海月衛 映画帖
~映画の大海原をたゆたう~

外国映画レビュー──2002年

グッバイ、レーニン!

製作国:ドイツ
日本公開:2004年2月21日
監督:ヴォルフガング・ベッカー 製作:シュテファン・アーント 脚本:ベルント・リヒテンベルク、ヴォルフガング・ベッカー 撮影:マルティン・ククラ 音楽:ヤン・ティルセン

ベルリンの壁崩壊を市井の目で描いた秀作
 原題"Good Bye Lenin!"。1989年のベルリンの壁崩壊から13年後に作られた映画。壁崩壊からはすでに20年以上の歳月が経過し、第二次大戦による東西ドイツ、ベルリンの分割と壁の建設、その後の冷戦を知らない世代が増えていることを考えれば、この映画を理解するためには観る前に歴史のおさらいをしておく必要がある。
 東ベルリンの愛国者である母親の病室の窓の景色を、西側の資本主義が侵食していく様子は、ドイツ人でなければ描けない秀逸なシーン。息子が愛国者の母を思って奮闘する姿はおかしくもあり、また切なく、シリアスな内容をコメディタッチで描いたところに、物悲しくも心に温かいものを残す。東ドイツへのノスタルジーを感じさせてあまりあるが、母親にとってベルリンの壁は崩壊するなど想像だにしないほどに強固だったという現実が重い。
 愛国者の母親が守ったものは家族であって、東ドイツという国家でも社会主義体制でもない。どのような社会であっても決して変わらない肉親の愛情。それは政治体制、国家、歴史さえも超えて普遍であることを、この映画は描いている。 (評価:4)

製作国:ブラジル
日本公開:2003年6月28日
監督:フェルナンド・メイレレス 製作:アルドレア・バラタ・ヒベイロ、マウリシオ・アンドラーデ・ラモス 脚本:ブラウリオ・マントヴァーニ 撮影:セザール・シャローン 音楽:アントニオ・ピント、エド・コルテス
キネマ旬報:6位

オリンピックを開催したリオの貧困と暴力の実態
 原題"Cidade de Deus"で、神の町の意。リオデジャネイロのスラム地区にある町の名。パウロ・リンスの同名の半自伝小説が原作。
 1958年生まれのパウロ・リンスは、リオデジャネイロで育ち、7歳のときにCidade de Deusに引っ越す。カメラが好きで、ジャーナリストを志していたパウロが、町を支配するギャング団のボスに命じられて記念写真を撮らされ、それがたまたま新聞のスクープ写真として掲載されたことからジャーナリストへの道が開け、暴力が支配する町を抜け出すまでの物語。
 Cidade de Deusでは、子供の時から銃を持ち、強盗・殺人を行っているというのが衝撃的で、パウロの兄もまた少年ギャング団の一人として麻薬ディーラーで金を稼いでいる。そうした中で、まだ小さな子供だったリトル・ゼが、町一番のギャングを夢見て少年ギャング団を抹殺し、ギャングのボスとなって勢力を拡大し、対抗ギャング団との抗争に進んで行く様子が、見ていて何とも居たたまれない。
 ギャング団の少年少女たちの悲しい恋や死が殺伐と描かれる中、彼らが生活のためにギャングとなり、元軍人でバスの車掌をしならがスラムからの脱出を夢見ていた青年が、家族を殺されて復讐のためにギャングに参加していく姿が悲しい。
 監督のフェルナンド・メイレレスはそうしたCidade de Deusの若者たちを乾いた演出で淡々と見せていくが、コマをカットした編集や、とりわけ冒頭のブスカ・ペの主観で180度カメラで回転させるシーンが秀逸。ギャングと警官隊に挟まれた彼の孤立した状況と、この状況に至るまでの過去の物語が、これから彼の主観で語られることを暗示する。ブスカ・ペは劇中でのパウロ・リンスのニックネーム。
 ラストシーンは、この物語が再び繰り返されるだろうという暗示で終わるが、ワールドカップやオリンピックを開催するまでに発展したリオデジャネイロが一方で抱えている治安の悪さ、スラムの貧困と暴力の実態を語ってくれる。 (評価:3.5)

製作国:フランス・ドイツ・イギリス・ポーランド
日本公開: 2003年2月15日
監督:ロマン・ポランスキー 製作:ロマン・ポランスキー、ロベール・ベンムッサ、アラン・サルド 脚本:ロナルド・ハーウッド、ロマン・ポランスキー 撮影:パヴェル・エデルマン 音楽:ヴォイチェフ・キラール
キネマ旬報:1位
カンヌ映画祭パルム・ドール

悲惨なワルシャワを風景のように描くリリカルな映画
 原題は"The Pianist"。この映画の主人公でポーランドのユダヤ人ピアニスト、ウワディスワフ・シュピルマンの体験記"Śmierć miasta"(都市の死)が原作。カンヌ国際映画祭パルム・ドールを受賞。
 1939年のポーランド侵攻から1945年の終戦まで、ドイツ軍占領下のワルシャワで生き延びるユダヤ人ピアニストの物語。時代に翻弄されながらも主人公の目は非常に冷静で、ナチ映画によくある悲壮感・正義感などの誇張された感情がない。物語は淡々と進み、ナチの残虐行為・ユダヤ人の悲劇・ポーランド人の裏切りとレジスタンス・戦闘が風景のように流れていく。一人称視点で主人公が見た事実だけを描き、一切の説明を加えない。ユダヤ系ポーランド人であるポランスキーは民族的感情を排し、手記を辿ることで客観的な映画に仕上げたが、ドイツ軍将校のエピソードを含め、その客観がドラマを超えた静かな感動となる。
 主人公は非力で情けなく、運に身を任せ、人を頼って生き延びるだけの男。しかし乞食のような惨めな姿となっても、生きることが一番大切だと諭す。
 ゲットーや廃墟となるワルシャワの映像がリアル。ショパンのピアノも美しく、悲惨な物語なのにとてもリリカルな映画。 (評価:3.5)

製作国:カナダ、アメリカ
日本公開:2003年1月25日
監督:マイケル・ムーア 製作:チャールズ・ビショップ、ジム・ザーネッキ、マイケル・ドノヴァン、キャスリーン・グリン、マイケル・ムーア 脚本:マイケル・ムーア 撮影:ブライアン・ダニッツ、マイケル・マクドノー 音楽:ジェフ・ギブス
キネマ旬報:4位

本作が凡作となったとき、初めてムーアの望む世の中となる
 原題"Bowling for Columbine"で、作中の字幕では「コロンバインのボーリング」と訳されている。コロンバイン(高校銃乱射事件)のためのボーリングといった意味で、1999年に起きた事件を取材したドキュメンタリー作品。犯人の高校生たちは、ボーリングをやってから銃撃に向かった。
 突撃取材のムーアらしい映画で、手法や恣意性には賛否両論のあるところだが、ムーアの熱い思いが伝わってくる。アカデミー長編ドキュメンタリー映画賞を受賞。
 アメリカの銃規制問題を題材に、戦争と暴力をテーマに、暴力の根源がアメリカ社会の個人主義とそれがもたらした隣人に対する恐怖にあることを追究していく。アメリカの歴史と暴力、貧困、人種差別、社会福祉と問題は広がっていき、ややステレオタイプな単純明快すぎる説明も多いが、それもまた猪突猛進する正義漢ムーアの個性。
 前半は説明調で取材もやや迷走気味だが、カナダ取材での戸締りをしないという衝撃的事実を前に、「家に鍵をかけるのは相手を家に入れないということではなく、自分を家に閉じ込めることだ」というカナダ人の哲学を得てからは、他者に対する恐怖が暴力の根源であると見定めて、快調に取材は進んでいく。
 とりわけ、コロンバイン事件の被害者と銃弾を売ったウォルマート本社に乗り込むシーンと、全米ライフル協会会長のチャールトン・ヘストンの大邸宅に乗り込んでいくシーンは見応えがあって、ヘストンとの対決では大スターである彼の弱さを浮き彫りにし、逆にムーアの強さが印象付けられる。
 政治もマスコミも人々の怒りを利用しているという主張は核心をついていて、そうした日常的に怒りが醸成・増幅される中で、人々は些細なことでキレる。それがより暴力的な社会を生んでいくというのは、コロンバインが直接に当てはまるかどうかは別にしても説得力がある。
 翻って、制作から10年余りが経ち、アメリカのみならず世界はムーアが望んだ方向には進んでなく、むしろ怒りと恐怖が日常に支配していることを見るとき、改めてこの作品が日本や世界にとって今日的であることを知る。
 本作が過去の凡庸な作品となって歴史的使命を終えたとき、初めてムーアの望む世の中となるが、おそらく本作は佳作のままに生き続けることになる。 (評価:3)

