海月衛 映画帖
~映画の大海原をたゆたう~

日本映画レビュー──1954年

製作:東宝
公開:1954年04月26日
監督:黒澤明 製作:本木莊二郎 脚本:黒澤明、橋本忍、小国英雄 撮影:中井朝一 音楽:早坂文雄 美術:松山崇
キネマ旬報:3位

島田勘兵衛が侍としての死に場所を求める物語
 特に解説する必要のない映画だが、黒澤明の代表作であり、三船敏郎、日本映画の代表作で、海外の映画に大きな影響を与えた作品。この年のキネ旬1位は「二十四の瞳」、2位は「女の園」で共に監督は木下恵介。順位は文芸とエンタテイメントのどちらを評価するかの違いでしかない。ただ全般に文芸作・社会派・問題作が映画評論家には評価される傾向にある。ヴェネツィア国際映画祭銀獅子賞を受賞。
 40年ぶりくらいに観直して、当時よりも面白く感じた。最初に観た時は時代劇のイメージが強く、その割に活劇シーンが少なく退屈に感じたが、観直してみてこれは志村喬(島田勘兵衛)が死に場所を捜す物語なのだと気づいた。それからいえば「生きる」(1952)と同じテーマであり、人は何のために生きるのかという黒澤の自問の作品といえる。「生きる」ではそのテーマが生硬だったが、本作ではエンタテイメントにオブラートに包んでいる。
 侍として城を守るという生を全うできなかった者が、刀に託したのは虐げられた百姓を守ることだった。そのために同志を募り、百姓のための家臣団を編成し、経験と知力を生かす。その結果、多くの同志を失いながらまたしても生き延びてしまう。侍としての死に場所を見つけることができず、利用されただけで勝利したのは百姓だけだったという志村の諦観で終わる。
 3時間半の長尺を飽きずに見させる黒澤の演出力は凄い。映像的にも非の打ちどころがなく、すべてのシーンに高い完成度が認められる。セットに金と労力を惜しまず、農家や水車小屋、砦が焼けおちるシーンは壮観。
 ただひとつ難点をいえば、冒頭で野武士による村の収奪・暴力シーンが欲しかった。村の者たちが野武士に虐げられて激昂し、傭兵を決めるというシーンが説得力不足。ありがちな階級映画に見えてしまうのが残念。
 志村、宮口精二、左卜全がいい。三船も、本作に限ってはワンパターンのヒーローらしさがなくていい。
 町の通行人の浪人に仲代達矢、宇津井健、加藤武。スカウトを断る浪人に山形勲、盗人に東野英治郎。 (評価:5)

製作:松竹大船
公開:1954年9月14日
監督:木下恵介 製作:桑田良太郎 脚本:木下恵介 撮影:楠田浩之 音楽:木下忠司 美術:中村公彦
キネマ旬報:1位
毎日映画コンクール大賞 ブルーリボン作品賞

小さいながらも人生の過酷と向き合う姿が悲しい
 壺井栄の同名小説が原作。1987年に朝間義隆監督でリメイクされているが、これは名作とされる木下惠介監督版。
 小豆島を舞台に、分教場で新任の女教師・大石(高峰秀子)が初めて受け持った1年生の12人の子供たちの成長と、太平洋戦争を通した18年間を描く。
 前半は、教育に対する島民たちの無理解の中で、子供たちと真摯に向き合っていく女教師の姿が描かれるが、純真な24の瞳と高峰の童心に帰った笑顔が美しい。楠田浩之のカメラはそうした子供たちの表情を感動的に捉えていて、怪我で学校を休んでいる女教師の家を訪ねる子供たちが空腹と疲労から泣き出すシーンが印象的。全員で収まった記念写真の一人一人の表情が素晴らしく、ラストシーンの感動へと繋がっていく。
 美しい小豆島を背景にしたモノクロ映像は、子供たちが歌う唱歌とともに日本の故郷の原風景を今も鮮やかに映し出し、記録している。
 物語的には軍国主義・国粋主義に屈していく学校、教育に、夢破れ失望して教師を辞めていく女教師の姿を描くが、本作の優れたところは反戦だけにとどまらず、貧困と戦争に翻弄される12人の子供たちの運命に心を向け、小さいながらも人生の過酷と向き合う姿、そうした人間の悲しみにまで作品を昇華させたことにある。
 運命と向き合わなければならなかった一人一人の子供たち。18年後、教師に復帰した大石を迎えたのは、24の穢れなき瞳が往時のままの光をとどめることのできない、人生の悲哀にほかならない。
 子供たちとともに溌剌とし、やがて苦悶し、人生の皺を刻んで老いていく高峰の演技が抜群に素晴らしい。
 大石の夫に天本英世。笠智衆、浦辺粂子、浪花千栄子、田村高廣、月丘夢路らも出演。差別用語はともかく、代用教員への蔑み、戦争で盲目となった生徒に対する無配慮は時代性とはいえ、いささか残念。 (評価:4.5)

