海月衛 映画帖
~映画の大海原をたゆたう~

外国映画レビュー──1925年

製作国:アメリカ
日本公開:1927年9月
監督:キング・ヴィダー 脚本:ハリー・ベーン 撮影:ジョン・アーノルド 音楽:ウィリアム・アクスト
キネマ旬報:3位

愛国者たちの欺瞞と戦争の不条理と悲惨を描くサイレント
 原題"The Big Parade"で、大行軍の意。
 アメリカのブルジョア家庭のドラ息子ジム(ジョン・ギルバート)が、恋人におだてられて第一次世界大戦の志願兵となり、片足を失って復員するまでの物語。前半は後方での戦友との交流や、フランス農場の娘メリサンド(ルネ・アドレー)との恋物語を中心とした平和なサイレント・コメディになっているが、前線に赴く大行軍後の後半はドイツ軍とのシリアスな戦闘場面に一転する。
 狙撃兵に撃たれながらも屍を乗り越えて前進を続ける兵士たち。機関銃の掃射を受けながらも突撃し、敵の塹壕に手榴弾を投げる決死隊。主人公の戦友スリム(カール・デイン)が戦死し、もう一人の戦友ブル(トム・オブライエン)とともになおも突撃命令を受ける中で、兵士を単なる駒として使い捨てにする戦争の不条理と悲惨に憤る。
 復員した主人公は英雄として迎えられるが、送り出した恋人は兄に鞍替えしていて、愛国者や英雄とおだてる銃後の人々の欺瞞性をも暴く。
 ラストは主人公が母(クレイル・マクドウェル)の愛に送り出されてフランスに向かい、農場の娘を探し当てて再会するシーンで終わるが、1971年にトランボが『ジョニーは戦場へ行った』で描いた第一次世界大戦の悲惨よりも半世紀早く、植民地主義の時代にヴィダーがこのような反戦映画を創ったヒューマニズムとアメリカの寛容に感嘆する。
 後半の戦闘シーンは迫真の映像で、戦闘車両とともに大平原の一直線の道を進むビッグ・パレードともども大きな見どころ。
 120分と若干冗長だが、ラストの再会のシーンを含めて抒情的な映像のサイレント映画となっている。 (評価:4)

製作国:アメリカ
日本公開:1926年4月
監督:ヘンリー・キング 製作:サミュエル・ゴールドウィン 脚本:フランセス・マリオン 撮影:アーサー・エディソン
キネマ旬報:3位

粗野な母と清純な娘の愛を静謐に描いたサイレントの佳作
 原題"Stella Dallas"で、主人公の名。オリーヴ・ヒギンズ・プローティの同名小説が原作。
 労働者階級の娘ステラ(ベル・ベネット)が上流育ちのスティーブン・ダラス(ロナルド・コールマン)と結婚、一女ローレル(ロイス・モラン)を儲けるが、自分の育ちが娘の結婚に支障することを知って離婚。夫をかつての恋人ヘレン(アリス・ジョイス)と再婚させ、ヘレンの子として送り出すという涙の母の物語。
 ベネットの熱演もあり、サイレントながら感動を誘う母娘のドラマとなっている。
 スティーブンは父の横領と自殺で世間から身を隠してサラリーマンとなるが、ヘレンが結婚したのを知って落胆、孤独に陥ったところをステラに優しくされて結婚する。
 ステラは娘を設け幸せな家庭生活を送るが、スティーブンとは住む世界が違っていて、社交クラブに馴染まない。
 昔馴染みの調馬師エド(ジーン・ハーショルト)との交遊に安らぎを見出す中、夫がニューヨークに転勤となり、同行を拒んで別居生活となるが、離婚の噂が立ち、エドとの関係を疑われ、娘を夫に引き取られることになる。
 スティーブンはニューヨークで未亡人となったヘレンに再会。ステラに離婚を申し出るも、娘を手放せないと断られてしまう。
 成長したローレルと共に夏休みの保養地に出かけたステラは、上流界の人々と馴染めず部屋に引き籠ってしまう。ローレルは好青年のリチャード(ダグラス・フェアバンクス・ジュニア)と恋に落ちるが、母が嘲笑の的となっていることを知り、リチャードに紹介することを避けてホテルを引き払ってしまう。
 ところが帰りの寝台列車で保養地帰りの娘たちが、奇態なステラのせいでローレルはスティーブンと結婚できないと話すのがローレルの耳に入る。
 寝たふりをして娘を安心させたステラはヘレンを訪ねて再婚の意思を確かめ、ローレルはヘレン・ダラスの娘として結婚させたいと言って、スティーブンとの離婚に同意。事情を知ったローレルは翻意させるために母を訪ねるが、ステラはエドと結婚すると言って追い返す。
 ステラの思いを果たすべく、スティーブンとヘレンは結婚。ローレルも結婚式を挙げる。ヘレンはきっとステラが見に来るだろうと思い、式場の窓のブラインドを上げさせる。
 雨の中、ローレルの花嫁姿を観に来たステラが誓いのキスを確かめ、警官に追われるように去っていく姿でエンドマークとなる。
 娘が唯一の心の支えだったステラと、粗野な母に思いを寄せるローレルの母娘愛をサイレントらしく静謐に描いた佳作。 (評価:3.5)