製作国:アメリカ
日本公開:2003年4月19日
監督:ロブ・マーシャル 製作:マーティン・リチャーズ 脚本:ビル・コンドン 撮影:ディオン・ビーブ 音楽:ジョン・カンダー、ダニー・エルフマン
キネマ旬報:8位
アカデミー作品賞 ゴールデングローブ作品賞(ミュージカル・コメディ部門)

ラストまで観ないとカイカーン!は味わえない
 原題"Chicago"。ブロードウェイ・ミュージカルの映画化で、原作は『キャバレー』『オール・ザット・ジャズ』のボブ・フォッシー。劇中でも"All That Jazz"の曲が使われている。日本の映画評論家はミュージカルがあまり好きではないらしくて、どれも評価は低い。
 この作品はアル・カポネが活躍した1920代のシカゴが舞台で、"All That Jazz"、何でもありの時代を描いている。情人を銃殺したバックステージダンサーの女が収監され、悪徳弁護士と組んで無罪を勝ち取るという正に"All That Jazz"の物語で、マスメディアと大衆は血に飢え、男たちを銃殺するスキャンダラスな女たちを次々とスターにする。その興味本位な社会と人々をコメディで描いていくが、それは現代社会と大差ないという皮肉にもなっている。
 ミュージカルの場合、劇部分と歌・踊りの部分が遊離しがちで、大抵の場合に唐突感は否めないが、この作品は主人公をダンサーに置いたことで切り替えにまったく違和感がない。初めてこの映画を見た時、殺人犯の話にもかかわらず、開き直った軽快で明るいストーリーと共に、よくできたミュージカルと感心した覚えがある。なんといっても最高なのはラストシーンで、したたかな悪女にこれほどカタルシスを感じる映画はない。
 リチャード・ギアの悪徳弁護士ぶりが楽しい。 (評価:3)

製作国:アメリカ
日本公開:2003年5月17日
監督:スティーヴン・ダルドリー 製作:ロバート・フォックス、スコット・ルーディン 脚本:デヴィッド・ヘア 撮影:シーマス・マッガーヴェイ 音楽:フィリップ・グラス 美術:マリア・ジャーコヴィク
キネマ旬報:3位
ゴールデングローブ作品賞

ニコール・キッドマンがキッドマンに見えないのも見どころか?
 原題は"The Hours"。マイケル・カニンガムの同名小説が原作。
 『ダロウェイ夫人』を執筆する1924年のヴァージニア・ウルフ(ニコール・キッドマン)、その本を読む1951年のローラ(ジュリアン・ムーア)、そしてダロウェイ夫人と同じ名の2001年のクラリッサ(メリル・ストリープ)の3人の女の話が同時進行する。
 3つの話に共通するキーワードは自分の時間を生きるということで、クラリッサのゲイで作家の恋人(エド・ハリス)は編集者の彼女に、"You've been so good to me, Mrs. Dalloway, I love you...Just wait till I die. Then you'll have to think of yourself."(僕に良くしてくれたよ、ダロウェイ夫人。僕が死んだら自分のことを考えなきゃいけない)と彼女が自分のために生きるように言う。
 ヴァージニアの場合は立場が逆で、精神を病む彼女を夫が献身的に支えるが、ヴァージニアは" I can't go on spoiling your life any longer."(わたしはこれ以上あなたの人生を無駄にすることはできない)と言って自殺する。
 ローラは息子と2人目を身籠っていて一見幸せそうに見えるが、良妻賢母でいることに疲れていて自殺を試みるが思いとどまる。そしてラストに、ローラが2人目を産むと子どもたちを捨てて家出してしまったことが明かされる。彼女はそのことを後悔しないと言い、"No one's going to forgive me. It was death. I chose life."(誰も私を許さない。でも私は死ではなく生を選んだ)と告白する。
 それぞれが自分の時間を生きるために誰かを犠牲にし、自分のために時間を犠牲にしている人のために死を選ぶ。
 小説を書いているヴァージニアの台詞に"Someone has to die in order that the rest of us should value life more."(他の人間の命の価値を際立たせるために誰かが死ななければならない)というのがあって、それがそのまま映画の中の3人の女のエピソードとなっているが、正直、で? だから? というのがあって、作品ではその回答は得られない。結局、人間は他人を犠牲にしなければ生きられないということか?
 ヴァージニアとローラは本繋がり、ヴァージニアとクラリッサはシチュエーション繋がりで、恋人がクラリッサはダロウェイ夫人だと茶化すセリフがある。では、ローラとクラリッサがどう繋がるかは見てのお楽しみで、よくできた構成になっている。
 3人の女を演じる各女優の演技も見もので、ニコール・キッドマンはアカデミー主演女優賞を受賞。髪を茶色に染め、ヴァージニアに似せたメイクアップで美貌を隠し、キッドマンに見えないところも見どころか。
 メリル・ストリープは安定の演技だが、個人的にはジュリアン・ムーアを推したい。ベルリン国際映画祭では、3人で銀熊賞を受賞している。 (評価:3)

製作国:フィンランド
日本公開:2003年3月15日
監督:アキ・カウリスマキ 製作:アキ・カウリスマキ 脚本:アキ・カウリスマキ 撮影:ティモ・サルミネン
キネマ旬報:7位

寒い国のギャグというのは気候同様に凍えている
 原題"Mies vailla menneisyyttä"で邦題の意。
 コメディ映画だが、カウリスマキがそうなのかもしれないが、寒い国のギャグというのは気候同様に凍えていて、シリアスな展開の中で唐突に繰り出されるのが、ある意味見どころ。
 結末で明らかにされるのだが、妻に離縁状を突きつけられた溶接工の男が新しい生活を始めようと汽車に乗り、ヘルシンキにやってくるところから始まる。男は公園で暴漢に襲われ記憶を失くしてしまうので、この設定は冒頭では明らかにされず、正体不明の男という謎のままに物語は進行する。
 男はコンテナハウスに暮らす人々に助けられ、その一員となって暮らすが、名前も社会保障番号も思い出せないため就職もままならず、救世軍の支援を受けながら、そこの女と親しくなる。偶然に溶接の技術を認められたことから就労するが、銀行強盗事件に巻き込まれたことから容疑者と間違えられ、新聞に載って、それがきっかけで身元がわかるという流れ。
 既婚者とわかって救世軍の女は失恋するが、男は離縁されていたことがわかってヘルシンキに戻り、ハッピーエンドとなる。
 凍えたギャグをはじめ、カウリスマキらしい独特の文法で書かれた映画で、このツボを面白いと感じるかどうかも関門。
 日本の無国籍者同様、社会保障番号がないと社会から抹消されてしまうという、人間存在の意味、アイデンティティを問う作品でもあって、救世軍の週1回の慈善鍋をディナーと表現する社会から弾き出されたコンテナハウスの人々を、社会から抹消された主人公に相似させて描く。
 主人公とそれを取り巻く人々の存在を社会の中の笑えないコメディとして描きながら、それがカウリスマキの凍えたギャグと共振している。 (評価:2.5)

製作国:アメリカ
日本公開:2002年10月5日
監督:サム・メンデス 製作:サム・メンデス、ディーン・ザナック、リチャード・D・ザナック 脚本:デヴィッド・セルフ 撮影:コンラッド・L・ホール 美術:デニス・ガスナー 音楽:トーマス・ニューマン
キネマ旬報:1位