ゴジラ

製作:東宝
公開:1954年11月03日
監督:本多猪四郎 製作:田中友幸 脚本:村田武雄、本多猪四郎 撮影:玉井正夫 音楽:伊福部昭 美術:中古智

怪獣映画第1号は、第五福竜丸が契機の反核映画
​ ​記​念​す​べ​き​『​ゴ​ジ​ラ​』​第​1​作​。​監​督​は​本​多​猪​四​郎​、​特​撮​監​督​は​円​谷​英​二​。
​ ​本​作​は​こ​の​年​の​3​月​1​日​の​ビ​キ​ニ​環​礁​水​爆​実​験​に​よ​っ​て​起​き​た​第​五​福​竜​丸​被​爆​が​き​っ​か​け​と​な​っ​て​製​作​さ​れ​た​。​こ​の​た​め​、​作​中​で​も​反​核​の​精​神​が​み​な​ぎ​っ​て​い​る​。
​ ​突​如​、​貨​物​船​が​謎​の​炎​上​沈​没​を​し​、​大​戸​島​に​伝​説​の​怪​物​ゴ​ジ​ラ​が​出​現​。​古​生​物​学​者​(​志​村​喬​)​は​ジ​ュ​ラ​紀​の​恐​竜​が​ビ​キ​ニ​環​礁​水​爆​実​験​で​放​射​能​を​浴​び​、​棲​み​処​を​追​わ​れ​て​日​本​に​や​っ​て​き​た​と​説​明​す​る​。​背​中​を​白​く​光​ら​せ​な​が​ら​、​口​か​ら​白​熱​光​を​放​射​、​炎​上​さ​せ​る​。​手​足​だ​け​で​な​く​、​尾​部​も​強​力​な​物​理​攻​撃​を​行​う​。
​ ​芝​浦​に​上​陸​し​た​ゴ​ジ​ラ​は​第​一​京​浜​を​北​上​、​銀​座​4​丁​目​で​和​光​の​時​計​塔​や​数​寄​屋​橋​の​旧​日​劇​を​破​壊​す​る​。​ミ​ニ​チ​ュ​ア​な​が​ら​当​時​の​東​京​の​街​並​み​も​見​ど​こ​ろ​。
​ ​オ​キ​シ​ジ​ェ​ン​・​デ​ス​ト​ロ​イ​ヤ​ー​に​よ​っ​て​最​後​は​骨​に​さ​れ​て​し​ま​う​が​、​本​作​の​大​ヒ​ッ​ト​に​よ​っ​て​第​二​、​第​三​の​ゴ​ジ​ラ​が​現​れ​、​ア​メ​リ​カ​に​も​上​陸​す​る​こ​と​に​な​る​。
​ ​ゴ​ジ​ラ​の​設​定​・​造​形​は​秀​逸​で​、​本​作​は​そ​の​後​に​作​ら​れ​た​エ​ン​タ​メ​色​の​強​い​ゴ​ジ​ラ​と​は​異​な​り​、​陰​鬱​な​気​分​が​み​な​ぎ​っ​て​い​る​の​も​特​色​。​ゴ​ジ​ラ​の​原​点​を​知​る​上​で​も​貴​重​。​日​本​映​画​史​上​、​世​界​の​映​画​人​に​大​き​な​影​響​を​与​え​た​作​品​で​も​あ​る​。
​ ​ス​ト​ロ​ン​チ​ウ​ム​の​話​な​ど​も​出​て​き​て​、​本​作​が​決​し​て​過​去​の​作​品​で​は​な​い​こ​と​を​実​感​さ​せ​る​。​作​品​と​し​て​は​怪​獣​映​画​以​上​の​も​の​で​は​な​い​が​、​歴​史​的​価​値​を​考​慮​し​て​★​4​に​し​た​。
​ ​宝​田​明​、​河​内​桃​子​、​平​田​昭​彦​等​が​出​演​。​菅​井​き​ん​が​女​代​議​士​役​で​熱​演​す​る​の​も​見​ど​こ​ろ​。​不​安​感​を​盛​り​た​て​る​秀​逸​な​音​楽​は​伊​福​部​昭​。 (評価:3)