製作国:アメリカ
日本公開:1925年12月17日
監督:チャールズ・チャップリン 製作:チャールズ・チャップリン 脚本:チャールズ・チャップリン 撮影:ローランド・トザロー 音楽:チャールズ・チャップリン
キネマ旬報:1位

ゴールド・ラッシュがテーマになっていないのが残念
 原題は"The Gold Rush"。1942年に制作されたチャップリン自身がナレーションを入れたサウンド版を視聴。
 ゴールド・ラッシュを題材にした初の長編サイレント作品。代表作だが、ギャグを繋いだだけのまとまりのなさと若干の退屈さは否めない。
 金の採掘にアラスカに集まる男たち。過酷な自然に遭難者も相次ぐ中、山小屋ににチャップリンがやってくる。金鉱掘りとお尋ね者とのひと悶着の後、舞台は町に。チャップリンは踊り子に恋するが、約束をすっぽかされてり寂しく大晦日を送る。記憶喪失の金鉱掘りが現れ、チャップリンと共に金鉱の在り処を見つけ、二人は大富豪。船で踊り子に再会してハッピーエンド。
 崖の端で傾く小屋、鶏の幻影、フォークを突き刺したロールパン2個でダンスさせるシーンなど、アイディアがたっぷり詰まっているが、チャップリンのパントマイムが楽しめる。中でも、靴を茹でて食べるシーンは有名。ただ、その後のヒューマンなチャップリン作品からすると、凍死したり、銃で殺したり、雪崩で死んだりというシーンは、いくら悪党とはいえ後味の悪さが残り、チャップリン作品には相応しくない。
 ギャグも楽しく、一応ストーリー仕立てにはなっているが、ゴールド・ラッシュを題材にした割には周辺の話ばかりで、ゴールド・ラッシュそのものがテーマになっていないのが残念。 (評価:3)

製作国:アメリカ
日本公開:1926年8月
監督:ミラード・ウェッブ 脚本:ベス・メレディス 撮影:バイロン・ハスキン
キネマ旬報:4位

丁寧で凝った演出でとりわけ嵐のシーンが凄い
 原題"The Sea Beast"で、邦題の意。ハーマン・メルヴィルの小説"Moby-Dick; or, The Whale"(モビィ・ディック;または鯨)が原作。
 原作をもとに主人公エイハブ(ジョン・バリモア)のドラマを膨らませたハリウッドらしいラブ・ストーリー仕立て。エイハブが白鯨モディ・ディックに片足を喰われる原因を作ったのが異母弟のデレック(ジョージ・オハラ)で、エイハブの恋人エスター(ドロレス・コステロ)を手に入れるためという設定になっている。
 片足をなくしたことでエスターをデレックに奪われてしまったエイハブは、やさぐれて捕鯨船の船長となり、仇敵モディ・ディックを追いかけることになるが、元船員に本当の敵はデレックだと教えられ、復讐を果たすことになる。
 エスターに見放されたと思ったのは誤解で、原作とは違いモディ・ディレックを倒した後、エスターと再会して抱擁するというアメリカ人好みのハッピーエンドとなっているが、原作を換骨奪胎してよくできたシナリオで違和感はない。
 捕鯨船のセットや船員たちの操船、マストから真下を見下ろす撮影手法やモブシーンなど、全体に丁寧で凝った演出で、とりわけ後半の嵐のシーンが凄い。波浪に帆船が翻弄されるミニチュア特撮シーンの出来は、現在と比べても遜色ないどころかより丁寧で、デッキを大波が洗うセット撮影シーンのクオリティは半端でなく見事。エンタテイメントに対するリアリティへのこだわりと、それを実現するための時間と金と労力の掛け方は、サイレント時代からハリウッドが抜きん出ていたことが見て取れる。 (評価:3)

