日本映画レビュー──1940年
製作:東京発声映画製作所
公開:1940年7月31日
監督:豊田四郎 製作:重宗和伸 脚本:八木保太郎 撮影:小倉金弥 美術:園眞 音楽:津川主一
日本映画雑誌協会:1位(映画旬報:1位)
父の乗る船を追って少年が海岸を走り続けるシーンが秀逸
小川正子の手記『小島の春 ある女医の手記』が原作。
瀬戸内の国立癩病(ハンセン病)療養所・長島愛生園の医師・小川正子(夏川静江)が、瀬戸内の島や四国で在宅の癩病患者を収容する旅を描く。
主軸になるのは島の農夫・横川(菅井一郎)で、妻(杉村春子)、娘(清水美佐子)、小学生の息子・賢造(水谷史郎)の4人暮らしだが、最も重症で、小川は村長(勝見庸太郎)とともに愛生園への入院を説得する。ところが、長島への船が到着しても横川は残る家族の生活の不安から躊躇、村長が責任を持って家族の面倒を見るという言葉でようやく船に乗る。
出航間際に港に駆け付ける妻と娘。そして賢造が、父の乗る船を追って海岸をどこまでも走り続けるシーンが感動的で秀逸。
このシーンを含め、瀬戸内に浮かぶ島々や四国の自然が、癩病の悲しみと対照的に美しく映し出される。
癩病の知見に乏しかった当時の誤解や偏見への批判はあるものの、小川が患者や家族への差別をなくし、彼らの悲惨な状況を改善しようとするヒューマニズムは十二分に伝わってくる。
愛生園に入院している患者の幼い娘の無事を確かめるために四国の家を訪ねるシーンでは、帰っていく小川を幼女がいつまでも追いかけるシーンが情感たっぷり。中村メイ子が印象的な幼女を演じている。 (評価:3.5)
公開:1940年7月31日
監督:豊田四郎 製作:重宗和伸 脚本:八木保太郎 撮影:小倉金弥 美術:園眞 音楽:津川主一
日本映画雑誌協会:1位(映画旬報:1位)
小川正子の手記『小島の春 ある女医の手記』が原作。
瀬戸内の国立癩病(ハンセン病)療養所・長島愛生園の医師・小川正子(夏川静江)が、瀬戸内の島や四国で在宅の癩病患者を収容する旅を描く。
主軸になるのは島の農夫・横川(菅井一郎)で、妻(杉村春子)、娘(清水美佐子)、小学生の息子・賢造(水谷史郎)の4人暮らしだが、最も重症で、小川は村長(勝見庸太郎)とともに愛生園への入院を説得する。ところが、長島への船が到着しても横川は残る家族の生活の不安から躊躇、村長が責任を持って家族の面倒を見るという言葉でようやく船に乗る。
出航間際に港に駆け付ける妻と娘。そして賢造が、父の乗る船を追って海岸をどこまでも走り続けるシーンが感動的で秀逸。
このシーンを含め、瀬戸内に浮かぶ島々や四国の自然が、癩病の悲しみと対照的に美しく映し出される。
癩病の知見に乏しかった当時の誤解や偏見への批判はあるものの、小川が患者や家族への差別をなくし、彼らの悲惨な状況を改善しようとするヒューマニズムは十二分に伝わってくる。
愛生園に入院している患者の幼い娘の無事を確かめるために四国の家を訪ねるシーンでは、帰っていく小川を幼女がいつまでも追いかけるシーンが情感たっぷり。中村メイ子が印象的な幼女を演じている。 (評価:3.5)
製作:日活多摩川
公開:1940年10月10日
監督:島耕二 脚本:永見隆二、小池慎太郎 撮影:相坂操一 美術:進藤誠吾
日本映画雑誌協会:3位(映画旬報:3位)
村の子供たちの純朴さが牧歌的で幻想的な民話世界に誘う
宮沢賢治の同名児童小説が原作。
東北の小さな村が舞台で、川辺の子供のシーンから始まり村の中を走り抜けて小学校に登校する。今日は210日、9月1日で、夏休みが終わり2学期の始まる日。210日とともに訪れる風と共に、教室に風の又三郎が黙って座っているという演出が、舞台の紹介とともに子供たちの日常に異質な者が訪れたというプロローグとして上手い。