製作:大映京都
公開:1954年11月23日
監督:溝口健二 製作:永田雅一 脚本:依田義賢 撮影:宮川一夫 美術:水谷浩 音楽:早坂文雄
キネマ旬報:5位

宮川一夫の情感溢れる水のシーンが冴えまくる
 近松門左衛門の人形浄瑠璃『大経師昔暦』を基にした川口松太郎の戯曲『おさん茂兵衛』が原作。おさん・香川京子22歳、茂兵衛・長谷川一夫46歳。
 心中ものではないが、近松らしい不条理によって男女が悲劇に終わる物語で、おさんは大尽(進藤英太郎)に嫁いだ若奥様、茂兵衛は手代の経師職人。
 おさんは実家の兄から無心されるが、吝嗇な主人は女中に家を持たせる金はあっても妻の借金には応じない。そこで若奥様を慕う手代が店の金を用立てようとしたところを番頭(小沢栄太郎)に密告され、若奥様との仲を誤解され、二人は逃避行へ。指名手配の途上で二人の愛の告白があり、捕まって仲を引き離されそうになるも、二人は共に磔を選ぶ・・・という殉愛の物語。
 長谷川一夫はいつもの長谷川一夫だが、悲劇の若奥様を演じる香川京子が頑張っている。忠実な手代への信頼が、逃避行の中で愛に変わり、最後は愛に殉じるまでを熱演する。もっとも、冷静に考えれば、おさんが茂兵衛を愛していたのかは不明で、追い詰められた状況下で疑似恋愛をしていたともいえるが、そこは死によって昇華される純愛というのが近松物のお約束。
 演出的にも破綻なく楽しめるが、宮川一夫の映像は冴えていて、とりわけ水のシーンは情感を映して必見。琵琶湖で二人が舟に乗るシーンは『雨月物語』(1953)の靄る湖上のシーンを彷彿させる。
 足場の悪いところを、茂兵衛がおさんを背負って渡るシーンがあるが、跨るのではなく横座りするが、あれはどうやって抱えるのだろうと気になるシーンで、必見か?
 進藤英太郎の悪役ぶりがいい。主人が手を出す女中は南田洋子。 (評価:2.5)

春琴物語

製作:大映東京
公開:1954年6月27日
監督:伊藤大輔 脚本:八尋不二 撮影:山崎安一郎 美術:伊藤憙朔、木村威夫 音楽:伊福部昭

京マチ子に最後まで女王様を期待した向きには腰砕け
 谷崎潤一郎の『春琴抄』が原作。6回映画化された中の2回目の映画化。
 大阪道修町の薬種商鵙屋の盲目の娘・琴と奉公人・佐助の変態的恋物語で、琴を演じるのが京マチ子となれば、もうこれは完璧なる女王様。対する佐助は花柳喜章で、これまた女王様にかしずくマゾというよりは絶対的崇拝ぶりがいい。
 鵙屋の美術が抜群で、この変態物語に相応しい時代的空気を醸し出しているのが見どころ。琴が春琴を名乗り、弟子の利太郎(船越英二)の新築祝いに招かれる屋敷のセットもいい。
 琴の稽古に付き添ううちに、佐助が真似事から琴の弟子となり、一心同体となりながらも琴は盲目のコンプレックスから奉公人の佐助との婚姻を拒み、子まで宿しながら主従・師弟の関係を頑なに守り続ける二人。
 利太郎の企みで琴が顔に火傷を負い、佐助だけには顔を見られたくないという琴の思いに佐助自ら目に針を刺す。それによって二人は初めて同じ盲目として身体的に対等となり、身分においても対等の夫婦となるという予感で終わる。
 この純愛で終わるラストシーンは凡俗にも容易に受け容れられるものの、変態的恋愛の成就という点においては要点を失っていて、京マチ子に最後まで女王様を期待した向きには腰砕けの感がある。
 終盤近くまで変態的恋愛が情緒豊かに描かれ、京マチ子・花柳喜章のサドマゾコンビが熱演していただけに、ラストで伊藤大輔の凡俗に堕した姿勢が惜しまれる。佐助が目に針を刺し、二人が抱き合って涙する感傷が長々と続くシーンも、通俗的演出がしつこい。 (評価:2.5)

