンク色の乳首と滑らかな肌は吹替え。もっとも、ガラス越しに見える彼女のヌードは立派で、カメラも上手く切り替わっている。 (評価:2.5)

製作国:アメリカ
日本公開:1980年12月13日
監督:アラン・パーカー 製作:デヴィッド・デ・シルヴァ、アラン・マーシャル 脚本:クリストファー・ゴア 撮影:マイケル・セレシン 音楽:マイケル・ゴア
キネマ旬報:10位

出演俳優がフェイムにならなかった芸能学校の青春の蹉跌
 原題"Fame"で有名・名声のこと。スターを夢見る芸術学校を舞台に、彼ら彼女らの4年間の青春群像を描く。
 芸術学校で学ぶのは、クラッシック音楽からポピュラーの歌唱、クラッシックバレエ、モダンダンス、演劇と、芸術・芸能織り交ぜて広い。そうした中で、能力のある者ない者たちが名声を掴もうと悶え苦しむ青春映画で、それなりだが青春応援歌以上でもないという作品。
 途中、上級生が西海岸の芸能プロダクションにスカウトされ、彼に思慕する冴えない女の子が送り出すシーンがあるが、彼女が卒業する段になって学友たちとカフェに行くとウエイターで生活費を稼ぐ彼に出会うという辛口の現実も描くところが、青春の栄光と挫折を描くことの多かった80年当時の青春映画の匂いがする。
 みんなで『ロッキー・ホラー・ショー』を観るエピソードがあって、当時のカリスマ人気を思い出させるが、みんなが盛り上がる様子にもロック・ミュージカルに栄光を託す青春の甘酸っぱさを感じさせる。
 芸術学校が舞台ということもあって、半ばミュージカル映画として見ることもでき、実際、生徒たちが通りにくり出して踊るシーンもあって楽しい。
 メイン・キャラクターの俳優が、その後、スターにならなかったという点でも味わい深い作品。 (評価:2.5)

プライベート・ベンジャミン

製作国:アメリカ
日本公開:1981年4月18日
監督:ハワード・ジーフ 製作:ナンシー・マイヤーズ、チャールズ・シャイア、ハーヴェイ・ミラー 脚本:ナンシー・マイヤーズ、チャールズ・シャイア、ハーヴェイ・ミラー 撮影:デヴィッド・M・ウォルシュ 音楽:ビル・コンティ

軽妙なアメリカン・コメディながらもほろ苦さが残る
 原題"Private Benjamin"で、ベンジャミン二等兵の意。
 公開以来の鑑賞となったが、ジュディ・ベンジャミン(ゴールディ・ホーン)が新兵訓練を受けているシーンが印象的な軍隊コメディという記憶しかなかった。改めて見直すと、ゴールディ・ホーン34歳の時の作品で、エグゼクティヴ・プロデューサーとして企画に加わっていることから、単なるコメディではなく、女性の生き方についてのメッセージを託していたように感じられる。
 主人公のジュディは結婚に2度失敗した世間知らずで少々おつむの軽い女で、ホテル並みの生活ができると思って軍隊に入隊、やり直しの人生をスタートさせる。無論現実は違っていて、両親が除隊させようとするが、父(サム・ワナメイカー)の"You were never a smart girl. We're all going to stop pretending now. You are obviously incapable of making your own decisions."(おまえは頭がよくない。そうじゃないフリをするのは止めることにした。おまえには自分のことを決める能力がない)の言葉に反発して、ジュディは軍隊に残ることを決める。
 そこからは人が変わったようなジュディの快進撃となり、新兵訓練終了と共に女性初となるエリートの空挺部隊に配属。さらにベルギーのNATO軍司令部に転属となる。ここでかつて一夜を共にしたことのあるフランス人ドラ息子アンリ(アーマンド・アサンテ)と結婚するために除隊。ところが結婚式当日、元恋人やメイドと縁の切れないアンリを見限って婚約を解消。"Don't call me stupid."(馬鹿にしないで)と一人式場を去って行くシーンで終わる。
 女はバカで可愛い人形であればいいという世間の価値観に対し、男社会の典型である軍隊の場を通して成長していく女を、バカで可愛いテンプレ的容姿のゴールディ・ホーンが演じているのがミソで、軽妙なアメリカン・コメディながらも、ほろ苦さが残る。 (評価:2.5)