その後も時折、風に揺れる木々のシーンを挿入して、又三郎が220日に去っていくまでの非日常性を表現し、宮沢賢治の不思議な世界観を醸し出しているのが大きな見どころとなっている。
小学校は6学年1クラスの複式学級で、空いていた5学年に高田三郎が北海道から転校してくる。子供たちは三郎を風の神・風の又三郎と同一視し、一定の距離感を持って接することになるが、それが神同様にアウターワールドから訪れた異邦人への畏怖と興味というように描かれていく。
教室や放課後の遊びを通して子供たちが三郎との交流を深めていく中で、三郎は風の又三郎のような不可思議な体験を子供たちにもたらし、当初から三郎を風の又三郎と信じる4年生の嘉助は、やがて牧場の逃げた馬を追って迷子となって倒れ、三郎がガラスのマントを来て空に飛んでいく幻覚を見る。
その予知夢通りに、十日が経って三郎は突然姿を消してしまい、この現実とも幻想ともつかない物語は終わるが、三郎(片山明彦)の都会的でまるで異世界人のような雰囲気と、それとは対照的な村の子供たちの純朴さが、牧歌的で幻想的な民話世界へと誘う。
とりわけ村の子供たちの描写が優れていて、美しい農村風景とともに、遠い過去の日本の原風景への記憶を呼び覚ますノスタルジックさが堪らない作品。 (評価:3)
公開:1940年10月10日
監督:島耕二 脚本:永見隆二、小池慎太郎 撮影:相坂操一 美術:進藤誠吾
日本映画雑誌協会:3位(映画旬報:3位)
宮沢賢治の同名児童小説が原作。
東北の小さな村が舞台で、川辺の子供のシーンから始まり村の中を走り抜けて小学校に登校する。今日は210日、9月1日で、夏休みが終わり2学期の始まる日。210日とともに訪れる風と共に、教室に風の又三郎が黙って座っているという演出が、舞台の紹介とともに子供たちの日常に異質な者が訪れたというプロローグとして上手い。
その後も時折、風に揺れる木々のシーンを挿入して、又三郎が220日に去っていくまでの非日常性を表現し、宮沢賢治の不思議な世界観を醸し出しているのが大きな見どころとなっている。
小学校は6学年1クラスの複式学級で、空いていた5学年に高田三郎が北海道から転校してくる。子供たちは三郎を風の神・風の又三郎と同一視し、一定の距離感を持って接することになるが、それが神同様にアウターワールドから訪れた異邦人への畏怖と興味というように描かれていく。
教室や放課後の遊びを通して子供たちが三郎との交流を深めていく中で、三郎は風の又三郎のような不可思議な体験を子供たちにもたらし、当初から三郎を風の又三郎と信じる4年生の嘉助は、やがて牧場の逃げた馬を追って迷子となって倒れ、三郎がガラスのマントを来て空に飛んでいく幻覚を見る。
その予知夢通りに、十日が経って三郎は突然姿を消してしまい、この現実とも幻想ともつかない物語は終わるが、三郎(片山明彦)の都会的でまるで異世界人のような雰囲気と、それとは対照的な村の子供たちの純朴さが、牧歌的で幻想的な民話世界へと誘う。
とりわけ村の子供たちの描写が優れていて、美しい農村風景とともに、遠い過去の日本の原風景への記憶を呼び覚ますノスタルジックさが堪らない作品。 (評価:3)
no image
製作:松竹大船公開:1940年11月29日
監督:吉村公三郎 脚本:野田高梧 撮影:生方敏夫 美術:脇田世根一、浜田辰雄 音楽:前田[王幾]
日本映画雑誌協会:2位(映画旬報:2位)
菊池寛の『昭和の軍神 西住戦車長伝』が原作。
1938年、国民政府軍との徐州会戦中に戦死した、久留米戦車第一連隊小隊長・西住小次郎中尉の生涯を伝記映画風に描いた作品で、第二次上海事変から戦死までがメイン。死後、軍神に祀り上げられ、戦車隊と戦意高揚のためのプロパガンダに利用された。