製作:松竹大船
公開:1954年3月16日
監督:木下恵介 製作:山本武 脚本:木下恵介 撮影:楠田浩之 音楽:木下忠司
キネマ旬報:2位

伝統的女性像と戦後価値観の狭間で揺れる女たち
 阿部知二の『人工庭園』が原作。
 京都の良妻賢母を育てる女子大の学寮を舞台に、封建的な寮の規則に反発する寮生たちと教職員との対立を描く。
 60年以上前の作品だけに、女子学生たちの作法などの描写は古色蒼然としているが、案外、良妻賢母型女子大の女子教育の考え方は今も変わっていないのかもしれない。
 左翼思想を許さず恋愛禁止、手紙は検閲という牢獄のような生活に、リベラル思想を持つ財閥お嬢様の明子様(久我美子)、テニス選手で快活な富子様(岸恵子)は反発を覚え、寮の民主化を要求。
 その中で物語の軸となるのが社会人を3年経験して入学した芳江様(高峰秀子)で、東京にいる大学生の恋人(田村高廣)を心の支えに、親の勧める縁談を断り、自立して生きる女を目指して大学で学んで身を立てようとするものの、3年間のブランクから学業に後れを取り、恋人との文通にも干渉され、民主化運動で処分が軽かったことから寮生たちの不信を買い、悩んだ挙句に自殺してしまう。
 芳江は伝統的な女性像と戦後の新しい価値観の壁に挟まれて苦悩し自殺に追い込まれた犠牲者で、男への従属か男からの自立かという選択では、今も変わらない女性の課題となっている。
 多くの女子学生は、結婚条件のために大学に通い、彼女らが自立を目指す女子学生の足枷になっているという主張が劇中で語られていて、現在も通じる木下恵介の慧眼を示している。
 過去に不倫の上子供を産んだ経験を持つ厳格な寮監(高峰三枝子)を含め、ラストは互いに非難し合う女・男たちで締めくくられ、誰が芳江を自殺に追い込んだのかという結論は示されない。伝統的女性像と戦後価値観の狭間で煩悶する女たちのラストは、芳江が時代そのものの犠牲者になったことを感じさせる。
 抗議する女子学生たちの姿で終わり、抗議によって学校が変わるという安直な未来を予感させない。 (評価:2.5)

製作:東宝
公開:1954年1月15日
監督:成瀬巳喜男 製作:藤本真澄 脚本:水木洋子 撮影:玉井正夫 美術:中古智 音楽:斎藤一郎
キネマ旬報:6位

鎌倉の風景が義父と嫁のプラトニックな恋愛に情緒を添える
 川端康成の同名小説が原作。
 一言でいえば、義父(山村聡)と嫁(原節子)とのプラトニックな恋愛話で、夫婦仲が上手くいかないまま嫁は離婚を決意。義父夫婦もまた信州に隠棲することになる。この間、夫(上原謙)の浮気話、義妹夫婦の不仲、嫁の堕胎、愛人の妊娠話が綴られていくが、嫁役が原節子とあって、嫁思いのやさしい義父、できた嫁というように描かれ、二人の恋慕は抑制されている。
 夫婦仲が上手くいかず夫が愛人に走る原因が義父の存在にあるということは、友人(十朱久雄)が同居をやめるようにと言う言葉で婉曲に語られる。
 原作にある義父が吐血し「山の音」を聞くことにより、死の恐怖に怯えるという重要なモチーフは省略され、退廃の原因である息子が復員兵である点にも触れられない。
 そうした点ではオブラートに包まれ過ぎていて、観客の想像に任される部分も多いが、温かみのある小津作品に比べて成瀬の描く家庭像はシリアスで鋭利な刃が仄かに光る。
 舞台となる鎌倉の風景が情緒を添え、当時の鎌倉駅の映像も貴重。
 義妹夫婦を中北千枝子と金子信雄が演じるが、中北は『素晴らしき日曜日』で主役カップルの片方を演じている。 (評価:2.5)

製作:大映京都
公開:1954年3月31日
監督:溝口健二 製作:永田雅一 脚本:八尋不二、依田義賢 撮影:宮川一夫 美術:伊藤憙朔 音楽:早坂文雄
キネマ旬報:9位