「再会」の歌詞のようにミシガン湖に夕日が沈んで終わる
 原題"Road to Perdition"で、破滅への道の意。劇中では、親子が逃亡を目指す叔母の家があるミシガン湖のほとりにある町の名となっている。
 マックス・アラン・コリンズ作、リチャード・ピアース・レイナー画の同名グラフィックノベルが原作。
 舞台はシカゴに近いロックアイランド。主人公はヤクザの長男(タイラー・ホークリン)で、お父ちゃん(トム・ハンクス)の仕事ぶりを見たのが組に知れてしまったことから命を狙われ、代わりにお母ちゃんと弟が殺されてしまう。
 お父ちゃんは長男を連れて逃亡を図り追っ手を皆殺しにした上に親代わりの組長(ポール・ニューマン)も殺してしまい、抗争に決着をつけて裏社会とは手を切り、安息の町パーディションで再出発を図ろうとするが、すでに組長が雇っていた殺し屋(ジュード・ロウ)が待ち伏せしていて殺され、長男は一人ぼっちになるという結末。
 全体は長男の父親の思い出という形式を採っている。
 物語の狂言回しとなるのが組長の息子(ダニエル・クレイグ)で、主要人物に名優が揃っている上に、サム・メンデス監督となれば、つまらないわけがない。
 跳ねっ返りで出来の悪い組長の息子。バカ息子に悩みながらも愛情を捨てられない組長。ヤクザでありながら家族思いで子煩悩なお父ちゃん。死体写真を撮るのが趣味の変質者の殺し屋。
 それでも今ひとつ食い足りないのは、ヤクザ世界の二組の父子愛を描きながらも表面的で、葛藤までには至っていないためで、結局は死と背中合わせのヤクザたちのセンチメントを描いただけに終わっている。
 人殺しも厭わないヤクザだった父をみんなは悪い人というが、家族にとってはいつも良い人だった…では、松尾和子の「再会」の歌詞のようで、ミシガン湖に夕日が沈んだだけに終わってしまう。 (評価:2.5)

マグダレンの祈り

製作国:イギリス、アイルランド
日本公開:2003年10月11日
監督:ピーター・ミュラン 製作:フランシス・ヒグソン 脚本:ピーター・ミュラン 撮影:ナイジェル・ウィロウビー 美術:マーク・リーズ 音楽:クレイグ・アームストロング
ヴェネチア映画祭金獅子賞

現代のマグダラのマリアたちのショッキングな受難を描く
 原題"The Magdalene Sisters"で、マグダレンの修道女たちの意。
 アイルランドに実在したマグダレン保護施設を舞台にした物語。施設は修道院が運営する更生施設で、精神病院も附設されていた。
 修道院の名はキリストによって改心させられた娼婦のマグダラのマリアに因んでいて、性的に堕落した娘たちにランドリーの洗濯婦として勤労させていたことから、マグダレン洗濯所とも呼ばれた。
 施設が最初に出来たのはイギリスで、18〜20世紀にアイルランドやスウェーデン、カナダ、アメリカ、オーストラリアにも広がったが、厳格な宗教にありがちな狂信的な信念で運営され、保護とは名ばかりの非人間的な強制労働所で、収容者が終身刑の囚人の如く扱われていた様子をドラマとして描いている。
 信じ難いほどにショッキングな実態で、それが1996年まであったと知ればさらに驚く。
 敬虔なカトリックのアイルランド、1960年代が舞台で、従兄にレイプされた少女マーガレット(アンヌ=マリー・ダフ)が、親戚の相談で逆にふしだらな娘として施設に入れられるところから物語は始まる。
 孤児院育ちのコケティッシュなバーナデット(ノラ=ジェーン・ヌーン)、私生児を産んだローズ(ドロシー・ダフィ)の3人がマーガレットとともに収容され、少女たちが穢れた者として非人間的な扱いを受けるだけでなく、院長を始めとして看守となる修道女たちが暴行や虐待をする様子が描かれる。
 ランドリーは施設外の受託による収益を得ていて、それらは院長の金庫にしまわれ、性的弱者として収容されている頭の弱い少女クリスピーナ(アイリーン・ウォルシュ)を神父が姦淫するするなど、修道院の偽善・欺瞞を告発する。
 マーガレットの策略により神父の堕落が明るみに出るが、被害者のクリスピーナは精神病院の独房に入れられ、拒食症で早逝する。
 4年後、マーガレットは真実を知った弟によって救出され、バーナデットとローズは脱走に成功。それぞれに市民としての自由を得るという結末。
 監督のピーター・マランは、施設の閉鎖後に、収容者たちが敬虔なカトリック信者であるために、告発をせず謝罪と補償を受けられていないことを制作理由としているが、残念ながらそこまでは伝わってこない。 (評価:2.5)

キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン

製作国:アメリカ
日本公開:2003年3月21日
監督:スティーヴン・スピルバーグ 製作:スティーヴン・スピルバーグ、ウォルター・F・パークス 脚本:ジェフ・ナサンソン 撮影:ヤヌス・カミンスキー 音楽:ジョン・ウィリアムズ

鬼ごっこは楽しいが、鬼を捕まえ損なった感じがする
 原作はフランク・W・アバグネイル・Jrの同名の自伝"Catch Me If You Can "。
 小切手偽造で250万ドル以上を騙し取った10代の天才詐欺師の実話を脚色した映画で、主演の詐欺師とそれを追いかけるFBI捜査官をディカプリオとトム・ハンクスが演じる。ストーリーもテンポよく、芸達者な2人が演じるため安心して楽しめる娯楽作品。ディカプリオと父(クリストファー・ウォーケン)との父子愛も絡んで、詐欺師の内面も描きだす。
 観ていて面白いのは1960年当時のアメリカの風俗がわかることで、今は潰れてしまったパン・アメリカン航空のステータスと信用力、パイロットの人気ぶりが嘘のよう。バックには当時のヒット曲が流れて懐かしい。
 スピルバーグらしく話は壮快で飽きさせないが、それ以上のものがあるかというと、主演の2人の演技にもそれほどの深みはない。ウォーケンの落ちぶれながら詐欺師の息子をやさしく見守る父親がなかなか良いが、ディカプリオがうまく絡まないために空振りに終わっている。作品としても楽しくはあるが鬼を捕まえ損なった感がある。 (評価:2.5)

タイムマシン

製作国:アメリカ
日本公開:2002年7月20日
監督:サイモン・ウェルズ 製作:ウォルター・F・パークス、デヴィッド・ヴァルデス 脚本:ジョン・ローガン 撮影:ドナルド・マカルパイン 音楽:クラウス・バデルト

誰でもタイムマシンを持っている。ロマンチックなSF
 ​H​.​G​.​ウ​ェ​ル​ズ​の​1​8​9​5​年​の​S​F​小​説​の​名​作​「​タ​イ​ム​・​マ​シ​ン​」​の2度目の映画化​。​原​題​は​と​も​に​"​T​h​e​ ​T​i​m​e​ ​M​a​c​h​i​n​e​"​。原作や1960年の映画とは相違点があって、社会派というよりはラブ・ロマンスの娯楽映画。それを受け入れられるかどうかで評価も分かれる。
 冒頭の恋人とのエピソードはオリジナルだが、過去を修正できないという因果律の問題に触れており、ラストシーンも改変されている。科学的問題を意識して書かれたシナリオかどうかは不明だが、単なる娯楽映画と決めつけるのも可哀そう。
 この作品のテーマは「なぜ過去は変えられないのか」という因果律で、タイムトラベルには否定的。ウーバー・モーロックがアレクサンダーに言う台詞 "We all have our time machines, don't we? Those that take us back... are memories. Those that carry us forward... are dreams."(誰でもタイムマシンを持っている。過去へは記憶が、未来へは夢が連れていってくれる)が哲学的でなかなかいい。
 1960年版では核戦争が地球を破壊するが、本作は月開発と政治を避けている。モーロックがイーロイを家畜化している描写もなく、イーロイは有色人種で知能もあり(1960年版は白人で無能化されている)、人種問題にも配慮している。やや過剰とも思えるが、ドリームワークスとしては政治色を排除したかったのだろう。
 冒頭の雪のニューヨークのシーンはリリカルで美しい。後半はアクション映画で原作からはかけ離れるが、難しいことは考えずに楽しむ映画かもしれない。 (評価:2.5)

製作国:韓国
日本公開:2004年2月7日
監督:イ・チャンドン 製作:ミョン・ゲナム 脚本:イ・チャンドン 撮影:チェ・ヨンテク 美術:シン・チョミ 音楽:イ・ジェジン
キネマ旬報:4位