映画はその一環で、陸軍省が後援。吉村公三郎は軍神の武勲を讃える伝記映画の形はとりながらも、西住中尉の人間性に重きを置いていて、家族持ちの兵士を戦闘には加わらせなかったり、渡河の際には調査に出ようとする兵士を押し留めて自らが水深を確認するために戦車を下りたりして、率先して危険を引き受けるという士官学校出身の軍人の鑑として描かれる。
戦場の民家で出産中の中国人女性(桑野通子)を保護。軍医を呼んで手当てをさせ牛乳を与えるが、翌朝になると女は赤ん坊を遺棄して夫と逃走。恩を仇で返した女に憤慨する兵士たちを宥めて、死んだ赤ん坊を埋葬するという実際にあったエピソードも紹介。
このため兵士たちの信望も篤く、戦死の際も渡河のために率先して調査に出て銃撃されたとされる。
最後は上官や部下に惜しまれつつ息を引き取るという戦争の世の悲しさで終わるが、砲撃を受けて壁にぽっかりと空いた穴から平和な月が見えるシーンが印象的。
中盤、戦死した兵士の弟から送られてきた手紙を読むシーンでも、兄の軍功を讃えることで悲しみに耐える弟に小隊一堂が沈黙し、戦争の悲惨への思いが伝わってくる。
戦闘シーンはリアルだが武勇一辺倒ではなく、死と隣り合わせの恐怖や、命を守るために無理な行動をとらないという現実的な描写になっている。
西住中尉に上原謙、部隊長に佐分利信。大隅中尉に笠智衆。南京入城のシーンもあるが、南京事件は微塵も感じられない。 (評価:2.5)
製作:東宝映画
公開:1940年09月25日
監督:阿部豊 製作:阿部豊 脚本:八木保太郎 撮影:宮島義勇 特殊技術撮影:円谷英二、奥野文四郎 音楽:早坂文雄
日本映画雑誌協会:8位(映画旬報:5位)
悲しみばかり強調される陸軍省後援の戦争映画
原作は北村小松で同名小説が大日本雄弁会(現在の講談社)から出版されている。熊谷陸軍飛行学校での少年兵たちの訓練、2年後の昭和13年の支那事変での航空部隊の戦闘を描く。
皇紀2600年記念映画で、陸軍省後援、陸軍航空本部監修のもと、九七式戦闘機や九七式重爆撃機の編隊飛行シーンが撮影され、機銃掃射、空爆シーンは臨場感がある。俳優を使ったシーンはブルースクリーンだが、中国国民党のI-15に九五式戦闘機を使った空中戦は実戦さながら。
特撮に円谷英二、軍医役で長谷川一夫が出演しているのも見どころ。同名の主題歌は、佐藤惣之助作詞、山田耕筰作曲。
見ていて不思議な気持ちになるのは、陸軍肝煎りの戦争映画のはずなのに、少年兵や中隊長が次々と戦死していくこと。死は生そのものとして立派な死に際を求めるという軍人魂を謳いながらも、戦死に涙を堪え、英霊と讃えながらも、主人公もまた天皇万歳を叫びながら死を遂げるという、悲壮感が全編に漂っている。
国に命を捧げることを求める国家主義を前提に作られた映画でありながら、反面、監督の阿部豊はフィルムの裏側に反戦の意図を隠したのではないかと深読みしてしまう。
好戦的な戦争映画を期待すると肩すかしをくらうかもしれない。 (評価:2.5)
公開:1940年09月25日
監督:阿部豊 製作:阿部豊 脚本:八木保太郎 撮影:宮島義勇 特殊技術撮影:円谷英二、奥野文四郎 音楽:早坂文雄
日本映画雑誌協会:8位(映画旬報:5位)
原作は北村小松で同名小説が大日本雄弁会(現在の講談社)から出版されている。熊谷陸軍飛行学校での少年兵たちの訓練、2年後の昭和13年の支那事変での航空部隊の戦闘を描く。
皇紀2600年記念映画で、陸軍省後援、陸軍航空本部監修のもと、九七式戦闘機や九七式重爆撃機の編隊飛行シーンが撮影され、機銃掃射、空爆シーンは臨場感がある。俳優を使ったシーンはブルースクリーンだが、中国国民党のI-15に九五式戦闘機を使った空中戦は実戦さながら。