飛行士の妻

製作国:フランス
日本公開:1996年3月2日
監督:エリック・ロメール 製作:マルガレート・メネゴス 脚本:エリック・ロメール 撮影:ベルナール・リュティック 音楽:ジャン=ルイ・ヴァレロ

W・アレンのような皮肉や毒気がないのがロメールらしい
 原題"La femme de l'aviateur"で、邦題の意。
 パリの男女の恋愛模様を描くが、どちらかといえば女に振り回される真面目な青年のほろ苦い物語。
 フランソワ(フィリップ・マルロー)は、夜は郵便局で働く苦学生で、年上のアンヌ(マリー・リヴィエール)を恋人に持つが、これが自由恋愛主義者で、妻帯者のパイロット・クリスチャン(マチュー・カリエール)と不倫をし、気に入れば何人でも男と付き合う。同棲を求めるフランソワに仮に結婚しても同居はしないと言い放ち、真面目な恋愛を望むフランソワは振り回される。
 クリスチャンは妻との間に子供ができてパリに住むことになり、パリに妻は二人も要らないとアンヌは現地妻の地位を追われることになるが、フランソワがカフェでクリスチャンが女連れでいるのを見かけたことから気になって尾行。その様子を見ていた15歳の女の子リュシー(アンヌ・ロール・ムーリー)が面白がって尾行に協力。妻だと思っていた女はクリスチャンの妹だったという事がわかるまで。
 自分の気持ちしか考えないとフランソワはアンヌに叱られるが、他人の気持ちを考えないのはアンヌの方が上で、どう見てもクソ女にしか見えないが、それがパリのエスプリらしく、ウディ・アレンのような皮肉や毒気がないのがロメールらしい。
 アンヌにいいようにあしらわれたフランソワは、陽気で可愛いリュシーに惹かれるが、手紙を渡そうと自宅を訪ねると、玄関の前で親友がリュシーとキスしているのを見てしまい、こそこそと逃げ出すという、とってもかわいそうな青年の話。
 フランソワが惨めすぎて笑い飛ばすことができず、鬱屈だけが残るのがフランス映画らしい。 (評価:2.5)

クリスタル殺人事件

製作国:イギリス
日本公開:1981年7月4日
監督:ガイ・ハミルトン 製作:ジョン・ブラボーン、チャード・グッドウィン 脚本:ジョナサン・ヘイルズ、バリー・サンドラー 撮影:クリス・チャリス 音楽:ジョン・キャメロン

エリザベス・テイラーとキム・ノヴァクの円熟のオバサン対決が見所
 原題"The Mirror Crack'd"で、鏡がひび割れたの意。アガサ・クリスティーの推理小説"The Mirror Crack'd from Side to Sidee"が原作。
 ミス・マープルのシリーズで、村に映画の撮影隊がやってくる中で殺人事件が起きるというもの。エリザベス・テイラーとキム・ノヴァクがともに女優役で競演する豪華盤になっている。
 マープル(アンジェラ・ランズベリー)の村にある館で映画の打ち入りのパーティが開かれるが、監督のジェイソン(ロック・ハドソン)が女優を暫く休業していた妻マリーナ(エリザベス・テイラー)の復帰作として製作するもの。
 そこにプロデューサーのマーティ(トニー・カーチス)が妻の女優ローラ(キム・ノヴァク)を伴って現れ、その時、招待されていた村の婦人ヘザー(モーリン・ベネット)が何者かによって毒殺されることから事件が始まる。
 ローラはジェイソンを巡ってマリーナに刃傷沙汰を起こした過去から二人は犬猿の仲。マリーナは子供を風疹で失った精神的痛手から女優休業に追い込まれ、薬を常用。ジェイソンの助手エラ(ジェラルディン・チャップリン)はジェイソンに想いを寄せているといった設定。
 ロンドン警視庁の警部ダーモット(エドワード・フォックス)が捜査に現れ、叔母のマープルに事件を解決してもらうことになる。
 マリーナを取り巻く面々とは一見無関係なヘザーが殺されることから、犯人の動機と誰を殺そうとしていたのかが最後までわからず、ミステリーとしての謎解きが楽しめる。
 50歳に近いエリザベス・テイラーとキム・ノヴァクがオバサン同士、火花を散らすのも見どころで、二人の円熟の当て擦りが楽しい。 (評価:2.5)