名優・田中絹代をもってしても『安寿と厨子王丸』の学芸会
 安寿と厨子王丸の説話『さんせう太夫』を基にした、森鴎外の同名小説が原作。
 左遷された父を訪ねて、陸奥から筑紫に向かう途中、越後で人飼いに騙され、母は佐渡の遊女、安寿と厨子王丸は丹後の荘園の奴婢に売られ、脱走した厨子王丸が出世して丹後国の国司となって荘園主の山椒大夫を懲らしめ、母と再会するまでの物語。
 時代性を反映してか、父は領主も農民も同じ人間として幸せを享受できると説き、厨子王丸はその教えを金科玉条にして丹後国の奴婢を解放するという、新憲法の自由・平等・友愛の戦後民主主義をテーマとする。
 最大の見どころは美しい映像と斬新なカメラワークで、監督というよりも撮影の宮川一夫の仕事が素晴らしい。セット撮影とロケシーンとが混じるが、ロケシーンのライティングがフラットでセット撮影のように見え、セットとの違和感がない。
 総じてかっちりとした構図を固定して長回しするため、舞台の芝居を見る風で、台詞の言い回しも舞台に近い。
 こうした演出方法は好みの分かれるところでもあり、伝統的、舞台的ともいえるし、黒澤・小津らのリアリズムを見慣れた目には、それこそ芝居がかった映画であり、古臭くもある。舞台ほどには誇張した演技や台詞ではないため、名優・田中絹代をもってしても学芸会のように見える。
 安寿の香川京子は一服の清涼感があり、山椒大夫の進藤英太郎が悪役っぽい。
 ヴェネツィア国際映画祭で銀獅子賞を受賞しているが、オリエンタル感と美しい映像の賜物か?
 新潟という地名が台詞に出てくるが、近世の呼称で中世にはない。 (評価:2.5)

製作:新東宝
公開:1954年4月20日
監督:五所平之助 脚本:八住利雄、五所平之助 撮影:小原譲治 音楽:芥川也寸志
キネマ旬報:10位

下層を知るなら大阪というのも上から目線
 水上瀧太郎の同名小説が原作。
 上司を撲って東京本社から大阪支社に左遷された独身会社員(佐野周二)が安旅館を下宿とし、支社長に盾突いて再び東京に戻されるまでの話。
 この間、旅館の女将と3人の女中、洋服屋の娘、芸妓との交流を通して、下層に生きる女たちに心を寄せ、坊ちゃん育ちだった男が成長する姿を描く・・・といえば聞こえはいいが、要は上から目線で女たちを見ていた男が、自分は違う世界に生きていたんだと気づく話で、それを評して男に心を寄せる芸妓が「あなたは空の星みたい」と言う。
 では、それに気づいた男が地上まで降りたのかというと疑問で、降りたつもりで終わっているところに本作の限界がある。
 3人の女中を演じるのはヒモ同然の夫を持つ水戸光子、息子と離れて暮らす戦争未亡人の川崎弘子、男に媚びる若い娘の左幸子で、借金を抱えながら旅館を切り盛りする女将(三好栄子)にこき使われている。そこに病弱の父を抱えて売春に手を染めてしまう洋服屋の娘(安西郷子)が加わり、困っている彼女らに金を渡す男の無神経さが浮かび上がるというのが前半。
 何でも金かと宣う男は、結局自分も金で済ませている偽善に気づき悩むが、金以外になすすべがないという無力感に陥る。できることと言えば憤ることくらいで、それが原因で再び東京に戻るが、結局のところ、貧乏が悪いという結論では光明は見い出せず、せいぜいが旅館をラブホに変えて回転を良くすることくらいというのが寂しい。
 本作の最大の見どころは芸妓役・乙羽信子の演技で、それを見るだけでも価値がある。旅館を手伝う女将の兄・藤原釜足も味のある演技。
 揺れる暖簾、宴席を梅の咲く廊下からズームする静のショットなど五所平之助の演出もいい。
 大阪に行って下層のことが理解できたという台詞も、東京映画人の上から目線? 芥川也寸志の音楽も若干大仰。 (評価:2.5)