特撮に円谷英二、軍医役で長谷川一夫が出演しているのも見どころ。同名の主題歌は、佐藤惣之助作詞、山田耕筰作曲。
見ていて不思議な気持ちになるのは、陸軍肝煎りの戦争映画のはずなのに、少年兵や中隊長が次々と戦死していくこと。死は生そのものとして立派な死に際を求めるという軍人魂を謳いながらも、戦死に涙を堪え、英霊と讃えながらも、主人公もまた天皇万歳を叫びながら死を遂げるという、悲壮感が全編に漂っている。
国に命を捧げることを求める国家主義を前提に作られた映画でありながら、反面、監督の阿部豊はフィルムの裏側に反戦の意図を隠したのではないかと深読みしてしまう。
好戦的な戦争映画を期待すると肩すかしをくらうかもしれない。 (評価:2.5)
製作:松竹大船
公開:1940年8月1日
監督:五所平之助 脚本:伏見晁 撮影:斎藤正夫 美術:金須孝 音楽:福田幸彦 日本映画雑誌協会:10位(映画旬報:8位)
愛を貫く木石女の物語だがアナクロニズムは逃れがたい
舟橋聖一の同名短編小説が原作。
木石は、木や石のように情を解さない、人間らしい感情を持たない者のことで、主人公の追川初(赤城操子)のこと。
初は40代のオールドミスで、感染症の研究所で実験動物の管理をしている。附属病院の医師や看護婦からは木石と陰口を叩かれているが、ある日、若手研究者・二桐(夏川大二郎)の助手に任命され、後継のために娘の襟子(木暮実千代)を手伝わせたことから、周囲は初めて初がシングルマザーであることを知る。
襟子は初と研究所創設者・有島(山内光)との間の子供ではないか、と附属病院の連中が噂しているときに有島が逝去。果たして襟子は誰の子か? という謎含みの展開となる。
襟子と二桐の仲が急接近。二桐がプロポーズのために初を訪れ、襟子の出生の秘密を知ることになるが、事故から初が実験動物に噛まれて感染。臨終の間際、初の有島への真実の愛を二桐に語り、同様の愛を求めて襟子を託す。
襟子は初の子ではなく、有馬のために初が引き取って育てた娘で、それこそが初の有馬への愛であり、同時に初自身が純潔を貫いたことが愛の証というように終わるが、現代感覚からするとたぶんに初の独りよがりで、初の心情を理解するにはやや忖度が必要。
それ以上にフィルムの音声状況が劣悪で、台詞が聞き取りにくいので、これまた忖度が必要。
木石には木石なりに陰となって生きなければならなかった女の人生があったというお話で、ラストシーンは晴れて木石とはならずに愛に生きる若いカップルの誕生というハッピーエンドだが、アナクロニズムは逃れがたい。 (評価:2.5)
公開:1940年8月1日
監督:五所平之助 脚本:伏見晁 撮影:斎藤正夫 美術:金須孝 音楽:福田幸彦 日本映画雑誌協会:10位(映画旬報:8位)
舟橋聖一の同名短編小説が原作。
木石は、木や石のように情を解さない、人間らしい感情を持たない者のことで、主人公の追川初(赤城操子)のこと。
初は40代のオールドミスで、感染症の研究所で実験動物の管理をしている。附属病院の医師や看護婦からは木石と陰口を叩かれているが、ある日、若手研究者・二桐(夏川大二郎)の助手に任命され、後継のために娘の襟子(木暮実千代)を手伝わせたことから、周囲は初めて初がシングルマザーであることを知る。
襟子は初と研究所創設者・有島(山内光)との間の子供ではないか、と附属病院の連中が噂しているときに有島が逝去。果たして襟子は誰の子か? という謎含みの展開となる。
襟子と二桐の仲が急接近。二桐がプロポーズのために初を訪れ、襟子の出生の秘密を知ることになるが、事故から初が実験動物に噛まれて感染。臨終の間際、初の有島への真実の愛を二桐に語り、同様の愛を求めて襟子を託す。