製作国:アメリカ
日本公開:1981年2月14日
監督:ジョン・カサヴェテス 製作:サム・ショウ 脚本:ジョン・カサヴェテス 撮影:ジョージ・C・ビラセア 音楽:ビル・コンティ
キネマ旬報:5位
ヴェネツィア映画祭金獅子賞

愚図で面倒な子供を可愛いと思えるかで評価は変わる
 原題は"Gloria"で主人公の女の名前。ブルックリンを舞台にマフィアを裏切って殺された友人一家から預かった6歳の男の子との逃走劇。ヴェネツィア国際映画祭金獅子賞を受賞している。
 元受刑囚で子供嫌いのグロリアが、友情から仕方なく子供の身を守り、時に面倒臭くなるが、やがて二人の間に母子の愛情が芽生える、というもの。80年の映画だが、基本的に設定は安っぽい。
 この手の話は嫌いではないが、観ていて6歳の男の子の妙に大人びた台詞を言うところと、子供のように(?)女に甘えて依存するところがウザくて、グロリアが愛情を感じる気持ちが理解できない。小津安二郎の『長屋紳士録』と比較するのもなんだが、人の子供を愛おしいと感じさせる説得力がない。
 ラストシーンは一応のハッピーエンドだが、その先が見えないのも中途半端に投げ出された感じがしてマイナス。
 本作を評価する人がいるのも理解できないではなく、子供に対する距離の取り方と考え方によって評価が分かれる作品。テンポの緩い演出も、前者にとっては二人の心の機微を丁寧に描いていると映るだろうし、後者にとっては愚図で面倒くさい子供の描写を長々と見せられて退屈に感じる。
 グロリアのアクションシーンはそれなりに爽快だが、感情に訴える作品は受け手によって観方が変わるので難しい。
(評価:2.5)

製作国:アメリカ
日本公開:1981年2月14日
監督:マーティン・スコセッシ 製作:アーウィン・ウィンクラー、ロバート・チャートフ 脚本:ポール・シュレイダー、マーディク・マーティン 撮影:マイケル・チャップマン 音楽:レス・ラザロビッツ
キネマ旬報:6位

日本人には退屈しない程度のボクシング映画
 1949年にWBA世界ミドル級チャンピオンとなったプロボクサー、ジェイク・ラモッタの自伝が原作。原題の"Raging Bull"(猛牛)はラモッタのニックネーム。
 ラモッタ役のロバート・デ・ニーロは、引退前のしまった体と引退後の腹に贅肉のついた体という体型作りをし、アカデミー主演男優賞を獲得したが、一人のプロボクサーの自伝という以外には特別に見るべきものはなく、チャンピオン・マッチに絡むマフィアと八百長といったボクシング界の裏事情やラモッタの妻に対する異常な猜疑心が興味を引く程度。
 試合のシーンは短く、短いカットで粗が出ないようにしているが、ガードも甘くて、打ち合いはリアリティに欠ける。特に一方的に打ちまくったり打ちまくられたりするシーンは、打ってくださいとばかりの棒立ちで白ける。
 アメリカ人にとっては、若乃花の自伝を見るようで興味があるのかも知らないが、日本人にとってはボクシングのオールドファン以外には退屈しないという程度のボクシング映画でしかない。 (評価:2.5)

フラッシュ・ゴードン

製作国:アメリカ
日本公開:1981年2月21日
監督:マイク・ホッジス 製作:ディノ・デ・ラウレンティス 脚本:ロレンツォ・センプル・Jr 撮影:ギルバート・テイラー 音楽:クイーン、ハワード・ブレイク

