海月衛 映画帖
~映画の大海原をたゆたう~

外国映画レビュー──1927年

製作国:アメリカ
日本公開:1928年3月30日
監督:ウィリアム・A・ウェルマン 製作:ルシアン・ハバード 脚本:ジョン・モンク・サウンダース、ホープ・ローリング、ルイス・D・ライトン 撮影:ハリー・ペリー
キネマ旬報:5位
アカデミー作品賞

空中戦以外の特撮・合成の映画技術も見所
 原題"Wings"で、飛行機の翼。
 第一次世界大戦での米軍パイロットの活躍を描いたサイレント映画で、一人の女性シルヴィア(ジョヴィナ・ラルストン)を争うライバルの男二人が航空隊に志願。ドラマの常道を踏んで喧嘩して親友となり、コンビを組んでドイツ軍機相手に出撃するが、援護に回ったデヴィッド(リチャード・アーレン)が不時着。死んだと思ったジャック(チャールズ・ロジャーズ)が弔い合戦に出撃するが、デヴィッドは敵軍機を奪って帰還しようとする。それを敵機と誤認したジャックが撃墜。デヴィッドは死んでしまうという悲劇。
 これにラブ・ストーリーが絡み、シルヴィアはデヴィッドに御守の写真を渡そうとするが、ジャックが勘違いして自分の御守にしてしまう。ジャックを慕う幼馴染のメアリー(クララ・ボウ)も従軍するが、ジャックはデヴィッドが死んだ後に勘違いに気づく。
 物語はよく出来ていて、多数の実機を用いた戦闘シーン、空撮シーンも見応えがあり、多数のエキストラを使った当時としても大スペクタクルの大作だったことがわかる。
 サイレントながら2時間半近くを飽きずに見せるが、中盤のクララ・ボウのセックス・アピールが中心となるパリの休暇はやや長くて退屈する。ラストのメアリーとのハッピーエンドも撮って付けた感。
 ミニチュアを使った特撮あり、ブルーバックの合成やアニメーションとの合成ありで、当時の技術を駆使したウェルマンの演出も見どころとなっている。 (評価:2.5)

製作国:アメリカ
日本公開:1927年11月
監督:フランク・ボーゼージ 製作:ウィリアム・フォックス 脚本:ベンジャミン・グレイザー 撮影:アーネスト・パーマー、J・A・ヴァレンタイン 音楽:エルノ・ラペー
キネマ旬報:1位

ハッピーエンドの恋愛映画に終わっているのが残念
 原題"7th Heaven"で、邦題の意。オースティン・ストロングの戯曲"Seventh Heaven"が原作のサイレント映画。
 第七天国は天国の7階層の内、最も神に近い場所。主人公のチコ(チャールズ・ファーレル)は下水道の清掃夫で、7階建てアパルトマンの最上階に住み、そこを第七天国と呼んでいる。
 神を信じないチコに神父はペアのロザリオを渡し、それが宿無しの少女ディアンヌ(ジャネット・ゲイナー)との出会いをもたらす。アパートに住まわすうちに恋が芽生えて結婚。しかし第一次世界大戦が始まって召集され、ロザリオを携帯電話代わりにして毎日11時にテレパシーで心を通わすが、チコは戦死してしまう。
 戦争は終結するが、ディアンヌはチコの悲報を受けて泣き崩れる。愛し合う二人にやっぱり神などいないという悲劇かと思いきや、なんとチコが復活してしまう。
 アパルトマンの階段を上がるチコに、幽霊となっても愛するディアンヌの下に帰ろうとする感動話かと思いきや、なんと戦死は部隊の思い違いで重傷を負っただけという、とても信じられないお粗末。
 第七天国を信じる者を決して神は見捨てたりしないという、シナリオを無視したような宗教的予定調和で終わるのが何ともズッコケる。
 主舞台はパリの裏町とアパルトマンで、空中楼閣のような第七天国のセットが面白い。戦争が始まってからの一部ミニチュア特撮を含むモブシーンが結構頑張っていて、行軍や戦闘シーンも迫力満点で、愛する二人の仲を引き裂く反戦映画の様相も呈するが不発に終わり、単なるハッピーエンドの恋愛映画に終わっているのが残念な作品。 (評価:2.5)