襟子は初の子ではなく、有馬のために初が引き取って育てた娘で、それこそが初の有馬への愛であり、同時に初自身が純潔を貫いたことが愛の証というように終わるが、現代感覚からするとたぶんに初の独りよがりで、初の心情を理解するにはやや忖度が必要。
それ以上にフィルムの音声状況が劣悪で、台詞が聞き取りにくいので、これまた忖度が必要。
木石には木石なりに陰となって生きなければならなかった女の人生があったというお話で、ラストシーンは晴れて木石とはならずに愛に生きる若いカップルの誕生というハッピーエンドだが、アナクロニズムは逃れがたい。 (評価:2.5)
支那の夜(蘇州夜曲)
公開:1940年06月05日
監督:伏水修 製作:滝村和男 脚本:小国英雄 撮影:三村明 音楽:服部良一
『支那の夜』は前後編128分で、これを93分に編集して改題したものが『蘇州夜曲』。
長谷川一夫と満洲映画協会の李香蘭が共演し、当時大ヒットした。「蘇州夜曲」は劇中歌で、主題歌の「支那の夜」も李香蘭が歌っているが、原曲の歌唱は渡辺はま子。
舞台は上海で、マドロス姿の日本人船員(長谷川一夫)が男に絡まれている中国娘(李香蘭)を助けて館に引き取る。しかし、娘は日本軍の上海攻略時に家を破壊されて両親を失い、日本を恨んでいる。船員はそんな娘の頑なな心を解きほぐし、彼女には自分が必要だと庇護者となり、思いを寄せる日本娘をふって中国娘と結婚する。
新婚間もない船員は揚子江航行中に中国ゲリラに襲われ行方不明となるが、悲しみに沈む新妻の下に帰ってきてめでたしめでたし、という物語。
船員と中国娘の関係がそのまま中国侵略中の日本と中国の関係を象徴し、日本が中国を優しく庇護すれば中国も日本に従順になるという、メッセージが込められている。日本人向けには良いとしても、中国・韓国や東南アジアなどでも上映されたため、これを屈辱と感じる中国人や、大東亜共栄圏として従属を求める国策映画だとする批判が生まれた。
のちに山口淑子自身、中国娘が船員に殴られて心を改めるシーンが中国人の観客には屈辱的だったとして、日経新聞の「私の履歴書」に反省を書いている。
山口淑子は中国生まれの日本人で、李香蘭の名で芸能活動を行っていた。彼女の弁によれば、芸名は満洲映画協会がつけたもので、観客に中国人と思われてしまったために訂正する機会を逸してしまったという。
そうした経緯を知って見ると本作は歴史的にも意味のある作品だが、テーマ同様に内容は凡庸。
ただ、当時の外灘・豫園など上海の貴重な風景が記録されていて、むしろこちらが見どころとなっている。 (評価:2.5)
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製作:日活多摩川公開:1940年2月1日
監督:倉田文人 脚本:倉田文人 撮影:気賀靖吾 音楽:奈良敦夫 日本映画雑誌協会:5位(映画旬報:4位)
満蒙開拓団を描いた国策映画に近い内容で、開拓団の希望と苦難を描き、最後に成功を収めるという教科書的映画。
開拓団は信州からの農民たちで、フィルムの第1巻が欠落しているために設定が不明だが、おそらくは嗣子ではない次男・長男、小作農ら貧しい農民が新たな土地を求めて満州にコミュニティを建設する。
開墾して畑にするが、米を作らなければ農民ではないという瑞穂の国の信徒なので、井戸を掘り、水路を作り、水田にしようと頑張る。
しかし土が柔らかで水路が崩れてしまい挫けかけるが、団長(江川宇礼雄)の熱意が通じて遂に水田に水が入る、という結末。