戦艦ポチョムキン

製作国:ソ連
日本公開:1967年10月4日
監督:セルゲイ・M・エイゼンシュテイン 脚本:ニーナ=アガジャーノ・シュトコ、セルゲイ・M・エイゼンシュテイン 撮影:エドゥアルド・ティッセ 美術:ワシーリー・ラハリス 音楽:ウラディミール・クリュコフ

ドキュメンタリー風な卓越した映像センスが見どころ
 原題"Броненосец Потёмкин"で、邦題の意。
 エイゼンシュテインの長編第2作で、1905年の戦艦ポチョムキンの反乱を描いたサイレント映画で、乳母車の階段落ちが有名。  日本のロシア人捕虜よりもひどい待遇のポチョムキンの水兵たちが、司令官の非道に耐えかねて反乱を起こし軍艦を乗っ取るという話で、水兵の革命の第一線に加われという呼びかけにオデッサの市民が応えるが、帝国ロシア海軍の虐殺を受け、乳母車の階段落ちシーンとなる。
 この一連のシーンではいざりも登場するなど、エイゼンシュテインのリアリズムの面目躍如で、モンタージュのカット技法など映画史的には重要な作品となっているが、敵対する黒海艦隊とのクライマックスの対決も同志愛に置き換わるという、第1次ロシア革命20周年記念に相応しい、革命精神を昂揚する為のプロパガンダ映画であることには変わりなく、映画として楽しめるかというと微妙な作品になっている。
 全編オールロケによるドキュメンタリー風な映像や、船首を見下ろすようなカメラワーク、階段落ちのシークエンスなど、エイゼンシュテインの卓越した映像センスが大きな見どころ。 (評価:2.5)

製作国:ドイツ
日本公開:1927年5月
監督:E・A・デュポン 脚本:E・A・デュポン、レオ・ビリンスキー 撮影:カール・フロイント
キネマ旬報:2位

空中ブランコを観客席の上でやるというのが驚き
 原題"Varieté"で、舞台での寄席・演芸のバラエティ(ボードビル)のこと。フリードリッヒ・ホレンダーの小説"Der Eid des Stephan Huller"(ステファン・ハラーの宣誓)が原作。
 バラエティの空中曲芸師ステファン・ハラー(エミール・ヤニングス)が10年間の服役を経た釈放申請により、刑務所長に自分が犯した罪の詳細を語るという回顧形式のサイレント映画。
 回顧はステファンと若妻ベルタ(リア・デ・プッティ)のラブラブシーンから始まるが、解説によればこれはアメリカ公開版で、オリジナルはベルタと出会ったステファンが先妻を捨てるエピソードがあるという。このカットにより、公開版は57分と短い。
 ベルリンで行われる謝肉祭のバラエティに出演予定だった有名な空中曲芸師アルティネリ(ウォーウィック・ウォード)が兄の事故で出演できなくなり、興行師の紹介でハラー夫妻とトリオを組むことになり、3人は人気を博す。ところが二枚目アルティネリは若くて美人のベルタを誘惑。不倫を知ったステファンがアルティネリを刺殺、自首するまでの顛末が描かれる。
 必要最小限の字幕であるにも拘らず、情景・心理描写の演出が上手く、ストーリーとドラマがすんなり入ってくる。とりわけ俳優たちの優れた感情表現が大きな見どころ。
 空中曲芸は要は空中ブランコなのだが、ステージではなく観客席の上でやるというのが驚きで、当時のバラエティの様子が興味深い。空中ブランコの実演はもちろん吹き替えだが、リア・デ・プッティや、とりわけエミール・ヤニングスが曲芸のできる体型でないのが何ともいえないが、演技力でそれを補う。
 ステファンがアルティネリに殺意を抱いて、演技中に落下させる空想を抱くが、結局は刺殺というのがドラマ的にはミソ。ステファンの真面目人間ぶりが刑務所長に伝わるようになっている。 (評価:2.5)