はぐれ者同士の恋愛を描くがラストシーンは爽やか
 原題"오아시스"で邦題の意。
 はぐれ者同士の恋愛を描いた作品で、青年は前科3犯、娘は脳性麻痺という設定。障碍者が絡むラブストーリーは他にもあるが、脳性麻痺というのが若干微妙で、少なくとも青年が彼女を可愛いと思った動機がよくわからない。
 彼女と知り合うきっかけは、出所後、彼が3犯となった自動車による過失致死事故の遺族を見舞ったところ、彼女が被害者の娘だった。兄夫婦は障碍者住宅を斡旋されながら、彼女を置き去りにして引っ越してしまうという人非人で、それを見て同情したのか、はたまた、過失致死事故というのが青年の兄の身代りで、兄への当てつけから被害者の娘と交際を始めたのかはっきりしない。ただ、ドラマが進むうちに青年が娘を愛するようになったのは描けていて、二人の恋の進展は嫌味なく描けている。
 娘を演じるムン・ソリの脳性麻痺の演技の妥当性については終始悩まされるが、青年役のソル・ギョングともども頑張っている。
 青年と娘が愛し合っているところを見つかり、青年は婦女暴行で再び入獄してしまうが、警察の取り調べの杜撰さはおおいに突っ込みどころだが、ラストシーンのためにはシナリオの不整合は目を瞑るのが見方としては賢明。
 青年と娘が出会うシーンで、彼女の部屋の中を飛ぶCGの鳩が彼女の手鏡の外光のリフレクションに変わるシーンが上手く、逆に外光のリフレクションが蝶に変化するシーンと合わせて、彼女が籠の鳥であり、手鏡のリフレクションが詩を愛する彼女の自由への夢であることが示される。その夢をもたらすのが青年で、作品的には少女趣味の非現実的なお姫様物語といえなくもないが、意外なほどに爽やかなラストシーンで見終わることができる。 (評価:2.5)

製作国:スペイン
日本公開:2003年6月28日
監督:ペドロ・アルモドバル 製作:アグスティン・アルモドバル 脚本:ペドロ・アルモドバル 撮影:ハビエル・アギーレサロベ 音楽:アルベルト・イグレシアス
キネマ旬報:2位

ハビエル・カマラのじわじわ伝わる変態ぶりがいい
 原題は"Hable con ella"で「彼女への話」(Talk to Her)の意。
 交通事故で植物人間になってしまった美人に付き添う男の看護師の話で、昏睡の彼女に彼女の好きなサイレント映画の話を一方的に聞かせることがタイトルの由来。
 同様に女闘牛士を植物人間にしてしまったことに責任を感じるライターが、同じ病院で看護師に出合い、二つの愛の形が進行する。
 アカデミー脚本賞を獲ったシナリオはよくできていて、植物人間の彼女に話しかけることに意味を感じる看護師とそうではないライター。結果的にライターの愛は真の愛とはならないまま、女闘牛士の元恋人に彼女を奪われてしまう。
 一方の看護師は、入院前から彼女を見初めていて、入院後に彼女を看護するために看護師となり、彼女に奉仕する。
 このキャラクター造形は、ほとんど谷崎潤一郎の変態的フェミニズムの世界だが、夜勤のときに彼女と交わり妊娠させてしまう。彼女に話し聞かせるサイレント映画の物語もほとんど夢物語で、彼自身が彼女との夢の世界の住人となっているが、その夢も冷めないままに刑務所に入れられ、二人の夢を共有すべく自らも植物人間になろうとする。
 ここに看護師の純粋な愛の形を見れば、優れた物語なのだが、所詮は自己中心的な愛でしかなく、結果として彼女と同一化し、彼女を目覚めさせたものの、愛について語れることもなければ、彼・彼女について何かを語っているわけでもなく、ただの変態性愛映画に終わっている。
 ハビエル・カマラのじわじわと伝わる変態ぶりがちょっといい。 (評価:2.5)

ブラディ・サンデー

製作国:イギリス、アイルランド
日本公開:劇場未公開
監督:ポール・グリーングラス 製作:マーク・レッドヘッド、アーサー・ラッピン 脚本:ポール・グリーングラス 撮影:アイヴァン・ストラスバーグ 音楽:ドミニク・マルドウニー
ベルリン映画祭金熊賞

虐殺者がエリザベス女王に叙勲されたことに驚く
 原題"Bloody Sunday"で、血の日曜日の意。15歳の時に公民権要求の行進に参加し、血の日曜日事件を目撃したドン・マランの著書"Eyewitness Bloody Sunday"(血の日曜日の目撃者)が原作。
 グラナダ・テレビで製作されたテレビ映画で、劇場上映された。
 1972年1月30日に北アイルランドのデリーで起きた、イギリス軍による流血のデモ行進鎮圧、血の日曜日事件の顛末をドキュメンタリー風に描いた作品。デモ行進を主催した北アイルランド下院議員アイヴァン・クーパー(ジェームズ・ネスビット)の目を通して、デモ行進の前日の準備段階から当日の様子、事件発生とその後を描いている。
 クーパーは穏健派のプロテスタントで、アイルラン主流派のカトリック、急進派のIRAとそのシンパまでの当時の北アイルランドの社会情勢を丁寧に描きながら、事件発生がイギリス軍パラシュート連隊による市民への無差別発砲によるものという立場から真相を追究する。
 イギリス政府とIRAの紛争が泥沼化するきっかけとなるが、公民権要求の内容が北アイルランド市民が公判なしで拘禁されるなど、民主主義国家とは思えない人権状況に驚く。
 イギリス軍は無罪となり、虐殺した部隊がエリザベス女王に叙勲されたという最後の字幕に、階級制度の残るこの国の実態を知る。
 基本は被害者視点から描かれるので、イギリスに対して義憤を感じるように作られているが、それを割り引いても事件にイギリスの正当性はなく、四半世紀後の再調査でイギリス政府は被害者側の言い分を認めて謝罪することになる。 (評価:2.5)

製作国:ドイツ、イギリス、アメリカ
日本公開:2002年8月31日
監督:ポール・W・S・アンダーソン 製作:ポール・W・S・アンダーソン、ジェレミー・ボルト、ベルント・アイヒンガー、サミュエル・ハディダ 脚本:ポール・W・S・アンダーソン 撮影:デヴィッド・ジョンソン 音楽:マリリン・マンソン、マルコ・ベルトラミ

女二人と狂暴化したドーベルマンのゾンビ犬が怖い
 原題"Resident Evil"で、居住する邪悪の意。カプコンの同名ビデオゲーム(英題、原題は『バイオハザード』)が原作。
 21世紀初頭、アメリカの医薬品企業アンブレラ社の地下にある秘密工場が生物兵器を製造。これを盗んで売り捌こうとした警備員スペンサー(ジェームズ・ピュアフォイ)が、故意に研究所内をウイルスで感染させたために、マザーコンピュータが研究所を封鎖してしまう。
 本社は原因を探るべく特殊部隊を潜入させ、スペンサー同様に警備員のアリス(ミラ・ジョヴォヴィッチ)も加わるが、所員全員がゾンビとなっていて、侵入を防ごうとするマザーコンピュータやゾンビたちに襲われながら、命からがら脱出するというストーリー。
 ウイルスが細胞を増殖させるため、それによって死体が動いたり、食餌をする必要があり、生体においても身体能力の強化を図れるという設定になっている。基本はゾンビからのサバイバルで、ホラー演出とアクションが見どころ。
 生き残るのはアリスと警官のマット(エリック・メビウス)の二人で、死んでしまう紅一点の特殊部隊隊員レイン(ミシェル・ロドリゲス)とアリスの女二人が大活躍する。
 アリスとマットはアンブレラ社の病院に回収され、目を覚ましたアリスが病室を出ると、街がウイルス感染で荒廃しているという続編に続けられるラストシーンになっている。
 ウイルスに感染して狂暴化したドーベルマンのゾンビ犬や、生物兵器として造られたクリーチャーが怖い。 (評価:2.5)

ブラッド・ワーク

製作国:アメリカ
日本公開:2002年12月7日
監督:クリント・イーストウッド 製作:クリント・イーストウッド 脚本:ブライアン・ヘルゲランド 撮影:トム・スターン 美術:ヘンリー・バムステッド 音楽:レニー・ニーハウス