並行して団長の妹(風見章子)と友達が見学にやってきて、嫁(家内労働力と労働人口生産)の需要を知り、信州から大陸の花嫁を大勢連れてくるというもの。女が牝馬か牝牛のようにモノ扱いされているのが不快に感じられる。
見どころはオールロケで描かれる満州の広大な風景で、開拓村の様子が窺える。シナリオも演出も破綻がないが、こちらも教科書的でつまらない。 (評価:2)
信子
公開:1940年4月9日
監督:清水宏 脚本:長瀬喜伴 撮影:厚田雄春 美術:江坂実 音楽:伊藤宣二
獅子文六の同名小説が原作。
九州から上京した信子(高峰三枝子)が女学校の新任教師となる奮闘記で、初めは親戚のお佳(飯田蝶子)が経営する新橋芸者の置屋に下宿するが、校長に知られて学生寮の舎監を命じられる。
ところが頼子(三浦光子)という問題生徒がいて、訛りの抜けない信子をからかい、寮でも反抗して手を焼く。
頼子は学校有力者の娘で、校長以下、教師も生徒も見て見ぬ振りをするが、実はそれが頼子を問題行動に走らせる原因で、頼子の指導に正面から取り組む信子の熱意が通じて、頼子はみんなと和解し、楽しい学園生活を手にする。
体面を取り繕うだけの教育よりは愛情を持って生徒に接することが大切というのがテーマ。
ありがちなストーリーの上、信子の指導が現在の感覚からはイジメに近いのが気になるところ。頼子が部屋の掃除を終えるまで寮生全員に食事をさせない、黒板の悪戯書きの犯人探しを生徒の前でやるなど、頼子が仲間外れにされ、孤立するように仕向けてしまう。
頼子にからかわれた信子が教室を飛び出し教員室の机に突っ伏したり、ガス自殺を図った頼子が信子に心情を吐露するシーンなど、まるで古臭い少女小説のようで、演出過剰。
信子と寮生たちのハイキングのロケシーンは、清水宏らしい開放感と自然の美しさに満ちている。 (評価:2)
熱砂の誓ひ
公開:1940年12月25日
監督:渡辺邦男 製作:森田信義 脚本:木村千依男、渡辺邦男 撮影:友成達雄 音楽:古賀政男
長谷川一夫と満洲映画協会・李香蘭が共演した3作目。
監督は『白蘭の歌』(1939)と同じ渡辺邦男で、いきなり「心で感謝、身で援護」のスローガンで始まるなど前作よりもいっそうプロパガンダ色の強い国策映画となっている。途中、スローガン的煽り文字が何度もズームインしてきて、ある意味、劇画タッチ。
北京から内蒙古の庫倫への道路建設が物語の主軸で、日本にとっては幹線道路を確保し、対八路軍のための防衛ラインを構築することが目的。
道路建設責任者の兄を共産匪に殺された弟(長谷川一夫)が遺志を継いで中国に渡り、道路を完成させるまでを描く。
これに、声楽を学ぶ中国人留学生(李香蘭)との恋愛話が絡むが、当初は道路建設のために身を捧げる覚悟で彼女を振り切り、彼女は彼を追ってきて危機を救うが、その際に片輪になってしまう。しかし、青年のために身を尽くした彼女を見捨てるわけがなく、敵は非道な共産匪、日本人も支那人も仲良く手を組んで共に戦おう、という内容になっている。
これは銃後を支える民間人のための尽忠報国のドラマ。劇中、道路用地に農場を持つ中国人の大尽を説得するために、道路ができれば農産物の流通路が確保され、農民が貧困から救われると言って承諾させるシーンがあるが、道路開通祝賀のシーンで一番乗りするのは日本軍というところに、図らずも本作の意図が見える。
本作では抗日の中国農民は単に共産匪に騙されているだけという立場で、中国人懐柔を図るが、これもまた日本軍が中国民衆の抗日にてこずっていることを図らずも示している。
そうした本作制作の裏を読み取れば、これも立派に歴史性を持った作品で、劇中描かれる中国の広大な大地や北京の名所案内の貴重な映像を含めて楽しめるが、劇映画として見るとほかに見どころはない。 (評価:1.5)