製作国:アメリカ
日本公開:1927年10月
監督:メリアン・C・クーパー、アーネスト・B・シュードサック 製作:メリアン・C・クーパー 脚本:メリアン・C・クーパー、アーネスト・B・シュードサック 撮影:アーネスト・B・シュードサック
キネマ旬報:6位

『世界残酷物語』の源流を見い出す見世物ドキュメンタリー
 原題"Chang: A Drama of the Wilderness"で、チャング:野生のドラマの意。Changはタイ語で象の事。
 タイ北部の密林に住む一家が、自然の中で野生動物を相手にした生活をしている様子を描く疑似ドキュメンタリー。
 演出や編集で作為的にストーリーを組み立てていて、首を傾げたくなるシーンも多いが、虎や豹、象、水牛、手長猿といった当時としては珍奇な動物が登場し、未開なアジア人の生活と相俟った見世物映画になっている。
 ストーリーは、密林の高床式住宅に住むクルーが、家畜の山羊を襲う豹を罠で捕獲する。次に来るのが水牛を襲う虎で、集落まで下りて村人たちの協力を得、虎を射殺する。更に畑を荒らす象を落とし穴で掴まえるが、逆に象を調教して移動や運搬、伐採の道具として使うようになり、一家に動物と暮らす平和な原始生活が戻るというエンディング。
 小象捕獲に怒った象の群れが村に押し寄せて、家を破壊するシーンや、猛獣が家畜を襲うシーンは迫力があって、『ダーウィンが来た』の過激版としては面白いが、虎の射殺シーンは野生動物保護に反するので子供には見せられない。
 ヤラセを含めたドキュメンタリーのエンタテイメント化の歴史を知る上では意義深い作品で、未開なタイ人一家が珍しい野生動物と並列になっていて、ヤコペッティの『世界残酷物語』(1962)の源流を見い出すことができる。
 ペットだけでなく子供たちが可愛い。 (評価:2.5)

製作国:アメリカ
日本公開:1928年1月
監督:ジョセフ・フォン・スタンバーグ 脚本:ロバート・N・リー 撮影:バート・グレノン
キネマ旬報:2位

ギャング映画の割にアクションシーンが少ないのが物足りない
 原題"Underworld"で、邦題の意。史上初のギャング映画といわれるサイレントで、ベン・ヘクトがアカデミー原案賞を受賞した。
 銀行強盗を酔っぱらいのロールス・ロイス(クライヴ・ブルック)に目撃されたギャングのブル(ジョージ・バンクロフト)は、ロールス・ロイスを拉致して連れ帰る。ロールス・ロイスが掃除夫をしているカフェにブルの同業者ムリガン(フレッド・コーラー)が現れ、ロールス・ロイスを侮辱。それを見たブルがロールス・ロイスを守り、ムリガンと対立することに。
 元弁護士のロールス・ロイスは酒を断ってブルの知恵袋となるが、やがてブルの女フェザース(イヴリン・ブレント)と惹かれ合うようになる。ギャングたちの休息日、パーティの女王となったフェザースをムリガンがモノにしようとし、怒ったブルが射殺してしまう。
 ブルは警察に捕まり死刑を受ける身となるが、恩義のあるロールス・ロイスはブルを脱獄させようと計画を練るが見破られて失敗。一方、ブルはフェザースと恋仲のロールス・ロイスを信用せず独力で脱獄。
 それを知らないフェザースは、ブルを助けずに駆け落ちをロールス・ロイスに持ち掛ける。もちろん、それに乗ったらドラマにならないわけで、ロールス・ロイスはブルとの信義を貫き、それを意気に感じたブルは包囲する警官隊に投降して二人を逃がす。
 女と仁義の板挟みという極道の任侠は、ヤクザもギャングも同じというわけだが、これを1時間半のサイレントで見せられるのはやはり辛い。ラブロマンスに比重が傾き、ギャング映画の割にアクションシーンが少ないのが物足りない。 (評価:2.5)

製作国:ドイツ
日本公開:1929年4月3日
監督:フリッツ・ラング 製作:エリッヒ・ポマー 脚本:テア・フォン・ハルボウ、フリッツ・ラング 撮影:カール・フロイント、ギュンター・リター 音楽:ゴットフリート・フッペルツ
キネマ旬報:4位