心臓移植のアイディアが面白いホームズvsモリアーティ
 原題"Blood Work"で、血液検査の意。マイクル・コナリーの同名小説が原作。
 72歳のイーストウッドが、ダーティハリーよろしく刑事に扮して活躍する犯罪ドラマで、役どころはプロファイルを得意とする頭脳的なFBI分析官マッケイレブ。しかし、ダーティハリーへの憧憬断ちがたく、冒頭連続殺人犯を追い駆けるものの心臓発作で倒れてしまう。シーン上は全力疾走するが、イーストウッドの足が追い付いていないのは明らかで、話に相当無理があり、倒れて妙に安心してしまう。
 連続殺人犯というのがレクター教授+モリアーティ教授のようなサイコで、マッケイレブの頭脳に挑戦してゲームをするのが目的という、ホームズvsモリアーティの古典的設定。
 本作の面白いところは、心臓病で倒れたマッケイレブをゲーム相手に戻すために、稀有な血液型の臓器提供者を殺害してマッケイレブに心臓移植。そうとは知らない臓器提供者の姉グラシエラ(ワンダ・デ・ジーザス)が、優秀なるマッケイレブに捜査を依頼するという筋立てになっている。
 連続殺人犯は意外なところにいて、途中でそれとなく気づくのだが、正体がわかってからは頭脳戦はすっ飛んで肉弾戦になるのはダーティハリーの性か、それとも『最後の事件』へのオマージュ? 舞台はスイスアルプス・ライヘンバッハの滝ならぬ、ロサンゼルス・ロングビーチ湾というのがハリウッド的。
 マッケイレブが年甲斐もなくグラシエラとデキてしまうのは、モテ男のヒーローを辞められないイーストウッドの性なのか、それともお約束のためなのか。
 それとも、まさかのサービスシーン? (評価:2.5)

製作国:香港
日本公開:2003年10月11日
監督:アンドリュー・ラウ、アラン・マック 製作:アンドリュー・ラウ 脚本:アラン・マック、フェリックス・チョン 撮影:ライ・イウファイ、アンドリュー・ラウ 音楽:コンフォート・チャン
キネマ旬報:9位

アイディアは面白いがスリル感がないのが物足りない
 原題"無間道"で仏教用語。悟りに至る四道の第2過程で、休む間もなく煩悩を断つ段階を指すが、映画では無間地獄のこととしている。無間地獄は中国思想で、八大地獄の一つ。
 マフィアへの潜入捜査官と、マフィアに内通する警官の物語で、その状況を無間地獄に譬えているだけで、宗教的な深い意味はない。  邦題は英題"Infernal Affairs"の転用で、地獄の状況の意。
 シナリオのアイディアがよくできていて、2006年にマーティン・スコセッシ監督の『ディパーテッド』にリメイクされた。
 潜入捜査官をトニー・レオン、マフィアから送り込まれた警察官をアンソニー・ウォンが演じる。二人が同じ警察学校に在籍しているときに、優秀なレオンはマフィアに潜入するために偽装退学をする。ウォンは出世街道を行くが、10年後、タイからの麻薬取引を摘発するために、それぞれが情報を提供し、マフィア・警察双方に内通者がいることがわかる。
 10年後に初めて潜入捜査官が活用されるという悠長さが若干リアリティを欠くのと、この間のマフィアと警察の対立が描かれないのも気が抜けている。発覚後に両者がすぐに潜入者の存在を相手に宣言して対立するのも、わかりやすいといえばわかりやすいが、『ディパーテッド』の存在を知らないままに、疑心暗鬼のうちに内通者が孤立感と身の危険を感じていくというスリル感がないのが物足りない。
 脚本のアイディアだけで段取り的に物語が進み、ドラマとしての肉付けや演出がない。102分という短さもあって、ダイジェスト的に物語が進んでしまうのが恨み。
 本作のヌケ落ちた部分を補完する形で、第2作と第3作が制作されている。 (評価:2.5)

ネメシス/S.T.X

製作国:アメリカ
日本公開:2003年4月12日
監督:スチュアート・ベアード 製作:リック・バーマン 脚本:ジョン・ローガン 撮影:ジェフリー・L・キンボール 音楽:ジェリー・ゴールドスミス

旧作キャストによるTOS・TNGの劇場版最終作
 TVシリーズ『新スタートレック』(Star Trek: The Next Generation)メンバーによる劇場版第4作。劇場版通算としては第10作にあたる。原題は"Star Trek Nemesis"だが、劇場公開時の邦題はネメシス/S.T.Ⅹ。TVシリーズは1987~94にかけて7シーズン放映された。
 ネメシスはギリシャ神話の女神だが、1980年代に発表された太陽系に近接する軌道を周回する仮説上の恒星の名に付けられた。ネメシス仮説では、ネメシスは地球上の周期的な生物の大量絶滅の原因とされる。この仮説を基にアイザック・アシモフがSF小説"Nemesis"を書いている。劇中、ピカードのクローンが、セラロン(架空物質)によって地球の全生物を滅ぼそうとする。
 ロミュラン帝国でクーデターが起きてシンゾンが新執政官となるが、なんとピカードのクローンだった。シンゾンは惑星連邦との和平を望むが。一方、エンタープライズ号はデータのプロトタイプのアンドロイドを発見。ミステリー仕立てでストーリーは進むが、やがてシンゾンの目的が明らかになる。
『新スタートレック』劇場版シリーズの最終作であり、副官ライカーとトロイが結婚して船を降り、データにも衝撃的な見せ場が用意される。謎解きと宇宙空間での派手な戦闘もあり、1979年の劇場版第1作から23年が経ってCGも格段の進歩を遂げて、劇場版シリーズの集大成ともいえるが、この後に通算第11作『スター・トレック』(2009)が制作され、キャスティングも新たな新生"Star Trek"が始まることになる。 (評価:2.5)

製作国:アメリカ
日本公開:2002年11月2日
監督:ゴア・ヴァービンスキー 製作:ローリー・マクドナルド、ウォルター・F・パークス 脚本:アーレン・クルーガー 撮影:ボジャン・バゼリ 音楽:ハンス・ジマー

呪いのビデオテープに時代遅れ感があるのがご愛嬌
 原題"The Ring"で、輪の意。中田秀夫監督の『リング』(1998)のリメイクで、鈴木光司の同名ホラー小説が原作。
 舞台をシアトルに移しただけで、基本的にはオリジナル版を踏襲している。ただ、主人公レイチェル(ナオミ・ワッツ)の元夫ノア(マーティン・ヘンダーソン)と貞子に変わる少女サマラ(ダヴェイ・チェイス)から霊能力者という要素を取り除き、オカルトをビデオテープを媒介にした呪い1本に絞っているので、オカルト&都市伝説全開のオリジナルより、サスペンスとしてのリアリティが増したともいえるし、逆にビデオテープが如何にして呪われたかという理屈の裏付けが薄くなったともいえる。
 レイチェルは新聞記者で、女子高生の姪の変死と呪いのビデオの噂から事件性を嗅ぎつけ、取材中に自らも呪いのビデオを見てしまう。次いで元夫ノア、幼い息子エイダンがビデオを見て呪われ、余命7日間で真相を突き止める。
 農場主モーガン(ブライアン・コックス)の家に災厄をもたらした養女サマラが井戸に落とされて殺され、その上に山荘が建って呪いのビデオが誕生するが、どうやってビデオが出来たかは不明。
 ビデオテープをコピーすると呪いが他に移ることに気づいたレイチェルが、エイダンにもコピーさせて一件落着。後はコピーを誰にプレゼントするかで、To be continued はホラーの常道。
 テープからDVDへの移行期で、呪いのビデオテープが若干時代遅れ感があるのがご愛嬌だが、ナオミ・ワッツ主演で美と恐怖が楽しめる。 (評価:2.5)

メン・イン・ブラック2

製作国:アメリカ
日本公開:2002年7月6日
監督:バリー・ソネンフェルド 製作:ローリー・マクドナルド、ウォルター・F・パークス 脚本:ロバート・ゴードン、バリー・ファナロ 撮影:グレッグ・ガーディナー 音楽:ダニー・エルフマン