噂の女

製作:大映京都
公開:1954年6月20日
監督:溝口健二 脚本:依田義賢、成沢昌茂 撮影:宮川一夫 美術:水谷浩 音楽:黛敏郎

溝口の花柳界へのノスタルジーだけに終わっている
 京都・島原の太夫の置屋とお茶屋を兼ねた井筒屋が舞台。
 溝口お得意の花柳界を描くもので、56年の売春防止法成立への機運が高まる中で制作されていて、主人公の井筒屋の一人娘・雪子(久我美子)は家業を嫌っていて、一方、女将の母・初子(田中絹代)もまた廃業を考えているという話になっている。
 ラストをいってしまえば、初子が病気で倒れる中、雪子は井筒屋の女将を継ぐ決意を固めるのであり、そこには貧困に苦しむ女たちの受け皿であり駆け込み寺でもある花柳界の存在意義を伝えたいという、花柳界をよく知る溝口の思いが表れている。
 物語は東京で音大に通う雪子が、家業が原因で失恋して自殺未遂をし、実家の井筒屋に帰省するところから始まる。太夫たちに距離を置く雪子は、薄雲の病気をきっかけに彼女たちの境遇に思いを寄せ、やがて花柳界に身を置かざるを得ない女たちのために井筒屋を継ぐ決意を固める。
 この間、廓を往診する若い医師・的場(大谷友右衞門)と雪子に恋が芽生えるが、的場の愛人が初子で、医院開業のために井筒屋を売る算段をしていたことを知り、不実な男たちに背を向けて女として自立するエピソードが入る。
 溝口の手慣れた演出と田中絹代の円熟した演技が見どころだが、母子ほどに歳の離れた初子と的場の関係や、雪子との恋愛関係のもつれ等、いささかシナリオに無理もあって、溝口の花柳界へのノスタルジーだけに終わっているのが食い足りない。 (評価:2.5)

馬賊芸者

製作:大映東京
公開:1954年11月15日
監督:島耕二 脚本:島耕二 撮影:高橋通夫 美術:仲美喜雄 音楽:斎藤一郎

京マチ子が気風の良い芸者を演じる通好みの映画
 火野葦平の同名小説が原作。
 馬賊芸者は日露戦争後の満州帰りの博多芸者がルーツで、客を客とも思わぬ豪気が売り。そんな気風の良い馬賊芸者を京マチ子が演じるというのが、本作最大の見どころ。
 志村喬演じる大尽の祝宴に歌舞伎役者の坂東京之助(春本富士夫)が呼ばれ、芸者の三味線では踊れぬと地方を連れてきたのが発端で、怒った信吉(京マチ子)が役者の人気投票で対抗馬の市川小十郎(高松英郎)に肩入れ。それがきっかけで二人は夫婦の約束をするが小十郎が急死。
 そこに現れたのが小十郎瓜二つの人形師・貞次(高松英郎の二役)で、ぞっこん惚れこんでしまうが妹分の梅丸(白井玲子)と恋仲で、やきもち焼いたところが、梅丸に身請け話が持ち上がり二人は駆け落ち。そこで馬賊芸者の本領発揮とばかり、信吉が2万円で梅丸を身請けして助けるという物語。
 2万円の出所は、かねて信吉の気風に惚れて言い寄っていた大尽(志村喬)で、信吉は覚悟の妾となるが、そこは『生きる』(1952)などでクリーン・イメージの志村喬だけに、愛人ではなく友達として付き合おうという台詞で京マチ子に嬉し涙を流させるという、後味の良い作品に仕上がっている。
 ラストは志村喬の「黒田節」に合わせて京マチ子が踊り、冒頭には春本富士夫の日舞、歌舞伎もあるという、島耕二らしい通好みの作品。 (評価:2.5)