製作国:アメリカ
日本公開:1928年9月
監督:フレッド・ニブロ 翻案:ジューン・メイシス 脚本:ケイリー・ウィルソン、ベス・メレディス 撮影:ルネ・ガイザート、カール・ストラス、パーシー・ヒルバーン、クライド・デ・ヴィンナ 音楽:ウィリアム・アクスト
キネマ旬報:4位

エキストラ、舞台装置、競技場、船舶などの物量が凄い
 原題"Ben-Hur: A Tale of the Christ"で、ベン・ハー:キリストの物語の意。ルー・ウォーレスの同名小説が原作。1907年版に続く2回目の映画化。
 2時間21分のサイレント映画。12万人のエキストラを動員したスペクタクル超大作で、迫力ある戦車レースシーンや海戦シーンなど、1959年のウィリアム・ワイラー版にそのまま踏襲されているが、舞台装置や競技場、船舶などの物量では上回っている。
 ベン・ハー(ラモン・ノヴァロ)がメッサーラ(フランシス・X・ブッシュマン)との戦車レースに勝つまでは軽快なテンポで進むが、その後の母妹との再会までのシーンはセンチメンタルに描こうとし過ぎて相当に間延びしている。
 物語はユダヤ王族の王子ベン・ハーが、ピラト総督の赴任の際に過って皿を落としたことから、ローマ人の幼馴染メッサーラに逮捕され、ローマ軍のガレー船の奴隷となる。海賊に襲われアリウス提督(フランク・カリアー)を助けたことから養子に迎えられ、母妹の消息を求めて故郷に。メッサーラと戦車競走をすることになり、勝利。母妹は癩病に罹っているが、ゴルゴダの丘に向かうイエスの奇跡で回復。受難のイエスの復活を信じて終わる。イエスとの絡みは、他に奴隷のベン・ハーを水で癒すシーン。
 初期サイレントのボディ・ランゲージによるオーバーアクションの演技で、舞台風な演出法。イエス誕生など部分的に二色法カラーが使われているのも見どころ。 (評価:2.5)

製作国:アメリカ
日本公開:1925年10月
監督:ドナルド・クリスプ 脚本:ジャック・カニンガム 撮影:ヘンリー・シャープ
キネマ旬報:(娯楽的に最も優れた映画)2位

紙を破いたり煙草の火を点けたりする鞭捌きが見もの
 原題"Don Q, Son of Zorro"で、ドンQ、ゾロの息子の意。ドンQはゾロ、ドン・ディエゴ・デ・ラ・ベガの息子セザールが名乗る偽名。
 ヘスケス・プリチャードの小説"Don Q.'s Love Story"が原作で、奇傑ゾロ(1920)の続編。
 ゾロの息子セザール(ダグラス・フェアバンクス)が、学業のためにカリフォルニアから故国スペインにやってきたという設定で、美しい娘ドロレス(メアリー・アスター)と互いに一目惚れしてしまう。ドロレスの父デ・ムーロ将軍(ジャック・マクドナルド)はセザールの父ゾロと旧友というのがアドバンテージで、イザベラ女王の従兄のオーストリア、パウル大公(ワーナー オーランド)が二人の仲を取り持つ。
 ところが宮殿警備隊のドン・セバスチャン(ドナルド・クリスプ)が婚約を申し出ていて、セザールと反目。舞踏会で怒りから大公を刺殺してしまう。そこに居合わせたセザールを犯人に仕立てるが、大公のダイイング・メッセージを手に入れたドン・ファブリク(ジーン・ハーショルト)がセバスチャンを強請って、市長の地位を約束させる。
 セザールは自殺したと見せかけて窮地を脱し、ベガ家の古城に隠れる。一方、失意のドロレスは無理矢理セバスチャンと結婚させられそうになるが、セザールの妨害で生存を知る。
 以下、女王の命を受けたマツァド大佐(アルバート・マッカリー)の追跡、マツァド大佐に化けたセザールのファブリク捕縛、真実の発覚を恐れるセバスチャン率いる宮殿警備隊の古城襲撃となるが、手紙で息子の窮地を知ったゾロ(ダグラス・フェアバンクスの二役)がカリフォルニアから駆け付け、息子と共に大公のダイイング・メッセージをファブリクから奪い、息子の濡れ衣を晴らす。
 ゾロとムーロ将軍の再会、セザールとドロレスの抱擁でハッピーエンドとなる。
 娯楽作として楽しめるサイレント映画で、見どころは軽業師のようなフェアバンクスのアクション。鞭を使って紙を破いたり、煙草の火を点けたりといった鞭捌きを披露する。 (評価:2.5)