冒頭の宇宙船の着陸シーンが最大の見どころ
 前作のヒットを受けて5年後に公開された。原作はローウェル・カニングハイムの同名のアメコミ。(『メン・イン・ブラック』のレビュー参照)
 続編というのは一部の例外を除いて大抵前作の出来を下回るが、この作品も例外ではない。とりわけコメディ作品では、設定とキャラクターが同じであれば前作を踏襲するしかなく(前作が受けた理由がそこにあるわけで)、ギャグが二番煎じとなるのは仕方ない。それを回避する一番の方法は続編を作らないことだが、ビジネスである以上はそうも言ってられない。
 その場合、ストーリーの目先を変えて、新キャラを入れるというのが常道だが、今回のメドゥーサ型のエイリアンはアメリカ映画によくある悪女タイプで、凡庸。ストーリーに恋愛話などを入れてドラマ性を強めるのもよく使う手だが、本作の場合は安直すぎて安っぽい。
 郵便局長のトミー・リー・ジョーンズが記憶を取り戻してMIBに復活するが、老けて冴えない感じだし、ウィル・スミスも今ひとつ。前作の溌剌さがない。見どころといえるのは冒頭の宇宙船の着陸シーンと地下鉄に巣食うミミズ型エイリアンくらい。
 もっとも前作同様のスラップスティックなギャグは健在なので、何も考えずにお気楽に見る分には十分笑える。 (評価:2)

ギャング・オブ・ニューヨーク

製作国:アメリカ
日本公開:2002年12月21日
監督:マーティン・スコセッシ 製作:アルベルト・グリマルディ、マーティン・スコセッシ 脚本:ジェイ・コックス、ケネス・ロナーガン、スティーヴン・ザイリアン 撮影:ミヒャエル・バルハウス 美術:ダンテ・フェレッティ 音楽:エルマー・バーンスタイン、ハワード・ショア

NYを作ったのはギャングだと言われると若干鼻白む
 原題"Gangs of New York"。1927年に書かれたハーバート・アズベリーの同名ノンフィクションが原案。
 1863年のニューヨークのスラム、ファイブ・ポインツが舞台。16年前に2つのギャング・グループ、ネイティヴズとデッド・ラビッツの抗争があり、ネイティヴズのリーダー、ブッチャー(ダニエル・デイ=ルイス)にデッド・ラビッツのリーダーである父・ヴァロン神父(リーアム・ニーソン)を殺されたアムステルダム(レオナルド・ディカプリオ)が復讐する物語で、ネイティヴズはアメリカ生まれのイングランド系、デッド・ラビッツは飢饉のためにアメリカに渡ってきた新参のアイルランド移民。前者はプロテスタント、後者はカトリックで、排外主義と宗教的対立が背景となっている。
 ヴァロン神父の死後、デッド・ラビッツは消滅し、アイルランド人はネイティヴズの支配下に置かれていて、孤児院を出てファイブ・ポインツに帰ったアムステルダムはブッチャーの子分となるが、女スリ師ジェニー(キャメロン・ディアス)と恋仲になり、これに妬いた幼馴染ジョニー(ヘンリー・トーマス)の裏切りでブッチャーと敵対。デッド・ラビッツを再結成し、政治家も巻き込んだ抗争となる。
 時は南北戦争。国家の忠誠のために徴兵される貧乏人たちの暴動が起き、軍隊が出動する中、アムステルダムはブッチャーへの復讐を果たすが、暴動は鎮圧され、ギャングが支配した混沌の街は近代都市ニューヨークへと変貌する。
 スラム視点からニューヨーク前史を描くが、近代都市ニューヨークの礎となったのはギャングや移民たちだと言われると、それだけでもないような気がして若干鼻白む。
 ニューヨーク前史としてはミクロに偏り過ぎていて全体像に欠け、ギャング映画としては長いばかりで纏まりと盛り上がりに欠ける。実在の登場人物もいるが、アムステルダムは架空。 (評価:2)

スター・ウォーズ エピソード2/クローンの攻撃

製作国:アメリカ
日本公開:2002年7月13日
監督:ジョージ・ルーカス 製作:リック・マッカラム 脚本:ジョナサン・ヘイルズ、ジョージ・ルーカス 撮影:デヴィッド・タッターサル 美術:ギャビン・ボケ 音楽:ジョン・ウィリアムズ

エピソード3のための段取りの物語でバランスが悪い
 原題"Star Wars: Episode Ⅱ Attack of the Clones"で、副題はクローンの攻撃の意。『スター・ウォーズ』シリーズ第5作。時系列のエピソード2。
 ナブーの戦いから約10年。女王の任期を終えたパドメ(ナタリー・ポートマン)は元老院議員に、アナキン(ヘイデン・クリステンセン)は青年となって再会。二人の間に恋が芽生えるという、エピソード3でルークとレイアを誕生させるための段取りの物語となっている。
 アナキンは前作以降ずっとパドメに恋い焦がれ、母恋しのホームシックにも罹っていたという設定で、あるいはパドメはママ代わりで、これがダークサイドに堕ちる要因となるが、説明不足なのか、二人の演技力不足なのか、説得力を持たない。とりわけパドメがアナキンを好きになる理由がわからず、熱烈な恋の末に悩みなく結婚してしまうのが、エピソード3の下準備にしか見えないのが残念。
 並行してシスの暗黒卿シディアス(イアン・マクダーミド)の意を受けたドゥークー伯爵(クリストファー・リー)が共和国の分裂を主導。敵対するパドメの暗殺を謀り、真相を探るオビ=ワン(ユアン・マクレガー)、アナキン、ヨーダらジェダイ評議会との戦いが描かれるが、話がとっ散らかっていて纏まりがなく、ダラダラと戦闘シーンが続くだけになっている。
 冒頭、アナキンとオビ=ワンが惑星コルサントで暗殺者を追いかけるシーンはスピーディで迫力があるが、その後は通常の地上戦ばかりでアクションとしても退屈。惑星カミーノのクローン兵団や惑星ジオノーシスのドロイドなど、質ではなく量の演出に頼っている。
 アナキンとパドメの恋愛を中心としたドラマが主軸になっているため、特撮によるアクション・エンタテイメントが本来の魅力の『スター・ウォーズ』としては、バランスの悪い作品になっている。ラストが尻切れトンボなのも難。 (評価:2)

ロード・オブ・ザ・リング 二つの塔

製作国:アメリカ、ニュージーランド
日本公開:2003年2月22日
監督:ピーター・ジャクソン 製作:ピーター・ジャクソン、バリー・M・オズボーン、フラン・ウォルシュ 脚本:ピーター・ジャクソン、フラン・ウォルシュ、フィリッパ・ボウエン、スティーヴン・シンクレア 撮影:アンドリュー・レスニー 美術:グラント・メイジャー 音楽:ハワード・ショア

並行して進む3つの話がバラバラで纏まりに欠く
 原題"The Lord of the Rings: The Two Towers"で、指輪たちの所有者:二つの塔の意。J・R・R・トールキンの同名ファンタジー小説が原作。
 『指輪物語』3部作の第2作で、『ロード・オブ・ザ・リング』(2001)の続編。
 前作ラストでバラバラとなり、滅びの山のあるモルドールをサム(ショーン・アスティン)と二人だけで目指すフロド(イライジャ・ウッド)、オークに捕まったホビットのピピン(ペレグリン・トゥック)とメリー (メリアドク・ブランディバック)、攫われた二人を追うアラゴルン(ヴィゴ・モーテンセン)ら3人の3つに分かれ、並行して物語が進む。
 中心となるのはアラゴルンら3人のエピソードで、前作で死んだはずのガンダルフ(イアン・マッケラン)と再会、冥王サウロンの麾下サルマン(クリストファー・リー)に侵略されるローハンを救いに行く。
 一方、フロドたちは指輪に導かれたゴラムと出会い、これを道案内にモンドールまでやってくるが、モンドールと戦うゴンドールの守備隊に捕まり連行される。
 ホビットのピピンとメリーはオークから逃げ出して森に逃げ込み、樹木の種族エントと出会いホビット庄に帰ろうとするが、思い直してモンドールを目指す。
 序章と最終章「王の帰還」の繋ぎなので、サイドストーリーのようなエピソードが延々と続くことになる。要はどれだけ面白いストーリーないしはドラマで間を持たせられるかなのだが、フロドがモンドールに潜入するまでのエピソードや、樹木に似たエントのビジュアルの面白さはともかく、ローハンでの類型的な話や戦闘をメインとしたドラマ的に変化のない後半戦がどうにも冗長。
 並行して進む3つの話も方向性がバラバラで焦点が定まらず、纏まりに欠いて煩雑。
 ローハンでは、陰謀話と戦闘だけでは話が持たないとあって、アラゴルンと王女エオウィン(ミランダ・オットー)の恋愛話を絡めるが、薄味でドラマとして弱い。
 どのエピソードも本筋の指輪からは遠ざかっているため、繋ぎの話を延々と見せられる。キャラクターとして一番立っているガンダルフが、生まれ変わって戻ってくるのが一番の見せ場で、作品全体がイアン・マッケランで持っている感じ。
 最後はエルフ軍の応援を得ながらも苦戦するローハン軍に、ロヒアリムの軍勢を率いたガンダルフが駆けつけてサルマン軍に勝利。一方、森の破壊に怒ったエントがサルマンの拠点を破壊するが、制作当時盛んに使われたCGのモブ戦闘シーンは、シミュレーションゲームのようで活気も迫力も伝わって来ない。
 CGやVFXを使ったアクションシーンは、各シーンを切り出せば良く出来てはいるが、ドラマ性に欠けていて、単調な戦闘ゲーム画面を延々と見せられているよう。 (評価:2)