歴史的価値のあるSFサイレント映画だが、ラストは欺瞞的
 原題"Metropolis"で、中心都市の意。
 21世紀のディストピアの未来を描いたSFで、高度に機械化された都市の地下で労働者たちは部品の一つのように働き、人間らしさは失われている。
 9年後に制作されたチャップリンの『モダン・タイムス』(1936)と同じような世界観で、産業革命後の資本家と労働者の二極化、その中で民衆が人間らしさを失っていくことへの不安が描かれていて、ITやAI革命によって生き残る者と切り捨てられる者の二極化の不安に怯える現代社会と相似するものがある。
 『メトロポリス』では、労働者は職住共に蟻のように地下で生活し、地上には資本家とその後継者たちが暮らす楽園がある。
 その地上世界の頂点に立つ資本家フレーダーセン(アルフレート・アーベル)の息子フレーダー(グスタフ・フレーリッヒ)が、労働者たちの聖母マリア(ブリギッテ・ヘルム)を見初め、地下世界の実態を知ったことから労働者たちに心を寄せるようになるが、死んだフレーダーの母を取り合ったことからフレーダーセンを憎む科学者ロトワング(ルドルフ・クライン=ロッゲ)は、労働者たちの反乱を鎮圧するためと欺いてマリアに似せたアンドロイドを製作。アンドロイドに労働者たちを扇動させて工場を破壊。そのために最下層にある労働者たちの住居は水没し、労働者たちの子供たちは危機に瀕する。
 漸く事態に気づいた労働者たちはマリアのアンドロイドを魔女として火刑に処すと中から金属の体が露出。騙されていたことに気づく。
 一方、フレーダーと本物のマリアが子供たちを救出。フレーダーがフレーダーセンと労働者の代表の仲介役となって和解。資本家と労働者が手を結ぶという大団円となる。
 もっとも、これでは何が円満解決したのか不明で、劇中の字幕では「頭脳(資本家)と手(労働者)を媒介するのは心」という欺瞞的なフレーズでお茶を濁している。
 大胆に未来を予測したサイレント期のSF作品という歴史的価値と、セットやミニチュア撮影、特殊効果を駆使し、アンドロイドまで登場させた力作という点が見どころとなっているが、それ以上のものはない。 (評価:2.5)

製作国:アメリカ
日本公開:不明
監督:ハリー・A・ポラード 撮影:ジェコブ・カル、チャールズ・ステューマー
キネマ旬報:8位

奴隷を白人が演じるためにまるで白人奴隷のような錯覚に陥る
 原題"Uncle Tom's Cabin"で、アンクル・トムの小屋の意。ハリエット・ビーチャー・ストウの同名小説を原作とするサイレント映画。
 ケンタッキーの農場主シェルビー(ジャック・モワー)は奴隷たちに優しかったが、苦境に陥り、トム(ジェームズ・B・ロウ)とエリザ(マーガリータ・フィッシャー)の息子ハリー(ラッシー・ルー・アハーン)を奴隷商人に売ることになる。エリザの夫ジョージ(アーサー・エドモンド・カリュー)はハリスの奴隷だったが、別の女と結婚させられることになったことからカナダに逃走。エリザもまたハリーを連れて逃げ出すという物語。
 売られたトム、逃亡したエリザ、ハリーがそれぞれに再び奴隷となり、再会・別離を繰り返した挙句、トムとエリザが再会。エリザはトムの主人レグリー(ジョージ・シーグマン)の妾カッシー(ユーラリー・ジェンセンl)が、実母であることを知る。
 レグリーはトムを虐待死させ、その幽霊を見て半狂乱となって階段から墜落死。ハリーの消息を知り探し出したジョージは進軍する北軍と共に、エリザとの再会を果たすというハッピーエンド。
 トムのジェームズ・B・ロウは黒人だが、エリザ、ジョージを始めとしたメインの黒人奴隷たちが混血のために肌の色が薄いという設定で、白人がホワイトウォッシングで演じているため、白人と奴隷の区別が判然とせず、まるで白人奴隷がいるような錯覚に陥る。
 この違和感は最後まで続き、映画の出来とは別に本作が今一つ共感できない原因になっている。 (評価:2.5)

製作国:アメリカ
日本公開:1928年9月21日
監督:F・W・ムルナウ 脚本:カール・マイヤー 撮影:チャールズ・ロッシャー、カール・ストラス
キネマ旬報:1位