君の名は 第三部

製作:松竹大船
公開:1954年4月27日
監督:大庭秀雄 製作:山口松三郎 脚本:柳井隆雄 撮影:斎藤毅 美術:浜田辰雄 音楽:古関裕而

嫁姑・マザコンの通俗テレビドラマに与えた影響
 菊田一夫原作の同名ラジオドラマの映画化の完結編。
 夫・勝則(川喜多雄二)の真知子(岸惠子)に対する同居請求を巡る家裁のシーンから始まる。勝則は名誉棄損で春樹(佐田啓二)も訴え、告訴を取り下げる条件で真知子は勝則の上司・永橋(柳永二郎)の斡旋で雲仙の旅館で働くことになる。
 勝則は次官の娘との縁談が持ち上がるが、真知子に対しては春樹との結婚を認めない離婚条件を押し通す。ところが次官の娘が姑(市川春代)との別居を結婚条件にしたため、勝則と姑は漸く目が覚め、真知子に謝罪。病気になった真知子に勝則が離婚届けを渡すというラストに向けた急展開。
 勝則も姑も本当は善人で、最初に勝則との結婚を承諾したことが皆を不幸にしたことに真知子が気づく。言われてみればその通りで、一番悪いのは真知子じゃないか、これまでの話はいったい何だったんだという気にもなるが、勝則母子はまるで橋田壽賀子の嫁姑ドラマのテンプレだし、マザコンの冬彦さんのプロトタイプだと気づくと、『君の名は』がその後の通俗テレビドラマに与えた影響に驚く。
 この間、上京して出版社勤務になった春樹は欧州出張中で、病状の悪化した真知子の急を聞いて帰国。またしても擦れ違いで、真知子の死に目に間に合わないラストを予想すると、なんとか間に合ったどころか、真知子が全快してのハッピーエンドという、ラジオの聴取者を敵に回さないというNHKらしい大団円となる。
 それにしても、真知子が命尽きそうだと病院を抜け出して春樹との思い出の数寄屋橋に行ったあのシーンはいったい何だったのか! と、在りし日の数寄屋橋とニュートーキョービルを眺め、古関裕而の哀愁漂うハモンドオルガンの音色を聴きながら、たまには通俗的なメロドラマもいいもんだとノスタルジックな気分にさせる。
 忘却とは忘れ去ることなり。忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ。 (評価:2.5)

伊豆の踊子

製作:松竹大船
公開:1954年3月31日
監督:野村芳太郎 製作:山本武、山内静夫 脚本:伏見晁 撮影:西川亨 音楽:木下忠司

美空ひばりが可憐に見えずラブ・ストーリーが盛り上がらない
 川端康成の同名小説が原作。1974年までの6回の映画化で最初のサイレント作品『恋の花咲く 伊豆の踊子』(1933)のリメイク。
 前作と同じ伏見晁の脚本で、踊子・薫(美空ひばり)の兄・栄吉(片山明彦)の親が経営していた湯ケ野の旅館が人手に渡った後に温泉が出て繁盛し、その息子が薫を見初めて引き取るという、前作に似た因縁話が絡むほか、学生(石浜朗)が踊子と出会うのが湯ヶ島への道中ではなく修善寺で、沼津から修善寺に至る行程も描かれている。
 駿河湾から富士山を望む風景や乗合馬車など映像的には見どころで、全体的には悪くないのだが、踊子に一目惚れする石浜朗の演技が露骨すぎ、一方の美空ひばりが16歳の割には可憐には見えず、今一つラブ・ストーリーが盛り上がらない。
 学生が下田で旅芸人の一座と別れて東京に帰る理由も今一つ判然とせず、単なる旅の感傷物語にしかなっていない。
 前作では学生が薫の縁談に身を引くが、原作では身分違いが原因となっていて、あるいは演出と脚本との間に齟齬があったのか。
 いずれにしても美空ひばりの踊子が芋臭く演技もできていないのが今一つ。もっとも田舎育ちの小娘が芋臭くて感情も上手く表せないという点では、意外とリアルなのかもしれない。 (評価:2.5)

製作:俳優座
公開:1954年4月14日
監督:渋谷実 脚本:橋本忍、内村直也、渋谷実 撮影:長岡博之 美術:平川透徹 音楽:奥村一
キネマ旬報:8位

キネ旬8位も今となっては過去の遺物の金鵄勲章
 終戦後、武装解除された日本に1950年、警察予備隊が設置され、1952年、保安隊に改組、1954年に自衛隊が発足するという政治的背景で制作された作品。
 不遇をかこっている元陸軍中将・岡部(小沢栄=小沢栄太郎)の宝物は戦時中に集めた勲章。元副官で戦犯として10年服役した寺位(東野英治郎)が帰国し、日本再軍備計画を提言する元軍人の会の会長に据えられるが、寺位の密輸事件に巻き込まれ汚名を着ることになる。
 岡部には父思いの娘(香川京子)と大学生の息子(佐田啓二)がいて、娘は恋人(岡田英次)と駆け落ち、息子は夜遊び。元芸妓(杉村春子)からも愛想をつかされ、再軍備運動資金の抵当にとられた山林まで失った挙句、時代遅れの軍国主義の亡霊と貶められ、戦後日本の価値観を体現する息子と争った上で、両者ともに拳銃で死亡するという幕切れ。
 勲章は、軍国主義の亡霊を象徴する。
 過去の遺物となった岡部や元軍人たちをシニカルに描くが、時代から取り残された彼らを哀惜しているようにも見え、再軍備を題材にしながら賛否の立場は明確でなく、再軍備そのものをテーマにしているわけでもないという、スタンスのよくわからない作品。
 結果、制作当時としてはそれなりに意味はあっとしても、後世に何かを残しているわけでもなく、今観ると時代背景を描いただけの遺物ないしは亡霊でしかない。キネ旬8位も今となっては金鵄勲章のようなものか。 (評価:2)