マイノリティ・リポート

製作国:アメリカ
日本公開:2002年12月7日
監督:スティーヴン・スピルバーグ 製作:ボニー・カーティス、ジェラルド・R・モーレン、ヤン・デ・ボン、ウォルター・F・パークス 脚本:ジョン・コーエン、スコット・フランク 撮影:ヤヌス・カミンスキー 音楽:ジョン・ウィリアムズ

空間タッチパネルで映像を動かすのが斬新だったが…
 原題"Minority Report"で、少数報告のこと。劇中では、殺人を予知するプリコグ3人のうち、予知しなかった1人を指す。フィリップ・K・ディックの同名小説が原作。
 2054年のワシントンD.C.が舞台。犯罪予防局が運用するプリコグによる殺人予知システムの検証中で、9割を予知。殺人未遂を犯した者は殺人罪同等で逮捕・拘禁される。
 主人公の刑事長(トム・クルーズ)は、過去に息子を誘拐されたために妻と別居、薬物依存しているという凄まじい設定。その過去から犯罪予防局を志願するが、プリコグもまた予知のために水槽に閉じ込められるという非人道的扱い。
 プリコグの一人が過去の殺人の映像を再生したことから、主人公が事件を追い始めると、なんとプリコグは主人公が殺人事件を犯すという予知をする。追われる身となった主人公に、システム開発者の博士、プリコグの過去、主人公の息子の事件が絡み、物語は意外な展開を見せるが、冷静に見るとストーリーはかなり杜撰。
 事件解決後は主人公が妻とヨリを戻し第2子を孕むが、息子の行方は未回収のままの無理やりなハッピーエンド。
 公開時は空間タッチパネルで映像を動かすのが斬新で、その後はテレビでも真似されたが、映画そのものはつまらなかった印象だった。再見して改めて凡作ぶりを確認。 (評価:2)

28日後...

製作国:イギリス
日本公開:2003年8月23日
監督:ダニー・ボイル 製作:アンドリュー・マクドナルド 脚本:アレックス・ガーランド 撮影:アンソニー・ドッド・マントル 音楽:ジョン・マーフィ

感染症にも負けないナオミ・ハリスがかっこいい
 原題は"28 Days Later"で、監督はダニー・ボイル。SFホラーということになっているが、未知の伝染病の恐怖を描くSFパニック映画。
 昏睡状態で病院に入院していた主人公が目覚めると、病院もロンドンの町もゴーストタウンになっている。噛まれると十数秒で発症し、狂暴化して人を襲うという感染症のパンデミックにより、人々がイギリスを脱出した後だった。
 逃げ遅れた人々と行動を共にするが、襲ってくる感染者だけでなく感染した人間は発症前に殺すという生存のための殺人、無法化した小隊の兵士といった暴力がテーマ。怖いのは感染者よりも人間という、使い古された動物園の鏡。
 感染者はゾンビのようで、TVシリーズ"Walking Dead"に良く似ていて、本作にインスパイアされたか? ただ、作品的には"Walking Dead"の方が遥かに面白い。
 感染源は類人猿で、血液感染するという、エイズ、エボラ型。傷口だけでなく目や口から血が入っただけで感染し、十数秒で発症というのがSF設定的には難点か。タイトルは、最初に人間に感染してから28日後の物語ということから。主人公たちは小隊から逃れて28日後に救出される。
 主人公と行動を共にする女を演じるナオミ・ハリスがかっこいい。若干、残酷シーンあり。 (評価:2)

イン・ディス・ワールド

製作国:イギリス
日本公開:2003年11月15日
監督:マイケル・ウィンターボトム 製作:アンドリュー・イートン、アニタ・オーヴァーランド 脚本:トニー・グリゾーニ 撮影:マルセル・ザイスキンド 音楽:ダリオ・マリアネッリ
ベルリン映画祭金熊賞

ドキュメンタリー風に撮ることでリアリティを損なっている
 原題"In This World"で、この世界での意。
 パキスタンの難民キャンプに住む少年が、陸路をロンドンに向かうという物語で、ドキュメンタリー風に撮られたフィクションなのだが、プロローグでそれを説明せず、あたかもドキュメンタリーのようにフェイクする制作姿勢が、あまり感心しない。
 主人公の15歳の少年ジャマール(ジャマール・ウディン・トラビ)は、ペシャワールの難民キャンプで暮らす、なぜか英語が話せる孤児。伯父が息子のエナヤット(エナヤット)を親戚のいるロンドンに住まわせるために、密入国業者に依頼し、通訳にジャマールを同行させる。
 以下、パキスタンのタフタンからトラックに乗り、国境を越えてイランに。テヘランを経て、クルド人の村から夜間に国境警備隊の目を盗んでトルコに山越えし、トラックでイスタンブールへ。そこで旅費を稼ぐために工場でバイトをし、貨物船のコンテナに隠れてイタリアのトリエステへ。エナヤットは脱水で死んでしまい、観光客のバッグを盗んだ金で切符を買い、陸路フランス西岸のサンガットに。
 最後はトラックの車台に隠れて英仏海峡トンネルを抜けてロンドンへというロードムービー。伯父に到着とエナヤットの死を伝え、皿洗いのロンドン生活が始まるというラスト。
 ドキュメンタリー風に撮ることでリアリティを出したかったのだろうが、逆にヤラセによる不自然なシーンが目に付いてフィクション以上にリアリティを損なっている。 (評価:2)

パニック・ルーム

製作国:アメリカ
日本公開:2002年5月18日
監督:デヴィッド・フィンチャー 製作:セアン・チャフィン、ジュディ・ホフランド、デヴィッド・コープ、ギャヴィン・ポローン 脚本:デヴィッド・コープ 撮影:コンラッド・W・ホール、ダリウス・コンジ 音楽:ハワード・ショア

密室ゾンビものと比べると後出しジャンケンが多い
 原題"Panic Room"で、字幕では緊急避難室となっている。
 金持ちの夫に愛人ができて、娘(クリステン・スチュワート)とともに別居した妻(ジョディ・フォスター)が、亡くなった大富豪の豪邸に移り住む。その引っ越しの夜、パニック・ルームの秘密金庫に隠し遺産があることを知っている大富豪の元使用人が仲間2人と空家のつもりで押し入り、母娘はパニック・ルームに立て籠もって攻防戦が起きるという筋立て。
 後は攻防戦をどう見せるかしかなく、警報装置の解除、通気口からのモールス信号、携帯電話、内線電話の外線への付け替え、通気口からのガス噴射などが登場するが、シナリオ的には後出しジャンケンが多く、『ドーン・オブ・ザ・デッド』(1978、2004)などの密室ゾンビものと比べると今ひとつの出来。
 電話線の内線から外線への切り替えでは、妻に通信システムの知識があるのが不自然で、ジョディ・フォスターならまあ有りか、と納得するしかない。
 終盤、警官が訪ねてきて、強盗がいるなら目で合図しろとドア口でやりとりするのもどこかで見たようなシーンで、しかも犯人たちはパニック・ルームにいるので会話は聴こえないのだから、なんで警官に伝えないのかと、ここでも不自然さが出る。
 結局は、ジョディ・フォスターの男顔負けの奮闘ぶりが見せ所の作品なんだろうと納得するしかなく、連絡を受けた浮気夫の情けなさぶりもこのためか。
 娘役の子役・クリステン・スチュワートは大して可愛くないが、後に『トワイライト』シリーズの主役に抜擢され、自らの人気で大富豪となった。 (評価:2)

007 ダイ・アナザー・デイ

製作国:イギリス、アメリカ
日本公開:2003年3月8日
監督:リー・タマホリ 製作:バーバラ・ブロッコリ、マイケル・G・ウィルソン 脚本:ニール・パーヴィス、ロバート・ウェイド 撮影:デヴィッド・タッターサル 音楽:デヴィッド・アーノルド