セクシー美女と美術と特撮のチープさが見どころ
 原題"Flash Gordon"で、主人公の名。アメリカの同名コミックが原作。
 惑星モンゴを支配する皇帝ミン(マックス・フォン・シドー)が、気紛れから地球に天変地異を引き起こし、月を落下させようとしたことから、地球の科学者ザーコフ博士(トポル)がフラッシュ・ゴードン(サム・J・ジョーンズ)とデイル(メロディ・アンダーソン)を連れ、地球の危機を救うためにロケットで乗り込むという物語。
 モンゴには鷹人間や森の国といった部族がいて、皇帝ミンに専制支配されているが、ゴードンが反乱を指揮してミンを倒し、平和を取り戻す。
 ゴードンに協力するのが、ミンの皇女オーラ姫(オルネラ・ムーティ)と部族長で、デイルはミンの王妃にされ掛かるが、この二人がセクシーで露出度も高いというのが数少ない見どころ。
 美術と特撮のチープさは、逆にチープさが見どころともいえ、本作の映画化権をジョージ・ルーカスが獲れなかったがゆえに、『スター・ウォーズ』(1977)が誕生したという点で大きな貢献をしている。
 随所に『スター・ウォーズ』に使われたアイディアがあるのも見どころといえ、鉄仮面のクライタス将軍はダースベイダーを髣髴させる。
 モンゴからも類推できるように皇帝はモンゴルのハーン風の風貌。全体には通俗的でチープな設定だが、『スター・ウォーズ』に昇華されたことが喜ばしい。
 見どころ以外では、クイーンが音楽を担当し、主題歌「フラッシュのテーマ」を歌っているのが聴きどころか。 (評価:2)

青い珊瑚礁

製作国:アメリカ
日本公開:1980年8月14日
製作:ランダル・クレイザー 原作:ヘンリー・ドヴィア・スタックプール 脚本:ダグラス・デイ・スチュワート 撮影:ネストール・アルメンドロス 音楽:ベイジル・ポールドゥリス

環境ビデオ+児童ポルノとしてはグレードは高い
 原題"The Blue Lagoon"。ラグーンは潟のことでサンゴ礁に限らないが、南太平洋の島が舞台。
 原作はヘンリー・ドヴィア・スタックプールの同名小説で、1949年に続く2度目の映画化。1949年版はイギリス映画で、『黒水仙』(1947)、『ハムレット』(1948)のジーン・シモンズが少女の役。
 船が難破して南太平洋の島に流れ着いた従兄妹の子供2人が、やがて成長して子供を産み、父親に救助されるまでの青春恋愛映画で、本作の見どころは2つしかない。
 1つは撮影地フィジーのThe Blue Lagoonに相応しいサンゴ礁の海の美しさ、野生生物たちで、撮影もこれを意識した映像に収めている。
 もう一つはブルック・シールズ14歳で、『プリティ・ベビー』に次ぐ児童ポルノ並みのシーンが満載。全裸で水中を泳ぐシーンが多いが、残念ながらボカシが入っている。陸上シーンはロングヘアで乳首を隠し、下半身は布で覆うのが基本。
 環境ビデオ+児童ポルノとしてはグレードは高いが、さすがにそれだけでは飽きてしまうので、多少ストーリーが乗っかっているという程度。数年間も原住民に遭遇せずに暮らせるのか? とか言い出したらキリはないが、そうした細かいことは無視して環境ビデオ+児童ポルノを楽しむという姿勢が正しい。 (評価:2)

ラ・ブーム

製作国:フランス
日本公開:1982年3月6日
監督:クロード・ピノトー 製作:アラン・ポワレ 脚本:クロード・ピノトー、ダニエル・トンプソン 撮影:エドモン・セシャン 音楽:ウラディミール・コスマ