製作:東宝
公開:1954年6月22日
監督:成瀬巳喜男 製作:藤本真澄 脚本:田中澄江、井手俊郎 撮影:玉井正夫 美術:中古智 音楽:斎藤一郎
キネマ旬報:7位

婆ァの井戸端ないしはお茶の間ドラマを見せられても退屈
 林芙美子の同名小説が原作。
 芸者上りの4人の女の老後の物語で、男も子もなく金だけが人生の支えというきん(杉村春子)を軸に、寂しい女の生き方が語られるが、それがはたして寂しいのか、成瀬の意図も含めてよくわからない作品になっている。
 ただいずれにしても言えるのは、女の幸せは金か子供かという問題を持ち出されても、それぞれの価値観の違いでしかなく、女に限らず老後は誰にとっても寂しいもので、まして婆ァの井戸端ないしはお茶の間ドラマを見せられても、退屈以外の何ものでもない。
 大家と金貸しで豊かな老後を送るきんは、吝嗇家にありがちな稼いだ金を投資にばかり使って豊かな人生のためには使わない。それをきんから金を借りたりしている他の3人は非難するが、少なくとも貧乏な暮らしではないだけ、きんの方がマシともいえる。
 旅館の女中をしているたまえ(細川ちか子)は病気がちできんからの借金を返せない。息子(小泉博)はお妾(坪内美子)の愛人をして小遣い稼ぎをしているが、北海道に就職が決まり親元を離れてしまう。
 雑役婦のとみ(望月優子)は一人娘(有馬稲子)が勝手に中年男と結婚して出て行ってしまい、やけ酒を呷るが、子供がいるだけきんよりもマシと負け惜しみをいう。
 夫婦で飲み屋を営むのぶ(沢村貞子)は二人よりもマシだが、子供がいない。
 そんな中できんの物語が進み、昔無理心中し損ねた男(見明凡太朗)が会いに来て金をせびるが冷たく追い返す。次に昔惚れた男が会いたいと手紙を寄越しきんは心躍らせるが、これまた金の工面だと知って思い出の写真を焼き捨てる。
 きんはサバサバして金一筋の生き方に戻って物語は終わるが、男女の愛憎の絡まない女の生き方がテーマの成瀬作品はつまらない。
 見どころは痒いところに手の届く美術と演出。望月のオバちゃんらしい演技が退屈を紛らせる。 (評価:2)

宮本武蔵

製作:東宝
公開:1954年9月26日
監督:稲垣浩 製作:滝村和男 脚本:北条秀司、稲垣浩、若尾徳平 撮影:安本淳 美術:園眞 音楽:團伊玖磨
アカデミー名誉賞(外国語映画賞)

段取りを追う芝居ばかりが続いてドラマになっていない
 吉川英治の同名小説が原作。
 侍に出世するために美作国宮本村を出た武蔵(三船敏郎)が、関ヶ原の戦いで落ちのび甲(水戸光子)と朱実(岡田茉莉子)の母娘と知り合い、宮本村に戻ったところが関所破りの咎で役人に追われて山に隠れ、沢庵(二代目尾上九朗右衛門)の説得で捕縛されるが、通(八千草薫)の手引きで再び逃走。
 姫路城に軟禁された通を助けようとする武蔵を沢庵が教え諭し、3年間の学業を経て、茶屋で働く通に別れを告げて旅立つ背中でエンドマーク。
 正直ストーリーがつまらない上に演出のテンポも悪く、段取りを追う芝居ばかりが続くのでドラマにもなってなく、これならファスト動画で十分という内容。
 宮本村を一緒に出る又八(三國連太郎)、又八の母(三好栄子)とキャストに実力派を並べたわりに、それが生かされてないのが勿体ない。
 3部作の序章がただの序章に終わっている感じだが、それにしては1時間半は長い。
 合戦シーンや山狩りのシーンなどは、エキストラも馬も贅沢に登場し、宮本村の農村風景も含めてカメラワークやアクション演出もよく、映像的には見応えがあるので、それがオスカーに評価されたのか? (評価:2)