ドイツ表現主義の映像美を堪能するには覚悟が要る
 原題"Sunrise: A Song of Two Humans"。ドイツの小説家ヘルマン・ズーデルマンの短編"Die Reise nach Tilsit"(ティルジットへの旅行)が原作のサイレント作品。ティルジットは東プロイセンの町で、現在はリトアニアに接するネマン川南岸のロシア領ソヴィェツク。
 映画の冒頭には"no place and every place"と字幕されるが、ティルジットをイメージした都市にほど近い海辺の夏の避暑地が舞台となる。
 男(ジョージ・オブライエン)はモダンな都会女(マーガレット・リビングストン)と浮気をした挙句、その女に農場を売って街に行こうと誘われ、邪魔な妻(ジャネット・ゲイナー)を殺すように言われる。男は妻をボートに乗せて転覆事故に見せかけて殺そうとして思い留まるが、怯えた妻は逃げ出し、追いかける男とともに舞台は街へ。
 男は謝罪し、二人で街を歩いていると、教会の結婚式に出くわす。そこで誓いの言葉を聞いた二人はようやく愛情を取り戻し、床屋に行き、写真屋で記念写真を撮り、遊園地に行き、ダンスを踊り酒を飲んで楽しい一日を過ごす。
 第二のハネムーン気分に浸った二人は月明かりの中をボートで村に帰るが、突然の嵐に見舞われボートは転覆、妻は行方不明となってしまう。
 村人たちの捜索虚しく妻は絶望的となり、愛人が望んだ結果となるが、身勝手な男は彼女に八つ当たり。もちろん結末は日の出とともにハッピーエンドを迎えるが、妻はこんなカメレオン男と本当に幸せになれるのか不安になる。
 ムルナウがアメリカに渡って最初の作品で、映像的にはドイツ表現主義を体現する素晴らしい作品。もっとも字幕を排した映像表現は、俳優の過剰に説明的な演技に頼りすぎて、進行が超スローテンポで睡魔を呼び寄せるほどにかったるく、映像美を堪能するためには相当の覚悟が要る。
 ジョージ・オブライエンとマーガレット・リビングストンの演技に対し、ジャネット・ゲイナーが演じるシーンになると急に目が覚めるのは、さすが『第七天国』(1927)『街の天使』(1928)と併せて第1回アカデミー主演女優賞を受賞しただけのことはある。 (評価:2)

製作国:アメリカ
日本公開:1929年10月
監督:エルンスト・ルビッチ 脚本:ハンス・クレイリー 撮影:ジョン・メスコール
キネマ旬報:9位

王族の不自由を描く為政者に媚びた感傷ドラマ
 原題"The Student Prince in Old Heidelberg"で、古きハイデルベルクの学生皇子の意。ヴィルヘルム・マイエル・フェルステルの小説"Karl Heinrich"(カール・ハインリッヒ)を基にした、フェルステル自身の戯曲"Alt-Heidelberg"(古きハイデルベルク)が原作のサイレント映画。
 ザクセンのカールブルク公国(架空)の皇子カール・ハインリッヒ(ラモン・ノヴァロ)が、ドイツ最古のハイデルベルク大学に遊学、下宿屋の娘ケーティ(ノーマ・シアラー)と恋に落ちる。
 しかし身分の違う二人には叶わぬ恋で、大公カール7世(グスタフ・フォン・セイファーティッツ)の危篤にハインリッヒは国許に呼び返され、公女との結婚を承諾させられる。
 カール7世が死去し、大公となったハインリッヒはハイデルベルクを訪れ、ケーティとの一日だけの逢瀬と永遠の別れを告げる、という悲恋物語。
 最初から結果のわかっている悲恋物語ほど退屈なものはなく、前半の幼少期の家庭教師との交遊は微笑ましいが、物語がケーティとの恋愛に移った途端、工夫のないイチャイチャ話に飽きが来る。
 物語は予定通りに進み、ラストはハインリッヒが皇位を捨てるか、ケーティが死なないとエンディングを迎えられない流れなのだが、なんとそのどちらでもなく、身分違いの叶わぬ恋でしたでは1時間46分が虚しい。
 幼少期は、平民の子らが「何不自由のない暮らしの皇子が羨ましい」と言い、そんなことはなく、友達もなく周囲は大人だらけの不幸な皇子を演出。青年になってからのラストも、平民に「何不自由のない暮らしの大公が羨ましい」と言わせ、そんなことはなく、恋もままならない皇子を見せ、王族の不自由さを描くという、為政者に媚びへつらう感傷ドラマとなっている。 (評価:2)