荒唐無稽ぶりはショーン・コネリー時代を思わせる
 原題"Die Another Day"で、直訳は別の日に死ぬの意。ピアース・ブロスナンの最終作(第4作)で、シリーズ第20作。
 密告により北朝鮮で捕らわれたボンドが、殺しのライセンスを剥奪され、名誉回復のために密告者を探し出すというのが物語の流れで、冒頭で死んだはずの北朝鮮の将軍の息子が生存していて整形で顔を変えていたことがわかり、もう一度退治してエンドとなる。
 密告者が判明してからは、ボンドと将軍の息子との復讐戦。全体を通じてミッションがないので、単なるアクション映画に終わっている。
 将軍様は太ってなく、将軍様の息子に至ってはスリム。北朝鮮軍の装備もそこそこで、アバンタイトルの侵入シーンのハワイもどきのビッグウェーブなど、日本人が見ると何とも違和感がある。
 38度線から香港、ハバナ、ロンドン、アイスランド、北朝鮮へと舞台は回るが、荒唐無稽ぶりはショーン・コネリー時代を思わせるものの、観光地紹介は魅力に乏しく、Qの秘密兵器は楽しくなく、スタントアクションも冒頭のサーフィンと氷上でのカーアクションくらいで、度肝を抜かず、唯一スケベなことが往年のボンドらしいだけ。
 遺伝子工学による整形は小学生でも呆れるレベル。
 ボンドガールのハル・ベリーがかっこいいのと、ロザムンド・パイクが今までにないタイプのボンド・ガールで魅力的で、主題歌をマドンナが歌い出演もしているという、見どころは女性たち。 (評価:2)

製作国:アメリカ
日本公開:2002年10月12日
監督:マイケル・ライマー 製作:ジョーグ・サラレグイ 脚本:スコット・アボット、マイケル・ペトローニ 撮影:イアン・ベイカー 音楽:ジョナサン・H・デイヴィス、リチャード・ギブス

ヴァンパイアの空中戦と完全燃焼が見どころか?
 原題は"Queen of the Damned"で「永遠に呪われた者たちの女王」の意。原作はアン・ライスの同名小説(邦題は「呪われし者たちの女王」)。『インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア』(1994)の続編。
 前作でトム・クルーズが演じたレスタトにスチュアート・タウンゼント。女王アカーシャのアリーヤは本作撮影後の2001年、飛行機事故によって22歳で死亡。
 現代に甦ったレスタトはロック歌手となり、吸血鬼であることを暴露したことから、他の吸血鬼たちの不評を買う。レスタトに興味を持つ超常研究者のジェシー、マリウスとの再会、ヴァンパイアの最初の女王アカーシャの復活により、レスタトは世界を支配する野望を手にする・・・といった話。
 前作同様、ゴシックな吸血鬼物語が展開されるが、ロック会場で空中戦を繰り広げて燃え上がるヴァンパイアたちは『ハリー・ポッター』のディメンターのようで、アクション的には派手だが吸血鬼ものとしては若干興趣を損なう。
 アカーシャが単純に強いだけというのも難で、ストーリー的にはそれなりだが、吸血鬼の孤独や煩悶といった前作の深みのあるドラマには欠ける。 (評価:2)

ボーン・アイデンティティー

製作国:アメリカ
日本公開:2003年1月25日
監督:ダグ・リーマン 製作:パトリック・クローリー、リチャード・N・グラッドスタイン、ダグ・リーマン 脚本:トニー・ギルロイ、ウィリアム・ブレイク・ヘロン 撮影:オリヴァー・ウッド 音楽:ジョン・パウエル

段取りを踏んでいるだけなので途中で飽きてくる
 原題"The Bourne Identity"で、ボーンの正体の意。ロバート・ラドラムの同名小説が原作。
 地中海のマルセイユ沖で漁船に救助された男が記憶喪失で…という記憶喪失モノで、ネタバレをするとこの男ボーン(マット・デイモン)が実はCIAからアフリカの元独裁者の暗殺を命じられた工作員だったという物語。
 ボーンはあることから暗殺に失敗したが、物語は記憶喪失のボーンが自分に残された手掛かりをもとに、タイトル通りに自分の正体を探っていく。その過程でCIAの陰謀が明らかになっていくが、設定のアイディアはともかく、ミステリーとしてはそれほど話が面白いわけでもなく、エピソードも段取りを踏んでいるだけなので途中で飽きてくる。
 設定のアイディアを除けば『007』や『ミッション・インポッシブル』と同様のスパイ・アクションだが、カー・チェイスを除けば、アクションにそれほど見せ場があるわけでもない。
 因果関係を遡って謎を解いていく形式なので話はわかりにくく、アフリカの元独裁者がCIAにとって都合が悪い人物という以外にどんな人間なのかが描かれず、CIAが暗殺を命じた事件そのものの影が薄いのが物語を浅くしている。
 ボーンがサイボーグかと思わせるくらいにアメコミのスーパーヒーロー並みなのも、リアルな現実社会を舞台にしたスパイものとしては興趣を削ぐ。
 ボンドガール代わりのフランカ・ポテンテも知的だがセクシーさに欠ける。 (評価:2)

青の稲妻

製作国:中国、日本、韓国、フランス
日本公開:2003年2月1日
監督:ジャ・ジャンクー 脚本:ジャ・ジャンクー 撮影:ユー・リクウァイ

何をしているのかよくわからない若者ではお話にならない
 原題"任逍遥"。劇中で歌われる歌の題名で、自由気ままにさせるの意。
 2001年のWTO加盟、2008年の北京市のオリンピック立候補という近代化に邁進する中国の現在進行形のドラマで、そうした世の中の変化とは無縁、取り残されていく地方都市の若者たちの生態を描く。
 もっとも仕事もなくブラブラしている青年シャオジイ(ウー・チョン)とビンビン(チャオ・ウェイウェイ)は浮草のような毎日で、やることといえば掴むことさえできない女の尻を追うくらいで、何を考えているのか何をしようとしているのかさっぱりわからない。
 さっぱりわからない人間の意味のない行動を見せられても何が何だかさっぱりわからず、観客は無為なドラマというよりはドラマさえもない映像の垂れ流しに付き合うことになる。
 二人が銀行強盗をすることになって漸くドラマらしくなるが、動機も目的も不明で場当たり的なので、盛り上がりもないままに御用。
 それが中国の成長に取り残されていく若者たちの閉塞感と生態だと言われても、何をしているのかよくわからない若者ではお話にならない。 (評価:2)

トランスポーター

製作国:アメリカ、フランス
日本公開:2003年2月1日
監督:ルイ・レテリエ、コリー・ユン 製作:リュック・ベッソン、スティーヴ・チャスマン 脚本:リュック・ベッソン、ロバート・マーク・ケイメン 撮影:ピエール・モレル 音楽:スタンリー・クラーク

『007』や『ミッション・インポッシブル』には到底及ばない
 原題"The Transporter"で、運送人の意。
 高い金さえ払えばどんなものでも運搬するという運び屋フランク(ジェイソン・ステイサム)が主人公。
 冒頭、銀行強盗3人組を安全な場所まで運ぶという仕事を成功させるが、間抜けな3人組はその後で逮捕。フランクとは旧知の警部(フランソワ・ベルレアン)がやってきて、手伝ったんじゃないかとカマをかけるがシラを切る。しかし、3人組を取り調べればすぐにわかるようなことで、しかもヤバい仕事をするのに目立つBMW735iを使うというトンデモナイ設定に、端から萎えてしまう。
 設定だけ見ると、『007』のジェームズ・ボンドのようなキャラクター設定。カーチェイスやアクションが見どころとなるが、テレビドラマのような細かいカット割りで繋ぐため、迫力不足で『007』や『ミッション・インポッシブル』と比べて数段見劣りする。
 次の仕事が人質ライ(スー・チー)の運搬で、途中情けを掛けたためにトラブってしまうという展開。ライはボンドガールの立ち位置で、父親が人身売買の黒幕で、それを阻止しようとして犯罪組織に捕まったということらしいが、その間の説明はなく、展開優先という穴だらけのシナリオ。
 『007』や『ミッション・インポッシブル』には到底及ばず、続編を見る気が失せる。 (評価:2)


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