製作国:アメリカ
日本公開:1925年9月26日
監督:ルパート・ジュリアン 製作:カール・レムリ 脚本:エリオット・クローソン、レイモンド・シャロック 撮影:バージル・ミラー
キネマ旬報:(娯楽的に最も優れた映画)6位

オペラなのにサイレントだが想像力を喚起させる作品
 原題"The Phantom of the Opera"で、オペラの幽霊の意。ガストン・ルルーの小説"Le Fantôme de l'Opéra"が原作。
 これまでに幾度となく映画化されている作品で、ルパート・ジュリアン版は2回目に映画化されたサイレント作品。ラストシーンが原作とは異なり、怪人(ロン・チェイニー)はオペラ座の地下室では死なず、観客たちに追われセーヌ川に突き落とされて死ぬ。このため、原作の怪人がクリスティーヌ(メアリー・フィルビン)に寄せる悲恋の要素が薄れているのが、ドラマ的には物足りない。
 最終版の完成までに曲折があって、映像そのものは良くできているがストーリーは淡泊。怪人がクリスティーヌに寄せる思い、怪人によってクリスティーヌがプリマとなっていく過程がないのがつまらない。
 ユニバーサル・スタジオに造られたパリ・オペラ座の本格的なセットを始め、地下の地底湖とゴンドラ、楽屋の鏡の隠し扉など、美術が大きな見どころとなっていて、シャンデリアが落下する前半の最大の見せ場も迫力がある。
 途中に挟まる仮面舞踏会のシーンは、2色テクニカラーによるパートカラーとなっていて、オペラ座の華麗な雰囲気が演出されている。
 クリスティーヌ役のメアリー・フィルビンの過剰な演技を除けば見どころの多い作品で、怪人役のチェイニーが自ら考案した髑髏のようなメイクも妙なリアリティがある。
 オペラが題材なのにサイレントという物足りなさはあるが、逆に想像力を喚起させる作品になっている。 (評価:2.5)

製作国:アメリカ
日本公開:1925年7月
監督:クラレンス・ブラウン 脚本:メルヴィル・W・ブラウン、サダ・コーワン、ハワード・ヒギン 撮影:ジャクソン・ローズ
キネマ旬報:(芸術的に最も優れた映画)6位

誰も幸せにはなれない哀愁のメロドラマ
 原題"Smouldering Fires"で、燻る炎の意。
 中年女と結婚した若者が、その若い妹に恋してしまうというメロドラマで、姉が40歳、妹が20歳という設定にいささか無理はあるが、哀愁漂う中年女を演じるポーリン・フレデリックがいい。
 サイレント映画なので説明が足りないが、主人公のジェーンは亡くなった父の会社を引き継いで19年、独身のままに子供服を作る工場を経営。二代目女社長だからというわけか、会社幹部は表向きはイエスマンだが、社長を舐めきっていて規律も緩みがち。
 そこに若者ロバート(マルコム・マクレガー)がジェーンに直言。それが逆に信頼を買い、あれよあれよという間にナンバー2に昇進してしまう。
 社長への尊敬が愛という形に変わり、ジェーンもこの頼もしい若者に恋してしまう。年の差も何のそのと婚約まで突き進むが、そこに若くて可愛い妹ドロシー(ローラ・ラ・プラント)登場。初めは逆玉狙いとロバートを邪険にするが、ロバートがドロシーに惚れたことを知って、両想いになってしまう。
 しかし40歳にして幸せを掴んだ姉を裏切るわけにもいかず、ジェーンとロバートは結婚。ところがジェーンは夫と妹が愛し合っていることに気づき、妹21歳の誕生日に夫を妹に譲ろうとする。
 三人の初めての出会い、ドロシーとロバートが愛し合ってしまった時、そして悲劇的なラストと、三人が肩を抱き合うシーンを象徴的に繰り返すが、ドロシーとロバートがめでたく結婚というわけにもいかず、複雑な三人の表情で終わるラストシーンがどうにも中途半端。
 これぞ誰も幸せにはなれない哀愁のメロドラマという、切ない幕切れとなっている。 (評価:2.5)