AKB程度に親近感と共感を持てる可愛い女の子の物語
 原題"La Boum"は、フランスの若者が自宅で開くダンスパーティーのこと。
 ソフィー・マルソーの13歳のデビュー作で、一躍人気アイドルとなった作品。ソフィー・マルソーはそこそこ可愛いが、改めて観てもそれほど魅力的とも思えず、当時、むしろ女の子に人気があったような気がする。それからすれば、AKB程度に可愛いローティーンの女の子が恋に恋する物語で、AKB程度に親近感と共感を持てる作品だったのかもしれない。
 13歳の少女が同級生の男の子の誕生日のラ・ブームに招かれ、みんなでチーク・ダンスよろしく首に手をまわして躍る。好きな異性がいれば、そこから恋が芽生え、初体験への憧れへと繋がっていく。
 盛りのついた子供たちのませた話に過ぎないが、理解あるオバアチャンが恋の手ほどきをしてくれる上に、パパには愛人がいて、バレてママと別居することになる。腹いせにママもドイツ語教師と浮気して、大人も子供もおフランスな恋愛模様と相成るが、ママは妊娠していて、最後は丸く収まる。
 一言でいえば、ソフィー・マルソーが可愛いと思えなければどうでもいいストーリーで、せいぜいがフランスのラ・ブームの風俗と恋愛事情がわかる程度の作品だが、よく見ているとフランスの社会背景が見えてくる。
 少女が好きになる少年というのが卒業後にホテルマンを志望していて、実習のためにホテルで働いている。物語は少女が14歳の誕生日に開くラ・ブームで終わるが、普通教育が終わる年度で、高等教育と職業教育に振り分けられることになる。
 ラ・ブームは大人になる第一歩の象徴で、少女にとっても大人に向かって異性との関係を築く第一歩となる。そうしたフランスの階層社会が透けて見え、フランスの一般若者たちの共感を得たのかもしれない。
 少女の母親に『禁じられた遊び』(1952)で5歳の女の子を演じたブリジット・フォッセー。 (評価:2)

製作国:ギリシャ、イタリア、西ドイツ
日本公開:1982年3月20日
監督:テオ・アンゲロプロス 製作:ニコス・アンゲロプロス 脚本:テオ・アンゲロプロス、ペトロス・マルカリス 撮影:ジョルゴス・アルヴァニティス 音楽:クリストドゥス・ハラリス
キネマ旬報:5位

叙事詩風な演出は見事だが説明抜きの語り口は不親切
 原題"Ο Μεγαλέξανδρος"で、邦題の意。
 アレクサンダー大王の名を騙る匪賊の首領の物語で、20世紀になったばかりのギリシャが舞台。
 オスマン帝国の支配を脱し、古代ギリシャの滅亡以来、1900年ぶりに国家を再建したギリシャ王国の時代で、イギリスなどの列強の干渉を受けていることが劇中で描かれるように国家は脆弱で、アレクサンダー大王率いる匪賊を始め、共産主義の村、イタリア人のアナーキストなど、混沌としたギリシャの状況が描かれる。
 その中で、匪賊がイギリス人貴族を拉致し、アナーキストと合流して、イギリス人に土地を収奪されようとしている共産村に味方するという義賊ぶりを発揮するが、叙事詩風な演出を狙ったテオ・アンゲロプロスの語り口は観客には不親切で、あまりの寡黙を通り越した説明不足に、物語の背景どころか進行している物語の内容そのものが理解できない。
 ギリシャ近代史を勉強してから見るのを前提とした映画の作りで、古代ギリシャの英雄アレクサンダー大王に対するギリシャ人の評価がわからぬままに、義賊の首領にそれに仮託されても、広大な大帝国を築いたアレクサンダー大王に比べれば匪賊はギリシャ国内のチンケな人物に過ぎず、どうにも両者のイメージが繋がらない。
 冒頭、アンゲロプロス自身が英雄アレクサンダー大王の憂いについて語るが、それが共産村の人々に失望する匪賊の愛国者としての憂いに相似するにしても、あまりに人物のスケールが違い過ぎる。
 1シーン1カットの長回しは必要以上に間延びしていて、これに3時間半付き合わされるのは正直しんどい。
 映像的には丹念なカットづくりに感心するが、とりわけ神殿の遺跡で海からせり上がってくる匪賊のアレクサンダー大王の登場シーンが秀逸。 (評価:2)


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