製作国:アメリカ
日本公開:1926年9月
監督:ジョージ・B・サイツ 脚本:エセル・ドハティ、ルシアン・ハバード 撮影:ハリー・ペリー、チャールズ・エドガー・ショーンバウム
キネマ旬報:10位

ステレオタイプながら先住民の歴史を描く意欲は買える
 原題"The Vanishing American"で、消えゆくアメリカ人の意。ゼイン・グレイの同名小説が原作のサイレント映画。
 アメリカの先住民族の歴史を描いた作品で、先住民はタイトルではAmerican、字幕ではIndianと表記されている。
 アメリカ西部のモニュメント・バレーの穴居時代から始まり、先住民同士の争い、16世紀のスペイン人の侵入、アメリカ建国とインディアン戦争を経て、先住民を平定するまでのアメリカ西部史のプロローグがあり、続いて西部の町メサを舞台とする先住民と白人のドラマとなる。
 原作では、入植者や宣教師たちを先住民を食い物にして強制的に改宗させる侵略者として描いているが、映画化に際しては登場人物の役人ブッカー(ノア・ビアリー)にすべての悪徳を背負わせて、白人を先住民に理解ある善人として描いている。
 それでも町を支配するのは白人で、先住民はホームレスのように差別的に扱われている。その中で先住民の良き理解者となるのが、定番の先住民の子供を教える学校教師マリオン(ロイス・ウィルソン)。先住民の青年リーダー・ノファイエ(リチャード・ディックス)に優しくするために白人たちから仲を勘ぐられる。
 軍馬調達のために陸軍士官(マルコム・マグレガー)がやってきて、先住民をアメリカ人と認めたことから、ノファイエ以下先住民青年たちが国家のためと第一次世界大戦に志願。帰還するとブッカーが町を支配し先住民の土地が奪われていて、怒った青年たちはブッカーに戦いを挑む。
 マリオンが陸軍士官と結婚したと聞かされたノファイエは傷心するが、事実ではなく、「待っていたわ」の言葉にのぼせ、先住民とブッカーの戦いを止めようとして被弾。マリオンの胸の中で息を引き取る。
 インディアンと白人娘を結婚させるわけにもいかず、マリオンの想いは曖昧なまま、白人感情に配慮した上手いラストになっている。
 ヒューマニストとして描かれる白人像はステレオタイプだが、先住民とその歴史への理解のために、批判の多い原作を曲がりなりにも映画化した制作者の意欲は買える。
 アメリカ西部の砂漠でロケされた映像も大きな見どころ。 (評価:2.5)

製作国:アメリカ
日本公開:1926年
監督:フレッド・ニューメイヤー、サム・テイラー 製作:ハロルド・ロイド 脚本:ジョン・グレイ、サム・テイラー、ティム・フェーラン、テッド・ワイルド 撮影:ウォルター・ランディン
キネマ旬報:9位

ロイドの真面目青年ぶりが爽やかなコメディ
 原題"The Freshman"で、新入生の意。ハロルド・ロイド主演のサイレント・コメディ。
 映画で見たカレッジヒーローに憧れて大学生になったハロルドは、人気者を目指して大学へ。田舎者で純朴なハロルドは、早速大学生たちにカモにされて、"Speedy the spender"(散財屋スピーディ)のニックネームをもらう。カレッジヒーローになるべくフットボールチームに入るが、補欠とは名ばかりの水汲みに。さらに仲間に乗せられてダンスパーティーを主催して人気者になろうとするが、失敗続きで漸くみんなの笑い者になっていることに気づく。
 汚名を挽回するためにフットボールの試合に参加するが、もとよりベンチウォーマー。ところがチームが弱すぎて選手が次々と怪我をして退場。やむなくハロルドが参戦するが、どういうわけか逆転トライを成功させてしまい、一躍ヒーローに。併せてハロルドを応援する下宿屋の娘(ジョビナ・ラルストン)との恋も成就して、というハッピーエンド。
 ダンスパーティでの仮縫いの正装が破れるギャグを中心に、フットボールのスラップスティックなど、ロイドの真面目青年ぶりから生まれるギャグが爽やかなコメディとなっている。 (評価:2.5)

ストライキ

製作国:ソ連
日本公開:1970年11月24日
監督:セルゲイ・M・エイゼンシュテイン 脚本:セルゲイ・M・エイゼンシュテイン、ワレーリー・プレトニョク、グリゴリー・アレクサンドロフ、I・クラブチュノフスキー 撮影:エドゥアルド・ティッセ 美術:ワシーリー・ラハリス

映像自体はリアリズムに溢れているが…
 原題"Стачка"で、邦題の意。
 エイゼンシュテインの長編第1作で、20世紀初頭帝政ロシアの製鉄所を舞台にしたサイレント映画。
 過酷な労働環境に労働者が不満を募らせる中、支配人はスパイを潜ませて監視する。ある日、労働者の一人が仕事に使う検尺器を盗まれ職工長に報告するが、逆に泥棒扱いされ工場内で首吊り自殺。労働者の怒りが爆発、労働条件の改善を求めてストライキとなるが、描写は暴動に近い。騎馬警官が導入され、中心メンバーをゲロするように買収・挑発などの不当労働行為が始まる。
 騒動は街に広がり、警官隊は幼児を含む労働者たちを虐殺。牛の屠殺シーンを登場させて、労働者を牛のように屠殺した帝国主義者共の恨みを忘れるな、とプロレタリアートに呼び掛けて終わる。
 1917年のロシア革命から6年後、1922年のソ連成立から3年後で、革命精神冷めやらぬのはわかるが、プロパガンダ色が強く、ストーリーが教科書的でつまらない上に、字幕の説明も不十分で、ドラマ性にも欠けているため、ときどき眠気が襲う。
 映像自体はリアリズムに溢れていてエイゼンシュテインらしいが、牛の屠殺シーンは生々しいので要注意。 (評価:2)

製作国:アメリカ
日本公開:1925年10月30日
監督:ジョセフ・フォン・スタンバーグ 脚本:ジョセフ・フォン・スタンバーグ 撮影:ジョセフ・フォン・スタンバーグ
キネマ旬報:(芸術的に最も優れた映画)3位

教育映画を観ているようでつまらないが映像は詩的
 原題"The Salvation Hunters"で、邦題の意。ジョセフ・フォン・スタンバーグの監督デビュー作。
 「すべての見捨てられた人々に捧げる」という献辞で始まる社会派サイレント映画で、若者を泥の子(Children of the mud)と太陽の子(Children of the sun)に分け、その中間にいる港の少年(ジョージ・K・アーサー)が、好きな少女(ジョージア・ヘイル)と両親を亡くした男の子(ブルース・ゲリン)と3人でごみ溜めのような港から船出し、街に出るというもの。
 街にはチンピラ男(オットー・マテイソン)がいて、少女を娼婦として利用するために3人に住まいを与え、食うのに困って男をとるのを待つが、少年が好きな少女は思い留まる。そこでチンピラ男は3人を郊外のピクニックに連れ出し、少女に強引に迫るが、それを見た少年が勇気を奮って立ち向かい、勝利。臆病者だった少年は勇気を得て太陽の子となったという結末。
 「境遇でも環境でもなく、信念が人生を決める」という言葉と共に、貧者を力づけようとするメッセージ作品だが、ストーリー性もドラマ性も皆無で、教宣映画か教育映画を観ているようでつまらない。
 港の浚渫機や漂着物、売春婦などメタファーを散りばめるが、どれも観念的で、むしろこの時代にこのような観念映画を作った先進性を評価すべきなのかもしれない。
 冒頭の港のシーンはメタファーというよりは詩的で、映像的には見どころがある。 (評価:2)

製作:アメリカ
公開:1926年10月
監督:ジョージ・フィッツモーリス 脚本:フランセス・マリオン 撮影:ジョージ・バーンズ
キネマ旬報:6位

 原題"The Dark Angel"。フィルム現存せず(サイレント)